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野田首相としずちゃんの顔──南海キャンディーズのしずちゃんを野田首相と勘違い

テレビのない生活をしている。新首相誕生関係のニュースはKey Hole TVの世話になった。
夕方、音を出さずに流しつつ、文章を書いていたら、新首相のボクシングシーンが映った。ヘッドギアをつけている。
早稲田時代柔道をやっていて有段者なのは知っていたがボクシングもやっているのかと思った。
新首相の柔道エピソードでは「山下に秒殺された選手に秒殺された」というのが好きだ(笑)。

このボクシング姿はむかしの秘蔵映像なのだろうか。
いやカラーだから、フィットネスのために今やっているのだろうか。すこし太目を気にしているようだったし。

と思ったら、「しずちゃん、韓国選手と対戦」と字幕が出た。音を出して見る。
それでそれが新首相ではなく南海キャンディーズのしずちゃんだと知った。



こういう話というのはだいたいにおいて「やらせ」「つくり」である。つまり、前々からふたりが似ていると思っていた私が、偶然テレビを見て気づいたという後付けでの作り話だ。
でもそうじゃなく、ほんとに野田がボクシングをしていると思ってしまった。そもそも私は野田としずちゃんが似ているなんて考えたこともない。

しずちゃんがロンドンオリンピックを目ざしてボクシングをやっているのは知っていた。トレーナーとの練習風景や試合の映像も何度も見ていた。大柄なだけにパンチが遅い。打たれすぎだ。日本代表になれたとしても世界には通じまい。本来ならしずちゃんだとすぐに気づかねばならない。なのに、ほんとに「新首相のボクシング映像」だと思ってしまった。ここ数日ずっと政治のことばかり考えていて、この時も「野田は日教組の輿石を幹事長にすえたのか」と、憤慨し呆れ返っていたとはいえ、ひどいかんちがいだった。

ふたりの画像を探して、並べてみた。似ていると思う。特に昨夕はヘッドギアをつけて髪の毛が見えなかったからよけいにそう思った。目鼻立ち全体が似ているが、唇のまくれ具合など、相似している。

私はこういうことににぶいので、世間ではもう大評判なのだろうと検索したら、まだどこにも書かれていないようだ。ひさしぶりのヒットかな(笑)。

shizu


noda


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shizu2


韓国選手にボコボコにされるしずちゃん。なんとか引き分けにもちこんだが「15点の出来」と反省。
新首相がこうならないよう願う。



しずちゃんの写真はMSN Sankeiより拝借。感謝。
http://sankei.jp.msn.com/sports/photos/110830/mrt11083021140003-p2.htm

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追記──山下と対戦あり(9/1)
 新首相は高校時代にすでに黒帯二段の腕前であり、山下と対戦があったとか。
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20110830-OHT1T00289.htm
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  1. 2011/08/31(水) 11:42:25|
  2. 総理大臣
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竹脇無我さんの訃報に後日記

「竹脇無我さんの訃報」に後日記を足しました。最後尾です。
週刊誌に近年の竹脇さんの「講演の様子」が載っていました。その内容に感じたものがあったので記しました。
鬱病を患うまでの竹脇さんと、それを克服しての竹脇さんでは、見えていた人生がまったくちがったのだと感じました。
竹脇さんの人生は、「15歳でお父さんを失うまで」「それを引きずりつつ、48歳で鬱病を発症するまで」「闘病期間を経て、それを克服した50代後半から亡くなるまで」のみっつに分かれると思います。
栄誉栄華は20代半ばから48歳までの役者生活にあるわけですが、週刊誌に収録された講演を読んで、晩年に、もうひとつの満ち足りた時間があったのだと感じました。それは15歳までの愉しい子供時代に匹敵するものだったでしょう。人生の悲喜を経験しているだけに、子供時代よりもっと充実したしあわせな時間だったろうとも思います。精神的な充実感は、美男俳優として売れっ子だった時代よりもむしろ晩年のこののんびりした時間の方が大きかったのではないでしょうか。なにしろ心に一点の曇りもなかったのですから。

親の自殺は子に影を落とします。子のために、親は自殺してはならないと、あらためて思いました。
  1. 2011/08/30(火) 06:43:04|
  2. 訃報
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民主党代表選──反省のない自分語り──野田総理、誕生!

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野田の挨拶を聴いていたら、駅前で辻説法をやっている自分を語っている。毎日毎日駅前に立って演説をした。そうして得た初当選のときの得票は19***票だった。次のときは雨降りで、落選かなと思ったら21***票を取って当選した。雨の中を傘をさして投票にきたひとたちが投票してくれた。前回より****票増えた。私の得た得票は、ひとクラス40人とすると、***クラスに匹敵する。と数字を端数まで並べている。そんな数字の羅列になんの意味がある。

これはコンピュータ附きブルドーザと言われた田中角栄の真似か? あのひとも数字を並べて演説に説得力を増すのが得意だった。しかし数字の羅列は国家の経済力や景気の上昇等の大きなテーマに使うべきであり、野田の得た投票数に連発されても白けるだけだ。雨の日の二回目の投票日の時、野田が前回よりも得た投票が1956票多かったか、2183票多かったか、どうでもいい話なのだ。この辺、センスがない。頭がいいのに頭のよさをどこに発揮するのか勘違いしている。もっともこれは民主党議員に対する演説だから、感激する新人議員もいるのかもしれない。
どうせなら「駅前留学はノバ、駅前演説は野田」とかの得意のダジャレを言えばいいのに。ノバつぶれたから縁起が悪いか(笑)。
でも野田は現役議員の中でも演説上手で有名だから他よりはましなのだろう。もしも代表になったら、きっとなかなかの演説をする。でもなれなきゃそれを発揮できない。(後日記・29日の昼、この時点で野田はなれないと思っている。)



海江田さんなんて、小沢の力でもうすぐ総理大臣になれそうだから、ひたすら「命を懸けて」ばっかりだった。演説になってない。みっともない。あがっているのか。そりゃまあ王手を掛けているのだから気持ちは解る。
海江田さんは私が慶應の一年の時の四年生でそのときから知っている。三田祭実行委員長だった。その後の野末珍平の秘書時代も知っているし、私が競馬ライターをやっているころ、国会議員として競馬場の貴賓室にも何度か来ていたのでそのときも挨拶して、学生時代の昔話をした。合計して10回ぐらいしか話したことはないが(笑)、それでもそういう面識のあるひとが総理大臣になりそうだというのは初めての経験なので不思議な気もする。

知人のIさんは海江田さんと一緒に学生運動をしていた。齢も同じだし同じ学生運動のリーダーだった。これは私なんかと違って学生時代特別な仲だったひとだ。Iさんはそのことから退学になり、職を転々とし、いまはタクシーの運転手をしている。片方は総理大臣にならんとしている。生き方の上手なひと、へたなひとの典型だ。一昨年、Iさんと飲んでいる時、「海江田さん、総理大臣になるかもしれないですね」と軽口を叩いたら、酔っていたIさんに「海江田の話なんか聴きたくないよ!」と険しい顔で言われた。(後日記・29日の昼、このころは海江田がなると思っている。)



候補たちの演説に対して石波茂が「語るべきは、あれほどの支持を得た民主党がなぜいまこんなことになったのか、その反省だ。自分の一代記を語ってどうする」と苦言を呈していた。これは正論。みんなもうもうすぐ総理大臣になれそうだと延々と一代記を語っている。馬渕はこどものとき、田中角栄を見て政治家になりたいと思ったと語っていた。
まあ民主党だって野党時代には正論を言っていた時期はあった。外からだといいことが言える。

海江田が代表になって、これでまた小沢闇支配になるのか。
世の中には、政治家をみな呼びすてにして、言いたい放題言っているのに、なぜか小沢だけは「小沢さん」とさんづけで呼ぶ小沢信者がいる。あれは笑える。私も上で「海江田さん」と呼んでいるが、これは一応若い時から面識があるので、それとはすこしちがう。

そういう小沢信者は、小沢の金への執着を否定し、彼のやったことに対し「小沢さんはお金持ちだ。お金を欲しがるようなことはしない」と擁護したりする。笑ってしまうのは、小沢と敵対したら「鳩山」なのに、またくっついたら、こっちも「鳩山さん」になることだ。

小沢が田中角栄から受けついだ政治信念は「力」であり、力は「数」であり、数を維持するのは「金」である。小沢の変ることのない根本だ。それは小沢が党の金を自由にできる幹事長職にこだわる(自分がなりたがるだけでなく手下をそこに就けたがる)ことからも明白だろう。小沢は人一倍金にこだわってきた。それが力の根源であることを知り尽くしている。当然金には執着する。汚くなる。なのにそれすらわからない小沢信者がいる。だからこそ信者なのだろうが。
こういう小沢信者とは話が通じない。創価学会員と話ができないのと同じだ。



さて開票が始まった。どんな結果になるのか。(12時40分)
(後日記・このときは海江田と前原の決選投票になり、海江田が勝つと思っている。)

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13時32分、結果が出た。海江田と野田の決選投票。海江田が143票と伸びなかったのに対し、70か80と言われていた野田は102票と大台に乗せ、74票の前原を大きく引き離した。
決戦でも海江田の票はもう伸びないだろう。小沢はそれがわかっていて、この第一回投票が勝負と読んでいた。
野田に前原が乗るからそっちの聯合軍のほうが有力になる。しかしそれでもギリギリ。
勝つのはどっちだ。(後日記・ここでやっと野田があるなと思い始める。)

最初に手を上げたのは野田。そのときは本命と言われた。
野田では勝てないと前原が出る。野田は同じ松下政経塾出身の後輩にこれをやられ、裏切られたとなる。
前原出馬で、私は、樽床と同じく野田は引くのではないかと思った。
だがそれでも野田は出馬する。辞退はないと断言した。ただの意地と思えた。
野田は本命から、いきなり泡沫候補のようになってしまった。

だがここにきて野田が大きく票を伸ばした。

不謹慎ながら、競馬的に見るとまことにおもしろいレース。
レース前は本命と言われていた馬が、発馬前にもう無理と言われ、最後方まで下がったが、直線、すごい差し脚で伸びてきた。これなら差し切るだろう。前をゆく馬の脚はあがっている。

野田の就任演説が聴けるか!?
松下政経塾出身初の総理。
父親は陸上自衛隊。自衛隊員の息子が総理大臣になる。

野田は大連立派。
自民党、大連立はやめろよ!

決選投票までの短い間、他3候補の票の取り合いに火花が散る。
選挙はいつでもおもしろいな。
田舎に選挙を生きがいにしているようなおやじがいて、どんなものでも選挙があればお祭り騒ぎだった。
こどものころは不思議だった。その気持ちがいまはよくわかる(笑)。

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14時32分、発表。野田215票、海江田177票。野田総理、誕生、確定。
いやあ「競馬的に」おもしろいレースだったなあ。

5人の候補の中から、誰かが総理大臣になる。
どんなに民主党がきらいでも、この5人の中からひとりがえらばれて総理大臣になる。
基本がイヤなのだけど、その中でも私は、朝鮮好きの前原と小沢の傀儡の海江田はイヤだなと思っていた。

野田がなったのは、それよりはよかった、という気持ち。



小沢好きの「きっこさん」なんて、小沢の押した海江田が落ちて嫌いな野田がなるものだから錯乱状態(笑)。

kikko-senkyo


kikko-senkyo2


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こういう小沢信者の錯乱を見ると、小沢の闇支配よりは、野田がなったほうが民主党的に「まとも」と思う。
しかしこういう「こいつら死んでいいよ」みたいな言いかたはしたくない。下品だ。他山の石にしよう。
人を呪わば穴二つで、他人に「死んでいいよ」と言うようなひとは、必ず他人からもそう言われる。

これで、長年続いた小沢の闇支配も止めを刺されたか。長かった。もう民主党内での復権はあるまい。あるとしたら、新党を作って自民党とくっつくだけだ。



いま日テレに蓮舫が出てきた。勝利宣言。
ああああ、そうか、蓮舫って野田の側近なんだ。野田が総理になったら「蓮舫官房長官」もありうると知って、野田がいやだったんだ。思い出した。蓮舫本人がそれを口にして袋叩きにあっていたんだった。それがいま、冗談ではなくなった。またしばらく蓮舫の得意顔を目にせねばならないのか。憂鬱になってきた。センスの悪い野田は世間が見えず、「蓮舫さんを官房長官にすれば支持率が」なんて勘違いして実行するかも知れない。



野田の任期は菅の分の来年9月まで。そのあと民主党の任期はあと一年。それまで野田で行くのか。もう一波乱あるのか。とにかく解散はしないからな。我慢するしかない。

もうひとつ憂鬱なのは、これでまた菅が生きのびることだ。菅は野田支持だった。当初、菅から野田への「禅譲」だった。それではならじと小沢が立ち上がった。小沢の擁立した候補がなったら、菅は表舞台から消えた。そこは残念である。かといって小沢の傀儡が総理でもイヤだし。

どさくさに紛れて、まだ総理大臣である菅は、「朝鮮高校授業料無償化」についてまた検討を再開したとか。こいつにまだデカい顔をされるのかと思うと、それがいちばん憂鬱だ。

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【追記】──今日発売の『週刊ポスト』と『週刊現代』

今日発売になった『週刊ポスト』と『週刊現代』を読んだ。特集はともに「シンスケ問題」と「民主党代表選」。
共通しているのは「野田は、無し」だった。それどころかフライング気味に真っ先に飛びだし、出ないはずの前原が出ることによって失速した野田は、滑稽な存在として笑いものになっていた。
まだ小沢の推す本命が誰かわからないので、両誌とも本命は前原とし、前原を中心にして誉めたり貶したりしている。
今となってはこっけいなのは今日発売の両誌の方になってしまった。

