2ちゃんねるの「きっこスレ」──傘がない

2ちゃんねるの<きっこさん>をネタにしたあそび。井上陽水の「傘がない」。「都会では」の出だしが「疎開では」になっているのが秀逸。175はあたしです。流れからして「だけども」だけにして、あとは次のかたに任せるのが「2ちゃんねる遊び」のオキテなのでしょうが連続してしまいました。すみません。

kikko-kasa


---------------

追記──その後に書き足されたひとつ(笑)。これ、「エア疎開」がなかったら成立しないネタ。「傘がない」のパロディは山ほどあったろうけど、こんな展開は間違いなく初めてでしょう。だって「エア疎開」なんて戦中以外ありえない。悪質なデマを流してアフィで稼いでいるんだから真剣に怒るべきことなんだけど。コトバ遊びが楽しくてワンピースがずれてパンツ丸見えになっちゃう。

kikko-kasa2
  1. 2011/11/30(水) 18:29:16|
  2. インターネット
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

S学会批判ブログにS学会用の仏壇や墓地の広告という皮肉(笑)

S学会をボロクソに批判した文章を読んでいると、必ずと言っていいぐらいそのブログ文末に、以下の切りとり画像のような広告が入っている。

soka


皮肉というか、なんともシュールだ(笑)。ブログの広告は文章に使われている文字を探して自動で入る。S学会の肯定否定は関係ない。S学会の文字があれば入ってくる。熱心なS学会信者がI田先生を讃美した文の末尾にこの写真のような広告が入っているのは釣り合いが取れているが、否定した文にも入っているのはなんとも奇妙。これじゃS学会を批判することすら、ある種の協力になってしまう。

私がなぜ「S学会」なんて書きかたをしたかというと、言うまでもなく正確に書いたらこの文章の末尾にもその広告が入るからだ。「まちがい、ない!(I田D作先生の口癖)」のである。ここはライブドアブログだが、どのブログでも同じだろう。こういうことを書いて、その直後にこの広告を入れられたらたまらない。冗談が成立しない。

こういうのは「文字」で自動反応しているはずだから、写真の文字は読めない。関係ないはず、と思う。いくら狂信の世界とはいえ、まさかS学会で「連想」して嗅ぎつけて来るとは思わないのだが……。

===========

追記──れいえんの広告──12月4日

いまのところ写真のようなれいえんのCMが入っている。タイトルのはかいしでキャッチしたのだろう。と、ひらかなで書いている理由はわかっていただけると思う(笑)。いろいろたいへん。

reien
  1. 2011/11/30(水) 16:34:29|
  2. 宗教
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ツイッター考──談志訃報に便乗する安易なブログ文章

日本人は死んだらみな神様にする。死んだらみな許す。

だから在日朝鮮人のプロレスラー長州力が、敵対した相手に「あいつらが死んだら俺が墓に糞ぶっかけてやる!」と言ったのは新鮮だった。日本人だったら「ぶっころしてやる!」までだ。墓に入ったらもう許す。墓に入っているのにさらに糞をぶっかけはしない。朝鮮人の感覚がよくわかる名言、いや迷言だ。いまだに豊臣秀吉を恨んでいる民族だから墓に糞もぶっかけるだろう。



しかしまた日本人は、死んだらみな知らない人まで追悼せねばと勘違いしている。仲間外れにする村八分も「火事と葬式」だけは別物だ。だから八分。死んでしまうと生前のことはすべて水に流す。すべて別扱いになる。

談志が死んだからと、あちこちで追悼が始まった。それはそれでいいのだけど、こういう場合、必ず話題に便乗してくるヤカラが出現する。それもまたそれで日本の風習みたいなものだからしかたないとは思うのだが、自分のTwitterにも関わってくるとカチンとくる。思わずつぶやいた。

danshi


RTされてきたので出かけてみた。「師匠の言葉は深い」とか、いかにも物知り気なので、ほんまかいなと確認だ。すると、どう考えても談志の落語など聞いたことのない無名女タレントが、「死」という話題に便乗してネタにしていただけだった。引用されている「師匠の言葉」は、その辺の追悼記事から探してきたのだろう。

これはこれでかまわない。文才もなくブログネタにも困る無名タレントにとって立川談志を追悼することでアクセスが増えれば御の字なのだろう。勝手にやってくれ。だけどこんなのを何も考えず機械的にRTしてくるフォロワーにはうんざりする。なんと安易なのだろう。なんとセンスが悪いのだろう。
私がフォローを外すのはみなこのパターンだ。RTには人柄とセンスが出る。
  1. 2011/11/25(金) 15:27:34|
  2. ツイッター
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

立川談志の死──立川談志カール・ゴッチ論──北朝鮮拉致被害者に対する暴言の記録

立川談志が亡くなったらしい。大相撲を見ているとき、中断の5時のニュースで知った。これからしばらくマスコミは追悼と絶賛が続くだろう。明日のワイドショーなどは一色か。
私の談志(と亡くなった日だからこそ呼び捨てが優れた芸人に対する敬意ですよね)に関する想いは、ホームページに今までたっぷりと書いてきたので、ここでは省く。興味のあるかたはここに書いてあるので読んでください。

ひとことで言うと、私は立川談志という落語家を礼讃はしていない。志ん生はもちろん志ん朝とも比ぶべくもない。でも「落語評論家」としては日本一だと思っている。談志ほど落語を真剣に考え理論化したひとはいない。彼の落語CDはぜんぶもっているが「五大落語家論」がいちばん好きだ。

落語よりも百倍詳しいプロレスで例えると、私の感覚では、立川談志はカール・ゴッチになる。この比喩に新日ファンの落語好きは大喜びするのか。プロレスの神様カール・ゴッチの〝神様〟だと。まああれはゴッチぐらいしか招聘できない猪木が無理矢理作った大嘘だが。

ミスター・プロレスはルー・テーズである。最高に強くてかっこよく、適度に弱い奴にもブックなら負けてやり、逆らってくる生意気な奴はバックドロップで泡を吹かせる。何でもできる真の最強レスラーでありチャンピオンだ。すなわち志ん生である。談志は志ん生のようなチャンピオンになれず、不器用な「ほんとなら俺が一番強い」とふて腐れているゴッチである。

志ん生に対する憧れ、志ん朝に対するコンプレックスにも、それがよく現れている。王様と王子さまに対する平民の悔しさだ。

高座で寝てしまい、客が「そのままにしといてやろうよ」と寝てるのを見守ってもらえた志ん生。
自分の落語の時に寝た客を寄席からつまみだし、裁判ざたになった談志。

談志というひとの落語、生きざま、主張、すべてカール・ゴッチのように思える。上記、「自分の落語の時に寝た客と裁判沙汰」なんてのは、WWWFのチャンプだった“ネイチュアボーイ”バディ・ロジャースを控え室で殴ったゴッチに通じる。ゴッチを神様にしている日本人は「実力のない人気だけの奴に焼きを入れた」という「ちょっといい話」にしているが、こんなのは売れない芸人が人気者に嫉妬しただけの暴力事件だ。当時ニューヨークで活躍していた馬場は、ロジャースがいかに華やかでスターとしてのオーラをもっていたかを証言している。ゴッチを慕う弟子も前田日明とか、そのへんの流れも談志とよく似ている。談志も前田も「生涯欲求不満」ということで共通する。

談志が死んで、その感覚を最もよく引き継いでいる芸人は太田光か。ふたりは仲がよかった。顔も所作もよく似ている。太田は談志を尊敬し、談志は大田をかわいがっていた。談志は「爆笑問題の片方は俺の隠し子」という冗談を好んだ。私はふたりとも大嫌いだ(笑)。大田の憲法9条に関する発言を読んだりすると吐き気がする。



落語家・立川談志が生前、「北朝鮮拉致被害者」に対してどのような意見を吐いていたか。以下にまとめて書いた。2002年11月のものだ。

これからしばらくはマスコミでは「立川談志さん哀悼と絶讃」が続く。
それとは別に、こういう発言をしていた、この程度の人間であることも、よく確認して欲しい。

北朝鮮被害者に関する立川談志のとんでも発言──2002年11月

これが載ったのは談志のサイトだった。今はもう削除されてしまい目にすることは出来ないが、これが立川談志というひとの基本である。落語以外ではこの程度の男である。
これも抗議されたから削除しただけで、もちろん謝罪なんてしていない。あまりにお粗末だ。どんなに落語が巧かろうとまともな人間とは思えない。こども時代から50年ぐらい見ているが、むかしから粋がって発言するたび、こんな的外れなのばかりだった。しみじみたいしたもんじゃないと思う。談志を崇拝している人間でまともなのにあったことがない。ついでにカール・ゴッチ崇拝者のプロレスファンもろくなもんじゃない。

明日からスポーツ紙、芸能記事、テレビのワイドショー、みな「立川談志師匠追悼一色」になるだろう。私は「立川談志的ひねくれ者」として、彼のこの「とんでも発言」を強く主張してゆきたい。

============================================

附記 11/24──ワイドショーふたつ──みのもんたとミヤネ屋

私の生活は午後9時就寝、午前3時起床。3時からPCに向かっていて、時計を見たらちょうど5時半だった。みのもんたの番組が始まるなと点けてみた。11月6日にテレビのある生活に復帰してから初めてだ。ちょうど5時半に時計に目がいったのもなにかの縁だろう。以前はよくこんな形で5時半から30分ぐらいこの番組を見ていた。ひといきつきたくなる時間なのだ。3時間のロングワイドショーだが、1時間を3回繰り返すだけなので、すこし見れば全体が見える。「8時またぎ」と銘打って7時40分ぐらいから8時20分ぐらいまでやる大ネタ(これはうまい手法だ。8時から始まる他局のモーニングショーへチャンネルを替えさせない作戦)は、ゲストに興味があったらその時間にまた点ければいい。

