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競馬日記──1998

○月×日 Mさんと会う

 ベトナムで知り合ったMさんから「出所しました」と電話。渋谷で会う。
  Mさんは昔、名古屋競馬で厩務員をしていたという。最初はホーチミンの安宿で知り合い、たまに将棋を指したりする、その他大勢の知り合いだった。それがひょんなことから競馬に話が飛び、私が競馬関係の仕事もしていると知ると、自分の過去を話してくれ、それ以後急速に親しくなったのだった。

  私は旅のプロ(?)ではないから、彼らの流儀が解らなかったのだが、どうやら旅をすることを生き甲斐にしている人たちというか、ほとんど旅をするためだけに生きているような人たちにとって、旅人以前の経歴というのは基本的なタブーであるらしい。たとえば「ヤマさん」と呼ばれている人がいて、でもそれは名字とは全然関係ない通称だったりする。誰もがヤマさんは知っているが、その本名も日本で何をやっていたのかは知らないのだ。宿帳やパスポートに触れることもあるのだから、誰も知らないというのは嘘だと思うのだが、そこを詮索しないのが彼らの礼儀であるらしい。
  年に何回か世界のどこかで必ずと言っていいほど出会い、一緒に飯を食ったり酒を飲んだり情報交換をしたりする長年の付き合いでありながら、本当に本名も知らずにつきあっているという不思議な関係の人たちがいるのだ。そういう人たちに何人も出会っている。

  では過去を抹消した彼らがなにを話しているのかというと、これが旅の話なのである。あの国のあの町はどうの、あの町のあの店がどうのと、旅の通過点で出会った同類と、今までの旅を飽きることなく話し合い、自慢しあい、そしてこれからの旅の情報を交換しあっている。そんなときの彼らは一様に自信に満ち、満足げな笑みを浮かべている。自分の既に行った場所にこれから向かおうとする旅人に情報を与える時には先輩となり、これから行こうとしている未知の国の情報を得るときには新米となる。それを感じることが、日本という国からはみ出してしまった彼らの至福の時間なのだ。そういう場において、日本の自分、実物大の自分を思い出させてしまう経歴の話はタブーになるのだろう。

  ところが旅慣れしていない私は、興味のある人物と出会うと、平然と「どこの生まれなんですか」「いままで仕事はなにをしてたんですか」と訊いてしまう。その辺、無神経と言えば無神経なのだが、すこしでも相手が顔をしかめればすぐに話題を移すぐらいの気配りは出来るから、それほど他人様にイヤな思いはさせていないはずではある。それに、「経歴を訊くのは旅のタブー」というのは、どうやらそれほどのものではないなというのが、私の今の感想になる。

  つまり、誰にだって話したくない過去があるように、これまた誰にだって、話したくてたまらない過去もある。一応私はインタビューのプロである。いや、プロと言うのはおこがましいが、とにかく職業的にインタビュー記事をこなしたことは相当数あるのだから、最低限のノウハウぐらいはもっている。そういう人間に、テーマを絞って、筋道立てて自分の経歴を訊かれるということは、まるで一代記を語るタレントにでもなったようで、それほど悪い気分のものではないらしいのだ。

 「おれ、自分のことこんなにしゃべったの、あんたが初めてだよ」と、かなりの人に言われた。皆、自分のことを洗いざらいしゃべったことに対して、多少の戸惑いを浮かべながらも、随分とすっきりとした顔をしていたものだった。そりゃあ、素人がプロからロング・インタビューを受けるなんてことは滅多にない。悪い気分ではないだろう。

  そしてその後、彼らは皆、一様に口をそろえて言うのだ。ある人は照れながら、ある人は怒ったような顔をして、しかしまたみんな、それなりに自信を浮かべた表情で、「おれのこと、小説にするんでしょ。やめてくださいよ」と。
  冗談のつもりらしく、こうもよく言われる。「モデル料、もらおうかな」とも。

