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小林よしのりのAKB讃歌──裸の王様は誰?

00twitter.jpgでこんなことをつぶやいた。


akb










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私はAKBに興味がない。小林が「鈍感だなあと感心する」おっさんなわけだ。AKBに夢中のガキンチョから何を言われても構わないが、同世代の小林にこんな言いかたはされたくない。とりあえずツイッターでは「鈍感なおっさんでけっこう」とだけ反論した。ここで細かく書いておきたい。
元記事は以下のようなものらしい。

グリコのCMでAKB48のセンターに突如、江口愛美 という美少女が抜擢された。ううむ、江口愛美かーーーー。一瞬、「レッド・クリフ」に出てた台湾の女優リン・チーリンに似てると思った。リン・チーリンは好きなんだが、江口愛美はダメだ。江口愛美はAKBのアイドルの美の価値観から逸脱している。さしこまでが9位になるところにAKBのパワーがあるのだと、わしは思っている。さしこがともちんの一つ下に迫る。そんなことがあるはずないのに総選挙ではそんな結果が出てしまった。

AKBにおけるアイドルの評価は一筋縄ではいかない。現実的には江口愛美がAKBに入ったら台無しになるとわしは思うのだが、話題作りでは画期的だと認めざるを得ない。
こういうアイデアを出す人が、今AKBの周囲にはどんどん寄ってくるようになってるのだろうな。

まったくすごい。未だにこのすごさに気づかない人たちって本当に鈍感なんだなあと感心する。脳の右半球がダメなんだろうな。つまり 感性がダメ。脳の側頭葉言語野だけで思考している。前頭葉が働いていないのだ。

まあ、おっさん化してもいい人もいる。普通はおっさん化する。いや、おっさん化は平凡人として当然のことなのだ。だがわしはじじいになってもおっさん化しない。子供のままじじいになる。「王様は裸だ」と言い続けるのがわしだからだ。(後略)

https://www.gosen-dojo.com/index.php?action=pages_view_main&active_action=journal_view_main_detail&post_id=480&comment_flag=1&block_id=13#_13

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AKBなるものの経済効果は認めるし秋元康の商売のうまさも相変わらず。たいしたものだ。だが、それに詳しいことが自慢で、自分は時代に敏感だ、まだ老けてないと主張する小林はみっともない(笑)。さらには前頭葉がウンヌンと自分を正当化し始まるともうお笑いである。これはたんに小林が音楽を知らないだけだ。他人事ながら恥ずかしくなる。

私は「ゴーマニズム宣言」を『SPA!』時代から読んでいる。今も『SAPIO』や『WILL』の連載を読んでいるし、かつては単行本も全巻購入していた。「台湾論」「戦争論」等の何冊か以外は捨ててしまったけれど、かなり熱心な読者だと自負している。だからこそ自信を持って言えるが、このひとは音楽を知らない。音楽センスのカケラもない。いや「知る」「知らない」で言うと語弊があるので別の言いかたをする。「もっている」で語ることにする。

ふつうに生きていればどうしても時代とともに「自分の音楽」をもってしまう」。小林はもっていない。おそらく音痴なのであろう。あの鼻に掛かったかん高い声で音感がいいとは思えない。いや音痴だって、それはそれで「自分なりの音楽」をもっているからなあ。音痴だから音楽を知らないとはリクツとして万全ではないが。
とにかくこのひとの作品や発言には、年齢相応の積み重ねた音楽を感じさせるものが微塵もない。もっていないのだから当然だ。音楽とは完全に無縁な類い希なひとなのだろう。

だから若者音楽に擦りよる。これは一種の「体制に媚びる」に通じる。そのことでもって、理解できる自分の感覚を確乎たるものにしようとする。これはもう過去の「ゴーマニズム」でもうんざりするほどやってきた。
「ゴーマニズム」ファンだと若いミュージシャンが名乗り出る。愛読者だ、勉強になった、目覚めた、と知る。
するとすぐに彼の「おぼっちゃまくん」を読んで育ったというそのミュージシャンの作品を取りあげ、「ゴーマニズム」内で歌詞や曲を誉めたりする(笑)。内なる音楽智識がないから、その歌詞や曲が過去の名曲のパクリだったりしても気づかない。



小林はそれを「若者の感性を理解できる自分の若さ」と自画自賛するのだが、単にそれは音楽の基礎教養がないことに拠る尻の軽さでしかない。
人間世界は常に世代抗争である。音楽も同じ。社会を支配している中高年の音楽を否定して若者が反発の音楽を作る。その若者が中高年になると同じく否定の若者が出て来る。その繰り返しだ。それはスカートの長さと同じような時代的な流行でしかない。ひとはそれを繰り返してきた。

