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Wikipediaのわかりにくい文の例──二所ノ関部屋の歴史から──アラビア数字と漢数字

 Wikipediaの文章がわかりにくいと何度か書いている。見かけるたびに、それを引いてブログテーマにしようと思うのだが、いつもそのままになってしまう。今回気になることがあった。忘れないうちに書いておこう。大相撲の二所ノ関部屋の項目だ。


1909年(明治40年)1月に二枚鑑札で5代二所ノ関を襲名した関脇・海山は、1911年(明治41年)1月場所限りで引退して友綱部屋に預けてあった内弟子を連れて二所ノ関部屋を創設した。なかなか弟子に恵まれなかったものの、苦労して玉錦を大関に育て上げた。しかし玉錦が1932年(昭和7年)10月に横綱に昇進する直前の1931年(昭和6年)6月に胃癌で死去し、弟子は粂川部屋に預けられた。

1935年(昭和10年)1月に横綱・玉錦の二枚鑑札が許可され、6代二所ノ関を襲名して部屋の師匠に就任した。
当時の二所ノ関部屋は稽古場さえ持たないほどの弱小な部屋だったが、猛稽古により一代で部屋を大きくし、先代弟子から関脇・玉ノ海や幕内・海光山などといった関取を育てた。しかし、勧進元も務めてこれからという1938年(昭和13年)12月に虫垂炎を悪化させ、腹膜炎を併発して34歳の若さで死去した。



 いきなり餘談だが、私のような世代の相撲好きにとって二所ノ関部屋は超名門である。日本プロレスの開祖・力道山のいた部屋であり、大横綱大鵬、大関大麒麟を輩出している。先代が亡くなり、後継問題で揉めるという事件もあった。結果的に先代の(調停役として短期の暫定親方をおいたので正確には先々代になる)の娘婿になるという寝業を使った〝ホラ吹き金剛〟が継ぐことになる。金剛もまた平幕優勝したりして話題の力士だった。この〝ホラ吹き〟は、大言壮語することで有名だった〝ホラ吹きクレイ〟から来ている。モハメッド・アリの前名だ。自分よりも格下の弟弟子金剛の親方襲名に不満を持った大麒麟は独立を申し出るが許されない。大麒麟は弟弟子を連れて寺に立て篭もる。このときほとんどの力士が金剛ではなく大麒麟にしたがった。私は裏事情を知らない一相撲ファンだったが、「大麒麟が正しいのだろうなあ」と思ったのを覚えている。大言壮語する金剛とは対象的に大麒麟は力士には珍しい読書好きでインテリ力士と言われていた。ま、正直、のっそりしていて好きな力士ではなかった。なんというか、四股の足があがらないのがかっこわるかった。大鵬は自分のことを天才と呼ばれるのを嫌い、よく口にしたのが「大麒麟のほうが自分よりも天才だ」だった。
 解決まで揉めに揉めたが、大麒麟の独立を許すという形で決着する。押尾川部屋の誕生である。しかし有力な力士を連れて行くことは認められなかった。大麒麟を尊敬している天龍は立てこもり事件でも行動をともにしていたが、米櫃の幕内力士だから二所ノ関部屋に残らされる。それを不満として天龍は引退する。まだ27歳。大麒麟へのを義を通した行動だった。その後プロレス入りを発表する。あの騒動がなければ天龍のプロレス入りはなかった。そういう経緯もあってデビューのころの天龍はいつも沈鬱な顔をしていて、ちっともプロレスが愉しそうではなかった。アメリカ修業からの帰国後も伸び悩んでいた。ふっきれるのはロビンソンとタッグを組んだあたりからか。でも天龍は自分でも認めていたが大関になれたかどうか。たぶんなれなかったろう。プロレスでは横綱になった。果たしてどっちがよかったのか。あれこれと思い出の尽きない名門である。
 一方で友綱部屋は、魁輝が大関魁皇を育てあげ、四股名の「魁シリーズ」が注目を浴びるまでは地味な部屋だった。長年閉鎖されてもいた。しかし歴史的には「二所ノ関部屋は、友綱部屋から分離独立した」のである。あちらのほうが超名門二所ノ関部屋の本家なのだ。Wikiを読む愉しさはこんなところにある。
 名門二所ノ関部屋は、金剛親方時代に活躍する力士が出ず、後継者もなく昨年閉鎖された。金剛も今年故人となった。政略結婚だったから親方の娘とは離婚している。歴史的には「人望のある大麒麟が継ぐのが正解だった」となるだろう。だが押尾川部屋も益荒男の独立問題でおかしくなった。歴史は繰り返すのか。
「二所ノ関部屋が不振により閉鎖」というのは「超名門」と認識して育った私の世代には信じがたい事件だった。活躍力士が出なければこんなこともあるのだ。二所ノ関部屋の力士が移籍した(吸収された)のは松ヶ根部屋だった。大関若嶋津が創立したあたらしい部屋だ。あの二所ノ関部屋が松ヶ根部屋に吸収合併されるというのは、わたし的にはメダカがクジラを呑みこむような感じである。相撲部屋の栄枯盛衰を見ていると、なんとももののあわれを感じる。


 閑話休題、書帰正伝。二所ノ関部屋の由来に関する上の文。
《しかし玉錦が1932年(昭和7年)10月に横綱に昇進する直前の1931年(昭和6年)6月に胃癌で死去し》と読んでいて、私は「大関の玉錦が、横綱昇進前に胃癌で死んだ」と思った。この文章の主語は「玉錦」なのだから。しかしそのあと《弟子は粂川部屋に預けられた》と続くのが奇妙。大関が死んで弟子が預けられるという流れがわからない。「弟子」とは誰の弟子なのだ。昔も今も力のある力士は現役中に弟子を取る。内弟子だ。独立したときにはそれを率いる。魁皇は浅香山として独立するときすでにふたりの弟子を持っていたし、横綱白鵬ももう内弟子を持っている。とすると「大関玉錦がガンで死んだので、その内弟子は粂川部屋に預けられた」という意味だろうか。

 このあと《1935年(昭和10年)1月に横綱・玉錦の二枚鑑札が許可され、6代二所ノ関を襲名して部屋の師匠に就任した》と続く。玉錦は死んでいなかったのだ。生きていて横綱になったのだ。となると死んだのは誰だとなり、その前からの文の主役である《5代二所ノ関を襲名した関脇・海山》であるとやっとわかった。というのはウソ。私は玉錦が横綱になった、というか、横綱玉錦が二所ノ関部屋の基礎を築いたことを知っていた。だから「やっとわかった」は大袈裟だが、でも一瞬「え?」となったのは事実。知っている私でもそうなったのだから誤解したひともいるだろう。中学生の國語の問題として「この文の主語は誰か!?」と出題するなら、誰でもすこし考えて「海山」と正解を出せるだろうが、言いたいのは辞書辞典で「え?」と思わせてはまずいのではないかということだ。

