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《『殉愛』騒動──及川さんの百田さんへの挑発ツイート》に追記

《『殉愛』騒動──及川さんの百田さんへの挑発ツイート》に、以下の文を追記。知名度について。

---------------

百田さんが及川さんのツイートに「無名作詩家の売名行為」と返したので、「及川さんは高名な作詩家だ。それもしらんのか!」と、及川ファン、アンチ百田から批難が殺到した。それは百田さんが悪い。軽率だった。なにより「永遠の0」の作家・百田尚樹さんは及川さんを知らなくても問題はないが、百田さんはたかじんの最後の二年を追った『殉愛』を書いた作家なのである。なら、たかじんの最大のヒット曲であるという『東京』の作詩家及川さんを知らないことは問題だ。いかな言い分けも通用しない。作家失格である。ドキュメントを書く資格がない。以上がこの件に関する私の意見。なんともいいかげんな取材である。それほどあの毒婦は人たらしなのであろう。よく言えば魅力的、か。

以下本論からすこし離れて「知名度」について。
私も及川さんの名を知らなかった。私はヒット曲を作詩家作曲家を含めて記憶しているので、ふつうのひとよりはかなり詳しいほうだと自負している。カラオケでも「あれを唄いたいけど、あれはサヨクのナカニシレイの作詩だからやめよう」「これは阿久悠作詞だからいいな」「これは橋本淳とすぎやまこういちのコンビ、問題なし」「よし、次は作曲筒美京平メドレーだ」「ここでオダテツ(織田哲郎)か」と歌う曲を作詩家作曲家から考えたりする。ここにあげた例は古いが(笑)、とにかくまあ並みよりはそのへんの智識はあると思う。でも私は及川さんを知らなかった。調べて、彼女の大活躍している分野が私の興味のないところだと知った。エヴァンゲリオン好きや、たかじんのヒット曲『東京』、Winkの歌を好きなひとには「知らないなんて信じられない」ぐらいの有名人なのであろう。だがそれらに興味ないひとにはまったくの無名でもある。及川さん大好きのひとにも、そこはご理解願いたい。「眠子」で「ねこ」と読むなんて知らなかった。私は「たみこ」なのかと思っていた。いまAtokに「おいかわねこ」で「及川眠子」と変換されるように辞書登録した。知名度なんてそんなものだ。たとえばそれは、私が私にとっては最高級の有名人であり少年時代からの憧れのひとであるプロレスラーや将棋棋士の名を出しても、その分野に興味ないひとはまったく知らないのと同じになる。

百田嫌いのエヴァンゲリオンマニアからすれば「及川さんを知らないはずがない。百田は及川さんを傷つけようとしてわざと売名行為と書いた」となるだろうが、それはあるまい。ほんとに知らなかったのだ。私なんかエヴァンゲリオンがなにかを知らない(笑)。その主題歌を、その作詩家を、知っているはずがない。世の中そういうものなのである。かといって、エヴァンゲリオンファンから「おまえはものを知らない」と言われるつもりもない。エヴァンゲリオンは知らないが、エヴァンゲリオンファンが知らないことをいっぱい知っている自信はある。智識とはそんなものである。

今回の事件には「即行やりとりツイッターの怖さ」が出ている。もしもこれが「ブログのやりとり」だったなら、百田さんは「及川眠子とは誰か?」を調べたろう。ツイッターなので「そんなヤツ、しらねーよ」と反射的にあの行為に出てしまった。百田さんの応答は褒められたものではないが、「知名度なんてそんなもの」は強調したい。
でもケンカだからね。百田さんが「書きながら何度も泣いた自信作の『殉愛』」にケチをつけてきたのがいる。作詩家らしいが自分はぜんぜん知らない。となったら、百田さんはいま飛ぶ鳥を落とす勢いのベストセラー作家なのだから、「無名の作詩家が売名行為でケチをつけてきた」と書くだろうね。それは自然な行為でもある。ケンカなんだから。フツーならそれで問題ないが、百田さんは『殉愛』を書いたひとだった。そりゃ問題になる。どう考えても百田さんの落ち度だ。

でもそれでいうなら、日本中にふたりの応酬を知らないひとはいっぱいいる。そのひとたちにこのことを説明しても、「百田? 及川?」であり、それ以前にその発端である「たかじん、だれ?」でしかない。この種の問題に口を出すとき、そういう狭い分野でのやりとりであることを自覚するのも大事だ。そのことによって見えてくるものもある。ま、しかし、なにはともあれ、百田さん好きの私も、「稀代の朝鮮人毒婦にだまされた」としか思えないのだけど。
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  1. 2014/11/30(日) 13:00:52|
  2. たかじん
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ことば──「残滓─ざんし」の読みかた──室谷克実さんの講演から

「呆韓論」「悪韓論」とヒットを連発している室谷克実さんの講演をネットで見た。「ざんさい」と口にされていた。前後の話から推測するに「残滓」でまちがいないと思われる。「残滓─ざんし」の百姓読みだ。旁(つくり)が「宰相」の「宰」なので、ここからの推測で「ざんさい」という読みが発声する。

 室谷さんは慶應の法学部を卒業後、数年前の定年まで時事通信で記者をしていたかたである。編集長も勤めている。「残滓」を百姓読みで「ざんさい」と読むひとがいるとは知っていたが、今まで出会ったことがなかった。まさか室谷さんのようなかたが口にするとは思わなかった。あの麻生首相の誤読以来のショックである。いやそれよりもおおきいかも知れない。あの場合は単に麻生さん個人が漢字が苦手だったにすぎない。その個人が日本国の総理だったので大きな話題となったわけだが、室谷さんの場合は、いわばことばの専門家である。これは「時事通信社では残滓を〝ざんさい〟と読むことがふつうになっている」ということだ。つまり室谷さんの周囲にいるひとたち、同僚、部下も、みな現場で「ざんさい」と言っているのである。報道の現場で「ざんさい」と使われているのだ。「そういう読みをするひとがいる」とは知っていても、私の周囲にはひとりもいないし、かつて耳にしたこともなかったから、私にはとんでもなく大きな事件だった。
 普及している百姓読みには、「些細─ささい」を「しさい」、「洗滌─せんでき」を「せんじょう」なんてのがある。これもみな旁の読みからの発声だ。それらは日常的に耳にするが、私はいまだかって「残滓」を「ざんさい」と読むのを耳にしたことがなかった。私の知らないところでどんどん時代は変っているらしい。
 

 
 それはとてもショックではあったが、私の持論からするとさほどのものでもない。なにしろ私は「脆弱─ぜいじゃく」を「きじゃく」と読んだひとが笑い者になるたび、「そんなこと、どうでもいいじゃないか」と反感を抱き、「もう読みは〝きじゃく〟で統一してしまえ」と思うほうだったからだ。
 偏(へん)と旁(つくり)から成る漢字を旁で音読みするのは日本人の習性だ。よって「脆」の旁の「危」から「きじゃく」という読みが生まれる。それは間違いとされる。まあ国語の試験的にはまちがいであるけれど。

 「ぜいじゃく」が正しく「きじゃく」は間違いという根拠は、「脆」の字を「ぜい」と発音することが、シナの原音にちかい(漢音でゼイ、呉音でセイ)という理由にすぎない。これはそれほど重要だろうか。日本人の漢字使用とは、そもそもが「和語に漢字を当てはめた」という「当てはめゲーム」にすぎない。なら「RADIO」から「ラジオ」という日本語を作ったように、「脆弱」を「きじゃく」と読む日本語があってもいいのである。「脆弱をきじゃくと読んだ。正しくはぜいじゃくだ」という批難は、「RADIOをラジオと言った。正しくはレイディオだ」と言うのに等しい。たいしたことじゃない。
 

 
 このブログでぜひ読んで欲しいテーマに「三年遅れの麻生首相漢字誤読論」がある。ここでの私の意見も同じく「漢字の読みなんかどうでもいいじゃないか。つまらんことで大騒ぎするな。政治家にはもっと大切なことがある」になる。だがそれを理解できない麻生信者から、「おれたちの麻生先生を否定するヤツが現れた」とばかりに、「むかしは順風満帆をジュンプウマンポと読んでいたのだ。ジュンプウマンポで正しいのだ」とか、「留学の長かった麻生先生は、ことばをまず英語で頭に入れ、それを日本語に訳して口に出すので時間が掛かるのだ」などと寝惚けた反論がとどいた。こちらの言っている要旨が理解できていない。自民党後援会員にはバカが多い。私の言いたいのは、「漢字の読みなんてどうでもいいじゃないか」に尽きる。麻生さんの味方なのだ。

 数日前に書いた、「弁える─わきまえる─ベンの字について」も、肝要なのは「弁えるという表記が醜い」である。「わきまえるは〝わきまえる〟と表するのがいいが、どうしても漢字を当てたいなら、以前使われていた〝辨える〟であろう。これには意味的に通じる部分がある。しかしなんの意味もない〝弁える〟は不様だ」という漢字大好き者を嗤った意見だ。
 

 
 私のこの脳内理論はだいぶ前からなのだが、まだまだ「きじゃく」と聞いたらピクンと反応するし、もう時事通信社では常識らしい「ざんさい」にも脊髄反射してこんなことを書いているのだから、なかなか現実の感覚とは一致しないようだ。誤解しないでいただきたいが、私は「読みなんてのは時代とともに変って行くだろうし、めくじら立てなくてもいいじゃないか」とは思っているが、かといって自分が率先してそれをしているわけではない。私はこれからも「ざんし」であり「ぜいじゃく」である。今風の「憮然」や「閑話休題」の使いかたにも逆らって行く。

