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日本の主要メディア25紙の「偏向ごみ度合」ランキング──1位は東京新聞、2位に朝日

 日本のマスコミは偏向しているが、そのマスゴミ度を検証し、ランキングを作成するという珍しい調査が行われ、結果は「最悪ごみ」が東京新聞、ならんで朝日新聞だったことが分かった。

 以下、主要メディア25紙の「ごみ」ランキング
 
 第一位 東京新聞
 第二位 朝日新聞
  三  北海道新聞
  四  琉球新報
  五  沖縄タイムズ
  六  毎日新聞
  七  新潟日報
  八  信濃毎日
  九  中日新聞
  十  神戸新聞
  11 河北新報
  12 京都新聞
  13 中国新聞
  14 高知新聞
  14 西日本新聞
  16 秋田魁新報
  17 山陽新聞
  18 徳島新聞
  19 下野新聞
  20 静岡新聞
  20 日本経済新聞
  22 四国新聞
  23 産経新聞
  24 読売新聞
  25 北国新聞

 この調査は専門家がチームを組んで「偏向」の度合い、特定の団体の代弁ぶり、売国奴、上から目線など10件のチェックポイントを精査したランク付けで、詳細は「READJAPAN」(モノクロ九月号、晋遊舎)に発表された。

 保守系のトップは産経だが、この詳細チェックでは偏向紙面ではない総合力で北陸の有力紙「北国新聞」が、産経新聞、読売新聞よりも上位と判定されている。

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成26年(2014)7月31日(木曜日)より


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 上位のワースト6と、下位のベスト4は誰でもわかるところ。一番は北国新聞か。金沢で読んでいい新聞だと思ったものだ。ランクが高いのは当然。
 四国新聞はまだ読んだことがない。いまからサイトを検索してみよう。四国に好意的になった。

「ごみ」のほうも当然の顔触れだ。「信濃毎日」(毎日新聞とは無関係)ってのは、反日の不快な記事を見かけるとソースはここのことが多く自然に名前を覚えた。日刊ゲンダイみたいなもの(笑)。長野か。

 北海道新聞てのは不愉快で読めない。これは最悪。北海道という寄せ集めのあたらしい地の歪みを集約したような真っ赤っか新聞。道民はこれが好きなんだよな。
 中日新聞の愛知。ここは1位の東京新聞とも親しい。
 ふーん、田中角栄のおひざ元の新潟にも「新潟日報」なんてのがあるのか。眞紀子を落とした新潟の良識を信じていたが。
 
 こういう流れから、「信じられる県」「反日の県」が見えてくる。こどものころから「北国新聞」を読んで育つのと、「北海道新聞」を読んで育つのでは、国を愛する心、日本人としての誇りがちがってくる。とりあえず北海道や信濃や沖縄でない自分にほっとする。



 以前「たかじん」で、沖縄に勤務していたことのある田母神さんが、「沖縄で『沖縄新報』、『琉球タイムス』を読んで東京に戻り、アサヒシンブンを読むと、アサヒがウヨクに思えます」と言って笑いを取っていたっけ。

 沖縄は特別な地だ。しかたない。しかし沖縄の愛国者は、こんなイメージでばかり捉えられる傾向はくやしいだろう。もしもここを沖縄の愛国者が読んでいたら、私はわかっています、と伝えたい。わかっているひとはいっぱいいますから、と。



 ところでこの「主要25紙」ってのは、どういう基準で撰ばれたのだろう。発行部数なのか。「信濃毎日」なんてのが全国の25の中に撰ばれるものとも思えないのだが。 
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  1. 2014/07/31(木) 19:51:15|
  2. サヨク
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藤圭子&沢木耕太郎「流星ひとつ」考⑪──あらためて、もうひとつの「流星」、石坂まさを

 『流星ひとつ』の中で藤は、「女のブルース」の歌詞にしびれるほど感動し、曲も最高で大ヒット中なのに、なぜそのさなかに「圭子の夢は夜開く」を急いで出さねばならなかったのについて触れている。沢木も「女のブルース」を絶讃し、なぜあんなに次の曲を急いだのかと問う。あの時期、不自然なほど立て続けに新曲を出している。それもまた結果的には「流星伝説」に彩りを添えているのだが……。

yumehayoruhiraku



 どうやらこれは作詩家・石坂まさをの個人的トラウマ?が優先された結果らしい。当時私も、藤のオリジナルが好きだったから、世間的にはあの「十五、十六十七と、あたしの人生暗かった」が話題になったけど、「あんなにいいオリジナルがあるのに、今さらなぜむかしの歌の焼き直しをするのだろう」と疑問だった。「夢は夜開く」は園まりでヒットした手垢の着いた過去の曲だ。なぜそれの焼き直しを新星の藤圭子がせねばならないのか、しかも、ヒット中のオリジナル「女のブルース」があるのに、なぜそんなに急いで出さねばならないのか。



 石坂のトラウマとは。
 「夢は夜開く」は競作だった。それは覚えている。当時いろんなひとが歌っていた。バーブ佐竹を覚えている。だいぶ後になるがフォークの三上寛も自分の詞で歌う。最終的な勝者──というかスタートからゴールまでぶっちぎりだったらしいが──は園まりだった。だがあれはもっともっと多くの歌手が作詩家が挑んだ、たいへんな競作合戦だったらしい。曾根公明がネリカンで採譜した歌い継がれてきたこなれたメロディに、多くの作詩家が挑んだ。その中のひとつに売れない作詩家である石坂も関わっていた。結果は大敗だった。石坂はそれが不本意であり、納得できるだけの詞を書けば自分のものが認められる自信があった。