《しかし玉錦が1932年(昭和7年)10月に横綱に昇進する直前の1931年(昭和6年)6月に胃癌で死去し、弟子は粂川部屋に預けられた。》の問題点は主語がないことである。ここに「しかし海山は、玉錦が横綱に昇進する前に死去し」と本来の主語の「海山」を挿れるだけでまったくちがってくる。それがないとこの文章の主語は「玉錦」になってしまう。それでは意味が通じない。英文で訳したとして比べるとわかりやすい。
 
「しかし玉錦が1932年10月に横綱に昇進する直前の1931年6月に胃癌で死去し」と、
「しかし海山は、玉錦が1932年10月に横綱に昇進する直前の1931年6月に胃癌で死去し」は、英語なら主語の異なるまったく別の意味の文になる。日本語は英語とちがい、主語を略しても成立する性質を持っている。ここでも前段を受け「海山」という主語を省いているのが日本語の味わいだ、と言うひともいるかもしれない。そうだろうか。

そのあとの玉錦の人生を語る、《1935年(昭和10年)1月に横綱・玉錦の二枚鑑札が許可され、6代二所ノ関を襲名して部屋の師匠に就任した》も主語のない文である。日本人ならそれは「玉錦」のこととわかるが、これを自国のことばに訳して紹介しようとする異国人Wikipediaライターは戸惑うだろう。主語がないのだから。
 これも《1935年(昭和10年)1月に横綱・玉錦の二枚鑑札が許可され、玉錦は6代二所ノ関を襲名して部屋の師匠に就任した》と挿れればいいだけのことだ。しかしこれは「玉錦」がかぶるみっともない文だ。それをしないことが「日本的省略の美」であり、日本語の文章独自の美しさなのであろうか。いやそれ以前に、「6代二所ノ関を襲名して部屋の師匠に就任した」と書く日本語感覚はなんなのだろう。いくつぐらいの、どんなひとが書いているのか興味深い。部屋の師匠に就任したはかなり滑稽だ。

 下に書くが、Wikipediaの文は各国語に翻訳され世界に流れるものである。よって漢数字で表すべき部分もみなアラビア数字になっている。それは許容せねばならない。そういう世界なのだ。Wikiの使命とは事典として「情報を正確に伝えること」であり、それが各国独自の表現よりも上に立つ。各国が自国の文章表現の美に酔ったなら、世界共通百科事典として翻訳の際に混乱を招くことになる。Wikiの文が川端康成や村上春樹である必要はない。

 こういうタイプの文が多い理由を、Wikipediaのライターが日本的表現の美にこだわったゆえに、とは思わない。これは、Wikiの文章の問題として指摘した「いちどに全部を言おうとし過ぎる」ことが原因であろう。二所ノ関部屋設立の由来を、なにもそんなに一気に「これこれこういう出自の力士が西暦何年(年号何年)にこういう経緯で創立し、西暦何年(年号何年)まではこれこれこういう理由で苦労したが、西暦何年(年号何年)に、これこれこういう理由で流星するが、でも西暦何年(年号何年)にこれこれこういう問題が起きて、これこれこういう理由で死んだ」と、創立者の人生を経歴や設立年度、死まで一息に言う必要はないのである。「設立に到る過程」と「弟子を育てるまでの苦労」、「その後の死ぬまで」を分けて書けば問題は起きない。そのほうがよりわかりやすい。なのに一気に書こうとするから足がもつれる。

 これはそのあとの「玉錦の項」にも共通している。冒頭の文は、連続しており、上段が「海山の一生」、続いて「玉錦の一生」だ。ふたりの人生を一息で語ろうとする。海山の最後は《しかし玉錦が1932年(昭和7年)10月に横綱に昇進する直前の1931年(昭和6年)6月に胃癌で死去し、弟子は粂川部屋に預けられた。
》、玉錦の最後は《しかし、勧進元も務めてこれからという1938年(昭和13年)12月に虫垂炎を悪化させ、腹膜炎を併発して34歳の若さで死去した》となっている。まったく同じ形式の文だ。ふたりの人生を「あれがあってこれがあって、しかしこうなって死んだ」と一気にまとめようとするので読み辛い。玉錦の結びの文も主語がないが海山の結びよりはわかりやすい。同じ主語のない文でも、海山の生涯が玉錦の生涯よりもわかりづらいのは、玉錦が「これからというときに死んだ」とまとめられているのに対し、海山は「死去し、弟子は粂川部屋に預けられた」と、一生に加え死んだ後のことまでも一息に書こうとしているからである。一般原稿だと字数制限があるから主語を省いたり限られた字数ですこしでも多く情報をいれようと焦ったりする場合はある。しかしこれはネットの文である。字数制限はない。締切もない。なのになぜこんなに言いたいことを一気に言おうとしてよれよれになっているのだろう。そしてまたその文で、なぜ主語を明確にせずわかりにくくするのだろう。不可解である。

 たいした問題じゃない。「ん?」と一瞬思うが、すぐに「ああ、そうか」と理解できる。しかしこの「ん?」が「誰でも書きこめるWikipedia」にはやたら多いのだ。辞書を引いての「ん?」はいらない。「ん?」を解決してくれるのが辞書だ。便利さに感謝しつつも、この辺の不備はかなり苛つく。


 英語崇拝者により昨今の日本語は壊されている。典型的な例に「単数・複数」への異様なこだわりがある。「鳥が飛んできた」では「一羽か複数かわからない」とばかりに「鳥たちが飛んできた」とやる。英語はBirdとBirdsと単複を分ける、なのに日本語はあやふやだという英語信奉である。かといって英語も、一羽と二羽以上の区別はあっても、二羽と三羽の区別はない。どうでもいいことである。しかしこだわるのがいる。「男女」も同じだ。男と女がやってくる。「彼ら」でいいのだが、それでは男だけだと勘違いされると「彼彼女等」と書いたりする。男女同権か。
 
 日本語を貶める英語崇拝者が大嫌いな私としては、上記のようなWikiの文に関してもむしろ「主語が曖昧でも成立するのが日本語の秀でた点だ」と肩を持ちたい。しかし持てない。これはやはりただのへたな文章であろう。

 Wikiには世話になっている。インターネット環境のない場所に行くとき、可能な限りの辞書をHDDに挿れて行くが、それでも調べられないことは多い。上のような大相撲のことなどはWikiがないとお手上げである。異国の果てで突如むくむくと湧きあがってきた疑問点。知りたい知りたい。あれはどうだったんだっけ!? しかし調べる術がない。背中の痒いところに手の届かないもどかしさ。「ああ、こんなときWikiを引けたら」と何度思ったことか。Wikiには感謝ばかりで批判など出来る立場にはないのだが、それにしても下手な、というか基本的な日本語を書く技術を有しないひとたちが、大勢出入りしているところではある。

