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ブラウザ変遷=Google Chrome→SRwear IRON→Chrome Plus!

 いくつものブラウザを使ってきた。もちろん最初はInternetExplorerとNetscapeだった。それしかなかった。

 私はそのあとNetcaptorでタブブラウザを体験する。以降ずっとタブブラウザを愛用してきた。IEはもう15年以上使ったことがない。昨今IEもタブブラウザになったそうだが。



 2008年9月にβ版が発表されたGoogle Chromeは、その後着実に支持者を増やしてきた。やがてChrome系と呼ばれるブラウザも、いくつか登場するようになった。

 その中から私はドイツ製のSRware Ironを愛用していた。

 ここにきてまたあらたにChromePlus!を知った。

 これにはGoogleのWebkitエンジンからIEのTridentエンジンに切り替えることが出来る拡張機能がある。世の中にはまだまだIEでなければダメなソフト、サイトもあるから、役立つ機能だ。

 Chromeの機能とIEの融通さをもっているのが便利なので、ここのところメインブラウザはこれになっている。

  1. 2010/02/26(金) 08:01:21|
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Jessica Jay{Broken Hearted Woman}--中島みゆき「ルージュ」-王菲「容易受傷的女人 」-吹きぬける感傷



 1990年代にタイを旅した人なら、Jessica Jayの「Broken Hearted Woman」は忘れられない曲だろう。前代未聞というか、すさまじいヒットだった。大都市から片田舎まで、どこに行っても、どんなところでも流れていた。タイ語のVersionも続々と発売された。

 私はこのころ、一ヵ月契約で借りたレンタカーで、北部のチェンコン、チェンカム方面を走っていた。タイの田舎のドライヴ旅行は楽しい。どこに行ってもこの曲ばかりなので、躰に染み着いたような気がしたものだった。聴く音楽はカーステレオから流す持参したカセットテープだった。厳選して選んだものだ。現地でもだいぶ買い足していた。でも食堂や旅社のテレビ等、どこからでもこの曲が流れて来るものだから、いつしか覚えてしまい、知らず知らずのうちに口ずさんでいる自分に気づいて苦笑したりした。

 いま、なぜか当時のことを思い出し、「Thai Music」と分類されているフォルダを開いて聞いている。タイの音楽を聴くこともほとんどなくなった。ひさしぶりにPCから流していると、一気にあのころにタイムスリップする。なつかしい。音楽の力は偉大だ。



 シンガポールのジェシカ・ジェイが歌い、ダンスナンバーとして東南アジアを席巻した。各国で自国語のカバーが発売された。





 本歌は中島みゆきの「ルージュ」。ちあきなおみ用に提供したものだ。本人はアルバム「おかえりなさい」で歌っている。そういう漠然とした知識も「おかえりなさい」も持っているが、さすがにもう年代はいいかげん。いま調べたら、ちあきに提供したのが1977年、中島のアルバムは1979年とか。





 ちあきの歌はヒットしなかった。この歌を有名にしたのは中国語でカバーしたフェイ・ウォン(王菲)がヒットさせたからだった。タイトルは「容易受傷的女人」。

 中島の唄い方は、いつも通り地味で暗い。まあこのころは女の怨念のような歌を得意にしていた時代だ。ユーミンが明で中島は暗だった。

 フェイ・ウォンは女の情感をしっとりゆっくり歌いあげている。アジアでヒットしたのがよく分かる。
 聞くところによると、意外にちあきは軽く歌っているのだとか。未聴。



 すべての賞讃はこの曲を作った中島に捧げられるべきだが、この一見地味でおとなしい曲の起伏に富んだメロディに着目し、ダンスナンバーに仕上げたジェシカ・ジェイのスタッフも讃えられるだろう。



 ところで、ジェシカ・ジェイって何ものなのだろう。まったく知らない。血統的にどうなのか。父母は何人なのか。国籍はどこなのか。オリジナルの髪は何色なのか。

{Youtube}に動画はいくつかあるのに、その種の情報はない。彼女の作品で感じるのは、スタッフのアレンジのうまさ、商売上手という点であり、歌手としての彼女に魅力を感じないのでどうでもいいが。



 アルバム{Broken Hearted Woman}には、その他、郷ひろみの「哀愁のカサブランカ」、喜納昌吉の「花」もダンスナンバーにアレンジされて収められている。



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 四月のような風が吹いたので、ふとかつて旅した地域に思いを馳せた。またドライヴしたい。そう、「行ってみたい」ではない。また「ドライヴしたい」のだ。常夏のタイの田舎を、窓を全開にして走るのは楽しい。あの熱い風こそがタイだ。

 チェンカムの村外れ、粗末な服を着た少女が、ちいさなラジカセから流れる{Broken Hearted Woman}に合わせて踊っていた。
  1. 2010/02/26(金) 07:37:28|
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フィギュアスケートのTake5

 女子フィギュアスケートを見ていたら、ベルギーのピエマンという選手が音楽に「Take5」を使っていた。

 昨夜の「R1」で麒麟の川島がネタのBGMに使っていたのが印象的だったので連日である。

 デイブ・ブルーベックが大ヒットさせたこの曲(作曲はボール・デスモンド)は、4分の5拍子の曲として最も有名な曲だろう。

 だけど4分の5拍子は変調子だ。4分の3拍子と4分の2拍子が交互に出て来ると解釈した方がわかりやすい。慣れればそれはそれで奇妙な快感があるがスケートにどうなのだろう。すなおにワルツか4拍子にしたほうがすべりやすいのではないかとよけいな心配をしてしまった。

 いよいよキムヨナと浅田の対決だ。同い年の宿命のライバル。私もやっとオリンピックに参加できた。



 【芸スポ萬金譚】
  1. 2010/02/24(水) 11:44:09|
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神戸のロックカフェ.7──最強牝馬Zenyyatta、テリー・リードを聴く

 いまアメリカでは牡馬勝りの最強牝馬2頭が話題になっている。そのうちの1頭ゼニヤッタ(Zenyyatta)は、14戦全勝内G1-8勝現在G1-4連勝中。昨秋はブリーダーズカップ設立26年目で初のクラシックの牝馬優勝を成し遂げた。獲得賞金は4億。日本のウオッカは13億。いかに日本の賞金が高いことか。ブリーダーズカップも26回か。鳴り物入りで始まった第1回がつい昨日のような気がする。

 ゼニヤッタと聞けば誰もが反射的に思い出すのはPoliceのアルバム「ゼニヤッタモンダッタ」。1980年。来日会見で、記者がスティングに「どんな意味ですか?」と聞いたら、「キミらの方が知ってるだろ」と応えて爆笑になった。そのままの日本語だ。

 この馬名はそれからとっている。それだけなら命名した馬主や関係者がPoliceファン、音楽ファンだという話でしかないが、なんとオーナーであり名付け親はPoliceのプロデューサーだったジェリー・モス。A&Mの創設者なのだ。本物である。

 Policeをプロデュースして成功したことも、友人とふたりの頭文字を社名にして始めたレコード会社が世界的なものに成長したこともうらやましいとは思わないが、この歴史的最強牝馬Zenyyattaのオーナーであることには羨望の眼差し。うらやましくて涎が垂れる。「一国の首相になるよりダービー馬のオーナーになる方が難しいとチャーチルが言った」というのはガセだが、それぐらい最強馬のオーナーになるのは確率が低い。馬主を50年、親子二代で70年やってもダービー馬のオーナーになれないのに、昨年のロジユニヴァースのオーナーのように、馬主を始めて初年度に持った馬がダービーを勝つ人もいる。

 最強馬によくあるパターンでZenyyattaも安馬。ゼニに明かして買った高額馬が活躍したのではない。運のある人はなにをやっても運があるのだなと溜め息が出る。

 というわけで神戸のSさんの影響で続いているささやかなマイブームはまだ継続中。私はもう何年も「歌」を聞いていなかったから私にとってはかなりの珍現象になる。現在のBGMはもちろんPolice。「ゼニヤッタモンダッタ」。私もずいぶんと馬券にゼニヤッタモンダッタ。



 毎週金曜日に友人のYさんと馴染みの店で飲み、共通の趣味である競馬の予想もするのであろうSさんは、そのあとふたりで「ロックカフェ」に寄る習慣が出来たようだ。もうすっかり常連。ロック通。

 先々週は、私がこの「神戸のロックカフェ」で取りあげたアルバムからリクエストしようと思い、ディランの「Desire」をお願いしたとか。とてもよかったとメールをくれた。
 以下は昨日くれたメール。先週の話。





 四字熟語やってみました。『暴走師匠』と出ました(笑)。一字離すと『帰宅宣言』でした。面白いですね。

 先週の金曜日は、ロックカフェでテリー・リードという人のレコードを聴きました。Y が「おすすめありますか」と聞いて、どんなのが好きか訊ねられ、「ジョンメレンキャンプやブルーススプリングスティーンが好きなんです」と答えると出してくれたものです。カッコよかったです。




 「四字熟語」とは下記にある「四字熟語メーカー」のこと。

 う~む、テリー・リードか。渋い。早速聞いている。ひさしぶりだなあ。
 このひとの「ベストアルバム」ってなにになるのだろう。よくわからない。
 検索したらこんなサイトがあった。詳しい。すばらしい。世の中にはすごいひとがいっぱいいる。

気になるRINGO

 その中の一節。
《1980年代にはセッションミュージシャンとしてドン・ヘンリー、ジャクソン・ブラウン、およびボニー・レイット等と仕事をしています。 》
 みんな大好きなミュージシャンだけど、たとえばボニーのアルバムに参加したりしているのだろうか。ライブのときセッションしているだけでそれは関係ないのか? ボニーのアルバムはぜんぶ聞いているけど、ボニーしか興味がないので参加ミュージシャンを知らない。ドン・ヘンリーはソロアルバムを持っていない。イーグルスとしてしか知らないことになる。その理由は彼の政治活動。まこと思想とはやっかいなものだ。でもSさんから刺激を受けてひさしぶりにテリー・リードを聞いたのだから、ここはドン・ヘンリーのソロアルバムも聞いて、テリー・リードが関わっているのか確認してみよう。もっともヘンリーはドラマーである以上にヴォーカリストだ。同じヴォーカリストのテリーを必要としないように思うがどうか。それともハモっているのか。
 いま聞いているのは{Seed of Memory}という1973年のアルバム。ホーンがいい。テリー・リードはいま60歳か、するとこのときは27歳。さすがに若い。私もこのころはこんな髪形だった(笑)。
 Sさんが次ぎに刺激を与えてくれるミュージシャン名は誰だろう。それまで私のマイブーム勃起は持続するのか。
  1. 2010/02/23(火) 14:24:20|
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神戸のロックカフェ.6──餘裕の経営


 Sさんの話に刺激を受けてしばらく遠ざかっていたロックを聴くマイブームはまだ継続中。現在BGMはニール・ヤングの「ハーベスト」。学生時代の思い出の一枚。全曲名曲。掛け値なしの歴史的名盤である。「ハート・オブ・ゴールド」はディランとはちがうマウスハープの形を作った。ギター自慢がよく「ダメージダン」を弾いていたものだ。

 神戸で整骨院を経営するSさんは、前から気になっていた「ロックカフェ」に入ってみた。そこで気さくなマスターと知りあう。(「神戸のロックカフェ」1~5)
 近所にそんないい店があるなんてうらやましいです。とSさんにメールを書いた。Sさんはそれまでの状況を詳しく教えてくれた。
 Sさんからのメール

 ロックカフェは最寄りの駅前通りの2階にあって、小奇麗だけれど賑わっている気配はなく、下を通るたびに気になっていました。僕は毎週金曜日にその駅の近くの安い店で友人と飲むのですが、いつも行く焼き鳥屋が満席で、それではということで、思い切ってこの店に飛び込みました。下にチャージ料なしと書いていたので、一、二杯飲むだけなら二人で3,000円あれば足りるだろうと。

 暗い中大きな音でハードロックが流れている店を想像していたのですが、中は静かな喫茶店のような感じでした。そこに六十代くらいの白髪で革ジャンを着たおじさんと、若い美人の女の人がいました。他に誰もいなかったので最初は落ち着きませんでしたが、二人とも接客がすごく丁寧で、楽しく過ごせました。

 ブログに書いたLP2枚(註・ジョニー・クーガー。ミッシェル・ポルナレフ)を聴いて、ビリージョエルのレーザーディスクを見ました。
 最初に僕がコロナビール、友人がギネスビール。つまみがフィッシュ&チップス、おつまみ3種。次に僕がコロナをもう一本、友人がジントニック。すると店の女性が「カクテル勉強中なので100円でいいです。感想を聞かせてください」と言ってきました(もちろんちゃんとしたものが出てきました)。ならばもう一杯と、僕がジンリッキーで友人がサイドカー。

 これでいくらだったと思いますか?二人で1,500円でした。ビールも含めてドリンクを100円で計算してくれたみたいです。「えっ、いいんですか?」と言うと、「勉強中ですから」と女性。マスターにも「おいしかったんで普通にとってください」と言うと、「いえいえ。また勉強させてください」。途中で来てすぐ帰った中年カップルは、カクテルを一杯ずつ飲み、200円でした。
 帰りは女性が下まで見送ってくれました。そのとき聞くと、勉強中というものの、もう開店して2年経つということでした。(註・後日、最近喫茶店からバーにリニューアルしたと判明。)

 この話をうちの利用者(註・Sさんの整骨院の患者さん)の人にすると、そこはもともと何十年もやっていたレコード屋だったと教えてくれました。当時その人が「ふきのとう」というフォークソングのアルバムを探していると、マスターが、だったらこれも好きじゃないかなと、別の歌手のアルバムをくれたりしていたそうです。長年の商売の成果なのか、それほど目先の採算にこだわらなくていいようです。

 また近々行ってみたいと思います。帰りにマスターが「今日は他に人がいて言えませんでしたけど、ポルナレフのすごい話がありますから」と言ってましたし。まあたぶん聞いてもどこがすごいが僕は全然ピンとこないでしょうけど(笑)。


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 なるほど、趣味的な餘裕の経営なのですね。しかしマイナーなフォークの「ふきのとう」まで知っているとは幅が広い。元レコード屋で納得です。さすがですね。これがロックバカの経営するカフェだったら排他的になるので、こんないい味は出ないように思います。ジャズやクラシックの話も出来そうです。私はますます行きたくなりました。神戸宝塚方面に行くとしたら、桜花賞、宝塚記念、JCD……、そのうち行けそうです。
  1. 2010/02/23(火) 12:26:54|
  2. 音楽
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映画「ザ・ビーチ」のロケ地

 テレ東の「午後の洋画劇場」で「ザ・ビーチ」をやっていた。2000年制作。ディカプリオの「タイタニック」の後の出演第1作になる。「タイタニック」が世界的ヒットとなりアカデミー賞11部門を受賞し、主題歌も大ヒットといいこと尽くめの中で、賞とは無縁だったディカプリオが撰びに撰びぬいて出演した作品。つまらん映画だ。まさに「選んでカスを掴む」になる。





 というのは今だから言える話。当時はわくわくしつつロードショーに出かけた。ディカプリオは「ギルバート・グレイプ」の時から天才だと思っていたので、彼が多くの出演依頼の中から悩んだ末に選んだという新作は楽しみだった。それ以上に「ロケ地がタイ」が、当時タイが大好きだった私には魅力的だった。


「ギルバート・グレイプ」と言えば主演はジョニー・デップ。兄役。智慧遅れの弟役がディカプリオ。地味だけれどいい映画だった。兄貴も弟もこんなビッグになるとは。





 始まってすぐ、ディカプリオが滞在し、事件の起きる安宿が1992年に泊まったことのある安宿オンオンホテル(安安旅社)であることに気づき、うれしくなったものだった。感想はそれだけ。


 ノートパソコンをいじりながらの斜め見だったが、今回いくつかあらたに知ったことがある。とはいえ以下に書くことはもうこの映画好き、タイ好きにはさんざん書かれたことになる。ネット上にも山とあふれていることだろう。私のための私の記録なので御容赦願いたい。



続き
  1. 2010/02/23(火) 06:52:14|
  2. 旅行
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ブログ的隙間だらけ文章考.2──わたしもやってみた!

