スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

藤圭子&沢木耕太郎『流星ひとつ』考える⑫──石坂まさを以外の曲「京都から博多まで」「別れの旅」「面影平野」

kyoutokara

 いきなりデビュー曲から師匠・石坂とのコンビで大ヒット曲を連発し社会的現象とまでなった藤は、その後しばらくは従容状態となる。それは演歌歌手としてふつうだったし、そもそも演歌歌手なんてのは代表曲がひとつあれば喰って行ける世界だ。藤はもう一生食いっぱぐれのない宝を手にしていたと言える。しかしデビューからがあまりに凄まじかったからか、陣営はさらなる大ヒットを狙ったようだ。ここで一時石坂から離れて、阿久悠の詞で作品を作る。曲は猪俣公章。それがひさびさの中ヒットとなる「京都から博多まで」。それなりにヒットしたのだろう、テレビの歌謡番組からよく流れていた。私個人は、サビのメロディを覚えている程度。もう藤圭子に興味をなくしていた。


 元々ネオン演歌なんて分野には興味がなかった。今もない。今までもこれからも無縁の世界だ。そんな私に興味を持たせた藤圭子が特別な存在だった。

 ただしJazzを聞くようになって30年以上経った今は、当時コバカにしていたその種のネオン演歌でも本物はすごいとわかるようになった。たとえば青江三奈だ。
 あのイントロの「あはん、あはん」で有名な「伊勢崎町ブルース」が流行ったころ、しみじみくだらん歌だと思った。なんの興味もなかった。大嫌いだった。そしてまた紅白歌合戦というくだらん番組では、あの「あはん」は教育上よくないと、あの部分は青江の周囲に集った応援団(笑)が、笛やホイッスルを吹いてごまかすという演出をしていた。まことにくだらん。いかにもNHK。そういう時代だった。そのくだらん番組を私はもう見なくなっていたが、藤の出ていたころはまだ彼女を見るために見た。見なくなってもう40年経つ。

※ 

 紅白ついでで言うと、藤圭子が紅白で強要される網タイツ姿を拒んだ話が『流星ひとつ』に載っている。これまたよく覚えている。なんだか知らんが番組の真ん中あたりで、女性歌手が全員網タイツになってラインダンスを踊るようなコーナーがあった。NHKなりの精一杯の視聴者サーヴィスだったのだろう。藤は、これを強硬に拒んだ。大NHK様も「全員でやってもらわなきゃ困る」と譲らない。しかし藤は我を通し、島倉千代子らと一緒に網タイツ姿にならない応援団に廻った。と書いて、そうだったそうだったと当時を思い出す。藤は網タイツにならず応援団のほうにいた。正しい姿勢である。しかし新人として(デビュー時ではないがまだまだ新人の時期だ)この我の強さは特殊である。周囲は冷や冷やしたことだろう。『流星ひとつ』では、「躯にも自身がなかったし」「くだらないと思ったし」と、その理由を語っている。NHKから切られる理由は充分にこのころから持っていたことになる。


 当時の私が色気づいたニキビ面の学生として、女性歌手の網タイツラインダンスを楽しんだかというとそういうこともなく、逆に前々から嫌いだったNHKに、完全に愛想を尽かす一要因になった。なんつうか、やることなすことダサいのである。当時はまだダサいということばは流行ってなかったが。
 
 思い出すと、小学生の頃からもうNHKは嫌いだった。「お国自慢西東」だったか、宮田輝というアナが全国を回り、その地の方言で挨拶したりするのが受けていた。父母は大好きだった。楽しみに見ていた。私は反吐が出るぐらい嫌いだった。NHK嫌いの基本は、そういうわざとらしさ、にある。しかし田舎者には受けるらしい。いやそのころの私も誰にも負けないぐらいの田舎者だったが、どうにもこの種のものは受けつけなかった。後に宮田は記録的大量得票で国会議員になる。この種のアナが国会議員になるのの走りである。いま神奈川県知事がアナ出身だ。クロイワ(笑)。そのまたあと「宮本輝」という作家を知ったとき、なんちゅうセンスのない筆名だと思った。これじゃ誰だって宮田輝を思い出す。今じゃもうこっちのほうが有名だけど。


