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竹脇無我さんの訃報──あのころの思い出

15時半、読売新聞の速報で竹脇さんが亡くなったのを知る。
今朝、倒れて運び込まれたと知った時から不安になり、何度もニュースを確かめていた。

《21日午後2時5分、小脳出血のため死去した》とあるから、私が倒れたのを知り、なんとか持ちなおして欲しいと願っていたときにはもう亡くなっていたことになる。もう昨日、亡くなっていたのだ。

FM東京で7年半ほどお仕事をご一緒した。
私が竹脇さんの名前と顔を覚えたのはTBSの朝の番組「ヤング720」だった。関口宏の名前と顔もこのときに覚えた。私は田舎の高校生だった。
関口宏は俳優佐野周二の息子と知っていたが竹脇さんは、さすがに名アナウンサー竹脇昌作は知らないので、なじみがなかった。

中学高校の頃、田舎で「だいこんの花」を見ていたので、初めてスタジオでお会いしたとき、目の前に本物の竹脇さんがいるのが不思議だった。ほんとに美男子だった。声もよかった。でも親しくなってあれこれお話すると、お父さんのことを引きずっていて、どこか淋しげなひとだった。それがまた魅力になっていた。

竹脇さんがナレーターで、私が原稿を書いた。二週間分を一度に録るので月に二回の録音だった。
そのあとはいつも飲みに連れていってもらった。六本木が多かった。おおきなベンツに載せてもらえるのが嬉しかった。
サウナにもよく行った。
カラオケのおはこは「思い出のグリーングラス」だった。声がいいし、うまかった。
当時はカラオケでなく生ピアノの伴奏だったが。



中国で「姿三四郎」が放映されて、大人気だとかで、竹脇さん一行が中国から招待されて出かけたことがあった。私は当時まだ中国に行ったことがなかった。帰国してからの竹脇さんと付き人との中国思い出話がうらやましかった。あのころの私は中国四千年の歴史に憧れていた。何十回も行ったいまはもう大嫌いで、可能な限り行きたくない国だが、当時はそう思っていた。

テレビドラマの「姿三四郎」と言えば、私には小学生の時に見た倉丘伸太郎のものが竹脇さんのよりも印象深い。だいたいこういうものは最初の時が印象に残る。そもそも「姿三四郎」なんてのは必殺技が炸裂する荒唐無稽なこども向けのドラマだ。
いま調べると倉丘版は1964年、竹脇さんのは1970年になる。竹脇さんの姿三四郎の時、私はもう高三から大学だから、いまさら荒唐無稽な柔道ドラマでもなかったのだろう。あまり印象にない。

そのこと(「ぼくは姿三四郎というと倉丘伸太郎ですね」)を言ったとき、竹脇さんにイヤな顔をされた(笑)。そんなことはそれまでもそれ以後もなかったので印象深い。つまり竹脇さんにも「姿三四郎はおれだ」という無我ならぬ強烈な自我があったことになる。



ご自宅におじゃましたこともある。奥様にもお会いした。まだ離婚前だった。
明治座にもゆかせてもらった。楽屋へ入れてもらった。
このとき共演した十朱幸代と不倫して家庭がぎくしゃくする。
京都の太秦撮影所にもおじゃました。それまでにも競馬の取材で京都はたびたび訪れていたが太秦は初めてだった。あれこれ物珍しく楽しい体験だった。京都ホテルに泊まって夜は飲みに出かけた。

でもいちばんの思い出は何度も行ったプロレス観戦か。
竹脇さんは全日派だった。これは人柄とも合っている。大口をたたく猪木ではなく慎重派の馬場ファンだった。
全日の百田義浩さん(力道山の長男)と一緒にアイスホッケーチームをやっていた。録音の後、品川スケートセンターでの練習があり、それを見に行ったことも何度かあった。

(追記・いまターザン山本のブログを読んだら、「竹脇さんだが私の友人によると、全日本プロレスの東京都体育館の控室で今はもう亡くなった力道山の長男、百田義浩さんと親しくしゃべっているシーンを見たというのだ。ええ、竹脇さんもプロレスファンだったのかあ」とあった。あいかわらず雑でいいかげんな書きかただ。私はこういう伝聞ではなく実体験のみ書いている。)

プロレスの思い出で強烈だったのは「デビュウ戦を控えた輪島の控室におじゃましたこと」だ。報道陣もシャットアウトの控室に竹脇さんの顔で入れた。
タイガー・ジェット・シンとのデビュウ戦を控えた輪島を、酒も煙草も女も断って練習に励んでいると東スポは伝えていたが、目の前の輪島は指が焼け焦げるのではないかと思うぐらい短くなった煙草をスッパスッパ喫っていた。緊張していた。横綱にまで登りつめたひとでも、プロレスのデビュウ戦はあんなに緊張するのかと知った。国技館で見る輪島はいつも遙か離れた土俵の上だったから、あれが最も輪島を身近に見た体験になる。同じく控室に入っていた金田正一がなんやら声高にしゃべっていた。

