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WiMAXの都合で12月29日から1月4日までインターネットが停まる話のご連絡

 WiMAXの会社から電話が来た。いま話し終ったところ。これまでもなんどか来ていた。慌ただしい時間で出られず留守番電話になることが多かった。後に再生して「WiMAXの速度変更に関して連絡をした。また掛ける」という内容であることは確認していた。受話して、「速度変更についてお話したい」と言われ、「いま忙しいのであとにして欲しい」と断ったこともある。


wimax2

 今回初めて「あ、何度もすみませんね。どうぞ」と言って会話した。その内容におどろいた。Wifiの速度変更があり(110MB/Sにアップとか)、機器の変更(ルーターの交換)等があるまでは納得出来たが、なんとそのために「12月29日からしばらく通信不能になる」というのである。だいぶ前から毎週一度程度だが何度も掛かってきていた。留守番電話では「速度変更のお知らせをしたかったが、お忙しいようなのでまた掛ける」と機器変更には触れていなかった。その程度のことでなぜにこんなにも熱心に、と不審ではあった。今の時代「インターネットが一週間出来なくなる」は重要な問題である。いかに叮嚀に説明しようとも激昂するひともいたことだろう。それがあってか、オペレーターの女はなんだかおっかなびっくりで話しているように感じた。私は苛立ちはしなかったけれど、それはそれで事件だから、思わず「最初に掛かってきたとき受話していればこんなことにならなかったのか!? 留守電にしたことがこんな事態を招いたのか!?」とは問い質した。すると、なにがどうあろうと、なんぴとたろうとも、「12月29日から一週間程度は断線となる」と知る。WiMAX利用者は全員そうなるらしい。なら諦めるしかない。ここに書いたけれど、私はNTTの光フレッツとWifiを両方使っていた。それは無駄と知り今年の10月に光フレッツをやめ、Wifiだけにした。毎月光フレッツ料金3500円をむだにしていた。丸一年分だからもったいない。ふたつあった時期ならこんなことになっても平気だったのだが、やめたらこの事態。なんとも間が悪い。



REALFORCE
 実は、 ここのところブログ更新が滞っていた理由のひとつに、「気に入ったキイボードがない」ことがあった。キイボードは今までに何十台も買った。壊れたもの、壊れなくても気に入らないものは捨てまくってきたが、それでもまだ10台以上ある。気分によって使い分ける。ま、PC関係小物オタクであろう。その辺の事情はそのネタの時に書くとして、一番気に入っていたものを他所に置いてきたので、残りのものもそこそこなのだが、どうにも書くのが滞っていた。今日の午後、それを解決するために註文した東プレREALFORCEが届いた。ここ数ヵ月、打ちやすいキイボードに餓えていたので、ひきちぎるようにして開封し、すぐに繋いで打ち始めた。期待通りの逸品だった。明日から私も年末正月休暇である。いままでブログ更新が停滞していた分、東プレREALFORCEで書きまくるぞ! と思った瞬間のインターネット一週間停止のお知らせだった。
 
 ということで、明日の28日、インターネット停止前に有馬記念ネタでもひとつ書くつもりだが、29日から最短でも1月4日、最悪10日ぐらいまで、このブログは停止する。メールの送受信も出来ない。 緊急のかたは、電話連絡にしてください。私としてもこんなことは初体験なので戸惑っている。私は電話嫌いなのでほとんどがいまメール連絡である。みんなそれを知っているので電話をしてこない。だから、たとえば、12月30日に1月5日に飲みましょうと連絡をもらっても、私はそれを読めないし返事も出来ない。ぜひともここを読んでそれをご理解ください。



 2014年暮れから2015年始めにかけての10日間の休みを、私は「DTM製作に撤するつもり」でいた。 これが最優先。次ぎに読書。読まねばならない本の予定も立て、あらかじめ購入した本、図書館から借りた本を積みあげ、気合十分だった。そして大掃除。ここのところの繁忙で部屋が乱雑になっていた。時間を見つけては掃除をし、台所と居室の大掃除も済ませ、あとはPC部屋を整理して、28日からの大型休暇に突入する予定だった。インターネットにはあまりちかよらないが、でも音楽創りの過程や読書感想などをそれなりにアップして、という心積もりだった。「出来るのに、あまりちかよらない」と「したくても、通信出来ない」の差は大きい。



 東プレREALFORCEが届いたら書きまくるぞ! と意気込んでいたのに、それで書いた最初の文章がこれというのはちょっと皮肉だ。しかしまあすごいぞREALFORCE、これを使ったら他のキイボードは使えなくなる。インターネットは出来ないが、29日からの正月休み、文章は書きまくるだろう。 

 やりたくてもやれないインターネット一週間断ち(もっとかな?)の感想は、年明けに。それではみなさん、よいお年を。 
  1. 2014/12/27(土) 18:58:31|
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生活の党に山本太郎氏入党──小沢と山本、最強タッグで政権奪取へ!

生活に山本太郎氏入党 再び「政党」に 交付金も支給へ 

 先の衆院選で政党要件を失った生活の党は26日、新たに無所属の山本太郎参院議員を加え5人となった。総務省に同日、政治資金規正法に基づく政治団体の届け出を行い、再び「国会議員5人以上」の政党要件を満たし、来年の政党交付金を受け取ることができるようになった。

 党の正式名称は「生活の党と山本太郎となかまたちに変更した。代表は小沢一郎氏が引き続き務める。生活は衆院選の当選者が小沢氏ら2人にとどまり、「比例代表の得票率2%以上」の条件も満たせずに政党要件を失っていた。(産經ニュースより)

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 夢が実現した。最強タッグ。政権奪取まであと一歩。ほんのもうすこし、あと300人も所属議員をふやせばすぐだ!

ozawakoreashori

 しかし小沢、「生活の党」を「生活の党と山本太郎となかまたち」なんて名前にはしたくなかったろうな(笑)。でも山本はそれを主張する。受けいれないと入党しない。政党助成金4億円を取れるかとれないか。妥協する。みっともない。他人事ながらみじめな気分になる。山本太郎ごときに頭を下げる小沢。盛者必衰の理か。いやいや互いに民族の血を確かめあって和気藹藹かな(笑)。

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《関連テーマ》

窮地の「生活・小沢氏」野党再編展望描けず 所属4議員で「政党」から陥落 野党再編「民主」難色


衆院選で所属国会議員が4人になった生活の党。率いる小沢一郎代表は野党再編に意欲をみせるが…

 小沢一郎代表率いる生活の党は、衆院選の当選者が小沢氏含めわずか2人で、政党要件も失った。それでも野党再編に望みを捨てていない小沢氏だが、政党をつくっては壊してきた言動を、民主党など他の野党は警戒する。過去20年余りで8政党を渡り歩いた「豪腕」が、いよいよ窮地に陥っている。

 小沢氏はかつて自民党幹事長や民主党幹事長を務め400人以上の勢力を率いていた。今や生活は参院2人を含め所属国会議員は4人。政党要件に必要な「国会議員5人」を下回った。

 比例代表の得票率が2%以上あれば政党要件を満たすが、衆院選は1・93%で、昨年の参院選に続き達成できなかった。小沢氏が所属した勢力としては最盛期の100分の1以下に転落し、小沢氏も45年に及ぶ議員生活で実質初めて「政党」以外の所属となった。

 それでも小沢氏は15日の記者会見で「行動をともにする方がいれば考えていきたい」と述べ、「あと1人」の確保に意欲を示した。このままでは生活は来年の政党交付金の対象外だが、年内に所属国会議員が5人になれば4億円程度の交付金が手に入る。そのため、無所属議員らを勧誘する動きもある。

http://www.sankei.com/politics/news/141222/plt1412220018-n1.html

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「生活」山本太郎氏入党で政党要件満たす 他党議員からは酷評も…
2014.12.27


 小沢一郎代表率いる生活の党は26日、無所属の山本太郎参院議員と合流し、名称を「生活の党と山本太郎となかまたち」に変更した。「国会議員5人以上」という政党要件を満たし、来年の政党交付金を受け取れることになった。代表は引き続き小沢一郎氏が務める。奇妙な党名や山本氏の合流には、さまざまな反応が出ている。

 生活は12・14衆院選で政党要件を失ったため、小沢氏は無所属の亀井静香元金融担当相らに合流を求めていたが、「数合わせはダメ。関係ない」(亀井氏)などと拒否されていた。

 山本氏は昨年10月の秋の園遊会で天皇陛下に手紙を渡したり、参院本会議にタートルネックにラフなスパッツ姿で臨み、参院議長に厳重注意されるなど問題行動が多く、「さすがに小沢氏も誘わないだろう」(民主党幹部)とみられていたが、背に腹は代えられなかったようだ。

 山本氏の合流や党名に対し、他党の議員がツイッターで反応している。

 民主党の長島昭久元防衛副大臣は26日夜、「亀井静香氏に断られた挙句に山本太郎氏とは! 政党要件を満たすためなら何でもありなのか。しかも、この人を食ったような政党名は何なのだ」と書き込んだ。自民党の三原じゅん子女性局長も「まあ、どうでもいい話ですが、思わず笑ってしまいました」とツイートしていた。 
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20141227/plt1412271525002-n1.htm 

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 『週刊新潮』2015年1月15日号。
「4億円が欲しくて生き恥の党名を呑んだ『小沢一郎』ここまで堕したか?」。

 〈4億円にのぼる“濡(ぬ)れ手で粟(あわ)”のカネ〉目当てで党名が「生活の党と山本太郎となかまたち」、まさに〈カネ欲しさの野合〉

shincho2015



  1. 2014/12/27(土) 05:52:31|
  2. サヨク
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《『殉愛』騒動──及川さんの百田さんへの挑発ツィート》に【追記】──及川さんはノンポリ

《『殉愛』騒動──及川さんの百田さんへの挑発ツイート》に、以下の文を追記。


【追記】──及川さんはノンポリのようだ──2014/12/19

 12/17に下のツィート。これは衒った意見(ウヨクが「じつはおれの基本はサヨクなんだ」と言ったり、サヨクが「自分こそが真の保守派なのだ」と言ったりするパターン)ではなく、正直な胸中の吐露だと思う。私は今回の件で初めて及川さんのツィートを読んだが、そこから政治思想のにおいを感じなかった。その直感には自信がある。

oikawa-shisou

 この直感はとても大事だ。及川さんには感じなかった。でもAmazonレビューにはびんびん感じる。一瞬で「あ、こいつは」と見抜ける。あそこには保守論客百田嫌いのサヨクが跳びはねている。「永遠の0」に反感を抱いた連中がここぞとばかりにはしゃいでいる。

 及川さんはここで表明しているように右も左も関係ないノンポリなのだろう。上杉なんて詐欺師をフォローしているのはその証拠になる。といって、「思想なんか自分の胸だけにあればいい」はかっこいいセリフではない。これは政治音痴ノンポリがノンポリであることに居直るときの常套句である。新橋あたりの居酒屋にもあふれている言いまわしだ。このツィート、最後の一行は不要。「見た目のよさと話のおもしろさだけだ」で結んだほうがいい。
  1. 2014/12/19(金) 06:17:50|
  2. たかじん
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選挙話──田母神さん支持──デヴィ夫人の意見に隠されている北朝鮮

 下は、《デヴィ夫人のブログ》から選挙に関する意見。



日本の皆さん、比例区は 『次世代の党』 にお願いまします。

14日(日)は 衆院選の投票日です。皆さん、 投票に 必ず 行きましょう!

皆さんの 1票が 日本を変える 大きな力があるのです。


私は 『次世代の党』(最高顧問  石原慎太郎氏、党首は 平沼赳夫氏)を 応援しています。

アメリカに追従し、 中国に遠慮し、 韓国に気遣いをしている情けない日本は 強く変わらなくてはなりません。

日本領土の防衛は、 アメリカに頼らず日本で 守りましょう。

そうでないと 真の独立国家とは 言えません。




 これだけを読むと全面的に同意である。アメリカに隷属しているなさけない現状、中韓に対する委縮、まったくそのとおりである。
 しかしこのひとに関してはもうひとつポイントがある。

 アメリカ、中共、韓国は出て来るが、北朝鮮は出て来ない。北朝鮮はデヴィ夫人最愛の国なのだ。このひとの意見は、ここに北朝鮮を絡ませると豹変する。いきなり「何万人もの朝鮮人を強制連行し酷使し」と社民党あたりと同じ事を言いだす。北朝鮮愛と比したら、次世代の党も田母神さんも相手にならない。

 それは《正気とは思えないデヴィ夫人の北朝鮮讃歌──最愛の北朝鮮の前では、石原、橋下、みんな否定》に書いた。みんな否定して最後に残るのが小沢一郎なのである(笑)。そりゃ小沢は母国朝鮮は大好きだ。



 また上掲のデヴィ夫人の文章には、

日本を変え、 日本を取り戻したい方、〝日本人の  日本人のよる  日本人のための〟『次世代の党』に 是非、 投票して下さい!

安倍政権を支え、 足並みを揃えられるのは『次世代の党』です。


 とあり、安倍政権支持のように見えるが、デヴィ夫人は石波支持者であり、北朝鮮と対立する安倍首相は否定している。
 それは《朝鮮愛ひとすじのデヴィ夫人は熱烈な石波支持だと今ごろ知りました》に書いた。ほんとにもうこのひとはすべての判断基準が北朝鮮にある。願いは石波が首相になり北朝鮮との国交樹立なのだろう。



 けっきょく最上位に「北朝鮮愛」のデヴィ夫人が真に信じる政治家は小沢一郎だけになる。
 田母神さんは北朝鮮を認めていない。北朝鮮の話を始めたら田母神さんとデヴィ夫人は対立し、デヴィ夫人は激昂して袂を分かつだろう。石原、橋下と同じく北朝鮮愛の前には田母神さんも吹き飛んでしまう。とするならこの応援は悖反している。

 その矛盾については《都知事選──デヴィ夫人の応援は田母神さんにプラスなのか!?》に書いた。今回のこれも同じようなものだ。結論も同じ。「デヴィ夫人の応援は田母神さんに役立つのだろうか。応援演説やブログ文で、田母神さんに投票してくれるひとがひとりでも増えるなら、それは感謝すべきことなのだろうが……」になる。デヴィ夫人はすなおに小沢一郎の応援に行けばいいのだ。小沢も落ち目で今回はたいへんな状況だ。地元にもどってドブ板選挙をしている。大震災のあとは放射能が怖くて帰らなかったのにね(笑)。デヴィ夫人は岩手に行け。そこで小沢と一緒に北朝鮮を讃美しろ。それが矛盾のない行動だ。

 といって私はデヴィ夫人嫌いではない。それは私の《デヴィ夫人項目》を読んで頂けばわかる。私ほどこのひとに深い興味をもっているのはいないのではないか(笑)。いやほんと、このひとはむかし世話になった男への恩義を忘れない古き良き花柳界の女みたいな感覚で、そこのところはじつに好ましい。北朝鮮愛も「インドネシアで苦しい時代のわたしを助けてくれた金日成首相への恩義」から出発している。「アメリカ嫌い」も、「そのころいじめられた」から始まっていて、まことよくもわるくも女らしい女である。だがこのひとの日朝歴史解釈は間違いばかりで肯んじることはできない。



 西東京在住の私は選挙区では投票する候補者がいない。明日は比例代表で次世代の党にいれてくるだけだ。小選挙区制反対と同様に比例代表制なんてくだらないものはすぐに廃止すべしと思っているが、今回はこれのおかげで参加できるのは皮肉だ。

《「怖いよお、放射能がくるよお」と布団を被ってブルブルふるえている母さん》(←なんちゅうなさけない60代だろう。娘がそうならわかる。それを叱り飛ばすのが母親だ。こんな腰抜けの60代がいるとは信じがたい)とともに着の身着のままで西日本に疎開してもう三年も経つのに、都知事選に当日の朝「不在者投票」で参加できたりする法規を超えたスーパーマン<きっこさん>がうらやましい。私にも<きっこさん>のような超能力があったら西東京に住んでいながら東京12区で田母神さんに票を投じてくるのだが。

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追記──青木愛の応援に山本太郎(笑)

 東京12区の生活の党(笑)から立候補の青木愛の応援に山本太郎(笑)が駆けつけたのだとか。まことに民族愛の強いかたがたである。小沢─青木─山本……なんだかな(笑)。

 今回の選挙、私は「生活の党と社民党が大躍進し350議席を獲得。両党の連立政権樹立。小沢一郎首相誕生」と読むが果たしてどうか。20時からの開票速報が楽しみだ。もしも生活の党と社民党で350議席取れなかったら鼻からカルボナーラ喰ってやるよ。ってどこかで聞いたことあるな。
  1. 2014/12/13(土) 07:26:15|
  2. 選挙
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将棋話──竜王戦2014第五局──歪んだ2三歩──知らんふりの糸谷、直した森内!?

2014ryuuou1
11手目。
角を交換する。糸谷の手が2三の歩に当たり、やや斜めを向いてしまったが、糸谷は気にするそぶりを見せない。

12手目。
森内は2三の歩を直さないまま2二の金を取る。早くも盤上の勝負以外での戦いが勃発した感じだ。

13手目。
糸谷は7七に銀を上がって湯呑みに手を伸ばす。果たして先に2三の歩に触るのはどちらだろうか。

14手目。
「直さない、直さないねー」と控室。また森内の顔は少し怒っているようにも見えると控室では言われているが、「ここまで来たら森内さんは直せないですね。問題は糸谷さんに直す気があるかどうか」と、対局以外のところでの雑談が始まった。

23手目。
禁断の地点と言われている2三を森内の手が通過し1筋に手を伸ばす。もちろん2三に触れるそぶりは見せない。森内にとって、そのときが来るのは△2四同歩、または△2四歩と応じるときのみとなりそうだ。

27手目。
着手後眼鏡を上げ、手のひらを顔にかざす糸谷。心優しい棋士だけに、「やってしまったなー」という思いはどこかにあるかもしれない。

2014ryuuou2
 

49手目。
時間を掛けずに穴熊に潜った。
「これはなんなんでしょうね。どうして考えずにさせるんだろう。これは仕掛けると思いますよ」(富岡八段)
対局開始から1時間が経過。ここで本局で初めて糸谷が席を立った。
ややあって森内が2三の歩を形よく直す。ここは森内が寛大な姿勢を取ってみせた。
糸谷が対局室に戻ってきた。もちろん2三の歩の直りには気付いているはずだが、気にする様子も見せず席に着いた。

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感想(続く) 
  1. 2014/12/06(土) 07:30:19|
  2. 将棋
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従軍慰安婦問題──反省しているようで反省していない北海道新聞──アサヒもドウシンも同じ

あの名高いサヨク偏向新聞、北海道新聞がアサヒに続き、詐欺師吉田清治の証言を元に作った捏造記事に関する反省を載せたらしい。アサヒが反省するようでいてじつは居直っていたのに対し、それに関する掲載記事7本をぜんぶ再録し(アサヒは1本のみ)、すこしはまともに反省しているかのように思えたが、よく読んでみると、やはりぜんぜん反省していない、というお話。くわしくはこちら。

・北海道新聞の慰安婦検証特集─生かされなかった朝日の教訓

それにしてもこんな事実無根の記事を載せていたのだ。新聞の効果と信頼は大きい。日本を愛する多くの道民が、「むかしはこんなひどいことをしていたのか」と俯いたことだろう。まったくのウソなのである。吉田清治という詐話師の完全な作り話、済州島に住む朝鮮人が「そんな話、聞いたこともない」ときょとんとする荒唐無稽な作り話なのである。



yoshidaseiji-doushin

「朝鮮人慰安婦の強制連行」

「まるで奴隷狩り」

「殴って、子引き離し」

「陸軍と警察、行政一体で」


すべてウソ。事実無根。無からのでっちあげ、虚空のウソ話。写真の吉田清治は「痛恨の告白」で涙を拭っているのか。なんともおそろしい世界である。こんなもの読まされたら誰でも信じてしまうだろう。

吉田清治という詐話師の作り話、ここぞと飴をなめに来る弁護士・福島みずほ(これをきっかけに国会議員まで登りつめる)、大々的にそれを報じるアサヒ新聞、それに続くドウシン、サヨクマスコミ、こりゃおいしいと浮かれる朝鮮半島、世界中にそれを喧伝し、アメリカの都市に「従軍慰安婦像」なるものが建つまでになった。まさに吉田清治というウソツキジジーの一滴のウソが今じゃ世界的大河となっている。

jugunuso


この問題の異様さは、「日本から始まっていること」だ。ふつうこんなものは被害者ぶって金を得ようとするのが騒ぎたて、こちら側は「そんな事実はない」と否定して論争になる。ところが朝鮮シナに関わるこの種の問題は、あちらはなにもしない、しらない(事実無根なのだから知るはずもない)のに、日本のサヨクが「こんなことがありますよ」と捏造することから始まっている。なぜこんなマスコミが存在できるのだろう。しみじみへんな国だと思う。
  1. 2014/12/03(水) 05:58:17|
  2. マスコミ
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続・イニシャルの話──日本人のイニシャルは姓名の順──My nama isからI amの時代へ

 今や外国語教育は小学校でも必修となった。家庭でも授業を終えた子供が、覚えたばかりの英語で話しかけてくるかも知れない。しかし、不用意に自分の常識で対応するとあいさつの段階で恥をかく。

Hello, my name is Ken Tanaka.〉は教科書に載っていた一番はじめに教わる英語のあいさつだ。

 このようにMy name isのあとに「名―姓」の順で習ったはずだ。しかしMy name is~のあいさつは「古い言い回し」として今の教科書では使われなくなった。
 
 現在中学一年生の教科書ではI am Tanaka Ken.と、 I amと「姓―名」の順で名乗るのが標準なのだ。

 姓名の順は2000年に国語審議会が「国際社会に対応する日本語の在り方」で、日本人の姓名についてローマ字表記を「姓―名」の順にすることが望ましいと答申したことが大きく反映されている。
SAPIO2014年12月号

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 時代は正しいほうに動いている。西洋人コンプレックスで、日本人が姓名を逆さに言う時代は終った。

kanren7 日本人のイニシャルは姓名の順が正しい──2013/08/07
  1. 2014/12/02(火) 00:01:58|
  2. ことば
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従軍慰安婦問題──全部ウソと断言──アメリカ人マイケル・ヨンさんの意見、訳してくれたケント・ギルバートさんへの感謝

12月1日、早朝、出かける前に百田尚樹さんのツイートを見る。以下の画像。

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クリックして行ってみると、それは《アメリカ人マイケル・ヨンさんが、朝鮮の主張する「日本軍による従軍慰安婦20万人強制連行がいかに根拠のないトンデモか」ということを理詰めで証明した文を、テレビでもお馴染みのあのケント・ギルバートさんが翻訳し、フェイスブックで紹介してくれたもの》だった。

行って、読む。うれしかった。アメリカ人が、第三者の立場から、あの根拠などなにもないトンデモ話のアレを、「そんなことあるかいな(笑)」と断じてくれたのだ。

ほとんどツイッターはやっていないし、まして「リツイート」なんてめったにしないのだが、すぐにした。うれしかった。百田さんが100万回お礼を述べたいと言う気持ちが分かる。私もありがとうと100万回手を合わせたい。あの「インチキ従軍慰安婦少女像」を建立するアメリカの都市もあれば、こんなことを言ってくれるアメリカ人もいる。それがあの国の懐の深さだ。世に希望はあると感じた。



詳しい中身はみなさんに読んでもらうことにします。
アドレスはこちらです。ケント・ギルバートさんのFacebook。



マイケル・ヨンさんは、ごく素朴に問題の本質に迫る。

・当時の朝鮮の人口は2300万人。いまのテキサス州の人口が2600万人。ほぼ同じ。それに例えてみる。この人口2600万人のテキサス州から、支配している宗主国、あるいは攻めこんできた他国の軍隊により20万人もの少女、娘、若い人妻、それらが拉致され性奴隷にされたら、どれほどの問題が起きるだろうか、と。

・そんなことをされたら、少女や娘の父親、妻の亭主等は叛逆しただろう。血で血を洗うたいへんな騒ぎになったはずだ。だがそのような記録は一切ない。それどころか併合時代に朝鮮民族は人口を増やしている。こんな殖民地支配の例はかつてない。

・では朝鮮人の男とは、そのような理不尽なこと──いたいけな娘や最愛の妻を暴力的に売春婦として攫われる──をされても一切の抵抗をしない腰抜けばかりなのか!? いやいや朝鮮男の勇猛さは、後のベトナム戦争においても実証されている。極めて勇猛残酷な男達である。日本軍にそんなことをされたら命を捨てても闘ったろう。勇猛な朝鮮男が、最愛の娘や妻を暴力的に20万人も拉致され、性奴隷にされて、なにもせずじっとしていたはずがない。

・答は簡明。そんな事実はなかったのである。すべてはウソなのだ。

マイケル・ヨンさんはまた、「韓国大統領パク・クネは、そういう日本軍の罪を主張するが、父親の元大統領パク・チョンヒは、当時日本軍の軍人だった。とするなら、『朝鮮人少女20万人強制連行』は、父親の罪にもなるのではないか!?」という皮肉な命題も掲示している。



マイケル・ヨンさんが言ってくれたこと、ケント・ギルバートさんが訳してくれたことは、内容的にあたらしいものではない。ごく当たり前の歴史的事実として日本人は今までもさんざん主張としてきた。しかしそれは「泥棒にされたひとの『おれはやっていない』」でしかなかった。ところが今回通行人の第三者が「あのひとはやっていない」と言ってくれたのである。テキサス親父と同じく、なんとありがたいことだろう。涙が出るほどうれしい。百田さんと同じく100万回ありがとうを言いたい。

ケント・ギルバートさんは、キョセンのあの番組でしか知らない。キョセンとちかいのだからキョセン的なひとだと思っていた。うれしい勘違いだった。ありがとう。心からありがとう。

しかし真の問題は、こんな当たり前のことを言ってくれたひとに対し、「涙が出るほどありがたい」と感謝せねばならない状況なのだ。
日本人は外交下手、ディベート下手だ。それは日本人ひとりひとりの問題でもある。

それにしてもうれしい話だ。朝鮮人ロビイストのばらまく金で、あの事実無根噴飯物の「少女像」を建立するアメリカ人ばかりじゃなかったんだな。アメリカ人のジャスティスを信じられるなんともうれしいトピックだった。
  1. 2014/12/01(月) 14:53:53|
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《『殉愛』騒動──及川さんの百田さんへの挑発ツイート》に追記

《『殉愛』騒動──及川さんの百田さんへの挑発ツイート》に、以下の文を追記。知名度について。

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百田さんが及川さんのツイートに「無名作詩家の売名行為」と返したので、「及川さんは高名な作詩家だ。それもしらんのか!」と、及川ファン、アンチ百田から批難が殺到した。それは百田さんが悪い。軽率だった。なにより「永遠の0」の作家・百田尚樹さんは及川さんを知らなくても問題はないが、百田さんはたかじんの最後の二年を追った『殉愛』を書いた作家なのである。なら、たかじんの最大のヒット曲であるという『東京』の作詩家及川さんを知らないことは問題だ。いかな言い分けも通用しない。作家失格である。ドキュメントを書く資格がない。以上がこの件に関する私の意見。なんともいいかげんな取材である。それほどあの毒婦は人たらしなのであろう。よく言えば魅力的、か。

以下本論からすこし離れて「知名度」について。
私も及川さんの名を知らなかった。私はヒット曲を作詩家作曲家を含めて記憶しているので、ふつうのひとよりはかなり詳しいほうだと自負している。カラオケでも「あれを唄いたいけど、あれはサヨクのナカニシレイの作詩だからやめよう」「これは阿久悠作詞だからいいな」「これは橋本淳とすぎやまこういちのコンビ、問題なし」「よし、次は作曲筒美京平メドレーだ」「ここでオダテツ(織田哲郎)か」と歌う曲を作詩家作曲家から考えたりする。ここにあげた例は古いが(笑)、とにかくまあ並みよりはそのへんの智識はあると思う。でも私は及川さんを知らなかった。調べて、彼女の大活躍している分野が私の興味のないところだと知った。エヴァンゲリオン好きや、たかじんのヒット曲『東京』、Winkの歌を好きなひとには「知らないなんて信じられない」ぐらいの有名人なのであろう。だがそれらに興味ないひとにはまったくの無名でもある。及川さん大好きのひとにも、そこはご理解願いたい。「眠子」で「ねこ」と読むなんて知らなかった。私は「たみこ」なのかと思っていた。いまAtokに「おいかわねこ」で「及川眠子」と変換されるように辞書登録した。知名度なんてそんなものだ。たとえばそれは、私が私にとっては最高級の有名人であり少年時代からの憧れのひとであるプロレスラーや将棋棋士の名を出しても、その分野に興味ないひとはまったく知らないのと同じになる。

百田嫌いのエヴァンゲリオンマニアからすれば「及川さんを知らないはずがない。百田は及川さんを傷つけようとしてわざと売名行為と書いた」となるだろうが、それはあるまい。ほんとに知らなかったのだ。私なんかエヴァンゲリオンがなにかを知らない(笑)。その主題歌を、その作詩家を、知っているはずがない。世の中そういうものなのである。かといって、エヴァンゲリオンファンから「おまえはものを知らない」と言われるつもりもない。エヴァンゲリオンは知らないが、エヴァンゲリオンファンが知らないことをいっぱい知っている自信はある。智識とはそんなものである。

今回の事件には「即行やりとりツイッターの怖さ」が出ている。もしもこれが「ブログのやりとり」だったなら、百田さんは「及川眠子とは誰か?」を調べたろう。ツイッターなので「そんなヤツ、しらねーよ」と反射的にあの行為に出てしまった。百田さんの応答は褒められたものではないが、「知名度なんてそんなもの」は強調したい。
でもケンカだからね。百田さんが「書きながら何度も泣いた自信作の『殉愛』」にケチをつけてきたのがいる。作詩家らしいが自分はぜんぜん知らない。となったら、百田さんはいま飛ぶ鳥を落とす勢いのベストセラー作家なのだから、「無名の作詩家が売名行為でケチをつけてきた」と書くだろうね。それは自然な行為でもある。ケンカなんだから。フツーならそれで問題ないが、百田さんは『殉愛』を書いたひとだった。そりゃ問題になる。どう考えても百田さんの落ち度だ。

でもそれでいうなら、日本中にふたりの応酬を知らないひとはいっぱいいる。そのひとたちにこのことを説明しても、「百田? 及川?」であり、それ以前にその発端である「たかじん、だれ?」でしかない。この種の問題に口を出すとき、そういう狭い分野でのやりとりであることを自覚するのも大事だ。そのことによって見えてくるものもある。ま、しかし、なにはともあれ、百田さん好きの私も、「稀代の朝鮮人毒婦にだまされた」としか思えないのだけど。
  1. 2014/11/30(日) 13:00:52|
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ことば──「残滓─ざんし」の読みかた──室谷克実さんの講演から

「呆韓論」「悪韓論」とヒットを連発している室谷克実さんの講演をネットで見た。「ざんさい」と口にされていた。前後の話から推測するに「残滓」でまちがいないと思われる。「残滓─ざんし」の百姓読みだ。旁(つくり)が「宰相」の「宰」なので、ここからの推測で「ざんさい」という読みが発声する。

 室谷さんは慶應の法学部を卒業後、数年前の定年まで時事通信で記者をしていたかたである。編集長も勤めている。「残滓」を百姓読みで「ざんさい」と読むひとがいるとは知っていたが、今まで出会ったことがなかった。まさか室谷さんのようなかたが口にするとは思わなかった。あの麻生首相の誤読以来のショックである。いやそれよりもおおきいかも知れない。あの場合は単に麻生さん個人が漢字が苦手だったにすぎない。その個人が日本国の総理だったので大きな話題となったわけだが、室谷さんの場合は、いわばことばの専門家である。これは「時事通信社では残滓を〝ざんさい〟と読むことがふつうになっている」ということだ。つまり室谷さんの周囲にいるひとたち、同僚、部下も、みな現場で「ざんさい」と言っているのである。報道の現場で「ざんさい」と使われているのだ。「そういう読みをするひとがいる」とは知っていても、私の周囲にはひとりもいないし、かつて耳にしたこともなかったから、私にはとんでもなく大きな事件だった。
 普及している百姓読みには、「些細─ささい」を「しさい」、「洗滌─せんでき」を「せんじょう」なんてのがある。これもみな旁の読みからの発声だ。それらは日常的に耳にするが、私はいまだかって「残滓」を「ざんさい」と読むのを耳にしたことがなかった。私の知らないところでどんどん時代は変っているらしい。
 

 
 それはとてもショックではあったが、私の持論からするとさほどのものでもない。なにしろ私は「脆弱─ぜいじゃく」を「きじゃく」と読んだひとが笑い者になるたび、「そんなこと、どうでもいいじゃないか」と反感を抱き、「もう読みは〝きじゃく〟で統一してしまえ」と思うほうだったからだ。
 偏(へん)と旁(つくり)から成る漢字を旁で音読みするのは日本人の習性だ。よって「脆」の旁の「危」から「きじゃく」という読みが生まれる。それは間違いとされる。まあ国語の試験的にはまちがいであるけれど。

 「ぜいじゃく」が正しく「きじゃく」は間違いという根拠は、「脆」の字を「ぜい」と発音することが、シナの原音にちかい(漢音でゼイ、呉音でセイ)という理由にすぎない。これはそれほど重要だろうか。日本人の漢字使用とは、そもそもが「和語に漢字を当てはめた」という「当てはめゲーム」にすぎない。なら「RADIO」から「ラジオ」という日本語を作ったように、「脆弱」を「きじゃく」と読む日本語があってもいいのである。「脆弱をきじゃくと読んだ。正しくはぜいじゃくだ」という批難は、「RADIOをラジオと言った。正しくはレイディオだ」と言うのに等しい。たいしたことじゃない。
 

 
 このブログでぜひ読んで欲しいテーマに「三年遅れの麻生首相漢字誤読論」がある。ここでの私の意見も同じく「漢字の読みなんかどうでもいいじゃないか。つまらんことで大騒ぎするな。政治家にはもっと大切なことがある」になる。だがそれを理解できない麻生信者から、「おれたちの麻生先生を否定するヤツが現れた」とばかりに、「むかしは順風満帆をジュンプウマンポと読んでいたのだ。ジュンプウマンポで正しいのだ」とか、「留学の長かった麻生先生は、ことばをまず英語で頭に入れ、それを日本語に訳して口に出すので時間が掛かるのだ」などと寝惚けた反論がとどいた。こちらの言っている要旨が理解できていない。自民党後援会員にはバカが多い。私の言いたいのは、「漢字の読みなんてどうでもいいじゃないか」に尽きる。麻生さんの味方なのだ。