案の定オープニングはみのの談志との想い出話だった。昼間から酒を勧められ、「イヤ、時間が」と言ったら、「あんたは時間で酒を飲む飲まないを決めるの? 時間と酒は関係ないだろ」と絡まれた話。私も24時間飲みたいときに飲むので談志の意見はよくわかる。ひとさまが起きだして朝飯食って出勤するような時間に風呂に入って酒を飲むのは楽しい。もちろん生番組が控えていて飲めなかったみのの気持ちもわかるけど。

みのの想い出話自体はおもしろいのでまだ見たい気もあったが、この種の番組ではよくあるように、談志のだの字も知らないような(いや、ようなじゃなくてほんとに知らないな)若い女子アナが、いかにも悲しくてならないという感じの殊勝な顔で打つ「ほんとに」「ええ」「すごいかたでしたよね」なんて相槌が煩わしくて消した。なにが「すごいかたでした」だ。演目ひとつ聞いたことがないくせに。
見たのは5分ぐらいだったか。私は談志崇拝者ではないけれど、長年見てきた落語家として彼の死を悼んでいる。そんな私にはこういう女子アナは不愉快で見ていられなかった。こういう浅い演技が視聴者を不快にすることに気づかないのだろうか。というか、視聴者のほとんども同じようなものか。



午後、こたつをセットした。そろそろやらないとと懸案だった。まだ火はいれないけど、とりあえずの冬支度。いい天気で、秋の陽光が差し込む私の部屋は温室のよう。ホットカーペットを敷くのに掃除機を掛けたりしたら汗ビッショリになった。ティーシャツ一枚になる。ほんとにこの部屋は暖かい。夏は地獄だが。

そのとき、ちょうどまた偶然に午後2時ぴったりだったのでミヤネ屋をつけると、木久蔵が談志を語っていた。ミヤネ屋を見るのも7月24日以降初めて。
これは1分ぐらい見て、すぐに消した。談志や木久蔵の好き嫌いとは関係なく、この種の訃報に関するワンパターンはつまらない。「××にいるときに、△△さんから電話があって、それで知りました。おどろいて、ウンヌン」。

きついことを書いたので、ここに来て気分を害した談志ファンもいるだろうが、私は彼のCD全集もぜんぶもっているし、著書も、弟子たちの書いたものも含めて99%読んでいる。談志が企画立案し、自身で司会をしていた『笑点』も初回から見ている。後に不仲になり縁を切るので談志は『笑点』をボロクソに言うようになる。スタンダップコメディアンとして語っていた談志も見ている。距離をおいた50年だが、ここ何年かで談志のファンになり、弟子でもないのに談志を「家元」なんて呼んでいる半端な談志ファンよりはよほど談志を見てきた自信はある。

ただし肝腎の寄席は、彼が「立川流で独立してから」は見ていないので、そこのところは弱い。立川流で独立してからは、生の高座には接していない。寄席で見ていたのはその前になる。
彼の弟子筋もCDでは聞いているし著書も呼んでいるが高座は見ていない。そもそも私はプラチナペーパーとか呼ばれるものには一切近寄らないから当然だ。落語なんて予約までして見にゆくものではない。気が向いた時ふらっと寄るのが寄席だ。上野鈴本や新宿末廣にもそんな気分ででかける。

今日はこれから晩酌の時、私なりに談志の噺を聞いて追悼しよう。DVDも6枚ほどもっているから、それを見るのが筋なのだろうが、私は彼のしゃがれ声の音曲は好きではないし、「演芸評論家としては日本一」と書いたことからも、CDの「立川談志のゆめの寄席」を聞こうと思う。

yumenoyose


これはいわゆる「わたしの選んだおもしろい落語 立川談志編」で、談志が自分の好きな先輩落語家の噺を紹介するものだ。談志は解説と進行を兼ねてしゃべっている。登場はほんのすこしだが、落語への愛情が感じられてすばらしい。本来なら談志の「芝浜」「文七元結」「らくだ」のような大ネタで偲ぶべきなのだろうが、わたしなりにこれにした。
それと一番好きな「五大落語家論」はやはり聞こう。志ん生や文楽への愛情があふれていて、何度聞いても楽しい。

談志が選挙に出た時、選挙カーで文楽の家の前を通りかかり、「黒門町の師匠、談志です。よろしくお願いします」と選挙カーからやったら、二階の窓を開けて文楽が顔を出し、「ようがす」と言ったって話はいつ聞いてもいい(笑)。

============================================

【附記.2】 11/25──東スポの「談志に隠し子騒動」

金曜土曜だけ東スポを買う。競馬の馬柱を見るために。
11月25日の夕方。金曜版の一面に「談志に隠し子騒動!」。
あれだけのひとだからいて当然だ。
と興味津々で読んだら、なんと上に書いた爆笑問題の太田光のこと。
あいかわらずの東スポだ。他にネタはなかったのか。
  1. 2011/11/23(水) 20:03:27|
  2. 訃報
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

アメトークの関根勤批判──への批判──KARA大好き芸人を擁護する!

【芸スポ萬金譚】に書いた「アメトーク関根勤批判──への批判──KARA大好き芸人を擁護する」という、どうでもいいバカネタがある。程度の低いテレビネタだったのでここにはリンクすらしなかったのだが、右翼街宣車が在日朝鮮人サヨクによる右翼のイメージダウン作戦であるように、あれもまた仕掛けられた「ネトウヨイメージダウン作戦」なのではないかと推測して追記したりしていたら、意外に本気の長文になってしまった(笑)。のでリンクする。

しかしまあこの下の写真を見ると、日本はどこまで堕ちて行くのだろうかとかなしくなってくる。でもそれとこれの否定はまた別の話。私は、こういうものがあってもいいと思っている。

ametalkkara


Twitterをやっているとツイートのレベルの低さにうんざりすることが多い。
ネトウヨと呼ばれる連中には、ひたすら汚いことばで朝鮮人を罵り、それで日々のストレス発散にしているようなのがいる。内容以前にその汚い言葉使いで読む気を失くす。
民主党やテレビ局に抗議電話を掛けるのが日課の主婦もいる。「さっき××にかけた。よし、これから▲▲にかける」などと意気込んでいるのを見ると、このひとの家庭はだいじょうぶなのかと心配になってくる。

今回のこれなど「朝鮮人アイドルを讃える番組」で、趣旨に添って「朝鮮人アイドルを讃えた芸人」に批判殺到なのだからかなりへん。気に入らないものはなんでもかんでもイチャモンの世界である。もしもどうしても批判したいのなら、その対象は、番組趣旨に添った発言をした関根ではなく、こういう番組を作ったテレビ局であろう。
まあそのレベルの低い世界に関わっているのだから、私もそれらと同レベルのネトウヨなのかも知れないが……。

ネトウヨの定義は様々だ。ただそれがネット上だけのウヨクを指すのなら、私は靖國神社へも参拝しているから「ネット上」だけではない。

もっとも今回のように関根勤発言を擁護し、KARA礼讃番組を認めるのだから、ネトウヨにはネトウヨとすら認めてもらえないだろうが。
  1. 2011/11/23(水) 05:54:38|
  2. ツイッター
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

下着泥棒・考──山本小鉄と

下着泥棒は何を考えているのだろう。わからない。まあわかる必要もないが(笑)。いや、わからないわけではない。私は人一倍スケベな男であるから、よくわかる。自分の好きなタイプの美しい女が身につけていたそれなら欲しい。

わからないのはそれが何でもいいひとだ。だってあれは「中身が誰か」で価値を持つ。重要なのは「誰が身につけたか」だ。品物そのものに価値があるのではない。だけど世の中にはベランダの洗濯物など、そのことに関係なく盗むのがいるらしい。

それが長年横恋慕した女のものならまだわかる。届かぬ恋の腹いせに、ついつい代用品として盗んでしまった、なら。でもそうじゃないようだ。こういう輩は洗濯物として干してあるそれが欲しくて窃盗に及ぶのだ。それじゃもう単なる衣類に対するフェチである。それが正解なのか?

推測するに、彼らの感覚は私の嗜好とは逆で、「中身がわからないからいい」のかもしれない。かわいいものを盗んだならあどけない生娘を、セクシーなものを盗んだなら高飛車な美女をと、「品物から自分好みの中身」を想像して楽しむのだ。中身がわかっていたら、むしろつまらない。のだろう。たぶん。



下着泥棒に関していつも思い出し、むふふと笑ってしまうのは山本小鉄の話だ。新日本プロレスで鬼軍曹と呼ばれていた頃の話。合宿所。洗濯は新人弟子がやる。
「なんでかなあ、やたら俺だけパンツを盗まれるんだよなあ」と小鉄さんが嘆いていた。

kotetsu


レスラーはナルシストだ。レスラーに限らずボディビルダー等、躰を鍛え上げている人はみな自分の躰を見てうっとりする。山本小鉄は身長が低く力道山に入門を断られた。その後、ホディビルで見事な躰を作り上げて、やっと入門を許可されている。背は低いけどビルドアップされた体は見事だった。

ナルシストは体を露出する。鍛え上げた体を見せたい。よって普段の下着はみなちいさなビキニ型になる。小鉄さんの愛用するパンツも赤のビキニだった。洗濯して干しておくと、それがよく盗まれる。

小鉄さんは清潔な人柄だ。シモネタ話など大嫌い。この世に、よからぬ妄想で女の下着を盗む破廉恥漢がいるなど思ったこともない。だから、なんで他のレスラーのブリーフやトランクスが盗まれず、自分の赤いビキニ型のパンツだけが盗まれるのか理解出来ないのだった。

小鉄さんのパンツを盗んだ男は、派手な赤いビキニのパンツを手に、セクシーな美女を想像してハアハア言ったのだろう。洗っても落ちてないシミでも見つけた日には興奮したはずだ。小鉄さんのシミなんだけど(笑)。

下着泥が捕まって部屋中に盗んだ下着が何百枚も、なんてニュースを耳にするといつもこのことを思い出す。



今回、そんなニュースもないのに、いきなりこんなことを書いたのは以下のツイートを読んだから。これは笑える。

kikko-shitagi


<きっこさん>の下着を盗んでハアハア言ったひとはいるのだろうか(笑)。<きっこさん>さんも小鉄さんも同じなんだけど、想像力豊かな泥棒には関係ないか。まったくなぁ、女色を出せば出すほど……(笑)。

