藤圭子&沢木耕太郎『流星ひとつ』考⑭──アルバム「新宿の女」の青さ、時代の輝き──裏ビデオ、ドリー・ファンク・Jr

shinjuku-album アルバム「新宿の女」のジャケット

 藤圭子のファーストアルバム「新宿の女」が発売されたのは1970年の3月。これが20週連続アルバムチャートの1位となる。それを抜いて1位になるのが7月に発売されたセカンドアルバム「女のブルース」で、これが17週1位。この37週1位はあまりに有名な記録。さらには今回調べ物をして、このあと前川清との共同アルバムが4週連続1位となり、合計41週という記録をもっていると知る。まさに社会現象だった。

 私の大好きなデビュー曲「新宿の女」が発売されたのは1969年の9月だが、それはさほどの話題にならず、真の藤圭子ブームは、シングル「女のブルース」が出た1970年の2月、このアルバムが発売になった3月という1970年になってからの爆発であることが確認できる。



 アルバム「新宿の女」の収録曲は以下のもの。オリジナルは「新宿の女」と、そのB面であった「生命ぎりぎり」の2曲しかない。あとは大ヒット演歌のカバーアルバムである。しかし前記したように石坂まさをのトラウマであり怨みである「夢は夜開く」はすでに収録されている。

「新宿の女」に続いて出したシングル、オリジナルの「女のブルース」が大ヒットしているときに、その次の曲としてファーストアルバムに収録されていた「夢は夜開く」を引っ張りだしてくるのだから、いかに石坂がそれにこだわっていたことか。

 そしてまた、20週連続1位の記録を作るこのアルバムは、ほとんど全部がカバーなのだから、ここには石坂の力はさほど関与していない。石坂の提供した楽曲の力ではなく、このアルバムは「歌手藤圭子の力」で売ったものであることがわかる。



アルバム「新宿の女」収録曲

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 私は今回大きな期待を持ってこのアルバムを聴いた。今までも何年に一度か、たまに思い出すたびに聞いてきたのは「新宿の女」だけである。その他のカバーは、当時のラジオをべつにすれば長年聞いたことがなかった。
 そこにはあの時代と天才歌手藤圭子の輝きが詰まっているはずだった。ところが、まあたしかにあのころの時代は感じたものの、社会現象とまでなったはずの身震いするような感動は存在しなかった。それらはみた元歌よりも劣っていた。

 私は「カスバの女」が好きなので、YouTubeで集めたいくつかのテイクを持っている。藤のそれは、本家のエト邦枝や、カバーしたキム・ヨンジャにも劣るものだった。青江三奈作品も同じ。カバーの多い「あなたのブルース」も同じく。



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 本家・籔危険──ATOKには「籔が危険」となるらしい──矢吹健の「あなたのブルース」は、なんだか幽霊が出て来そうな気味悪いアレンジでどうにも苦手なのだが、当時寺山修司が、「『あなたのブルース』の〝あなた〟は、その数だけの通りすぎた男である」なんて解釈を書いていたことに影響を受けて私のお気に入りだった。つまりこの歌、サビの部分で「あなたあなたあなたあなた あーなあた」と「あなた」を連呼するのだが、寺山の解釈だと、この「あなた」は今好きなひとりを呼んでいるのではなく、通りすぎた男達でありあなたの数だけの男なのである。そう言われると、すさんだ暮らしのホステスが、「あなた」と呼ぶたびに男の写真がパッパッと代って行くような映像が目に浮かび、う~む、と寺山の感覚にうなったものだった。

 そういえば「課長島耕作」でも、馬島典子が「今までに惚れた男ベストテン」のビデオを自分で作ってもっているって話があった。みんな大金持ちなのだが、最後にただのサラリーマンである島が1位で登場する。けっこうほろりとするいい話だった(笑)。