 藤圭子という絶妙の素材を得て、石坂はもういちど挑んだ。それが「女のブルース」が大ヒットし、高い評価を得ているのに間を置かず「圭子の夢は夜開く」をシングルで出した裏事情である。その他、一番が、ギターだけの弾き語り風に始まるのが藤のアイディアであること、「昨日マー坊、今日トミー」の歌詞が藤の実話からインスパイアされて石坂が書いたことなどが『流星ひとつ』で語られている。

 結果として、あの大ヒットにより、「夢は夜開くは園まり」だった世間常識を、自分の作詞した詞の「夢は夜開くは藤圭子」に変えたのだから、石坂としては仇討ち成就の心境だったろう。


 
 藤圭子の師匠としての大成功により、石坂は演歌のヒットメーカーとして息の長い活躍をするものと思った。まだ二十代の若さであり、曲も書けるのである。なかにし礼や阿久悠のような存在になるのではないか。彼らのようなオールマイティの作詩家ではないが、なら星野哲朗のような、独自の分野の大家として名を成すのではないか。そう期待した。いや期待じゃなくて、もうそんなの決まり切っていることと思った。

 いま、石坂は一応歌謡曲史的には大物であり、Wikipedia的には「ヒットを連発」となっているが、前記の大物作詩家と比したら、短い頂点の流星であり、その頂点がが藤のこの4曲であったのはたしかだろう。



 売れない作詩家だった三十歳前の石坂が、藤という素材と出会い、それまでにつもりつもった情熱を爆発させ、すぐれた作品を連発し、一瞬にして燃えつきた、という感じが、私にはする。これまた〝怨歌〟だった。「十五、十六十七と、あたしの人生暗かった」は、藤よりもむしろ中卒で作詩家を志し、ここまで耐えてきた石坂の心境だったろう。
 演歌の作詩家であるから、本来なら四十代五十代にもっと熟した作品を出すはずなのだが、それもない。藤と一緒に燃えつきたひとのように思える。そしてそれもまた「藤圭子伝説」の一端を担っている。石坂が、ポップスの作詞までこなす器用な息の長いヒットメーカーとなり、いまも健在だったなら、藤の伝説もまた色を変えてくる。しかしそんなことはない。藤と石坂は双子の流れ星だったのだから。



 藤の自死を知ったとき、私は自分なりの藤圭子の思い出、あの衝撃の登場の時代を書いておきたいと思った。仲間うちでの読み物として、ホームページのほうにひっそりと書くつもりだった。数日が過ぎ、そんなことに意味はないかと書く気が失せた。しかし二ヵ月後、緊急発刊された沢木の『流星ひとつ』を読んで、やはり書いてみたいと思うようになる。そうしてさらに半年餘の時をおき今こうして書いているのだが、最初に書きたいと思ったときから、常に心を占めていたのは〝もうひとつの流星〟石坂まさをのことだった。それをここに書いたので当初の目的の半分は達成されたことになる。



 当時、藤圭子の師匠として二十代の石坂さんの写真を初めて雑誌で見たとき、「漫画家の赤筭不二夫に似ているな」と思ったことを覚えている。ネットで探したが若い頃の写真は見つからなかった。でもこの写真からも雰囲気は感じてもらえると思う。

ishizaka

 2013年3月、藤と同じ年に亡くなっている。訃報に接し、藤はコメントを出したのかと探したが見つけられなかった。それは私が検索下手だからでもあるが、たぶん出していないと思う。そのほうがいい。燃えつきた流星同士、お決まりの形式的なコメントなどないほうがいい。(続く)
  1. 2014/07/27(日) 13:22:18|
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藤圭子&沢木耕太郎「流星ひとつ」考⑩──石坂まさをの輝き「女のブルース」

 私の思う巨大な流星・藤圭子と並ぶ〝もうひとつの流星〟である石坂まさをのことを書こうとしていたら、藤圭子の最初の夫である前川清との結婚話にズレてしまった。ともあれ、今も藤圭子が、いや今はもういないから、「離婚後も後々まで」とするか、元亭主の前川の人間性のすばらしさ、歌手としての秀でた能力を絶讃していたことは気持ちのいい話である。

『流星ひとつ』では、28歳で引退を決めた藤がそれを前川に伝えに行き、前川がよろこぶ様子が語られている。前川は藤が芸能界にあわない体質であることを前々から指摘しており、結婚の時も引退を勧めたのだとか。
 ふたりの結婚生活は、藤の年齢だと19歳から21歳までの2年間。離婚して7年経っている元亭主に引退を伝えに行く元女房。離婚後もずっと良好な関係だ。ほんとにふたりは男と女ではなく「ともだち夫婦」だったのだろう。
 
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 藤圭子のヒット曲「新宿の女」「女のブルース」「圭子の夢は夜開く」「命預けます」は、作詞家・石坂まさをの最高傑作である。「新宿の女」と「命預けます」は曲も石坂が作っている。ソングライターである。
「女のブルース」の曲は猪俣公章。(ATOKが〝いのまたこうしょう〟を出せないのでGoogle日本語入力に切り替える。一発で出た。さすがである。何度も何度も書いているが、ATOKさんよ、モーニング娘やAKBのメンバー名を出せると自慢する前に反省すべき事があるだろう)。
「女のブルース」は菪俣作品の中でも傑作の誉れが高い。もちろん石坂作品としても最高だ。



