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子は親を選べない──野田聖子議員の子作りに思う

「生んでくれと頼んだ覚えはない。かってに作ったんだろ!」
 反抗期のころ、母とのケンカで何度か口にした。母はそのたびに激昂し「生んでもらった恩を忘れて」と怒った。怒れば怒るほどこちらの「生んでくれと頼んだ覚えはない」というリクツも鞏固になった。
 ある日のケンカ、ふだんはそんな場にはいない父がいた。父は母と言いあらそう私の言い分を聞いて「こどもは親を撰べないからなあ」と、苦笑しつつ、ちょっと困ったような顔をした。

 それから私はこの言いかたをしなくなった。こどもは親を撰んで生まれることは出来ない。そういう絶対的なことがあるのだから、もうそんなくだらんリクツを振りまわすのはやめようと思った。その後も数限りなく母親とはケンカしたが、こんな言いかたはもうしなかった。「生んでくれと頼んだ覚えはない」は幼稚なリクツだが絶対的真実でもある。同時に「それを言っちゃあおしまいだろ」でもある。それを意識して封じたとき私の反抗期は終っていた。



 以下の話は、前々から気になっていたことだった。なんとかして妊娠したいと願っているころから知っている。金を払ってアメリカ人女の卵子を買い、事実婚の亭主の精子と体外受精させ、それを自分の子宮に着床させて産むと決めたあたりも覚えている。今年の正月、帝王切開で出産したことも知っていた。
 今回、今現在の状況をニュースで知ったとき、すぐにブログテーマにしようと思った。でも重くて哀しくて書く気になれなかった。だけどこういうことは、2ちゃんねるのスレで一過性のものとして流れ去るだけでなく、自分なりに書いておくことも必要と思い、書くことにした。

 私が生まれでた赤子の苦難の様子を知ったのは2ちゃんねるの「ニュース速報」板でだった。日附を見ると6月11日だから、もう二ヵ月経っている。このスレが立つと、いつものよう多くの意見であっと言う間に埋めつくされていった。それらのほとんどは野田聖子議員を批判するものだったように記憶している。私はテーマそのものがつらいので、ほとんど読んでいない。批判する記事を読んで同じ意見の自分もスッキリするというものでもない。いや中にはそういうものもあるが、これだけは、どんなに自分と同じく野田を批判しているひとの意見を読んでも、よけいにつらくなるだけだった。
 見ないことにしたかったけど、前々から考えていたことだから、いつか自分のブログに書こうと思っていた。



野田議員「政治家、命かけてみろ」 息子は集中治療室
2011年6月12日

 自民党の野田聖子衆院議員(比例東海ブロック)は11日、岐阜市内のホテルで政治コラムニストの後藤謙次氏を招いた講演会を開き、生後5カ月の男児がいまだ集中治療室にいることを明らかにした。野田氏は米国で卵子提供を受け、今年1月に出産していた。

 野田議員は支持者へのあいさつで、男児が大手術を5度経験し、「(手塚治虫さんの漫画)ブラックジャックのように息子は手術痕だらけになった。あの世に行きかけた息子を懸命に引き留めた」と述べた。その上で、「命をかけると政治家は簡単に言うが、かけてみろやと、一生懸命生きている息子を見て思った」と話した。

http://mytown.asahi.com/areanews/gifu/NGY201106110029.html



 そういうこどもが生まれたというだけで胸の痛むひどい話なのに、その子がいまだに集中治療室にいる状況を語り、なぜか「政治家、命かけてみろや」と都合のいい政治的発奮材料に転化している。
 このひとはなにを考えているのだろう。理解に苦しむ。「ブラックジャックのように手術痕だらけになった」って、生後五ヵ月のこどもが、そんな目に遭っているのは、すべてこの野田聖子というひとの「こどもを産みたい」というエゴから来ているのだ。赤ん坊がかわいそうで涙が出た。

 2ちゃんねるの書きこみからひとつ。
名無しさん@12周年 [] :2011/06/14(火) 10:10:21.07 ID:CeEO6KC10
自分のワガママで、生まれるはずのない子どもを産んでしまって苦しめてるのに なぜこんな言い方ができるんだろう