どうもここのところネタが下品だ。「イカくさい」に続いて「下着泥」である。次のテーマは「マンピ」なんだけど(笑)。女性読者が減りそうで心配だ。もともといないからいいか。

============================================

追記──ヤマハブラザースの想い出

私にとって山本小鉄は星野勘太郎とのヤマハブラザースになる。フライングボディプレスだ。ちいさいけど速い動きでクイックタッチが魅力的だった。でも多くのプロレスファンにはレフェリーであり解説者なのだろう。猪木に頼まれて38歳という若さで、どこも躰は傷んでいないのに、早い引退だった。

さすがにネットにも現役時の写真はない。そんな中、フライングボディプレスの写真が一枚あった。このあと落下するとき躰を開く。かっこいい。系列は違うが三沢のフライングボディプレスもこの形だった。
2010年8月28日に急逝された小鉄さんを偲ぶ意味で掲載させていただく。こういうのも出処がわかればきちんとURLとお礼を書くのだけど何もわからないので書きようがない。

kotesu2


横断幕に「鬼軍曹 ごくろうさまでした」とあるから、38歳の引退式の日の写真か。1980年、昭和55年になる。
私はこれは「おつかれさまでした」であって欲しかった。横綱貴乃花が引退したとき、地元中野新町の商店街にあふれた横断幕がみな「おつかれさまでした」なのがうれしかった。
  1. 2011/11/22(火) 10:29:07|
  2. きっこ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ひさしぶりに見たカルメン・マキの写真──寺山修司の思い出

カルメン・マキが東電に電気代を払わず戦っている?という記事があった。そこに彼女の近影があったので驚き、以下の書き込みをした。

carmen1


彼女の近影と17歳当時の写真は【芸スポ萬金譚】のほうに載せた。こちら

カルメン・マキだとデビュウ曲「時には母のない子のように」であり、作詞した寺山修司へと思いは飛ぶ。
よってまた以下の書き込み。

carmen2


ツイート内容の繰り返しになるが、朝日新聞の投書欄に「本当に母のいない子にとって、なんと残酷な歌か。このようなものを流してはならない」と載っていたことをよく覚えている。私もそう思った。しかしまた「時には母のない子のように」とは、なんと斬新で衝撃的な発想だろうと、これをやってのけた寺山修司というひとに興味を持った。とぼしい小遣いから寺山の本を買うようになった。「血は立ったまま眠っている」なんてかっこいいんだと思う。高校生時代。私は「書を捨てよ、街に出よう」を手に上京した。

その切り口に感激した「時には母のない子のように」が、じつはアメリカのゴスペルソング「Sometimes I Feel like A Motherless Child」の直訳でしかないと知ったときは心底落胆した。その後も自分なりに勉強して智識が増えるに従い寺山にはがっかりすることばかりだった。

carmen3


彼の歌集ももっていた。だが後に盗作を指摘され、本歌との対比一覧表まで発表された。それを見れば盗作は明らかだった。そしてまた私が感激した彼の作品はみな盗作なのだった。それは本歌が優れていて、だからこそ寺山も盗んだのだし、多くの作品から私もそれを選んだのだから、私にもよいものを選ぶ目はあったということになるのだが……。

心に残っている彼の発言に以下のようなものがある。

carmen5


この寺山のことばは私にしみこんできた。私も寺山と同じく、有名人のそういう写真を見ると、「とばされたひとり」の無名人に思いを馳せるような面があったからだ。寺山の発想法にちかづいたようでうれしかった。
元々あった資質に憧れていた寺山と同じという感覚が加わり、それからの私は有名人など一切見ず「とばされたひとり」ばかり見るようになった(笑)。

その視点から見えてくる世界がある。私はこどもの時に見た《東芝日曜劇場「ひとごろし」──山本周五郎原作・植木等主演》に影響を受けた。これも「仇討ち=剣術の秀でた勇敢な若者の物語。ハッピーエンド」を「もしも剣術下手で臆病な若者が仇討ちをせねばならなくなったら」という「とばされたひとり」からの発想である。寺山のことばで、その辺の自分の好みがスッキリ整理されたのだった。

carmen4


これは寺山の大好きだった牝馬が中央で勝てなくなり地方競馬に移籍したことを書いた文だった。派手派手だったダンサーが落ちぶれて、雨漏りのする田舎のストリッパー小屋で踊っているという落魄。
船橋の森騎手から抗議の手紙が届く。寺山と森は新宿で会って飲む。意気投合する。調教師となった森から手紙が来る。自分のところで馬主になってくれと。それが寺山の初めての持ち馬ユリシーズである。

ここにあるように当時競馬ファンにあいされた「斬新な寺山の競馬文章」とは、極端な光と影で語る演劇的手法だった。これはつかこうへいのあの異様なコンプレックスで語る手法にも通じる。
その「光と影」の設定を間違えて抗議されたのが上記の例。落魄を表現するために「雨漏りのする厩舎」とやってしまい抗議を受けている。その辺、いかにも「机上で語る競馬」なのが解る。だからこそ今で言う「書斎派」の先駆けになった。

ここのところこの「競馬書斎派」は勘違いされている。競馬場に行かずほんとに書斎にこもって競馬を語る連中がいる。寺山も、同じく書斎派と呼ばれた巨泉も一応は競馬場に通っている。今時の引きこもり書斎派とはちがう。



と、五つもツイートしてから、こんな誰も読まないツイートをするならブログに書こう。Twitterじゃ誰も読まないけどブログなら固定読者が読んでくれるのだからとブログに戻ってきた。最初からここに書けばよかった。二度手間。毎度の間抜けな一席。
  1. 2011/11/20(日) 05:39:18|
  2. 読書
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

尾崎豊「卒業」の想い出──友人Nの命日をまえに──ATOK話 織田哲郎の魅力

Twitterに以下のようなことを書き込んだ。

ozaki


この歌が発売されたのは1985年の1月らしい。初めて耳にした時のことはよく覚えている。
旗の台のアパートにいた。昭和大学病院の近くだ。深夜、ラジカセからこの歌が流れてきた。見知らぬ歌手の初めて聞く歌だった。声もいいし歌もうまい。私は三連符のこの種の曲が好きだから思わず耳を傾けた。歌詞内容にも注目した。そんなこともめったにないから、それはそれでよく出来た曲なのだと思う。ほんの数回しか聞いたことはないが今もメロディが残っている。たぶんカラオケで歌えと言われたら「ほぼ」歌えるだろう。歌わないけど。



心に残るメロディはひとによってちがう。ほんの数回しか聞いたことがないのにほぼ覚えているのだから「卒業」のメロディは私好みだったことになる。

▼日本の三大メロディメーカー

小室哲哉というひとは「日本音楽史上シングル盤売り上げ三大作曲家」なのだとか。今までの売りあげ順は、筒美京平、小室哲哉、織田哲郎になるらしい。筒美はグループサウンズから郷ひろみ、Kinki Kidsまでぜんぶ知っている。南沙織の曲を始めやたら盗作が多いが、それもまあこのひとの味だ。クリーム(クラプトンね)のベースラインから盗んで一曲仕上げるのだから、それはそれで同じ盗作でも近田春夫あたりとはものがちがう。
作家の郄橋源一郎はカラオケに行くと筒美作品しか歌わないそうだ。こういうカラオケの愉しみ方もあるのだろう。私も筒美京平作曲のヒット曲なら100曲ぐらいは歌える。歌わないけど。
彼の曲は「ブルー・ライト・ヨコハマ」や「よろしく哀愁」のように、譜面にした時の音符の並びがうつくしいのが特徴だ。

筒美は別格として織田と小室の好みの差は興味深い。興味深いもなにも単に私個人の好き嫌いの話だから(笑)、読んでいるひとに「そんなの知るか!」と言われたらそれまでなのだが。
私は織田がヒット曲を提供したアーティストとは無縁だったので何も知らない。無縁というのは、そのころはもうJazzとClassicしか聞かない時期に入っていたからだ。中学生高校生のころは人並み以上に日本の流行り歌に興味があったし詳しかった。大学から二十代後半までは自分が曲を作るために外国音楽を勉強した。この時期の洋楽ヒット曲はよく知っている。同世代のおじさん連中とカラオケをやると、こどものころからこの時代までの歌に関してはあまりにいろいろと知っていて驚かれるほどだ。たしかに小川ローザ(Oh! モーレツのCMね)や風吹ジュンのヒット曲?を歌える人もそうはいない。

そのあとJazzとClassicに走り、邦楽も洋楽も「歌」について完全な無智になった。空白期間。当時から今に至るまで私は日本語のヒット曲をまったく知らない。それこそ「いくらなんでもこのヒット曲は知っているだろう!?」と思うようなものも知らない。だってなんども書いているけど「紅白歌合戦の小林幸子の巨大衣装をただの一度も見たことがない」のだから。一年の半分を外国巡りをしていたこともあるが我ながらこの件に関してはフツウの日本人ではないと思う。もちろん悪い意味です。常識の欠如ね。

そういう私なのに、街角から流れてくる歌や、テレビのCM等で耳にして「いい曲だな」と思うのが結果的にみな織田哲郎の曲だったので、いつしか彼の多くのヒット曲を覚えていた。ZARDが活躍していた時期を知らない。見たこともない。だから私は早世したリードヴォーカリストの彼女に街であったとしてもわからない。ステージを知らない。でもヒット曲のメロディはほとんど知っている。織田作品として後から記憶したからだ。

一方、小室というひとは逆で、彼が安室奈美恵を始めとする一派の大ヒット曲を多く作っているという知識はあり、テレビでも目にしたことはあるのだが、彼のメロディが響いてこなかった。今に至るも彼の曲を知らない。サビですら口ずさめる曲がひとつもない。三大作曲家の2位と3位でこんなに好き嫌いに差があるのかと不思議な気がする。