 数日前に書いた、「弁える─わきまえる─ベンの字について」も、肝要なのは「弁えるという表記が醜い」である。「わきまえるは〝わきまえる〟と表するのがいいが、どうしても漢字を当てたいなら、以前使われていた〝辨える〟であろう。これには意味的に通じる部分がある。しかしなんの意味もない〝弁える〟は不様だ」という漢字大好き者を嗤った意見だ。
 

 
 私のこの脳内理論はだいぶ前からなのだが、まだまだ「きじゃく」と聞いたらピクンと反応するし、もう時事通信社では常識らしい「ざんさい」にも脊髄反射してこんなことを書いているのだから、なかなか現実の感覚とは一致しないようだ。誤解しないでいただきたいが、私は「読みなんてのは時代とともに変って行くだろうし、めくじら立てなくてもいいじゃないか」とは思っているが、かといって自分が率先してそれをしているわけではない。私はこれからも「ざんし」であり「ぜいじゃく」である。今風の「憮然」や「閑話休題」の使いかたにも逆らって行く。

 願うのは、自分の好きなひとにはそれをしてほしくないということだけだ。過日「チャリンコ嫌い──朝鮮語から来たコトバ」を書いた。親しいひとに「チャリンコ」「ママチャリ」「ゲンチャリ」等と使うひとがいないことには救われる。大阪の朝鮮人部落から始まったことばだから、ダウンタウン一派の大阪芸人はみなこのことばを連発する。気分が悪くなる。対してビートたけしを始めとする関東芸人に使うひとはすくない。まことに「ささい」なことであるが癒しになっている。
  1. 2014/11/29(土) 12:30:34|
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勤労感謝の日──三田祭のころ──ここを過ぎると冬──ギターの手入れ

 11月23日。祝日。勤労感謝の日になると毎年三田祭を思い出す。卒業後、後輩達がコンサートをやっている何年かは行った。その後はもう何十年も行ってないし、これからも行く気はない。なのにこういう若いときに刻まれた想いというのは強烈で、お恥ずかしい話、毎年毎年この日が来るとワンパターンの記憶がよみがえり、同じ事を思う。文化祭でのコンサートの準備、あれこれあった四日間、そして撤収。
 以下の話はもう何度かサイトで書いたことの繰り返しになるが。



 私が一年生の時に三田祭実行委員長をやっていたのがいま民主党代表の海江田万里さん。四年生かな、五年生だったように思うのだけど。海江田さんはベ平連の活動をしていて、そのころから目立っていたひとだった。所属していた音楽サークルの関係から私も三田祭前夜祭の警備員のようなものに借りだされた。当時の学祭というのはだいたいにおいてサヨクが仕切っていた。中核だの革マルだのある中で、慶應でのみ隆盛だったフロント派というののヘルメットを被らされた。土方のバイトでヘルメットを被ったことは何度もあるが、学生運動のヘルメットを被ったのはこれが最初で最後になる。私は当時いまで言う「自虐史観」に染まっていて、シナ、朝鮮に対して罪悪の意識を持っていたが、マルクスレーニンには染まらなかった。



 前夜祭に、村八分、吉田拓郎、南正人、外道、豊田勇造等が来た。本祭には頭脳警察、遠藤賢治らが来た。彼らの全盛時代だ。当時のことを思うと、私にはいま40歳の<きっこさん>が村八分や頭脳警察を好きなことが理解できない。彼らも彼らのファンも団塊の世代だろう。まして彼らの世代にちかい私でも彼らを好きではなかったし、あれはかなりマニアックなひとの好む音楽だ。思えば思うほど<きっこさん>がわからない。

 前夜祭の吉田拓郎の警備を任された。控室(という教室)の前にヘルメットを被って立った。出番が来たのでたくろーさんにそれを告げた。その距離、1メートル。今までの人生、吉田拓郎までの最短距離。

 いまネット検索したら、こんなこと(=この年の三田祭の中身)までも記録されている。すごい時代だな。前夜祭にはっぴいえんどが来たとある。覚えていない。たくろーさんの警備でステージを離れていた時間だろうか。たくろーさんが「馬」を歌ったのは覚えている。中津川で話題になった後だったので、「『人間なんて』を歌え!」と声が飛んだが歌わなかった。頭脳警察も前夜祭に来ているとある。私の記憶にあるのは階段教室で開催された本祭での頭脳警察だ。当時は売れっ子だったから両方来たのか。当時の私は心情的左寄りのウスラバカだが、頭脳警察に感じるものはなにもなかった。

 前夜祭で私が最も感動したのは豊田勇造のギターテクだったブルースを弾き語りでやっていて、なんともかっこよかった。影響を受け、それから彼のスタイルを模倣した。そのことからデルタブルースにはまってゆく。ということで「豊田勇造さんて現役なの?」と検索したら、いまも旺盛に活動されているらしい。御同慶のいたり。ネットですこしだけ見た豊田さんの今の演奏スタイルは当時私が憧れたものとはちがっていた。そりゃ40年も経てば音楽スタイルも変るか。

 三十年後、タイのチェンマイの日本食堂『サクラ』で、南正人さんと知りあう。



 この時期に「秋の天皇賞」があった。府中の3200メートル。秋の大一番。トライアルには目黒記念、オールカマー、毎日王冠があった。最重要トライアルは同舞台2500メートルの目黒記念。昭和56年にジャパンカップが創設されることになり、秋天もトライアルも距離、日程も変更されいまのようになった。三田祭のときに参戦した天皇賞がなつかしい。慶應にも競馬研究会があり、その部屋にもぐりこんで、そこのテレビで観戦した。早稲田の競馬研究会からは多くのひとが競馬評論家となって活躍しているが慶應からはひとりもいない。あのころの慶應の競馬研究会のメンバーはいまなにをしているのだろう。大手商社に勤めて、出世して、今はリタイア、であろうが……。

 故・大川慶次郎さんはあたらしい体制になってからも「京都よりも府中の3200メートルのほうが実力が発揮されて天皇賞にふさわしい」と語っていた。府中の芝2000はコース的に問題がある。しかしJCを最高峰と据えたら秋天はトライアルとなり距離短縮はしかたなかったのだろう。後にメジロマックイーン問題が起きている。
 といって私に懐古趣味はないから、あの当時の枠連しかない競馬をたのしかったとは思わない。いまのほうがずっといい。しかしまたそれとはべつにあのころの思い出は胸に刻まれ消えることはない。

 競馬業界に就職するつもりは毛頭なかったが、就職掲示板に日刊競馬の募集があったことを妙に鮮明に覚えている。



 毎年「11月23日前後は文化祭開催時期として遅いのではないか」と思う。多くの大学がそうであるように11月3日の文化の日前後が最適ではないのか。ほんとにこれ、毎年毎年この時期になると思う。かといって当時が恋しいとか、三田祭に出かけてみたいとかではない。それはない。まったくない。だけどそれこそ季節の風物詩のように、毎年この日を迎えると条件反射というのかバカの一つ覚えというのか、「この季節は学園祭開催の時期としては……」と考えている自分がいる。それを知って赤面する。毎年(笑)。なんなのだろう、これ。
 学生のときは他大学と時期がちがうことを誇りに思っていた。日吉と三田のキャンパスに舞う銀杏の葉がうつくしかった。うん、あれはきれいだった。学生時代の風景をひとつだけ選べと言われたら、私は日吉の銀杏並木になる。

 いま地球温暖化で冬が暖かい。それは実感する。こどものころの冬はもっと寒かった。ならこの11月23日前後はどうだったのだろう。十分今も寒いように思うのだが、学生だったあの頃は、いまよりも寒かったのか。
 還暦を迎えてもまもっているあのころの感覚がある。「三田祭が終るまでコートは着ない」。いまも11月23日が過ぎるまでは秋であり、冬はそのあと、と思い、どんなに寒くても冬装備はしない。痩せ我慢をつらぬいている。明日からは自転車に乗るとき、手袋をしたり、毛糸の帽子を被ったりできる。

 塾生それぞれの「母校に対する想い」があるとしたら、私は福澤翁の本も精読していないし、商社マン的な世界の連帯とも無縁だったし、日吉も三田もご無沙汰の、どうしようもない劣等生なのだけれど、この「毎年勤労感謝の日に三田祭を思う」が、唯一のそれになるのかもしれない。



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 今年の「勤労感謝の日=新嘗祭」は、秋晴れのいい日だった。午後の陽射しの中、A・ギターを引いていたら3弦が切れた。だいぶ旧くなっていた。ごめんよと謝る。こういうのが〝不精〟であり〝堕落〟だ。かつて、激しく弾いて切れるのはともかく、旧くなって切れるまで使ったことはなかった。定期的に交換していた。6弦ぜんぶ張り替える。ついでにテレキャスもZO-3も張り替えた。もう1本のA・ギターとセミアコのE・ギターは今回は勘弁してもらう。弦がない。買わないと。フラマンも替えるかと思ったがもう何年も触ってないのでこれまた勘弁してもらうことにする。ウクレレは夏に買えたからいいや。

 西東京の外れに住んでいると楽器や弦の購入で不自由する。さいわい今は通販があるのでなんとかなるが、それとはまた別に、たまに行く御茶の水での買い物もたのしみだ。やはり触って選びたい。年内になんとかまた御茶の水に行き、それら小物をまとめ買いしたい。小物も数が嵩むと値が張る。JCを当てないと。

guitar-ceg

 ひさしぶりにZO-3を手にして、casio DG20のリズムボックスをバックにすこしあそんだ。こういうオモチャもいっぱいもっている(笑)。弦に張力がないのでDG20は楽器としていじる気にはならないが、こんなときの手軽なリズムボックスとして役立ってくれている。

guitar-tel

 テレキャスの写真を探していてこれを見つけた。なつかしい。2000年ごろか。初めて液晶ディスプレイを買った頃だ。17インチで10万円以上した。三菱製品。田舎の家の二階。あちこちスダレが見えるから夏仕様だろう。陽当たりが良すぎて、とんでもなく暑い部屋だったから、夏は「海の家」みたいな総葦簀張にしていた。
 私のPC生活はWindows2000で激変した。初めて出会った満足できるOSだった。だから私的PC史は「Windows2000以前、以後」となる。これは2000を導入した後だろう。なら2001年か。

com-cpucool2

 PCはもう自作機だがディスプレイはまだ1台だった。それ用のマザーボードにCPUをふたつ載せてDual CPUの自作機を組んでいたころだ。上の写真がそれ。Dual CPU用のマザーボードにCPUをふたつ設置している。ひとつ35000円ぐらいした。もちろんCPUファンもふたつ必要。この青いCPUファンがちいさくて高速回転だからキーンと鳴ってうるさくてねえ(笑)。いまじゃ安物の5000円ぐらいのCeleronだってひとつで2coreだ。Core i7や5は4Core、AMDには8coreまである。なんともはやこの分野の進歩はすごい。当時としては最高級の性能の電気食い爆音Dual CPUだったが、その性能はいまの安物Celeronにすらかなわない。

 部屋の写真を見ると、ディスプレイ、キイボード(ThinkPad型)、マウス、スピーカー、電気スタンド、イスがオシャカ。廃棄。
 あ、サイドテーブルの上にある白いのはCANONのスキャナーだ。このころスキャナーに凝ってた。本から読みこませた文を修正(ソフトがまだ未熟で読み取りミスが多かった)してサイト(まだホームページと言っていた)にアップし、それへの意見を書いたりしていた。まだいわゆる複合機は出ていない。もちろんこのスキャナーもオシャカ。
 スピーカーの前にある赤いのは「運気をあげるアップル」とかで、秋葉原で980円で買ったのではなかったか。あがらなかったけど(笑)。

 PC机とテレキャス、ギタースタンドは現役だ。そうか、このPC机ってこんな前から使っていたんだ。かわいいな。いまも手元にある。それで書いている。秋葉原のラオックスで買ったのをつい昨日のことのように覚えている。階下に住んでいた父母も最愛の猫も、みな鬼籍に入ってしまった。



 そういや<きっこさん>は改造オールドテレキャスを所有しているのだった。金欠のとき知りあいの楽器屋でオークションに出してもらったら40万円だか50万円だかの値がついた逸品だ。「ピックアップをハムバッカーに換装したオールドテレキャス」である。以前はブログ話に頻繁に登場していた。ぜひとも見せて欲しい。夜中に数分だけ顔の見えない自身の姿をアップするのもいいが、私はぜひともそのオールドテレキャスが見たい。さぞすばらしいものだろう。<きっこさん>だって愛器を見せたい気持ちはあるだろうし、どうして公開してくれないのだろう。私のテレキャスも買ってから30年経ち十分オールドだが、こういうのはいくら旧くなってもオールドテレキャスとは呼ばない(笑)。<きっこさん>に本物を見せてもらいたい。つうかもうここのところギターの話なんかぜんぜん出て来ないな。オールドテレキャスピックアップ換装ハムバッカーモデル所有なんて〝設定〟はもう忘れたのか。母親のことすら忘れるぐらいだからギター設定なんてどうでもいいのか。



 明日は振替休日。25日火曜からは「冬」として、今日は部屋の掃除をしよう。冬モードだ。こたつも設置するか。仕事もせねば。さて「ハーツクライをどう書くか」。
  1. 2014/11/23(日) 20:53:51|
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『殉愛』騒動──及川眠子さんの百田さんへの挑発ツイート──元ネタが……#殉愛

 作詩家の及川眠子さんと作家の百田尚樹さんが『殉愛』をめぐってやりあっている。19日以降は、リング上で睨みあったまま動かない挌闘家のように、互いのツイッターも囁かなくなった。観戦するこちらも息を呑んで見守る。状況は、百田さん圧倒的不利。

 そんな中、21日に及川さんのほうが動いた。『殉愛』を「書きながら泣いた」という作家の姿勢に痛烈なひとこと、左からのするどい皮肉ジャブ。しかしこれはリツイートというフェイントか。それがこれ。

oikawa-honda moza

 泣きながら『殉愛』を書いたという百田氏の作家としての姿勢に、「読者の感情をゆさぶりたいと思うときこそ、書き手は冷静でなければならない」という他者の書きこんだ箴言をリツイートしての強烈なパンチ。

 この箴言はもっともだと思うのだが、このモザイクで消した部分を読んで私はひっくりかえった。いやはや強烈なパンチである。その風圧だけでダウンだ。書いたひと(笑)。

oikawa-honda

 ホ、ホ、ホンダカツイチ? おまえが言うか?  国賊! 売国奴! アサヒシンブン! 「日本語の作文技術」って。おまえの得意なのは「歴史の捏造技術」だろ。どれほど日本を貶めたことか。そいつのコトバを名言としてツイートするか? 誰なんだ、ガンガーラ? どんなセンスなんだ? それをリツイートするか及川さん? これはわるい冗談なのか?

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 念のため。もちろんガンガーラのツイートにも及川さんのリツイートにモザイクはありません。私が私のところに毎日来てくれる数少ない奇特な読者に喜んでもらおうと、元ツイートにモザイク処理してあそんだだけ。タイトルにもホンダの名前を出したほうが目立つんだけど出したくなかった(笑)。イタズラ心。朝っぱらからなにやってんだ、おれ。



 あ、今ごろ気づいた。ガンガーラはshukan kinyobiから引用しているのか。アルファベットなので見逃したが、これは、あのサヨク雑誌「週刊金曜日」なのか。「買ってはならない」の企業テロで有名だ。確認のためにたどってみた。まちがいない。ここから引用するというのは、ガンガーラは本気でホンダカツイチを尊敬しているサヨクなのか。これは確定だな(笑)。冗談だと思っていた。まともな人間はなにがどうあろうとホンダのコトバを引用したりはしない。これは『殉愛』の杜撰取材で槍玉に挙げられている保守系作家百田さん攻撃の一環だ。

《ことば──役不足の誤用 及川百田論争》に書いたが、Amazonの『殉愛』レビューを読むと、百田さんの政治姿勢と敵対するサヨクがここぞとばかりに攻めてきているのがよく見える。百田さんをこの凡ミス(命に関わる地雷かも)で騒ぎたて抹殺しようとしている。

 こんなものを引用するということは、及川眠子さんというかたも、サヨクなのか?
と、及川さんのツイートをあらためて追ってみると、なんども「百田作品のファン」と書いている。しかしこれは社交辞令として、だれもがよく使う手法だ。パンチの威力を増すための引きのようなものでもある。「弓を引くような猪木のパンチ」。でも私は及川さんという今回初めて知った作詩家のツイートを読んでも、全然それを感じなかった。サヨクはもう一瞬でわかる。



 百田さんが及川さんのツイートに「無名作詩家の売名行為」と返したので、「及川さんは高名な作詩家だ。それもしらんのか!」と、及川ファン、アンチ百田から批難が殺到した。それは百田さんが悪い。軽率だった。なにより「永遠の0」の作家・百田尚樹さんは及川さんを知らなくても問題はないが、百田さんはたかじんの最後の二年を追った『殉愛』を書いた作家なのである。なら、たかじんの最大のヒット曲であるという『東京』の作詩家及川さんを知らないことは問題だ。いかな言い分けも通用しない。作家失格である。ドキュメントを書く資格がない。以上がこの件に関する私の意見。なんともいいかげんな取材である。それほどあの毒婦は人たらしなのであろう。よく言えば魅力的、か。

 以下本論からすこし離れて「知名度」について。
 私も及川さんの名を知らなかった。私はヒット曲を作詩家作曲家を含めて記憶しているので、ふつうのひとよりはかなり詳しいほうだと自負している。カラオケでも「あれを唄いたいけど、あれはサヨクのナカニシレイの作詩だからやめよう」「これは阿久悠作詞だからいいな」「これは橋本淳とすぎやまこういちのコンビ、問題なし」「よし、次は作曲筒美京平メドレーだ」「ここでオダテツ(織田哲郎)か」と歌う曲を作詩家作曲家から考えたりする。ここにあげた例は古いが(笑)、とにかくまあ並みよりはそのへんの智識はあると思う。でも私は及川さんを知らなかった。調べて、彼女の大活躍している分野が私の興味のないところだと知った。エヴァンゲリオン好きや、たかじんのヒット曲『東京』、Winkの歌を好きなひとには「知らないなんて信じられない」ぐらいの有名人なのであろう。だがそれらに興味ないひとにはまったくの無名でもある。及川さん大好きのひとにも、そこはご理解願いたい。「眠子」で「ねこ」と読むなんて知らなかった。私は「たみこ」なのかと思っていた。いまAtokに「おいかわねこ」で「及川眠子」と変換されるように辞書登録した。知名度なんてそんなものだ。たとえばそれは、私が私にとっては最高級の有名人であり少年時代からの憧れのひとであるプロレスラーや将棋棋士の名を出しても、その分野に興味ないひとはまったく知らないのと同じになる。

 百田嫌いのエヴァンゲリオンマニアからすれば「及川さんを知らないはずがない。百田は及川さんを傷つけようとしてわざと売名行為と書いた」となるだろうが、それはあるまい。ほんとに知らなかったのだ。私なんかエヴァンゲリオンがなにかすら知らない(笑)。その主題歌を、その作詩家を、知っているはずがない。世の中そういうものなのである。かといって、エヴァンゲリオンファンから「おまえはものを知らない」と言われるつもりもない。エヴァンゲリオンは知らないが、エヴァンゲリオンファンが知らないことをいっぱい知っている。智識とはそんなものである。

 今回の事件には「即行やりとりツイッターの怖さ」が出ている。もしもこれが「ブログのやりとり」だったなら、百田さんは「及川眠子とは誰か?」を調べたろう。ツイッターなので「そんなヤツ、しらねーよ」と反射的にあの行為に出てしまった。百田さんの応答は褒められたものではないが、「知名度なんてそんなもの」は強調したい。

 でもケンカだからね。百田さんが「書きながら何度も泣いた自信作の『殉愛』」にケチをつけてきたのがいる。作詩家らしいが自分はぜんぜん知らない。となったら、百田さんはいま飛ぶ鳥を落とす勢いのベストセラー作家なのだから、「無名の作詩家が売名行為でケチをつけてきた」と書くだろうね。それは自然な行為でもある。ケンカなんだから。フツーならそれで問題ないが、百田さんは『殉愛』を書いたひとだった。そりゃ問題になる。たかじんのことを書いた作家がたかじんの代表曲の作詩家を知らないのはひどい。どう考えても百田さんの落ち度だ。

 しかしながらさらにいうなら、日本中にふたりの応酬を知らないひとはいっぱいいる。そのひとたちにこのことを説明しても、「百田? 及川?」であり、それ以前にその発端である「たかじん、だれ?」でしかない。この種の問題に口を出すとき、そういう狭い分野でのやりとりであることを自覚するのも大事だ。そのことによって見えてくるものもある。ま、しかし、なにはともあれ、百田さん好きの私も、「稀代の朝鮮人毒婦にだまされた」としか思えないのだけど。

※ 

 及川さんの百田さんに対する意見、批判は、きちんと筋が通っており、言うべきことは言い、引くべきところは引き、まちがいはすなおに認めて謝罪するという、じつに気持ちのいい姿勢だ。だからこの引用は、「週刊金曜日」もホンダカツイチも関係なく、自分の心境を代弁してくれたツイートをリツイートしただけ、と思うのだが……。あまいか? 私の直感では、及川さんは「週刊金曜日」もホンダカツイチも無関係で、その種の思想とは無縁のかたのように思うのだが、はたしてどうか。とツイッターの「フォロー」をみると民主党議員をフォローしたりしている。お、上杉隆なんてのもフォローしている(笑)。あまりセンスは良くない。やはり百田嫌いのサヨクなのか?



【追記】──及川さんはノンポリのようだ──2014/12/19

 12/17に下のツィート。これは衒った意見(ウヨクが「じつはおれはサヨクなんだ」と言ったり、サヨクが「自分こそが真の保守派なのだ」と言ったりするパターン)ではなく、正直な胸中の吐露なのだと思う。私は今回初めて及川さんのツィートを読んだが、そこから政治思想のにおいを感じなかった。その直感には自信がある。

oikawa-shisou

 この直感はとても大事だ。及川さんには感じなかった。でもAmazonレビューにはびんびん感じる。一瞬で「あ、こいつは」と見抜ける。あそこに保守論客百田嫌いのサヨクが跳びはねているのはまちがいない。「永遠の0」に反感を抱いた連中がここぞとばかりにはしゃいでいる。
 及川さんはここで表明しているように右も左も関係ないノンポリなのだろう。上杉なんて詐欺師をフォローしているのはその証拠でもある。「思想なんか自分の胸だけにあればいい」をかっこいいと思ってはならない。これは政治音痴ノンポリがノンポリであることに居直るときの常套句である。



 いずれにせよこの『殉愛』問題は、たかじん関係者を巡る論点を飛びこえて、「保守系作家百田尚樹つぶし」になってゆくだろう。たかじんの娘も裁判を起こしたそうだし。
 そう考えると、なにがどうなろうとまったく興味のない「森田さくら」だが、とんでもないことをしてくれたなとうんざりする。だまされた百田さんがわるいのだけど。

 これもまた朝鮮人の日本潰しの流れか。この一件で百田さんが潰されたら、南北朝鮮は森田さくらこと姜善子に勲章を授与するだろう。そもそも「森田」ってのも金持ちの年寄りパチンコ屋ジーサン(これも朝鮮人だろう)と結婚して手に入れた通名らしいし、それからその金で若くてハンサムなアメリカ人、イタリア人と結婚して、たかじんとは4度目の結婚(重婚らしいが)で、32歳の年齢差があって2年で死んで遺産を手に入れてって流れから、次はまたハンサムな外国人男と5度目の結婚をして、たかじんの遺産で遊び呆けることは見えている。(最新情報だと、もういちど真ん中になにかあり、たかじんとは5度目らしいと伝えられている。なにがどうあろうとまともな女でないのは確かだ。)



 先程、一晩中点けたままにしておいたPCの百田さんのツイッターに本人からの書きこみがひとつあった。内容は「裁判になったら本では書けなかった事実を公開できるので楽しみだ」というやる気満々のもの。また積極的に書きこむのかなとF5を押して更新したら、それが消えてしまい、また19日から更新のない状態にもどってしまった。すぐに削除したらしい。百田さんの中にも、「自分は正しい」と確信しつつも、「もしかしたら」の惑いが生じているのだろうか。とんでもない毒婦に関わってしまったと案じているのだが、百田さんはまだあれを信じているのか。

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kanren7「役不足」の誤用──2ちゃんねるの「及川眠子氏が百田尚樹氏批判」


【追記】──百田さんの削除したツイート──14:59

 2ちゃんねるに削除したツイートが収録されていた。私がこれを見て、更新で消してしまったのは朝の5時だった。0.22分のものと初めて知った。このツイートは好戦的だけどすぐに削除したのだから迷ってもいるのだろう。それとも「敵に手の内を見せてはならない」という考えか。

momota-twitter



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Earl Klugh Trio

 今朝の音楽はEarl Klughの「Earl Klugh Trio Vol.1」。Earlの音楽としては正当Jazz寄りの音。ギターはもちろんだがウッドベースがいい。彼のCDはほとんどもっているのだが、これのVol.2はない。そのうち買おう。

 しかし百田さん圧倒的不利な状況を思うと、ここはこんなさわやかな音楽よりも、もっと重いのを聞くべきか。クラシック好きの百田さんに早く目覚めてくれとエールを送るために、重いクラシック、なにがいい、Mahlerでも聞くか。
 いや演歌だ。先日YouTubeで見かけDownloadした、「歌いつがれて25年 藤圭子 演歌を歌う」にしよう。1.2.3とあり、1の自分の持ち歌より、2の「カスバの女」を歌ったりしているのがいい。マイルCSの予想もしないと。エリザベス女王杯完勝の流れでここも突破したい。来週のJCは大勝負だ。
  1. 2014/11/23(日) 09:15:22|
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佐川急便嫌い──イートレンドからの購入を諦める──配送業者が佐川

東プレのキイボードを買おうと価格comで値段を調べた。イートレンドが一番安い。Amazonと同じくここも送料は無料だ。会員登録もしてあり何度か買ったことがあった。

ここにしようと思い、「そうそう大事なこと」と配送業者を調べる。利用したのはだいぶ前だ。配送業者はどこだったか。佐川悪夢だった記憶はないが念のためだ。サイトを開くと佐川とヤマトが並んでいる。両社を使っているようだ。撰べるのだろうか。大事なのはそこだ。ヤマトを指定できるならすぐにでも買うが、佐川に来られたら不快な目に遭う。それだけは避けたい。懲りない暗愚ではあるが、さすがに30年にわたって数え切れないほどイヤな目に遭えばそれぐらいの感覚は芽ばえる。佐川だけはイヤだ。メールで質問することにした。すると「よくある質問」のコーナーがあった。ここでわかるだろう。開いてみる。すると、

etrend-sagawa

とあった。脊髄反射でイートレンドを諦める。佐川かヤマトか二分の一の確率だ。そんなロシアンルーレットをする気もない。イートレンドからの品を佐川でイヤな思いをした記憶はないから前回はヤマトだったのだろう。その運に懸ける気もない。それは馬券にとっておく。500円ほど高いがAmazonにした。Amazonも関連会社の出品だと佐川の場合がある。何度かそれで苦い思いをした。この品はAmazon出品とあるからだいじょうぶだろう。佐川に不快な目に遭わされることを考えたら500円差なんてどうでもいい。

私はAmazon一辺倒になりたくない。同じような値段なら東北のちいさなショップ等から意識して買うようにしている。でもこの種の特殊な品はさすがにそういう店では無理なようだ。数が捌けない。扱っていない。どうしても購入先は大手になる。同じ大手でもAmazonよりイートレンドから買いたかったのだが、佐川という悪夢だけは無理。佐川だけはもうイヤだ。

イートレンドも、「配送業者は、佐川急便、ヤマト運輸の二社からお選びいただけます」とすれば、私のようなのがもっと利用すると思うのだが……。それってむずかしいことなのだろうか。イートレンドの関係者がそれに気づいてくれることを切に願う。

毎度の結論だが、佐川急便というのは、事務所から運転手まで、ほんとほんとにひどい会社で、多くの利用者が不快な思いをしている。しかしその声は、佐川を使用している会社には届かない。届いたとしても、たぶん佐川の値段は安く、私のような者の声は無視されるのだろう。

こちらとしては「佐川を使っている会社からは買わない」という方法で対抗するしかない。それはもう、これまた前回も使った比喩だが、ピラミッドをひっくり返そうと穴を掘るアリンコみたいな、ほとんど無意味な努力なのかも知れないが、こちらの出来ることはそれしかない。私のような「佐川急便だけはダメだ」というひとが増えてゆけば、あの会社もすこしはまともになるだろう。私は、まともになることを願ってはいない。この世から消滅してほしいだけだ。
  1. 2014/11/22(土) 10:21:54|
  2. 佐川急便
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ツイッターの支持者を増やす方法──篇──実践例、安倍晋三、石原慎太郎

《方法論》

きっこ@kikko_no_blog

とりあえず誰でもいいから敵を作って攻撃するのって、自分の支持者を増やすための一番てっとりばやい方法なんだよね。もちろん、こんな使い古された前時代の伝統芸に乗せられるのなんて、偏差値が35以下のバカだけ、「消防署のほうから来た人」から定価の20倍で消火器を買っちゃうレベルのバカ。

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《実践例.1──安倍晋三篇》

きっこ@kikko_no_blog

しゃべればしゃべるほどボロが出る安倍晋三、やっぱりこのバカはゴーストライターに書かせた作文を棒読みするしかないんだね。日本語の読み書きもロクにできないバカは副総理の麻生太郎だけで十分だから、安倍晋三はトットと引退してくれ。あまりにもバカすぎて見てるほうが恥ずかしくなってくるから。

きっこ@kikko_no_blog

安倍晋三はアベノミクスの恩恵で「6割の企業が賃上げしてる」とテレビで公言したけど、それならどうして国民の9割以上が「給料が1円も上がらないのに物価ばかりが上がって生活が苦しくなった」って言ってるの?安倍晋三って麻薬でもやって幻覚でも見てるんじゃないの?早く入院したほうがいいよ。

@kikko_no_blog

安倍晋三、マジでヤバいわ。このキチガイ、今すぐに精神科のカウンセリングを受けたほうがいいわ。完全に脳みその回路がどうにかなっちゃってるよ  

@kikko_no_blog

すごいな安倍晋三、ゆうべのTBS「ニュース23」に生出演して「アベノミクスの恩恵などまったく感じてない」という街の人たちの声を「ミクロの声」だと斬り捨てて「6割の企業は賃上げしている」と大ボラをノタマッたよ(笑)

きっこ@kikko_no_blog

つーか、安倍晋三って顔がキモすぎる!まるで溶けた蝋人形みたい!気持ち悪いからテレビに出すな!




《実践例.2──石原慎太郎篇》

kikko-shintaro1
5
kikko-shintaro2

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《実践の結果》

以上、「とりあえず誰でもいいから敵を作って攻撃するのって、自分の支持者を増やすための一番てっとりばやい方法」の実践例のふたつ。

『こんな使い古された前時代の伝統芸に乗せられるのなんて、偏差値が35以下のバカだけ、「消防署のほうから来た人」から定価の
20倍で消火器を買っちゃうレベルのバカ』
──現在119138人

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《私的感想》

冒頭の文はもちろん「そういうことで支持を集めているヤツがいる。それを支持するのはこの程度のバカだ」という他者を攻撃したもの。しかしこのひとの場合、常にそれが自分語りになる。

いくら「自分の支持者を増やすための一番てっとりばやい
方法」とはいえ、よくも他人をここまで立て続けに(おそらく深夜に泥酔して書きこんでいるのだろう)誹謗中傷出来るものだ。まともな人間ではない。
  1. 2014/11/20(木) 05:11:35|
  2. ツイッター
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ことば──役不足の誤用──2ちゃんねるの「及川眠子氏が百田氏批判」から──「殉愛」に思うこと

 2ちゃんねるの芸スポ板「作詩家及川眠子氏が百田氏を批判」スレは、及川氏のツイッター文にあった「役不足」をめぐって、いつしか「役不足論争」になっていた。以下、「役不足」で抽出したスレの一部。最後に私の意見も書きました。

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1+8 :Egg  :2014/11/17(月) 19:46:20.13 ID:???0 [PC]

作詞家の及川眠子氏(54)がツイッターを更新し、歌手やしきたかじんさん(享年64)の闘病生活をベストセラー作家・百田尚樹氏(58)が著した「殉愛」(幻冬舎)に対し私見をつづった。

「殉愛」はアマゾンの全レビュー中6割以上が最低評価となる一方で、約3割は最高評価と賛否両論となっているが、百田氏はこれを受けツイッターで「実態も真実も何も知らない第三者が、何の根拠もなく、匿名で人を傷つける。本当に人間のクズみたいな人間だと思う!」で不満をあらわに。

たかじんさん最大のヒット作「東京」など、たかじんさんへ数十曲詞を送った及川氏は「ちゃんと金を払って本を購入した読者の批判に対し、人間のクズ呼ばわりをする。世間に出したものがあれこれ言われるのは当然。私たち物書きはそれでゴハンを食べさせてもらっているのだ。世の中すべてが味方ではない。その覚悟なしに物書きなんてやれねえよ」と百田氏の発言を批判した。

さらに「殉愛」ではたかじんさんの元マネジャーK氏を犯罪者扱いする部分があるが、百田氏がこの人物に取材していないことに触れ「なぜウラも取らずに、1人の人間を犯罪者だと決めつける? ノンフィクション作家を名乗るのであれば、きちんと本人に取材すべき」と指摘。

「ヨメとマネージャー双方に会った、たぶん数少ない人間の一人」である及川氏は「百田さんに犯罪者扱いされても、きっと彼は訴えることをしないだろう。なぜなら彼が公の場に出ることで、今以上にたかじんの名を汚してしまうことを知っているから。必死で看護するのが愛なら、ただ黙して耐え続けることも愛なのだ。
それを理解できない人もいるけどね」とK氏を擁護した。

また、百田氏の「実態も真実も何も知らない第三者が、何の根拠もなく、匿名で人を傷つける」というツイートに対し「実態と真実をちょぴっとだけ知ってる人間が、ちゃんと実名を出して問うている。でも答えてもらえない。私じゃ役不足ですかぁ?」と皮肉も。

その上で「百田さんのことを貶めるつもりもない。百田作品が面白いのは事実。ただ、あの物語が『小説』だったらよかったのにと思うだけだ」と思いを述べた。


11月17日(月)18時0分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141117-00000118-spnannex-ent

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 まずは最初に疑問を呈したひと。


7+2 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 19:51:11.00 ID:c7A2WBe30 [PC]
役不足?
本当にプロの作詞家なの?


 誤用であろうという指摘。

9 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 19:52:33.00 ID:iSjKHg3B0 [PC]
>私じゃ役不足ですかぁ

力不足の間違い?誤用では?

