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生活雑記──フィリップスエアフロス体験記

airflossちょっと話題になっている新製品フィリップスソニックケア「エアフロス」というのを買ってみた。いわゆる「糸ようじ」の電動版である。

と、いま「糸ようじ」と書いたらATOKに「商品名」と注意された。そうなのか。知らなかった。
しかし英語のDental Flossを直訳したら糸ようじになるんじゃないのか。まあ商標登録は早い者勝ちだ。



歯はよいほうだと思う。抜歯した永久歯は今も2本だけだ。親からもらったそれにあぐらを搔いていたら意外なところから突きおとされた。歯茎である。「齢を取ると、歯は問題なくても歯茎が衰頽する」という知識がなかった。木は元気でも土壌が崩れたら倒れてしまう。倒れたら枯れる。そんな状態になった。「歯茎の健康」か。盲点だった。気づいたときは遅かった。無智は哀しい。

いま右上奥歯の2本がぐらぐらしている。2本とも歯はわるくない。なのに土壌が崩れ抜歯せねばならないかも知れない。くやしい。姉の亭主なんて60代半ばなのに虫歯が一本もない。そんなひともいる。私はこれが抜けたら4本もないことになってしまう。妻も虫歯が一本もない。これは30代前半で若いからともいえるが歯って十代二十代の時に失うものでもある。私はそうだった。十代で失ってからきちんとケアするようになった。親がしつこいぐらい注意してくれるタイプだったらいまも全部自分の歯だったろう。姉の亭主は母が看護婦で厳しかったようだ。ほったらかしだった親が恨めしい。それをふまえて私は息子に歯を磨けとカトちゃんと同じぐらいしつこく言っている。

でもなあ、ターザン山本さんなんか40代の時から総入れ歯だ。糖尿病の影響らしいけど。それからすると今も缺損は2本だけなのだからいいほうだよなあ、とか思って慰める。



歯医者は「とにかくこまめに歯間ブラシを」と言う。それが歯茎の健康保持のために最善であり予防なのだ。

肉体的衰頽として捉えれば、脳味噌はもうスカスカだろうし、骨の密度も落ちているだろう。なにしろ脳の老化は二十歳過ぎから始まるのだ。
それは見えない。老化はやはり目に見えるものが辛い。歯茎の衰えもそれになる。年寄りがしなびてちいさくなるように、鏡で確認すると、たしかに歯茎は老化していた。なるほど、こういうのも「痩せる」というのか。痩せてしまった歯茎を太らせる方法はないという。



歯間ブラシを日々使うという習慣は、面倒だし、かっこわるいし、出血を見たら落ちこむし、いろいろと問題が多い。好きな女がこれをしているところを見たら百年の恋も冷めるだろう。それぐらいかっこわるいものだ。誰だってあまりやりたいものではない。みんな病んでから始める。でもそのときはもう遅かったりする。



doltz 歯ブラシはブラウンのあの廻転型の電動歯ブラシを愛用してきた。これは長いなあ、1991年に海外に持参した記憶がある。バンコクの安宿に忘れてきて取りに戻ったら、年老いたシナ人の受付に、「これは何に使うものなのだ」と真剣に問われたっけ。
旅は軽装が基本である。歯ブラシなんてのは現地で買えばいい。でもこれに慣れてしまうと必需品なのだった。いつも使うのは充電型だったが海外用に電池型を買った。

左のPanasonicのドルツも使い初めて長い。10年以上。いま確認したら「Powerdent」となっている。まだ松下電器時代のドルツブランドが出来る前の製品だった。高校洗滌機である。うん、ろくでもない高校は洗滌したほうがいい。口腔洗滌機。

「10年以上も前の製品がいまも現役なのか!」と驚かれるかも知れないが、新しいもの好きで買っただけで、使っていないのである。今もピカピカの新品同様。これを毎日使い、「もう5台目ですよ」と言うぐらいきちんとしていたら、わるくもない歯を抜くことにもならなかった。これまた気づいたときは遅かった。



ところで「洗滌」は正しくは「せんでき」である。「せんじょう」は所謂「百姓読み」。

この場合の「百姓」は農民は無学だと軽んじた言いかたではない。「いっぱんのみんな」の意味。百姓ってのはもともとそういう意味だ。シナにはいまも「百姓酒場」の看板が多い。日本の「大衆酒場」になる。百姓をわるいことばにしてしまった日本は愚かである。

同じような百姓読みのまちがいに「消耗」がある。正しくは「しょうこう」。でも一般では「しょうもう」。
ともにツクリの音読みから来た誤読だ。

しかし 「せんでき」で「洗滌」は変換できても、「せんできき」では「洗滌機」は出て来ない。「せんじょうき」でないと。これなんかもう「せんじょうは本当はせんできと読むんだよね」という知ったかぶりの世界になっているのか。まあ「せんできき」よりも「せんじょうき」のほうが言いやすいけど。



airfloss私はこの「フィリップスエアフロス」という新製品のどこが新しいのか知らなかった。最初、見た目からも上の「口腔洗滌機の携帯版」だと思っていた。そういう商品はすでに流通している。それだとここに書くこともなかった。調べるとぜんぜん違っていた。もちろん「そうじゃない」とわかったから購入した。口腔洗滌機なら据え置き型をもっているわけだし、携帯用を買っても使う当てもない。(会社勤めをしているひとなら会社にひとつ置いてもいいだろうけど。)

真ん中にあるタンクに水やマウスウオッシュを挿れる。少量だ。それで尖端を歯間に当てる。下にあるのが電源ボタン。電源を入れ、上の丸い緑の部分のスイッチを押すと、「プシュッ」という音と「カクン」というショックがあり、圧縮空気と水が飛びだす。一瞬だ。口腔洗滌機とは基本から異なっていた。その名の通り「糸ようじを電動でやってくれる機械」だった。
本来は水でやるものだが、壮快感ということからメーカーはマウスウオッシュを入れることを推しているようだ。

まだ使いはじめて数日なのでレビュウを書くほど詳しくもない。でも使用者の最大の不満はわかる。これ、全体を水洗い出来ないのだ。それによる故障と不満をメーカーもいちばん心配しているのだろう、胴体部分に「注意! 全体の水洗いはできません」と大きなシールが貼ってある。ショートしてすぐに壊れるのだろう。わかっていても、ついしそうになるので、私はまだそのシールを剥がさないままにしている。おそらくこれがこの製品のネックになる。

それってそんなに難しい技術なのだろうか。そうも思えないのだけど。たぶん改良型ではそうなる気がする。Panasonicなら洗える製品を出すだろう。

価格comの最安値で9300円。 糸ようじと比べたら高いが、あれをやってるときのかっこわるさ、出血したそれを見て物悲しくなるような気分とは別れられた。手作業の糸ようじより効能があるのかどうか、それはまだわからない。これから同じような製品が連続するだろう。果たして先物買いはどうだったか。なんか、もっといいのがPanasonicから出そうな気がする。



itoyoji調べたら「糸ようじ」は小林製薬の商標で、写真のもの。1987年に登録とか。そういやたしかに最初に使ったのはこの形だった。その後は歯間ブラシになったが。

ここでこのフィリップスエアフロスの通販メーカーなんかをリンクして、「歯周病のかたにはお勧めです。Amazonでならいま特価の××円で購入できます」なんてやるとアフィリエイトってやつになり、売れゆき次第でいくらかキックバックがあるようになるのか、なるほど。
しかしアフィリエイトってのをべたべたと貼ってあるブログってのは醜い。いいことが書いてあっても、それだけでいやになる。

そういうことをするのは人間のくずだとかさんざん書いていたのに、いまそれを生活の糧にしているキッコなんてオカマもいたな(笑)。あ、失礼、アフィリエイトの売りあげは犬猫関係のなんとかと沖縄基地のなんとかに寄附しているって設定でした(笑)。
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  1. 2012/11/29(木) 05:14:13|
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通販話──最近、がんばってる宮城県の店で買うことが多い──がんばれ、東北!

最近、唯一の楽しみであるPC小物買いの通販店に、宮城県の店が多い。震災前から青森の店に最安値の努力をしているところがあり、そこから買うことが多かった。震災以降は東北の店ばかりだ。

こちらには、震災後の「食べて応援」と同じく「買って応援」の気持ちがあるが、それ以上にあちらの商人としての努力が大きい。情で高値のものを無理して買っているのではない。東北の店が最安値なのだ。



pomera下の表は、私がいま買おうとしているデジメモ「ポメラDM100」の値段。価格comでの順位。

最安値ベストワンに宮城県の店が並んでいる。しかも送料無料。東京や大阪の最安値店を凌いでいるのだからすばらしい。

よっつの店ともうぜんぶ買い物をしたことがあって、会員登録している。さて今回はどこから買おう。こういう健闘にこちらも励まされる。がんばれ東北!


tsuhan





  1. 2012/11/26(月) 19:23:51|
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Windows8体験記⑩──クリーンインストールの勧め

私の買ったWindows8はUpgrade版である。Upgrade版であるからして、正直に7を挿れているSSDにUpgradeした。
その前にそのSSDに入っている7はHDDCloneでコピーしておいた。7と8のSSD2台のデュアルブートとした。 

で、その8をのんびりと磨いていた。スタートメニューを復活させるフリーソフトを挿れたり、リボン形式という使いづらい形式になったエクスプローラを元のようにするフリーソフトを挿れたりした。 やっていることは8から8らしさを取ることばかりである。これじゃ何のために8を挿れたのかわからない。でも8は7よりも軽くて速いのだという。その1点にのみ期待していた。



ところが私の8は重い。遅い。いらつく。いきおい好調の7ばかり使っていた。それでいいのだが、せっかく買ったのにとケチな料簡も顔を出す。 
よってまた8を起動したりする。ベンチマークを取ってみたらとんでもない数字が出た。SSDなのにHDDよりも遅い。
さすがにそれを8のせいにする気はなかった。SSDの問題だろう。Silicon Powerだ。ハズレを引いてしまったらしい。それにしてもひどすぎる。

餘っているHDDに7を挿れ、Upgradeで8を挿れてみた。するとまともに動く。やはりSilicon PowerのSSDが悪いのである。
古いHDDに挿れた「まともに動く8」は、それなりにおもしろく、やっと私の中に「8も捨てたもんじゃない」という感覚が芽ばえてきた。
となると、どうしようもないその「Silicon PowerのSSD」に対する不満がまた生まれる。なんとかならんのか。初期化すれば速くなるだろうが、そのあとの7を挿れて、それから8をUpgradeで挿れるのが面倒だ。



というところに「8のUpgrade版は、そのまますんなりクリーンインストール出来る」という情報を得る。いまやネット上に溢れている常識だが、7はそれができなかったことを覚えているので、私は半信半疑だ。本当だろうか。だとしたらMSの大チョンボ、いやあのセコい会社には珍しい大サービスになる。あの会社、がめついのでこういうことにだけはシビアだ。ちょっと信じがたい。

しかし使い物にならない7に上書きインストールした8のSSDを保っていてもしょうがない。ダメならダメで諦めようと、磨きあげた7の上にUpgradeした8だったが、思いきって消した。初期化して真っさらにする。

Upgrade版8のインストール。すると噂通りすんなりとクリーンインストール出来た。7のときは対象となるOSが見つからないとインストール出来なかったのだが……。

そしてどうしようもなかったSilicon PowerのSSDがごくふつうのSSDの速さで動き始めた。快適である。こうなると8もかわいくなってくる。



もしも同じような悩みをもっているかたがいたら、ぜひクリーンインストールしてみてください。そのほうが確実に速いです。
  1. 2012/11/26(月) 16:28:23|
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「国民の生活が第一」の〝ぶってぶって姫〟姫井由美子が千葉県から立候補(笑)──怒れよ、千葉県民!

「国民の生活が第一」党千葉県連は、千葉8区に参院議員姫井由美子氏(53)を、同5区に前衆院議員の相原史乃氏(38)を擁立すると発表した。http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp3-20121123-1050681.html

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野田首相の刺客に三宅雪子はやってくるわ、「姫の虎退治」で有名な、さらには不倫相手との「ぶってぶって」で有名な姫井が岡山からやってくるわ、千葉県民は小沢に「千葉をなんだと思っているんだ!」と言いたいだろうなあ(笑)。 
姫井は岡山県連から「次回の参議院戦では推薦しない」と追いだされての「生活」入り。そして参議院からくら替えして、今度の衆議院戦に千葉から立候補する。ずいぶんと千葉もバカにされたものだ。



小沢は姫井が千葉県で当選すると思っているのだろうか。姫井は千葉から出馬して、自分が当選すると思っているのだろうか。前回の選挙は、地元の岡山から、吹きまくる民主党の風に乗り、自民党の片山虎之助を、うまく追い落としたものだ。 

今回、地元という有利さもない。千葉とはなんの関係もない。
「民主党」という追い風もない。民主党にいても逆風だったが、その国民に愛想を尽かされた民主党から愛想をつかされたという稀有な存在だ(笑)。
手垢のついた自民党政治家を追い落とす爽やか女性というイメージもない。汚れている現実が暴露された。 
いいところがなにもない。どう考えても捨て駒である。



まあ小沢ガールズですらないからなあ。
小沢もこの女忍者が爆死しても気にもとめないだろう。
「生活」が何議席ぐらいとるのか、興味深い。
その結果による小沢信者の泣きっ面も楽しみだ。
  1. 2012/11/23(金) 11:23:16|
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動物愛護の矛盾──ポールの七面鳥、デヴィ夫人のワニ──「豚がかわいそう」というミヤネ発言

政治局面もあり、ここのところけっこうテレビを見ている。昨日は「ミヤネ屋」を見た。するとつまらんことをやっていた。

「シナの観光地で、豚が湖にダイブするのが人気」という話題である。湖に5メートルぐらいの高さから豚が湖に、次々と飛びこんで歓声を浴びている。

しかしそれはどう見ても豚が自分の意思で湖に飛びこんでいるのではなく、「人間に追われているから」なのだ。豚は飛び込み台の板で囲まれた狭い通路を棒でつっつかれて、しかたなく飛びこんでいる。正しく言うなら「突きおとされている」に過ぎない。

でもそんなのはどうでもいいことだ。そういうことをして、それを見て喜ぶのがいて商売になっているなら、それはそれでいい。私が看過できなかったのは「ミヤネ屋」の連中の発言である。

まずはミヤネが、「これって、人間が追いこんでるんじゃないですか!」と、まるで真実を見抜いたかのように発言する。コメンテーターが「そうですね、あれってどう見ても人間が突っついてるんでしょ」と同調する。そうしてスタジオ中が、「豚がかわいそうです」「まったく中国って国は」になっていったのである。くだらん。

豚である。所詮殺されて喰われるために生まれてきている豚である。「かわいそう」は当たるまい。こういうのが熊だったら、動物愛護協会なんてのがイチャモンをつけて、熊は別施設に移され、こんな見世物から解放されるパターンがある。豚だ。どうするんだ。別施設で餘生を送らせてやるのか。

ミヤネの「かわいそう」はどこから来ているんだ。湖に突きおとすことが残酷だというのか。豚舎にいてゴロゴロしているだけなら文句はないのか。しかし豚の中には、「殺される前にいい思い出が出来たよ」と言うのもいるかもしれんぞ。

ずらりと並んだコメンテーターってのも、せめてひとりでも「豚ですからね。殺されて喰われる運命なんですから、湖に突きおとされるぐらいなんてことないでしょう」ぐらい言えないのか。
言えないよな、そしたらミヤネやスタッフに嫌われてもう呼んでもらえなくなるもの。コメンテーターなんて名乗るな。「お追従者」でいいだろう。



以前サイトに書いたことの繰り返しになるが。

テレビのニュース。高速道路で豚を満載したトラックが事故に巻きこまれた。トラックから逃げだし、高速道路の上を豚が走りまわる。その映像。なんとかみな捕まった。
男アナ「クルマに撥ねられた豚クンはいなかったようです」。女アナ「よかったですね」。
男アナ「豚クンにとってはトンだ災難でしたね。さて次のニュースです」

屠殺場に向かうトラックだ。殺されに行くのだ。女の「よかったですね」は何がよかったのだ。屠殺場で殺されるのはよいことで、高速道路でクルマに撥ねられて死ぬのはよくないのか。豚にとっちゃ死に変わりはない。「よかったですね」と言ったその口で、そのあと豚を喰うのか。「トンだ災難」と定番の冗談でしゃれたつもりか。何も考えることなくしゃべっている自分に疑問を持たないのか。



しかしそれを言ったら世間中そうなる。
崖っぷちで往生している野犬。消防車まで出動しての大救出劇。各局のテレビカメラが報道する。助かった野犬には、飼い主になりたいという申しこみが殺到。その一方、飼い主に捨てられ殺されて行く犬猫毎日何万匹。

動物を殺して喰い、動物の住処を奪い、動物にわるいことをぜんぶしてきた人間の、都合のいい愛護精神。自己満足のヒューマニズム。吐き気がする。

---------------

paulベジタリアンのポール・マッカートニーが動物の権利擁護団体PETA(People for the Ethical Treatment of Animals)が主催するキャンペーンに賛同し、“七面鳥の日”とも呼ばれる感謝祭、およびクリスマスにターキーを食べるのはやめようと訴えている。

ポール・マッカートニーは“EAT NO TURKEY”と描かれたTシャツを着用し、「SAY NO,THANKS TO TURKEY, GO VEGETARIAN(ターキーはいらないと言い、ベジタリアンで行こう)」をスローガンとするPETAのポスターに登場。代わりとなるベジタリアン・レシピを紹介している。

アメリカではこの時期、4500万羽の七面鳥が屠殺されているという。PETAは、マッカートニーが「もし屠殺場の壁がガラスだったら、みんなベジタリアンになるだろう」と解説する、屠殺場の様子を紹介した映像も掲載している。

ターキーは感謝祭とともにクリスマスでも食されるが、マッカートニー家ではベジタブル・ローストを作るそうだ。http://www.barks.jp/news/?id=1000084799

※ 

ポールは本格的なヴェジタリアンだから、これを言う資格がある。
しかし、これがもしも実現して(しないけどさ)七面鳥の命が助かったからといって、それがなんなんだ。その何百倍毎日殺されているニワトリはどうなるんだ。牛は豚は羊は馬は。



dewidog動物愛護と言えばデヴィ夫人も熱心だ。ブログには 「マイファミリー」として何匹もの犬っころとの写真を出している。飼い主がいいかげんなことによって犬猫が大量に処分される現状に関して怒りの意見も出している。
 
デヴィ夫人の怒りは犬猫だけではない。「熊問題」にも意見を述べている。里に出現する熊の射殺に関してだ。もともと人間が彼らの居場所を奪ったのではないかと怒る。これは正しい。その通りだ。だから殺したりせず捕獲して元の場所に放してやったり、保護するべきとの意見。傾聴に価する。

dewibagしかし一方でデヴィ夫人はこんなのもやっている。
熊は守らねばならないが鰐はそうではないらしい。なにしろ鰐を殺して鰐皮で作るバッグのデザインまでしているのだから。ブログで販売しているのだから。

デヴィ夫人の中で、熊と鰐はどこでちがったのだろう。鰐はなにかデヴィ夫人に失礼なことをして嫌われたのか。もしかして朝鮮の悪口でも言ったのか、鰐よ。

擁護してもらえるということは、熊は朝鮮贔屓なのか。 

なんだかこういう片手落ちの擁護を見ると腹が立つ。熊と鰐にどんな差があるというのだ。これなんかは一種の勇み足になる。熊が話題になったから、つい大好きな犬猫と同じように擁護してしまった。しかし自分は鰐を殺す側なのだ。まあ勇み足というより、軽率というか、一貫性がないというか。

デヴィ夫人は生活環境において、どれほど徹底しているのだろう。このひと、毛皮はもってないのか。なんかいっぱい持ってそうだ。象牙の珍品なんてのも持ってそうだ。

しかしまた「片手落ちでない動物愛護」なんて出来まい。だって人間は動物を殺して喰って生きのびている存在なのだから。意見を言う資格はヴェジタリアンに限られる。



競馬でもそういうのはあって、もともと競馬は動物の血を弄るという人間の業の深さの象徴だから、きれいごとでは語れない。でも「血統ロマン」なんてことを言いたがるのも多い。

ヨーロッパでは、「一レースで鞭を入れる回数」を制限し始めた。規定の回数以上に馬を叩いたら罰則として騎乗停止になる。しかしなあ、いうまでもないが、ヨーロッパだって馬は餘生を満喫できているわけではない。思うように走らなければ、殺して肉や皮にするくせに、鞭の数の限定とか、どうにもわざとらしい動物愛護精神だ。「動物愛護」というなら競馬なんて廃止すればいい。というか、真に動物愛護をしたいなら、人間は地球上から滅びたほうがいい。存在そのものが動物愛護精神に反しているのだから。