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【補記】──アラビア数字、漢数字

 Wikipediaはインターネット世界に存在するグローバルなものである。外国や外国人に関する文などはみな「翻訳」だ。相撲のような日本独自の文も、興味を持った異国のひとたちによって翻訳されて行く。だから日本のなんとか新聞が数字表記をすべてアラビア数字に統一しているように、Wikiの数字がアラビア数字なのは当然なのだろう。もともとがそっちの世界なのだから。コンピュータは0と1で構成されるアラビア数字の世界だ。

 文句は言いたくない。でもなあ、親方の代なんかは漢数字で書いて欲しい、と思ってしまう。「五代目二所ノ関親方」だろう。「5代目二所ノ関親方」はどうも……。まあこの場合は「何代目かわかればいい」と割り切るべきなのだろう。Wikiはそういうものだ。そう統一しているのだろうし、そこまで望んじゃ罰が当たる。テレビでいま「ひとつ、ふたつ」を「1つ、2つ」と表する時代だ。腹立つことなく我慢せねばならない。

 Wikipediaはそういうものだとあきらめるとしても、個人の表記はそれとはちがう。知りあいに近年将棋に興味をもち、ブログにしったかぶりの浅薄な将棋智識を書き始めたのがいる。彼は棋士の段位を「大内9段」のように表記する。こういうヤツに将棋が語れるとは思えない。

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【追記】──英語版を読んでみた

 主語のない文をどう英訳するのであろうと気になって英語版Wikipediaの「二所ノ関部屋」を読んでみた。以下、全文である。これで全部。創立から代表力士、閉鎖、移籍まで、要点のみをまとめたじつにスッキリしたものである。わかりやすい。見事である。量は日本語文章の十分の一もない。よって原文の足のもつれなど無関係だ。そんなことを気にした自分がバカみたいだった。そこまでWikiは原文を重視していない。


Nishonoseki stable
From Wikipedia, the free encyclopedia

Nishonoseki stable (二所ノ関部屋 Nishonoseki-beya?) was a stable of sumo wrestlers, part of the Nishonoseki group of stables (ichimon) named after it. It first appeared in the late eighteenth century and was re-established in 1935 by the 32nd Yokozuna Tamanishiki while still active. The former ōzeki Saganohana produced the stable's greatest wrestler, yokozuna Taihō, who won a record 32 yūshō or tournament championships between 1961 and 1971. The stable's last head coach, former sekiwake Kongo, took charge in 1976, when he was adopted by the widow of the previous head. He has also been on the board of directors of the Japan Sumo Association. The heya's fortunes declined in later years. It had no sekitori wrestlers after the retirement of Daizen in 2003 and at the end had just three active wrestlers, all in sandanme or below (and one of whom, Kasachikara, was 41 years old). The naturalisation of a Chinese born rikishi, Ryūtei, opened up another spot in the heya for a foreigner, and a Mongolian rikishi was recruited in March 2010, but he retired in May 2011.

In February 2010 general affairs manager Yoshiyuki Inoguchi, a former wrestler for the stable from 1975 to 1993 under the shikona of Nijodake, was found hanged in an apparent suicide.[1]

The stable closed after the January 2013 tournament, due to the ill health of the stablemaster and the lack of a suitable successor to him.[2] All three of its wrestlers retired, with the rest of the personnel (except Fujigane Oyakata) moving to Matsugane stable.
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  1. 2014/09/28(日) 10:38:18|
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パソコン話──インターネットアクセスなし──スコットランド独立投票と逸ノ城②

 私はいまNTTのフレッツ光と、WifiのWiMAXを使っている。フレッツは2007年から。WiMAXはASUS MeMO Padを買って使い始めたものだからちょうど一年になる。WiMAXと契約したとき「NTTをやめて、これ1本に出来ないか」と一瞬考えた。毎月の料金はNTTが3500円、WiMAXが4100円。やめるとしたらNTTのほうである。外出時のノートやタブレットで役立ってくれるWifiは必要だ。NTTをやめることが可能なら、3500×12、一年で42000円の節約になる。しかしその種の智識に疎い私は、どうにもWifiの無線というのを心細く感じる。全幅の信頼がおけない。やはり有線が確実のように感じる。デジタルを語るときに引きずるアナログ感覚である。ルーターもフレッツ用のBuffalo Air Stationが、いかにもStation然として頼り甲斐があるのに対し、URoad Aero Stationはかわいらしすぎて貫録がないWifi1本にしぼり、万が一大切なときに故障して通信出来なかったなんてことになったら困る。いちばん大切な趣味であり生活の要であり唯一の贅沢みたいなものだから、ここはどうかこの無駄づかいを御容赦願いたいと債権者方面に手を合わせ、二本立てで一年間やってきた。
Buffalo airBuffalo Air Station

 私が現在使用しているPCはデスクトップ機2台、ノート3台、タブレット1台の計6台だ。実質的に毎日触っているのは、自作デスクトップ機、モバイルThinkPad、ASUS MeMO Padの3台になる。インターネットに繋がらず困っているのはデスクトップ機の2台。あとはみな順調に動いている。それらはみな内蔵している無線子機でWifiを受信している。自動でやってくれるのだから楽だ。設定の最初のみパスワードを挿れねばならないが、2回目からは自動である。繋がらないデスクトップ機2台は有線LANタイプ。受信用の子機を内蔵していない。私のAsusのマザーボードはかなりあたらしいものなので附いていると思っていた。調べたら、ない。意外だった。デスクトップ機はまだまだ有線LANが基本ということか。この有線LANのデスクトップ機の調子がわるい。問題はNTT方面にある。「受信はしているがインターネットアクセスなしになる症状」の解決策を探すのに疲れた私は、なら以前からの懸案通り、「これをきっかけにぜんぶWifiにしてしまうか」と考えた。この時点ではこれは非常手段であり、NTTをやめる気はなかった。姑息な手段である。この場合の「姑息」は本来の意味、正しい使用法。「根本的解決にはならない一時凌ぎ」の意味あいだ。姑息に卑怯という意味はない。
 価格comの最安値段で980円の品を近所のケーズデンキで1580円で買うのにはすこし抵抗があったが、そうと思いついたら通販で届くのを待っていられない。最愛の自作デスクトップ機がインターネットに繋がらない不便にもう我慢がならなかった。思えばその症状が現れてから9日が過ぎていた。自転車を飛ばし無線子機を買いに行く。一時凌ぎのつもりだからデスクトップ機2台用に2コではなく、とりあえず実験気分で自作機につけてみようと1コにした。焦っている割には珍しく冷静。つまりは信用していない。追い詰められ、身動きできず、とりあえず姑息な一手段としてやってはみるが、どうせダメなんじゃないか、という気持ちがある。安いものとはいえ、そんな気分の品を一度にふたつは買えない。繋がらなかったらただのゴミだ。