 私は演歌の、BLuesでもないのにブルースと名乗る一連の曲が好きではない。でもこの「女のブルース」はすごいと思う。これはこれでBlues形式になっているからだ。

 本家の12小節Bluesの詞は三行が基本である。簡単な例だと、
・「ああ、こんなところはイヤだ」
・「ああこんなところはイヤだ」と、4小節を2回繰り返し、そのあとの4小節で
・「おれは明日、ここを出て行くんだ」と落とす。

 次いで2番は、
・「だけどどこへ行こう」
・「だけどどこへ行こう」と繰り返し、
・「どこにも行くところなんかない」のように落とし、さらにまた続いて行く。基本、内容は暗い。黒人の〝怨歌〟だから。

 石坂のこの「女のブルース」の歌詞は、4行詞である。本家Bluesと同じく落ちがある。
 2回繰り返し、3行目で変化があり、4行目で落とす。Bluesの展開よりも起承転結と言ったほうがあっているか。

 たとえば3番の歌詞。

・ここは東京 ネオン町
・ここは東京 なみだ町

ここまでは繰り返し。ここからメロディはサビとなり、

・ここは東京 なにもかも

上昇し、昂揚し、〝ぶるーす〟として、

・ここは東京 嘘の町

と、かなしい、見事な落ちがつく。

 字面ではなにも伝わらないが、これと猪俣の絶妙の曲が融合して、あの藤の凄みのある歌唱が加わると絶品となる。猪俣の3行目で盛りあげ、4行目で落とす曲もまたすごい。これを越える日本語の「なんとかブルース」は今後も出ることはないだろう。

石坂まさを作品──「女のブルース」の歌詞



「夢は夜開く」の作曲は曽根幸明(お、Google日本語入力も〝そねこうめい〟を出せない。そんな過去の人になったのか)。作曲というよりも、「練馬鑑別所で採譜した曲」という逸話が有名。多くの歌手が共作で歌ったが園まりのがダントツでヒットした。

「流星ひとつ」で知ったが、若い石坂は、これらのヒットしなかった共作のひとつに不本意な形で関わっており、「いつの日か満足できるオレの『夢は夜開く』を作ってやる」と意識していたとか。

「女のブルース」が大ヒットし、藤もこの詞も曲も最高と乗っていたから、間をおかず新曲のこの「圭子の夢は夜開く」を出すことは不本意だったらしい。 (続く)
  1. 2014/07/26(土) 12:42:14|
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藤圭子&沢木耕太郎「流星ひとつ」考⑨──前川清との結婚

 周囲の芸能人と肌が合わず、浮いてしまっていた前川と藤は、いつしか親しくなり、心を寄せあうようになる。ふたりのデートは、大ヒット曲が出てもまだ石坂のボロ家に住んでいた藤が、階下の石坂にバレないよう、二階からロープを伝って道路におり、前川の家に通う形だったという。では若い二人が寸暇を惜しんで燃えあがったかとなると、そうでもないらしい。前川はじっと鯉を見ているのが好きなひとだったとか(笑)。熱愛というより、互いに心を許せる存在を見つけたふたりは、ただ一緒にいるだけでよかったのだろう。

 前川との突然すぎる、早すぎる結婚発表は、ふたりの関係に気づいた石坂がネタとしてマスコミに売ったので、藤が意地になってのものだったらしい。この辺にも石坂と藤が決して「麗しい師弟愛」ではないことが見てとれる。


 
 藤は前川の人間性を今も絶讃している。しかし異性としては兄弟的な感覚が強かったと語っている。ときめくひとではなかったと。当時熱狂的な藤圭子ファンだった私の周囲の何人もが、自分のアイドルを奪われてしまう嫉妬より、「前川ならいい」と我が事のように祝福したのは、そこに男と女のどろどろした関係より、苦労続きの藤が、やさしく包んで守ってくれる兄ちゃんを得たかのように感じたからだったろう。もっとも「流星ひとつ」によれば、藤のほうは熱烈な前川ファンから脅されたりしてたいへんだったようだ。
 
 離婚後も藤は前川清の歌が大好きで、彼が紅白を落選したときは、「あんな日本一の歌手をなぜ落選させるのだ」と大泣きしたことを告白している。藤が前川の公演を見に行ったり、大絶賛するのを、沢木があまりおもしろくないような雰囲気が活字からも伝わってくる。後のふたりの関係を思うと興味深い。(続く)
  1. 2014/07/25(金) 12:41:15|
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藤圭子&沢木耕太郎「流星ひとつ」考⑧──もうひとつの「流星」、石坂まさを

 藤圭子を、芸能界を一瞬にして席巻し、巨大な光を放ちつつ、あっと言う間に流れ去った「流星」としたのは沢木の秀でた感覚だが、藤を流星とするなら、私は同時に「石坂まさをというひとも一瞬の輝きの流星だった」と思わずにはいられない。「藤圭子」を語るなら、私は彼女の初期の大ヒット曲を作詞し、一部は作曲も担った「石坂まさを」を語らずにはいられない。