 椎名誠さんの初期のエッセイに「中央線終電の中でウォークマンで演歌を聴く。妙に合う」というのがあった。一種の「風景と音楽論」だ。後に私がタイの田舎をドライヴするときにどんな音楽が似合うかと、日本からカセットテープを大量に持ち込み、実験したのと同じような遊びをすでに椎名さんがやっていた。これが入っているのは「国分寺書店のオババ」か。
 
 そのとき椎名さんが聞いたのが青江三奈だった。「池袋の夜」だったか。もっとマシな音楽を聴けよ、と思った。そのときの私は二十代後半。ロックとブルース漬けの日々を送っていたが、まだ本物がわからなかったのだろう。いまはわかる。たしかに「中央線の終電」に「青江三奈」は似合うだろう。
 
 やがてJazzとClassicの世界に埋没するようになって、埋もれているそこからひょいと頭を出したら、ある日突然Jazzがわかったように、いきなり青江三奈の凄みがわかるようになっていた。すごい歌手だ。
 このひとも朝鮮人である。まこと、朝鮮人の音楽能力には敬服する。


 話、藤圭子にもどって。
 デビューからの4曲、私にとっての藤圭子のすべてである4曲の時、私は田舎の高校生だった。

abbeyroad

「新宿の女」が発売されたのが1969年9月25日。ビートルズのアルバム「Abbey Road」がイギリスで発売になったのが翌日の26日。日本での発売は1ヵ月遅れ、10月下旬だった。
 藤のシングル第二弾「女のブルース」が発売になる1970年2月、私は毎日毎日「Abbey Road」を聴いていた時期である。あのジャケット、ポールだけ裸足なので「ポールは死んでいる」と噂が流れたやつだ。ビートルズ最高のアルバムというと「サージェント」だ「ホワイト」だと意見が分かれるが、私はむかしから断然「Abbey Road」支持者である。理由は、トータルコンセプト、になる。あのB面のメドレーの完成度を見よ。ものの本によると、このB面をポールは誇り、ジョンは否定的だとか。私は断然のポール好きなのでここも納得できる。



 しばらく低迷した藤が「京都から博多まで」をヒットさせるまでに1年半の時間がかかった。その間に田舎の高校生だった私は東京で長髪の大学生になっていた。歌を作る音楽サークルに属し、自己流の作詞作曲に没頭する日々。手本としてボブ・ディランやジェームス・テイラー等のシンガーソングライターの作品を聞きまくる。

neil young-harvest

 藤の「京都から」がヒットしたのは1972年の春。そのころ私が惚れていたのは同時期に発売されたニール・ヤングのアルバム「Hervest」。全曲すばらしく、細部までよく磨かれた歴史的傑作である。「ダメージ・ダン」のコピーに勤しみ、「ハート・オブ・ゴールド」を真似てブルースハープを吹く私に、彼女の歌う阿久悠の歌詞「京都から博多まで あなたを追って 西に流れてゆく女」は響いてこなかった。もう私にとって藤圭子は、かつて一時期時代を共にしたというだけの遠い存在だった。 


 『流星ひとつ』を読んで、音楽話として、とても興味深かった話を二題。

wakarenotabi

 ひとつはこの「別れの旅」。これは「京都から博多まで」のヒットで気をよくした陣営が、阿久悠作詞、猪俣公章作曲という同じコンビでヒットを狙ったものである。
 前記したように私にとって藤のヒット曲はデビューしてからの4曲がすべてであり、その後の歌は知らないのだが、私はこの曲の詞もメロディもよく覚えている。いまも歌えるほどだ。ラジオから流れてきたのを聞いて、即座に気に入った。私好みのメロディなのである。デビューからの4曲以外で好きな藤の曲といったらこれになる。

 しかしこの曲はヒットしていない。わたし的には「京都から」より遙かによい楽曲なのになぜヒットしないのだろうと不思議だった。今回その謎を藤が『流星ひとつ』で明かしている。
 その前に阿久悠の歌詞を見てもらわないとならない。こちらです。




 藤は、この曲を大好きだったと言っている。「京都から」よりもずっと。だが歌詞がつらくて唄えなかった。「二年ありがとう しあわせでした」のあたりである。
 当時の藤は前川清との2年間の結婚生活を終えたばかり。「つらくて唄えない」は、「思い出が多すぎて」のような意味ではない。「私生活を売りにする姿勢」についてである。結婚離婚の現実と歌詞の内容が合っている。潔癖な藤は、そんな私生活を売りにするようなことはできない。
 
