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藤圭子&沢木耕太郎「流星ひとつ」考.結──「もっているひと」はちがう──全体を振り返って

shinyatokkyu

 沢木は26歳から27歳の時期、丸一年かけてのユーラシア大陸横断の旅をした。そして、ここがこのひとの一番賢く凄い点であるが、それを10年間寝かせておいた。すぐに本にしなかった。
 業界が注目する、言葉を換えれば「咽から手が出るほど欲しい」新進気鋭のライターである。物書き業界は芸能界以上のスター主義だ。スターをひとり造りだせば、それだけで業界全体が潤う。沢木は最高のスター候補だった。それが突如仕事を一年間も休むという。何をするかと言ったらアジアからヨーロッパへの陸路放浪の旅だ。それだけでも行天だが、それをやりのけて帰国した。そりゃもう旅行ネタは山ほどあるだろう。おいしい。出版社はすぐにでもこの「旅行記」を出したかったろう。早く書けと突っついたはずだ。

 だがこのひとは書かない。出さない。自分の旅を十年間寝かせた。熟成させた。二十代半ばの旅を三十代後半になってから文にしたのである。なんとも、賢い。そのことにより、より完成度の高い、すぐれた作品となった。若者の貧乏旅という安焼酎は、十年寝かせることによって味わい深い古酒(クースー)になったのである。


 
 あの絶妙の味わいの「深夜特急」を否定するひとたちもいる。それらは総じて「きれいすぎる」と言う。たしかに。
 旅をしたのは二十代半ばのまだ青臭い沢木のはずだ。もっと生臭くなくてはいけない。なのに……。それをきれいにまとめているのは三十代後半でずっと智識も智慧も増えたおとなの沢木なのだ。

 もしも帰国してすぐに二十代の沢木が発刊したなら、きっともっと生臭いものになったろう。それは生々しく未熟で完成度は低かったかもしれないが、後々のものよりも生命力に満ちたそれはそれでよい作品になったと思われる。沢木はそうはしなかった。それは沢木の美学に反する。十年間寝かせた。
 十年間寝かせたものだから、みょうに乾いてさわやかな作品に仕上がっている。よく言われることだが、これはノンフィクションではなくフィクションとして捉えるべき作品だろう。それがこのひとの賢人である所以だ。



 そうしてあの旅の終りに、パリの空港で、キャンセル待ちをするお忍び旅行の藤圭子とめぐり逢っていたのである。それが5年後に「インタビュー」という作品に繋がる。インタビューするひと、されるひと、ふたりの距離はこのエピソードでぐっとちぢまったろう。そうして藤の自死の二ヵ月後、34年後に『流星ひとつ』の名で発刊されるのだ。なんとも「もっているひと」はすごいなと思わざるを得ない。

※ 

ryusei

 『流星ひとつ』の中で、藤は沢木の一年間の旅を「なぜそんなことをしたのか」と問う。仕事が順調なのに、敢えてそれと距離を置き、自分の居場所がなくなってしまうかも知れないのに、一年間あてのない外国を彷徨うという感覚は、藤にとって不思議であり、同時に実は理解できていることでもある。自分がやりたいけどやれないことを、平然とやりながら生きているひと、前記した関根恵子が河村季里に惚れたように、藤の中で沢木の存在が大きくなって行くのが見える。

 晩年の藤は娘の稼いだ金で世界中を贅沢旅行で歩きまわっていた。あれも若いときに出来なかった沢木的な生きかたの実践だったのではないか。そう思われてならない。

 藤の死後、34年前の原稿を元に沢木が新刊を出し、それが藤の元夫を不快にした流れは、じつに興味深いものである。



 『流星ひとつ』の感想はひとそれぞれだ。否定するひとがいるのもわかる。たしかに、藤が死んでからの発刊には狡いと思うような面もある。
 私の感想は「出してくれてありがとう」だ。 読んでよかった、読めてよかった、になる。藤圭子の背負っていたものとは比ぶべくもないので書くのも恥ずかしいが、私もまた藤と同じく権力に頭を下げることなく「別に」の姿勢で生きてきた。どこにも阿ったことはない。藤は自分と一緒に「別に」と言ってくれるスタッフがいなかったことを悔しがっていたが、私が藤のスタッフだったら、彼女と同じく「別に」である。NHKが藤を紅白から落とした、いいね、じゃもうNHKとは縁を切ろう、である。もしもそういうことがあったら、藤も私も破滅したと思うが、それはまた別問題だ。
 そういう彼女の精神を『流星ひとつ』で知りえたのは、おおきな収穫だ。「Harvest」である。いろいろと評価は分かれたようだが、私の感想の結論は「沢木さん、出してくれてありがとう」になる。これが結び。以下、附録。


---------------


 長々と書いてきた《藤圭子&沢木耕太郎「流星ひとつ」考》だが、そろそろこの辺で筆を擱きたい。
 一応最初はまとまっていたのだが、途中から分列気味になった。すこしまとめてみる。



 書きたかったこと、まず藤圭子に関しては、

・1970年の社会的現象であったこと

 だ。ひとりの新人演歌歌手の話題ではなかった。それは五木寛之さんの造語である〝怨歌〟とか、それが逆の意味で伝わっていった流れとか、北山修と毎日新聞の深夜放送に関するウソとか、自分なりに記録できたと思う。