 願うのは、自分の好きなひとにはそれをしてほしくないということだけだ。過日「チャリンコ嫌い──朝鮮語から来たコトバ」を書いた。親しいひとに「チャリンコ」「ママチャリ」「ゲンチャリ」等と使うひとがいないことには救われる。大阪の朝鮮人部落から始まったことばだから、ダウンタウン一派の大阪芸人はみなこのことばを連発する。気分が悪くなる。対してビートたけしを始めとする関東芸人に使うひとはすくない。まことに「ささい」なことであるが癒しになっている。
  1. 2014/11/29(土) 12:30:34|
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勤労感謝の日──三田祭のころ──ここを過ぎると冬──ギターの手入れ

 11月23日。祝日。勤労感謝の日になると毎年三田祭を思い出す。卒業後、後輩達がコンサートをやっている何年かは行った。その後はもう何十年も行ってないし、これからも行く気はない。なのにこういう若いときに刻まれた想いというのは強烈で、お恥ずかしい話、毎年毎年この日が来るとワンパターンの記憶がよみがえり、同じ事を思う。文化祭でのコンサートの準備、あれこれあった四日間、そして撤収。
 以下の話はもう何度かサイトで書いたことの繰り返しになるが。



 私が一年生の時に三田祭実行委員長をやっていたのがいま民主党代表の海江田万里さん。四年生かな、五年生だったように思うのだけど。海江田さんはベ平連の活動をしていて、そのころから目立っていたひとだった。所属していた音楽サークルの関係から私も三田祭前夜祭の警備員のようなものに借りだされた。当時の学祭というのはだいたいにおいてサヨクが仕切っていた。中核だの革マルだのある中で、慶應でのみ隆盛だったフロント派というののヘルメットを被らされた。土方のバイトでヘルメットを被ったことは何度もあるが、学生運動のヘルメットを被ったのはこれが最初で最後になる。私は当時いまで言う「自虐史観」に染まっていて、シナ、朝鮮に対して罪悪の意識を持っていたが、マルクスレーニンには染まらなかった。



 前夜祭に、村八分、吉田拓郎、南正人、外道、豊田勇造等が来た。本祭には頭脳警察、遠藤賢治らが来た。彼らの全盛時代だ。当時のことを思うと、私にはいま40歳の<きっこさん>が村八分や頭脳警察を好きなことが理解できない。彼らも彼らのファンも団塊の世代だろう。まして彼らの世代にちかい私でも彼らを好きではなかったし、あれはかなりマニアックなひとの好む音楽だ。思えば思うほど<きっこさん>がわからない。

 前夜祭の吉田拓郎の警備を任された。控室(という教室)の前にヘルメットを被って立った。出番が来たのでたくろーさんにそれを告げた。その距離、1メートル。今までの人生、吉田拓郎までの最短距離。

 いまネット検索したら、こんなこと(=この年の三田祭の中身)までも記録されている。すごい時代だな。前夜祭にはっぴいえんどが来たとある。覚えていない。たくろーさんの警備でステージを離れていた時間だろうか。たくろーさんが「馬」を歌ったのは覚えている。中津川で話題になった後だったので、「『人間なんて』を歌え!」と声が飛んだが歌わなかった。頭脳警察も前夜祭に来ているとある。私の記憶にあるのは階段教室で開催された本祭での頭脳警察だ。当時は売れっ子だったから両方来たのか。当時の私は心情的左寄りのウスラバカだが、頭脳警察に感じるものはなにもなかった。

 前夜祭で私が最も感動したのは豊田勇造のギターテクだったブルースを弾き語りでやっていて、なんともかっこよかった。影響を受け、それから彼のスタイルを模倣した。そのことからデルタブルースにはまってゆく。ということで「豊田勇造さんて現役なの?」と検索したら、いまも旺盛に活動されているらしい。御同慶のいたり。ネットですこしだけ見た豊田さんの今の演奏スタイルは当時私が憧れたものとはちがっていた。そりゃ40年も経てば音楽スタイルも変るか。

 三十年後、タイのチェンマイの日本食堂『サクラ』で、南正人さんと知りあう。



 この時期に「秋の天皇賞」があった。府中の3200メートル。秋の大一番。トライアルには目黒記念、オールカマー、毎日王冠があった。最重要トライアルは同舞台2500メートルの目黒記念。昭和56年にジャパンカップが創設されることになり、秋天もトライアルも距離、日程も変更されいまのようになった。三田祭のときに参戦した天皇賞がなつかしい。慶應にも競馬研究会があり、その部屋にもぐりこんで、そこのテレビで観戦した。早稲田の競馬研究会からは多くのひとが競馬評論家となって活躍しているが慶應からはひとりもいない。あのころの慶應の競馬研究会のメンバーはいまなにをしているのだろう。大手商社に勤めて、出世して、今はリタイア、であろうが……。

 故・大川慶次郎さんはあたらしい体制になってからも「京都よりも府中の3200メートルのほうが実力が発揮されて天皇賞にふさわしい」と語っていた。府中の芝2000はコース的に問題がある。しかしJCを最高峰と据えたら秋天はトライアルとなり距離短縮はしかたなかったのだろう。後にメジロマックイーン問題が起きている。
 といって私に懐古趣味はないから、あの当時の枠連しかない競馬をたのしかったとは思わない。いまのほうがずっといい。しかしまたそれとはべつにあのころの思い出は胸に刻まれ消えることはない。

 競馬業界に就職するつもりは毛頭なかったが、就職掲示板に日刊競馬の募集があったことを妙に鮮明に覚えている。



 毎年「11月23日前後は文化祭開催時期として遅いのではないか」と思う。多くの大学がそうであるように11月3日の文化の日前後が最適ではないのか。ほんとにこれ、毎年毎年この時期になると思う。かといって当時が恋しいとか、三田祭に出かけてみたいとかではない。それはない。まったくない。だけどそれこそ季節の風物詩のように、毎年この日を迎えると条件反射というのかバカの一つ覚えというのか、「この季節は学園祭開催の時期としては……」と考えている自分がいる。それを知って赤面する。毎年(笑)。なんなのだろう、これ。
 学生のときは他大学と時期がちがうことを誇りに思っていた。日吉と三田のキャンパスに舞う銀杏の葉がうつくしかった。うん、あれはきれいだった。学生時代の風景をひとつだけ選べと言われたら、私は日吉の銀杏並木になる。

 いま地球温暖化で冬が暖かい。それは実感する。こどものころの冬はもっと寒かった。ならこの11月23日前後はどうだったのだろう。十分今も寒いように思うのだが、学生だったあの頃は、いまよりも寒かったのか。
 還暦を迎えてもまもっているあのころの感覚がある。「三田祭が終るまでコートは着ない」。いまも11月23日が過ぎるまでは秋であり、冬はそのあと、と思い、どんなに寒くても冬装備はしない。痩せ我慢をつらぬいている。明日からは自転車に乗るとき、手袋をしたり、毛糸の帽子を被ったりできる。

 塾生それぞれの「母校に対する想い」があるとしたら、私は福澤翁の本も精読していないし、商社マン的な世界の連帯とも無縁だったし、日吉も三田もご無沙汰の、どうしようもない劣等生なのだけれど、この「毎年勤労感謝の日に三田祭を思う」が、唯一のそれになるのかもしれない。



guitar-zosan

 今年の「勤労感謝の日=新嘗祭」は、秋晴れのいい日だった。午後の陽射しの中、A・ギターを引いていたら3弦が切れた。だいぶ旧くなっていた。ごめんよと謝る。こういうのが〝不精〟であり〝堕落〟だ。かつて、激しく弾いて切れるのはともかく、旧くなって切れるまで使ったことはなかった。定期的に交換していた。6弦ぜんぶ張り替える。ついでにテレキャスもZO-3も張り替えた。もう1本のA・ギターとセミアコのE・ギターは今回は勘弁してもらう。弦がない。買わないと。フラマンも替えるかと思ったがもう何年も触ってないのでこれまた勘弁してもらうことにする。ウクレレは夏に買えたからいいや。

 西東京の外れに住んでいると楽器や弦の購入で不自由する。さいわい今は通販があるのでなんとかなるが、それとはまた別に、たまに行く御茶の水での買い物もたのしみだ。やはり触って選びたい。年内になんとかまた御茶の水に行き、それら小物をまとめ買いしたい。小物も数が嵩むと値が張る。JCを当てないと。

guitar-ceg

 ひさしぶりにZO-3を手にして、casio DG20のリズムボックスをバックにすこしあそんだ。こういうオモチャもいっぱいもっている(笑)。弦に張力がないのでDG20は楽器としていじる気にはならないが、こんなときの手軽なリズムボックスとして役立ってくれている。

guitar-tel

 テレキャスの写真を探していてこれを見つけた。なつかしい。2000年ごろか。初めて液晶ディスプレイを買った頃だ。17インチで10万円以上した。三菱製品。田舎の家の二階。あちこちスダレが見えるから夏仕様だろう。陽当たりが良すぎて、とんでもなく暑い部屋だったから、夏は「海の家」みたいな総葦簀張にしていた。
 私のPC生活はWindows2000で激変した。初めて出会った満足できるOSだった。だから私的PC史は「Windows2000以前、以後」となる。これは2000を導入した後だろう。なら2001年か。

com-cpucool2

 PCはもう自作機だがディスプレイはまだ1台だった。それ用のマザーボードにCPUをふたつ載せてDual CPUの自作機を組んでいたころだ。上の写真がそれ。Dual CPU用のマザーボードにCPUをふたつ設置している。ひとつ35000円ぐらいした。もちろんCPUファンもふたつ必要。この青いCPUファンがちいさくて高速回転だからキーンと鳴ってうるさくてねえ(笑)。いまじゃ安物の5000円ぐらいのCeleronだってひとつで2coreだ。Core i7や5は4Core、AMDには8coreまである。なんともはやこの分野の進歩はすごい。当時としては最高級の性能の電気食い爆音Dual CPUだったが、その性能はいまの安物Celeronにすらかなわない。