 過日、ある騎手の書いたブログ文章を読んだ。かつて彼が騎乗したことのある名馬について書いたもので、競馬ファンのあいだでちょっとした話題になっていた。この文章の「隙間度合い」はすごかった。彼の文章を貼るのは失礼なので、自分の文章でその雰囲気を再現してみる。さてなにを書くか。「冬季オリンピックと藤田まこと」でも書いて見るか。



冬季オリンピックが話題だ



朝から晩まで



新聞もテレビもそのことばかり



興味がない



札幌でも長野でも



そうだったのだから



いきなり それが 



生まれるはずも ない



世の中の動きに



興味がない




世捨て人だ



と言いつつ



毎日NHKテレビを見たり



スポーツ紙を読んだりして



熱心にそれに触れている



ターザン山本さんの



俗物性



がうらやましい







藤田まことさんが亡くなった



「あたり前田のクラッカー」



と「てなもんや三度笠」



しか知らない



のでは弔文も書けない



「必殺」も「はぐれ刑事」も



一度も見たことがない



唯一「剣客商売」だけは



見ようと思った



ことがあるが



大好きな原作と



雰囲気が違うので



とちゅうで消した



これまた“博奕屋”を自称し



世のレールから



外れている



梶山徹夫さんが



みょうにその種の



テレビ番組を楽しんでいる



のがふしぎだ



梶山さんが



「渡る世間は鬼ばかり」を



毎週

楽しみに見ている



と書いていたときは



ひっくりかえった



ハシダスガコドラマ



なんて見たことがない



東南アジアや中東の国々で



彼らですら詳しい



「おしん」



を見たことがなくて



ほんとにおまえは



日本人か



と何度も言われた



ひとをうらやんでばかり



いてもしょうがないが



今度生まれるときは


せめて


山本さんや



梶山さんぐらい



の世間との接触感



を持ちたい



フツーのひとではなく



かといって



尊敬する



高島俊男先生のように



テレビを部屋



から追いだす



学者肌



でもない



半端変人



の人生は













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 書いてみて思った。疲れる。疲れるから、凝縮したら短い文なのに、なんか長文を書いたような充実感満足感がある(笑)。それがあやまちの元なのだろう。その騎手が上記のような感じで書いた文を、スクロールさせつつ読むのが面倒、というか途中であまりに縦長のスクロールに腹がたってきたので、コピーしてテキストエディターに貼りつけ、まともな文に整形した。めんどくさかったが、確認したかったのだ。どれぐらいの量か。

 彼が何日にもわたって書き綴った縦に長い文章はまとめると原稿用紙3枚ほどでしかなかった。でも長文の物語を書きあげたような充足感があったのではないか。こういう勘違いは避けた方がいい。

 その騎手の文章に対し、この手の書きかたが好きなのだろうと思っていた2ちゃんねる方面から「なんなんだこの文章の書き方は」「読みづれーぞ」「今はこんなのが流行りなのよ」「それにしてもひどい」と、否定的意見が多かったことに救われた。



 上記の文をいつものようにまとめてみた。たったこれだけのもの。こっちの方が読みやすいよねえ。
前記の句読点のない短文だと、たとえば「世の中の動きに興味がない 世捨て人だ」が誰のことかわからない。私のことのように思いがちだ。しかし下記のまとめ文を読めばわかるように、これはターザン山本さんにかかることばである。誤解を避けるためには、主語を冒頭に置く形式にせねばならない。だいぶ表現が限られる。

「まとめ文章」の段落毎に隙間がある。これもホームページ・ビルダーがかってにやってしまうもの。まあこれぐらいは見やすくなると言える許容範囲だが、ホームページ等に文章を書くことは編集者気分を味わうことでもあるから、それを奪ってしまう設定はまさに「よけいな御世話」だ。この段落の前後の隙間もホームページ・ビルダーがかってにやっている。スカスカ。



 冬季オリンピックが話題だ。朝から晩まで新聞もテレビもそのことばかり。興味がない。札幌でも長野でもそうだったのだから、いきなりそれが生まれるはずもない。世の中の動きに興味がない、世捨て人だと言いつつ、毎日NHKテレビを見たりスポーツ紙を読んだりして熱心にそれに触れているターザン山本さんの俗物性がうらやましい。

 藤田まことさんが亡くなった。「あたり前田のクラッカー」と「てなもんや三度笠」しか知らないのでは弔文も書けない。「必殺」も「はぐれ刑事」も一度も見たことがない。唯一「剣客商売」だけは見ようと思ったことがあるが、大好きな原作と雰囲気が違うのでとちゅうで消した。これまた“博奕屋”を自称し世のレールから外れている梶山徹夫さんが、みょうにその種のテレビ番組を楽しんでいるのがふしぎだ。梶山さんが「渡る世間は鬼ばかり」を毎週楽しみに見ていると書いていたときはひっくりかえった。ハシダスガコドラマなんて見たことがない。東南アジアや中東の国々で彼らですら詳しい「おしん」を知らず、ほんとにおまえは日本人かと何度も言われた。

 ひとをうらやんでばかりいてもしょうがないが、今度生まれるときはせめて山本さんや梶山さんぐらいの世間との接触感を持ちたい。梶山さんやターザンさんのようにフツーではなく、かといって尊敬する高島俊男先生のようにテレビを部屋から追いだす学者肌でもない、半端変人の人生はかなしい。
  1. 2010/02/20(土) 04:56:47|
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ブログ的隙間だらけの文章考.1──ホームページ・ビルダーのおせっかい親切機能

 ブログの隙間だらけの文章というのはどこから生まれたのだろう。

 いちばん多いのは、このように前後を一行空けて書くものだ。

 あるエッセイ賞の評を読んでいたら、最優秀賞がメールで応募したそういう書きかたの文だったらしく、審査員がみな内容は褒めつつも、そのような文章の書き方はすべきでないと口を揃えて批判していたのが印象的だった。示しあわせての意見ではなく、審査員それぞれが編集部に選考評を送ってきたら、あっちもこっちもそれに触れていたという結果だから、年配である審査員はみなその書式に違和感を覚えたようだ。



 システムとしてはどうなのだろう。“博奕屋”梶山徹夫さんのブログもこの一行空けである。梶山さんは昔気質の人だから好んでそうするとは思えない。PCは使わずすべて携帯電話からやっている。となると、ケイタイから送信すると文章は自動でみな一行空けになるのか。いや、ケイタイのあの狭い画面で文章を書いていると、ワンセンテンスで三行から四行になる。そこで改行マークを入れるのは見やすさ読みやすさからも自然だから、あれは送り手がやっている改行なのか。ケイタイの狭い画面で見るとあの隙間だらけも釣りあっているのだろう。携帯小説を書く秘訣はとにかくセンテンスを短くすることなのだという。さもありなん。「ブログの隙間だらけ文章」が携帯用であることはまちがいない。もしも梶山さんがPCを使うようになったら、いまのワンセンテンス一行空けは即座に修正される、と信じる。



 私は、テキストエディターで文章を書き、ライブドアブログのフォームからアップしていた。直接ライブドアのフォームから書き込めばいいのだが、これは手狭だしフォントもちいさいし、まともな文を書くのには向いてない。
 と書いて思うが、ネット上にはほれぼれするような美文長文を書き連ねているブログも多々ある。あのひとたちはどうやってアップしているのだろう。つまり、私の智識では、ホームページならそれは理解できるが、ブログではたいへんだろうと思えてしまう。どこのブログでも、そのフォームは長文入力には向いてないはずだからだ。やはりテキストエディター等で下書をしているのだろうか。

 ブログのフォームからは画像のアップが面倒だった。といってそれほどのものでもない。私が最初からブログしか知らなかったら不満はなかったろう。だけど長年ホームページ・ビルダーで作るホームページをやってきていたから、それと比べると、フォントの大きさや色を変えたり、画像を入れたりが面倒でならなかった。いきおい私はブログと距離をおくことになる。本拠地のホームページがありブログは出店だったから不満もなかった。



 ホームページ・ビルダーのVersion12ぐらいからだったか、附録だったブログアップ機能が格段に充実した。すなわちそれは時代がブログ全盛時代になったということである。よってホームページ・ビルダーのそれも、附録機能から売り物へとアップした。脇役から主役の座へ、だ。私も、ホームページ・ビルダーを使うとホームページ作りと同じ感覚で画像アップができると知り、いきなりブログ投稿回数が増えた。そして、この「自動整形隙間文章」を知ったのである。

 さすが今時のブログに対応した投稿機能だけあって、ホームページ・ビルダーはそのように設計されているらしく、ふつうに文章を書いても、アップすると見事に今時の隙間だらけ文章に整形されているのである。まるで旧式の文章を書けない時代遅れに今時の書き方を教えてやるとでも言うように。

 これのたちの悪さは、ホームページ・ビルダーで書いている時も、投稿前にホームページ・ビルダーでプレビューしたときもそうではないことだ。そのときはまともなのである。アップするとそうなっている。これはひどい。だましうちだ。過日書いた、文章には見えないのに、アップすると「Powerd by ホームページ・ビルダー」と入っているのと同じだ。つまらんことをする。ちなみに私は、最新のバージョン14をもっているが、それがいやで13を使っている。

 しばらくは我慢していたが、どうにもこのかってに整形される隙間だらけの文章に我慢がならず、ここのところ私は、ホームページ・ビルダーで文章を作ってアップしたあと、その隙間だらけになった文章をライブドアの編集窓に呼び込み、そこで身に覚えのない改行をこまめに取り払って再投稿するようにしている。これは面倒を通り越して、なんとも虚しい作業だ。なさけなくなる。だったらこの際ホームページ・ビルダーのブログ投稿機能を利用しなければいい、となるのだが、この便利さは捨てがたい。これを使うようになってから私のブログには一気に写真が増え、私は初めてブログ投稿の楽しさを知ったとすら言える。
  1. 2010/02/20(土) 04:09:38|
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浅倉久志さんの死・「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」・「ブレードランナー」

 2月14日、翻訳家の浅倉久志さんが亡くなったと知る。フィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」を訳したかただ。読んだのは学生時代。あのころはSFが好きだった。映画「ブレードランナー」の原作となった名作。

 浅倉さんを偲ぶつもりで今「ブレードランナー」を見始めた。封切り時に映画館で一度、レンタルヴィデオで一度見ている。今回見るのは25年ぶりぐらいか。偲ぶといっても浅倉さんと面識はない。まだ誰も知らなかった名作を訳して紹介してくださったことにSFファンとして一方的に感謝しているだけ。これを読んでいて見るのと知らずに見るのでは「ブレードランナー」の深みが違ってくる。まあ深みもなにもまったくの別物。「原作」とは名ばかり。

 山野浩一さんが書かれていたが、今では誰もが知っていて、「××は××の夢をみるか」というパロディタイトルの本すらいくつも出版されているこの名作も、当初は誰にも評価されず注目されることもなかったとか。山野さんはいちはやく絶賛することによって浅倉さんの信頼を得、親交を結んだとのこと。早川は価値あることをやってきた。



 監督はリドリー・スコット。といえば「エイリアン」。これの成功が「ブレードランナー」に繋がった。「エイリアン」が79年、こちらが82年。スコットの最高傑作はアカデミー賞をとった「グラディエーター」になるのか。先日見た「ワールド・オブ・ライズ」も、まったく意識していなかったが、見たあとにスコットが監督と知った。松田優作の「ブラックレイン」は何年だ。「松田優作の」じゃないけど、あの映画は松田優作のものだった。あと好きなのに「テルマ&ルイーズ」がある。人妻ジーナ・ディビスをナンパするチンピラ役でまだ無名のブラピが出ている。ふたりとも大女で(笑)アメリカらしい映画だった。スコット監督作品で一番好きなのはこれになる。



 じつは私は「ブレードランナー」という映画が好きではない。それは劇中に登場するアジア(日本)が白人から見た「フジヤマ・ゲイシャ」的キワモノに描かれていることに反感を持ったからだった。より正しく言うなら、混沌とした怪しい未来世界を描くアイテムとしてアジア的世界が使われている=白人の偏見に腹立った、となるのか。それはいまひさしぶりにDVDを見ても変わらない。「グレムリン」が日本人だと言われたように(否定論もある)ハリウッド映画には日本人として腹立つものが多い。そういえば小説化された「グレムリン」を訳したのも浅倉さんだった。

 浅倉久志という筆名は、アーサー・C・クラークから取っている。有名な話。
 浅倉さんを偲ぶならディックの「電気羊」を読み返すべきか。でも手元にない。見始めていま40分。最後まで見るかどうかまだ定かでない。
  1. 2010/02/19(金) 10:48:00|
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「最も遠い銀河」白川道──感想・「クライス・レリアーナ」・喫煙



 白川道八年ぶりの書きおろし大作「最も遠い銀河」を読んでいた。下巻の中ほどにシューマンの「クライス・レリアーナ」が出て来た。演奏者はマルタ・アルゲリッチ。

 そこの部分は以下のようになっている。深夜、海に向かう白いベンツ内での会話。

《「音楽、嫌いですか?」
「いや、好きといえるほど聴くわけではないが」
 李京愛がカーステレオのスイッチを入れた。クラシックのピアノの曲だった。
 静かで愛情に満ちた旋律だった。時間を呑みこんだような車内と、窓の外の暗い景色とも、どこか似合っていた。
「これは、なんという曲です?」
「シューマンの『クライス・レリアーナ』です。弾いているのはアルゼンチンの女流ピアニスト、マルタ・アルゲリッチという
女性(ひと)なんですが、私の大好きな曲なんです」
 一瞬迷いを浮かべてから、シューマンが愛妻のために作曲した曲です、と李京愛は言った。》




 ここで本を置き、私もSchumannの「Kreisleriana」を聴くことにした。Martha Argerichも持っているが、この曲に関しては私はKlara Wurtz(クララ・ヴルツ)の方が好きなのでそちらにした。

「クライス・レリアーナ」を、白川さんは「静かで愛情に満ちた旋律」と書いているが、8曲で構成されているこの作品は激しいのと静かなのが半々ずつ。私にはむしろ「情熱的な激しい曲」のイメージの方が強い。「愛妻のために作曲した」は有名な逸話だが、最愛の妻に愛を込めて捧げた音楽、という安定期のものではない。むしろ「周囲から結婚を反対され悩んでいる時期に恋人(後の妻)のために作った愛と懊悩がいり交じった狂おしい曲」ぐらいのほうが当を得ている。「クライス・レリアーナ=静かで愛情に満ちた旋律」はあまりに一面的解釈だろう。このときカーステレオから流れてきたのが静かな方だったのだから音楽に詳しくない主人公の素直な感想に罪はないが。

 在日朝鮮人の超美人ジュエルデザイナー李京愛(という設定の登場人物)は、どんな形でCDをセットしたのだろう。単にCDを再生したのなら1曲目の激しい曲が流れてくるからこの感想にはならない。「カーステレオのスイッチ」とあるので一瞬FM放送から偶然流れてきたのかと思ったのだが、アルゲリッチの説明までしているから、やはりこれは李京愛の愛聴CDなのだろう。よくわからん設定である。李京愛が激しいのと穏やかなの半々の「クライス・レリアーナ」から穏やかな半分だけを選んで編集した特製CD(MD)を流した、とすると感想は成立するが、そんなことはあるまい。白川さんが錬りに練って登場させた小道具にこんなふうに突っこむのは不粋か。もうやめよう。

 この後また本に戻ると、このときに感銘を受けた主人公は、このCDを買って愛聴するようになる。作者の実体験のように感じた。

 読者にも「クライス・レリアーナ」をこの小説で知って購入するひとがいるはずだ。浅田真央によってハチャトゥリアンの「仮面舞踏会」が売れたように、まちがいなくテレビドラマになるであろうこの作品の影響でシューマンの「クライス・レリアーナ」が注文を浴びたらいいなと思う。テレビでは印象的に使うはずだから話題になるだろう。感想はひとそれぞれだが、私は聴いている今も、この曲は穏やかよりも烈しさだと思う。



 本の中にいい形で音楽が登場すると猛烈にそれを聴きたくなることがある。またあまりに登場具合がほどいいと、頭の中に音楽が流れ実際に聴かなくても満足してしまう作品もある。逆にまたしったかぶりでこれでもかというぐらい登場し、薬味のはずのそれが足を引っぱり、読む気が失せてしまうものもある。

 この作品の場合はそのどれとも違う。ぶ厚い上下巻なのにそれまで音楽がまったく出て来なかった。そしてまたこの著者の一大特徴だが異常に喫煙シーンが多い。登場人物はタバコを喫い、なにか悩みに突きあたるとウイスキーばかり飲んでいる。クライマックスにさしかかったところなのに、この「クライス・レリアーナ」を見て、これさいわいと腰を上げたのは、煙くてヤニ臭い環境から逃げだしたかったからでもある。

 白川さんはそこのところをもうすこし考えた方がいい。というか編輯者は注意してやれ。いまAmazonのレビュウを読んでいたら、「白川さんが大好きで全作品を読んでいる」という愛読者が、「でも喫煙シーンが多すぎないか」と苦言を呈していた。大ファンですらそうなのだ。事態は深刻なのである。バカらしくて読めないというひとすらいる。御自分がヤニ中なのはかまわないが、登場人物をみな自分と同じにしてしまうのはおかしい。