日本のシングル盤売り上げで記録をもつ三人のメロディメーカーに関して私は、筒美はとても詳しく、織田はそこそこ詳しく、小室はぜんぜん知らないという極端な結果になった。
筒美をとても詳しいのは彼の全盛期に青春時代を過ごしたからであり人生すべてにしみこんでいるが、私の好みとしていちばん好きなメロディは織田作品になる。筒美のヒット曲は世間のヒット曲として押しつけられるように耳に入ってきたが、織田の曲は、私のほうから「この曲を作ったひとは誰なのだろう」と興味を持って接した。この差は大きい。耳にしてもなにも感じない小室作品は問題外になる。



▼ATOKの織田鉄労

尾崎話から三大作曲家話に脱線しているのに、さらにまた脱線。いつものATOK話。
ATOKが「織田鉄労」と旧国鉄の労働組合のような変換をしたのでおどろく。その点、Google日本語入力はやたら人名に強い。一発で正しく変換する。だから私もこの種の文章を書くときはGoogleに切り替えている。「安室奈美恵」だってGoogle日本語入力にそのまま頼っている。自力で書けと言われたら、ぜんぜん知らない人なので書けるはずもない。あ、でも彼女がまだ素人のころ、「元気の出るテレビ」に出たとこは見ているんだけど。「沖縄の空手少女」だったか。

しかし我の強い両ソフトの主導権争いは激しい。Google系のソフトがなんでもかんでも自分をデフォルトにしてしまうのは有名だけど(Appleソフトもすごいね)ATOKも負けていない。Googleで書いていてもいつしかまたATOKに戻っていたりする。Google日本語入力によって正しく変換されていた「織田哲郎」がいきなりまた「織田鉄労」になったので何事かと思ったら知らないうちにまたATOKに切りかわっていた。「このパソコンの日本語入力の正妻はわたし。他の女の存在は認めない!」って感じだ。

ということを今またGoogle日本語入力に切り替えて書いていたら、今度は「鉄労」が変換できない(笑)。
しかたないのでそこのところだけATOKに戻った。さすがにこのことばをGoogle日本語入力に辞書登録する気にはなれない。そりゃまあ今時、旧国鉄の労働組合の略称を使うひともいないだろうから、出ないことは、それはそれでわかるのだが、かといって、それでも困る気がする。
いや私だって個人的文章で「鉄労」なんて使うことはないが、あの毎年タチの悪いストをやった国鉄には今でも怨みがあり、みっつの組合のそれぞれの略称が、動労(国鉄動力車労働組合)、国労(国鉄労働組合)、鉄労(鉄道労働組合)であったことぐらいは覚えておきたい。

もっともGoogle日本語入力は、Google検索で多用されることばを用語として蓄積して行くから、いま「鉄労」が出なくても、今後なにかでそれが話題になり頻繁に検索されたなら、そのときにはすんなり出るだろう。この辺、融通無礙でシステム的には最強である。こんな便利なシステムを無料でやられたら有料商品は太刀打ち出来ない。

無料のGoogle日本語入力、OSを買えばついてくるMS-IMEがある中、今後有料のATOKはどうなってゆくのだろう。長年愛用しているからこそ心配になる。流行語、新語に関しては、毎日辞書更新しているGoogle日本語入力に、一年ごとのVersionUpでは絶対に敵わない。

個人的には、差別語(と呼ばれる一群のもの)を一切入力できないようにしている時点で「言語の入力装置」として終っていると厳しく糾弾したい。それらを使うかどうかは利用者の良識に任せるべきであり、言論統制の御上じゃあるまいし、Just Systemに最初から規制されるのはまっぴらごめんだ。



▼やっと本題の「尾崎豊の卒業」話

「尾崎豊の卒業」の話に戻って。
ラジオから流れてきて初めて聞いた日。いい曲だと思って真剣に聴いていたが、ツイートしたあたりの歌詞で「はあ?」となってしまった。
「信じられぬおとなとの闘い」はわかる。私にだってあった。だけどそれで学校の窓ガラス割って廻るのはただのバカだろう。なんたる甘えだ。それを歌詞にするか? 暴力の方向性をまちがえている。いい声で、歌も上手く、好きなタイプの曲だっただけに、このときの脱力感は強烈だった。いい歌だなあと思っていたものが、いきなり失笑の対象になってしまった。だからこそ強力に刻み込まれたのだが。

発売になったのが1985年の1月21日で、すぐに大ヒットしたらしい。私が耳にしたのは2月ぐらいか。深夜だった。私はこのころはまだ深夜にラジオを聞いていたのか。いや、もう聞いてない。ほんとにたまたまだ。毎日レンタルビデオを見まくって映画の勉強をしていた頃である。同じく、やっとJazzが解るようになって、CDを買いまくり、レンタルビデオ屋の名盤ジャズを借りてきては、解説書片手にせっせと勉強していた。砂地に水の感覚でJazzが染みこんでゆくのが心地よかった。
たぶんそんな中、「耳休め」に珍しくラジオをつけたのだ。その意味では縁があったことになる。



さて、そういう好きでもない古い歌の想い出を今ごろ書いた理由。ここからが本題。

この歌が大ヒットしている頃、私は初めての競馬取材で北海道日高地方に行った。初めて行く冬の北海道が怖くて、札幌の事業家である友人に相談した。大学の音楽サークルの後輩であり、学生時代に親しかったのはもちろん、卒業後も彼が東京に来るたびに会っていた。とはいえそれは年に一度ぐらいになりつつあった。

私は冬の北海道が怖かった。なにしろおしっこも出ると同時に凍ってしまうため、男便所にはトンカチが、女便所には釘抜きが用意されているという信じがたい極寒の地だ。
それはまあこどものころ落語で覚えた冗談だが、じつにもうほんとの話、私は彼に防寒着と防寒靴、防寒帽、マフラー等を宅配便で一式送ってもらったのである。嘘みたいなほんとの話。彼はたぶんあまりに冬の北海道を慄れる私を笑っていたろうが、快く新品を買い揃え宅配便で送ってくれた。いま思うと大げさで恥ずかしい。でも一式詰まった段ボール箱が旗の台のアパートに届いた日をいまも覚えている。感謝した。実際に行った冬の北海道はなんの問題もなく、室内は関東よりも暖かった。トイレにトンカチもなかった。釘抜きのほうは確認していない。とはいえ北海道では温暖な日高地方ではあるが。だからこそ競走馬の生産が可能だった。本来北海道は馬の生産には向いていない。寒すぎる。あれは地域おこしとして始まったものだ。

これを機に、私は毎月のように日高取材に行くようになり、学生時代と同じ交友が復活した。取材が終り札幌に戻ると、いつも一緒に飲み歩いた。
私は二十代のときから北海道には行っていたけれど当然貧しかったから歓楽街は知らない。彼は学生時代からスカイラインGTに乗っていた裕福な学生だったが、このときは早世した父を継いでいくつもの会社の社長になっていたから、よりグレードアップしていた。いわゆる「ススキノ」を案内してもらった。北海道は夏しか知らなかったが冬もまた美味しいものがいっぱいあって楽しいのだと知った。



彼自身も学生の頃から競馬好きだったので、私の日高取材に同行して、一緒に牧場に泊まったりした。彼のクルマ──えーと、なんだっけ、ホンダのいい奴、レジェンドか──で千歳から日高まで走ってくれるのだからありがたい。ベンツを買えるのにベンツでないのがいい。そのとき私は飲み助だからと自重して免許をもっていなかった。後に牧場取材に必要と急いで取ることになる。それからは外国でのドライヴが趣味のひとつになった。

彼からしても、ひょんなことから競馬の仕事をするようになった先輩に同行して、一般ファンでは不可能な憧れの名馬や有名牧場主に会えるのだから楽しかったにちがいない。今も思うのだが、中央競馬会機関誌優駿の取材、というのは強かった。怪しい競馬雑誌には応じないひともみな気持よく話をしてくれた。しみじみ恵まれていたと思う。私は取材に向いていない弱気な「へたれ」であり、それでいて短気だから、冷たい応対をされたら途中で挫折し、この仕事からは足を洗っていたろう。
後に彼は馬主にもなった。親しくなった牧場との半額出資のような形だったけど。

そんな彼とレジェンドで日高に向かう道すがら、なぜか前記「卒業」の話になった。カーラジオから流れてきたのか。彼もCD派だったからラジオから流れてきたのではないと思うのだが……。
とにかくそれが話題になり、私は今回ツイートしたのと同じく、「おとなへの反感はわかるけど、だからといって学校の窓ガラス割って廻られたらたまらんよなあ」と呟いた。すると彼がガハハと大口を開けて笑い、「それはもうまったくそのとおりですね」と言ったのだった。
そのときのことを鮮明に覚えている。どうでもいい歌のどうでもいい感想であるから、他の誰ともこんなことを語ったことはない。だから私にとって「尾崎豊 卒業」の想い出は、彼と交わしたこの会話「たったひとつ」なのである。



その彼が二年前、52歳の若さで突如逝ってしまった。早世した父親と同い年である。なんとも早世の家系というのも残酷だ。15歳年下の奥さんと、まだ高校生のひとり息子を残して……。

その彼の命日がちかづいている。
スポーツ紙に「尾崎豊記念館が取り壊される」とあった。彼が不審死を遂げた民家がひと部屋を尾崎ファンに開放し、彼の遺品を陳列していたのだとか。今回改築することにし、その部屋も壊すらしい。
そのことから「尾崎」「卒業」「早世した友人」と想い出が繋がっていった。

偲ぶことが供養になると思っている。こんな形でも想い出を語ることは彼によろこんでもらえるだろう。そう思って書いてみた。
  1. 2011/11/18(金) 08:40:25|
  2. 音楽
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ライブドアブログ字数オーバー初体験──ちょっと痛かったけど……

ブログ文章の誤字チェックをしていた。私はその事に関してはかなり真面目だと思う。時間があると過去の文をチェックして誤字直しをしている。それでもまだまだあるだろうから、とても自慢できるレベルにはないが、姿勢としては極めて実直である。