しかしそれだけ野田の逆転は劇的だった。私も前原と小沢の影武者の一騎討ちとなり、野田は前原を応援して、引きつづき財務大臣にでもしてもらうのではないかと思っていた。



前原と野田の票に差がついたのは民主党議員に対しての演説だったと言われている。その通りだと思うが、最後は人徳だったのではないか。前原に人徳はない。あれはただのナルシストだ。野田にあるのかどうか知らないが、ふたりのどっちを取るかとなったら、鏡を見てうっとりしていてひとの話を聴かない前原よりは、ガマガエルみたいな野田のほうにまだ「義理と人情」を感じるだろう。どっちを信じるかという究極の選択なら野田だ。
前原は、絶対的有利と言われながら野田にひっくりかえされたことを反省した方がいい。
でもどんなに反省しても、もう総理大臣になるチャンスはないのかな。
いやいや、また野田もすぐに辞めて(辞めざるを得なくなって)チャンスは巡ってくるのか。
どうなるのだろう。

たしかなのは、二年後の総選挙で民主党は半減して野党に戻り、その後も今のような400人も要する大与党になることは永遠にないということだ。前原が総理大臣になることがあるとしたら、この二年間の与党時代になるか、二年後以降の「政界再編成」で、なにか新党でも作り、与党と結託することしかない。前原には民主党を飛びだして新党を作るほどの金も人望もないだろうから、私は、期待値が大きく、まだ若い彼だけど、今回の敗戦で、総理になる目は消えた気がする。なれるとしたら、野田の失脚とその跡継ぎしかない。



野田は候補5人の中で、唯一小沢詣でをしなかった男だ。これで小沢の闇支配は終る。まあバランスを取って一人かふたり小沢グループからも閣僚に起用するかも知れない。野田は「ノーサイドにしましょう」と言ったが、野田と小沢の絡みが見ものだ。
今夜、もうすぐ日本国の総理大臣になる野田はもちろんだが、菅もまた愉快だろうなあ。新首相の後見人として威張っていられることが確定したのだ。現職の菅や岡田、枝野が「主流派」であり、野田は主流派に支持されたその一派なのである。
一方、小沢と手下は、凋落を感じて、眠れない夜を過ごすことだろう。いよいよ民主党を出て新党結成を考えねばならなくなった。まあ小沢も鳩山兄弟も金もってるし、なんとかなるだろう。烏合の衆の寄せ集めである民主党は解体が望ましい。(16:55記)
  1. 2011/08/29(月) 13:14:29|
  2. 政治
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ことば──「させていただきます」の連発

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政治家の「させていただきます」乱用に関してはもう何度も書いてきて、我ながら今更なのだけど、それでも今日の不正献金を問われた前原の弁舌を聴いているとあまりに不快でまた言いたくなる。

政治家はとにかくもう揚げ足を取られないよう、なんでもかんでも「させていただきます」にする。これはもうその他の有名人にも伝染する悪い病気になっていて、マスコミに叩かれた当時の貴乃花が、なにをしゃべっても「させていただきます」になってしまっていた。貴乃花の場合は気の毒な被害者と言えるかも知れないが、世の先頭に立つ国会議員のこの乱用は、それとはまたちがう。
議員でいるときは「特別なひと」だ。落ちたら「ただのひと」になる。特別な立場を享受しながら、ただのひとになったときの保険として使うのが「させていただきます」になる。



前原がどこかに寄附をするのなら、それは「寄附させていただきました」でいいだろう。私はこれも「寄附をいたしました」で充分だと思うが、世の中「させていただきます」に流れている。政治家のあいだでは定番だ。
でも在日朝鮮人から不当な寄附を受け、その件に関してスタッフを総動員して精査すると宣言することを、「調査させていただきます」はおかしいだろう。自分の不祥事なのである。それを調べるのに「させていただきます」はない。思わず笑ってしまった。「責任をもって調査いたします」が正しい。なにが「させていただきます」だよ。
こんなのに総理大臣に「なっていただいて」だいじょうぶなのだろうか。心配「させていただきます」。
  1. 2011/08/29(月) 12:38:57|
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竹脇さんの訃報に附記

「竹脇無我さんの訃報」に「過去の竹脇さんに関する文章」を追記しました。根強いアクセスがあるのは知っていましたが、自分でもどこに書いたかわからなくなっていたので整理できてよかったです。あらためて、竹脇さんのご冥福を心からお祈りします。
  1. 2011/08/23(火) 08:47:50|
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竹脇無我さんの訃報──あのころの思い出

15時半、読売新聞の速報で竹脇さんが亡くなったのを知る。
今朝、倒れて運び込まれたと知った時から不安になり、何度もニュースを確かめていた。

《21日午後2時5分、小脳出血のため死去した》とあるから、私が倒れたのを知り、なんとか持ちなおして欲しいと願っていたときにはもう亡くなっていたことになる。もう昨日、亡くなっていたのだ。

FM東京で7年半ほどお仕事をご一緒した。
私が竹脇さんの名前と顔を覚えたのはTBSの朝の番組「ヤング720」だった。関口宏の名前と顔もこのときに覚えた。私は田舎の高校生だった。
関口宏は俳優佐野周二の息子と知っていたが竹脇さんは、さすがに名アナウンサー竹脇昌作は知らないので、なじみがなかった。

中学高校の頃、田舎で「だいこんの花」を見ていたので、初めてスタジオでお会いしたとき、目の前に本物の竹脇さんがいるのが不思議だった。ほんとに美男子だった。声もよかった。でも親しくなってあれこれお話すると、お父さんのことを引きずっていて、どこか淋しげなひとだった。それがまた魅力になっていた。

竹脇さんがナレーターで、私が原稿を書いた。二週間分を一度に録るので月に二回の録音だった。
そのあとはいつも飲みに連れていってもらった。六本木が多かった。おおきなベンツに載せてもらえるのが嬉しかった。
サウナにもよく行った。
カラオケのおはこは「思い出のグリーングラス」だった。声がいいし、うまかった。
当時はカラオケでなく生ピアノの伴奏だったが。



中国で「姿三四郎」が放映されて、大人気だとかで、竹脇さん一行が中国から招待されて出かけたことがあった。私は当時まだ中国に行ったことがなかった。帰国してからの竹脇さんと付き人との中国思い出話がうらやましかった。あのころの私は中国四千年の歴史に憧れていた。何十回も行ったいまはもう大嫌いで、可能な限り行きたくない国だが、当時はそう思っていた。

テレビドラマの「姿三四郎」と言えば、私には小学生の時に見た倉丘伸太郎のものが竹脇さんのよりも印象深い。だいたいこういうものは最初の時が印象に残る。そもそも「姿三四郎」なんてのは必殺技が炸裂する荒唐無稽なこども向けのドラマだ。
いま調べると倉丘版は1964年、竹脇さんのは1970年になる。竹脇さんの姿三四郎の時、私はもう高三から大学だから、いまさら荒唐無稽な柔道ドラマでもなかったのだろう。あまり印象にない。

そのこと(「ぼくは姿三四郎というと倉丘伸太郎ですね」)を言ったとき、竹脇さんにイヤな顔をされた(笑)。そんなことはそれまでもそれ以後もなかったので印象深い。つまり竹脇さんにも「姿三四郎はおれだ」という無我ならぬ強烈な自我があったことになる。



ご自宅におじゃましたこともある。奥様にもお会いした。まだ離婚前だった。
明治座にもゆかせてもらった。楽屋へ入れてもらった。
このとき共演した十朱幸代と不倫して家庭がぎくしゃくする。
京都の太秦撮影所にもおじゃました。それまでにも競馬の取材で京都はたびたび訪れていたが太秦は初めてだった。あれこれ物珍しく楽しい体験だった。京都ホテルに泊まって夜は飲みに出かけた。

でもいちばんの思い出は何度も行ったプロレス観戦か。
竹脇さんは全日派だった。これは人柄とも合っている。大口をたたく猪木ではなく慎重派の馬場ファンだった。
全日の百田義浩さん(力道山の長男)と一緒にアイスホッケーチームをやっていた。録音の後、品川スケートセンターでの練習があり、それを見に行ったことも何度かあった。

(追記・いまターザン山本のブログを読んだら、「竹脇さんだが私の友人によると、全日本プロレスの東京都体育館の控室で今はもう亡くなった力道山の長男、百田義浩さんと親しくしゃべっているシーンを見たというのだ。ええ、竹脇さんもプロレスファンだったのかあ」とあった。あいかわらず雑でいいかげんな書きかただ。私はこういう伝聞ではなく実体験のみ書いている。)

プロレスの思い出で強烈だったのは「デビュウ戦を控えた輪島の控室におじゃましたこと」だ。報道陣もシャットアウトの控室に竹脇さんの顔で入れた。
タイガー・ジェット・シンとのデビュウ戦を控えた輪島を、酒も煙草も女も断って練習に励んでいると東スポは伝えていたが、目の前の輪島は指が焼け焦げるのではないかと思うぐらい短くなった煙草をスッパスッパ喫っていた。緊張していた。横綱にまで登りつめたひとでも、プロレスのデビュウ戦はあんなに緊張するのかと知った。国技館で見る輪島はいつも遙か離れた土俵の上だったから、あれが最も輪島を身近に見た体験になる。同じく控室に入っていた金田正一がなんやら声高にしゃべっていた。

竹脇さんが私の事を馬場さんに紹介してくれて、「このひとはねぇ、ほんとにもうプロレスが大好きなんですよ」と言ったら、ニコっと笑った馬場さんの顔が思い出深い。あれはほんとうにプロレスが好きなファンに向けられたものだ。



竹脇さんが鬱病を患うのはお父さんが自殺したのと同じ49歳のときだったらしい。私がお仕事をご一緒したのは竹脇さんが三十代末から四十代半ばにかけてだから病気の時期は知らない。
お父さんの自殺はいつも引きずっていた。お父さんの自殺を知らされたのは青山学院の高校生のとき。授業中、先生から呼び出されて告げられたとか。
そのときのことをポツンと話してくれたことがある。経験したものにしかわからないと、さびしげな、厳しい横顔だった。

鬱病で苦しみ、それを克服した後は、鬱病のことやお父さんのことも含めて、全国で講演していたとか。六十歳近くになってからか。ふっきれたあとは、欝病に苦しむひとの力になりたいと思ったのだろう。
今回どこかで読んだ記事(スポーツ紙)に「本当は毒舌家なのに二枚目を演じねばならないことからストレスがたまり、欝病を患った」とあったが、それはちがう。穿ちすぎだ。ふだんでも二枚目だった。

欝病の原因はそのまますなおに「自殺した父の年齢にちかづいてゆく恐怖」だろう。肉親を自殺で亡くしたひとはみなこの思いに囚われる。年々「後三年で、後二年で」と意識し、「いよいよ来年はおやじが自殺した年だ。おれはだいじょうぶだろうか。自殺しないだろうか」と強迫観念に囚われる。竹脇さんもいつもそのことを引きずっていた。親が自殺することがいかに後々までこどもの心を傷つけるかと、その残酷さをしみじみ思ったものだ。私の知っている三十代後半の時からそれを意識していたのだから、いよいよ迫ってきたときの苦しみはたいへんなものだったろう。



竹脇さんに講演の依頼が来た。女子大からだ。その初めての講演の原稿は私が書いた。竹脇さんが四十代になってすぐだった。
初めての講演だったので、私の書いたものを手に、いわば読み上げるようなもので、講演にはなっていなかった。女子大は学生に講演の感想レポートを提出させた。竹脇さんがそれのコピーをくれた。元原稿と女子大生達の感想文は今も保管している。
何度かそれをやってから、原稿などなくても出来ると素手で登壇したら、なにもしゃべれず絶句してしまったことがあった。
これは京都のホテルでの講演だった。私も京都まで出かけていた。会場でヒヤヒヤしながら見ていた。それでもう懲り懲りと竹脇さんは講演の依頼は受けなくなった。

そんな人前でしゃべることなど苦手なひとだったのに、鬱病を克服してからは、明るいキャラとなって、父の自殺や、そのことを引きずって鬱になり、死のうと思ったことも冗談交じりにして、たくさんの講演をこなしていたらしい。自分と同じ悩みをもつひとを救いたいという使命感だったのだろう。
「笑っていいとも」のテレフォショッキングに出たのを見たのが最後になった。あれはもう何年前だろう。明るいキャラになっていておどろいた。



実際にお会いした最後は、竹脇さんの付き人の結婚パーティだった。これは竹脇さんと同じく森繁ファミリーだった松山英太郎さんがサプライズで仕掛けたもので、新郎がそれに感動し大泣きしてたいへんだった。松山さんはこのあと急逝する。
森繁さんは、奥さんや息子さん、そして松山さんのようにかわいがっていた後輩にも先立たれている。竹脇さんが森繁さんを見送ったのは救いだ。

森繁さんをじつの父のように慕っていた。でも欝病で苦しんでいたときは、その森繁さんさえ忘れていたと記している。テレビで見て「あれ、このひと、誰だっけ、たしか知っているひとだけど」と思ったのだとか。病の深さが感じとれる。
自殺でないことが救いになる。

今夜は竹脇さんに献杯しよう。

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【附記】 16.23──もう葬儀は済んでいた

いまニッカンスポーツの記事を読み、亡くなったのが昨日21日の午後2時とは知っていたが、すでに今日22日に、密葬の形で葬儀も済んでいたと知る。

【附記.2】16.47──向田さんと同じ命日

今日は向田邦子さんの命日だ。あの台湾の旅客機での死。「だいこんの花」のころはまだ放送作家だった。後に作家に転身してすぐに直木賞を取る。
私は向田さんのファンだったので、竹脇さんによくその話をねだった。
「森繁のおやじのことだから、一回ぐらい手を出したかもしれないな」なんて言って笑ってた。
同じ日に亡くなるなんて……。