社会を知らないこどもに、おとなは厳しい態度で接し、礼節を教えねばならないように、おとなは若者の理想論的主張と対立するのが正しい構図だ。
一例として、「この世から核兵器をなくそう」と主張するのが年相応の若者の理想論であり、それを「ないほうがいいけれど、力の対立においては必要なのだ」と否定するのがおとなの現実論になる。対立して当然だ。それが若者とおとなの正しい構図なのである。やがてその若者も社会の構成を知れば核兵器肯定論者にもなろう。いわゆる「二十歳前に共産主義にかぶれなかったらバカ。二十歳過ぎてまだかぶれていたらもっとバカ」の世界になる。

57歳の小林は、AKBを否定し、自分達の世代にはもっと凄いものがあった、AKBファンの若者よ、これを聴いてみろ、これがおれたちの世代の底力だ、と主張するのがホント。もちろんそれが客観的に観てAKBより優れていても劣っていてもどうでもいい。そういうこだわりがあって世代抗争は正しく動いてきた。小林のその他の論法はそれに則っている。なのに音楽だけこんなざまだ。自分の音楽をもっていないからである。



若者に理解を示し、自分を若者側に置こうとするのは小林の「支持者獲得」の方法でもある。
そりゃもうあれだけ次から次へと年輩の論客と「親しくなる。ケンカして絶交する。悪口を書きまくる」を繰り返してくれば、年上には仲間になるひとはいない。残っていない。かといって支持者なしには闘えない。となると若い連中に信者を作るしかない。

それにしてもこのひと、今までいったいどれほどの数の、「親しくなる。持ちあげる。絶交する。悪口を書く」を繰り返してきたろう。『SPA!』時代から読んできて、そのことに疲れてしまった。
いま小林と親しい論客には誰がいるのか。女系天皇容認の学者ぐらいしか思いつかない。しかしこれだって小林のその考えが変ったらすぐに絶交だ。今まで温和に描かれていた顔も醜く描かれて悪し様に罵られる。「ゴーマニズム宣言」とは一言で言えば、ただそのことの繰り返しだけだった。

ひととひとのつきあいには合わない部分もあろう。その部分は呑みこんでの人生だ。誰だって同じである。小林は自分と意見の異なり始めた相手は徹底的に否定する。よってかつては連帯した論客もみな否定し絶縁となる。結果、自分に盲従するスタッフを率いて流浪する。なんだか雪の山野を彷徨する絶滅間際の連合赤軍を思い出す。小林を好きでいるためには、ひたすら彼を崇拝し彼の意見を全面的に受けいれるしかない。反対意見や疑問は許されない。
新興宗教には仏教やキリスト教も認めてしまうゆるいのもあるが、よしりん教はイスラム的絶対世界だ。



「王様は裸だ」と言い続けるのがわしだからだ》と大見得を切っているが、いちばん恥ずかしい裸の王様は、57歳でありながら年輪を重ねた自分の音楽をもたず、AKBがわかることで自分は敏感だ、おっさん化していないとはしゃぐ小林なのである。これほど恥ずかしい絵柄もそうはない。

小林は「早く年寄りになりたかった」としばしば口にする。自称が「わし」なのも、そこから来ている。年寄りへの憧れだ。
僧侶だった祖父を語る。この祖父が関わっている戦争映画「南の島に雪が降る」を、私は小学校の上映会で観た。幼心に感動した映画のひとつだ。小林の自慢する祖父、そしてまた共産党員だった父、この辺はみな筋が通っている。

それと同じように「筋の通った小林よしのりの音楽」をもっていたらどんなによかったろう。
たとえば祖父が浪曲好きで、小林も影響を受けて浪曲が好きだとする。音楽イコール浪曲で浪曲以外認めない。その代わり浪曲の蘊蓄は半端ではない。いいことだ。筋が通っている。
あるいは共産党員だった父親は湿度の高い日本の演歌を否定し、ロシアに憧れチャイコフスキーとロシア民謡ばかり聴いていた、その影響で小林も本格的思考に耽るときは必ずチャイコフスキーを聴く、ふとくちずさむ歌は今もロシア民謡が多い、なんてのでもいい。

だが音楽と無縁だったこのひとには何もなかった。語るべき音楽が何もないままここまで来てしまった。無惨である。それでこの齢になってAKB讃歌である。武道館の総選挙にまで出かけたとか。



「自分の音楽」とは謂わば「鎧のようなもの」である。鎧にするために音楽を好むひとはいない。空気のようなそれは年月とともに鞏固となり、いつしか他者と闘うときの「鎧のようなもの」になっているのだ。
それをもたない小林は「音楽世界」では裸のまま生きてきてしまった。闘うとき、「年齢相応の音楽という鎧」をもっていないことに気づく。

するとどうなるか。急いで即製の鎧を作らねばならない。いま若者のあいだで流行っているいちばん丈夫な鎧は「AKB鎧」というらしい。それを武道館のAKB商店に出むいて購入しようとする。