 買ってきた。USB接続をする。設定を始める。自作機がWifiルーターを認識しない。「ルーターがありません」となってしまう。その辺の解決策をノートでネット検索する。「WiMAX ルーター 認識しない」で簡単に見つかった。ありがたい。感謝。ip重複を回避し、IPv4を固定する。10分後、無事繋がった。自作機がインターネットに繋がったことでこんなに感激している自分に惘れる。繋がらなかった9日間が遠い記憶のように思えた。
uroad-cradleURoad Aero Station

 私のようにWifi1本にしようと思いつつもなんとなく不安と二本立てでやっているひとに、Wifiだけでまったく問題はないとお伝えしたい。速さも充分だ。すぐにNTTをやめて1本にしたほうがいい。既にそうしているひとには「なに言ってんだ今ごろ」と嗤われるかもしれないが。
 WiMAXは10台まで繋げるらしい。このちいささでたいしたものだ。6台のPCとテレビのSmart Viyella、合計7台に無線で繋いでみたがトラブルは一切ない。極めて順調。上のURoadの写真はネットからもらったものだが、私のものと色も形もまったく同じ。AC電源接続に差しこむ透明な下部はPC用語で「クレイドル」と呼ぶらしい。Cladle。揺り椅子から転じてこういう受け皿の意にも使うのか。クレイドルという用語はテリー・ファンクのローリング・クレイドル・ホールドでしか使ったことがない。ひとつ賢くなった。調べると、この赤いWifi受信器とクレイドルのセットは、正規に買うと3万円以上する。私は二年契約をして無料で入手している。毎月の4100円に含まれているのだろう。ちいさくて薄くて(それが売りなのだが)ちょっと心配だったが、3万円もすると知ると急に心強く感じるのだから現金だ。置きっ放しだったのに急いでホコリを拭いて大事にしたりする。もう私のインターネットとの繋がりはこれだけだから頼りにせねばならない。壊れないでくれよ。

 こんなに順調なら去年やるべきだった。この1年のNTT料金42000円を損した気分だ。びびって決断できなかった自分の責任だからしょうがない。これから毎月3500円節約できるのかと思うとうれしい。怪我の功名となった。2007年から世話になったNTTは解約する。電電公社にさんざん威張られてイヤな思いをしてきたからNTTが大嫌いだ。無縁になってさっぱりした。そもそも携帯電話に興味津々なのにJphone設立まで買わなかったのもNTT以外の携帯電話会社が出来るのを待っていたからだった。JphoneはいつしかフランスのVodafoneになり、いまは朝鮮企業のSoftBankになった。それを使っているのがいまも忸怩たる思いなのだが……。あ、そうだ、今年の11月の「携帯電話会社切り替え無料月間」にauに替えるのだった。忘れないようにしないと。可能な限り朝鮮とは縁を切りたい。自作機に朝鮮部品はない。台湾だらけ。
 光ケーブルだってNTT以外の会社があったらそちらを契約したかった。しかし2007年当時、私の住まいでは選択肢はなかった。まさかこんな形でNTTと縁が切れるとは。すでに据えおき電話はずっと前に解約しているから、これでNTTとは縁が切れたことになる。深い部分は知らない。民間企業でも実はNTTを使わせてもらっているなんてとこも多かろう。それでも、すくなくとも毎月NTT宛に金を払う生活とは無縁になった。早速貸与機器を返せと封筒が送られてきた。使わない光フレッツのモデムをもっていてもしょうがない。着払いなのですぐに送り返した。

 今回二ヵ月ほど留守にするのに電気を切っていった。いつも入れたままで行く。ひとのいない部屋で冷蔵庫とPCが動いていた。HDDレコーダが番組を録画していた。今回は冷蔵庫の中を掃除してブレーカーを落とした。留守録までして見たいテレビ番組ももうない。私は何かを喰わないと酒が飲めない。たぶんその習慣のお蔭でまだ肝臓がもっている。喰わずに酒だけ飲むヤツはみな死んでいった。スーパーに行く時間がなく惣菜を買えなかったときのために、というかまだ開店前にやる〝朝酌〟のために、冷凍庫の中に冷凍食品がぎっしりと詰まっている。私の必需品だ。それを計画的に処分しつつ、空にしての掃除は手間が掛かった。処分が間に合わず出発前に捨てることになったものもけっこうあった。でもやってよかった。この辺の節電感覚は大震災以降に芽ばえたものだ。「計画停電」なんてのがあったっけ……。
 自作機の変調はそれも一因かも知れない。二ヵ月間電源を落としていたので、8.1が起動しなかったり、3teraのHDDを認識しなくなっていたり帰国後不調だった。さいわい内蔵電池は切れなかったようだ。この辺のCmosクリアとかの智識はもっているので心配はしなかった。しかしまさか想定外の「インターネットアクセスなし」に襲われるとは……。なんともスッキリしない9日間ではあったが、来月から毎月コンビニで支払っていたNTTのあれを払わなくてもいいのかと思うと心は秋晴れである。毎月1万円弱の電気代を大震災以降節電を心懸け5900円まで落とした時以来の壮快感だ。(続く)

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【追記】早速のURoadクレイドルのCM(笑)──22:03

 上の文をアップして間もなく、下にWifi受信器の下部、クレイドルの広告が入った。見事としか言いようがない。すごいなあ、自動検索で自動応答するようになっているのだろう。それにしても早い。あまりの反応の早さに怖くすらなる。これである。上の、赤いのを刺している下の部分。

UROAD-CM
 次のテーマをアップしたら次の広告になり消えるだろうから、今のうちにメモしておこう。これが壊れたなら12970円で買わねばならないのかと思うと、急に慎重に扱うようになったりして(笑)。

 今場所横綱大関を破って大活躍の嘉風の化粧回しは、嘉風が広告塔になっている高級マットレスのマニフレックスから贈られたものと知り、マニフレックスっていくらぐらいするのかなと調べた。腰痛持ちに高級マットレスは憧れだ。それでもう「こいつはマットレスに興味がある」と認識されたらしく、以来ブラウザにくどいほどマットレスのCMが表示される。即座の反応はありがたくもあり迷惑でもある。
  1. 2014/09/27(土) 07:49:06|
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テレビ話──舞の海の体験から──朝鮮人老婆の親日事実をねじ曲げるテレビ──韓国取材の現場

世論に埋もれる声なき声  2014.9.25 11:57

 いま国技館がわいている。新大関やモンゴルの若き大器がおり、遠藤人気もある。なにより土俵際でもつれる相撲は面白い。だが、ほんの数年前まで角界は存続の危機にあると言われていた。
 2011年2月、八百長問題が発覚。「ファンの理解を得られない」として、日本相撲協会は翌月の春場所を中止した。開催反対派の声の大きさに「不祥事と本場所開催は別」というかぼそい声は埋もれてしまった。夏場所は技量審査場所となり、NHKによる中継も行われなかった。