 いろいろなひとのカバー「あなたのブルース」を持っている。本当は矢吹の歌唱が一番いいのだが、どうにもあのアレンジは好きになれない。作詞作曲の藤元卓也さんには敬意を表するが、いったい誰があんな気味悪いアレンジをしたのだと調べたら、編曲も藤本さんだった(笑)。



 今回大きな期待をして藤圭子バージョンを聞いた。結果、青江三奈の足もとにも及ばないと知る。ここにあるのは、独特の嗄れ声が魅力的だが、「唄の巧い18歳の娘さんの歌」でしかなかった。ひと言で言えば、若い、青い。

 思えばたまに聞く「新宿の女」も、もう何度も聴いているから慣れてしまったが、初めて、それこそ何十年ぶりかで聞くときは、あのころ五木寛之の言った〝怨歌〟を意識して、どれほど興奮するものだろうと思って接したが、そこにあったのはやはり「唄の巧い18歳の娘さんの歌声」でしかなかった。単なる「懐かしい唄」だった。

 やはりあれは衝撃的な社会現象だったのだと、あらためていま、思う。端整な美貌、それとは対象的などすの利いた声、噂される特異な出自、まさに流星のごとき突如の出現、それら全体のミックスが、あれほどの大きなムーブメントとなったのだ。だがこのファーストアルバムを聞く限り、五木の言う〝怨歌〟というほどのどろどろしたものはまったく感じない。



 しばらく前になるが、スポーツ紙の記者をやっている知人がこんなことを言っていた。
「裏ビデオの名作って、いま見るとぜんぜんつまらないよね」と。「『洗濯屋ケンちゃん』なんて、つまらなくて見られない」と。

 裏ビデオが出るまでは、そういうモロ映像は、ブルーフィルムと呼ばれ、映写機を保有し、独自の入手経路を持っているごく一部の金持ちだけの楽しみだった。それが誰でも家庭で見られるようになった、とんでもないエポックメーキングな電化製品だった。だが裏ビデオが与えた影響は、ただそれだけのものではない。その前から高級な趣味の嗜好品として家庭用小型ビデオデッキは完成していた。しかし高いし、さほど売れなかった。消耗品のテープも高かった。それが爆発的に普及したのは裏ビデオのお蔭と言われている。普及により値段も下がった。その経済効果は計り知れないものがある。裏ビデオとは、日本経済史からも無視できない存在なのだ。

 その代表的名作と呼ばれたものに「洗濯屋ケンちゃん」というのがある。見ていないので強くは言えないが、知人の言う「今じゃつまらなくて見られない」には同意見である。似たような経験はしている。そういうものだ。当時の衝撃的なものも、時代が過ぎるとそうなってしまう。



 同じような例をもうひとつ。
 1969年、昭和44年に初来日したNWA世界チャンピオン、ドリー・ファンク・Jrは、私にとって特別な存在だった。前チャンプ、ジン・キニスキーや前々のルー・テーズと比べると、型破りの27歳の若さ、ウエストテキサス大学を卒業し高校の物理教師の免状を持っているというインテリ。同行した金髪のジミー夫人の美しさ。それまでのプロレスの印象を一新する新チャンプだった。すでに若禿だったが、それを補ってあまりある智性が魅力的だった。というか私は、ハゲってかっこわるいというイメージを、ドリーで覆されたように思う。

 ジン・キニスキーからベルトを奪ったのが13回目の挑戦であり、政治力によって成り上がったひ弱なチャンプではないかという噂もあった。父のシニアがセコンドにつき、わざとらしい過保護でそれを盛りあげた。
 しかしドリーは、大阪で猪木と0対0の60分フルタイムの闘いをすると、とんぼ返りの東京で、今度は馬場と1対1のまたも60分フルタイムの試合をやってのけた。このとき馬場がドリーから一本奪ったのが、初公開のランニングネックブリーカードロップだった。それまでこの形の技はクロスラインしかなかったので、馬場の新決め技に興奮した。ひ弱どころかすさまじいスタミナである。そして帰国。翌日からはまたアメリカ各地を転戦しての防衛戦である。NWAチャンプの苛酷なローテーション。馬場や猪木が日本ローカルのチャンピンオンだと知らされた。忘れられない名勝負だ。あのときドリーにもらった感激はいまも忘れない。