 部屋の写真を見ると、ディスプレイ、キイボード(ThinkPad型)、マウス、スピーカー、電気スタンド、イスがオシャカ。廃棄。
 あ、サイドテーブルの上にある白いのはCANONのスキャナーだ。このころスキャナーに凝ってた。本から読みこませた文を修正(ソフトがまだ未熟で読み取りミスが多かった)してサイト(まだホームページと言っていた)にアップし、それへの意見を書いたりしていた。まだいわゆる複合機は出ていない。もちろんこのスキャナーもオシャカ。
 スピーカーの前にある赤いのは「運気をあげるアップル」とかで、秋葉原で980円で買ったのではなかったか。あがらなかったけど(笑)。

 PC机とテレキャス、ギタースタンドは現役だ。そうか、このPC机ってこんな前から使っていたんだ。かわいいな。いまも手元にある。それで書いている。秋葉原のラオックスで買ったのをつい昨日のことのように覚えている。階下に住んでいた父母も最愛の猫も、みな鬼籍に入ってしまった。



 そういや<きっこさん>は改造オールドテレキャスを所有しているのだった。金欠のとき知りあいの楽器屋でオークションに出してもらったら40万円だか50万円だかの値がついた逸品だ。「ピックアップをハムバッカーに換装したオールドテレキャス」である。以前はブログ話に頻繁に登場していた。ぜひとも見せて欲しい。夜中に数分だけ顔の見えない自身の姿をアップするのもいいが、私はぜひともそのオールドテレキャスが見たい。さぞすばらしいものだろう。<きっこさん>だって愛器を見せたい気持ちはあるだろうし、どうして公開してくれないのだろう。私のテレキャスも買ってから30年経ち十分オールドだが、こういうのはいくら旧くなってもオールドテレキャスとは呼ばない(笑)。<きっこさん>に本物を見せてもらいたい。つうかもうここのところギターの話なんかぜんぜん出て来ないな。オールドテレキャスピックアップ換装ハムバッカーモデル所有なんて〝設定〟はもう忘れたのか。母親のことすら忘れるぐらいだからギター設定なんてどうでもいいのか。



 明日は振替休日。25日火曜からは「冬」として、今日は部屋の掃除をしよう。冬モードだ。こたつも設置するか。仕事もせねば。さて「ハーツクライをどう書くか」。
  1. 2014/11/23(日) 20:53:51|
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『殉愛』騒動──及川眠子さんの百田さんへの挑発ツイート──元ネタが……#殉愛

 作詩家の及川眠子さんと作家の百田尚樹さんが『殉愛』をめぐってやりあっている。19日以降は、リング上で睨みあったまま動かない挌闘家のように、互いのツイッターも囁かなくなった。観戦するこちらも息を呑んで見守る。状況は、百田さん圧倒的不利。

 そんな中、21日に及川さんのほうが動いた。『殉愛』を「書きながら泣いた」という作家の姿勢に痛烈なひとこと、左からのするどい皮肉ジャブ。しかしこれはリツイートというフェイントか。それがこれ。

oikawa-honda moza

 泣きながら『殉愛』を書いたという百田氏の作家としての姿勢に、「読者の感情をゆさぶりたいと思うときこそ、書き手は冷静でなければならない」という他者の書きこんだ箴言をリツイートしての強烈なパンチ。

 この箴言はもっともだと思うのだが、このモザイクで消した部分を読んで私はひっくりかえった。いやはや強烈なパンチである。その風圧だけでダウンだ。書いたひと(笑)。

oikawa-honda

 ホ、ホ、ホンダカツイチ? おまえが言うか?  国賊! 売国奴! アサヒシンブン! 「日本語の作文技術」って。おまえの得意なのは「歴史の捏造技術」だろ。どれほど日本を貶めたことか。そいつのコトバを名言としてツイートするか? 誰なんだ、ガンガーラ? どんなセンスなんだ? それをリツイートするか及川さん? これはわるい冗談なのか?

---------------

 念のため。もちろんガンガーラのツイートにも及川さんのリツイートにモザイクはありません。私が私のところに毎日来てくれる数少ない奇特な読者に喜んでもらおうと、元ツイートにモザイク処理してあそんだだけ。タイトルにもホンダの名前を出したほうが目立つんだけど出したくなかった(笑)。イタズラ心。朝っぱらからなにやってんだ、おれ。



 あ、今ごろ気づいた。ガンガーラはshukan kinyobiから引用しているのか。アルファベットなので見逃したが、これは、あのサヨク雑誌「週刊金曜日」なのか。「買ってはならない」の企業テロで有名だ。確認のためにたどってみた。まちがいない。ここから引用するというのは、ガンガーラは本気でホンダカツイチを尊敬しているサヨクなのか。これは確定だな(笑)。冗談だと思っていた。まともな人間はなにがどうあろうとホンダのコトバを引用したりはしない。これは『殉愛』の杜撰取材で槍玉に挙げられている保守系作家百田さん攻撃の一環だ。

《ことば──役不足の誤用 及川百田論争》に書いたが、Amazonの『殉愛』レビューを読むと、百田さんの政治姿勢と敵対するサヨクがここぞとばかりに攻めてきているのがよく見える。百田さんをこの凡ミス(命に関わる地雷かも)で騒ぎたて抹殺しようとしている。

 こんなものを引用するということは、及川眠子さんというかたも、サヨクなのか?
と、及川さんのツイートをあらためて追ってみると、なんども「百田作品のファン」と書いている。しかしこれは社交辞令として、だれもがよく使う手法だ。パンチの威力を増すための引きのようなものでもある。「弓を引くような猪木のパンチ」。でも私は及川さんという今回初めて知った作詩家のツイートを読んでも、全然それを感じなかった。サヨクはもう一瞬でわかる。



 百田さんが及川さんのツイートに「無名作詩家の売名行為」と返したので、「及川さんは高名な作詩家だ。それもしらんのか!」と、及川ファン、アンチ百田から批難が殺到した。それは百田さんが悪い。軽率だった。なにより「永遠の0」の作家・百田尚樹さんは及川さんを知らなくても問題はないが、百田さんはたかじんの最後の二年を追った『殉愛』を書いた作家なのである。なら、たかじんの最大のヒット曲であるという『東京』の作詩家及川さんを知らないことは問題だ。いかな言い分けも通用しない。作家失格である。ドキュメントを書く資格がない。以上がこの件に関する私の意見。なんともいいかげんな取材である。それほどあの毒婦は人たらしなのであろう。よく言えば魅力的、か。

 以下本論からすこし離れて「知名度」について。
 私も及川さんの名を知らなかった。私はヒット曲を作詩家作曲家を含めて記憶しているので、ふつうのひとよりはかなり詳しいほうだと自負している。カラオケでも「あれを唄いたいけど、あれはサヨクのナカニシレイの作詩だからやめよう」「これは阿久悠作詞だからいいな」「これは橋本淳とすぎやまこういちのコンビ、問題なし」「よし、次は作曲筒美京平メドレーだ」「ここでオダテツ(織田哲郎)か」と歌う曲を作詩家作曲家から考えたりする。ここにあげた例は古いが(笑)、とにかくまあ並みよりはそのへんの智識はあると思う。でも私は及川さんを知らなかった。調べて、彼女の大活躍している分野が私の興味のないところだと知った。エヴァンゲリオン好きや、たかじんのヒット曲『東京』、Winkの歌を好きなひとには「知らないなんて信じられない」ぐらいの有名人なのであろう。だがそれらに興味ないひとにはまったくの無名でもある。及川さん大好きのひとにも、そこはご理解願いたい。「眠子」で「ねこ」と読むなんて知らなかった。私は「たみこ」なのかと思っていた。いまAtokに「おいかわねこ」で「及川眠子」と変換されるように辞書登録した。知名度なんてそんなものだ。たとえばそれは、私が私にとっては最高級の有名人であり少年時代からの憧れのひとであるプロレスラーや将棋棋士の名を出しても、その分野に興味ないひとはまったく知らないのと同じになる。

 百田嫌いのエヴァンゲリオンマニアからすれば「及川さんを知らないはずがない。百田は及川さんを傷つけようとしてわざと売名行為と書いた」となるだろうが、それはあるまい。ほんとに知らなかったのだ。私なんかエヴァンゲリオンがなにかすら知らない(笑)。その主題歌を、その作詩家を、知っているはずがない。世の中そういうものなのである。かといって、エヴァンゲリオンファンから「おまえはものを知らない」と言われるつもりもない。エヴァンゲリオンは知らないが、エヴァンゲリオンファンが知らないことをいっぱい知っている。智識とはそんなものである。