今日も「八大競」と書いてあるのを見つけ、赤面しつつ直した。競馬に関する文章だ。競馬は「競」である。しかし一般的には競のほうが優先されるからIMEでもこちらが先に出る。これは競馬文章を書き始めたひとがよくやる失敗になる。私も昭和61年に『優駿』に初めて競馬文章を提出した際、これをやってしまった。赤字で直されているゲラを見て気づいた。そのとき私は既に競馬歴10年以上だったが「競争と競走」を気にしたことがなかった。そんなものである。競馬ライター初心者だったのだからしかたない。しかしいまだにやるのは笑えない。

『優駿』編集者が優駿エッセイ賞応募作に関して、「競走を競争と書いているだけで読む気が失せる」と言っていた。第一次審査は編集部である。応募するひとは気をつけたほうがいい。こんなところからすでに審査は始まっている。

「競馬大好き<きっこさん>──2006年7月29日の日記──ホワイトフォンテン単勝配当の不思議???」という文章を手直しし、多少書き足して、アップしようとしたら以下のようなのが掲示された。


mojisu


初体験である。ブログ文章にも1回の字数制限はあるのだろうとは思っていたが、現実に表示されるのを初めて見た。新鮮だ。
15000字というと原稿用紙40枚ほどか。ここでいう15000字は改行も空白もなくびっしり字数だけの15000字だ。改行空白の多い会話体を考慮すると、現実的には60枚程度と思える。

ひとつのブログ文章でここまで書いて、こんなのを表示されるひともそんなにはいないだろう。

以前も書いたことだけど、「俺ほど長文のブログ日記を書いているやつもいまい」と自慢気に言う知人がいた。そのひとはすべてを携帯電話でやっている。センテンスが短く、文章は一行空けだ。スカスカ。
コピーしてテキストエディターに貼り、空白を削除し、まともな文章に整形したら原稿用紙4枚ほどだった。ちっとも長くない。とはいえ毎日携帯電話で原稿用紙4枚分の文章を書くのはたいへんだ。私には出来ない。パソコンなら何十枚でも平気だけど。
自分が長いことを自慢しているのではない。恥じている。そこは誤解なきように。むしろ小柄な女性には痛がられたりして自慢どころではない。



理由は明瞭だ。なつかしい競馬の話だから調子にのってほいほいと書きつらねてしまった。コクサイプリンス、フジノパーシア、ヤマブキオー、トウコウエルザと、想い出が尽きない。自分でも長すぎると思ったから<父さん>や<母さん>に関する部分は削除してAJC杯だけに絞った。かなり削ったのだ。そしてアップした。今回ほんの100字ぐらい足しただけで字数オーバーになったから、すでに元文で限界ギリギリだったことになる。
戦争の想い出を語り始めた年寄りが止まらなくなってしまうのと似ている。すなおに恥じた。

私のブログの読者の半分はケータイ接続だ。この長文を携帯電話で読むひとってすごいな。



30年前、ワープロを購入した。28万円。もちろん月賦。丸井。月賦利息がさらに3万円ぐらい上乗せされたのかな、たしか。丸井はあくどかった。でも丸井じゃないと買えなかったから恨みよりも感謝だけど。筆圧が強くて指が腫れ上がってしまう私には夢の機械だった。
これの1文章の字数限界が8000字だった。原稿用紙換算20枚だが、前記したようにこういうのは空白改行関係ない計算だから23枚ぐらいは書けた。

しかし30枚の注文だとこなせない。そしてまたフリーランスライターには30枚の注文が多かった。ここがむずかしい。15枚の文章をふたつ、のように割り切った。でもそれをプリントしてきっちり30枚にするのは手間取った。インクリボンがすぐになくなってしまうので感熱紙を使ったり、あれこれ苦労した。
このあと20000字に増えたので買い替える。22万円。新型機が安くて高性能。デザインもしゃれている。ワープロが普及し始め、ぐんぐん安くて高性能になっていった時期だ。これだと50枚だからほとんどの原稿は問題なかった。しかし80枚の注文があり、またふたつに分けねばならなくなった。

私はここでパソコンの『一太郎』に切り替えた。NECのPC9800。これで字数制限から解放された。フロッピーディスク1枚に分厚い単行本が一冊入る。脅威だった。OSはMS-Dos-3.1。パソコンにはついて来なかった。別途3万円で買わねばならなかった。フロッピーディスク2枚のOS。
すでにパソコンは持っていたのだが音楽用にしか使っていなかった。
やがて今度は『一太郎』の重さに辟易して、『VZエディター』というテキストエディターに切り替える。

とまた思い出話を書き始めると長くなるのでお終いにします。



2011年11月15日。ライブドアブログ字数オーバー初体験記念日。ちょっと痛かったけど痛さのなかにすこし気持ち良さもあった。早く体験したいと思っていたのでうれしかった。これでもうおとな。
  1. 2011/11/15(火) 03:50:45|
  2. ブログ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

初心者の知ったかぶり──ヴの馬名──泉谷への意見

kikko-v


ブエナビスタ、トーセンレーヴの妹であるジョワドヴィーヴルが11月12日の新馬戦を勝った。そのことに対する書き込み。

ィーォドカも知らないんだな。呆れた。むかしの馬じゃない。現役馬だ。なんにも知らないくせに、なんでこんな高飛車な言いかたが出来るのだろう。「たまんない」はこっちのセリフだ。

競馬や音楽という自分の詳しいものを通すと、このひとの言っていることがまちがいだらけであることがよくわかる。専門知識をもっている多くのひとが同じ事を感じているだろう。このひとの発言はぜんぶ無知の知ったかぶりである。全分野。いっとき話題になった「政治の裏情報」みたいなものも、今ではみな根拠のないフカシであったことがわかっている。

極めて悪質なデマゴーグである。

以下は、東北支援のためのコンサートを企画した泉谷しげるへの意見。放射能恐怖をまき散らしてアフィリエイト商売をしているので、「食べて応援」を泉谷が引っ込めたことがうれしくてたまらないらしい。なぜか親しげに「さん」をつけている。

「泉谷さんは、山のように寄せられた意見や進言すべてに目を通してくれて、中にはムカつく中傷もあっただろうに、ちゃんと誠実に応えてくれた。本当に立派だと思う。偉そうな言い方になっちゃうけど、泉谷さんは今回のことですごく学んだと思う。次は絶対に正しいことをしてくれると信じたい。」

勝ち誇ったかのような高見からの視線。怒りでくらくらする。
  1. 2011/11/14(月) 08:06:48|
  2. きっこ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

地デジチューナーがaviファイルを再生した!──今年一番のよろこび(笑)

いやあうれしいなあ。こんなことがあるとは思いもしなかった。
購入した地デジチューナーに外附けHDDを繋ぎ初期化しようとした。パソコンでデータ用として使っていて、だいぶへたってきた(健康度が下がっている)ので第一線から引退させた映像ファイルの入っている古いHDDだ。Seagateの320GB。
解説書には「テレビ用に初期化したHDDはパソコンとの併用は出来ません」とある。当然と思う。規格が違う。よって初期化するに当たり、そのHDDだけに入っている独自のファイルはないかと点検した。そういうことに関しては私は慎重だから二重保存、三重保存をしている。だいじょうぶと確認したが、それでもHDDを真っさらにする初期化の前はいつも緊張する。

すると、地デジチューナーの「外付けストレージ」のアイコンが、初期化していないHDDの中身を見せるのである。何事かと思う。こんなことが出来るのか。それはaviやISOファイルだった。まさかと思いつつ再生ボタンを押す。すると、なんと、そのまま再生が始まったのである。パソコンのHDDにあったaviファイルを地デジチューナーが再生し、テレビがそれを映し出したのである。「おおっ!」と声を出すほど愕いてしまった。続いてISOファイルをやってみる。これも再生する。なんという感激だろう。



chidegi


aviファイルはパソコンでしか再生できない。これをなんとかテレビで見られないものかと思っていた。誰でも考えることだ。私はそれをmpegに変換してDVDに焼いて見ていた。しかしこれってかなり面倒である。パソコンに最も負担を掛けるのはエンコードだ。そもそもパソコンディスプレイで気軽に見られる。それをわざわざエンコードしてDVDに焼いてまでテレビで見ようとするのはおかしい。でも食事しながらテレビで見たい娯楽番組はそれをするしかない。かなり疲れる作業だった。ほんの数回しかやっていない。いくらなんでもそこにいたる労苦が多すぎる。1時間の娯楽番組をテレビで見るための作業に3時間かけるようなものだ。しかし酒を飲み、つまみを口にしながらテレビで見る娯楽番組の愉しさもまた格別だ。
で、どうなったかというと、私は、絶対にタブーにしていた「パソコン前の飲食」をするようになっていた。堕落である。なんとしてもこれだけはやめねばと思っていた。そう思いつつ、パソコンの前で酒と肴を口にする自分がいた。



大型プラズマテレビをもっている映画好きの友人はパソコンからテレビに出力して見ていると言う。そうなのだろう。それしかない。今回購入した地デジチューナーにはHDMI端子があるので、やっと私もそれができると楽しみにしていた。しかし私のパソコンとテレビはかなり離れている。HDMIケーブルなんてみな1.5メートルぐらいだ。それじゃ届かない。5メートルぐらいのはないかと探した。そんなものはなかった。

ISOファイルはいちいちDVDに焼いてテレビで見ていた。私は腰痛持ちだし、寝ころんでみるのが好きだから、映画や娯楽番組をパソコンディスクで見ても楽しくない。つらくなる。映画館に行かなくなってしまったのは、椅子にじっと2時間すわっていることが苦痛だったからだ。

映画にはハズレも多いから、せっかくDVDに焼いても、駄作だとすぐに捨てることになる。もったいないと思う。メディアはもう十分に安くなっていて、さほどのことはないのだが、高い時代を知っているから捨てにくい。よってここのところ繰り返し使用が可能なDVD-RWを利用していた。ところがいまのDVDは16倍速だからあっと言う間に焼けるのだが、RWになるといきなり2倍速のままなので、とろい。時間が掛かる。でもやるしかない。