 野田聖子という国会議員が、40歳を過ぎてから、なんとしてもこどもを産みたいと発言するようになり話題になった。二十代三十代のときから言っていたのかは知らない。世間的に有名になったのは、2004年に『私は、産みたい』という本を出してからだろう。結婚したのが2001年だというから41歳。流産とか不妊に苦しみ、そのあとに本を出した。このときが44歳か。それによって同じく高齢で不妊に悩む女の支持を集め、高齢出産に挑む女の旗頭のようになっていった。私は、彼女のこれみよがしの姿勢を支持していない同じ立場の女もいたと信じたいが、マスコミ的に野田聖子がそういうふうに捉えられ、本人もその立場に満足して活動していたのは事実だ。涙ながらに流産の悔しさを語っているのも見た。いつしか高齢出産に挑むヒロインになっていた。

 なんとしてもこどもを欲しいという気持ちはわかるが、そのことにのみ執着した鬼気迫る言行には他人事ながらうんざりした。亭主は同じ国会議員の鶴保という7歳年下の男である。いま確認したら「事実婚」であり未入籍だったようだ。夫婦別姓の支持者のようだから入籍はしないのだろう。

 この鶴保というのが語っていた。野田は基礎体温を計ったり、常に妊娠しやすい状況を模索していて、そういう状況(妊娠しやすい日の妊娠しやすい時間)になると、どこにいようと急遽呼びよせられ、それをさせられるのだと。性行為ではあるが、あいしあう男女の行為ではなく、こどもを作るためだけの行為である。種付けだ。たび重なるその強要に鶴保は「おれはおまえの種馬じゃねえよ」と嘆いたことが週刊誌ネタになっていた。いつなんどきでも7歳年上の四十女に呼びだされ、性行為を強要されるのだ。こうなると拷問である。よく勃ったものだ。その後、事実婚を解消するが、おそらくそれは勃たなくなり、種馬として解約されたのだろう。いや、種馬としてのみ扱われることから逃げだしたのか。



 それから野田はまた別の年下の男と「事実婚」を始める。しかし妊娠は出来ない。それでやったのが、その事実婚の朝鮮人の精子を、金で探しだしたアメリカ女の卵子と人工授精させ、それを自分の子宮で育てるということだった。自分の血は入っていない。「事実婚」の相手と見知らぬアメリカ人女とのあいだに出来た自分とは無縁の子を、自分の腹で育てるという行為だ。こうなると「出産体験願望」である。

 こういう野田の提案に乗る「事実婚」の男ってのもなにを考えているのだろう。生まれてくる子は実の母親を知らないという闇を最初から抱えることになる。それは野田とこの男が作りだし、生まれてくる子に課す宿痾だ。ここにおいて子は、野田と、それに協力するこの男の、おとなふたりの自己満足の犠牲となっている。

 母親となるアメリカ女と父親となる朝鮮人の男は、子作りに繋がる性行為などすることもなく、いやそれどころか一度も見たことのない、これからも会うことのない(これは規約で決められている)関係だ。そういう形で子を作る。この男はなにを考えているのだろう。私には、野田はもちろんだが、この男も理解できない。男として、そういう我が子を作ることに疑念を感じないのだろうか。

 なんとしても「子を産むという体験」をしたいという、そのためにならなんでもするという野田も狂っているが、その申し出を受けいれたこの男もまともとは思えない。この男は正常な形で子を作ることが出来る。なのに野田の欲求を叶えるため、この形にしたがう。それは野田との愛に殉じるとも言えそうだが、そのために利用され、生まれてくる子という命のことを考えていない。鬼畜である。

 世の中には、生まれたばかりのころに親を失ったり、親に捨てられたりして、養子になって生きる子がいる。それを育てる養父母がいる。これは親と子という関係が切れてしまった闇を光に変える価値ある所為だ。

 野田のやったことは、自己満足のために最初から親との関係が切れている闇を創りだすことだ。無理矢理それを背負わされる子が気の毒でならない。この子にはノーと拒む権利がない。
 アメリカの役者は戦争で親を失った異国の子を養子として受けいれたりしている。野田もこういう形で親となる経験はいくつもの形で選択できたろう。野田は親になりたいのではなかった。子を育てたいのでもなかった。他の女と同じく「産むという体験をして母親ぶりたかった」のだ。出産という体験のない己の劣等感の穴埋めである。その執念が奇妙な状況を生みだした。