 同じ頃、東日本大震災が起き、5月に報道番組の取材で宮城県の被災地を訪れた。そこで、避難所をとりまとめている男性にかけられた言葉が忘れられない。
 避難している体育館には小さなテレビが1台。画面にはドラマが映っていた。「年を取ると耳が遠くなるから、ドラマを見ていても内容がよくわからない。こんなときこそ相撲をやってほしいのです。舞の海さん、お願いしますよ」
 特に地方で大相撲は2カ月に1度行われる季節の風物詩となっている。熱狂的に誰かを応援するのではなく、家事の合間に何げなくテレビをつけ、中継を見る。不祥事に腹を立てている人ばかりではなかった。

 引退して間もない頃、韓国・ソウル郊外の山里で、サムゲタン(参鶏湯)を食べるテレビのロケがあった。出迎えてくれた老母は感激して、初対面の私を抱きしめてくれた。「あなたたちは私の息子だ。よく来てくれた」と流暢(りゅうちょう)な日本語で話し、「故郷」や「旅愁」などの唱歌を何曲も口ずさんでくれる。
 聞くと、日本統治時代に本土からやってきた校長に習ったという。「素晴らしい先生で恩を感じているのです」という。韓国の田舎で、日本人と韓国人との間に生まれた縁に心が温まった。
 ところが、テレビ局のディレクターは「すみません、日本語で話さないでください」という。理由は「日本が植民地化していた当時を視聴者に思い起こさせてしまうから」らしい。何とあさましい了見か。ありのままの姿を伝えるべき、と思った私はその場をこらえて、打ち上げの席で猛抗議し、楽しい夕食の場を台無しにしてしまった。

  そういえば中学時代、社会科の授業で「日本軍が朝鮮半島で人さらいをした」という話を何度も聞かされた。
 そういう歴史を信じて疑わない子供が教師となり、また子供たちに教えていく。他国からだけではなく、内側からもせっせとわが国をむしばんでいくかのように。
 世の中をふわふわと漂う世論をかきわけ、谷底に沈んでいる声なき声にこそ耳を傾けていきたい。(元小結 舞の海秀平)

http://sankei.jp.msn.com/sports/news/140925/mrt14092511570003-n1.htm

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 産經新聞の舞の海(敬称略)の文章より。元力士の場合、名前の前に最高位をつけるのが礼儀だ。舞の海だと「元小結舞の海」になる。
 毎場所NHK大相撲中継のレギュラーとして、北の富士と舞の海はお馴染みだからその必要もあるまいが。グルコサミンのテレビCMにも出ているようだし。

 舞の海は現在『正論』等のオピニオン誌にも登場する保守論客でもある。ここでもマスコミの歪みを指摘してくれた。

 引用のマナーとして、必要な箇所のみを引き、あとはリンクにすべきなのだが、しばらく後、ここを読んで興味をもってくれたかたがリンクをたどると、もう削除されていたということが多い。失礼と知りつつも全文引用させてもらった。読んで欲しいのはもちろん以下の部分。



 引退して間もない頃、韓国・ソウル郊外の山里で、サムゲタン(参鶏湯)を食べるテレビのロケがあった。出迎
えてくれた老母は感激して、初対面の私を抱きしめてくれた。「あなたたちは私の息子だ。よく来てくれた」と流暢(りゅうちょう)な日本語で話し、「故郷」
や「旅愁」などの唱歌を何曲も口ずさんでくれる。
 聞くと、日本統治時代に本土からやってきた校長に習ったという。「素晴らしい先生で恩を感じているのです」という。韓国の田舎で、日本人と韓国人との間に生まれた縁に心が温まった。

 
ところが、テレビ局のディレクターは「すみません、日本語で話さないでください」という。理由は「日本が植民地化していた当時を視聴者に思い起こさせてし
まうから」らしい。何とあさましい了見か。ありのままの姿を伝えるべき、と思った私はその場をこらえて、打ち上げの席で猛抗議し、楽しい夕食の場を台無し
にしてしまった。




 朝鮮人の老婆に日本に対する敵意はない。それどころか当時を偲んで日本への感謝のことばを口にしている。それを封じて、事実とは異なる映像を作ろうとするのが日本人ディレクターである。なんともなさけない。
 でも日本人じゃなかったかも知れない。テレビ局のスタッフには、ディレクターからカメラマン、タイムキーパーの女子にいたるまで、おどろくほど朝鮮人が多い。そしてまた芸能人もほぼ朝鮮人である。テレビ局で朝鮮の悪口は言えない。

 そのディレクターが日本人なのか在日朝鮮人なのか知らないが、いずれにせよテレビは「こういう形で創っているもの、事実を自分達に都合よく歪めているもの」である。こういう形で創られているものをすんなり信用しているひとはバカである。国民的にテレビ離れが進んでいることはまことにめでたい。

 海外に住んでいる朝鮮人には、いまの朝鮮の反日の姿勢がおかしいこと、自分達は日本を怨んでなどいないことを明言するひとが多い。しかしそれは半島に住んでいないからこその発言の自由である。あの国にいて、流れに身を任せ、周囲に同調して生きようとしたら、とてもそんなことは口に出来ない。



 舞の海の経験したそれは、現在の半島での、日本統治時代を知る老婆の、自然にしめしてくれた態度である。貴重な体験になる。それを歪めて報道するテレビ局のディレクターという存在。なんともうんざりする。

 しかし私はこのディレクターを反日のサヨク分子とは思わない。こいつはごく平凡な業界人だろう。自分の担当番組で波風を立てたくないだけだ。政治意識などかけらもない。朝鮮料理の取材というから娯楽番組だ。下請制作会社の契約ディレクターかも知れない。彼の頭にあるのは自分の担当した「朝鮮料理取材番組」を一丁上がりにすることだけだ。わずらわしいことには絡みたくない。日朝の歴史などなにも知らない。ただ「朝鮮系の番組は腫れ物に触るように作らねばならない」とは意識している。朝鮮人の老婆が「日本大好き」なんてのをそのままの形で収録して、朝鮮贔屓の局の上司(というか帰化朝鮮人)からクレームがついて放送中止になったらたいへんだ。朝鮮贔屓のスポンサー(というか朝鮮企業)からの文句もこわい。なにかあったらギャラが入らない。次の仕事がなくなる。運よくそのまま放映できたとしても、民団だか総連だかの朝鮮組合から抗議されたりしたらまた問題だ。要するにこのディレクターは、自分がかわいいだけであり、その判断レベルは、「臭い物に蓋」以前の、「臭いかも知れないものには匂いも嗅がずにぜんぶ蓋」なのである。サヨク以前のものすごくレベルの低いただのバカギョーカイ人であろう。そんなのばっかりである。今までの経験から自信をもって断言する。