と、あれこれあった問題が一気に解決してしまった。なにもする必要がない。パソコン用HDDの中身を地デジチューナーがそのまま再生してくれる。こんなことが出来るとはまったく考えていなかったので、この愕きはおおきい。
とりあえずその320GBのHDDを初期化してテレビ用にしたあと、まだ半信半疑のままもうひとつのデータ用1TBを接続して見た。これにもaviとISOがたっぷり入っている。つい先日、2TBと交換するまでデスクトップ機で使っていたものだ。
まちがいない。きれいに再生する。まさかこんな形で積年の望みが叶うとは。うれしくてたまらない。

今時のテレビはネット接続してYoutubeまで見られるらしいから、こんなことでよろこんでいる私は家電好きからは「遅れている」と嗤われるのだろう。そういや私の地デジチューナーもネット接続が出来るようだ。まだやっていないし、べつにテレビでインターネットを見る気もないのでそれはどうでもいい。

おどろいた。うれしい。この10年の懸案が解決した。望外の喜び。今年一番の「意外!」になった。

============================================

【追記】──しっかり取説に書いてあった(笑)

取説を読んだら、aviを始め対応ファイルがしっかり書いてあった。ISOも書いてあった。大はしゃぎしたのが恥ずかしい。
機械好きなので、そんなもの読まなくてもすぐに接続でき、失敗もなかった。録画予定もなかったのでHDD接続はしなかった。購入して3日目ぐらいに、録画の予定はないがとりあえず接続しておくか、と思い、上記の「歓喜の大発見」となった。いまこうして書いていてもニヤニヤするぐらいうれしい。腰痛持ちなので映画等は寝転んで見たいのだ。

2万円の品だった。発売は今年の6月。いよいよアナログ放送終了とカウントダウンの時期である。ぎりぎりの時期の新製品と言える。
今回、107日ぶりにテレビのある生活に復帰するに当たり、どうせろくにみないのだからいちばん安いヤツでいいかとも思った。5千円からある。8千円ぐらいので十分なのだ。でもこれだと2009年の製品で外附けHDD接続機能はなかった。
どんな品であれ107日ぶりの復帰だからテレビのある生活に戻ったという感想の文章は書いたと思うが、それらの製品だと今回の喜びはなかったことになる。テレビがまた見られるようになっただけだ。
こちらの機種にしてよかった。ケチらなくてよかった。2万円と8千円じゃたいしてちがわないけど、「差額の12000円で馬券が買える」と考えると大きな差なのである(笑)。

パソコン用のHDDに収めた各種ファイルを、そのままテレビで再生して見られる。
うれしい。ほんとにうれしい。
  1. 2011/11/14(月) 07:22:47|
  2. 地デジ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

叶姉妹の芸歴26年(笑)──触れられたくない真実──デヴィ夫人

【芸スポ萬金譚】叶姉妹の芸歴26年(笑)──触れられたくない真実──デヴィ夫人

朝っぱらからこんなこと書いて、なにやってんだ、おれ……。
  1. 2011/11/14(月) 06:53:48|
  2. 芸能
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

テレビのある生活──107日ぶりの復帰

テレビのある生活──107日ぶりの復帰

7月24日からテレビのない生活をしていた私が107日ぶりにテレビのある生活にもどった感想を綴った私的な長文駄文です。つまらない内容なので、そのことに興味のあるかただけ読んでください。<きっこさん>の便所コオロギもすこし出て来ます(笑)。
  1. 2011/11/12(土) 08:34:26|
  2. 地デジ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

突如「日本人」と言い始めたへ──ニポンへ帰れ!

kikko-nihon3


こういうのが今更なにを言おうとどうでもいい。だから中身には触れない。だが、表記にはこだわりたい。
今まで常に日本と日本人のことを「ニポン」「ニポン人」と表記して、真っ当な日本人を不愉快にさせてきたくせに、こんなときだけ都合良く「あたしは日本に住む日本人だから」はやめろ。

あんたは「ニポン」に住む「ニポン人」だ。断じて日本人ではない。ニポンでなら、西ニポンの山奥に疎開していてもTokyoのADSLでTwitterができる。あんたは今も魑魅魍魎が跋扈する「ニポンに住むニポン人」だ。軽々しく私達の母国・日本の名を出さないでくれ。

私達日本人は、あんたを日本人とは認めない。滅びて世界の反面教師になるのは「ニポン」であり、死にたえるのはあんたのような「ニポン人」だ。

============================================

【参考】──ニポン人<きっこさん>の発言例


《福島第一を止める唯一の方法は、あたしが震災直後から言って来たように、福島沖までアメリカ空母に来てもらい、戦闘機を発進させて小型の核弾頭ミサイルを福島第一にぶちこみ、すべてふっ飛ばすしかありません。 こうすれば日本の3分の2以上は死滅しますが、北半球の7~8割は助かります》

モーニング娘の「ラブマシーン」の替え歌。

ニッポンの未来は~ウォ~ウォ~ウォ~ウォ~原発爆発~ウォ~ウォ~ウォ~ウォ~ セシウム飛び散る~~ウォ~ウォ~ウォ~ウォ~もう~ダメじゃないのさ~♪

「手のひらを太陽に」の替え歌でこんなのもやっている。

僕らはみんな~被曝する~何を食べても被曝する~僕らはみんな~被曝する~~♪
  1. 2011/11/09(水) 19:21:20|
  2. 地震
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

競馬大好き──2006年7月29日の日記──AJC杯ホワイトフォンテン単勝配当の不思議???──修正文

競馬大好き<きっこさん>──2006年7月29日の日記──AJC杯ホワイトフォンテン単勝配当の不思議???を全面的に書き直しました。一度読んでくださったかたも是非もう一度目を通してください。

これまでもたびたび

・初めての競馬場は4歳の時<父さん>と行った1976年のAJC杯。
・4歳のあたしがホワイトフォンテンを推奨し<父さん>は単勝を千円買った。
・ホワイトフォンテンは勝って<父さん>の千円が7万円になった。


と、ホワイトフォンテンとAJC杯のことを何度も何度も書いてきた<きっこさん>ですが、1976年のAJC杯ホワイトフォンテン単勝配当は1820円であり、千円買っても18200円にしかならないことを確認しました。詳しくは本文で。
  1. 2011/11/07(月) 04:32:36|
  2. 競馬
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

子は親を選べない──野田聖子議員の子作りに思う──に附記

一週間ぶりにブログを書こうと思ってここに来たら、この一週間更新していないのにやたらアクセスが多い。何事かとチェックしたら8月9日に書いた「子は親を選べない──野田聖子議員の子作りに思う」へのアクセスだった。
野田聖子がなにかで話題になったのか、それとも影響力のあるメディア(2ちゃんねるとか)に、これが貼られたのか。

文中に乙武さんに関して書いた箇所があり、直さねばと思っていたからちょうどいい。附記を書いた。それは以下の文。本が出たころは「くん」だったけど、もう二児の父親なんだから「さん」にしないと。

※  ※  ※

野田聖子がエゴで作った赤ん坊が病弱で、生まれてからずっと手術ばかりで「全身ブラックジャックの傷跡のよう」と発言したのを知ったのが6月11日。すぐに書こうと思ったけど、あまりに気分が悪く、やっと書けたのが8月9日。そのとき乙武さんに関して不明瞭なことを書いてしまい、どこかで確認せねばと焦った。病院の図書室に「五体不満足」があるのを見つけて確認したのが10月11日。それを附記として書いたのが11月4日。ずいぶんとのろい流れになってしまったがそれだけ重いテーマなのだからしかたない。
他人のやったことに意見など言いたくない。言えるようなりっぱな人間でもない。でもこの件に関しては言わずにはいられなかった。なんともむごくひどい話である。だが当人にはまったく自覚はなく、「わたしの子供は命がけで生きている。政治家も政治に命かけてみろや!」と演説のネタにして悦に入っている。鬼としか思えない。詳しくは8月9日の文に書いてあるのでそちらを読んでください。


===========


【附記】──「五体不満足」再読(10/11)

病院の図書室に「五体不満足」があった。再読した。出たばかりの時に読んだ本だ。何年ぶりだろう。
そこで上記の勘違いを知ったので訂正する。

乙武君のお母さんは、妊娠してから一切病院に行かなかったらしい。エコーなども撮っていないのだ。だから生まれてくるまで乙武君に手足がないことは知らなかった。産んでから、病院側が、母親がショックを受けるだろうと何日か会わせなかったとか。そしてやっと会えたとき、前記したように「まあ、かわいい」となった。
もしも事前に手足のない子であることがわかっていたら産むか産まないか悩んだと、母親は乙武君に語ったそうだ。著書にそう書いてあるのを確認した。そのことを忘れていた。

すこし不思議な気がする。
妊娠したような気がして医者に行く。妊娠が確定する。それから出産まで、定期的に医者に診てもらうものではないだろうか。現代では。
乙武君のお母さんは出産するその日まで一切医者に行かなかったという。だから男女の性別まで解る時代に、お腹の中の我が子が四肢缺損であることを知らなかった。でも、そんなことがあるのだろうか。



私がこどものころ、田舎ではすごい話が山ほどあった。農作業に出て、田んぼや山で産んだなんて話がある。産んだというか、生まれてしまったのだ。その日まで働いていたのである。働き者というのか、そういう貧しい時代だった。でも母子ともに健康。山から赤ん坊を抱いて自力で歩いて戻ってくる。
そういう地域と時代だから、「ほんとうは双子だったけど、畜生腹と嗤われるから片方を間引いた」なんて話も拡がってしまう。畜生腹とは、双子を産んだりすると動物のようだと蔑まれることである。むかしの田舎はそんなものだった。そう言われるのを嫌って産婆と家族が相談して生まれてすぐ片方を殺してしまう。いまなら殺人罪だ。ふつうに暮らしている男の子が「あれはほんとうは男と女の双子で女の方を間引いたんだ」と心ない連中に後々まで言われるのだから残酷な話だ。