その役割が軽い意味になってしまうと思う。


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 これでいいんじゃないかという意見。

14+5 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 19:55:27.37 ID:lbFG2/WL0 [PC]
>>7
あってるじゃん
百田が反論するにもあたらないくらい、私は役不足ですか?ってとでしょ

54+2 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 20:28:01.75 ID:yoT4woNS0 (1/2) [PC]
「昨日納車した」って言えば、「おまえディーラーかよ」って突っ込むのがお約束だけど、
「昨日納車だった」なら、「昨日納車した」でも「昨日納車された」でも意味は通じるだろ。
こういう省略形の文は、文脈で判断するんだよ。

「私じゃ役不足ですかぁ?」も「私を相手にするのは、あなたにとって役不足ですか?」って読めるじゃん。
ほんと読解力のない馬鹿ばっかだな。


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それへの反論。さらなる反論の応酬。

62+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 20:32:52.74 ID:TaXFZS/D0 (2/31) [PC]
>>54
ばーか。それなら「私じゃ不足ですかあ?」と書けばいいんだよ
それならよっぽどすっきりするわ
「役不足」などと書いたのは言葉の意味を知らないから



65+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 20:34:00.17 ID:nD8jz7lo0 [PC]
>>58
「あなたにとって私は相手にする価値もない人間ですか?」
という意味で使ってるからこの「役不足」の使い方は正しいよ


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 そんな論争はよそでやれという意見(笑)。

79 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 20:40:08.89 ID:vHl5bAmF0 [PC]
役不足とかどうでもいい。
よそでやれや、アホども

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 しかしまだまだ熱く続く。

81 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [↓] :2014/11/17(月) 20:41:03.41 ID:RGB3Tjqp0 [PC]
役不足は役<役者ってことだよな。
この人が言いたいのは、今回の件で
私が出てくると百田さんは困るでしょう?ってことじゃね?
この人は干されても構わないと言ってるし。
流石に作詞家は単語の意味には敏感にならないと仕事にならないんだから、
誤用はないだろ。この人はカルメンとかの訳詞の仕事もしてるし。



91+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 20:45:06.02 ID:R80fPGpJ0 (1/21) [PC]
>>75
「私は役不足ですか」、だったら誤用って言うのもも分かるけど
「私じゃ役不足ですか」や「私では役不足ですか」ってのは誤用じゃないよ
その場合は「私が相手ではあなたにとって役不足ですか」って意味だから

あなたがてにをはの使い方を理解してないだけw


---------------

「役不足」じゃなくて「不足」が正しいという意見。これは「誤用派」。


94+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 20:45:43.34 ID:TaXFZS/D0 (7/31) [PC]
「私じゃ不足ですか?」と書けばよかったんだよ

バカだから「役不足ですか」と書いて、作詞家のくせに日本語知らないのを晒した

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「主語が省略されている派」が登場。これは肯定張。

121+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 20:56:04.05 ID:R80fPGpJ0 (3/21) [PC]
>>103
厳密には逆に意味になるわけじゃないよ
「私じゃ役不足ですか」ってのは主語を省略している
主語を入れれば「あなたは私じゃ役不足ですか」って文になる
つまり役不足なのは、及川じゃなくて百田。

普通、主語を省略した文で使うことが多いから勘違いしてるだけ


130+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 20:58:11.70 ID:R80fPGpJ0 (4/21) [PC]
>>112
だから、「役不足」の主語は、及川じゃなくて百田なの
日本語では主語を省略するってこと知ってるでしょ
「私じゃ何々ですか?」って言う文の主語は、私じゃないからw


---------------

 定番の「辞書引用派」も登場。

132 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 20:59:21.24 ID:KVPGzhQT0 (1/2) [PC]
デジタル大辞泉の解説
やく‐ぶそく 【役不足】
[名・形動]
1 俳優などが割り当てられた役に不満を抱くこと。
2 力量に比べて、役目が不相応に軽いこと。また、そのさま。「そのポストでは―な(の)感がある」
◆文化庁が発表した平成24年度「国語に関する世論調査」では、「彼には役不足の仕事だ」を、
本来の意味である「本人の力量に対して役目が軽すぎること」で使う人が41.6パーセント、
間違った意味「本人の力量に対して役目が重すぎること」で使う人が51.0パーセントと、
逆転した結果が出ている。→力不足


---------------


145 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 21:03:41.78 ID:6UA2L9M40 [PC]
この役不足の使い方に違和感持つのはアスペ
もしくは正しい俺!に賢い俺!に酔ってる馬鹿だろ
正しい意味として文は成立する



146 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 21:03:43.80 ID:TaXFZS/D0 (20/31) [PC]
この文章で「役不足」は明らかな誤用。

皆さん気をつけてくださいね
馬鹿と言われないためにね


160 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 21:10:27.06 ID:TaXFZS/D0 (23/31) [PC]
「役不足」とは~~彼の高い能力に比して役職が見当たったものではない、というのが本義。

「私じゃ役不足ですかあ?」では意味を成さない。完全な誤用。
この場合「私じゃ『不足』ですか?」で十分意味が通るものであった
「役不足」という意味を知らなかったのであろう
 
日本語を知らない愚かな作詞家が愚かな作家に噛み付いているだけの、益体もない話ではある。

 
190+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 21:23:27.36 ID:R80fPGpJ0 (8/21) [PC]
>>181
だからあんたは「役不足」の主語を勘違いしてるだけ
及川の文の主語は百田なんだよ。百田にとって及川じゃ役不足ですかって問いかけてるので
使い方として全然違和感ないし間違ってもいない

誤用や変な文だと、一読してなんかおかしいぞって感じるものなんだよ
あなたはそういう感覚が備わってないんだと思う



198+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 21:28:05.01 ID:TaXFZS/D0 (29/31) [PC]
>>190
主語の勘違いなんて話じゃねえよバーカ
ただただ「役不足」という語を知らない誤用なのは明白



212 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 21:32:19.99 ID:R80fPGpJ0 (9/21) [PC]
>>198
例えば、失恋した女の子が「私じゃ駄目なんです」って言ったら
駄目の主語は女の子じゃなくて失恋相手の彼ってことになる
「彼は私じゃ駄目なんです」の主語を省略しているだけ

あんまり使わない用例だけど、失恋した女の子が「私じゃ役不足なんです」って言っても同じこと
その場合も役不足の主語は「私」では無くて省略された「彼」
「彼は私じゃ役不足なんです」の主語省略形になる
恋愛に役不足って言葉は普通使わないけどね。文法的には同じ使い方


---------------

「時代によってことばは変る派」が登場。

251+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 21:46:16.95 ID:28tyrNqm0 (1/3) [PC]
役不足の誤用に突っ込む奴多いけど、日本語は刻々変化してるんだよ
誤用も時代が変われば正解なんてことはよくある話
今はどっちの意味で使っても正解なんだよ
前後を読めば言いたいことはわかる

419 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/18(火) 00:14:02.04 ID:7v6OUxnW0 (1/5) [PC]
もう、役不足は、どっちの意味でもつかわれているというのが定説。
国語学に詳しければ、当たり前のことだろ。

言葉の意味なんてのは時代とともに変わっていく。これ理w
今や、役不足はどっちの意味で使っても間違いではない。

もう終了

489+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [↓] :2014/11/18(火) 01:40:30.87 ID:QlA1OcSP0 [PC]
>>484
まあこのレス見る限り間違いなく
役者不足の意味だよねw
私じゃ小物過ぎるが言い換えでしょ。
でも現代語としては役不足でいいと思うね。
言葉は生き物だから。


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257+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 21:48:37.89 ID:R80fPGpJ0 (12/21) [PC]
>>251
いや、そもそも誤用じゃない
「百田さんは、私(が相手)じゃ役不足ですか?」の主語が省略されているだけ
普通に使う言い回しなので、誤用って騒ぐ奴が日本語を知らないだけ


260 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 21:51:16.71 ID:R80fPGpJ0 (13/21) [PC]
>>253
「百田さんは及川が相手では不足ですか?」
「百田さんは及川が相手では役不足ですか?」

どっちも同じ意味だし使い方も間違っていないけど
個人的には役不足の方がしっくりくる


279 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 22:01:25.16 ID:R80fPGpJ0 (14/21) [PC]
>>264
「私には脇役じゃ役不足」、「百田さんには及川じゃ役不足」
こういう風に使うんだよ。
「及川じゃ役不足ですか?」って聞いたら、主語は省略されている百田になる

「私じゃ力不足ですか」っていうのは文法的には間違ってないけど
その場合の主語は「私は(百田の相手役に)不足ですか」って意味で
目的語が省略された文になっているんだな


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「機械翻訳派」が登場。

306 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 22:24:57.10 ID:R80fPGpJ0 (15/21) [PC]
英語が苦手だから機械翻訳にかけてみた
「私は役不足ですか?」→「Am I insufficient? 」
「私じゃ役不足ですか?」→「Is it insufficient in me? 」

機械翻訳すげーって思ったw

329 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 22:39:51.79 ID:R80fPGpJ0 (16/21) [PC]
申し訳ないが、たかじんや百田の話より「役不足」の方が面白くなってしまったw

「私じゃ役不足ですか?」→「Is it insufficient in me? 」
この文の主語は誰でしょうという、そういう問題だな

いや、文法を真面目に考えるなんて何十年ぶりだろうw


---------------

「役不足論争」は、百田の本質をぼやけさせる工作活動だというひとも登場(笑)。


341 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [↓] :2014/11/17(月) 22:46:24.77 ID:cgYGZixO0 [PC]
>>274
役不足論争に持ち込んで、百田の言動の本質的な
部分をぼやけさせる為にやってるんだよ
まあ分かり安い工作活動だね


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378+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 23:21:06.97 ID:R80fPGpJ0 (17/21) [PC]
>>373
「私じゃ役不足ですか?」の場合、主語は省略された百田なので
百田に対して及川では力不足ですかって意味

私では百田さんの相手にはなれないんですかって意味だね
勘違いを続けてるバカがいるけど、及川の使い方は正しい使い方だよ



387+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 23:31:16.33 ID:1tR4lWTc0 (3/4) [PC]
>>378
それなら私は役不足ではなくて百田さんは役不足ですか?
としなければ本来の意味にはなりません。

いいですか役不足は自分を下に見る言葉で無いのです。

あれほど説明してもまだ分りませんか?


390+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 23:36:36.96 ID:R80fPGpJ0 (18/21) [PC]
>>387
そうだよ。
だけど及川の文は「私は役不足ですか」じゃなくて「私じゃ役不足ですか」だから
「私は」の場合主語は私になるけど、「私じゃ」の場合主語は私にはならない
君はその使い分けが理解できていないんだよ

及川の文は「百田さんは私じゃ役不足ですか」の主語を省略した文
日本語では普通に使われる言い回しだよ

最初に書いたけど「私は役不足ですか」なら誤用と言うこともできるけど
「私じゃ役不足ですか」はどこもおかしくない。まだ分かりませんか?


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「役不足論争」を知ってか知らずか(ツイッターが炎上したようだから知ってるんでしょうね)ご本人がわかりやすい内容で再ツィート。

484+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/18(火) 01:37:44.28 ID:3beS9jYw0 (3/5) [PC]
@oikawaneko: まるで一人で相撲をとっている気分だ。百田さん、そろそろ声を上げませんか? 
私への罵倒でも非難でも構わない。あなたの相手には小者過ぎるかもしれないが。皆がそれを望んでいる。物書きの意地とプライドを見せてください。さすが百田さんだと思わせてください。

役不足論争ご本人から説明してくれててワロタw


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 私の意見は「ほぼ肯定派」。イベントや結婚式の司会等で「わたしでは役不足でありますが」とやるのは明らかな誤用だが、この場合は、多くのひとが指摘しているように、「百田さんの論客として、私では百田さんには役不足でしょうか?」の意味あいだから、これでいいのではないかと思う。ただ「適切」とは思わない。役不足は本人が口にするものではないからだ。こういう表現は必ず問題を起こすので私は使わない。この場合も別表現にしたほうがよかったろう。一読して「あ、もめるな」と思ったら、想像以上に盛りあがっていた(笑)。

 「ことばは時代とともに変るからどっちでもいいのだ」という意見には反対。時代とともに変ってしまうものだけれど、抵抗はすべきだろう。もう「憮然」を本来の意味の「しょんぼり」に使うひとはほとんどいない。高名な小説家もみな「むっとする」の意味あいで使っている。「閑話休題」も誤用がアサヒシンブンやNHKで大手を振って歩いている時代だ。「時代とともに変ってしまう」のはしかたないが、挟間に生きている世代は、精一杯本来の正しい使用を主張するのがあるべき姿だろう。そして「役不足」は「誤用が定着したことば」だとは、まだ思わない。

「あらたしい」が、ふざけて使った「あたらしい」に押され、いつしか定着してしまった。「あらためる」「あらたに」と同じく「あらたしい」が正しいのだ。よって「あたらしい」だけ独特の存在になって浮いている。こんなのもこれからみんなで「あらたしい」を流行らせれば、正しい意味の、仲間もいっぱいいる「あらたしい」になる。そういう流れを作りたいものだ。

 ご本人がツイート。

oikawa-yakubusoku




 これを知ってからYouTubeで「金スマ」の特集を見てみた。あの番組内容には納得出来ない。百田さんの政治信条を支持するものとして心配になった。今回のこれは勇み足ではないのか、というのが現在の私の気持ち。イタリア男との結婚式写真も見た。時期が重なっていて不自然と、だれもが感じるだろう。打越の怒りのラジオ放送も聞いた。私はたかじん夫人&百田さんよりも、打越を信じる。だが打越の言うように、百田さんを「金と名声だけを求める最低な人間」とは思わない。毒婦にだまされたポカだと思うのだ。

 ただし、あれがひどい悪女だったとしても、たかじんが彼女を最愛の女として死んでいったのは事実だろうから、それは他人が口出しすることではない。遺産がどうのこうのなんてのも大きなお世話だ。男と女の話である。天国のたかじんが口を利いたら、百田さんが言っているように「おれが好きになった女や、おまえらよけいな口出すな、おれの金や」だと私も思う。

 朝鮮民族の話でもある。たかじんは、天童よしみの紅白出場を応援し、思想的には対立するはずの遥洋子をかわいがった。あれを見るたび、民族の血の結びつきを思った。そして最後にたどり着いた女も、この姜善子(通名・森田さくら)と、同じ民族だった。それが民族の血なんだ。私も最後は「やはり日本の女がいい」となるのだろうか。しみじみと〝民族〟について考えた。

 私の心配は百田さんにある。「殉愛」は、百田さんの凡ミスではないのか。いや凡ミスどころか地雷を踏んでしまったのではないか。そのことが百田さんの政治的活動、思想信条にもマイナス作用するのではないか。Amazonのブックレビューを熟読した。異様だ。たかじんの死にかこつけ、思想的な「百田嫌い」が、ここぞとばかりに跋扈しているのはまちがいない。なんともそこが心配である。

kanren7『殉愛』騒動──及川眠子さんの百田さんへの挑発ツイート

  1. 2014/11/18(火) 07:09:07|
  2. ことば
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ことば──「わきまえる」「辨える」「弁える」──ベンという漢字のこと

●ことば──「弁える」という表記の愚

《Wikipediaではやたらに不要な漢字を使うひとが多い。「弁える」がよく出てくる。くだらん漢字使用だ。いきなり「弁える」と出てくると思考が停止する。「〝弁える〟 なんだこれは? ああ、わきまえるか」と、ほんの一瞬ではあるが、そうなる瞬間がわずらわしい。しかも、そもそもその文中に「わきまえる」という日本語が必要とは思われない。唐突に登場する。このひとは「弁える」と書きたくて無理矢理使用しているのではないかとすら思える。》

 というようなWikipediaの文章批判をブログに書いたままほうりだしていたのでその続き。



 高島俊男先生の『お言葉ですが…』の初期のテーマに「全部ベンの話」というのがあった。何巻のどこかはあとで記入するとして、以下はそのとき覚えた話。ノートに手書きして「ベンの字」の区別を覚えたものだった。以下は引用。とはいえ手元にいま本はない。でも覚えているので書ける。教えて頂いた恩に感謝しつつ、先生の御健勝を祈りつつ、思い出し引用。

 敗戦後、当用漢字制定により多くの漢字が使用停止となり同じ音の字で代用されるようになった。「ベン」の字はその代表例。

──しゃべるという意味──雄辯、辯護士、
──区別するという意味──辨別
──編むという意味──辮髪
──花びらの意味──花瓣
──とりしきる──辧公室
──冠、帽子の意味

 これらの意味のちがう漢字をみな最後の「」で統一した。なんとも乱暴な話である。よって、弁護士、弁髪、花弁と、本来は別々だった「ベン」の字がみな「弁」になってしまった。

「わきまえる」に当てられていた漢字は「区別する意味の」である。もともと和語の「わきまえる」に「辨」を使うことが当て字であり意味のないことなのに、その字を使用禁止にして、まったく意味の異なる「弁」を使ってまで「弁える」なんて使うのは滑稽でしかない。「わきまえる」でいいが、どうしても漢字を使いたいなら「辨える」にすべきだろう。いまはこうして表示できるのだから。

 高島先生が漢字に関して一貫して主張しているのは、「やたら漢字を使いたがるひとは無教養、過剰に横文字(カタカナ英語)を会話に入れるひとと同じ」である。渡来語という虎の威を借りて自分を大きく見せようとするのだ。ところが日本人の漢字崇拝というのはまだまだ根強い。文章に「わきまえる」とカナで書いたら「弁える」と書けないと思われるのだろう。しかし「弁える」に「わきまえる」の意味はないのだ。弁は冠とか帽子のことなのだから。



 と、ここまで書いてきて、「これ、同じ事をむかし書いたな」とやっと思い出した(笑)。サイトを調べてみると、《『お言葉ですが…』論考──智弁なのに日鐵》と題して書いていた。2001年11月20日の文だからちょうど13年前になる。中身は前半がここと同じ「ベンの字のちがい」について、そこから「テレ東が智辯学園を智弁にしていたのに、新日鐵という会社名はではなくしっかり正字ので表示していた。なぜ? その理由は?」と続く。

 シナで見かけた「麻花辮」の画像を置いている。中共もずいぶんと漢字を統一して文化を壊している。このブログで書いたのでは「ラーメン等の麺が面」「機械の機が机」があった。
 私が最もひどいなと思うのに「穀物」の「」の字が同じ発音の「」に統一されたことがある。「谷物」で「穀物」を想像するのは日本人には無理だ。「谷」には「コク」よりも「たに」のイメージが強すぎる。
 そういう中共でも、この「様々なベンの字」はまだ生きているようだ。日本の「弁に統一」も「谷物」に匹敵するほど悪質である。

 2001年にはまだ「」の字が表記できなかったが、やっと出来るようになったという2009年の追記が懐かしかった。私のサイトのこの種のテーマには、切り貼りの画像が多い。2000年前後はまだまだ表記できない漢字が多く、それを〝画像〟として貼りつけているのである。
 たとえばこんなヤツだ。ji-gyoこれ、中共簡体字の「」である。当時はこれが表示できなかった。だから漢字の「業」を拡大し、上の部分をカットして画像として説明している。簡体字だろうが繁体字だろうが楽々と表示できる今ではウソのような話だが、当時はこんな苦労をしていた。
 タイ文字もまだ表示できずこれも画像でやっていた。出来るようになってからはうれしくてタイ文字キイボードを購入して使ったりもした。いまじゃもうすっかり忘れてしまった。なんとかまだ初歩的な読み書きは出来るがタイ語キイボードは使いこなせない。まだ所有しているが。



 私は「ベンの字は弁」という教育で育った世代だから、「雄弁」にも「花弁」にも違和感はないが、正しくベンを使い分けてきた世代は、「弁護士」なんて書くことには抵抗があったろう。違和感のない世代である私ですら「弁える」なんて表示には、なんかちょっとおかしいのではないかと本能で反撥するのだから。

 私のPCに入っている辞書で、「わきまえる」の漢字表記を「弁える」のみではなく「これは〝辨える〟の代用漢字だよ」と「辨える」も表示して教えてくれた良い辞書は、大辞泉、学研国語辞典、明鏡国語辞典。

 対して「わきまえる」の漢字表記を「弁える」だけしか表示しなかったダメ辞典は、広辞苑、大辞林、新明解国語辞典。

 私が自分の文章で「わきまえる」と使うことはまずないと思うが、そのときはしっかり「わきまえる」とカナで書き絶対に「弁える」とは書かないことをわきまえておこう。

0kanren 

 ・「残滓」の読みかた──室谷克実さんの講演から

・三年遅れの「麻生太郎漢字誤読論」


  1. 2014/11/15(土) 21:43:28|
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ことば──怪訝──〝けげん〟と〝かいが〟

携帯電話の辞書機能」に以下の文を追記。


【追記】──「怪訝」について──明鏡モバイル国語辞典の限界──2014/11/08

「怪訝」をどう読むかと問われたら、試験に出たなら、多くのひとが「けげん」とするだろう。いぶかしむときの「けげんに思う」だ。一方でこれはそ
のまま音読みする「かいが」でもある。「かいがにたえない」は「怪訝に堪えない」と書き、「どうにも不可解だ、なんとも不思議だ」ぐらいの意味あいで使
う。というか「かいが」のほうが正しい。無理矢理「けげん」と読ませているだけだ。

 辞書のない環境にいるとき心に浮かび、調べたいと焦るのはこの種のことになる。「怪訝(けげん)は怪訝(かいが)でも使うよな、怪訝にたえない、とか」と思い、「たえないは耐えないか、いやちがうな、どのたえないだ? 堪えないか? 絶えないではないな、耐えないでいいのか?」

 
ケータイに入っている明鏡モバイル国語辞典は「耐える、絶える、堪える」とみっつを表示してくれる。ありがたい。漢字なんてのは所詮和語の当て字だからどうで
もいい。「怪訝にたえない」でいい。しかしまた漢語から来ている「確定している組合せ」もあり、それを外すと無智丸だしの赤っ恥にもなる。「怪訝に堪えない」のような組合せで初めて「ここは〝けげん〟ではなく〝かいが〟と音読みにする」との主張になる。正解が欲しい。が残念ながらケータイの明鏡モバイルに「けげん」はあっても「かいが」はない。「絵画」のみだ。そりゃしょうがない、モバイル
用のちいさな辞書なんだもの。これに文句を言う気はない。



 こんなのは帰宅してから調べればいいことだ。手帳にメモす
る。
 帰宅して、PCに挿れてある大辞林、明鏡、広辞苑、新明解、学研、大辞泉で調べたら、なんと正規の辞書なのに「明鏡」には「絵画」しかなかっ
た。これは新鮮な発見。モバイルだから削ってあったのではなかった。明鏡はこういうふるくさい表現はもう放棄しているのだ。もちろん他の辞書にはぜんぶあった。たえないの漢字は「堪えない」であることも確認でき
た。
 まあ「怪訝に堪えない」なんて表現を使うこともめったにあるまいが、でも辞書には「けげん」ではない読みと使いかたも載せておいて欲しいとも感じた。
「たえる」をみっつ確認できるだけで「ケータイの辞書」としては合格なのだけれど。
  1. 2014/11/08(土) 06:41:22|
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文章考──すっきり書けないこまった性格──Transcend-MP300購入記

transcend-mp
 長年遠ざけていた中国語を本気でやろうと、そのパートナーとして小型のmp3プレイヤを買った。Transcend-MP300。2500円。8GBのフラッシュメモリにmp3再生機能が附いている。それでいてこの値段。信じがたい時代だ。どこに出かけるときもこれを胸ポケットに入れて、今秋から年末、正月は中国語の勉強一筋の予定でいる。30年ほど前に始めたが途中で投げだした。再挑戦である。まだカタコトレベルだが今回一気にマスターしてやる。モノから始める性格なのでグッズはかかせない。これは中国語学習専用のギアにする。力強い味方を手にした。がんばるぞ。

 ということを書こうとした。こうしてまとめると、たったそれだけの話なのだが、あれこれ寄り道していてまとまらない。その寄り道度合の話。



 まずはそれを買おうと思った動機のこと。あれほど嫌っていた中国語の勉強を再びする気になったきっかけだ。するとこの「中国語」なる意味不明のコトバについてまず書かねばならない。この世に「中国語」なんてものはない。そもそも「中国」なんて国はない。表現がおかしい。「中国」とは「世界の中心地」という意味であり、敢えて日本語に訳せば「我が国」である。日本も日本のことを「中国」と表記していた時期がある。もちろん国名ではなく「我が国」の意で使っている。それはいくつもの書物に残っている。いまも西のほうに「中国地方」がある。シナ人が「誇り高い世界の中心地である我が国」の意で「中国=チュンゴー」と口にするのはわかる。ただしい。しかし日本人があの国のことをそう言うのはヘンだ。「我が国」の意なのだから。ならどう呼べばいいか。世界共通のChina(発音はチャイナ、シーノ、シーヌ、シーネと国によって微妙に異なる)、日本語ならシナが正当になる。「中国」なんて国はない。ただし、あの悪名高い共産党独裁国家、歴代のシナ王朝でも最悪の殺戮国家「中華人民共和国」なら、ある。以下それを「中共」と略すことにして、いかにそれが歴代の中でもひどいかを語りたくなる。しかし歴代の王朝と絡めて中共のひどさを語っていたら結末までの路が果てしなく長くなる。我慢。

 「中国」の呼称に関しては妥協しても「中国語」に関しては多少書かねばならない。中共支配下の地域で話されている言語は多種多様だ。チベット、ウイグル、モンゴルという悪虐暴力中共に武力併合された文化から歴史からなにもかも異なる地域はもちろん、漢民族以外にも60もの少数民族の言語がある。漢民族の話す主要な言語も、北京語、上海語、広東語とあり、それらは別の言語というぐらい異なっている。その異なり具合を日本的方言で判断してはならない。とんでもなくちがうのだ。と書くと、高校生の頃に体験した「ジュディ・オングの自慢話」のことを書きたくなる。ジュディ・オングが「わたしは五ヵ国語が話せる」と自慢していた。すごいなと思ったけど、「英語、フランス語、北京語、上海語、広東語」だったので、後半の三つは水増しじゃないかと反感を抱いた。いまはわかる。彼女は正しい。でも当時の私は「中国語」なるものが存在すると思っていた。「日本語」と同じくそれはひとつだと思い込んでいた。でもちがう。当たり前だ。あれだけ広い文化もことなる地域の言語がひとつのはずがない。架空の水戸黄門は標準語で全国漫遊しているが、あの当時日本の方言も多種多様で東北のひとと九州のひとでは会話が成りたたなかったろう。それを思えばシナの言語のちがいも感覚で理解できる。その後、あのとんでもない国に実際に行って体験した、上海人は上海語に誇りを持っていて北京語を話さないということ、ふたつはとんでもなくちがっていること、も書きたくなってくる。経済の中心地は上海だ。歴史にも誇りを持っている。でも政治の中心は北京だ。だから公用語は北京語になっている。そのことに上海人は憤懣を抱いている。納得していない。仲が悪い。だから北京語は使わない。それを書きたい。切りがない。我慢。
 主用みっつの言語の中では香港映画で耳に馴染んでいる広東語が響きがやわらかくて比較的好きなことも書きたい。別テーマにすべきか。とりあえずいまのシナの政府、中共が標準語としているのが、<北京語=普通話>であり、日本で発売されている「中国語」の教科書はみなこれであることは書かねばならない。しかしこれは政府の押しつけであり、上海経済圏や広東文化圏ではみな使わない。でも一応これが「中国語」の代表ではある。以下不本意であるが「中国語」という意味不明のコトバを<普通話(北京語)>の意味で使う。



 中国語とはなにかを書いたら、次はなぜそれを「再び」突如勉強する気になったかだ。訪問する異国ではその国の言葉をしゃべることを基本としている。半端な独学ではあるが長年ずいぶんと異国語を勉強してきた。買い物や道を訪ねる程度の言語なら10ヵ国語ぐらいは話せる。いま私の部屋は本を捨てまくったため小説類はほとんどない。本棚に残っているのは語学教科書とJazzやClassic音楽に関するものばかりだ。あ、将棋本も多いな。その中には中国語に関するものも五、六種類見える。やる気だった。まだ朝鮮や中国に悪印象、いや正確な智識をもっていない時期、話せるようになってから行こうと、スペイン語やポルトガル語と同じく、いやいや身近な国だからそれ以上に、やる気満々で語学素材を揃え、熱心に学んでいた。しかし一度訪問していやになった。あの国に行き、「こういう国の言葉は覚えたくない」「この民族と会話したくない」と嫌悪した。それもまた詳しく書きだすと切りがない。というかあの国のことは書きたくない。ひどすぎる。中共という独裁国家のせいもあろうが、それ以前に漢民族ってのは日本人とはちがいすぎる。絶対に合わない人種だ。白人よりも黒人よりも遠い。そもそも隣国とか見た目とか漢字使用からの勘違いがあるが、日本は遣唐使遣隋使以降あの国とはつきあいがない。その証左としてよく言われるのが北京、上海、香港の呼びかただ。その呼び名は英語から来ている。つきあいがあったら「ほっきょう」「じょうかい」「こうこう」と呼んでいた。つきあいがないから毛唐の発音を真似ている。毛唐とのつきあいが始まり、あらためて意識したのがそれらの都市だ。実際つきあいがあった時代は、「洛陽 らくよう」「長安 ちょうあん」とあちらの都市を日本的な発音で呼んでいる。ではなぜつきあいを断ったかというと、当時の賢人も、いまの私の感覚と同じく、実際に接してみて「こいつら、つきあう価値がないわ」と投げたのではないかと推測する。それほど漢民族というのは実際に接するとうんざりする連中だ。あまりに日本人とはちがいすぎる。しかしそれとはまた別に、つきあいのない江戸時代にもシナの思想は、儒教や朱子学が本家とは離れた形で日本独自の発展をしている。それはそれで日本らしいとも言えるが。福澤翁はそれを批判している。と、これまた切りがないので我慢。ともあれ「かつてはやる気だったこと」「断念したこと」を簡単に記し、ついで「それをまたなぜやる気になったか」は書いておかねばならない。(続く)
  1. 2014/11/04(火) 06:38:26|
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携帯電話の辞書機能──今ごろになってやっと気づいた──怪訝について──ことば

 過日奥多摩にいたとき、ふと「あの字はどう書くんだっけ」と疑問が浮かんだ。調べたい。調べられない。タブレットを持参しているがWifiは通じない。ケータイすら圏外になることが多い。東京都なのだが。

 奥多摩に住む予定は断念した。プラスマイナスを考えると、美景と幽谷というプラスと比してマイナスが大きすぎる。光ケーブルが通じていることからその気になっていたのだが、日常生活で、故郷の茨城の田舎よりもはるかに不便だ。住民のかたは、食糧は主に生協の宅配を利用しているらしい。今年二月の大雪では、降雪後一週間十日と過ぎてもまだ道路が通れず、孤立してしまった集落に自衛隊のヘリコプターで食糧を運ぶという事態となった。5分でスーパーやコンビニに行ける今の環境からは離れがたい。なにより「刺身で晩酌」が出来なくなる。



 知りたいと思ったことを調べられないのはつらい。ましていまはインターネットという万能百科事典をいつも持参しているようなものだ。何でもすぐに調べられることが当たり前になっている。調べられないとストレスがたまる。だからそれが出来ない環境にいるときは、なるべく「疑問を抱かないようにして過ごす」ことにしているのだが、それでも浮かんでくるものはある。

 たとえば「奇形」は「畸型」と書くのが正しい。「畸」は当用漢字というくだらない制度で使用不能となり「奇」が代用されている。では「奇妙」も「畸妙」とすべきなのか。確認したい。できない。なんどかテーマにしたことだが、附属学校、附属病院の附属は「附」が正しい。「付属」なんて使ってはならない。そういえば四月にもどってくる税金の「還付金」は「還付」と書くが、あれも「還附」が正しいのではないか。寄付は寄附が正しい。ならやはり「還附」だろう。いや、「ひとに対してのもの」だから「還付」とニンベンでいいのか。調べたい。調べられない。大きな搬送用の木箱を見かけた。ああいう「木箱」って英語でなんていうんだっけ。喉元まで出かかるが出ない。港にある大きな荷物によく印刷されている。なんだっけ、たしかカ行、クラフト、そんな感じ。そのへんだ。確認したい。出来ない。イライラする。



 ガラケーに「辞書」というボタンがあるのに偶然気づいた。国語辞典と英和和英がついている。ありがたいことに圏外でも使える。タブレットのそれはネット辞書なのでWifiが通じないと使えない。所有しているモバイルギアではPOMERAに辞書機能があり、通信とは関係なくいつでも使えるが、あのキイボードは使いづらくここのところ携帯していない。なんかあたらしいものをと探していたが、「青い鳥」よろしく、しあわせはいつもポケットにいれている身近なケータイにあった。和英辞書を引く。木箱はCrateか。よかった。ほっとする。咽のつかえが取れた。

 ちいさな辞書なので簡便なことしか調べられない。「畸」の字の情報はなかった。でもそれは家でやればいい。書けないようなむずかしい漢字が調べられなくても不満はすくない。ストレスは度忘れにある。知っているのに思い出せないもの。背中の痒いところに手が届かない感覚だ。それをこの辞書は救ってくれる。

 「携帯電話に辞書」は、いつから始まったのだろう。20年ほど使っているが今まで気づかなかった。ここ10年は電話機能しか使ってないし、さらにいえば受信専用みたいなもので、それも1日に2件ぐらいしかないから、ほとんど使わないのと同じ。連絡はみなPCメールでしている。今のガラケーなんて機種交換して2年近くなるが未だに新品同様だ。あ、もうひとつ、外国に行ったとき「目覚まし機能=アラーム」に助けてもらっている。目覚まし時計は必ず持参するのだが、ケータイとダブルでセットしておくと安心感が違う。ローミングすることなく外国から発信受信できるようになってケータイはほんとに便利になった。目覚ましに加えて辞書でも助けてもらうようになったから、これからはもう「おれはケータイは電話にしか使わない」とは言わないほうがいいのか。それにしても便利だ。いままで気づかなかったのが悔やまれる。

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【追記】──「怪訝」について──明鏡モバイル国語辞典の限界──2014/11/08

「怪訝」をどう読むかと問われたら、試験に出たなら、多くのひとが「けげん」とするだろう。いぶかしむときの「けげんに思う」だ。一方でこれはそ
のまま音読みする「かいが」でもある。「かいがにたえない」は「怪訝に堪えない」と書き、「どうにも不可解だ、なんとも不思議だ」ぐらいの意味あいで使
う。というか正解は「かいが」だよね。「けげん」なんてただの当て字だ。過日「おこがましい」を「痴がましい」と書いているひとがいた。くだらんことだ。

 辞書のない環境にいるとき心に浮かび、調べたいと焦るのはこの種のことになる。「怪訝(けげん)は怪訝(かいが)でも使うよな、怪
訝にたえない、とか」と思い、「たえないは耐えないか、いやちがうな、どのたえないだ? 堪えないか? 絶えないではないな、耐えないでいいのか?」