 阿久悠の詞が、そういうことを意図して作られたものであるのはまちがいない。読めばわかる。こういうことを売りにするのが芸能界である。だが侠気あふれる正義感の強い、潔癖症の藤には、自分の離婚を売り物にするような歌詞を歌うことは出来なかった。感情を込めて歌い、最後にそっと涙を拭ったりするのが、そういう世界の常道なのに……。

 藤はこの曲を営業でも歌わなかった。レコード即売会のような催し物でも歌わずB面の曲を歌ったという。ここでも我を通した。ヒットしなかったのは自分のせいであり、大好きな曲だけに申し訳ない、という気持ちはある。「だけど歌えないよ」と藤は沢木に語っている。このひとの一本気はうつくしい。でも芸能人としては、やはり問題ありなのだろう。私は断然藤圭子の感覚を支持するが。


omokageheiya

 もうひとつ興味深かったのは「面影平野」について。これは1977年の曲。阿木燿子作詞・宇崎竜童作曲という夫婦に依頼した作品だ。藤ももう26になる。私も社会人か。
 沢木はこの曲が好きらしく、藤にこの詞を掲示して迫る。「すばらしい歌詞であり、曲も良い。自分は大好きだった。なのにヒットしなかった。それはあなたの責任ではないのか!?」のように。
 「面影平野」の歌詞はこちら。



 藤は歌詞を見つつ、「すばらしいと思う。特にここなんか阿木さんでないと書けない」と沢木の意見に合わせる。
 だがそのあと、「じゃあなぜヒットさせられなかったんだ」と沢木に迫られた藤はハッキリと、自分は「面影平野」には燃えなかったのだと応じる。良い作品だとは思う。だが石坂の「女のブルース」に身震いしたような感動を、この作品から受けなかったのだと。

 同意である。えらい、よくぞ言った! と思う。

「面影平野」の歌詞はよく出来ている。別れた男とのいろいろな思い出が詰まった「六畳一間の面影平野」である。しかしこの詞、あくまでも技巧だろう。べつに体験至上主義者じゃないが、石坂の初期の作品にあるような生々しいものがまったく伝わってこない。阿木燿子というオシャレな?作詩家が、都心の高級マンションで、「演歌の藤圭子に似合うのはこんな世界だろう」と創りあげた技巧的作品である。一瞬でわかる。

 藤圭子はブルースシンガーなのだ。その歌が真のブルースなのか、もどきなのかは一瞬にして見抜く。藤の目には、これは「技巧派の作った巧みなブルースもどき」と映ったのだ。


 
 これを良い歌詞だ、なぜこれをヒットさせられなかったのかと迫る沢木には疑問だ。字面としてすぐれた歌詞かも知れないが、これには心がない。このひとも阿木燿子側の感覚なのだろう。それは後に井上陽水との関わりの文でも思う。私は沢木耕太郎を音楽のわかるひとだとは思っていない。いや音楽に限らず、沢木は、私の知っている分野で言うなら、将棋も競馬も、なにもわからないひとだ。それは取材当時は知らなくて当然だ。そういう意味ではなく、このひとは何ものにも「溶けあわない」と言ったほうがいいか。山野井泰史の「凍」でもそう感じた。

 このひとは対象物と併走する視点で独自の世界を築いてきた。対象物と溶けあわないから、両者のあいだにある厳然とした一線が、逆に読者にはクールな視点として魅力的に映る。だからこそこのひとはノンフィクションライターとして傑出している。沢木耕太郎の魅力とは、沢木耕太郎という筆名の作家の生きかたそのものなのだ。作品が沢木耕太郎なのである。

※ 

 後にYouTubeのそれを見た宇多田ヒカルが、「『面影平野』のかあちゃん、かっこいい」のようなことを、ブログに書いたのかツイートしたのか、そんな話を耳にした。正確じゃないがニュアンスは合っている。もちろんまだ藤が存命の時期である。
 私も今回それらを見てみたが、感じるものはなかった。「夜のヒットスタジオ」の「面影平野」だった。藤が燃えていないのが伝わってくる。宇多田ヒカルが「うちのかあちゃん、ほんとにすごい」と感嘆するものは他にある。