 両親のいない貧しい環境から成り上がるストイックな美青年が主人公なのだから、喫わない方が人物像として適切だろう。まして彼は一時新宿でカツアゲ等をする不良のリーダーだった。高校へも行っていない。この当時はヘビースモーカーだったろう。そこからすべてをやり直すのだと汚れた過去と縁を切り、大検を受け、22歳で大学に入り、大学院へと進学し、エリート建築士の道を歩むのだ。汚れた過去と縁を切った、人が振り返るほどの美男子である彼が、やたら意地汚くタバコを喫う様は不自然だ。彼には人一倍の克己心がある。なら真っ先に縁を切るのがタバコだろう。二十歳過ぎに大検を受けるための受験勉強を始める。同棲している恋人は朝早くから夜遅くまで食堂で働いてそれを支える。彼の部屋には深夜まで勉強のための電気が点いていた。その彼が吸い殻を灰皿に山盛にして勉強していたと思うのは白ける。汚れた不良時代に別れを告げ、新たに生きると決めたとき、チンピラのアイテムであるタバコを真っ先に止めたという流れの方が自然だ。
 この美男子主人公がタバコを喫えば、それを追う元刑事、それに協力する元部下の現役刑事、みんな喫う。そこら中タバコの煙だらけ。刑事連中を喫煙者にしたなら、なぜ主人公を喫わないように対比設定できないのか。



 タバコを喫わない主人公を描けないのは白川さんがタバコをやめられないひとだからだ。白川さんはこれからの残された人生を、今までの寡作主義を捨て多作主義で臨みたいと言っている。やる気満々だと。それは楽しみだけれど、どんな新作も、主人公は町中でも海辺でも喫茶店でもベッドでも、これまでの作品の主人公のようにやたらタバコばかり喫っている男なのだろうかと思うと期待がしぼむ。いや男に限らず女の登場人物も異様に喫煙率が高い。なんなのだろう、このひとのヤニ中毒は……。これはもう致命的缺陥と言える。
 誤解のないよう書いておくが、それは私のタバコ嫌いとは関係ない。小説のシーンとして登場回数が異常であり、作品を壊していると言っているのだ。純な小説論議である。だから例えば、タバコがワインや珈琲だったとしても同じ事を書く。あるいは音楽でも同じ。とにかくタバコを喫わないと場面転換が出来ないほど頻繁に、しかもワンパターンで登場するのは異常としか思えない。症状は深刻だ。
 とはいえ以前の作品と比べれば激減した。ずいぶんとよくなった。以前の作品のひどいものになると、それこそ大袈裟じゃなく見開きに一回は喫煙シーンが登場した。あきれて読み進められなかったほどだ。

 おかしかったのは、「天国への階段」等と比べると喫煙シーンは十分の一ぐらいに減っているのだが、その理由のほとんどが作者の意図ではなく「その場所が禁煙だから」だったことだ。登場人物は以前の作品と同じようにいつでもどこでもすぐにタバコを取りだすのだが、時代の流れで禁煙の場所が多くて喫えないのである。さすがにその辺は小説として辻褄を合わせるため作者も喫わせない。それはロケハン等で実体験したのだろう。ホテルのバーに行ってウイスキーを飲む。タバコを喫おうと取りだすが禁煙なのでポケットにしまった、なんて箇所を読むと時の流れを感じた。でもそのあと、店の外に出るとそそくさと取りだして火を点けるのである。これまたヤニ中毒の作者の実体験から来ているのだろう。いらないシーンだ。



 白川さんは音楽に詳しくない。ヒット作「天国への階段」が有名だがツェッペリンファンではない。小道具としての登場だ。ご本人も認めている。愛聴するのは本来演歌系のひとである。私も(すぐれた)演歌は大好きだからこれは否定的な言いかたではない。音楽に詳しくないかただからこそ、事実婚をしている相方からのサジェストなのか、かつての女との思い出なのか、こんな形でひょいと顔を出す音楽が楽しい。これはこれでとっておきの隠し球であり大見得なのである。

 私が「クライス・レリアーナ」の箇所を読んですぐに聴きに走ったのは、見事に白川さんの手の平で踊ってしまったとも言える。でも正直それよりもタバコの煙から逃げたかった。

 本の感想はまたあらためて。
 というか、私はこのひとのどんな作品を読んでも、最初の感想は「タバコばかり喫うのをなんとかしてくれ」になってしまう。なんとかしてくれ。



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【附記】

 マルタ・アルゲリッチと別府の関係はすばらしい。こういう形で「文化」を根づかせたことは別府市の誇りであろう。一度行ってみたいものだ。私は彼女の生演奏を聴いたことがない。どうせなら別府のこの祭で体験したい。



 別府アルゲリッチ音楽祭

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続きをホームページに書きました。お読みください。

●http://monetimes.web.fc2.com/ez-hon10.htm
  1. 2010/02/18(木) 10:19:38|
  2. 白川道
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「藤堂白川論争」──「ユリイカ」白川静特集





「ユリイカ」の「白川静特集」に、私淑している高島俊男さんが寄稿している。テーマは1970年に話題となった「藤堂明保と白川静の論争」。丸ごと一冊白川礼讃の中、藤堂寄りの高島さんの文は異色となっている。

 藤堂が白川のデビュー作、岩波新書「漢字」を全面否定し、白川がそれに反論した。その反論はこの「文字逍遥」に収められている。学者のケンカとはすごいものだと知った。
「ユリイカ」を読んで感想を書き始めたのだが、無学なものだから参考資料を読んだりしていたら一ヵ月もかかってしまった。やっと仕上がった。その割りに中身のない駄文だが。それでもなんとか仕上げてほっと一息。


 「藤堂白川論争」に対する高島見解

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 ホームページに書いた文のことをブログで紹介するのは二重手間になる。ふだんはしないそれをするのは、この文章が検索に引っ掛かって欲しいから。
 ブログ記事ってものすごく早く検索に対応する。調べ物をしたら一番上に自分のブログの記事があってびっくりしたことがある。しかも書いてまだ三日ぐらいだった。Google検索でライブドアブログはかなり重用されていると思われる。
 一方、私のホームページのように、項目別に分け、年度別に分類している旧型タイプのホームページ文章は、キイワードが潜ってしまうからか何年経っても検索に引っ掛からない。1万件ヒットしたうちの9000番目ぐらいにはあるのだろうが、もっと前じゃないと誰も読んでくれない。
 CNXと名乗る気違いに絡まれたりして、難を避けるため数すくない友人と隠れるようにやっているホームページだから、それはそれでいいのだが、たまにこの「藤堂白川論争」のように、自分と同じ『お言葉ですが…』ファンに読んでもらいたいと思う文もある。
 このブログ文章は「藤堂白川論争」で検索したら確実に引っ掛かるようになる。キイワードに「ユリイカ」と「高島」を足したら、かなり上位に来るだろう。全国の同好の士に見つけてもらうためにこれを書いた。
 一年にひとりかふたり、ホームページを読んでくれたかたから「わたしも『お言葉ですが…』のファンです」というメールをもらう。感性の合うひとだからすぐに親しくなれる。ひそかな楽しみだ。この拙文もまたそんなメール友だちを作ってくれる気がする。
  1. 2010/02/15(月) 07:19:34|
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Hindi Zahraを聴く──なんでもあるYoutube!

 早朝、窓を開けるとうっすらと雪景色。駐車場のクルマの屋根が白い。寒い朝。吉永小百合。これが十八番の知りあいがいるのでつい連想(笑)。



 Hindi Zahraを聴いていた。ガットギター一本での弾き語りがいい。彼女もそこそこ弾けるようだが、たぶん別のギタリスト(男)が弾いているだろう。むずかしいことはやっていないが、かなりのものだ。こういう一見(一聴?)簡単に聞こえるジャジーなギターは自分で弾くとむずかしさがわかる。たとえるなら、100メートルを10秒台で走れるひとが、ゆっくり15秒で流している感じ。本気になるとすごいのが見える。

 ふと、「もしかして」と思い{Youtube}を検索した。あった。おどろいた。{Youtube}ってなんでもあるんだな。私は彼女の動画を見るのは初めてだった。ギターはやはり男が弾いていた。

 逆に考えるのか、「日本ではまだ無名でも{Youtube}なら外国からのアップで、ある!」と。これをアップしたひとも感想を書きこんでいるひともまちがいなく外国人だ。しかも英語圏じゃない。





 Beautiful Tango--Hindi Zahra

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 気怠い雰囲気は大好きなMadeleine Peyrouxと同じ系列。



 コリーヌ・ベイリー・レイとマデリン・ペルー
  1. 2010/02/14(日) 20:42:37|
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再読「怪しい来客簿」-色川武大讃歌(というか阿佐田哲也の麻雀の話)──大橋巨泉批判

「怪しい来客簿」を読みかえしている。ひとつずつ、じっくり。色川さんのようなすごいひとと時代を共に出来たしあわせを感じる。私の見知っているのはほとんどの部分「麻雀新撰組」の阿佐田哲也だけれど。



 ここ十年の何度かの引っ越しで本とCDをほとんど捨てた。八割りぐらい捨てた。いま持っている本は段ボール箱で10箱もない。しかもみな押し入れの中。引っ越してきてから整理もしていない。私の部屋を見ても誰も私が読書好きとは思わないだろう。CDも200枚ほどあるだけだ。これまた音楽好きとは思えない。3000枚ぐらい捨てた。でもそれはみなmp3に変換してHDDに入っている。念のためコピーを取りふたつに入れてある。
 その数年前にLPレコードを500枚ほど捨てた。聴きもしないものをもっていてもしょうがないと判断した。捨ててから金になるのだと知った。学生時代から一枚一枚爪に火を点すようにして買い集めてきたレコード群である。聴きもしないのにとっておいたのはそういう経緯だからだ。大事にしていたので美麗。名盤珍品揃い。ヤフオクとか名前を知っている程度。関わったことがない。そもそも自分の物を誰かに売るという発想がなかった。しかし後々安く見積もっても30万円ぐらいにはなったと知り、もったいないことをしたと悔いた。引っ越しの際、燃えるごみとして路上のゴミ置き場に山積みしたけど誰かが持っていったのかも知れない。



 残ったものは、本もCDも私にとっての本物になる。この昭和52年の初版本もその一冊だ。薄汚れたシミすらいとしい。何度も読みかえした愛読書、というわけでもない。ただ保っていただけだ。とはいえ大量に本を捨てまくった引っ越しの際も、この本を捨てようと思ったことはない。色川さんとはそんなひとだ。いてくれるだけでいい。

 上の元本は「話の特集」刊。いまは下の文春文庫であるらしい。知らなかった。いつもなら表紙写真はAmazonでもらってくるからこの画像になる。ここはひさしぶりにスキャンした。文庫本しか知らないひとはここから元本をコピーしてゆくといい。私も貴重な初版本の表紙を、見知らぬかたのブログからコピーさせてもらうことがある。たまには恩返ししないと。

 ところでAmazonから借りてきた下の写真。よくみると「著作権保護コンテンツ」と上下二ヵ所に入っているのが読める。著作権保護のため、いまはこういう本の表紙にもこんな文字が入っているらしい。





 これまた読むたびに納得し心新たにする阿佐田さんの名著。これ以上の麻雀戦術書を知らない。



 これもスキャンした画像。1989年発刊だからちょうど色川さんが亡くなった年にこの文庫本は出ている。双葉文庫。元本も保っている。押し入れの段ボール箱の中。学生時代からの愛読書。

 麻雀の戦術書だが、阿佐田さんの言うことは勝負事における心のありかたである。人生指南の書とすら言える。

 阿佐田哲也の語る競馬を読みたくてずいぶんと読み漁った。色川さんは競輪ファンであり、競馬はほとんどやらなかったので、残念ながら競馬に触れた文章はすくない。あの当時、完璧なライン読みをして、「110円の配当に百万円賭けて10万円儲ける」のが競輪だった。そんな勝負をしていた阿佐田さんにとって不確定要素が多すぎる競馬は博奕ではなかったのだろう。私はその頃からその解釈に納得していた。私は競馬と馬券が大好きだけれど、それは博奕としていいかげんだからだ。




「11PM」に阿佐田さん、小島さん、古川さんが出ていた時代を思い出す。なつかしい。

 意見が異なり、キョセンが顔を真っ赤にして絡むほどに一流と三流のちがいがわかっておもしろかった。といってキョセンを否定していたのではない。彼の言うのは正論だった。対して阿佐田さん達の言うのは実戦論だった。キョセンの言うのが常識的な正論だからこそ阿佐田さん達の凄味が光った。

 今も覚えている「11PM」の麻雀教室の一シーン。

 いらないがある。順も早く常識的にペンチャンメンツを嫌うところだ。から切るべきとキョセンは言う。三人も同じはずと思っている。だが小島さんはを切るという。キョセンが気色ばむ。こんな早い順目でペンチャンメンツを確定するのは無意味だと。をもってきてにくっつけば両面待ちになりタンヤオもつく。万が一を切った後をもってきてしまってもカンで待てる。どう考えても切りが正しく切りは邪道だと。

 しかし小島さんは、ここはを切るべきと譲らない。三色や一通のような役につながる可能性はない。あくまでもリーチドラ1程度の役だ。ならここはタンヤオを捨てても切りだと。

 寡黙な阿佐田さんと古川さんは黙っている。

 興奮したキョセンが問う。「を切った後を持ってきたらどうするのか」と。小島さんが応える。「ツモ切りする」と。キョセンはますます激昂する。をもってきたら、それを残してを切りカンに受ける。すなおに「を残しておくべきだったか」と反省しつつ。

 小島さんが言う。「を切っておけば、リーチをかけたときペンが出やすい」と。

 キョセンがあなたはどう思うかと古川さんに問う。モソモソっとした古川さんが、「わたしもを切ります」と言う。「あんたらプロは単なるひねくれ者だよ。確率を無視してるじゃないか」。納得できないと声を荒げたキョセンは、あんたはどう思うと阿佐田さんに問う。新選組隊長は自分と同じと信じている。半分寝ていた阿佐田さんが、あのギョロッとした目をむいて、「まあ、なんというか、その、こういう手牌だったらを切りますね」と言い、キョセン絶句。はい、コマーシャル。



 キョセンの言っているのは確率論だ。たしかに両面になれば待ち牌は倍になる。つもる確率も増える。でもひとりでつもるより三人に出させた方が確率は高い。三人に振りこませるためには、と切っての待ちより、と切ってのペン待ちの方が「確率」は高いのだ。それがキョセンには理解できない。さすが麻雀名人を自称しつつ公開対局には絶対に出て来なかった人である(笑)。

 でもいまはキョセンに感謝している。キョセンが自分の番組に呼んでくれなければ、阿佐田さん、小島さん、古川さんを見られなかった。なんのかんのいってもそれはキョセンの功績なのである。

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「怪しい来客簿」の話なのに中身にはまったく触れず「11PM」の思い出になってしまった。まあこんな凄い本、私なんかに書評は出来ない。Amazonのレビューを覗いたが、ここまで誉められている本もめずらしい。色川ファンは多い。

 色川さんは演芸通だった。談志が兄貴と慕い、あの口の悪い男がおとなしい弟分に撤していた。談志本を読んでいて色川さんが出て来るとうれしくなる。みな兄貴に一目置くような話ばかり。男としての度量が違う。

 文壇もそう。作品などほとんど発表していないのにみんなに注目され、作品を待たれ、すこし書いたら早速これが泉鏡花賞、次の「離婚」で直木賞。審査員クラスがあげたくてあげたくてしょうがないという感じの受賞だった。人徳である。馬で言うなら、春にサンケイ大阪杯、秋に天皇賞と2戦2勝だけの7歳馬が、クラシック二冠の3歳馬や天皇賞(春)、JCを勝っている4歳馬がいるのに圧倒的多数で年度代表馬になったようなもの。そんな感じだった。享年60歳。もう21年になる。

 「近代麻雀」は、昭和52年に「阿佐田哲也特集号」を、阿佐田さんが亡くなった平成元年に「追悼号」を出した。紙質のわるい増刊号だが、それまで掲載された様々な対局の「雀譜」が掲載されている。ほれぼれする。茶色でぼろぼろになっているが今も保っている。宝物だ。

 昭和を偲んだ夜だった。

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【追記】──2013/9/17

 なぜか2010年2月に書いたこの文がいま「人気記事20」に入ってきました。理由はわかりませんがうれしいです。(理由を知って残念になることがありませんように!)