 今回の事件には「即行やりとりツイッターの怖さ」が出ている。もしもこれが「ブログのやりとり」だったなら、百田さんは「及川眠子とは誰か?」を調べたろう。ツイッターなので「そんなヤツ、しらねーよ」と反射的にあの行為に出てしまった。百田さんの応答は褒められたものではないが、「知名度なんてそんなもの」は強調したい。

 でもケンカだからね。百田さんが「書きながら何度も泣いた自信作の『殉愛』」にケチをつけてきたのがいる。作詩家らしいが自分はぜんぜん知らない。となったら、百田さんはいま飛ぶ鳥を落とす勢いのベストセラー作家なのだから、「無名の作詩家が売名行為でケチをつけてきた」と書くだろうね。それは自然な行為でもある。ケンカなんだから。フツーならそれで問題ないが、百田さんは『殉愛』を書いたひとだった。そりゃ問題になる。たかじんのことを書いた作家がたかじんの代表曲の作詩家を知らないのはひどい。どう考えても百田さんの落ち度だ。

 しかしながらさらにいうなら、日本中にふたりの応酬を知らないひとはいっぱいいる。そのひとたちにこのことを説明しても、「百田? 及川?」であり、それ以前にその発端である「たかじん、だれ?」でしかない。この種の問題に口を出すとき、そういう狭い分野でのやりとりであることを自覚するのも大事だ。そのことによって見えてくるものもある。ま、しかし、なにはともあれ、百田さん好きの私も、「稀代の朝鮮人毒婦にだまされた」としか思えないのだけど。

※ 

 及川さんの百田さんに対する意見、批判は、きちんと筋が通っており、言うべきことは言い、引くべきところは引き、まちがいはすなおに認めて謝罪するという、じつに気持ちのいい姿勢だ。だからこの引用は、「週刊金曜日」もホンダカツイチも関係なく、自分の心境を代弁してくれたツイートをリツイートしただけ、と思うのだが……。あまいか? 私の直感では、及川さんは「週刊金曜日」もホンダカツイチも無関係で、その種の思想とは無縁のかたのように思うのだが、はたしてどうか。とツイッターの「フォロー」をみると民主党議員をフォローしたりしている。お、上杉隆なんてのもフォローしている(笑)。あまりセンスは良くない。やはり百田嫌いのサヨクなのか?



【追記】──及川さんはノンポリのようだ──2014/12/19

 12/17に下のツィート。これは衒った意見(ウヨクが「じつはおれはサヨクなんだ」と言ったり、サヨクが「自分こそが真の保守派なのだ」と言ったりするパターン)ではなく、正直な胸中の吐露なのだと思う。私は今回初めて及川さんのツィートを読んだが、そこから政治思想のにおいを感じなかった。その直感には自信がある。

oikawa-shisou

 この直感はとても大事だ。及川さんには感じなかった。でもAmazonレビューにはびんびん感じる。一瞬で「あ、こいつは」と見抜ける。あそこに保守論客百田嫌いのサヨクが跳びはねているのはまちがいない。「永遠の0」に反感を抱いた連中がここぞとばかりにはしゃいでいる。
 及川さんはここで表明しているように右も左も関係ないノンポリなのだろう。上杉なんて詐欺師をフォローしているのはその証拠でもある。「思想なんか自分の胸だけにあればいい」をかっこいいと思ってはならない。これは政治音痴ノンポリがノンポリであることに居直るときの常套句である。



 いずれにせよこの『殉愛』問題は、たかじん関係者を巡る論点を飛びこえて、「保守系作家百田尚樹つぶし」になってゆくだろう。たかじんの娘も裁判を起こしたそうだし。
 そう考えると、なにがどうなろうとまったく興味のない「森田さくら」だが、とんでもないことをしてくれたなとうんざりする。だまされた百田さんがわるいのだけど。

 これもまた朝鮮人の日本潰しの流れか。この一件で百田さんが潰されたら、南北朝鮮は森田さくらこと姜善子に勲章を授与するだろう。そもそも「森田」ってのも金持ちの年寄りパチンコ屋ジーサン(これも朝鮮人だろう)と結婚して手に入れた通名らしいし、それからその金で若くてハンサムなアメリカ人、イタリア人と結婚して、たかじんとは4度目の結婚(重婚らしいが)で、32歳の年齢差があって2年で死んで遺産を手に入れてって流れから、次はまたハンサムな外国人男と5度目の結婚をして、たかじんの遺産で遊び呆けることは見えている。(最新情報だと、もういちど真ん中になにかあり、たかじんとは5度目らしいと伝えられている。なにがどうあろうとまともな女でないのは確かだ。)



 先程、一晩中点けたままにしておいたPCの百田さんのツイッターに本人からの書きこみがひとつあった。内容は「裁判になったら本では書けなかった事実を公開できるので楽しみだ」というやる気満々のもの。また積極的に書きこむのかなとF5を押して更新したら、それが消えてしまい、また19日から更新のない状態にもどってしまった。すぐに削除したらしい。百田さんの中にも、「自分は正しい」と確信しつつも、「もしかしたら」の惑いが生じているのだろうか。とんでもない毒婦に関わってしまったと案じているのだが、百田さんはまだあれを信じているのか。

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kanren7「役不足」の誤用──2ちゃんねるの「及川眠子氏が百田尚樹氏批判」


【追記】──百田さんの削除したツイート──14:59

 2ちゃんねるに削除したツイートが収録されていた。私がこれを見て、更新で消してしまったのは朝の5時だった。0.22分のものと初めて知った。このツイートは好戦的だけどすぐに削除したのだから迷ってもいるのだろう。それとも「敵に手の内を見せてはならない」という考えか。

momota-twitter



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Earl Klugh Trio

 今朝の音楽はEarl Klughの「Earl Klugh Trio Vol.1」。Earlの音楽としては正当Jazz寄りの音。ギターはもちろんだがウッドベースがいい。彼のCDはほとんどもっているのだが、これのVol.2はない。そのうち買おう。

 しかし百田さん圧倒的不利な状況を思うと、ここはこんなさわやかな音楽よりも、もっと重いのを聞くべきか。クラシック好きの百田さんに早く目覚めてくれとエールを送るために、重いクラシック、なにがいい、Mahlerでも聞くか。
 いや演歌だ。先日YouTubeで見かけDownloadした、「歌いつがれて25年 藤圭子 演歌を歌う」にしよう。1.2.3とあり、1の自分の持ち歌より、2の「カスバの女」を歌ったりしているのがいい。マイルCSの予想もしないと。エリザベス女王杯完勝の流れでここも突破したい。来週のJCは大勝負だ。
  1. 2014/11/23(日) 09:15:22|
  2. たかじん
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佐川急便嫌い──イートレンドからの購入を諦める──配送業者が佐川

東プレのキイボードを買おうと価格comで値段を調べた。イートレンドが一番安い。Amazonと同じくここも送料は無料だ。会員登録もしてあり何度か買ったことがあった。

ここにしようと思い、「そうそう大事なこと」と配送業者を調べる。利用したのはだいぶ前だ。配送業者はどこだったか。佐川悪夢だった記憶はないが念のためだ。サイトを開くと佐川とヤマトが並んでいる。両社を使っているようだ。撰べるのだろうか。大事なのはそこだ。ヤマトを指定できるならすぐにでも買うが、佐川に来られたら不快な目に遭う。それだけは避けたい。懲りない暗愚ではあるが、さすがに30年にわたって数え切れないほどイヤな目に遭えばそれぐらいの感覚は芽ばえる。佐川だけはイヤだ。メールで質問することにした。すると「よくある質問」のコーナーがあった。ここでわかるだろう。開いてみる。すると、

etrend-sagawa

とあった。脊髄反射でイートレンドを諦める。佐川かヤマトか二分の一の確率だ。そんなロシアンルーレットをする気もない。イートレンドからの品を佐川でイヤな思いをした記憶はないから前回はヤマトだったのだろう。その運に懸ける気もない。それは馬券にとっておく。500円ほど高いがAmazonにした。Amazonも関連会社の出品だと佐川の場合がある。何度かそれで苦い思いをした。この品はAmazon出品とあるからだいじょうぶだろう。佐川に不快な目に遭わされることを考えたら500円差なんてどうでもいい。

私はAmazon一辺倒になりたくない。同じような値段なら東北のちいさなショップ等から意識して買うようにしている。でもこの種の特殊な品はさすがにそういう店では無理なようだ。数が捌けない。扱っていない。どうしても購入先は大手になる。同じ大手でもAmazonよりイートレンドから買いたかったのだが、佐川という悪夢だけは無理。佐川だけはもうイヤだ。

イートレンドも、「配送業者は、佐川急便、ヤマト運輸の二社からお選びいただけます」とすれば、私のようなのがもっと利用すると思うのだが……。それってむずかしいことなのだろうか。イートレンドの関係者がそれに気づいてくれることを切に願う。

毎度の結論だが、佐川急便というのは、事務所から運転手まで、ほんとほんとにひどい会社で、多くの利用者が不快な思いをしている。しかしその声は、佐川を使用している会社には届かない。届いたとしても、たぶん佐川の値段は安く、私のような者の声は無視されるのだろう。