若者に媚びる路線。恥ずかしい。小林の論調として最も恥ずべきものではないか。
だが語るべき自分の音楽をもっていないこのひとは、その恥ずかしさにすら気づかない。AKBを否定し(肯定し)、自分の知っている古き(あたらしき)音楽を肯定する(否定する)のが、それぞれの世代の音楽なのだが、小林はそれをもっていない。語るべきそれをもっていないから、AKBを礼讃してその「権威」に縋ろうとしている。それが「寄らばアメリカの核の影」と同じで、小林の最も嫌う路線になっているのにすら気づかない。

スタッフと信者という自分を讃える者ばかりを順えて生きてきた小林王国には、「よしりん王様は裸です」と言うこどもがいない。いま小林に必要なのは、他人を裸だと叫ぶことではなく、自分に裸だと言ってくれる友人であろう。それにしても上掲の文章は恥ずかしい。バカの居直り、音痴の絶叫である。


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ところで、もしもこの文章を読むひとの中に彼の熱烈な信奉者がいるとしたら(いないと思うが)、私をアンチ小林と思うのだろうか。そうではない。前記したように私は「ゴーマニズム宣言」を全巻読んでいる。アンチではそれはできない。彼は無智から始まって勉強を続けてここまできた。私も同レベルの無智だった。彼と一緒に成長してきた。彼の努力を最も正当に評価しているひとりのつもりだ。
だからこそ言えるのである。AKBを評価して若ぶるのはみっともないと。つまり私は「よしりん王様は裸だ」と叫んでいるこどもになる(笑)。

音楽と言えばワンパターンの古い演歌しか歌えないひともいる。だけどAKBを引き合いに出してこんなことを言っている小林よりは、よほどかっこいい。

『週刊新潮』に連載エッセイを書いている漫画家の柳沢きみおが、ビールや音楽に関する自分流のこだわりを書いている。彼は以前も日本で一番売れている銘柄のスーパードライをうまくないビールだと断言し、エビスやモルツをもちあげた。いいことだ。年相応にロックやジャズの好きな彼は、「J-Popはぜったいに聴かない」と書く。柳沢はAKBは聴かないだろうし、武道館の総選挙にも行かなかったろう(笑)。
私は柳沢ファンでもなければアンチ小林でもないが、年相応の男として、柳沢のほうがずっとまともだと思う。

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【附記】──設定を逆にして考えると? 8/15追記

この問題は設定を逆にして考えるとわかりやすい。
つまり「小林が自分の音楽を持っていて、敵対する連中がAKB48好きだったら?」というifだ。

小林が歳相応の自分の音楽をもっているとする。フォークでもロックでもジャズでもクラシックでもなんでもいい。とにかく小林が「語るだけの音楽」をもっているとする。

一方、彼の論敵がそれをもっていないとする。
たとえばいま「男系天皇論」を唱えて小林と対決している八木秀次だ。対決というか、一方的に小林に攻撃され、反撃しているにすぎないが。かつては八木の自宅に小林が行ったりしたほど親しかったらしい。古い「ワシずむ」を読んだらふたりが出席している仲のよい座談会があった。離合集散は世の定めとはいえ、なんともむなしい。



もしもそうだったらどうなるか。なにしろ自分と意見のちがう相手は、戯画を利用して、あらゆる方法で貶める小林である。西部邁から八木にいたるまで、今までどれほど多くの論客が笑いものにされたことだろう。

八木の場合も、その姓から「ヤギ=山羊」にされ、メーメー鳴いて走りまわる姿にされている。なんとも幼稚な戯画化だが、それが気に入らないものに対する小林の本質でもある。

小林が薀蓄を傾けるほど自分の音楽を持っていて、論敵の八木にはそれがなくAKB48を好きだったとする。
するともう自分は歳相応の音楽をもっている。それが男の人生だというところから始まり、いい齢をこいてAKB48なんてものが好きな八木がいかに男として低俗かと、AKB48の設立の経緯から音楽性まで語り、当然ながら八木はAKBのメンバーのような扮装をさせられ、一緒に踊らされて、笑いものにされるだろう。眼に見えるようだ(笑)。



ところが実際は小林は自分の音楽がないものだから、AKB48を礼賛し、それを理解できる自分は若い、その凄さがわからない連中は脳が老いている、とやっているわけだ。まことこの歪みは度し難い。いや滑稽だから哂えばいいだけだが。

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念の為に書いておくが、私は彼の「戦争論」「台湾論」は傑作だと思うし、新旧の「天皇論」も価値あるものと思っている。彼の著書で教えてもらったことも多いし、彼を否定したり嫌っているわけではない。ただこの「AKB48讚歌──この凄さがわからないひとは脳が老いている」は、音楽を知らない人の程度の低い暴論だと言いたいだけである。
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  1. 2011/06/20(月) 17:55:44|
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