  私のガラケーに入っている明鏡モバイル国語辞典は「耐える、絶える、堪える」とみっつを表示してくれた。ありがたい。漢字なんてのは和語の当て字だからどうで
もいい。「怪訝にたえない」でいい。しかしまた漢語から来ている「確定している組合せ」もあり、それを外すと無智丸だしの赤っ恥にもなる。「怪訝に堪えな
い」のような組合せで初めて「ここは〝けげん〟ではなく〝かいが〟と音読みにする」との主張になる。正解が欲しい。が残念ながらケータイの明鏡モバイルに
「けげん」はあっても「かいが」はない。「絵画」のみだ。そりゃしょうがない、モバイル
用のちいさな辞書なんだもの。これに文句を言う気はない。



 こんなのは帰宅してから調べればいいことだ。手帳にメモす
る。
 帰宅して、PCに挿れてある大辞林、明鏡、広辞苑、新明解、学研、大辞泉で調べたら、なんと正規の辞書なのに「明鏡」には「絵画」しかなかっ
た。「けげん」はモバイルにもある。これは新鮮な発見。モバイルだから削ってあったのではなかった。明鏡はこういうふるくさい表現はもう放棄しているのだ。もちろん他の辞書にはぜんぶあった。たえないの漢字は「堪えない」が常用であることも確認でき
た。

 まあ「怪訝に堪えない」なんて表現を使うこともめったにあるまいが、でも辞書には「けげん」ではない読みの使いかたも載せておいて欲しいとも感じた。
「たえる」をみっつ確認できるだけで「ケータイの辞書」としては合格なのだけれど。
  1. 2014/10/31(金) 06:20:06|
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ホッピー話──空きビン捨ての苦労──ホッピーももう恋しい日本の味?

hoppy-akibin

 空きビンを捨てられる日は二週間に一度。以前は指定の袋にいれさせられたが、今春から空きビン専用の容器を用意しろとなった。そのほうが合理的だ。大きめのポリバケツを用意した。これ、二年前、足湯をやろうとして買ったものだ。その後フットマッサージャーを買い不要になっていた。でも足湯には独特の味わいがある。今冬はまたやってみようか。

 ホッピーに凝るまで、私の出すゴミにビンはほとんどなかった。肉を食わなくなってワインは飲まなくなったし、たまに日本酒の四合瓶が1本ぐらいだ。本当はもっと日本酒を飲みたいのだが、ビンボなくせに味が判るものだから、まずいのは飲めない。日本酒は高くつくので稀となる。

 二週に一度これを抱えて集荷所に置きに行くのが恥ずかしい。毎回この状態だから、収集するひとも「なんかここには異様なホッピー好きがいるな」と思っているのではないかと赤面する。

 毎回このバケツを抱えて運ぶたび、ブログ用に写真を撮ろうと思っていた。今回やっとやれた。のでアップ。
 36本あった。14日分だから平均2.5本か。前回も写真は撮らなかったが数えてみた。42本あった。これだと平均3本になる。飲むときはきまって4本だ。ビールの日や日本酒の日もある。寒いときは、ホット焼酎の生レモン割もやる。それで平均3本になるらしい。

 健康診断によると肝臓その他きわめて健康。唯一、悪玉コレステロール値が高い。高脂血症、いまは脂質異常症というのだったか。魚と野菜中心の生活なので、この指摘は不満だ。それに効果のあるサプリメントを探したら青魚から採ったなんとかかんとか。毎日魚ばかり喰っている。不要だな。思いあたるものとしては乳製品。バター好きだし、カマンベールチーズとかもツマミでよく喰っている。あの辺を我慢せねばならないのか。

 シナのまずいビールを飲んでいたらホッピーが恋しくなってこまった。
 ひとが引きずるものにはいろいろある。長年異国に住み、その地で人生を終えることがきまっている知人が、たまに帰国したとき、桜の開花に出会い、涙がとまらなくなったと言っていた。私にまだそれはないが、ちかごろ異国にいると日本の食い物が恋しくなって困る。異国に行ったらその地の食い物を食うようにしてきた。不満はなかった。なのに……。齢か。食通でもないし、こだわるようなお袋の味なんてのもないのに、自分にそんな感覚が芽ばえるとは意外だった。

 ま、この駄文、ホッピー文に上の写真を添えました、とそういうご報告です。
  1. 2014/10/24(金) 05:22:10|
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競馬ファンの愉しみ──思い出馬券

 昨年競馬ファンのTさんと知りあった。長年馬券をちびちび愉しんでいるかたである。すでに定年退職し、充分の年金とたまのシルバー人材のアルバイトで悠々自適の生活だ。「あれも当たった、これも当たった」とレース名を出して的中を自慢する。財布の中から的中の100円馬券コピーを次から次へと出してくる。「うわあ、ほんとに馬券上手ですね」と持ちあげ、「あれはどうでしたか」とよけいなことを訊いたら、「いや、あれは……」と黙ってしまった。外れたレースのことは語りたくないらしい(笑)。でもG1では勝負馬券とは別に応援する馬の単勝を100円買い、それらをコレクションしているらしいからロマン派なのだろう。先日は額縁に入れたディープインパクトのG1単勝馬券コレクションを「ぼくの宝物なんだ」とわざわざ持参して見せてくれた。

 素人なので智識は浅く、時折教えてあげたくなることもあるが、でしゃばらないようにしてつき合っている。「素人なので」というもの言いには反感を抱くかたもいるだろうから弁明しておくと、素人でも私なんかより血統に詳しいマニアはいくらでもいる。特に今時の若者にはすごいひとがいる。と同時に三十年も四十年も馬券を愉しんでいるけど、「そんなもんなんもしらん」というひとも大勢いる。Tさんはそんなタイプだった。そしてまた、たとえば将棋は「なんもしらん」では弱いまま負け続けて厭になりやめてしまうだろうが、ギャンブルは「なんもしらん」でもたまに「なんもしらん」からこそ大穴が当たったりするから趣味として長続きするのである。

 Tさんは毎週日曜のメインレースだけを愉しむ。電車の中でカンチューハイの小をちびりちびりやりながら午前中に家を出て、立川ウインズに昼に着くように出かける。お酒に弱いので、それだけでほんのり赤くなるらしい。馬券を購入したらすぐに帰宅し、レースは午後三時からのテレビで愉しむという。こういうひとのためにもあのテレビ番組はなんとかしてほしい。見ていると腹立つ。
 ウインズの雰囲気が好きだという競馬ファンは多い。あの人ごみの中でやることが楽しいのだと言う。Tさんはそうでもないようだ。すぐに帰宅する。馬券を買いに行くだけの往復はたいへんだ。スマートフォンを使っているのだからIPATをやればいいのにと言ったら、「うん、それは知ってる。やりかたも覚えたんだけど、おれはね、この馬券、この紙の馬券を手にしないと競馬をやっている気がしないんだ」と言って笑った。たしかにそういう面ではIPATには虚しいところもある。実感がない。私にも「宝物」として昭和の時代の馬券があれこれある。当たった馬券は払い戻したし、当時はコピーサーヴィスなんてないから、あるのはみな外れ馬券なのだが、このままIPAT馬券師をやっていたら「思い出馬券」はなくなってしまう。思い出は心の中にあればいいのだが、そう言いつつも、「
紙の的中馬券」が欲しい気もする。


 と、この話はTさんとの交友録を書こうと思って始めたのだが、ここで脱線して「思い出馬券」の話にする。思い出は心の中のものであり、私にTさんのようなコレクションはないが、たまたま手元に残った馬券を名刺入れに収めたものがある。それに関する「思い出」はふたつ。

 ひとつは「入れておいたはずのジョンヘンリーの単勝馬券がなくなってしまった」こと。1982年、昭和57年の第2回ジャパンカップにアメリカの英雄ジョンヘンリーが来日した。血統も見た目も悪く50万円という安値で買われた馬が、気性の烈しさから虚勢され、苦難の末に、アメリカンドリームともいうべき大活躍を始める。当時はまだ元気だった寺山修司もさかんにジョンヘンリー讃歌を書いていた。来日時にG1を11勝、もう7歳だったから峠は越えていたろうが、日本の競馬ファンは断然の1番人気に支持した。13着に大敗し、さすがのジョンヘンリーももう終ったのだろうと思われたが、帰国後、8歳、9歳になっても走り、GⅠ5勝を含む8勝をあげている。最後は4連勝で引退した。

 記念馬券なんてものを買うタイプではないのだが、なんともこのジョンヘンリーのサクセス物語には心を動かされ、買ってしまった。単勝1000円。勝っていたら払い戻した可能性が高い。的中したのに払い戻さないというほどのロマン派ではない。惨敗だったので保存することにした。といっても引きだしの中に入れておいただけだ。数年前までは確実にあった。いまは行方不明。この昭和57年のジャパンカップのことを書きたいのだが、この思い出馬券がないので書かずにいる。だって説得力がちがう。そのうち出てきたら書きたいと思う。失くしたとは思っていない。その辺に紛れこんでいるだけだ。とはいえ今のように馬名が入ったりはしていない。数字しかないのだが、それでもいとしい。

 例えば写真の1992年のエリザベス女王杯だ。(続く)
  1. 2014/10/21(火) 21:55:04|
  2. 競馬
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マンガ考──「大相撲」と「将棋」はマンガ原作に向いてない

 その1──漫画原作の王者ボクシング
 
 少年向けスポ根マンガの原作として相撲は向いていない。「スポ根マンガ」とは多少ちがうが、「戦いもの」として括るなら、将棋もこの「向いてない原作」に入る。それは王者であるボクシングと比較すると明らかだ。
 ボクシングが今も昔も王者であるのはなぜか。「戦いもの」の基本である「敵のステップアップ」に最高のジャンルだからである。
 まずはデビュー戦。相手はデビュー前から話題の選手だったりする。アマチュアのエリート。対してこちら、主人公は無名の新人だ。でもやがて世界最強になる逸材なのだが。
 このデビュー戦だけで充分に盛りあがる。引っ張れる。熱戦の末に勝つ。第一関門突破。次は東の新人王戦。ここではデビュー戦の時、無名ながらすさまじい勝ちかたをして話題になったのが相手になる。また盛りあがる。これも突破。東の新人王。次は東西対決の新人王戦。デビュー戦の相手だったアマチュアエリートが、アマチュア時代唯一負けた相手だったりする。「ヤツの××に気をつけろ」と、今は主人公を応援してくれているアマチュアエリートが忠告に来てくれる。このとき「××」に謎を絡ませることも出来る。謎めいた「××」とは何なのか。この「かつての敵が味方となって関わってくる」もボクシングマンガの醍醐味だ。つまり一期一会。ステップアップするたびに過去は懐かしい風景となって行く。こうして日本チャンピオン、東洋チャンピオン、最終目的の世界チャンピオンと、「よりスケールアップしたあたらしい敵」と戦いつつ進行するのだから、まさに原作の王者である。世界チャンピオンという最終目的が明確にあり、減量という地獄も絡められる。子ども心を刺激する必殺技を使えるのも長所だが、私はこの「過去の対戦相手が次の対戦相手の引き立て役になる」というスパイスも大きな魅力と思う。「熱戦を繰り広げ、試合後は互いを認めあい親友となったアイツが、廃人にされた」のような形で過去の登場人物もストーリィに寄与して行く。
 以下のリンクは「好きなボクシング漫画ランキング」。http://ranking.goo.ne.jp/ranking/026/boxing_comic_male/
 「はじめの一歩」が1番人気。上に書いたボクシング漫画の王道を真っ直ぐに歩いている。私がいちばん好きなのは「がんばれ元気」だが、これは「あしたのジョー」のアンチテーゼとして作られたものだから──たとえばジョーに対抗して経済的には恵まれていることにした──「ジョー」の偉大さは否定できない。対して、さすがに「リングにかけろ」は連載時に成人していたので、あの荒唐無稽さは楽しめなかった(笑)。でもああいう必殺技で燃える子ども心はわかる。私がいちばんそれで興奮したのはプロレス漫画の「タイガーマスク」になる。プロレス漫画もボクシングに負けず劣らず少年スポ根分野の王者だが、チャンピオンのランキングがボクシングのようにシビアでないし、減量の苦しみのようなサイドストーリィが使えない。逆にタイガーマスクは躰のちいさいことで悩んだ。これは星飛雄馬の球質の軽さの悩みに通じる。
 高橋留美子やあだち充の作品は、「ジョー」にあった血腥さを否定してラブコメ風にした軽い乗り。まったく異なる作風ながら、ここでもまた「ジョー」は無視できない。
 ちばあきおの「チャンプ」がずいぶんと下のほうだが、知っているひともすくなくなったのか。彼らしい派手なことをしないシリアスなボクシング漫画だった。
 同じような形で「野球」も王者側だろう。ボクシングが横綱なら、プロレスと野球は大関か。野球も、とにかく少年スポ根漫画の盛りあがりは「一期一会」だから、プロ野球よりも「甲子園もの」が向いている。これもボクシングと同じように、地区予選、県大会、甲子園と「ステップアップする世界」が使える。
 「巨人の星」は、けっきょくのところ「子離れ出来ない父親」との関わりを含め、「必殺技とそれを破る新技」の繰り返しだったから、ストーリィの本筋は、野球漫画というよりプロレス漫画にちかい。梶原一騎らしい結末の悲劇も共通している。(続く)
  1. 2014/10/20(月) 22:22:10|
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競馬日記──1998

○月×日 Mさんと会う

 ベトナムで知り合ったMさんから「出所しました」と電話。渋谷で会う。
  Mさんは昔、名古屋競馬で厩務員をしていたという。最初はホーチミンの安宿で知り合い、たまに将棋を指したりする、その他大勢の知り合いだった。それがひょんなことから競馬に話が飛び、私が競馬関係の仕事もしていると知ると、自分の過去を話してくれ、それ以後急速に親しくなったのだった。

  私は旅のプロ(?)ではないから、彼らの流儀が解らなかったのだが、どうやら旅をすることを生き甲斐にしている人たちというか、ほとんど旅をするためだけに生きているような人たちにとって、旅人以前の経歴というのは基本的なタブーであるらしい。たとえば「ヤマさん」と呼ばれている人がいて、でもそれは名字とは全然関係ない通称だったりする。誰もがヤマさんは知っているが、その本名も日本で何をやっていたのかは知らないのだ。宿帳やパスポートに触れることもあるのだから、誰も知らないというのは嘘だと思うのだが、そこを詮索しないのが彼らの礼儀であるらしい。
  年に何回か世界のどこかで必ずと言っていいほど出会い、一緒に飯を食ったり酒を飲んだり情報交換をしたりする長年の付き合いでありながら、本当に本名も知らずにつきあっているという不思議な関係の人たちがいるのだ。そういう人たちに何人も出会っている。

  では過去を抹消した彼らがなにを話しているのかというと、これが旅の話なのである。あの国のあの町はどうの、あの町のあの店がどうのと、旅の通過点で出会った同類と、今までの旅を飽きることなく話し合い、自慢しあい、そしてこれからの旅の情報を交換しあっている。そんなときの彼らは一様に自信に満ち、満足げな笑みを浮かべている。自分の既に行った場所にこれから向かおうとする旅人に情報を与える時には先輩となり、これから行こうとしている未知の国の情報を得るときには新米となる。それを感じることが、日本という国からはみ出してしまった彼らの至福の時間なのだ。そういう場において、日本の自分、実物大の自分を思い出させてしまう経歴の話はタブーになるのだろう。

  ところが旅慣れしていない私は、興味のある人物と出会うと、平然と「どこの生まれなんですか」「いままで仕事はなにをしてたんですか」と訊いてしまう。その辺、無神経と言えば無神経なのだが、すこしでも相手が顔をしかめればすぐに話題を移すぐらいの気配りは出来るから、それほど他人様にイヤな思いはさせていないはずではある。それに、「経歴を訊くのは旅のタブー」というのは、どうやらそれほどのものではないなというのが、私の今の感想になる。

  つまり、誰にだって話したくない過去があるように、これまた誰にだって、話したくてたまらない過去もある。一応私はインタビューのプロである。いや、プロと言うのはおこがましいが、とにかく職業的にインタビュー記事をこなしたことは相当数あるのだから、最低限のノウハウぐらいはもっている。そういう人間に、テーマを絞って、筋道立てて自分の経歴を訊かれるということは、まるで一代記を語るタレントにでもなったようで、それほど悪い気分のものではないらしいのだ。

 「おれ、自分のことこんなにしゃべったの、あんたが初めてだよ」と、かなりの人に言われた。皆、自分のことを洗いざらいしゃべったことに対して、多少の戸惑いを浮かべながらも、随分とすっきりとした顔をしていたものだった。そりゃあ、素人がプロからロング・インタビューを受けるなんてことは滅多にない。悪い気分ではないだろう。

  そしてその後、彼らは皆、一様に口をそろえて言うのだ。ある人は照れながら、ある人は怒ったような顔をして、しかしまたみんな、それなりに自信を浮かべた表情で、「おれのこと、小説にするんでしょ。やめてくださいよ」と。
  冗談のつもりらしく、こうもよく言われる。「モデル料、もらおうかな」とも。

  残念ながら小説になるような価値のある話なんてひとつもない。彼らの話はただ「私はこうして日本という国から落ちこぼれました」というだけの話で、そこからまた成り上がって行くと話は違ってくるのだが、落ちこぼれたまま、意味もなくただ放浪しているだけの話をどうして小説に出来るだろう。それぞれが個性的なつもりでいて、実は皆同じような没個性の人なのだ。

  彼らと話してしみじみ思うのは、「人間って皆、自信家なんだなあ」ということである。
 「おれなんか、ゴミみたいなもんだよ」という人に限って、「だけどね」というのを持っていて、その「だけどね」を聞くと、「あんた、全然自分のことゴミだなんて思ってないじゃない。自身過剰だよ」と言いたくなるようなことばかりなのである。

  Mさんは、私が競馬好きだからと胸襟を開いてくれたのではない。本格的な競馬の話になったとき、一目置かざるを得ない知識を私が持っているのを知って、初めて自分の過去を話したのである。むしろ、ただの競馬ファンだったなら決して自分のことを話さなかっただろう。Mさんは、自分が外側の競馬ファンではなく、内側世界の人間だったという経歴に特別の自負を持っていた。私も内側世界に通じた人間だと知って、初めて心を開いてくれたのだ。

  Mさんから聞いた厩舎筋の内輪話は、なかなかにおもしろかった。内側世界の人は、内側の人にしか解らないおもしろいネタをたくさんもっている。

  かなりの腕利きだったというMさんが厩務員を辞めてしまったのは、いわゆる「東南アジア病」にかかってしまったからだ。この病気に罹ると、何度東南アジアに行っても帰ってくるとすぐにまた行きたくてたまらなくなり、まともな仕事はもう出来なくなってしまう。特効薬のない難儀な不治の病である。そしてまた生き物の世話をする厩務員というのは、給料には恵まれているが休日がなく、とても長期の旅行などは出来ない職業である。

  不治の病、東南アジア病に罹ると、まず自由の利かない会社を辞めてしまう。最初はアルバイトで食いつなぎ、短期間行っては帰国するということを繰り返しているが、次第にそれでは物足りなくなり、それなりの期間居座りたくなる。どうするかというと、季節工という職業につくのだ。半年間、衣食住付きの職場で懸命に働き、節約に節約を重ねてお金を貯め、後の半年を東南アジアを回遊して暮らすという、半年天国半年地獄の生き方である。いつの間にか、私が「回遊魚」と名付けた、そういう知り合いが何十人にもなっていた。Mさんもそのひとりである。

  いよいよ来週、Mさんは天国へ出かける。彼らは半年の労働が終ったとき、「出所しました」と電話してくる。一ヶ月四十万円ぐらいになる厳しい肉体労働を半年間懸命にこなし、二百万円ぐらい貯めるのだから、その間の生活は想像がつく。だいたい皆、ひと月に五万円ぐらいしか使わないと口をそろえる。私のように馬券を何十万も買っては当たった外れたと騒いでいるような奴は、彼らからみたら異邦人なのだ。三十万あれば東南アジアで三ヶ月は十分に暮らせるらしい。常夏の国で、のんびりと昼寝を楽しみ、酒を飲み、かわいい女をはべらせて過ごせるのだ。それをたったひとつのレースにぶっこんで外れるような私は、彼らから仲間とは認めてもらえない。(言うまでもないが、私の経済状況も彼らと同じようなものである。バクチ狂の私は彼らと金の使いかたが違うだけだ。)

  そういう知り合いの中で、Mさんだけが、昔そういう世界にいたから、私の金の使いかたに理解を示してくれた。そのことで親しくなったとも言える。といって私にはバクチ仲間はいくらでもいるからMさんが恋しいわけではない。Mさんが昔の世界を恋しがって、出所すると私に連絡を寄越すのである。


  渋谷の『蘭タイ』というタイ料理屋に行く。Mさんのような東南アジア放浪のプロは、決して日本でエスニック料理など食べない。値段が現地の十倍もして、しかも不味いのだから当然だ。タイでも貧乏人しか飲まない一本四百円の安ウイスキーが、日本のタイ料理レストランでは六千円もする。六千円なら今、上質のスコッチが飲める。まあここは私からの出所祝いということで誘う。ただならどこへでも行くのもこういう人たちの特長だ。

  正月に、タイの日本領事館が主催する新年会に出たことがある。立食形式のパーティだった。そこにこの旅のプロ達が集ったのだが、その貧乏くさいエネルギーは圧巻だった。領事の挨拶など誰も聞いてない。普段は行けない高級日本料理店のメニュー、寿司やてんぷらなどを食いまくる。中にはナップザックを持参して、お土産だと詰め込んでいる人までいた。彼らは正規に招待されてはいない。招待されるのは、いわゆる在留届を出して、日本人会に属している人だけだ。とはいえ日本人がやってきたのを追い返すわけにもいかないのだろう。勝手に押し掛け、勝手に食いまくるのだから、すごいとしかいいようがない。まあ私も、招待されていないのに見物がてら出掛けた一人ではあるのだが。
 (註・このときの話はめちゃくちゃおもしろいので、その内「チェンマイ雑記帳」にでもあらためて書こうと思います。)

  Mさんの来週出発を聞いても、べつに私は羨ましくもなかった。それよりも、仕事に対する焦りがある。頑張って仕事をせねばと思う。自己満足できるだけの仕事というものを残したら、私も季節工になってもいい。

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○月×日 Yさんと会う

 タイの北部の外れ、ビルマとの国境、メーサイという町で知り合ったYさんから電話。新宿で会う。神奈川県の自動車工場からの〃出所〃らしい。
  彼ら〃渡り鳥〃は、暖かい時期の日本で働き、寒い季節に東南アジアに渡るという習性があるから、出所の時期が相次ぐ。しばらくは彼らとの飲み会に忙殺されることだろう。
  Yさんは某国立大学、私たちの時代感覚でいうと〃一期校〃を卒業しているインテリである。しかも工学部だ。はみ出し者には色々な人がいる。

  競馬というものを一度見てみたいというので、知り合いの馬主に席を頼み、Yさんを招待したことがある。東京競馬場だった。4Fの特別席である。1レースからやってきたYさんは、「おもしろい」「昂奮する」「楽しい」を連発し、最終レースまで熱心に観ていたが、ただの一度も馬券を買わなかった。

  Yさんは株をやっている。既に三千万円ほど貯金があるらしい。バブルの頃、百万買っては、十万儲かる形になるとすぐに売るという細かなことを何度も何度も繰り返して作り上げた財産なのだそうだ。一度も失敗しなかったという。

  私にも株をやれと勧めるのだが、十数年前、株で三億の借金を作り親戚中をパニックに陥れた従兄弟がいる私には、株というのは恐怖以外のなにものでもない。その従兄弟の借金は親戚中が金を持ち寄って返却した。先祖伝来の田地田畑を皆売り払ったのだ。私の家でも可能な限りの金額を供出したらしい。田舎の一族というのは結束が堅いものだとあらためて感心した。かなり手広く穀物商をやっていたその従兄弟は、全てを失い、今はトラックの運転手をしている。彼も最初は順調だったのだ。親戚中の出世頭だった。悪いほうに転がり始めたとき、押さえが利かなかったのだろう。

  同じ血が私にも流れている。土日に銀行で金を下ろせるようになったのは何年前だったろうか。十万円の中から五万円だけ使おうと競馬場に行き、歯止めが利かなくなって十万全て負けてしまう。それぐらいならまだいいのだが、熱くなり、競馬場から駅前の銀行まで行き、全額を引き出し、家賃やらなにやら必要な生活費もすべてを使い果たしてしまったということが何度もある。熱くなると私は何も見えなくなる。こんな私が株などやったら従兄弟の二の舞だろう。株にだけは手を出さないことが、今の私のせめてもの理性なのだ。

  というようなことを話しても、Yさんは不思議そうに首を傾げるだけである。株というものでただの一度も損をしたことがない人なのだから当然かも知れない。もしもYさんが競馬をやったなら、110円ぐらいの確実な複勝をじっと待ち続け、そこでドンと買うのだろう。だって私なら三千万円の貯金があったなら手取り二十数万の工場で季節工などしない。この辺の堅実さは雲泥の差というやつである。

  Yさんは現在45歳だが、なんとか50歳までに貯金を五千万円にして、タイに永住する計画なのだそうだ。かつての日本のような高度経済成長期にあるタイでは年利が10パーセントつく。数年前までは12パーセントだったそうだ。その金利で暮らして行くのがYさんの夢なのだという。そういうYさんだから、競馬などという不確実なものに駆けるお金など、びた一文ないということなのだろう。Yさんの経済感覚だと、特観席にただで入れただけで、もう儲かっているということなのだ。

  紀ノ国屋前で待ち合わせ、歌舞伎町の居酒屋へ行く。
  最近話題になっているアジア関係の本のことで盛り上がる。若いカメラマンが写真と文章で綴ったものだ。アジア各国に住み着いている日本人をドキュメントしたその本の中に、Yさんも私も知っている人物が登場していた。

  そこで彼は、日本という俗世界から脱出し、バンコクの安宿で、わずかな身の回りの品だけで慎ましく暮らしている孤高の老人(=極めて魅力的な人物)のように紹介されていた。私たちの知る彼とは随分と違っていた。私の知っているのは、とてもいやみな年寄り、我が強く他人に自分の意見を押しつける人物、説教酒、唯我独尊タイプ、それでいて本格的な知識教養はない、組合活動家出身のサヨクということである。彼がその本の中に登場するような魅力的な人物でないことに関してだけは、皆口をそろえるだろう。

  これが東南アジア放浪歴二十年というYさんの手に掛かると、もっと手厳しい。このじいさんは、タイ北部のチェンライという町では、知らない人のいないロリコンじじいなのだという。孫のような少女売春婦を両脇に抱えては、変態的行為に浸るので蛇蝎のごとく嫌われている有名人なのだそうだ。

  考え込んでしまった。この老人のことではない。文章のことだ。ここにはドキュメントの難しさがある。この本を書いたのは、彼と初対面の、旅慣れていない若者である。本来はカメラマンだ。彼から見てその老人が魅力的だったのだから、それはそれでいい。かなり良くできた本ということで、それなりの評価も受けているのだ。だが実態を知っている人から見たら、間違いだらけの何も描けていない本になる。

  初めてタイに行ってから急速に魅せられた私は、4回ほど通った後、在タイの日本人達を主人公にしたドキュメント小説(こんな言葉あるんだろうか)というか、実話をベースにした半分フィクションの物語を一気に書き上げた。本にするつもりだった。出版社も決まっていた。だがさらに5回、6回と通っている内に、間違いや勘違いの箇所に気づき、出版しなくて良かった、出していたら大恥をかいたところだったと冷や汗をかく。そしてさらにまた通っている内に、今度はタイという国に対する考え、タイ人に対する感覚までが変ってきてしまったのだ。最初に書いた文章など、甘っちょろくて読めたものではないとなってきた。一言で言えば、見知らぬ国に対し好意的に浮かれていたのが、実状を知るに従い視点がシビアになってきたのである。


  詳しくなればなるほどそうなるのは当然だが、こうなるとメビウスの輪というか、クラインの壺というか、出口のない堂々巡りが始まってしまう。未熟なまま突っ走ってしまうことも必要なのだと考える。お蔵入りにしてしまったその小説は、今の私から見たら間違いだらけ、人物の掘り下げ方が甘ちゃんであり、「みんないい人」に描かれているどうしようもないものである。だが、タイという国を知らない人が読んだら、誰もが一度は行きたいと思うぐらい、あたたかくてやさしい面ももっている。真実って何だろう。真実って全てに関して尊いのだろうか。Yさんと飲みながら、考え込んでしまった。
  1. 2014/10/17(金) 06:17:44|
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奥多摩山中にいきなり共産党の演説──これは許されるのか!?

奥多摩の秋を満喫していたら突如高い塔の上にある町のスピーカーから「それではこれから共産党の××議員のごあいさつです。今日はお忙しいところを来ていただきありがとうございます」と司会?の挨拶があり、「みなさん、こんにちは、共産党の××です」と話が始まった。なんだなんだこれはと惘れる。不粋も甚だしい。なにゆえ奥多摩の秋に共産党の演説が始まるのだ。どうしてそんなものを聴かねば、いや、無理矢理聞かされねばならんのだ。聴きたくなくても入ってくる。天から声が降ってくる。暴力である。ああいう塔の上の拡声機は「防災行政無線塔」とかいうらしいが、どうしてそんな設備から特定政党の議員の演説が流れてくるのだ。わからん。これがそういう選挙の時期で、日替わりでぜんぶの政党とかならまだわかる。それだってうるさくて迷惑であり聞きたくはないが全部の政党なら公平ではある。なぜ共産党なのだ。特定の政党がこういう強制的に耳に入ってくる施設を使って政治的なことをやっちゃいかんだろう。安倍政権批判、消費税増税反対、集団自衛権行使反対、オスプレイ配備反対といつものことをわめいたあと、最後に「共産党の機関誌、真実を伝える新聞、赤旗の購読をお願いします」と結んでいた。どれぐらい話していたのか10分か、15分はあったか。通りかかった地元のご老人が「なんじゃありゃ」と塔を見あげ惘れたようにつぶやいたので、「奥多摩は共産党が強いのですか」と問うと「いや、よわい」と言う。「これはよくあるんですか」と問うと「初めてだ」と言う。「なんで共産党が……」と首を傾げていた。熱烈な共産党支持者が自宅のスピーカーを使ってやったのならともかく、どうにもあれは町の施設だろう。こんなことが許されるのか。これから住民が抗議して、かってにこんなことをした役場の誰かが始末書を書くのか。なんとも不快な出来事だった。しかしわからん。あれって共産党を支持する町役場職員の暴走だったのだろうか。珍しいものに接したことになるのか。どんな理由であれ不快だったことに変りはない。そのことに共産党は関係ない。自民党であれ太陽の党であれ、ああいうことをいきなりやられたら不快だ。しかしなぜ共産党だったのだろう。やはり「熱烈な支持者の暴走」が妥当な推理か。裏事情を知りたい。
  1. 2014/10/11(土) 06:46:43|
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競馬話──タップダンスシチーをどう描くか!?──引きずるあの問題

タップダンスシチーをどう描くか。
決まってはいる。
5歳の暮れに、初めてのG1有馬記念に出走し、14頭中13番人気で2着した。
ただの一発屋と思われたが、そこから活躍を始め、JCを勝ち、宝塚記念を勝ち、凱旋門賞に挑戦までする。
典型的な遅咲きの名馬だ。
そしてまた鞍上の佐藤哲三が「ひとも馬も地味ですが、これからも応援してください」と語ったように、キャラとしても確定している。さらにはその佐藤が、あの大怪我からの闘病もかなわず、引退となった。語るべきことも、切り口も、いっぱいある。ありすぎて困るほどだ。なにをどう書くか。愉しみだ。わくわくする。だが……。

肝腎のタップダンスシチーのその後が闇に包まれている。 
競馬は人間の傲慢が生みだした残酷な遊びだ。
そのことは忘れて、割り切って、自身の職業に撤しようと思うのだが、屠殺の現場を見すぎて、肉と距離を置いたように、見聞きしてきた現実が絡んでくる。

ワインと肉はあう。
うまいワインを飲みつつ肉の旨さを堪能したい。それでいいのだ。それがヒトという生き物だ。生きるとは、そういうことだ。それの否定はヒトの否定になる。くだらんこだわりは捨てたほうがいい。まして競馬だ。たかが競馬だ。割り切らねばならない。わかってはいるのだが……。

● タップダンスシチー行方不明

●タップダンスシチーは生きていた

●タップダンスシチーの老後は安心できるのか──ハイセイコー、タケホープ、イチフジイサミ 
  1. 2014/10/10(金) 06:04:01|
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将棋話──王座戦第四局──羽生、危うし──時代は動くか!?