竹脇さんが私の事を馬場さんに紹介してくれて、「このひとはねぇ、ほんとにもうプロレスが大好きなんですよ」と言ったら、ニコっと笑った馬場さんの顔が思い出深い。あれはほんとうにプロレスが好きなファンに向けられたものだ。



竹脇さんが鬱病を患うのはお父さんが自殺したのと同じ49歳のときだったらしい。私がお仕事をご一緒したのは竹脇さんが三十代末から四十代半ばにかけてだから病気の時期は知らない。
お父さんの自殺はいつも引きずっていた。お父さんの自殺を知らされたのは青山学院の高校生のとき。授業中、先生から呼び出されて告げられたとか。
そのときのことをポツンと話してくれたことがある。経験したものにしかわからないと、さびしげな、厳しい横顔だった。

鬱病で苦しみ、それを克服した後は、鬱病のことやお父さんのことも含めて、全国で講演していたとか。六十歳近くになってからか。ふっきれたあとは、欝病に苦しむひとの力になりたいと思ったのだろう。
今回どこかで読んだ記事(スポーツ紙)に「本当は毒舌家なのに二枚目を演じねばならないことからストレスがたまり、欝病を患った」とあったが、それはちがう。穿ちすぎだ。ふだんでも二枚目だった。

欝病の原因はそのまますなおに「自殺した父の年齢にちかづいてゆく恐怖」だろう。肉親を自殺で亡くしたひとはみなこの思いに囚われる。年々「後三年で、後二年で」と意識し、「いよいよ来年はおやじが自殺した年だ。おれはだいじょうぶだろうか。自殺しないだろうか」と強迫観念に囚われる。竹脇さんもいつもそのことを引きずっていた。親が自殺することがいかに後々までこどもの心を傷つけるかと、その残酷さをしみじみ思ったものだ。私の知っている三十代後半の時からそれを意識していたのだから、いよいよ迫ってきたときの苦しみはたいへんなものだったろう。



竹脇さんに講演の依頼が来た。女子大からだ。その初めての講演の原稿は私が書いた。竹脇さんが四十代になってすぐだった。
初めての講演だったので、私の書いたものを手に、いわば読み上げるようなもので、講演にはなっていなかった。女子大は学生に講演の感想レポートを提出させた。竹脇さんがそれのコピーをくれた。元原稿と女子大生達の感想文は今も保管している。
何度かそれをやってから、原稿などなくても出来ると素手で登壇したら、なにもしゃべれず絶句してしまったことがあった。
これは京都のホテルでの講演だった。私も京都まで出かけていた。会場でヒヤヒヤしながら見ていた。それでもう懲り懲りと竹脇さんは講演の依頼は受けなくなった。

そんな人前でしゃべることなど苦手なひとだったのに、鬱病を克服してからは、明るいキャラとなって、父の自殺や、そのことを引きずって鬱になり、死のうと思ったことも冗談交じりにして、たくさんの講演をこなしていたらしい。自分と同じ悩みをもつひとを救いたいという使命感だったのだろう。
「笑っていいとも」のテレフォショッキングに出たのを見たのが最後になった。あれはもう何年前だろう。明るいキャラになっていておどろいた。



実際にお会いした最後は、竹脇さんの付き人の結婚パーティだった。これは竹脇さんと同じく森繁ファミリーだった松山英太郎さんがサプライズで仕掛けたもので、新郎がそれに感動し大泣きしてたいへんだった。松山さんはこのあと急逝する。
森繁さんは、奥さんや息子さん、そして松山さんのようにかわいがっていた後輩にも先立たれている。竹脇さんが森繁さんを見送ったのは救いだ。

森繁さんをじつの父のように慕っていた。でも欝病で苦しんでいたときは、その森繁さんさえ忘れていたと記している。テレビで見て「あれ、このひと、誰だっけ、たしか知っているひとだけど」と思ったのだとか。病の深さが感じとれる。
自殺でないことが救いになる。

今夜は竹脇さんに献杯しよう。

---------------

【附記】 16.23──もう葬儀は済んでいた

いまニッカンスポーツの記事を読み、亡くなったのが昨日21日の午後2時とは知っていたが、すでに今日22日に、密葬の形で葬儀も済んでいたと知る。

【附記.2】16.47──向田さんと同じ命日

今日は向田邦子さんの命日だ。あの台湾の旅客機での死。「だいこんの花」のころはまだ放送作家だった。後に作家に転身してすぐに直木賞を取る。
私は向田さんのファンだったので、竹脇さんによくその話をねだった。
「森繁のおやじのことだから、一回ぐらい手を出したかもしれないな」なんて言って笑ってた。
同じ日に亡くなるなんて……。



