
ツイッターのつぶやきが300になった。
アイコンを作って書き込みを始めたのが4月22日だから、3ヶ月で300、一ヶ月100のペースとなる。ずいぶんと書き込んだ気もするのだがこんなものか。140字勝負として、書きこむときは真剣にやっているから、数は少ないが気楽にやっているひとよりもはエネルギーを使っている。つもりだ。本人は。
というか書きこみ数2万とか3万なんてひとは、どういう生活を送っているのだろう。毎日100も200も休みなく書きこむのか。飯を食ったりお茶を飲んだりする以上にツイッターと親密なのか。ちょっと想像がつかない。
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非常に興味深いこととして、「きっこの日記」で有名な「きっこさん」が、完全なツイッター派になってしまったことがある。毎日長文の日記を更新する人だったが、今はひたすらツイッターだ。日記の更新は10日に1回ぐらいに激減している。その代わり毎日毎日ツイッターの書き込みはとんでもない量になっている。観察サイトでは「一日18時間はパソコンに張り付いている」と書かれていた。いままでのツイートは24000を超えた。このひとは「さるさる日記」派であり、ブログもミラーサイトとしての保存用だった。ツイッター歴はあたらしいほう。いかにはまっていることか。
ブログはもう「放射能恐怖を煽ってアフィリエイトで稼ぐための商品紹介の場」と化している。放射能恐怖を煽るだけならまだしも、こうして商売にしているのが醜い。自分がここ数年肉を食わなくなったからと、他人の食生活を批判し、畜産農家まで罵倒しておきながら、平然と「西日本の安全なお肉」なんてのを紹介しているのが醜悪だ。
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これはよいことではない。ツイッター三昧は、いわばエネルギーの垂れ流し状態だから、まともな長文を書いてきた人としては堕落になる。楽に流れたのだ。
ここで大事なのは、「きっこさん」はいま最愛の「母さん」と一緒に、放射能から逃げ、「西日本に疎開している」のだが(笑)、ブログからツイッター中心になったのは、それとは無関係ということだ。
疎開の最初の頃(笑)は、身一つで東京から脱出し、使い慣れたパソコンを東京に置いてきたため、借り物のパソコンではいつものように長文がすらすら打てず、のような事情があったわけだが(笑)、その後、疎開地で、あたらしいノートパソコンを手に入れても、相変わらず焼酎を飲んでのツイッター三昧で、以前とはまったく趣が変わってしまった。これは超人気連載の「きっこの日記」としては、かなりの問題になる。
上記、何度か「(笑)」が出て来るのは「エア疎開」だからである。念のため。
その気持ちはわかる。楽なのだ。時間をかけてひとつの長文を書くより、酔っ払ってへらへらと思いつくたびにツイートしていたほうが楽なのである。睡眠にたとえるなら、以前の「彼女」は、きっちり7時間まとめ寝をしていたのだが、今は酔ったら寝る、起きたらまた飲むの2時間睡眠を繰り返しているようなものだ。躰に悪い。飲食にたとえるなら、ブログにひとつのテーマの長文を書くのは、一汁一菜で丼飯を食うようなことであるのに対し、ツイッターで思いつくままつぶやくのは、何皿ものつまみを並べて酒を飲むようなものだ。どっちが気楽で愉しいかは言うまでもない。でも自堕落ではある。
そしてまたそれはそれでエネルギーを使うから、あらためて長文を日記に書く時間も体力もなくなっている。これは負の連鎖だ。今後「彼女」の発信媒体は、「きっこのツイート」になるのだろうか。どうでもいいけど(笑)。
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他山の石にせねばならない。私も確実に楽に流れている。旧態のホームページ形式であるサイトを本拠地にしようと思いつつ、ちかごろは楽なブログばかり書いている。楽だからどうしてもそうなる。ホームページ・ビルダーを起動して、あちこちリンクを貼ったりする手続が面倒な本拠地サイトと比して、サッと書けるブログの方が断然楽なのだ。
と、私もわたし的には堕落しているのだが、さすがにブログからツイッターに流れることはない。「きっこさん」は反面教師になっている。あのひとはツイッターさえやらなかったらゲスな品性がばれることもなかった。いやそれ以前からゲスだったという意見もあろうが、そんなのは序の口。あのひとの品性があからさまになったのはツイッターだ。酔っ払って、自分と意見を異にする相手に脊髄反射で応答するツイッターで、「五十過ぎのおかま」という実態が、明確に浮かびあがってしまった。ツイッターで自滅した典型例になる。今後どんなに気どってイメージの修復に努めようと、今までに連発した聞くに堪えない下品な罵詈雑言は、今後もネット上で語りつがれて行く。デジタルは消せない。それが怖い。ネットで有名になった架空キャラはネットで自滅した。
