スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

高岡蒼甫記事に「やはり始まった高岡批判」を追記

「高岡蒼甫の反日時代!?──パッチギのころ」に、「やはり始まった高岡批判」を追記しました。長文なので独立しても良かったのですが、あちこち飛ぶのも面倒でしょうからひとつにしました。末尾にありますので読んでください。
彼の過去などどうでもいいことです。大切なのはいまです。
スポンサーサイト
  1. 2011/07/31(日) 01:31:26|
  2. ツイッター
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ジャック・ルーシェ時折トーマス・ハーディン──神山純一の魅力

thomas2


今朝の音楽はこれ。Thomas Harden Trioの「Jazzで聞くクラシック」シリーズのAdagio篇。
トーマス・ハーディンなんてジャズ・ピアニストは存在しない。日本人・神山純一がプロデュースしているBGMシリーズだ。日本人が日本人のジャズやクラシック初心者に向けて制作しているアルバムだから、当然のごとく「Jazzで聞く桑田佳祐」なんてのも出てくるわけで、その他も宇多田ヒカルとか浜田省吾とかいろいろあるようだ。
私はそれには興味はない。クラシックシリーズしか聞かないし、中でもこのAdagioがいちばん気に入っている。これはほんとによく出来ていて、いつ聞いても気分が良くなる。選曲がいい。

しかし売れ線なのはきっと日本人のそれのほうだ。たぶんこういうCDを購入するひとは、クラシックの名曲がJazzyに演奏されているものよりも、自分のよく知っている桑田やユーミン、陽水の曲を好むのだろう。それにしても神山純一の名を隠してThomas Harden Trioと名乗るあたり、なんとも商売上手だ。ファン心理がわかっている。



クラシックをJazz Pianistが演奏しているシリーズといえばJacques Loussier(ジャック・ルーシェ=フランス人)が有名だ。それはホームページのここに書いたので興味のあるひとは読んでください。2008年12月の文章。

でも、これが言いたいことなのだが、本物であり先達であるジャック・ルーシェよりも、神山純一を聴きたくなる時があるのだ。それは「Lady Borden」よりも「明治エッセルスーパーカップ超バニラ」が食べたくなるときに似ている。高価で乳脂肪率とかも高いレディボーデンの方が本物のアイスクリームで、安売りなら100円以下で買えることもある超バニラは〝もどき〟なのかも知れないが、それでもいま食べたいのは超バニラなのだ。そんなときがある。(でもだからといって、「ビールじゃない、発泡酒が、第三のビールが飲みたいんだ!」と思うことはないなあ。)

架空のトーマス・ハーディンの方が本物ジャック・ルーシェよりも確実にすぐれていると感じるのは、「気持よく聞いてもらおう」ということに徹している点だ。ルーシェの場合は「クラシックをジャズで演る」ということに使命と誇りを持っている。またトリオであることも意識している。よってベースやドラムにも活躍の場を与える。つまりジャック・ルーシェに取っていちばん重要なのは「ジャック・ルーシェトリオが演奏している」ということなのだ。それはもう真に誇り高いジャズミュージシャンとして当然だろう。

一方神山純一は、自分の名を消して、架空の「トーマス・ハーディントリオ」なんて外人名のジャズトリオを設定するぐらいだから、商売と、お客さまに「気持ち良く聴いてもらうこと」を第一義にしている。だからジャック・ルーシェトリオみたいに、いきなり太鼓がドタンバタンと活躍を始めて、「ど、どうした、何事が起きたんだ!」と驚くようなことはない。生演奏のホテルのラウンジでグラスを傾けているように、ひたすらこちらを心地良くしてくれる。それがもう、ほんとに気持ちがいい。こんなのを聴いていたら朝から酒が飲みたくなる。

============================================

00twitter.jpg


これ、ほんとはツイッターで「今朝の音楽は」とつぶやきたかったことである。「今朝はこれを聴いている。とても気分がいい。朝から酒が飲みたくなった」と140字以内でまとめ、それで終りのはずだった。でも私の日の丸仲間はみな熱く政治を語り、フジテレビの韓国ベッタリを批判し、燃えていたので、そこに「今朝の音楽はトーマス・ハーディン・トリオ」と書きこむのは失礼な気がして遠慮した。

こういうのはどうしたらいいのだろう。音楽を語るだけの別のアカウントを作ればいいのか。いやいや、そんなことをしてまでツイッターにこだわる必要はないな(笑)。ここに書けばいいことだ。
たぶん音楽のアカウントを作ってそっちでつぶやきを始めたら、坂本龍一からキヨシローまで、あっちにはサヨクが多いから、別の悩みが生じるだろう。ま、これ以上ネットに関わるのは自粛しないと。意見の合う日の丸仲間を大切にしよう。どうやらかなり隠れ創価学会がいるようで憂鬱になっているが。

来週ディスプレイが届いてデュアルに戻ったらまた感覚も変るだろう。シングルディスプレイはひとつのことしか出来ないから、やるべきことがあるときには集中できていいが、ひとつのことしか目に入らず心が偏るとも言える。デュアルディスプレイは、複数のことを同時にやるから、あちこち目移りしてふわふわしているが、その分、心の偏向は防げる。

デュアルディスプレイにもどったらネットに依存しなくてもパソコンの自由度が増えるから、その分ネットと距離をおけるようになる。楽しみだ。何事も「なくなって価値がわかる」というが、デュアルディスプレイが私のパソコン生活でいかに重要であるかよくわかった。早く戻りたい。来週だ。待ち遠しい。
  1. 2011/07/30(土) 11:38:19|
  2. Jazz
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ホームページ・ビルダーの重さ解決法!

00pc8.gif


ホームページ・ビルダーの重さに悩んでいるかたへ。
私なりの解決法を見つけました。ぜひやってみてください。

ホームページ・ビルダーの重さ解決法



パソコンの問題点解決はむずかしい。悩む。途方に暮れる。インターネットで検索し、解決法を見つけたときはうれしい。直接電話でお礼を言いたくなる。

ひっそりとやっているこのブログも、テーマによってはアクセス数が変化する。いきなり一桁ちがったりするのだから焦る。そんなとき、ブログ内のアクセス解析で、何が起きたか探る。いまのブログとはもう便利なもので、どのテーマにアクセスが集中しているかはもちろん、どこからのリンクで来ているかまで教えてくれる。有料のホームページに金を払ったり、アクセス解析なんてのが高額だった時代を知っている身としては、無料でやらせてもらっているブログの高機能にはおどろくばかりだ。

ホームページ容量の苦い思い出として、容量が50MBを越えたときのことがある。そのプロバイダは50MBがリミットだった。私のサイトはそれを越えてしまった。電話して相談したら「もう一口契約してもらうしかない」と言われた。あと50MBのサイト容量のためにプロバイダを二口契約しろと言うのだ。いまこのライブドアブログは無料で2GBである。なんとも、感無量だ。菅は無能だが。



 そんなとき、大量アクセスの解析結果以上におどろき感激することがある。
 何年も前に書いたパソコン系のものに、ポツンとだが、毎回確実にアクセスがあるのだ。

 一例として「P5BとVistaのスリープ機能について」というのがある。いま読み返してみた。なつかしい。2008年の4月に書いたものだからもう3年以上前になる。私がアクセスチェックをするのは月に数回だが、そのたびに確実にこれがアクセスのあったファイルとして出て来る。リンクはみなGoogleの検索から。これにはなんか胸が熱くなる。

 P5Bとは台湾のAsusというメーカーのマザーボード。Asusはむかしはエーサスとか読みかたはいろいろだったが今はアスースで統一されたようだ。VistaはOS。XPのあと5年ぶりに出た悪評ふんぷんのOSだ。
 これらの話はOSのインストールされた市販のパソコンを買うひとには関係ない。パソコン自作派の話になる。

 このマザーボードP5BとVistaの相性が悪くスリープ機能が効かなくなる。スリープ機能は慣れてしまうともう手離せない便利機能だから、これには私も悩んだ。それまでは順調だったのだ。ちょいとボタンを押すとスッとスリープになる。そしてまたひと押しですぐに復帰。デスクトップ機がノートの簡便さを手にした。それが突如効かなくなる。便利さに慣れていたので困る。しかし解決法がどこを探しても見つからない。Vistaが未完成OSで、マザーボードのほうもまたそうだったのだろう。新OSが出たばかりの時にはよく起きるドタバタだった。

 ネットで検索して、同じことに悩みつつ解決法を発見したひとのサイトに「やっと」行きついたときはうれしかった。そのことをこのブログで紹介した。「みなさん、ここに解決法が紹介されていますよ!」と。その文章にいまだにアクセスがあるのだ。それこそ日にひとつふたつだが確実に。

 それは今もその問題で悩んでいるひとがいるということであり、私の文章がその悩み解決に確実に役立っているということだ。うれしい。誇らしい。もちろんほんとに偉いのはその解決法を見つけたひとで、私はそのかたのサイトを紹介しているに過ぎない。でもライブドアブログの力か、私のタイトルのつけかたがよかったのか(笑)、私の文章はGoogle検索でかなり上位に並べられているので、私のブログからそのかたのサイトに行ったひともかなりいると思われる。パソコン自作派の悩み解決に役立っていることはまちがいない。それがうれしい。



 その後、私は自作であたらしいパソコンを組んだから、もう私のマザーボードはP5Bではないし、OSもVistaではない。私の中では終ったことであり思い出すことさえなかった。なのにそれが未だに確実に役立っているらしいと知ったのは感激だった。

 ところで、Vistaを使っているひとはまだ20%ぐらいいるらしいけど、早く7に替えたほうがいい。私はXP厨(ひたすら旧OSのXPを礼賛し新OSを否定するひとたち)とVista擁護で論争したほどだけど、ちょっとVistaと7はちがいすぎる。もともとXPがNT5、Vistaが6、そして7は7ではない。もしも7だったら色々あらたな改良点があって馴染みにくいとなるが、7の正体は6.1であり、6のVistaのマイナー改良型だ。不完全OS.Vistaの問題点を直したOSだから、Vistaのようで、Vistaよりずっと使いやすい。優れている。自作派でまだVistaのひとには、7は購入に価するOSですよと、Vistaよりずっといいですよ、と言いたい。



 P5BとVistaの相性がごく一部のひとにしか関係ない話であるように、今回のこの「ホームページ・ビルダーが重くて困る」も、ほとんどのひとには関係ないどうでもいい話だ。でもごく一部のひとには、長年の悩み解決となる価値のある話になるはずである。だからきっと私のブログの中でもP5B話のようにロングセラー(笑)になるだろう。それがうれしい。それに今回は解決法の紹介じゃなく私の考えた解決法だから。
  1. 2011/07/30(土) 09:59:04|
  2. パソコン
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ツイッター考④──ツイッター専用ソフト導入──2ちゃんねるのJane Doe V2C

便利フリーソフトが大好きだ。シェアウェアも買う。
この種のものが出回り始めたのはWindows95のあたりからか。秋葉原のラオックスコンピュータ館の一階書籍売り場でよく買っていた。フロッピーやCDに入ったフリーソフト詰め合わせが7000円ぐらいした。いま思い出してもおかしいのは、無料のものにそこまでの値段をつけて売るからか、やたら大きい豪華な箱に入っていたことだ。いまパソコン雑誌の附録についてくるのを見ると隔世の感がする。まあ附録以前にネットでDownloadできるし、しかもブロードバンドだから一瞬だ。

いまのフリーソフトは本当にすばらしい。そして思うのは、いまならフリーソフトでも誰も手を出さないと思うようなシンプルなのが、当時は3000円5000円のシェアソフトとして売られていたのだ。そして売れていたのだ。かくいうあれこれ買ったのがここにひとりいる。あれで億の財産を築いたひとがかなりいるらしい。うらやましい話だ。なにしろ開発してしまえば金は掛からない。あとはDownloadと、送金されたらパスワードを送るだけだ。いい商売である。

ラオックスもなくなってしまった。中国資本の土産物屋としてまだあるらしいが、それはもうラオックスじゃない。あのころはラオックスコンピュータ館-Mac館なんてのもあった。ミュージック館にもよく通ったものだ。ずいぶんと打ちこみで音楽を作った。



デスクトップ周辺を便利にするパソコンソフトに関してはオタクと言えるぐらい好きだ。粗悪なものを入れるとやたらフリーズするようになったり、弊害の方が大きかったりするのだが、一応私はレジストリもいじれるし、さほどマイナスを感じたことはない。

いまこれらのことでいちばん気を遣うのはYahooだ。フリーソフトを入れるとかってにヤフーツールバーがインストールされ、検索エンジンもヤフーになってしまうのだ。フリーソフトの制作者に金を与え、そういう設定にしているのだろう。Yahooや孫正義と関わりあいたくないこちらは拒むのに必死である。

それでも良心的なフリーソフトはまだインストール時に「Yahoo toolbarをインストールする」「検索エンジをYahooに設定する」なんて項目があり、当然デフォルトではオンになっているのだが、それを外せばインストールを拒むことが出来る。しかしたちのわるいのはこれすらしない。インストールすると自然にそうなっている。これは困る。いままでに何度やられたことだろう。検索エンジンがGoogleからYahooになっている。原因究明がたいへんだった。20回や30回ではきかない。ほんとにイヤな会社だ、Yahooは。



そういう長年のフリーソフト好きなのだがツイッター閲覧専用ソフトがあることを知らなかった。必要もなかった。いかにツイッター不慣れかである。もしもツイッターに燃えたなら、私はあらゆる便利ソフトを揃えていたろう。しかしその種のものが大好きなのに、ツイッターに関してはブラウザのツイッターホームページで充分だった。早くも結論になってしまうが、それらのソフトを入れた今も私はブラウザのツイッターホームページがいちばん気に入っている。今後もそんな気がする。

友人に2ちゃんねる閲覧専用ソフトJane Doeを教えて「なんと便利なのだ!」と感謝されたことがある。たしかにこれに慣れたらあのブラウザから入って行くパターンにはもどれない。

私は今2ちゃんねる用ソフトは「V2C」を使っている。これはJavaを使った表示の美しいソフトだ。ブラウザから行くあのお馴染みの雑然とした2ちゃんねるトップページとV2Cで見る2ちゃんねるが同じものとは思えないほどだ。

などと書くとヘビーユーザーと思われそうなので弁明しておくが、私はCNXと名乗る気狂いに2ちゃんねるにスレを立てられて誹謗中傷されたりしたので、いまは「ニュース速報」「芸スポ速報」しか見ない。これで私なりに世の中の流れをチェックしている。
このごろホームページにしているiGoogleがニュースはもちろん「注目ワード」とかで教えてくれるので、そこにもめったに行かなくなった。いま「ニュース議論」板にある「きっこさんスレ」は愛読しているが。



恥ずかしい話だが正直に書いておく。私は「ツイッター閲覧用専用ソフト」のことを「きっこのブログ」で知ったのである。短期間に2万を超す書きこみをするとんでもないヘビーユーザーなのに、「きっこさん」もつい最近までそれを知らなかったらしい。大発見としてそれが紹介されていた。それはつぶやきの数が200ぐらいしかない私にもニュースだった。なによりその種の物が大好きなのに気づかなかったことに焦った。あって当然なのである。パソコン音痴の「きっこさん」と私はちがう。なのにそこに思いを馳せなかったのはミスだと思った。ミスって事もないのだが(笑)、そこに気づかなかったことが悔しかったのである。

そしてまたさらに恥ずかしいことであるが、そこで「きっこさん」の言っている「そういうソフトをクライアントって言うんだって。私にとってクライアントってのは」という、「クライアントという英語からなにを思うか」もまた激しく納得できる話だった。しかしまあそれは同世代なのだから当然だ(笑)。
私は今もここで「ツイッター閲覧用専用ソフト」と長ったらしく書いていてクライアントということばが使えない。あの種のソフトウェアをクライアントと呼べるようになるまではまだかなり時間が掛かりそうだ。



tweetdeck


これはヘビーユーザー向けの高機能なTweetDeckというヤツ。一番有名らしい。縦一列がひとつのジャンルだから、じつに五つも同時に見ることが出来る。大画面でツイッター三昧するなら最高だろう。

簡単に日本語設定に出来る。
むかしはこういう外国製ソフトを日本語で使うためには「日本語Laungagefile」というのが必要で、有志がそのファイルを作ってネットで公開してくれていた。Versionが変ると使えなくなるので、そのたびに作っては更新してくれた。ほんと、足を向けては寝られないと感謝したものだ。どういう仕組みになっているのか知らないが、なにしろVersion5が6になる大きな偏向ならともかく、5.31が5.32になるようなマイナーVersion Upでもその日本語化ファイルは使えなくなるのだからたいへんである。いまは日本語化されたけど音楽再生ソフトの有名どころWInampなんかもずっとこれが必要だった。
TeetDeckはそんなことをしなくてもすぐ日本語で使えるようになる。



janetter2


こちらはJanetter。その名からも推測できるように日本製なのだとか。これは愛国者として利用せねば(笑)。
左がフォローしているひとみんなの分、真ん中は自分への返信やRT、右はダイレクトメール。要するにツイッターホームページだと切り替えないと表示できなかった三つ、あるいは混在していたものが、分離されて一度に表示されるわけだ。ツイッターヘビーユーザーには便利だろう。フツーのひとにはここまでの必要はないが。

両方ともとても便利で、画面もきれいで、すばらしい。
その他もあれこれ、可能な限り導入して遊んでみた。Saezuriなんてのもかわいくて楽しかった。「つぶやき」に「さえずり」だ。いいネーミングである。当然これも日本製。

ふつうこういうふうにソフトウェアを紹介するブログは、ここにDownloadページをリンクする。私もそうするようにしているが、今回しないのは、たぶん私のこのブログを読むひとは、すでに導入している(ごく少数)か、これを読んでも「なるほど、でもおれには必要ないな」と思うひと(大多数)だと思うからだ。興味のあるかたはソフトの名前で検索してください。すぐに出ます。いないと思うけど。



きれいで便利で、昔なら1万円以上取られたであろうこのフリーソフトは、みな私には無用の長物だった。ツイッターに熱心じゃないから、これらの高機能は不用なのだ。せっかくインストールしたものの使っていない。矢沢永吉は「成りあがり」で、近所のタバコ屋に行くのにもキャデラックで行きたいと言ったが、近所のタバコ屋には歩いて行くのが早くて便利だと思っている私には、このキャデラックみたいなソフトは必要なかった。ま、それ以前にタバコ吸わないし(笑)。

もうひとつの理由として私はいまシングルディスプレイになってしまっている。2台の内の1台が故障した。5年ほど続いていたデァアルディスプレイに慣れていたからなんとも不便だ。これはさすがにもう我慢の限界なので買おうと思っている。2台並べて、サブの隅っこにでも表示させておくならまだしも、1台しかないのに写真のようなのをドンと全画面表示させたら、これはもう「ツイッター命」みたいである。

というわけでいまのところ使っていない。けっこうCPUパワーは食うようだ。
今後も、なにかきっかけがあってツイッターに夢中になることでもない限り、いまのブラウザから行くツイッターで充分だ。ダイレクトメールが来たとか、なにかあったらGmailが教えてくれるし。



すこし冷静に2ちゃんねるとツイッターホームページのちがいを考えてみた。
2ちゃんねるはTopPageからして、あまりに雑然としていて専用ソフトが必要だった。初めて行ったときからその見にくさにうんざりした。専用閲覧ソフトが多種開発されるのは当然だったと言える。

その点、ツイッターホームページは、デザイン、見易さ、バランス、カスタマイズ度合、とてもよく出来ているのではないか。私はツイッター初心者であり熱心ではないが、使い易さに関してはうるさいほうだから、もしもツイッターホームページが2ちゃんねるみたいにゴチャゴチャしていたら、「なにかもっと見やすくなるソフトはないのか!?」と反射的に探していたように思う。そしたらツイッターを始めると同時にこれらのソフトを知っていた。私が今までツイッター専用ソフトに気づかなかったのは、ツイッターホームページが良くできていたからなのだ。これはこの文章で一番重要なことかも知れない。

============================================

【附記】──専用ソフト不要→ブラウザに入れる──8/10

このあとブラウザにTwitter閲覧専用ソフトを入れることを知る。
私はGoogle Chromeを使っているので「HootSuite」というのを入れた。するとブラウザからそのまま上記専用ソフトのような画面に行ける。あらたにソフトを起動するよりはるかに楽だ。
上記Tweet Deckもブラウザ対応のこれを出しているようだ。
その他、Firefox対応のそれもあるらしい。

これからはもうみなブラウザに入れるようになり、独自のソフトとしての使用は減ってゆくだろう。
  1. 2011/07/29(金) 22:55:46|
  2. ツイッター
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ツイッター考③──「きっこさん」の転身・適切なフォロー数・ソフトバンク携帯の問題点

00twitter.jpg

ツイッターのつぶやきが300になった。
アイコンを作って書き込みを始めたのが4月22日だから、3ヶ月で300、一ヶ月100のペースとなる。ずいぶんと書き込んだ気もするのだがこんなものか。140字勝負として、書きこむときは真剣にやっているから、数は少ないが気楽にやっているひとよりもはエネルギーを使っている。つもりだ。本人は。

というか書きこみ数2万とか3万なんてひとは、どういう生活を送っているのだろう。毎日100も200も休みなく書きこむのか。飯を食ったりお茶を飲んだりする以上にツイッターと親密なのか。ちょっと想像がつかない。