こちらとしては「佐川を使っている会社からは買わない」という方法で対抗するしかない。それはもう、これまた前回も使った比喩だが、ピラミッドをひっくり返そうと穴を掘るアリンコみたいな、ほとんど無意味な努力なのかも知れないが、こちらの出来ることはそれしかない。私のような「佐川急便だけはダメだ」というひとが増えてゆけば、あの会社もすこしはまともになるだろう。私は、まともになることを願ってはいない。この世から消滅してほしいだけだ。
  1. 2014/11/22(土) 10:21:54|
  2. 佐川急便
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ツイッターの支持者を増やす方法──篇──実践例、安倍晋三、石原慎太郎

《方法論》

きっこ@kikko_no_blog

とりあえず誰でもいいから敵を作って攻撃するのって、自分の支持者を増やすための一番てっとりばやい方法なんだよね。もちろん、こんな使い古された前時代の伝統芸に乗せられるのなんて、偏差値が35以下のバカだけ、「消防署のほうから来た人」から定価の20倍で消火器を買っちゃうレベルのバカ。

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《実践例.1──安倍晋三篇》

きっこ@kikko_no_blog

しゃべればしゃべるほどボロが出る安倍晋三、やっぱりこのバカはゴーストライターに書かせた作文を棒読みするしかないんだね。日本語の読み書きもロクにできないバカは副総理の麻生太郎だけで十分だから、安倍晋三はトットと引退してくれ。あまりにもバカすぎて見てるほうが恥ずかしくなってくるから。

きっこ@kikko_no_blog

安倍晋三はアベノミクスの恩恵で「6割の企業が賃上げしてる」とテレビで公言したけど、それならどうして国民の9割以上が「給料が1円も上がらないのに物価ばかりが上がって生活が苦しくなった」って言ってるの?安倍晋三って麻薬でもやって幻覚でも見てるんじゃないの?早く入院したほうがいいよ。

@kikko_no_blog

安倍晋三、マジでヤバいわ。このキチガイ、今すぐに精神科のカウンセリングを受けたほうがいいわ。完全に脳みその回路がどうにかなっちゃってるよ  

@kikko_no_blog

すごいな安倍晋三、ゆうべのTBS「ニュース23」に生出演して「アベノミクスの恩恵などまったく感じてない」という街の人たちの声を「ミクロの声」だと斬り捨てて「6割の企業は賃上げしている」と大ボラをノタマッたよ(笑)

きっこ@kikko_no_blog

つーか、安倍晋三って顔がキモすぎる!まるで溶けた蝋人形みたい!気持ち悪いからテレビに出すな!




《実践例.2──石原慎太郎篇》

kikko-shintaro1
5
kikko-shintaro2

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《実践の結果》

以上、「とりあえず誰でもいいから敵を作って攻撃するのって、自分の支持者を増やすための一番てっとりばやい方法」の実践例のふたつ。

『こんな使い古された前時代の伝統芸に乗せられるのなんて、偏差値が35以下のバカだけ、「消防署のほうから来た人」から定価の
20倍で消火器を買っちゃうレベルのバカ』
──現在119138人

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《私的感想》

冒頭の文はもちろん「そういうことで支持を集めているヤツがいる。それを支持するのはこの程度のバカだ」という他者を攻撃したもの。しかしこのひとの場合、常にそれが自分語りになる。

いくら「自分の支持者を増やすための一番てっとりばやい
方法」とはいえ、よくも他人をここまで立て続けに(おそらく深夜に泥酔して書きこんでいるのだろう)誹謗中傷出来るものだ。まともな人間ではない。
  1. 2014/11/20(木) 05:11:35|
  2. ツイッター
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ことば──役不足の誤用──2ちゃんねるの「及川眠子氏が百田氏批判」から──「殉愛」に思うこと

 2ちゃんねるの芸スポ板「作詩家及川眠子氏が百田氏を批判」スレは、及川氏のツイッター文にあった「役不足」をめぐって、いつしか「役不足論争」になっていた。以下、「役不足」で抽出したスレの一部。最後に私の意見も書きました。

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1+8 :Egg  :2014/11/17(月) 19:46:20.13 ID:???0 [PC]

作詞家の及川眠子氏(54)がツイッターを更新し、歌手やしきたかじんさん(享年64)の闘病生活をベストセラー作家・百田尚樹氏(58)が著した「殉愛」(幻冬舎)に対し私見をつづった。

「殉愛」はアマゾンの全レビュー中6割以上が最低評価となる一方で、約3割は最高評価と賛否両論となっているが、百田氏はこれを受けツイッターで「実態も真実も何も知らない第三者が、何の根拠もなく、匿名で人を傷つける。本当に人間のクズみたいな人間だと思う!」で不満をあらわに。

たかじんさん最大のヒット作「東京」など、たかじんさんへ数十曲詞を送った及川氏は「ちゃんと金を払って本を購入した読者の批判に対し、人間のクズ呼ばわりをする。世間に出したものがあれこれ言われるのは当然。私たち物書きはそれでゴハンを食べさせてもらっているのだ。世の中すべてが味方ではない。その覚悟なしに物書きなんてやれねえよ」と百田氏の発言を批判した。

さらに「殉愛」ではたかじんさんの元マネジャーK氏を犯罪者扱いする部分があるが、百田氏がこの人物に取材していないことに触れ「なぜウラも取らずに、1人の人間を犯罪者だと決めつける? ノンフィクション作家を名乗るのであれば、きちんと本人に取材すべき」と指摘。

「ヨメとマネージャー双方に会った、たぶん数少ない人間の一人」である及川氏は「百田さんに犯罪者扱いされても、きっと彼は訴えることをしないだろう。なぜなら彼が公の場に出ることで、今以上にたかじんの名を汚してしまうことを知っているから。必死で看護するのが愛なら、ただ黙して耐え続けることも愛なのだ。
それを理解できない人もいるけどね」とK氏を擁護した。

また、百田氏の「実態も真実も何も知らない第三者が、何の根拠もなく、匿名で人を傷つける」というツイートに対し「実態と真実をちょぴっとだけ知ってる人間が、ちゃんと実名を出して問うている。でも答えてもらえない。私じゃ役不足ですかぁ?」と皮肉も。

その上で「百田さんのことを貶めるつもりもない。百田作品が面白いのは事実。ただ、あの物語が『小説』だったらよかったのにと思うだけだ」と思いを述べた。


11月17日(月)18時0分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141117-00000118-spnannex-ent

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 まずは最初に疑問を呈したひと。


7+2 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 19:51:11.00 ID:c7A2WBe30 [PC]
役不足?
本当にプロの作詞家なの?


 誤用であろうという指摘。

9 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 19:52:33.00 ID:iSjKHg3B0 [PC]
>私じゃ役不足ですかぁ

力不足の間違い?誤用では?

その役割が軽い意味になってしまうと思う。


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 これでいいんじゃないかという意見。

14+5 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 19:55:27.37 ID:lbFG2/WL0 [PC]
>>7
あってるじゃん
百田が反論するにもあたらないくらい、私は役不足ですか?ってとでしょ

54+2 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 20:28:01.75 ID:yoT4woNS0 (1/2) [PC]
「昨日納車した」って言えば、「おまえディーラーかよ」って突っ込むのがお約束だけど、
「昨日納車だった」なら、「昨日納車した」でも「昨日納車された」でも意味は通じるだろ。
こういう省略形の文は、文脈で判断するんだよ。

「私じゃ役不足ですかぁ?」も「私を相手にするのは、あなたにとって役不足ですか?」って読めるじゃん。
ほんと読解力のない馬鹿ばっかだな。


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それへの反論。さらなる反論の応酬。

62+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 20:32:52.74 ID:TaXFZS/D0 (2/31) [PC]
>>54
ばーか。それなら「私じゃ不足ですかあ?」と書けばいいんだよ
それならよっぽどすっきりするわ
「役不足」などと書いたのは言葉の意味を知らないから



65+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 20:34:00.17 ID:nD8jz7lo0 [PC]
>>58
「あなたにとって私は相手にする価値もない人間ですか?」
という意味で使ってるからこの「役不足」の使い方は正しいよ


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 そんな論争はよそでやれという意見(笑)。

79 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 20:40:08.89 ID:vHl5bAmF0 [PC]
役不足とかどうでもいい。
よそでやれや、アホども

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 しかしまだまだ熱く続く。

81 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [↓] :2014/11/17(月) 20:41:03.41 ID:RGB3Tjqp0 [PC]
役不足は役<役者ってことだよな。
この人が言いたいのは、今回の件で
私が出てくると百田さんは困るでしょう?ってことじゃね?
この人は干されても構わないと言ってるし。
流石に作詞家は単語の意味には敏感にならないと仕事にならないんだから、
誤用はないだろ。この人はカルメンとかの訳詞の仕事もしてるし。



91+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 20:45:06.02 ID:R80fPGpJ0 (1/21) [PC]
>>75
「私は役不足ですか」、だったら誤用って言うのもも分かるけど
「私じゃ役不足ですか」や「私では役不足ですか」ってのは誤用じゃないよ
その場合は「私が相手ではあなたにとって役不足ですか」って意味だから

あなたがてにをはの使い方を理解してないだけw


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「役不足」じゃなくて「不足」が正しいという意見。これは「誤用派」。


94+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 20:45:43.34 ID:TaXFZS/D0 (7/31) [PC]
「私じゃ不足ですか?」と書けばよかったんだよ