【附記.3】──過去の竹脇さんに関する文章──8/23/am:8.30

昨日、午後3時に竹脇さんの死を知り、急いで書いてブログをUPしたのが午後4時だった。
今朝、昨日のアクセス数が私にしては記録的であることを知る。それはアップしたのが早かったからだろうと解釈した。読売新聞の速報で報じられたのが午後3時前だから個人ブログの文章としてはかなり早かった。Googleのライブドアブログへの反応は即座だ。アップしてすぐに検索にあらわれる。だからこの文章「訃報」にアクセスがあったのだと思った。

でも今調べるとそうじゃなく、以前書いたものへのアクセスだった。そして今までにもその文章に長く確実にアクセスがあったことを知る。多くの竹脇さんのファンがお名前から検索して私のブログに来てくれていたのだろう。竹脇さんの根強い人気がうかがえる。「自殺考」のような楽しいテーマでなかったことを申し訳なく思うけれど。
でも上にも書いたけれど、「本当は毒舌家なのに、それとは反する二枚目を演じることがストレスとなり」という解釈は嘘だともういちど強調したい。ふつうに二枚目だった。竹脇さんを苦しめたのはお父さんの影だ。

せっかく多くのかたがアクセスしてくれるのに、竹脇さんのことを書いた文章がどこにあるのか自分でもわからなくなっていた。日附も。
それで「木屑鈔 竹脇」でGoogle検索し、以下にまとめた。やっていることが逆になっている。でもそれが出来るのだから便利な時代だ。
2年前、「自殺考」の最初で取りあげた前原さんがいま、総理大臣になろうとしている。

自殺考・前原さんの表情──2009/11/2

自殺考2・竹脇無我さんのこと──2009/11/19

竹脇さんとプロレス──2011/6/17


これらの文章を読み返してみたら、私が竹脇さんと番組をご一緒した期間が、7年、7年半、8年とバラバラなのに気づいた。なにしろ昭和末期から平成始めのころだからもう古い。たぶん7年と10カ月ぐらいが正解だと思う。8年目を前にして突然の打ちきりとなり、竹脇さんも私も憤然としたのを覚えている。もっともっと長寿番組にする気でいたから。

私はいまテレビがない。見られないし見る気もないのだが、今日は特別と先程携帯電話のワンセグでテレ朝のワイドショーを見た。同居していた女性が声だけで登場し、もうお酒も飲まず、定期検診も受けていて、とても健康体だったと語っていた。脳梗塞による突然死だったようだ。せっかく長年の欝病との闘いから復活したのに、67歳は早すぎた。でも苦しまなかったのはよかった。脳梗塞で眠るようにスッと行くのはわるい逝きかたではない。むしろ不随になってリハビリで苦しむ方がたいへんだ。

若いときの映像を見ると惚れ惚れするような美男子だ。今時のジャニーズ系とかがいかに貧相であるかがよくわかる。
昨夜は独酌で献盃をしたので今日は頭が重い。ご冥福をお祈りします。森繁先生とおいしいお酒を飲んでください。

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【後日記】──同居していた女性は恋人なのだろうと解釈し、最初に書いたとき、「同居している女性」のあとに(恋人)と入れた。が、テレビで「親戚の女性」と報じていたので、勘違いを恥じて急いで削除した。しかし後に近所のひとに「女房です」と紹介していたこと、「(自分には)娘がいるので入籍はしないけど」と言っていたことを知る。四十代のひとらしい。テレ朝の伝えた「親戚の女性」って誤報は何だったのだろう。「娘のことを思って」は、竹脇さんの長女は40になるから、娘と年の近いひととは再婚しないということなのだろう。

竹脇さんが倒れたのは、この女性と同居していた大田区の家だった。私がおじゃましたことがあるのは世田谷の豪邸だ。そこは離婚した奥さんに渡し、大田区にちいさな一軒家を購入して、そこでしずかに暮らしていたとか。
すっかり健康体になった竹脇さんが脳梗塞で倒れて、ふつうなら復帰できる程度のものなのに、そのままあっけなく逝ってしまったのは、糖尿病による血管の脆さが原因らしい。糖尿病は怖い病気だ。全身をおかす。これからますます怖い病気として注目されるだろう。



【後日記.2】──週刊誌に竹脇さんの講演の録再が載っていた。父の自殺や自分の欝病体験とともに、離婚にいたる女関係も赤裸々に語って笑いを取っていた。テーマはただひとつ「死んではいけない、生きていればなんとでもなる」である。

そこに「一時は女房以外の女と三人もつきあっていた。周囲にはもっと多くの女とつきあって、うまくやっているひともいる。だから自分もやれると思っていた。でもそうじゃなかった。それが苦痛になっていった。自分は女房ひとりでよかったんだ」というようなことを語っている部分がある。

その通りだと思う。でもこれは以前なら絶対に出てこないことばだった。欝病を乗りこえてからの竹脇さんは、あたらしい人生を掴んでいたんだなと感じた。
金も力もある色男だから女はいくらでも寄ってくる。簡単にそうなることが出来る。しかも相手はひとも羨む美女揃いだ。それは男の本懐である。

だが竹脇さんの本質はそうではなかったように思う。女好きでもないひとが漁色家ぶるように、酒に弱いひとが酒豪ぶるように、そういう「破滅」を願って無理をしていたのだと私は解釈している。女の話をしたことはない。そういう店にも行かなかった。男同士でわいわいやることが好きなひとだった。私もそうだったから楽しかった。ただ十朱幸代とだけは明治座の楽屋に行った時、デキてるのがすぐにわかったけど。

週刊誌では根本りつ子とのことを語っていた(正しくは、語っている講演が収録されていた)が、浮気相手はみなドラマや舞台で共演した連中だ。手ごろに見繕っていただけだ。竹脇さんはちっともスケベじゃなかった。ただ、役者として、そういうことをせねばならない、そういうことをするのが役者だと、自分に無理強いしていた感じがする。
じゃあなぜそんな無理をしたのかと言えば、それもまたお父さんの自殺からだろう。自分は落ち着いた家庭の子煩悩な父親であってはならない、あるはずがない、そんなことをしていても、いつか必ずそんなものは壊れる、壊れのだから護らない、という堂々巡り。どうせ俺もその内、おやじと同じく……。という恐怖がいつもまとわりついていたのだ。

講演で、「複数の女と不倫していたけど、自分はそんなタイプではなかった。女房ひとりで十分だった」と語っていたと知り、あらためてそう思った。
それは父の自殺したのと同じ49歳から鬱病になって苦しみ、それを吹っ切ったあとに初めて見えた青空である。15歳の時からずっとまとわりついていた黒雲が、やっとすっきり消えたのだ。美男俳優として売れっ子になり、高収入を得て、美女と浮名を流しても、いつもその黒雲がつきまとっていた。平穏な日々はなかった。一年一年、父の自殺した49歳に近づいてゆく恐怖。そこから病み、それを吹っ切ったあとの時間は、それまでとは景色が違っていたろう。

晩年は事務所の後輩連中から「無我爺(ムガジー)」と呼ばれて慕われていたと聞いた。
娘さんが最後を看取り喪主を務めているから、離婚したけど父娘関係は良好だったのだろう。
住まいの近所の人とも気さくに話して評判も良かったと報じられている。

せっかく見えた青空との時間がすくなかったのが惜しまれるが、最後の何年間は心から一切の黒雲の消えたいい時間だったろう。
講演を収録してくれた週刊誌に感謝したい。そこには私の知っている影を背負った竹脇さんとはちがう明るい竹脇さんがいた。(8/30)

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【附記】10/10──竹脇さんからもらった服

私は竹脇さんから服を二着もらっている。外国で買ったという防寒着とバーバリのコートだ。もう20年もまえのものだけどいまも大切にしている。新品ではない。竹脇さんのおさがり。だから大事にしている。ともに高級品だ。

防寒着はボタンが取れてしまったのと、私がすこし太ったのできつい。竹脇さんが私にくれたのも、竹脇さんが太ってきつくなったからだろう。
でもボタン以前にこれは外が皮、内がボアのすごいやつで、寒冷地で着るものだ。日本でこれを着て電車に乗ったりしたら大汗をかいてしまう。それでいまは上掛けにしている。冬場、TVを見ていて、ちょっと寒いようなときにお腹に乗せたりする。そのまま眠ってしまっても寒くないほどだ。

バーバリのコートも高級品。私はめったにスーツを着ないので(もう何年も着ていない)、それに合わせるコートも着る機会がすくなく、いまも新品同様だ。これからも大切にしよう。私にとっては竹脇さんの遺品になる。

あ、思い出した。外国からのお土産でFilaのポロシャツをもらったこともあった。でもこれは私はポロシャツを着ないし、水色のあまり好きなものではなかったし(すみません)、竹脇さんが着たものでもないから大事にせず、いつしか処分してしまった。免税店で関係者用のお土産にどんとまとめて買ったのだろうけど、それでもよくまあ私なんかもそのメンバーにいれてくれたものだ。ぶっきらぼうだけどやさしいひとだった。当時を思い出すと涙が出た。鬱病を克服してからの竹脇さんに会いにゆき、もらった服をいまでも大切にしていると伝えたかった。
  1. 2011/08/22(月) 16:06:29|
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文學界9月号──つかこうへいの遺作「鯖街道」220枚

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『文學界』9月号の売り物は、つかこうへいの遺作「鯖街道」。220枚一挙掲載。
といって期待するとがっかりする。これは叩き台だ。完成されていない。表現もバラバラで仕上がり途上。同じ事を繰り返して書いていたりして、かなり雑。果たしてこれを発表することがよかったのかどうか心配になるほど。「遺作」というよりは「遺稿」として、ファンがつかを偲ぶものであり、小説好きが完成された作品として接するものではない。

つかは生前信頼する女性に自分の活字物のすべての著作権管理を任せて逝ったらしい。「遺稿」と呼べるものが5つほどあり、その中からふたつを今回その女性が発表したのだとか。5つといっても独立したものではなく、みなこの「鯖街道」に関する叩き台としてのもの。その原稿が5つあり、みな同じような中身らしい。つかもこんな半端なものを公開されることは望んでいないだろうし、この管理人も迷ったろうが、これはこれでまあファンにはうれしいものか。
河野孝というひとが解説を書いているが、これはわかりやすくて親切。というか、そういう解説が必要なほど難儀な状況ということだ。

ひとつ新鮮だったのは、つかは自分の活動に関する文章的記録がないことを残念がり、それの出版にこだわっていたということだった。上記の女性への信頼はそこから芽生えたらしい。
口伝による彼の演出は様々に変化するから同じタイトルの演劇でも中身はちがってくる。それに対する活字のフォローはない。つかのこだわる気持ちがわかる。つか信者がそれをやるべきだったように思う。ちいさな出版社にはそういうひとが多いようだから、これからまとまって出て来る可能性もある。



さて、遺作の作品名ともなった「鯖街道」というコトバ。
これが最初に出てくるのは「銀ちゃんが、ゆく」だったか。つかは気に入った設定を何十回何百回も使いまわし、いじくりまわして完成度を上げてゆくので「最初」ではないかもしれない。私が記憶しているのはこれが最初。ちがうのかな。熱心なつかファンのかた、知っていたら教えて下さい。「銀ちゃんが、ゆく」以前にもう、つかは「鯖街道」をどこかで使っていますか?