 プロレスラー高田延彦夫妻がやったのは、彼ら夫婦の精子と卵子を授精させたものを、アメリカ人女の腹で育て、出産してもらうことだった。この場合、こどもは100%彼ら夫婦の子である。腹だけを借りた。いわゆる「代理腹」だ。アメリカ女は礼金をもらって腹を貸し、産みの苦しみを味わったけれど、生まれてきた子とはDNA的には繋がっていない。

 野田がやったのはこの「代理腹」志願だった。自分の卵子ではもう受精できないので、だったら好きな男と見知らぬ女との子を体内に宿し、せめて「産みの苦しみ」だけでも味わいたいと願ったのである。
 腹が大きくなってくると、「日本(正しくは朝鮮)とアメリカのハーフだからすごいイケメンが生まれてくる」と発言していた。
 私は、その子が物心ついたとき、どんなに苦しむだろうと思い、そのニュースを耳にするたび暗い気持ちになった。



 高田と野田のやったことは似て非なるものである。高田の妻は、正常な子を作れる能力のある高田の子を産みたかった。自分の卵子で受精までは出来る。だがそれを育み出産する健康な母体がない。それを探した。応じてくれたのは、すでにそういう経験を何度かしているアメリカ女だった。

 すごい国である。将来日本にもこういう女が現れるのであろうか。若くして子を何人も産み、離婚して、何人もの子を抱えて生活保護を受けつつパチンコをしているような女には、いいアルバイトになりそうだ。でもこういうのは飲酒も喫煙もするから、出産に関する健康な母体としては選ばれないか。

 でもここには人助けの感覚がある。アメリカ女には十月十日自分の腹で育て、へその緒を繋ぎ、産んだ子には、それなりの思いがあることだろう。でもその子は100%依頼された夫婦のものだ。将来みんなで会うことだって可能と思う。第二のおかあさんだ。

 対して野田の場合、最優先されているのは「子を生むという体験をしたい」という野田の願望である。野田には子を産む能力がない。でもなんとしても体験したい。精子はいま付き合っている男から得る。卵子がない。その提供は金で探した、見知らぬ、今後とも会うことのない、アメリカ女に頼んだ。そのことにより、「生まれてくる子は、自分の半分である母親を永久に知らない。知ることができないという闇」が生まれた。この闇は野田のエゴから生まれたものだ。そしてそれを背負うのは生まれてくる子だ。野田は「私も一緒に背負ってゆく。その覚悟で作った」と言うかもしれないが、子はそれを了承するとことなく生まれてくる。子は親を選べない。



 高田の場合は実の子である。その子が大きくなったとき、日本の法律では認められていない非常手段を用いて自分達(双子)は生を受けたということにそれなりのショックはあろう。心ないことを言う周囲もいよう。でも目の前にいるのは実の父と母だ。あちこち似たところもあるにちがいない。たぶん高田の絶壁頭なんてそっくりなのではないか。親の躾がしっかりしていれば、まだ見ぬ「産んでくれた母」に感謝の気持ちをもつことはあっても、なんとしても会いたい、そのひとこそほんとの母親だ、と慕うとか、そんなことは起きまい。そしてまた可能なら、みんなで会って記念写真を撮っても決して不思議ではない。そういう関係だ。

 野田の場合はちがう。50になって産んだ子だし、国会議員の子であるから、それこそ目に入れても痛くないほどのかわいがりかたをし、可能な限りのエリート教育を与えるだろう。
 だがその子が自分の出自を知ったときの苦悩はいかほどのものであろう。両親のルックスが日本人なのに自分は白人とのハーフの容貌である。自分には本当の母親がいる。でもそれは法的には生涯会えないことになっている。明かされない。野田聖子という女の「子を産みたい」という欲求を叶えるために無理矢理生産された自分という存在。まともなら、いわゆる反抗期に、自分の満足感を得るためだけに自分を生産した「代理母」を憎み、自分の半分である本物の母に会いたいと願うだろう。その子の懊悩を思うとこちらまで気が重くなる。