 藤圭子を語るとき石坂まさをを語るのは常法だ。「一緒に世に打ってでた戦友」「最高の楽曲を提供した師」として、石坂抜きに藤圭子は語れないほどである。
 この文を書くのにネット検索したら、晩年の石坂は糖尿病から失明し満身創痍の状態だったとか。そんな中でも口述筆記で自伝を書いていて、その内容には「藤圭子母子に送る壮絶な檄文」とか、そんな形容がされていた。途中で亡くなってしまったので、いまのところ発刊の予定はないようだ。

 大ヒット曲を連発した藤と石坂は、やがて藤人気が鎮静化し(とはいえ演歌歌手はこれからが営業でまだまだオイシイ)、藤が専属のRCAを離れるときに縁を切っている。このとき石坂は「藤の移籍料」として数千万円を受けとったことが『流星ひとつ』で暴露されている。弟子の巨額の移籍料を師匠が懐に入れるのだから、この辺もキレイゴトの世界でないことがよくわかる。もっとも、その後にまた交友は復活したらしい。藤圭子というひとは、同じ男と結婚離婚を繰り返したり、常人にはわからない不思議な感覚をもっている。



 私が石坂に関して触れたいのは、そういう藤圭子の「師匠」や「戦友」としてではなく、ごく純粋に「シンガーソングライター石坂まさをの短い絶頂期」についてである。気分としては「藤圭子とは無関係に、シンガーソングライター石坂まさをの……」としたいが、さすがにそれは無理な気がする。藤圭子という素材を得ることによって石坂の才気が世に出たことは否定できない。なにしろペンネーム「石坂まさを」を使い始めるのも藤の作品からなのだ。悪声でありレコード会社に受けの良くなかった藤に注目したのも石坂の慧眼だ。やはり別々には語れない。しかしまた藤圭子の歌唱を抜きには語れないが、あの時期の石坂作品が最高の輝きを放つすぐれた演歌作品であることもまた絶対的事実だろう。前述した「女のブルース」は、藤の歌唱、猪俣の曲の良さもあるが、歌詞その物としても高い完成度を誇っている。

 あの時期、藤圭子という歌手を発掘し、コンビを組むことにより、作詞作曲家石坂まさをも、巨大な光を放った。それ以前の無名の時期、その後の凡庸さを考えると、石坂もまた流星だったと思える。



 藤と石坂を「デビュー前から同居」と書いたが、もちろんふたりは男と女の仲ではない。当時の石坂は27歳の売れない作詩家だった。まだ27歳ではあるが中学を出てからずっと作詩家を志して活動してきたから、それなりに年数を積んでいる。一応レコード会社の専属作詩家の地位は得ていた。ヒット曲はまだない。それが流しをしていた藤と出会い、惚れこみ、自分のボロ家に同居させ、自分の作品でのデビューの日を夢見るのである。同居は藤の母親も一緒だった。



 この「藤と石坂の初めての出会い」に関しても、クールな藤は『流星ひとつ』で伝説の定番を否定している。石坂がたびたび口にしていた、「流しをしている藤と劇的な出会いをし、衝撃を受けた。この娘にかけようと思った」のような発言を、「石坂さん、よくそう言うけど、その前に会っているんだよね」と暴いているのだ。といってそれは、絶縁した石坂のウソを暴くというような趣ではない。嘘をつくことなく、正直に、ありのままに生きたい藤圭子として、「石坂さん、あんなつまらないウソついてんだよね」と笑いとばす感覚だ。


 
 石坂のボロ家に同居してデビューを目指す、石坂・藤師弟だが、麗しい師弟愛ともまたちがうことが『流星ひとつ』で披露されている。石坂は女癖が悪く、女と見ると誰でも口説き、口説いた娘の隣に母親が居たら、それも口説き、それでいて口説いたことすら忘れるというとんでもないひとだったらしい。藤にも「ちょっと疲れたからあそこのホテルで休んでいこうか」と誘ったりしたとか。藤は「よくあの家にいて無事だった」と笑って回想している。それはなにもなかったからこその回顧だったろう。藤の初めての男は後に結婚する前川清だと言われている。後にごたごたしたとき、藤の父親もテレビでそう喚いていた。
 私はこどものころ貧しかったとかいうことよりも、マスコミに載せられ、あることないこと記者会見で喚いているこの父親を見たとき、しみじみと彼女の不幸な育ちを思った。金銭ではない。家族愛として。

 二人の結婚は、23歳と19歳の演歌界のスター同士の結婚である。これはすごいことだった。この時期にスターのふたりが一緒になるというのは聞いたことがない。
 いまも思い出すのは、私の周囲の藤圭子の大ファンがこの結婚を心から祝福していたことだ。「前川ならいい」と。(続く)
  1. 2014/07/25(金) 10:00:22|
  2. 芸能
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将棋話──勝率9割でも届かない1位の座──最強羽生の前に立ちはだかる巨大な壁