「蒲田行進曲」のスター銀ちゃんと大部屋俳優ヤスの格差は、出版当時天皇制と絡めて語られ(口火を切ったのは五木寛之)大きな話題となった。私はその頃そういう視点を持つほどの智識も教養もなかったが、つかというひとの、大仰なSM的切り口に呆れたことを覚えている。やりたい放題のサディスティックな銀ちゃんも不可解だがマゾヒスティックに尽くすヤスはもっと理解できなかった。なぜあれほどの極端な切り口が出来るのだろうと不思議だった。それは演劇的デフォルメとはまたちがって、どこか深い屈折を感じた。当時私はまだつかが在日朝鮮人であることを知らない。その名は日吉キャンパス時代にもう有名であったけれど。
そのことがすべてとは思わないが、それなくしてあれが出てこなかったのも真実だろう。

そしてまた、絶対的存在である銀ちゃんが天皇であり、ヤスはそれにしたがう日本人庶民だという解釈に意味があるとは当時から思えなかったし、あのころよりは分別がつくようになった今も、あらためてそんな解釈は無意味と思う。



「蒲田行進曲」は映画を見てから小説を読んだ。小説「蒲田行進曲」の発刊が1981年。その6年後に「蒲田行進曲完結編」として出版された続篇が「銀ちゃんが、ゆく」である。ここで銀ちゃんは自分の出自を語る。そのときに銀ちゃんの父系は明治まで続いた「鯖街道」の鯖担ぎの一族だと語られる。そこからまた落ちこぼれて「河原乞食」になったのだと。銀ちゃんの父親はどさまわり劇団の座長で銀ちゃんはその息子だ。

遺作として公開された「鯖街道」の舞台は、犬養毅が暗殺される5.15事件の年。昭和7年。今は財閥の長として君臨している男だが、元は鯖街道で鯖を担ぐことから財をなした卑しい出自という設定。銀ちゃんの場合は古い話として「先祖は鯖街道の鯖担ぎだったらしい」と推測だが、こちらはリアルタイムだ。

遺作にまで使ったのだから、よほどつかはこの「鯖街道でのし上がり」が好きだったのだろう。福井の連中は一年中この鯖街道を通って京都まで鯖を売りに行くのだが、その中でも特に厳冬の時期は、小浜から京都まで鯖を徹夜で担いでゆけば高価で売れ、財をなすことが出来た。だが峻険な山道の上、極寒だから、街道には体力自慢で挑んだが、力尽き、鯖を担いだままの死者も見られたという。つかが好むのもよくわかる。
ここでの設定は、その鯖街道からのし上がった財閥の長が「自分の妾を息子の嫁にして、それからも毎晩嫁を抱きに行く話」。これまた捩れている。

私は「銀ちゃんが、ゆく」で「鯖街道」を知り、行ってみたいとあこがれた。いま調べたら、「鯖街道マウンテンマラソン」なんて耐久レースがあるらしい。しっかり売り物にしている(笑)。福井県の小浜から京都までの国道367号線だ。今も鯖寿司の店が多いという。行ってみたい。食ってみたい。行くならクルマだな。



「銀ちゃんが、ゆく」で「蒲田行進曲」は完結したはずだったが、さらにそれから8年後の1994年、つかは演劇「銀ちゃんが、逝く」を発表する。ひらかなの「ゆく」は「逝く」になり、タイトルからして銀ちゃんの死が明示される。「ゆく」では、銀ちゃんは妹の恋人であったケンという役者になりたがっているチンピラ(いわば、どうでもいい存在)に刺されて死ぬのだが、なんとこの「逝く」では、ヤスが刺す。ヤスが殺す。つかとしては、こうしないと完結しなかったのだろう。

「逝く」では銀ちゃんの出自も変る。先祖は鯖街道の担ぎ手だったが、こちらでは五つ川村という香典泥棒(コーデンドロボー通称デンドロ)で生計を立てている被差別部落の出身となった。小柄な少年時代、棺桶のなかにうまくもぐりこみ、屍体と一緒に過ごし、ひとけの絶えた夜更け、そこから出て香奠を盗んでとんずらするのが仕事だ。周囲からデンドロと呼ばれて差別される中、唯一そう呼ばない親友だと思っていた奴が大怪我をしたとき、親友として輸血してやろうとしたら、ベッドの中からそいつに「おまえの汚い血をおれの躰にいれるな」と拒まれる話が挿入される。まあこれは部落に関しては「よく言われるエピソード」ではある。
よくもわるくも「逝く」は「ゆく」より遥かにパワーアップしている。つかの「これでもか」というぐらいのマゾ感覚がより強くなっている。



1994年初演の「逝く」は1998年の「つかこうへい戯曲集」に収められた。私はこの演劇を見ていず、この戯曲集で知ったので、「ゆく」と「逝く」の相違には驚いた。これはもう別作品だろう。だが「ゆく」では飽きたらず、あらたに「逝く」を創作したつかの気持ちはよくわかる。そのころにはもうつかは自分の出自を公にし、母は日本語の読み書きができないことを語り、さらには1990年には「娘に語る祖国」を出版して、在日朝鮮人文化人として表立った活動を始めていた。その辺のふっきりが、つかにとってもいとしい作品であるこれをこんな形に変化させたのだろう。

銀ちゃんが天皇であるなら、天皇を殺し、その存在をあとかたもなく消滅させるのは、ヤスという天皇の無理強いにも従い、栄光も得たが失意も味わった、類型的な日本人でなければならなかった。私は銀ちゃんとヤスの関係を天皇制と関連づける気は毛頭ないし、五木を始めとするその種の解釈をナンセンスと思っているが、つかがその解釈を受け入れたなら、銀ちゃんを殺すのはヤスでなければならなかったのだろう。それが在日朝鮮人としてのつかのメンタリティになる。

熱心なつかファンは、これからも彼の〝遺児〟たちが演じるつか演劇を観て行くのだろう。活字でつかワールドに接することの多かった私には、それは無縁の世界になる。ひさしぶりにつかの活字に触れられて、なんとなく懐かしくしんみりした日になった。私は映画や小説でしかつかワールドを知らないし、彼のチケットを入手するために苦労したこともない。そういう熱烈なつかファンではないが、彼が世に出る前の日吉キャンパス特設舞台のころから知っている古いファンではある。



ところで、冒頭の「文學界」のコピー写真だが、本来のものはもうすこし横に広い。今月号の売り物は4つあるらしく、つかの横にもうふたつの売り物記事が並んでいる。そのひとつがあの上野千鶴子なのでそこは切った。名前を見るだけで気分が悪くなる。文藝春秋の「文學界」があんなものを載せるのが理解出来ない。
  1. 2011/08/18(木) 09:56:07|
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IHクッキングヒーター発火

水餃子と焼き餃子とかどうでもいいことをちんたら書いてしまった。書きたかったのはIHクッキングヒーターが発火したこと。そのきっかけが水餃子だったことだ。書きだしたらそっち方面のことを延々と書くので独立させた。つまらんまわり道。
焼き餃子の日々を送っている内に、そういえば支那では水餃子だったと思い出し、たまにはそれもいいかと茹でてみた。できあがり、ビールで一杯というその瞬間、停電した。そのまえになんかプラスチックが焦げるようないやな臭いはしていた。でもよその部屋だと思っていた。真っ暗な部屋の中、台所の方に火の手が見えた。そのときにはもうプラスチックやビニールが燃えるときのあの独特の臭気が充満していた。

台所に行くとIHクッキングヒーターから火が出ていた。蛇口をひねると水道が出た。よかった。大震災以降、風呂の水は溜めるよう心懸けてている。手おけに水を汲んで発火しているIHクッキングヒーターにかける。周囲の油撥ねを防ぐためのアルミホイールも燃えていた。火はすぐに消えた。たいしたことはなかったが煙がすごいことになっていた。息も出来ないほど。

懐中電灯は手探りでもわかる位置に置いてある。これも大震災以降に根づいた習慣だ。それを手に、ドアを開け放ち、廊下に出た。さいわい静かだった。両隣は留守だ。煙に気づいて隣室のひとが飛びだしてくるような事態になっていなかったのは救いだった。廊下の電気もついている。停電は私の部屋のブレーカーが落ちただけのようだ。懐中電灯を手にベランダから階下を覗くとみな電気はついている。よかった。私の部屋だけの問題だ。
消化したことを確認し、IHクッキングヒーターのコードを抜き、落ちているブレーカーを上げる。部屋中に真っ黒な煤が待っていた。曇って見えないほど。
IHクッキングヒーターの後ろの部分が溶けてなくなっていた。10センチ四方ぐらい。
扇風機、換気扇を総動員して排気する。

台所の食器類は煤を被って真っ黒になっていた。冷蔵庫や電子レンジも。簡単に落ちると思ったが、プラスチックビニールの燃えた煤というのは、さっと拭くと溶けてこびり付いてしまい、それを落とすには強烈な洗剤が必要だった。食器類はぜんぶ本格的に洗いなおさねばならなかったし、冷蔵庫や電子レンジ、網戸にまとわりついたものを落とすのは面倒だった。いまもまだ終っていない。たとえば白いカレンダーにくっつているような煤は、拭いたりしたらつぶれて染み着いてしまう。上手に振りはらわねばならない。わずらわしいことが続く。



さて肝腎要の発火の原因だが。
水餃子を茹でて、食器に盛り、熱いうちに食わねばと坐卓に運んだ。そのときIHクッキングヒーターのスイッチを切らず、そこにまた空の鉄鍋を載せてしまったらしい。事故後からはそう推測される。そこから加熱しての発火だった。こういう場合、自動的に電源が切れる=発火しない、というのがIHクッキングヒーターの売りでもあるのだが、私のは安物だったし、もう4年も使っているから、これはこれでしょうがない事故だったと思う。その安全性にすこし慣れていたから、いい戒めになった。
最近の安物のIHクッキングヒーターには「一日30分の使用で2年間使える」と書いてあるとか。私のにもそんなことは書いてあったのか。記憶にない。そういう点では寿命だった。

IHクッキングヒーターはタイマーが効く。とにかく便利だ。だから私はちかくのコンビニに新聞を買いに行くあいだに湯を沸かしておいてもらおうと思ったりしたことがあった。タイマーを5分に設定しておけば、その間にわかしておいてくれるし、万が一私の帰宅が遅れる事態になったとしてもそこで電源は切れるから事故になることはない。これはガスでは絶対に思わないことだ。ガスだったら燃え続けて火事になる。現実にそんなことはしなかったけど、そんなことを思うほどIHクッキングヒーターというのはガス台とはちがう感覚のものだった。しかし今回のことを思えば、決してそんなことをしてはならないとあらためて思う。過大な信頼は事故に繋がるし、なにより火事というのは、自分だけの痛みではない。

スパゲティを大鍋で茹でるときは、適当にタイマーを合わせておき、時間切れの警告音で呼んでもらう。それで沸騰度合を確認に行く。その間はパソコンに向かっている。私は一度パソコンに向かったら熱中してしまうから、これなどもガスだったら危なくて出来ないことだ。そういう便利さに慣れ慢心していた。いい警告になった。

そのうちまた購入するつもりだが、しばらくはガス台を使う。IHクッキングヒーターのようなタイマーはない。警告音もない。心して対処しないと。
ちいさな火ではあったが、火事のおそろしさを再確認した出来事だった。
  1. 2011/08/18(木) 07:15:33|
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支那料理と日本食──水餃子・焼き餃子・烏竜茶・緑茶

支那には焼き餃子がない。水餃子だ。不思議だ。あれほど料理に熱心な民族なのになぜだろう。
あちらの食い物は日本人には合わない。あまりに脂っこい。味つけが濃い。脂を分解する烏竜茶を彼らが愛飲するのがよくわかる。脂っこい支那料理を食った後の烏竜茶はうまい。口内の脂を拭ってくれるようだ。

それはまた日本人の烏竜茶好きに対する疑問でもある。日本の食事に合うのは緑茶だ。サントリーの仕掛けに乗って烏竜茶を愛飲するひとが理解できない。
まああれはあれで上手な商売だった。酒が飲めないのに飲む場につきあわねばならないひとたちが、愛用したのはよくわかる。水割りだと色でばれるが烏竜茶割りならノーアルコールでもばれない。



そのあとに「ペットボトル入り緑茶」に代表される緑茶ブームが来る。あれは烏竜茶に対する反動だったのだろう。冷たい緑茶を飲む習慣などなかったが、ふと気づけば習慣になっている。以前は冷めた緑茶は捨てていたのに、今では熱いお茶をわざわざ冷やしてポットに詰めたりしているのだから変れば変るものだ。私にとってサントリーの仕掛けた烏竜茶ブームは緑茶ブームを引きおこしてくれたことで印象深い。

以前ホームページに書いたことだが、支那でもそのあとに緑茶ブームが来た。仕掛けたのは日本企業だったらしい。日本と同じようなパッケージを見かけたので愉しみに購入してみた。すると、なんと、砂糖入り、ジャスミンの香りもつけられている。甘ったるくて飲めたものではない。緑茶風ジュースだった。しかたない。だってそれが売れ筋なのだから。これほどに味覚が違う。
たしかホームページにその写真があったはずだ。見つかったら載せよう。
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地元密着した支那料理を食べていると、日本の「中華料理」というのが、「中華料理という名の日本料理」であることがよくわかる。トイレにドアを附けず並んで排便しつつ(大ですよ)おおらかに世間話をする「大陸的」な彼らと、個別にドアを附けて密室にするのはもちろん、水を流して排泄音を消そうとする「島国根性」の日本人の味覚が同じはずがない。西洋のトイレはドアはあるが上下が開いている。日本トイレが密室度合がいちばん高い。

と書くと「洗練された支那料理は日本人の味覚にも合う」と〝食通〟から反論が来そうだが、私の言っているのは支那の庶民階級の料理である。町の食堂の話だ。西洋人や日本人の味覚をも考慮した高級飯店(支那語の飯店はレストランじゃなくてホテルの意味)の料理と、支那庶民が食べる町の食堂のどちらに本質があるかは言うまでもあるまい。支那料理はすぐれたものだが、基本的に日本人の味覚に合うものではない。食は地域と風土で味が決まる。あたりまえすぎる原理だ。



支那への旅行は私より亡父のほうが早かった。父は水墨画仲間と一緒に支那を旅行した。40年ほど前か。それから何度か行っている。私の支那体験はまだ20年でしかない。
そのたびに窶れて帰国した父は、料理が合わないことを嘆いた。そのときの私は「日本の中華料理」が大好きだったこともあり、父の嘆きが理解できなかった。

父は典型的な「白米、味噌汁、納豆」のひとだった。酒は日本酒。ビールは、よくいる「うまいのは最初のコップ一杯だけ」である。老酒(そういうツアーだからホテルでの食事ではおそらく紹興酒が出たはずだ)も合わなかったろう。私は老酒も大好きだったし、ビールは底無しだし、日本の中華料理が好きだったから、父の味覚の狭さが支那を理解できなかったのだろうと生意気なことを考えていた。未熟だった自分を申し訳ないと思う。

そうじゃなかった。自分が行って解った。根源的に味覚がちがうのだ。上記「高級飯店」のことを書いたが、そこに行けばなんとかなる。客のために味を妥協しているからだ。食うものがなく、どうにもやって行けなくなったときは、私もそういうところに行って飢えを凌いだ。しかしそればかりやっているわけにもゆかない。そもそも私の行くのはそんなもののないところだ。

食の充実している(いや、世界一と言われる)支那で食うものがなく、下品なジャンクフードであるアメリカのマクドナルドに助けてもらったのは今も苦笑する出来事になる。当時ぞくぞくと出店していた。日本でならまず食うことのないマックのハンバーガーが食に餓えた北京でいかにうまかったことか。