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ツイッターに関して私はいま、困っているというか、戸惑っていることがある。「フォロー」というヤツだ。正確にはその「フォロー数」と言うのか。
私がいまフォローしていて、私のツイッターホームページに流れてくる「つぶやき」は200人程度なのだが、私にはこれでも多すぎる。ツイッター初心者だから、フォローしてくれたかたには返すのが礼儀なのだろうときちんとしてきた。それで200人にもなってしまったのだが、私には半分でいい。特にやたらRTという形で他人の書いたコピーを流してくるひとは、はっきりいってジャマである。迷惑なのだ。
たとえば意地の悪いブラックバスみたいな顔をした河野太郎がいる。鼻糞くっつけたドブスの森ゆうこがいる。それらの書きこみをRTしてくるのは迷惑だ。あいつらの醜い顔を無理矢理見せられることになる。政治家はみな自分の顔がアイコンだ。これはきつい。一日がぶち壊しになる。
同じく貧相な岡っ引きみたいな顔の山本一太なんてのも困る。山本は河野や森とちがって政治的には支持するが、ああいう顔を強制的に見せつけられるのはいやだ。山本の意見を知りたいと思ったら自分で出かけて調べる。押しつけられたくない。
ということで、そういうことをする人たちは極力避けるようにした。こちらをフォローしてくれているのでもうしわけない気もするのだが、こちらにはこちらの事情もある。フォローを解除した。ご容赦願いたい。
あとは気味の悪いドクロのアイコン等のひと。中身のあるツイートをしているひとにもけっこういる。趣味の世界だからどうしようもない。しかし私は頻繁にドクロを見る気はないので断つしかない。
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そして素朴に思うのは、私はたった200程度のフォローでも、山のようにつぶやきが流れてきて、対処できなくなっているのだが、中には4000とか5000もフォローしているひともいるのだ。もっと多いひともいるのだろうが、自分の見知っている範囲でしゃべる。
假りに1時間毎にツイッターをチェックするとして、そんなにフォローが多いひとは、ツイッターホームページを開いた瞬間、いきなり1万ものツイートが流れるだろう。とんでもない数だ。どう考えてもそれらをチェックし、その中から有効ないくつかを撰びだし、あれこれ考え、返信し、その情報を生活に役立てて、のようなことが出来るとは思えない。そしてまた「1時間毎にチェック」なんてことはないだろう。常時接続の流しっぱなしだろうから、すると、ひたすら目に停まらない情報が流れ続けて行くことになる。なんとも虚しい。こういう形でツイッターをやっているひとはなにを考えているのだろう。ぜひとも意見を聞きたいものだ。
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その点、有名人はわかりやすい。10万人も20万人もにフォローされていても、彼らがフォローするのは100人にも満たなかったりする。これはツイッターを情報を得るものではなく、あくまでも「人気者の自分がファンに対して発信する道具」と割り切っているからだろう。こういうひとが律義にフォロー返しなんてのをやったらとんでもないことになる。
こんな言いかたをして敵を作りたくないが、フォローしているひと5000人、フォローされているひと5000人なんて数字の「一般人」は、「フォローごっこ」の感覚があるのだろう。自分と感覚の合うひとの意見に誠実に耳を傾けたいと思ったなら、どう考えてもそれはもう大きすぎる数字である。
でもそんなひとには、「ツイッターなんてそんなもんすよ」と笑われるかも知れない。限られた50人から100人程度のかたと、チャット感覚でおつき合い願って、有効な情報を得たい、勉強したいと思っている私が、そもそもツイッターの解釈をまちがえているのだろう。
私の知人で最もツイッターと楽しく接していると思うひとは、「おはようございます」から始まり、「ちょっとでかけます」、「いま海の近く、風が気持ちいいです」「お腹空いたのでなにか食べようかな」「××がおいしそう」のように、おはようからおやすみまで暮らしを見つめるライオンみたいに自分の日常をつぶやいている。それに「あ、わたしも××食べたーい」なんてフォロワーから返信があったりして……。それでいいんだろうなあ、ツイッターってのは。やはり私がまちがっているのか。