非常に興味深いこととして、「きっこの日記」で有名な「きっこさん」が、完全なツイッター派になってしまったことがある。毎日長文の日記を更新する人だったが、今はひたすらツイッターだ。日記の更新は10日に1回ぐらいに激減している。その代わり毎日毎日ツイッターの書き込みはとんでもない量になっている。観察サイトでは「一日18時間はパソコンに張り付いている」と書かれていた。いままでのツイートは24000を超えた。このひとは「さるさる日記」派であり、ブログもミラーサイトとしての保存用だった。ツイッター歴はあたらしいほう。いかにはまっていることか。

ブログはもう「放射能恐怖を煽ってアフィリエイトで稼ぐための商品紹介の場」と化している。放射能恐怖を煽るだけならまだしも、こうして商売にしているのが醜い。自分がここ数年肉を食わなくなったからと、他人の食生活を批判し、畜産農家まで罵倒しておきながら、平然と「西日本の安全なお肉」なんてのを紹介しているのが醜悪だ。



これはよいことではない。ツイッター三昧は、いわばエネルギーの垂れ流し状態だから、まともな長文を書いてきた人としては堕落になる。楽に流れたのだ。

ここで大事なのは、「きっこさん」はいま最愛の「母さん」と一緒に、放射能から逃げ、「西日本に疎開している」のだが(笑)、ブログからツイッター中心になったのは、それとは無関係ということだ。

疎開の最初の頃(笑)は、身一つで東京から脱出し、使い慣れたパソコンを東京に置いてきたため、借り物のパソコンではいつものように長文がすらすら打てず、のような事情があったわけだが(笑)、その後、疎開地で、あたらしいノートパソコンを手に入れても、相変わらず焼酎を飲んでのツイッター三昧で、以前とはまったく趣が変わってしまった。これは超人気連載の「きっこの日記」としては、かなりの問題になる。
上記、何度か「(笑)」が出て来るのは「エア疎開」だからである。念のため。

その気持ちはわかる。楽なのだ。時間をかけてひとつの長文を書くより、酔っ払ってへらへらと思いつくたびにツイートしていたほうが楽なのである。睡眠にたとえるなら、以前の「彼女」は、きっちり7時間まとめ寝をしていたのだが、今は酔ったら寝る、起きたらまた飲むの2時間睡眠を繰り返しているようなものだ。躰に悪い。飲食にたとえるなら、ブログにひとつのテーマの長文を書くのは、一汁一菜で丼飯を食うようなことであるのに対し、ツイッターで思いつくままつぶやくのは、何皿ものつまみを並べて酒を飲むようなものだ。どっちが気楽で愉しいかは言うまでもない。でも自堕落ではある。

そしてまたそれはそれでエネルギーを使うから、あらためて長文を日記に書く時間も体力もなくなっている。これは負の連鎖だ。今後「彼女」の発信媒体は、「きっこのツイート」になるのだろうか。どうでもいいけど(笑)。



他山の石にせねばならない。私も確実に楽に流れている。旧態のホームページ形式であるサイトを本拠地にしようと思いつつ、ちかごろは楽なブログばかり書いている。楽だからどうしてもそうなる。ホームページ・ビルダーを起動して、あちこちリンクを貼ったりする手続が面倒な本拠地サイトと比して、サッと書けるブログの方が断然楽なのだ。

と、私もわたし的には堕落しているのだが、さすがにブログからツイッターに流れることはない。「きっこさん」は反面教師になっている。あのひとはツイッターさえやらなかったらゲスな品性がばれることもなかった。いやそれ以前からゲスだったという意見もあろうが、そんなのは序の口。あのひとの品性があからさまになったのはツイッターだ。酔っ払って、自分と意見を異にする相手に脊髄反射で応答するツイッターで、「五十過ぎのおかま」という実態が、明確に浮かびあがってしまった。ツイッターで自滅した典型例になる。今後どんなに気どってイメージの修復に努めようと、今までに連発した聞くに堪えない下品な罵詈雑言は、今後もネット上で語りつがれて行く。デジタルは消せない。それが怖い。ネットで有名になった架空キャラはネットで自滅した。



ツイッターに関して私はいま、困っているというか、戸惑っていることがある。「フォロー」というヤツだ。正確にはその「フォロー数」と言うのか。

私がいまフォローしていて、私のツイッターホームページに流れてくる「つぶやき」は200人程度なのだが、私にはこれでも多すぎる。ツイッター初心者だから、フォローしてくれたかたには返すのが礼儀なのだろうときちんとしてきた。それで200人にもなってしまったのだが、私には半分でいい。特にやたらRTという形で他人の書いたコピーを流してくるひとは、はっきりいってジャマである。迷惑なのだ。

たとえば意地の悪いブラックバスみたいな顔をした河野太郎がいる。鼻糞くっつけたドブスの森ゆうこがいる。それらの書きこみをRTしてくるのは迷惑だ。あいつらの醜い顔を無理矢理見せられることになる。政治家はみな自分の顔がアイコンだ。これはきつい。一日がぶち壊しになる。

同じく貧相な岡っ引きみたいな顔の山本一太なんてのも困る。山本は河野や森とちがって政治的には支持するが、ああいう顔を強制的に見せつけられるのはいやだ。山本の意見を知りたいと思ったら自分で出かけて調べる。押しつけられたくない。

ということで、そういうことをする人たちは極力避けるようにした。こちらをフォローしてくれているのでもうしわけない気もするのだが、こちらにはこちらの事情もある。フォローを解除した。ご容赦願いたい。

あとは気味の悪いドクロのアイコン等のひと。中身のあるツイートをしているひとにもけっこういる。趣味の世界だからどうしようもない。しかし私は頻繁にドクロを見る気はないので断つしかない。



そして素朴に思うのは、私はたった200程度のフォローでも、山のようにつぶやきが流れてきて、対処できなくなっているのだが、中には4000とか5000もフォローしているひともいるのだ。もっと多いひともいるのだろうが、自分の見知っている範囲でしゃべる。

假りに1時間毎にツイッターをチェックするとして、そんなにフォローが多いひとは、ツイッターホームページを開いた瞬間、いきなり1万ものツイートが流れるだろう。とんでもない数だ。どう考えてもそれらをチェックし、その中から有効ないくつかを撰びだし、あれこれ考え、返信し、その情報を生活に役立てて、のようなことが出来るとは思えない。そしてまた「1時間毎にチェック」なんてことはないだろう。常時接続の流しっぱなしだろうから、すると、ひたすら目に停まらない情報が流れ続けて行くことになる。なんとも虚しい。こういう形でツイッターをやっているひとはなにを考えているのだろう。ぜひとも意見を聞きたいものだ。



その点、有名人はわかりやすい。10万人も20万人もにフォローされていても、彼らがフォローするのは100人にも満たなかったりする。これはツイッターを情報を得るものではなく、あくまでも「人気者の自分がファンに対して発信する道具」と割り切っているからだろう。こういうひとが律義にフォロー返しなんてのをやったらとんでもないことになる。

こんな言いかたをして敵を作りたくないが、フォローしているひと5000人、フォローされているひと5000人なんて数字の「一般人」は、「フォローごっこ」の感覚があるのだろう。自分と感覚の合うひとの意見に誠実に耳を傾けたいと思ったなら、どう考えてもそれはもう大きすぎる数字である。

でもそんなひとには、「ツイッターなんてそんなもんすよ」と笑われるかも知れない。限られた50人から100人程度のかたと、チャット感覚でおつき合い願って、有効な情報を得たい、勉強したいと思っている私が、そもそもツイッターの解釈をまちがえているのだろう。

私の知人で最もツイッターと楽しく接していると思うひとは、「おはようございます」から始まり、「ちょっとでかけます」、「いま海の近く、風が気持ちいいです」「お腹空いたのでなにか食べようかな」「××がおいしそう」のように、おはようからおやすみまで暮らしを見つめるライオンみたいに自分の日常をつぶやいている。それに「あ、わたしも××食べたーい」なんてフォロワーから返信があったりして……。それでいいんだろうなあ、ツイッターってのは。やはり私がまちがっているのか。

============================================

【追記】──RTは拒めるらしい──9.00記入

早朝にアップしたここを読んだ神戸で整骨院を経営する友人Sがメールをくれた。彼は18歳年下の友人である。私が「きっこさん」と同じ永遠の38歳なので彼はパソコンに習熟した10歳の天才少年になる。親しくつき合ってもう15年。10歳の整体師はすごい。
(註・ひと眠りして起きたら、数字がおかしいとわざわざメールをくださったかたがいた。私の「算数」は「一日に10円携帯電話料金があがると月に3000円の値上げになる」という「公文式」ならぬ「きっこ式」を使っているのでこれでいいのです。でもありがとう。あなたのまじめさに感謝。)

その天才少年の情報によると、前記「ツイッターRTの連発」は拒めるのだとか。東日本大震災のときにRTの山が通信障害となり、その方法が確立されたらしい。
2ちゃんねる閲覧専用ソフト・Jane Styleなんかの「NGワード」のような機能だろうか。初めてあれを知ったときは感激した。といってヘビーユーザーじゃないから、それを使うような場面はなく、一度実験的にやってみて、その効力を確認しただけなのだが。
とりあえず天才少年Sには「情報、ありがとう、感謝」と伝えたけど、いまだその方法は知らない。ともあれ拒めると知ってうれしい。ほんと、「条件反射のRT藝人」みたいなひとは、反省してほしい。むやみやたらのRTって迷惑なんだ。

また憎まれ口になるけど、自分の意見を書かず(書けず)、RTのみでツイッターに参加しているひとってのは、なにを考えているのだろう。「そういう形でネット社会の最前線に関わっていることに満足する」のだろうか。
そんなことより、鉢植えひとつでも育ててみなよ。ちいさな芽が育ち、花を開くまでの様子を見るのは、ツイッターで他人の意見をRTしまくるよりよほど感動があるから。

------------------------------

【追記.2】──大震災とツイッターとソフトバンク──17時記入

追記を読んだSが、「方法の確立はその前にされていたのかもしれません」とメールをくれた。私の「東日本大震災のときにRTの山が通信障害となり、その方法が確立されたらしい」という表現を案じてくれたのだ。抗議があるのではないかと。

たぶんそうなのだろう。きっと方法自体はすでにあったのだ。でもその過剰なRTが問題となり、それを通過する方法が一般的になったのは大震災のときでまちがいないから、この書きかたでいいだろう。



ツイッターは大震災の時に価値を上げた。そして大震災で価値を下げたのが、「繋がらないソフトバンク」だった。

そのソフトバンクに対する手厳しい意見が『新潮45』8月号に「うろちょろするな、孫正義」の題で掲載されている。震災時にソフトバンクの携帯電話は、繋がらないどころかうんともすんとも言わない、とんでもない状況になったらしい。その原因は、地方の中継基地局の蓄電施設の問題なのだという。万が一の災害時に作動する蓄電施設を完備するには金と時間が掛かる。元々の電電公社であるNTTなどはしっかりしていたが、新顔のソフトバンクはそのへんがまだ整っていず、停電によって一気に繋がらなくなったらしい。その辺のことを知らんふりして、平然と太陽電池方面で民主党と繋がり、一躍時の人となっている孫を批判したレポートなのだが、そのことはまた別項で書くとして。

そういう大問題があったのだが、ソフトバンクの携帯電話はiPhone人気もあって、その後も順調に伸びている。つまりそれはあの東北関東大震災が、多くの日本人にとって「対岸の火事」でしかないことを示している。万が一のときにも確実に繋がる携帯電話より、いま遊べるかわいい携帯電話が優先されているのだ。まあかといって日本中がソフトバンクの携帯電話をボイコットしたりするのも異常だから、これはこれでいいのかもと思う。
痛みを共有する感覚はひととして大事だが、「対岸の火事」と割り切り、己の経済活動に邁進するのも、それはそれで社会維持のためには必要なのである。とはいえこれ以上孫正義に儲けさせたくはないが。
  1. 2011/07/29(金) 07:42:45|
  2. きっこ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

たまには音楽ネタ──ツイッターとの連繋

6月末からずっと「ボサノバ」のことを書きたかった。音楽ネタだ。ほんとにほんとに書きたかった。なのに書いていない。それ以上に先行すべき政治ネタが出現したから優先順位で後まわしになった。手抜きでもある。

「もう早くも猛暑なので、水風呂で涼を取り、BGMはスタン・ゲッツのボサノバ」
と6月に感じた。実行した。朝から晩までBGMはボサノバ。
昼日中に死にそうなほど暑い状況になり、水風呂で涼を取り、かろうじて生きていた。
でもこれは毎年書いているネタであり、どうでもいいことでもある。そう、私は10年以上続けているホームページで、毎年この時期になると「夏だ、ボサノバだ、スタン・ゲッツだ!」と書いているワンパターンオヤジなのである。ただしほとんどの場合はクーラーをがんがん効かせたり、外国に行っていたりしたのだが、ここ4年は、クーラーのない熱中生活に甘んじている。その事に対する羞じらい(う~ん、美しい!)があり、書くことに躊躇した。



といって、このくだらないどうでもいい生活話が、菅内閣批判の政治話より格下、というものでもない。と思う。ここは私のブログなのだから、クーラーのない生活をしている私が今年、入浴剤クナイプバスソルトに目覚めてしまい、湿布薬みたいな臭いのなかで暑気払いをしているというネタは、それはそれで、あってもいい。



今日7月28日、早朝、ツイッターでAmy Winhouseのことを書いてみた。
amy1










Amyの2枚のアルバムを聴いた後、彼女の憧れであるBillie Holidayを聴き、さらにはいま最もBillieの歌声にちかいと言われるMadeleine Peyrouxを聴いた。マデリンがそのことを否定しているというのが不思議でならない。どう考えても真似ている。

amy2













彼女の代名詞である大ヒットアルバム「Back to Black」は、音楽ジャンルで言うなら、いわゆるリズム・アンド・ブルースになる。いいメロディの曲が多い。ホーンの使い方が決まっている。大ヒットして当然だった。60年代を思わせるようにわざとチープな音にしてノイズを入れたりしている藝も細かい。
私はあの年のグラミー賞でこのアルバムが「最優秀楽曲賞」を取ったのがうれしかった。エイミーの声と歌唱力が抜群なのは言うまでもないが、とにかく彼女のアルバムは、曲とアレンジのセンスが図抜けている。

一方、テビュウアルバムの「Frank」はジャズ色が濃い。というか何曲かは完全なジャズナンバーでありエイミーの歌もジャズヴォーカルだ。iTunesは「Soul」とジャンル分けしていたが。
このひとの歌唱力が並外れていることは、むしろデビュウアルバムの方が鮮明だ。二十歳の娘っ子とはとても思えない。天災は夭折する。でもこれだけの作品を残したのだから永遠でもある。
amy3













四六時中音楽を流しているが今、「歌」はまったく聴かない。早朝から午後までずっと「歌」を聴いていたなんて何年振りだろう。
ラジオを聞かないので知らないが、グラミー賞主部門を独占した歌手が27歳で死ぬというのは、まして麻薬絡みとなると、ジミヘンやジャニスの死に匹敵するスキャンダラスな大事件だから、FM局なんてずいぶんと特集したんだろうな。

気分転換に、ひさしぶりに「歌」を聴いたのだが、音楽よりもむしろ、そのことを書き込んだツイッターが気分転換になってくれた。
  1. 2011/07/28(木) 15:32:54|
  2. 音楽
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

高岡蒼甫の反日時代?──「パッチギ」のころ

pa



























 フジテレビのあまりに異様な韓国執心を批判して話題になっている役者・高岡蒼甫は、2005年に、あの反吐の出る売国奴、名前も書きたくないのだが、井筒和幸の反日映画「パッチギ」に出演している。しかも朝鮮人役だ。

 私は前項に置いて、こんなものに出ていながら、よくぞ井筒に洗脳されなかったと彼を讃えたのだが、ほんとにそうなのかと思い、その後も調べてみた。そこでそうではないという話を見つけた。



 今日のニッカンスポーツ芸能欄では、高岡の話題を取り上げたあと、末尾に《高岡は、2005年に「パッチギ」に出演した当時、「日本は卑怯な国」「個人的に日本という国を好きになれない」と発言してブログが炎上し、4度も閉鎖に追い込まれた》と、いわば前々からの問題児であり、以前は反日だったと指摘している。

 アサヒシンブン系のニッカンスポーツであるから、元は自分たちと同じ親朝鮮であった高岡が変節し、今のアンチ朝鮮発言で持ち上げられることに我慢がならなかったのだろう。いかにもアサヒ的な攻撃である。

 ともあれこのことは、検索下手の私には不足していた話なのでたすかった。
 他者を語るには冷静で客観的な視点が必要だ。情報は量よりも取捨選択が大事だが、とりあえずそれなりの量も必要である。
 さてこの話は真実か否か。



 私はそれが事実であるかどうかに関わらず、このことで高岡を批判するつもりはない。高岡を嫌いになることもない。高校中退の無学な青年(後に定時制高校を卒業しているらしい)があんなのに関わったら洗脳されて当然である。かくいう私も日教組の教育により二十代末まで自虐史観(当時はそんなコトバはなかったが)に染まっていた。自力でそこから脱出するのには長い時間と膨大な勉強が必要だった。高岡は染まって当然だったと思う。ましてあの朝鮮人役で新人賞をもらったりもしているのだ。



 いまWikipediaの高岡の項目を読んだら、あの映画の完成後、韓国に「パッチギ」のプロモーションに行った際の発言が、「日本は卑怯な国だと思う」となって日本に逆上陸し、ブログ炎上から閉鎖に追い込まれたらしいのだが、2011年7月(つまり、今)に、高岡は、「そんな発言はしていない。あれは作られたものだ」とブログに書いたとある。

 そこの真実は判らない。朝鮮人は自分たちに都合のよい、そういう話を作るのが得意であり、ましてあの井筒のプロモーションに出演者して韓国まで同行させられたのだから、あいつらの捏造話の被害者だという可能性は高い。

 が、同時に私は、別項で「役者とは憑依するもの」と書いているように、映画が公開された当時で22歳(あの映画の制作開始からだと21歳ぐらいから関わっていたか)の高岡が、あの筋書きの映画に出演したのだから、当時はほんとうに洗脳されていたのではないか、とも思っている。そうならないと本気で演技できないのが役者という人種である。
 いま現在の高岡の発言を信じ、すべて朝鮮側の捏造だと思いたいが、この場合、「あれは捏造でした」との発言が「いま2011年7月」であるのが弱い。ブログが炎上して閉鎖に追い込まれた2006年時点でそう言ってくれていたら全面的に信用するのだが。



 しかしその真実はどうでもいいことだ。なぜなら今の高岡が正しい日本人であることは絶対的事実だからだ。
「あのころは洗脳されていた。そこから疑問を持ち、勉強し、努力して脱出した」で大いにけっこう。日教組が教育を支配し、あのような教科書で歴史を教えられるのだから、いまの日本では、こどもは反日に育つほうがふつうなのである。よくぞ覚醒してくれた。

 高岡蒼甫支持に変りはない。


============================================


【追記】──やはり始まった高岡批判──7/31/04am

 思っていたとおり高岡批判が始まった。
 といって福岡や愛知の地方局ワイドショーが高岡非難を始めたとか、脳科学者の茂木とか言うのが高岡批判をツイートしたとか、そういうことではない。
 私の言いたいのは「こっち側」の話。本来なら支持しているひと、あるいは今まで支持していたひとが、あまりの高岡賛辞に嫉妬したのか(笑)、揶揄的な批判を始めたことだ。
 日の丸入りアイコンで愛国的発言をするひとのツイートにも散見できる。

「パッチギに出てた役者だからなあ、もちあげるほどのものじゃないだろ」
との発言があると、
「日本は卑怯な国だって発言してたのを以前聞いたような」
と同調するのが現れ、
「いや、本人がはっきりそう発言しているのをテレビで見たよ」
と、いかにも嘘っぽいフォローもあり、
「なんで転向したんでしょうねえ(笑)」
と皮肉り、
「まあ、生暖かく見守りましょうや(笑)」
と、うすら笑いで結ばれている。



 じつにくだらん流れだ。しかしまたこの種の問題では必ず出る流れでもある。高岡のような一部のひとから英雄視されるひと(=一部のひとからは偏向した悪人と見られるひと)が出ると、必ずこういうタバコの副流煙みたいなのが現れる(笑)。見事なほどセオリー通りだ。

 これらは、あの反日映画「パッチギ」に出演していたことや、以前の反日的な発言(本人はインタビュウを受けた朝鮮日報の捏造であり、自分はそういう発言はしていないと否定している)を取りあげ、今の彼の発言に疑問を呈しているわけだ。関東連合という暴走族出身だということから彼の発言を否定するひともいる。

 これに関する私の考えはすでに上に記した。まず暴走族うんぬんなんてのはどうでもいい。嘘か真か知らないが、そうだったとしても、なんでそんな若い時のつっぱりまで責められねばならない。くだらん。まったく無関係。

 彼の今回の発言を、私は「パッチギに出ていたからこそ」と、している。あれに出演し朝鮮人役を演じていたころの高岡は、それなりに朝鮮シンパだったと私は思っている。それが自然だ。でなきゃ監督からスタッフまで親朝鮮反日本の現場でやっていられない。なにしろ監督と脚本はあの井筒なのだ。さらには内容は親韓国ではなくて親北朝鮮だ。朝鮮総連のプロバガンダ映画である。正気で関われるものではない。

 その井筒や他の役者と日々交わり、在日朝鮮人青年に成り切り、日本を批判する感覚に染まったからこそ、評価される演技が出来たのだろう。
 劇中には、朝鮮人の衣装を着た笹野高史らが、強制連行(そんなものない!)された朝鮮人に扮して、いかに日本人に虐げられ苦労したかを演じる涙なくしても見られない哀号ミニコントもある。まともな日本人がこんなものに正気で参加できるはずがない。
 もしもいやいや演じていたなら、試写会や映画館で見た在日朝鮮人から、「あの役者は心がこもっていない」と批判が出たはずだ。なのに高い評価を受けているのだから、私は、洗脳され成り切っていたのだと解釈する。