ひとはみな矛盾を抱えて生きる。
牛豚の肉を食いつつテレビを見て、病気の犬に涙するのが本性でもある。それを責められる人は誰もいない。それが人間という生き物の本質なのだから。 

私はこれに悩んだとき、逆療法を試みた。つまり「人間とはそういう生き物なのだから、もう何でも喰ったほうがいいのではないか」と。そう居直ると楽になれる気がした。で、上記の鰐なんかも喰ってみた。カエルとか。コウモリとか。オーストラリアでカンガルーの肉も食ってみた。

結果、これでは解決できなかったので、なるべく食べるのをやめにした。



果たして効果があるかどうかだが、私の場合、四つ足動物の肉を食わなくなってからだいぶ気が楽になった。とはいえスープの出汁とか、気づかない部分では関わっているのだけど。それでも「肉の形をした肉」を遠ざけただけで楽になった。

問題は「日本で貧乏人が菜食主義をするのは金がかかる」ということである。むかしは肉がご馳走だったのだが、今では野菜のほうが高かったりする。まして外食でもそれを貫くとなったらたいへんだ。 会食では他人様に迷惑を掛ける。

※ 

テーマがずれてきてしまった。菜食主義の勧めではない。言いたいのは「動物愛護、ヒューマニズムのウソっぽさ」である。 

無農薬合鴨農法というのが話題になったとき、水田を網で囲い、合鴨に害虫(これは人間側からの命名で、彼らは自分をそうだとは思っていない。普通の食生活を送っていたら、人間にそう呼ばれていただけである)を喰わせて、農薬を使わない稲作だ。

すばらしいと思った。だがそのあと「その合鴨はあとで喰う。一石二鳥。美味い」という話を知って、まったく人間てのはとかなしくなった。かといって稲作のために頑張ってくれた合鴨を「天寿を全うするまで面倒を見る」とはゆかない。 しかし一緒に稲を育てた合鴨を殺して喰うのはキツいな。



私は四つ足動物の肉を食わない自分が好きではない。そのことに酔ったりしているのではないからそこは誤解しないで欲しい。方法として、「喰いまくる」よりも精神的に楽だったので選んだ。それだけである。最初から悩まないひとがうらやましい。

朝鮮人が犬を喰うことを責められるひとがどれほどいるのだろう。 美味で躰が温まり、病人には最高だという。
私は朝鮮とシナで何度か犬を喰う機会はあったが、喰えなかった。ちょうど前記「何でも喰ってやろう」の時期だったのだが、さすがに抵抗があった。そういう自分をつまらんと思うが。

猫はまずいらしい。総じて猫科の肉はまずいようだ。まずくてよかった。美味かったらシナ人なんか喰いまくったろう。
シナ人は、「飛んでるものは飛行機以外、地上の四つ足は机以外、全部喰う」と言われるだけあって、悩みがない。今でも家庭で、飼っている豚を殺して喰う。タイの田舎でもやっていた。こういうのも悩みがなくていい。人間の業を正面から受けとめている。 



まあ答の出ない永遠のテーマである。何も考えず、牛でも豚でも羊でも馬でも、喰うのがいいんだろうけどね。競馬好きでも「馬刺、大好き」というひとは多い。悩みがなくていい。
それでも冒頭の「ミヤネ屋」のようなバカなことは言いたくない。 
  1. 2012/11/22(木) 12:14:36|
  2. 世相
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群馬から一転、野田首相の地元千葉から〝刺客〟として出馬させられる三宅雪子の哀れ──まるで使い捨ての女忍者

2009年、フジテレビ勤務だった三宅雪子は、祖父が衆議院議員だったこともあり、外交官だった父の知りあいの小沢一郎に誘われ民主党から出馬した。場所は群馬県だった。母方の祖父である衆議院議員・石田博英の地元秋田ならわかるが、無縁の群馬である。時の首相・福田康夫の刺客に選ばれたのだ。というか命じられたのだ、小沢に。

祖父石田博英は福田の父・福田赳夫内閣で労働大臣を務めている。いわば恩義あるひとの息子に対する刺客。よくもこういうことを思いつくものである、小沢は。



民主党ブームの風に乗り善戦したが福田には適わず落選。当然だ。群馬の福田王国である。よくぞあそこまで闘ったものだ。いかに「民主の風」が強風だったことか。
惜敗率から比例で復活する。

この当選の模様の時、周囲の万歳にあわせて頭を下げているのが印象的だった。むかしはみなそうだった。周囲は万歳しても当人は頭を下げるのだ。いつしか本人も一緒に万歳するようになった。私はそれを苦々しく思っていた。若いのに、しっかり頭を下げている姿に好感を持った。

民主党政権になっての国会初日。早朝に、真っ先に登院して話題になった。いま調べたら、「午前5時開門なのに午前3時に国会議事堂に行った」らしい。そんなニュースを見たのが懐かしい。たしか「一番だと思って開門前の早朝に来たら、三宅に負けて二番だった」とインタビューされていた議員がいた。このひとも朝の4時ぐらいに来たのだ。だがいま記憶として残っているのは一番だった三宅だけだ。やはり何事も一番にならないと意味がない。二番じゃダメなんですよ、蓮舫さん。

日本中が「民主党というあたらしい風」への期待に沸いていた。すぐに絶望することになるのだが、この時点ではまだわからない……。
(いま「かいもん」と売ったら真っ先に「海門」と出たので笑ってしまった。なんのことかわからないひともいるだろうが、SeagateというPC関係のメーカーがあり、マニアはそれを漢字に変えて「海門」と呼ぶのである。私も辞書登録してあった。)

かの有名な、あの転倒事件があった。
わざとらしく背負われて国会の議場内を動いたりした。あのころから世間は民主党に首を傾げるようになっていた。
私もあれを見て、だめだこりゃと感じた。

それでも三宅は「あたらしい地元」である群馬県に通い、溶けこもうと努力していた。



そして今回、今度は野田首相の地元である千葉県から立候補なのだとか。民主党を出て、「生活が第一」から、またも「首相への刺客」役をやらされる。
本人もそうだが、こんな形で替わられては支持してきた群馬県の支持者もたまらんだろう。

「小沢ガールズ」と言われるひとりだが、なんだかこのひとを見ていると、小沢一郎という悪代官に使い捨てられる女忍者を見ているようだ。この女忍は、わかりきっていた敵の罠に落ち非業の死を遂げるときも、親分の小沢に感謝しつつ死んで行くのか。



「おゆき、その命、この小沢に預けてくれ。余のために、死んでくれるか」
「お屋形さま! ゆきの命はお屋形様に預けてございます。ゆきは、ゆきは、千葉に参ります!」
「その屍、決して無駄にはしまいぞ、おゆき!」
「お屋形様!」
足袋跣のまま庭に駈けおり、おゆきを抱き締める小沢。すがりつくおゆき。重ねられるふたりの唇。おゆきの頬を熱い涙がつたう。降りだした雪がふたりを包む。流れ来るメロディは舟木一夫「絶唱」。
♪ 名さえ儚い淡雪の子よ なあぜ死んだあ ああこゆき (JASRACナントカカントカ)

おゆきと殿の抱擁を、嫉妬の表情で物影から見詰める女忍者の首領・青木愛。
そのころ、小沢忍軍から抜け忍となった田中美絵子は「行かないで!」と涙ぐみつつ門の前に立ち塞がっていた。



野田首相には敗れる。比例での復活もないだろう。哀れでならない。
なぜこんなことができるのか。「担ぐ神輿は軽い方がいい」と、自分で決めた、時の首相を鼻で笑った小沢らしい。このひとの頭の中では使い捨て女忍者の命などどうでもいいのだろう。まあそういう冷淡さもトップに立つ人間には必要であるけれど。
  1. 2012/11/22(木) 09:19:47|
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「無農薬野菜は今風のおいしいものではないよ」という話──味は幻想で語ってはならない

munouyaku






友人のmakichabinのつぶやきから引用。ちいさなことだが、とてもおおきな事実。これは貴重なツイートである。



もうずっと前、昭和の話だが。
小学校長を定年退職した父が野菜を作り始めた。無農薬野菜である。没落地主なので家の周囲は自分ちの田んぼと畑ばかり。地所に苦労はない。目の前なので、時たま帰郷するが二階にこもってパソコン三昧のバカ息子(=わたし)も、それぐらいならぶらっと見に行ける。

感激したのは「虫」だった。農薬を使っている隣の畑も同じもの(キャベツを例とする)を作っている。それには近寄らない。なのに父の作っている無農薬野菜には群がるのである。ほんとに写真を撮っておきたかった。ウソみたいである。父の作っているキャベツにだけモンシロチョウが集合しているのだ。隣の畑の農薬漬け野菜には一匹もいない。彼らにとってはそれほど違うのだろう。
父の作るキャベツだけ穴だらけになる。青虫を捕るだけでたいへんである。それほど蝶々が群がっているのだから卵を山と産みつける。父は網を買ってきてキャベツを囲んだ。蝶々はそれでもやってきた。隣の畑に形のいい青々としたキャベツがずらりと並んでいる。そこには蝶々は一匹もいない。なのに網で囲み、近寄れないようになっているのに、父の作った武骨な形のキャベツには、網越しに蝶々が群がっていた。網があってキャベツを齧れないのに、それでも蝶々は何十匹も群がっていた。(ってことは、齧っての味覚ではなく、嗅覚ってことか。蝶々って鼻が利くんだ。)



餘談ながら、大正生まれの父はキャベツを「玉菜(たまな)」と言った。むかしはそうだった。キャベツが渡来したとき、真ん丸で玉のようになるから「玉のような野菜=たまな」としたのだろう。
まあこういうのは見た目からの和名だから、デモクラシーを民主としたり、プログレスを進歩と訳したりするよりは苦労はなかったろうが。

都会の若者には知らないひともいるだろうけど、キャベツってのは、べろーんと拡がっているんだ。それが実るにしたがい、拡がっていた葉がきゅっきゅっと起き上がって、ああいう玉になる。ぶよぶよした引き篭もりニートが、何かに目覚め、目元涼しい凛々しい青年になるみたいに。

さらに餘談ながら、むかしはみな「朝鮮漬け」と言った。今のキムチである。これは「韓国」による「朝鮮」というコトバの忌避イメージからこうなったのだろう。「韓国漬け」とは言わないもんな。今時のテレビ局は韓国漬けだけど。

NHK教育テレビの「韓国語講座」は、総聯(在日本朝鮮人総聯合会)に「朝鮮語講座にしろ」と講義され、変えようとした。たしかに「朝鮮語」であり「朝鮮民族」であり「朝鮮半島」なのだ。「朝鮮」が正しい。しかし今度は「在日本大韓民国民団(民団)が、「日本と国交があるのは大韓民国だ。北朝鮮とは国交がない。なのになぜ朝鮮にするのか」と講義してきた。これもこれでも一理ある。北朝鮮になにか言われる筋合いはないのだ。おろおろした結果、「ハングル講座」という意味不明のものになった。言うまでもなくハングルは文字の名であり語学の講座名には不適切である。

私も今、キャベツ、キムチと言っているが、これから頑固ジジイになるために、玉菜、朝鮮漬けと言うようにしようか(笑)。



さて本題。
無農薬野菜はキツいよ。特に軟弱な都会者にはね。

私は基本田舎者だけど、都会で20年暮らしてから、そういう父の作った野菜に接したので、味覚はすっかりスーパーのへなへな野菜になっていた。ひさしぶりにそれを喰ったとき異様におどろいた。味が濃いのだ。やがて懐かしさを感じる。「ああ、これが野菜なんだよな」と。

冒頭でmakichabinは「歯応え」と書いている。いい日本語だ。食に貧しいエゲレスに「歯応え」なんてしゃれたことばはあるのかな。調べる。あるわけない。「やわらかい」とか「かたい」とか直接的な表現だけだ。

無農薬野菜は、まず「固い」。キャベツや白菜は喰われてなるものかと割るのに苦労するほどだ。そして野菜の「香りが強い」。それを知っている基本田舎者の私なんかは「懐かしい」で済むけど、都会者は「臭い」とすら感じるかも知れない。固くて臭いが、その分、長時間煮こんだりしてもへたらない。旨味が増す。その辺が「生野菜サラダ」に向いているへなちょこ野菜とのちがいになる。本物の日本の田舎野菜は強すぎて「サラダ」には向いてない。ドレッシングかけてバリバリ喰えるのは、それ用のへなちょこ野菜だからなのだ。



印象的なエピソードがある。
母がそれを旧友に送っていた。女学校時代の、いまは東京に住む友人である。老齢の父の手作り野菜であるから数はない。だからキャベツ一個を宅配便で送ったりする。かなりヘンだ。受けとった方も戸惑ったろう。でも母には勝算があった。

すると着いたその日に電話が来る。「感激したわぁ。これよこれよ、これが本物の野菜よ。娘時代を思い出したわ」と。それはそれはもうキャベツ一個ではすまない感謝だった。とはいえ作ったのは父で母は手を貸していないのだが。
あまりひとには感謝しないが感謝されることが大好きな母はそれに味を占め、毎年キャベツ宅配便を連発していた。友人は社長夫人だったりするからキャベツ何百個分の三越や高島屋包装紙の返礼が届く。それを期待していたわけではあるまいが。そういや、私が大学に入るときに保証人になってもらったりした中小企業のそれら金持ちも、この不景気でみな潰れてしまった。いまどうしているのだろう。

印象的なエピソードとはそれではない。これからの話。
親しくなった編集者がいた。私と同い年だった。都会生まれ都会育ちである。彼がよく無農薬野菜やむかしの野菜の美味さを語っていた。まあそういう方面の論客とでも言うのか。いやちがうな、そういうスタンスをかっこいいと思っていたのだろう。ちょっとアサヒ系のひとだった。

母のそれを見た私は、私も母のように感激と感謝をもらおうと、田舎に戻ったとき、父からキャベツをもらい、その編集者に宅配便で送ったのである。
彼が食べた頃を見はからい編集部を訪れた。「どうだった?」と聞く。母が旧友からもらったような感謝感激懐古のコトバが連発されると期待した。だって彼は無農薬のむかしの野菜を絶讃していたのだから。

しかし彼は口篭もり、「うん、まあ」とかなんとかごまかしている。気まずそうだった。一瞬で理解した。笑いそうになったがこらえた。うまくなかったのだ。というより、「思っていたモノとちがっていた」のである。

冒頭のmakichabinのツイートにあるように、世の風潮に流され、彼は「無農薬野菜はおいしい。一口食べたらわかる。農薬におかされた野菜とはぜんぜん違う。無農薬野菜を食べたら、農薬漬けの野菜なんて食べられない」と、リクツで語っていただけなのだ。当然「昔の野菜はおいしかった」も、そこから創りだした幻想になる。こどものころに食べたむかしの野菜は確かにおいしかったのだが、彼が現実においしいと思っているのは、それから何十年も食べつづけている「いまの農薬漬けの野菜の味」だったのである。

母の旧友は田舎者である。子供の頃から食べてきた、さて昭和のどれぐらいまでそれがあったのかわからないが、無農薬野菜の味を躰が覚えていた。だから食べたらすぐに甦ってきた。味は郷愁を呼ぶ。一気に半世紀前の女学校時代に飛んだろう。
しかし都会育ちの三十代であり、水に浸けられて旨味の流れでたあのトンカツに添えられる千切りキャベツあたりを野菜と思っていた彼には、私の送ったキャベツは、固くて臭くて異様なものにすぎなかった。



毎度の喩えになるが、果汁0、果汁10%の飲物で育ったひとが、「これが本物のジュース」と果汁100%を飲まされて、誰もが「全然違う、おいしい、これが本物か!」と感激するとは限らないのである。「ファンタがいい」と言うひとは必ずいよう。それと同じだ。「無農薬」にかってな幻想を抱いてはならない。今の時代、無農薬野菜は決して「慣れ親しんだ味」ではないのだから。

強調しておきたいのは、上記「父の作ったキャベツ」は、昭和の話ということである。すでに昭和の時代に私と同い年だった東京育ちの編集者は、本物キャベツになじめないでいる。平成の今、温室育ちの骨抜き野菜しか知らない若者が、あのゴツゴツした無農薬野菜の味に馴染めるはずがない。

玄米はうまくない。精米した白米のほうがうまい。でも玄米食のひとは、まずくても健康のためにそれを選ぶ。栄養のある部分をみな削ぎおとしてしまったのが白米だから、それは理に適っている。(ここでまた「玄米はうまいよ。あんた、それを知らないだけだよ」と言いだす玄米主義者もいそうだが、それの相手はしない。)

無農薬野菜はうまい。太陽と大地の養分で育っている。でもヘナヘナ生野菜サラダに慣れた若者には、とっつきにくい味だ。それは確認しておきたい。

田舎を訪ねたタレントが、野菜をもぎとって食べさせてもらい、「甘いですね。これだけで食べられます。いつものスーパーのとはぜんぜん違いますよ!」なんてやっている。ああいうウソっぽい讃歌はやめたほうがいい。その点、makichabinのツイートにあったタレント?の発言は正直ですばらしいと思う。

本題はここで終り。以下、脱線しての与太話。


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次いで、酒の話。ラベルについて。

学生時代、私なんかの飲めるのはサントリーレッドとかブラックニッカとかウヰスキー以前の粗悪なシロモノだった。せいぜい白(サントリーホワイト)だった。しかしまずかった。私は大嫌いだった。本能でまずいと判断していた。それでもウイスキーはオシャレという時代感覚があったので無理して飲み、悪酔いしてますます嫌いになった。サイトの酒歴に書いているが、それ以降、私は三十代後半にロイヤルサルート(シーバスの21年モノ)を飲んで、「ウイスキーってのはこんなにうまかったのか!」と驚愕するまでずっとウイスキー嫌いだった。

貧乏学生のくせにウイスキーのうんちくを語るイヤミなヤツがいた。現実に飲めるのは私と同じレッドとかブラック程度だったが、言うのはオールドパーやジョニ黒のことばかりだった。そいつが毎日それを飲んでいるのならそれでいいが、一、二度飲んだだけのそれを礼讃し、ふだんはそれじゃ意味がない。

若いひとには信じがたいことであろうが、当時はジョニ黒やオールドパーはサイドボードに恭しく鎮座していて、盆と正月に一杯だけ飲む、というような特別な存在だった。飾り物である(笑)。誰でも簡単に安い値段で飲めるいまでは信じられないことだが。



サントリーオールドを無理して買った。つまらんウイスキーだが当時は銀座でもメインを張っていた人気ブランドだった。サントリーの酒列は、トリス、レッド、ホワイト、角瓶、オールド、ロイヤルだから、格としてはずいぶん上になる。

ウヰスキー嫌いの私は「もしかしたら」と思った。安ウヰスキーだから不味いのであって、日本中のウヰスキー党に支持されているオールドならうまいのではないかと。
やはりまずかった。そこで「ウイスキーはまずい。もしもうまいとしても、おれには合わない」と結論した。当時のサントリーのウイスキーがまずかっただけなのだが……。それからロイヤルサルートに出会うまでの長い年月。

もったいないからとりあえず空けた。オールドは学生には背伸びして買う酒だった。サントリーレッドやブラックニッカが500円、ホワイトが千円、角瓶が1500円、オールドが2200円ぐらいの時代。
まずくて飲めないままになっているレッドをオールドの瓶に移し、レッドの瓶を捨てた。一度やってみたいイタズラがあった。

上記、うんちくイヤミがやってきた。棚にあるオールドが飲みたそうだ。本物のオールドならこんなヤツに飲ませないが、中身はレッドだからふるまった。
一口飲んでヤツが言った。「うまいね、ぜんぜんちがうね。やっぱオールドはちがうよ。これ飲んだらもうレッドなんか飲めないな」



野菜でも米でも酒でも、言いたいことはいっぱいある。それが正鵠を射ている自信もある。でもなんかね、一歩まちがうと同じ穴の貉になるからやめとこう。

テレビを見ないのでmakichabinのツイートに出て来る井の頭線だか井手らっきゃだかはまったく知らないが、彼のそういう形の「本音」は大事だ。断じて幻想で持ちあげてはならない。

福島を誹謗中傷するヤツラに、福島の野菜と西日本の野菜のラベルを逆にして喰わしてみたい。何を言うかは想像できる。福島ラベルのついた西日本の野菜を食いつつ、「ああ、ダメだ福島は。すぐわかる。放射能で味がピリピリする」なんて言うだろう(笑)。あいつらのレベルなんてそんなものだ。
今夜はいわき市の地酒でも飲むか。がんばれ福島!
  1. 2012/11/21(水) 10:05:33|
  2. 飲食
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「社長島耕作」の解散預言はヒットかチョンボか!?