 そして最悪なことに、十分予測されたことではあったが、50女のポンコツ子宮で育てたものだから、あちこちに缺陥を持つ脆弱な子が生まれてしまった。よって生まれてすぐから手術が続き、生後5カ月でもまだ集中治療室にいて、「手術痕でブラックジャックのよう」なのだという。いまこれを書いていてもたまらない気持ちになる。この子はなぜこのようなひどい目に遭わねばならないのだ。こんなことをした野田が、まるでヒロインのように演説したり、新聞の取材を受けているのは正常な状態なのか。



 うまく書く自信がないので二ヵ月間寝せて来たテーマだが、やはりまだうまく書けない。どうにも感情的になってしまう。
 言えるのはただ、野田聖子というひとの感覚には同調できないということだ。いまも身体中に不調箇所を山のように抱え、生後7カ月の身で、手術や薬漬けの日を送っている赤子が気の毒でならない。それは野田聖子という女が、「なんとしても子を産みたい」というエゴを発揮しなければ、非合法な手段にうったえてまで実行に移さなければ、決して発生することのない悲劇だった。


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【追記】──早期にわかっていた障碍(17時記入)

8月6日に、野田聖子が読売新聞でこどもについて語っているニュースを知った。

この記事の読売新聞の下部を見ると、読売はこの「野田聖子出産」をシリーズでやっているようだ。知らなかった。知っていてもこんなもの読まないけど。今回で6回目か。

いやはやおどろいた。もう早期のとき、妊娠三ヶ月ぐらいに障碍児であることはわかっていたんだ。そういう子であることがわかっていても、子のことよりも、自分の「産みの苦しみを味わうという満足感」を優先したわけだ。まあひたすら「産む体験をしたい」ということで撰んだ道だから、なにがあっても中絶なんて考えるはずもないが。



ということで思ったが、乙武君の両親はお腹の中の子が両手両足がないことを知っていたのだろうか。私は「五体不満足」を発売時に読んでいるし、お母さんが肝っ玉のすわったひとであることは知っているが、このことがどうであったか記憶にない。

生まれたばかりの乙武君を母親に見せるとき、医者はショックを受けるのではないかと戸惑ったが、母親は乙武君を一目見るなり「まあかわいい」と言って抱きしめたと彼は著書で書いている。落涙しつつ読んだ箇所だ。

だがいま冷静に考えるとこんなことはありえまい。今の科学だ。母親はもう早い時期に体内写真により医者からそれを知らされ、両手両足のない子を生むかどうかさんざん悩んだはずだ。なにしろあの男か女かの判断はチンチンがついているかどうかで判別する。早い時期にそれですらわかるのだから、両手両足のない子は、エコー写真でもとんでもない畸形だったはずだ。
むかしはそんな便利なものはない。だから奇形児が生まれたら親と産婆が相談してその場で間引いた。今はそれは殺人罪になるのでできない。その代わり初期の段階でわかるから、生むか堕胎するかの選択ができる。

不覚にも、「母親は両手両足のない乙武くんを、そのとき初めて見た。それなのにかわいいと言った。えらい」と落涙してしまったが、母と父は妊娠三ヶ月ぐらいのときにもうそれを知り、そういう障碍児を産むかどうかさんざん迷い、苦しんだ末の、決断だったろう。
初めてわが子を見るとき、母親は「どんな畸形の子であってもぜったいにおどろかない。悲鳴を上げたりはしない。かわいいと思う。かわいいと言う」と何度も自分に言い聞かせて臨んだろう。もちろん自分がお腹を痛めて産んだ子だから、両手両足がなくても、「かわいい」と思ったこともまた真実であろうが。



新聞記事はリンクを貼っておいても、後々消えてたりするから要諦を書いておこう。読売新聞にあった野田聖子の記事からの抜粋である。体内の子の障碍は早い時期にわかっていた。

・障害児であることは妊娠12、3週でわかった。
・臍帯ヘルニアという臍の側に肝臓が飛び出している状態で、障害児であるとわかった。
・ほかにも、心臓障害、染色体異常とか、重い病気が起こりやすいと言われた。

・夫には「どんな障害を持っていても、幸せにするのが私たち夫婦の仕事」と言った。

・帝王切開での出産。肺呼吸ができなくて死ぬ可能性もある、と事前に言われた。


・生まれてすぐに、胃ろうの手術をしました。胃に直接栄養を送る管を入れる手術です。それから、肝臓を閉じる手術、離れていた食道と胃をつなぐ手術など、生後5か月までに5回の手術をしました。体重が増えたら、心臓の本格的な手術をする予定です。
 鼻から酸素。胃ろうでミルク・・・。いま3本の管が彼を生かしている。最悪の時は17本くらいチューブが入っていたことを思えば、すごい進歩です。生きる力は強いなと思います。