  残念ながら小説になるような価値のある話なんてひとつもない。彼らの話はただ「私はこうして日本という国から落ちこぼれました」というだけの話で、そこからまた成り上がって行くと話は違ってくるのだが、落ちこぼれたまま、意味もなくただ放浪しているだけの話をどうして小説に出来るだろう。それぞれが個性的なつもりでいて、実は皆同じような没個性の人なのだ。

  彼らと話してしみじみ思うのは、「人間って皆、自信家なんだなあ」ということである。
 「おれなんか、ゴミみたいなもんだよ」という人に限って、「だけどね」というのを持っていて、その「だけどね」を聞くと、「あんた、全然自分のことゴミだなんて思ってないじゃない。自身過剰だよ」と言いたくなるようなことばかりなのである。

  Mさんは、私が競馬好きだからと胸襟を開いてくれたのではない。本格的な競馬の話になったとき、一目置かざるを得ない知識を私が持っているのを知って、初めて自分の過去を話したのである。むしろ、ただの競馬ファンだったなら決して自分のことを話さなかっただろう。Mさんは、自分が外側の競馬ファンではなく、内側世界の人間だったという経歴に特別の自負を持っていた。私も内側世界に通じた人間だと知って、初めて心を開いてくれたのだ。

  Mさんから聞いた厩舎筋の内輪話は、なかなかにおもしろかった。内側世界の人は、内側の人にしか解らないおもしろいネタをたくさんもっている。

  かなりの腕利きだったというMさんが厩務員を辞めてしまったのは、いわゆる「東南アジア病」にかかってしまったからだ。この病気に罹ると、何度東南アジアに行っても帰ってくるとすぐにまた行きたくてたまらなくなり、まともな仕事はもう出来なくなってしまう。特効薬のない難儀な不治の病である。そしてまた生き物の世話をする厩務員というのは、給料には恵まれているが休日がなく、とても長期の旅行などは出来ない職業である。

  不治の病、東南アジア病に罹ると、まず自由の利かない会社を辞めてしまう。最初はアルバイトで食いつなぎ、短期間行っては帰国するということを繰り返しているが、次第にそれでは物足りなくなり、それなりの期間居座りたくなる。どうするかというと、季節工という職業につくのだ。半年間、衣食住付きの職場で懸命に働き、節約に節約を重ねてお金を貯め、後の半年を東南アジアを回遊して暮らすという、半年天国半年地獄の生き方である。いつの間にか、私が「回遊魚」と名付けた、そういう知り合いが何十人にもなっていた。Mさんもそのひとりである。

  いよいよ来週、Mさんは天国へ出かける。彼らは半年の労働が終ったとき、「出所しました」と電話してくる。一ヶ月四十万円ぐらいになる厳しい肉体労働を半年間懸命にこなし、二百万円ぐらい貯めるのだから、その間の生活は想像がつく。だいたい皆、ひと月に五万円ぐらいしか使わないと口をそろえる。私のように馬券を何十万も買っては当たった外れたと騒いでいるような奴は、彼らからみたら異邦人なのだ。三十万あれば東南アジアで三ヶ月は十分に暮らせるらしい。常夏の国で、のんびりと昼寝を楽しみ、酒を飲み、かわいい女をはべらせて過ごせるのだ。それをたったひとつのレースにぶっこんで外れるような私は、彼らから仲間とは認めてもらえない。(言うまでもないが、私の経済状況も彼らと同じようなものである。バクチ狂の私は彼らと金の使いかたが違うだけだ。)

  そういう知り合いの中で、Mさんだけが、昔そういう世界にいたから、私の金の使いかたに理解を示してくれた。そのことで親しくなったとも言える。といって私にはバクチ仲間はいくらでもいるからMさんが恋しいわけではない。Mさんが昔の世界を恋しがって、出所すると私に連絡を寄越すのである。