 今期、名人位を奪還し11戦全勝と絶好調の羽生善治。連勝は王位戦第一局で木村にとめられたが、昨日星を返し、ここまで14戦13勝1敗。勝率9割2分8厘。

 だが勝率は2位。これだけの数字を残しても上には上がいる。
 勝率1位を保持し続ける男、その名は淡路仁茂九段。あの「長手数の美学」「*三枚目の男」と言われた強豪である。一時期、羽生と淡路は勝率十割で並んでいた。羽生が脱落する。それをその後も安々と維持し続ける淡路の強さ。存在感。羽生の前にそびえ立つ長大な壁。すべての記録を塗りかえてきた勇者羽生が挑む最後の敵、最強のラスボス。
 果たして羽生に、淡路越えの日は来るのであろうか!?
 今期終了(来年3月末)までに、羽生は淡路を越えられるだろうか。ときめきがやまない。

awaji

* 将棋の棋譜記録は1枚で100手まで。通常長くても2枚以内に収まる。200手を越えることが多く、度々3枚目を必要とすることからついた淡路の異名。

 「〝長手数の美学〟ってなんなんだろうね、単に決め手がないだけじゃん」と、そんな見出しの『近代将棋』を読みつつ白けていた頃に突如として登場するのが〝光速の寄せ〟。あの感動は忘れない。
  1. 2014/07/25(金) 08:40:22|
  2. 将棋
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藤圭子&沢木耕太郎「流星ひとつ」考⑦──藤圭子のヒット曲「新宿の女」から「京都から博多まで」

 藤圭子は47枚のシングルを出している。それはWikipediaのこちらで確認してもらうとして、私にとって彼女の歌は「新宿の女」「女のブルース」「圭子の夢は夜開く」「命預けます」の4曲であることは書いた。

 それはWikipediaの項目からも推測できる。ここに登場する歌手や役者、監督等は、作品名の羅列があり、それなりの成果を上げた作品は、さらにそこから作品毎の項目にリンクされている。藤の曲も上記4曲はすべて青文字となってリンクされているが、その後はしばらく途絶える。だから異様なほどのブームがこの4曲で一息吐いたというのは私個人の感覚のみではなく数字的にも裏づけがあるのだろう。


 
 その後の彼女は、デビュー前から同居し共に歩んできた石坂まさを作品ではなく、あらたな作品提供者を探すことになる。そして当代一のヒットメーカー阿久悠の詞を経て、ひさびさに「京都から博多まで」がヒットする。
 なかにし礼の作品を歌ったり、「面影平野」では、阿木燿子・宇崎竜童コンビの作品を歌ったりしている。でもやはり上記4曲がすべて、と私には思える。

 なお上記の「リンクされているヒット曲」は、4曲目の「命預けます」のあと、1年後に石坂作詞の「みちのく小唄」というのがあり(私はこの曲を思い出せない)、その7カ月後、1972年1月に新路線で阿久悠に詞を頼んだ「京都から博多まで」がある。自分が「みちのく」を知らないからというのは強弁だが、藤圭子という歌手は、シングル4枚目、1970年1月の「命預けます」のあと、1972年1月の11枚目のシングル「京都から」までヒットが途絶え、これが最後のヒットになったと言えるだろう。「京都から」の後、1979年に一度引退し、1981年に復帰し、1997年10月の「男と女」まで47枚のシングルを出しているが目立ったヒット曲はない。

 私にとって藤圭子は、1969年9月の「新宿の女」から1970年7月の「命預けます」まで、一年弱の4曲がすべてなのだが、世間的にも彼女は、ヒットを出したのは1972年の「京都から」が最後の「活躍時期の短い歌手」と言えるだろう。



 『流星ひとつ』の中で、藤が「女のブルース」が大好きであり、それがまだヒットしているのに、なぜ「夢は夜開く」の発売を急いだのかわからないと語っているのが興味深い。(続く)
  1. 2014/07/23(水) 13:21:20|
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藤圭子&沢木耕太郎「流星ひとつ」考⑥──マスコミのウソ、正反対のことを書くという怖さ

 当時最高のベストセラー作家である五木が、これまた社会現象とまでなっていた藤圭子について語ったから、この発言は話題になった。週刊誌がそれを取りあげた。

 ところがそれは「怨みの歌で怨歌」と、五木の造語「怨歌」を前面に出し、藤圭子特集を盛りあげたまではよかったが、五木のことばをまったく逆に、「彼女の怨みは、これからますます増して行くだろう」と紹介していたのである。実際にラジオで五木の語りを聞いたものとして、「それはちがうよ!」と思った。「逆だよ」と。
 よくぞこんな逆のことを書けるものだとおどろいた。マスコミって信用できないんだと学んだ最初である。それまでの私は「マスコミは真実を伝えるもの」と思っていた。

 ところがタイムリーな五木造語の「怨歌」がひとり歩きを始め、誤りである「怨みはますます増して行く」のほうが定番として取りあげられてしまった。そりゃあ飛ぶ鳥を落とす勢いの藤圭子の「怨歌」の「怨」が、「もうすぐ消えて明るくなります」よりは、「益々怨念を深めて行く」としたほうが世間的にはおもしろいのだろう。五木は後々も自分はそうは言っていないとそのことを主張したが、転がり始めた雪達磨をとめることはできなかった。おそろしいと思った。


 
 深夜放送がブームになり、あたらしい若者の流行と話題になっていた。深夜番組をもっていた元フォークルの北山修が、そのブームに関し、「深夜放送が若者の傷口の舐めあいになってはいけない」と語っていた。これもしっかり自分の耳でリアルタイムで聞いた。
 ところが深夜放送を特集した(当時我が家で取っていた)毎日新聞には、北山の発言が「深夜放送は若者の傷口の舐めあいなんです」と語ったことになっていた。もちろん北山も次週の放送でそれを弁明し反論していた。しかし世間には毎日新聞の記事のほうが伝播力は遙かに強い。