昨日は寒かったなあ。今年は厳冬になりそうな気がする。
去年の日記を見ると、「そろそろこたつの用意をしないと」と11月末に初めて書いている。今年はもう11月始めに同じ事を書いている。冷えこむのが早い。暖房なしでいつまでがんばれるか。



今週号の「社長島耕作」が衆議院解散を描いている。島が、万亀会長や中国人として初のテコットの理事となった陳らと一緒に温泉でくつろいでいるとき、解散の報が届く。年内解散で選挙は1月4日としている。

弘兼さんは松下電器のPanasonic改名や三洋電機の買収等、現実よりも先走ることを誇りにしてきた。未来予測である。経済界の現実があとからついてきた。
もしも今回もバッチリだったら称賛を浴びたことだろう。

だが、11月16日解散、12月16日投票という衝撃的な現実の前には、「12月解散、1月選挙」は霞んでしまう。
とするとこれはチョンボなのか?



しかしまた、民主党が政権にしがみつき、何を言われようと満期の来年9月まで解散しなかったら、「1月解散という予測」は現実と乖離して笑いものになっていた。「島耕作」そのものの存在価値を落としていた。

とするなら、ほんのすこし時期がズレたが、大胆にも「解散」と予測して描いたのは大ヒットなのか。
そんなの触れずにいてもいいことだ。現実を知ってから追っ掛けで描いた方がミスがない。それを思いきって踏みこんだ。弘兼さんなりに情報を得て、自信を持っていたのだろう。やはりヒットなのか?
 
世間の評価はどうなのだろう。

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【追記】──選挙結果は先走り

 11月29日発売号ではもう選挙結果を出し、一足早く自民党(作品中では民自党)圧勝を報じていた。
  1. 2012/11/16(金) 06:43:42|
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訃報──森光子さん、三宅久之さん、桜井センリさん──年寄りは「すぐ死んじゃう」から、一緒にいる時間を大切に

14日は、森光子さん、15日に三宅久之さんの訃報があった。10日に亡くなっていた桜井センリさんの訃報が伝えられたのは12日だった。

森さんは、数年前にテレビで見たとき、よいよいになっていた。老人特有の、あのぷるぷる顫えるような感じである。話す内容はまともだったけど、ファンのためにももうテレビには出ないほうがいいと思った。「森さんはまだ元気です」とばかりにあれを晒すのは、ほんとに元気だったときを知っているファンに対して、むしろ残酷である。一緒にテレビを見ていた友人に、「これじゃ老人いじめだよ」と言ったのを覚えている。だからその死は意外ではない。すでに密葬が済んでいて、公表したのが14日だった。

つい先日、HDDレコーダに入っている「ドリームマッチ2007」(志村けんと三村が優勝した回)を見た。そのとき審査員を務め、ごくふつうに元気だから、このあと一気に老けたのだろう。とすると、享年92歳だから、87歳のときはまだ元気で、ぷるぷるふるえて痛々しいと感じたのが89歳頃になる。男なのに92歳までふつうに元気だった父を見ているので、その意味では女で、89歳のときによいよいになっていた女の森さんをあまり長命とは感じない。この辺は個人差だ。一族がみな70前に死んでいるひとから見たらとんでもない長生きだろうし。

追悼のビデオが、各局とも短く要を得てまとめられており、それが事前に準備されていたものであると判ることがかなしい。



三宅さんは、「たかじん」で、話すときに息があがってしまうのが目立ち、心配していた。現実はもっときつかったようで、近年はスタジオ入りも車イスだったのだとか。自分から身を引いて、今年春に引退していた。そのときにその車イスの話を明かしている。
私は、「ああいうかたは、引退したら一気に老けてしまうのではないか」と案じたが、パソコンに挑戦し、ブログ「三宅久之の小言幸兵衛」を始めて元気だった。突然の訃報を聞いておどろいた。森さんの場合は「ああ、やっぱり」だったけど、三宅さんは「えっ!」である。

ブログをリンクしたけど、やがてここをクリックしても繋がらなくなる。
いま、スタッフからの連絡でこんなのが表示されている。

miyake





















これの日附が11月10日だから、ほんの数日前。だから急逝だったのだろう。でも入院していたのか。知らなかった。

明日にもこれは「生前は……」との挨拶になり、やがて閉鎖される。その流れがさびしい。

支持していた安倍晋三が再び総理大臣になる日を見て欲しかった。『文藝春秋』に掲載された檄文「安倍待望論」は感動的だった。たかじんが復帰する日に、一日だけ三宅さんも復帰して欲しかった。合掌。



sakurai12日に桜井センリさんの孤独死が報じられていた。クレージーキャッツ好きとしては、その「孤独死」の部分にたまらないものを感じた。
(左の写真は中日スポーツより拝借しました。)

最初になくなったのは石橋エータローか。石橋さんはかなり早くクレージーキャッツを脱退して料理研究家に転じていたので、あまり思い込みはない。
と思いつつ念の為に確認すると、ハナ肇が1993年で最初、石橋さんは1994年で二番目だ。リーダーが最初だったか。
亡くなったのは当時私の住んでいた品川のすぐちかくの昭和大学病院。1994年の6月22日。日記を見るとなにをしていたか確認できる。石橋さんはタイのパタヤビーチに住んでいたので、最後が日本というのは意外だった。

竹越美代子との仲睦まじい夫婦であり、晩年のテレビ出演はほとんどがその「仲良し夫婦」だった安田が亡くなったのが1996年。
この三人が亡くなるのは立て続けだったイメージがある。クレージーキャッツファンには辛い時期だった。

ああ、人名に圧倒的に強いGoogle日本語入力が「やすだしん」を正しく変換できない。正しくは「安田」。
以前、「ますだきーとん」を変換できない時にショックを受けたが、今回も同じく、残念。益田喜頓は「バスター・キートン」から取った名前。谷啓の「ダニー・ケイ」と同じ。益田さんが亡くなったのも1993年だった。

浦沢直樹の「Masterキートン」を「バスター・キートン」のもじりだと知らないひともいる。

Google日本語入力は、検索で使われるコトバから辞書を作ってゆくから、安田伸も益田喜頓も検索対象になっていないということなのだろう。

それから植木等さんが亡くなるまでは間があった。2007年。
谷啓さんは自宅で転んでポックリだった。2010年。
このふたりはすんなり変換される。それだけ事件があたらしいのだ。

そして桜井さんが2012年。
ご存命なのは犬塚弘さんだけになった。

クレージーキャッツは全員がミュージシャンとして優れていたのがすごい。本物のミュージシャンだから当然だ。そこがドリフターズやドンキーカルテットとはちがう。時代が産みだしたものだから、今後もあんな奇蹟的なバンドが出ることはない。



桜井さんはナベプロのプロフィールだと1930年生まれの82歳。でもほんとは1924年生まれで88歳。

先日亡くなった大滝秀治さんは87歳。年はちかい。でも大滝さんが近年まで活躍していて、CMや、関根勤の物真似によって、若者も知っている老人だったのに対し、桜井さんは活躍時期がだいぶ前であり、引退して長いので、若い人は活躍期を知らない。

大滝さんが亡くなったとき、私は訃報としてここに書こうと思ったが、そういう若者にも人気のあるひとだから私なんかが書かなくてもいいやと思い直した。逆に、桜井さんの場合は、私みたいなのが書かねば、と思った。「おとなの漫画」から見ているファンとして見送らねばならない。

2009年の「内村さまぁ~ず」に、バカリズムがゲストで出たとき、「フリップの歴史」というのをやっていて、その始まりに「おとなの漫画」をあげていた。出演者(といってもクレージーだけだが)や構成者の名前をフリップに書いておき、手に持ち、読みあげるたびに一枚ずつ落として行くという、低予算の手抜き演出なのだが、子ども心にも妙に新鮮だったのを覚えている。現代フリップ藝の頂点にいるバカリズムによると、あれが日本のフリップ藝の始まりなのだとか。なるほど。



nakazaki中崎タツヤの傑作に、次のようなのがあった。マンガをことばで説明するのも不粋だが、まさかスキャンして掲載はできない。やりたいけど。
保管しているマンガの99%は〝自炊〟してしまったけど、中崎タツヤもいがらしみきおと並んで本のまま保存している数少ないひとになる。

──田舎町。老人たちと少年(小学校低学年)が仲よく遊んでいる。といっても、老人がこどもをかわいがるというまともなパターンではない。老人たちとこどもが同格の友人という架空設定の中崎ワールド。一緒に鬼ごっこをしたり隠れんぼをしたりする仲。同等。

ある日、少年がいきなり老人たちと遊ばなくなる。老人たちの何かに失望したらしい。家にこもってしまう。老人たちが家に押し掛けて、「なんで急に遊んでくれなくなったんだ。なあ、理由を聞かせてくれよ」と迫る。

しつこく問われた少年が哀しげに言う。「だっておまえたち、すぐ死んじゃうんだもの」
──
老人全員目が点になる、というオチ。

残酷だけど真実を突いていて、笑うのは不謹慎かと思いつつ、それでも笑ってしまうという傑作だった。
そうなのである、老人は「すぐ死んじゃう」のだ。昨日まであんなに元気だったのに、いきなり死んじゃうのだ。
大怪我をしてもまた元気になる若者とはちがう。老人は、昨日まで元気だったのに、今朝起こしに行ったら布団の中で死んでいたりするのである。



じいちゃんばあちゃん、とうさんかあさんが老齢のかたは、たいせつにしましょうね。すこしでも一緒にいる時間を作りましょう。だって、ほんと、年寄りはあっけなく、すぐ死んじゃうのだから。死んじゃったらもう生き返ってはくれないのだから。それが年寄りってもんです。

親はいつか死んじゃう、死んじゃった親は生き返らない。私はそれを、親が死ぬことで学んだ。私をずっと見守ってきてくれた親は、私が死ぬときも面倒を見てくれるものと思っていた。私が生きている限り、私の味方としてついていてくれると思っていた。だけど死んじゃった。私を残して死んじゃった。親のいない世界に取り残され、私は初めて、親が死んじゃったこと、私にはもう親がいないのだと知った。なのにそれからもしばらくは親が生き返るような気がして待っていた。だけど一度死んだ親はもう生き返らなかった。

みなさんは、「親は死んでしまうこと」「死んだ親はもう生き返らないこと」を、親が生きている内に学んでください。それだけで人生の充実はだいぶ変ります。

---------------

【附記】──「老人とこどもが同格で、一緒に鬼ごっこや隠れんぼをしたりする架空設定」と書いていて、「放射能から逃げるために西日本に疎開して、お世話になっている親切な農家のおじさんのところのこどもたちと、三角ベースをしたりする<きっこさん>」を連想して、噴いてしまった。「架空設定」と「老人とこども」は共通だ(笑)。
  1. 2012/11/16(金) 05:49:03|
  2. たかじん
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11月14日の党首討論を見る──野田首相、16日解散を明言──小沢さんがかわいそう?

14日、14時55分から党首討論があった。
NHKが1時間ほど中継したが、私はリアルタイムで見られなかった。終った直後、16時過ぎにインターネットの「衆議院テレビ」で見た。ここは映像も音声も鮮明で、YouTubeのように「加載待ち」もないし、快適に見られる。

ひとつ残念だったのは、この時にもう速報で「首相、16日解散を明言」と流れていたことだ。あれを知らず、野田安倍討論の生現場で知ったら、もっと衝撃は大きかったろう。なにしろ「解散期日を党首討論で明言は史上初」なのだから。

いやはや、安倍総裁が元気だ。自信に満ちている。たのもしい。以前より人間がひとまわり大きくなっている。挫折から立ち直り、体力に自信を持つと男はこんなにも変るものか。



「ウソつき」と呼ばれることを嫌う野田首相は、こどものころの思い出を語った。成績が下がって叱られると思いつつ通知表を見せたら、父は叱るどころか頭を撫でて誉めてくれた。それは通信欄に「あたまにバカがつくほどの正直者」という先生からのことばがあったからだ。

すべての新聞にいま出まわっているだろうこんな話も、活字では伝わらないニュアンスがある。直接見られてよかった。この話を聞いているとき、解散を決断してこの場に臨んでいることを確信した。実際、日教組輿石にそのことはもう伝えてあったらしい。輿石は「いま解散なんかしたら民主党は50人になってしまう」とびびって反対したらしいが、首相がそれを決断したらもうどうしようもない。

野田安倍の党首討論は興味深かった。ヤジがうるさくて興醒めだったが、「16日に解散してもいい」と行った瞬間、場内がどよめき、ヤジがやんだ。



野田安倍討論の後、小沢が出てふにゃふにゃしゃべっていたが、場内にはまだ衝撃の16日解散発言の餘韻が残っており、誰も聞いてないかのよう。あらためてこのひとの存在感の消失を思う。首相候補三人を呼びつけて幹事長が査定するという狂気の沙汰の時代、あの悪相と相俟って、独自の存在感を醸しだしていたものだが……。
確実にもう過去の人である。

そのあと公明党も登場したが、そんなものは見ない。消す。いま公明党の代表って誰だ? 池田犬作?



安倍総裁の後で小沢代表かすむ
 
 党首討論で、国民の生活が第一の小沢一郎代表が野田首相に初論戦を挑んだ。小沢氏が国会で質疑に立ったのは、民主党代表を務めていた08年11月の党首討論以来。

 ただ、首相が16日の衆院解散に言及して自民党の安倍晋三総裁と激論を交わした直後だったため、埋没感が漂う結果に

 小沢氏は、与野党議員の騒がしさが収まらない中で登場し、消費税増税を柱とした社会保障と税の一体改革をめぐる民主、自民、公明3党合意を念頭に「大きな政党の合意に他の党もついてこいというようなやり方は丁寧でない」と批判した。 (日刊スポーツ)



小沢氏増税批判も… 解散宣言直後で不発

 14日の党首討論に、小沢一郎氏が「国民の生活が第一」の代表として初めて臨んだ。ただ、野田佳彦首相が「16日衆院解散」を宣言した直後の登場となり、討論で存在感を示すことはできなかった。

 小沢氏は、民主党の平成21年衆院選マニフェスト(政権公約)に触れ、「野田首相が今の座にいられるのも、3年前のマニフェストに国民が期待を寄せた結果だ」などと述べ、マニフェストになかった消費税増税関連法を成立させた首相を批判した。

 前後に質問した自民党の安倍晋三総裁と公明党の山口那津男代表がそろって衆院解散に絞って質問した中で、小沢氏の質問は異色ではあった。

 しかし、党首討論は衆院解散で盛り上がったため、民主党の閣僚の一人は元代表の小沢氏に対し「何かかわいそうだったね。自民、公明のつなぎみたいだった」と同情を示した。(産經新聞)



夕方のニュースはそれ一色になった──と書きたいが、そうでもなかった。突然すぎて準備が間に合わなかったのだ。れいによってすでに取材済みの「行列の出来るラーメン屋」のようなのを流していたので消した。

深夜のニュース枠は充実していたと思われるが、私は就寝時間なので見ていない。

今朝は期待できるかと思ったら、亡くなっていた森光子の死が公表されたとかで、森光子追悼の番組が多かった。こちらはそろそろだということで用意してあったのだろう、とてもよくまとまっていた。私にとっての彼女は「時間ですよ」のおかみさんか。 当時もう50過ぎだがかわいらしいひとだった。ドリフとコントもできたし。



悪夢の民主党政権がやっと終る。 

自民党は第一党に復帰したら、また創価学会公明党と組むのだろうか。なにしろ創価学会票頼みで、「 小選挙区は自民党、比例は公明党」とやった前科がある。これって、とんでもないことである。まさに「そこまでやるか!?」だ。

宗教団体の票は、台風でも大雪でもゆるがない固定票だから頼りになる。浮動票は天候で動く。投票率による差は大きい。シンキロウだったか、「雨が降ったら寝ていて欲しい」と発言したことがあった。あとであれこれ弁明していたが、55年体制の時代、それは本音だったろう。雨が降ると投票率が落ち、固定票が強くなる。好天になると浮動層が投票に行くので、意外な結果になったりする。あたらしい時代のためには好天が望ましい。

大嫌いだけど、創価学会公明党のようなものがあってもしかたないと認めるとしても、ただ、あの党の感覚は、歴史観でも憲法に対しても、民主党にちかい。むしろ連立すべきは民主党なのだ。だから民主党時代に連立し、自民党と袂を分かつのが理想だったのだが、野党のままだった。民主党が勝ちすぎたからだ。その必要がなかった。公明党と組まねば過半数が取れないような状況だったら組んでいたろう。政策は近い。公明党も朝鮮大好きだから気が合うはずだ。

安倍総裁は憲法改正を旗標とする。なら護憲の公明党とは組めないはずだ。
自民党が200議席取ったとしても、公明党(=創価学会票)なしにはやってゆけないのか。
それを思うと憂鬱になる。
だから注目は、やはり「第三極」となるのだが……。
  1. 2012/11/15(木) 07:33:36|
  2. 小沢一郎
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Windows8体験記⑨──スタートメニュー復活らしいぞ(笑)──エクスプローラーを元にもどすフリーソフト


ウィンドウズ8、スタートメニュー復活か 部門トップ突然の辞任で観測強まる
2012.11.14 10:18


 ソフトウエア世界最大手、米マイクロソフトが、発売したばかりのパソコン向け最新基本ソフト(OS)「ウィンドウズ8」の設計を変更するのではないかとの観測が強まっている。歴代のウィンドウズに採用されてきた「スタートメニュー」が廃止されたことで、利用者から戸惑いの声が上がっていることに加え、同社のウィンドウズ事業部門トップが、最新版の発売後わずか半月で突然退職したことが憶測を呼んでいる。

 同社は12日、ウィンドウズ部門を率いてきたスティーブン・シノフスキー氏が辞任すると発表した。同氏はバルマー最高経営責任者(CEO)の後任候補の一人と目されてきた幹部。さらに辞任のタイミングが最新版を発売直後だったため、関係者の話題を集めている。13日の米紙USAトゥデー(電子版)によると、最新版からスタートメニューが消えたことで「どう操作すればよいのか」と、とまどう利用者が多いという。スタートメニューをなくしたのは、ウィンドウズの搭載ハードウエアが伝統的なパソコンから携帯端末に移行し、タッチパネル方式による操作が主流になるとしてシノフスキー氏が、社内を説得したためだという。

 これが不評だったことで同氏が解職されたとの見方が出ている。USAトゥデーは、シノフスキー氏の後任であるジュリー・ラーソングリーン氏が最新版の改修を指揮するのではないかとする関係者の見方を紹介している。

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/121114/biz12111410200002-n1.htm

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 笑った。ひとことで言うなら、「タッチパネルの時代だ」と先走ったお偉いさんが、キイボード派のユーザーの抗議でクビを切られたってことか。あとたった3年でタブレット端末はノートパソコンの生産量を追いぬくというのだから、確実にそういう時代は来るのだろうが、いまはまだ時期尚早。長年ウインドウズを使ってきたユーザーは、液晶画面を指で触るよりも、今まで通りキイボードから操作することを好んだことになる。というかタッチ対応の液晶ディスプレイがまだそんなに普及していない。私は買うつもりもないが。でもそういやDSだってそうなんだから、満更無縁でもないのか。

 すなおにミスを認めて修正するのはよいことだ。早く修正プログラムを出してくれ。ユーティリティソフトで以前のようスタートメニューを出すようにしているが、OSそのものが修正されるならそれに越したことはない。8のSP1てことか。楽しみだ。早くしてくれ。

●Windows8の使いにくいエクスプローラーを使いやすい元の形にもどすフリーソフト

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【追記】──11/15

 夜、MSからメールが来ていた。認証の時に「MSから8に関するメールを受けとる」にチェックを入れたのだったか。その内容が下記。
 あたらしいOSのあたらしいスタート画面が売りのはずなのに、自ら「それを使わず、変更することが出来ます」と、こうしてアピールしてくるのだから、いかに抗議が殺到しているか想像がつく。上記のよう、これを強引に押しすすめた偉いさんが責任を取って辞職するのも当然だろう。

 私は「5年ぶりの新作OSだったVista(nt.6)は失敗作。すぐにそれを改良した7(実質は7ではなくnt.6.1)が出た。それと同じく、8(nt.7だが、6と共有できるよう6.2にしている)は失敗作に終り、すぐに9(nt.7.1)が出るだろう。8は買わずに見送り、9を買うのが正解」と予測した。当たりそうである。失敗作の8を買ってしまったのですなおに歓べないが(笑)。

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               MSからのメール⇓


 win8start
  1. 2012/11/14(水) 11:19:24|
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「柿落葉」のうつくしさ──日本の晩秋



 友人のブログを読んでいたら、「落ち葉の季節だが、いまいちばん美しいのは柿落葉ではないか」との文言があった。
 柿落葉のうつくしさには感動して、写真を撮ったことがあったな、と思い出す。探してみた。あった。

Clip-It 家の庭。ファイル情報を見ると2001年とある。11年前か。このときのデジカメは富士フイルムのClip itか。私が初めてデジカメを買ったのは1997年の、このClip it DS20だった。いや、2001年にはもうオリンパスのCamediaに買い替えている。しかし写真の質はClip itのものだ。すると、スマートカードの容量を惜しんで低画質で撮っていたのか? そんなはずもないのだが。

 ともあれ大きさは640×480。保存には8MBのスマートカードを使っていた。いっぱい撮れたものだ。一枚が70kbとか、そんなものだった。

 いま使っているFine Pixは1枚が4MB以上になる。ポケットタイプのちいさなものだが1600万画素とか。保存には16GBのSDカードを使っている。
 16GBは16000MBか。8MBの2000倍。それが8MBスマートカードの10分の1以下の値段。いやはやなんとも。

 写真の価値は「その時間」だ。1600万画素の美麗なものより、その時を記録したClip itの画像がいとしい。だいじにしないと。



PB080002
























 秋の青空と柿落葉の赤の対比が絶妙。

PB080003
























PB080005

























 落ち葉も見事だが、柿は青葉もうつくしい。生命力に満ちている。
 思えば、庭中に果樹のある環境で育ててもらったんだなと親に感謝する。
 12月は父母の命日だ。一緒に暮らしたころを思い出して偲ぼう。

DSC00034

















  1. 2012/11/14(水) 08:59:25|
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さん、おでんの牛スジを食いつつ「太陽の党」を熱烈支持?──母子家庭育ちは慎太郎嫌い?