 ここでこの意見を確乎たるものにするために私は「パッチギ」を見直して高岡の演技を確認すべきだ。でも私はあの映画を二作とも持っていたけど、あまりに不愉快な内容なのでもう廃棄してしまった。

 DVDとか、さかのぼってCDなんて、出たばかりのころは宝物のように大切にし、落としたりしたら傷でもついたのではないかと冷や冷やするほど大切にしていたものだったが、やがて鈍麻する。今の私はDVDをまとめて何十枚か捨てるなんて毎度のことだ。引っ越しの時は500枚以上捨てた。このビデオDVDも2枚ともためらいなく捨ててしまった。

「イムジン河」は若い頃の懐かしの歌だから、それを楽しみにパッチギDVDを入手した。もちろん本来の歌詞が北朝鮮讃歌のくだらんものであり、日本語歌詞は松山猛の創作であることも知っている。松山はフォーククルセイダーズの加藤和彦(パッチギでは音楽担当)が朝鮮人であることを知った上で、高校生時代からつき合っているし、原作者であり主人公のモデルである日本人松山の感覚は理解も支持もできる。

 監督が井筒だから、どんな偏向した内容になるかは想像できたが、松山の原作も読んだし、原作のよさから何とかなるかもと期待した。でもクソだった。歴史解釈の臭さがひどくて見るに耐えられなかった。というかまあより正確に書けば、原作は短文だから、それにアイディアを得て井筒が完全創作したというほうが正しい。
 もしも捨てずに今手元にあったとしても、いくら高岡を擁護するためだとしても、ちょっとあれは見直す気にはなれない。だからDVDのあるなしは関係ないか。二作目なんて途中で見るのをやめたし。

 あんな偏向したものが映画賞を取るのだからいかに日本の映画界が腐っていることか。もっともあの種の民族的なことを描いた映画が映画賞に強いことは世界的傾向だ。優れた戦争映画より二流の反戦映画のほうが強い。映画賞とはそんなものなのだろう。

 日本アカデミー賞とは恥ずかしい名前だ。「日本映画賞」でいいだろうに、アメリカの「アカデミー賞」を名乗っている。この程度のものには、このへんの偏向映画がちょうどいいのだろう。
 それでも今回のこの文を書くために一応下調べとして「パッチギ」を検索したら、「すばらしい映画ですね」ぐらいはまだいいとしても、「井筒監督ってエネルギッシュで憧れちゃいますね」あたりになると、さすがにもう読めなかった。



 あの映画は沢尻エリカがきれいだと話題になっているのを楽しみにした。きれいな女を見る以上の眼福はない。それにしても日本人男とフランス人女の混血美少女を在日朝鮮人にする感覚もかなりのものだ。日本人男は犬にして、生まれてきたこどもは黒人にするようなCMを作るのが孫正義に代表される朝鮮人感覚なのに、自分達のことはずいぶんときれいにする。もっともこのソフトバンクの国辱的CMは、作った側よりも、それを受け入れているほうにより異常を感じるが。

 沢尻はパッチギを映画以上の特別な存在であり今の自分を作ったと発言している。つまり沢尻はいまも「井筒思想」に染まったままなのだ。まちがいなく反日であろう。彼女の後の奇行もここに根ざしているのではないか。するとすんなり理解できる。あんな映画に出たら頭が狂う。そこから覚醒した高岡はほんとうにえらい。



 今回のことで井筒はまだ発言していない。あいつは高岡発言に何と言うだろう。「パッチギのころは自分と同じ考えだった。何があってこんなことになったのか」と嘆くのか、それとも「パッチギのころから反抗的で気に入らなかった」と言うのか。どっちだろう。来週頭に出るアサヒ芸能あたりで書いていそうだ。チェックしよう。

 発言が遅れている理由は明解。高岡にあれこれ知られているからだ。あからさまに高岡を否定したら高岡からの逆襲がある。慎重になっているのはそれが原因だ。韓国のプロモーションにまで帯同しているのだから、当時の高岡が井筒のお気に入りだったのはまちがいない。それもまた私が当時は洗脳されていたと考える理由になる。井筒は、後々高岡がまさかこんな発言をするようになるとは夢にも思わず、心を許し、いろいろと語っているはずである。裏事情も知られているだろう。そのヤバさから高岡批判が遅れている。



 いずれにせよ私は、あの「パッチギ」洗脳から脱出したことを評価し、染まっていた当時の発言の真偽はわからないが、假りにあったとしても、いまの発言が正当なのだから関係ないとする。
 つまり、前記赤字の連中は、「そういう時期があったんじゃないの?」→「だったら信じられないよな」としているわけだが、私は「そういう時期があったのはむしろ当然じゃないか。そこから脱出したのだからよけいにえらいじゃないか」としているわけで、彼らとは根本からしてちがうことになる。



 彼らのような発想をしていたら何も言えなくなる。
 卑俗なことで言えば、私はヘビースモーカーだった。やめてもう二十数年経ち、今は大のタバコ嫌いだが、嫌煙の主張をするときは、当時の自分を意識し、いまでも恥を感じる。私自身が加害者だった時期があるからだ。

 でもだからといって「以前は喫ってたくせにエラそーなことを言うな!」と喫煙者から責められても困る。それを気にしていたらいつまで経っても何も発言できない。過去にタバコを喫っていた者は嫌煙権を主張できないことになる。やめて二十数年経つ私でもそうなのだから、やめて一年なんてひとは、嫌煙の主張をしたくても、だいぶためらいがあることだろう。でもやめて一年でもすべきことはしたほうがいい。

 その点ほんの数年前までは「お肉大好き」と日記に書いていて、その言辞がいまもネット上に明確に残っているのに、いまは食わないことを理由に、肉を食う人間や畜産農家を否定する「きっこさん」はお気楽な性格だと感心する。まああのひとはタバコでもパチンコでも「わたしの好きなものはすべて正しい」路線だから壊れている。「きっこさん」は自分がタバコをやめたら、タバコがいかに害毒のあるものであるか、かつて愛煙家であったことなどきれいさっぱり忘れて他者を責められるのだろう。

 いやそんなタバコだとか肉食だとかの卑小なことではなく、前記「イムジン河」が流行っていた頃の私は、アサヒシンブンを愛読する日教組教育の自虐史観に染まった青年だった。「パッチギ」のころ高岡がすこしばかり反日だったからいま愛国的発言をできないとするなら、私なんかなにも言えなくなるし、私どころか現代の保守系論客なんて、ほとんどは60年安保、70年安保の時はサヨクだった。そこからの、サヨク運動からの転向者である。ひとはなにかに染まり、それに疑問を持ち、悩み、脱却し、目覚めて、成長して行く。いま覚醒しているのに出自を問われて否定されたらたまらない。



 それと、これもまた大事なことだが、前記赤字の発言をするようなひとは、そんなにリッパなのだろうか。恥じるような過去などなにひとつないのだろうか。
 假定だが、高岡がかつて関東連合という暴走族と関わっていたとして、またパッチギ当時反日思想に染まっていたとして、いまそれとは無縁になった高岡を冷笑できるほど真実一路のリッパなひとたちなのだろうか。

 まあ中には「おれは高岡と同じ年齢だが、物心ついてからずっと愛国者だ」というようなひともいるのだろうが、あんまりすんなり来ているのも気味悪い。サヨク思想というハシカは一度経験した方がいいのだ。朝鮮礼讃映画に出演したときは朝鮮贔屓、日本嫌いに染まったが、いまはそこから脱出した、という青年のほうがずっと自然だ。信用できる。



 私は、韓国から帰化した呉善花さんが好きだ。著書もよく読んでいる。彼女の発言は朝鮮での教育に染められ、かつては反日だったひとが、来日し、日本の真実を知り、親日家になり、すると今度は在日朝鮮人や故国からは嫌われ、入国拒否をされるような目に遭っているからこそ重みがある。

 中共から帰化した石平さんも好きだ。独裁国家の怖さを知っているからこそ石平さんの意見は傾聴に値する。ただ私は何度も中共に行っていて生理的に支那人とは合わないことを確認しているから、石平さんの書いた支那人分析の本は、一応読んだが愛読とは言いがたい。私は、支那人よりは義理に厚い朝鮮人のほうがまだ好きだ。

 だがこれらも呉善花さんを「元は朝鮮人だろ」、石平さんを「帰化したからといって支那人なんて信じられるかよ」と言っていたら何も話せない、前に進めない。

 高岡が「パッチギ」時代はどうだったか知らない。それはまたどうでもいいことである。大切なのはいまだ。今の彼は信用に足るだけの勇気ある発言をしている。それは反原発利権でプロ市民と連携している山本太郎とは異なる。

「パッチギに出ていたからなあ」
「日本を卑怯な国って以前言ったんだろ」
 そんなことをしたり顔で言って今の高岡を否定するひとを、しみじみくだらん、と思う。
  1. 2011/07/27(水) 19:29:21|
  2. 朝鮮
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

なでしこジャパンの寄せ書き批判──周囲の問題か感覚の鈍麻か!?

hinomaru3

なでしこジャパンの「國旗への寄せ書き手法」に対する批判。
まことに正当な意見だと思います。

http://whisper-voice.tracisum.com/?eid=299

このサイトの意見にあるように、若い人はこの種の礼儀を知りません。それはしかたありません。
周囲の指導の問題です。おとなが教えてやらねばなりません。
これだけのものを書くのには時間もかかります。この種のものを作ることは決勝戦前から自明でしたし、作成中にこれらを見かけたおとなはいたはずです。なのにこのようなことが起きたのは、女子サッカー界には、このことを注意してやる常識のあるおとながいないのでしょう。
 
監督が世間に釈明するのは、「選手の合コンの様子がツイッターで流れて」などということではありません。これはそれよりもはるかに意義のある問題です。



しかしまたそれ以前の「若い娘の感覚」に、ため息が出ます。
教えられていなくても、ごくふつうの日本人の美意識として、疑問を感じないのでしょうか。
「監督、これって字は白いとこだけに書くんですか?」と思わないのでしょうか。

コンビニバイトの若い娘が、新聞と水滴のついたペットボトルを一緒に袋に入れようとしたので急いで新聞をひったくったことを思い出しました。
  1. 2011/07/27(水) 14:19:06|
  2. 国民栄誉賞
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

役者・高岡蒼甫の心意気!──応援するぞ!!!

山本太郎という、母親絡みで8年前からグリーンピースを支援しているという、とんでもない反日分子が反原発で注目を浴びる中、こちらにも期待の新星が飛び出した。その名、高岡蒼甫。



高視聴率だったNHKの大河ドラマに主演したのが女房で、そちらの方が高名らしいのだが、私は大河ドラマなんて見たことがないので知らない。
いや見たことはあるんだ。ほんの数回。最初は、え~とね、地味な劇団俳優の緒方拳てのが秀吉役に大抜擢されたってとき。食うや食わずの貧乏役者がとんでもない大役を射止めたと話題になっていた。
あとは、歌舞伎の尾上菊之助って美男が源義経を演じるってとき。思いっきり悲劇の美男に描かれたわけだけど、司馬遼太郎が「義経はチビで出っ歯の醜男」とアサヒシンブンに書いていたことが印象的だった。念の為に書いておくとこのひとは寺島しのぶの父ちゃんね。それ以降、大河も紅白も見たことがない。朝ドラは一度も見たことがない。ま、ほんの40年前の出来事なんだけど、私も一、二度、大河ドラマを見たことはあるわけだ。

私はとても頭がよくて物知りで(笑)、たまにクイズ番組を見るとどんな難問もすらすら解けてロザンの宇治原以上の正解率なのだが、バカバラエティでやる「NHKの朝ドラに主演した女優の名を5人あげよ」とか「昨年の紅白に出場した歌手の中で」なんて問題だけはお手上げ。まったく答えられない。見てないのだから知るはずもない。しかし民放って大河ドラマとか紅白の話、好きだよね。本家のNHK以上に。なんで? 国営放送に敬意を払ってるの?
この役者のことはまったく知らなかった。より有名らしい女房も知らないのだから当然だ。



この高岡蒼甫という29歳の役者が、フジテレビの異様な朝鮮崇拝に苦言を呈した。役者はみな河原乞食。電波芸者だ。なのに勇気ある発言である。山本太郎のそれには政治的な思惑が見えていたが、高岡の場合は、ごく素直に本音が出たという感じで好感が持てる。

韓流「洗脳気持ち悪い」高岡蒼甫つぶやく

 女優宮崎あおい(25)の夫で俳優の高岡蒼甫(29)が、自身のツイッター上でフジテレビと韓流ブームを過激批判し話題になっている。23日に「8は今、マジで見ない。韓国のテレビ局かと思うこともしばしば。うちら日本人は日本の伝統番組求めてますけど」とツイートして以来、26日までに「洗脳気持ち悪い」「嫌な物に媚び売ってまで活動しない」「骨抜きだよ、今の日本人は」「干されることによってみんながこの悪しき流れに気付くなら本望」などと発言をエスカレートさせている。
 また、この騒動で妻の宮崎との間に亀裂が生じていることも明かしている。26日「本人が書いてくれと言っているので書きます。家の妻は自分と一緒の思想ではありません。火の粉が飛ぶのは勘弁です。と。はぁ、家出ようかな」とつぶやいている。
(日刊スポーツ)

しかし「俳優の高岡蒼甫」と書かれる前に「女優の夫で」と書かれるのは屈辱だろうなあ。芸人とはそんなものとは思いつつも。



そのことをツイートした。

taka1






taka2







taka3






-------------------------------

というところに、「香川照之」に関する質問がツイートされたので応えたのが以下のもの。私も役者としての彼のファンだったので、南京事件をスキャンダラスに扱い、針小棒大に取り上げた中共プロパガンダ映画に染められ、反日分子になってしまった香川には失望した。不快過ぎてここには書く気になれないようなひどい発言をしていた。

しかしまた当然とも思うのである。役者とはそんなものだ。反日クソ映画「パッチギ」で、笹野高史が日本人に虐められて苦労したという設定の朝鮮人役を演じていたが、あのときの彼は日本人を憎む朝鮮人になりきっていたろう。しかしまた立場が違う誇り高い日本軍人を演じる時があったなら、それはそれで彼はその役に成り切ると思う。役者はそれでいいのだ。名優とはそんなものだ。
香川のそれには落胆したが、そうでなければあんな役は演じられまい。まあ心ある役者なら最初からあんなオファーは受けないと思うので、彼がもともとそんなたぐいであった可能性も高いのだが。

taka4

taka5






ビートたけしの意見は、役者というもの、芸人というものに関して、正論だ。ただしこれは、たけしがポツネンとつぶやいたものではない。たけしは、反体制を粋がる愛川欽也のような俗物に対するアンチテーゼとして、こういう発言をしたのだ。芸人なんてのは所詮そんなものなのだと。
その基本に、むかし蜜月、いまは不仲になった大橋巨泉のもったいぶった発言があったのはまちがいない。愛川とか巨泉は典型的な「芸人は反体制でなければならない」という時代錯誤人間だ。それはそれでいい。電波芸者が食ってゆくポーズとして、ありだ。そういう時代だった。それがもてはやされた。だがいつしかそれは形骸化し「反体制というポーズのための反体制」になっている。たけしはそういうものとはちがうレベルに踏み込んだ。巨泉と不仲になるのは当然だった。



フジテレビというのは、本来開局の目的からして保守陣営のものだったはずなのだが、なにゆえ、あんな醜悪な局になってしまったのだろう。経営者、株主、いったいなにがあったのだ。不勉強なので(というかテレビに興味がないので)知らないけれど、いくらなんでもあまりに朝鮮に阿っている。

そんな中、高岡蒼甫という29歳の役者のフジテレビ批判は、私には一服の清涼剤だった。サッカーに興味のない私には、なでしこジャパンの世界一よりも、はるかに希望的な出来事だった。日本の若者にも、まだまだ骨のある奴はいる。希望は目の前を明るくする。しみじみと気分の良くなる出来事だった。

高岡蒼甫、がんばれよ。応援している日本人は山といる。まっとうな日本人はみな同じ事を思っている。

-------------------------------

【附記】──「パッチギ」に出ていた高岡蒼甫

高岡は前記の反日映画「パッチギ」に朝鮮人役として出ていた。いまだ顔は思い出せないが。だってあの映画、腹立って不愉快で見ていられなかったから(笑)。

とすると、中共の南京事件映画に出て支那贔屓になった香川照之のように、高岡がこの映画や井筒に感化されて反日の自虐史観に染まってもおかしくなかった。しかし彼は逆に目覚めた。やはり骨のある青年のようだ。



【附記.2】──フジテレビの株主比率

フジテレビの外国人株主比率が20%を超えているとツイッターで流れている。そのことが異様な韓国番組の放送につながっていると。
しかしフジテレビはもともと日本の有志が、そういう意志で作ったテレビ局だ。フジサンケイグループである。假に外国人の株主が20%になり、放送内容にまで影響を及ぼすようになったとするなら、真っ向からそれに反対する勢力もまた動き始めるはずなのだが……。

問題は外国人株主20%ではない。日本人株主80%にある。
  1. 2011/07/27(水) 02:42:16|
  2. 芸能
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

Korean-Japanese──都はるみと山口百恵という傑物

純な朝鮮人の犯罪者が英語圏で「Korean Japanese」と表記されることに釈然としない。私にはこういう表記にはいわゆる混血、ハーフのイメージがあるからだ。でも識者によると異民族が帰化した場合、こういう表記になるようだ。納得せねばなるまい。

それよりも問題は日本のマスコミにある。外国ではこうして報じてくれるからまだいいのだ。すくなくともこれで純な日本人でないことはわかる。日本ではこの「Korean」の部分を報じない。わかっているのにだ。通名で報道する。一部のひとはあちらの情報を得たりして確認できるが、ほとんどのひとは知らないままになる。悔しい話だ。
残虐な犯罪には驚くほど高確率で朝鮮人が絡んでいる。力道山から大山倍達、いまにいたる挌闘家のあのひとこのひとまで、逆上すると見境がつかなくなるタイプが多いのだろう。



私としては「Korean Japanese」という表記は「父が朝鮮人、母が日本人」のひとを指すのに使って欲しいのだが、それは無理な願いのようだ。
この形の混血の傑物に都はるみと山口百恵がいる。
いま発売中の『オール読物』で五木寛之と浅田次郎が対談している。その中で五木がのマル・ウォルドロンの「レフト・アローン」を聴きつつ、都はるみとジャズの話をしたことを開陳している。都はるみはビリー・ホリデイに憧れジャズを歌いたがっていたという。うまかったろうなあ。聴いてみたかった。まあ英語の発音に問題はあろうが、そういうものを超越したうまさのはずだ。あのひとは天才だ。
山口百恵を平岡正明は「菩薩である」と言った。色白のきめ細かな肌、胸はちいさい、ウエストは太い、豊かな肉づきの尻と太腿、足は大根足、日本の強くやさしい母のうつくしさである。まさに菩薩だ。類い稀な存在である。



朝鮮民族と大和民族の血が結合すれば1+1が3にも4にもなる一例だが、ほとんどの場合は、1-1になっている場合が多いのは残念だ。
  1. 2011/07/25(月) 21:00:23|
  2. 芸能
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

携帯電話からのブログ文章──水増し勘違い

携帯電話でブログをやっている知人がいる。

こちらからすると短いセンテンスと空白ばかりでつまらない。

読み応えがない。

ブツ切り文章は携帯電話だからだ。

機械が文章まで左右する。

でも本人はあまたあるブログの中でもかなりの長文との矜恃があるらしい。

携帯電話で書き携帯で読んでいるからだろう。

短いセンテンスと隙間だらけに気づかないのだ。

いまここに書いているような感じの文だ。

こういう形式。

毎回一行開けになる。

行数は多い。

最後までにはかなりスクロールする。

しかし本人が自信を持つほどのものではない。

彼の文をコピーしてテキストエディターにまとめてみた。

私も閑人だ(笑)。

まともな文章にしたら原稿用紙2枚もなかった。

携帯電話で書く文章なんてそんなものである。

努々勘違い自信は慎んだほうがいい。

ちなみにこれも今からふつうにまとめてみる。

ふつうに書けばこの程度でしかない。

こんなものなのである。

改行と隙間による水増し薄味だ。

こんな文を書いてるひとの頭もそうにちがいない。

============================================


携帯電話でブログをやっている知人がいる。こちらからすると短いセンテンスと空白ばかりでつまらない。読み応えがない。ブツ切り文章は携帯電話だからだ。機械が文章まで左右する。
でも本人はあまたあるブログの中でもかなりの長文との矜恃があるらしい。携帯電話で書き携帯で読んでいるからだろう。短いセンテンスと隙間だらけに気づかないのだ。
いまここに書いているような感じの文だ。毎回一行開けになる。行数は多い。最後までにはかなりスクロールする。しかし本人が自信を持つほどのものではない。
彼の文をコピーしてテキストエディターにまとめてみた。私も閑人だ(笑)。まともな文章にしたら原稿用紙2枚もなかった。携帯電話で書く文章なんてそんなものである。
努々勘違い自信は慎んだほうがいい。ちなみにこれも今からふつうにまとめてみる。ふつうに書けばこの程度でしかない。こんなものなのである。改行と隙間による水増し薄味だ。こんな文を書いてるひとの頭もそうにちがいない。
  1. 2011/07/25(月) 20:16:27|
  2. インターネット
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