 田舎の高校生が、マスコミはこんなことをするんだと学んだ二題である。



 そのころの時代、当時のスターへの想い、そこにいた自分への郷愁は、ひとそれぞれであろう。私の場合は、この「藤圭子」と「五木寛之の発言」と「まったく逆のことを報じたマスコミ」が三位一体となっている。「マスコミは信じられない」と教えてくれたのが「藤圭子」であり「五木寛之」だった。だからこそ藤圭子は私にとって他の演歌歌手とは異なる存在になる。

 ここで芽ばえたマスコミ不信が、日教組にすりこまれた自虐史観からの脱却に繋がって行くのだが、それはまだまだ先のことになる。(続く)
  1. 2014/07/19(土) 12:37:20|
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社民党という鬼畜の作るポスターの意図──「あの日から、パパは帰ってこなかった」

shamintou


 こういうポスターを作る感覚が信じがたい。こいつらはこれで日本国民の支持を得られと思っている。この鬼畜共は、自衛隊員の死を願っている。それがあったら、これさいわいと騒ぎたてる。はしゃぎまくる。お祭りだ。なんというおぞましい感性だろう。これが国家から助成金を得ている日本の政党なのだ。



 日本経済はもとより、私達の日々のくらしも、輸入する石油によって成りたっている。路を断たれたら終る。そのシーレーンを守るためにも必要な集団的自衛権を確立しようとすると、反対する。万が一のことを考慮し、石油にばかり頼るのは危険だからと原発を推進しようとすると、反対する。ひたすら反対し、一方で従軍慰安婦などという実態のないものを捏造して国を貶める。社民党という畜生共の目的は日本の破滅だ。



 こいつらの作ったポスターに下のものがあった。福島をテーマにしている。意図は同じである。こいつらはまた災害が起きて、このようなことになることを願っている。「だから自民党はダメなんです。わたしたち社民党なんです」と、そのことしか考えていない。誇らしげに指差している。なぜこのようなことが出来るのだろう。まさに畜生である。餓鬼である。存在する価値のない外道だ。

 しかし、こいつらを国会議員として生存させている何百万人かの日本人がいるのだ。ほとんどは帰化朝鮮人ではあるにせよ……。

shamintou2

shamintou3



 こんなのを発見。http://dmgt.blog.jp/archives/1006104813.htmlより。

sha

  1. 2014/07/18(金) 14:51:08|
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藤圭子&沢木耕太郎「流星ひとつ」考⑤──五木寛之の藤圭子論──〝怨歌〟という造語

 当時「オールナイトニッポン」が皮切りとなり深夜放送ブームが始まっていた。私もニッポン放送の「オールナイトニッポン」の機関誌「ビバヤング」を送ってもらい毎晩それを聞きつつ受験勉強していた。

 そのころ、たしかTBSだったと思うが、五木寛之が藤圭子について語っているのをリアルタイムで聞いた。五木は「これは演歌というより、彼女の生きてきた道から生じる怨みの歌、〝怨歌〟ではないか」と彼の造語である「怨歌」を披露し、「彼女の中にある怨みは、歌手としての成功とともに薄まり、やがて歌の中からも消えて行くだろう」と推測し、彼なりの「藤圭子論」を語っていた。藤圭子の経歴は、浪曲師の父と盲目の母に着いて、幼い頃から地方を流れあるいて唄っており、極貧の中、中学校も出ていない、ということになっていた。



「流星ひとつ」の中で、藤は中学をきちんと卒業していること、勉強が得意で成績はみな4と5ばかり、3を取ったことがないことを語っている。運動は苦手だが、それも筆記試験で稼いでしまうので4以上だったとか。
 またそれはどさ回りのあいまにも勉強したりする努力の結果ではなく、教室で教えてくれることはすぐに頭の中に入り、それが試験に出るのだから出来て当然のようなことを語っていることから、藤の明晰な頭脳、記憶力のよさがわかる。こういうきちんとしたひとには、理窟ではないアバウトな芸能界は辛かったろうなと感じた。



 私は五木の意見をなるほどと感心して聞いた。藤圭子は、森進一と青江三奈という、それまでは悪声と呼ばれていた先輩ふたりの成功がなければ世に出なかったと言われている。彼女はまず歌手としてすぐれているのだから成功は当然なのだが、爆発的な人気を得、社会現象にまでなったのは、その美貌としゃがれ声のアンバランス、不幸な育ちという背景も強く関係していたろう。成功とともに「怨歌」の「怨」は薄れて行くという五木の論は、田舎の高校生にも納得出来る意見だった。(続く)
  1. 2014/07/18(金) 13:20:42|
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藤圭子&沢木耕太郎「流星ひとつ」考④──抜群の美少女ではあったが

inochi

 高校の同級生に藤圭子ファンが何人もいた。『明星』や『平凡』に附いてくる藤圭子のポスターを部屋に貼っているヤツもいた。私にはわからない感覚だった。

 まず演歌というジャンルに興味がなかった。ビートルズとストーンズを聞いていた時代である。いや演歌というのかなんかジャンルの区切りがわからないが、たとえば三橋美智也の作品なら、わかるものもある。「達者でナ」は仔馬から育てた馬との別れを歌ったものだ。「古城」は、古い城のたたずまいを歌ったものだ(笑)。この発想は凄いな。「古城よ ひとり 何偲ぶ」と城を擬人化し、その胸中を忖度している。それが歌謡曲として存在し、ヒットするすばらしさ。今時のJpopなどより遙かに幅が広い。後にヒカワキヨシというゲイの創価学会員がその路線を真似ている。その他村田英雄でも北島三郎でも興味を持てる切り口はある。