 ひさしぶりの「きっこネタ」。
 いつものよう早起きして、2ちゃんねるの「きっこスレ」を覗いたら、昨夜は「太陽の季節」と「おでんネタ」で盛りあがっていたようだ。早寝なので見すごしてしまった(笑)。
 とても興味深く、おもしろかった。そのスレのアドレスはここ。
 http://toro.2ch.net/test/read.cgi/news2/1350259410/

 これを貼っておけば以下のような「コピー引用」は必要ないんだけど、私のような2ちゃんねる下手は困る。こういうスレはすぐに満杯になり「過去ログにあります」になる。すると、有料なのか何かテクニックが必要なのか、いずれにせよ私には読めなくなってしまう。よって印象的なものをコピーさせていただく次第である。書きこんだかた、ご容赦ください。

 2ちゃんねるに限らず新聞記事のリンクも、みな読めなくなる。まあ新聞だって無限に載せているわけではないし、それをしたら年鑑が売れなくなる。1年ぐらいで消してしまうのは妥当だろう。このブログを始めたのは2005年だったが、1年以上前の文の記事リンクなんてみな切れている。それじゃリンクの意味がない。そのへんも考えないと。
 新聞記事をほぼ丸ごと貼るというのはルール違犯なのだろう。いつも忸怩たる思いに包まれるが、リンクで行けなくなるのなら、多少の違反はせざるをえない。 

============================================

 まずは「太陽の季節」と「太陽の党」の話。ピンク文字がきっこ発言。水色文字が投稿者の意見。無智なきっこがお粗末な発言で嗤われている。

377 :朝まで名無しさん:2012/11/13(火) 12:59:02.51 ID:0wHbU9D1
石原新党の名称は「太陽の党」だってさ。80歳になっても「弟の七光り」ですか?(笑) 
2012.11.12 22:05 


政党名は今日の夕方に発表される予定で、「太陽の党」はマスコミによるフライング報道。 
「きっこの日記」は三冊出版して何の賞も取っていない一方、 
石原慎太郎の「太陽の季節」は第1回文學界新人賞、翌年には芥川賞受賞。 


380 :朝まで名無しさん:2012/11/13(火) 16:57:47.49 ID:zkk9q8gq
>>377 
「太陽の季節」の著者がシンタローなのを知らないフシがある。 

>「太陽の塔」を作った岡本太郎は「芸術は爆発だ!」と叫んだが、 
>「太陽の党」を作った石原慎太郎は「原発は爆発だ!」と叫びそうだな。 

岡本太郎の元のコンセプトは「生命の塔」。 
(万博当時は存在していた)屋根を貫いてキツリツするその姿を見た小松左京が「太陽の季節」の有名シーンに準えて「太陽の塔」と名付けた。 

383 :朝まで名無しさん:2012/11/13(火) 18:20:14.78 ID:TEEfPe2Y
>>380 

弟の七光りってツイート、なんか違和感があると思ってたけど、 
慎太郎が作者だと知らないって説だと腑に落ちますねw 

384 :朝まで名無しさん:2012/11/13(火) 18:31:05.29 ID:ZA7KVR67
もしかして、「太陽にほえろ」からネーミングしたと思ってるのか? 
このじじい 

385 :朝まで名無しさん:2012/11/13(火) 19:22:06.11 ID:VgeN+uMO
そもそも「太陽の塔」のネーミング自体、石原慎太郎の「太陽の季節」から生まれたものだっての 

387 :朝まで名無しさん:2012/11/13(火) 19:48:25.16 ID:zkk9q8gq
>>348 
なるほど。 
「太陽の季節では裕次郎は脇役だよな・・・?」って疑問だったから腑に落ちたw 
「そもそも太陽の季節を知らない説」 
前にも「大したことのない小説家」って言ってたもんね 

389 :朝まで名無しさん:2012/11/13(火) 20:17:52.18 ID:1h5MRPVd
一応、慎太郎の太陽の季節をツイートしていたこともあったよ。 
でもその頃とは中の人が違うかも。 



 私も「弟の七光り」というのを読んで奇妙に感じた。テレビの「太陽にほえろ」から「太陽」を取ったという意味だろうが、「『太陽の季節』のほうがずっとずっと先だろ」と思った。私は裏番組のプロレスを見ていたので「太陽にほえろ」ってぜんぜん知らないんだけど。
 こういう書きかたをするってことは、<きっこさん>は、石原慎太郎の芥川賞受賞作「太陽の季節」を知らないということだ。

 が、病的に石原慎太郎を嫌う<きっこさん>は、過去にも「太陽の季節」に触れていたのではなかったか。私は観察歴が短いのでリアルタイムで読んだ記憶はないが。
 検索してみたら、けっこう書いているようだ。

 とすると、「中のひとが変った」が正解なのだろう。



 私は20年以上前から「母子家庭育ちは慎太郎嫌い」というのが気になっていた。私の周囲の、親戚の男から旧友まで、母子家庭育ちのひとが異様に慎太郎嫌いなのである。いまのところ、20人ほどの例で、慎太郎好きはひとりしかない。
 なぜなのだろう。彼の「頑固親父ぶり」が、父のいない家庭で育ったひとの「嫌いな父親像」に合致するのだろうか。ずいぶん前からそれに興味を持ち、いずれブログネタにしようと思っていたころ、「ネット上の母子家庭育ち有名人」の<きっこさん>もそうだと知った。もうすこし「慎太郎好きの母子家庭育ち」の例が集まったら書いてみようと思っている。

 よって私の知る限り、政治信条をべつにして、「異様な慎太郎嫌い」の基本は、母子家庭育ちとオカマである。
 オカマの場合はわかる。慎太郎さんはハッキリそれを否定しているからだ。「毎日のようにテレビにあんなの(と慎太郎さんは言う)が出ている国はね、日本だけですよ。異常です」と何度も口にしている。存在を否定されたら誰だって反撥する。母子家庭育ちのオカマである<きっこさん>が慎太郎嫌いなのは牛スジが通っている。いやまだ牛スジの話じゃなかった、筋が通っている。
 でも<きっこさん>の「母子家庭育ち」は設定だからなぁ。存在しない「母さん」との話に感動して、「親孝行なきっこさんに惚れた」という石川喬司みたいなひともいる(笑)。
 

============================================
 

次ぎに、おでんとヴェジタリアンネタ。

379 :朝まで名無しさん:2012/11/13(火) 15:44:34.47 ID:1h5MRPVd
お昼はチャルメラのとんこつか。 
ベジタリアン設定なのに、豚骨? 


392 :朝まで名無しさん:2012/11/13(火) 23:44:18.47 ID:TEEfPe2Y
@kikko_no_blog: 具にもよると思うけど、おでんって意外とカロリーが低いんだね。ちくわぶ2個、すじ2個、大根2個、ボール3個、結び昆布3個、薩摩揚げ、はんぺん、ごぼう巻きを食べてお腹いっぱいなのに、 
計算してみたらインスタントラーメン1杯よりもカロリーが低かった。 


『すじ』って牛スジ??ベジタリアン設定は?? 

と思って調べてみたら、すじとは、関西では牛スジ、 
関東では魚のすり身みたいなの、とのこと。 

どちらにしても、 
西日本在住設定かベジタリアン設定のどちらかが破綻しますねw 

394 :朝まで名無しさん:2012/11/14(水) 00:23:38.60 ID:s3p46US+
>>392 
すじってそうなのか。 
西日本では、ちくわぶは入手困難。 
大きなスーパーならあるが、田舎設定だからなぁ。 
コンビニおでんには入ってないよ。 



「あたしは自分で殺せるものしか食べない。魚は殺せるから食べる。自分で殺せない豚や牛は食べない」と言い、畜産業まで否定した<きっこさん>が「とんこつラーメン」喰っちゃいけないよなあ。しかし何年か前までは豚も牛も喰っていたひとが、趣旨替えで喰わなくなったからといって、育てるひとまで否定するってのは異常。まともなひとなら出来ない。現に私はいま四つ足動物を喰わず、スーパーでも肉売場が気味悪いので避けて通るほどだが、かつて喰っていたのだから、いま喰うひとを批難はできない。私がいま肉を食わない理由も、<きっこさん>とほぼ同じなので、よけいにそう感じる。

 ヴェジタリアンもイスラム教徒もそうだけど、肉を拒む場合、スープも同じだ。そりゃそうだよね、肉の塊も、それを煮こんでとったスープも同じだもの。とんこつラーメンの具に入れるのが野菜だけだったとしても、スープは豚で作ってある。豚を喰わないひとがとんこつラーメンを食うのは矛盾だ。もっとも彼の場合、あらゆることが矛盾しているから、そんなの取りあげていたら切りがないが。

 西日本のどこにいる設定なのか、ちくわぶを買うのはたいへんだろう。そして、西日本なら「すじ」は「牛スジ」になる。牛のアキレス腱を煮こんだものだ。関西の牛馬の解体を生業としていたひとたちが、それまで捨てていた固くて喰えない部分をなんとか喰えないかと考慮して考えだした珍味。私は食べない。関西人に「おでんに牛スジはかかせませんね」と同意を求められると困る。私もちくわぶを強要しないから牛のアキレス腱の煮込みを強要しないでくれ。日本は広いな。
 関東の「すじ」なら魚だから筋は通るが、そうなると今度は「西日本疎開設定」が揺らぐ。西日本設定なら「ちくわぶ」がたいへんだ。揺らぐも何ももうとっくに崩壊しているか。というか崩壊以前に構築されていないか。

 ひさびさにおもしろかった。これは<きっこさん>にとってヒットかな。いやボロか(笑)。 
  1. 2012/11/14(水) 07:26:33|
  2. きっこ
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Key Hole TVって終ったの?──アクセス激減におどろく

keyhole Key Hole TVを知ったのはいつだったろう。2年前ぐらいか。もうすこし前かな。どこかに初めて知った日の感動を書いているはずだ。探してみよう。

 私の生活は、午後9時就寝、午前3時起床。すぐにPCに向かい、朝の5時半に「みのもんた」をつけて一服することが多かった。これを見ると、昨日なにがあったかがほぼ掴めた。大ネタは「8時またぎ」という7時半から8時過ぎにかけてやる。それでもその大ネタや特別ゲストは5時半にわかる。

 それがつい先日の安倍自民党総裁生出演のような場合だったら、あらためて7時半になってから見る。
 でもだいたいにおいて何もなく、特に私は殺人事件のような世間的なことや、サッカー、野球というメジャースポーツに興味がないので、政治的大事件がないことを確認し、5時半から20分ぐらい見て、またPCにもどることが多かった。

 そんなときにこれを知った。映りがわるく観賞には耐えないのだが、そういう情報を得るためという私の用途にはあっていた。これで十分だった。

 そのころツイッターを始めたのだったか。アメリカ在住のかたとやりとりして、あちらでこのKeyHole TVで日本のテレビ番組を見ている、とても便利だと聞いて、役立っているんだなあと感激した。そりゃアメリカで日本のテレビ番組が日本と同じように見られたらうれしい。



 いまWikipediaを引いてみると、始まりは「地デジ」に関係しているらしい。
 アナログ放送は2011年の7月24日に終了し、私はそれから3カ月ほどテレビを見られない、いわゆる「地デジ難民」になる。すでにそのころKey Hole TVを知っていたが、テレビのない生活のとき、これに助けてもらったことはない。

 理由は、あまりに映りが悪かったからだ。画面が停止して音だけ聞こえるというようなことも多い。テレビがあるならそれもいい。テレビを点けて見るかどうかの試してとして利用するのなら。

 しかし地デジ対応テレビがなく、テレビが見られない環境にいる状況で、ちいさな画面で画質がわるいのに、さらには映像が乱れ、ストップし、音声だけになったりするのを見るのはつらい。あまりに惨めである。難民が気高く生きるには、自分が難民であると自覚しない環境にいることが大事だ。だから見なかった。



 やがてテレビのある生活に復帰したが、その間に吹っ切れたのか(韻を踏んでるね)テレビを見なくなってしまった。「みのもんた」とも縁遠くなった。

 先日の安倍総裁生出演を見られたのはまったくの偶然だった。あれはうれしかった。だってあの温厚なひとが、大学認可取消しで話題になっているタナカマキコについて問われ、「尋常なひとではないんです。私は今まで彼女を誉めるひとにひとりも会ったことがありません」と言いきったのだ(笑)。みのが苦笑する。私も思わず声を出して笑った。こういうのに出会うからたまのテレビも楽しい。アンテナは張っていなければならない。



 今朝Win8を使っていて、「そういや7に挿れているKey Hole TVを8には挿れてないな」と思いつき、インストールしてみた。
 そして出たのが上の一覧である。

 かつて愛用していたときは、NHKから民放まで全局があった。それらがアクセス数600とか800でトップを争っていた。それこそ大阪や東北のテレビ局まであり、日曜の午後、私は東北のテレビ局を開いて「たかじん」を見たことがあった。スクロールしないと全部の局が見えなかった。なのに今回は1画面で十分だった。

 今回一覧に有るメジャー局はTBSだけ。それもたった200。そもそもアクセスしているひとがほとんどいない。あとは、ほとんどはラジオ局だ。かつて、と言ってもほんの1年前だ──の盛況を知っている身には信じがたい状況だった。
 どういうことなのだろう。Key Hole TVは役目を完了したということか。それとも放映の権利ウンヌンで規制されて落ち目なのか。そっちは疎いので現状が理解できない。

 私はKey Hole TVがなくても平気だけど、外国で、これで日本のテレビ番組を見るのを楽しみにしていたひとには、残念なことだろうなあと思った。私もまた、外国でこれを利用させてもらおうと思っていたから、意外な流れに落胆している。

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【追記】──ガラケーのワンセグ──2013/4/15

 ということで、ここのところずっとご無沙汰していたガラケーのワンセグを見ることが増えてきた。
 上記のよう、一息吐いた朝の6時頃、デスクトップ機をいじりながら、ガラケーのテレビを点ける。Keyhole TVのように東京では見られない民放が見られるような便利さはないけれど、平日のみのもんたや、日曜の「新報道2001」をチェックするには充分だ。Keyholeと比べると、ガラケーの映像は抜群にきれいだ。当面はこれで行くしかない。
 しかしKeyhole TVってどうなったのだろう。気になる。 
  1. 2012/11/13(火) 09:16:09|
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Windows8体験記⑧──8のいいところを探してみた

ここまでで確認したタッチパネル機能以外で8がいいなあと思う点。

・私はデュアルディスプレイ使用なのだが、タスクバーが2画面とも出るので便利。
 これはまあほんとに些細なことだが、タスクバーにソフトを登録し、スタートボタンもランチャーも使わない便利さに慣れた身には、2画面とも出るようになって見やすくなったのはうれしい。しかしこれを喜びとするひとは8ユーザーでもかなりすくないだろうなあ(笑)。

・假想ドライブに対応。
 今まではDaemonを始めとするソフト(私はMagic Diskを愛用)をインストールせねばならなかったが、その必要がなくなった。感心したのは、それらでは假想ドライブをいくつにするか初期設定するのだが、8のそれは、その必要もなく、isoファイルをクリックするだけで、可能な限りの假想ドライブを作って行く。 これにはおどろいた。そして「取りだし」すると、自然にそのドライブは消滅する。便利だ。そりゃまあ外部と違ってOSそのもののメーカーが作るのだからなんでも出来る。

 以前私は假想ドライブを4つ作り、そこにisoの辞書を置き、そこからのショートカットで辞書引きしていた。2000のころだ。そういう処理をせねばならない時代だった。さいわいにしてフリーソフトがあったが、この時期、私は数万円してもためらわずそれを買ったろう。それほど世話になった必須ソフトだった。

 その時代のOSにこの機能を載せてきたら、私は「これだけでも8にする価値がある」なんて絶讃していたと思う。ところが時代は代わり、そんなことをしなくても今は、ひとつの辞書をインストールして複数の辞書を引けるし、ATOKなんて、國語、類語はもちろん和英英和、果てはトレンド辞書、会社四季報まで連鎖で使える(もちろんそういうバージョンのATOKを買わねばならない)時代になっている。HDD大容量化の恩恵もあり、isoファイルと假想ドライブの利用価値、稀少度合はかなり落ちた。
 つまり、これまた「遅かりし由良之助」なのである。今ごろになってこれを充実させるなんて、いかにもMSではある。

 MSは、タブブラウザというすばらしいものが開発されても、ずっと背を向け、むしろ否定し、かたくなにIEをタブブラウザにしなかった。IEを利用したタブブラウザが出尽くしたころになって、やっと対応している。IEしか知らないひとはその便利さにおどろいたことだろうが、MSのそういう姿勢に愛想を尽かしてIEなど死んでもつかわんと10年以上前から縁を切っていた私などには、その「遅すぎる変節」は苦々しいものでしかなかった。今回のこれにもそれを感じる。だから確実に便利になったけど、正面から讃える気にはならない。これなどVistaで装備すべき機能だったろう。いかに遅れているか。いかに不親切か。

 もっとも私のようなのは、そういうふうにMSを嫌い、自分流のソフトを探し(出来るならそういう便利フリーソフトを提供する側になりたかったが)自分流のPCを構築することを楽しみにしてきたのだから──そこには同好の士との交友という楽しみもあった──利用者の快適さに対応しない傲慢高慢鈍牛MSのだらしなさは、それはそれで好ましかったのかも知れない。遊びのネタにしてきたとも言える。

 その辺が完璧なすばらしい世界を提供してくださる親方様に心酔し、親方様のおつくりになった機器を感謝しつつ使用させて頂いているマッカーとのちがいになる。マッカーは自分達が親方様に心酔しているから、窓使いのバカなんてのはあのビル・ゲイツに心酔しているのだろうと高笑いするのだが、そもそもそんな関係が生じていないのだ。私はどんなビル・ゲイツ嫌いのマッカーよりも彼を適確に辛辣に批判できる。茂木健一郎や雁屋哲が感情的にWindowsを否定し、喚き散らしているのを見ると、しみじみとマッカーってのはバカだと思う。
 ともあれこれは8になって進歩した点だ。

×mdfファイルに対応していない!
 と一応は誉めたのだが、いま、mdfファイルをマウントしようとしたら対応していない。つかえんやっちゃ。
 それでDaemonを挿れることにしたのだが、私の保っているファイル、バージョン4.5を8には対応していないと拒みやがった。困ったがDaemonサイトにゆくと8に対応した最新版の4.6がリリースされていた。助かった。ありがとう。
 これを挿れて無事mdfファイルをインストールした。
 Daemon4.46にはBaiduがついてくる。注意!