マクドナルドは支那語では麦当劳になる。写真のマックは北京の街外れのもの。2003年撮影。
あ、マックと言ったので関東人であることがばれてしまいました(笑)。マクドって言う関西弁を知ったときは新鮮だった。大阪は支那とも宇宙人とも対抗できる日本の最終兵器だ。世界中どこに行っても大声で大阪弁をしゃべる大阪人と出会った。千原兄弟のせいじのようなタイプ。

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支那料理は世界一ということになっているが、私は支那に行くとき、好きな食い物がないことにまずうんざりする。私からすると、香港の観光客向けの店や横浜中華街あたりのものを食って、支那料理は最高だと言っているひとは何もわかっていないひとである。



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ついでに。支那の庶民の酒は白酒(パイチュー)である。安くて酒精度数が高く酔えるからだ。老酒(ラオチュー)ではない。老酒は酒精度数が低い(日本酒と同じ程度)からなかなか酔えないし、高価だ。老酒の地域限定名の高級酒である紹興酒なんて一度も飲んだことのないひとの方が多い。ビールは彼ら的には高いし酔えないから田舎ではほとんど飲むひとはいない。
私はとんでもなく酒精度数が高く(50度はざら)臭くてまずい白酒が大嫌いだったが、支那人との接触でストレスが溜まると、手っとり早く酔えるこれを手にするようになった。55度なんて火を噴くようなのを飲むとすぐに体が熱くなり写真のような小瓶でも酔える。貧乏庶民が好むはずだ。



支那に行き、食べるもののない私にとって餃子は救いになった。食べやすい。どこにでもある。さいわいビールが安いので(ロシアのビールはまずくて飲めたものではないが支那のビールはそこそこ飲める)水餃子や皮蛋(ピータン)を肴にしてのビールが庶民的食堂での私の主食になる。

みな丼飯で白米を食っているが、支那の庶民レベルの白米はまずく、おいしい日本米を食べなれた日本人にはきつい。それは支那の大金持ちが日本米を輸入して食べていることからもわかる。日本米のうまさは世界一だ。日本の農業技術援助でどれほど支那の米の収穫量が増えたことか。米がうまくなったことか。あの国も恨みつらみばかりで感謝の心がない。

そういや世の中にはパクチー(はタイ語か。支那語では香菜、英語ではコリアンダー)を食べられないひとがいるらしい。タイ料理が大好きなのにパクチーは入れないでくれと注文しているひとを見た。何十年もタイに通っているのにパクチーだけはダメだというひとを知っている。もったいない。ピータンにはたっぷりのパクチーが必要だ。パクチーなしのピータンなんて食う気がしない。



そんなわけで支那生活時の餃子は救いの神なのだが、水餃子ばかり食べていると猛烈に焼き餃子が食べたくなる。それはもう渇望にちかい。北京や上海の日本料理屋には焼き餃子があるのだろう。客からのリクエストが多いはずだから。私の動く範囲に日本料理屋なんてものはない。よっていつも水餃子ばかりだ。
帰国するとしばらく焼き餃子ばかり食っている。もともとタンメンに餃子にビールというのは私の定番なのだが、支那帰りのしばらくはこればかりになる。
  1. 2011/08/17(水) 10:27:38|
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テレビのない生活──嫌いなCMを見ないですむうれしさ

テレビのない生活──嫌いなCMを見ないですむうれしさ

http://blog.livedoor.jp/moneslife3/archives/51657991.html
  1. 2011/08/15(月) 11:01:14|
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「小林よしのりのAKB48讚歌」に追記

「小林よしのりのAKB48讚歌──裸の王様は誰?」に、「もしも設定が逆だったら?」を追記しました。


http://blog.livedoor.jp/moneslife/archives/51644031.html
  1. 2011/08/15(月) 10:59:09|
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東海テレビ「ぴーかんテレビ」──あのフリップを作ったのは50代の男!!

東海テレビ「ぴーかんテレビ」マスコミの無神経②──マスコミの体質「見通しの甘さ」の最後に、「あのフリップを作ったのは50代の男」を追記しました。
「ついついイタズラで作った」と報じられたので、専門学校を出たばかりの、テレビ局下請会社の若者が、「粋がって」あんなものを作ったと理解していました。
ところが50代の男なのだそうです。しかも同僚のタイムキーパーから非常識だから削除するように二度も言われたのに断固として応じなかったとか。とんでもないバカがいるのだと知り、同じ50代としてうんざりしています。これはまあほんとにひどい話です。50代の男……信じられん……。

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8月30日、毎日新聞より。
http://mainichi.jp/select/today/news/20110830k0000e040050000c.html?toprank=onehour

東海テレビ:中傷テロップ「ふざけた心で」 匿名で出演

2011年8月30日 11時29分 更新:8月30日 12時9分

 東海テレビ放送(名古屋市)が今月4日の情報番組「ぴーかんテレビ」(打ち切り)で岩手県産米を中傷するテロップを誤って流した問題で、同社は30日午前、社内の調査結果を踏まえた検証番組を東海地方で放送した。中傷テロップを作った50代の男性制作会社員も匿名で出演し経緯を説明した。また番組で、この男性が28日付で制作会社を懲戒解雇されたことを明らかにした。

 この番組は「検証 ぴーかんテレビ不適切放送 ~なぜ私たちは間違いを犯したのか~」。事前収録し、60分間、コマーシャルを挟まずに放送した。

 番組の冒頭、東海テレビの浅野碩也社長が被災地と視聴者に謝罪。続いて、今回の問題について「制作された経緯」「23秒間放送された経緯」などに分けて説明した。

 番組によると、解雇された男性は東海テレビでコンピューターグラフィックスなどの制作を30年以上、続けてきた。男性は顔を映さずに出演し「思いつき」「ふざけた心で」テロップを作ったと証言。「誰かに指示されたわけでもなく、これで何かをしようとしたわけでもない」と語った。

 また中傷テロップが流れ始めた直後はスタッフが別の作業をしていたために気づかず、23秒間、放送されたことを現場の様子を再現する形で伝えた。問題を起こした原因については、コミュニケーション不足や緊張感のなさなどが重なったと結論づけた。
  1. 2011/08/12(金) 10:22:46|
  2. マスコミ
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「文藝」秋号の綿矢りさ特集

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「文藝」秋号の特集は「綿矢りさ」。表紙から綿矢りさ。カラーグラビアも豪華。これがもうお堅い文藝誌とは思えないつくりかたなので笑える。いや楽しめる。
もう完全に一般誌の美人女優やアイドル特集ののり。
そしてまたそれにしっかり応えるだけ綿矢りさはきれいではまっている。
得がたいひとだ。こんな美人作家はいない。綿矢りさファンには永久保存版だ。



評論家との対談があり、「インストール」から叮嚀に振り返っている。たっぷり紙面も割かれている。
書き出しにこだわり、それが美しい綿矢作品の冒頭が紹介されている。

しかしこの対談、物足りない。上品だからだ(笑)。
もうすこしつっこんでほしかった。そこのところだけ急に高尚な文藝誌の「文藝」になってしまっている。

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今日は8月11日。大震災から5カ月。月命日のように11日はいつも意識する日になった。私は10日が父と最愛の猫の月命日なので連続していて意識しやすい。線香を絶やしたことはない。
  1. 2011/08/11(木) 19:38:43|
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子は親を選べない──追記しました

「子は親を選べない──野田聖子の子作りに思う」に、今日知った「障害児であることは早期にわかっていた」を追記しました。末尾にあります。
  1. 2011/08/09(火) 17:58:51|
  2. 野田聖子
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子は親を選べない──野田聖子議員の子作りに思う

「生んでくれと頼んだ覚えはない。かってに作ったんだろ!」
 反抗期のころ、母とのケンカで何度か口にした。母はそのたびに激昂し「生んでもらった恩を忘れて」と怒った。怒れば怒るほどこちらの「生んでくれと頼んだ覚えはない」というリクツも鞏固になった。
 ある日のケンカ、ふだんはそんな場にはいない父がいた。父は母と言いあらそう私の言い分を聞いて「こどもは親を撰べないからなあ」と、苦笑しつつ、ちょっと困ったような顔をした。

 それから私はこの言いかたをしなくなった。こどもは親を撰んで生まれることは出来ない。そういう絶対的なことがあるのだから、もうそんなくだらんリクツを振りまわすのはやめようと思った。その後も数限りなく母親とはケンカしたが、こんな言いかたはもうしなかった。「生んでくれと頼んだ覚えはない」は幼稚なリクツだが絶対的真実でもある。同時に「それを言っちゃあおしまいだろ」でもある。それを意識して封じたとき私の反抗期は終っていた。



 以下の話は、前々から気になっていたことだった。なんとかして妊娠したいと願っているころから知っている。金を払ってアメリカ人女の卵子を買い、事実婚の亭主の精子と体外受精させ、それを自分の子宮に着床させて産むと決めたあたりも覚えている。今年の正月、帝王切開で出産したことも知っていた。
 今回、今現在の状況をニュースで知ったとき、すぐにブログテーマにしようと思った。でも重くて哀しくて書く気になれなかった。だけどこういうことは、2ちゃんねるのスレで一過性のものとして流れ去るだけでなく、自分なりに書いておくことも必要と思い、書くことにした。

 私が生まれでた赤子の苦難の様子を知ったのは2ちゃんねるの「ニュース速報」板でだった。日附を見ると6月11日だから、もう二ヵ月経っている。このスレが立つと、いつものよう多くの意見であっと言う間に埋めつくされていった。それらのほとんどは野田聖子議員を批判するものだったように記憶している。私はテーマそのものがつらいので、ほとんど読んでいない。批判する記事を読んで同じ意見の自分もスッキリするというものでもない。いや中にはそういうものもあるが、これだけは、どんなに自分と同じく野田を批判しているひとの意見を読んでも、よけいにつらくなるだけだった。
 見ないことにしたかったけど、前々から考えていたことだから、いつか自分のブログに書こうと思っていた。



野田議員「政治家、命かけてみろ」 息子は集中治療室
2011年6月12日

 自民党の野田聖子衆院議員(比例東海ブロック)は11日、岐阜市内のホテルで政治コラムニストの後藤謙次氏を招いた講演会を開き、生後5カ月の男児がいまだ集中治療室にいることを明らかにした。野田氏は米国で卵子提供を受け、今年1月に出産していた。

 野田議員は支持者へのあいさつで、男児が大手術を5度経験し、「(手塚治虫さんの漫画)ブラックジャックのように息子は手術痕だらけになった。あの世に行きかけた息子を懸命に引き留めた」と述べた。その上で、「命をかけると政治家は簡単に言うが、かけてみろやと、一生懸命生きている息子を見て思った」と話した。

http://mytown.asahi.com/areanews/gifu/NGY201106110029.html



 そういうこどもが生まれたというだけで胸の痛むひどい話なのに、その子がいまだに集中治療室にいる状況を語り、なぜか「政治家、命かけてみろや」と都合のいい政治的発奮材料に転化している。
 このひとはなにを考えているのだろう。理解に苦しむ。「ブラックジャックのように手術痕だらけになった」って、生後五ヵ月のこどもが、そんな目に遭っているのは、すべてこの野田聖子というひとの「こどもを産みたい」というエゴから来ているのだ。赤ん坊がかわいそうで涙が出た。

 2ちゃんねるの書きこみからひとつ。
名無しさん@12周年 [] :2011/06/14(火) 10:10:21.07 ID:CeEO6KC10
自分のワガママで、生まれるはずのない子どもを産んでしまって苦しめてるのに なぜこんな言い方ができるんだろう



 野田聖子という国会議員が、40歳を過ぎてから、なんとしてもこどもを産みたいと発言するようになり話題になった。二十代三十代のときから言っていたのかは知らない。世間的に有名になったのは、2004年に『私は、産みたい』という本を出してからだろう。結婚したのが2001年だというから41歳。流産とか不妊に苦しみ、そのあとに本を出した。このときが44歳か。それによって同じく高齢で不妊に悩む女の支持を集め、高齢出産に挑む女の旗頭のようになっていった。私は、彼女のこれみよがしの姿勢を支持していない同じ立場の女もいたと信じたいが、マスコミ的に野田聖子がそういうふうに捉えられ、本人もその立場に満足して活動していたのは事実だ。涙ながらに流産の悔しさを語っているのも見た。いつしか高齢出産に挑むヒロインになっていた。

 なんとしてもこどもを欲しいという気持ちはわかるが、そのことにのみ執着した鬼気迫る言行には他人事ながらうんざりした。亭主は同じ国会議員の鶴保という7歳年下の男である。いま確認したら「事実婚」であり未入籍だったようだ。夫婦別姓の支持者のようだから入籍はしないのだろう。

 この鶴保というのが語っていた。野田は基礎体温を計ったり、常に妊娠しやすい状況を模索していて、そういう状況(妊娠しやすい日の妊娠しやすい時間)になると、どこにいようと急遽呼びよせられ、それをさせられるのだと。性行為ではあるが、あいしあう男女の行為ではなく、こどもを作るためだけの行為である。種付けだ。たび重なるその強要に鶴保は「おれはおまえの種馬じゃねえよ」と嘆いたことが週刊誌ネタになっていた。いつなんどきでも7歳年上の四十女に呼びだされ、性行為を強要されるのだ。こうなると拷問である。よく勃ったものだ。その後、事実婚を解消するが、おそらくそれは勃たなくなり、種馬として解約されたのだろう。いや、種馬としてのみ扱われることから逃げだしたのか。