 しかし彼女の歌はもろに夜のネオン街を唄うものである。いわゆる「ネオン演歌」だ。「新宿の女」の「わたしが男になれたなら わたしは女を捨てないわ」に田舎の高校生が共感できるはずがない。わかったらおかしい。もっとも唄っていた藤もまた処女であり、それでいてあの情感だから、五木寛之を始め多くの有名人が刮目することになる。


 
 そして容姿だ。「美少女」と話題になった。細身の美少女が淡々と凄味のある声で夜の世界を唄うからこそ話題になった。たしかに美人だったが、それは「江戸時代の美少女剣士」みたいな美しさであり、高校生が恋人にしたいと夢見るかわいらしさではなかった。とてもとてもひと目見たときから同い年とは思えなかった。私はいまも彼女の容姿に夢中だった周囲の連中の感覚がわからない。むしろこわくて近寄りがたかった。藤もこどものころからおとなびていた、「老けていた」と言われたことを『流星ひとつ』で述べている。

 だが彼女の歌声は、ネオンの世界のことなどなにもわからないビートルズを聴いている田舎少年にもたしかに響いてきたのである。 しみじみそれは凄いと思う。(続く)
  1. 2014/07/17(木) 12:33:33|
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藤圭子&沢木耕太郎「流星ひとつ」考③──一瞬の輝き、「藤圭子」という名の流星

 世間的には数数のヒット曲を誇る藤圭子、となるのだろうが、私には「新宿の女」「女のブルース」「圭子の夢は夜開く」「命預けます」の4曲になる。この輝きの時期が私にとっての藤圭子だ。

「新宿の女」の発売が1969年の9月、「命預けます」が1970年の7月だからその間は1年もない。さらにはデビュー曲「新宿の女」は最初からはヒットせず、年明け発売の2曲目「女のブルース」、3曲目「圭子の夢は夜開く」のヒットと、それによる「藤圭子というまだ十代の新人歌手の独特の凄味」みたいなものが社会的事件となり見直されて売れだした曲だから1969年はカウントされない。となると、私にとっての藤圭子は、1970年の2月から8月という半年間だけになってしまう。巨大な輝きの流星だった。

 Wikipediaより。

ファーストアルバム「新宿の女」は20週連続1位、間を置かずリリースされたセカンドアルバム「女のブルース」は17週連続1位を記録。計37週連続1位という空前絶後の記録を残す。


 まだ十代の新人歌手、それも演歌歌手のアルバムが、こんなとんでもない記録を残している。まさにそれは社会現象だった。巨大な流星だった。



shinjukunoonna
 私は4曲の中では「新宿の女」が一番好きだ。他の曲がネオン演歌らしいいかにもなマイナーメロディであるのに対し唯一のメジャーである。じつは原詩は石坂まさをではなく他のひとであり、石坂は「補作詞」であることを今回「流星ひとつ」を読んで知った。と書いていて、そういうことをあの当時芸能雑誌で読んだことを思い出す。忘れていたことが次々と浮かんでくる。
 
 藤圭子は演歌歌手でありレコードの売りあげ以上に営業(地方公演等)が大事だから、関係者にとっての頂点の時期はこのあとになる。注目される新人の時期は給料も安い。演歌歌手はヒット曲が日本国中に染みわたってからがおいしい。何十年か前のヒット曲をたずさえて地方興行をしている、忘れ去られたかのようなひとが、いまも年収何千万であるのはよくある話だ。山本譲二、細川たかし、瀬川瑛子、枚挙に遑ない。

 「流星ひとつ」の対談時期は、藤が引退を表明した28歳の時であり、当時の藤にヒット曲はなく、前記したようなヒット曲を歌っての地方興行が中心である。藤は現在の年収が5千万前後であることを明かしている。沢木は、それほどの恵まれた状況にいながら何故いま引退なのか、をテーマに迫る。

 しかしあの時期を一緒に生きたものとして、藤圭子の輝きは、私にはあの4曲が出た半年間になる。その感覚は彼女自身にもあり、咽を手術した24歳以降は「もうあたしの声じゃない」と語っていて、惰性のようなものであったから、ここでスッパリ辞めたいというのは、私にはわかる感覚になる。しかし芸能界と演歌の特性を考えたら、ヒット曲で地盤を築いた「これからがオイシイ時期」なのだ。なのになぜ引退なのか。(続く)
  1. 2014/07/16(水) 12:31:50|
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藤圭子&沢木耕太郎「流星ひとつ」考②──「17歳」の価値

shinjukunoonna

 私が17歳のとき、藤圭子も17歳でデビューした。デビュー曲「新宿の女」が出たのが1969年の9月。一般的にはそれほど話題にならず、年明けから売れ始めたようだが、当時深夜ラジオを友にして受験勉強に励んでいた私は、発売の頃からよく耳にしていたし、妙に心に残る曲だった。
 
 同じ17歳だと思った。テレビもラジオもそう言っていた。雑誌にもそう載っていた。後に1歳年上と知る。事務所の都合で18歳なのに17歳にされたとか。潔癖症の彼女はそれがいやでいやでたまらなかったという。19歳で前川清と結婚するとき公称年齢を訂正している。この結婚もすごかった。今ならありえない。

 売りだす事務所やレコード会社の感覚からすると18歳よりは断然17歳のほうがいいのだそうな。「流星ひとつ」の対談で沢木耕太郎も「ぼくも(関係者だったら)17歳にしたかも」と語っている。


