上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
- --/--/--(--) --:--:--|
- スポンサー広告
-
-

ここ数年の『将棋世界』の充実ぶりは著しく、絶讃せねばと思いつつ書かないまま時が過ぎてしまった。それはまあそのうち自分のサイトにたっぷり書くとして。
2日に出たばかりの6月号は、なんといっても年に一度の「プレイバック2011」──昨年の全対局から棋士(!)が投票してベストの棋譜を撰ぶ企劃──が最高だが、今まで見たことのない、とんでもないめっけものがあった。
久保から棋王を奪取した郷田真輶棋王のロングインタビュウの中で、なんと郷田棋王がハリー・レイスのことを語っているのだ。しかも半端ではない。スキャンしてその部分を掲載したいが、いまスキャナーが壊れている。買わねばと思いつつほとんど使うこともないのでそのうちそのうちと先延ばしにしてきたが、とうとう後悔することになった。急いで注文する。すぐ買おう。
レイスの活躍していた時期、郷田は小学生である。「ハリー・レイスのことを知っているひとがどれぐらいいることか」と苦笑しつつ熱く語っている。この場合の「知っているひと」は知名度のことではない。年代的に若いひとは知らないだろうが、というような意味だ。
プロレスを知らないインタビュアーが郷田の熱弁に戸惑っている(笑)。郷田は無関係に熱く語る。
レイスの価値が解るひとはプロレスセンスがいい。まあ新日オタクとか長州なんてのが好きなのには無理。
表紙の森内名人はプロレスなんてまったく興味がないだろう。その他、羽生も佐藤もぜったい好きじゃないだろうな。
渡辺竜王が競馬好きで一口馬主にもなっているが、棋士とプロレスは結びつかなかった。だけど私の将棋好きは挌闘技好きから来ている。将棋は最高の挌闘技だ。
まさか『将棋世界』で、郷田の口からレイスの名を聞くとは。サプライズ。ほれ直したぞ、郷田!
---------------
ということで検索したら、毎月『将棋世界』の内容を紹介しているサイトを知る。えらいひとがいるなあ。
休まず毎月レビュウするということはとても大事で、むずかしいことだ。すばらしい。
http://www.shogitown.com/book/sekai/index.html と思ったら将棋の古書を売っているから商売でもあるのね。納得。
※

そういや、竹脇無我さんと仕事を始めたころ、出会ってすぐなぜかプロレスの話になり、竹脇さんが「ハーリー・レイスはかっこいいよな」と言って、私が賛同して、距離がぐっと近づいたのだった。
と書いて思いだした。偶然じゃない。プロレスというのはアンチには手酷くコバカにされるジャンルだから、敵味方の区別に真摯になる。
熱烈ファンはプロレス好きに敏感だ。私は竹脇さんとその仕事を始める前から、「俳優の竹脇無我はプロレスが大好き。ジャイアント馬場と親しい」という情報を得ていた。だから初対面の時からもう「竹脇さん、プロレス好きですよね」と話を振ったのだった。
そのとき竹脇さんは、ちょっと身がまえた(笑)。それはわかる。だってそのあとに続くのは「あんなインチキ、どこがおもしろいんですか?」かも知れない。しかしすぐに私が、自分と同じく全日ファンのプロレス者とわかり、一気にうちとけたのだった。
竹脇無我さんの訃報──あのころの思い出
※
雑誌に連載していた私の競馬小説にメールをくれ、親しくなった年下の友人にSというのがいる。いつしかもう15年ぐらいのつきあいになる。神戸在住。
彼とメールのやりとりを始めたときにも、プロレスファンかどうかをさりげなく問うた。長続きする友人になれるかどうか、そのへんは大事なのだ。競馬好きなら誰でも仲よくなれるものでもない。彼も大ファンとわかり、今も親しく連絡し合っている。
その連載は10年以上も続いたので多くのひとから手紙やメールをもらった。親しくなったひとも何人かいたが、今はみな途絶えてしまった。残ったのはSだけだ。
私の作品を絶讃する熱烈なファンレターをくれたひともいた。まだ電子メール以前だったので出版社気付けの手紙だった。感激して返事を書いた。しかし何度かのやりとりで、そのひとが「護憲派」とわかり(笑)、あちらも私が改憲派とわかり、次第に疎遠になっていった。出会いは競馬でも、そのあとの交友は難しいのである。
※

井田真木子が「プロレス少女伝説」で大宅壮一ノンフィクション賞を取るとき、唯一強硬に反対したのが立花隆だった。理由は「プロレスなんてものに」だ。文章や構成への注文ではなく、テーマがプロレスだから賞を与えるに価しないとの主張だった。
私は立花を憎んだ。「競馬主義」という雑誌のエッセイで立花を批判した。 立花はこう言ってこの本を否定した。
「私はプロレスというのは、品性と知性と感性が同時に低レベルにある人だけが熱中できる低劣なゲームだと思っている。もちろんプロレスの世界にもそれなりの人生模様がさまざまあるだろう。しかし、だからといってどうだというのか。世の大多数の人にとって、そんなことはどうでもいいことである」。 プロレスは、立花のような
「品性と知性と感性が同時に低レベルにある人」には絶対に理解できないものだ。
※
そのときはまだ彼の本を一冊も読んでいない。どんなやつかも知らない。後に、詳しく知り、彼を嫌った自分の直感に満足した。
村松友視さんの名言「ジャンルに貴賤なし、されどジャンル内に貴賎あり」で言うなら、立花は「ジャンルに貴賎あり」のひとだった。
味も判らないのに紅茶やワイン蒐集に凝るところに、彼の気の毒な俗物性が出ている。紅茶やワインの味などわからないのだ。でもそれは彼にとって「貴のジャンル」であるから、凝る。蒐集する。それによって「ウンチク」「智識」を得る。紅茶やワインについて何時間でもしゃべれる博識。だが現実は、紅茶は安物のティーバッグを愛用している。だって味などわからないのだから。まさに「空の智識」である。むなしいひとだ。
立花隆の「秘書日記」を読む
※
ちかごろどんなスポーツ実況でもやたら
「心が折れた」「まだ心は折れていない」と連発する。特にひどかったのがPRIDEがブームのころで、やたら実況がそればかりだった。
このことばを最初に言ったのは神取忍であり、それを紹介したのが、井田真木子のこの本である。
あのころはプロレス雑誌がいっぱいあった。そんな中、デラックスプロレス(通称デラプロ)は女子プロ専門誌へと特化していった。「特化」と書いたのは、最初はふつうのプロレス雑誌だった。生き残りのために、いつしか女子プロ専門誌になっていたのである。地方で見る女子プロ興行はおもしろかった。まさにどさ回り。私の大好きだった豊田真奈美はまだ十代だった。
井田さんは慶應の後輩でもあり、そのうちどこかで会ったら一緒に立花の悪口を言おうと思っていたら、44歳の若さで急逝してしまった。
- 関連記事
-
- 2012/05/04(金) 09:54:23|
- プロレス
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0