 それから野田はまた別の年下の男と「事実婚」を始める。しかし妊娠は出来ない。それでやったのが、その事実婚の朝鮮人の精子を、金で探しだしたアメリカ女の卵子と人工授精させ、それを自分の子宮で育てるということだった。自分の血は入っていない。「事実婚」の相手と見知らぬアメリカ人女とのあいだに出来た自分とは無縁の子を、自分の腹で育てるという行為だ。こうなると「出産体験願望」である。

 こういう野田の提案に乗る「事実婚」の男ってのもなにを考えているのだろう。生まれてくる子は実の母親を知らないという闇を最初から抱えることになる。それは野田とこの男が作りだし、生まれてくる子に課す宿痾だ。ここにおいて子は、野田と、それに協力するこの男の、おとなふたりの自己満足の犠牲となっている。

 母親となるアメリカ女と父親となる朝鮮人の男は、子作りに繋がる性行為などすることもなく、いやそれどころか一度も見たことのない、これからも会うことのない(これは規約で決められている)関係だ。そういう形で子を作る。この男はなにを考えているのだろう。私には、野田はもちろんだが、この男も理解できない。男として、そういう我が子を作ることに疑念を感じないのだろうか。

 なんとしても「子を産むという体験」をしたいという、そのためにならなんでもするという野田も狂っているが、その申し出を受けいれたこの男もまともとは思えない。この男は正常な形で子を作ることが出来る。なのに野田の欲求を叶えるため、この形にしたがう。それは野田との愛に殉じるとも言えそうだが、そのために利用され、生まれてくる子という命のことを考えていない。鬼畜である。

 世の中には、生まれたばかりのころに親を失ったり、親に捨てられたりして、養子になって生きる子がいる。それを育てる養父母がいる。これは親と子という関係が切れてしまった闇を光に変える価値ある所為だ。

 野田のやったことは、自己満足のために最初から親との関係が切れている闇を創りだすことだ。無理矢理それを背負わされる子が気の毒でならない。この子にはノーと拒む権利がない。
 アメリカの役者は戦争で親を失った異国の子を養子として受けいれたりしている。野田もこういう形で親となる経験はいくつもの形で選択できたろう。野田は親になりたいのではなかった。子を育てたいのでもなかった。他の女と同じく「産むという体験をして母親ぶりたかった」のだ。出産という体験のない己の劣等感の穴埋めである。その執念が奇妙な状況を生みだした。



 プロレスラー高田延彦夫妻がやったのは、彼ら夫婦の精子と卵子を授精させたものを、アメリカ人女の腹で育て、出産してもらうことだった。この場合、こどもは100%彼ら夫婦の子である。腹だけを借りた。いわゆる「代理腹」だ。アメリカ女は礼金をもらって腹を貸し、産みの苦しみを味わったけれど、生まれてきた子とはDNA的には繋がっていない。

 野田がやったのはこの「代理腹」志願だった。自分の卵子ではもう受精できないので、だったら好きな男と見知らぬ女との子を体内に宿し、せめて「産みの苦しみ」だけでも味わいたいと願ったのである。
 腹が大きくなってくると、「日本(正しくは朝鮮)とアメリカのハーフだからすごいイケメンが生まれてくる」と発言していた。
 私は、その子が物心ついたとき、どんなに苦しむだろうと思い、そのニュースを耳にするたび暗い気持ちになった。



 高田と野田のやったことは似て非なるものである。高田の妻は、正常な子を作れる能力のある高田の子を産みたかった。自分の卵子で受精までは出来る。だがそれを育み出産する健康な母体がない。それを探した。応じてくれたのは、すでにそういう経験を何度かしているアメリカ女だった。

 すごい国である。将来日本にもこういう女が現れるのであろうか。若くして子を何人も産み、離婚して、何人もの子を抱えて生活保護を受けつつパチンコをしているような女には、いいアルバイトになりそうだ。でもこういうのは飲酒も喫煙もするから、出産に関する健康な母体としては選ばれないか。

 でもここには人助けの感覚がある。アメリカ女には十月十日自分の腹で育て、へその緒を繋ぎ、産んだ子には、それなりの思いがあることだろう。でもその子は100%依頼された夫婦のものだ。将来みんなで会うことだって可能と思う。第二のおかあさんだ。

 対して野田の場合、最優先されているのは「子を生むという体験をしたい」という野田の願望である。野田には子を産む能力がない。でもなんとしても体験したい。精子はいま付き合っている男から得る。卵子がない。その提供は金で探した、見知らぬ、今後とも会うことのない、アメリカ女に頼んだ。そのことにより、「生まれてくる子は、自分の半分である母親を永久に知らない。知ることができないという闇」が生まれた。この闇は野田のエゴから生まれたものだ。そしてそれを背負うのは生まれてくる子だ。野田は「私も一緒に背負ってゆく。その覚悟で作った」と言うかもしれないが、子はそれを了承するとことなく生まれてくる。子は親を選べない。



 高田の場合は実の子である。その子が大きくなったとき、日本の法律では認められていない非常手段を用いて自分達(双子)は生を受けたということにそれなりのショックはあろう。心ないことを言う周囲もいよう。でも目の前にいるのは実の父と母だ。あちこち似たところもあるにちがいない。たぶん高田の絶壁頭なんてそっくりなのではないか。親の躾がしっかりしていれば、まだ見ぬ「産んでくれた母」に感謝の気持ちをもつことはあっても、なんとしても会いたい、そのひとこそほんとの母親だ、と慕うとか、そんなことは起きまい。そしてまた可能なら、みんなで会って記念写真を撮っても決して不思議ではない。そういう関係だ。

 野田の場合はちがう。50になって産んだ子だし、国会議員の子であるから、それこそ目に入れても痛くないほどのかわいがりかたをし、可能な限りのエリート教育を与えるだろう。
 だがその子が自分の出自を知ったときの苦悩はいかほどのものであろう。両親のルックスが日本人なのに自分は白人とのハーフの容貌である。自分には本当の母親がいる。でもそれは法的には生涯会えないことになっている。明かされない。野田聖子という女の「子を産みたい」という欲求を叶えるために無理矢理生産された自分という存在。まともなら、いわゆる反抗期に、自分の満足感を得るためだけに自分を生産した「代理母」を憎み、自分の半分である本物の母に会いたいと願うだろう。その子の懊悩を思うとこちらまで気が重くなる。

 そして最悪なことに、十分予測されたことではあったが、50女のポンコツ子宮で育てたものだから、あちこちに缺陥を持つ脆弱な子が生まれてしまった。よって生まれてすぐから手術が続き、生後5カ月でもまだ集中治療室にいて、「手術痕でブラックジャックのよう」なのだという。いまこれを書いていてもたまらない気持ちになる。この子はなぜこのようなひどい目に遭わねばならないのだ。こんなことをした野田が、まるでヒロインのように演説したり、新聞の取材を受けているのは正常な状態なのか。



 うまく書く自信がないので二ヵ月間寝せて来たテーマだが、やはりまだうまく書けない。どうにも感情的になってしまう。
 言えるのはただ、野田聖子というひとの感覚には同調できないということだ。いまも身体中に不調箇所を山のように抱え、生後7カ月の身で、手術や薬漬けの日を送っている赤子が気の毒でならない。それは野田聖子という女が、「なんとしても子を産みたい」というエゴを発揮しなければ、非合法な手段にうったえてまで実行に移さなければ、決して発生することのない悲劇だった。


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【追記】──早期にわかっていた障碍(17時記入)

8月6日に、野田聖子が読売新聞でこどもについて語っているニュースを知った。

この記事の読売新聞の下部を見ると、読売はこの「野田聖子出産」をシリーズでやっているようだ。知らなかった。知っていてもこんなもの読まないけど。今回で6回目か。

いやはやおどろいた。もう早期のとき、妊娠三ヶ月ぐらいに障碍児であることはわかっていたんだ。そういう子であることがわかっていても、子のことよりも、自分の「産みの苦しみを味わうという満足感」を優先したわけだ。まあひたすら「産む体験をしたい」ということで撰んだ道だから、なにがあっても中絶なんて考えるはずもないが。



ということで思ったが、乙武君の両親はお腹の中の子が両手両足がないことを知っていたのだろうか。私は「五体不満足」を発売時に読んでいるし、お母さんが肝っ玉のすわったひとであることは知っているが、このことがどうであったか記憶にない。

生まれたばかりの乙武君を母親に見せるとき、医者はショックを受けるのではないかと戸惑ったが、母親は乙武君を一目見るなり「まあかわいい」と言って抱きしめたと彼は著書で書いている。落涙しつつ読んだ箇所だ。

だがいま冷静に考えるとこんなことはありえまい。今の科学だ。母親はもう早い時期に体内写真により医者からそれを知らされ、両手両足のない子を生むかどうかさんざん悩んだはずだ。なにしろあの男か女かの判断はチンチンがついているかどうかで判別する。早い時期にそれですらわかるのだから、両手両足のない子は、エコー写真でもとんでもない畸形だったはずだ。
むかしはそんな便利なものはない。だから奇形児が生まれたら親と産婆が相談してその場で間引いた。今はそれは殺人罪になるのでできない。その代わり初期の段階でわかるから、生むか堕胎するかの選択ができる。

不覚にも、「母親は両手両足のない乙武くんを、そのとき初めて見た。それなのにかわいいと言った。えらい」と落涙してしまったが、母と父は妊娠三ヶ月ぐらいのときにもうそれを知り、そういう障碍児を産むかどうかさんざん迷い、苦しんだ末の、決断だったろう。
初めてわが子を見るとき、母親は「どんな畸形の子であってもぜったいにおどろかない。悲鳴を上げたりはしない。かわいいと思う。かわいいと言う」と何度も自分に言い聞かせて臨んだろう。もちろん自分がお腹を痛めて産んだ子だから、両手両足がなくても、「かわいい」と思ったこともまた真実であろうが。



新聞記事はリンクを貼っておいても、後々消えてたりするから要諦を書いておこう。読売新聞にあった野田聖子の記事からの抜粋である。体内の子の障碍は早い時期にわかっていた。

・障害児であることは妊娠12、3週でわかった。
・臍帯ヘルニアという臍の側に肝臓が飛び出している状態で、障害児であるとわかった。
・ほかにも、心臓障害、染色体異常とか、重い病気が起こりやすいと言われた。

・夫には「どんな障害を持っていても、幸せにするのが私たち夫婦の仕事」と言った。

・帝王切開での出産。肺呼吸ができなくて死ぬ可能性もある、と事前に言われた。


・生まれてすぐに、胃ろうの手術をしました。胃に直接栄養を送る管を入れる手術です。それから、肝臓を閉じる手術、離れていた食道と胃をつなぐ手術など、生後5か月までに5回の手術をしました。体重が増えたら、心臓の本格的な手術をする予定です。
 鼻から酸素。胃ろうでミルク・・・。いま3本の管が彼を生かしている。最悪の時は17本くらいチューブが入っていたことを思えば、すごい進歩です。生きる力は強いなと思います。


いままでにもう5回の手術、体重が増えたらこれからまた続く。最悪の時は17本のチューブ……。
なんでこの子はこんな地獄を味わわねばならないのか。「生きる力は強いなって思います」って、よくぞこんなことが言えるものだ。現代の医学で無理矢理生かされてるだけだ。口が利けたら「楽にしてくれ」と言うだろう。

野田は未だそういうヒロイズムに酔っているのかも知れないが、いや笑顔であちこちの媒体でそれをしゃべっているのだから、明らかに酔っている。冒頭の発言でもわかるように、政治利用している。そういう運命をしょわされて生まれてくる子はたまったものではない。こういう親のエゴで人生に重荷を背負わされたこの子がかわいそうだ。あらためてそう思う。

この子がどういう形で育とうとも、途中で命つきようとも、野田はしっかり政治主張に活用してゆくのだろう。「私はこどもを生んだことがあります、お母さんがたの味方です」的なスタンスで。そして、数多くの障碍をもったその子が、いかに生まれてきたときから苦しみ、多くの手術を受けてきたかと涙ながらに話せば、会場からはすすり泣きが漏れ、いい方向に作用するのだろう。障碍方面は重要で確実な票田だ。不妊の味方と障碍児の味方で固定票獲得か。でも、子を作るというのはこういうことではない。

かといって、両親がパチンコに熱中しているあいだに、猛暑のクルマの中で熱中症で死ぬこどもと、野田のこどもとどっちがしあわせかはわからない。
毎夏、このニュースを知るたび、乳飲み子を蒸し風呂のようなクルマの中に放置して、夫婦で涼しい場所でタバコ吸いながらパチンコやってる親のもとで生きても、どのていどの人生かはわかっているから、早々に死んでよかったのかも、とすら思う。

そういや野田聖子、パチコン利権でしっかり金をもらっている政治屋だ。障碍児をほったらかして夫婦でパチンコに行ったりするなよ。ああパチンコは金をもらうためだけのものでやらないか。

夫婦別姓支持者で、今までの二度の結婚も「事実婚」で籍を入れなかったのに、こどもができたら籍を入れた。やってることがめちゃくちゃだ。

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私は「しょうがい」は「障碍」と正字で書きますが、引用した文中にある「障害」は直さずそのままにしました。ここのところ「害という字はよくない」と、「障がい者」とかくだらん表記が横溢していますが、それは障碍の「碍」を常用漢字から外したのが問題であり、それを撤廃し「障碍」と表記すれば解決することです。こういうことを言ってくれる議員がいないなあ。

今の日本の法律では、高田のように他人の腹を借りて生んだ子は実子として認められない。まあそれはむかし作った法律だからそんなものだろうと思うが、おどろいたことに、野田の場合は「お腹を痛めた」から認められるのだとか。100%自分達の子なのに戸籍に入れられない高田の場合、すんなりと実子として認められる野田の場合、へんな話である。野田が産んだ子は野田とは血縁ではないのに。

