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コルトレーンの「stardust」

「バラード」の前の「バラード」

 先週M先輩と渋谷であったとき、ジャズCDを20枚ほどもらった。先輩があまたある見本CDの中からぼくが欲しがるだろうと思うものを選んでくれただけあって逸品ぞろい。今日は夕方、図書館に本を返しに行ったがCDを借りる気はまったくなかった。聞かねばならないものが山とある。急いで帰ってきた。

 このCDはコルトレーンの名盤の誉れ高い「バラード」の前に吹き込まれていたテイクを集め、死後35周年ということで再構成したらしい。プレスティッジ時代の吹き込みである。「バラード」が1961~62年の吹き込みなのに対し、これはその前の1958~59年のものだ。共演者も違っている。当然ながらそれは今頃出てくることでも判るようにコルトレーンがアルバムコンセプトをもって演じたものではない。悪い言いかたをするなら、倉庫整理のとき見つけたものを、死後35周年にかこつけて寄せ集め、「Stardust」と題して発売したようなものである。

 だが、いい。抜群にいい。レッド・ガーランドのピアノもいい。ポール・チェンバースのベースもいい。名人達人揃いだ。「バラード」のマッコイ・タイナーのピアノやジミー・ギャリソンのベースよりもむしろ私には好みになる。なんとも上品な味わい深い作品集である。
 もうひとつの特典は「バラード」がコルトレーンのワンホーンなのに対してフレディ・ハバートのトランペットがあることだ。これが「バラード」の取りようによってはちょっと甘すぎる点を引き締めてくれている。やはり音質の違うホーンがあると世界が拡がる。

 コルトレーンの「バラード」に関しては以前書いた。日本でいちばん売れた、今も売れている彼の作品である。だが通と呼ばれる人からは評判が悪い。あんなものはコルトレーンではないと。上記一応「名盤の誉れ高い」と書いたが駄作と評するジャズマニアも多い。
 このマニアの評価の差と現実の売れ具合、というねじれ現象はおもしろい。いかにもジャズだ(笑)。

 コルトレーンはまさにジャズの求道者と呼ぶのにふさわしい人だった。自分を突き詰めるようにして限界に挑んでいった。とどまるところを知らず次から次へと新しいものに挑んで行き、その力を引きずり出してくれたドラッグにすべてを吸い出され、干からびて死んだ。形が違うしこんなことを言うと両者のファンから非難されそうだが、死に様は枝雀と似ている。両方とも私からすると「あそこまでいっちゃったら死ぬしかないよな」で共通している。
 求道者コルトレーンの後期の音楽は絵でいうとピカソのようである。そのピカソがさわやかな水彩画風景を描いたのが「バラード」だった。ピカソ自身もふつーの絵(?)を描いたらふつーにうまかったことは誰でも知っている。あたりまえだ。天才レヴェルの話である。
 コルトレーンがふつーにバラードを演奏したらふつーに最高であることはわかりきっていたことだった。そしてまたそれが一般に受け入れられ売れることも。でもそうなると求道者コルトレーンを支持する人たちはそれがおもしろくない。これもまたわかる心理だ。

 私は、コルトレーンの「バラード」を聞き、段階的にむずかしいコルトレーンに進んでいった人がいるとしたら、心からうらやましいと思う。私の場合は勉強の一環としていきなりポンと既成のジャズを破壊するかのように一心不乱に精進するコルトレーンに触れてしまった。私がいまもむかしも一番好きなのは50年代のBapである。マイルスとやっている頃のコルトレーンが好きだ。でも目覚めたばかりの勉強中であるその当時はそこまで言い切れない。とにかく何事も勉強だとこっちも一心不乱にコルトレーンの作品集を聞きまくった。

 既成のものを壊しあたらしいものを想像する姿勢はわかったが私には馴染まない。そのことから私は、コルトレーンが私なんぞの理解できない高見にいる人なのだと認めつつ(実際常にあたらしいモノを目指しての上昇志向は驚嘆と尊敬に値する)、自分とは合わない人なのだとも決めつけていった。おおきな障害となったのはコルトレーン好きの存在である。どうもこの人たちとは肌が合わない。
 だからこそまた彼らの推薦する名盤よりも「バラード」が売れている現実にはほくそ笑んでしまう。それは東大卒の共産党員が貧しい無学な庶民に対し、「あなたたちのために」と理想社会を説いているのに、肝腎のその「あなたたち」は地元出身の自民党議員を選ぶ現実と似ている。

 と言えるのは今だからであって、当時の私は読みまくっていたジャズ書に影響されていたから、そこで否定されていた(意図的に無視されていて評価の対象にすらなっていなかった)「バラード」は聴かなかったのである。恥ずかしい。もしもあの当時、コルトレーンについて訊かれたら、そのまんまジャズ解説書のセリフを言ったろう。「バラード」を否定したはずである。仮定するだけで赤面する。
 つい昨年だったか、iTunesから流れてきたオーソドックスな一曲を聴き、「いいなあ、うまいなあ、これ。誰なんだろう」とチェックして、それがコルトレーンの「バラード」の中の一曲と知ったのだった。むずかしいものの食わず嫌いになるならともかく、わかりやすい素直なモノを食わず嫌いしていたのだから、これは頭でっかちになりやすい人間にとっては肝に銘ずるべき反省になる。ずいぶん遠回りをしたものだ。この「スターダスト」を素直に楽しめたのは言うまでもない。

 まったくもってジャズと落語は似ている。
 極論すると「バラード」は三平や『笑点』になる。
 ネットで落語好きの文を読むと、まずは『笑点』の否定から始まっている。それはそれで正しいのだろうが、同時にまた明らかな間違いであるようにも思う。心寂しいとき、三平の明るさにいかに救われたことか。死にたくなるような惨めな時間、喜久ちゃんの毒のない笑いにいかに心和んだことか。
 『笑点』を毎週見ていても落語をわかったことにはならない。だがかといって『笑点』を鼻で嗤い、落語の通ぶる人にはもっと本質的な何かが闕けている。どんなに寄席に通い音源や映像を蒐集し、頭と心に落語を溜め込んでも、日曜五時半の『笑点』を楽しみに待つ田舎の年寄りの感覚を理解しない限り、落語をわかったことにはなるまい。コルトレーンの「バラード」を否定するジャズマニアと同じように。
 というのが今の私の落語とジャズに関するひとつの結論になる。
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  1. 2005/09/15(木) 07:04:11|
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