 私はどんな有名人と会っても、いわゆるあがるという感覚はないのだが、ずっと後、馬場さんの好意で(というか竹脇さんの力で)後楽園ホールの控室でドリーと会わせてもらい、高校生時代からの大ファンであることを告げて握手してもらったときは天にも昇る気持ちだった。隣にはそのころ人気絶頂のテリーがいたが目に入らなかった。テリーが、地味な兄にもこんな熱狂的なファンがいたのかと喜んでいたのが印象的だった。つまりこういうものは「そのひとをいつ知ったか、いつファンになったか」が重要なのである。

 後に知りあった一回り年下のプロレスファンから、「さんざん名勝負と聞かされていたので楽しみにレンタルビデオで見たが、2試合ともじつにつまらない試合だった。期待外れだった」と言われて傷ついた(笑)。ちょうどビデオデッキが普及し、レンタルビデオ店が続々と出来てきた頃である。

 言われて見れば、今の常識で言うなら、2試合連続フルタイム、共に引き分け、も、日本のチャンピンオンを傷つけないNWAチャンプの常道である。格下の猪木にはワンフォールも許さず、格上の馬場には一本与えることも、すべて決まっていたことであり、日本でベルトを取られてしまうのではないかとリング下から過剰にちょっかいを出したりするシニアのそれもシナリオ通りである。そしてまた今時の器械体操的跳んだり撥ねたりからすれば、というか四天王プロレスのころと比べても、とんでもなく技も地味であった。ドリーはこのあとロビンソンと闘ってダブルアームスープレックスを覚えたりして技が多様になって行く。あのひとはチャンピンオンになってから強くなった。だがこのころの決め技は父親譲りのスピニングトーホールドだけである。この技も「なぜスピニングする必要があるのか」という哲学的命題を内包している疑問点の多い技なのだった。
 そいつにそう言われて当然だった。こちらとしては腹の中で「あの時代を知らないヤツに、あのすばらしさがわかるか」と居直るだけである。そうなのだ、「時代」で語るべきものは、後からの「今」で解釈しても意味がない。



 音楽を裏ビデオやプロレスの試合と同列に並べるのは失礼とも思う。
 1950年代のマイルスを始めとするJazzの巨星の演奏は、いまも色褪せないし、私の好きなジャンゴ・ラインハルトとステファン・グラッペリの演奏など、録音も楽器の音色もひどいものなのに、そのポテンシャルと輝きはいつ聴いても陶然とする。
 裏ビデオやプロレスの名勝負は「時代そのもの」であるが、音楽を時を超えている。未だにリスト以上のピアニストはいないと言われるように。

 だからこの比喩は藤圭子に失礼かとも思う。だが正直な気持ち、当時あれほど衝撃を受けた藤圭子の歌唱に、いまさほどの感激をしないのもまた事実だった。特に〝怨歌〟というような凄味は感じない。あれは五木寛之さんも時代に躍らされた勇み足だったのではないか……。



 ただ、このこともまた書いておかねばならない。私が大きな期待を寄せて、それほどでもなかったと書いているのは1970年3月発売の藤圭子のファーストアルバムについてである。当然吹きこみはそのかなり前だったと思う。
 いまYouTubeで、藤圭子が1970年10月23日に渋谷公会堂でやったというコンサートの音を聞いている。どなたかがアップしてくれたものだ。これはもうファーストアルバムとはぜんぜんちがう。たった一年で、この「しゃがれ声の唄の巧い娘さん」は、一気に「プロの歌い手」になっている。そこにはファーストアルバムで感じた若さ青さはもうなく、円熟の中年歌手の雰囲気すら感じる。駆け足で生きたひとなんだなとあらためて感じる。(続く)
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  1. 2014/08/04(月) 20:50:19|
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