  渋谷の『蘭タイ』というタイ料理屋に行く。Mさんのような東南アジア放浪のプロは、決して日本でエスニック料理など食べない。値段が現地の十倍もして、しかも不味いのだから当然だ。タイでも貧乏人しか飲まない一本四百円の安ウイスキーが、日本のタイ料理レストランでは六千円もする。六千円なら今、上質のスコッチが飲める。まあここは私からの出所祝いということで誘う。ただならどこへでも行くのもこういう人たちの特長だ。

  正月に、タイの日本領事館が主催する新年会に出たことがある。立食形式のパーティだった。そこにこの旅のプロ達が集ったのだが、その貧乏くさいエネルギーは圧巻だった。領事の挨拶など誰も聞いてない。普段は行けない高級日本料理店のメニュー、寿司やてんぷらなどを食いまくる。中にはナップザックを持参して、お土産だと詰め込んでいる人までいた。彼らは正規に招待されてはいない。招待されるのは、いわゆる在留届を出して、日本人会に属している人だけだ。とはいえ日本人がやってきたのを追い返すわけにもいかないのだろう。勝手に押し掛け、勝手に食いまくるのだから、すごいとしかいいようがない。まあ私も、招待されていないのに見物がてら出掛けた一人ではあるのだが。
 (註・このときの話はめちゃくちゃおもしろいので、その内「チェンマイ雑記帳」にでもあらためて書こうと思います。)

  Mさんの来週出発を聞いても、べつに私は羨ましくもなかった。それよりも、仕事に対する焦りがある。頑張って仕事をせねばと思う。自己満足できるだけの仕事というものを残したら、私も季節工になってもいい。

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○月×日 Yさんと会う

 タイの北部の外れ、ビルマとの国境、メーサイという町で知り合ったYさんから電話。新宿で会う。神奈川県の自動車工場からの〃出所〃らしい。
  彼ら〃渡り鳥〃は、暖かい時期の日本で働き、寒い季節に東南アジアに渡るという習性があるから、出所の時期が相次ぐ。しばらくは彼らとの飲み会に忙殺されることだろう。
  Yさんは某国立大学、私たちの時代感覚でいうと〃一期校〃を卒業しているインテリである。しかも工学部だ。はみ出し者には色々な人がいる。

  競馬というものを一度見てみたいというので、知り合いの馬主に席を頼み、Yさんを招待したことがある。東京競馬場だった。4Fの特別席である。1レースからやってきたYさんは、「おもしろい」「昂奮する」「楽しい」を連発し、最終レースまで熱心に観ていたが、ただの一度も馬券を買わなかった。

  Yさんは株をやっている。既に三千万円ほど貯金があるらしい。バブルの頃、百万買っては、十万儲かる形になるとすぐに売るという細かなことを何度も何度も繰り返して作り上げた財産なのだそうだ。一度も失敗しなかったという。

  私にも株をやれと勧めるのだが、十数年前、株で三億の借金を作り親戚中をパニックに陥れた従兄弟がいる私には、株というのは恐怖以外のなにものでもない。その従兄弟の借金は親戚中が金を持ち寄って返却した。先祖伝来の田地田畑を皆売り払ったのだ。私の家でも可能な限りの金額を供出したらしい。田舎の一族というのは結束が堅いものだとあらためて感心した。かなり手広く穀物商をやっていたその従兄弟は、全てを失い、今はトラックの運転手をしている。彼も最初は順調だったのだ。親戚中の出世頭だった。悪いほうに転がり始めたとき、押さえが利かなかったのだろう。

  同じ血が私にも流れている。土日に銀行で金を下ろせるようになったのは何年前だったろうか。十万円の中から五万円だけ使おうと競馬場に行き、歯止めが利かなくなって十万全て負けてしまう。それぐらいならまだいいのだが、熱くなり、競馬場から駅前の銀行まで行き、全額を引き出し、家賃やらなにやら必要な生活費もすべてを使い果たしてしまったということが何度もある。熱くなると私は何も見えなくなる。こんな私が株などやったら従兄弟の二の舞だろう。株にだけは手を出さないことが、今の私のせめてもの理性なのだ。