・スタートアップの管理がタスクマネージャから出来る。以前のmsconfigを起動するよりは早くて楽。

・タスクマネージャの進歩
 しかしこれはどうなんだろう。便利で多機能になったタスクマネージャだが、私はまだ使いこなせず戸惑っている。後々これは「絶讃」になるかも知れないが、いまのところ「よけいな機能がつきすぎて使いづらい」が正直なところだ。



 なにかまた思いついたらメモして行こう。ただ、Vistaから7のときはたちまちにして10コぐらい改良点美点を思いついたけど、8にはそれが見つからない。でもそれは7がそれだけ完成されたOSであり、8の最大の売りはタッチパネル対応ということだから、当然のようにも思う。

 8のグラフィックは淡い色合いになる。それが好きなひとにはいいだろうし、なかなか品があるなとも思う。一方で、なんだか軽すぎてしっくりこないとも感じる。私は好きな濃いめの色合いに設定した7がいい。

 いま8を使って書いている。なかなかに快適だ。しかしいじりすぎていて、2画面にタスクバーが表示されている以外、8らしさはなにもないのだけど(笑)。

---------------

 あ、ひとつ思いついた。

・8では、2画面ディスプレイの背景がそれぞれちがう。

 これは2画面を使っている身には、けっこう楽しい。目の前に景色が二つあるのだから。
 もしかしたら7でも出来るのかも知れない。そんなことに凝ったことがないので知らない。なにしろSolid Colorにすることが多く、夏場はあのクラシックの香り漂うWindows Blueにしたり、このあいだは真っ黒にしていた。やる気を出そうと真っ赤にしたこともあった。これはあまり落ちつかなくてよくないようだ(笑)。
 7でも出来るのかも知れないが私には出来なかった。8では、そういうことをしてくれと頼んだわけでもないのに、ふたつのディスプレイで異なった画が出ている。もちろんそれは私の指定した画だけど。それを1時間でスライドショーするようにしている。1時間でふたつの画面がサーッと変る様はなかなかに良い。
  1. 2012/11/13(火) 07:34:08|
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Windows8体験記⑦──8の価値がまったく見いだせない──iPad初体験記

8を購入して二週間以上過ぎた。7の64と8の64を交互に使っているが、いまだ8の魅力を見いだせないままでいる。
UIの使いにくいことが主な理由になる。スタートメニューを表示させるユーティリティソフトを挿れて、だいぶ使いやすくなったとはいえ、何かあった時には8のUIにゆかねばならない。それがもうどうにも苛つくことばかりなのだ。

さらにはここのところ速さも関係してきた。ただしこれはOSではなくSSDの問題だろう。7の入っているIntel530が絶好調なのに対し、8の入っているSilicon Powerはもたついている。もともとUIが使いづらくて苛立つのに、ソフトの起動までもたつくのだから8が嫌いになるわけだ。

そういうわけで、8を褒めたいのだが、なにひとつないという現状だ。
7が安定しているひとは買ってはなりません。無意味です。タッチパネル対応以外に利点はありません。



しかしタッチパネルってのも、スマートフォンやiPadぐらいまではいいとしても、 デスクトップ機の大型液晶でやるのはどうなんだろう。
スーパーのレジの液晶ならそれでいいが、私の場合、目の前の液晶ディスプレイは文章が表示される聖なる?場だ。そこを指で触る気にはなれないし、その必要もないし、指で触った場所に文字を打つ気にもなれない。

Power Pointでのプレゼンなんかには役立つOSだろう。だからタッチそのものを否定するわけではないけれど、私は自分のディスプレイがタッチ対応型だったとしても、文章を書くときに触れることはないように思う。むろんiPadのようなものを買ったらすなおにそれはするし、そのこと自体に抵抗があるわけではない。
いわば使い分けであり分別だ。文章を書く道具である今のPCに指で触れる機能をプラスする気にはなれない。



●iPad初体験記

今年の7月、友人のところでしばらくiPadをいじった。それなりにおもしろかったけど、機種が低かったのか通信の問題なのか、反応が鈍くて遅く、しばらく遊んだ後、持参していたモバイルノートに切り替えた。すべてにおいて速さがぜんぜんちがう。特にあのソフトキイボードは苦手だ。あれで自分のメールアドレスを打つだけでいやになってしまった。文章を書くどころではない。外附けキイボードという手があるが、それはあれらの機種がもつ特性と反することになるだろう。なら最初からモバイルノートで十分となる。

その友人はもう10年以上も前から、パソコンをやらねばと思い、何台かを買い、学校まで通ったのに、どうしても使えないひとだった。そんなひともいる。なのに、iPadだけは使えたのだ。うれしそうにいじっていた。用途はエロサイトに行くだけらしいが(笑)、彼としては初めてパソコンを使いこなせたと鼻高々なのである。

そのとき思ったのだが、iPad的なものは、若者の使う最先端モバイルギアとしての一面はもちろんだが、むしろ彼とか、田舎のお年寄りのような、インターネットとやらをやってみたいが、むずかしくて出来ない、という層に受けるのではないか。

老父が生きていたら、私はiPadをプレゼントしていた。父はインターネットに興味を持っていた。教えようとしたことがある。だが接続から覚えさせるのはたいへんだと諦めた。腰を痛めていた父に、階段を上って二階の私のパソコンまで歩いてもらうのも気が引けた。父も、思ったよりもむずかしいと腰が引けたようでもあった。

iPadなら使いこなせたろう。70過ぎてから私にワープロを習い、見事に使いこなしたひとだ。iPadぐらい簡単だった。父は新聞を二紙取っていたが、物足りなそうだった。取っていない読売や日経の新聞サイトを見て歩くだけで、ずいぶんと充実した時間になったにちがいない。お茶の間のこたつに入ったまま使えるのもいい。当時は有線LANだから、ノートをもっていたけど、こたつで使わせるというわけにもゆかなかった。反応も遅かったし。
と書いて、iPadって偉大な発明なんだなと初めて思えた。

逆に私のようなあれこれ中身をいじりたい、自分だけのものにしたい、という者には完全に完成されたあの製品は縁遠いモノになる。



あたらしいモノ好きなので、そのうちiPad風の安物を一つ買ってあそんでみようとは思っている。めちゃくちゃ安いバッタモノも出ているし。先日、アキバオーのメール広告で安いのを見かけたときは発作的に買いそうになった。しかしなんとかそこで踏み止まった。
「これを買って、おまえはなにをやりたいのだ」と自分に問うた。私にはそれを買ってやりたいことはなにもないのだった。いま持っている機器で、すべて出来ている。

iPadの魅力は携帯性だろうが、いまのところそれはモバイルノートで事足りている。こたつにいるときも思いつくとノートを手に調べ物をするが、それが済むとすぐに閉じてしまう。私にはだらだらとインターネットとつきあう感覚がない。

文章書きの仕事をしていて、暇になると「さて、どこかに出かけてみよう。なにか探してみよう」と思うことがある。しかしべつに何も見たくないし、出かけたいサイトもないなあと、けっきょく何もしない。仕事をしているあいだには、Wikipediaで調べもものをしたり、不確かな記憶を検索で確認したり、インターネットのない生活は出来ないほど世話になっているが、かといって空いた時間にいそいそと出かけるほど興味のあるインターネット世界もないのである。ツイッターバカにもなりたくないし。
「Google急上昇ワード」も芸能人やスポーツ選手の名前ばかりで、新曲発表だとか離婚だとかのつまらない話題であることが見えている。関わる気になれない。

つまりはスリープにして本を読みだす。デスクトップ機のインターネットですら時間を持てあましているのだから、外出先でまで知りたい情報などそうもない。なにしろ外出しない(笑)。

やりたいことは今のデスクトップ機とモバイルノートでぜんぶ出来てしまっている。iPadもどき(私の買うのはAndroidになるだろう)を買うのなら、いままで出来なかったことをやりたい。なにかあるだろうか。たとえば「電車の中」だ。しかし、こんな私が電車の中のiPadで何を見るのだ……。



電車の中でひたすらスマートフォンを見詰めているひとは、いったい何を見ているのだろう、そんなにまでして見ねばならないものがあるのだろうか。ただし、私が勤め人であったなら、通勤電車の中でスマートフォンを見詰め続けるタイプであるのはまちがいない。機種は常に最新型だ。それは認めるのだが、それにしても、みんなは何をあんなに見詰めているのだろう。

先日、浅草の知りあいの店に出かけたとき、初めての場所だったから、しっかり調べて、地図を印刷して持っていったが、方向音痴なのでやっぱり迷った。地図を手に、「あれがこっちだから、こっちがあっちの方向になるのであり」と、何度やったことか。あのときスマートフォンが欲しいと思った。あれのナビがあれば私でも迷わない。私に必要なのはiPadよりはスマートフォンになる。でも本気でそれがしたいならガラケーでも出来る。電話機としてしか使ってないのがこんなことを言ってもしょうがない。

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タッチパネル方面にすこし脱線してしまったが、そんなわけで、8には魅力を感じないというお話。果たして、さすがは8!」と書く日は、来るや否や。
  1. 2012/11/12(月) 09:08:20|
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パソコン話──Claroってのも悪質ですなあ──拡張機能から削除できます

かってにToolbarとして鎮座したり、検索エンジンをかってに替えたりされると不愉快になる。
だいたいにおいてこういうのはフリーソフトを入れるときに附いてくるのだが、それはインストールの際に気をつければほとんど防げる。

しかし今回のClaroってのにはおどろいた。
私はChrome系のBrowserを愛用している。Iron、Coolnovo、ComodoDragon等。
それらの検索エンジンがいきなりぜんぶClaroってのになってしまった。 
いつ入ったんだろう。ちょっと記憶にない。



初歩的な知識だが、もしかしたらそれを知らず困っているひともいるかも知れないので、書いておきます。
Chrome系Browserの「設定」を開きます。 
「ツール」の「拡張機能」に行きます。
すると憶えがないのに、しっかりこのClaroってのが「有功」になっているでしょ?
このチェックを外し、隣のごみ箱アイコンをクリックして「削除」します。これで完了。

こいつが悪質なのは「設定」から「検索エンジン」を見ても、しっかりGoogleになっていて、変更されていないこと。私は最初「拡張機能」に行かず、この「検索エンジンの管理」で直せると思っていたから(例のBaiduなんかはここに来ますね)、ここがGoogleのままのときは戸惑った。

それにしてもこいつ、いつ、どこから浸入したのだろう。まったく不愉快である。

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ぐあ、Firefoxもやられていた。こちらは平然と「デフォルトの検索エンジン」になっている。削除する。 

アンインストールソフトに、私はYour UninstallerのProという有償版を使っている。いろんなものを挿れてはトラブルを起こしているアホなので、すぐれたアンインストールソフトは必須。いろいろ使ってみたが、いまはこれが気に入っている。
これを起動して本格的削除をする。レジストリも書きこんでいたようだ。削除にかなり時間が掛かった。
Supermodeで完全に消す。
なんとも悪質な浸入者だ。気をつけてください。



Your Uninstallerには無料版があります。レジストリまできれいにしてくれるのでお勧めです。

いま、Your UninstallerにはBabylonが附いてくることを確認しました。インストールの際、デフォルトでチェックが入ってるいので、それを外してください。本体には関係ないようなので、こういうのはダウンローダーの仕掛けなのでしょう。

そのまま挿れてしまって、Your Uninstallerの初仕事がBabylonの削除ってのも楽しいかも(笑)。

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【追記】──11/22

IEでしか受けつけないところがあって、しかたなくひさしぶりにIEを起動したら、いきなりホームページがClaroになっていた。いつ、どうやってイジるのだろう。IEのホームページがClaro Searchになっていた。

すぐに直したが、ここまで好き勝手にやられると、ほんと不愉快。
ただし、つい最近なったのではなく、上記のときと同じ日になったのだろうけど、IEを使わなかったので気づかなかった。

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【追記.2】──2013/3/14──いきなり開くClaroのページ

Chrome系ブラウザを起動したら、ホームページに設定しているiGoogle以外に、憎きClaroの検索ページが開いてくる。私はCrome、Iron、Comodo Dragon等を同期して使っているから全部がそうなる。なんとも不愉快。だがなぜこうなるのかわからない。「設定」を開き、「検索エンジンの管理」を見ても、以前削除したままだ。入っていない。

探しまくると、「起動時」のところの「特定の1つのページまたは複数のページを開く」の隣の「ページの設定」にちゃっかり入っていた。いったいどうやって入ったのだろう。不思議でならない。ともあれ、同じ事に悩んでいるかたはここから消してください。




 
  1. 2012/11/11(日) 07:11:00|
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生活雑記──「ひとりこたつ」到着──冬の準備完了

kotatsu 去年の厳冬期に、「来年はこれを買おう」と思った「ひとりこたつ」というのが今夜届いた。左の写真。27センチ四方なのでちいさい。これをデスクトップ機のしたにおいて使う予定。



 ところで、大嫌いな佐川急便(笑)がやってきたのは午後9時過ぎ。こんなに遅いのは私は初めて。
 昨日発送したと通販会社からメールが入っていたので、今日は近所のドラッグストアに行くときも、「この間に来たらまずいな」と気を遣ったりしたのだが、取り越し苦労だった。
「遅くにすいません。今日はこれからまだ20軒もあるんです」と言っていた。とすると22時過ぎ、23時過ぎの配達なんてのもあるのか。私は早朝だろうと深夜だろうとかまわないが、困るひともいるだろうに。なんでそういうことになるの? 運転手は朝の8時から働いていて、そうなの? 相変わらずよくわからん会社だ。



 脚もとの暖房には苦労している。こたつ大好きなんだから、冬場は「こたつにノート」で決まりのはずなのだが、自作デスクトップ機偏愛のPC人生なので、ノートじゃつまらんのである。なにをするにもデスクトップ機でないとイヤなのだ。

 病膏肓に入り、とうとうこの頃は長年厳禁にしてきた「デスクトップ機前での飲食」までするようになってしまった。これはやめたほうがいいのだが……。



 こたつテーブルで晩酌をし、マンガを読んだり録画しておいたテレビを見たりする習慣だった。小説の場合は、読んでいるときはとても楽しいのだが、酒を飲みつつだと翌日内容を覚えていない(笑)。けっきょく素面の時に読んだ箇所まで戻ることになる。まあ何度も楽しめてお得と居直ればいいのだが、「あの時間はいったいなんだったんだ」と思うと虚しい。

 マンガがいちばんいい。もちろん深刻じゃないものに限る。でももう「本の形のもの」は読み尽きた。私は宝物にしている本以外はみな〝自炊〟したので、「本として保っているマンガ」はすくない。「いがらしみきおの初期作品」とか、小林まことの猫マンガ「What's Michael」とか、そういう宝物以外はみな自炊してPCに収めてしまった。これはもうたっぷり保っている。150GBを越えているからかなりのものだ。まあマンガ好きとしては人後に落ちない。だいぶかたよっているが(笑)。

 全巻もっていた「ゴーマニズム」とか缺かさず買っていた『SAPIO』とかも捨てる前に自炊すればよかったと悔いるのだが、捨てる決断をしたときまだそういうスキャナーは出ていなかった。「ゴーマニズム」は、戦争論、台湾論、沖縄論、天皇論あたりを残して、みな処分してしまった。



 絶対厳禁だったPC前の飲食をやるようになってしまったのは、この「自炊マンガ」が関係している。こたつテーブルだと、それを見るのはThinkPadの12インチになる。私にはそれではちいさいのである。デスクトップ機の2台の23インチで読むのが楽しい。これだと二面あるからサブのほうで音楽を表示して流せる。映画をBGVとして流したりもする。

 こたつテーブルにもiPodやCDを再生できる機器を先日導入したのだが、とにかくもうなんでもできるデスクトップ機の魅力にはあらがいがたい。こたつテーブルでする、マンガ(ノートPC)、音楽(再生機)、BGV(テレビ)というのがデスクトップ機だと一台で出来てしまう。しかも操作が素速い。ノートのポインティングデバイス、テレビ用のリモコンと音楽再生機のリモコンの使い分けも、飲んでいるときでもあり、けっこうわずらわしい。その点、痒いところに手の届くように磨きあげた自分だけのデスクトップ機は快適だ。音楽再生にしてもiPodをこちゃこちゃいじってやるより、そりゃもうデスクトップ機の画面からの操作のほうがぜんぜん楽だ。ぜんぜんを肯定的に使うのにまだ抵抗があるが実験的にやってみた(笑)。ぜんぜん楽しくない。やっぱりやめよう。



 酒と肴の組合せが重要なように、酒とマンガの組合せもたいせつだ。たとえば春先のかつをを喰うとき、冬場に湯豆腐で日本酒をやるときは、さいとうプロの「鬼平」や「梅安」がいい。時代劇マンガが嵌る。ストレートウイスキーのときは、同じさいとうプロでもゴルゴになる。

 ここのところ焼酎を飲みつつ「空手小公子」を読んでいた。ビールのときは弘兼憲史が多い。

 先日読み返したが、あらためて能條の「月下の棋士」ってバカマンガだと思った。将棋好きとしてあんなのは容認できない。今度悪口を書いてやろう。



 shimesabaしかしさすがにまだかわいいかわいいデスクトップ機の前に湯豆腐の鍋を置いたことはない。
 でも先日、昆布締めしめ鯖と熱燗をやってしまった。PC前の刺身は初めてだった。うまかったなあ。こんなことをやっちゃいけないと思いつつ、このうまいしめ鯖と日本酒で「剣客商売」を読んでいると、果てしなく堕ちて行くようで(ようじゃなく実際堕ちてるか)、なんかそこには自虐的な快感もあった。おんなが堕ちて行くときもこんな感じなのだろうか。「ああ、あたしもついに、こんなことをするおんなになっちゃった」
 ここまで来ると、ディスプレイに鍋物の撥ねた液が着くのもさほど先のことでもあるまい。

 酔っ払って、たいせつなキイボードに酒を零して壊し、翌朝素面になったときしみじみと悔いるような日が来る気がする。PC歴30年、まだそれは一度もない。ないはずだ、だってPC前で飲食をしなかったのだから。
 せめてその悔いをすこしでも軽くするために、PC前で酒を飲むときは壊れてもいい安物キイボードを置くようにしよう。ここまで来たらもうこの流れは止められない気がする。だって、楽しいから。ならせめて、酒を飲むときは大切にしている東プレや富士通のキイボードは外して、壊れてもいい千円キイボードに替えよう。それぐらいは出来るはずだ。飲み始める前は素面なのだから。



 話もどって「ひとりこたつ」のこと。デスクトップ機の脚もとにおく暖房の話。
 電気アンカでは物足りなかった。寒かった。
 ハロゲンヒーターは熱すぎた。焦げそうになってスイッチを切ったり、寒くなってまた入れたり、落ちつけなかった。
 それで今年、この「ひとりこたつ」を買ってみた。

 上記、飲み食いの話を書いてしまったが、それはもちろんごく特殊な時間。ほとんどは午前3時から午後まで真面目なことをしている。これから冬。明け方の寒い時間にかじかんだ指でキイボードを敲くのが好きだ。暖房はいれない。毎年思うのだが、上半身も下半身も平気だ。悩むのは脚もとと指先である。昨年の今ごろは「指なし手袋」のことを書いている。百円ショップで買えるのだが、近所になく、けっきょく安い手袋を買ってきて、指先を切って使ってみた。まあ正直、手袋をしてキイボードを打つのは楽しくない。今年はやらないと思う。



deskheater こういうパネル型ヒーターを机のしたにおくのにも興味がある。売れているらしいから、会社で使っているひとも多いのか。一般にオフィスではどうしているのだろう。というかオフィスは全体暖房がまず入っているから、私には参考にはならない。

 小型のセラミックファンヒーターの愛用者も多いのだろうけど、私は音がうるさいのでファン型はダメ。デスクトップ機のファンですら極力減らして静音化しているのに、セラミックファンヒーターは使えない。

 冬が好きなのは、夏場だとそのデスクトップ機のファンをいくつも回転させねばならないのに対し、冬場はほとんどを停止させ、静音に出来ることもある。真冬のシンとした午前3時には、12センチファンひとつの音ですら気になる。電源を入れたデスクトップ機がほんのりとあったまってくる。それすらも冬場はいとしいのだ。季節の好き嫌いにすらデスクトップ機が関係している。