餘談ながら、私がむかし高田にインタビューしたころ、高田は向井亜紀との交際が発覚したばかりだった。そのことを聞くとのろけていた。用賀のUWF稽古場でインタビューしていると、事務所に向井から電話がかかってきた。当時は携帯電話などまだない。高田は向井とのデートにいそいそと出かけていった。高田は中卒のプロレスラーだし、実家方面にも問題がある。向井は女子大卒のお嬢さんだ。うまくゆくのかと心配したが、結婚まで行き、こういう形でこどもにも恵まれた。よい子育てをすることを心から願う。

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【附記】──「五体不満足」再読(10/11)

病院の図書室に「五体不満足」があった。再読した。出たばかりの時に読んだ本だ。何年ぶりだろう。
そこで上記の勘違いを知ったので訂正する。

乙武君のお母さんは、妊娠してから一切病院に行かなかったらしい。エコーなども撮っていないのだ。だから生まれてくるまで乙武君に手足がないことは知らなかった。産んでから、病院側が、母親がショックを受けるだろうと何日か会わせなかったとか。そしてやっと会えたとき、前記したように「まあ、かわいい」となった。
もしも事前に手足のない子であることがわかっていたら産むか産まないか悩んだと、母親は乙武君に語ったそうだ。著書にそう書いてある。そのことを失念していた。

すこし不思議な気がする。
妊娠したような気がして医者に行く。妊娠が確定する。それから出産まで、定期的に医者に診てもらうものではないだろうか。現代では。
乙武君のお母さんは出産するその日まで一切医者に行かなかったという。だから男女の性別まで解る時代に、お腹の中の我が子が四肢缺損であることを知らなかった。でも、そんなことがあるのだろうか。



私がこどものころ、田舎ではすごい話が山ほどあった。農作業に出て、田んぼや山で産んだなんて話がある。産んだというか、生まれてしまったのだ。その日まで働いていたのである。働き者というのか、そういう貧しい時代だった。でも母子ともに健康。山から赤ん坊を抱いて自力で歩いて戻ってくる。

そういう地域と時代だから、「ほんとうは双子だったけど、畜生腹と嗤われるから片方を間引いた」なんて話も拡がってしまう。畜生腹とは、双子を産んだりすると動物のようだと蔑まれることである。むかしの田舎はそんなものだった。そう言われるのを嫌って産婆と家族が相談して生まれてすぐ片方を殺してしまう。いまなら殺人罪だ。ふつうに暮らしている男の子が「あれはほんとうは男と女の双子で女の方を間引いたんだ」と心ない連中に後々まで言われるのだから残酷な話だ。

私は小学生の時、そういうことを言う母を、人の心を傷つけるから言ってはならないと窘めたことを覚えている。一応母を弁護すれば、彼女はそういうことを軽く口にする薄っぺらな人間ではあったが悪人ではなかった。嫌いな人を貶めようと根も葉もないことを言うのではなく、みんなが知っている事実だからと、気軽にしゃべってしまうのである。「だってほんとうのことだもの」という四十代の母に小学生の私が、「本当のことだからといって何でも口にしていいものではない」と説教した。



また脱線するが、競走馬にも双子は多い。だが本来1頭分の子宮スペースで育った双子馬はちいさくてひ弱な仔が生まれる。よってまだちいさな時点で片方を潰すのだとか。生産地で頼りにされるのはそれが巧い獣医だ。名人と呼ばれるひともいる。詳しい技術は知らないが「馬の子宮に手を突っこんで、片方だけ卵子を潰す」のだそうな。これは度胸のいる作業になる。なにしろ何百万円もの種付け料を払って受胎した仔だ。形のいい牡馬が生まれれば何千万円にもなる。だが潰しかたをまちがって流産になったら0である。かといって双子で生んだのでは競走馬として通用しない。怖いけどやらねばならない作業だ。

そうして生まれた子は二頭分の運命をしょっているからか活躍する。私の知っている有名馬だと二冠馬サクラスターオーも間引かれた双子の片割れだ。
人間だとホームラン王の王さんは双子で生まれ、片方を1歳でなくしている。王さんの活躍も二人分だからだろう。

むかしは農作業のさなか、田んぼや山で自力で産んだと書くと、むかしの女が強かったようだが、今でも女子校生が公衆便所でこどもを産み捨て、自分はそのまま平気で暮らしていたりするのだから、女の強さは変っていない。



乙武君の話は本当なのだろうか。私には、妊娠から出産まで一切検査を受けず、親が四肢缺損であることを知らなかったとは信じがたい。といって、知っていて産んだとも思えない。ならやはり本当なのか。
それはもう、乙武さんが二児の父となっている今では、どうでもいいことなのだろう。でもきっと乙武さん夫妻は胎児を確認したろう。健常児と確認して出産に踏み切ったはずである。

私は、妊娠時に四肢缺損のような大きな障害が判ったら、中絶するのがよいと思っている。
この考えに変りはない。

乙武さんは「野田聖子のこども」にどんな意見を持っているのだろう。訊いてみたいものだ。

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kanren6野田聖子議員の子作りに思う──「たかじん」で知った高田夫妻の代理母のこと
  1. 2011/08/09(火) 13:10:57|
  2. 野田聖子
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ディスプレイ故障話──デュアルに復活

00pc5.gif
8月6日、待望のデュアルディスプレイに復帰した。1台が故障して5年間続いていたデュアルディスプレイがシングルになったのはいつだったろうと自分のブログで調べる。6月11日だった。ほぼ二ヶ月シングルだったことになる。不便だった。よく我慢した。いや手元不如意で我慢せざるを得なかっただけだが。



いままでの19インチに23インチワイドを足すというへんな形になった。4:3の長方形の19インチを目の前のメインにして、横長ワイド画面(16:9だっけ?)を右側のサブにした。
ワイド画面一面のひとがいまは多いだろうし、その体験もしてみたいから、19インチをオフにして、しばらく23インチワイド画面のみという生活をしてみようかとも思った。新入りがワイドなのだからワイドをメインにして、古い19インチをサブにすべきとも思った。
でもやっぱり私なりの王道で行くべしと、文章を書くのに見やすい19インチを文章用、ワイドをその他の情報表示用のサブにした。



ところで、一般的にブラウザはみなひとつだけ起動するのだろうか。私は複数起動派である。それのほうが調べ物をしたり、比較したりするときに切り替える必要がなく楽だからだ。いま愛用しているのはGoogle Chromeと、そこからの亜流(と言ったら失礼なのか。本家よりもすぐれているのだから。でも亜流は亜流か)の、SRWare Iron(クロムを越えるのに〝鉄〟って名が笑えるドイツ製ブラウザ)と、IEエンジンに切り替えられる独自機能の同じくChrome亜流のChrome Plus。
あとはOpera。Operaは有料のころから使っていたので無料になった今、使わないと損のような気がして(笑)使っている。

Safariはあわない。あれはMacのものだ。

IEは10年以上前から使っていないし、IE系も最近はまったく使わなくなったが、たまにThe World BrowserやPeceaを起動したりする。

私は長年Mozilla Projectを応援してきた。メールソフトもずっとThunderbirdだった。でもなぜかFirefoxとは相性が悪い。このごろメールもGmailばかりになってしまった。



ブラウザと言えば、それによるIQのちがいという分析があった。IQが最も低いのはIE6の使用者で、最も高かったのはOperaだとか。

http://www.cnn.co.jp/tech/30003525.html



たぶん、シングルディスプレイになって不便だ不便だと騒いだのはこの「ブラウザ複数起動」に起因している。ノート派の1画面で(そういやノートで2画面という珍品があった。欲しかったなあ)で、起動するブラウザはひとつと決まっているひとは、そもそもそんなものなのだから、不満は感じなかったにちがいない。

この辺、車内から電動でサイドミラーを動かすのになれたら手動でやるのがとんでもなく面倒に感じるのと似ている。痒いところに手の届く日本のクルマはいまみなそうだから、たまに外国のレンタカーを借りて、そうでなかったりすると戸惑う。雨の日に濡れながら角度を確認したりしていると惨めに感じたりする。

私がデュアルディスプレイがどうたらこうたらと書いていることにまったくなにも感じないひとも、こういう具体例を挙げるとわかってくれるだろう。でもまあただそれだけのことなのだが。
質朴な欧州人は、クルマという道具の窓を開けるのは手動があたりまえと思っていて、日本人の考えたパワーウインドウを奇異なものに感じたという。「窓は手で開けるものなのに、なんでそれを電動にするの?」と。
よくわかる話だ。私がヨーロッパでレンタルするのは普及車だったから窓はみな手動だった。もちろんクーラーはついてない。あちらは涼しいからそんな必要もない。暑ければ窓を開ければいい。

お笑い芸人が、若くて突っ張っているころ、パワーウインドウでないと知られるのが恥ずかしいので、パワーウインドウに見えるような手動での窓の開け方とか、真夏でもカークーラーがないと思われるのが悔しいので、汗だくだくで窓を閉めたまま走っていたとか、そんな話をしていた。会場大笑いなのだが、そういう見栄感覚のない私にはもう一歩楽しめなかった。こういうのって日本人独特の見栄で前記質朴欧州人にはわからないだろう。彼らにはクルマは馬車から続く道具なのだ。一方前記お笑い芸人のような日本人若者にはステイタスなのだ。いま若者のクルマ離れが顕著だというが、それはそれでいいと思う。いつまでも矢沢永吉の言った「角のタバコ屋に行くときもキャデラックに載って行く感覚」がかっこいいでもあるまい。(左の「載って」は日本的には「乗って」の誤記だ。見つけたので直そうと思ったが、本家の支那では「載って」なので、あえてこのままにすることにする。)

この「デュアルディスプレイじゃなきゃいやなんだい!」というのは、「クルマの窓を手で開けるのはいやなんだい」という程度の話で、私には見栄感覚がないからこそ、このくだらないこだわりが気に入っている。



いま目前のディスプレイには日記用のホームページ・ビルダーが開かれている。
右側のサブに、ChromeとIronを半分ずつ表示。
いまは隠れているがBGMでmp再生ソフトFittleからBrahmsのString Sextetsを流している。このFittleはChromeの蔭にあるので、クリックですぐ見えるようになる。

ここのところ市販のデスクトップ機はみなワイド画面だ。「大流行しているけど、ワイド画面なんてどこがいいのだろう」と思っていたが、こうしてみると、画面半分ずつにほどよくふたつのブラウザが並べられて見やすい。

そうそう大事なこと。あの「光沢画面」てのはなんであんなに流行っているのだろう。私は嫌いだ。今回ももちろん非光沢画面のディスプレイを買った。いまここを読んでいるひともみな光沢画面で、こんなことを言ったら反発されるのだろうか。



ChromeにはJRAの結果が、Ironには、ある馬券師の予想サイトが開かれている。その予想とJRAサイトの結果をワイド画面のサブで見比べられ、それに対する感想をメインディスプレイのホームページ・ビルダーに書く。これが一気に出来るのがありがたい。

ここ二ヶ月、これをやる場合、1画面しかなかったから、ホームページ・ビルダーからブラウザ表示に切り替え、予想サイトで競馬予想を読み、ブラウザをその予想サイトからJRAサイトに切り替えて結果を確認し、それからまたホームページ・ビルダーに戻って、それを記入する、という手間暇だった。
JRAサイトと言っても中央競馬は複場で開催するしレース数が多いから単純ではない。いまは新潟、小倉、函館の三場同時開催である。予想は新潟9レース、函館10レース、小倉11レースだったりするから、みっつの開催場を切り替え、12レースあるその中から該当レースを選ぶので、これはこれでけっこう煩わしい。

そして、これが一番問題なのだが、惚けてきて記憶力が落ちているから一回ではすまないのだ。前記の例で言うなら、新潟9レース、函館10レース、小倉11レースに5頭ずつ予想した馬の名があったとする。その合計15頭をきちんと記憶できれば問題ない。簡単なのだ。だが15頭どころかひとつのレースの5頭の名ですらあやしく、予想を見てから結果と照合するのだが、3着の馬が5頭の中に含まれていたかどうかわからなくなってもういちど予想サイトに戻ったりする体たらく。なんともお粗末な話だ。往復が面倒であること、自分の記憶力が落ちていること、デュアルディスプレイさえあれば……という未練、あれこれ考えて、ずいぶんといらついた。



しかし、「惚けてきて」はあくまでも謙遜であり、ほんとはそうじゃないんだと言いたいので弁明すると、これも怠け心なのである。やる気のあったときはレース名と馬の名をメモした。そのメモと結果を照合すれば一発で済む。それだけだった。だがデュアルディスプレイになり、ふたつの画面で照合できるようになったのでメモの必要がなくなった。1台が壊れてシングルディスプレイになったとき、デュアルディスプレイの時と同じように手抜きでやろうとしたら出来なくなっていた。そりゃ当然だ。急速に記憶能力が落ちているのに加え、この5年間楽してきたのである。メモを取る気力さえあればシングルディスプレイでも問題はなかった。つまりは惚けているのは脳味噌以前に精神なのだ。

じゃあ精神を鍛えるためにシングルディスプレイでもうすこし苦労すればよかったのに、となるのだが、しんぼうたまらんとデュアルディスプレイにもどってしまいした(笑)。

この二ヶ月、毎日デュアルディスプレイにもどりたいと思った。思わない日は一日とてなかった。7月24日からテレビが見られなくなり、テレビのない生活をしているが、テレビが見たい、テレビを買いたいと思ったことはいちどもないから、私なりにこれは切実なものだったのだろう。と、都合よく割り切って、いまは心地良く満足。