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【追記】──RTは拒めるらしい──9.00記入
早朝にアップしたここを読んだ神戸で整骨院を経営する友人Sがメールをくれた。彼は18歳年下の友人である。私が「きっこさん」と同じ永遠の38歳なので彼はパソコンに習熟した10歳の天才少年になる。親しくつき合ってもう15年。10歳の整体師はすごい。
(註・ひと眠りして起きたら、数字がおかしいとわざわざメールをくださったかたがいた。私の「算数」は「一日に10円携帯電話料金があがると月に3000円の値上げになる」という「公文式」ならぬ「きっこ式」を使っているのでこれでいいのです。でもありがとう。あなたのまじめさに感謝。)
その天才少年の情報によると、前記「ツイッターRTの連発」は拒めるのだとか。東日本大震災のときにRTの山が通信障害となり、その方法が確立されたらしい。
2ちゃんねる閲覧専用ソフト・Jane Styleなんかの「NGワード」のような機能だろうか。初めてあれを知ったときは感激した。といってヘビーユーザーじゃないから、それを使うような場面はなく、一度実験的にやってみて、その効力を確認しただけなのだが。
とりあえず天才少年Sには「情報、ありがとう、感謝」と伝えたけど、いまだその方法は知らない。ともあれ拒めると知ってうれしい。ほんと、「条件反射のRT藝人」みたいなひとは、反省してほしい。むやみやたらのRTって迷惑なんだ。
また憎まれ口になるけど、自分の意見を書かず(書けず)、RTのみでツイッターに参加しているひとってのは、なにを考えているのだろう。「そういう形でネット社会の最前線に関わっていることに満足する」のだろうか。
そんなことより、鉢植えひとつでも育ててみなよ。ちいさな芽が育ち、花を開くまでの様子を見るのは、ツイッターで他人の意見をRTしまくるよりよほど感動があるから。
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【追記.2】──大震災とツイッターとソフトバンク──17時記入
追記を読んだSが、「方法の確立はその前にされていたのかもしれません」とメールをくれた。私の「東日本大震災のときにRTの山が通信障害となり、その方法が確立されたらしい」という表現を案じてくれたのだ。抗議があるのではないかと。
たぶんそうなのだろう。きっと方法自体はすでにあったのだ。でもその過剰なRTが問題となり、それを通過する方法が一般的になったのは大震災のときでまちがいないから、この書きかたでいいだろう。
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ツイッターは大震災の時に価値を上げた。そして大震災で価値を下げたのが、「繋がらないソフトバンク」だった。
そのソフトバンクに対する手厳しい意見が『新潮45』8月号に「うろちょろするな、孫正義」の題で掲載されている。震災時にソフトバンクの携帯電話は、繋がらないどころかうんともすんとも言わない、とんでもない状況になったらしい。その原因は、地方の中継基地局の蓄電施設の問題なのだという。万が一の災害時に作動する蓄電施設を完備するには金と時間が掛かる。元々の電電公社であるNTTなどはしっかりしていたが、新顔のソフトバンクはそのへんがまだ整っていず、停電によって一気に繋がらなくなったらしい。その辺のことを知らんふりして、平然と太陽電池方面で民主党と繋がり、一躍時の人となっている孫を批判したレポートなのだが、そのことはまた別項で書くとして。
そういう大問題があったのだが、ソフトバンクの携帯電話はiPhone人気もあって、その後も順調に伸びている。つまりそれはあの東北関東大震災が、多くの日本人にとって「対岸の火事」でしかないことを示している。万が一のときにも確実に繋がる携帯電話より、いま遊べるかわいい携帯電話が優先されているのだ。まあかといって日本中がソフトバンクの携帯電話をボイコットしたりするのも異常だから、これはこれでいいのかもと思う。
痛みを共有する感覚はひととして大事だが、「対岸の火事」と割り切り、己の経済活動に邁進するのも、それはそれで社会維持のためには必要なのである。とはいえこれ以上孫正義に儲けさせたくはないが。
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- 2011/07/29(金) 07:42:45|
- きっこ
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