安線香の香り──墓場線香←田舎を想う

00sei.gif私は「におい」にうるさい。目が悪い分、鼻は利く。鼻がでかくもある。顔はマスターキートンを想像してくれ。嗅覚に関しては一流だと自負している。味覚は二流、聴覚は三流か。長年音楽をやってきた人後に落ちない音楽好きとしてこれほど悔しいことはないが、でも耳は悪いな。それと比べると、ほんと鼻は一流だ。といっても私は「猫派」だ。嗅覚の「犬派」とは考えを異にする。



ここで犬の嗅覚の話。犬が人糞を大好きなように(そもそも「夫婦喧嘩は犬も食わない」は、人糞を食う悪食の犬に呆れた人間が、その犬ですら夫婦喧嘩は食わない、から来た犬の悪食を強調した格言だ)、ひとの何万倍とも言われる嗅覚の犬と人間の「いいにおい」の感覚はちがう。絶世の美男子がドブスを好きだったりするように、犬の嗅覚の凄さを人間的に解釈することは無意味だ。



私は臭いことを嫌う。かといって「消臭材」の甘ったるい香りはきらいだ。あの種の商品を買うときは「無臭」にする。そういう私でも時にはほのかな香りを欲するときがある。その役目は線香でまかなっている。消臭材の「無臭」というヤツで生活臭を消してもらえばいいが、それとはまたちがった「臭い消し感覚」も必要になる。私は自分の生活空間に「ミントの爽やかな香り」も、「カリフォルニアのグレープフルーツの」も要らないが、私なりに「いいにおい」が欲しいときもある。私にとってのそれは線香だ。

「伽羅」とか「天壇」とか、値段は高いが、雰囲気のあるいい線香がある。私の部屋の「におい」はそれだった。私個人のオーデコロンはここ5年ほどネット通販で買うBVLGARIだが生活自体は線香臭い。



先日、その線香が切れた。買いに行った。私はケチった。馬券に負けてボロボロの時でもあった。盆がちかいからか、ちょうど「青雲」が安売りをしていた。それを買ってきた。値段的に言うと普段買っている線香代2000円を450円で抑えた、というような感じだ。馬券の負けがあり一日一食というような追いこまれた状況だったから、そのときは「いい買い物をした」と思った。



で、結論なのだが、その線香は「墓場線香」だった。煙ばかり出る粗悪品である。しかし、ここが大事、じゃあその粗悪品に腹立ったかと言えば、私はそれに感動したのだ、という話。

私は茨城の由緒正しい田舎者(ここのところ強調ね、田舎者だけど由緒正しいの!)で、さらには成人してからは大の御先祖好きとなり、老父母と同居して最後を看取った1990年から2000年半ばのころは墓参りばかりしていた。私がいないころは、墓参り大好きなのにクルマの免許のない父と同居だったから、足がなく、時にはタクシーで、時には親戚の息子に謝礼をして、年に一度ぐらいしか墓参り出来なかった母は、私が同居して毎月のように行けるようになって狂喜した。墓と言ってもそれは本家筋の墓になる。私の家の墓は歩いて行ける距離にあったが、生後50日で亡くなったという私の兄がいるだけで、父母用に作った新しい墓だった。それはあまり意味がない。母が行きたいのは自分の祖父母や親が眠っている墓だった。

そこに頻繁に行けるようになって喜んだ母だったが、そのうちあまりに私が墓参り好きなので、「またかよ!(さまぁ~ず三村風に)」と、いやがるようになったほどだった(笑)。これは私の基本であり、靖國神社にも通じるが、先人がいて私達がいるのである。私にとって墓参りほど愉しいことはない。先人に感謝しないヤツは人間じゃない。さいわい外国で危ない目に遭ったりしつつも大怪我もなく生きてこられたのは墓参りのお蔭だと解釈している。御先祖さまが護ってくれたのだ。
私自身は靖國神社には毎年参拝しているが父を連れて行けなかったのは残念だ。晩年は足腰が弱ったので東京はきびしい。大相撲観戦も出来なくなっていたし。その代わり水戸の護国神社にたびたび行ったのでよろこんでくれたが。



田舎の墓参りとは。
屋敷内や周囲の自分の地所の畑などから適当に花を摘む。これはいいことだ。自分の生活している空間にお墓に供えるだけの花があるのはすばらしい。購入とはちがう。私の母も(私からすると戦前の蝶よ花よという地主の我が儘娘時代を忘れられない問題のあるひとだったが)とにかく花好きはずばぬけていた。いつでも庭中花だらけだった。それらの花を摘んで墓参りに出かける。

その辺にある適当な四合瓶等に水を入れる。いまだったらペットボトルになるのだろうが、我が家の場合、老父母と私の暮らしだったから、水を詰めるのは私の飲んだ久保田萬寿の空瓶四合瓶だったりした。老父母はもちろん私も利用しなかったから周囲にペットボトルはなかった。久保田萬寿か。しばらく縁のない生活をしている。



やっと本題。私の母は、草花の育生や、お茶のような嗜好品に金を掛けるひとだったが、線香に興味はなかったらしい。あれはなぜだろう。いま思うと不思議だ。農地改革法で土地を取りあげられ、平凡な教員の妻になってからも戦前の大金持ち地主感覚を引きずっていて、あれこれ破綻のあるひとだった。基本的に贅沢だった。でもなぜか線香には金を掛けなかった。私もその辺は影響を受けたのだろうか。でも母よりは線香代をかけている。
田舎の墓参りは、前記の適当に見つくろった花束、瓶につめた水に、火つけ用の新聞紙を持って行き、それで線香二束に火を点ける。ひと束は自分ちの墓、もうひと束は御近所の墓に添えたりする。簡素で豪快。というかまあ、かなり雑な供えかたをする。



私はいま、先日買ってきた安い線香を、朝方や夕方に、ヴェランダのハイビスカスや葵の鉢に差したりしている。すると、そこから流れてくる安線香の香りで、田舎の墓参りを思い出す。いい線香の時は1本を室内でともす。そこからふんわりいいにおいがしてくる。今回は安線香だから、田舎の墓参りのように、20本ぐらいに火を点けて、鉢替えをして一回り大きくしたハイビスカスの鉢には餘裕があるから、まとめてそこに差す。流れてくるのはあまり上等の煙ではないが、でもだからこそ、なんだか田舎の墓参りに行ったような気分になる。

敬愛する高島俊男先生が、『お言葉ですが…』の読者とのやりとりから、昔懐かしい入浴剤「六一○ハップ」を入手し、それを風呂にいれ硫黄の臭いを嗅いだ途端、幼い頃父と一緒に入った風呂を思い出し、思わず落涙してしまったというのと同じように、私はやたら煙だらけの安線香で、母と一緒に行った田舎の御先祖さまの墓参りを思い出してしまった。これはこれで功徳になっていいのではないか。それは免許のない姉にも、日本全国営業マンとして飛びまわっていて盆暮れにしか帰郷しなかった兄にも出来なかった、私と母だけの思い出になる。

ほろ酔いで書いたのですこし焦点がぼけたが、まあ、旧盆に近い時期に、いい田舎話を書けたと自己満足(笑)。
  1. 2011/07/25(月) 01:05:20|
  2. 生活
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ことば──テレビ難民←なんとまあセンスのない

00kotoba.gif
「テレビ難民」とは、なんともひどい言語センスだ。「交通戦争」とか「受験地獄」のたぐい。命懸けの難民のたいへんさをすこしでも感じる心があったら、こんなバカな言いかたを得意気にはしない。

私はどのような形の難民にもなりたくないしなるつもりもなかったが、いま「テレビ難民」らしい。めったに経験できない立場だから甘受しよう。

世の中にはテレビが好きで好きで毎日見ないといられないという、ニコチンタール中毒みたいなテレビ好きもいる。そういうひとが無理矢理テレビを取りあげられたら、それはそれでたいへんなのだろうが、そんなひとはとうのむかしに地デジに切り替えてるだろう。なんだかなあ、「テレビ難民」。どんな感覚だとこんなコトバが語れるのか。



去年の秋、偶然そういうひとと親しくなった。家族揃ってテレビが大好きで、毎日がんばって働き、夜はみんなでテレビを見ることがしあわせの確認みたいなひとだ。人生の真ん中にテレビがある。今までの私の人生では接点のなかった人種になる。「三丁目の夕日」の時代ならともかく、いまでもそんなひとがいると知った。休日は加入しているケーブルテレビでむかしの時代劇を見るのが最大の楽しみなのだそうな。昼日中からカンビールを1カンだけ飲んだりするらしい。それはとてもふしだらなことなのだが、その冒険と贅沢がたまらないと語る。あんな愉しい時間はないとうっとりしていた。明け方から大酒を飲むこともある私は、それは隠して適当に相槌を打っていた。

去年の秋、そのひとのクルマに乗せてもらっているとき、ラジオから流れてきた地デジ化の話を受けて、「しかし、いまだに地デジにしていないひとなんているのかねえ」と呆れるように話しかけてきたので、思わずすなおに「ぼくはまだですよ」と言ったら、「ええっ!!!」とおどろかれた。それまで彼は私の博識?を認めて、とても鄭重に接してくれていたのだが、そのときだけは明らかに見おろす態度だった。なんとも言えない憐れみの目線を感じた。

私が「地デジ」というものを強く意識したのはこのときが初めてになる(笑)。来年の夏のことだしと、なにも考えていなかった。それをきっかけにテレビとは完全に縁を切ろうかなと、漠然と思うことはあった。しかしこの「憐れみの目線」は気になった。経験がない。テレビを買い替えられない貧乏人と思われたのならまだいい。そうじゃなく、なんとなくそこには「世の中についてゆけない時代遅れのひと」という含みがあった。それが私のプライド?をちくりと刺激した。

餘談ながら、クルマの中で自分の好みの音楽しか聴かない私は、彼のように、常にラジオをつけっぱなしにして、キャスターのくだらん冗談に笑ったり、ニュースや情報にうなづいたり、時には怒ったりするひとが、ほんとうにいるのだと知って新鮮だった。まあ世の中そんなひとのほうが多いのだろうが、私と友人はそれとはちがう世界にいる。



そのあとちょっとした賞をもらって金が入ったので、街に出たときビックカメラに寄り、テレビの値段をチェックしたことがある。これは前記のひとと知りあい、そういうことを言われなければぜったいにしなかったろう。私にとってビックカメラはDVDやプリンタインクのような消耗品を買う場所でしかない。自作派だから「パソコンパーツは?」と言われそうだが、あんな大型店のそれは物足りなくて見るに価しない。高いし。家電売場でテレビをチェックするなんていつ以来だったろう。前回は二十世紀のはずである。

その後もあのエコポイントというのは、11月以内なら、年内なら、3月までなら、と様々に条件が変ったので、私はそのたびに「買うべきか買わざるべきか」と悩むことになる。エコポイントというのの最後は今年の3月一杯だったか、いや4月中旬まであったのだったか、とにかくあれがなくなるともうスッキリして、はっきり縁を切る覚悟が出来た。恥ずかしながら去年の11月あたりは、私も「いまこの大型テレビを買うとエコポイントが3万円つくから、そのポイントであれを買えるし」などと計算して悩んだりもしていたのだった。その辺、恥ずかしいが正直に書いておこう。



テレビしか楽しみのない独り暮らしのお年寄りとかは現実にいるのだろうし、地デジテレビを買いたいのだが買う金がなく、無理矢理テレビを見る楽しみを奪われてしまったというひともいるのだろうが、それらを考慮しても「テレビ難民」という表現がセンスのないことに変りはない。
  1. 2011/07/24(日) 20:09:34|
  2. 地デジ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

アナログ放送終了、58年の歴史に幕

00tv.gif東日本大震災の被災3県(岩手・宮城・福島)を除く都道府県できょう24日正午、アナログ放送が終了。アナログ放送のテレビは正午をもって“お知らせ画面”が映し出された。なお、この画面はきょういっぱい映し出され、同日深夜12時にアナログ電波が停波され砂嵐の状態になる。http://life.oricon.co.jp/2000116/full/

------------------------------

アナログ放送終了の瞬間、テレビの前に正座して、いや斎戒沐浴して最後の瞬間を目撃するつもり、なんて、結果的に大嘘を吐いてしまった。すみません。あれこれやっていて、気づいたらもう午後になっていた。15時から競馬を見たくなって、「ああ、アナログ放送、終ったな」が現実だった。その後テレビを点けていないので今の状況も知らない。いまはまだ砂嵐ではなくお知らせが出ているらしい。見る気もない。興味がないのだからしょうがない。

かといって強い意志でもって断固テレビを拒むなんてものではないから、そのうちまたテレビを買って見始めるのだろう。でもこういう「すなおに興味がない」がいちばん長続きするのかも。

作家に対し、「作家の××は嫌いじゃないが、××ファンは嫌いだ」というような言いかたがあるらしい。作家に限らず役者でも藝人でも誰にでもあてはまるか。本体に不満はないが独特の癖のあるファンは嫌いだ、という言いかた。
それに倣うなら、私はテレビはどうでもいいが、テレビ好きは嫌いだ。俗物が多いものね。朝起きたらまずテレビのスイッチを入れる、会話しているときも、食事中も常にテレビを点けている、というのにろくなのはいない。
たとえば話題のドラマがあるとして、それを見るために毎週欠かさずその時間、テレビの前にすわるという行為は、ほんとにそのドラマが好きならまだいいのだが、周囲と共通の話題を得るために見ていたりする。いわば世の中の大多数でいたい感覚。でも若いときはそうだよな。自分もそうだった。世の中の流行りものを知らないと不安になった。みんなと同じ話題を話したかった。時代遅れになるのが怖かった。
齢を重ねて、それがなくても平気な年齢にやっとなれたのだから、その辺は飄々と生きて行こう。



またテレビに接するのはいつになるかわからないが、シングルディスプレイのパソコンライフは限界に来ている。ディスプレイを買おう。一面しかない生活はキツい。こちらはもう我慢の限界。
  1. 2011/07/24(日) 16:46:54|
  2. 地デジ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

菅直人、終了まであと3日!──アナログ放送終了字幕がまたもGJ!!

過日の大傑作「よかったわね」に続く、またもビッグヒットが生まれました。一目爆笑。地デジ対応にしていないからこそ生まれた偶然です。

kan3

本家はこちら。http://twitpic.com/5tds1r
菅直人民主党政権が一日も早く終了しますように!
  1. 2011/07/21(木) 19:18:07|
  2. 政治
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

魁皇引退で本格的ファン離れ!?

00sumo.gifマスコミをマスミと書いて嫌う風潮があるが、こういう「魁皇引退で本格的ファン離れか」なんて記事を読むと、たしかにゴミだと思う。こんな幼稚な条件反射でしか文を書けないのだろうか。
と憤懣をツイートした。

kaio2

ワイドショーの司会者とかコメンテーターなんてのも、「これで大関横綱に日本人がいなくなってしまったわけで、ほんとに淋しいです」なんて、しかつめらしい顔で言っている。相撲を好きじゃなく、いつも見ていないから、「魁皇引退」というニュースで何か言わねばならないとなったとき、それしか思いつくことがない。

私は魁皇が大好きだったけれど、魁皇が引退したからといって相撲から離れるつもりはない。そしてまたそれは魁皇もいちばん望んでいることだろう。まったく、こういうくだらん記事を読むと腹がたつ。
  1. 2011/07/21(木) 13:48:59|
  2. 大相撲
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

アナログ放送終了まであと3日!──地デジチューナーの値上げ

 アナログ放送終了まであと3日となった。前回このネタを書いたとき「あと18日」だった。これは、さっさと地デジ対応にしてしまい、この辺の流れを知らない人へのリポートである。ほんとにもうこんなめったに経験できないことが目の前にあるのにもったいない(笑)。

ここ数日で大きな変化があった。画面左下に出る画面9分の1の「アナログ放送終了まであと×日(この×の数字の部分が大きな白抜き数字になっていて一番じゃま)」が、表示されない時間が増えつつあるのだ。そのことによって画面が見やすくなり、こちらとしてはとても助かっている。



これは癌患者で言うなら、「もう死ぬのはわかっているのだから、好きなだけモルヒネを打って苦しまないようにしてやろう」に通じる。

癌末期の全身が軋むような痛みはたいへんなものらしい。胃癌で死ぬのに、悪いのは胃だけのはずなのに、末期の時、癌細胞は全身に周り、頭から爪先まで針を突きさされるような痛みになるという。悪魔である。

近所に家族全員とても仲の良い理想的な一家があった。そこの旦那さんが胃癌で亡くなる寸前、医者が規定の量のモルヒネしか打たないため、日々その激痛に苦しみ、正に目から血がふきでるが如き憤怒の形相で、家族に「貴様ら、こんなにおれを苦しませて、それがたのしいのか!」と呪詛のことばを放ったという。後に奥さんが泣きながら語っていた。

すでに錯乱状態となっている旦那さんには薬事法的な事情はわからない。わかるのは全身に激痛が走り、それはモルヒネ注射によって消えるのに、痛みが消えて気持ちよくなれるのに、医者がたまにしか打ってくれないという現実だ。それはきっと家族が注射代を惜しんでいるのだ、彼はそう妄想する。もうすぐ死ぬおれにはもったいないと金を惜しんでいるのだ、だから注射を打ってくれないのだ。おれが稼いだ金ではないか、おまえら、おれの稼いだ金で人並みの暮らしをしてきたろうに、おれがこんなに苦しんでいるとき、その金を惜しむのか、あるのはもう家族に対する憎しみのみだった。モルヒネを打って痛みが消えて楽になる時間と、薬効が消えて苦しむ時間の繰り返しだから、苦しみはより鮮明になる。薬効が消える時間が来ることに脅える。そこからまた妄想は拡がる。

その苦しみにより、旦那さんの脳裡からはそれまでの愉しい家族の思い出などみな消え去った。妻も母も息子も娘も、自分を苦しませる悪魔に見えた。家族への思いは自分を苦しませる存在という憎しみだけになり、呪いの言葉を叫びつつ、そして逝った。だが家族は、いくら頼んでも医師が法律に縛られて投与してくれない以上どうしようもないのだ。妻も母も息子も娘も、自分達に対して憎悪の言葉を投げ掛ける父(夫、息子)に、戸惑いながら接するだけだった。最後に聞いた大好きな父(夫、息子)の言葉は自分達を憎むという上記のものになる。一生の思い出ぶち壊しである。

まったく、規定量以上のモルヒネを打ったら麻薬中毒になるから投与しないという杓子定規の解釈はくだらない。もうすぐ死ぬのである。麻薬中毒の次元ではない。それを打ってやれば、その全身を軋ませる激痛がスッと消えるのだ。魔法の薬なのだ。痛みが出たら、いや出る前に打ってやり、桃源郷の中で気持ちよく冥途に送ってやればいいではないか。



アナログ放送終了に麻薬中毒のような心配はないが、「もうここまで来たら、いまだに地デジ対応にしないひとはしょうがない。楽にしてやろう」とでも思ったのだろう、その表示が消えてふつうに見られることが、ほんのすこしだが増えている。しばらくしてから「表示してないと文句言うひともいるからな」という形でまた表示されたりする。大相撲で言うと、勝負の瞬間は消えている。決着がついてからまた表示される。ありがたい。ほんとにありがたい。

これがないとこんなにもテレビは見やすいのかと感激した。すっかりこの見にくい表示に慣れている。テロップが流れる上下の不快な黒枠は消えないのだが。

このカウントダウン表示はCMには出ない。だからCM画面になるととても快適だったりする。本放送になるとそれが出て不愉快になる。まあこれも一生一度の経験だと思えばなんてことはない。貴重な時間だ。



ところで今回のテーマはそれではない。地デジチューナーの値段の話。



これを機会にテレビとは完全に縁を切ろうと思っているのだが、一時は海外に二ヵ月ほど出かけるとき、東京の住まいと田舎の家で合計6台のビデオデッキを駆使して見たい番組全部を録画していたぐらいの機械好きであるから、地デジ対応のテレビを買うなら、地デジチューナーだけにするなら、と前々から調べてはいた。結論は東芝のREGZAになった。外附けHDDでの録画にいちばんフレキシブルに対応している。今度テレビを買うときはREGZAの42インチを買う。いつになるかわからないが。

最悪の場合の地デジチューナーのみの購入も、あれこれ検討して、結果写真のREGZAにしようと決めていた。これならあたらしいテレビを買ってからも有功に活用できる。価格comでのレビュウでも、アナログテレビしかないひとが地デジチューナーとして買うというより、むしろすでに地デジ対応テレビをもっているひとが、あらたな録画機器として活用しているケースが多かった。



さて、今回のテーマは、この機器の値段の変化のこと。オープン価格だ。ビックカメラのような大型店舗で24000円程度の品である。

半年前は価格comの最安値で15800円だった。それが前回このネタを書いたころには18900円まであがっていた。アナログ放送終了がちかづくとこの手の商品は値上がりするんだなあと、当たり前のことなのだろうが、世事に疎い私は感心していた。このとき「15000円の時に買っておけばよかったな」と、すこしだけ悔いた。そのころからテレビとは縁を切るつもりだったが、なにかあったときそれを接続すればすぐに見られるのだからもっていてもいい。特にこの品は後々地デジ対応テレビを買ってからも役立つ一品だし。



この種の値段の変化は不思議なもので、まあ地デジチューナーの場合はこういう状況であるからすんなり理解できるのだけど、たとえばプリンタのような季節や時限とは関係ないものでもけっこう動くのである。おそらく新製品の発売と関係があるのだろう。私はその辺とても運が悪く、というか読みがへたで、自分の欲しいプリンタが最安値15000円になっているから買おうと思いつつ、もしかしたらもっと下がるかもと思っていたら、それからは20000円に戻ってしまい、二度と20000円を切ることがない。じっと待ったが、まったく動かないし、購入の必要があったからしかたなく20000円で買ったら、それからしばらくすると13000円まで下がっていたとか、そんことばかりやっている。しみじみ株なんてものに興味がなくてよかったと思う。もしも手を出したら、買えば下がる売れば上がるの後手後手に回り破滅する典型だったろう。