昨日の王座戦第四局は豊島が勝って、これで二勝二敗。
二連勝したときは羽生がすんなり防衛するものと思っていたので意外だった。羽生は敗れた若手を研究して膝下におく。豊島には初対戦から二連敗したが、それでマークする相手と認めたのだろう、そのあとは五連勝だ。これでもう豊島対策は完成したのかと思ったら、ここに来て二連敗。しかも二局とも完敗である。
豊島連勝の中身がいい。豊島断然有利の流れか。二十代棋士でタイトルを獲ったのは「森内から渡辺」の竜王戦の他に(だから森内が取りかえしたのはじつによい流れだ)広瀬の王位があるが、あれは深浦からだった。そして羽生に取りかえされている。だから広瀬は「羽生世代を切りくずした」とは言えない。今回豊島が羽生から奪ったら渡辺に続く快挙になる。そして豊島は渡辺よりもずっと下の世代だ。

豊島が羽生から王座を奪い、糸谷が森内から竜王を奪取するようなことになると、王者として君臨する羽生世代にも危機が訪れる。果たしてどうか。個人的には今年絶好調の羽生が再び七冠かと期待していたので竜王戦挑戦権がなくなった時点でかなり昂揚感低下というのが正直なところだ。私は8/15,9/2,9/8の「竜王戦挑戦者決定三番勝負」を観戦できない環境にいた。それが出来るようになったとき、いの一番に確かめたのはそれだった。羽生が挑戦者になり、森内から奪取し、永世竜王になる流れを期待していたので、あっけにとられる結果だった。糸谷にはわるいがまさかあそこで羽生が敗れるとは思わなかった。



四十代に入っても衰えのない羽生世代は最強だが、中原さんだって四十三のときに名人位を奪回している。あのとき中原さんは「同世代のひとに、すこしでも元気を与えられたら」のような言いかたをした。あれは感動的だった。谷川は加藤から名人位を奪ったときは「名人位を一年間あずからせていただきます」と謙虚だった。これで時代はもうもどらないと思ったが、中原は谷川から名人位を奪って復位する。もうそれはないと思っていたので、これだけで驚異だった。そしてそれをまた谷川が奪う。加藤の時には謙虚だった谷川だが、長年中原から取らねば意味がないと思っていたから、この時は自信をもって名人位に着いた。今度こそ完全に世代交代と思ったのに、もういちど中原さんが取りもどす。そのときに上記の名言が出た。あれはたしかに同世代に勇気と希望をあたえたろう。
逆に言うと光速流の谷川はかっこわるかった。時代が完全に羽生になってから、その羽生から名人位を奪って永世名人になる。それはそれで震災後の「復活」と絡んで感動的だった。そのときのことばは「自分は他の永世名人(木村、大山、中原)と比して時代を築いていないので」と、これまた謙虚だった。ここで復活して本当の自分の時代を築くという宣言だったが、それはならなかった。羽生世代の流れはすさまじかった。谷川の「他の永世名人と比して時代を築いていない」という自己反省は、イメージ的にはまことにその通りで、あれだけの衝撃をもって登場した谷川だけど、将棋史的には「中原時代と羽生時代の橋渡し」みたいな存在になっている。私が将棋に興味をもってから最も衝撃を受けた棋士は谷川だったからこんな言いかたはせつないが、しかし俯瞰してみると、「谷川時代」はそういうことになるだろう。しかしその「羽生世代」出現の芽を育てたのは「史上最年少名人」谷川の存在だから、そこのところでもっと評価されるか。時代で言うなら、四冠を保持し「世界で一番将棋が強い」と豪語した米長に「米長時代」はなかった。四冠でいばっても、所詮名人にはなれないひと、でしかなかったし、「おれのために出来たようなもの」と語った最高賞金の竜王戦でも、決定戦で島に4-0で敗れ、第一期竜王にはなれなかった。これまたあたらしい世代登場の引き立て役でしかない。もしも将棋史に「米長時代」があるとしたら、それは「会長時代」だろう。功罪半ばする迷会長だった。



あたらしい時代のたのしみを思いつつも、「羽生、防衛しろ」と思っている自分がいる。それはまだ豊島の個性が弱いからだ。入門のころから逸材と話題になり、加藤、谷川、羽生、渡辺に続く中学生棋士と期待された。それにたがわない活躍と出世をしてきたが、雰囲気が温厚だ。それはいい。好ましい。豊島の人柄は好ましい。しかし振り返ってみると、中学生棋士としてのし上がってきたころの羽生なんてほんとふてぶてしかった(笑)。あの「羽生睨み」は、気の強い生意気そうなこどもそのものだった。このひとはあがるにつれて顔が良くなった。地位はひとを作るんだな。あの「上座事件」のときは、羽生に対する熱意がだいぶ引いた。王者になるには、ああいう面も必要なのだろう。温厚なままでは豊島の時代は来ないのか。

羽生は昨年の王座戦も中村大地に逆転防衛したが、あれは中村2-1の流れから2-2に追いついての防衛だった。今回は2-0から2-2に追いつかれている。流れが違う。その前が6期連続の「3-0防衛」だから、去年今年と二十代若手にフルセットに持ちこまれているのは気になる。流れとしては豊島奪取だが、さてどうなるか。決戦は10月23日。

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【追記】──羽生、防衛!──10/23

 153手の熱戦。羽生が勝った。画は投了図。
 一日で決着のつく将棋はおもしろい。それをたのしめるインターネット時代のありがたさ。

 ここで「豊島王座、誕生!」のほうがよかったのだろうか。まだ「羽生世代時代」を見ていたい私は、防衛にほっとしているというのが本音だ。

ouzasen2014
  1. 2014/10/08(水) 07:01:49|
  2. 将棋
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競馬話──ディープインパクトをどう語るか!?──NGワードは〝衝撃〟、〝英雄〟は?

ディープインパクトをどう書くか。
日本競馬史上屈指のこの名馬は、すでに多くのライターに様々な切り口で書かれている。
読んでないのでなにひとつ知らない。しかし想像はつく。
かつてないタイプのこの馬に、まだ誰も手をつけていない語り口は残っているのか。

〝衝撃〟はNGワードだろう。馬名から聯想されるそれはあまりにイージーだ。〝飛ぶ〟もそうか。

〝英雄〟はどうだろう。武豊が口にした。「ディープインパクトの愛称は英雄がいいのではないか」と。
 なぜ武がひでおという人名にこだわるのかがわからない。村田英雄が好きなのか。しかしディープに和服を着て「王将」を歌うイメージは湧かない。あれほど顔もでかくないし。あるいは野茂英雄からのイメージなのか。日本人大リーガーの路を切り開いた彼なら村田英雄よりは似合う気もする。しかし彼は野球選手として理想的な大きなお尻のひとだったし、それは小柄なディープとはまたちがう。そもそもなんでディープを「ひでお」と呼ばねばならないのか。*もうひとつ武のセンスがわからない。私は武豊騎手の大ファンだけれど、今までもこれからもディープを〝ひでお〟と呼ぶつもりはない。

試行錯誤しているうちに、「かつてない」をそのまま出せばどうだと思いつく。
ヒントは武の語った「楽」にあった。
武は、あれやこれや戦術を考えるのではなく、単純に他よりも速い馬で、楽に勝つ、シンプルに勝ってしまうのが競馬の理想なのではないか、ディープはそんな馬だと語っていた。

これで切り口が見えてきた。
テーマは「あたらしい風景」だ。

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* 世の中には親切なひとがいて、こんなことを書くと、「武豊騎手の言ったのは、村田英雄や野茂英雄の〝ひでお〟という人名ではなく、〝英雄=えいゆう〟英語で言うヒーローという意味です。武騎手はディープインパクトのことをヒーローと読んで欲しいと願い、英雄と言ったのです」とメールをくれたりする。

 そういうひとには必ず「そうだったのですか。気がつきませんでした。教えて下さりありがとうございました」と返事を書くことにしている。
  1. 2014/10/08(水) 05:43:24|
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msn産經ニュースが終了──MSが次ぎに組むのはどこ? アサヒ? 聖教新聞?

msn産経ニュースが終了 ご愛顧ありがとうございました 2014.10.1 02:10

 日本マイクロソフト株式会社と2007年10月から共同で運営してきた「msn産経ニュース」のサービスが9月30日、終了しました。7年間にわたってご愛顧いただき、誠にありがとうございました。

 10月1日からは、産経新聞グループの新たな旗艦ニュースサイトとなる「産経ニュース」がスタート。新聞記事の正確性、ウェブニュースの速報性に加え、世の中で今起きている事柄を網羅した三位一体の「ウェブ・パーフェクト」報道スタイルを堅持。ネット用のオリジナル記事「産経プレミアム」を大幅に拡充するほか、トップページを大阪の視点で編集するユニークな「産経WEST」、モバイル端末に適したフォトジャーナリズムを提案する「産経フォト」など、独自コンテンツの豊富なニュースサイトとなります。スマートフォン用のアプリも大幅にリニューアルし、操作性と視覚性を高めます。
http://sankei.jp.msn.com/etc/news/141001/inf14100102100001-n1.htm

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 丸7年か。時の過ぎるのは早い。もともとMSは毎日新聞と組んでいた。「毎日」嫌いの私は読まなかった。Ms-Dosのころからの窓使いではあるが、とにかくMSが嫌いでIEすら使わないぐらいだから、嫌いな「毎日」と嫌いなMSのコンビを蛇蝎の如く嫌った。いいコンビだと嗤った。

 それが突如2007年に産經と提携となった。「えっえっえっ、なぜ???」と奇妙に思ったことをいまも覚えている。私からすると共に嫌いな「毎日」とMSだが、両者はよく似合っていた。お似合いのカップルだった。田原総一郎とドイタカコの夫婦、あるいは佐高信とツジモトキヨミの熱々恋人みたいなものだ。まことに醜い。それがなにゆえ同棲を解消して産經と組むのか、私には理解不可能な光景だった。しかしそれはさんざんこちらを苦しめてきた敵の龍王が、捕獲したらこちらの持駒飛車になってくれるような、痛快な出来事でもあった。以来毎日「msn産經ニュース」を読んできた。zakzakと並ぶ私の愛読ネット新聞だ。2007年というと今の地に越してきた年、光フレッツを始めた年だ。あれからもう7年経つのか。
 当時、MSが「毎日」と切れることを知ったのが下のニュースだった。



マイクロソフト、MSNニュースポータルを毎日新聞から産経新聞へ  2007/06/27 22:04
   
 マイクロソフトオンラインサービス事業部は6月27日、毎日新聞社と共同で運営している「MSN毎日インタラクティブ」の提供を9月30日に終了することで合意したと発表した。

 これにより毎日新聞社は、10月1日から新たな総合情報サイトとして「mainichi.jp」を開設する。新サイトは、ニュースサイトからさらに進化した「総合情報サイト」としてスタートし、ニュース報道のほかエンターテインメント情報や暮らしに役立つ生活情報、地域情報を充実させる。

 また、ユーザー参加型コンテンツも充実させ、情報の信頼性に加えて“楽しい”“役に立つ”サイトを目指すとしている。さらに新サイトの開設に合わせ、英字新聞サイト「MAINICHI Daily News」も全面リニューアルを行う。

 一方、マイクロソフトは産経新聞グループの産経デジタルと業務提携を締結し、新たなニュースサービスの提供を開始する。両社は産経デジタルが運営する産経新聞のウェブサイト「Sankei Web」を発展成長させ、双方の技術力やコンテンツ、ノウハウを融合した新しい「MSN産経ニュース」を開設することで、さらに多くのユーザーを満足させるサービスを実現するとしている。



 毎日、産經と相方を替えてきたMSは次はどこと組むのか。話題のアサヒシンブンか、赤旗、聖教新聞、恋人候補はいっぱいいる(笑)。

 私はとにかくMSが嫌いだったので、いまも嫌いだが、この「MSが毎日との縁を切って産經と組んだ」というのは、唯一MSに好意的になれた事件として記憶している。それは、大嫌いな騎手が大穴馬券を取らせてくれたので嫌い度合が減ったのに似ている。これからどこと組むのか知らないが、産經と組むことによって嫌い度合を減らした私のようなのもいる。溜め息の出るようなことにならないよう祈る。でもMSだからな、期待はしない。ともあれ7年間、ありがとう。この「msn産經ニュース」のおかげで、MSアレルギーがしばらく治まっていた。そのことにはすなおに感謝する。 


  1. 2014/10/02(木) 08:27:58|
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旅話──中国在住白人との不快な体験②──シナのトイレ事情

 オンボロマイクロバスに揺られて山道を走ること4時間。やっと最初のトイレ休憩になった。かつては1時間半から2時間に一度ぐらいは確実に休憩所──路線のあいまにある比較的大きなバス駅──に寄っていた。国営でやっていた定期便バスに、民間人運転手のバス持込み制度導入の際、そういう行政指導があったのだろう。十年以上前は決められた時間、場所での休憩が順守されていた。しかしあの支那人がそんな堅苦しいことをいつまでも守るはずがない。便数はかつての何倍にも増え便利になったが、と同時にそれらルールもいいかげんになった。いつどこに停まるかは運転手次第である。停まらない。初めてノンストップで4時間走られたときは何事が起きたのかと思った。何度も乗ってその路線を知っている。1時間半経ち、そろそろ休憩の場と思うのだが停まらない。勘違いだったか。たしか以前はこのバス停で休憩があったが……と思う間もなく通りすぎる。3時間走る。次ぎも停まらない。おかしいじゃないか、と思う。きちんと定期的に停まっていたときでも、私は、万が一そんなことになったらたいへんだと、出発前は極力水分を取らないようにし、小用をもよおさないように気を使う。お腹を壊す可能性がすこしでもあるものは食べない。出発地で地元のおばちゃんたちが売りにくる果物、ゆで卵、焼きトウモロコシ等だ。中には魅力的なものもあったが、支那のバスでお腹を壊す恐怖を考えたら手は出せない。くだってもいないのに正露丸を飲むほどの用心をしてきたお蔭でさいわいまだその経験はないが、ここのところの運転手のいいかげんさのせいで、それでもつらいことになり始めている。運転手の気分次第で休憩所をとばす。いきなり4時間も停まらないのだ。この地ではまだまだ「載ってやる」ではなく「載せてもらう」感覚なので、そういう運転手のいいかげんさにみな我慢している。それでも4時間でもよおすのは私だけではないらしく、やっと最初の休憩となったときは、携帯電話で喚き散らしていた支那人のおっさんも、無口な少数民族のオババも、みな飛びだすようにしてトイレに駈けこんでいた。やはりこれは権力者である運転手の横暴なのだろう。あちらはいい。自分のバスだ。自分がもよおしたら好きなときに好きな場所に停まれる。載せてもらっているこちらはあちらの顔色をうかがわねばならない。日本でバス運転手をしている知人がいる。ワンマンバスだ。ごく普通に乗車降車案内を話しているだけでも、毎日のように、命令口調だ、高飛車だ、いばっている、態度が悪いと会社にクレームが寄せられ、いままで何度も始末書を書かされていると嘆いていた。それはそれでひどい話だ。しかしまたこの地のめちゃくちゃな部分を見ていると、せめてもうすこし、と思う。定期的な停車と休憩はまもってもらいたい。とにかくいまは「載せてもらう感覚」である。「寄って休憩するはずのバス停」に寄らないと、トイレに行けないこちらも困るが、そこで待っている客も困る。だがみなそれはあきらめる。10時半というバスが来なかったら、それは満員で通過したということだ。次の13時を待てばいい。そんなことには苛立たない。苛立っていたら生きて行けない。それが「大陸的」思考である。
  
 4時間ぶりのトイレ休憩にみなバスを飛びだして行く。支那のトイレは有料だ。一律5角(1元の半分、いまのレートで9円、日本的感覚で言ったら1回50円か)を払って糞尿が溢れていてとんでもなく汚く臭く吐き気のする金をもらっても入りたくない場に金を払って入らねばならない屈辱。しかし出るものがあるのだから行かねばならない。たいして行きたくなくても次の機会がいつかわからないのだからいまこの場でしておかねばならない。大のときだとトイレの前にすわっているオババにあと5角払って質素なザラ紙のようなトイレットペーパーを買う。良質のティッシュペーパーが無料で配られる日本、しかもそれをぷいと無視するような日本との差をしみじみと思う。しかしあえて「どっちが異常か!?」と問うなら日本のほうなのだろう。支那のほうがひとの暮らしの原点なのだ。いまこうして文を書きつつ、あの支那の汚いトイレを思うだけで吐き気がしてくる。あれだけであの国には二度と行きたくないと思う。もっとも「汚いトイレ」というのは支那に限らない。ロシアなどもそこいら中クソだらけで、足の踏み場のないようなトイレに入らねばならない。花の都パリもそこいら中イヌのクソだらけだし。近頃の若者は海外旅行をしないらしい。よくわかる感覚だ。背伸びせず身近な快適な環境で生きるのがいちばん愉しい。なにを好き好んで異国に苦労しに行く必要があろう。私は海外旅行推薦者じゃないけれど、それでも、異国のこういう状況を知るだけで自分の国を考える機会にはなるし、それは若者にとって貴重な瞬間のように思う。そういう体験を若いときにしておくのは、それはそれで意味があるんじゃないか。まあ私が今時の若者だったら間違っても海外に行ってみようとは思わないから、エラそうなことは言えない。温かい布団にくるまっているほど気持ちのいいことはない。気持ちのいい場所があり、そこにいられるなら、あえてそこから出る必要はないという感覚はよくわかる。(続く)
  1. 2014/10/01(水) 06:11:08|
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Wikipediaのわかりにくい文の例──二所ノ関部屋の歴史から──アラビア数字と漢数字

 Wikipediaの文章がわかりにくいと何度か書いている。見かけるたびに、それを引いてブログテーマにしようと思うのだが、いつもそのままになってしまう。今回気になることがあった。忘れないうちに書いておこう。大相撲の二所ノ関部屋の項目だ。


1909年(明治40年)1月に二枚鑑札で5代二所ノ関を襲名した関脇・海山は、1911年(明治41年)1月場所限りで引退して友綱部屋に預けてあった内弟子を連れて二所ノ関部屋を創設した。なかなか弟子に恵まれなかったものの、苦労して玉錦を大関に育て上げた。しかし玉錦が1932年(昭和7年)10月に横綱に昇進する直前の1931年(昭和6年)6月に胃癌で死去し、弟子は粂川部屋に預けられた。

1935年(昭和10年)1月に横綱・玉錦の二枚鑑札が許可され、6代二所ノ関を襲名して部屋の師匠に就任した。
当時の二所ノ関部屋は稽古場さえ持たないほどの弱小な部屋だったが、猛稽古により一代で部屋を大きくし、先代弟子から関脇・玉ノ海や幕内・海光山などといった関取を育てた。しかし、勧進元も務めてこれからという1938年(昭和13年)12月に虫垂炎を悪化させ、腹膜炎を併発して34歳の若さで死去した。



 いきなり餘談だが、私のような世代の相撲好きにとって二所ノ関部屋は超名門である。日本プロレスの開祖・力道山のいた部屋であり、大横綱大鵬、大関大麒麟を輩出している。先代が亡くなり、後継問題で揉めるという事件もあった。結果的に先代の(調停役として短期の暫定親方をおいたので正確には先々代になる)の娘婿になるという寝業を使った〝ホラ吹き金剛〟が継ぐことになる。金剛もまた平幕優勝したりして話題の力士だった。この〝ホラ吹き〟は、大言壮語することで有名だった〝ホラ吹きクレイ〟から来ている。モハメッド・アリの前名だ。自分よりも格下の弟弟子金剛の親方襲名に不満を持った大麒麟は独立を申し出るが許されない。大麒麟は弟弟子を連れて寺に立て篭もる。このときほとんどの力士が金剛ではなく大麒麟にしたがった。私は裏事情を知らない一相撲ファンだったが、「大麒麟が正しいのだろうなあ」と思ったのを覚えている。大言壮語する金剛とは対象的に大麒麟は力士には珍しい読書好きでインテリ力士と言われていた。ま、正直、のっそりしていて好きな力士ではなかった。なんというか、四股の足があがらないのがかっこわるかった。大鵬は自分のことを天才と呼ばれるのを嫌い、よく口にしたのが「大麒麟のほうが自分よりも天才だ」だった。
 解決まで揉めに揉めたが、大麒麟の独立を許すという形で決着する。押尾川部屋の誕生である。しかし有力な力士を連れて行くことは認められなかった。大麒麟を尊敬している天龍は立てこもり事件でも行動をともにしていたが、米櫃の幕内力士だから二所ノ関部屋に残らされる。それを不満として天龍は引退する。まだ27歳。大麒麟へのを義を通した行動だった。その後プロレス入りを発表する。あの騒動がなければ天龍のプロレス入りはなかった。そういう経緯もあってデビューのころの天龍はいつも沈鬱な顔をしていて、ちっともプロレスが愉しそうではなかった。アメリカ修業からの帰国後も伸び悩んでいた。ふっきれるのはロビンソンとタッグを組んだあたりからか。でも天龍は自分でも認めていたが大関になれたかどうか。たぶんなれなかったろう。プロレスでは横綱になった。果たしてどっちがよかったのか。あれこれと思い出の尽きない名門である。
 一方で友綱部屋は、魁輝が大関魁皇を育てあげ、四股名の「魁シリーズ」が注目を浴びるまでは地味な部屋だった。長年閉鎖されてもいた。しかし歴史的には「二所ノ関部屋は、友綱部屋から分離独立した」のである。あちらのほうが超名門二所ノ関部屋の本家なのだ。Wikiを読む愉しさはこんなところにある。
 名門二所ノ関部屋は、金剛親方時代に活躍する力士が出ず、後継者もなく昨年閉鎖された。金剛も今年故人となった。政略結婚だったから親方の娘とは離婚している。歴史的には「人望のある大麒麟が継ぐのが正解だった」となるだろう。だが押尾川部屋も益荒男の独立問題でおかしくなった。歴史は繰り返すのか。
「二所ノ関部屋が不振により閉鎖」というのは「超名門」と認識して育った私の世代には信じがたい事件だった。活躍力士が出なければこんなこともあるのだ。二所ノ関部屋の力士が移籍した(吸収された)のは松ヶ根部屋だった。大関若嶋津が創立したあたらしい部屋だ。あの二所ノ関部屋が松ヶ根部屋に吸収合併されるというのは、わたし的にはメダカがクジラを呑みこむような感じである。相撲部屋の栄枯盛衰を見ていると、なんとももののあわれを感じる。


 閑話休題、書帰正伝。二所ノ関部屋の由来に関する上の文。
《しかし玉錦が1932年(昭和7年)10月に横綱に昇進する直前の1931年(昭和6年)6月に胃癌で死去し》と読んでいて、私は「大関の玉錦が、横綱昇進前に胃癌で死んだ」と思った。この文章の主語は「玉錦」なのだから。しかしそのあと《弟子は粂川部屋に預けられた》と続くのが奇妙。大関が死んで弟子が預けられるという流れがわからない。「弟子」とは誰の弟子なのだ。昔も今も力のある力士は現役中に弟子を取る。内弟子だ。独立したときにはそれを率いる。魁皇は浅香山として独立するときすでにふたりの弟子を持っていたし、横綱白鵬ももう内弟子を持っている。とすると「大関玉錦がガンで死んだので、その内弟子は粂川部屋に預けられた」という意味だろうか。

 このあと《1935年(昭和10年)1月に横綱・玉錦の二枚鑑札が許可され、6代二所ノ関を襲名して部屋の師匠に就任した》と続く。玉錦は死んでいなかったのだ。生きていて横綱になったのだ。となると死んだのは誰だとなり、その前からの文の主役である《5代二所ノ関を襲名した関脇・海山》であるとやっとわかった。というのはウソ。私は玉錦が横綱になった、というか、横綱玉錦が二所ノ関部屋の基礎を築いたことを知っていた。だから「やっとわかった」は大袈裟だが、でも一瞬「え?」となったのは事実。知っている私でもそうなったのだから誤解したひともいるだろう。中学生の國語の問題として「この文の主語は誰か!?」と出題するなら、誰でもすこし考えて「海山」と正解を出せるだろうが、言いたいのは辞書辞典で「え?」と思わせてはまずいのではないかということだ。

《しかし玉錦が1932年(昭和7年)10月に横綱に昇進する直前の1931年(昭和6年)6月に胃癌で死去し、弟子は粂川部屋に預けられた。》の問題点は主語がないことである。ここに「しかし海山は、玉錦が横綱に昇進する前に死去し」と本来の主語の「海山」を挿れるだけでまったくちがってくる。それがないとこの文章の主語は「玉錦」になってしまう。それでは意味が通じない。英文で訳したとして比べるとわかりやすい。
 
「しかし玉錦が1932年10月に横綱に昇進する直前の1931年6月に胃癌で死去し」と、
「しかし海山は、玉錦が1932年10月に横綱に昇進する直前の1931年6月に胃癌で死去し」は、英語なら主語の異なるまったく別の意味の文になる。日本語は英語とちがい、主語を略しても成立する性質を持っている。ここでも前段を受け「海山」という主語を省いているのが日本語の味わいだ、と言うひともいるかもしれない。そうだろうか。

そのあとの玉錦の人生を語る、《1935年(昭和10年)1月に横綱・玉錦の二枚鑑札が許可され、6代二所ノ関を襲名して部屋の師匠に就任した》も主語のない文である。日本人ならそれは「玉錦」のこととわかるが、これを自国のことばに訳して紹介しようとする異国人Wikipediaライターは戸惑うだろう。主語がないのだから。
 これも《1935年(昭和10年)1月に横綱・玉錦の二枚鑑札が許可され、玉錦は6代二所ノ関を襲名して部屋の師匠に就任した》と挿れればいいだけのことだ。しかしこれは「玉錦」がかぶるみっともない文だ。それをしないことが「日本的省略の美」であり、日本語の文章独自の美しさなのであろうか。いやそれ以前に、「6代二所ノ関を襲名して部屋の師匠に就任した」と書く日本語感覚はなんなのだろう。いくつぐらいの、どんなひとが書いているのか興味深い。部屋の師匠に就任したはかなり滑稽だ。

 下に書くが、Wikipediaの文は各国語に翻訳され世界に流れるものである。よって漢数字で表すべき部分もみなアラビア数字になっている。それは許容せねばならない。そういう世界なのだ。Wikiの使命とは事典として「情報を正確に伝えること」であり、それが各国独自の表現よりも上に立つ。各国が自国の文章表現の美に酔ったなら、世界共通百科事典として翻訳の際に混乱を招くことになる。Wikiの文が川端康成や村上春樹である必要はない。

 こういうタイプの文が多い理由を、Wikipediaのライターが日本的表現の美にこだわったゆえに、とは思わない。これは、Wikiの文章の問題として指摘した「いちどに全部を言おうとし過ぎる」ことが原因であろう。二所ノ関部屋設立の由来を、なにもそんなに一気に「これこれこういう出自の力士が西暦何年(年号何年)にこういう経緯で創立し、西暦何年(年号何年)まではこれこれこういう理由で苦労したが、西暦何年(年号何年)に、これこれこういう理由で流星するが、でも西暦何年(年号何年)にこれこれこういう問題が起きて、これこれこういう理由で死んだ」と、創立者の人生を経歴や設立年度、死まで一息に言う必要はないのである。「設立に到る過程」と「弟子を育てるまでの苦労」、「その後の死ぬまで」を分けて書けば問題は起きない。そのほうがよりわかりやすい。なのに一気に書こうとするから足がもつれる。

 これはそのあとの「玉錦の項」にも共通している。冒頭の文は、連続しており、上段が「海山の一生」、続いて「玉錦の一生」だ。ふたりの人生を一息で語ろうとする。海山の最後は《しかし玉錦が1932年(昭和7年)10月に横綱に昇進する直前の1931年(昭和6年)6月に胃癌で死去し、弟子は粂川部屋に預けられた。
》、玉錦の最後は《しかし、勧進元も務めてこれからという1938年(昭和13年)12月に虫垂炎を悪化させ、腹膜炎を併発して34歳の若さで死去した》となっている。まったく同じ形式の文だ。ふたりの人生を「あれがあってこれがあって、しかしこうなって死んだ」と一気にまとめようとするので読み辛い。玉錦の結びの文も主語がないが海山の結びよりはわかりやすい。同じ主語のない文でも、海山の生涯が玉錦の生涯よりもわかりづらいのは、玉錦が「これからというときに死んだ」とまとめられているのに対し、海山は「死去し、弟子は粂川部屋に預けられた」と、一生に加え死んだ後のことまでも一息に書こうとしているからである。一般原稿だと字数制限があるから主語を省いたり限られた字数ですこしでも多く情報をいれようと焦ったりする場合はある。しかしこれはネットの文である。字数制限はない。締切もない。なのになぜこんなに言いたいことを一気に言おうとしてよれよれになっているのだろう。そしてまたその文で、なぜ主語を明確にせずわかりにくくするのだろう。不可解である。

 たいした問題じゃない。「ん?」と一瞬思うが、すぐに「ああ、そうか」と理解できる。しかしこの「ん?」が「誰でも書きこめるWikipedia」にはやたら多いのだ。辞書を引いての「ん?」はいらない。「ん?」を解決してくれるのが辞書だ。便利さに感謝しつつも、この辺の不備はかなり苛つく。


 英語崇拝者により昨今の日本語は壊されている。典型的な例に「単数・複数」への異様なこだわりがある。「鳥が飛んできた」では「一羽か複数かわからない」とばかりに「鳥たちが飛んできた」とやる。英語はBirdとBirdsと単複を分ける、なのに日本語はあやふやだという英語信奉である。かといって英語も、一羽と二羽以上の区別はあっても、二羽と三羽の区別はない。どうでもいいことである。しかしこだわるのがいる。「男女」も同じだ。男と女がやってくる。「彼ら」でいいのだが、それでは男だけだと勘違いされると「彼彼女等」と書いたりする。男女同権か。
 
 日本語を貶める英語崇拝者が大嫌いな私としては、上記のようなWikiの文に関してもむしろ「主語が曖昧でも成立するのが日本語の秀でた点だ」と肩を持ちたい。しかし持てない。これはやはりただのへたな文章であろう。

 Wikiには世話になっている。インターネット環境のない場所に行くとき、可能な限りの辞書をHDDに挿れて行くが、それでも調べられないことは多い。上のような大相撲のことなどはWikiがないとお手上げである。異国の果てで突如むくむくと湧きあがってきた疑問点。知りたい知りたい。あれはどうだったんだっけ!? しかし調べる術がない。背中の痒いところに手の届かないもどかしさ。「ああ、こんなときWikiを引けたら」と何度思ったことか。Wikiには感謝ばかりで批判など出来る立場にはないのだが、それにしても下手な、というか基本的な日本語を書く技術を有しないひとたちが、大勢出入りしているところではある。

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【補記】──アラビア数字、漢数字

 Wikipediaはインターネット世界に存在するグローバルなものである。外国や外国人に関する文などはみな「翻訳」だ。相撲のような日本独自の文も、興味を持った異国のひとたちによって翻訳されて行く。だから日本のなんとか新聞が数字表記をすべてアラビア数字に統一しているように、Wikiの数字がアラビア数字なのは当然なのだろう。もともとがそっちの世界なのだから。コンピュータは0と1で構成されるアラビア数字の世界だ。

 文句は言いたくない。でもなあ、親方の代なんかは漢数字で書いて欲しい、と思ってしまう。「五代目二所ノ関親方」だろう。「5代目二所ノ関親方」はどうも……。まあこの場合は「何代目かわかればいい」と割り切るべきなのだろう。Wikiはそういうものだ。そう統一しているのだろうし、そこまで望んじゃ罰が当たる。テレビでいま「ひとつ、ふたつ」を「1つ、2つ」と表する時代だ。腹立つことなく我慢せねばならない。

 Wikipediaはそういうものだとあきらめるとしても、個人の表記はそれとはちがう。知りあいに近年将棋に興味をもち、ブログにしったかぶりの浅薄な将棋智識を書き始めたのがいる。彼は棋士の段位を「大内9段」のように表記する。こういうヤツに将棋が語れるとは思えない。

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【追記】──英語版を読んでみた

 主語のない文をどう英訳するのであろうと気になって英語版Wikipediaの「二所ノ関部屋」を読んでみた。以下、全文である。これで全部。創立から代表力士、閉鎖、移籍まで、要点のみをまとめたじつにスッキリしたものである。わかりやすい。見事である。量は日本語文章の十分の一もない。よって原文の足のもつれなど無関係だ。そんなことを気にした自分がバカみたいだった。そこまでWikiは原文を重視していない。


Nishonoseki stable
From Wikipedia, the free encyclopedia

Nishonoseki stable (二所ノ関部屋 Nishonoseki-beya?) was a stable of sumo wrestlers, part of the Nishonoseki group of stables (ichimon) named after it. It first appeared in the late eighteenth century and was re-established in 1935 by the 32nd Yokozuna Tamanishiki while still active. The former ōzeki Saganohana produced the stable's greatest wrestler, yokozuna Taihō, who won a record 32 yūshō or tournament championships between 1961 and 1971. The stable's last head coach, former sekiwake Kongo, took charge in 1976, when he was adopted by the widow of the previous head. He has also been on the board of directors of the Japan Sumo Association. The heya's fortunes declined in later years. It had no sekitori wrestlers after the retirement of Daizen in 2003 and at the end had just three active wrestlers, all in sandanme or below (and one of whom, Kasachikara, was 41 years old). The naturalisation of a Chinese born rikishi, Ryūtei, opened up another spot in the heya for a foreigner, and a Mongolian rikishi was recruited in March 2010, but he retired in May 2011.