 寒い部屋の冷たい空気の中でも、脚もとさえ暖かくしておけば、白い息を吐き、かじかんだ手を擦り合わせつつキイボードを敲くのも、楽しい。ふつうのひとは楽しくないだろうなあ。とすると、たんなる変態か。いやなんかこう、寒い中で健気にがんばっている、って感じがいいんです(笑)。で、夜が明け、日当たりだけはいい部屋だから、10時ぐらいになるともうさんさんと日が差しこんで、真冬でもちっとも寒くなくなる。だからこそ午前3時から7時ぐらいまでの指先がかじかむ時間がたまらない。
 今はまだ暖房の要らない季節。これからが楽しみだ。



 いや、誤解のないようにきちんと書いておこう。
 私は秋、暖房も冷房もいらない今の季節がいちばん好きだ。四季の中で秋がいちばん好きだ。今年、特に強くそれを思った。
 なんで秋が好きなんだろうと考えたら、本を読んだり、音楽を作ったり、そういう方面でのやる気を起こさせてくれる気候が好きなんだと気づいた。その点、同じ暖房も冷房も要らない季節でも、春はのんびりしてしまって、創作に燃えるという感じはない。

 でも冷えこむ冬に、暖房なしでがんばるのも、けっこう好きだ。
 猛暑の夏にクーラーなしで、水風呂に入ったりしてがんばるのは、あんまり好きじゃない(笑)。
 夜明けの早い夏は、なんだか「なにもしない内に一日が過ぎてしまった」ようなのが多い。
 その点、秋の夜長は楽しい。
 とか言ってる内に夜が明けてしまった。
  1. 2012/11/11(日) 06:45:23|
  2. 佐川急便
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パソコン話──アクセス解析を見る──OSにAndroid、iPhoneの増加

ひさしぶりに「アクセス解析」というのを見てみた。ここのところアクセスが多くて、目立ちたくない私としてはこわいのである。まあ多いといっても「わたし的」に多いのであって、世間の人気ブログとかとはぜんぜん桁が違うのだけど。

そのページにある、この「接続してくるひとたちが何を使っているか」というのの分析を見るのが好きだ。



osbrowser











 私のブログにアクセスしてくるひとのOSとBrowserの分類。
やっと7がここまでのシェアになったかと7好きとしてはうれしい。といってもこれはあくまでもこのブログに対するものであって、世間とは関係ない。世間全体はどんな感じなのだろう。視聴率の原理と同じで、こんなものかな。
いや、Macを使ってMac礼讃のことを書いているブログなら、アクセスしてくるいちばん多いOSはMac-OSになるだろう。このOSとBrowserの分類はこのブログだけの傾向で一般的には無意味なのか。



Vista、7と来て、今は8まで出ているのに、まだXP使用者がこんなに多いのは、もうXPと離れて長い私には不思議な気がする。それはまた「XPで十分」ということの証明であり、儲けたいMSは困っていることだろう。私のようにあたらしいのが出たらすぐに飛びつくバカばかりではない。早くOSが無料の時代になって欲しい。

正規のVistaが出たのは2006年11月だが、私はもう試験版から使っていて、そのままVistaにしたから、XPは2005年に卒業している。もう7年だ。
VistaはXPとはまったく異なっていたから、新機能を確かめるのが楽しかったけど、失敗OSであり問題も山積していた。改良品の7は、ほんとによく出来ていた。私が7を好きになったのはVistaが不出来だったからでもある。
まだVistaのひともいるようだけど、以前から言ってるが、ここは奮発して7にしたほうがいい。7は90%はVistaと同じだけど、改良したその10%で、とんでもなく使いやすくなっている。むざむざMSに金を儲けさせてやる必要はないが、Vistaを7にすることは、それだけの価値があると思っている。



ほとんどのPCユーザーにとってOSとは「パソコンを買ったときについてくるもの」であり、この分析は、単にそれだけの話なのか。7が増えたのはそういうことなのだろう。「パソコンが古くなったので買い替えたら、あたらしいのには7が入っていた」であり、Vistaユーザーとは「まだパソコンが壊れないので古いのを使っている。それにはVistaが入っている」。それだけの話なのだろう。
そうなんだな、「7はいい。Vistaの不具合が修正されている」というのは、Vistaから7に替えた人のみがわかることであり、ずっとVistaを使っているひとは、べつになにも感じないのだ。「ウォシュレットは快適だ」というのは使ったひとの感覚であり、紙で拭いている人にそれを言っても通じないように。

しかしXPが入ってきた既製PCを今もそのまま使っているということは時代的にありえないだろう。とするとこのXPユーザーは私みたいな自作派で、意地でもXPを使っているひとなのだろうか。そこが不思議だ。

だって有名メーカーのパソコンを買ったとして、XPが入ってきたのは2006年の11月までだ。デスクトップ機であれノートであれ、最短でももうそれから6年経っている。全部が全部2006年購入ということもないだろうから、2003年とか2004年にXPのインストールされているPCを買ったというひともいるだろう。するともう8年も経っていることになる。それを今まで使っているとは考えがたい。ありえない。私は2008年に買ったVistaの入っているDellのノートをもう廃棄している。使い物にならないと。その前のXPが入ってきたノートが現役であるとは信じられない。信じられないが、もしかして、そうなのか!? ここにXPでアクセスしてくるひとって、そうなのだろうか。
自作派でOSはXPとこだわっている、と解釈したいが。



数日前、7の「XPモード」をやってみた。2009年に7が出たとき、珍しいモノ好きとして、その新機能を一度試しているが、さほど意味がないのですぐにやめた。そのとき私にはXPでしか動かない、使いたいソフトがなかったから。

ここのところまたDAWをやっている。秋になると本を読む量が増えたり、音楽を作ったりする時間が増えるのは不思議だ。「藝術の秋」は無理矢理作った言葉ではなく自然の発露なのだなと感心する。
Rolandの製品がXPにしか対応していず、私はHyperCanvasの音が好きなので、久々のXPモードとなった。

XPの画面を見ると、しみじみと懐かしい。7年前に別れた恋人との再会である。7とは比ぶべくもない質素なグラフィックを見ながら、「こんなのを使ってたんだなあ」と思う。それは本音。
が、ここに来るひとには未だにその「こんなの」を使っているひとがいっぱいいるんだから口のきき方に気をつけないと。
一方、Macからのアクセスはほとんどないようでほっとした。安心してマッカーの悪口が言える(笑)。

ひさしぶりに接したら、私はもうXPの使いかたを忘れていて戸惑うことが多かった。コントロールパネルの使いかたとかディバイスの管理とか、微妙にちがうのである。7に慣れているので戸惑う。それでも昔取った杵柄だから、いじっているうちに思い出す。するとそれは「XPを使っていたころ」に繋がるから、当時の出来事を思い出してほろ苦くもなった。使用OSもまた思い出である。「MS-Dos3.1」と書くだけで当時に飛ぶ。飛べる。



AndroidとiPhoneの多さでスマートフォンを思う。そんな時代なんだな。私はiPhone圧勝かと思っていたのだが、そうでもないようだ。いやこれもあくまでもこのブログに対するアクセスの話でしかないのだが。

ブラウザはIEがあまりに多いのでおどろく。でも今のIEは他のブラウザのいいところを取りいれて使いやすくなったらしいから悪口はやめよう。タブブラウザになっているのだから文句はない。私は使わないけど。

「その他」の中にひとりぐらいSafari使いがいて、マッカー批判を読んで気分を悪くしたりしているのだろう(笑)。



こんなアクセス分析なんてものを見ても何も感じないひともいれば、私のようにこれだけで果てしなくあれこれ書けるのもいる。世の中いろいろだ。ほんと、際限なくだらだらと書きそうなので、ここで締める。
  1. 2012/11/09(金) 13:33:44|
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アジアの10ヵ国に日本の好き嫌いを調査──2ヵ国以外は日本が大好き(笑)

nihonsuki















http://news.mynavi.jp/news/2012/11/07/089/index.html


>日本へ旅行に行きたいかと質問したところ、韓国、中国を除く8カ国では

>日本という国が好きかと尋ねたところ、韓国、中国を除く8カ国では

こんなんばっかし(笑)。

こんな調査結果見なくても、これらの国々で肌で感じて知っている。アジア人は「2ヵ国を除けば」総じて日本が大好きである。

でも、「日本はアジアの国々で嫌われている、憎まれている」というウソを垂れながしているアサヒシンブンの読者なんかのために、こんな調査や結果表示も必要なのだろう。 



大切なのは、シナ人や朝鮮人だって、感覚としては日本を嫌いではないということだ。こどものときから教科書で、あれだけ日本を憎むように教えこまれているのに、耳に入ってくる日本の音楽や手にする日本製商品から、素直に憧れる朝鮮人もいる。それがひととしての本能だろう。国がそれをやめれば、もっとなかよく出来るだろうに。

シナなんて、シナ人を殺戮し、婦女子を強姦し、さらには殺したシナ人を喰らう悪鬼の日本兵の映画を毎日流している。そこに英雄毛沢東軍がやってきて追っぱらってのハッピーエンド。人肉食をするシナ人の作った映画だから、日本兵も殺した相手の肝臓を喰ったりする。それはそれはひどいもの。そして正義の味方の毛沢東がなんとかっこいいことか。

こんなのをこどものときから毎日見て育ったシナ人が日本を好きになるわけがない。憎んで当然だ。朝鮮の教科書も同じく。つまりは政治主導なのである。



そしてまたこのクソみたいな映画を見ていつも思い出すのはハリウッドだ。
アメリカ原住民を悪鬼にして、やつらは自分達をヒーローにした映画を大量に作った。西部劇というこっけいなもので。
どこも同じなのである。

この2ヵ国に関して論じる気にすらならない。このごろそういう特集をしている『SAPIO』とか『WILL』なんかを読むことすら苦痛になってきた。触れたくない。考えたくない。それでも、好きになれるかもしれない国を政治でもって誘導され染められて憎んでいる彼らも、ある意味では被害者なのだとは覚えておきたい。

---------------

と言いつつ、これを言うと、せっかくここまで言ってきたことをぶちこわしにしてしまうが、現実にあの国に行くと、シナ人とは、しみじみと民族の差を感じる。

たとえば、列を守れず我先にと突っこむような気質は、日本人には理解できない。眉を顰める。
日本に来たシナ人の旅行客が旅館のものをぜんぶ持って行ってしまうのは有名だが(テレビまで持っていったのがいたらしい)、悪気はないのだ。彼らからすると日本人がホテルの歯ブラシを持ち帰るのと同じ感覚なのである。そしてまた貧乏でやるのではない。日本に旅行に来るぐらいの金持ちでも、そういう気質なのである。

たとえば、食事のとき、彼らは小骨等をぜんぶ床に吐きだして捨てる。あとで掃除するのだからそれでいいのだ。でもそれは日本人から見ると、とんでもなくきたならしい食いかたである。食慾が失せるほどの。
なにしろ日本人は、そういう食事の場でも、灰汁を掬って入れる容器、甲殻類の殻を入れる容器なども別々にしたりする。それすらも食事の楽しみ、美とする。しかしそれは彼らからしたら、「どうせ捨てるゴミなのに、なぜそんなことをするのだ」と理解不可能であろう。大陸的雑と島国根性的美観。これは相容れない。

假りにシナの政府が日本攻撃をやめ、なかよくしましょう政策をとって、日本人とシナ人がなかよくなったとしても、日本人が彼らのそういう行為ふるまいを好きになることはないだろう。

その点、「シナ人よりは朝鮮人とのほうがなかよくなれる」という持論に変わりはない。朝鮮人は義理堅いし、ともだちにもなれる。しかし彼らもまた烈しい性格だ。
豊臣秀吉を憎むところから連綿と続く日本に対する深い「恨」がある。隣国の不幸だ。これまた、なかよくなるのは現実的にむずかしい。 そこの部分を避けて通る友情はほんものではないからだ。もっとも世界中どこを見ても隣国同士は仲悪い(笑)。これは日本と朝鮮だけの不幸ではない。スコティッシュだってイングリッシュの悪口なら何時間でもしゃべる。

まあ日の丸に火を点けてわめきちらすような民族とはつきあいたくないわなあ。 
  1. 2012/11/09(金) 08:50:49|
  2. 朝鮮
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「私淑」の誤用──「居眠り磐音」篇

kotoba.gif 「私淑」ということばが誤用されていることに関してはサイトの「私淑と実家」にまとめてある。2006年の文だ。
 浅田次郎さんがすごい使いかたをしたので、それも附記した。

 先日、「居眠り磐音」( 佐伯康光)を読んでいたら、またすごいのが出てきた。
 武士が上司に隣にいる友人(それが浪人中の主人公磐音なのだが)を紹介するのに、彼がまちがいのない人物だと思ってもらえるよう言うのだ。「私は彼に私淑しております」と。

 サイトの「浅田次郎さんの私淑」に書いたが、浅田さんが「私淑」を同い年の仲間に使ったのでおどろいたわけだが、佐伯さんのもすごい、「私淑」を目の前にいるひとに対して使っている。まして時代は江戸だ。江戸時代にこんな「私淑」の使い方をするひとはいなかったと思うが……。



 ことばは世に連れて変ってゆくものであり、 元来の意味にこだわってもしょうがない。
「憮然はしょんぼりすることだ」と主張しても、くだらん強弁と思われるのが落ちだ。それこそ相手に(今どきの意味の)「憮然とされる」だろう。「なしくずしは少しずつ片づけて行くことだ。いいかげんの意味はない」「姑息は一時凌ぎのこと。卑怯という意味はない」なんてのも同じ。

 私淑している高島俊男先生も「ま、しかたないんじゃないの」と諦めているのだから、私もそれに従おうと思っているのだが、それでも三人の武士の会話で「私は彼に私淑しております」と出てきたときにはおどろいた。
 今時の「私淑」は本来の意味を離れ、浅田さんが使ったように「口には出さないが心の中では一目置いている」のような意味なのだろう。それは「私」の字から、「こっそり、ひっそり」という解釈と思われる。佐伯さんのは隣にいるひとに対して口にしているのだから、この解釈すらも越えている。

 こういうことにこだわるのは精神衛生上よくないので、なるべく考えないようにしよう。それしかない。



「『居眠り磐音』は『渡る世間は鬼ばかり』だ」という論文?を書こうと思っているのだが未だに書いてない。まあ書いても磐音ファンと渡鬼ファンに憎まれるだけで何の益もないが(笑)
 佐伯さんは時代劇作家として大成功したのだが、あれでいいのだろうか。なんだかかつての赤川次郎を見ているような気がする。
  1. 2012/11/08(木) 08:07:45|
  2. ことば
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将棋話──坂口安吾「九段」──大山康晴も安吾にかかると「生意気な若造」になってしまうという話──「若冠」について

Shogi.gif11月7日に「棋王戦トーナンメント 羽生対佐藤戦」があった。いちばん好きな棋士と二番目に好きな棋士の対戦なのでどちらを応援したらいいか迷う。ともに今年は絶好調だ。ふたりとも8割近い勝率を上げている。

8日、午前3時、いつものように起床して、どちらが勝ったのだろうと調べる。
主催している共同通信のサイトに行くが載っていない。
こんなときこそ2ちゃんねるだ。全国のマニアが集まるあそこは情報が早い。将棋板に行き、調べる。羽生応援スレに「羽生が勝った」との書きこみがあった。ガセかも知れないし、棋譜が載るまでは確信できないが、まあそんなことらしい。(7時24分、玲瓏で確認した。羽生の勝ち。情報を書きこんでくれたかた、疑ってすまん)

ほんとに勝ったなら、次は渡辺とのトーナメント決勝戦だ。そのあと敗者復活戦勝者とのほんとの決勝戦。なかなかおもしろいシステムになっている。うまく郷田棋王に挑戦できるだろうか。
2005年に森内に取られてから、だいぶ放れている。かつては11連覇していたタイトル。そろそろ取りもどしたい。

11月5日の王将リーグ戦では郷田に負けている。これもついさっき知った。勝率8割目前だったのに残念。2敗してしまったので王将挑戦は黄信号。挑戦者は深浦かなあ。
郷田は今年、羽生と2勝2敗。充実している。



匿名掲示板の2ちゃんねるの汚らしさは将棋板でも変らず、それぞれのファンが罵声を投げあっている。いやはやなんともすごいものだ。
特に今、羽生の記録が大山に迫り、タイトル獲得数では抜いたものだから、羽生ファンと大山ファンの罵りあいは凄絶だ(笑)。

昨年、渡辺が羽生から王座を奪ったときは、羽生が竜王戦に二度挑戦して失敗していることからも、「渡辺は羽生を超えた」となり、羽生ファン渡辺ファンの罵りあいが続いた。それは今年、羽生が王座を奪還したことで一息ついている。つまり「越えていない」ことが証明されたから。渡辺ファンはお気の毒。

羽生は「対渡辺戦略」を完了したのだろうか。ほんとにすごいひとである。木村が大山に抜かれたように、大山が中原に抜かれたように、中原が谷川に抜かれたように、谷川が羽生に抜かれたように、渡辺に抜かれた羽生は、大山が中原に対してそうだったように渡辺にだけは苦手意識を持ち、負け越したままかと覚悟したのだが……。
2011年は対渡辺戦は7戦して3勝4敗だった。2012年はここまで4勝1敗である。
とはいえまだ19勝20敗と一流棋士で唯一負け越している相手だ。早く勝ち越して欲しい。今期の内に逆転の可能性がある。



将棋ファン同士のすさまじい罵りあいを苦笑しつつ眺めていたら、アンチ大山のひとが、「坂口安吾が大山康晴について書いた文」をリンクしていた。辛辣な 内容で、投稿者は「安吾は大山をこう書いている。大山は小人物なのだ。ざまーみろ、大山ファン」と言いたいらしい。

行って、読んだ。不勉強にも私はこの「九段」という随筆を読んでいなかった。格別の安吾ファンではないが、主だったものは読んでいるつもりなので、将棋ファンとしてこれが未読だったことが恥ずかしかった。

このブログに来てくれた将棋ファンで、未読のかたはぜひ読んでください。大名人大山康晴も、年上の安吾の手に掛かると生意気な若造になってしまうのですね。場所の「九段」と将棋の「九段」が掛かった勘違い話。ウソのようなホント。感嘆しました。いい話です。

リンク先はこちら。「坂口安吾──九段」 

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●「じゃっかん」について──安吾の誤用?