私は小学生の時、そういうことを言う母を、人の心を傷つけるから言ってはならないと窘めたことを覚えている。一応母を弁護すれば、彼女はそういうことを軽く口にする薄っぺらな人間ではあったが悪人ではなかった。嫌いな人間を貶めようと根も葉もないことを言うのではなく、みんなが知っている事実だからと、気軽にしゃべってしまうのである。「だってほんとうのことだもの」と、息子に注意されて口をとがらせる四十代の母に小学生の私が、「本当のことだからといって何でも口にしていいものではない」と説教した。



また脱線するが、競走馬にも双子は多い。だが本来1頭分のスペースで育った双子馬はちいさくてひ弱な仔が生まれる。よってまだちいさな時点で片方を潰す。生産地で頼りにされるのはそれが巧い獣医だ。名人と呼ばれるひともいる。詳しい技術は知らないが「馬の子宮に手を突っこんで、片方だけ卵子を潰す」のだそうな。これは度胸のいる作業になる。なにしろ何百万円もの種付け料を払って受胎した仔だ。形のいい牡馬が生まれれば何千万円にもなる。だが潰しかたをまちがって流産になったら0である。かといって双子で生んだのでは競走馬として通用しない。これも0だ。怖いけどやらねばならない作業になる。
そうして生まれた子は二頭分の運命をしょっているからか活躍する。私の知っている有名馬だと二冠馬サクラスターオーも間引かれた双子の片割れだ。
人間だとホームラン王の王さんは双子で生まれ、片方を1歳でなくしている。王さんの活躍も二人分だからだろう。

むかしは農作業のさなか、田んぼや山で自力で産んだと書くと、むかしの女が強かったようだが、今でも女子校生が公衆便所でこどもを産み捨て、自分はそのまま平気で暮らしていたりするのだから、女の強さは変っていない。一方、難産で命を落とす人もいる。個体差か。



乙武君の話は本当なのだろうか。
私には、妊娠から出産まで一切検査を受けず、四肢缺損であることを知らなかったとは信じがたい。
といって、知っていて産んだとも思えない。ならやはり本当なのか。
それはもう、乙武さんが二児の父となっている今では、どうでもいいことなのだろう。

私は、妊娠時に四肢缺損のような大きな障害が判ったら、中絶するのがよいと思っている。
この考えに変りはない。

乙武さんは「野田聖子のこども」にどんな意見を持っているのだろう。訊いてみたいものだ。
  1. 2011/11/05(土) 10:31:39|
  2. 野田聖子
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

学生時代に行った外国で衝撃的だった国──大阪

ライブドアブログが「こんなことを書いたら?」と奨めてくるブログテーマに「学生時代に行った外国で衝撃を受けた国」とあったので即座に「大阪」と書き、しばらく考えてから大阪は日本であることを思い出した。でも今まで行った50ぐらいの国と比べても大阪の衝撃度はベストスリーに入る。独立したんだっけ? 大阪ってまだ日本国の中にあるんだっけ? わからなくなってきた。独立戦争をやってるんだったか。いや国内で戦争をやってるのか、内乱? ハシシタ大佐というのの独裁がどうのこうのとニュースで見た記憶がある。
TPPで国がめちゃくちゃになっても日本にはアメリカに対抗できる最終兵器・Osakaがある! そのとき、のぼせあがったアメリカは恐怖に震えるだろう。ニューヨーク、ワシントンDC、ロサンゼルス、シカゴ、大都市にみなOsakaを落としてやる! 本気だからな! そのとき謝っても遅いからな! 今日はこのくらいにしておいてやる。
  1. 2011/11/05(土) 07:13:52|
  2. 旅行
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

競馬大好き──2006年7月29日の日記──AJC杯ホワイトフォンテン単勝配当のウソ

以前<きっこさん>は公営ギャンブルを否定し、パチンコのような個人バクチを好んでいました。2年前のエリザベス女王杯で12万円の馬連を100円当ててから突如競馬好きになります。そのことから「ほんとうは幼い頃からずっと競馬好きだったわたし」という設定を無理矢理追加します。

いまではメールで親しくやりとりしているらしい競馬好き作家の重鎮・石川喬司さんを「競馬の師匠」とまで呼んでいます。石川さんも「親孝行」な<きっこさん>が大好きのようです。ここのところ放射能が来るよお、こわいよお、と布団を被ってブルブル震えていた<母さん>は行方不明です(笑)。



<きっこさん>の創作した競馬好き少女の物語。
1976年、4歳の時に<父さん>と一緒に行った東京競馬場が<きっこさん>の競馬の原点です。そこで<きっこさん>さんが薦めた芦毛馬ホワイトフォンテンの単勝を<父さん>は千円買います。レースはAJC杯。

《あたしがまだ4才か5才のころのことで、その日は「AJC杯(アメリカンジョッキークラブカップ)」っていう競馬が行なわれてたそうだ。それで、父さんは、あたしを連れて府中の東京競馬場へ行ったんだけど、レース前にパドックで出走馬を見ていたら、あたしが灰色の馬を指さして「あのお馬さんがいい!あのお馬さんがいい!」って言ったもんだから、父さんは、自分の予想した馬券の他に、その馬の単勝馬券を1000円買ったそうだ。この1000円の馬券が7万円以上になって、そのゴホウビとして、あたしは、帰りにどこかのレストランで、チョコレートパフェを食べたそうだ。》2008年3月29日の日記。

おそらくこれが初出。創作日(笑)。石川喬司さんとのメールやりとりから石川さんや寺山修司を検索し、智識を積み重ねての創作と思われる。いかにも「過去の調べ物をして、こんなの作りました」って感じの駄作。この「物語」も、「ホワイトフォンテンと父さんの想い出」が表だとすると、むしろ裏の「あの日、石川先生も競馬場にいらっしゃったんですね。もしかしたらすれちがっていたのかも」という有名人へのすりよりがより重要なテーマとなっている。

石川さんはこんな話に弱い。ころっとだまされる。優駿エッセイ賞でも審査委員長としてこんな作風に率先して大賞をあげてきた。<きっこさん>はジジーコロガシがうまい。自分もジジーだからツボがわかるのだろう。
でもこの駄文、あまりにベタな設定だ。優駿エッセイ賞に応募しても一次審査で落ちる。優駿エッセイ賞のすべてを知りつくしたグランプリ受賞者の私が断言する(笑)。いや絶大な権力を持つ石川さんの力で無理矢理佳作ぐらいになれるかな。駄文の全文はここにあります。

石川さんをうまくだましたこの話がよほど気に入ったらしく、その後も頻繁に出てくる。厳選した日記のみを撰んだ書籍版にも収めている。私は検索ベタだし何より面倒なのでここにはみっつ(元文をいれるとよっつ)しか例を挙げないが、たぶんもっともっと登場しているだろう。なにしろ原点(笑)だから。

《お待ちかねの「アメリカンジョッキークラブカップ」、略して「AJC杯」がやって来るので、しばらく神秘のパワーを充電してたあたしは、モンローブロンドのような美しい脚でスックと立ち上がり、久しぶりの「エヴァンゲリオン予想」を楽しもうと思ってるんだけど、そんなマチカネタンホイザも1994年に優勝してる「AJC杯」は、あたしが4才馬だった時に、父さんに連れられて府中競馬場へ行き、あたしの「あの白いお馬さんがいい!」のヒトコトで、父さんにホワイトフォンテンの単勝を特券で獲らせた思い出のレースでもある》2010年1月19日の日記。

「設定」は、「成人してからの<きっこさん>が<父さん>に会い、自分の4歳の時の話を<父さん>から聞いた」ということになっている。「きっこがあんまり何度もあの馬がいいって言うから、父さん、ホワイトフォンテンの単勝を特券で買ったんだよ。そしたら70倍もついてなあ」と<父さん>が話したのだろう。という「設定」。

ここで初めて「特券」ということばが出て来ます。当時は200円、500円、千円の三種類しか馬券のない時代、千円券を特券と呼びました。公営ギャンブルの「専門用語」です。

競馬のことを知らないのに、競馬にすりより、じつは幼い頃から競馬が好きだったという「設定」を<きっこさん>は2008年3月から始めるわけですが、このときはまだ勉強不足で「1000円買った」と書いています。2010年1月にはその後の勉強が実を結び「父さんに特券で取らせた」と専門用語を使っています。あ、「らせた」でしたね。漢字に凝る<きっこさん>の文は正確に再現しないと。この辺に<きっこさん>の競馬勉強の成長が見えてほのぼのとしますね(笑)。

《今から30年以上も前のこと、物心ついたころのあたしは、父さんに連れられて行った競馬場のパドックで、白くて可愛い馬を見て、「あのお馬さんに乗りたい!」って言った。あたしの言葉を聞いた父さんは、その馬の単勝を特券で買った。スタートからトップに躍り出た白い馬は、他の馬たちを大きく引き離したまま、空を飛ぶようにゴールした。幼かったあたしの目には、まるで背中に翼の生えたペガサスのように見えた。 父さんの買った単勝の馬券は、7万円以上になった2010年10月24日の日記。

「あのお馬に乗りたい」というあたらしいフレーズが出て来ます(笑)。
空を飛ぶようにゴールした。幼かったあたしの目には、まるで背中に翼の生えたペガサスのように見えた」ってのもベタだなあ。「幼児が競馬を見て感激したらどう感じるか!?」と知恵を絞ってもこれしか浮かばない貧困な発想。というか、こういう表現をすれば本物に思われるという浅はかさ。

《「AJC杯」と言えば、今まで何度も書いてきたように、今から35年前の1976,年、第17回のレースを父さんに連れられて府中競馬場まで観に行ったあたしは、1頭だけで白くて小さかった馬、ホワイトフォンテンをひと目で気に入り、父さんに「★おのお馬さんがいい!」って言って、その馬が1着でゴールを駆け抜けるシーンを目撃した。ちっちゃかったあたしは、「はじめてのおつかい」ならぬ「はじめての予想的中」ってワケで、あたしの予想でホワイトフォンテンの単勝を特券で買った父さんは、1000円が7万円になったってワケだ》2011年1月23日の日記。