バカだから「役不足ですか」と書いて、作詞家のくせに日本語知らないのを晒した

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「主語が省略されている派」が登場。これは肯定張。

121+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 20:56:04.05 ID:R80fPGpJ0 (3/21) [PC]
>>103
厳密には逆に意味になるわけじゃないよ
「私じゃ役不足ですか」ってのは主語を省略している
主語を入れれば「あなたは私じゃ役不足ですか」って文になる
つまり役不足なのは、及川じゃなくて百田。

普通、主語を省略した文で使うことが多いから勘違いしてるだけ


130+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 20:58:11.70 ID:R80fPGpJ0 (4/21) [PC]
>>112
だから、「役不足」の主語は、及川じゃなくて百田なの
日本語では主語を省略するってこと知ってるでしょ
「私じゃ何々ですか?」って言う文の主語は、私じゃないからw


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 定番の「辞書引用派」も登場。

132 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 20:59:21.24 ID:KVPGzhQT0 (1/2) [PC]
デジタル大辞泉の解説
やく‐ぶそく 【役不足】
[名・形動]
1 俳優などが割り当てられた役に不満を抱くこと。
2 力量に比べて、役目が不相応に軽いこと。また、そのさま。「そのポストでは―な(の)感がある」
◆文化庁が発表した平成24年度「国語に関する世論調査」では、「彼には役不足の仕事だ」を、
本来の意味である「本人の力量に対して役目が軽すぎること」で使う人が41.6パーセント、
間違った意味「本人の力量に対して役目が重すぎること」で使う人が51.0パーセントと、
逆転した結果が出ている。→力不足


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145 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 21:03:41.78 ID:6UA2L9M40 [PC]
この役不足の使い方に違和感持つのはアスペ
もしくは正しい俺!に賢い俺!に酔ってる馬鹿だろ
正しい意味として文は成立する



146 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 21:03:43.80 ID:TaXFZS/D0 (20/31) [PC]
この文章で「役不足」は明らかな誤用。

皆さん気をつけてくださいね
馬鹿と言われないためにね


160 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 21:10:27.06 ID:TaXFZS/D0 (23/31) [PC]
「役不足」とは~~彼の高い能力に比して役職が見当たったものではない、というのが本義。

「私じゃ役不足ですかあ?」では意味を成さない。完全な誤用。
この場合「私じゃ『不足』ですか?」で十分意味が通るものであった
「役不足」という意味を知らなかったのであろう
 
日本語を知らない愚かな作詞家が愚かな作家に噛み付いているだけの、益体もない話ではある。

 
190+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 21:23:27.36 ID:R80fPGpJ0 (8/21) [PC]
>>181
だからあんたは「役不足」の主語を勘違いしてるだけ
及川の文の主語は百田なんだよ。百田にとって及川じゃ役不足ですかって問いかけてるので
使い方として全然違和感ないし間違ってもいない

誤用や変な文だと、一読してなんかおかしいぞって感じるものなんだよ
あなたはそういう感覚が備わってないんだと思う



198+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 21:28:05.01 ID:TaXFZS/D0 (29/31) [PC]
>>190
主語の勘違いなんて話じゃねえよバーカ
ただただ「役不足」という語を知らない誤用なのは明白



212 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 21:32:19.99 ID:R80fPGpJ0 (9/21) [PC]
>>198
例えば、失恋した女の子が「私じゃ駄目なんです」って言ったら
駄目の主語は女の子じゃなくて失恋相手の彼ってことになる
「彼は私じゃ駄目なんです」の主語を省略しているだけ

あんまり使わない用例だけど、失恋した女の子が「私じゃ役不足なんです」って言っても同じこと
その場合も役不足の主語は「私」では無くて省略された「彼」
「彼は私じゃ役不足なんです」の主語省略形になる
恋愛に役不足って言葉は普通使わないけどね。文法的には同じ使い方


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「時代によってことばは変る派」が登場。

251+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 21:46:16.95 ID:28tyrNqm0 (1/3) [PC]
役不足の誤用に突っ込む奴多いけど、日本語は刻々変化してるんだよ
誤用も時代が変われば正解なんてことはよくある話
今はどっちの意味で使っても正解なんだよ
前後を読めば言いたいことはわかる

419 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/18(火) 00:14:02.04 ID:7v6OUxnW0 (1/5) [PC]
もう、役不足は、どっちの意味でもつかわれているというのが定説。
国語学に詳しければ、当たり前のことだろ。

言葉の意味なんてのは時代とともに変わっていく。これ理w
今や、役不足はどっちの意味で使っても間違いではない。

もう終了

489+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [↓] :2014/11/18(火) 01:40:30.87 ID:QlA1OcSP0 [PC]
>>484
まあこのレス見る限り間違いなく
役者不足の意味だよねw
私じゃ小物過ぎるが言い換えでしょ。
でも現代語としては役不足でいいと思うね。
言葉は生き物だから。


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257+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 21:48:37.89 ID:R80fPGpJ0 (12/21) [PC]
>>251
いや、そもそも誤用じゃない
「百田さんは、私(が相手)じゃ役不足ですか?」の主語が省略されているだけ
普通に使う言い回しなので、誤用って騒ぐ奴が日本語を知らないだけ


260 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 21:51:16.71 ID:R80fPGpJ0 (13/21) [PC]
>>253
「百田さんは及川が相手では不足ですか?」
「百田さんは及川が相手では役不足ですか?」

どっちも同じ意味だし使い方も間違っていないけど
個人的には役不足の方がしっくりくる


279 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 22:01:25.16 ID:R80fPGpJ0 (14/21) [PC]
>>264
「私には脇役じゃ役不足」、「百田さんには及川じゃ役不足」
こういう風に使うんだよ。
「及川じゃ役不足ですか?」って聞いたら、主語は省略されている百田になる

「私じゃ力不足ですか」っていうのは文法的には間違ってないけど
その場合の主語は「私は(百田の相手役に)不足ですか」って意味で
目的語が省略された文になっているんだな


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「機械翻訳派」が登場。

306 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 22:24:57.10 ID:R80fPGpJ0 (15/21) [PC]
英語が苦手だから機械翻訳にかけてみた
「私は役不足ですか?」→「Am I insufficient? 」
「私じゃ役不足ですか?」→「Is it insufficient in me? 」

機械翻訳すげーって思ったw

329 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 22:39:51.79 ID:R80fPGpJ0 (16/21) [PC]
申し訳ないが、たかじんや百田の話より「役不足」の方が面白くなってしまったw

「私じゃ役不足ですか?」→「Is it insufficient in me? 」
この文の主語は誰でしょうという、そういう問題だな

いや、文法を真面目に考えるなんて何十年ぶりだろうw


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「役不足論争」は、百田の本質をぼやけさせる工作活動だというひとも登場(笑)。


341 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [↓] :2014/11/17(月) 22:46:24.77 ID:cgYGZixO0 [PC]
>>274
役不足論争に持ち込んで、百田の言動の本質的な
部分をぼやけさせる為にやってるんだよ
まあ分かり安い工作活動だね


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378+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 23:21:06.97 ID:R80fPGpJ0 (17/21) [PC]
>>373
「私じゃ役不足ですか?」の場合、主語は省略された百田なので
百田に対して及川では力不足ですかって意味

私では百田さんの相手にはなれないんですかって意味だね
勘違いを続けてるバカがいるけど、及川の使い方は正しい使い方だよ



387+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 23:31:16.33 ID:1tR4lWTc0 (3/4) [PC]
>>378
それなら私は役不足ではなくて百田さんは役不足ですか?
としなければ本来の意味にはなりません。

いいですか役不足は自分を下に見る言葉で無いのです。

あれほど説明してもまだ分りませんか?


390+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 23:36:36.96 ID:R80fPGpJ0 (18/21) [PC]
>>387
そうだよ。
だけど及川の文は「私は役不足ですか」じゃなくて「私じゃ役不足ですか」だから
「私は」の場合主語は私になるけど、「私じゃ」の場合主語は私にはならない
君はその使い分けが理解できていないんだよ

及川の文は「百田さんは私じゃ役不足ですか」の主語を省略した文
日本語では普通に使われる言い回しだよ

最初に書いたけど「私は役不足ですか」なら誤用と言うこともできるけど
「私じゃ役不足ですか」はどこもおかしくない。まだ分かりませんか?