ところでこの安吾の文章に「若冠二十五の大山」という表現がある。奇妙だ。
「若干」は「ほんのすこし」の意味。
「弱冠」は二十歳のこと。

「弱冠23歳にして」なんて書くと誤用と指摘される。「弱冠は二十歳のことだ」と。



そこいら中にあふれている誤用だが、近年で印象的なのに、強制引退に追いこまれた朝青龍が「ぼくはまだ若いから第二の人生でがんばります」という意味で、「まだ、じゃっかん28歳ですから」と言ったのに対し、不仲のやくみつるが「じゃっかんは二十歳のことだ」とワイドショーで指摘したことがある。思えばあのときなど朝から晩までワイドショーを見ていた。テレビを見ない今からすると遠い昔になる。

印象的だったというのは、朝青龍の誤用に関してではない。モンゴルからやってきて12年程度でそこまで日本語を使いこなせるのだ。誤用にはすぐに気づいたが、そんなのどうでもいいことだった。そんなちいさなことを「誤用だ」とテレビで得意気に言いなさんなと、やくみつるに対して不愉快になったのである。



安吾の時代は今の「弱冠」を「若冠」とも書いたのだろうか。いくつか辞書を引いたが載っていない。
ただしこの安吾の使いかたは前後の文章から判断して「まだ25歳の若者」という意味であるから、「じゃっかん」の誤用であることはまちがいない。

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【追記】──康晴と靖春

私にとって「やすはる」は大山名人の「康晴」だ。息子の名前にしたいぐらいいい名前だと思っている。
ここのところ仕事で「本田靖春」のことを書いていた。そのときそうなることは予測されたから気をつけていたのだが、一度だけ「本田康晴」とやってしまった。編集者に指摘されてすぐに直したが恥ずかしかった。こういう場合は「ほんだやすはる」を「本田靖春」と辞書登録してしまえばいいのだが、それをやらずに書いた失敗だった。

私はこれからも大山さんの名前は何度も書くだろうけど、本田さんのことを書くことはないだろうから、やがて「靖春」は遠いものになって行く。ならそんなまちがいも、いい思い出かと、いまは都合よく解釈している。
  1. 2012/11/08(木) 05:21:56|
  2. 将棋
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「田中眞紀子のアホを嗤う」「元気な安倍晋三讃歌」「野田総理の健康が心配」──の下書き

上記タイトルの内容を、ほぼ書きあげていたのに、下書きが消えてしまった。まことデジタル世界は怖い。
あらためて書き直すけど、いま再現する元気もないので、とりあえずその主だった内容のメモ。



・毎度お馴染み錯乱暴走おばはんの田中眞紀子が大学認可を取り消した。 

・田中眞紀子に「暴走老人」と揶揄された石原慎太郎が、国政復帰のあいさつで、「どうも、暴走老人です」と自己紹介したのは見事(笑)。

・野田総理、国会答弁で呂律がまわらない。2日連続。野次が飛ぶ。

・自民党安倍総裁、早朝のみのもんたの番組に出演して、田中眞紀子の性格を一刀両断。

・週刊誌で読んだ「野田総理、喫煙量増大」の話。



田中眞紀子のバカは毎度のこと。このひとは「凡人・軍人・変人」がピークだった。
私はこのひとを大臣にした野田総理の人事感覚がわからない。この総理の人事感覚の異常さはこれだけではない。このひとを「史上最悪の総理」と言う反原発の連中は多いが、私はそうは思わない。鳩山や菅のほうがよほどひどい。でも人事のひどさでは史上最悪だ。



安倍総裁がめちゃくちゃ元気。その源はFacebook。そこで活躍し、世の実状を知り、元気をもらっているようだ。これはすこし前の小沢にも通じる。三大新聞(笑)の時代は終ったとしみじみ思う。

安倍は、キツいことを言えないのが人柄の良さであり、政治家としては缺点でもあったのに、朝のワイドショーで田中眞紀子を「尋常なひとではないんです。私は、彼女を褒める人を一人も見たことがありません」と言いはなつほど強くなった。新薬が体調に自信を与え、Facebookでの支持が心に餘裕をもたせている。



ネット世界は、確実に「あたらしい時代」を切り開いた。その「あたらしい時代」の定義はひとそれぞれだろうが、小沢や安倍に自信を与えたのはまちがいなくその価値のひとつであろう。



週刊誌(ポストだったか現代だったか)が、野田総理の「喫煙量の増加」を記事にしていた。首相官邸では夫人から喫煙を禁じられていて、首相はヴェランダで喫っているのだとか。私はこういう恐妻家が嫌いだが、ただこの場合は、一国の宰相なのだから、隠れて喫うまえに禁煙して見ろよと思う。それすら出来ないのに宰相は無理だろう。以前もここに書いたが、「大の愛煙家だが首相時代は喫煙した」なんてのがかっこいい。首相を辞めて、国会議員を引退して、「これからは好きなだけ好きなタバコが吸えます」が望ましい。

あれこれストレスから喫煙量が倍増し、首相官邸ベランダのスタンド灰皿は吸い殻の山なのだとか。

このことや、ろれつがまわらないこととか、顔色、肌艶、目の輝き、客観的に見て、首相がへたっているのがわかる。



ここで反民主党の私は、「野田、ざまあみろ!」とか言うのが自然なのだろうが、とてもそんな気にはなれない。あの疲れた顔を見たら、「首相ってたいへんなんだな」と同情してしまう。野田首相は、出自はふつうのひとだ。父は自衛隊員という。政治家を夢見て、松下政経塾に入り、地盤看板カバン、なにひとつないのに、ここまで登りつめた。

そのひとがボロボロになっている。私には批難よりも同情が先に立ってしまう。
首相は激務だ。政治家にとっていちばん大切なモノ。それはまず体力である。次ぎに根性であり面の皮の厚さだ。 

私は野田首相のボロボロの顔を見て「たいへんだな」と思った。小渕さんのように死んでしまうのではないかと案じた。その点、あれほどひどい存在だったのに鳩山も菅もいけしゃあしゃあとしていた。いまもしている。面の皮はあちらのほうが厚い。
  1. 2012/11/06(火) 13:13:24|
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《内柴正人容疑者に対する都知事の見解を支持する》の補稿+「スッキリ」での勝谷誠彦の意見

 《内柴正人容疑者に対する石原都知事の見解を支持する》というのが「人気記事」になっているので、どうしたのかと思ったら、 Google急上昇ワードにも彼の名があり、そこから先日公判があったと知る。興味のない話題なので知らなかった。

 私が興味を持ち、書いたのは、「内柴のことで都知事を責めようとした記者に対して、都知事が『そう決めつけるのはまだ早いだろう』と言ったこと」であり、「内柴という柔道の金メダリストがコーチしている女子学生とセックスしたことが準強姦か合意かで裁判沙汰になっていること」には、まったく興味がない。そこのところを正しくご理解願いたい。



 内柴は、訴訟沙汰になっている教え子との一件があったあと、別の教え子の部屋を訪ねてセックスしたらしい。ふたりの女と2連発である。二番目の女も一時それを強姦だと訴えたが、自分の判断でその後取りさげた。でも家族は取りさげず闘えと今も言っている、のだとか。

 この娘は前々から内柴と関係があり、人前でも内柴とべたべたしていた、らしい。内柴が最初の娘の部屋にいるとき、誰かがドアを叩き、内柴は隠れ、うまくやりすごしたという話があった。ふたりが室内にいるとき第三者が訪ねてきている。準強姦か合意かに関わりのある重要場面だ。そのときドアを敲いたのがこの娘で、それはその女のところに内柴が行ったことへの嫉妬だったという。
 よって内柴は、このあたらしい娘とのコトが終った後、今までの女の機嫌を取るために、その女の部屋を訪れ、弁明の一戦に及んでいる。この娘は、最初の娘が裁判沙汰にしたとき、「わたしだって」と訴えたが、すぐに引っこめた。そりゃ前々からふたりの仲を周囲に知られているのだから当然だ。なんだかなあ、の世界である。

 女子柔道部という女の園に、金メダリストのかっこいいコーチ(私はそう思わないけど柔道をやっている娘から見たら彼はきっとそうなのだろう)が来たら、こんな問題は確実に起きる。そしてまたこのコーチが無類の女好きなのだ。柔道をやっている女は金メダリストの自分に憧れていると自負しているし、現においしい思いもしてきたのだろう。
 女子柔道部員19人に、男のコーチふたりの合計21人での合宿。九州から東京の八王子にやってきた。修学旅行のようなもの。その夜、みんなで大酒を飲んだあとに起きた事件だ。そりゃ起きるわ。



 この事件の時、あのデヴィ夫人が強烈な内柴擁護論をぶった。 
 それは内柴を「女子柔道部員憧れの金メダリスト」とし、女子学生のほうを「ふしだら」としたものだった。デヴィ夫人は、人気者の内柴がふしだらな女子学生にはめられた「冤罪」と解釈したようだった。彼女は、内柴より女子学生の躾と性のモラルを問うていた。

 これはデヴィ夫人のこの種の件に関する一貫した姿勢だ。
 たとえば、政治家の愛人が、政治家が汚職で逮捕されたりすると、じつはこんなイヤな男だったと金銭のことや性癖まで週刊誌で告白したりする。それに対して彼女は、「さんざん世話になっておきながら、落ち目になったからといって、そんなことを言いなさんな。女の風上にも置けない」と怒る。 私はそれを正しい倫理だと思っている。



 この事件に関しても「一面において」それは当て嵌まる。どうにもその「女子」のレベルが低い。この種のことに興味のない私からすると、「スポーツバカ男とスポーツバカ女の下半身事情」であり、じつにもうどうでもいいことになる。たまたま内柴が金メダリストなので大きな話題になったが、その辺のバカ大学では「ハンサムな指導者と、ふしだらな弟子」には、よくある出来事なのだろう。

 内柴のほうも無罪を勝ちとるために必死だから、どんどん露骨なことを証言している。
 酔いつぶれた娘をおぶってホテルに戻り、そこで事に及び、訴えられた。行為自体は認めており、問題は「無理やりか合意か」に絞られている。内柴は合意であることの証明として、二軒目の飲み屋であるカラオケ屋で、テーブルのしたにその娘がもぐりこみ、フェラチオをしてきたとまで語っている。今後もますますこのへんの暴露は露骨になって行くだろう。週刊誌はよろこびそうだ。

 強姦されたと一度は訴えたが今は取りさげた前々から関係があったとされるもうひとりの女の件でも、最初にフェラチオがあり、正常位からバックと体位を替えて励んだことまで証言したらしい。それらを語ることが「合意」の証明になるから、内柴ももう無実の証明のためなら恥も外聞もない。
 こうなると、「体位を色々替えることは合意なのか」なんてのまで論議の対象になりそうだ。すると、女のかたをもつ連中から、「強姦でも、体位をアレコレ替えることはあり得る」なんて意見も出て来るのだろう。
 でも女性上位で女が積極的に動いたら強姦ではないだろうけど。ほんと、もうどうでもいいや。



 事件が表ざたになったころ、去年の12月の『週刊ポスト』にこんな記事があったようだ。

九州看護福祉大学学長 内柴正人の「悪魔の性癖」語る

「まさかね、オリンピックで2度金メダルを獲ったアスリートがですよ。人間性がこれほど下劣なものだったとは、1万人に1人も想像できないでしょ。私が着任した時点ではそういう事実は確認できなかったんですから…」
そう語気を荒らげ憤るのは、九州看護福祉大学の二塚信学長だ。

 事件が起きてからこんなことを言うなら、コーチに起用する前にその「悪魔の性癖」とやらを調べろよ。女子学生ばかりの所に男のコーチを呼ぶんだ。預かっている娘達になにかあったらたいへんだろう。ほんのすこし調べれば「内柴は女癖が悪い。女子大生のコーチには向いてない」とわかったはずだ。 そもそもゴールドメダリストなんて、ただスポーツの一芸に秀でているだけで人格は関係ない。むしろ性慾は人並み以上で頭のわるい筋肉バカが多い。女の園にそんなのを抛りこんだ自分の責任を考えろ。

 なのにそこには触れず、ひたすら「ゴールドメダリストだから人格も立派だと思っていたのに、こんなことになってしまった。許せん」という路線でごまかそうとしている。「ゴールドメダリストだから人格も立派だと思っていた」自分の無知を恥じろ。
 9週間5吹くし大学(ATOKも変換したくないらしい。九州看護福祉大学)の学長は、なにを考えてこんな発言をしているのか。この言いかただと、おそらく「彼を起用したのは私の前任者です。私が雇ったわけではありません」という逃げなのだろう。ひどい教育者である。

※ 

 私が昨年12月11日に書いた前記の文章は、「鬼畜の内柴を石原都知事が擁護」し、さらには、その都知事のとんでもない内柴擁護を、全面支持している意見として興味を引いているらしい。

 都知事の発言の真意は、「罪が確定してもいないのに決めつけるのは早すぎないか」であり、それは、内柴のことを石原の落ち度にして責めようとしたアサヒシンブン的なものに対する反論だった。このとき絡んだ記者がアサヒかマイニチか共同通信か覚えていないが。

 都知事は内柴を罪人として断罪するのは時期尚早とした。私はその考えを支持した。
 都知事の意見は、極めて真っ当だが、そこにはそのことを自分への攻撃材料にしようとする赤新聞に対する牽制もあった。



 デヴィ夫人は、「あれは冤罪。内柴はむしろ被害者」という解釈だった。
 石原都知事は、「まだ裁判で罪が確定していないのに犯罪者扱いするのは早いだろう」であり、私が賛同したのも、この「まだ早いだろう」である。



 文中で内柴を「未成年者に酒を飲ませた時点で指導者失格」「限りなく真っ黒にちかい灰色」と書いているように、私は内柴を庇ってはいない。これは冤罪ではあるまい。実際に性行為はあったのだし、モラルとして許されない。しかし強姦か合意かは永遠に「薮の中」だ。

 しかし内柴も、訴えた女子学生も、これからも勝訴を目ざして闘いつづける。その先にあるものはなんなのだろう。

 私は、内柴の背景を調べることなく、安易に雇用した大学側の責任ももっと追及されるべきだと思う。石井慧を始め、内柴の女癖の悪さを指摘する柔道選手は多かった。それを金メダリストだからと、内柴の背景を調べることなく九州看護福祉大学は安易に雇った。兎小屋に虎を放ったようなものだ。肉食獣である虎が兔を喰ったのは自然だった。

 この聞いたことのない名前の地方大学が高い金を払って金メダリストをコーチに雇う必要があったのか。無名でもコーチに適した柔道家はいくらでもいたろう。 そしてまた色気の出て来る年齢の女子柔道部なのだから、年輩の、そういうトラブルが起きないような人選をするのが常識だ。若い内柴では生臭すぎる。人選ミスである。なのに前記したように、大学関係者は自分達の非を認めず、ひたすら内柴に怒りを表明することで責任を回避している。
 起こる可くして起こった事件と言える。

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【追記】──日テレ「スッキリ」での勝谷の意見──11/5

 午前3時から作業して、息抜きにテレビをつけた7時半、みのもんた番組に安倍晋三自民党総裁が生出演していた。元気いっぱいにあれこれ発言しておもしろかった。それは別項に書く。

 それを見たあとの8時半、その愉しさが尾を引いたのか、いつもならすぐにテレビを消すのに、私には珍しくチャンネルを替えた。まだテレビが見たかったらしい。すると日テレが「内柴問題」を取りあげていた。見る。
 勝谷誠彦が出ていた。今日は月曜日。何年か前、たしか彼はこの時間帯の金曜日のコメンテーターだった記憶がある。それぐらい見ていない。替わったのか。



 レポーターが、事件の舞台となった八王子のビジネスホテルの見取り図を書き、「内柴が女子学生の部屋にいるとき、廊下を通ったひとたちが耳にした声」について解説していた。複数の証言だとか。

・AVのような声
・悲鳴のような声

 部屋から廊下に声が漏れてきて、複数のひとがそれを耳にしている。その証言はこのふたつに分かれるのだとか。
 それに対してMCが、「それが重要ですよね。AVのような声だったら合意になりますし、悲鳴だったら」と、当たり前すぎる意見を言って勝谷にコメントを求める。

 勝谷は「こんなことにコメントすること自体不愉快なんだけど」と、このくだらない事件に関わる自分を憂い、「AVのような声と悲鳴はもともと似ているわけで、ここで女子学生が『監督、やめてください』とか『助けて』と言っていれば話は終っていた」と続けた。

 まったくもってその通りで、ここでただひとこと「やめて」とか「いや」とか聞こえていたなら、この事件はとうの昔に解決していた。



 女子学生の肩を持つひとは、「泥酔して腰が抜けていたのだ」「強姦の恐怖に声が出なかったのだ」というかも知れない。しかし学生は訪ねてきたもうひとりの女のノックに反応してドアを開けている。泥酔とは言え正体不明状態で寝込んでいたのではないようだ。それに「強姦の恐怖」とはいえ、見知らぬ男達に襲われたのではない。いつも身近に接しているコーチであり、つい先程まで一緒に飲食し、カラオケにゆき、酔い潰れた自分を背負ってホテルまで連れてきた男だ。「恐怖で声も出なかった」とは思えない。いやなら「イヤ!」ぐらいは言えたろう。

 などと書いてゆくと「内柴擁護」になってしまうのでやめる。擁護したくない。
 ただ、この事件を「内柴の悪魔の性癖」とは思わない。そんな大仰なものではないだろう。勝谷と同じく、こんなことを書いている自分がなさけなくなってくるので、もう触れるのはやめる。
  1. 2012/11/05(月) 00:30:57|
  2. 石原慎太郎
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Windows8体験記⑥──8にスタートボタンを追加するソフト&エクスプローラを昔のようにするソフト+マッカー考(笑)

7から8になって、いいところわるいところいろいろあるのだろうが──不幸にして私はまだいいところを知らない──何と言っても不便なのは今までのスタートボタン、スタートメニューがなくなったことだ。

私はスタートアップに、長年お世話になっている便利ソフトをいくつも登録する。起動と同時にそれがスタートしてくれる。

たとえばSetCareColorというフリーソフトは、IME入力時に入力モードによってキャレットの色を変えてくれる。私の場合だと、ATOKをオンにして日本語かな入力状態だと太目の緑色、半角英数字にすると細めの赤になる。たったそれだけのことだけど、大量の文を書く者にとって、使い慣れるとこれがいかに便利であることか。リンクしておいたので興味のあるひとは導入してみてください。けっこう目からうろこだったりします。

そういうスタートアップの登録は、今までならスタートボタンからスタートアップを開き、1.2.3の3ステップで出来た。それがスタートボタンとスタートメニューがなくなることによって、とんでもなく煩雑になった。

まず1を探すのに苦労する。1が見つかっても、今度は2に行くまでが面倒だ。Windowsフォルダに行き、System32を開いて、とか、隠しフォルダに入っているので、エクスプローラーから「隠しフォルダを表示するをオンにして」とか、あれこれやらねばならない。3までたどりつけば7以前と同じような操作でやりたいことが出来るのだが、そこまでが迷路のように複雑になっている。やることは1から2、2から3と今までと同じなのだが、そのあいまに、1.2とか1.8、2.4とか2.7とかの面倒な作業が増えて、合計では10ステップぐらいになっている。何故こんなことをするのか、したのか!? 愚かとしか言いようがない。

これってMacの思想の悪影響のように思える。



について以下に書くのだが、その前にソフトの紹介。8にスタートボタンを追加し、以前と同じように使えるようにするユーティリティだ。
ソフト紹介の記事はここ。http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20120904/420441/

実際にDownloadするのはここ。http://classicshell.sourceforge.net/

Downloadして挿れてみた。いま使っている。
デザイン的にもうちょっと洗練して欲しかった気もするが、ともあれこれで7までと同じスタートメニューが使える。便利だ。感謝。

8start





















エクスプローラが使いにくくなった。MSはOfficeと同じデザインにして使いやすくしてやったという気持ちなのだろう。

8のエクスプローラ(俗にリボンと呼ぶらしい)を7以前のものにもどすソフト。
http://winaero.com/comment.php?comment.news.20

これでエクスプローラが使い慣れたものに戻る。

やはりこの8というのは、あのスタートメニューに触って始める液晶タッチ派のOSなのだろう。「やがてPCからはキーボードが消える」と言われているらしいし。
今までと同じようにキーボードを使いたいひとには、このソフトは役立ちます。ぜひ挿れてみてください。

しかしこうなるともうまったく7と同じになってしまった(笑)。なんの意味もない。デスクトップからスタートボタンを消したMSは、こんな形で復活させられては赤っ恥である。自分たちがよかれと思ってやったことが評価されてないことになる。

タッチパッド対応以外にも、「さすが8だ。7ではこれは出来ない」と驚くようなことはあるのだろうか。せっかく買ったのだからひとつやふたつはあって欲しい。無理か?