【附記.3】──過去の竹脇さんに関する文章──8/23/am:8.30

昨日、午後3時に竹脇さんの死を知り、急いで書いてブログをUPしたのが午後4時だった。
今朝、昨日のアクセス数が私にしては記録的であることを知る。それはアップしたのが早かったからだろうと解釈した。読売新聞の速報で報じられたのが午後3時前だから個人ブログの文章としてはかなり早かった。Googleのライブドアブログへの反応は即座だ。アップしてすぐに検索にあらわれる。だからこの文章「訃報」にアクセスがあったのだと思った。

でも今調べるとそうじゃなく、以前書いたものへのアクセスだった。そして今までにもその文章に長く確実にアクセスがあったことを知る。多くの竹脇さんのファンがお名前から検索して私のブログに来てくれていたのだろう。竹脇さんの根強い人気がうかがえる。「自殺考」のような楽しいテーマでなかったことを申し訳なく思うけれど。
でも上にも書いたけれど、「本当は毒舌家なのに、それとは反する二枚目を演じることがストレスとなり」という解釈は嘘だともういちど強調したい。ふつうに二枚目だった。竹脇さんを苦しめたのはお父さんの影だ。

せっかく多くのかたがアクセスしてくれるのに、竹脇さんのことを書いた文章がどこにあるのか自分でもわからなくなっていた。日附も。
それで「木屑鈔 竹脇」でGoogle検索し、以下にまとめた。やっていることが逆になっている。でもそれが出来るのだから便利な時代だ。
2年前、「自殺考」の最初で取りあげた前原さんがいま、総理大臣になろうとしている。

自殺考・前原さんの表情──2009/11/2

自殺考2・竹脇無我さんのこと──2009/11/19

竹脇さんとプロレス──2011/6/17


これらの文章を読み返してみたら、私が竹脇さんと番組をご一緒した期間が、7年、7年半、8年とバラバラなのに気づいた。なにしろ昭和末期から平成始めのころだからもう古い。たぶん7年と10カ月ぐらいが正解だと思う。8年目を前にして突然の打ちきりとなり、竹脇さんも私も憤然としたのを覚えている。もっともっと長寿番組にする気でいたから。

私はいまテレビがない。見られないし見る気もないのだが、今日は特別と先程携帯電話のワンセグでテレ朝のワイドショーを見た。同居していた女性が声だけで登場し、もうお酒も飲まず、定期検診も受けていて、とても健康体だったと語っていた。脳梗塞による突然死だったようだ。せっかく長年の欝病との闘いから復活したのに、67歳は早すぎた。でも苦しまなかったのはよかった。脳梗塞で眠るようにスッと行くのはわるい逝きかたではない。むしろ不随になってリハビリで苦しむ方がたいへんだ。

若いときの映像を見ると惚れ惚れするような美男子だ。今時のジャニーズ系とかがいかに貧相であるかがよくわかる。
昨夜は独酌で献盃をしたので今日は頭が重い。ご冥福をお祈りします。森繁先生とおいしいお酒を飲んでください。

============================================

【後日記】──同居していた女性は恋人なのだろうと解釈し、最初に書いたとき、「同居している女性」のあとに(恋人)と入れた。が、テレビで「親戚の女性」と報じていたので、勘違いを恥じて急いで削除した。しかし後に近所のひとに「女房です」と紹介していたこと、「(自分には)娘がいるので入籍はしないけど」と言っていたことを知る。四十代のひとらしい。テレ朝の伝えた「親戚の女性」って誤報は何だったのだろう。「娘のことを思って」は、竹脇さんの長女は40になるから、娘と年の近いひととは再婚しないということなのだろう。

竹脇さんが倒れたのは、この女性と同居していた大田区の家だった。私がおじゃましたことがあるのは世田谷の豪邸だ。そこは離婚した奥さんに渡し、大田区にちいさな一軒家を購入して、そこでしずかに暮らしていたとか。
すっかり健康体になった竹脇さんが脳梗塞で倒れて、ふつうなら復帰できる程度のものなのに、そのままあっけなく逝ってしまったのは、糖尿病による血管の脆さが原因らしい。糖尿病は怖い病気だ。全身をおかす。これからますます怖い病気として注目されるだろう。



【後日記.2】──週刊誌に竹脇さんの講演の録再が載っていた。父の自殺や自分の欝病体験とともに、離婚にいたる女関係も赤裸々に語って笑いを取っていた。テーマはただひとつ「死んではいけない、生きていればなんとでもなる」である。