In February 2010 general affairs manager Yoshiyuki Inoguchi, a former wrestler for the stable from 1975 to 1993 under the shikona of Nijodake, was found hanged in an apparent suicide.[1]

The stable closed after the January 2013 tournament, due to the ill health of the stablemaster and the lack of a suitable successor to him.[2] All three of its wrestlers retired, with the rest of the personnel (except Fujigane Oyakata) moving to Matsugane stable.
  1. 2014/09/28(日) 10:38:18|
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パソコン話──インターネットアクセスなし──スコットランド独立投票と逸ノ城②

 私はいまNTTのフレッツ光と、WifiのWiMAXを使っている。フレッツは2007年から。WiMAXはASUS MeMO Padを買って使い始めたものだからちょうど一年になる。WiMAXと契約したとき「NTTをやめて、これ1本に出来ないか」と一瞬考えた。毎月の料金はNTTが3500円、WiMAXが4100円。やめるとしたらNTTのほうである。外出時のノートやタブレットで役立ってくれるWifiは必要だ。NTTをやめることが可能なら、3500×12、一年で42000円の節約になる。しかしその種の智識に疎い私は、どうにもWifiの無線というのを心細く感じる。全幅の信頼がおけない。やはり有線が確実のように感じる。デジタルを語るときに引きずるアナログ感覚である。ルーターもフレッツ用のBuffalo Air Stationが、いかにもStation然として頼り甲斐があるのに対し、URoad Aero Stationはかわいらしすぎて貫録がないWifi1本にしぼり、万が一大切なときに故障して通信出来なかったなんてことになったら困る。いちばん大切な趣味であり生活の要であり唯一の贅沢みたいなものだから、ここはどうかこの無駄づかいを御容赦願いたいと債権者方面に手を合わせ、二本立てで一年間やってきた。
Buffalo airBuffalo Air Station

 私が現在使用しているPCはデスクトップ機2台、ノート3台、タブレット1台の計6台だ。実質的に毎日触っているのは、自作デスクトップ機、モバイルThinkPad、ASUS MeMO Padの3台になる。インターネットに繋がらず困っているのはデスクトップ機の2台。あとはみな順調に動いている。それらはみな内蔵している無線子機でWifiを受信している。自動でやってくれるのだから楽だ。設定の最初のみパスワードを挿れねばならないが、2回目からは自動である。繋がらないデスクトップ機2台は有線LANタイプ。受信用の子機を内蔵していない。私のAsusのマザーボードはかなりあたらしいものなので附いていると思っていた。調べたら、ない。意外だった。デスクトップ機はまだまだ有線LANが基本ということか。この有線LANのデスクトップ機の調子がわるい。問題はNTT方面にある。「受信はしているがインターネットアクセスなしになる症状」の解決策を探すのに疲れた私は、なら以前からの懸案通り、「これをきっかけにぜんぶWifiにしてしまうか」と考えた。この時点ではこれは非常手段であり、NTTをやめる気はなかった。姑息な手段である。この場合の「姑息」は本来の意味、正しい使用法。「根本的解決にはならない一時凌ぎ」の意味あいだ。姑息に卑怯という意味はない。
 価格comの最安値段で980円の品を近所のケーズデンキで1580円で買うのにはすこし抵抗があったが、そうと思いついたら通販で届くのを待っていられない。最愛の自作デスクトップ機がインターネットに繋がらない不便にもう我慢がならなかった。思えばその症状が現れてから9日が過ぎていた。自転車を飛ばし無線子機を買いに行く。一時凌ぎのつもりだからデスクトップ機2台用に2コではなく、とりあえず実験気分で自作機につけてみようと1コにした。焦っている割には珍しく冷静。つまりは信用していない。追い詰められ、身動きできず、とりあえず姑息な一手段としてやってはみるが、どうせダメなんじゃないか、という気持ちがある。安いものとはいえ、そんな気分の品を一度にふたつは買えない。繋がらなかったらただのゴミだ。

 買ってきた。USB接続をする。設定を始める。自作機がWifiルーターを認識しない。「ルーターがありません」となってしまう。その辺の解決策をノートでネット検索する。「WiMAX ルーター 認識しない」で簡単に見つかった。ありがたい。感謝。ip重複を回避し、IPv4を固定する。10分後、無事繋がった。自作機がインターネットに繋がったことでこんなに感激している自分に惘れる。繋がらなかった9日間が遠い記憶のように思えた。
uroad-cradleURoad Aero Station

 私のようにWifi1本にしようと思いつつもなんとなく不安と二本立てでやっているひとに、Wifiだけでまったく問題はないとお伝えしたい。速さも充分だ。すぐにNTTをやめて1本にしたほうがいい。既にそうしているひとには「なに言ってんだ今ごろ」と嗤われるかもしれないが。
 WiMAXは10台まで繋げるらしい。このちいささでたいしたものだ。6台のPCとテレビのSmart Viyella、合計7台に無線で繋いでみたがトラブルは一切ない。極めて順調。上のURoadの写真はネットからもらったものだが、私のものと色も形もまったく同じ。AC電源接続に差しこむ透明な下部はPC用語で「クレイドル」と呼ぶらしい。Cladle。揺り椅子から転じてこういう受け皿の意にも使うのか。クレイドルという用語はテリー・ファンクのローリング・クレイドル・ホールドでしか使ったことがない。ひとつ賢くなった。調べると、この赤いWifi受信器とクレイドルのセットは、正規に買うと3万円以上する。私は二年契約をして無料で入手している。毎月の4100円に含まれているのだろう。ちいさくて薄くて(それが売りなのだが)ちょっと心配だったが、3万円もすると知ると急に心強く感じるのだから現金だ。置きっ放しだったのに急いでホコリを拭いて大事にしたりする。もう私のインターネットとの繋がりはこれだけだから頼りにせねばならない。壊れないでくれよ。

 こんなに順調なら去年やるべきだった。この1年のNTT料金42000円を損した気分だ。びびって決断できなかった自分の責任だからしょうがない。これから毎月3500円節約できるのかと思うとうれしい。怪我の功名となった。2007年から世話になったNTTは解約する。電電公社にさんざん威張られてイヤな思いをしてきたからNTTが大嫌いだ。無縁になってさっぱりした。そもそも携帯電話に興味津々なのにJphone設立まで買わなかったのもNTT以外の携帯電話会社が出来るのを待っていたからだった。JphoneはいつしかフランスのVodafoneになり、いまは朝鮮企業のSoftBankになった。それを使っているのがいまも忸怩たる思いなのだが……。あ、そうだ、今年の11月の「携帯電話会社切り替え無料月間」にauに替えるのだった。忘れないようにしないと。可能な限り朝鮮とは縁を切りたい。自作機に朝鮮部品はない。台湾だらけ。
 光ケーブルだってNTT以外の会社があったらそちらを契約したかった。しかし2007年当時、私の住まいでは選択肢はなかった。まさかこんな形でNTTと縁が切れるとは。すでに据えおき電話はずっと前に解約しているから、これでNTTとは縁が切れたことになる。深い部分は知らない。民間企業でも実はNTTを使わせてもらっているなんてとこも多かろう。それでも、すくなくとも毎月NTT宛に金を払う生活とは無縁になった。早速貸与機器を返せと封筒が送られてきた。使わない光フレッツのモデムをもっていてもしょうがない。着払いなのですぐに送り返した。

 今回二ヵ月ほど留守にするのに電気を切っていった。いつも入れたままで行く。ひとのいない部屋で冷蔵庫とPCが動いていた。HDDレコーダが番組を録画していた。今回は冷蔵庫の中を掃除してブレーカーを落とした。留守録までして見たいテレビ番組ももうない。私は何かを喰わないと酒が飲めない。たぶんその習慣のお蔭でまだ肝臓がもっている。喰わずに酒だけ飲むヤツはみな死んでいった。スーパーに行く時間がなく惣菜を買えなかったときのために、というかまだ開店前にやる〝朝酌〟のために、冷凍庫の中に冷凍食品がぎっしりと詰まっている。私の必需品だ。それを計画的に処分しつつ、空にしての掃除は手間が掛かった。処分が間に合わず出発前に捨てることになったものもけっこうあった。でもやってよかった。この辺の節電感覚は大震災以降に芽ばえたものだ。「計画停電」なんてのがあったっけ……。
 自作機の変調はそれも一因かも知れない。二ヵ月間電源を落としていたので、8.1が起動しなかったり、3teraのHDDを認識しなくなっていたり帰国後不調だった。さいわい内蔵電池は切れなかったようだ。この辺のCmosクリアとかの智識はもっているので心配はしなかった。しかしまさか想定外の「インターネットアクセスなし」に襲われるとは……。なんともスッキリしない9日間ではあったが、来月から毎月コンビニで支払っていたNTTのあれを払わなくてもいいのかと思うと心は秋晴れである。毎月1万円弱の電気代を大震災以降節電を心懸け5900円まで落とした時以来の壮快感だ。(続く)

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【追記】早速のURoadクレイドルのCM(笑)──22:03

 上の文をアップして間もなく、下にWifi受信器の下部、クレイドルの広告が入った。見事としか言いようがない。すごいなあ、自動検索で自動応答するようになっているのだろう。それにしても早い。あまりの反応の早さに怖くすらなる。これである。上の、赤いのを刺している下の部分。

UROAD-CM
 次のテーマをアップしたら次の広告になり消えるだろうから、今のうちにメモしておこう。これが壊れたなら12970円で買わねばならないのかと思うと、急に慎重に扱うようになったりして(笑)。

 今場所横綱大関を破って大活躍の嘉風の化粧回しは、嘉風が広告塔になっている高級マットレスのマニフレックスから贈られたものと知り、マニフレックスっていくらぐらいするのかなと調べた。腰痛持ちに高級マットレスは憧れだ。それでもう「こいつはマットレスに興味がある」と認識されたらしく、以来ブラウザにくどいほどマットレスのCMが表示される。即座の反応はありがたくもあり迷惑でもある。
  1. 2014/09/27(土) 07:49:06|
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テレビ話──舞の海の体験から──朝鮮人老婆の親日事実をねじ曲げるテレビ──韓国取材の現場

世論に埋もれる声なき声  2014.9.25 11:57

 いま国技館がわいている。新大関やモンゴルの若き大器がおり、遠藤人気もある。なにより土俵際でもつれる相撲は面白い。だが、ほんの数年前まで角界は存続の危機にあると言われていた。
 2011年2月、八百長問題が発覚。「ファンの理解を得られない」として、日本相撲協会は翌月の春場所を中止した。開催反対派の声の大きさに「不祥事と本場所開催は別」というかぼそい声は埋もれてしまった。夏場所は技量審査場所となり、NHKによる中継も行われなかった。

 同じ頃、東日本大震災が起き、5月に報道番組の取材で宮城県の被災地を訪れた。そこで、避難所をとりまとめている男性にかけられた言葉が忘れられない。
 避難している体育館には小さなテレビが1台。画面にはドラマが映っていた。「年を取ると耳が遠くなるから、ドラマを見ていても内容がよくわからない。こんなときこそ相撲をやってほしいのです。舞の海さん、お願いしますよ」
 特に地方で大相撲は2カ月に1度行われる季節の風物詩となっている。熱狂的に誰かを応援するのではなく、家事の合間に何げなくテレビをつけ、中継を見る。不祥事に腹を立てている人ばかりではなかった。

 引退して間もない頃、韓国・ソウル郊外の山里で、サムゲタン(参鶏湯)を食べるテレビのロケがあった。出迎えてくれた老母は感激して、初対面の私を抱きしめてくれた。「あなたたちは私の息子だ。よく来てくれた」と流暢(りゅうちょう)な日本語で話し、「故郷」や「旅愁」などの唱歌を何曲も口ずさんでくれる。
 聞くと、日本統治時代に本土からやってきた校長に習ったという。「素晴らしい先生で恩を感じているのです」という。韓国の田舎で、日本人と韓国人との間に生まれた縁に心が温まった。
 ところが、テレビ局のディレクターは「すみません、日本語で話さないでください」という。理由は「日本が植民地化していた当時を視聴者に思い起こさせてしまうから」らしい。何とあさましい了見か。ありのままの姿を伝えるべき、と思った私はその場をこらえて、打ち上げの席で猛抗議し、楽しい夕食の場を台無しにしてしまった。

  そういえば中学時代、社会科の授業で「日本軍が朝鮮半島で人さらいをした」という話を何度も聞かされた。
 そういう歴史を信じて疑わない子供が教師となり、また子供たちに教えていく。他国からだけではなく、内側からもせっせとわが国をむしばんでいくかのように。
 世の中をふわふわと漂う世論をかきわけ、谷底に沈んでいる声なき声にこそ耳を傾けていきたい。(元小結 舞の海秀平)

http://sankei.jp.msn.com/sports/news/140925/mrt14092511570003-n1.htm

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 産經新聞の舞の海(敬称略)の文章より。元力士の場合、名前の前に最高位をつけるのが礼儀だ。舞の海だと「元小結舞の海」になる。
 毎場所NHK大相撲中継のレギュラーとして、北の富士と舞の海はお馴染みだからその必要もあるまいが。グルコサミンのテレビCMにも出ているようだし。

 舞の海は現在『正論』等のオピニオン誌にも登場する保守論客でもある。ここでもマスコミの歪みを指摘してくれた。

 引用のマナーとして、必要な箇所のみを引き、あとはリンクにすべきなのだが、しばらく後、ここを読んで興味をもってくれたかたがリンクをたどると、もう削除されていたということが多い。失礼と知りつつも全文引用させてもらった。読んで欲しいのはもちろん以下の部分。



 引退して間もない頃、韓国・ソウル郊外の山里で、サムゲタン(参鶏湯)を食べるテレビのロケがあった。出迎
えてくれた老母は感激して、初対面の私を抱きしめてくれた。「あなたたちは私の息子だ。よく来てくれた」と流暢(りゅうちょう)な日本語で話し、「故郷」
や「旅愁」などの唱歌を何曲も口ずさんでくれる。
 聞くと、日本統治時代に本土からやってきた校長に習ったという。「素晴らしい先生で恩を感じているのです」という。韓国の田舎で、日本人と韓国人との間に生まれた縁に心が温まった。

 
ところが、テレビ局のディレクターは「すみません、日本語で話さないでください」という。理由は「日本が植民地化していた当時を視聴者に思い起こさせてし
まうから」らしい。何とあさましい了見か。ありのままの姿を伝えるべき、と思った私はその場をこらえて、打ち上げの席で猛抗議し、楽しい夕食の場を台無し
にしてしまった。




 朝鮮人の老婆に日本に対する敵意はない。それどころか当時を偲んで日本への感謝のことばを口にしている。それを封じて、事実とは異なる映像を作ろうとするのが日本人ディレクターである。なんともなさけない。
 でも日本人じゃなかったかも知れない。テレビ局のスタッフには、ディレクターからカメラマン、タイムキーパーの女子にいたるまで、おどろくほど朝鮮人が多い。そしてまた芸能人もほぼ朝鮮人である。テレビ局で朝鮮の悪口は言えない。

 そのディレクターが日本人なのか在日朝鮮人なのか知らないが、いずれにせよテレビは「こういう形で創っているもの、事実を自分達に都合よく歪めているもの」である。こういう形で創られているものをすんなり信用しているひとはバカである。国民的にテレビ離れが進んでいることはまことにめでたい。

 海外に住んでいる朝鮮人には、いまの朝鮮の反日の姿勢がおかしいこと、自分達は日本を怨んでなどいないことを明言するひとが多い。しかしそれは半島に住んでいないからこその発言の自由である。あの国にいて、流れに身を任せ、周囲に同調して生きようとしたら、とてもそんなことは口に出来ない。



 舞の海の経験したそれは、現在の半島での、日本統治時代を知る老婆の、自然にしめしてくれた態度である。貴重な体験になる。それを歪めて報道するテレビ局のディレクターという存在。なんともうんざりする。

 しかし私はこのディレクターを反日のサヨク分子とは思わない。こいつはごく平凡な業界人だろう。自分の担当番組で波風を立てたくないだけだ。政治意識などかけらもない。朝鮮料理の取材というから娯楽番組だ。下請制作会社の契約ディレクターかも知れない。彼の頭にあるのは自分の担当した「朝鮮料理取材番組」を一丁上がりにすることだけだ。わずらわしいことには絡みたくない。日朝の歴史などなにも知らない。ただ「朝鮮系の番組は腫れ物に触るように作らねばならない」とは意識している。朝鮮人の老婆が「日本大好き」なんてのをそのままの形で収録して、朝鮮贔屓の局の上司(というか帰化朝鮮人)からクレームがついて放送中止になったらたいへんだ。朝鮮贔屓のスポンサー(というか朝鮮企業)からの文句もこわい。なにかあったらギャラが入らない。次の仕事がなくなる。運よくそのまま放映できたとしても、民団だか総連だかの朝鮮組合から抗議されたりしたらまた問題だ。要するにこのディレクターは、自分がかわいいだけであり、その判断レベルは、「臭い物に蓋」以前の、「臭いかも知れないものには匂いも嗅がずにぜんぶ蓋」なのである。サヨク以前のものすごくレベルの低いただのバカギョーカイ人であろう。そんなのばっかりである。今までの経験から自信をもって断言する。



 視点をかえると、この番組が事実のままに収録されて日本で放映され、もしも半島に流れたなら、この老婆はひどい目に遭っただろう。憎むべき日本を好きだと言った国賊として周囲から吊しあげられたに違いない。朝鮮はそういう国だ。そういう民族だ。その程度の連中だ。親日朝鮮人は、正しい朝鮮人にとって不倶戴天の敵である。「もしも半島に流れたら」と書いたが、いまはインターネットでなんでも見られる。特に支那のYOUKUと朝鮮のPANDORAはやりたい放題だ。日本のテレビ番組をすべて支那と半島で見られるようにしている。朝鮮人老婆の「すばらしい先生で恩を感じているんです」というシーンが放映されたら、たちどころに「親日的な発言をした、どこそこに住む姓名××、××歳」とすぐにつきとめられ、容赦のないバッシングに遭ったろう。だから、このディレクターのやったことは、日本人としては誤っていても、日本好きの韓国の老婆に気配りをしたという意味では正解だったとも言える。

 日本を好きな朝鮮人が、日本を好きだと発言することが許されない国は、まともな国ではない。あの国は、そういう自分達の愚かしさに気づくことがあるのだろうか。千年はないだろう。この場合の千年は「永久」と言って過言ではない。
  1. 2014/09/26(金) 21:06:26|
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旅話──中国在住白人との不快な体験①──シナのオンボロバス

 支那の片田舎。定員20人ほどのオンボロマイクロバス。定期便。ほぼ満員。車内には禁煙の張り紙があるが、おかまいなしの煙もうもう状態。客はもちろん運転手自ら喫っている。これら定期便の車輌は個人の持込み制。バスのオーナーである運転手が喫っているのだから車内喫煙は野放し状態。タバコ嫌いのこちらは窓を開けて対抗するしかない。しかし山岳地帯なので30分毎に天気が変わる。爽快な青空が拡がったかと思うといきなりの雷鳴と豪雨。ワイパーが利かないほどの激しい降りだから窓から吹きこんでくる雨と風も半端ではない。いくら煙くても閉めねばならない。開けたり閉めたりいそがしい。この地ではまだまだ喫煙者が強い。我慢するしかない。近年窓の開かない大型冷房バスも増えてきた。さすがにそこでは禁煙が徹底されている。しかしまだまだ数が少ない。運賃も五割増しになる。今回の路線だと日に8本ある内の2本だけだった。金は惜しくないが、8時半に駅に着き、12時まで待つのはきつい。早いほうがいいだろうと9時半のこれに乗ったらこんなことになった。煙くていられない。12時まで待つべきだったか。ここのところずっと大型の冷房バスだった。この種のオンボロマイクロバスに乗るのは十年ぶりだ。さすがに禁煙張り紙の下での車内喫煙はなくなっているのだろうと思ったが甘かった。

 おまけに携帯電話だ。支那語で手机。中共の簡体字は「機械の機」も「机の机」もみなキは「机」で統一してしまった。「手機」なら文字的にも意味的にも「携帯電話」よりも簡便でストレートですぐれている。何であるかも想像しやすい。ついでに支那語で「手紙」は尻拭き紙ね。でも「手机」では日本人には「机」のイメージが強すぎる。以前このブログで、「支那では麺も面も面に統一してしまったので、面食いに引っかけた麺好きの〝麺喰い〟という日本的漢字遊びが支那では出来ない」と書いたことがあった。日本の当用漢字、常用漢字という漢字制限による弊害も大きいが、支那の漢字統一多くの矛盾を含んでいる。
 支那は広く荒れ地が多く、電線敷設には金がかかる。だからついこのあいだまで電話は金持ちだけのものだった。それが電線いらずの携帯電話が安くなったものだから、その普及度合は日本以上だった。まさに猫も杓子も状態。そしてかつての日本がそうであり、電車の中がうるさくてたまらなかったように、支那はいま田舎者が携帯電話で話せることがうれしくてしょうがない時期だ。地声がでかく、うるさい支那人が携帯電話で喚き散らす。ふつうに話していても怒鳴っているようなあの連中が閉ざされた狭い空間のオンボロマイクロバスの中で、15人の客の内6人もが一斉に携帯電話で喚いているのだから並の騒音ではない。気が狂いそうになる。しかしそれもこれもこの地に来たのだから我慢せねばならない。いやなら来るな、だ。それが道理。こんなところに来ている私がわるい。あと8時間の我慢だ。客のみばかりか運転手が運転しつつ携帯電話で喚き散らし、対抗車を危うく避けているのが、前部の座席なのでよく目に入り、その度に肝を冷やす。そうでなくても羊腸している狭い山岳路なのに、なぜかこの運転手は中央車線を跨ぐようにして走る。ぶんぶん飛ばす。急カーブの向こうから悲鳴のような警笛を鳴らしつつ突如現れる対抗車に、なぜかこちらも喧嘩を買うが如く警笛を鳴らしつつ突進し間一髪で擦れちがう。生きている気がしない。その瞬間だけタバコの煙の煙たさを忘れられる。

 他の乗客はみな平然としている。携帯電話で喚きちらしたり居眠りしたり運転手の雑な運転を気にしていない。しかしこの運転と喚きの中で熟睡できるのもまたすごい。冷や冷やしているのは私だけだ。といって私だけが特別に神経質というわけでもない。実際これらのバスは頻繁に事故を起こし、断崖絶壁を転げ落ちて死傷者多数という事故をよく起こしている。それほどひどい道路なのだ。以前はなかったが、さすがにこのごむろはガードレールが出来てきた。死傷者多数の事故は、この15年、たまに来るだけの私でも20回以上知っている。てことは毎日のように起き、毎日多数が死んでいるのだろう。よって切符を買うときは必ず保険も買わされる。すでに切符に附いてくる。日本円で1200円ほどの切符購入の際に強制的にプラスされる200円ほどの保険は、果たして死亡したときどれぐらいの金額をくれるのだろう。異国からの旅行者である私にもきちんと支払われるのか。それは誰が受けとるのだ。これらのバスで死んだ支那人を何人か知っている。いくらもらったのだろう、今度遺族に尋いてみよう。たしかなのはバス事故で保険太りしたヤツはいないということだ。金持ちのクルマに撥ねられて息子が死に、親がその補償金で家を建てた例はひとつ知っている。輪禍で死ぬならバスではなく金持ちのクルマがいい。

 携帯電話片手の雑な運転に脂汗を浮かべ手摺を握り締めている私は支那の事情を知らないのではない。事情をよく知っているからこその脂汗なのだ。平然としている連中が無智なのである。彼らの情報源はテレビだけだ。山岳路でバスが転落して10人死んだなんて〝些細なこと〟は支那のテレビニュースではやらない。地方紙の片隅には載るような気がするが見かけたことはない。私はこの地に関わってもう15年になるがまだ新聞を読んでいる人間を見たことがない。まして読書なんてとんでもない。私が待合室で文庫本を読んでいるとなにをしているのだと何人もの支那人が覗きに来るほどだ。
 
 ここで死ぬわけには行かない。事故が起きてバスが転落を始めたら、自分だけでも窓から飛田して生き残る気でいる。乱暴な運転と携帯電話騒音の中、のんびりと寝ている山岳民族のオババは、そうなったとき死ぬだろうが、私は飛行機墜落事故でも唯一生き残ったデューク東觶のように咄嗟のときにも身を守る姿勢を取りぜったいに生きのびるのだ。ここでだけは、こんな事故でだけは、死にたくない。(続く)
  1. 2014/09/26(金) 04:51:34|
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パソコン話──インターネットアクセスなし──スコットランド独立投票と逸ノ城①

 パソコンのインターネットトラブルとしてはかなり難易度の高い?「繋がっているのに繋がらない〝インターネットアクセスなし〟」に、ひさびさにぶちあたってしまった。光回線で毎秒100MBで受信しているのだがネットに繋がらないというトラブルだ。有名なトラブルでありネットにも解決策が目白押しだ。すぐに直るだろうと軽く考えていた。今までに何度も経験している。ところがコマンドプロンプトからipconfigを調べたりTCPのプロパティを手動にして書きかえたり、体験から学んだ解決策をあれこれやってみるが解決しない。かつてない難度だ。とはいえノート2台もASUS MeMO Pad(タブレット)も繋がっていて順調だ。ネット調べ物での苦労はない。仕事のメール送信にも支障はない。繋がらないのは自作のデスクトップ機と、もう一台のメーカー製デスクトップ機の2台だ。メーカー製の安物デスクトップ機は予備機でほとんど使わないからどうでもいい。もっとも、こういうときのための予備機であるから、いざ鎌倉というときなのに役立たずではある。いずれにせよネット環境のないところで何ヶ月も過ごしたりする私からするとインターネットに繋がらないなんてのはたいしたトラブルじゃない。繋がっているのだ。ノートでは。インターネットはできる。問題は私が自作デスクトップ機溺愛型であることだ。ましてしばらく海外でモバイルThinkPad、10.5インチだけの日々を送ってきたから、Core i7 3770をOCして4.3GMh、メモリ24GBのフルタワーに23インチデュアルディスプレイの最愛自作機への渇望がいつもよりも大きい。今はもう4000番台が主流だから3770は一世代前になってしまうが、このCore i7というのは私にとって到達点とも言える優れ物だった。Core 2 Duoは不満だらけだったが、これになってそれが一切なくなった。もともと負荷の大きい作業をするわけではないから高スペックは必要としないのだが、それでもCore 2 Duo時代には不満が溜った。Core i7は、なんともすばらしい。支那の田舎での自作では、これの弟分であるCore i5を使った。これまたよかった。今の私はこれで十分なのだと知った。i5で十分なのだからOCしたi7なら満点以上だ。かわいくてたまらない。Windowsで初めて満足できたのが2000だったように、やっと満足できたこのCPUの自作機をいじくりまわしたくてしょうがない。好きなだけいじくりまわせる。インターネットに繋がらないだけで。今の時代、どんなにかわいい自作機でもインターネットに繋がらないと魅力が激減すると知る。21世紀に入ってからパソコンを始めたひとはほとんど全部がインターネットをやることが目的らしい。私はそのずっと前の世代だからインターネットに偏っていない。通信は嫌いだ。パソ通もどんなに誘われてもやらなかった。見知らぬひとと係わりあいたくない。基本は文章書きと辞書であり、それはインターネットがなくても出来る。電子辞書なんて、日本語に関するPC系で発売されているものは全部もっている。外国語辞書も10ヵ国語ぐらいもっている。それはHDDに挿れてあるからインターネットがなくても利用できる。万全の態勢だ。でもこういう自慢も今の時代はむなしい。20世紀感覚だ。いまはそんなもの大金を出して買い揃えなくてもインターネットですべて無料で調べられる。ともあれデスクトップ機がインターネットに繋がらないだけであとは満点なのだが……。

 インターネットに繋がらない自作機で作業し、調べ物はノートでして、「おれはデスクトップ機がインターネットに繋がらなくても平気だ」と強がっていたのだが、一週間ほどでやはりそれは無理だと白旗を揚げた。面倒なのだ。その一例としてブログをぜんぜん書いてない。デスクトップ機偏愛であるから文章はこれで書きたい。好きな音楽を流し、右手のサブディスプレイでBGVを流しつつの作業だ。この快適さはノートにはない。なによりキイボードがちがう。私はフルキーボードが好きなのだ。しかしこれでブログテーマを書いたとしても、それからThinkPadに写して、そこからのアップになる。私はクラウドを利用していない(信用していない)からUSBメモリ経由になる。そんな二重手間をする気はない。クラウドを利用していればもっと簡単だが二重手間であることに変りはない。そう思うと書く気にもならない。書くPCとアップするPCが別々なのはイタい。ここ10日ほどなにも書いてないのはそれが原因だ。それ以前は日本にいなかったのだからしかたない。ブログのことはともかく、インターネットがあるのにインターネットに繋げないという苛立ちは大きかった。なければないで平気なのだ。私はインターネットのない生活を送れる。昔話じゃない。ついこのあいだも1ヵ月以上それのない生活をしてきた。ないのだからしょうがない。諦められる。でも今はあるのだ。あって、ノートやタブレットは繋がっている。唯一最愛の自作機だけが繋がらない。それも完全に繋がらなければまだしも秒速100MBで受信はしている。そこが不快だ。文章を書いているデスクトップ機のPC机を離れ、ノートを置いてある文机まで行き、そこでネットの調べ物をする。またデスクトップ機にもどる。それを何度かしている内に、「なんでこのデスクトップ機はインターネットに繋がらないんだ!」と腹立ってきた。こうなるともうダメである。インターネットのない生活を思えば、いやインターネットのある生活でも、かつての通信の遅かった時代、さほどインターネットが役に立たなかった時代を思えば、PC机で、デスクトップ機のかたわらにノートを置いて調べ物をすればなんの不足もないのだ。だが便利さに慣れてしまった今では、それすら煩わしくてやっていられない。

 二重手間で苛立った筆頭はWikipediaだった。すべての電子辞書を用意してあるとはいえWikiほどの万能辞書はない。あれが紙の辞書だったらどれほどの量になるだろう。Wikipediaはいろいろと問題点を指摘されている。まちがいも多い。私が最も不快に思うのは、あまりに日本語がへたなひとが書いていることだ。言うまでもないが美文や品格を望んでいるのではない。要は「わかりやすさ」だ。そうでなくても日本語は最後まで読まないと意味のわからないというフクザツな言語なのに、こういうところに書くひとは、「わかりやすい文を書いたら軽んじられるのではないか!?」とでも思っているらしく、やたらわかりにくい文を書く。自分に自信がないのだろう。これはきっと正鵠を射ている。私の知りあいでもやたらむずかしい文を書きたがるのはみなそんな連中だ。難読漢字、熟語を多用する傾向もうんざりする。たとえば「弁える──わきまえる」「阿る──おもねる」なんてのを多用する。漢字にする必然性を感じないが、それ以前にそのテーマ文章に「わきまえる」も「おもねる」も必要ないのだ。もう「弁える」「阿る」と使いたくて書いているのではないかと思うほど不自然な使用法である。これまたわかりやすい日本語やかな文字を使うと文に重みがないとでも勘違いしているのだろう。Wikiの下手な文のもうひとつの傾向は、「一度にぜんぶを言おうとすること」だ。簡便に分けて書けばわかりやすいことを一気に言おうとするから、やたら長くて意味不明な文になり、「これはなにを言いたいんだ?」と何度も読み返すような文が頻出する。しかしそういうマイナスは微微たるものだ。Wikiを信仰する神様だと思うなら不満も噴出するが、隣のなんでも知っている物知りおじさんと解釈するなら、こんなすばらしい友人はいない。旅先でのWikipediaの便利さは抜きん出ている。どんなことでもたちどころに調べられるから、これのないインターネット生活は不満が溜る。

kanren7 Wikipediaのわかりにくい文の例──二所ノ関部屋の項目から


 デスクトップ機がインターネットに繋がらずブログを更新していないここ十数日のあいだ、書きたいなあと思うブログテーマがふたつあった。ひとつはスコットランド独立のこと。もうひとつは大相撲の逸ノ城のことだった。しかし書いてない。アップしていない。デスクトップ機で書き始める。するといつものよう「スコットランドのGDPはUKの何割なんだ?」「逸ノ城が今年の初場所幕下付け出しでデビューしたとき、初黒星は何日目だっけ?」と疑問が浮かぶ。調べたい。しかし出来ない。このデスクトップ機はインターネットに繋がらない。ノートまで行く。調べる。デスクトップ機にもどる。それを繰り返している内にイヤになってしまう。書く気が失せてくる。ほとんど使ったことのないことばなのでこの時とばかり使おう。「モチベーションの低下」ってヤツだ。
 これは文章の書きかたとして間違っている。文章を書くなら、あらかじめ下調べをし、それを資料としてまとめてから書きだすのが正しい。ノートが繋がっているのだからスコットランドのことも逸ノ城のことも調べられる。調べてメモして、それを手元に置いて書きだせばいい。それが正当な方法だ。しかしもう何年も「書きつつ疑問点を調べるというインターネット癖」でやってきたものだから、これが出来なくなっている。いや、もちろん、一応ライターとして、それは出来る。仕事ではそうしている。でも趣味のブログでそこまでやるのは面倒になっている。
 妥協案として「不明な部分は空白にしておいて後で記入するという方法」がある。しかしこれも「疑問に思ったことはすぐ調べる。すぐ解決するというインターネット癖」がついているから、後まわしにするのがもどかしくてしょうがない。「スコットランドのGDPはUKの×割しかないが」「逸ノ城はデビュー×日目に初めて黒星を喫する」のようにとりあえずパスして書いていると×の部分が気になってちっとも愉しくない。けっきょく書くのをやめてしまった。自分がここまでインターネットに依存しているとは知らなかった。あらためて「今の時代、インターネットに繋がらないPCはPCじゃないんだ」と感じた。(続く)
  1. 2014/09/25(木) 02:12:00|
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ことばにきびしいをジャマイカで丸投げ(笑)──フレンチキスとコンドームと従軍慰安婦

marunage

 そうだよねえ、フレンチキッスの意味を勘違いしているひとっていっぱいいる。ことばを勘違いして覚えているひとのことを「言語イメージ先行のB層」というのか。そういうひとが自民党のターゲットになりやすいのか。勉強になるなあ。


marunage2

 でもこれを読むと、<きっこさん>も「丸投げ」ということばを完全に勘違いしているようだから、「言語イメージ先行のB層」なのかな。だとしたら自民党のターゲットになりやすいから気をつけてね(笑)。まあこれに限らず、<きっこさん>て日本語をよく間違えている。とても廃人俳人とは思えないんだけど。

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jamaica

《ジャマイカまでレイプされに行く日本のバカ女は「従軍慰安婦」みたいな扱いだった》ってどういう意味だろう。「従軍慰安婦」ってのは存在していないものをアサヒシンブンやフクシマミズホが捏造したものだから、「ジャマイカまでレイプされに行く日本のバカ女は存在しないモノだった」ということか。

 20年前、<きっこさん>みたいにジャマイカまでレイプされに行く「日本のバカ女」ってどれぐらいいたんだろう。20万人ぐらい? 30万人? Sex Slaveって言うの? じゃあジャマイカに日本のバカ女従軍慰安婦像を建てないとね。

jamaica2

 「3人のうち1人くらいしか」という言いかたから推測するに、最低でも30人ぐらいのジャマイカ男と寝たんだろうな。
 <きっこさん>はかつてレイプされたことがあり、心に深い傷を受け、そのことをプロのミュージシャンに歌詞として提供し、CDにもしたレスボス島在住のかたと思っていたので、ジャマイカで黒人青年にフェラでコンドームをつけつつ、やりまくっていたと知り、たいへんおどろいています。
 親孝行な娘さんだと思って親しくなった競馬の師匠・石川喬司先生も、この乱行の過去をかなしんでいることでしょう。



 しかしこういうのって、本物の41歳の女が二十歳のころを思い出して、「ジャマイカでコンドーム逆さにくわえて、フェラしつつかぶせて現地の男とやりまくった」と実話を書いたとしても醜態なのに、実際は65歳のオカマが行ったこともないジャマイカ、弾けもしないギターを想像して、妄想で書いているのだから、滑稽を通りこしてもう無惨である。

 東京にいるのに西日本に疎開したことにして三年。前日までにせねばならない不在者投票を当日の朝にしたり、西日本では売っていない雑誌を立ち読みしたり、さんざん笑わせてくれたが、さてこのあと「これこれこういう理由で東京にもどりました」という〝設定〟はどこからひねりだすのだろう。おそらく<母さん>か自分の病気だろうね。「困ったときの病気とケガ」は<きっこさん>の十八番だ。ここまで設定ぐだぐだだと突っこむ気にもなれん。このひと、最後はどうなるのだろう。それはそれで楽しみだ。

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 こんなこと気楽に書いていたら、白夜書房にいる<きっこさん>専属弁護士に訴えられて「三桁」取られるかも知れない。でも最大で999円だから私にも払えるな。 これからまた女のふりをするために、「深夜の5分間だけ顔写真披露」が頻繁になるのかな。そんなもんロバの照美ですら信じていないのに。
  1. 2014/09/25(木) 00:25:56|
  2. ことば
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朝日新聞は社旗を変るべし──旭日旗よりも太極旗に似た社旗を!