アナログ放送終了まで3日となった今、上記のこの機器は価格com最安値で、なんと24800円にまであがっていた。駈けこみ需用で売れまくっているのだろうか。半年前の15800円と比べると9000円の差である。これはおおきい。しかも価格comでの全国最安値でこの値段だから街の電機屋ではもっと高い。オープン価格だからいくらで売ってもいいのだ。30000円以上だろう。まあ非常事態だから当然だ。

これからどうなるのだろう。24日正午でアナログ放送は終了する。おそらく終了してから「たいへんだ、テレビが映らなくなった!」と騒ぐひとは多いはずである。そういうものなのだ、世の中ってのは。これだけ長期間しつこく警告しても何もせず、見られなくなってから「どうした、なぜ映らないんだ!?」と騒ぐひとがいるのである。私はね、よくわかっていて縁を切ろうと思っているのだから、そういうひととはちがいますよ(笑)。

だからまだまだ需用はある。地デジチューナーがバカ売れする本当のドタバタは24日以降なのかも知れない。

その後はどうなるのだろう。何ヵ月かして、日本中地デジ対応テレビと、それを買えなかったひとには地デジチューナーが普及し、この種の製品がもうぜんぜん売れなくなったら値崩れするだろうか。確実にするはずなのだが、でもそれっていつだろう。半年後か、一年後か。

このREGZAは、地デジ対応テレビをもっと便利にするためにも使える機器だから(ここからのハブ接続で4台の録画用HDDが繋げる)、アナログをデジタルに変換するだけの他の安い地デジチューナーとはすこしちがうけど、どこまで下がるだろう。いま最安値24800円がかつての15800円より下がる日は来るだろうか。



7月24日、日曜日正午。アナログ放送が終了する。私は正座して、いやその前に斎戒沐浴して、半世紀のあいだ見てきたものが潰える瞬間に対峙しようと思っている。ほんのすこし残念なのは大相撲千秋楽が見られないことだ。まあ国技館と同じ雰囲気ならネットでも見られるし、実況と解説が欲しいなら携帯のワンセグでNHKが見られるのだが、私としては千秋楽結びの一番のあと、表彰式も済んだ18時に終了するのが望ましかった(笑)。それだけがちと残念である。24日正午、楽しみだなあ。

============================================

【附記】──生産終了のようです(7/23)

このチューナー、価格comでも値上がりが話題になっていて、情報が寄せられていました。どうやら生産終了による品薄が原因らしく、後継機は出るでしょうが、この型版はもうおしまいのようです。となるとまた私は「15800円のときに買っておけば」と悔やむわけですが。
  1. 2011/07/21(木) 12:44:54|
  2. 地デジ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

反原発活動家山本太郎の原点

反原発活動家山本太郎の原点
http://blog.livedoor.jp/moneslife3/archives/51652216.html
  1. 2011/07/21(木) 08:58:49|
  2. 政治
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

魁皇引退──ありがとう、お疲れ様でした←相撲ファンの誇り

00sumo.gif
7月19日、19時40分、魁皇引退。ネットの速報で知ってツイートした。

kaio


これじゃ半端なのでフォロー。
琴欧洲との、いま思えば、「現役最後の一番」はリアルタイムで見た。あまりに相撲にならないひどい状態なので、アナも北の富士も心配していた。その時点で「親方と相談します」との魁皇リポートも入った。休場だと思った。今から二ヶ月休めば腰の痛みが軽くなる可能性はある。まして先場所は白鵬を負かしている。まだまだ得意の形になれば怪力魁皇なのだ。必殺の小手投げもある。いまは「まわしを締めていると下半身が痺れてくる」ような状態らしいが、腰痛さえ治まれば来場所も出来る。なんとか11月までがんばって故郷九州場所まで出場してくれ。勝ち星のたびに花火を打ち上げて祝ってくれる地元のファンに最後の勇姿を見せて欲しいと願っていた。
突然の引退表名におどろく。NHKのニュース速報で流れたらしいが私が知ったのはネットだった。1045勝をクリアし、もういいかと思ったのだろうか。唐突だった。



千代の富士の記録をなんとか魁皇に抜いて欲しいと願っていた。千代の富士を八百長横綱と言うなら魁皇もまた紛れもない大関互助組合で助けあってきた八百長大関である。たいしてちがわない。もともと伝統芸能である大相撲において情の星のやりとりは常識であり大騒ぎすることの方がおかしい。私は大相撲の八百長うんぬんはどうでもいい。ただし「おもしろい相撲、おもしろくない相撲」はある。琴櫻や三重の海の「無気力相撲」はひどかった。じつはよく出来た八百長相撲ほど激しい攻防があり力が入っておもしろかったりする。それはプロレスを考えればわかる。投げる方と投げられる方に打ち合わせがあれば見事なものになる。大鵬も「客を感動させるそれが出来なきゃ一人前じゃない」と言っていたとか。

チヨと魁皇のちがいは、話せば長くなるが、ひとつだけ言えば、あれだけの実績を残しながら千代の富士には一切人望がない。そのことで彼の品格がわかる。今回の理事長人事で八百長横綱だった武蔵川(三重の海)は假病を装ってさっさと逃げた。北の湖からワンポイントで武蔵川になったなら、次は九重である。だが八百長問題が紛糾している時、その権化のような九重に出来るはずがない。もしも九重が理事長になったなら、千代の富士の八百長を差配する中盆をやっていた板井などもまた注目されて収拾がつかなくなったろう。

放駒(魁傑)の理事長就任は、一見思わぬダークホースの擡頭のようだが、本人も弟子の大乃國もクリーンな放駒しかいなかった。魁傑でなければこの危機は乗り越えられなかった。放駒を除いたら「八百長はよくない。やめろ」と言える資格のある親方は、芝田山(大乃國)と貴乃花しかいない。順序からいって魁傑がなって当然だった。

人格者の魁皇にあのインチキ記録を抜いて欲しいと願ってきた。八百長という言葉で括るなら八百長横綱と八百長大関にちがいはない。だが私の中では両者の品格は天と地だった。
チヨの下劣な人格は弟子のチヨスに見事に受けつがれている。この辺のことは自分のサイトにたっぷり書いているので略して先を急ぐ。一言で言えば千代の富士の談合相撲(言いふくめ相撲)は容認しがたい。嫌いだ。あいつのやったのは情で勝負を譲るのではなく、力の横暴である。ワンマンの暴力だ。だから誰もついてゆかない。千代の富士を大横綱と称えるひとはセンスの悪い相撲ファンだ。



魁皇がこんなに長く土俵人生を送るとは思わなかった。同期の若貴、曙と比べてみる。
曙は1992年の7月場所から大関、1993年の3月場所から横綱、2001年初場所で引退。
貴乃花は1993年3月場所で大関、1995年初場所から横綱。引退が2003年初場所。
若乃花1994年9月場所で大関、1998年7月場所で横綱、2000年3月場所で引退。

みな1990年代の力士だ。二十世紀とも言える。魁皇の活躍は二十一世紀だ。
一応貴乃花は2003年春場所で引退だが、その前は一年以上にも及ぶ休場であり、実質的には大怪我を押して相撲を取り、優勝決定戦で勝った、あの小泉首相が「痛みに耐えてよくがんばった。感動した!」と言った2001年5月場所で終っている。さらにいうなら貴乃花の無敵時代は1994年から1997年だ。その後はケガで休むことが多い。2001年のあれですら最後の特殊な輝きだった。みな1990年代の力士である。魁皇はちがう。
同期の一番出世である曙が大関になった1992年の7月場所、このとき魁皇はまだ十両の8枚目だった。

魁皇が大関で取ったのは2000年9月場所から。(相撲的には7月場所終了後に昇進、となる。)
その年の春に同期の若乃花はすでに横綱として引退していた。遅咲きではあるが新大関誕生と話題になった。私は同期の若乃花が横綱という頂点を極め燃えつきて引退した後、今から大関ということに、ずいぶんと早咲き遅咲きの差があるものだと感じたことを覚えている。地味な印象だった。いま考えれば若貴曙がすごすぎるのであり、今場所27歳の琴奨菊の大関取りが話題になっているように、さほど遅くはないのだが、天才連がいる時代だったから、遅咲きの地味な力士に思えた。
魁皇とともに多くの物議を醸した問題大関千代大海は、1999年3月場所から大関になっている。これも「昇進」で言うなら初場所後になる。このとき22歳。これは横綱の期待がかかる大物の早い出世だった。

私はむかしもいまも日の出の勢いの新星が好きだ。27歳でやっと大関になった魁皇より二十歳ぐらいの未来の大物を捜す方が好きだった。そのころ十両に、いかにも気の強そうな顔で激しい相撲を取るのがいた。朝青龍である。力士としてはむしろそっちのほうに興味を持っていた。だがそれとは関係なく魁皇は大好きな力士だった。その理由は後述する。

成績を追ってみればわかることだが、魁皇は大関になるまえに優勝はもろちん、優勝同点も優勝次点もある。ということから、魁皇の肉体的ピークは同期の若貴曙と同時期にあり、彼らよりも力士としての力量が劣っていたから出世が遅れたとの解釈も出来る。彼らがいなくなって上が開けたのだ。名大関に失礼な言いかただがこれは天分の解釈としては妥当だろう。まあもともと「名大関」というのは誉め言葉ではない。横綱になれなかった脇役への賛辞だ。



これは競馬にも言える。むかしの天皇賞は勝ち抜け制で勝った馬は次回は出られなかった。すると見事なほど同期の一流馬が抜けた後に同い年の二流馬が勝つ。これは世代の強さが比較できて面白かった。競走馬がいちばん強くなるのは5歳秋(今の4歳秋。以下旧表記)と言われる。当時天皇賞に出られるのは古馬となった5歳からだった。今は秋天は4歳から出られる。5歳の一流馬が勝つ。春秋の天皇賞を5歳で勝った同期馬が卒業して行く。同期の二流馬はそのあとの6歳、7歳時にチャンスがあるわけだが、それはまた後輩の「最強の季節5歳秋」と闘うことでもある。肉体的には不利だ。だが強い世代というのは、しっかり6歳7歳になっても勝つのだった。この辺、実例としていくらでも馬名を揚げられるが魁皇の話なので略。つまり強い世代の二流馬(無冠)は、弱い世代の一流馬(ダービー馬等)よりも強いわけで、こういう勝ち抜け制時の世代間の強さ比べはおもしろかった。

当時の古馬は天皇賞と有馬記念を勝つともうやることがなくなってしまい引退するしかなかった。一流古馬が活躍するレースがなかった。そういうレース体系だった。今は何度でも天皇賞に出られるからなかなか引退しない。馬主経済の事情もある。
魁皇で思うのはカンパニーだ。カンパニーは魁皇と同じような年齢で天皇賞とマイルチャンピオンシップに勝ったから(連続優勝だ!)、勝ち越しがやっとのよれよれの魁皇と比較したらこっちに失礼か。
同期の一流馬、若貴曙が天皇賞馬(横綱)になって去ったから、次は同期の二流馬魁皇の番だった。だがそこに充実の5歳秋を迎えた後輩の武蔵丸、朝青龍、さらには白鵬までやってきて、魁皇は8歳になっても走ったがとうとう天皇賞馬(横綱)にはなれなかった。という競馬的譬え。

魁皇のゆっくりした歩みは、同じ九州出身をモデルにしたちばてつやのマンガ「のたり松太郎」そのものである。怪力という特徴も同じだった。「松太郎」の方が早い。実在の人物をモデルにしたマンガはよくあるが、マンガにちかい実在の人物が出るなんてめったにない。その点でも魁皇は偉大だ。もっとも松太郎は粗暴な悪ガキだから人格者の魁皇とは違う。とにかくまあいろんな意味で魁皇は魅力的だった。



私が魁皇に一日でも長く土俵にいて相撲を取って欲しいと願っていたのは彼の結婚に関係がある。魁皇夫妻にはこどもがいない。
結婚したのは1999年の6月。もう12年前になる。26歳の小結の時だ。5月場所は14勝1敗の初優勝。貴乃花が全休、若乃花が途中休場という中、横綱曙の13勝2敗を凌いでの初優勝だった。若貴には遅れをとったものの(だいたい彼らが天才過ぎたのだ)、未来の大関横綱との声がかかる中での結婚だった。

相手は長年交際していた元女子プロレスラーの西脇充子。5歳年上の31歳。じつのところ私が魁皇好きになったのはこのことが大きい。プロレスファンの私は女子プロレスの会場にもよく出かけて観戦していたから西脇のことは知っていた。美人レスラーということになっている(笑)。プロレスファンの間では魁皇と西脇の交際は有名だった。

魁皇は小結で優勝という最高の時期にそれまで何年もつき合っていた西脇との結婚を発表した。すでに西脇は女子プロレスを引退し内助の功を発揮していた。しかし西脇はその時点でもう子宮筋腫を患いこどもが埋めない体であることがわかっていた。前途洋洋の力士である。力士はもてる。ふつうだと若いころ世話になったこういう年上の女は捨て、よくある「後援者の娘の女子大生」なんてのと一緒になる。そういう話も多かった。というかこれは相撲界の常識とすら言える。引退後に親方として部屋運営をするためにも(部屋の新築とか金がかかる)、嫁は金持ちの娘がいいのである。

一例として二代目若乃花がいる。彼は若手の時から年上の銀座のママと恋人関係だった。面倒を見てもらっていた。が、親方(初代若乃花)から娘を嫁にして部屋を継げと言われたら、欲に目が眩んだのかそっちに走った。世話になった長年の恋人を捨てたのだ。親方の娘と結婚するということは、一銭もかからず建物から弟子からすべて丸抱えできるということだ。力士はみなそんなことをしている。若手の時には、旺盛な性慾を解消してくれ、肉体的にも精神的にも、金銭的にも支えてくれる年上の花柳界の恋人がいる。でもいざとなったら結婚は周囲の勧める、親方の娘とか後援者の娘とかの無難なのとする。また花柳界女性もそれを割り切って送り出した。むかしの女はいい女だった。いつごろからだろう、そのことをマスコミに売って小銭を稼ぐようなのが出て来たのは。

その後二代目若乃花は親方の娘とうまくゆかず離婚。後にその銀座ママと再婚している。初代若乃花の娘は週刊誌等にも載ったが、山本陽子に似た美人だった。念願の若乃花と結婚できた銀座ママも数年前に早世してしまった。二代目若乃花も脳梗塞で倒れて車椅子生活だ。時の流れを感じる。

私は二代目若乃花を責めているのではない。相撲界とはそんなものなのだ。
親方は娘を欲しがる。娘が生まれると喜ぶ。息子が生まれて力士になって自分の跡を継いでくれるのを望みそうだが、違う。息子が幕内力士になって跡を継ぐなんてケースはまずない。アスリートの息子が優れたアスリートになる確率は低い。大関の息子ふたりが横綱になった若貴は、私はちかごろあまりに★1安易に使われているので「奇蹟」という言葉はめったに使わないが、これはもう文句なしに「奇蹟」なのである。あんなことはもう今後もありえないだろう。若貴どころか寺尾と逆鉾が幕内力士になった井筒親方(鶴ヶ峰)の場合ですら奇蹟と言っていいほどだ。若貴はすごすぎる。

相撲部屋の親方にとって、息子が自分と同じ幕内力士になるのは難しいが、幕内力士を育て、それと娘を結婚させることはさほどでもない。よって親方は娘を作り、それと優れた弟子を結婚させ跡継ぎにするのを願う。魁皇の親方の魁輝も娘婿として友綱部屋を継いだひとだ。
魁皇はすでに親方株を持っているし、抜群の人気から引退したら自分の部屋を創設するのだろうと思っていた。私は魁皇の西脇との長い付き合いを知っていたが、魁皇が西脇と結婚するとは思っていなかった。けっきょくはよくあるパターンの有力者の娘と結婚するのだろうと読んでいた。大関になって一段落し、過去の恋人との噂も消えた28歳ぐらいの時に、富裕な後援者関係の21歳ぐらいの娘と一緒になると。だってそれが相撲界の常識だったから。

力士の方が番付をあげ、相思相愛の女を捨て、親方の娘と結婚して部屋を継ぐという大望?があるとするなら、「親方の娘」のふてくされだって同じである。どうせ親の勧める「関取」と結婚して部屋を継ぐのが定めなのだ。親の金でバカ大学の女子大生なんてのになり、アメリカやらイギリスやらに留学(笑)して、乱行を重ねる。自分の人生はもう決められているのだから、すくないこの時間、せめて好きなだけ好きなことをやろうとする。そういう形の男と女、人気の力士の結婚。それは相撲界の常道だった。

だが魁皇は西脇を選んだ。将来こどもをもてないことを覚悟で、こどもの産めない体である年上の西脇を生涯の妻として選んだ。親方、両親、親戚、後援者、多くの反対があったはずだ。恋している今はいいかも知れないが、将来こどもがいない淋しさには耐えられない、冷静に考えろという説得もあったろう。だが断固として魁皇は西脇を選んだ。★2男である。魁皇は真の男である。魁皇が二代目若乃花のような男だったら私もここまで惚れることもなかった。いや、二代目若乃花も、それはそれで後に好きな女と一緒になっているからましなほうだと思うが、揺るがなかった魁皇の方がうつくしいに決まっている。

プロポーズされたとき、西脇はうれしかったろうなあ。きっと泣きながら「わたしでいいの?」なんて言ったんだ。それを力強く抱きしめて、魁皇は「おまえじゃなきゃだめなんだ」って言ったんだろうな。推測だけど。そのとき得意の右上手をとっていたかどうかは定かでないが。
西脇みっちゃん、これから親方夫人として第二の人生が始まる。弟子みんながこどものようなものだ。おかみさんだ。がんばれよ。結婚に反対したみんなを見かえしてやれ。あんたにはヒロくん(古賀博之)がついている。

琴ノ若は親方(琴櫻)の娘と結婚し、部屋を継ぎ、子宝にも恵まれた。息子は力士になって父を目指すという。もうすぐ入門するだろう。四股名「琴ノ若」を譲ることをもう約束している。魁皇にその楽しみはない。それを捨ててまで選んだ恋女房だ。これからの人生もしあわせになってくれ。



一般に魁皇の全盛期は全場所二桁勝利し、優勝もあり、横綱昇進のチャンスがあった32歳の時と言われる。2004年だ。翌2005年からはもうケガによる休場と角番、なんとか終盤で勝ち越してそれをクリアの繰り返しになる。それから6年である。よくぞがんばったものだ。積み上げた1047勝。
私個人は、全盛期は小結から大関にかけての3回の優勝のある2000年から2001年だと思っている。年齢で言うと27歳から28歳。それから10年。よくぞここまでがんばってくれた。ありがとう、魁皇。

晩年はボロボロの躰で角番とやっとの勝ち越しを繰り返し、ある意味千代大海と一緒に大関の名をよごしたのに、それでも相撲ファンはみな魁皇を応援した。それは大相撲という日本独自の伝統芸能の、強さだけではない、より深い魅力の発露だ。それを含めての大相撲である。それのわからないつまらない日本人もどきが増えた。

モンゴル巡業では、朝青龍や白鵬よりも人気を集めた。「モンゴル的強い男、美男」の要素をすべて魁皇がもっていたからだ。魁皇に熱狂するモンゴル人男女の姿は不思議な感動だった。モンゴルの娘が「魁皇、大好き!」と目を輝かせていた。朝青龍はヘソを曲げ、魁皇は照れ笑いをしていた。これは特筆されるべきことだろう。魁皇はモンゴルで朝青龍、白鵬以上の人気を集めたのだ。

今年の1月場所で土佐の海が引退してからは最古参力士になっていた。土佐の海は「西の山本、東の尾曽」と言われた山本であり尾曽は武双山だから、これまたよくぞがんばった。土佐の海の引退はさびしかった。
今場所は魁皇の引退があり、高見盛は十両陥落だ。まだ取るのだろうか。取って欲しい。でもほんとに衰えが見える。どうなるのか。これで最古参力士は栃乃洋になった。

------------------------------

過日、あるひとのブログを読んだら大相撲をボロクソに書いていた。政治のことを書くブログだ。そのひとが相撲ファンでないことなどわかっている。今まで相撲のことを書いたこともない。なのに相撲はもう終ったとか、時代が違うとか、オンボロ魁皇がとか、言いたい放題していた。なんともかなしくなった。
そのひとが相撲嫌いならまだいい。そうじゃない。相撲に興味のないひとだ。ただひたすら毎日政治的毒を吐いている内に、その対象として魁皇の1045勝越えが話題になっていると知り、目を向けたに過ぎない。いわば、あちこち政治的に叩いている内になんでもかんでも叩かねばいられなくなったビョーキである。そこに水に落ちた犬の大相撲があった。それで条件反射的に叩いた。それだけだ。相撲など好きでないから言っていることは激しく見当違いだ。なんとも見苦しくかなしい出来事だった。

それへの反発があり、私は相撲のことはホームページに書くようにしていて、このブログで書くことはめったにないのだが、いかにいま大相撲がおもしろいかを書こうと思っていた。
今場所最大の発見は谷川親方(北勝力)の解説上手、独自の視点だ。これは稲川親方(普天王)が期待はずれだっただけに穴馬だった。あのひとはこれからNHKの常連になるだろう。なんともすばらしかった。そのユニークな切り口にアナははしゃぎ、おいてけぼりの舞の海はしらけていた(笑)。そのことをテーマに、いかに大相撲がおもしろいかを書き、知りもしないひとは、わかる能力のないひとは、よけいなことはいいなさんなと書きたかった。がその前に「魁皇引退」という大事件が起きてしまった。よってこれを最優先した。