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「役不足論争」を知ってか知らずか(ツイッターが炎上したようだから知ってるんでしょうね)ご本人がわかりやすい内容で再ツィート。

484+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/18(火) 01:37:44.28 ID:3beS9jYw0 (3/5) [PC]
@oikawaneko: まるで一人で相撲をとっている気分だ。百田さん、そろそろ声を上げませんか? 
私への罵倒でも非難でも構わない。あなたの相手には小者過ぎるかもしれないが。皆がそれを望んでいる。物書きの意地とプライドを見せてください。さすが百田さんだと思わせてください。

役不足論争ご本人から説明してくれててワロタw


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 私の意見は「ほぼ肯定派」。イベントや結婚式の司会等で「わたしでは役不足でありますが」とやるのは明らかな誤用だが、この場合は、多くのひとが指摘しているように、「百田さんの論客として、私では百田さんには役不足でしょうか?」の意味あいだから、これでいいのではないかと思う。ただ「適切」とは思わない。役不足は本人が口にするものではないからだ。こういう表現は必ず問題を起こすので私は使わない。この場合も別表現にしたほうがよかったろう。一読して「あ、もめるな」と思ったら、想像以上に盛りあがっていた(笑)。

 「ことばは時代とともに変るからどっちでもいいのだ」という意見には反対。時代とともに変ってしまうものだけれど、抵抗はすべきだろう。もう「憮然」を本来の意味の「しょんぼり」に使うひとはほとんどいない。高名な小説家もみな「むっとする」の意味あいで使っている。「閑話休題」も誤用がアサヒシンブンやNHKで大手を振って歩いている時代だ。「時代とともに変ってしまう」のはしかたないが、挟間に生きている世代は、精一杯本来の正しい使用を主張するのがあるべき姿だろう。そして「役不足」は「誤用が定着したことば」だとは、まだ思わない。

「あらたしい」が、ふざけて使った「あたらしい」に押され、いつしか定着してしまった。「あらためる」「あらたに」と同じく「あらたしい」が正しいのだ。よって「あたらしい」だけ独特の存在になって浮いている。こんなのもこれからみんなで「あらたしい」を流行らせれば、正しい意味の、仲間もいっぱいいる「あらたしい」になる。そういう流れを作りたいものだ。

 ご本人がツイート。

oikawa-yakubusoku




 これを知ってからYouTubeで「金スマ」の特集を見てみた。あの番組内容には納得出来ない。百田さんの政治信条を支持するものとして心配になった。今回のこれは勇み足ではないのか、というのが現在の私の気持ち。イタリア男との結婚式写真も見た。時期が重なっていて不自然と、だれもが感じるだろう。打越の怒りのラジオ放送も聞いた。私はたかじん夫人&百田さんよりも、打越を信じる。だが打越の言うように、百田さんを「金と名声だけを求める最低な人間」とは思わない。毒婦にだまされたポカだと思うのだ。

 ただし、あれがひどい悪女だったとしても、たかじんが彼女を最愛の女として死んでいったのは事実だろうから、それは他人が口出しすることではない。遺産がどうのこうのなんてのも大きなお世話だ。男と女の話である。天国のたかじんが口を利いたら、百田さんが言っているように「おれが好きになった女や、おまえらよけいな口出すな、おれの金や」だと私も思う。

 朝鮮民族の話でもある。たかじんは、天童よしみの紅白出場を応援し、思想的には対立するはずの遥洋子をかわいがった。あれを見るたび、民族の血の結びつきを思った。そして最後にたどり着いた女も、この姜善子(通名・森田さくら)と、同じ民族だった。それが民族の血なんだ。私も最後は「やはり日本の女がいい」となるのだろうか。しみじみと〝民族〟について考えた。

 私の心配は百田さんにある。「殉愛」は、百田さんの凡ミスではないのか。いや凡ミスどころか地雷を踏んでしまったのではないか。そのことが百田さんの政治的活動、思想信条にもマイナス作用するのではないか。Amazonのブックレビューを熟読した。異様だ。たかじんの死にかこつけ、思想的な「百田嫌い」が、ここぞとばかりに跋扈しているのはまちがいない。なんともそこが心配である。

kanren7『殉愛』騒動──及川眠子さんの百田さんへの挑発ツイート

  1. 2014/11/18(火) 07:09:07|
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ことば──「わきまえる」「辨える」「弁える」──ベンという漢字のこと

●ことば──「弁える」という表記の愚

《Wikipediaではやたらに不要な漢字を使うひとが多い。「弁える」がよく出てくる。くだらん漢字使用だ。いきなり「弁える」と出てくると思考が停止する。「〝弁える〟 なんだこれは? ああ、わきまえるか」と、ほんの一瞬ではあるが、そうなる瞬間がわずらわしい。しかも、そもそもその文中に「わきまえる」という日本語が必要とは思われない。唐突に登場する。このひとは「弁える」と書きたくて無理矢理使用しているのではないかとすら思える。》

 というようなWikipediaの文章批判をブログに書いたままほうりだしていたのでその続き。



 高島俊男先生の『お言葉ですが…』の初期のテーマに「全部ベンの話」というのがあった。何巻のどこかはあとで記入するとして、以下はそのとき覚えた話。ノートに手書きして「ベンの字」の区別を覚えたものだった。以下は引用。とはいえ手元にいま本はない。でも覚えているので書ける。教えて頂いた恩に感謝しつつ、先生の御健勝を祈りつつ、思い出し引用。

 敗戦後、当用漢字制定により多くの漢字が使用停止となり同じ音の字で代用されるようになった。「ベン」の字はその代表例。

──しゃべるという意味──雄辯、辯護士、
──区別するという意味──辨別
──編むという意味──辮髪
──花びらの意味──花瓣
──とりしきる──辧公室
──冠、帽子の意味

 これらの意味のちがう漢字をみな最後の「」で統一した。なんとも乱暴な話である。よって、弁護士、弁髪、花弁と、本来は別々だった「ベン」の字がみな「弁」になってしまった。

「わきまえる」に当てられていた漢字は「区別する意味の」である。もともと和語の「わきまえる」に「辨」を使うことが当て字であり意味のないことなのに、その字を使用禁止にして、まったく意味の異なる「弁」を使ってまで「弁える」なんて使うのは滑稽でしかない。「わきまえる」でいいが、どうしても漢字を使いたいなら「辨える」にすべきだろう。いまはこうして表示できるのだから。

 高島先生が漢字に関して一貫して主張しているのは、「やたら漢字を使いたがるひとは無教養、過剰に横文字(カタカナ英語)を会話に入れるひとと同じ」である。渡来語という虎の威を借りて自分を大きく見せようとするのだ。ところが日本人の漢字崇拝というのはまだまだ根強い。文章に「わきまえる」とカナで書いたら「弁える」と書けないと思われるのだろう。しかし「弁える」に「わきまえる」の意味はないのだ。弁は冠とか帽子のことなのだから。



 と、ここまで書いてきて、「これ、同じ事をむかし書いたな」とやっと思い出した(笑)。サイトを調べてみると、《『お言葉ですが…』論考──智弁なのに日鐵》と題して書いていた。2001年11月20日の文だからちょうど13年前になる。中身は前半がここと同じ「ベンの字のちがい」について、そこから「テレ東が智辯学園を智弁にしていたのに、新日鐵という会社名はではなくしっかり正字ので表示していた。なぜ? その理由は?」と続く。

 シナで見かけた「麻花辮」の画像を置いている。中共もずいぶんと漢字を統一して文化を壊している。このブログで書いたのでは「ラーメン等の麺が面」「機械の機が机」があった。
 私が最もひどいなと思うのに「穀物」の「」の字が同じ発音の「」に統一されたことがある。「谷物」で「穀物」を想像するのは日本人には無理だ。「谷」には「コク」よりも「たに」のイメージが強すぎる。
 そういう中共でも、この「様々なベンの字」はまだ生きているようだ。日本の「弁に統一」も「谷物」に匹敵するほど悪質である。

 2001年にはまだ「」の字が表記できなかったが、やっと出来るようになったという2009年の追記が懐かしかった。私のサイトのこの種のテーマには、切り貼りの画像が多い。2000年前後はまだまだ表記できない漢字が多く、それを〝画像〟として貼りつけているのである。
 たとえばこんなヤツだ。ji-gyoこれ、中共簡体字の「」である。当時はこれが表示できなかった。だから漢字の「業」を拡大し、上の部分をカットして画像として説明している。簡体字だろうが繁体字だろうが楽々と表示できる今ではウソのような話だが、当時はこんな苦労をしていた。
 タイ文字もまだ表示できずこれも画像でやっていた。出来るようになってからはうれしくてタイ文字キイボードを購入して使ったりもした。いまじゃもうすっかり忘れてしまった。なんとかまだ初歩的な読み書きは出来るがタイ語キイボードは使いこなせない。まだ所有しているが。



 私は「ベンの字は弁」という教育で育った世代だから、「雄弁」にも「花弁」にも違和感はないが、正しくベンを使い分けてきた世代は、「弁護士」なんて書くことには抵抗があったろう。違和感のない世代である私ですら「弁える」なんて表示には、なんかちょっとおかしいのではないかと本能で反撥するのだから。

 私のPCに入っている辞書で、「わきまえる」の漢字表記を「弁える」のみではなく「これは〝辨える〟の代用漢字だよ」と「辨える」も表示して教えてくれた良い辞書は、大辞泉、学研国語辞典、明鏡国語辞典。

 対して「わきまえる」の漢字表記を「弁える」だけしか表示しなかったダメ辞典は、広辞苑、大辞林、新明解国語辞典。

 私が自分の文章で「わきまえる」と使うことはまずないと思うが、そのときはしっかり「わきまえる」とカナで書き絶対に「弁える」とは書かないことをわきまえておこう。

0kanren 

 ・「残滓」の読みかた──室谷克実さんの講演から

・三年遅れの「麻生太郎漢字誤読論」


  1. 2014/11/15(土) 21:43:28|
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ことば──怪訝──〝けげん〟と〝かいが〟

携帯電話の辞書機能」に以下の文を追記。


【追記】──「怪訝」について──明鏡モバイル国語辞典の限界──2014/11/08

「怪訝」をどう読むかと問われたら、試験に出たなら、多くのひとが「けげん」とするだろう。いぶかしむときの「けげんに思う」だ。一方でこれはそ
のまま音読みする「かいが」でもある。「かいがにたえない」は「怪訝に堪えない」と書き、「どうにも不可解だ、なんとも不思議だ」ぐらいの意味あいで使
う。というか「かいが」のほうが正しい。無理矢理「けげん」と読ませているだけだ。