いままでにもう5回の手術、体重が増えたらこれからまた続く。最悪の時は17本のチューブ……。
なんでこの子はこんな地獄を味わわねばならないのか。「生きる力は強いなって思います」って、よくぞこんなことが言えるものだ。現代の医学で無理矢理生かされてるだけだ。口が利けたら「楽にしてくれ」と言うだろう。

野田は未だそういうヒロイズムに酔っているのかも知れないが、いや笑顔であちこちの媒体でそれをしゃべっているのだから、明らかに酔っている。冒頭の発言でもわかるように、政治利用している。そういう運命をしょわされて生まれてくる子はたまったものではない。こういう親のエゴで人生に重荷を背負わされたこの子がかわいそうだ。あらためてそう思う。

この子がどういう形で育とうとも、途中で命つきようとも、野田はしっかり政治主張に活用してゆくのだろう。「私はこどもを生んだことがあります、お母さんがたの味方です」的なスタンスで。そして、数多くの障碍をもったその子が、いかに生まれてきたときから苦しみ、多くの手術を受けてきたかと涙ながらに話せば、会場からはすすり泣きが漏れ、いい方向に作用するのだろう。障碍方面は重要で確実な票田だ。不妊の味方と障碍児の味方で固定票獲得か。でも、子を作るというのはこういうことではない。

かといって、両親がパチンコに熱中しているあいだに、猛暑のクルマの中で熱中症で死ぬこどもと、野田のこどもとどっちがしあわせかはわからない。
毎夏、このニュースを知るたび、乳飲み子を蒸し風呂のようなクルマの中に放置して、夫婦で涼しい場所でタバコ吸いながらパチンコやってる親のもとで生きても、どのていどの人生かはわかっているから、早々に死んでよかったのかも、とすら思う。

そういや野田聖子、パチコン利権でしっかり金をもらっている政治屋だ。障碍児をほったらかして夫婦でパチンコに行ったりするなよ。ああパチンコは金をもらうためだけのものでやらないか。

夫婦別姓支持者で、今までの二度の結婚も「事実婚」で籍を入れなかったのに、こどもができたら籍を入れた。やってることがめちゃくちゃだ。

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私は「しょうがい」は「障碍」と正字で書きますが、引用した文中にある「障害」は直さずそのままにしました。ここのところ「害という字はよくない」と、「障がい者」とかくだらん表記が横溢していますが、それは障碍の「碍」を常用漢字から外したのが問題であり、それを撤廃し「障碍」と表記すれば解決することです。こういうことを言ってくれる議員がいないなあ。

今の日本の法律では、高田のように他人の腹を借りて生んだ子は実子として認められない。まあそれはむかし作った法律だからそんなものだろうと思うが、おどろいたことに、野田の場合は「お腹を痛めた」から認められるのだとか。100%自分達の子なのに戸籍に入れられない高田の場合、すんなりと実子として認められる野田の場合、へんな話である。野田が産んだ子は野田とは血縁ではないのに。

餘談ながら、私がむかし高田にインタビューしたころ、高田は向井亜紀との交際が発覚したばかりだった。そのことを聞くとのろけていた。用賀のUWF稽古場でインタビューしていると、事務所に向井から電話がかかってきた。当時は携帯電話などまだない。高田は向井とのデートにいそいそと出かけていった。高田は中卒のプロレスラーだし、実家方面にも問題がある。向井は女子大卒のお嬢さんだ。うまくゆくのかと心配したが、結婚まで行き、こういう形でこどもにも恵まれた。よい子育てをすることを心から願う。

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【附記】──「五体不満足」再読(10/11)

病院の図書室に「五体不満足」があった。再読した。出たばかりの時に読んだ本だ。何年ぶりだろう。
そこで上記の勘違いを知ったので訂正する。

乙武君のお母さんは、妊娠してから一切病院に行かなかったらしい。エコーなども撮っていないのだ。だから生まれてくるまで乙武君に手足がないことは知らなかった。産んでから、病院側が、母親がショックを受けるだろうと何日か会わせなかったとか。そしてやっと会えたとき、前記したように「まあ、かわいい」となった。
もしも事前に手足のない子であることがわかっていたら産むか産まないか悩んだと、母親は乙武君に語ったそうだ。著書にそう書いてある。そのことを失念していた。