一応上記のひとにケチをつける形になったので書いておくが、私はそういうことを言えるだけの好角家であり、この10年、自分のサイトにもそれだけ大相撲のことを書いてきたと自負している。それは主張しておく。
知りもしない魁皇を悪口だけで取りあげたひとと比し、私は今回ここに魁皇への感謝の文を書けた相撲好きの自分を誇りに思う。

00kanren.gif──大相撲

============================================

★1なでしこジャパンのシュートが決まるたびに青島アナが「奇蹟」を連発していたが、サッカーのあの得点は「奇蹟」を連呼するようなことではないだろう。選手にも失礼だ。言葉が軽すぎる。

★2こういう「男である」を、「漢である」と粋がって書くバカがいる。「漢」というのはサンズイからもわかるように本来の意味は「水のない川」であり肥沃な土地を表すが、総じて漢王朝のことであり、漢民族の男を表す。「好漢」「悪漢」「破廉恥漢」等からもわかるように、「漢」は漢人の男性を示すだけで「秀でた男」の意味はない。

「漢である」を「男である」の上級形のようなつもりで書くのは愚かなことだ。漢民族=支那人=チャイニーズであるから、「漢である」とは「支那人である」と言うのと同じことになる。心ある人はこんなみっともない表現は使ってはならない。「漢民族だ」と見当違いに粋がるより、「田んぼに力で男」で十分ではないか。



補記・「田んぼに力で男」と、一般的解釈のそれを書いたが、この下の部分は「力」ではなく、田を耕す農具(鋤のようなもの)を表しているという説も有力だ。このへん、白川派とかアンチ白川派とかいろんな説がある。こんなことを言いだすときりがないし、とりあえずここのところは「田んぼに力で男」で見逃してください。

------------------------------

【附記】──九重の感想←すなおに認められない7/20・昼

魁皇引退を知った九重(千代の富士)は、「長く続けてきた中で、かど番ではない場所で踏ん切りをつけた。引退の美学をここで示したよ(サンケイスポーツ)」と語ったとか。

弟子の千代大海は、角番で負け越して関脇に陥落が決定したが、引退せず、翌場所10勝以上あげれば大関復帰できるという関脇の特典に縋った。関脇で黒星が先行し、大関復帰は無理とわかった時点でやっと引退を表明した。魁皇の今回の潔さと比べるとかなり地位にしがみついたことになる。
しかしそれはいい。親方よりも力士でいるほうが愉しいに決まっている。自分の力士の可能性に懸けたなら、千代大海のみっともないしがみつきは、むしろかっこいいとさえ言える。私は魁皇にも、そういう形で粘って九州場所までがんばって欲しかった。

だが、この千代大海のみっともないほどの大関への固執は、彼自身の意思ではなく九重の指示だったという噂がある。千代大海はもう引退したかったのだが、理事戦で大関の1票(大関は投票権がある。苦戦と言われた貴乃花理事誕生に大関琴光喜の1票が役だったことは有名)が欲しい九重は、不人気で票のすくない自分のために、弟子に現役大関でいることを強要したというのだ。これは「千代大海が引退できない裏事情」として複数の週刊誌でも取りあげられたし、私は周囲の状況からも事実だと思っている。

そういう視点から見ると、上記の九重のコメントはなんとも空々しい。

------------------------------

【附記.2】──強いときの魁皇を見る

7/20,16.40。NHKの大相撲中継で、7年前の朝青龍を破って優勝した一番を見る。すごい力相撲。朝青龍も強い。それを力でねじ伏せる。この強さを見たら、今のよぼよぼ象みたいな魁皇が引退するのは当然かも知れないと思った。あれだけ強かったひとに今の状態で相撲を取れというのは酷だ。あらためて、お疲れ様でした。
  1. 2011/07/20(水) 04:39:11|
  2. 大相撲
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

車谷長吉さんの苗字──筆名「くるまたに」、本名「しゃたに」と知る

車谷長吉さんの「長吉(ちょうきつ)」が筆名であり本名が「嘉彦」であることは知っていたが苗字の車谷(くるまたに)の読みが本当は「しゃたに」であり、ある意味これも筆名であることを知ったのはほんの数年前だった。
車谷さんのことを検索して調べていたら高校の同級生が「車谷君のこと」という随筆のようなことを書いていて、そこで「しゃたにくん」と言っていたのだ。



車谷さんは故郷姫路の一流県立高校を落ちて三流県立高校に回されたこと(当時はこんなシステムがあったらしい)を人生の大きな傷としていて、その卒業した高校を罵ることはあってもほとんど触れない。それどころか三島賞を取ったら馴れ馴れしく同級生面して「今度ぜひ飲みましょう」のようなことを言ってきた相手を、ともだちでもなんでもないあんたとなんで呑まねばならないのかと突き放している。変人の面目躍如である。

このサイトも高校時代の同級生である「しゃたにくん」が有名になったということに触れているだけで別に交友があるわけではない。それでもそういうひとだからこそ「しゃたにくん」のことに触れた同級生のこのサイトは珍しいものだったし、そのことからそれを知ったことは、私にはおおいなる発見だった。なぜかご本人も本名は「嘉彦」だとはしばしば書いているのだが、「車谷」の読みが本来は「しゃたに」であり「くるまたに」は筆名だとは一度も書いていない。私は一応全作品を読んでいるはずだが記憶にない。このサイトを偶然読まなければ私はずっと知ることはなかった。



と書いてまた思うのだが、身近に「車谷(しゃたに)」という苗字の多い地域の人は、小学生でも中学生でもすんなり車谷はしゃたにであろうし、そんなことに大袈裟におどろいている私の方が奇妙だろう。ま、地域性とはそんなものである。

相変わらず私は人名と地名に弱いが、こどものころに親が言っていた「人名と地名は読めなくてもしょうがない」を頼りにするしかない。世の中には独自の訛をしたものや、言葉遊びのような苗字もあり、それらを知るたびに読めなくてもしょうがないと確認する。

私にとっていちばんたちのわるいのは「渡部」と書いて「わたなべ」か「わたべ」か、のようなものだ。こういうのは活字で読んで覚えても、発音されるまでどちらかわからない。不親切な雑誌はそれに触れていなかったりする。いちばん困るパターンになる。

============================================

【附記】──今はWikipediaにあるようだ

念のためにWikipediaを調べたら、本名「しゃたによしひこ」とあった。どれぐらい前から表示されるようになったのか知らないが、すくなくとも私が車谷さんの作品を貪り読んでいたころには掲載されてない情報だった。

【附記.2】──思想はまた別

このひと、夫婦であのピースボート(辻元清美の主催しているヤツ)で世界一周をしたりしている。アサヒシンブンも大好きなようだし、そのへんはまったく認めがたい。
  1. 2011/07/18(月) 18:25:56|
  2. 読書
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

なでしこジャパン世界一!──うるさい実況、青嶋嫌い←杉本清アナの功罪、古館伊知郎の罪

sportsoccer

hinomaru2















サッカー好きではないが同朋が世界一になる瞬間を見ようとテレビを点けた。早朝型の生活なので中継時間にもう起きていたこともある。この辺、これを見るために目をショボショボさせつつ夜更かししていたひととは逆になる。結果的に、とてもいいものを見ることが出来てうれしい。元気のない日本に活力をあたえてくれるだろう。



点けてすぐに「やたら叫きたてるうるさいアナウンサーだな」と感じた。
「でもサッカーのアナってのはうるさくて有名だもんな。ゴールゴールゴールゴールとひたすら連呼して話題になったバカアナもいたっけ」と思う。あのバカアナは吐き気がするほどこちらを不愉快にさせたのに、後にもそれを自慢気に語っていた。気づいていない。感覚の差はどうしようもない。
そしてまた、「こいつの声、どこかで聞いたな」と思い、青島だと気づいた。中継はフジテレビか。

青島は競馬実況もやる。私は青島の自己陶酔叫き実況が大嫌いなので、青島が実況をするときは音を消して見る。音声はラジオNIKKEI(むかしの短波放送)のを聞く。こちらは正統派だ。
レースの実況に撤した正統派の実況は心地良い。一方、レースを実況するということよりも、実況している自分を目立たせようとしているかのような実況もどきは醜い。青島はその代表だ。
そのルーツには関西テレビの杉本清さんがいる。



私はむかし杉本清アナが好きだった。競馬実況に革命をもたらしたひとである。いまも当時の名フレーズを思い出すだけで胸が熱くなる。
しかし杉本さんの功罪の功に酔いつつも、そのころから罪の部分も感じていた。

たとえばテンポイントで言うなら。
「見てくれ、この脚、これが関西期待のテンポイントだ!」の阪神3歳ステークス。関東対関西という対決図式が色濃い時代である。関西人であり異常に関西贔屓の杉本アナの関東への敵意がもう見えている。これはまあこちらも関西を敵視していた時代だから、それなりに愉しかったし、杉本的なものが溢れている今ならふつうのことだが、当時は実況アナがこんな「これが関西期待の」などと口にすることはまずなかった。でもこれはとても好ましい対決姿勢だからいいとして。

菊花賞前哨戦として選んだ京都大賞典は3着に敗れる。その実況、「テンポイント、今日はこれでいい!」
これはなんとしてもテンポイントに菊花賞を勝って欲しい杉本さんが、骨折したダービー明け初戦のテンポイントを、初の古馬との対決で3着に敗れたのだが、「今日はこれでいい!」と評したわけである。実況アナが評論家気どりで1頭の馬の着順に感想を述べているのだから逸脱した行為だ。枠連しかない時代だから、単勝や軸馬にしていた競馬ファンからしたら3着なのに「これでいい」とアナに言われたらたまらない。分不相応な「出しゃばりアナ」の元祖と言える。

本番菊花賞ではテンポイントが先頭に立つと、「それゆけテンポイント、鞭などいらぬ!」と、私情丸だしで1頭の馬を応援した。これは問題だろう。杉本さんにはこの種のパターンは数多い。それが許された時代であったわけだが、当時こんなことをしていたのは杉本さんだけだった。

杉本さんはある意味、実況アナとしては缺陥も多かったが、あふれんぱかりの競馬愛で数多くの競馬ファンから熱狂的な支持を受ける。私もそのひとりだった。初めてお会いしたときはあがってしまった。私がめんとむかってあがってしまったのは長年のファンだったドリー・ファンク・Jrと杉本さんぐらいだ。
杉本さんの功罪は、杉本さんを聞いて育った後輩アナによって、やがて罪の方が大きく花開く。



杉本チルドレンアナの世代になるともう、この「私情」や、「目立ちたがり根性」「前々から用意した名台詞」の連続である。これが典型的な杉本さんの罪になる。
自分達の胸を熱くした杉本さんの名台詞のようなことを自分も実況で叫びたい。後々まで競馬ファンに語りつがれる決めフレーズを言いたい。しかしそういう意図を持ったものは、まず例外なくすべる。それを連発して失笑されている競馬アナの代表が青島になる。だが当然のごとく本人はそれに酔っていて気づかない。
そもそも杉本さんの名フレーズも、ほとんどがケガの功名のようなもので、計算尽くで成功したものはない。

私が好きな杉本さんのフレーズに、「おそれいった」がある。これなどもうごく単純で、杉本さんが自分の好きな関西馬で勝負したら(馬券を買ったという意味)、その馬を大嫌いな関東馬があっさりと負かしてしまった、というような場合。実況の杉本さんは口惜しさを抑えたくぐもった声で、「おそれいった……。おそれいりました」とつぶやく。かといってめったに出ない。タケホープやテスコガビーのような超大物の場合に限られる。関東馬のファンである私はこれを聞くと、どんなもんだと気分が良かった。それは杉本さんの関東馬に対する最大の敬意だったから。こういうのは決して「心に残る名台詞」ではない。でも万感の想いが心に残るひとことに押しあげている。

あるいは前記のテンポイントの菊花賞。「それゆけテンポイント、鞭などいらぬ!」とアナにはあるまじき実況をしていたら、その内からするすると安田富男のグリーングラスが伸びてきた。グリーングラス1着、テンポイント2着。杉本さん、一瞬にして天国から地獄である。これがトラウマとなり、その後グリーングラスの出ているレースでは、グリーングラスが映るたびに「こわいこわい、グリーングラスはここにいます」とグリーングラス恐怖症。「こわい」の連発。これなんかも私には名台詞だった。



杉本さんと同じ形で今のアナに影響を与えたのがプロレス実況の古館伊知郎だ。
古館は猪木の懐に食いこみ、プロレスのアングル(仕掛け)の部分にまで深く関わった。そこから逆に実況を作りあげる。それまでのプロレス実況アナが、おおまかな筋しか知らされていなかった(例・今日メイン前にハンセンが乱入します)のに対し、古館は、その「筋」を考える部分にまで関わった。レスラーの乱入や造反のタイミングや「セリフ」にまで関わったのだから古館の実況が充実しファンの支持を集めたのは当然だった。番組開始からしてもう「会場外には雨雲が広がっていますが、ここ××体育館も、なぜかとてつもない事件が起きるかのような不穏な空気に包まれています」なんてやるわけだ。盛りあがるに決まっている。最初から番組自体を仕切っている。

競馬実況で言うなら走る前から全着順を知っているようなものである。ゲートが開くと同時に落馬する馬、途中で骨折してリタイアする悲劇の馬、どうしようもないほど後方をとことこと走っているが直線で全馬をゴボー抜きして一気に先頭に立って劇的に勝つ馬、それらすべてを知っていての実況なのだから充実するに決まっている。
そういう実況をすることによって、古館もまたレスラーとなり人気者となった。古館もリングに上がっていたのである。

この古館の悪影響で、古館的美辞麗句独自言語を実況に使いたいと志すアナが増えた。フジの『PRIDE』担当アナなどがそれに当たる。前記青島もそのひとりだ。しかしこちらはプロレス的筋書はないのだから古館的なことをやろうとしてもすべるに決まっている。

古館はそういう意味ではずば抜けた才人だった。それは彼の「トーキングブルース」という仕事を見るとよくわかる。じつにすばらしい。まさにことばの職人である。天才としかいいようがない。あれだけ自由奔放に日本語を操れるひと(しかも朝鮮人なのにだ)が、いま最もことばの不自由な番組で自分を殺しているのだから滑稽である。いや、しみじみもったいない。そんなに報ステキャスターという看板が欲しかったのだろうか。理解できない。
たしかに社会的地位?は得たのかも知れない。年収も2億から6億へと三倍増だ。だがあれほどの才能をすべて封印し、つまらない意味不明なことをしゃべっている。むしろ報ステのキャスターは訥弁の方がよい。古館のようにマシンガンのように言葉が溢れるひとが、「舌禍にならないように、ならないように」としゃべると、「いっぱいコトバはしゃべったけど、よく考えるとまったく中身がない」という状態になる。これはいま、多くの古館批判で一貫して言われていることだ。さっさとあんなものは辞めて元のことば藝人に戻って欲しい。



青島アナが好きなひとは、なでしこジャパン世界一を心から楽しめたことだろう。でも中には私のように、「実況は……青島か……」というひともいたはずだ。

大相撲もアナと解説によってがらりと変る。でもこちらはそれがイヤだったら、それのないのをインターネットのgooで見ることが出来る。

サッカーも、会場の歓声はそのままで、アナなし解説なしで見ることは出来るのだろうか。ともあれ、青島はごめんだ。

kanren7
フジテレビ青嶋アナの実況から青嶋アナのセックスを想像する

フジテレビダービー実況──高低差200メートルの坂



hinomaru















あ、最も大事なことを言いわすれた。
なでしこジャパン、おめでとう!
前半戦、アメリカのシュートの嵐。受けて受けて、冷や冷やした。リードされて、でも追いついて延長戦。
延長戦でリードされたときは覚悟を決めた。あそこからの同点は涙もの。
そしてPK合戦での勝利とドラマチックな世界一だった。
美しいなあ、日の丸は!

このあと、国民栄誉賞なんてくだらないものを餌にちかよってくる気持ち悪いおじさんがいるから気をつけてね。そのガラガラ声のおじさん、特別機を用意してドイツまで応援に行って、自分の人気回復に利用しようとしたんだけど、大金が掛かるし、あんたはそんなことをしてる場合じゃないだろって周囲にとめられたんだって。
  1. 2011/07/18(月) 07:30:03|
  2. 国民栄誉賞
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

池井戸潤直木賞受賞──「鉄の骨」を「徹の骨」と書く無神経

 直木賞を池井戸潤さんが受賞した。おめでとうございます。
 ちょうど去年、池井土さんの作品をまとめ読みした。図書館にある作品、ぜんぶを読んだ。感想もたっぷり書いた。同じまとめ読みでも、たとえば白石一文さんは、受賞してから全作品を読んだので後追いである。池井戸さんもその時点で二度直木賞の候補になっていたひとなので有名作家ではあったが、私としては後追いにならなかったのはうれしい。
 とにかく勉強になったのは銀行内部のことだった。慶應と法政を出て三菱銀行に勤めたエリート行員・池井戸流の企業小説である。

 ただそのとき感想文として疑問も書いている。そういう企業内部の現状を覗くような企業小説としては抜群におもしろかったが、波瀾万丈な小説の奔放さには缺けるような気がしたのだ。
 直木賞落選の選評で浅田次郎がそれに触れていた。それこそが小説の醍醐味とする浅田からすると物足りなかったのだろう。浅田の選評には毎度首を傾げていたがこのことについては同感だった。その他の委員もみな池井戸作品には辛口だった。直木賞作家になるためには場外ホームランも必要なのに池井戸さんは長打でも三塁打まで、というロングヒッターの雰囲気がなかった。

 ではなぜ今回受賞出来たかというと、私はNHKのドラマ化等の影響が大きかったように思う。ゴールデンタイムに連続ドラマとして放送された「鉄の骨」だ。(私はもちろん原作は読んでいるがテレビドラマ嫌いNHK嫌いなのでこれは見ていない。)
 つまり銓衡委員達が「まだまだだね。もうすこし様子を見ましょう」なんてふんぞりかえって言ってるうちに(昔からこのパターンは多いよ。選評を読むたびに不愉快になる)、それらの影響で池井土さんが彼らが思っている以上に知名度のあるビッグな存在になってしまったのだ。となると元々経済と営業のための賞だから急いであげねば、となる。福田和也の「作家の値うち」で船戸与一が受賞したように。
 とにかくとっちまえばこっちのものだ。よかったよかった。

------------------------------

 ところで、私がこのニュースを知ったのは以下のネットのニュースだった。ホームページにしているiGoogleにリンクされていた。

http://career.oricon.co.jp/news/89476/full/

 ここにこう書かれている。
直木賞は2度の投票が行われ、池井戸氏と島本理生氏の一騎打ちに。島本氏は芥川賞に過去3度ノミネートされ、今回は初の直木賞候補に選出。池井戸氏は『空飛ぶタイヤ』(第136回)、『徹の骨』(第142回)で2度、直木賞候補にノミネートされていた。3度目の正直で直木賞をつかんだ池井戸氏に対し、選考員の林真理子氏は「直木賞の優等生」と表現した。

tetsuひどいね「の骨」だって。誰が書いたか知らないが「鉄の骨」を読んでいれば、こんなミスはぜったいにしない。池井戸作品なんか読んだことのないヤツが書き流しているんだろうな。これじゃ「徹という名前の男の骨」になってしまう(笑)。マスコミの質の低さがよく出ている。

 林真理子ほど不愉快な銓衡委員はいないが、それはまた別の話として。

---------------

【追記】──2013/9/19

 【芸スポ萬金譚】に「半沢直樹はオレバブだったのか」を書き、そこにここをリンクしたついでに、上記の「徹の骨」を見に行ったら、まちがったままだった。反省のない世界である。
  1. 2011/07/15(金) 01:00:27|
  2. 読書
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

大震災から四ヶ月──忘れることなく

あの日から今日で四ヶ月目。
2011/3/11は永遠に忘れられない記憶だ。
あれほど緊張し苦痛に満ちた時間を過ごしたのに、時が流れれば、いまも苦しむ東北のみなさんがいるのに、いつしか怠惰な日常に戻りつつある自分がいる。
しっかり戒め、真に復興するまで、背筋を伸ばした生きかたをしよう。
  1. 2011/07/12(火) 23:56:27|
  2. 地震
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

在日朝鮮人の犯罪──考

日本における屈折した犯罪に、在日朝鮮人の割合が高いのは事実である。
在日朝鮮人の数は60万人と言われ、全体比0.5%だから、その比率はかなり高い。



しかしそれを言ったら、芸能界は100%朝鮮人に父母どちらか片方のハーフも入れたら、半分に達する。0.5%で日本の芸能界の半分だからたいへんな寡占状況である。クオーターまで入れたらどれほどになることか。部落出身者や在日朝鮮人は実力だけでのしあがれる芸能界を目ざすからでもあるが、彼らが芸能の資質にすぐれているのも真実だろう。私の友人の朝鮮人も惚れ惚れするほど歌がうまい。黒人のリズム音痴同様、朝鮮人にも音痴はいるのだろうが……。

「日本人なら大晦日は紅白歌合戦!」と言い、一方で朝鮮人を嫌悪するひとがいる。あれは滑稽だ。
錦野旦が「おれたちがいなきゃ紅白なんて出来ない」と言ったように、紅白出場歌手の半分は朝鮮人だ。
でもむろんそれでいい。朝鮮民族は芸能にすぐれているのだから。