 視点をかえると、この番組が事実のままに収録されて日本で放映され、もしも半島に流れたなら、この老婆はひどい目に遭っただろう。憎むべき日本を好きだと言った国賊として周囲から吊しあげられたに違いない。朝鮮はそういう国だ。そういう民族だ。その程度の連中だ。親日朝鮮人は、正しい朝鮮人にとって不倶戴天の敵である。「もしも半島に流れたら」と書いたが、いまはインターネットでなんでも見られる。特に支那のYOUKUと朝鮮のPANDORAはやりたい放題だ。日本のテレビ番組をすべて支那と半島で見られるようにしている。朝鮮人老婆の「すばらしい先生で恩を感じているんです」というシーンが放映されたら、たちどころに「親日的な発言をした、どこそこに住む姓名××、××歳」とすぐにつきとめられ、容赦のないバッシングに遭ったろう。だから、このディレクターのやったことは、日本人としては誤っていても、日本好きの韓国の老婆に気配りをしたという意味では正解だったとも言える。

 日本を好きな朝鮮人が、日本を好きだと発言することが許されない国は、まともな国ではない。あの国は、そういう自分達の愚かしさに気づくことがあるのだろうか。千年はないだろう。この場合の千年は「永久」と言って過言ではない。
  1. 2014/09/26(金) 21:06:26|
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旅話──中国在住白人との不快な体験①──シナのオンボロバス

 支那の片田舎。定員20人ほどのオンボロマイクロバス。定期便。ほぼ満員。車内には禁煙の張り紙があるが、おかまいなしの煙もうもう状態。客はもちろん運転手自ら喫っている。これら定期便の車輌は個人の持込み制。バスのオーナーである運転手が喫っているのだから車内喫煙は野放し状態。タバコ嫌いのこちらは窓を開けて対抗するしかない。しかし山岳地帯なので30分毎に天気が変わる。爽快な青空が拡がったかと思うといきなりの雷鳴と豪雨。ワイパーが利かないほどの激しい降りだから窓から吹きこんでくる雨と風も半端ではない。いくら煙くても閉めねばならない。開けたり閉めたりいそがしい。この地ではまだまだ喫煙者が強い。我慢するしかない。近年窓の開かない大型冷房バスも増えてきた。さすがにそこでは禁煙が徹底されている。しかしまだまだ数が少ない。運賃も五割増しになる。今回の路線だと日に8本ある内の2本だけだった。金は惜しくないが、8時半に駅に着き、12時まで待つのはきつい。早いほうがいいだろうと9時半のこれに乗ったらこんなことになった。煙くていられない。12時まで待つべきだったか。ここのところずっと大型の冷房バスだった。この種のオンボロマイクロバスに乗るのは十年ぶりだ。さすがに禁煙張り紙の下での車内喫煙はなくなっているのだろうと思ったが甘かった。

 おまけに携帯電話だ。支那語で手机。中共の簡体字は「機械の機」も「机の机」もみなキは「机」で統一してしまった。「手機」なら文字的にも意味的にも「携帯電話」よりも簡便でストレートですぐれている。何であるかも想像しやすい。ついでに支那語で「手紙」は尻拭き紙ね。でも「手机」では日本人には「机」のイメージが強すぎる。以前このブログで、「支那では麺も面も面に統一してしまったので、面食いに引っかけた麺好きの〝麺喰い〟という日本的漢字遊びが支那では出来ない」と書いたことがあった。日本の当用漢字、常用漢字という漢字制限による弊害も大きいが、支那の漢字統一多くの矛盾を含んでいる。
 支那は広く荒れ地が多く、電線敷設には金がかかる。だからついこのあいだまで電話は金持ちだけのものだった。それが電線いらずの携帯電話が安くなったものだから、その普及度合は日本以上だった。まさに猫も杓子も状態。そしてかつての日本がそうであり、電車の中がうるさくてたまらなかったように、支那はいま田舎者が携帯電話で話せることがうれしくてしょうがない時期だ。地声がでかく、うるさい支那人が携帯電話で喚き散らす。ふつうに話していても怒鳴っているようなあの連中が閉ざされた狭い空間のオンボロマイクロバスの中で、15人の客の内6人もが一斉に携帯電話で喚いているのだから並の騒音ではない。気が狂いそうになる。しかしそれもこれもこの地に来たのだから我慢せねばならない。いやなら来るな、だ。それが道理。こんなところに来ている私がわるい。あと8時間の我慢だ。客のみばかりか運転手が運転しつつ携帯電話で喚き散らし、対抗車を危うく避けているのが、前部の座席なのでよく目に入り、その度に肝を冷やす。そうでなくても羊腸している狭い山岳路なのに、なぜかこの運転手は中央車線を跨ぐようにして走る。ぶんぶん飛ばす。急カーブの向こうから悲鳴のような警笛を鳴らしつつ突如現れる対抗車に、なぜかこちらも喧嘩を買うが如く警笛を鳴らしつつ突進し間一髪で擦れちがう。生きている気がしない。その瞬間だけタバコの煙の煙たさを忘れられる。

 他の乗客はみな平然としている。携帯電話で喚きちらしたり居眠りしたり運転手の雑な運転を気にしていない。しかしこの運転と喚きの中で熟睡できるのもまたすごい。冷や冷やしているのは私だけだ。といって私だけが特別に神経質というわけでもない。実際これらのバスは頻繁に事故を起こし、断崖絶壁を転げ落ちて死傷者多数という事故をよく起こしている。それほどひどい道路なのだ。以前はなかったが、さすがにこのごむろはガードレールが出来てきた。死傷者多数の事故は、この15年、たまに来るだけの私でも20回以上知っている。てことは毎日のように起き、毎日多数が死んでいるのだろう。よって切符を買うときは必ず保険も買わされる。すでに切符に附いてくる。日本円で1200円ほどの切符購入の際に強制的にプラスされる200円ほどの保険は、果たして死亡したときどれぐらいの金額をくれるのだろう。異国からの旅行者である私にもきちんと支払われるのか。それは誰が受けとるのだ。これらのバスで死んだ支那人を何人か知っている。いくらもらったのだろう、今度遺族に尋いてみよう。たしかなのはバス事故で保険太りしたヤツはいないということだ。金持ちのクルマに撥ねられて息子が死に、親がその補償金で家を建てた例はひとつ知っている。輪禍で死ぬならバスではなく金持ちのクルマがいい。

 携帯電話片手の雑な運転に脂汗を浮かべ手摺を握り締めている私は支那の事情を知らないのではない。事情をよく知っているからこその脂汗なのだ。平然としている連中が無智なのである。彼らの情報源はテレビだけだ。山岳路でバスが転落して10人死んだなんて〝些細なこと〟は支那のテレビニュースではやらない。地方紙の片隅には載るような気がするが見かけたことはない。私はこの地に関わってもう15年になるがまだ新聞を読んでいる人間を見たことがない。まして読書なんてとんでもない。私が待合室で文庫本を読んでいるとなにをしているのだと何人もの支那人が覗きに来るほどだ。
 