 そのことをこちらに書きました。

 上記の「阿佐田哲也特集号」の画像を貼っておきます。昭和52年2月発刊の「近代麻雀増刊号」です。

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【追記.2】──2013/9/18

 JRAのサイトに、昨年レープロに書いた「競馬を愛した人々──阿佐田哲也」がアップされていますので、よろしかったら読んでみてください。
  1. 2010/02/13(土) 06:48:45|
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PC焚き火──気分の問題

 今夜も冷えこむ。雪になるかと思ったが……。
 3時間毎に自動変更するようセットしてある壁紙は冬山雪景色シリーズ。暖かい部屋での冬のビールやアイスクリームがうまいように、薄衣で過ごせるほど暖めてある部屋だと、こんな寒々とした風景もシャキっとして気が引き締まる。しかし全体暖房をしていない凍える部屋ではツキサムホマレ。ワシントンDCから帰国して有馬記念3着。(10).jpg



 ここまで寒い夜にさすがにこれはキツい。かじかむ指で打つキイボードは遭難気分。すきっ腹に、ブラックコーヒーでチョコレートを嘗めたりするものだから臨場感たっぷり。
 もしかして「焚き火の壁紙」なんてのもあるかもと思いつき、探した。あった。

honoo3.jpg

 いまこれを二面ディスプレイに表示して手をかざしている。目の前がまっかっか。なんなとくあったかくなってきた。
  1. 2010/02/13(土) 00:21:37|
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神戸のロックカフェ.5──ポルナレフのこと

Sさんのブログで《ロック》を読んだあと、すぐにメールを書いた。あれこれ寄り道をしてしまい、もう「5」だけど、読んですぐに書いたので話の筋としてはこれが「2」になる。


 ブログ読みました。相変わらずうまいですね。ロックをしらないことを逆手にとったオチが抜群です。ジミー・ペイジはレッド・ツェッペリンのギタリスト。ツェッペリンはあの飛行船のツェッペリン。レッドはleadで鉛。「鉛製の飛行船」。「すぐに落ちるでえ」「落ちる以前に飛ぶかいな」というしゃれですね。これを音楽の事などなにも知らないのに、知ったかぶりで「赤い飛行船」と書いて赤っ恥をかいたのがターザンで(と以下しばらくターザン山本批判が続く。つまらないひとのことを書いたつまらない文なので略)。

 しかしそのロックカフェ、ポルナレフがあるとはまた幅が広いですね。彼は当時の分類だと「フレンチ・ポップス」という括りになり、ロックとはまたちがうように思います。「 ノンノン人形」は記憶にありません。どんな曲だっけ。当然ジミー・ペイジが参加しているのも知りませんでした。マスターは物知りですね。私にとってポルナレフは「シェリーに口づけ」からです。調べたら、これが大ヒットしたのが1971年。「ノンノン人形」ってのはデビュウ曲で1966年なのですね。この曲以前にまだジミー・ペイジも知らない時です。

 ポルナレフは奇抜なかっこうで売り出しました。日本では息の長い活躍をしたわけではないし、私の中ではキワモノ的なイメージが強いです。十年ほど前フランスに行ったとき、フランス人の友人に「あのひとは今」的な訊きかたをしたら、今でも人気があり、彼も大ファンだと目を輝かせたので戸惑ったことがありました。まあかっこうはともかく音楽はきわめてまともでしたけど。

 次回行ったときは、マスターに「ポルナレフはフランスでは今でもスター」とお伝えください。ごく近所にこんないい店があるSさんを羨ましく思います。



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 メールを書いたあと、ポルナレフマニアのサイトを発見。熱心なひとはいるものだ。感動した!


http://michelpolnareff.seesaa.net/



 深夜に書いたこのメールに、翌朝Sさんが返事をくれた。それはほのぼのとする「ちょっといい話」だった。それを読んで、私はもうれつにこのロックカフェにゆきたくなったのだった。
  1. 2010/02/12(金) 03:55:48|
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神戸のロックカフェ.4──清志郎の息子──ミホノブルボンのダービー

 Sさんのロックカフェの話を読んでいたら、渋谷道玄坂のロック喫茶「ブラックホーク」を思い出し、宮益坂のフォーク喫茶「青い森」を思い出し、さらには下北沢で出会った清志郎のことを思い出した。

 下北で飲んで街を歩いていたら、一緒にいたマンガ家が誰かに声を掛けて話しはじめた。知りあいのようだった。午後十時ぐらい。酔顔で近づくとこどもを抱いた清志郎だったのでおどろいた。清志郎におどろいたのではない。こどもを抱いていたことにだ。彼ほど赤ん坊を抱くことが似合わないひともいない(とそのときは思っていた)。奥さんが寄りそい、画に描いたようなしあわせな三人家族だった。そういえば初めてのこどもが出来たとかいう記事を読んだような気がした。酔っていた私は、「いやあキヨシローさんがこどもを抱いてる姿は想像できなかったなあ、ワッハッハ」とか失礼なことをやった気がする。恥ずかしい。

 時は競馬ブーム。清志郎も競馬をやっているとかで、こちらが専門家?と知ると、あれこれ質問された。これもまた意外だった。15分ほどの立ち話。



 そんなことを思い出した昨日、タイミング良くこんなことが記事になっていた。

昨年5月に亡くなったロック歌手の忌野清志郎さん(享年58)の愛息である大学生の栗原竜平さん(21)が、清志郎さんの新アルバム「Baby ♯1(ベイビー・ナンバーワン)」(3月5日発売)にコーラスで初参加したことが、分かった。竜平さんは小さいころから清志郎さんに連れられてステージに上がったり、「子どもの声」でレコーディングに参加したことはあったが、本格的な参加は今回が初めて。

http://www.ntv.co.jp/zoomin/enta_news/news_1610379.html?list=1&count=2



 息子の年から逆算すると、私の出会ったのは18年前だろうか。1992年、平成4年。ミホノブルボンの年だ。ダービーから夢の新馬券・馬連が発売になった年である。50万負けた。勝ったミホノブルボンから行ってるんだから馬連を1万円ずつ総流ししておけば、17万が295万になっていたのに。なにやってんだか。一緒にいたかなざわいっせいは、ミホノブルボンと、世話になっている川上悦夫牧場の生産馬マヤノペトリュースとの馬連10万円一点勝負で同じく負けていたが、充分10万円分の価値のある、ひとに自慢できるハズレ馬券だった。私もミホノ・マヤノは10万円持っていたからゴール前は力が入った。4馬身千切ったミホノブルボンが勝ち、先行したライスシャワーが粘るところにマヤノペトリュースが追いこんできた。流れとしては差し馬有利なのだが、どうにも2着にライスシャワーが残ったような気がして、それでも淡い期待を抱いて、かなざわといっしょに掲示板を見詰めたものだった。
 マヤノペトリュースはハナ差の3着。1番人気のミホノブルボンが勝ったが、18頭立て16番人気のライスシャワーが2着となり、馬連馬券が新発売になった記念ダービーは295倍の大荒れとなった。

 私はバラバラバラバラろくでもない馬連をあちこち買いまくり、なぜか締切直前に「新馬券発売の年はゾロ目が出る」という当時親しくしていた馬券作家・片岡勁太さんの理論を思いだし、最後の小銭で枠連7-7を2千円買い足した。7枠はミホノブルボンの枠だが同枠に4番人気のゴールデンゼウスがいて、これとの馬連はもうたっぷりもっていたのだから、どうせならもう1頭の16番人気ライスシャワーとの馬連を買えばよかったのだ。そうすれば2千円が58万になってわずかだがプラスにしてくれたのに……。

 7-7の枠連が13倍。当たった。50万2千円馬券を買って2万6千円の払い戻し。むろんそれを最終に突っこんでオケラ。馬券歴36年、さんざんみっともない馬券をやって来ているが、このダービーはワーストスリーに入る。恥ずかしくて書きたくない。書いてしまった。



 キヨシローに会ったのはそのころだ。春の東京開催のあとの飲み会だった。下北に行ったのは「競馬盤」という予想ソフトを作っている上野さんの会社がそこにあったからだろう。と、書いているうちにあれこれ思い出してくる。いや、もしかして会ったのは19年前か。となるとトウカイテイオーのダービーの年だ。でもそれを書いても、多少金額と買い目が違うだけで、同じようなハズレ馬券の内容になる。どっちでもいいか。ただ、「キヨシローに会った年」は、トウカイテイオーではなくミホノブルボンのような気がする。

「清志郎 息子」で検索し、以下のニッカンスポーツのインタビュウ記事を見つけた。

 38歳で初めて父親になる戸惑い。生まれてからの愛情。すばらしい記事である。


http://www.nikkansports.com/ns/entertainment/interview/2005/sun050515.html


 私はこのインタビュウにある、清志郎の反体制でいようとする姿勢を支持する。藝人は基本としてそうあるべきと思っている。清志郎も心底からのサヨクではなく、「そうあらねば」と意図しているのが伝わってくる。ぜひとも彼の「民主党という体制に対する反体制ソング」を聞きたかった。

 渡辺えり子に代表されるように演劇人にも反体制は多い。あの種の劇団の伝統?であるし、それはそれでよい。だが彼らはみな反体制というより、単なる「反自民党」でしかない。民主党の体制になったら鉾先がにぶっている。それはおかしい。自分達と考えの違う政府に自民党も民主党も関係ない。サヨクが小沢一郎を必死にかばっているのを見ると笑ってしまう。

 清志郎の「反民主党ソング」を聞いてみたかった。彼は体制になった民主党にどんな態度を取ったろう。典型的アメリカのロックミュージシャンのように民主党を熱烈に支持したのか。確認は叶わない。
 Sさんの記事にあるミッシェル・ポルナレフの話をする予定が清志郎に寄り道したが、これもこれでロックだ。

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【追記】──生きていてくれたら<きっこさん>のことを質問できたのに

 私はこのとき名刺を渡し、後に彼はなんどか電話をくれている。競馬の話だった。
 そのとき彼は私に電話番号を教えてくれたわけではないが、そうして何度かかかってきて話しているから、機械が覚えている。

 ネット世界に<きっこ>と名乗る気味の悪いのがいる。清志郎のマンションに泊めてもらったことがあり、「あたしは、やられてもいいと思ったけど、キヨシローはなにもしなかった」なんて書いている。生きていてくれたら電話してまことかウソか訊けたのに、残念だ。もちろんウソに決まっている(笑)。だって<きっこ>って女は存在しないんだから。オカマの妄想である。

kanren6

<きっこ>のキヨシローへの妄想文章

■2004/05/24 (月) 老体ロックンロール 3
あたしは、清志郎さんが大好きで、高校生の時に、大晦日の浅草ロックフェスで会って、打ち上げに連れてってもらって、それから親切にしてもらって、あたしのバンドのライブにも2回も来てくれて、近田春夫さんも来てくれて、渋谷陽一さんも来てくれたんだけど、やっぱり清志郎さんが一番ステキだった。
当時、246沿いにあった清志郎さんのマンションにも遊びに行った‥‥ってゆ~か、酔っぱらって夜中に行ったら、泊めてくれた。あたしはヤラレてもいいと思ってたのに、清志郎さんは、あたしに何にもしなかった。嬉しいのと悲しいのとが入り混じり、あたしの乙女心は複雑だった(笑)
  1. 2010/02/11(木) 09:10:25|
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神戸のロックカフェ.3──リクエスト考

 私にとってのロック喫茶は、渋谷道玄坂の「ブラックホーク」になる。csnyの時代ぐらい? 

 反対の宮益坂にはフォーク喫茶「青い森」があって、泉谷しげる、RCサクセッション、古井戸等が出ていた。陽水も出ていたらしいが私は見ていない。十数年前、初めて清志郎と話したとき、「青い森で見ていましたよ」と言ったら、「それは古いですね」と微笑んでくれた。あのとき赤ちゃんを抱いていた。あのこはいまいくつになったろう。

 クラシック喫茶は「ライオン」。リクエストはあのころからBachやMozartだった。三つ子の魂。いまも好みは変わっていない。

 Jazzはまだぜんぜんわからなかった。周囲にColtraneを絶賛する連中はいたけれど。いや正直に言えば、そいつらがうさんくさいから私のJazz好きは遅れたのだ。Jazzってのは、今はどうか知らないけど、あのころ、中身のない奴の鎧みたいなアイテムだった。

 あらためて自分の青春の街は渋谷なのだと気づく。ヘビースモーカーだった(恥)。



 リクエストってなんだろう。いま、好きなものはみな持っていていつでも聞ける状態にある。家で聴けるものを神戸のロックカフェでリクエストするのはナンセンスか。渇望している幻の珍品を願うべきなのか。なんかあったかなと考える。思い浮かばない。きっとあるんだろうけど……。でも無理矢理思い出してリクエストってのもヘンだ。



 真っ先に思い浮かんだのはSRVの「Little WIng」だった。写真の「The Sky is Crying」に収録されたバージョン。アンプの焦げる匂いまで伝わってくるこの渾身の演奏は大音量で聴かねばならない。音域をカットしたMDや圧縮したmp3ではダメだ。iPodではダメだ。数えきれないほど聴いているが、いま大音量再生装置のない私はそれをしていない。まああったとしても環境的に無理だ。ヘッドフォンになる。よって文句なしの第一候補。



 リクエストの変化には携帯音楽プレーヤーの発達も影響しているように思う。

 私は「究極のウォークマン」についてずっと考えてきた。



 究極のウォークマン



 20年前から10年前ぐらいまでのことを8年前にまとめた文章だけど、もう完全に浦島太郎。いやはやすごいことになっている。8年前に本気で考え、したり顔で書いたことが失笑噴飯物になっている。iPodの変えた音楽環境は大きい。

 北海道取材に毎回愛用の黒革バッグを担いで行った。中身のほとんどはあちらで聞くためのカセットテープ。その20年前がつい昨日のようなのだが、今はiPodひとつでバッグどころかコンテナ一杯の音楽を携帯できる。



「大量の音楽を手軽に携帯できるようになったこと」は、ロックカフェでのリクエストの形まで変えたように思う。

 上記「究極のウォークマン」にくどいほど書いたことだけれど、携帯できる音楽量の変化は私には大事件だった。文字通り「歩きながら音楽が聞ける」ウォークマンの登場は画期的だったが、すぐに慣れた。「それは当たり前の時代」になった。CDウォークマン、MDウォークマンになっても実態はたいして変わっていない。やはりmp3の登場が大きい。これによって「携帯できる音楽量」が桁違いになった。しかも桁はひとつではなくみっつぐらいちがった。



 初期のiPod。容量20GB。4000曲収録可能。こんなちっこいものに4000曲。カセットテープやCDなら400枚。それがこの中に入る。しかも分類され簡単に呼びだせる。ついにここまで来たかと身震いするほどの感動だった。



 神戸のSさんのところに遊びに行くとする。そのロックカフェへ行くことを楽しみにして。

 新幹線で向かう私はラップトップとiPodを所持している。ふたつで10000曲ほど。以前なら旅先に持って行けるのはウォークマンと数本のカセットテープ(CDでもMDでもいいけど)程度だった。せいぜい300曲。この差はとんでもない。

 携帯している10000曲の中に私の聞きたい音楽は全ジャンル詰まっている。デスクトップの32000曲の中から自分の好きなものを10000曲移してもってきた。その中には私のお気に入りが、音楽だけではなく落語や昔懐かしい演歌まで入っている。至れり尽くせりだ。



 ロックカフェでリクエストし、スピーカーから大音量で聞くことと、車窓から景色を眺めつつiPodから音楽を聴くことは異なる。まったくちがう。だがそれは「なにをリクエストするか!?」に影響を及ぼす。

 前記、学生時代の「ブラックホーク」なら、持っていない名盤の曲や、欲しいけどまだ買えない出たばかりの話題の新曲をリクエストした。いまは名盤も話題の新曲ももっている。手元のiPodに入っている。なら何をリクエストする!?