私の言いたいのは上記のような矛盾だ。朝鮮人が嫌いだと言いつつ朝鮮人の歌に酔うのはヘン。
こういうひとは自分の好きな歌手が朝鮮人だと指摘されると顔を真っ赤にして反論してくる。自分を傷つけるための捏造だとまで言いたてる。そうじゃない。たんに無智なだけ。芸能界は朝鮮人と部落民と創価学会員がほとんどだ。
きちんと確認してから主張すればいいし、また歌を素晴らしいと思うなら民族など関係あるまい。こっちが本筋。
感覚だけで朝鮮人を嫌うこと自体がまちがっている。

私は「いいものはいい主義」なので、そういう矛盾はない。
朝鮮美人は最高にきれいだと思うし、朝鮮料理はうまいし、友人の朝鮮人は義理に厚くて大好きだ。
ただし政治的に南北朝鮮を認めることはない。



歴史的に本当に「不幸な関係」だからしょうがない。力のある国に挟まれた小国はああいう運命から逃れられない。支那を父とし、自分を長男だと自負する朝鮮が次男の日本に統合された屈辱も理解できる。

日本だってしたくてしたのではない。ロシアの南下を防ぐためにはせざるを得なかった。敵はロシアだ。
もしもロシアが朝鮮を殖民地にしていたら、その悲惨さは想像を絶するものだったろう。白人は殖民地にインフラを整備したり、教育を与えたりは絶対にしない。ひたすら差別し、虐げる。よって土着の民族は激減する。これは南米において顕著だ。ポルトガル、スペインのやったことがいかに残虐であることか。アフリカにおけるイギリス、フランス、ベルギー等も同じく。

まして自分達と同じ名を名乗らせるなんてもってのほかだ。それをしたら混血化が進んだとき、征服者、被征服者の区別がつかなくなる。それはオランダが殖民地にしていたインドネシアの実例でも解る。彼らは混血であろうとも被征服者の血が流れている者は被征服者の名を名乗り続けるよう強制した。何年経とうと区別できるように。

日本は皇国化の方針で朝鮮民族に日本名まで与えた。それがいまサヨクにより「名前という文化まで奪った。民族の誇りを奪った世界史にもない暴挙」と攻撃材料にされているのだから皮肉である。そりゃ世界史にはない。殖民地の土人に自分達と同じ名を名乗らせるなんてことをした白人国家はない。殖民地ではなく併合だからこそやった日本の政策である。

もしもあの戦争に勝っていたら(これはちょっと無理なので、勝っているときにうまく引き分けにもちこめたら)、日本の朝鮮統治における政策は世界中から絶讃されたであろう。あれだけのことをしてやっても憎まれるだけなのだから、戦争は勝たねば意味がないと痛切に思う。

日本の統治下で朝鮮民族は増えつづけている。こんな例は世界史にない。唯一だ。暗黒の李氏朝鮮王朝から朝鮮民族を解放したのは日本である。李氏朝鮮時代と日本統治時代の文盲率を比べればいい。いかに日本が善政を敷いたことか。

もっとも、その教育を与えたことが憎しみを生む智性の元になっている。その意味では支配した民族には教育を与えず、復讐の芽が育たないようにする白人の政策のほうが賢い。文盲のバカでは支配国に反感は持っても、それを理論立てたり組織化することはできない。さすが世界中から搾取してきた残虐な騎馬民族は支配の方法を知っている。世界を制覇したモンゴル帝国も制覇した国の女子供を殺しまくり盾突くものがいないようにした。にわか白人真似の日本人にはそれが出来なかった。

ロシアの殖民地にされていたら、虐待され苦しむ朝鮮民族は日本を夢の国と憧れ、ボートピープルが連続したろう。両国の関係は今とはまったくちがったものになっていた。だがロシアのそれを許していたら世界の歴史が変った。なんとしても橋頭保として朝鮮半島を統合せざるを得なかった。ただただ「歴史的不幸、地理的不幸」としか言いようがない。



本題に戻って。
朝鮮人の友人にもハッキリ言っているが、日本における悪質な犯罪に在日朝鮮人の割合が多いのは事実である。

その理由。
サヨクは「しいたげられた歴史によって」などと両国の関係を楯に取りそうだが。

私はもっと単純だと思う。
気質の差だ。
朝鮮民族が芸能、工芸、挌闘技に才能があること。肉食であること。
それは、よくいえば情熱的であり、集中力があり、目的に向かって一心不乱に邁進できることであり、悪く言えば「カッとなると何も見えなくなってしまう民族性」なのではないか。
日本における在日の犯罪も、その手のものが多い。逆上するともうとまらなくなるのだろう。

これは支那人による計画的な悪質犯罪とはまたちがっている。
支那人のことはまた別にするとして。
在日朝鮮人の犯罪を私はそう解釈している。
  1. 2011/07/12(火) 12:35:11|
  2. 朝鮮
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

佐高信の児玉清批判──安倍晋三はバカ派←カンサンジュンのこと

00mas.gif現在発売中のサンデー毎日7月17日号の連載コラムで、佐高信が故・児玉清さんをボロクソに書いている。


・児玉とはNHK.BSの読書番組で共演して知り合いだった。
・だが葬儀にはゆかなかった。

・その理由は、児玉は安倍晋三支持者だったからだ。
・安倍はタカ派ならぬバカ派。安倍を支持する児玉も同じバカ派。

・読書家と言われる児玉だが、拙著「西郷隆盛伝説」は読んでいないようだ。
・(読んでいれば安倍支持者になどなるはずがない)

・安倍は姜尚中や私(佐高信)に敵意をもっている。
・児玉はそれがわからない。
・よって児玉は、真の読書家ではない。


というものだった。

あらためて読書家・児玉さんを偲んだ。なんてすてきなひとなんだろう。
真の読書家は佐高のクソ本など読まない。
そのことによって児玉さんが真の読書家だとわかる。

もしも児玉さんが佐高の本を読んだとしても、それによって安倍支持をやめるとか、佐高支持になるとかはなかったろう。自明の理。

安倍さんは佐高やカンごときに敵意などもっていない。眼中にない。
バカサヨクによくある自信過剰、自身の過大評価だ。
このサヨク評論家は、ほんとに安倍さんに自分が意識されていると思っているのだろうか。脳内妄想では安倍さんと同等、あるいは佐高の方が上なのか(笑)。
もし安倍さんにそれがあったとしても、それは侮蔑とか蔑視のたぐいであって、敵意なんてリッパなものではないだろう。ハエやゴキブリを嫌う感情を敵意とは言わない。

サンデー毎日なぞというクソ週刊誌を読んで腹をたてるのも、たまにはいい。毎週だと躰にわるいが(笑)。

============================================

★カンサンジュンのこと


 人名にはやたら強いGoogle-IMEがカンサンジュンを変換できなかった。Google-IMEはネット上の使用歴から辞書を作ってゆく。ネットでこの名を使うひとはいないのか。「きむよな」と打つと「キム・ヨナ」「金妍児」とたちまち出るのに。カンもまだまだだな。試しに「のてう」、盧泰愚、おお、すぐ出るではないか。きむいるそん、金日成、出るよなあ。

 なんて書くと知っていたみたいだけど、私はこの地獄の底から響いてくるような気持ち悪いしゃべりかたをする朝鮮人の名前なんて知らなかった。知りたくもない。佐高が「姜尚中」と書いたとき、なんと読むのかわからなかった。
 今日これを書くとき、苗字が「生姜の姜」なのは覚えていたので、検索欄に「生姜」と記入し、「生」を消して「姜」で検索し「カンサンジュン」という読みを知った。すぐに忘れるだろう。不要な智識だ。限られた記憶枠の中にこんなものは入れておきたくない。

 Wikipediaを読むと、通名は「永野鉄男(ながのてつお)」で、大学生の時まで使っていたらしい。
 朝鮮名を名乗るようになったのはいいことだ。

 日本で起きた極悪犯罪の犯人には在日朝鮮人が多い。アサヒシンブンなどはそれを知っていても、あえて、必ず、通名で報道する。そのあと、産経新聞や『週刊新潮』等が在日であることを指摘し、朝鮮人名を報道する。毎度のこと。
 カンサンジュンがどんな事件を起こしても「永野鉄男」と日本人のように報道されることはあるまい。いやアサヒあたりは犯罪を起こした時だけ永野鉄男にするかもしれない。冗談じゃないのが怖い。

============================================

【追記】──2013年1月7日

 天国の児玉清様。
 児玉さんが願っていた、安倍総理の政権が誕生しました。
 日本の明日を、天国から見守ってください。
  1. 2011/07/12(火) 11:02:06|
  2. マスコミ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

2018年冬季オリンピックに韓国!──第二の金妍児はいるのか!?

olympic2018
















2018年冬季五輪の平昌開催が決まった韓国は7日未明、喜びに沸いた。

 KBSをはじめ韓国の全放送局は6日深夜から7日未明にかけ、特番態勢。開催地の平昌が属する江原道では春川など各地で、開催地発表を見守るイベントが開かれ、会場の大型モニターで生中継が放映された。

 地元の平昌郡は五輪会場スキージャンプ台近くにステージとテレモニターを特設。地元住民や道、郡関係者ら約2000人が集まり、モニターに見入った。

 IOCのロゲ委員長が開催地名を発表した瞬間、各地の会場では花火が上がり、紙吹雪が舞い、歓喜にあふれた。


------------------------------

 これで2020年の東京オリンピックが不利になったのはたしか。あれは五大陸持ちまわりが基本だから近場で連続はない。そして冬季オリンピック韓国開催が夏季オリンピック日本開催を不利にしたことを韓国人が大喜びするのはもっとたしか。それが日本憎しで固まっている韓国メンタリティ。
 今夜の新大久保あたりもおおいに盛りあがることだろう。



 ところで、金妍児(キムヨナ)は紛れもなく天才だけど、韓国にはそれに続くのが出現していない。日本は続いている。そのちがいはなんだ。あれは特出した個人だったのだろうか。
 金妍児は金メダル以前にもうCMにも多数出演して国民的スターになっていた。十代で億万長者だった。いわばスポーツによる韓国ドリームを成し遂げたわけで、ならもっと続くのが出なければおかしい。韓国は共産国のように国を挙げて応援するから第二第三の金妍児が出るはずなのだが……。
  1. 2011/07/07(木) 10:54:09|
  2. 朝鮮
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

江沢民死去か!?──確定? かとおもえばまた否定?──朝鮮人醜男顔

00siso.gif
江沢民前出席、死亡か? 香港テレビ「確認は取れていないが」と速報

  ウォールストリートジャーナル(中国版)、「ネットから『江』の文字が消えている」

 中国のネット上から「江」の文字が消えている。
 江は河川を著し、揚子江も、怒江、びん江、ともかく◎◎江とくれば大きい川である。豪雨、土砂崩れ、洪水が各地を襲っているため、毎日のメディアには「江」があふれているが、突如、6日あたりから消えた。

 香港のテレビは江沢民死去を速報している。「確認は取れていないが」としながらも、7月1日の中国共産党創立90周年記念行事を欠席したことに重ねている。

 この時期に江沢民が死亡したとなれば、彼の率いる上海派は分裂が必至であり、次期主席確実といわれる習近平の立場は一段と弱いものとなり、政治局面は微妙である。(「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」平成23年(2011) 7月7日(木曜日)通巻第3362号)


============================================

 総じて漢民族は嫌いだが、その中でも上下はある。こいつほど嫌いな奴はいない。指導者としての自身の無能から生じた国内問題をうまく「反日」に切り替えて己の無能をごまかし、支那人の憤懣をガス抜きした。いまの中共の若い世代の反日は江沢民の「政策」と「教育」から来ている。そもそも見ただけで気分が悪くなる顔だ。顔のもつ意味はおおきい。「顔のもつ意味」に最もこだわるのが漢民族。歴代の指導者もみなそれなりの顔をしている。なんであんな顔がトップになれたのか理解に苦しむ。嫌いだ。

 江沢民の派閥で次の主席と言われていたのが習近平。
 こいつが2009年12月14日に来日し、翌12月15日に天皇陛下との会見が行なわれた。

 支那が天皇陛下との会談を要請したのは11月26日。天皇陛下には御健康を考慮しての「1ヶ月ルール」と呼ばれる慣例が設けられている。1ヵ月以上前にご公務のスケジュールをお願いするようになっている。宮内省は「訪問まで1ヶ月を切っている」として一旦は断わる。
 次期主席を狙う習近平は「日本に行って天皇陛下と会談してきた」と箔をつけたいからごり押しする。

 慣例を破り、これを実現させたのが売国奴の小沢一郎。「1カ月ルール」に対して、あの醜い朝鮮人醜男顔で、「そんなもの誰が決めたんだ、いってみろよ、誰が決めたんだよ!」と慣例破りではないかと質問する記者団を恫喝した。
 小沢はその前、12月10日から13日まで民主党議員143人を含む600人を率いて中共に土下座に行っている。
 13日帰国、14日習近平来日、15日天皇陛下と会見。

 まさに小沢の〝剛腕〟の前に、天皇陛下が政治利用された瞬間だった。
 勝ち誇る習近平。これで次の主席に箔がついた。実現させた小沢も中共で株を上げた。小沢がその気になれば天皇陛下との閲見する自由になると。
 陛下を己の利権のために政治利用した小沢に殺したいほどの憎しみを感じた。
 陛下を守りきれない側もなさけない。

 江沢民の死が確認されたら私は乾杯する。献盃じゃない、乾杯だ。



小沢は典型的な「朝鮮人醜男顔」。
 私は「朝鮮美人」も「朝鮮美男」も大好きだ。一重瞼の瓜実顔で絹のような肌をした朝鮮美人は世界一だとすら思う。
 でもそれと同じぐらい「朝鮮醜女」「朝鮮醜男」はひどい。日本には美男美女ばかり紹介されているが、一度韓国に行って街を歩いたらいい、「これが韓流スターと同じ人種か!?」と思うぐらい醜女醜男が多い。整形してもそのレベルだ。それだけ李氏朝鮮時代に格差があり、これだけ時間が流れても未だに解消されていないということなのだろう。

 朝鮮美男顔と言えば、たとえば岩城滉一や前田日明。二十歳のころは惚れ惚れする美男だった。ところが彼らも四十五十になると、見事なほど「朝鮮人オヤジ顔」になる。不細工だ。日本人はあそこまで劣化しない。その意味でよくもわるくも、彼らは血が濃いのだろう。

============================================

【補記】──産經の速報


江沢民前国家主席が死去 今後の日中関係にも影響か2011.7.7 09:43
中国の江沢民前国家主席が6日夕、北京で死去したことが7日分かった。日中関係筋が明らかにした。84歳だった。遺体が安置されている北京市内の人民解放軍総医院(301病院)では厳戒態勢が取られ、共産党や政府、軍の要人が次々と訪れている。


 「6日夕」なのかな。本当は何日も前のような気がするが……。

------------------------------

【補記・2】──まだまだ迷走

[北京 7日 ロイター2011年 07月07日 13:43] 
中国は7日、江沢民・前国家主席が死去したとの報道を否定した。新華社が「権威ある筋」の話として伝えた。


【北京=大木聖馬】中国外務省の洪磊こうらい・副報道局長は7日の定例記者会見で、一部の海外メディアが中国の江沢民・前共産党総書記(前国家主席)が病死したと伝えたことについて、「新華社通信が関連の情報を報じているので、それを確認してほしい。新華社の報道は、この件に関して十分に説明している」と述べ、死亡説を否定した。
 新華社通信は同日、「まったくのうわさだ」とし、死亡説を否定する複数の当局者の話を伝えている。
(2011年7月7日18時26分 読売新聞)


 これからもこのニュースは続くのだろうが、私はここで打ち切る。
 とても簡単な真実事実として、江沢民が虫の息であることはまちがいない。あとは「正しい死んだ時間」の確認のみだ。
 すくなくとも江沢民がじつはとても元気で、これからも上海派を引っぱり、習近平を蔭から操るというようなことはない。乾杯でまちがいない。
  1. 2011/07/07(木) 10:27:34|
  2. 政治
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

アナログ終了まであと18日──まともに見られない

tv.gifいま「クイズヘキサゴン」をつけたら、「芸能人等の顔写真を見て、フルネームを答えるクイズ」で、問題の顔写真が出るのがちょうど画面左下のアナログ放送終了の告知とカウントダウンの日附の部分だった。つまり問題がわからない。これはひどい。
これ以外のニュース等でも、これにじゃまされて文字が読めない。そりゃ画面の9分の1だからかなりのもの。こうなるともう親切なお知らせではなく単なるイジメである。

私はしずかに24日まで、最後のアナログ放送を愉しもうと思っていたのだが、それはかなわないようだ。

------------------------------

7/7 【附記】

NHKは7日、放送中の画面に1日から表示しているアナログ放送終了の「カウントダウンスーパー」の反響を発表した。コールセンターや各放送局などに、6日までで1万7610件の問い合わせがあった。

 アナログ放送終了までの残り日数を、画面の9分の1ほどの大きさで左下に表示している。1日は問い合わせの約3割を苦情が占めたが、6日には1割5分ほどに減った。「スーパーを消して欲しい」「位置を変えて欲しい」といった声が多いという。asahi.com
  1. 2011/07/06(水) 19:22:24|
  2. 地デジ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ハイビスカスの植え替え──{咲く}は、わらう

engei.gif午後、ハイビスカスの植え替えをした。
ハイビスカスは毎年植え替えをしてやらねばならない。
そうしないと覿面に花が咲かなくなる。

やらねばと思いつつ今日まで来てしまった。
今年、花は一切咲いてない。蕾も見えない。
5月末ぐらいにやっておけば今ごろは咲きほこっていたはず。反省。

もう20年近く一緒の同居している「生き物」としては最古の友人になる。
今は亡き父母と茨城県美野里町(いまは小美玉市の美で名を残す)の園芸センターで買ったものだ。
枝は5ミリほどの太さ、高さ30センチほどの小ぶりな木だった。いまは太さ3センチほどある。剪定して60センチほどにしてあるが、ほっておいたときは1メートル30ぐらいまで伸びた。
たいせつにしてやらないと。

ホームセンターまで出かけ、腐葉土、赤玉、ひとまわり大きな鉢を買ってきた。
ヴェランダで植え替えを始める。
どんよりと曇った、陽射しのないさほど暑くもない天気だったが、その程度のことでも動くともう汗びっしょり。
伸びすぎた根を減らし、栄養一杯のあたらしい鉢に移す。水をたっぷりとやる。

これでもう大丈夫。しばらく後にはまた次々と真っ赤な花を咲かせてくれるだろう。
そのあとの水風呂が快適だった。

============================================

【補記】──「咲く」という日本の表現

漢字の本場支那では、花が咲くことは「開く」。開花することでしかない。
漢字の「咲く」の意味は「たのしくわらうこと」。口偏であることからもわかる。
日本語の「さく」に、わらうという意味の「咲く」を当てた先人の智慧がうつくしい。
花がわらうのだ。
土を替えた私のハイビスカスがわらってくれるのは何日後だろう。

kanren6

タカトシの時間ですよSPの「笑う」と「咲く」
  1. 2011/07/06(水) 17:41:45|
  2. 園芸
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

LenovoがNECを買収合併!──パソコン今昔98のころ

中国の聯想(レノボ)は、予定通り 日本のNECのPC事業の買収合併を完了し「NEC聯想日本集団」が正式に発足したと発表。
新グループは、日本のPC市場の25%のシェアを締めるグループとのこと。
新会社はレノボ51%の出資にたいし、NECが49%を出資。

http://tech.ifeng.com/it/special/lenovo-nec/content-1/detail_2011_07/05/7438462_0.shtml


------------------------------

なんだかすごいことになっている。
日本IBMが開発したノートパソコンの名機ThinkPadがLenovoに売却されたときはしみじみ落胆したものだった。
私はいまもIBMのThinkPadを使っている。売却されたのが2004年。それでも2008年までは天板のロゴに、IBM-ThinkPadから、やがてIBMの文字が取られ、ただのThinkPadになりつつも、なんとか面影が残っていた。
これ以降はLenovo ThinkPadになった。私はこれは買わない。

今の私のは2005年製で、もう売却された後の製品だが、まだIBM-ThinkPadとなっていて、キイ配置等もオリジナルのThinkPadのままだ。というか、それを確認して買ったのだが。そろそろ寿命だろう。能力的にも限界だ。さびしい。
この後またThinkPadにするかどうかは悩む。いちばん好きなノートだ。でもそれはもうIBMのあれではない。支那のLenovoだ。剛性もキイ配置も変っている。かといって中古を買うにしてももう限界だ。しかしThinkPad以上のノートはないし……。



パソコンはNEC-9800から始めた。独占企業のNECが好き放題していた時代だ。殿様商売のそれを買わされた。だってそれしかなかったから。

唯一互換機を出したEpsonはNECに苛められた。弱いものの味方の私はEpsonのパソコンを買って応援したものだ。王様のNECは傲慢だった。ほんとにイヤな企業だった。
98(キュウハチ)というと今の時代、Windows98の思い出となるのだろうか。私の場合98といえばNEC-9800のことになる。まあWindows98すら知らないひとも多いのだろうし。

時が流れてWindows時代になり、NECも多くのメーカーのひとつとなった。いわばふんぞりかえって殿様商法をしていたのが、高見から降りてきて、愛想笑いをするふつうの商人になったのだ。

私はWindows時代になってからいくつものメーカーのパソコンを買ってきた。基本はデスクトップ機自作だが、それでもノートで、東芝(Dynabook)、富士通(FMV)、ソニー(Vaio)、シャープ(Mebius)、IBM(ThinkPad)、Dell(Inspiron)と買っている。それでも、デスクトップでもノートでもNECだけは買っていない。威張り散らしていたあの時代を知っているだけに、どうにも好意的になれないメーカーだった。
いや正直に言えば、独占的王様企業から単なるふつうのWindowsパソコンメーカーに成り下がったことを、ざまあみろと思っていた。驕れるものひさしからずだ。

