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●大鵬の思い出③
私は母と姉の「弱気を装っての自己防衛」に接している内、次第にそれに反感を抱くようになっていた。好きなものは、勝って欲しいものは、「勝て!」と言って応援するのが正しいのではないか。そして勝ったら喜ぶ。負けたら悔しがる。それでいいのではないか。
ほんとは勝って欲しいのに、負けたとき傷つくからと、「勝てないよ、負けるよ負けるよ」と言い、負けたら悔しがることもなく(内心では悔しがっているのだろうが)、「負けるのはわかってたんだ」なんて自分を慰める言いかたはへんだ。ひねくれている。いつしかそう思うようになっていった。
※
と、このまま書いてゆくと私の一代記になってしまうので(笑)この辺にするが、でもほんと、ここに書いたことは、私にとってとても大きな出来事だった。
私は母と姉を反面教師にして小学生の時にそこから脱出したが、高校生の時、この「弱気を装う自己防衛」を言うクラスメイトに出会った。なんともくだらんヤツだった。こういうのは、私と同じような女環境で育ち、それに染まり、そこから脱出することなく、女々しい感覚で出来上ってしまったのだろうと憐れんだ。もっとも、この自己防衛方法を採るヤツは男にもいよう。そいつはそういう父親になったにちがいない。こどもがかわいそうだ。
もしも私が、自分の勝って欲しい力士が負けたとき傷つくのを怖れ、「負けるよ、きっと負けるよ」と最初から「負ける負ける」と言って応援しているようなこどもであり、母が、そういう私の横っ面を張り、「男なら、そんなめめしいことはするな。勝って欲しいものには、正面から勝てと言って応援しろ!」と怒るようなひとだったら、私の人生はちがったものになっていた。私はきっと自分の母を尊敬し、そのことから女を尊敬する男になれたろう。
だが現実は、何事に関してもそういう方法を採る母と姉を軽蔑することによって、そういう発想法から私は自力で脱出せねばならなかった。私の女嫌いの根本にはこれがある。環境とは大きいものだ。いまだに引きずっている。女嫌いでいまだに童貞なのはそれが原因である。こういうのもトラウマと言うのだろうか。私は宮沢賢治と同じく生涯童貞でいようと思っている。ウソ。
※
相撲からは相撲そのものとはべつに、それに関わる形で、こんな多くのことを学んだ。
それは相撲が現実に「国技」と呼べるほどのステータスを持っていた時代だからである。テレビで見るのはもちろん、毎日学校でみんなで相撲を取っていた。新聞も大きく報じていた。だってここに書いたように、母や高校生の姉も相撲好きの時代だったのである。
今はもうごく一部の太ったひとが携る伝統芸能になってしまった。むかしと今の相撲を同列には語れない。(続く)
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- 2013/02/03(日) 07:00:54|
- 大相撲
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