※ 

utadafirst

 そういや私は宇多田ヒカルのファーストアルバムを買っている。今もCD売りあげレコードであるあれだ。その理由は、話題の「藤圭子の娘」のアルバムを買ったのであり、彼女の歌にソウルを感じたからではない。当時もう奇行で目立つだけの過去の人である藤圭子が、ここまでまた逆転満塁ホームランを放ったのだから記念に買っておくべきと思った。世間一般はいま藤を「宇多田ヒカルの母」とするだろうが、私にとってはあくまでも宇多田が「藤圭子の娘」である。

 なんかしらんがあれをR&Bとするのはいかがなものか。私には、ただの今時の娘が作ったポップスでしかなかった。日本の流行歌史としては、あの時期R&Bが流行り、宇多田がその流れを作ったというのだが、それって本物のR&Bに失礼じゃないのか。もっともその歌謡史では和田アキ子あたりもR&Bに分類されるらしいから私とは解釈がちがうのだろう。今は宇多田のCDがどこにあるかも定かではない。ハードディスクに5万曲ちかく挿れているが、その中にもない。捨ててはいないから押入のどこかにあるはずだが。

 それでも日本人のCDを買ったのは、というかもうJazzとClassicしか買わなくなって長いから、それ以外のCDを買ったのはあれが最後になる。それが「藤圭子の娘」であることは私的にうれしい。(あ、そのあとアコーディオンのcobaを買っているか。でも日本人の歌モノでは宇多田が最後だ。)

※ 

 宇多田ヒカル再婚のニュースが伝わってきた。藤の母も姉も藤自身も、19で結婚して離婚した。するとなんと娘まで19で結婚して離婚したのだった。しあわせになって欲しいと願うが、年下のイタリア人であるらしい。いま無職だとか。とはいえろくでもない男に貢ぐのもまた母親譲りだ。『流星ひとつ』に、その辺の話もたっぷりあり、嗤うよりも先にせつなくなった。
 宇多田の結婚相手は最初が朝鮮人、次がイタリア人。この歌姫には、なかなか日本人の男は撰んでもらえないようだ。(続く)
関連記事
  1. 2014/08/03(日) 20:48:11|
  2. 読書
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<藤圭子&沢木耕太郎『流星ひとつ』考える⑬──ネオン演歌『新宿の女』とテレサ・テン的な世界 | ホーム | 日本人のイニシャルは姓・名の順が正しい──に【追記】>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://moneslife.blog.fc2.com/tb.php/1196-85fcd7c7
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

fc2moneslife

Author:fc2moneslife
2001年に始めたサイトMone's World--http://monetimes.web.fc2.com/の出張版ブログ【木屑鈔】Boku-setsu-shouです。
2005年からやっているライブドアブログから引っ越してきました。FC2のサイトは2007年から利用させてもらっていました。これでやっとサイトもブログもFC2で統一です。
メールは、moneslife2000@kpe.biglobe.ne.jpまで。

最新記事

カテゴリ

未分類 (0)
大相撲 (32)
落語 (6)
生活 (84)
パソコン (76)
ことば (41)
読書 (29)
音楽 (50)
政治 (200)
テレビ (27)
インターネット (91)
漢字 (6)
オリンピック (11)
マスコミ (46)
NHK (2)
プロレス (6)
世相 (91)
総理大臣 (7)
映画 (21)
スポーツ (8)
園芸 (3)
将棋 (69)
Jazz (7)
競馬 (19)
芸能 (32)
旅行 (10)
格闘技 (4)
漫画 (14)
橋下徹 (16)
タバコ (4)
Rock (2)
中共 (11)
宗教 (9)
週刊誌 (7)
皇室 (9)
地震 (39)
台湾 (6)
石原慎太郎 (10)
CM (2)
きっこ (23)
地デジ (7)
朝鮮 (23)
国民栄誉賞 (2)
ツイッター (8)
女子サッカー (1)
野田聖子 (9)
訃報 (10)
ブログ (11)
飲食 (11)
電王戦 (2)
竹島 (9)
靖國神社 (6)
デヴィ夫人 (6)
酒 (4)
節電 (1)
ホッピー (5)
小沢一郎 (9)
Windows8 (2)
たかじん (5)
島耕作 (1)
物品 (3)
テレサ・テン (2)
選挙 (8)
佐川急便 (8)
猫 (1)
白川道 (1)
サヨク (14)
麻雀 (1)
郵便 (1)
通販 (1)
Asus Memopad (1)
文章 (2)
携帯電話 (1)

月別アーカイブ

カテゴリ別記事一覧

検索フォーム

リンク

このブログをリンクに追加する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。