「さっきまで新幹線の中で聞いていた曲をあらためてリクエストする」なんてこともありうる。それはむかしはなかった「形」である。



 てなことを書きつつ、ひさしぶりにダイアーストレイツを聞いている。作品から歌いかたまでいまさらながらDylanの影響を感じる。「悲しきサルタン」がヒットして、憧れのディランから声を掛けてもらえるようになる。ディランにとってもマーク・ノップラーの存在は得難いものだった。

 するとディランの「Slow Train Coming」が聞きたくなった。指弾きノップラーのストラト。

 Dylanはすべて聴いているが、この「DESIRE」あたりの音楽がいちばん好きだ。



 いまネット検索したら、「Slow Train Coming」は宗教への偏向が露骨で批判を浴びたのだとか。そうだっけ? ディランはこの時期に改宗している。「このアルバムは旧来のファン離れを招いたものの、売れに売れてグラミー賞も獲得した」とはWikipediaの文言。「ボブ・ディラン訳詩集」を買ったりしてディランの歌詞に傾倒していたのはこれよりも早い時期。このあたりになるとそのへんもいいかげん。このアルバムはLPで持っていたが処分してしまった。もったいないことをした。いまあるのはCDから入れたHDDのmp3のみ。いわれてみればたしかに宗教臭い気もする。でも所詮キリスト教内の話。いわば内輪もめ。イスラム教になったり仏教になったりしたわけじゃない。
 音楽の完成度は高い。だから売れた。けっきょく日本人が洋楽を判断するときはそっちが主になる。「王様」がやってくれたが、「かっこいいハードロックの歌詞」のなんとアホらしかったことか。その点ディランはいつだって水準が高い。歌詞の細かい部分までは覚えていないが、2枚とも大好きな「音」であるのはまちがいない。



 ここ数日、Sさんのブログから刺激を受けて連日ロック三昧である。
 でもすぐに終るだろう。ロックを聴き続けるには体力気力が必要だ。「あさだちやしょうべんまでのいのちかな」で、軟弱な私はもうすぐしぼむ。せめてたっているあいだにあれこれ書いておこう。
  1. 2010/02/10(水) 22:23:52|
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神戸のロックカフェ.2──抑制の魅力

Sさんの整骨院があるのは芦屋にちかい神戸。友人とふたり、ロックカフェに行った話を読み、身近にこんな店があるのはいいなあと、しばし神戸方面に想いを寄せた。耳を澄ますと、聞こえてきたのはレッドツェッペリン……ジミー奏でる「天国への階段」のイントロ。ではなく宝塚記念のファンフォーレと手拍子。まああっち方面で知っているのは阪神競馬場だけだからしょうがない。ムハハハ。とSさんふうのオチ。



 Sさんはとても文章がうまい。しかも必ずストンとオチをつける。サービス精神なのか関西人の性なのか。それが毎回きれいに決まっているので読むたびに感心する。今回もロックに詳しくないのを逆手にとったリストロックは見事。思わずギブアップ。「やってるやってるぅ」「がんばれよ」「おまえもな」。

 ロックにまったく詳しくないのに、「ロックに詳しいわけではまったくないのですが」という「おまえ、平田だろ!」的な言い回しがSさんらしいストロングスタイル。ここで外野から「Sさんなら何でも許されるのか!」と前田的に詰め寄られると私もベロを出して玉虫色失神。

 しかしこれは両刃の剣。演劇や映画、挌闘技に詳しいSさんが趣向に走り過ぎると巧さと智識がかえって嫌味になる。ところがこれは院長としてのブログなので趣味人としてのSさんを前面には出せない。読者には通院してくる年輩の患者さんも多い。それを意識しての節制が渋い味わいになっている。まるで頭突きを封印した大木金太郎のようだ。必殺の頭突きを封印して、そのかわり得意の、その代わり、なにもないな。じゃあバックドロップを使わないルー・テーズのようだ。これなら文句あるまい。フライング・ボディシザース・ドロップでスリーカウント。バックドロップが出なくて物足りないけど強さと巧さのアピールは抜群。出さなくてあれだけ強いんだから、とテーズファンには幻想が脹らみ、地元挑戦者のファンは、敗れはしたがノックアウトはされていない、それにあのスリーカウントはちょっと速かったのではないか、よおしこの次こそ、と希望を持つ。それが次の通院に繋がる商売繁盛スープレックス。テーズではたとえが古い? Sさんに気に入ってもらうなら「キックを封印した初代タイガー」。とジェシー・おベンチュラ。



 もしもSさんとその店に行ったら私はなにをリクエストするのだろう。



 とりあえずジミヘンのロイヤルアルバートホールでのライヴを聞きつつ、ロックカフェにいる気分を味わう。いまJazzとClassicしか聞いてない。Rockを聞いたなんて何日ぶりだろう。刺激をくれたSさんに感謝。
  1. 2010/02/10(水) 20:39:45|
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神戸のロックカフェ.1──Sさんのブログから

 神戸で整骨院をやっている友人のSさんのブログから。

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《ロック》

 昨夜は初めて近所のロックカフェに行ってきました。ロックに詳しいわけではまったくないのですが、なんとなく気になっていた店です。

 棚にズラリと並べられたLPレコードが、いい雰囲気を演出していました。

 他にお客さんもいなかったので、マスターが「好きなのかけますよ」と声をかけてくれました。一緒に行った友人が「僕はジョン・クーガー・メレンキャンプが好きなんですけどありますか?」と訊ねると、「その前のジョニー・クーガー時代の『俺がクーガーだ』ならありますよ」と出してくれました。ジャイアンばりのナイスな邦題をつけられたそのアルバムを、友人は感激して聞いていました。

 せっかくなので私もなにかかけてもらおうと、分からないなりに棚を探ると、ミッシェル・ポルナレフのアルバムを発見。大好きな『愛の願い』を大音量で聴くことができました。曲が『ノンノン人形』に変わると、マスターが「このギターは実はジミー・ペイジが弾いていてね」と教えてくれました。とはいっても音楽知識のない私は、ジミーといえば“スーパーフライ”ジミー・スヌーカと“平成の山下清”ジミー大西しか知りません。しかしまあ物事には流れというものがあるので、「おおっ、あのジミーですか。意外ですねぇ」と、どの「あの」かどこが「意外」か自分でも分からないままに相槌をうってしまいました。ムハ。ムハハハ。

 ロック通を連れて、また行きたいと思います。
  1. 2010/02/10(水) 18:03:11|
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ひさびさに風邪.3──入浴誘惑

 承前。指がかじかんでしまって深夜の勉強ができない。ペンを持って文字を書くどころか、それよりもずっと楽なキイボードを打つPC作業すらつらい。珈琲を注いだマグカップを両手で握りしめて暖を取るうち、こりゃもうだめだと諦めた。机を離れ、ガスファンヒーターを点けて、吹き出し口に、焚き火にあたるように手を当てる。






現在のBGMはGreg Osby



 そういや焚き火って大好きだった。田舎にいるとき──高校生までの話ではなく、親の面倒をみるために帰郷同居していた三十代後半から四十代半ばのころ──家の隣の畑でよく焚き火をした。あれは楽しかったなあ。火を見つめていると不思議な気分になる。火を神聖視する感覚がわかった。田舎暮らしで思い出す郷愁のひとつだ。土地を持っているものだけができる贅沢である。日本じゃもう私には無理だけど云南にゆけばまだその自由はある。



 かじかんだ手が温まると、いかんいかんこんなことをしていてはいかんと気づき、ガスファンヒーターを切る。今年は使わないと決めたのだった。そのことにさしたる意味はないが、せっかくここまで守ってきたのだ。ここで変節はしたくない。もうすこしで春だ。そう思って炬燵にもぐり込む。弱で十分だったのに降雪以後は強が必要になった。全体暖房をしていないからこそ気温の変化を肌で感じとれる。寒いと思った日は確実にニュースがそう伝える。

 炬燵にもぐり、ここのところ読み返している沢木耕太郎の初期作品を手にしたり、PS2で詰将棋を解いたり、ラップトップで落語を聞いたりしているうちに躰が温まり、いい気持ちになってくる。眠るならベッドにゆかねばと思いつつ、そのままうとうとしてしまった。途中、汗を掻いて目覚め、スイッチを弱にする。このときに起きて、汗を拭いてベッドに行けばまだ難を逃れていた。だけどあまりに長いあいだ風邪と無縁だったので増長していた。ヤバいと思いつつ、そのまままた寝てしまった。そうして明け方「クション!」である。ゾクゾクっとした。しまったと思ったがもう遅い。何年ぶりか分からないほどひさしぶりの風邪とそうして邂逅した。



 くしゃみが連発する。鼻水が出る。昨日は一日中鼻をかみ、ヒリヒリして痛くなる状況を何年ぶりかで味わった。鼻は腫れていまも痛い。ティッシュでは切りがないのでタオルにかむことにした。

 それでもこんなのは昨年の身動きできなかった腰痛から比べたら病気のうちに入らない。これぐらいたまにの遭遇なら風邪も悪くはないな、とすら思う。餘裕だ。咳が連発するが、咽が痒い感じの軽い咳。本当に病んだときの痰が絡み、さらに悪化して血まで混じるような激痛の咳とは程遠い。

 加湿器をセットした。今年はまだ使っていなかった。湿度35%。だいぶ乾いている。しばらく稼動していたら45%になった。鼻が楽になるのがわかる。



 つらいのは風呂に入れないことだ。買い置きしてある六一○ハップを入れた硫黄風呂をたて、前記沢木耕太郎の初期作品や高島先生の「水滸伝の世界」等を読みつつの長風呂が、ここのところ唯一の楽しみだった。



 六一○ハップ、製造中止──硫化水素自殺の餘波

(民主党の女議員が仕掛けたこの六一○ハップ製造中止事件はほんとうに不快な出来事でした。もし未読でしたらぜひ読んでください。2008年11月の出来事です。)



 なんども「ええい、入っちまおうか」と思った。風呂の中の読書、湯上がりの快適さを想像してうっとりする。しかしこんなことを書いていられるのはまだふつうに動けるほど症状が軽いからだ。風邪がひどくなるとどうなるかは知っている。風邪の怖さはそこにある。ピンキリなのだ。咳だって痰が絡むようになったらもう……。そういえば声が出なくなったことがあった。それを思いうかべるとさすがに入れない。昨年の寝た切りの恐怖が甦る。

 きょう鏡を見て落ちこんだ。私はなぜか髪はまだ黒いのにひげが先に白くなってしまった。たまには伸ばしたいと思うのだが出来ない。数日風呂に入れずひげも剃っていなかったので、そこには鼻の下やあごに白い無精髭を生やした窶れたジジーがいた。すこし頬が痩(こ)けているのは食が細っているからか。ほんとになあ、この無精髭があるとないとでは見た目十歳ぐらいちがう。ああ、風呂に入りたい。熱めの風呂に入り、身体中をごしごし洗い、髪を洗い、無精髭を剃ってサッパリしたら、どんなに気持ちいいことだろう。

 このあとこのブログが途絶えたら、我慢できず風呂に入り風邪が悪化して寝こんだと思ってください。と書いたら、立て続けにくしゃみが出た。鼻水が垂れてきた。絶対にそんなことをしてはダメだと躰が言っている。いくらなんでも、これじゃ入れない。
  1. 2010/02/09(火) 02:20:09|
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音楽ファイル──ミュージシャン名のまちがい

 iTunesの整理。本来ならRockやJazzになるべきジャンル分けがみなCountryになってしまい、ため息つきつつ整理中。



 と、iTunesのことを書くつもりが、そこから下記の政治の話になってしまい、そちらを優先したのだった。



 音楽ファイルのミュージシャン名にスペル間違いが多い。これはなぜなのだろう。iTunesに表示されるミュージシャン名がかぶっている。

 いまGonzalo Rubalcabaを聴いている。キューバの天才ジャズピアニスト。キューバは奥深い。その上にGonzalo Rubalacbaというのがいる。これはどう考えてもミスだろう。だってこれじゃ発音がむずかしすぎる(笑)。cba。

 Mils Davilsがあった。失礼な。嘘のようなほんとの話。こういう間違いはコンピアルバムに多い。

 それでもこれは明らかな間違いだからまだいい。Barney KesselとBarney Kessellがいて、誤っている後者を正した。それでもまだBarney Kesselがふたり表示されている。Propertyを開き、じっくり考えた。もうこうなると謎解きである。
 その結果わかったのは、片方は「Barney Kessel」もう片方は「Barney Kessel 」だったのである。って書いてもわからないよね。後者は名のあとに不要な半角スペースが入っていたのだ。これだけでPCは別名と判断してしまう。コンピュータの律義な面、融通の利かない面の典型である。



 これらの異なった綴りは、片方に30曲、もう片方に3曲だったりするので、多い方が正しいのだろうと推測できる。だいたいがそうだ。

 いま目の前に「Kenny G」と「KennyG」が別人として表記されている。曲数は同じぐらい。これも半角スペースの問題。ひとつにまとめたいのだが、さてどっちが正しいのだろう。常識的にはスペースありの方だろうけど、文章を書くときはスペースなしのKennyGの方が楽。まあKennyGなんて聞かないからどうでもいいけどさ。



 Sonny Clarkにもうひとり、Sonny Clakeがいるのを発見。確認に走る。写真は1958年に発表された彼の大ヒットアルバム。あまりに有名なこのジャケット。当時、いかに斬新でセクシーだったことか。

 初歩的な綴り間違いなのだが、それをしているのが大好きなコンピアルバム「Modern Jazz 名曲!名演!」なので、もしかしたらClakeが正しいのかと一瞬思ってしまった。CDというより講談社発売の「CD附き本」である。初心者の入門用アイテムだ。
 三十路になったとき、それまでわからなかったJazzが突如心にしみこんできた。あの感動はいまも忘れない。正当に理解しようと、この種の入門CDを買っては一所懸命勉強した。一人前になるとこういう入門CDは気恥ずかしくなり遠ざけてしまうものだが、いまもこれは気に入っている。いい選曲だと思う。

 しばらく、文章書きの合間に、この「iTunesミュージシャン名直し」が気分転換に役立ちそうだ。あのストレス発散のプチプチ潰しみたいな効果である。
  1. 2010/02/08(月) 18:52:11|
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芸能人と民主党──アメリカと日本──前田日明の民主党支持

 iTunesの整理。本来ならRockやJazzになるべきジャンル分けがみなCountryになってしまい、ため息つきつつ整理中。でも考えてみればアメリカのミュージシャンはみなアメリカ大好きだからCountryでいいのかも、と思って苦笑した。

 アメリカ人はほんとうにアメリカが好きだ。國歌や國旗にあんなことをしたジミヘンだって、あれももうアメリカが好きで好きでアメリカでしか生きられないことを主張しているようなものだ。

 日本人なのに日本の悪口を言うのが商売みたいな連中を目にすると、あちらの方があるべき姿だと痛感する。もっとも世界中探しても、自国の悪口を言うのが商売に成っている国はない。日本が特殊なのだ。鳩山由紀夫は「日本列島は日本民族だけのものではない」と言った。こんなことを言うひとが首相になる国は世界中どこを探してもない。



 アメリカの芸能人の民主党贔屓は極端。共和党支持者はCountry系歌手のみ。有名人じゃシュワちゃんぐらい。あとの芸能人、特にロック系のミュージシャンはみな民主党支持、になる。日本的に言えば、演歌歌手が自民党支持で、あとはみな民主党支持、のようなもの。日本の場合は二大政党制が根づいていないし比較は無理だけれど、それでもアメリカのロックミュージシャン(たとえばイーグルスのドン・ヘンリーやマドンナ)の熱烈な民主党支持は私には異常に思える。どちらかと言えばロックミュージシャンは、「政治家なんか誰も信じない」の方が似あうと思うのだが。



 日本もそうなのか!? 参院選に前田日明が民主党から立候補する。前回の選挙の時から熱心に民主党の応援をし、「民主党が政権をとらなければ日本はだめになる」と主張していた。前田の考えは知っているつもりだ。民主党とあっているとは思えない。民主党内の旧社会党系、日教組、労連とのつきあいをどう解釈しているのだろう。個人名でいうなら法務大臣千葉景子のような国賊を、前田はどう思っているのだろう。
  1. 2010/02/08(月) 18:07:13|
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Windows7 クリーンインストール

 昨日、一度は思いとどまったクリーンインストールを実行した。固まっても再起動させればすむことだと割り切るつもりだったが、「しばしば固まる自作機を使ってる自分」に我慢がならず実行した。前回、「クリーンインストールしようとしたが思い留まった。またひとつ老いた気がした」と書いたのは──調べたら──1月28日だから、何度かのフリーズを体験しつつ10日間迷っていたことになる。

 98時代はOSが未熟だから固まった。マルチタスクを強要する私に無理があった。いまはそうではない。7が固まるのはどこか不具合が生じているのだ。それもまた未熟なOSの脆弱性と言えばそのとおりなのだが、昨年暮れまでそうはならなかった。快調だった。クリーンインストールすれば元に戻る。私の問題なのだ。それをしない怠惰な自分に腹がたってきた。

 確実になにかのソフトかドライバーが問題なので犯人探しをしたい。でももう諦めた。やることにした。



 私はHGSTの500MBとSamusunの1teraにWindows7-Ultimateを入れている。メインはHGST。SamusunはHDDが遅く?あまり好きではない。あくまでも補助だ。気に入ってない。でも今回は助けてもらった。DVDから起動してInstallせねばならないと思い、それが気重だったのだが、SamusunのWindows7を起動したまま、そこから入れられたのである。これは複数のOSを入れているものの特典だろう。以前もやっているから新発見ではないのだが、ふつうこれは主から従にはできても、従から主をいじることは拒まれるのだ。私のPCはHGSTが主なので、これは不可能と思っていた。

 思ったほど時間もかからず、面倒だ気が重いと遠ざけていたクリーンインストールはあんがいあっさりと完成した。



 細かなミスがいくつかあった。ひとつはiTunes。なんだかしらんけどジャンル分けがぜんぶ壊れてしまい、Mils DavisもDiana KrallもみんなCountryになっていた。そこまでは笑っていたのだが、BeethovenもHaydnもみんなCountryなので、これはちょっとと直し始めた。もう32000曲あるうち、ミュージシャンの9割がたがカントリー。しばらく修正作業を続けていたが、ばからしくなって投げた。クリーンインストール前にiTunesファイルを保存しておけばよかったと悔いる。クリーンインストールすると、自動でWindows-oldとして残るのだが、それを削除してから気づいた。失敗。ああいうものは急いで消さない方がいいと学んだ。今さらながらであるが。