ワンピースの展示会中止 韓国、旭日旗図柄理由に
2014.7.10 20:09

 韓国政府が運営するソウルの「戦争記念館」で12日から予定されていた日本の人気漫画「ONE PIECE(ワンピース)」の展示会が、旭日旗に似たデザインが原作に登場することを理由に、取りやめになったことが10日分かった。

 記念館が中止を決め、主催するイベント会社への展示室貸し出しを取り消した。韓国で旭日旗は日本の「侵略の象徴」と見なされており、展示会への抗議が多く寄せられたため「不必要な騒ぎを招きかねない」と判断したと説明している。韓国のメディアによると、イベント会社側は中止決定に反発している。

 旭日旗は旧日本軍が軍旗とし、現在は陸上自衛隊が自衛隊旗に使うなどしている。韓国では最近排斥の動きが強まり、公共の場所での使用に罰則を科す内容の法案も国会に提出されている。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140710/kor14071020090007-n1.htm

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 しかしこれ、私はマンガ「ワンピース」を知っているからわかるけど、産經新聞の読者には「ワンピースの展示会中止」ってなんだろう? と思ったひとも多いだろう。へんな見出しだ。



 この問題はのちに展示会開催可能とかなったようだが、私たち日本人も、誇りある旭日旗
GYOKUJITSUKI
 がこの種の問題に関わることは心外である。あいつらは日本国旗を燃やしたり踏んづけたりするのが大好きだ。下劣な民族である。



 それでまた思うのは、アサヒシンブンシャの社旗であるこれだ。
ASAHISHAKI

 国賊新聞に旭日旗に似たこれを使われるのは不快であるし、アサヒシンブンももうこの社旗のデザインにはうんざりしているのではないか。「なんでこんなデザインにしてしまったのだろう」と悔いているのではないか。社員アンケートを採ったら100%社旗を変るべしとなるだろう。なんといってもシナ様、朝鮮様を侵掠した象徴に社旗が似ているのだから、これはもう変更せねばならない。



 その場合、朝鮮様によろこんでもらえるよう
TAIKYOKUKI
 このデザインを重視するのがよかろう。もともと「報」の略の「朝日」と言われるぐらいだ。



 となるとあたらしい社旗はこんな感じか、
ASAHISHAKI2
 これぞ日本のクオリティペーパーと呼ばれるアサヒシンブンに相応しい社旗であろう。早く変更してくれ。



 社員アンケートでは、こっちのほうが人気が高いらしい(笑)。

ASAHICHINA 
  1. 2014/08/27(水) 17:18:19|
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藤圭子&沢木耕太郎「流星ひとつ」考.結──「もっているひと」はちがう──全体を振り返って

shinyatokkyu

 沢木は26歳から27歳の時期、丸一年かけてのユーラシア大陸横断の旅をした。そして、ここがこのひとの一番賢く凄い点であるが、それを10年間寝かせておいた。すぐに本にしなかった。
 業界が注目する、言葉を換えれば「咽から手が出るほど欲しい」新進気鋭のライターである。物書き業界は芸能界以上のスター主義だ。スターをひとり造りだせば、それだけで業界全体が潤う。沢木は最高のスター候補だった。それが突如仕事を一年間も休むという。何をするかと言ったらアジアからヨーロッパへの陸路放浪の旅だ。それだけでも行天だが、それをやりのけて帰国した。そりゃもう旅行ネタは山ほどあるだろう。おいしい。出版社はすぐにでもこの「旅行記」を出したかったろう。早く書けと突っついたはずだ。

 だがこのひとは書かない。出さない。自分の旅を十年間寝かせた。熟成させた。二十代半ばの旅を三十代後半になってから文にしたのである。なんとも、賢い。そのことにより、より完成度の高い、すぐれた作品となった。若者の貧乏旅という安焼酎は、十年寝かせることによって味わい深い古酒(クースー)になったのである。


 
 あの絶妙の味わいの「深夜特急」を否定するひとたちもいる。それらは総じて「きれいすぎる」と言う。たしかに。
 旅をしたのは二十代半ばのまだ青臭い沢木のはずだ。もっと生臭くなくてはいけない。なのに……。それをきれいにまとめているのは三十代後半でずっと智識も智慧も増えたおとなの沢木なのだ。

 もしも帰国してすぐに二十代の沢木が発刊したなら、きっともっと生臭いものになったろう。それは生々しく未熟で完成度は低かったかもしれないが、後々のものよりも生命力に満ちたそれはそれでよい作品になったと思われる。沢木はそうはしなかった。それは沢木の美学に反する。十年間寝かせた。
 十年間寝かせたものだから、みょうに乾いてさわやかな作品に仕上がっている。よく言われることだが、これはノンフィクションではなくフィクションとして捉えるべき作品だろう。それがこのひとの賢人である所以だ。



 そうしてあの旅の終りに、パリの空港で、キャンセル待ちをするお忍び旅行の藤圭子とめぐり逢っていたのである。それが5年後に「インタビュー」という作品に繋がる。インタビューするひと、されるひと、ふたりの距離はこのエピソードでぐっとちぢまったろう。そうして藤の自死の二ヵ月後、34年後に『流星ひとつ』の名で発刊されるのだ。なんとも「もっているひと」はすごいなと思わざるを得ない。

※ 

ryusei

 『流星ひとつ』の中で、藤は沢木の一年間の旅を「なぜそんなことをしたのか」と問う。仕事が順調なのに、敢えてそれと距離を置き、自分の居場所がなくなってしまうかも知れないのに、一年間あてのない外国を彷徨うという感覚は、藤にとって不思議であり、同時に実は理解できていることでもある。自分がやりたいけどやれないことを、平然とやりながら生きているひと、前記した関根恵子が河村季里に惚れたように、藤の中で沢木の存在が大きくなって行くのが見える。

 晩年の藤は娘の稼いだ金で世界中を贅沢旅行で歩きまわっていた。あれも若いときに出来なかった沢木的な生きかたの実践だったのではないか。そう思われてならない。

 藤の死後、34年前の原稿を元に沢木が新刊を出し、それが藤の元夫を不快にした流れは、じつに興味深いものである。



 『流星ひとつ』の感想はひとそれぞれだ。否定するひとがいるのもわかる。たしかに、藤が死んでからの発刊には狡いと思うような面もある。
 私の感想は「出してくれてありがとう」だ。 読んでよかった、読めてよかった、になる。藤圭子の背負っていたものとは比ぶべくもないので書くのも恥ずかしいが、私もまた藤と同じく権力に頭を下げることなく「別に」の姿勢で生きてきた。どこにも阿ったことはない。藤は自分と一緒に「別に」と言ってくれるスタッフがいなかったことを悔しがっていたが、私が藤のスタッフだったら、彼女と同じく「別に」である。NHKが藤を紅白から落とした、いいね、じゃもうNHKとは縁を切ろう、である。もしもそういうことがあったら、藤も私も破滅したと思うが、それはまた別問題だ。
 そういう彼女の精神を『流星ひとつ』で知りえたのは、おおきな収穫だ。「Harvest」である。いろいろと評価は分かれたようだが、私の感想の結論は「沢木さん、出してくれてありがとう」になる。これが結び。以下、附録。


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 長々と書いてきた《藤圭子&沢木耕太郎「流星ひとつ」考》だが、そろそろこの辺で筆を擱きたい。
 一応最初はまとまっていたのだが、途中から分列気味になった。すこしまとめてみる。



 書きたかったこと、まず藤圭子に関しては、

・1970年の社会的現象であったこと

 だ。ひとりの新人演歌歌手の話題ではなかった。それは五木寛之さんの造語である〝怨歌〟とか、それが逆の意味で伝わっていった流れとか、北山修と毎日新聞の深夜放送に関するウソとか、自分なりに記録できたと思う。

 【芸スポ萬金譚】に《なぜか突然藤圭子の「新宿の女」が聞きたくなった》というのを書いたのは2013年の1月14日だった。この7カ月後に彼女は自死する。ふと聞きたくなる彼女の歌は、私の場合これがいちばんだ。これからもきっと「新宿の女」は思い出すたびに聞くだろう。いま旅先だが、YouTubeのそれはしっかりDownloadして持参している。

 70年は安保の年だ。義塾も一年半のストに入った。創立以来いちばん長いだろう。授業に出ていないヤツも(というか授業がないわけだが)リポートで単位がもらえたのに、そこで留年している私はえらいな(笑)。だって学校に行かなかったからそうなったことすら知らなかった。

 藤圭子が「新宿の女」でデビューする1969年に武豊が産まれている。70年は羽生善治&羽生世代だ。あの年に産まれたひとに傑物が多いのは単なる偶然なのか。



 そしてもうひとつが、

・もうひとつの流星、石坂まさを

 である。藤圭子抜きに石坂まさをは語れず、石坂まさを抜きに藤圭子は語れない。ふたりは双子の巨大な流星だった。
 当然ながら石坂さんは、藤圭子以外にも、その後も五木ひろしを始めとする大物に曲を提供し、そこそこのヒットを出しているらしい。だから演歌に詳しいひとからは、「石坂の絶頂期は藤圭子の初期の4曲、あれで燃えつきた」には手厳しい異論をもらいそうだ。でも私のイメージがそうなのだからしょうがない。假りに数字を突き付けられたとしても、あの時代を生きた私のイメージだから、それは変られるものではない。
 たとえばポール・マッカトニーを「ビートルズ時代がすべて」と言うひとがいたら、熱心なポールファンは怒るにちがいない。でもあれだけの長年の活躍と創作活動を続けながらも、ポールがビートルズ時代以上にインパクトのあるヒット曲を送り出していないのもたしかなのだ。それと同じ感覚である。

 先日これを書きつつ検索して、YouTubeで藤圭子の「新宿の女」を聞いた。どこかのテレビ番組。和服を着て歌っていた。思いっ切りメロディをくずして歌っていた。いくつぐらいだろう、三十代半ばか。もっと上か。そこには五木さんの言った〝怨歌〟なんてカケラもなかった。ただの「歌の巧いおばさん」だった。やはり石坂まさをにしても藤圭子にしても、世に出る直前の光が独自の輝きとなったのであって、リッチになったふたりが失ったものも確実にあったように思う。



『流星ひとつ』に関しては、

・沢木と藤のパリでの出会いの衝撃

 に尽きる。これって言わばふたりのサイドストーリィであり、読者の私にはまったく関係ないのだが、私はこれに衝撃を受けて『流星ひとつ』購入にいたった。しかしまあ沢木さんは「もってる」。それを明かされたとき、もう藤圭子の目はうるるんだったのではないか。待ちつづけた「白馬に乗った王子さま」はこのひとではと思ったのではないか。いやはやノックアウトされたエピソードだった。



・書き足したいくつかの音楽話


 この「藤圭子&『流星ひとつ』考」は、日本を留守にするあいだに自動アップするように設定して書いた。去年1月の「大鵬話」と同じになる。「1話を1000字にして20回連載」の体裁で書きあげた。私が日本にいないあいだ、自動でアップされる予定だった。原稿用紙換算で60枚ほどの量。それを仕上げて異国に行った。

 ところが今回の異国生活前半は幸か不幸か私には珍しくWifiが通じるオシャレな地域だった。ま、オシャレもなにも今じゃそのほうがフツーなのだろうけど、恥ずかしながら私は初体験。ThinkPadもAsus MeMO Padも快適に繋がった。それで、よせばいいのにその「20回連載」を読み返してしまった。粗だらけである。己の醜さを見て汗を掻く蝦蟇状態。あちこち言葉が足りない。力がないからが基本だが、出発前に1ヵ月以上ブログ更新が途絶えるのも数少ない固定読者に申し訳ないと急いで書いたことにも因はある。それの直しを始めた。直せば書き足したくもなる。書き足せば削りたいところも出て来る。こうなるともう泥沼の堂々巡りである。「1回1000字」なんて約束ごとはすぐに破られ、あれやこれや書き足しての混迷状態となった。結果、26回の連載で合計140枚を越している。書き足した部分のほうが多い。

「いくつかの音楽話」とは、たとえばビートルズの「Abbey Road」、ニール・ヤングの「Harvest」、由紀さおりの「生きがい」、テレサの「つぐない」のあたりである。「別れの旅」「面影平野」もそれになる。
 これからインターネットのない山奥の世界に往く。せっかくオシャレな街に来ているのに、Wifiがあったがために「ひたすら日々『藤圭子論』の修正のみの生活」を送った。斎戒沐浴して日々精進の時間だった。もっと俗事に染まるはずだったのだが。それでも私なりの「藤圭子論」と「『流星ひとつ』の感想」を書けた。これはこれで貴重な思い出になるだろう。「大鵬」の時も思ったが、「書こう」と思った波が来たときに一気に書かないとあとではもう書けないのである。書けてよかった。長長のおつき合い、感謝。(完)
  1. 2014/08/20(水) 13:52:16|
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藤圭子&沢木耕太郎「流星ひとつ」考.25──私のロカ岬と「深夜特急」、テレビ版「深夜特急」

shinyatokkyu

 ポルトガルの西の外れにロカ岬がある。ユーラシア大陸最西端の岬だ。「ここに地終り、海始まる」の碑が建っている。私が初めてここを訪れたのは1991年の秋だった。島国育ちの日本人らしく、あちこち異国の端っこに行くのは好きだが(笑)、べつに大航海時代を偲んでやってきたわけでもない。沢木耕太郎の「深夜特急」に感激し、悩んだ末に彼がゴールと決めたロカ岬に、自分も行きたいと思ったのだ。「深夜特急」を読んでいなければ来るはずのない地だった。

 それでも見渡す限りの海を見れば、「地球は丸い」が定説ではなかった時代、ここから航海に旅立つのは度胸が要ったろうと感激する。丸いと知っているから丸く見えるが、あのころは海の果ては轟々と瀧になって落ちていると思われていたのだ。

 新大陸なんていいかたは、侵掠者のキリスト教信者白人から見た解釈であり、元々の住人はそこにいるのだから「新」であるはずもない。白人の征服主義、キリスト教の侵掠が世界をおかしくしたと考える私だから、「深夜特急」のゴールの地に行きたいと思わなければ、その出発点であるこの地は縁のない場所だった。


 
 沢木が藤とパリの空港で会ったのは、このユーラシア大陸横断の旅が終り、そろそろ日本に帰ろうとしていたときだったのである。なんとまあいろんな運をもっているひとであろう。しっかりそれが後に繋がっている。この旅を十年後に沢木は「深夜特急」として世に出し、高い評価を受けるのだが、それより五年前、旅の終った五年後に、しっかりとそのときの出会いであるこれをこの(未発刊ではあったが)『流星ひとつ』で役立てていたのだ。

 私が背筋をゾクッとさせたエピソードとは、この『流星ひとつ』が、あの「深夜特急」と兄弟だったことにある。「あの、ユーラシア大陸横断旅行から帰国するときに、パリで藤圭子にあっていたのか……」
 ほんとに、沢木さんてひとは「もっている」のだ。

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shinyaDVD

 脱線するが、「深夜特急」と言えば、名古屋テレビが制作しテレ朝系で放送された大沢たかお主演のものを思い出すひとも多かろう。中には原作は読んでなく、「深夜特急」とはイコールこれだというひともいるかもしれない。

 私はこの作品に興味がない。一応我慢して最後まで見たが、なんともはやつまらなかった。理由は明白、これは制作された1996年から1998年の映像だからである。それはもう私の充分に知っている〝世界〟だ。

 私にとって沢木の「深夜特急」が魅力的だったのは、彼がそれを実行した1974年ごろの世界にあり、それは自分の知らない時代の他国だった。だから興奮した。つまりテレビ版「深夜特急」の映像は、すでに世界を巡った私の知っている時代なのである。だから興味が湧かない。さらには「90年代になってからはもうアジアもつまらなくなった」と言われるようになっていた。事実その通りなのだ。その90年代も末期なのだから興味が湧くはずもない。スタッフは当時の雰囲気を出そうと、よく努力していたようだが、現実を知っているこちらからすると、なにをどうしようともそれは私の知っている90年代末期のアジアであり、沢木の旅した時代とはちがいすぎていた。
 
 しかしまた何も知らなければあれはとても良質な番組で、愉しんだひとも多かったろう。だから決して否定ではない。そこは誤解しないで欲しい。あれはああいう世界に憧れる、まだああいう世界を知らない若者には、充分刺戟的なすぐれた映像であったろう。あれをきっかけに世界に飛びだした若者も多いにちがいない。でもあれではもう興奮できない私、もまた個人的真実なのだ。 (続く)
  1. 2014/08/17(日) 13:41:14|
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藤圭子&沢木耕太郎「流星ひとつ」考.24──もっている沢木耕太郎

ryusei

 パリの空港で初めて会った5年後のホテルのバー。1979年。『流星ひとつ』のインタビュー。今回が初めてではなく、前回のパーティも初めてではなく、じつはあのパリの空港のキャンセル待ちのとき世話を焼いた日本人が自分なのだと沢木は名乗り出る。
「あなたは、オレンジ色のコートを着ていました」

 次第に藤の中にも、5年前のパリの空港、おそらくお忍びのプライベート旅行だったのだろう、言葉が通じず困っていたとき、助けてくれたあの長身の日本人青年の面影が浮かんでくる。「ああ、ああ、あのとき、たしかに……」と。
 それがいま自分にロングインタビューをしている新進気鋭のノンフィクションライター沢木耕太郎なのだと知ったときの藤の昂揚感。私もまた「まったく沢木耕太郎ってひとはすごいなあ」と背筋をぞくぞくさせながら読み進んでいた。こんなことを知ったら誰でも運命を感じてしまうだろう。ふたりが恋に落ちる伏線は5 年前に張られていたのだ。


 
 しかしこのことだけを取りあげるなら、それはさほどのことではないように思う。いや充分に「さほどのこと」ではある。だって藤圭子なら、後の奇行で有名になるが、このときだってファーストクラスは可能だったろう。それがなぜあのロシアの、評判最悪のアエロフロートなのだ(笑)。極貧旅行の沢木はともかくも。そういう意味では、ふたりを出会わせるように神様がセッティングしていた、とも言える。だからまあこれだけで充分に劇的な出会いではあるのだが、私が「まったく沢木さんてのはもってるひとだよなあ」と感激したのにはもうひとつの理由がある。



 横浜国大を卒業してノンフィクションライターを志した沢木は、26歳ですでに「若き実力者たち」「敗れざる者たち」と高評価の二冊のノンフィクションを出していた。私は「若き」には将棋の中原さんが、「敗れざる」には競馬のイシノヒカルが登場するのでともに読んでいた。順風満帆な沢木はあまりに順風過ぎる故に、敢えて一度休憩を取る。ここが沢木耕太郎の沢木耕太郎たるゆえんだ。なんともかっこいい。賢い。そしてユーラシア大陸横断の旅に出る。26歳から27歳にかけての一年間だ。その旅もまた大きな自分の功績とする。(続く)
  1. 2014/08/16(土) 13:38:21|
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藤圭子&沢木耕太郎「流星ひとつ」考.23──沢木耕太郎、藤圭子、パリでの初めての出会い

ryusei

 『流星ひとつ』を立ち読みしていた私が思わず背筋をゾクっとさせたのはふたりの出会いの箇所だった。
 インタビュー開始の時、「はじめまして」と藤が言い、沢木が「はじめてじゃないんですよ」と応じる。すぐに藤が「あ、先日のパーティで会ってるもの、初めてじゃないよね」と返すが、沢木は「いや、その前に会っているんです」と言う。


 
 インタビューする1979年から5年前のパリ。一年間の放浪の旅を終え、帰国しようとする沢木はアエロフロートのキャンセル待ちでパリの空港にいる。いくら安売りチケットとはいえ「他人名義」というとんでもないシロモノである。当時はそれが出来たらしい。パスポートチェックが無事に済めば、他人の名前の航空券でもチェックインできたらしいのだ。信じがたい(笑)。さすがの沢木も、「これでほんとに搭乗できるのか」と半信半疑でキャンセルを待っている。

 そこに三人の日本人がやってくる。中年の男性と娘ふたり。ひとりは日本人形のように整った容姿、肌がきれいだ。もうひとりのむすめもとてもかわいい。ひさしく外国を流離っていた沢木は、久々に見る日本人娘のきれいさに感激する。
 
 沢木も三人組もキャンセル待ちの状態である。だがその三人組は、ことばが通じず、待たねばならない現状が理解できないようだ。沢木はでしゃばりと思いつつも、同じ日本人として、日本語でそれを三人に説明してやる。三人もやっと納得する。



 その後のアエロフロートのキャンセル待ち搭乗は、沢木までで打ちきりとなる。沢木は乗れない三人を気にしながらも機上のひととなる。そうなってから、さっきの人形のようにきれいだった娘は歌手の藤圭子じゃないかと気づく。一年間日本を離れていたが、なぜあの大スターの藤圭子に気づかなかったのだろうと不思議に思う。
 パリの空港。藤圭子23歳、沢木耕太郎26歳、これがふたりの初の出会いである。(続く)
  1. 2014/08/14(木) 13:17:55|
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藤圭子&沢木耕太郎「流星ひとつ」考.22──沢木の『流星ひとつ』を買うひと、とは

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 多摩センターの啓文堂で『流星ひとつ』を立ち読みしているとき、私に購入の意欲はなかった。沢木の新刊だし、そのうち図書館にはいるだろう。そうしたら借りて読んでみよう。それぐらいの気持ちだった。買うなら文庫本になってからでもいい。それだけ私の中でも藤圭子は過去のひとだったことになる。沢木耕太郎もまた全作品を読んでいるけれど、かといって新刊が出たらすぐに買う、というほどのファンでもない。ただ、どんな作品も、絶対に無視できないすばらしい作家ではあるけれど。
 
 ところが立ち読みで〝とんでもないエピソード〟を知り、思わず背筋がゾクっとするほどの興奮を覚えた。私は迷わず本を手にしてレジへと進んでいた。


 
 電車の中でも読み進め、インタビュー構成という読みやすいものだから、その日のうちに読了したのだが、ブログに感想を書く気はなかった。話題の芸能ネタであるし、作者は人気の沢木耕太郎である。ベストセラーとなり、そこいら中に感想があふれると思っていた。
 
 ところがそうでもなかった。さほど売れなかった。それほど藤圭子は過去の人なのだろう。テレビのワイドショーではどうだったのだろう。藤が死んだときには日本にいなかったでテレビは見られなかった。ワイドショーでは、この本を取りあげて、ふたりの恋愛関係にも触れ、テーマとしたりしたのだろうか。いまその種のテレビをまったく見ないのでわからない。



 過去のひとである藤圭子の1979年、34年前のインタビューを読みたいと、この本を購入するのはどんなひとだろう。
 まず「誰がなんと言おうと藤圭子こそ最高の演歌歌手。大好きだ、最高だ」という演歌ファンは、沢木のこんな本は読まない。こんなものを買う習慣がない。彼らは日夜自殺してしまった彼女の歌を聴き、一緒に歌って鎮魂する。

 演歌歌手・藤圭子のファンが買わないとしたら、誰が買うのか。購入者として考えられるのは、一般読者からマスコミ人にまでコアなファンを多数持つ沢木耕太郎だから、「沢木さんの本は全部好き。全部買う」というひとたちだろう。この本を支えたのは「藤圭子ファン」よりも、こういう「沢木耕太郎ファン」だろう。いわば「本好き」のひとたちである。



 ではそれらとはまた別の、フツーのひとで、この本を買うのはどんなひとだろう。と考えて、自分が典型的なそれであることに気づく。

 すなわち、1970年の「藤圭子現象」を知っている世代、ヒット曲だけではなく、社会現象としてのそれを体験していて、そこに思い入れをもっている人々、である。「五木寛之の造語の〝怨歌〟」なんてのを知っているのも一条件となる。
 それがどれくらいいるのかわからないが、ベストセラーにならなかったことを思うと、さほどの数でもないのだろう。いや、購入者の数よりももっともっといると私は思っている。でも私が彼女の死を知ったとき、感想というか当時の思い出を書こうと思いつつも、「ま、それぞれが心の中にもっていればいいことか」と諦めたように、本屋でこの本を目にしつつも、あるいは一度は手にしながらも、「あの当時の藤圭子の思い出はオレの心にあればいい」と購入しなかったひとも多いように思う。

 私も前記の〝とんでもないエピソード〟がなければ、すこし立ち読みして、懐かしいような物悲しい想いにとらわれた後、、「自分の心の中にあれば、それでいい」と、購入もしなければ、こうしてブログに書くこともなかった。



 世間ではどんな評判なのかとAmazonのブックレビューを読んでみた。みなとてもよく書けていて、上手な文も多いのだが、なんとも悲しいことに、それはみな「宇多田ヒカルのファン」なのだ。藤圭子は彼女の母親でしかない。もちろん当時の輝きなど知りはしない。これはいくらなんでも悲しい。藤圭子の死は藤圭子の死、なのだ。「宇多田ヒカルの母親の死」よりも前に「藤圭子の死」でなくてはならない。そのとき、遅ればせながら私なりに藤圭子を偲ぼうと思った。(続く)
  1. 2014/08/13(水) 13:16:46|
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藤圭子&沢木耕太郎「流星ひとつ」考.21──いま発刊する理由、元夫と実娘の想い、もうひとつのif

ryusei

 34年間伏せてきた作品を、なぜ今ごろ、藤圭子の自殺のあとに緊急出版することにしたのか。「葬式商売」「ひとの不幸で儲ける」との批難は避けられまい。それは完全主義でありデビュー以来爽やか路線を貫いている沢木耕太郎には似合わない。そう言われることを承知でなぜ出版に踏みきったのか。
 沢木はその理由に「後記」の中で触れている。とてもよくわかる理由だったが、同時にある種の確執も生むのではないかと気になった。結果、その通りになる。



 沢木は封印していたインタビュー構成の本──1979年にしたインタビューを2013年に発刊だから34年ぶり──をいま発刊する理由として、藤の自殺後の元夫・宇多田と実娘ヒカルの発言をあげていた。元亭主と娘は藤圭子の死を「長年精神を病んだ末に死んだ」としていた。今までの苦労もいくつか披露していた。それは事実だろう。一緒に暮らしていたふたりの話である。夫と娘の話なのだ。藤のいくつもの奇行からも彼女が精神を病んでいたことは推し量れる。その病の果ての自死だった。
 
 それに対して沢木は、「元夫と娘により、そう片づけられてしまっては気の毒だ。そうではない時代の藤圭子を伝えたいと発刊の決意をした」と言う。これはこれで意義がある。だが他人からそう言われたら、元夫と実娘が愉快のはずはない。なにしろ「6回の結婚離婚を繰り返した仲」なのだ。



 なぜこの時期に『流星ひとつ』を出したかの理由について、沢木は
インターネット上の動画では、藤圭子のかつての美しい容姿や歌声を見たり聴いたりすることができるかもしれない
 とした上で、「だが」と続ける。

彼女のあの水晶のように硬質で透明な精神を定着したものは、もしかしたら『流星ひとつ』しか残されていないのかもしれない。『流星ひとつ』は、藤圭子という女性の精神の、最も美しい瞬間の、1枚のスナップ写真になっているように思える
 とし、娘宇多田ヒカルが、この本を読むことによって初めての藤圭子に出逢えるのではないかと結んでいる。(太字は沢木のことば、そのまま。)
 
 私もそう思う。宇多田ヒカルは、精神を病む前の母親の、権力に媚びない、実にかっこいい精神を見て、我が母に惚れなおすことだろう。ここにある藤の姿はヒカルが生まれる前の、知らない時代の輝きだ。
 
 だがこれは元夫・宇多田に元恋人・沢木がケンカを売ったことにもなる。「アンタは藤圭子は精神を病んで自死したと言っているが、おれはアンタが出会う前の、最高に輝いていた藤圭子を知っている」と言っているのだ。それを本にしているのだ。しかも「元恋人」が。

 藤は、デビューした頃が40キロ、その後は沢木とのインタビューのころの28歳時でもずっと36キロというか細い躯である。私は、藤の肉体にデビューのころから興味はなく、よからぬ妄想を抱いたことすらないが、すくなくともそれを沢木は宇多田よりも前に知っている。その男の、いまになってのこの発言は、元亭主にとって気分のいいものであるはずがない。
 沢木はこの本を宇多田に贈ったらしい。宇多田がそのことにツイッターで触れ、批難しているのも当然の流れだった。



 藤圭子の自殺、親族だけによる葬儀、そして毎度あの一家では定番なのだが、波風を立てる藤の実兄の発言、それに反撥する宇多田父娘の発言、藤の死後、あいかわらずのニュースが続いたようだ。(私はそれらに興味を持って追ったわけではないが、海外から帰国後ネットで調べてそれなりに知った。)
 精神が不安定で、奇行が続き、結果的に年下の男性と同棲していた新宿のマンションから飛降り自殺、という藤圭子の結末は、なんともかなしいけれど、彼女の最後らしいとも思っていた。
 
 しかしそれだけで片づけられ、忘れ去られて行くとしたら、あまりに気の毒だ、自分の知っている藤圭子の透明な精神を伝えたい、という沢木の気持ちもわかる。私はこの本を読んで良かった、よくぞ出してくれた、と思っている。あの衝撃のデビューのころを思い出し懐かしんだ。いい本だと思う。しかしまた家族の「おまえなんぞになにがわかるんだ!」「今更でしゃばるな!」の気持ちも解る。



 そしてまたifとして、あのとき約束通り沢木がアメリカに行き、ふたりが一緒になったなら、藤にはまったく別の人生が展開した、精神を病むことにもならなかったかもしれない。いや、関根と河村が破綻したように、藤と沢木も長続きしなかったかも知れない。どんな道をたどっても、けっきょくは藤は宇多田と出会いヒカルを産んだのかも知れない。

 元夫が藤と沢木のことをどこまで知っているか(=藤がどこまでしゃべったか)知らないが、心の奥底には「おまえだけには言われたくない」のような気持ちもあったのではないか。(続く)
  1. 2014/08/11(月) 13:11:57|
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藤圭子&沢木耕太郎「流星ひとつ」考.20──l『流星ひとつ』と出会った多摩センター

ryusei

 私が『流星ひとつ』という沢木耕太郎の本を目にしたのは、初めて行った京王多摩センターという駅の本屋だった。啓文堂。2013年10月10日午後1時。藤圭子の自殺から二ヵ月ちかく経っている。
 
 多摩センターというのは奇妙な街で、駅前のあたりを歩いていると、まるでゲーム「SimCity」の一員になったかのような錯角を覚えた。もともとそういう理想の街を夢見て、なにもない地に未来的に開発されたものなのだろう。定木で引いた直線で作ったような人工物。あのときの奇妙な感覚はいまも覚えている。開発されたのはもうだいぶ前のようだし、長年あそこに住んでいるひとは、こんなことを言われても困るだろうが、私が初めて訪れたこの駅前で、SimCityの一員になったような錯覚で目眩がしたのは事実である。私にはとても住めない町だ。



 翌日、今度は板橋の大山というところを訪ねた。こちらも初めての町である。こちらは対象的に、細い路地がうねり、ごみごみした感じの、江戸時代の宿場町、女郎町として栄えた板橋宿の雰囲気がいまも残るようなところだった。ほっとする。ここなら住んでみたい。すこし住んだらすぐに馴染みの居酒屋が二、三軒出来るような親しみやすい感じを受けた。

 『流星ひとつ』を、その奇妙な感じを受けた多摩センターで買ったというのは私の中でワンパックになっている。藤圭子を、『流星ひとつ』を思い出すたび、「あの奇妙な街、多摩センターで買った」と思い出すことだろう。

※ 

「おっ、沢木の新作だ。藤圭子の本か」と立ち読みを始めた。まずはあとがきを読み、それが三十年以上前のインタビューであることを知る。今まで刊行されてない沢木の数少ない作品である。何年か前「沢木耕太郎全集」発刊時に初収録をしようかと思い、許可を得るために世界のどこかにいるはずの藤圭子の連絡先を探しまくったが見つからず、断念したと書いてあった。(続く)
  1. 2014/08/10(日) 13:09:19|
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藤圭子&沢木耕太郎「流星ひとつ」考⑲──「河村季里と関根恵子の逃亡劇」の影響??

ryusei

 『流星ひとつ』を読んでいると、育ちも、今まで歩んできた経歴も、すべてが異なる沢木と藤が、たがいにあまりにちがうからこそ、ことばを交しつつ、次第に惹かれあって行く様子がびんびんと伝わってくる。それを読みつつ「河村季里と関根恵子」を思い出した。

 あのころ雑誌「GORO」で作家・河村が女優との対談をやっていた。河村が人気女優に真正面から露骨なほどに性体験と、その現場を問う。女優もそういうものと承諾しての出演だから、腹をくくってペッドでの自分を赤裸々に語る。なかなかに刺戟的な人気企画だった。
 そのうちのひとりの関根と河村は恋仲になり、ふたりは岐阜の山奥で隠遁生活を始める。その暮らしは二年間ほどで破綻する。いや文明と縁を切ったかのような二年は充分に長かったと思う。
 だが芸能界に復帰した関根は、またしても主演の舞台を、開幕前夜に抛りだして行方不明となる。後に海外に逃亡したとわかる。同行した男は別れたはずの河村だった。当時、大きな話題となった。



 あのときの対談の雰囲気が『流星ひとつ』の沢木と藤に似ている。

 関根は北海道の田舎育ちで美貌の無学な娘である。15歳のとき映画「高校生ブルース」で主演デビュー。いきなりヌードになったことも話題になった。河村と対談したときは21歳ぐらいか。その前に「初体験は小学校6年」と発言していたが、この時の対談でそれが強姦であったことを告白している。立て続けにヌードになり奔放な女優と言われていた。いろいろと自分のありかたに悩んでいたらしい。
 河村は知的な作家(作品を読んだことがないので知らないけど)であり、博識な年上の男性である。32歳。

 互いに自分にはないものに惹かれあう。あのとき関根は河村に自分を導いてくれる光を見たであろうし、河村は光り輝く珠を掌中にした気分だったろう。そして突如芸能界を引退しての山中での隠遁生活。
 二年間のそれは、「関根の河村からの卒業」という形で幕を下ろす。

 河村と別れた関根は芸能界復帰する。まずは舞台に起用された。なのに主演舞台初日前日に失踪する。ひさしぶりの芸能界復帰、初の主演舞台の重圧にパニックになったのは解るとしても、こんなことをされたらたまらない。関係者、競演者は途方に暮れたろう。後にふたりはタイのバンコクに潜伏しているのをマスコミに発見される。まともなら芸能生命は終りだろう。
 しかし芸能界というのはそれを許してくれる。やがて関根はまた復帰し、出演作で知りあった高橋伴明監督と結婚する。ふたりのあいだに出来た娘は子供を産み、関根(現高橋)にはもう孫がいるというから、私はいまずいぶんと旧い話を書いていることになる。


 
 同じような形で、関根に似た環境に育ち、同じく好き放題のことをマスコミに伝えられながらもじっと耐えてきた藤28歳が、今まで出会ったことのない知的な男性として、沢木31歳に惹かれてゆく感覚が、『流星ひとつ』から、染みこむように伝わってくる。



 私は、関根の舞台放棄、河村とのタイ逃亡劇を伝えるマスコミ情報をリアルタイムで見聞した。当時、週刊誌やテレビの芸能ニュースも大騒ぎしていた。かといって今、詳細な時期まで覚えているわけでもない。今回確認して驚いた。この沢木の藤圭子インタビューがなされたのと同じ*1979年なのである。