 辞書のない環境にいるとき心に浮かび、調べたいと焦るのはこの種のことになる。「怪訝(けげん)は怪訝(かいが)でも使うよな、怪訝にたえない、とか」と思い、「たえないは耐えないか、いやちがうな、どのたえないだ? 堪えないか? 絶えないではないな、耐えないでいいのか?」

 
ケータイに入っている明鏡モバイル国語辞典は「耐える、絶える、堪える」とみっつを表示してくれる。ありがたい。漢字なんてのは所詮和語の当て字だからどうで
もいい。「怪訝にたえない」でいい。しかしまた漢語から来ている「確定している組合せ」もあり、それを外すと無智丸だしの赤っ恥にもなる。「怪訝に堪えない」のような組合せで初めて「ここは〝けげん〟ではなく〝かいが〟と音読みにする」との主張になる。正解が欲しい。が残念ながらケータイの明鏡モバイルに「けげん」はあっても「かいが」はない。「絵画」のみだ。そりゃしょうがない、モバイル
用のちいさな辞書なんだもの。これに文句を言う気はない。



 こんなのは帰宅してから調べればいいことだ。手帳にメモす
る。
 帰宅して、PCに挿れてある大辞林、明鏡、広辞苑、新明解、学研、大辞泉で調べたら、なんと正規の辞書なのに「明鏡」には「絵画」しかなかっ
た。これは新鮮な発見。モバイルだから削ってあったのではなかった。明鏡はこういうふるくさい表現はもう放棄しているのだ。もちろん他の辞書にはぜんぶあった。たえないの漢字は「堪えない」であることも確認でき
た。
 まあ「怪訝に堪えない」なんて表現を使うこともめったにあるまいが、でも辞書には「けげん」ではない読みと使いかたも載せておいて欲しいとも感じた。
「たえる」をみっつ確認できるだけで「ケータイの辞書」としては合格なのだけれど。
  1. 2014/11/08(土) 06:41:22|
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文章考──すっきり書けないこまった性格──Transcend-MP300購入記

transcend-mp
 長年遠ざけていた中国語を本気でやろうと、そのパートナーとして小型のmp3プレイヤを買った。Transcend-MP300。2500円。8GBのフラッシュメモリにmp3再生機能が附いている。それでいてこの値段。信じがたい時代だ。どこに出かけるときもこれを胸ポケットに入れて、今秋から年末、正月は中国語の勉強一筋の予定でいる。30年ほど前に始めたが途中で投げだした。再挑戦である。まだカタコトレベルだが今回一気にマスターしてやる。モノから始める性格なのでグッズはかかせない。これは中国語学習専用のギアにする。力強い味方を手にした。がんばるぞ。

 ということを書こうとした。こうしてまとめると、たったそれだけの話なのだが、あれこれ寄り道していてまとまらない。その寄り道度合の話。



 まずはそれを買おうと思った動機のこと。あれほど嫌っていた中国語の勉強を再びする気になったきっかけだ。するとこの「中国語」なる意味不明のコトバについてまず書かねばならない。この世に「中国語」なんてものはない。そもそも「中国」なんて国はない。表現がおかしい。「中国」とは「世界の中心地」という意味であり、敢えて日本語に訳せば「我が国」である。日本も日本のことを「中国」と表記していた時期がある。もちろん国名ではなく「我が国」の意で使っている。それはいくつもの書物に残っている。いまも西のほうに「中国地方」がある。シナ人が「誇り高い世界の中心地である我が国」の意で「中国=チュンゴー」と口にするのはわかる。ただしい。しかし日本人があの国のことをそう言うのはヘンだ。「我が国」の意なのだから。ならどう呼べばいいか。世界共通のChina(発音はチャイナ、シーノ、シーヌ、シーネと国によって微妙に異なる)、日本語ならシナが正当になる。「中国」なんて国はない。ただし、あの悪名高い共産党独裁国家、歴代のシナ王朝でも最悪の殺戮国家「中華人民共和国」なら、ある。以下それを「中共」と略すことにして、いかにそれが歴代の中でもひどいかを語りたくなる。しかし歴代の王朝と絡めて中共のひどさを語っていたら結末までの路が果てしなく長くなる。我慢。

 「中国」の呼称に関しては妥協しても「中国語」に関しては多少書かねばならない。中共支配下の地域で話されている言語は多種多様だ。チベット、ウイグル、モンゴルという悪虐暴力中共に武力併合された文化から歴史からなにもかも異なる地域はもちろん、漢民族以外にも60もの少数民族の言語がある。漢民族の話す主要な言語も、北京語、上海語、広東語とあり、それらは別の言語というぐらい異なっている。その異なり具合を日本的方言で判断してはならない。とんでもなくちがうのだ。と書くと、高校生の頃に体験した「ジュディ・オングの自慢話」のことを書きたくなる。ジュディ・オングが「わたしは五ヵ国語が話せる」と自慢していた。すごいなと思ったけど、「英語、フランス語、北京語、上海語、広東語」だったので、後半の三つは水増しじゃないかと反感を抱いた。いまはわかる。彼女は正しい。でも当時の私は「中国語」なるものが存在すると思っていた。「日本語」と同じくそれはひとつだと思い込んでいた。でもちがう。当たり前だ。あれだけ広い文化もことなる地域の言語がひとつのはずがない。架空の水戸黄門は標準語で全国漫遊しているが、あの当時日本の方言も多種多様で東北のひとと九州のひとでは会話が成りたたなかったろう。それを思えばシナの言語のちがいも感覚で理解できる。その後、あのとんでもない国に実際に行って体験した、上海人は上海語に誇りを持っていて北京語を話さないということ、ふたつはとんでもなくちがっていること、も書きたくなってくる。経済の中心地は上海だ。歴史にも誇りを持っている。でも政治の中心は北京だ。だから公用語は北京語になっている。そのことに上海人は憤懣を抱いている。納得していない。仲が悪い。だから北京語は使わない。それを書きたい。切りがない。我慢。
 主用みっつの言語の中では香港映画で耳に馴染んでいる広東語が響きがやわらかくて比較的好きなことも書きたい。別テーマにすべきか。とりあえずいまのシナの政府、中共が標準語としているのが、<北京語=普通話>であり、日本で発売されている「中国語」の教科書はみなこれであることは書かねばならない。しかしこれは政府の押しつけであり、上海経済圏や広東文化圏ではみな使わない。でも一応これが「中国語」の代表ではある。以下不本意であるが「中国語」という意味不明のコトバを<普通話(北京語)>の意味で使う。



 中国語とはなにかを書いたら、次はなぜそれを「再び」突如勉強する気になったかだ。訪問する異国ではその国の言葉をしゃべることを基本としている。半端な独学ではあるが長年ずいぶんと異国語を勉強してきた。買い物や道を訪ねる程度の言語なら10ヵ国語ぐらいは話せる。いま私の部屋は本を捨てまくったため小説類はほとんどない。本棚に残っているのは語学教科書とJazzやClassic音楽に関するものばかりだ。あ、将棋本も多いな。その中には中国語に関するものも五、六種類見える。やる気だった。まだ朝鮮や中国に悪印象、いや正確な智識をもっていない時期、話せるようになってから行こうと、スペイン語やポルトガル語と同じく、いやいや身近な国だからそれ以上に、やる気満々で語学素材を揃え、熱心に学んでいた。しかし一度訪問していやになった。あの国に行き、「こういう国の言葉は覚えたくない」「この民族と会話したくない」と嫌悪した。それもまた詳しく書きだすと切りがない。というかあの国のことは書きたくない。ひどすぎる。中共という独裁国家のせいもあろうが、それ以前に漢民族ってのは日本人とはちがいすぎる。絶対に合わない人種だ。白人よりも黒人よりも遠い。そもそも隣国とか見た目とか漢字使用からの勘違いがあるが、日本は遣唐使遣隋使以降あの国とはつきあいがない。その証左としてよく言われるのが北京、上海、香港の呼びかただ。その呼び名は英語から来ている。つきあいがあったら「ほっきょう」「じょうかい」「こうこう」と呼んでいた。つきあいがないから毛唐の発音を真似ている。毛唐とのつきあいが始まり、あらためて意識したのがそれらの都市だ。実際つきあいがあった時代は、「洛陽 らくよう」「長安 ちょうあん」とあちらの都市を日本的な発音で呼んでいる。ではなぜつきあいを断ったかというと、当時の賢人も、いまの私の感覚と同じく、実際に接してみて「こいつら、つきあう価値がないわ」と投げたのではないかと推測する。それほど漢民族というのは実際に接するとうんざりする連中だ。あまりに日本人とはちがいすぎる。しかしそれとはまた別に、つきあいのない江戸時代にもシナの思想は、儒教や朱子学が本家とは離れた形で日本独自の発展をしている。それはそれで日本らしいとも言えるが。福澤翁はそれを批判している。と、これまた切りがないので我慢。ともあれ「かつてはやる気だったこと」「断念したこと」を簡単に記し、ついで「それをまたなぜやる気になったか」は書いておかねばならない。(続く)
  1. 2014/11/04(火) 06:38:26|
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2001年に始めたサイトMone's World--http://monetimes.
web.fc2.com/の出張版ブログ【木屑鈔】Boku-setsu-shouです。
2005年からやっていたライブドアブログから引っ越してきました。
FC2のサイトは2007年から利用させてもらっていました。これでやっとサイトもブログもFC2で統一です。
メールは、moneslife2000
@kpe.biglobe.ne.jpまで。

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