 同じく、私はJane Styleもフォントから色まで細かくカスタマイズしている。これも消えてしまった。最初からやりなおすのはかなり面倒だ。それにしてもDefaultは無骨。自分のカスタマイズがいかにオシャレかよくわかった。

 それもこれもWindows7が安定していたからである。頻繁にクリーンインストールする必要があったなら、それを意識してこまめに保存していた。

 最新のWindows7でもちょいとした不具合でこんなことが起きる。風邪を引かないと決めていても急激に冷え込むとこんなことになる。いい勉強になった。

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【附記】

 その後、SamusunのWindows7からiTunesファイルをコピーして来て移植。こちらはあまり磨いていなかった(細かい誤りを訂正していない)ので完璧とは言い難いけど、八割方は復活。それでもこれからの間違い訂正がたいへんだ。大失敗である。

【附記.2】
 だいぶ前の感覚で「2万曲」と書いてしまったが、その後手直しを始めたら32000まで増えていることに気づいた。iTunesはぜんぶを聴くのには連続で108日掛かると表示している。初めてiTunesを入れたとき、8000曲ぐらいだった。1万曲突破はけっこう目標であり意識していた。ずいぶんと増えている。ただし万が一のことを思いふたつのハードディスクに入れているので重複も多い。それとオリジナルアルバムとベストアルバムの両方を入れるとまた重複する。意外に2万曲は正解か。
  1. 2010/02/08(月) 07:28:18|
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ひさびさに風邪.2──再勉強ブーム?(&変人考)

 先日、テレビのニュースで、いま日本史、世界史の本が中年層高年層に売れているのだとレポートしていた。取材先は(番組では明らかにしなかったけど)東京駅の八重洲ブックセンターだった。通いなれているからそれぐらいは私にもわかる。しゃれた本が売れているのではない。あの無骨な山川出版の教科書なのだ。それが店頭に平積みされている。まるでベストセラー「1Q84」みたいに。なんとも新鮮な光景だった。


「あの山川出版」という言いかたにピンと来るひと、こないひと、いろいろだろう。私は高校生のときの教科書がそうだったので、「歴史教科書=山川出版」という思い込みがあり、画面に映っている山川の歴史教科書に即座に反応した。そうじゃないひとには「あの」という言いかたは通じないかも知れない。名門であり歴史教科書の大手である。

「歴史教科書でもういちど勉強している中高年層」とは、すなわち私そのものだった。あらゆる面でふつうのひととちがった生きかたをしているので、たまにこんなのに出逢うとうれしくなってしまう。一般世間にも自分と同じ感覚のひとがいるのだと。



 それはつまり「ひととちがった生きかた」を私は意図的にしているのではないからである。「変人」に関する名言で最も心に響いたのは、「本物の変人は自分を変人だと思っていない」だった。私は自分を変人だと思ったことがなかった。一方、「世の中には変人ぶる平凡なひとが多いなあ」とはしばしば思ってきた。これはもういろんな業界で痛感したことである。
 つまらん例で言うとNHKの番組だ。変人を自称するのに、紅白歌合戦から大河ドラマ、朝の連ドラ、みょうに詳しい。しっかり見ている。自分は変人であり世の中の大多数が支持するそんなものには興味がないのだと言いつつ、毎年紅白歌合戦やレコード大賞を見て、その内容や視聴率を論じている。ごくごくふつうだ。なのになんでこのひとは変人だとアピールするのだろう。素朴に不思議だった。

 私は逆に世の中の大部分と同じように平凡に生きたいと願いつつ、いつしかこんなことになっていた。興味のないものには近づかない。ふと気づくと前記NHKのそれらをなにひとつ知らない自分がいた。紅白歌合戦は家族につきあっていた中学生以降いちども見ていない。
 スポーツ紙や週刊誌は読むので情報は得ている。ここのところはごくふつうだ。朝の連ドラに競馬を扱ったものがあり、武豊が武豊役でゲスト出演したことがあるとか、いま大河ドラマは福山雅治が坂本龍馬を演じているとか、紅白歌合戦の小林幸子の異様な衣装とか、昨年は矢沢が出たとか、一応知っているのである。でもただの一度も見たことはない。ほんの1分すら見ていない。もう40年以上。
 一応知っているつもりでも、さすがに見ていないから知らない。私はクイズ番組にそこそこ強い。歴史的問題、科学的問題、音楽問題、なんでも知っている。ところがこの種の問題が出るとなにも出来なくなる。たとえば「NHKの朝の連ドラに主演した女優の名を上げよ」「昨年の紅白歌合戦に出場した男性歌手、五人挙げよ」、こんなのはさすがに出来ない。
 見ないことが意識しての突っ張りだとふつうのひとになる。若いときはそうだった。誰もが見るから、おれは見ない、のような若者特有の突っ張りだ。そんなのはとうに過ぎている。40年だ(笑)。なまはんかな月日ではない。そういうことを鑑みて、ある日私は思ったのである。「もしかしておれって変人?」

 だからいま世の中に、私と同じように高校時代の教科書でもういちど勉強しようとしている同世代のひとが多いと知ったのはうれしかった。私だって見たくもない紅白歌合戦を見て、楽しげにそれを語ればふつうのひとになれる。でもそれは無理して擦り寄る虚構。そうじゃなく自分が楽しいと思ってやっていることを同じく楽しんでいる同世代がいた。それは、もしかしたら極めつけの変人かも知れない私にも、すこしはふつうのひとと共通点があるという、とてもうれしい出来事だった。



 誰に示唆されたわけでもないが、もうずいぶんと前から中学高校の勉強をしている。あえてサジェストを探せばビートたけしのあの謹慎中の出来事か。ガダルカナルタカの実家にこもっていたたけしは中学の教科書を全科目学び直し、そこから「平成教育委員会」のアイディアを思いつく。でもこれもたけしの真似をしたというより自分の中にたけしと同じ発想があったのだと思っている。この話を知ったときも、おれもやろう、ではなく、おれと同じだと思ってうれしかったことを覚えている。

 このたけしの感覚、私の発想、いまブームの世間一般、これはよくいえば向学心だが、受験勉強というものを通りぬけてきた者の「郷愁」ともとれる。わるい言いかたをすれば「現実逃避」とも言える。その体験をしていないひとからはこの発想は生まれまい。現実に私自身、「チャート式数ⅡB」で順列、数列に挑み、難問を解いているとき、解けたときに感じたカタルシスは、あきらかにタイムトリップ感覚だった。



 とまあそんなわけで、深夜に暖房のない部屋で、かじかむ指をさすりつつ写真のような教科書本で歴史や数学の勉強をするのは、往時を思い出しそれはそれで楽しい。いまは暖かくできるのにしないのだが、当時はしたくてもできなかった。田舎の家に全体暖房はなく、私の暖は足下のちいさな電気アンカだけだった。いま、深夜に震えながら勉強しているときの充実感は夏にはない。冬場独特のものだ。寒いことがプラス要素なのである。

 しかしここ数日の寒さは、そんなキレイゴトを言っていられるものではなかった。
  1. 2010/02/07(日) 18:57:19|
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ひさびさに風邪.1

 風邪を引いたらしい。咳が出て、くしゃみが出て、ゾクゾクして、鼻水まで垂れてきたから、やはりこれは俗に言う風邪というものだろう。引かないことに決めているのでもう何年も無縁だった。

 春夏秋冬いつも風邪を引いているひとがいる。いつ会っても、軽く咳をしたり、マスクを掛けていたり、熱があるんだと嘆いたり、一年三百六十五日、引いてない日の方がすくないのではないかと思える。私からするとわずらわしいひとになる。
 でもそれはそれで生きかたなのだろう。そんな形の病気とのつきあいを否定するつもりはない。いわば風邪がともだちだ。彼もまたそれを恥じてはいない。風邪を引いているのが自慢気だ。そういう一見腺病質のひとほど長生きしたりする。常に病気を意識するのはよいことなのかもしれない。風邪ひとつ引かない奴ほどポックリ逝ったりする。
 私は風邪と親しくしたいとは思わない。嫌う。何年も引いていないのは私なりの努力の結果でもある。すこしでも気配を感じたら徹底して遠ざける。ゾクっと来たら素早く巣穴に潜る。すべての予定をキャンセルして丸まり悪魔の通りすぎるのを待つ。それでなんとか無縁でいられた。

 朔日に初雪。当然のごとくその日は冷え込んだ。深夜に凍結した道を歩いた。さすがに寒かった。あの散歩が風邪の遠因だと思う。その後の冷え込みは尋常ではなかった。
 今年はエアコンもガスファンヒーターも点けないと決めていた。全体暖房なしで冬を乗り切るのである。さすがになにもないとつらいので炬燵だけは許すことにした。私の部屋は日当たりがよく暖かいのでさほどの問題ではない。好天の日など温室のようだ。冬でもハイビスカスが咲く。
 降雪まで順調だった。らくらくと乗りきれると思っていた。だがそれからがきつくなった。私は自作のデスクトップ機が大好きなのでPC作業は必ずそれでやる。ラップトップはビデオを見たり{Youtube}等で遊ぶ時ぐらいしか使わない。
 しかしここ数日、深夜のデスクトップ作業はつらかった。指がかじかむのだ。むかしの受験勉強時代を思い出した。
  1. 2010/02/07(日) 16:55:41|
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朝青龍引退のまとめ

 朝青龍はハワイで休養中。さてこれからの人生、宿願であるモンゴル大統領に立候補するにはまだ16年あるし(立候補は45歳から)、当面はどうするのだろう。私は挌闘家にはなってほしくない。休養して体調が戻ったら、相撲が取りたくて取りたくてたまらなくなるだろう。なんともせつない。

 引退報道の号外等、ホームページにまとめた。



 朝青龍引退報道まとめ



 どんなに惜しんでももう彼が土俵に戻ってくることはない。これ以上論じるのはいわゆる「死んだ子の齢を数える」になる。本日結びの一番にて、これにて打ち留め。
  1. 2010/02/07(日) 05:11:05|
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朝青龍──キムチの呪い

 今まで相撲のスの字も触れたことのないヤツが、ここぞとばかりに涌いてくる涌いてくる。蛆虫ども。それもこれもキムチの呪いか。



>みーんな逃げてばっかり。こんな大人ばっかり。



 三十にもなるのに寝惚けたこと言ってんなよボケ!

 1980年生まれ? ドルジと同い年か。なにが「こんな大人ばっかり」だよ。



http://isayama.at.webry.info/201002/article_6.html



【附記】

 下の馬みたいな間延びした写真、ゆってぃかと思った(笑)。ワカチコワカチコ。
  1. 2010/02/05(金) 19:02:15|
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一見熱心、その実あまりに空虚

 2ちゃんねるの朝青龍関係のスレを拾って読んでいたら、こんなのがあった。


 谷村有美という女がブログに朝青龍批判を書いたらしい。行って読んでみた。もっともらしいことを延々と並べ立て、朝青龍批判をしている。一見正当なようだが、ほんとに空疎。なあんにもない。よくぞここまでカラッポの文章が書けるものだ。


 つまりこの女、相撲のことなんかなにも知らない。いやそれ以前のもっともっと大切なこと、相撲をわくわくしながら見たことなど一度もない。なのに知っている限りの朝青龍に関する報道から、「らしきこと」を語っている。いわゆる便乗。典型的バカ女である。本人は文化人気どりか。

 この女がなにをやっているのか知らない。歌手か役者か。たとえなんであれ、自分が本気で取り組んでいる世界があるなら、こういう表面的智識を掻き集めただけの薄っぺらな内容の文が、真剣に生きているひとにとって最も不快なものであることに気づくはずだ。まだいるんだな、こういうバカが。


>髷を結い、和装が正装である関取ですので、忘れがちですが、彼の故郷は遠くモンゴル。


 忘れるのは相撲なんかぜんぜん好きじゃないのに、こんなときだけ出しゃばってくるおまえぐらいだよ(笑)。ドルジのポニーテールの写真集も朝潮の「ツルッツルですよ」発言もなあんにも知らずに書いている。こんなときだけの知ったかぶり参加。画に描いたような軽薄。

 2ちゃんねるでもボロクソだった。

http://playlog.jp/yumi-tanimura/blog/2010-02-04
  1. 2010/02/05(金) 01:31:07|
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横綱前の朝青龍

 ということで早速自分の過去の相撲文章のチェックを始めた。すると、「朝青龍はきっと横綱になるだろう」という一文を見つけた。



 1999年からホームページらしきものをやっていた。2004年までは思いつくことを日々日記形式で書いていた。音楽も相撲も政治も芸能もごちゃまぜである。整理がつかなくなったので、そこから項目別に分離独立させたのが2005年ぐらい。相撲項目の最初は2002年になっている。



 私が朝青龍に注目したのは入幕してからだった。白鵬や把瑠都のおっかけと比べるとずいぶんと遅い。もっともこれも朝青龍の魅力に気づくのが遅れた反省から、白鵬、琴欧洲、把瑠都等は幕下から目をつけることが出来たとも言える。

 当時、まだ元気だった亡父と一緒に「大相撲トトカルチョ」に参加していた。一場所3千円の参加費でハワイ旅行や電気製品等を競う遊びである。小結から横綱に駆けあがるまで、私の一位指名はいつも朝青龍だった。もちろん横綱になってからも。父が2004年12月に死んだので、最後の参加は9月になった。



 ホームページに残っている文章が2002年からなので、印象的なものはないと思っていた。でも前記の文を見つけた。つまりまだ横綱になる前から書いていたのだ。よかった。

 文章のほとんどはマスコミの朝青龍批判に対して、朝青龍を庇う内容だ。無敵横綱になってからではそれもつまらない。横綱以前の文がいくらかあると知って安心した。ここのところの私の朝青龍ネタは張り差し批判ばかりだが、全体的に見ればほんのすこし。自分がいかに朝青龍好きでマスコミの朝青龍批判に反撥してきたかが解る。もうあの相撲が見られないのかと思うとかなしみは消えない。



 貴乃花が引退したとき、ちっともかなしくなかった。膝がもうどうしようもなかった。さらには精神的にも千代大海相手に変化までしていた。さっさと引退してくれと思った。横綱の引退とはそんなものだ。だが朝青龍は把瑠都を空気投げ(のような技)でほうり投げ、琴欧洲を合気道(のような技)で空中回転させた。こんな形で引退する横綱は前代未聞だ。あまりにもったいない。
  1. 2010/02/05(金) 00:55:56|
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追憶の朝青龍

 思えばこの八年、ホームページにずいぶんと朝青龍のことを書いてきた。どれほど書いてきたか、相撲好き、朝青龍好きのかたは、ぜひ下をクリックして確認してください。これぐらい書いてきたヤツならすこしぐらいでかいことを言っても許されるのではないでしょうか。目次下部の場所毎のものもほとんど朝青龍ばかりです(笑)。



 相撲



 古い文章にはきっと勘違いや誤字も多いことだろう。今夜はこの八年分を読みかえし、それらの修正をしつつ引退してしまった朝青龍を偲ぼう。
  1. 2010/02/05(金) 00:07:16|
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NHKの朝青龍密着

 そんなわけで、今夜の朝青龍のニュースはもういいやと思っていた。各局とも主は引退記者会見の様子だ。短いものだったしもう暗記するほど見た。そのあとの相撲映像も民放は相撲協会から借りた似たようなものばかりだ。見るほどのものでもない。明日の朝のワイドショーはバラエティ番組に出演したときの様子など各局工夫を凝らすだろう。そっちでいい。貴重な勝負映像はなんといってもNHKだ。それは特集の時に録画しよう。そう思っていた。



 ところが何の気なしに見たNHK午後九時のニュースにぶっとんだ。記者会見が終わり民放のカメラが追う中を、窓からファンに手を振りつつ朝青龍の乗った黒塗りのクルマが去って行く。なんとその国技館を去って行くクルマの中にNHKのカメラとインタビュアがいたのだ。いやはやよくぞ許したものだ。よくぞNHKも乗りこんだものだ。九時のニュースではその車内での映像が流れた。これを見ておかなかったら一生悔いたところだった。いやああぶないあぶない。



 その車内では、いま引退記者会見を終えてきたばかりの朝青龍にインタビュアがかなりキツいことを問う。「土俵に未練はないですか?」「挑戦したかったですね」「何にですか?」「記録にです」のように。そんな中、まるで泣けとでもいうように、「もう二度と土俵にあがれないんですよ、それでいいんですか?」。それでいいんですかもなにももう引退を宣言したのだからどうしようもない。しばし目を閉じていた朝青龍の方が冷静に「まだもういちどありますから(引退相撲)」と交していた。
 把瑠都はとうとう一度も勝てないままになってしまった。これからどんなに出世しようと、朝青龍に一度も勝てなかったという記録が消えることはない。