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【追記】──ワイド画面とiTunes

なんの興味もなかったワイド画面だが、「そうだ、iTunesだ!」と思いだした。ビックカメラで見た27インチワイド画面のMacにiTunesが表示されていた。これは圧巻だった。横長大画面にちいさなフォントなので表示されている情報量がすごい。

早速ワイド画面にiTunesを表示してみる。レーティングだとかプレイ回数とかには興味がないので消してある。これは横長ワイドになったからといって表示する気もない。そのへんはどうでもいいが、表示している項目ひとつひとつのの幅が全部表示されるように都合上狭くなっていた。それを十分に広くすることができる。やってみた。

すると、たとえばジャンゴ・ラインハルトとステファン・グラッペリのアルバムだと、Alubum Artistの項目表示は「Diango Rein」ぐらいになっている。曲名表示を優先させてこのへんの横幅は狭くしている。でもワイド画面なら横幅がたっぷりあるから、幅を広くして、最後まで「Django Reinhardt & Stephane Grappelli」とぜんぶ表記出来る。これは気持ちいい。なるほどワイド画面とは、こういうソフトで役立つのだと知った。
  1. 2011/08/07(日) 02:04:27|
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映画「ディパーテッド」感想とエンディングのロイ・ブキャナン

映画「ディパーテッド」感想とエンディングのロイ・ブキャナン

ディカプリオと山崎邦生の相似。太ったアレックス・ボールドウィン。ロイ・ブキャナンの「スイートドリームス」。アルバート・コリンズとの共演。フライングVのロニー・マック。
  1. 2011/08/05(金) 06:17:20|
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テレビのない生活──上原美優、岡田有希子──映画「ディパーテッド」

テレビのない生活──ロンハーの上原美優──岡田有希子の思い出

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【外装工事始まる】

クーラーのない生活をしている身としては、過ごしやすい夏に感謝していたが、今日から住んでいる集合住宅の外装工事が始まってしまった。一ヶ月ほど続くらしい。今日はまだ足場組みだが、もう8時半からうるさくていられない。ノートパソコンを持って図書館に避難するしかない。それでも毎朝、開館の10時までは苦しむことになる。この図書館は毎年7.8月は受験生たちの勉強を考慮したのか開館を9時半に早めていたのだが、今年は節電ということで10時からのままにしている。そういう節電にどれほどの意味があるのだろう。まあ公共機関として手本を見せるということなのだろうが。

去年、記録的猛暑が一息つき、やっと涼しくなってきた9月半ば、隣の大型マンションの外装工事が始まった。図書館通いの始まりである。それがなんとクリスマスまで続いた。丸々三ヶ月、ほんと、ノイローゼになりそうだった。

工事のない日曜は、静かであることはこんなにも快適なのかと一日中部屋でごろごろしていた。逆に工事があり図書館が休みの月曜が困った。電車に乗って本を読むという苦肉の策を思いついたが、いくら軽い鉄ちゃんの気があるとはいえ、目的のない電車に一日中乗っているというのもつらかった。日曜夜には、「明日は月曜か」と勤め人的な憂鬱を感じた。小説や将棋雑誌、音楽系の本をバッグに詰めこみ、iPodの音楽とポットに飲物を用意し、思いついた駅で降りての構内での食事や、奥多摩の無人駅のベンチに寝転んで文庫本を読んだりして、愉しいと思った時もあったが、所詮騒音を避けての避難なのである。これが好きでやっているのならもっと楽しかったろう。
隣のマンションのそれにも我慢したのだから自分のところは耐えねばならない。
問題はやはり月曜日だ。どうしよう。

さあて、いま9:35分。そろそろ出かけよう。

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3時に寝て6時起きだったので睡眠不足。図書館でももう一歩集中できない。午後になると眠くなってきた。帰って部屋で横になりたい。でもうるさくて無理。
ということで15時ぐらいからはもう「17時には工事が終るはず。帰りたい。早く17時になれ」とばかり願っていた。
17時すこし前に出ようと思ったら、そこで雨降り。急速に空が暗くなってその気配はあった。待ちかねて、帰ろうと思ったその瞬間から降り始めるとはついてない。いま使用しているパソコンバッグが革製なので雨の中は動けない。もういちど図書館に戻り雑誌を読む。30分ばかり雨宿りして、それから帰宅。
蒸し暑くて汗を掻いた。急いでひと風呂浴びて、19時から倒れこむように眠る。22時起床。スッキリ。
これからこんな生活が一ヶ月続くのか。
  1. 2011/08/03(水) 09:36:02|
  2. 生活
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スパムメールに注意を!──すぐに削除してください

私の名でスパムメールが拡散しています。メールにあるアドレスにはアクセスせず削除してください。

一昨日、へんなメールが届いた。「ここにアクセスしてください」とある。ツイッターのダイレクトメッセージだ。
そのひとの名に覚えはなかったが、DMが届くのであるから相互フォローなのだろう。深く考えずアクセスしてみた。面白画像でもあるのかと思った。

すると、「did you lose weight in this picture?」とあるだけである。なんじゃこりゃと思って閉じた。送信ミスかと思った。
その後もフォローしているひとたちから何通も同じものが届いた。2.3通開けてアクセスしたが、みな同じなのでその後は無視した。なにかの事故だろうと思った。



それから一日後、私からそういうメールが届いたがどういう意味かという問い合わせのメールが複数届いた。どうやら、私に送られてきたのと同じものを、私も私をフォローしてくれているひとたちに送っているという「身に覚えのない事件」が起きているらしい。

それで次のようなことを書きこんだ。下が先です。下から上に読んでください。
spam2


すると返信をもらい、原因を教えてもらった。
spam


なるべく被害をすくなくするため、もういちど書きこんだ。
spam3


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私にそういうメールを送ってきたひとたちは、みな私と同じ被害者だったようだ。フォロワーの誰かからもらったそのスパムにアクセスしてしまい、そこから私へと拡がってきた。私も「新井さん」というかたのメールにアクセスして、複数のひとに迷惑を掛けることになった。

というところに、元ネタとも呼べるようなのがまた届いた。ハングル文字である。私のPCにハングル文字が表示されたのは初めてだ。日本語で「ここにアクセスしてください」とある。これが拡がってこんな事態になったのだろう。やはり犯人はそういうことらしい。高岡絡みの朝鮮人の攻撃だ。

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私のPC歴はNEC-PC9801からで30年近い。そのころからパソコンに電話線を繋ぐのは怖く、多くの友人にパソ通をやろうと誘われたが拒んだ。私はパソ通はまったくやっていない。ああいうフォーラムとかいう集まりが気味悪かった。

よってインターネットも遅い。Windows3.1でも大ヒットとなった95でも、私のパソコンに電話線はなかった。
さすがに1998年ぐらいになると、外国からファクスで原稿を送るより、電子メールのほうが速くて安い(この安いが大きかった。当時外国からのファクス代は高かった)から、次第に利用するようになっていった。それでもまだ外国のインターネットカフェから日本の出版社に送信する程度で、日本の自分のパソコンには電話線を綱がなかった。

私が本格的にインターネット契約をするのは2000年ちかくだからパソコン好きとしては遅い。本格的に今のホームページを始めたのは2001年でしかない。このブログも2005年からである。
当時も今も私はパソコンのハード的なものが好きで、人との交流には興味がない。インターネットには詳しいがハード的なことは何も知らないというひととは逆になる。

インターネットを始めるに当たり、見知らぬ他人に自分のパソコンに忍びこまれ、ハードディスクの中をすっぽり盗まれるのではないかという恐怖があった。大のソフトウェア好きだから、それらのソフトをあれこれ入れた。ネット初心者によくある複数のアンチウイルスソフトを入れて、それらがぶつかってパソコンの調子がわるくなるなんてことをやっていた。



通信に恐怖心を持ち、慎重であり、もともとネットサーフィンは嫌いだし、あぶないエロサイトなんてものにも近寄らなかったから、以来今日まで一度も被害にあったことはない。今回が初めてになる。

慢心していたかというと、そんなこともなかろう。事情を教えてくださったかたには「アクセスしてはいけないのです。気をつけてください」と叱られたが、相互フォローしているひとからDMが届いたら開けるのがふつうだ。「アクセスしてはいけないのです」と言われても困る。知ってたらしないが、知らなければする。今後はもうしない。一目で見抜ける。転ばぬ先の杖は大事だが、転んで覚えることもある。私は転んだことがなかった。

こういうスパムメールは「不幸の手紙」と同じで、鼠算式に増えて行く。たちがわるい。
自分が被害者だけならまだ割りきれるのだが、加害者の部分もあるというのがつらい。まして自覚がないだけに。
不似合いなツイッターなんてものを始めた罰か。

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いまツイッターのDMの欄を開いたら、いきなり50人もの名が出て来たのでおどろいた。それだけ送られたのだ。そしていま、みなさんはまだ眠っているだろう。なんとか開かないで欲しい。そこから鼠算で増えて行く。

さいわい数人の方から、「スパムだと思ったので削除した」との連絡も入っている。慣れているかたには一目でわかることなのだろう。私ももうわかった。でも一昨日はわからなかった。どうかみなさんが引っ掛かりませんように。でも私はどなたにも誠実に対応してきたつもりだから、私からメールが届いてurlが書いてあったら、なにか興味深い写真かもとアクセスしてしまうだろうなあ。心配だ。

それでもフォロワー300人の初心者のだからまだいいけど、これ何万人何十万人ものフォロワーのいるひとがやられたら被害甚大だ。ネットの怖さを思い知る。
  1. 2011/08/02(火) 05:28:13|
  2. ツイッター
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なでしこジャパンに国民栄誉賞──菅直人の被害者

決定したらしい。速報が流れていた。死に体内閣のくだらん人気取りだ。うんざりする。
そもそも国民栄誉賞なんてのは不人気の福田赳夫内閣が人気取りに始めたものだ。たいして価値のある物ではない。どうでもいい。同じく不人気の菅内閣がそれを利用するのは当然か。



それでもあえてその価値を認め、その時期を考慮するなら、長年日本国民を楽しませた芸人や歌手、スポーツ選手に、「それ相応の年齢になったとき」やればいいだろう。すこし「死後」が多すぎる気もするが、それでも今回のような小娘にこんな年齢の時にやるよりはいい。誤解のないように書いておくが、「小娘」に責任はない。罪もない。てめーの人気取りに小娘を利用する菅直人が問題なのだ。彼女等は被害者である。

イチローは今までに国民栄誉賞を二回打診され、二回とも断っている。
といってイチローも断固として、嫌悪感をもって断っているのではあるまい。現役プレイヤーとして、そんなもので足枷を嵌められたくないのだ。あんなものをもらったら、それこそ浮気も離婚も出来なくなる。聖人君子でいなければならない。
引退して、さらに一息吐いて、五十歳ぐらいのときに打診されれば、気持ち良く受けるだろう。



過日、選手のひとりの合コンの様子を隣の大学生がツイッターして、監督批判をした、金メダルいらないからあげようかと発言したとか、くだらないことが話題になっていたが、そういう年齢の娘なのだ。まだ二十歳のもいる。私もブログに書いたが、國旗への寄せ書きのマナーすら知らないこどもだ。これからの人生、海のものとも山のものともつかない。そんな連中にこんなものをやってどうするいうのだ。両肩に重石を乗せるようなものだ。私からするとこれは、菅直人によるイジメである。

念のため、「そんな連中」は、まだ若くて人生が未定の連中といういい意味、「こんなもの」は、菅直人がてめーの人気取りに利用するくだらんモノ、という意味だ。

そんなことより報賞金をあげてやれ。みんなサッカーを続けるために苦労している。世界一になったんだ。勝つまでは、ひどい環境を訴えてもすこしも救ってくれず、勝ったら今度は手の平を返してこんなことをしてくる。それよりひとりに二千万ぐらいの褒美をあげろ。それでいい。政治屋が自分の人気取りに利用するな。



何年後かには週刊誌に「国民栄誉賞をもらったなでしこメンバーのその後」なんてのが載るだろう。結婚したがすぐに離婚してウンヌン、引退後水商売を始めたが失敗してウンヌン、中には男にだまされて覚醒剤で、なんて事件まで起きるかも知れない。こんなものさえもらわなければそんな好奇の眼に晒されることもあるまいに。

まったくくだらんことを思いつくものだ。
しかし国民栄誉賞の出自が元々そういうものだから、落ち目の政治家が利用するのは理に適っている。

今朝のワイドショーなんぞは、みのもんたを筆頭に「やりましたね! うれしいニュースです!! ひとりだけじゃありませんよ、全員です!」なんて大騒ぎするのか。
  1. 2011/08/02(火) 02:31:08|
  2. 女子サッカー
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ワイドショーコメンテータという仕事──田中雅美と柳田稔

ワイドショーコメンテータという仕事──田中雅美と柳田稔
  1. 2011/08/01(月) 18:42:37|
  2. マスコミ
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テレビのない生活一週間目──2005年のヘキサゴン

テレビのない生活一週間目──2005年のヘキサゴン。登場するのは橋下弁護士。麒麟。眞鍋かをり。
  1. 2011/08/01(月) 05:28:48|
  2. テレビ
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2001年に始めたサイトMone's World--http://monetimes.
web.fc2.com/の出張版ブログ【木屑鈔】Boku-setsu-shouです。
2005年からやっていたライブドアブログから引っ越してきました。
FC2のサイトは2007年から利用させてもらっていました。これでやっとサイトもブログもFC2で統一です。
メールは、moneslife2000
@kpe.biglobe.ne.jpまで。

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