  というようなことを話しても、Yさんは不思議そうに首を傾げるだけである。株というものでただの一度も損をしたことがない人なのだから当然かも知れない。もしもYさんが競馬をやったなら、110円ぐらいの確実な複勝をじっと待ち続け、そこでドンと買うのだろう。だって私なら三千万円の貯金があったなら手取り二十数万の工場で季節工などしない。この辺の堅実さは雲泥の差というやつである。

  Yさんは現在45歳だが、なんとか50歳までに貯金を五千万円にして、タイに永住する計画なのだそうだ。かつての日本のような高度経済成長期にあるタイでは年利が10パーセントつく。数年前までは12パーセントだったそうだ。その金利で暮らして行くのがYさんの夢なのだという。そういうYさんだから、競馬などという不確実なものに駆けるお金など、びた一文ないということなのだろう。Yさんの経済感覚だと、特観席にただで入れただけで、もう儲かっているということなのだ。

  紀ノ国屋前で待ち合わせ、歌舞伎町の居酒屋へ行く。
  最近話題になっているアジア関係の本のことで盛り上がる。若いカメラマンが写真と文章で綴ったものだ。アジア各国に住み着いている日本人をドキュメントしたその本の中に、Yさんも私も知っている人物が登場していた。

  そこで彼は、日本という俗世界から脱出し、バンコクの安宿で、わずかな身の回りの品だけで慎ましく暮らしている孤高の老人(=極めて魅力的な人物)のように紹介されていた。私たちの知る彼とは随分と違っていた。私の知っているのは、とてもいやみな年寄り、我が強く他人に自分の意見を押しつける人物、説教酒、唯我独尊タイプ、それでいて本格的な知識教養はない、組合活動家出身のサヨクということである。彼がその本の中に登場するような魅力的な人物でないことに関してだけは、皆口をそろえるだろう。

  これが東南アジア放浪歴二十年というYさんの手に掛かると、もっと手厳しい。このじいさんは、タイ北部のチェンライという町では、知らない人のいないロリコンじじいなのだという。孫のような少女売春婦を両脇に抱えては、変態的行為に浸るので蛇蝎のごとく嫌われている有名人なのだそうだ。

  考え込んでしまった。この老人のことではない。文章のことだ。ここにはドキュメントの難しさがある。この本を書いたのは、彼と初対面の、旅慣れていない若者である。本来はカメラマンだ。彼から見てその老人が魅力的だったのだから、それはそれでいい。かなり良くできた本ということで、それなりの評価も受けているのだ。だが実態を知っている人から見たら、間違いだらけの何も描けていない本になる。

  初めてタイに行ってから急速に魅せられた私は、4回ほど通った後、在タイの日本人達を主人公にしたドキュメント小説(こんな言葉あるんだろうか)というか、実話をベースにした半分フィクションの物語を一気に書き上げた。本にするつもりだった。出版社も決まっていた。だがさらに5回、6回と通っている内に、間違いや勘違いの箇所に気づき、出版しなくて良かった、出していたら大恥をかいたところだったと冷や汗をかく。そしてさらにまた通っている内に、今度はタイという国に対する考え、タイ人に対する感覚までが変ってきてしまったのだ。最初に書いた文章など、甘っちょろくて読めたものではないとなってきた。一言で言えば、見知らぬ国に対し好意的に浮かれていたのが、実状を知るに従い視点がシビアになってきたのである。


  詳しくなればなるほどそうなるのは当然だが、こうなるとメビウスの輪というか、クラインの壺というか、出口のない堂々巡りが始まってしまう。未熟なまま突っ走ってしまうことも必要なのだと考える。お蔵入りにしてしまったその小説は、今の私から見たら間違いだらけ、人物の掘り下げ方が甘ちゃんであり、「みんないい人」に描かれているどうしようもないものである。だが、タイという国を知らない人が読んだら、誰もが一度は行きたいと思うぐらい、あたたかくてやさしい面ももっている。真実って何だろう。真実って全てに関して尊いのだろうか。Yさんと飲みながら、考え込んでしまった。
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