 今日の午前中に取材したというNHKレポーターは「その時点では引退の意思はなかった」と明言していた。どうやらあのチンピラと示談も成立したし、いつもの厳重注意や出場停止で済むものと思っていたようだ。午前中のテレビでは、チンピラの書いた示談書の文面が紹介されていた。そこでは「自分のことで引退なんて事になったら一生重荷を背負うことになるから、どうかそれだけは避けて欲しい」のような、そいつからも朝青龍に恩情ある判決を願っていた。朝青龍もこれにて一件落着の気分だったろう。



 ところが理事会だか横審だか知らないけど、そこから強硬意見が連発したらしい。最後は千代の富士に説得されたようだ。解雇になると退職金(推定1億4千万)も出ない。引退相撲興行も出来ない。3億は違うだろう。ことここにきて朝青龍も覚悟を決め、引退としたらしい。



 しかしなあ、部屋で親方と話しあい、決めて来たのならともかく、これからも相撲を取るつもり満々で国技館まで来て、追い詰められてのその場での決断はつらかったろう。白鵬の涙がすべてを語っているように思える。雰囲気だけで相撲を語るニワカ相撲ファンはともかく、毎場所毎日相撲を見てきたほんとの好角家は、彼がいなくなることを嘆いている。もう朝青龍の相撲は見られない。なんでこんなことになったのだろう。悔しくてならない。私はよく言われる「自業自得」とは思わない。気の強い我の強い異国から来た青年を誰もが真っ当に導けなかった。なんとも残念な結果になった。

 
  1. 2010/02/04(木) 22:56:46|
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朝青龍、引退報道

 午後5時からのニュースは一斉に朝青龍引退特集。TBSは4時からの『水戸黄門』の最中に5分間ほど引退会見の様子を流した。

 衰えての引退ならともかく、今の時期の引退は残念でならない。貴乃花なんて引退場所は千代大海相手に変化までしていた。しかも負けていた。朝青龍も、先場所が私の大嫌いな張り差しばかりで10勝5敗ぐらいなら未練もないのだが、13勝2敗での優勝。しかも豪栄道は土俵際での油断負け。勝った豪栄道は反省ばかり。負けた朝青龍に敗戦のショックはなかった。実質負けたのは白鵬戦だけだ。さらには勝ち星の中に、あの把瑠都戦、琴欧洲戦がある。あんなモンゴル相撲の奥義を見せられたあといきなりいなくなるのではたまらない。淋しくて涙が出そうだ。



 朝青龍は周囲の人間に恵まれなかった。親方はもちろん、後援者筋に細木数子、アドマイヤの近藤利一、包茎手術のあの医者、親しいのが亀田一家、シンパに野村沙知代、増長させるのはいても諌められるのはひとりもいない。よくもまあそんなのばかりが集まったものだ。それが彼の磁力なのだろう。

 引退の原因となった「知人」なんてのもそのひとりだ。芸能界麻薬汚染の際必ず名前の出る悪名高いチンピラである。出自も怪しい。あんなのとつき合い、あんなのの店に飲みに行ったことが今回に繋がった。負のパワーの結実である。



 引退を聞いて会見に臨んだ白鵬が泣いていた。

 いま午後7時のニュースが終ったところ。このあと夜のニュースがあるが、編集時間を考えると、明日の朝のワイドショーの方が(貴重な映像等を)期待できそうだ。

 朝青龍引退をボロクソに言っているひとがいるが、基本的にそれは相撲に興味がないからだ。どの程度相撲を見ているのだろう。朝青龍は千両役者だった。千両役者だからこそ私はその魅力を半減している張り差しを嫌ってきた。もう朝青龍の相撲は見られない。Kなんていうカスとさえ知りあわなければ深夜の泥酔大騒ぎだけで済んだのに。もったいない。なんとももったいない。
  1. 2010/02/04(木) 19:39:35|
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朝青龍、引退表明!

 午後3時10分、NHKの国会中継を見ていたら「朝青龍、引退表明」のニュース速報が流れた。すぐに書いている。いま3時13分。忘れられない瞬間になる。
 そうなるまえに「私の朝青龍」をまとめておきたかったが間に合わなかった。引退なら引退で、今度は彼を讃え惜しむ声が溢れるだろう。把瑠都を宙に舞わせ、琴欧洲を一回転させた彼にしかできない相撲はもう見られないのか!? 優勝しての引退は曙以来か。Kなんてクソと関わるからこんなことになる。「ミヤネ屋」、早く速報しろ!
  1. 2010/02/04(木) 15:13:29|
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佐藤康光、A級から陥落──一期で復帰しろ!

将棋:名人戦順位戦A級 名人経験者の佐藤九段が降級 三浦八段が単独首位

 羽生善治名人(39)への挑戦者を決める第68期名人戦A級順位戦(毎日新聞社、朝日新聞社主催)8回戦の5局が3日、東京・将棋会館と大阪・関西将棋会館で行われた。三浦弘行八段(35)が谷川浩司九段(47)を破り、6勝2敗で単独首位に立った。

 一方、名人獲得2期の佐藤康光九段(40)は藤井猛九段(39)に敗れて1勝7敗となり、B級1組へ降級することが決まった。名人経験者のA級からの降級は、塚田正夫名誉十段、加藤一二三九段、米長邦雄永世棋聖、中原誠十六世名人に次いで史上5人目。

 佐藤は名人・A級に連続14期在籍。タイトル獲得は計12期で、永世棋聖の資格を持つ。だが、今期は実力を発揮できず、接戦の末に負けるケースが多かった。(毎日新聞)


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佐藤は強い。必ずまた復活するので私は気落ちはしていない。ただ「名人経験者A級陥落史上五人目」なのだが、塚田、加藤、米長、中原が、完全に棋士としての最盛期を過ぎての陥落なのに対し、佐藤はまだまだ若く指し盛りであり、名人戦リーグ以外では強いから、これはかなりの「珍記録」になる。そういう意味では「史上初」になる。



 塚田さんは木村から名人を取り、取りかえされ、完全に燃えつきての陥落、そして引退だった。加藤の陥落は六十半ばである。大山のように生涯A級はならなかったが、「神武以来の天才」として見事な陥落(って言いかたもへんだが)だった。米長、中原も同じ。天才が五十を過ぎ、燃えつきての陥落だった。陥落して間もなくフリークラスになり、数年後には引退している。名人経験者のA級陥落とはそういうものだ。ものだった。佐藤がへんな記録を作った。

 昨年も危なかった。心配してホームページに書いた。佐藤は名人リーグと相性が悪いのだ。対して抜群にいいのが森内。ふたりのこのリーグ戦における勝率はとんでもなくちがう。



 ところで名人経験陥落者四人に対して、塚田だけ「さんづけ」してしまった。こういうのが「世代」なのだろう。私が本気で将棋を始めたのは中原時代。大山、中原、米長、内藤、有吉、大内らが活躍していた時代だ。彼らは将棋ファンの私にとって現役プレイヤーだったから今も呼びすてになる。そのとき塚田さんはまだ『将棋世界』や『近代将棋』に随筆を書かれたり詰め将棋を発表したりして元気だったが、立場はもう「元名人」の将棋連盟会長であり、印象は好々爺だった。どろどろしていなかった。だから自然に「さんづけ」になってしまった。こういう世代感覚はおもしろいと思う。
 読みかえしていたら、「世代」とは無関係の木村名人を木村と呼びすてにしていることに気づいた。これは矛盾になるが、木村の場合は将棋の象徴であり、力道山や大山倍達に「さん」をつけないのと同じ感覚になる。

 そういえば若いプロレスファンが馬場のことだけ「馬場さん」と呼ぶのが流行ったことがある。あれも現役バリバリの馬場ではなく、前座でお笑いプロレスを展開する「社長レスラー」から好きになったファンなら、自然に「さんづけ」なのであろう。もちろんこれも馬場の二十代を知っている私は呼びすてだった。



 佐藤の二大缺陥は、名人リーグの成績が悪いことと、ほとんどすべての棋士に勝ち越しているのに羽生との対戦成績が悪いことだ。なのに名人にもなり、これだけの成績を上げているのだから見事としかいいようがない。歴史に残るA級棋士である。

 タイトル獲得数歴代6位は、大山、羽生、中原、谷川、米長についでか。これらの名を挙げるだけでいかに佐藤が一流棋士かが解る。



 私が佐藤にインタビュウしたとき、彼はまだ五段だった。そのときタイトル戦線に飛びだしていたのは羽生だけであり、佐藤も森内もまだ世に出ていなかったが、誰もがもうそれを確信していた。

 と書くと私が将棋記者みたいだけどそんなことはない。友人に頼まれてたまたまやった仕事。将棋の仕事は三回しかやっていない。私が直接インタビュウしたことのある超一流棋士は彼だけなのである(笑)。でも応援しているのはそんな身贔屓からではない。「中原世代」の私と彼らは世代は違うけど、いわゆる「島研」「羽生世代」のあの連中は将棋界を変えた怪物達であり、惚れないのがおかしい。

 佐藤は劣化していない。いまも棋王戦の挑戦者だ。必ず復活する。だがまだ四十歳の元名人のA級陥落は、やはり歴史的「珍記録」ではある。



「名人経験者」は、あと谷川、森内、丸山がいる。現名人の羽生もまた「名人経験者A級陥落」の資格?をもっていることになる。谷川、森内、羽生は永世名人だ。丸山はタイトルは名人しかない。まさか佐藤が丸山より先に陥落を経験するとは思わなかった。

 失礼ながら毎年心配しているのは羽生や佐藤より上の世代であり四十七歳の谷川だ。もしも陥落したら、潔いあの性格から引退してしまうのではないかと案じている。さいわい今年は挑戦者になるぐらい成績がよい。もういちど羽生谷川の名人戦が見たい。挑戦者になってくれ。これまた失礼ながら三浦じゃ盛りあがらない。

 佐藤よ、一期で復帰しろ!

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【追記】──一期でA級に復帰しました。さすが。ものがちがう。
  1. 2010/02/04(木) 14:39:40|
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昨今政治局面漫談

 このごろ政局のことを書いていない。もっと書いて欲しいとメールをもらった。私ごときの書くそれを楽しみに待っていてくださるのはありがたい。だけど何を書くのだ。民主党批判はたやすいが、批判した先に何がある。なにもない。いま政治について元気に発言できるのは、いつでもどこでも永遠に正しい(と思い込んでいる)共産党支持者ぐらいだろう。


 民主党があの程度なのはわかっていた。しかし自民党のバカぶりは想像を超えていた。


 なんとも笑ってしまうのは質疑における「上から目線」である。未だに与党時代の感覚を引きずっていて、「キミたち新人に、教えてやろう」「まだまだだな」的な高見からの餘裕発言をしている。まことにまことにみっともない。それでいて「日本がこうなったのはあんたらの責任だろう」と逆襲されると逆ギレする。この逆襲も、成績のわるいこどもが親に叱られたら、「親譲りだ」と反撃するようなものでかっこわるいが、逆ギレはもっとみっともない。だってそれは絶対的事実だから。信じがたいことだが自民党にその自覚はないらしい。





「乞食の昔語り」という言葉がある。落ちぶれた乞食がむかし自分がいかに裕福だったかを自慢することだ。どんなにむかしを自慢しても今が乞食である現実からは逃げられない。それをわらった表現である。



 と、ここでちと脱線。ここのところ昨年12月に発表になった新IME、Google-IMEを使っている。二十年以上磨き上げてきたATOKがあるので今更あらたなIMEなどいらないのだが、こんなものをいじるのがソフトオタクの楽しみだ。そのことはホームページで詳しく書くとして。


 下の画像にリンクしました。興味あるかたはぜひDownloadして使ってみてください。





 このIMEの魅力はGoogleで検索されたことばから辞書を作っているので流行語に強いことにある。くだらん若者ことば等が一発で出る。しかし本来の文学的?表現には弱い。その辺は辞書登録しつつ気長に育てねばならない。今も上記「わらった」を私は「嗤った」にしたかったのだが出ない。2ちゃんねる用語の「(藁)」は出る。まことにくだらん。一人前に育てるまでまだまだ時間が掛かりそうだ。でもMS-IMEよりは遥かに優れている。無料。ATOKは8000円。ATOKあやうし!





 谷垣やらカトウコウイチやらが質問に立ち、まるで先生が生徒を叱咤するような態度をとっている。それに目が泳いでしまう総理もなさけないが(笑)、自分の立場を自覚していない元与党はもっとなさけない。僅差で敗れて次があるならまだしも、ほとんど再生は絶望的な状況なのに、乞食はまだ自分の立場が認識できずふんぞりかえっている。


 目が泳いでいる総理も、返答に窮している新米大臣も、時と共に一人前になって行く。だが今現在乞食なのにそれを自覚できず、むかしの裕福気分で餘裕発言している乞食は、もう野垂れ死ぬだけなのだ。バカである。しみじみバカだと思う。





 予想通り小沢は不起訴で決着がつきそうだ。そんなの読めていた。


 小沢の金権体質などいまさらだしどうでもいい。政治家はやるべきことをやってくれれば清濁併せ呑むのはむしろ度量になる。だから小沢の金に汚い部分を責める気はない。だが天皇陛下を政治利用したことは許せない。近ごろあれほど不快な出来事はなかった。こいつの媚中感覚はどうなっているのだ。日本と、現実に日本に向けてミサイルを配備している国と、有事の場合そのミサイルを撃ちおとしてくれるという約束(実現するかどうかは別にして)をしている国とで「正三角形」を作れるはずがない。正気とは思えない発想だ。


 票を取るためなら輿石なんて日教組でも重用する感覚。それは「清濁併せ呑む」とはちがう。思想のない変節漢だ。まさか輿石が政権与党の顔として「小沢幹事長を護る!」なんて発言する時代が来るとは思わなかった。悪夢である。日本中の日教組を一ヵ所に集め、そこに爆弾を落とすと日本もずいぶんとましになる。


 ともあれ自民党という腐った水が澱んだままよりは、どんな形であれ一度流れたのはよかったのだろう。自民党にとっても民主党にとっても。


 これからの再編成に希望を託す。しかない。





 長崎知事選に予定通り大仁田が出馬。橋本も東国原も支持したけど、こんなのはしない。彼らとは違う。単に権勢慾名誉慾が強いだけの無能。最低のヤツ。長崎県民の良識を信じたいが、長崎県民の政治センスというのも???なので、どうでもいいか。






 リクエストをくださったかた、この程度の漫談で御容赦を。
  1. 2010/02/04(木) 02:46:18|
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グラミー賞──マイケル{This is It}

 そうだ、書きたかったのは歯ぐきのことではない。テイラー・スウィフトと「マイケルのこども」についてだった。52回グラミー賞で、マイケル・ジャクソンは特別功労賞を受けた。そして受賞の場に息子と娘が現れた。まるっきり白人の容姿である彼らを観ておどろいた。その感想。その前に遺作ビデオについて。





 マイケルの遺作ビデオ「This is It」が話題になっている。昨年11月のロードショー公開時からもう絶賛の嵐だったが、1月27日のDVD発売でまた盛りかえしている。どれぐらい話題になっているかというと、音楽のことなどなにも知らないターザン山本さん(いやご本人はかなり音楽に関して自信があるらしいが)ですら何度も日記で取り上げ絶賛しているほどだ(笑)。



 私はこれを日本公開前に入手し、かなり早くに見ていた。昨年11月にM先輩と会ったとき、見てきたばかりの先輩がこの作品のすばらしさを語っていた。それを拝聴しつつ、すでに見ているヤツだなと確認した憶えがあるから、やはりそれよりも前に見ている。

 すでに見ているのに黙っていたのは、マスコミ用試写会でいち早く観てきた先輩よりも引き篭もりの私がさらに早く見ていることの説明が億劫だったからだ。それと、熱心に対峙して観劇してきた先輩と違い、あまりマイケルに興味のない私は漫然とBGVとして流していただけだった。語る資格がなかった。



 すばらしいエンターテイメント作品だ。なのに今まで一切触れなかったのは、ホームページを始めて十年、「音楽」としてまとめた項目にかなりの量の音楽に関する種々雑多な話を書いておきながら、マイケルのマの字も書かなかったのに、死んだからといっていきなり取りあげ、礼讃するのはみっともないと判断したからだった。それじゃ山本さんと同じになってしまう。

 もちろん私は彼の音楽をジャクソンファイブ時代から知っている。彼の主だったアルバムはぜんぶ聴いている。今も持っている。だからこの遺作を友人から勧められて観て、いきなり熱くマイケルを語りだした山本さんよりはましだと思うけれど。

 でもけっしてマイケルの音楽を愛聴はしていない。好きなミュージシャンを選んでいったら50位までにも入らない。たとえばあの世界的ヒットアルバム「スリラー」も、マイケルへの興味より、好きなギタリストであるスティーブ・ルカサーやTOTOの連中を確認したくて聴いたようなものだ。