そこに「一時は女房以外の女と三人もつきあっていた。周囲にはもっと多くの女とつきあって、うまくやっているひともいる。だから自分もやれると思っていた。でもそうじゃなかった。それが苦痛になっていった。自分は女房ひとりでよかったんだ」というようなことを語っている部分がある。

その通りだと思う。でもこれは以前なら絶対に出てこないことばだった。欝病を乗りこえてからの竹脇さんは、あたらしい人生を掴んでいたんだなと感じた。
金も力もある色男だから女はいくらでも寄ってくる。簡単にそうなることが出来る。しかも相手はひとも羨む美女揃いだ。それは男の本懐である。

だが竹脇さんの本質はそうではなかったように思う。女好きでもないひとが漁色家ぶるように、酒に弱いひとが酒豪ぶるように、そういう「破滅」を願って無理をしていたのだと私は解釈している。女の話をしたことはない。そういう店にも行かなかった。男同士でわいわいやることが好きなひとだった。私もそうだったから楽しかった。ただ十朱幸代とだけは明治座の楽屋に行った時、デキてるのがすぐにわかったけど。

週刊誌では根本りつ子とのことを語っていた(正しくは、語っている講演が収録されていた)が、浮気相手はみなドラマや舞台で共演した連中だ。手ごろに見繕っていただけだ。竹脇さんはちっともスケベじゃなかった。ただ、役者として、そういうことをせねばならない、そういうことをするのが役者だと、自分に無理強いしていた感じがする。
じゃあなぜそんな無理をしたのかと言えば、それもまたお父さんの自殺からだろう。自分は落ち着いた家庭の子煩悩な父親であってはならない、あるはずがない、そんなことをしていても、いつか必ずそんなものは壊れる、壊れのだから護らない、という堂々巡り。どうせ俺もその内、おやじと同じく……。という恐怖がいつもまとわりついていたのだ。

講演で、「複数の女と不倫していたけど、自分はそんなタイプではなかった。女房ひとりで十分だった」と語っていたと知り、あらためてそう思った。
それは父の自殺したのと同じ49歳から鬱病になって苦しみ、それを吹っ切ったあとに初めて見えた青空である。15歳の時からずっとまとわりついていた黒雲が、やっとすっきり消えたのだ。美男俳優として売れっ子になり、高収入を得て、美女と浮名を流しても、いつもその黒雲がつきまとっていた。平穏な日々はなかった。一年一年、父の自殺した49歳に近づいてゆく恐怖。そこから病み、それを吹っ切ったあとの時間は、それまでとは景色が違っていたろう。

晩年は事務所の後輩連中から「無我爺(ムガジー)」と呼ばれて慕われていたと聞いた。
娘さんが最後を看取り喪主を務めているから、離婚したけど父娘関係は良好だったのだろう。
住まいの近所の人とも気さくに話して評判も良かったと報じられている。

せっかく見えた青空との時間がすくなかったのが惜しまれるが、最後の何年間は心から一切の黒雲の消えたいい時間だったろう。
講演を収録してくれた週刊誌に感謝したい。そこには私の知っている影を背負った竹脇さんとはちがう明るい竹脇さんがいた。(8/30)

---------------

【附記】10/10──竹脇さんからもらった服

私は竹脇さんから服を二着もらっている。外国で買ったという防寒着とバーバリのコートだ。もう20年もまえのものだけどいまも大切にしている。新品ではない。竹脇さんのおさがり。だから大事にしている。ともに高級品だ。

防寒着はボタンが取れてしまったのと、私がすこし太ったのできつい。竹脇さんが私にくれたのも、竹脇さんが太ってきつくなったからだろう。
でもボタン以前にこれは外が皮、内がボアのすごいやつで、寒冷地で着るものだ。日本でこれを着て電車に乗ったりしたら大汗をかいてしまう。それでいまは上掛けにしている。冬場、TVを見ていて、ちょっと寒いようなときにお腹に乗せたりする。そのまま眠ってしまっても寒くないほどだ。

バーバリのコートも高級品。私はめったにスーツを着ないので(もう何年も着ていない)、それに合わせるコートも着る機会がすくなく、いまも新品同様だ。これからも大切にしよう。私にとっては竹脇さんの遺品になる。

あ、思い出した。外国からのお土産でFilaのポロシャツをもらったこともあった。でもこれは私はポロシャツを着ないし、水色のあまり好きなものではなかったし(すみません)、竹脇さんが着たものでもないから大事にせず、いつしか処分してしまった。免税店で関係者用のお土産にどんとまとめて買ったのだろうけど、それでもよくまあ私なんかもそのメンバーにいれてくれたものだ。ぶっきらぼうだけどやさしいひとだった。当時を思い出すと涙が出た。鬱病を克服してからの竹脇さんに会いにゆき、もらった服をいまでも大切にしていると伝えたかった。
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  1. 2011/08/22(月) 16:06:29|
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