 
17sai
 この2年後にデビューする南沙織のデビュー曲は「17歳」。筒美京平がリン・アンダーソンが唄った「ローズガーデン」をパクった曲だ。このとき南沙織はまだ16歳。ラジオからキャッチコピー?であるらしい「16歳の南沙織ちゃんは『17歳』でデビュー」と頻繁に流れてきて、ローズガーデンの「I beg your pardon」と同じメロディの「だーれもいない海」が続いた。

 筒美京平はパクりの天才だが、カトウカズヒコやオータキエイイチのように、アレンジから何から何まで一緒で「そのままじゃん」というパクリはしない。上手に彼流にアレンジする。しかしその中ではこれは出来の悪いものだ。「ローズガーデン」のヒットが新しかっただけに、このパクリは誰でも気づいた。

 格別の南沙織ファンでもなかった私は、この辺の事情を知らなかったが、今回Wikipediaを読んだら、「デビュー前の南沙織に、得意な歌はなにかと問うたら、ローズガーデンなら歌えるというので、それを基本にして筒美が曲を書いた」のだそう。偶然似た曲を提供したのではなく、始まりからして計算尽くなのだった。



17saiha
「17歳」と言えば、南沙織よりもずっと前にヒットした高田美和の「十七歳は一度だけ」がある。当然のごとく誰もが「17だけじゃなくて18だって19だって、60だって70だって一度だけだよなあ」と言っていた。かように「17歳」は特別なものらしい。(続く)
  1. 2014/07/15(火) 13:19:53|
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藤圭子&沢木耕太郎「流星ひとつ」考①──仁川空港で知った藤圭子の死

歌手の藤圭子さん自殺か マンションから転落死

2013.8.22 12:17 

 歌手の藤圭子(本名・阿部純子)さん(62)が22日朝、東京都新宿区西新宿のマンション敷地内で倒れているのが見つかり、病院に搬送されたが死亡したことが警視庁への取材で分かった。自殺とみられる。

 藤さんは歌手の宇多田ヒカルさん(30)の母親で、「圭子の夢は夜ひらく」などのヒット曲で知られる。(msn産經ニュース)

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 2013年9月10日午前10時。韓国仁川空港。無料サービスWifiにThinkPadを繋ぐ。60日ぶりのインターネット。こういう時の常でまずは「訃報」と入れて検索する。この60日のあいだに何事も起きていないことを願いつつ日附順に一覧の名を追う。好きなひとの死も目にするが、高齢の大往生には納得する。
 
 8月22日の欄に藤圭子の名を見つける。瞬時に自殺かなと思う。関連ニュースを検索する。飛降り自殺のようだ。同世代の彼女が死んでしまったことを淋しく思ったが、ここのところの流れから「やっぱり」でもあった。精神が不安定とされる彼女の状態が伝えられてひさしい。すっかり過去の人となった彼女のたまに流れる話題はその奇行だけだったと言ってもいい。



 私が高校生の時、彼女はまさに一世を風靡した大スターだった。あのときのブームはすごかった。それから十年、28歳で引退してアメリカに渡る。芸能界の体質にうんざりし、もう絶対に復帰はしないと言っていたが、やはりというか2年後には芸能界に復帰した。しかしもう以前の輝きはもどらなかった。そのままずるずると居て、消えいるように過去の人となった。

 このひとの輝きの時期は極めて短い。私には「新宿の女」で始まり、「女のブルース」「圭子の夢は夜開く」「命預けます」の4曲、一年足らずの活躍がすべてだ。しかしその時期の輝きと光輪の大きさはいまだ誰も越えていないと言える。その後は海外での奇行や同一人物との結婚離婚が目立つ程度の典型的な「あの人は今」的存在だった。

 ところがここでまた藤は甦る。母親と同じく突如彗星のごとく登場した「宇多田ヒカルの母」として。しかしそれもまた一瞬のことだった。やがて今度は海外旅行で大金を浪費する奇行が話題となる。現金4千万を押収されたとか、その現金に麻薬が附着していたとかのスキャンダラスな話である。
 宇多田のコンサートに飛び入り出演して「夢は夜開く」を歌ったといういいニュースもあったが、多くの宇多田ファンにとっても、彼女はあまり好ましい母親ではなかったろう。



 彼女の死を知ったとき、私はすぐに彼女へのレクイエムを書きたいと思った。「藤圭子」は、あの時代を語るとき素通りできない重要人物である。
 世に溢れる多くのひとの語るそれは「宇多田ヒカルの母」としてのものであり、だからこそ私のような世代が「宇多田ヒカル以前の藤圭子」を綴るべきであろうと思った。だが多くのひとにとって「宇多田ヒカルの母」であり、でしかなく、ここまで過去の人なら、それはその時代を知っているひとが、それぞれの胸の中にしまい、あえて綴る必要もないかと思うようになる。



ryusei

 藤圭子が自殺して二ヵ月後、沢木耕太郎が『流星ひとつ』を出版した。1979年、引退を決めた28歳の藤圭子へのロングインタビューだ。インタビューだけで構成された異色作である。
 これを読んで、やはり私なりの「藤圭子」を書こうと思った。(続く)
  1. 2014/07/14(月) 12:27:53|
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2001年に始めたサイトMone's World--http://monetimes.web.fc2.com/の出張版ブログ【木屑鈔】Boku-setsu-shouです。
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