 こういう場合、自分の感覚を確かめるには「生きている」と思えば判る。

 マイケルはまだ生きていて、来日してこのビデオと同じコンサートを東京ドームでやる。それに行くかどうかだ。私はノラ・ジョーンズやダイアナ・クラルのコンサートは行きたいが、マイケルの東京ドーム公演には行かないだろう。DVDで充分だ。

 マイケルがまだ生きていて、このリハーサル風景を収めたビデオがアメリカで発売になった。私はそれをいち早く入手した。一般の日本の音楽ファンはまだ見ていない。私は知ったかぶりでレビュウを書くか? 書かない。

 そういう私のようなのがこれに関して書いてはいけない。それじゃ「死人商売」になる。感想は、マイケルが大好きで、その死に涙した、全財産をはたいても公演を見たいというマイケルファンが書くべきなのだ。「とか言いつつ書いたじゃないか?」いや書いてない。これは書かないという姿勢の説明だ。
  1. 2010/02/04(木) 02:33:46|
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グラミー賞最優秀アルバムにテイラー・スウィフト「Fearless」──Lady Gaga、臥牙丸、小柳ルミ子、石野真子、由紀さおり、上原、マイケルのこども

 52回目のグラミー賞。年間最優秀アルバムはテイラー・スウィフトの『フィアレス』。これは伏兵になるのか。



 世界最大の音楽の祭典「第52回グラミー賞」の授賞式が1月31日(日本時間1日)、米ロサンゼルスのステープルズ・センターで行われ、最優秀アルバム賞に米女性カントリー歌手、テイラー・スウィフト(20)の「フィアレス」が選ばれた。

 カナダ人女性歌手、アラニス・モリセット(35)が1995年に記録した20歳7カ月を抜き、史上最年少の20歳1カ月で受賞。「年をとっても、私の孫に何度も何度も今日のことを話すでしょう」と興奮気味にあいさつした。

 米カリスマ歌手、ビヨンセ(28)らと争った末に“新歌姫”を襲名。女性カントリー・ボーカル・パフォーマンス賞、最優秀カントリー・ソング賞、最優秀カントリー・アルバム賞を合わせて4冠を獲得した。

 出演映画「バレンタインデー」(12日公開)のPRを兼ね、14日に初来日することも決まった。
msnサンケイ





 Lady Gagaのファンは「なんで実力派のガガではなく、あんなかわいいだけの歌の下手なヤツが」と怒っているようだ。私はダンス音楽はあまり好きではない。ガガと聞くとLady Gagaより臥牙丸を思い出すほうなのでそれはなかった。



 念のため、臥牙丸とは大相撲の力士。「ががまる」と読む。愛称ガガ。グルジア出身。黒海、栃ノ心に次ぐグルジア第三の男だ。初場所では十両優勝した。







 テイラーはかわいい。かわいいことはいいことだ。二年前、エイミー・ワインハウスが受賞したとき、あの手の音楽がいちばん好きだから心から拍手を送った。「リハブ」なんて毎日聞いていた。そのとき書いたことだけど、リハビリテーションの略が日本だとリハビリ、欧米だとリハブ、この差はおもしろかった。東京のマック、大阪のマクドみたいなものか。

 エイミーは楽曲も歌唱も最高だったが、何個所もの刺青と、いかにもジャンキーのようなやつれた顔と貧弱な体つきは好きになれなかった。若い頃はそういう不健康さすらも魅力に映る。年を取るとすなおにきれいなものがよくなる。

 その点テイラーはいまがかわいい盛り。白人は老けるのが早い。彼女もあと数年したら笑うと額にシワになるのだろう。すでにその徴候がある。なんで白人てあんなに早く額にしわがよるのだろう。私はカントリー系音楽が好きだからテイラーの受賞を祝福している。テイラーが音楽を始めたのはリアン・ライムスの影響、こどものころ聞いていたのがドリー・パートン。う~む、満点である。

 いまデビューアルバム収録の「Teardrops On My Guitar」を聞いているが、バックに控え目にアルペジオのバンジョーが流れていて、ペダルスチールの使いかたなんて初期のイーグルスみたいだ。リンダ・ロンシュタットを思い出す。アメリカのカントリーは日本の演歌になる。こういうソフィストケイトされたカントリーはアメリカ白人音楽の王道であり、今回のテイラーのアルバム賞受賞は先進的なダンス音楽よりも本家が優先されたということなのだろう。最多部門受賞はビヨンセだから、全体としては「新」アメリカの勝ちだが、最後の1部門は「旧」アメリカにしたのだ。それがバランス感覚。

 テイラーはこどものころ、カントリー音楽が好きなことを友人にからかわれたそうだ。周囲はダンス音楽やラップ音楽ばかりだったのだろう。
 音楽や映画の受賞作品と世相を結びつけて語るような視点は嫌いなのだが、世情不安の不況の時代には王道回帰になるのはまちがいない。



 テイラーの美人度を前面に出したプロモーションビデオを見ていると、あらためて「歯並び」のことを考える。テイラーはもちろん真っ白なきれいな歯をしている。

 小柳ルミ子がアメリカ進出をしようとしたとき、受け入れ先から八重歯の飛びでた歯並びの矯正を指摘された。彼女はそれで売り物だった?八重歯を抜いた。アメリカ的な感覚を是とするつもりもないのだが、「相手に不快感を与えないように歯列矯正」という考えはすなおに理解できる。その基本には「ハゲは遺伝だからしかたない。でもデブは自身の問題」がある。目が小さい、鼻が低い、口が大きい、それらは「個性」だ。でも歯並びが汚いことは個性にはならない。

 八重歯なんて醜いものが魅力と解釈されるのも島国のほぼ単一民族の感覚だろう。あんなものどう考えても鬼である。私がこどものころからそういう「八重歯の魅力」を売り物にする芸能人はいたが、こども心にもすこしもいいとは思わなかった。いま廃れたのはまことにうれしい。いまでこそすべて差し歯できれいな歯並びだが、石野真子(長渕の最初の嫁)なんてひどい乱杭歯だった。あんなものをアイドルとしてデビュウさせる事務所がまず理解できない。あのひどい乱杭歯を今のようなきれいな歯並びにするのは、もうとんでもない大工事だったろう。ほとんどの歯を抜いたのか。想像しただけで眩暈がする。それもこれもこどものとき親がほっておいたからである。こどものときに治してやればよかったのだ。親の責任である。

 このごろ日本でも歯列矯正のチェーンを捲いている少年少女を見かけることが増えた。いいことだ。成人でも見かける。まだ間に合う。やるべきだ。きれいな歯並びは世界中どこでもプラスに作用する。



 しかし歯はまだいい。治せるから。気の毒なのは歯ぐきだ。あれは治せない。すばらしい美男美女なのに笑った瞬間、ニュッと歯ぐきが出てすべてぶち壊しになるひとを見ると、しみじみ「惜しい!」と思う。

 これで思い出すのは由紀さおりか。彼女は素直に笑うと下品な歯ぐき全開になる。それが原因で映像向きではないと判断した事務所の方針で音声方面の仕事をしていた。今で言うジングルだった「スキャット」が話題になり、歌詞をつけて「夜明けのスキャット」に化けて大ヒットした。その後もぜったいにそれを出さないよう常に唇を歯に被せて歌い、話すときも歯ぐきが出ないように気を遣っているのを見ると、たいへんだなと同情する。ひとりになったときは思いっ切り歯ぐきを食いだしているのだろう。くつろいで欲しいと心から願う。あの安田姉妹は、妹がチマチョゴリの似合う卵形の典型的朝鮮美人なのに、姉さんの方はエラの張った典型的朝鮮ブスだ。全姉妹なのにうまくゆかんものである。

 歯ぐきと言えば元巨人の上原なんてのも「惜しい!」と思う。テイラー・スウィフトのグラミー賞受賞の話から上原の歯ぐきになってしまった。テイラーのPVでも見て気分を直そう。そうだ、書きたかったのはマイケルと、こどものことだった。
  1. 2010/02/02(火) 18:35:08|
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相撲協会理事選──貴乃花が当選!

 今日のワイドショーは朝から相撲一色。朝青龍暴行問題と貴乃花の理事選。ちょうど土日に皇司と潮丸の引退相撲が連続してあったものだからネタも映像もたっぷり溜まっている。東関部屋を継ぐ潮丸は二所ノ関一門だから朝青龍も土俵入りを奉じている。

 日テレ「ミヤネ屋」で「貴乃花親方、当選!」と報じられたのは午後2時半前。NHKではニュース速報としてテロップが流れたとか。



 ニッカンスポーツも2時半に速報している。

 日本相撲協会は1日、東京・両国国技館で任期満了にともなう理事選挙を行い、一門を出て立候補した貴乃花親方(元横綱)が予想を覆して初当選した。他の一門からの投票があった。他に陸奥親方(元大関霧島)鏡山親方(元関脇多賀竜)も当選し、新任は3人。大島親方(元大関旭国)が落選した。 [2010年2月1日14時30分]



 ミヤネ屋では下の写真のように(画像は2ちゃんねるの相撲板から拝借)「当初の予想」「実際の結果」なんて欄まで作って大騒ぎ。ちとはしゃぎすぎ。相撲ファンとしては楽しいが。







 これぞまさに「番狂わせ」だった。貴乃花の確保していたのは自身の票を入れて7票。あと3票ないと当選できない。一門は結束を固めて裏切り者が出ないようにする。一門に属していない犬猿の仲の高田川(安芸乃島)と千田川(前の山)はあちら側と決まっている。どう考えても切りくずしは不可能と思えた。

 一般の選挙なら風向きによって変ることがある。だがこの場合のように「111票」と数がすくなく完全に読める場合はありえない。心情的に応援しつつも敗戦は確定と思っていた。



 ▼定数10、有効投票総数111

当 武蔵川 (元横綱三重ノ海、出羽海、現) 11

当 二所ノ関(元関脇金剛、二所ノ関、現)  11

当 放 駒 (元大関魁傑、二所ノ関、現)  11

当 北の湖 (元横綱北の湖、出羽海、現)  10

当 出羽海 (元関脇鷲羽山、出羽海、現)  10

当 友 綱 (元関脇魁輝、立浪、現)    10

当 九 重 (元横綱千代の富士、高砂、現) 10

当 陸 奥 (元大関霧島、時津風、新)   10

当 鏡 山 (元関脇多賀竜、時津風、新)  10

当 貴乃花 (元横綱貴乃花、無所属、新)  10

  大 島 (元大関旭国、立浪、現)     8


カッコ内は現役名、所属一門

現は現職、新は新顔



 落選した大島は赤っ恥。今ごろ怒髪天で犯人探しをしていることだろう。彼らの立浪部屋から2票流れたのだ。出羽の海一門は29票に高田川らが合流しての31票は完璧。同じく貴乃花ら7人を破門にした二所ノ関一門は22票とこれもピッタシ。まあ昨日もホテルに集合して裏切り者のでないように絞めていたから当然か。

 ミヤネ屋のボード一番上の見出しは「造反者は出たのか!?」。三人出たことになる。次は犯人捜しだ。簡単に見つかるだろう。隠しようがない。私も今立浪一門20人の親方をながめつつ、誰なのだろうと思案中。貴乃花に票が流れるとは思っていなかった(=落選確実)ので考えたこともなかった。



 今はまだ結果が出たばかり。これから記者会見があり、夜のニュース、明日のワイドショーのころには、造反者の名も明らかになる。むろん「造反者」ではなく、信念を持っての1票と讃えたい。

 貴乃花がなにが出来るのか、貴乃花の改革理念はどこまでのものなのか、まだ不明だ。だが彼は近年稀なガチンコを貫いた偉大な力士だった。今までの相撲協会の体質が地位を利用した利権体質であることは明白だ。九重のような談合横綱が理事長になるような流れは止めねばならない。さすがにあれだけの実績だから、なる可能性は高いが、すぐに貴乃花が追い落とすだろう。期待はそこにある。貴乃花がいれば談合千代の富士理事長の腐った長期政権になることはない。



 ミヤネ屋の報道は、貴乃花の隣にいるのが放駒(魁傑)なのに大島(旭国)と言ったり、理事会から引きあげてくる親方へのぶらさがりインタビュウでも、松ケ根(若嶋津)と花籠(太寿山)のテロップを間違えるなど相撲ファンからするとひどいものだった。

 しかしまたそれは、そういう相撲に詳しくないマスコミも一所懸命に報道してくれている、とも取れるわけで、好角家からすれば魁傑と旭国、若嶋津と太寿山をまちがえるはずがないのだが、一般的にはそんなものだろう。まあマスコミであるからして、担当者は顔と名前を確認しておけよ、ぐらいは言いたくなるが。



 あとは「朝青龍問題」だが、私は大勢を占めている「解雇」「引退勧告」に反対である。理由は明解。朝青龍が暴行したとされる「一般人」はちっとも一般人ではないからだ。すると朝青龍が責められるのは「本場所中に明け方まで大酒」に絞られる。まあこれも次第に真相が明らかになるだろう。

------------------------------

【附記】 二所ノ関一門!?

 立浪からの2票と、もう1票は二所ノ関一門かららしい。23票もっていて22票しかない。これは重要だ。あの一門にもうひとり賛同者がいたことになる。誰だろう。
  1. 2010/02/01(月) 17:00:01|
  2. 大相撲
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ひさしぶり、府中へ

 昼、IPATでセコ馬券をやるつもりでいたらIさんから「出て来い」と電話。こんな競馬日和に家にいるとはけしからん、と。

 もう出来上がっている。夜勤明けに朝から仲間と飲んだようだ。先輩の命令なので出かけることにする。
 朝からどうやって飲むのかと思ったらファミレスだという。なるほど、その手があったか。ファミレスなら24時間飲める。酒好きの勤め人はいろんなことを考える。



 冬晴れ。東京競馬場はいい。広々としたターフ。世界一でかいターフビジョン。
 メインの根岸ステークスと最終レースに参加。メインは、パドックでよく見えた藤田ケイアイテンジン、川田スーニを軸に流す。ともに敗れて完敗。逃げたケイアイテンジンが惨敗したあの展開で2着確保のサマーウインドは強い。
 最終はもういちど藤田のキャッツインブーツ本命。相手にカツハルのケイアイプラウド。メインで2番人気のケイアイが負けた。今度は来るだろう。パドックで梶山さんに挨拶。会うのはひさしぶり。
 馬単、馬連、ワイドの三種類を一点勝負。藤田、大きく出遅れる。2番人気だったので場内がどよめいた。ケイアイプラウドが逃げきり、最後の直線、ダートとは思えないキャッツインブーツの凄い追いこみ。届かず3着。ワイドのみ的中。480円。均等買いだったのでこのレースはとりあえず浮いたが……。あの出遅れがなかったらみっつとも当たっていた。勝っていたレースだった。2着に来た人気薄はクラストゥス騎乗。マークしていたので、その気になれば?馬単290倍は取れた。○▲だ。でもなぜかこのレース、一点勝負をしたかった。三種類買っているから一点勝負とは言わないか。



 私はIさんとすこしだけ飲んで帰るつもりだったのだが、Iさんがみんなと飲みたがる。 『日刊競馬』の飯田さん他のいつものメンバーと合流。居酒屋で飲み会。二次会はカラオケスナックで盛りあがる。サンスポの佐藤さんに挨拶。今日と同じくIさんに呼びだされた昨年の府中最後の日、JCの夜は、ここで塩崎さんや清水さんとも会い、異様に盛りあがったのだった。
 飯田さんたちは麻雀へ。Iさんとふたりで三次会をやる。そのあと「新宿、行くか!?」とIさんが誘ってくれる。疲れているのが見えたので自重。私はまだ元気だったがゴールデン街に出たら徹夜になる。朝から飲んでいるIさんはまいってしまうだろう。

 駅で別れる間際、べろんべろんのIさんに「おまえ、出て来てよかったろ! おれのお蔭だぞ! 元気出たか?」と何度も言われる。心遣いに恐縮する。

 東京競馬場の壮大さは心に残った。あれは毎週通っていた時期には感じなかったものだ。大レースではないほどほどの人出もよかった。



 それはまた競馬と遠くなっている今の自分を感じることでもあった。IPAT100円馬券師の今、自分が府中で百万勝負をしていたとは信じられない。金回りが良くなってももうそんな愚かなことはしないだろう。
 それはJRAが4兆円企業にもどることはないということでもある。少額で大穴の狙える3連単馬券等の導入は自分で自分の首を絞めたとも言えるが、健全であり、必然の流れだった。そもそもバクチの胴元が4兆円企業なんてのがまちがいなのだ。売りあげが落ちつづけている今を嘆き、「落ち目の企業」と自虐的に言う関係者もいる。そうではない。脂肪太りの醜い体が正常に戻りつつあるだけだ。それを自覚できず過ぎた夢を追って足掻くのはみっともない。私から見るとまだ肥っている。
  1. 2010/02/01(月) 06:34:27|
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2001年に始めたサイトMone's World--http://monetimes.
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