すこし不思議な気がする。
妊娠したような気がして医者に行く。妊娠が確定する。それから出産まで、定期的に医者に診てもらうものではないだろうか。現代では。
乙武君のお母さんは出産するその日まで一切医者に行かなかったという。だから男女の性別まで解る時代に、お腹の中の我が子が四肢缺損であることを知らなかった。でも、そんなことがあるのだろうか。



私がこどものころ、田舎ではすごい話が山ほどあった。農作業に出て、田んぼや山で産んだなんて話がある。産んだというか、生まれてしまったのだ。その日まで働いていたのである。働き者というのか、そういう貧しい時代だった。でも母子ともに健康。山から赤ん坊を抱いて自力で歩いて戻ってくる。

そういう地域と時代だから、「ほんとうは双子だったけど、畜生腹と嗤われるから片方を間引いた」なんて話も拡がってしまう。畜生腹とは、双子を産んだりすると動物のようだと蔑まれることである。むかしの田舎はそんなものだった。そう言われるのを嫌って産婆と家族が相談して生まれてすぐ片方を殺してしまう。いまなら殺人罪だ。ふつうに暮らしている男の子が「あれはほんとうは男と女の双子で女の方を間引いたんだ」と心ない連中に後々まで言われるのだから残酷な話だ。

私は小学生の時、そういうことを言う母を、人の心を傷つけるから言ってはならないと窘めたことを覚えている。一応母を弁護すれば、彼女はそういうことを軽く口にする薄っぺらな人間ではあったが悪人ではなかった。嫌いな人を貶めようと根も葉もないことを言うのではなく、みんなが知っている事実だからと、気軽にしゃべってしまうのである。「だってほんとうのことだもの」という四十代の母に小学生の私が、「本当のことだからといって何でも口にしていいものではない」と説教した。



また脱線するが、競走馬にも双子は多い。だが本来1頭分の子宮スペースで育った双子馬はちいさくてひ弱な仔が生まれる。よってまだちいさな時点で片方を潰すのだとか。生産地で頼りにされるのはそれが巧い獣医だ。名人と呼ばれるひともいる。詳しい技術は知らないが「馬の子宮に手を突っこんで、片方だけ卵子を潰す」のだそうな。これは度胸のいる作業になる。なにしろ何百万円もの種付け料を払って受胎した仔だ。形のいい牡馬が生まれれば何千万円にもなる。だが潰しかたをまちがって流産になったら0である。かといって双子で生んだのでは競走馬として通用しない。怖いけどやらねばならない作業だ。

そうして生まれた子は二頭分の運命をしょっているからか活躍する。私の知っている有名馬だと二冠馬サクラスターオーも間引かれた双子の片割れだ。
人間だとホームラン王の王さんは双子で生まれ、片方を1歳でなくしている。王さんの活躍も二人分だからだろう。

むかしは農作業のさなか、田んぼや山で自力で産んだと書くと、むかしの女が強かったようだが、今でも女子校生が公衆便所でこどもを産み捨て、自分はそのまま平気で暮らしていたりするのだから、女の強さは変っていない。



乙武君の話は本当なのだろうか。私には、妊娠から出産まで一切検査を受けず、親が四肢缺損であることを知らなかったとは信じがたい。といって、知っていて産んだとも思えない。ならやはり本当なのか。
それはもう、乙武さんが二児の父となっている今では、どうでもいいことなのだろう。でもきっと乙武さん夫妻は胎児を確認したろう。健常児と確認して出産に踏み切ったはずである。

私は、妊娠時に四肢缺損のような大きな障害が判ったら、中絶するのがよいと思っている。
この考えに変りはない。

乙武さんは「野田聖子のこども」にどんな意見を持っているのだろう。訊いてみたいものだ。

---------------

kanren6野田聖子議員の子作りに思う──「たかじん」で知った高田夫妻の代理母のこと
関連記事
  1. 2011/08/09(火) 13:10:57|
  2. 野田聖子
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