スタートボタンを無くすようなかっこつけってMacの悪影響のように感じた。どこかの国の総理大臣のコトバを借りれば、「ドジョウは金魚になれない」のに、無理になろうとして失敗したようなものだ。

以下、Mac信者を論じるのでマッカーは読まないでください。お互い、無意味に不快になるのはやめましょう。読まなければあなたが不快になることはありません。私を攻撃したくなることもありません。オシャレなマッカーは窓使いの戯言など無視してください。
















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Mac使いとは何かと言えば、あそこの親方の信者である。親方の功績と親方の発明したモノの価値は絶大だが、信者にはろくなのがいない。信者のろくでもなさの基本は自分を勘違いしていることだ。親方の偉大さに擦りよることで自分もまた偉大とかんちがいしているのが多い。親方が偉大だからといって、親方の発明品を使えばそいつまでがかっこよくなるわけではない。かっこいい親方をどんなに慕っても不細工は不細工だ。むしろ不細工なのに勘違いしているからよけいにかっこわるい。
雁屋哲や茂木健一郎、太田光等の気違いじみた発言と行動を見ていると信者でない自分にほっとする。坂本龍一もそうだが、ただあの時代、音楽にMacは必須だった。そこは認める。



もうずいぶんと前、絶対的存在である親方が「FDDのエジェクトボタンを消す」というのをやったことがある。
気持ちとしてはわかる。 そのほうが断然スッキリして美しいからだ。きれいに整ったフォームにエジェクトボタンは不粋だった。すんなりシュッと延びた線上にボタンがあってジャマをしている。絶世の美女の鼻の頭に大きなイボがあるようなものだ。親方は大胆に自分の美を追究する。それを否定するものを認めない。

そのフォルムは美しかった。いまだボタンを点けている他社のマシンがなんと不細工に見えたことか。しかしこれは使いにくかった。たかがFDを取りだすために内部から別の操作をせねばならない。目の前にボタンさえあれば一瞬で取りだせるのにそれが出来ない。時間が掛かる。さすがにこれには信者からも、「親方様ぁ、ボタンがなくて使いづれえですだ」と不満が出た。美か実用か。
美学の判らぬ凡愚に親方様は怒った。美学とは痩せ我慢の上に成りたつのだ。「そんなヤツラは使うな!」

死ぬ寸前、親方はiPhoneのケースも認めないと発言していた。おれの開発した最高のデザインに何でそんな醜いものを被せるのだと怒っていた。
わかる。その通りだ。エジェクトボタンを廃止するような形のこだわりで、何百回も何千回もデザインを推敲して完成した一分の無駄もない形なのに、それにシリコン製布製皮製いろいろあるが、そういうものを被せるのは、磨きあげた美の極致である芸術的裸体に薄汚れたジャージを被せられるような屈辱だったろう。でも貧乏人の信者はたいせつなそれが傷つかないようケースに入れたがる。なにしろ日本人てのは電話機からティッシュペーパーまで何でもかんでもカバーを掛け「カバー文化(笑)」と言われるほどそれが好きなのだ。電話機のカバー(笑)。
ちなみに私もiPod Classicをしっかり皮製のケースに入れてカヴァーしております。

ケースに入れれば傷つくこともすくなくなり長持ちする。親方様はそれを認めない。俺の作った芸術品をそんな醜いもので包むなと怒る。信者はおそるおそる問う。「ケースに入れないとすぐに傷ついてしまうんです」。親方様は言う。「傷ついたらあたらしいのを買えばいいではないか」 

なにしろ親方様はあたらしいOSを思いつくと、今までの機械では使えなくなっても気にせず平気で発売した。
「親方様、それをやられたらあっしらは干あがってしまうで」。信者は悲鳴を上げる。
親方は怒った。おまえら下賤なものはこの心がわからぬのか。古いと断罪したOSとあたらしいOSに共通点などいらないのだ。わからぬなら使わなくて結構。おまえらはおれの信者ではない、とっととIBMのところにでも行きやがれ。
信者は泣きながら従う。あんな醜いIBMのところに行くぐらいなら、親方様のところで餓死したほうがまだいいと。それでこそ信者。



己の「美学」を貫くか実践的に生きるかの問題。
何年か前、「どんだけぇ」が流行った頃、それを連発する女装オカマのバケモノが「あたしは部屋の中にごみ箱を置かない」と自慢気に言っていた。室内にごみ箱があるだけで不愉快になる。ゴミが出たらすぐにその場で室外のごみ箱に持っていって処分するのだとか。せわしくてたいへんだと思うが、バケモノなりの美学である。
私はこれを見たとき、Macの親方のことを思った。オカマバケモノがPCを使うかどうか知らないが使うとしたらMacだろう。

わかる。私もデスクトップ画面にショートカットという醜いものは一切置かない。あれをだらしなく何十も置いているひととは付きあえないと思う。あまりに無神経だ。汚すぎる。95の頃からランチャソフトに格納して一切見えないようにしてきた。

しかし室内にはごみ箱を置いている。それこそ一室に3コも用意し、ゴミが出たらすぐに手の届く距離で捨てられるようにしている。ごみ箱はこまめに掃除し、常に美麗にしている。ごみ箱のデザインもそれなりに撰んでいる。オカマバケモノとは逆だが、これはこれで私の美学である。



極力部屋にモノを置かないというひとがいる。洋室。フローリングワンルームには、ほとんどモノがない。白が基調。無機質な空間。それがそのひとの美学だ。不便だろうなと思うが、そのひとにとっては、部屋にごたごたと物を置く醜さのほうが敵なのだ。

生活必需品を自分のまわりに集めるひとがいる。和室。畳部屋の蛍光灯には紐が点いている。寝転んで読書し、寝る前にその紐を引けば、そのまま蛍光灯を消すことが出来る。「こたつの周囲」という居住空間は、手を伸ばせば何でも手に入る宇宙になっている。

前者が、親方様が開発してくれた美をハードもソフトもそのまま使うマッカーであり、後者が、(マッカーから言えばOSからハード、ソフトまで缺点だらけの汚いPCを)自分流にあれこれいじくりまわす窓使いになる。
両者は相容れない。

私は後者である。現実に蛍光灯から紐をぶら下げてはいないが、自分でパーツを組んでPCを自作したり、あれやこれや便利ユーティリティを入れたりして「自分風の自分だけのPC」にしようとしている。それは「なんでも揃っているこたつの周囲の自分空間」と同じようなものだ。

親方様の美的感覚がどんなに優れているとしても、それをそのまま押しつけられて使うよりは、どんなに低レベルで不恰好でも、見た目も中身も自分流に創造改造してもいい自由度が欲しい。親方様のお造りになったどんなに美しいフォルムよりも、私にはその自由度の方が価値がある。



マッカーと話していて通じないのがここになる。親方様の命じるハードやソフトをそのまま使っている彼らは、「SafariがIEよりもいかにかっこいいか」を主張したりする。自分達が親方様の言うとおりにSafariを使っているから、窓使いもみなビル・ゲイツに命じられてIEを使っていると思いこんでいる。あの心の狭さに耐えられない。

私はMacは好きだ。だがMac信者は嫌いだ。

マッカーにはサヨクが多い。口汚くWindows=ビル・ゲイツ帝国を、まるで戦前の日本のように暗黒暗愚だと否定する。Windows愛用者を、その暗愚政治にすら気づかない愚者だと論じる。そしてマッカーの自分達は、大空を自由に飛ぶ白鳥のように思いこんでいる。
そもそも戦前の日本はひどい国ではないし、ビル・ゲイツ帝国にも好き勝手にいじれる自由がある。ひたすら親方様を崇拝し、親方様の作ったものをそのまま使用するやつらの思想発想のほうがよほどスターリン的粛清に満ちた恐怖の共産国のように思える。



繰り返すが、親方様の功績は偉大だ。そのことに異存はない。Macのフォルムは美しい。しかし信者にはろくなのがいない。それを見るたび、90年代初頭のあの大きな分岐点で、窓使いの道を撰んだ自分に満足する。

こういうのを書くとマッカーから攻撃されてたいへんなんだ(笑)。明日がどうなるか想像がつく。ひねこびた鼠顔のアンチャンがまたイヤミを仕掛けてくるだろう。そのリンクにどれほど効果があるか知らないが。そのアンチャンになついている独身アラフォー女もまた叫き始めるのか(笑)。
でもやらないとね。これはこれで闘いであり、雄弁は金、沈黙は銀なのだから。



肝腎のことを書きわすれてしまった。

「これってMacの思想の悪影響のように思える」だ。

長々とオカマの美学まで引用して書いてきたので、今さらあらためて書く必要もないが、私は今回の8がスタートメニューを消し、不便になったのを見て、「デザインを重視してエジェクトボタンを消したMac」と、「室内にごみ箱を置かないバケモノオカマ」を思いだした。そういうことである。そしてそれは「Macの消えたエジェクボタン」と同じく、独善による失敗だろう。

Macの親方は「すべて俺が決める。俺の決めたことがベスト。信者はそれに従うように」とハードやソフトを信者がいじり回すことを拒んだ。8にもそれがあるように思う。窓使いの楽しみだった「スタートアップに自分の好きなユーティリティを登録する」のようなことを、とんでもなくやりづらくしたのは、「よけいなことをするな。8はデフォルトで最高なのだ」という気どりなのだろう。

8の開発者はこのくだらんOSを、「エジェクトボタンを消したMacの美」と自負しているのかも知れない。Macの親方様は死んだので、「俺が窓使いの親方様になる」と粋がっているのか。

ユーザーはいい迷惑である。だってマッカーが親方様を慕うみたいに窓使いはアンタらを崇拝していないから。
おそらく9では、こういう愚かな点が修正されることだろう。 そのへんの素直さがWindowsの美点だ。ああ9が待ち遠しい。いやいやウソ、7で満足しているからいらない。ほんとに7はよく出来ている。

前記のたとえで言うなら、Macがフローリングの洋間なら、Windowsは畳の和室なのだ。畳部屋に木目柄のシートを敷いて洋間のようにするような愚かなことはやめたほうがいい。畳部屋は板敷洋間よりずっと過ごしやすい。

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【追記】──もしも<きっこ>がマッカーだったら

<きっこ>と名乗る女のふりをしている60代のオヤジがマッカーでないのは、単に貧乏で金がなくMacを買えなかったからだ。とにかくあのころ、Macには金が掛かった。PhotoshopやIllustrator、ホームページ用のDreamweaver、フォントひとつ買うだけでもたいへんだった。そしてまた、それがステータスだった。私もあのころは金があったから手を出してみたけど……。

雁屋哲を尊敬していることや、架空のフィアットパンダ、テレキャスターというブランドで妄想を振りまいているように、<きっこ>の本質はマッカーである。あれがもし現実にMacを入手していたらWindowsに対してどれほどひどい言辞を弄していたろう。
同じくスマートファンを口汚く否定しているのも単に金がなくて買えないだけだ。これまたそっちに走っていたらガラケーオヤジにどれほどひどいことを言っていたか。貧乏な機械音痴なので助かる。

しかし、あれだけ全面的に否定してボロクソに言っていた競馬に、今は過去まで塗りかえて夢中になっているのだから、そのうちマッカーになる可能性は高い。問題は金回りだが(笑)。

マッカーになった<きっこ>こそ、尊敬しているという雁屋哲と同じ事を言ってエンジン全開になるだろう。当面は疎開設定の貧乏だから無理か。でも以前は「月に100万円以上の母さんの治療費を払い、昼の本業の他に夜の水商売アルバイトもしていた」という月に150万は稼いでいたと思われる腕利きヘアメイクアーチストだ。いつマッカーになるかわからない。なにしろ今はマックノートが10万円以下で買える時代である。Macとスマートフォンを使いはじめたら、競馬と同じように平然と讃歌を始めるのだろう。するとアンチキッコがまた過去のツイートを並べたてるという追っ掛けっこ。楽しみだ(笑)。
  1. 2012/11/03(土) 01:50:11|
  2. Windows8
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Windows8体験記⑤──けっきょく7と同じ環境──なんも変らん

たいぶ8に慣れてきた。今これも8で書いている。私はPCを自分好みにしないと何もできないので、ここまでくるのはたいへんだった。
市販のパソコンそのまま、MS-IMEの入ったので何かしろと言われてもなにも出来ない。まずはCapsLockと左Ctrlキーを入れ替えないとまともに文字すら打てない。MS-IMEの使いかたなど忘れている。というか使ったことがないので知らない。自分好みの環境に特化しないと木偶の坊なのである。だから外国のインターネットカフェでは苦労する。英語キーボードで「ろ」や「@」が見つからず焦ったなんてこともあった(笑)。



desktop7ver20121101







これが私のいつもの7のデスクトップ機画面。左ディスプレイをメインにしている。『VerticalEditor』の縦書き画面あたりが顔の正面になる。その左に広辞苑辞書という仕事環境。

右サブディスプレイにブラウザ。リアルタイムで将棋観戦中。その隣の緑はmp3再生ソフトのFittle。右端にガジェットの時計とカレンダーが見える。

左メインディスプレイの下部のタスクバーに主に使用するソフトをピン留めしている。ランチャーとしてOrchisを挿れているが、7になってこのタスクバーが充実してからはほとんど使うことがない。



ということで8。8独自の画面などもうみんな消してしまい、いつもと同じ環境。背景はSolid Colorで抹茶色(笑)。

desktop8image8711どこが8なんだと言われると困る。いつもこんなふうに自分流で使ってきた。こんなふうにしてしまったので、やっと8も私のものになったのである。

正面のテキストエディターは『QXエディター』。横書きで「旅日記」かなんかを書いている。テキストエディターもあれこれ使って、いまも有料のWZやMifesも入っているが、使うのはこのふたつばかり。私は「秀丸」はあわなかった。『一太郎』は今も最新をもっているがもう何年も使ったことがない。

右ディスプレイでBGVに洋画を流している。これは「フェイクシティ ある男のルール」だったか。その隣の青は7と同じくFittle。背景色、文字色を替えている。こういうことが好きなんで(笑)。上の緑背景がClassic。青背景はJazz。
iTunesは使わない。ああいう病的に我の強いソフトとは縁を切った。整理するときに使う音楽ソフトはMedia Monkeyのシェア版。



ekitokei上の7とのちがいは、まず7のガジェットが使えなくなったので、時計ソフトとカレンダーソフトを探してきて挿れた。しかしなぜガジェットをやめたんだ。わからん。そうか、あのあたらしいスタートアップ画面があるから要らないということか。でもあれを使わないのでこちらは必要。

時計ソフトは「駅時計」というもの。初めて使った。鉄道駅にある時計を模している。とてもいい。こんな感じ。

同じようなコンセプトで「NHK時計」というのもある。テレビの「7時の時報」なんかのときのNHKの時計とそっくりのデザイン。「平清盛」なんぞを見ているNHK好き(笑)にはいいだろうけどNHK嫌いの私はイヤ。

先日「アラフォー女嫌い」という独身四十前後の女がいかに根性が悪いかを書いたら、嫌いなアラフォー女がみな「平清盛」が好きなので嗤った。あのバカドラマはそのへんに受けるらしい。一桁の視聴率を支えているのは経済界の重鎮と淋しい日曜日のアラフォー女らしい。



kabecale左端にあるカレンダーソフトは「壁カレ」。これはなつかしい。発表されたのはいつだったか。90年代初期か。私が愛用していたのはWindows98のころだ。古手のフリーソフト。それがまだ活躍していて、8でも動くようなのでひさしぶりに挿れてみた。なんともなつかしい。制作者のかたに心から感謝。



8のよくないのは、いくつかの、いや、いくつものソフトが使えなくなったこと。広辞苑ソフトも使えなくなってしまった。辞書ソフトは「あらゆるもの」と言っていいぐらいもっているので、別のもので代用しているが、使い慣れた広辞苑が使えないのは痛い。なんとか解決策を探したい。
せっかく持っているのに使わない「会社四季報」「医学用語辞典」とか、もったいない。電子語学辞書は20ヵ国ぐらいもっている。

その他では、使い慣れている「アンインストールソフト」が使えないのも痛かった。BaiduやYahooを始めかってに入ってこようとするソフトが増えた。ブラウザの拡張機能やツールバーなど、気づくと入っていたりする。それらを削除しまくるために高性能のアンインストールソフトは必須だ。

私のこのブログではずっとBaiduに関する文にアクセスが多いらしい。それだけ迷惑を受けているひとが多いのだろう。ほんとにあの「いつのまにか勝手に入ってきているソフト」というのはたちがわるい。



8の数少ない良い点として、ディスプレイ全部にタスクバーを表示することが可能になった。これは細かい点だが使いやすくなって、良い。今まではメインディスプレイだけだった。サブには表示されなかった。これからは4面を使おうと4面全部にタスクバーが表示されるのだ。これはタスクバーをランチャーとして使うひとには便利である。もちろんオフにも出来る。上の画像を見くらべて欲しい。下部だ。7は左のメインディスプレイ下部にしかタスクバーが見えないが、8は2台とも入っている。

「8は7より軽くなった。メモリも喰わない。起動も速い」と言われるが、そうなのだろうか。実感はない。7がVistaより軽くなったのはすぐにわかったが。
メモリはたしかに、7だとすぐに使用中8GBぐらいになるけど、8だと5GBぐらいで止まっているようではある。
起動は速いかなあ、そうも思わないけど。まあFontを400種類も挿れているから、そうそう速くもなれまい。
そういや98の頃は「起動が重くなるので使わないフォントは削除しましょう」なんてやってたんだ。今は昔。私の使うフォントは20種類ぐらいだから無駄なんだけど、今のハードはこれぐらいは負担にならない。



Corei7に替える前のデスクトップ機は末期だったのか、たまにブルー画面が出るようになっていた。あれはキツい。さいわいCPUとマザーを替えてからその現象は起きていない。

8になってその「伝統のブルー画面デザイン」が変更になったのだとか。これだけはOSがVersion Upしても変らず、うなされるぐらいイヤな画像だった。あれがアッサリ風味になったらしい。参考画像を見た。アッサリになろうと、それでも見たくないが。

アッサリ風味と言えば、起動や終了画面が濃紺の地味なものになったのは、とてもよい。今までのWindowsの起動画面には、どんなVersionでも必ず色鮮やかなキラキラ画面の瞬間があり、それがなんか「おれはこんなにもいろんな色が表示できるんだもんね」という成金の押しつけみたいでかっこわるかった。もうそれからは卒業したのだろう、ごく地味に濃紺画面だけで立ち上がる。よいことだ。



今回のOSインストール、環境構築でとにかく助かったのは──正確に言えばそれは7の再インストールなんかでももう使えていたけど──Chrome系ブラウザの「同期」というやつだった。これはありがたかった。Gmailアドレスで同期すると、OS再インストールしたあたらしいOSのパソコンなのに、ブラウザがいつも使っている環境にすぐなってくれる。以前のユーザーフォルダからIEのお気に入りをUSBメモリにコピーしておき、なんて作業と比べると雲泥の差だ。
Chrome系は本家はもとよりCool NovoにIron、Comdo Dragonとぜんぶ挿れている
7のときのメインブラウザはIronだったので、8は気分を変えてComodoにしている。Ramdiskからの起動にしたので速い速い。

もっとも、同期するのはブックマークや履歴などで、ブラウザのフォントやdownloadフォルダなんかは手動で設定せねばならない。Cのユーザーフォルダを極力使わないようにしている私には煩わしい作業が連続する。とはいえとんでもなく便利であることに変りはない。



さて、もう8のことをこんなふうに書くこともないだろうから、まとめる。結論として、「タッチパネル対応が売りで、それ以外に効果的な変化はない」になる。UIが大胆に変わり、かなり使いづらかったが、本質的なことのようで、じつはたいしたことはない。私がこんなふうにいじってしまったように、中に潜れば(中に潜れる知識があれば)毎度のMSのOSだった。それだけである。
液晶にタッチするスマートフォンの延長としてPCに触るひとには待望の画期的OSとなろうが、それに興味のないひとには、何の価値もないOSである。

XPからVistaはガラリと変った。しかしVistaは細かな問題だらけのOSだった。それが7で直った。いいOSだと思った。では8はどうなのか。

ずいぶんと変ったけど、いまのところ「改良」とは思えない。どう考えても7のほうが使いやすい。慣れなのだろうか。半年後の自分の感想が楽しみだ。

7の時は、「うわあ、ここも直ってる!」と、Vistaの缺点が修正されていて、発見するたびにうれしくなった。今回それはない。7でさらさらと出来たことが出来なくなっていて、「どこをどうするんだ。ああ、こうやればいいのか。なんでこんな不便な方法にしたんだ」と苛立つことばかり。それは私が「7大好きだから」ではなく、なんか8のコンセプトってくるってるように思う。すくなくとも〝タッチ〟に興味のないパソコン好きにはアホなOSである。まあ評価は世間が出すだろう。9はどうなるのかな? あと数年でタッチ系の端末がノートPCよりも増えるのだとか。どんな時代になるのだろう。わからん。

---------------

【追記】──UIの美しさは7が上

いまふたつのOSを頻繁に切り替えて比べながら使っているので、しみじみ感じるが、グラフィックは断然7のほうが上である。8は2000に戻ったのかと思うぐらい貧相でビンボ臭い。いやほんと、大好きだった2000を思い出してなつかしかったほど。ブラウザのフォントもあれこれ変えたり「スクリーンエッジの線をなめらかにする」はもちろんオンしているのだが、なんだか2000時代のようだ。

なんなのだろう、これは。タッチパネルに対応するとそうなるのか? まさかね。Vistaや7でやった丸い感じを拝してエッジをきつくしたのだろうか。

●追記の追記──そうだと知る。あれこれ調べて、このみょうに角ばったデザインは、指で拡げたりするそれに対応するためのようだ。きっちり角がないとまずいのだろう。やはりこれはキーボードやマウスを使うひとのためのOSではなくタッチ派のものなのである。(11/3)



Windowsが用意した8の壁紙がめずらしく、いい。私は7のコアラだとか海亀、クラゲのアップ写真を見て、なんという悪趣味だと思った。気味が悪く一切使わなかった。 8は花や葉なので、それよりはずっときれい。よって7で8の壁紙を使っている(笑)。



8の唯一認める点、再起動への画面交換が速い。これは一瞬で行く。もたつく7よりも断然速い。
  1. 2012/11/01(木) 21:24:34|
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