 ここで死ぬわけには行かない。事故が起きてバスが転落を始めたら、自分だけでも窓から飛田して生き残る気でいる。乱暴な運転と携帯電話騒音の中、のんびりと寝ている山岳民族のオババは、そうなったとき死ぬだろうが、私は飛行機墜落事故でも唯一生き残ったデューク東觶のように咄嗟のときにも身を守る姿勢を取りぜったいに生きのびるのだ。ここでだけは、こんな事故でだけは、死にたくない。(続く)
  1. 2014/09/26(金) 04:51:34|
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パソコン話──インターネットアクセスなし──スコットランド独立投票と逸ノ城①

 パソコンのインターネットトラブルとしてはかなり難易度の高い?「繋がっているのに繋がらない〝インターネットアクセスなし〟」に、ひさびさにぶちあたってしまった。光回線で毎秒100MBで受信しているのだがネットに繋がらないというトラブルだ。有名なトラブルでありネットにも解決策が目白押しだ。すぐに直るだろうと軽く考えていた。今までに何度も経験している。ところがコマンドプロンプトからipconfigを調べたりTCPのプロパティを手動にして書きかえたり、体験から学んだ解決策をあれこれやってみるが解決しない。かつてない難度だ。とはいえノート2台もASUS MeMO Pad(タブレット)も繋がっていて順調だ。ネット調べ物での苦労はない。仕事のメール送信にも支障はない。繋がらないのは自作のデスクトップ機と、もう一台のメーカー製デスクトップ機の2台だ。メーカー製の安物デスクトップ機は予備機でほとんど使わないからどうでもいい。もっとも、こういうときのための予備機であるから、いざ鎌倉というときなのに役立たずではある。いずれにせよネット環境のないところで何ヶ月も過ごしたりする私からするとインターネットに繋がらないなんてのはたいしたトラブルじゃない。繋がっているのだ。ノートでは。インターネットはできる。問題は私が自作デスクトップ機溺愛型であることだ。ましてしばらく海外でモバイルThinkPad、10.5インチだけの日々を送ってきたから、Core i7 3770をOCして4.3GMh、メモリ24GBのフルタワーに23インチデュアルディスプレイの最愛自作機への渇望がいつもよりも大きい。今はもう4000番台が主流だから3770は一世代前になってしまうが、このCore i7というのは私にとって到達点とも言える優れ物だった。Core 2 Duoは不満だらけだったが、これになってそれが一切なくなった。もともと負荷の大きい作業をするわけではないから高スペックは必要としないのだが、それでもCore 2 Duo時代には不満が溜った。Core i7は、なんともすばらしい。支那の田舎での自作では、これの弟分であるCore i5を使った。これまたよかった。今の私はこれで十分なのだと知った。i5で十分なのだからOCしたi7なら満点以上だ。かわいくてたまらない。Windowsで初めて満足できたのが2000だったように、やっと満足できたこのCPUの自作機をいじくりまわしたくてしょうがない。好きなだけいじくりまわせる。インターネットに繋がらないだけで。今の時代、どんなにかわいい自作機でもインターネットに繋がらないと魅力が激減すると知る。21世紀に入ってからパソコンを始めたひとはほとんど全部がインターネットをやることが目的らしい。私はそのずっと前の世代だからインターネットに偏っていない。通信は嫌いだ。パソ通もどんなに誘われてもやらなかった。見知らぬひとと係わりあいたくない。基本は文章書きと辞書であり、それはインターネットがなくても出来る。電子辞書なんて、日本語に関するPC系で発売されているものは全部もっている。外国語辞書も10ヵ国語ぐらいもっている。それはHDDに挿れてあるからインターネットがなくても利用できる。万全の態勢だ。でもこういう自慢も今の時代はむなしい。20世紀感覚だ。いまはそんなもの大金を出して買い揃えなくてもインターネットですべて無料で調べられる。ともあれデスクトップ機がインターネットに繋がらないだけであとは満点なのだが……。

 インターネットに繋がらない自作機で作業し、調べ物はノートでして、「おれはデスクトップ機がインターネットに繋がらなくても平気だ」と強がっていたのだが、一週間ほどでやはりそれは無理だと白旗を揚げた。面倒なのだ。その一例としてブログをぜんぜん書いてない。デスクトップ機偏愛であるから文章はこれで書きたい。好きな音楽を流し、右手のサブディスプレイでBGVを流しつつの作業だ。この快適さはノートにはない。なによりキイボードがちがう。私はフルキーボードが好きなのだ。しかしこれでブログテーマを書いたとしても、それからThinkPadに写して、そこからのアップになる。私はクラウドを利用していない(信用していない)からUSBメモリ経由になる。そんな二重手間をする気はない。クラウドを利用していればもっと簡単だが二重手間であることに変りはない。そう思うと書く気にもならない。書くPCとアップするPCが別々なのはイタい。ここ10日ほどなにも書いてないのはそれが原因だ。それ以前は日本にいなかったのだからしかたない。ブログのことはともかく、インターネットがあるのにインターネットに繋げないという苛立ちは大きかった。なければないで平気なのだ。私はインターネットのない生活を送れる。昔話じゃない。ついこのあいだも1ヵ月以上それのない生活をしてきた。ないのだからしょうがない。諦められる。でも今はあるのだ。あって、ノートやタブレットは繋がっている。唯一最愛の自作機だけが繋がらない。それも完全に繋がらなければまだしも秒速100MBで受信はしている。そこが不快だ。文章を書いているデスクトップ機のPC机を離れ、ノートを置いてある文机まで行き、そこでネットの調べ物をする。またデスクトップ機にもどる。それを何度かしている内に、「なんでこのデスクトップ機はインターネットに繋がらないんだ!」と腹立ってきた。こうなるともうダメである。インターネットのない生活を思えば、いやインターネットのある生活でも、かつての通信の遅かった時代、さほどインターネットが役に立たなかった時代を思えば、PC机で、デスクトップ機のかたわらにノートを置いて調べ物をすればなんの不足もないのだ。だが便利さに慣れてしまった今では、それすら煩わしくてやっていられない。