完全な嘘話なので書くたびに微妙に内容が変化しているのが笑えますね。一貫しているのは「千円が7万円」です。

註・★おのお馬さんがいい!」
<きっこさん>は私と同じカナ入力である。「テレ」を「テレ」と誤打鍵するようなのはカナ入力独自のミスだ。この「あの」を「おの」とするのはカナ入力ではありえない。たぶんケータイからアップした文なのだろう。



ミニにタコ(by田代まさし)が出来るほど聞いた<きっこさん>の「ホワイトフォンテン話」だが、当時のことを記した私の資料「中央競馬レコードブック PRC刊」では、ホワイトフォンテンの単勝は1820円になっている。「単勝を千円買って7万円の配当」とはどこから出て来たのだろう。

IMG_0001


















ajc-s51


左の写真をクリックして、拡大して確認してください。単勝配当が1820円であることがわかります。



成人してから<父さん>に聞いた話という「設定」だが、競馬好きの<父さん>が間違えるはずもない。単勝18倍と70倍じゃあまりに違いすぎる。千円が7万円と18000円じゃ間違えるはずがない。すべてが作り話。そもそも父さん自体が架空設定。

枠連が72倍である。9頭立て8番人気のホワイトフォンテンが1着、前年の菊花賞馬4番人気コクサイプリンスが2着。なんでこんなについたのかというと、その他のメンバーが豪華すぎたからだ。それはこのあとに書く。

そのうちここを読んだ<きっこさん>は話を造りかえるでしょう。本命をコクサイプリンスにして、馬券を枠連にすれば辻褄が合います。そのポイントは騎手の中島かな。

《父さんの本命は前年の菊花賞馬コクサイプリンスだった。なんでも鞍上の中島啓之という騎手が父さんは大好きだったという。大人気のハイセイコーやタニノチカラを破って有馬記念を勝ったのも中島だった。関西馬のキタノカチドキが単枠指定というのになって大人気だったダービーでも、父さんは関東馬のコーネルランサーを応援した。勝てないと思っていたけど、それでも応援した。だって父さんはチャキチャキの江戸っ子だから。とにかく関東馬を応援するのだ。そのコーネルランサーが勝った。キタノカチドキを破ってダービーに勝った。そのときの父さんのよろこび。このとき父さんの中で中島啓之は世界一好きな騎手になった。
去年の菊花賞も断然関西馬有利だったのに中島が穴馬のコクサイプリンスで勝った。成人してから喫茶店であったとき、父さんは中島騎手の想い出を熱く語っていた。その中島さんは、それから数年後にガンで亡くなってしまう……。
コクサイプリンス本命の父さんは、あたしがあまりにホワイトフォンテンを薦めるものだから、コクサイプリンスからの枠連に無視していたホワイトフォンテンを追加した。それが見事的中。父さんの買った千円の枠連は7万円になった。》


とでも直されるでしょうね(笑)。すごく苦しい、かなり苦しい。

だって<きっこさん>は競馬なんか好きじゃなかったんだから。2006年にはこんな文を書いています。

ホラャララ団がやってる闇のカジノとかだって、通常のテラ銭は10%なのに、国が許可してるギャンブルが25%ものテラ銭を取るなんて、 どう考えてもボッタクリだ。

その上、競馬って、八百長が多過ぎる。あたしの知り合いで、競馬雑誌の編集者がいるんだけど、その人から、ある厩舎の調教師たちがやってる八百長の実態を聞いて、あたしは呆れ果てた。

八百長に利用されてる馬たちもかわいそうだし、こんなもんにお金を賭けるなんて、それこそ、北朝鮮に送金するのよりもアホらしいと思った。
2006年7月29日の日記より》

でましたね。ボッタクリに八百長。ボロクソですね。4歳の時の<父さん>との思い出を繋ぐ競馬のはずなのに、中学生の時には毎月必勝法を考案していたほど大好きな競馬だったのに……。これを読んだら石川喬司先生はなんと思うことか……。

得意の「知り合いから聞いた話」も出ました。そんなバカな競馬雑誌編輯者はいません。作り話なのが見え見えです。

北朝鮮に送金するよりアホらしい」ですか。今そこまで否定した「こんなもんにお金を賭ける」に夢中のようですけど。まあ競馬をやらないときもパチンコ狂いで北朝鮮に送金の手伝いはしてましたよね。

冒頭に赤字でみっつ掲載した「ホワイトフォンテンと<父さん>の想い出。競馬大好き<きっこさん>」と、この赤字の「競馬を憎むほど大嫌いな<きっこさん>」。どっちがほんとかと言えばそりゃもちろんこっちでしょう。

以上で本題は終りです。言いたいのは「<きっこさん>がくどいほど書いているホワイトフォンテンの単勝70倍はまちがい」ということ。<きっこさん>は競馬なんか大嫌いであり、それらは捏造だということ。それだけです。



インターネットで、むかしの競馬を調べて知ったかぶりをするのは簡単に出来る。有名馬、大レースに関しては、素人玄人入りまじって名馬物語が溢れている。私もYahooにけっこう書いた。仕事として。それらのエッセンスを呑みこめば、にわか競馬通一丁上がりだ。2ちゃんねるでも高校生が自分の生まれる前の名馬、昭和51年のトウショウボーイのことを「見てきたかのように」熱く語ったりしている。

ところが意外に金額のことはむずかしい。おそらく「逃げ馬ホワイトフォンテンが好きだった」という文章はインターネット上にたくさんあり、AJC杯や連覇した日経賞、あるいは若駒の時のダービー(ハイセイコーと同期)のことを書いた文もあるのかもしれない。両親の名やエピソードも知ることができる。でもAJC杯の単勝が18.2倍だったと書いてあるものは皆無なのだろう。もしあったなら1日18時間ネットをやる<きっこさん>が見逃すはずがない。

Wikipedia等でも着順や出走レースを知ることは出来るが配当はわからない。ホワイトフォンテンはたいした馬ではなかったが「白い逃亡者」と呼ばれた個性派逃げ馬だったからWikipediaにも載っている。でも配当まではない。もちろん日経賞の単勝万馬券のような派手なことは書いてある。だがあのレースの平凡な配当、単勝18倍ということをインターネットで知ることは意外にむずかしい。盲点か。私もそのために仕事用の資料を引っ張りだしてきて確認した。



推測すると、すべてネットから情報を得て知ったかぶりしている競馬初心者の<きっこさん>がライター用の資料である「中央競馬レコードブック」のような本をもっているはずはないから、35年も前のことだし解るヤツもいるはずがないと適当に7万円と吹いたような気がする。単勝70倍と18倍じゃぜんぜん違うが、これぐらいが適当かとやっつけ設定(笑)をしたのだろう。多くの読者がいるのに今まで指摘されなかったのは、そんな古い競馬を知っている読者がいなかったからだ。

そもそも<きっこさん>は競馬嫌いだったから読者にも競馬ファンはすくない。Twitterでも「競馬の話を始めるとリプライが減る」と書いていた。私はその流れを見たいのだが「彼女」をフォローしていないので見られない。ほんとうはフォローして観察すべきなのだろうがどうにもあんな薄汚いものをフォローする屈辱に耐えられない。
運よく誰にも指摘されないから悦に入って何度も何度も平然とウソを書きつらねて来たわけだ。なんとも滑稽である。結果として消せないほどの過失となったから、こちらからすれば大正解だ。1回だけなら直して知らんふりも出来るけど、うんざりするほど同じ事を繰り返し書いているから消せない過去になる。

そんなもの今までにももっともっと大きな事件で山ほどあるが(笑)、ともあれ私は競馬関係者としてこのウソを指摘しておきたい。蛇足ながらもういちど繰り返すが、これは「単に配当を勘違いしていた」という問題ではない。「すべてがウソの話である」という指摘だ。
  1. 2011/11/05(土) 07:01:02|
  2. きっこ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

プロフィール

fc2moneslife

Author:fc2moneslife
2001年に始めたサイトMone's World--http://monetimes.web.fc2.com/の出張版ブログ【木屑鈔】Boku-setsu-shouです。
2005年からやっているライブドアブログから引っ越してきました。FC2のサイトは2007年から利用させてもらっていました。これでやっとサイトもブログもFC2で統一です。
メールは、moneslife2000@kpe.biglobe.ne.jpまで。

最新記事

カテゴリ

未分類 (0)
大相撲 (32)
落語 (6)
生活 (84)
パソコン (78)
ことば (41)
読書 (29)
音楽 (50)
政治 (200)
テレビ (27)
インターネット (91)
漢字 (6)
オリンピック (11)
マスコミ (46)
NHK (2)
プロレス (6)
世相 (91)
総理大臣 (7)
映画 (21)
スポーツ (8)
園芸 (3)
将棋 (69)
Jazz (7)
競馬 (19)
芸能 (32)
旅行 (10)
格闘技 (4)
漫画 (14)
橋下徹 (16)
タバコ (4)
Rock (2)
中共 (11)
宗教 (9)
週刊誌 (7)
皇室 (9)
地震 (39)
台湾 (5)
石原慎太郎 (10)
CM (2)
きっこ (23)
地デジ (7)
朝鮮 (23)
国民栄誉賞 (2)
ツイッター (8)
女子サッカー (1)
野田聖子 (9)
訃報 (10)
ブログ (11)
飲食 (11)
電王戦 (2)
竹島 (9)
靖國神社 (6)
デヴィ夫人 (6)
酒 (4)
節電 (1)
ホッピー (5)
小沢一郎 (9)
Windows8 (2)
たかじん (5)
島耕作 (1)
物品 (3)
テレサ・テン (2)
選挙 (8)
佐川急便 (8)
猫 (1)
白川道 (1)
サヨク (14)
麻雀 (1)
郵便 (1)
通販 (1)
Asus Memopad (1)
文章 (2)
携帯電話 (1)

月別アーカイブ

カテゴリ別記事一覧

検索フォーム

リンク

このブログをリンクに追加する