しかしさらにその前を言うなら、私がこどものころのNECというのは弱小電機メーカーで、松下、東芝、日立などの一流メーカーより格下の安物製品を売る三流企業だった。テレビなどもそれらのメーカーと比べると格安だった。パソコンで一発当てて殿様に成り上がったのだ。



支那のLenovoに日本のNECが買収合併された。
日本人として複雑な思いはする。口惜しくもある。
ただNECというメーカーにはなんの興味もない。これからも買わないし、どうでもいいことではある。
  1. 2011/07/05(火) 18:48:35|
  2. パソコン
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

インターネット制限解除──8日坊主←松本龍と同じ(笑)

インターネット制限をやめた。8日坊主。

私はタバコをやめると決めたら一日三箱喫っていたのをキッチリやめた。その後25年間、今に至るまで一度も喫っていない。いつしか煙を受けつけなくなり、外国でマリファナを勧められても、気持ちよくなる以前に煙を躰に入れることに抵抗があり拒んでしまう。だから私はマリファナを喫ったことは何度かあるのだが、その魅力を語る資格がない。オランダでは解禁されているから、アムステルダムではみな喫茶店で喫っている。勧められたけど、煙嫌いとなった私にはマリファナもタバコも同じようなものだった。

父が肝臓を患ったときは願掛けで2年間禁酒した。その間もみんなとの酒席には常につきあい、一滴も飲まないが割り勘で払った。目の前に大好きな酒があり、みんなが愉しそうに飲んでいても平気だった。それがつらくてそういう場を避けたのでは禁酒の意味がない。そう考えていた。
とまあ意志の強いことをアピールした上で。



インターネットをタバコのようにやめると思っていたわけではないから8日坊主を恥じることもないのだが……。
私はパソコンで文章を書きつつ、ちょいちょい横にそれて遊びに行くのが好きだ。BGMを流しているのは長年の習慣なので、音楽を聴くのは当然としても、その他にも思いつきでブログを書いたりツイートしたり、メールしたり、新聞のサイトを読みに言ったりが癖になっていた。インターネットを切るとそれらができない。自分のパソコン作業にとって常時接続がいかに大きいかを思い知った。30分作業して5分遊びに行くというようなことを繰り返しているから10時間向かっていても平気なのであって、それができないとなると2時間でもつらくなってきた。それで図書館に出かけることにした。私のノートはフルノートなので、この梅雨の時期にそれを持って通うのは重くてたいへんだ。でもがんばって通った。だけどそれならなんで接続しないで我慢してるのって話になるけど(笑)。

図書館での一日数時間の限定接続を愉しんでいた。限られたその接続は愉しかったが、そのことによってよけいに帰宅後の自室での作業や、さわやかな夏の早朝作業にインターネットがないのはつらいと知る。



今日、あの不愉快な松本復興相というのが辞任する話題があった。私はあいつは菅と同じように大臣の椅子にしがみついて辞めないと思っていたので意外だった。テレビじゃ物足りない。もうしょうがないと腰を据えてネットに繋いだ。情報を集め、早速ツイートし、ここにも書きこんだ。なんかうれしかった(笑)。そのときの私の表情は活き活きしていたにちがいない。

禁煙に関して最もよく引用されるのがマーク・トウェインの「煙草をやめるなんてとても簡単なことだ。私は百回以上も禁煙している」だろう。私は一度決めたらそのままだったから、この「禁煙をやめる楽しみ」を知らない。禁酒も父の健康にひと区切り着いたからまた飲み始めただけで、そのことにべつに感動があったわけでもない。
今回、「しばらくやめると宣言したインターネットをたった8日でまた始める」という恥ずかしさと快感を味わった。



たった8日間の「自室でインターネットを使わない生活」だったが新鮮だった。
なにより再開した今のよろこびが大きい。
これはこれでたのしい経験だった。

------------------------------

ここのところずっとDavid Lanzのピアノを聴いている。
同じ音楽なのにインターネットが繋がっていると、昨日より心に響いてくる(笑)。

frontal

















------------------------------

【補記】──松本の任期とインターネット制限

 松本が復興相に就任したのは6月27日。私が思いきってインターネット常時接続をやめた日だ。これは偶然。
 松本が辞任したのが7月5日の朝。9日間の大臣だった。
 その松本辞任のことを調べたくて、私がインターネット常時接続を再開したのは7月5日の朝。これは必然。

 後々松本龍という線香花火的政治家のことを思い出すことがあったら(ないけど)、その就任期間は私がインターネットを我慢した日とシンクロしていたと思うことだろう。
  1. 2011/07/05(火) 12:08:03|
  2. インターネット
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

松本復興相辞任!──「よかったわね」のテレビ東京画面←テレビ北海道

松本復興相が辞任した。あれほどひとを不快にする輩もめったにいない。やめて当然だ。なにしろこの国では、「朝鮮には迷惑も掛けたが、いいこともした」と、ごく簡明な真実を言っただけで辞任に追いこまれる。
松本がどれほど無礼な発言を繰り返したことか。なのに松本に反省はなかった。今回も周囲から追いこまれたからしかたなく、だ。それこそ内輪の連中には「たかがこんなことで辞めねばならない日本はくだらん!」なんて居直っていることだろう。

松本は乱暴な物言いを自分のキャラクターとしてごまかそうとしたようだが、それは無理。国の大臣である自分は地方の知事よりも格上という権力意慾が見えすぎていた。その辺の人品骨柄はごまかせない。慇懃無礼ではなく、こざっぱりとした九州男児路線を演じたかったようだが、ただの傲慢無礼に過ぎなかった。麻生太郎の乱暴さとは異なっていた。麻生は名血だが、それを問われると「血筋はいいが育ちが悪い」と笑った。そのカラっとした部分が松本にはない。乱暴な言葉遣いと、宮城県知事の1分36秒の遅れを長幼の序を知らないのかと言って責める姿勢はネチネチしていて、ちっとも九州男児じゃなかった。(後にこれは時間通りの入室で知事は遅れていないと判明。)
いやな雰囲気の政治家は多いが、その中でも稀に見る不愉快な日本人だった。



フォローしているツイッターから「テレビ東京がGJ!!」と知る。
韓国テレビドラマの字幕と松本辞任のニュース速報が奇蹟的なコラボとなったようだ。笑える。
手を取りあっての「よかったわね」が抜群だ。


tv12





テレビ東京は朝から韓国テレビを流しているのかとおどろいた。
が、確認して語らねばと番組表を見る。すると、ない。
系列局を探してテレビ北海道だと知る。これ、けっこう大事なことだ。このままだと「テレビ東京の映像」で確定してしまう。これはテレビ東京ではない。系列のテレビ北海道だ。テレビ東京はこの時間、韓国ドラマは放送していない。それはテレ東好き(笑)として、しっかり主張しておきたい。

このテレビ北海道という局、番組表を見ると、朝から韓国ドラマのオンパレード。朝など帯で流している。気味が悪い。どこの国のテレビ局なのだ。


tvhakkaido






こんなテレビ局のある地域には住みたくない。
北海道は、歴史が浅いからか赤いのが多い。北海道新聞を読んでいると吐き気がする。
「一番住んでみたい町──函館」なんてアンケートを見ると、しみじみバカが多いと呆れる。もっともこういうことは「誰に訊いたか」が大事。ほとんどバカ女なのだろうが。
道民を敵にまわすつもりもないので、故・中川昭一さんみたいに立派な人もいるけれど、とフォロー。

============================================

【附記】──松本龍の出自

 私はこの下衆な男に興味がなかったので大震災以降に要職に就くまで名前も顔も知らなかった。
 いま始めて経歴を知ったのだが、これも仙谷と同じく社会党出身なんだね。そこから民主党へと移った。仙谷と同じ道筋だ。いろんなカスがいる。

 祖父は福岡の部落民であり、部落解放運動の父と呼ばれたひと。生涯独身で甥を養子に迎えて、松本はその子になる。松本は部落民だという意見に対し、父が養子ということから無関係だろうという反論があった。松本の父は祖父の甥であり、部外者ではなく松本一族なのだから、松本は部落民とすなおに解釈するのが自然だろう。
 部落出身者が活躍するのは文学界や芸能界だけかと思っていたら、野中広務とかこの松本のように政治家にも意外にいるのだと知る。もっともっといるんだろうな。
 それを考えると、九州出身で、乱暴な口のきき方だが、麻生とはちがうことがよくわかる。麻生は本物の苦労知らずのお坊ちゃんだから、下々の生活のことなど知らない。時にガサツだが罪がない。
 松本は出自からして劣等感が大きいから自分を大きく見せようとする。空威張りが見えている。小心者が演じる豪放磊落そのものだ。

 出自とは関係なく。
 松本は辞任するにあたり自分を、「粗にして野だが卑にあらず」と、元国鉄総裁・石田禮助のことばを引いた。いやあ「粗にして野で卑ですよ」。三拍子揃ってます。日本国民すべてが太鼓判押しますよ。短い時間テレビに映って、あれだけひとを不快にする発言を連発するのは、それはそれで才能です。たいしたもんだ。逆の意味で。

-------------------------------

【附記・2】──金持ちの傲慢さ

 松本の傲慢さを見て、仙谷といい、社会党の連中はみなこんなふうに自信過剰で傲慢なのかと思った。
 仙谷の小沢に対する自信はわかる。仙谷はすんなりと東大に入り司法試験に受かった。順風満帆だ。小沢は東大に行きたかったのに二浪しても入れずしかたなく慶應に入った。司法試験を目ざしていたが合格できなかった。そこに父の死があり世襲の政治家となった。
 政治家としての力量はともかく、仙谷が小沢に対して男として優越感をもって接するのは理解できる。仙谷は自分の能力に自信満々なのだ。本人が思っているほどではないと思うが(笑)。
 松本もソレなのかと思った。ところが経歴的にはそうでもないようだ。三浪しての中央大である。ならあのふてぶてしさはどこから来るのだろう。

 いまWikipediaを読んでこんなことを知った。

《2008年度の国会議員の所得公開で国会議員でトップの8億4366万円の所得》

 あ、なるほど、そういうことか。

 国会議員に対して、「ろくな仕事もしないくせに高い金を取りやがって」と、新幹線にただで乗れるとか、そんなことを取りあげて批判する人がいる。ワイドショーなんかでもそれを取りあげ、会場のバカ女が「えーっ!」なんて声を上げたりしている。それはまちがいだ。
 国会議員は本気でやれば激務だ。ひとを動かし情報を得るためにも金が必要だ。歳費しか収入のない議員が年収3000万程度でやるとしたら、とてもじゃないが足りない。動きが取れず、なにも出来ない。たいへんな仕事だ。
 なにをするにも先立つものは金だ。だから、そのために、権力を利用して賄賂をとろうとしたりするのが出る。有能なのに金がなくて身動きできないのもいるのだ。するとどうしても資金集めパーティを中心に考えたり、資金を提供してくれる企業主に腰が低くなる。ある種の卑屈だ。地盤看板かばんのかばんのないのはこの種の悪に身を染めて堕落して行く。

 松本はこれだけ金がある国会議員なんだもの、そりゃあ態度もでかいわ。あいつの上から目線はどこから来ているのだと不思議でならなかったが、背景は金だとわかって納得した。



 部落解放の父と言われた祖父がすでに松本組という土建屋をやっていた。父親が継ぎ、今は松本の弟が継いでいる。弟が土建屋社長で、兄が国会議員なら、これはうまい。地元の公共事業のうまい汁、吸い放題。松本がどういう役職でこれほどの高収入を得ているのか知らないが、あいつの傲慢無礼な態度は、「金のある土建屋の自信」だったのだ。なるほど納得。たしかに、典型的なそれである。下衆である部分もよくわかった。
 そして「金持ちの土建屋」なら自民党に決まっているのに、出自から社会党。根性も捩れるはずである。
 松本の妙な強気と、一転しての弱さ。しがらみからは抜けだせないことがよく解る。
  1. 2011/07/05(火) 11:40:32|
  2. 政治
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

図書館話──キイボード打鍵音

 図書館で書いている。今日は18時閉館。もう17時を過ぎた。急いで打とう。

 パソコン席。隣にやたら打鍵音の大きいオヤジが来ていやになってしまった。いま、離れた静かな席に移った。やっと落ちつける。

 そんなことすら我慢できない私に問題がある。会社勤めでそんなことを気にしていたらやってゆけない。それはわかってるいる。私なりに努力はした。こんな時のためにと用意してあるカナル型イヤフォン(これもそのために買ったのだった)を装着し、ハードディスク内のクラシック音楽を聞いて音消しをする。しかしGriegのPeer Gyntを聞いていても、その隙間にオヤジの「カタカタ、カタ! カタ!」という音が忍びこんできて不快に変りはない。隙間のないジャズでも聴けばいいのだがColtraneという気分でもない。無理に耐える必要もあるまいと移動した。



 さて、パソコン打鍵の音なんてのは、ひとそれぞれの癖であり、そんなことが気になるという私はつまらんことに難癖をつけている神経質な男のようだが──まあそれはそのとおりだと認めてもいいけれど──毎度思うのは、打鍵音の異様におおきいひとというのはなんかへんなのである。だってまともに打っていればあんなに大きな音はしないのだ。

 前記「カタカタ、カタ! カタ!」と書いたけど、これはかなり正確な描写になる。そのオヤジは一応ブラインドタッチ風にキイボードに両手を置いていたが、盗み見ると、実質片手2本指、合計4本指打法ぐらいのようだった。そしてなぜか打鍵音の高いひとというのは、みな一様に腕を組んでパソコンを睨みつけていて、突如激しい打鍵音で打ち始めるのである。アクションつきなのだ。情熱的な画家がキャンバスを睨みつけて構想を練り、いきなり、ひらめいた!とばかりに絵の具を叩きつけるがごとくだ。

 不必要に強い力でキイボードを叩き、その打鍵音ですらうるさくてたまらないのだが、最後のあたりは、今で言う「ドヤ顔」で、「どんなもんだ!」とばかりに、「カタ! カタ! カタカタ!」と一際高い打鍵音で結ぶのである。いったいどんな名文が仕上がったのだろう。そして鼻息荒く腕を組んでディスプレイを睨みつけたりしている。打鍵音が高いというのは、それだけ激昂しやすいタイプでもあるのだろう。しかしなあ……。



 踊りのような藝事から木工品の技術者まで、なにごとも習熟し技術が高まれば無駄な動きがなくなる。速いフレーズを弾いているのにそうは見えず「Slow Hand」と称されたクラプトンのギターテクなどもそれに入るだろう。へたくそなギタリストほど指の動きは大きい。
 自慢するほどでもないが私の打鍵もほとんど無音である。キイボードの上を指が滑るように動く。キイには軽く触れるだけでいいのだ。打鍵音が高いとはキイボードから不必要に指を高く離して叩きつけているからだ。つまり無駄な動きが多い。

 この顕著な例は手のちいさな小学生だ。図書館のデスクトップ機を借りて何事かやっている小学生達の打鍵は一様にうるさい。手がまだちいさくてブラインドタッチに適していないから、どうしてもひとつひとつのモーションが大きくなる。やがて慣れて行き、手が大きくなれば彼らは静かになる。だが先程のようなオヤジは、このままずっと傍迷惑な高い打鍵音でやってゆくのだろう。なぜならそれは彼らの流儀だからだ。多分彼らは打鍵音の高さが他人を不快にさせているとは気づいていない。すなわち「高い音をさせて打ってこそパソコン」と思っている。いくら強く打っても無音のキイボードがあったら、きっと彼らは「物足りない」と言うだろう。

 今回も無音の私が使っているのは旧い型のもので、彼の方が新型のノートパソコンだった。彼が私のパソコンを使ったなら満足の行く高い音がするだろう。私が彼のを使ったらそれこそ完全無音になる。

 立ち小便の好きなひとがいる。すぐちかくにトイレがあっても外でしたがる。そういうひとが言うことにゃ、トタン板の上なんかにジョボジョボと大きな音をさせながらするのが最高の快感なのだとか。異様にパソコン打鍵音の高いひとというのはこんなタイプなのだろう。

 さて閉館時間がちかづいてきた。急いでアップしよう。インターネット制限の生活もたいへんである。 

------------------------------

★競馬ファンのSへ。クラシック音楽の名曲「Grieg作曲のPeer Gynt」からペールギュントという馬名はつけられたのですよ。覚えておいてね。というかぜひ聴いて好きになって欲しい。 
  1. 2011/07/03(日) 17:49:42|
  2. パソコン
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

地デジまでカウントダウン

今朝テレビを点けると画面左下に大きく「地デジ放送開始まであと23日」と出ていた。
みのもんたの番組だった。
番組独自のものかと思ったがチャンネルを替えてみると他局も同じだった。7月から始まった新企劃(笑)らしい。
すでに地デジ対応テレビにしてしまったひとは、この新企劃を見られないのか。もったいない。

今までも上下のラインでしつこく警告されていたのに、これからは左下で数字のカウントダウンが始まるらしい。かなりおおきい。画面4分の1よりはちいさいが、6分の1ぐらいはあるだろう。
(後日註・よくみて計算したら画面の9分の1でした。)

一応半透明になっているので元画面はなんとか透けて見えるが、この大きな数字はじゃまだ。なにより興をそがれる。充分にもうわかっているこちらとしては、いいかげんにしてくれという気分。

世の中にはビデオ予約すらできないひとがいっぱいいるみたいだし、お年寄りにはこれぐらいしつこくやらないと、いきなりテレビが映らなくなったとパニックになるひともいるのだろう。
でもなんかそういう「親切」「心配り」というよりは、「やるだけのことはやったもんね。ずいぶんと前から充分にやったもんね。それでも対処しないひとが悪いんだもんね」という、トラブルが起きたときの「役所仕事の逃げ」を感じるが。

実際これだけしつこくやっているのに、24日に「いきなりテレビが映らなくなった、どうしたんだ、なにが起きたんだ」と抗議するひともいるんだろうな。とにかく信じがたいクレーマーがいるのは事実だから、その点で上記の「役所仕事の逃げ」もわかる。
まあここまで来ると気狂いの類だ。クレーマーなんて横文字つかわなくても気狂いとかバカでいいんだけどな。

7月23日で残り1日となり、24日になるとテレビ放送は映らなくなる。私のテレビはDVDやビデオ再生、PS2やWiiのゲーム画面専用機械になるわけだ。待ち遠しい。

------------------------------

といいつつデスクトップ機用PCI接続地デジチューナーの値段調べをしている矛盾。

============================================

★7/2補記

 左下の「カウントダウン数字」は画面の9分の1と確認できたので直しました。
 アナログテレビで映像が見られなくなるのは7月24日の正午のようです。

 NHK二局と民放では画面左下の表示が異なり、NHKは白抜き数字なので画面が見やすく、というか、なんとか我慢できて見られますが、民放のは太字のでっかい数字なので、番組に流れるテロップもかぶってしまい見えません。ひどい状態です。
いずれにせよ、上下の注意に1割ずつ取られて8割になった画面が、さらに6分1取られて、でっかい文字と数字が表示されるので、とても心安らかに見られる状態ではありません。私はテレビ嫌いだからどうでもいいけど、もしも金銭的な都合かなんかでまだ切り替えてなくて、テレビが大好きなひとだとしたら、この状況はきついでしょうね。そんなひといないか。
  1. 2011/07/01(金) 16:48:42|
  2. テレビ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

プロフィール

fc2moneslife

Author:fc2moneslife
2001年に始めたサイトMone's World--http://monetimes.
web.fc2.com/の出張版ブログ【木屑鈔】Boku-setsu-shouです。
2005年からやっていたライブドアブログから引っ越してきました。
FC2のサイトは2007年から利用させてもらっていました。これでやっとサイトもブログもFC2で統一です。
メールは、moneslife2000
@kpe.biglobe.ne.jpまで。

最新記事

カテゴリ

未分類 (0)
大相撲 (32)
落語 (6)
生活 (85)
パソコン (78)
ことば (41)
読書 (29)
音楽 (50)
政治 (200)
テレビ (27)
インターネット (91)
漢字 (6)
オリンピック (11)
マスコミ (46)
NHK (2)
プロレス (6)
世相 (91)
総理大臣 (7)
映画 (21)
スポーツ (8)
園芸 (3)
将棋 (71)
Jazz (7)
競馬 (20)
芸能 (32)
旅行 (10)
格闘技 (4)
漫画 (14)
橋下徹 (16)
タバコ (4)
Rock (2)
中共 (11)
宗教 (9)
週刊誌 (7)
皇室 (9)
地震 (39)
台湾 (5)
石原慎太郎 (10)
CM (2)
きっこ (23)
地デジ (7)
朝鮮 (23)
国民栄誉賞 (2)
ツイッター (8)
女子サッカー (1)
野田聖子 (9)
訃報 (10)
ブログ (11)
飲食 (11)
電王戦 (2)
竹島 (9)
靖國神社 (6)
デヴィ夫人 (6)
酒 (4)
節電 (1)
ホッピー (5)
小沢一郎 (9)
Windows8 (2)
たかじん (5)
島耕作 (1)
物品 (3)
テレサ・テン (2)
選挙 (8)
佐川急便 (8)
猫 (1)
白川道 (1)
サヨク (14)
麻雀 (1)
郵便 (1)
通販 (1)
Asus Memopad (1)
文章 (2)
携帯電話 (1)

月別アーカイブ

カテゴリ別記事一覧

検索フォーム

リンク

このブログをリンクに追加する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。