 二重手間で苛立った筆頭はWikipediaだった。すべての電子辞書を用意してあるとはいえWikiほどの万能辞書はない。あれが紙の辞書だったらどれほどの量になるだろう。Wikipediaはいろいろと問題点を指摘されている。まちがいも多い。私が最も不快に思うのは、あまりに日本語がへたなひとが書いていることだ。言うまでもないが美文や品格を望んでいるのではない。要は「わかりやすさ」だ。そうでなくても日本語は最後まで読まないと意味のわからないというフクザツな言語なのに、こういうところに書くひとは、「わかりやすい文を書いたら軽んじられるのではないか!?」とでも思っているらしく、やたらわかりにくい文を書く。自分に自信がないのだろう。これはきっと正鵠を射ている。私の知りあいでもやたらむずかしい文を書きたがるのはみなそんな連中だ。難読漢字、熟語を多用する傾向もうんざりする。たとえば「弁える──わきまえる」「阿る──おもねる」なんてのを多用する。漢字にする必然性を感じないが、それ以前にそのテーマ文章に「わきまえる」も「おもねる」も必要ないのだ。もう「弁える」「阿る」と使いたくて書いているのではないかと思うほど不自然な使用法である。これまたわかりやすい日本語やかな文字を使うと文に重みがないとでも勘違いしているのだろう。Wikiの下手な文のもうひとつの傾向は、「一度にぜんぶを言おうとすること」だ。簡便に分けて書けばわかりやすいことを一気に言おうとするから、やたら長くて意味不明な文になり、「これはなにを言いたいんだ?」と何度も読み返すような文が頻出する。しかしそういうマイナスは微微たるものだ。Wikiを信仰する神様だと思うなら不満も噴出するが、隣のなんでも知っている物知りおじさんと解釈するなら、こんなすばらしい友人はいない。旅先でのWikipediaの便利さは抜きん出ている。どんなことでもたちどころに調べられるから、これのないインターネット生活は不満が溜る。

kanren7 Wikipediaのわかりにくい文の例──二所ノ関部屋の項目から


 デスクトップ機がインターネットに繋がらずブログを更新していないここ十数日のあいだ、書きたいなあと思うブログテーマがふたつあった。ひとつはスコットランド独立のこと。もうひとつは大相撲の逸ノ城のことだった。しかし書いてない。アップしていない。デスクトップ機で書き始める。するといつものよう「スコットランドのGDPはUKの何割なんだ?」「逸ノ城が今年の初場所幕下付け出しでデビューしたとき、初黒星は何日目だっけ?」と疑問が浮かぶ。調べたい。しかし出来ない。このデスクトップ機はインターネットに繋がらない。ノートまで行く。調べる。デスクトップ機にもどる。それを繰り返している内にイヤになってしまう。書く気が失せてくる。ほとんど使ったことのないことばなのでこの時とばかり使おう。「モチベーションの低下」ってヤツだ。
 これは文章の書きかたとして間違っている。文章を書くなら、あらかじめ下調べをし、それを資料としてまとめてから書きだすのが正しい。ノートが繋がっているのだからスコットランドのことも逸ノ城のことも調べられる。調べてメモして、それを手元に置いて書きだせばいい。それが正当な方法だ。しかしもう何年も「書きつつ疑問点を調べるというインターネット癖」でやってきたものだから、これが出来なくなっている。いや、もちろん、一応ライターとして、それは出来る。仕事ではそうしている。でも趣味のブログでそこまでやるのは面倒になっている。
 妥協案として「不明な部分は空白にしておいて後で記入するという方法」がある。しかしこれも「疑問に思ったことはすぐ調べる。すぐ解決するというインターネット癖」がついているから、後まわしにするのがもどかしくてしょうがない。「スコットランドのGDPはUKの×割しかないが」「逸ノ城はデビュー×日目に初めて黒星を喫する」のようにとりあえずパスして書いていると×の部分が気になってちっとも愉しくない。けっきょく書くのをやめてしまった。自分がここまでインターネットに依存しているとは知らなかった。あらためて「今の時代、インターネットに繋がらないPCはPCじゃないんだ」と感じた。(続く)
  1. 2014/09/25(木) 02:12:00|
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ことばにきびしいをジャマイカで丸投げ(笑)──フレンチキスとコンドームと従軍慰安婦

marunage

 そうだよねえ、フレンチキッスの意味を勘違いしているひとっていっぱいいる。ことばを勘違いして覚えているひとのことを「言語イメージ先行のB層」というのか。そういうひとが自民党のターゲットになりやすいのか。勉強になるなあ。


marunage2

 でもこれを読むと、<きっこさん>も「丸投げ」ということばを完全に勘違いしているようだから、「言語イメージ先行のB層」なのかな。だとしたら自民党のターゲットになりやすいから気をつけてね(笑)。まあこれに限らず、<きっこさん>て日本語をよく間違えている。とても廃人俳人とは思えないんだけど。

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jamaica

《ジャマイカまでレイプされに行く日本のバカ女は「従軍慰安婦」みたいな扱いだった》ってどういう意味だろう。「従軍慰安婦」ってのは存在していないものをアサヒシンブンやフクシマミズホが捏造したものだから、「ジャマイカまでレイプされに行く日本のバカ女は存在しないモノだった」ということか。

 20年前、<きっこさん>みたいにジャマイカまでレイプされに行く「日本のバカ女」ってどれぐらいいたんだろう。20万人ぐらい? 30万人? Sex Slaveって言うの? じゃあジャマイカに日本のバカ女従軍慰安婦像を建てないとね。

jamaica2

 「3人のうち1人くらいしか」という言いかたから推測するに、最低でも30人ぐらいのジャマイカ男と寝たんだろうな。
 <きっこさん>はかつてレイプされたことがあり、心に深い傷を受け、そのことをプロのミュージシャンに歌詞として提供し、CDにもしたレスボス島在住のかたと思っていたので、ジャマイカで黒人青年にフェラでコンドームをつけつつ、やりまくっていたと知り、たいへんおどろいています。
 親孝行な娘さんだと思って親しくなった競馬の師匠・石川喬司先生も、この乱行の過去をかなしんでいることでしょう。



 しかしこういうのって、本物の41歳の女が二十歳のころを思い出して、「ジャマイカでコンドーム逆さにくわえて、フェラしつつかぶせて現地の男とやりまくった」と実話を書いたとしても醜態なのに、実際は65歳のオカマが行ったこともないジャマイカ、弾けもしないギターを想像して、妄想で書いているのだから、滑稽を通りこしてもう無惨である。

 東京にいるのに西日本に疎開したことにして三年。前日までにせねばならない不在者投票を当日の朝にしたり、西日本では売っていない雑誌を立ち読みしたり、さんざん笑わせてくれたが、さてこのあと「これこれこういう理由で東京にもどりました」という〝設定〟はどこからひねりだすのだろう。おそらく<母さん>か自分の病気だろうね。「困ったときの病気とケガ」は<きっこさん>の十八番だ。ここまで設定ぐだぐだだと突っこむ気にもなれん。このひと、最後はどうなるのだろう。それはそれで楽しみだ。

---------------

 こんなこと気楽に書いていたら、白夜書房にいる<きっこさん>専属弁護士に訴えられて「三桁」取られるかも知れない。でも最大で999円だから私にも払えるな。 これからまた女のふりをするために、「深夜の5分間だけ顔写真披露」が頻繁になるのかな。そんなもんロバの照美ですら信じていないのに。
  1. 2014/09/25(木) 00:25:56|
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2001年に始めたサイトMone's World--http://monetimes.web.fc2.com/の出張版ブログ【木屑鈔】Boku-setsu-shouです。
2005年からやっているライブドアブログから引っ越してきました。FC2のサイトは2007年から利用させてもらっていました。これでやっとサイトもブログもFC2で統一です。
メールは、moneslife2000@kpe.biglobe.ne.jpまで。

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