 取材者と取材対象者の枠を越え恋愛関係に陥った藤と沢木は、先に藤がアメリカに行き、あとから沢木が追って、アメリカで落ちあうはずだった。しかし心変わりした沢木が渡米をやめ、アメリカにいる藤は梯子を外された状態になった、というのがふたりの「恋愛の顚末」として今も伝わる話だ。そして傷心の藤が知りあうのが宇多田だと……。

 沢木が翻意する理由に、「関根恵子の逃亡劇」は関係あっただろうか。
 当時の沢木は最高の伸びしろを期待され刮目されるノンフィクションライターとはいえ、まだまだ若手である。一方の藤は、何のかんの言おうと芸能的にはスターだ。衝撃のデビュー、社会的話題となったあのころから十年が経っている。しかも突然の引退で注目されている。もしもふたりのそれが実行されたなら、「引退した藤圭子は、アメリカで新進気鋭のノンフィクションライターと同棲中」と週刊誌やテレビの恰好の話題となったろう。この時点でテレビを見る多くの視聴者は沢木耕太郎なんて知らない。扱いは「関根恵子と河村季里」と同じである。そんなことをあの誇り高い沢木が受けいれるはずがない。

 河村季里・関根恵子の「愛の逃亡劇」と、スキャンダラスにそれを伝える芸能マスコミを見て、沢木が冷静になり、藤との恋愛をあきらめた、という解釈はなりたつだろうか。(続く)

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【追記】──*1979年について

  この文は最初「GOROで対談した関根と河村が恋仲になり、舞台を抛りだした関根がタイに逃亡したのが1979年」と書いた。しかしどうも心の奥の記憶がすこしちがうぞと囁いてくる。私の記憶では、《GOROで知りあった関根恵子と河村季里は、長野だか岐阜だかの山奥で文明とは懸け離れた生活を、2年か3年した後、それが破綻してふたりは別れる。関根は芸能界に復帰する。しかしそれがうまく行かず、またも仕事を抛りだして行方不明になる。関根と一緒に逃避行した男は誰かと思ったら完全に切れたはずの河村だった。しばらく後、タイのバンコクに隠れているところを芸能マスコミに見つかる。》となる。

 いろいろ調べてみたが、郄橋恵子が「河村季里」という名を自分史から消してしまっているので判りづらい。数年前、東スポに連載した自伝(語りを記者が構成したもの)でも、岐阜の山奥での生活は、自分ひとりでしたかのようになっていた。ここまで完全に存在を消されてしまうと河村が気の毒になる。でもそんなものか、世の中。
 とりあえず「1977年から79年まで岐阜県の山奥で晴耕雨読の日々を送っていた」とわかる。私にとってスキャンダラスなのはこっちだった。「関根恵子事件」というものがあるとすると、私には、「舞台放棄事件」よりも、突如引退して山奥隠遁生活を始めた1977年になる。

 79年に芸能界に復帰したが、またも舞台をすっぽかしていなくなる。後に発見されたのはタイだった。どうやら私の記憶にまちがいはないようだ。最初に書いたように「愛の逃避行」を1979 年にすると、山奥での隠遁生活はその後になってしまうのだが、そうではない。77年からふたりは岐阜県でそれをしていた。79年のそれはその後の話である。

 いずれにせよ沢木は、1979年の芸能スキャンダルであった「関根と河村のバンコク逃避行」も、その前の1977年の「対談をきっかけにして親しくなり、突如引退、山奥での隠遁生活」も知っていただろう。スキャンダラスに報じられたそれが藤と沢木の恋愛に多少は影響したであろうか、という話だから、年代はこれでいいことにする。 以上、すこし気になったので追記した。

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【補記】──つい先日、この当時の「GORO」で沢木も仕事をしていたと知る。となると、齢の近い同業者の河村と親しかった可能性もあるし、上の文を書いたとき私は、《沢木は「関根・河村事件」を芸能事件として、それなりに知っていたのではないか?》と推測したのだが、当時の「GORO」の執筆者だったのだから、もっと身近な事件だったことになる。それがふたりの破綻の原因かどうかはともかく、「関根・河村事件」を沢木が意識したのはまちがいないだろう。(2015/1/6)
  1. 2014/08/09(土) 13:08:11|
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藤圭子&沢木耕太郎「流星ひとつ」考⑱──沢尻エリカのふてくされた「別に」と、藤圭子の肝の据わった「別に」

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 このインタビューは、沢木が若かったのか、それとも意図的なのか、かなり彼の青い部分が出ている。たとえば「お金なんかいらない。お金なんかなくても暮らして行ける。あったらじゃまだ」のような乱暴な意見を沢木がいい、金銭で苦労してきた藤が生真面目に、「そんなことないよ、お金は大事だよ、お金はあったほうがいいよ」と応えたりしている。

 藤はこどものころ生活保護を受けていたことを言い、まったくお金がなかったから、祭りの後の寺社に出かけ、5円玉10円玉を拾えたよろこびを語っている。藤は28歳のこのころ、ろくでもない男に貢いでしまう自分、なんでもひとにあげてしまうことを語っている。「新宿の女」でデビューした頃はまだ処女であり、その歌の中身とは無縁だったが、21で前川と離婚してからは、もろに「新宿の女」の歌詞そのものの恋愛をしていることを吐露している。

※ 

 仕事に関しても、沢木のほうが保守的な意見を言う。藤は「紅白歌合戦に落選した。おおいにけっこう。NHKは自分を必要ないと拒んだ」と解釈する。だから藤は「もうNHKには一切出るのをやめよう」と思うのである。ところがプロダクションの社長やマネージャーは「とんでもない」となる。なんとかまたNHKに出させてもらおうと頭を下げるのだ。そんな連中を藤はくだらないと思う。もしもそのとき賛同して、一緒に行動してくれるスタッフだったなら、自分の芸能人生もちがう展開になったはずと。

 藤の一本気な意見に、沢木が「NHKに出られなくなってもいいの?」と問う。その種の問いに藤が連発するのが「別に」なのだ。ここで沢木から「まったく、女にしておくのは惜しいほど男っぽい」という讃歌が出る。


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 「別に」と言えば近年では沢尻エリカである。しかしその30年以上前に「別に」の元祖がいたことになる。
 沢尻の「別に」は、映画「クローズドノート」の公開の場で出たものだった。司会者から感想を問われる。立場上そつなく受け答えすべき場なのに、そっけなく「別に」と応えたことから紛糾したのだった。

 沢尻はあの噴飯物の朝鮮映画『パッチギ』の、「かわいい朝鮮娘役」で名を成した。しかしまあよくもあの役に沢尻を起用する。きれいすぎる。あれは若作りした柳美里に制服を着せればいい(笑)。容姿的にもそのほうが適役だ。

 沢尻は、美貌のヒロインとしてすでにいくつもの作品に出ていたが、それなりの大作?の本格的主演はこれが初めてだったのだろう。今回調べて、私がレンタルヴィデオで見た「間宮兄弟」にも出ていたと知る。そうだったか。うん、出ていたな、そういえば。
 これは「パッチギ」で名を売った沢尻の勝負作だった。いかにもな芸能人なら、試写会の場で、涙を流して感激せねばならない。なのに「別に」だったから問題となった(笑)。
 その後一転して涙を流して謝ったりしている。だったら最初からやるな。いずれにせよガキのふて腐れの領域を出ていない。でも彼女もまた藤圭子に通じる「芸能界の体質と合わないひと」ではあるのだろう。



 藤圭子話とは関係ないが、この「クローズドノート」ってのはひどい映画だった。当時、あまりに腹立ったので怒りの感想文を書き始めたのだが、くだらんことにエネルギーを使うのはよそうとやめた。これがろくでもない映画だという持論を引っこめるつもりはないが、といってそれは沢尻の責任ではない。沢尻も竹内もきれいだった。満点だ。京都の町並みも美しい。その辺に問題はない。根本的な疑問は、そもそもこの物語が成立しているのか、ということにある。なんともアホらしい映画だった。原作はどうなのだろう。まともなのか。読んでいない。
 沢尻の作品ならこのあとの「ヘルタースケルター」のほうがずっといい。マンガのイメージをよく出している。


 
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 沢尻のそれと比すと藤の「別に」は肝が据わっている。
 藤が「別に」と応えるのはすべて前記のような他者との関わりの場面だ。藤は一歌手として素朴に歌って行ければいいと思っている。人気を得るために高視聴率のテレビ番組に出たいとは思っていない。大権威のNHKに阿る気もない。芸能雑誌に媚びを売る気もない。ドサ周りの演歌歌手として、そこそこ食える程度のものがもらえて、好きな歌が歌えればそれでいいのだ。マスコミの寵児でいたいと思っていない。マスコミなど信じていない。関わりたくない。ウソばかり書かれてきた。これからもウソばかり書いていろと突き放している。沢木が「そこまで言ってしまっていいのか」と心配するほどだ。

 このインタビューでは、沢木のほうが俗物に成り切り、上手にその藤の侠気を引き出している。
「芸能界を引退してだいじょうぶなの、お金入らなくなっちゃうよ?」
「NHKとケンカしてだいじょうぶなの、NHKに出るってすごく価値があるんじゃないの?」
「週刊誌を冷たく突き放してだいじょうぶなの、機嫌をとっておいたほうがいいんじゃないの?」
 俗的な心配をする沢木に、藤が連発するのが「別に」なのだ。「また出たね、得意の『別に』が」と沢木が苦笑する感覚でインタビューは進展して行く。

 それら、会話のあいまから、沢木が「女にしておくのはもったいない」と感嘆するほど筋の通った考えの一本気な藤に、次第に惹かれて行く様子もまたくっきりと見えてくる。(続く)
  1. 2014/08/08(金) 13:06:39|
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藤圭子&沢木耕太郎「流星ひとつ」考⑰──引退後、勉強したいと願う藤圭子

ryusei

 『流星ひとつ』の構成は、「沢木耕太郎が藤圭子にインタビュー」というよりも、ホテルのバーで酒を飲みつつ、ふたりの自然な会話のような形で進行する。そんな中、藤圭子が連発する「別に」が新鮮だ。

 沢木がこのインタビューを思いついたのは「なぜいま藤圭子が芸能界を完全引退する必要があるのか!?」という素朴な疑問からだった。藤はしばらくかつてのような大ヒット曲は出していないが、演歌歌手としては安定期であり、いわばいちばんオイシイ時期である。『流星ひとつ』でも28歳のいま、年収が5千万であることを明かしている。その環境を捨て、なぜそれほどに引退を急ぐのか!?



 そのしばらく前に沢木は藤と〝初対面〟している。藤と面識のある友人に頼み、パーティ会場でことばを交わしているのだ。そのとき藤は「引退しようと思っている」とつぶやいた。

 しばらく後に、テレビでの引退会見となる。それを見て沢木はインタビューを申しこむ。インタビュー嫌いの藤だったが、受けいれられて実現した。



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 この時点で藤は、今までさんざん経験してきた、毎回同じ事を聞いてくるインタビューというもののつまらなさ、あらかじめ結論を出していて、そこに誘導しようとする芸能マスコミのくだらない構成に呆れはてている。なのに沢木の申しこみを受け、沢木の著書「敗れざる者たち」を読んでその場に臨むのだから、互いに惹かれあうものが初対面の時からあったのだろう。読んできたことを藤が言うと、読んでくれたんだと沢木もうれしそうに反応している。最初から気が合ったのである。

 引退して、これからやりたいことを問うと、藤は「笑わない?」と確認してから、「勉強したいんだ」と語っている。アメリカに渡って英語を学びたいと。「遅いかな?」に、「そんなことはない」と沢木は励ます。

 藤は学校の勉強が出来たという。父母の手伝いでどさ回りをし、出席もままならなかったが、成績は4と5ばかり、3を取ったことはないと語っている。勉強が出来たのに進学できなかった彼女にとって、あらためて勉強したいというのはあたらしい世界への希望だったのだろう。そしてまた心底うんざりしていた日本の芸能界、マスコミと縁を切るために、アメリカを選んだのも自然だった。 (続く)
  1. 2014/08/07(木) 12:51:12|
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藤圭子&沢木耕太郎「流星ひとつ」考⑯─沢木耕太郎と藤圭子の恋愛

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 単行本「流星ひとつ」の構成は、ホテルのバーでの一夜インタビューのようになっている。ウオトカのソーダ割を飲みつつ、章タイトルを「火酒」とし、「1杯目(第1章)」「2杯目(第2章)」と進んで行く。インタビューは一夜限りのようになっている。むろん叮嚀な仕事をする沢木がそんな雑なことをするはずがない。そういう体裁、構成を取っただけで、実際には場所を変えつつ、長い時間を掛けて、何度もインタビューされて仕上げられたものだ。

 その何度かのインタビューというふたりだけの時間に、沢木と藤は恋愛関係に陥る。引退した藤がアメリカに渡ったのは、あとから沢木が来ることになっており、それを待っていたからだ。だが土壇場で沢木は心変わりし、渡米しなかった。
 傷心の藤は、後に宇多田と出会い結婚、娘ヒカルが生まれて、というのは長いあいだ囁かれている話である。



 今回この「流星ひとつ」を出したことにより、その話題は再燃した。沢木に確かめようとしたマスコミ人もいた。沢木は「当時お互いに惹かれあったのは事実」とまでは認めつつ、「でも恋愛関係(=肉体関係)にはなかった」のようなコメントを出している。
 
 その真偽を探る必要はない。それはこの「流星ひとつ」を読めばわかる。今回の出版に当たり、なにしろあの完全主義者の沢木耕太郎であるからして、原稿には相当に手を入れ、それらの痕跡は隠したろう。
「たった一冊の本」をアメリカの藤に送ったとき、それを読んだ藤が「あのあとがき、大好きです」と返事を寄こしたと、そのことには触れながらも、肝腎の当時のあとがきは、紛失したとして出していない。巧みとも言えるし、狡猾とも言える。

 この本が出た頃、それは卑怯だ、狡いと批難したブログ文を読んだ。たしかに肝腎のそこから逃げてしまっているのはずるい。といって正面切って出すことも出来まい。
 しかしそれでもここには「互いに出会ったことのないタイプ」として、もろに惹かれあう男女の息吹が色濃く漂っている。それで十分ではないか。新進気鋭のノンフィクションライターのインタビュアーとインタビューされる引退間近の芸能人、ではなく、互いに人生を語る恋人同士であることが、びんびんと伝わってくる。マスコミというものを信じず、芸能週刊誌にさんざんウソばかり書かれてきた藤が、「こんなひともいるんだ!」と沢木に惹かれてゆく様子が、沢木がまた、芸能界という特殊な世界なのに「こんな透明な感性をもったひともいるんだ!」と惹かれて行く様子が、痛いほどに伝わってくる。思わず、「おいおい、熱々だねご両人」と、グラス片手に見つめあっているふたりに嫉妬して茶々を入れたくなるほどだ。(続く)
  1. 2014/08/06(水) 12:48:56|
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藤圭子&沢木耕太郎「流星ひとつ」考⑮──出来上がった『インタビュー=流星ひとつ』が発刊されなかった理由

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 藤圭子の突然の引退表明を知った沢木耕太郎はロングインタビューを申しこみ、受けいれられる。
 沢木が常に考えていたことはノンフィクションにおける「独自の方法」である。藤に対するこれは「インタビューだけ」で構成し、タイトルもそのまま「インタビュー」とする予定だったとか。つまりこの時点で──それはプロとして当然であるが──沢木は引退表明した藤に興味を持ちつつも、同時に自分のあたらしい手法への実験も強く意識していたことになる。しかし時と場を変えつつ、彼女に何度もインタビューしている内に、引退の決意の変らない藤の決意、「女にしておくのはもったいない」とまで感嘆する藤の侠気と潔癖さに、『流星ひとつ』というタイトルを思いつく。


 
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 このとき沢木は31歳、藤28歳。それまで沢木はもうすぐ新聞連載が始まる「一瞬の夏」(私小説+ノンフィクション=私ノンフィクションと呼ばれた、あのボクサー・カシアス内藤との話ですね)を、連載開始前に完全に完成させてしまおうと全力投球していた。しかしすでに体験済みの話である「一瞬の夏」よりも、これからの話である藤との対談をまとめることに夢中になり、それを抛りだして、この「インタビュー」を仕上げようとする。

 500枚を超えるそれは完成した。発刊準備OKである。が、「ここまで芸能界及び芸能マスコミを批判しているこの本を出したら、彼女が復帰するときの障害になるのではないか」と沢木は、「藤のもしかしたらの芸能界復帰」を懸念して出版を断念する。それほどここで藤は、芸能界の体質、芸能マスコミのどうしようもない下衆な部分を厳しく批判している。



 一冊だけ作ってアメリカに渡った藤に送った。そしてこのインタビュー構成の作品は、2013年10月という藤の死の二ヵ月後まで34年間眠ることになる。沢木の唯一の未刊行作品である。実際に藤は、二年後に芸能界に復帰したから、藤が芸能界や芸能マスコミに対して厳しい意見を言っているこの本が出なかったことは、復帰のためには役だったろう。

 いま読んでも、じつに手厳しく芸能界、芸能マスコミを批判している。そしてまた藤の発言を支持する気持ちになる。それほどこの世界はいいかげんだ。私は週刊誌の記事のつくりかたにうんざりした。
 しかしそこまで批判しながら、藤はこのわずか二年後には芸能界に復帰するのだ。もしも『流星ひとつ』が発刊されていたら、藤の復帰は難しかったろうし、よりひどいバッシングを受けたろう。しかしまた、発刊されていたら、沢木との恋愛が成就していたなら、藤は芸能界になど復帰しなかったかも知れない。



 さて、沢木がこれを発刊しなかったのは、もしかして復帰するときのために、という「藤圭子のため」だけだろうか!?
 ふたりの恋愛は成就しなかった。沢木が藤を追ってアメリカに行かなかったからだ。約束を反故にした。
 沢木がこの本を出さなかったのは、「藤圭子のため」以上に、「沢木耕太郎のため」ではないのか。

 数年前、沢木は初めて出される自身の「全集」にこれを収録しようと思った。藤から了解をもらおうと探したが外国を放浪している藤が捕まらず断念した、という。これも「もう今ならこれを活字にしても、沢木耕太郎ブランドが傷つくことはない」という判断からだったのではないか。藤と沢木の恋愛はもう遠い過去の話だ。藤は母として宇多田ヒカルという傑物を送り出し、沢木も家庭を築きノンフィクションの雄として聳え立っている。今ならこれを世に出しても、藤も沢木も傷つかない、そういう判断での「全集収録」ではなかったか。



「なぜ今!?」と問われる34年後の出版を、沢木は、「流星ひとつ」の後記で、精神を病んで自死した藤の、病んでいない時代、透明な精神の時期を、藤のファンに、とりわけ娘の宇多田ヒカルに知らせたかった、と主張している。

 しかしそれはあまりに都合のいいキレイゴトではないかと、死後タイミングよく発売されたこの本に対する批判も生じる。ノンフィクション界の雄である沢木と、自死してしまった、かつて格別の光を放った演歌界のスターのインタビュー構成の本だけであるなら、そんな批判は生じなかった。だがふたりは、このインタビューをきっかけに恋人同士になっていた。それは誰もが知っていたことである。そのことに一切触れず、「透明な精神の時期を知らせたい」では、いくらなんでも、となる。ずるいという批判は当然のごとく起きた。 (続く)
  1. 2014/08/05(火) 23:00:41|
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朝日新聞が慰安婦問題で一部反省──朝鮮が破滅する日

産経新聞 2014年08月05日10時29分
 
朝日新聞が慰安婦問題で一部反省、吉田証言「虚偽と判断し記事取り消します」

 朝日新聞は5日付朝刊1面と16~17面で慰安婦問題の特集を組んだ。

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 1面記事では「私たちは元慰安婦の証言や数少ない資料をもとに記事を書き続けました。そうして報じた記事の一部に、事実関係の誤りがあったことが分かりました。問題の全体像がわからない段階で起きた誤りですが、裏付け取材が不十分だった点は反省します」と書き、これまでの慰安婦報道での誤報を一部認めた。

 朝日が16回も取り上げた自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長、吉田清治氏の「慰安婦を強制連行した」との証言については「虚偽だと判断し、記事を取り消します」とした。

 また、もともと関係のない慰安婦と工場などに動員された女子挺身隊とを繰り返し混同した記事を掲載したことに関しては、「当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました」と間違いを認めた。

 一方、元韓国人慰安婦、金学順氏の証言記事で、「『女子挺身隊』の名で戦場に連行」などと実際の金氏の経験と異なる内容を書き、慰安婦問題に火をつけた植村隆記者(今年3月退社)に関しては「意図的な事実のねじ曲げなどはありません」と擁護した。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140805/plc14080510230007-n1.htm

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 国賊新聞がいまごろやっと認めても、南朝鮮は世界中にあの意味不明の「従軍慰安婦像」なんてのを建てまくり、日本軍が20万人の、30万人のいたいけな朝鮮人少女を拉致し、強姦し、性奴隷にしたと大嘘を喧伝している。
 最大の敵が身内に居るという不幸。こんな国は他にない。どこの国のマスコミモ、自国をあいし、誇っているのに……。

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 朝鮮における従軍慰安婦はアサヒシンブンとフクシマミズホらによる捏造だが、朝鮮人がベトナム戦争において、違法な残虐無差別殺人を犯したのは歴史的事実である。ベトナムはいまその準備をしているから、やがて国際法廷で裁かれることになろう。


 私はいままでに200人ほどのベトナム人と話した。全員が朝鮮人を大嫌いだと応えている。もっとも今まで50ヵ国ぐらいのひとと話しているが、朝鮮人を好きだというひとに会ったことはない。

 しみじみ朝鮮は愚かだと思う。世界中で朝鮮人を好きだと言ってくれるのは、韓流ブームとかに躍らされる日本人のバカだけなのだ。KPOPなんてのを好む日本人のカスだけなのである。それを大事にせねばならない。世界中で唯一、自分達を好いてくれる稀有な連中なのだから。なのに国を挙げての反日。今じゃそういうバカカスすらも嫌韓になりつつある。先の見えない盲だ。必死に墓穴を掘っている。



CHOSENHASI

 明治43年に日本は朝鮮を併合する。その当時の李氏朝鮮の様子だ。日本の江戸時代の橋と比べると、いかにこの国がひどい状態だったかが解る。糞小便はみな道路にした。当時のパリ・ロンドンなどもひどいものだが──ベルサイユ宮殿にトイレがなくみな庭でしていたのは有名──彼らですら朝鮮に来て、こんな不衛生な汚い首都は初めてだと記している。
 
 こんなものを引き受け、こういう環境で李氏朝鮮の悪政に苦しむ文盲だらけの民衆を、インフラを整備し、教育を与え、それなりの国となる基盤を作ってやった。なのにやつらの言うのはいまだに日本への不満と悪口だけだ。どれほど日本から金を毟り取ったことか。なんでこんなのと関わってしまったのだろう。地理的不幸と割り切らねばならないのか。

 日本というさんざん世話になった国への感謝を忘れ、「やられたやられたとやられた」と、やられたことばかりを駄々っ子のように喚いて拗ねていると、そのうち足もとから、自分達が他国に「やったこと」が顔を出す。この国は、そのことで崩壊するだろう。

 ベトナムから正規に告発されたとき、口先だけでごまかして生きてきたこいつらが、今度はどうごまかして逃げようとするか、けだし見物である。が、決して逃げられない。世界は、日本のようなお人好しだけではない。真っ当に裁かれなさい。沈みなさい。もう日本は助けない。
  1. 2014/08/05(火) 12:17:15|
  2. マスコミ
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藤圭子&沢木耕太郎『流星ひとつ』考⑭──アルバム「新宿の女」の青さ、時代の輝き──裏ビデオ、ドリー・ファンク・Jr

shinjuku-album アルバム「新宿の女」のジャケット

 藤圭子のファーストアルバム「新宿の女」が発売されたのは1970年の3月。これが20週連続アルバムチャートの1位となる。それを抜いて1位になるのが7月に発売されたセカンドアルバム「女のブルース」で、これが17週1位。この37週1位はあまりに有名な記録。さらには今回調べ物をして、このあと前川清との共同アルバムが4週連続1位となり、合計41週という記録をもっていると知る。まさに社会現象だった。

 私の大好きなデビュー曲「新宿の女」が発売されたのは1969年の9月だが、それはさほどの話題にならず、真の藤圭子ブームは、シングル「女のブルース」が出た1970年の2月、このアルバムが発売になった3月という1970年になってからの爆発であることが確認できる。



 アルバム「新宿の女」の収録曲は以下のもの。オリジナルは「新宿の女」と、そのB面であった「生命ぎりぎり」の2曲しかない。あとは大ヒット演歌のカバーアルバムである。しかし前記したように石坂まさをのトラウマであり怨みである「夢は夜開く」はすでに収録されている。

「新宿の女」に続いて出したシングル、オリジナルの「女のブルース」が大ヒットしているときに、その次の曲としてファーストアルバムに収録されていた「夢は夜開く」を引っ張りだしてくるのだから、いかに石坂がそれにこだわっていたことか。

 そしてまた、20週連続1位の記録を作るこのアルバムは、ほとんど全部がカバーなのだから、ここには石坂の力はさほど関与していない。石坂の提供した楽曲の力ではなく、このアルバムは「歌手藤圭子の力」で売ったものであることがわかる。



アルバム「新宿の女」収録曲

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 私は今回大きな期待を持ってこのアルバムを聴いた。今までも何年に一度か、たまに思い出すたびに聞いてきたのは「新宿の女」だけである。その他のカバーは、当時のラジオをべつにすれば長年聞いたことがなかった。
 そこにはあの時代と天才歌手藤圭子の輝きが詰まっているはずだった。ところが、まあたしかにあのころの時代は感じたものの、社会現象とまでなったはずの身震いするような感動は存在しなかった。それらはみた元歌よりも劣っていた。

 私は「カスバの女」が好きなので、YouTubeで集めたいくつかのテイクを持っている。藤のそれは、本家のエト邦枝や、カバーしたキム・ヨンジャにも劣るものだった。青江三奈作品も同じ。カバーの多い「あなたのブルース」も同じく。



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 本家・籔危険──ATOKには「籔が危険」となるらしい──矢吹健の「あなたのブルース」は、なんだか幽霊が出て来そうな気味悪いアレンジでどうにも苦手なのだが、当時寺山修司が、「『あなたのブルース』の〝あなた〟は、その数だけの通りすぎた男である」なんて解釈を書いていたことに影響を受けて私のお気に入りだった。つまりこの歌、サビの部分で「あなたあなたあなたあなた あーなあた」と「あなた」を連呼するのだが、寺山の解釈だと、この「あなた」は今好きなひとりを呼んでいるのではなく、通りすぎた男達でありあなたの数だけの男なのである。そう言われると、すさんだ暮らしのホステスが、「あなた」と呼ぶたびに男の写真がパッパッと代って行くような映像が目に浮かび、う~む、と寺山の感覚にうなったものだった。

 そういえば「課長島耕作」でも、馬島典子が「今までに惚れた男ベストテン」のビデオを自分で作ってもっているって話があった。みんな大金持ちなのだが、最後にただのサラリーマンである島が1位で登場する。けっこうほろりとするいい話だった(笑)。

 いろいろなひとのカバー「あなたのブルース」を持っている。本当は矢吹の歌唱が一番いいのだが、どうにもあのアレンジは好きになれない。作詞作曲の藤元卓也さんには敬意を表するが、いったい誰があんな気味悪いアレンジをしたのだと調べたら、編曲も藤本さんだった(笑)。



 今回大きな期待をして藤圭子バージョンを聞いた。結果、青江三奈の足もとにも及ばないと知る。ここにあるのは、独特の嗄れ声が魅力的だが、「唄の巧い18歳の娘さんの歌」でしかなかった。ひと言で言えば、若い、青い。

 思えばたまに聞く「新宿の女」も、もう何度も聴いているから慣れてしまったが、初めて、それこそ何十年ぶりかで聞くときは、あのころ五木寛之の言った〝怨歌〟を意識して、どれほど興奮するものだろうと思って接したが、そこにあったのはやはり「唄の巧い18歳の娘さんの歌声」でしかなかった。単なる「懐かしい唄」だった。

 やはりあれは衝撃的な社会現象だったのだと、あらためていま、思う。端整な美貌、それとは対象的などすの利いた声、噂される特異な出自、まさに流星のごとき突如の出現、それら全体のミックスが、あれほどの大きなムーブメントとなったのだ。だがこのファーストアルバムを聞く限り、五木の言う〝怨歌〟というほどのどろどろしたものはまったく感じない。



 しばらく前になるが、スポーツ紙の記者をやっている知人がこんなことを言っていた。
「裏ビデオの名作って、いま見るとぜんぜんつまらないよね」と。「『洗濯屋ケンちゃん』なんて、つまらなくて見られない」と。

 裏ビデオが出るまでは、そういうモロ映像は、ブルーフィルムと呼ばれ、映写機を保有し、独自の入手経路を持っているごく一部の金持ちだけの楽しみだった。それが誰でも家庭で見られるようになった、とんでもないエポックメーキングな電化製品だった。だが裏ビデオが与えた影響は、ただそれだけのものではない。その前から高級な趣味の嗜好品として家庭用小型ビデオデッキは完成していた。しかし高いし、さほど売れなかった。消耗品のテープも高かった。それが爆発的に普及したのは裏ビデオのお蔭と言われている。普及により値段も下がった。その経済効果は計り知れないものがある。裏ビデオとは、日本経済史からも無視できない存在なのだ。

 その代表的名作と呼ばれたものに「洗濯屋ケンちゃん」というのがある。見ていないので強くは言えないが、知人の言う「今じゃつまらなくて見られない」には同意見である。似たような経験はしている。そういうものだ。当時の衝撃的なものも、時代が過ぎるとそうなってしまう。



 同じような例をもうひとつ。
 1969年、昭和44年に初来日したNWA世界チャンピオン、ドリー・ファンク・Jrは、私にとって特別な存在だった。前チャンプ、ジン・キニスキーや前々のルー・テーズと比べると、型破りの27歳の若さ、ウエストテキサス大学を卒業し高校の物理教師の免状を持っているというインテリ。同行した金髪のジミー夫人の美しさ。それまでのプロレスの印象を一新する新チャンプだった。すでに若禿だったが、それを補ってあまりある智性が魅力的だった。というか私は、ハゲってかっこわるいというイメージを、ドリーで覆されたように思う。

 ジン・キニスキーからベルトを奪ったのが13回目の挑戦であり、政治力によって成り上がったひ弱なチャンプではないかという噂もあった。父のシニアがセコンドにつき、わざとらしい過保護でそれを盛りあげた。
 しかしドリーは、大阪で猪木と0対0の60分フルタイムの闘いをすると、とんぼ返りの東京で、今度は馬場と1対1のまたも60分フルタイムの試合をやってのけた。このとき馬場がドリーから一本奪ったのが、初公開のランニングネックブリーカードロップだった。それまでこの形の技はクロスラインしかなかったので、馬場の新決め技に興奮した。ひ弱どころかすさまじいスタミナである。そして帰国。翌日からはまたアメリカ各地を転戦しての防衛戦である。NWAチャンプの苛酷なローテーション。馬場や猪木が日本ローカルのチャンピンオンだと知らされた。忘れられない名勝負だ。あのときドリーにもらった感激はいまも忘れない。

 私はどんな有名人と会っても、いわゆるあがるという感覚はないのだが、ずっと後、馬場さんの好意で(というか竹脇さんの力で)後楽園ホールの控室でドリーと会わせてもらい、高校生時代からの大ファンであることを告げて握手してもらったときは天にも昇る気持ちだった。隣にはそのころ人気絶頂のテリーがいたが目に入らなかった。テリーが、地味な兄にもこんな熱狂的なファンがいたのかと喜んでいたのが印象的だった。つまりこういうものは「そのひとをいつ知ったか、いつファンになったか」が重要なのである。

 後に知りあった一回り年下のプロレスファンから、「さんざん名勝負と聞かされていたので楽しみにレンタルビデオで見たが、2試合ともじつにつまらない試合だった。期待外れだった」と言われて傷ついた(笑)。ちょうどビデオデッキが普及し、レンタルビデオ店が続々と出来てきた頃である。

 言われて見れば、今の常識で言うなら、2試合連続フルタイム、共に引き分け、も、日本のチャンピンオンを傷つけないNWAチャンプの常道である。格下の猪木にはワンフォールも許さず、格上の馬場には一本与えることも、すべて決まっていたことであり、日本でベルトを取られてしまうのではないかとリング下から過剰にちょっかいを出したりするシニアのそれもシナリオ通りである。そしてまた今時の器械体操的跳んだり撥ねたりからすれば、というか四天王プロレスのころと比べても、とんでもなく技も地味であった。ドリーはこのあとロビンソンと闘ってダブルアームスープレックスを覚えたりして技が多様になって行く。あのひとはチャンピンオンになってから強くなった。だがこのころの決め技は父親譲りのスピニングトーホールドだけである。この技も「なぜスピニングする必要があるのか」という哲学的命題を内包している疑問点の多い技なのだった。
 そいつにそう言われて当然だった。こちらとしては腹の中で「あの時代を知らないヤツに、あのすばらしさがわかるか」と居直るだけである。そうなのだ、「時代」で語るべきものは、後からの「今」で解釈しても意味がない。



 音楽を裏ビデオやプロレスの試合と同列に並べるのは失礼とも思う。
 1950年代のマイルスを始めとするJazzの巨星の演奏は、いまも色褪せないし、私の好きなジャンゴ・ラインハルトとステファン・グラッペリの演奏など、録音も楽器の音色もひどいものなのに、そのポテンシャルと輝きはいつ聴いても陶然とする。
 裏ビデオやプロレスの名勝負は「時代そのもの」であるが、音楽を時を超えている。未だにリスト以上のピアニストはいないと言われるように。

 だからこの比喩は藤圭子に失礼かとも思う。だが正直な気持ち、当時あれほど衝撃を受けた藤圭子の歌唱に、いまさほどの感激をしないのもまた事実だった。特に〝怨歌〟というような凄味は感じない。あれは五木寛之さんも時代に躍らされた勇み足だったのではないか……。



 ただ、このこともまた書いておかねばならない。私が大きな期待を寄せて、それほどでもなかったと書いているのは1970年3月発売の藤圭子のファーストアルバムについてである。当然吹きこみはそのかなり前だったと思う。
 いまYouTubeで、藤圭子が1970年10月23日に渋谷公会堂でやったというコンサートの音を聞いている。どなたかがアップしてくれたものだ。これはもうファーストアルバムとはぜんぜんちがう。たった一年で、この「しゃがれ声の唄の巧い娘さん」は、一気に「プロの歌い手」になっている。そこにはファーストアルバムで感じた若さ青さはもうなく、円熟の中年歌手の雰囲気すら感じる。駆け足で生きたひとなんだなとあらためて感じる。(続く)
  1. 2014/08/04(月) 20:50:19|
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