 【芸スポ萬金譚】に《なぜか突然藤圭子の「新宿の女」が聞きたくなった》というのを書いたのは2013年の1月14日だった。この7カ月後に彼女は自死する。ふと聞きたくなる彼女の歌は、私の場合これがいちばんだ。これからもきっと「新宿の女」は思い出すたびに聞くだろう。いま旅先だが、YouTubeのそれはしっかりDownloadして持参している。

 70年は安保の年だ。義塾も一年半のストに入った。創立以来いちばん長いだろう。授業に出ていないヤツも(というか授業がないわけだが)リポートで単位がもらえたのに、そこで留年している私はえらいな(笑)。だって学校に行かなかったからそうなったことすら知らなかった。

 藤圭子が「新宿の女」でデビューする1969年に武豊が産まれている。70年は羽生善治&羽生世代だ。あの年に産まれたひとに傑物が多いのは単なる偶然なのか。



 そしてもうひとつが、

・もうひとつの流星、石坂まさを

 である。藤圭子抜きに石坂まさをは語れず、石坂まさを抜きに藤圭子は語れない。ふたりは双子の巨大な流星だった。
 当然ながら石坂さんは、藤圭子以外にも、その後も五木ひろしを始めとする大物に曲を提供し、そこそこのヒットを出しているらしい。だから演歌に詳しいひとからは、「石坂の絶頂期は藤圭子の初期の4曲、あれで燃えつきた」には手厳しい異論をもらいそうだ。でも私のイメージがそうなのだからしょうがない。假りに数字を突き付けられたとしても、あの時代を生きた私のイメージだから、それは変られるものではない。
 たとえばポール・マッカトニーを「ビートルズ時代がすべて」と言うひとがいたら、熱心なポールファンは怒るにちがいない。でもあれだけの長年の活躍と創作活動を続けながらも、ポールがビートルズ時代以上にインパクトのあるヒット曲を送り出していないのもたしかなのだ。それと同じ感覚である。

 先日これを書きつつ検索して、YouTubeで藤圭子の「新宿の女」を聞いた。どこかのテレビ番組。和服を着て歌っていた。思いっ切りメロディをくずして歌っていた。いくつぐらいだろう、三十代半ばか。もっと上か。そこには五木さんの言った〝怨歌〟なんてカケラもなかった。ただの「歌の巧いおばさん」だった。やはり石坂まさをにしても藤圭子にしても、世に出る直前の光が独自の輝きとなったのであって、リッチになったふたりが失ったものも確実にあったように思う。



『流星ひとつ』に関しては、

・沢木と藤のパリでの出会いの衝撃

 に尽きる。これって言わばふたりのサイドストーリィであり、読者の私にはまったく関係ないのだが、私はこれに衝撃を受けて『流星ひとつ』購入にいたった。しかしまあ沢木さんは「もってる」。それを明かされたとき、もう藤圭子の目はうるるんだったのではないか。待ちつづけた「白馬に乗った王子さま」はこのひとではと思ったのではないか。いやはやノックアウトされたエピソードだった。



・書き足したいくつかの音楽話


 この「藤圭子&『流星ひとつ』考」は、日本を留守にするあいだに自動アップするように設定して書いた。去年1月の「大鵬話」と同じになる。「1話を1000字にして20回連載」の体裁で書きあげた。私が日本にいないあいだ、自動でアップされる予定だった。原稿用紙換算で60枚ほどの量。それを仕上げて異国に行った。

 ところが今回の異国生活前半は幸か不幸か私には珍しくWifiが通じるオシャレな地域だった。ま、オシャレもなにも今じゃそのほうがフツーなのだろうけど、恥ずかしながら私は初体験。ThinkPadもAsus MeMO Padも快適に繋がった。それで、よせばいいのにその「20回連載」を読み返してしまった。粗だらけである。己の醜さを見て汗を掻く蝦蟇状態。あちこち言葉が足りない。力がないからが基本だが、出発前に1ヵ月以上ブログ更新が途絶えるのも数少ない固定読者に申し訳ないと急いで書いたことにも因はある。それの直しを始めた。直せば書き足したくもなる。書き足せば削りたいところも出て来る。こうなるともう泥沼の堂々巡りである。「1回1000字」なんて約束ごとはすぐに破られ、あれやこれや書き足しての混迷状態となった。結果、26回の連載で合計140枚を越している。書き足した部分のほうが多い。

「いくつかの音楽話」とは、たとえばビートルズの「Abbey Road」、ニール・ヤングの「Harvest」、由紀さおりの「生きがい」、テレサの「つぐない」のあたりである。「別れの旅」「面影平野」もそれになる。
 これからインターネットのない山奥の世界に往く。せっかくオシャレな街に来ているのに、Wifiがあったがために「ひたすら日々『藤圭子論』の修正のみの生活」を送った。斎戒沐浴して日々精進の時間だった。もっと俗事に染まるはずだったのだが。それでも私なりの「藤圭子論」と「『流星ひとつ』の感想」を書けた。これはこれで貴重な思い出になるだろう。「大鵬」の時も思ったが、「書こう」と思った波が来たときに一気に書かないとあとではもう書けないのである。書けてよかった。長長のおつき合い、感謝。(完)
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