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国会中継感想2──居眠りするイラ菅

 国会の質疑で最もつまらないのは、質問者が与党の場合だ。自民党政権で自民議員や、連立を組んでいるその他の与党(なにか宗教団体を母体にしたそんな党があったように思うが失念)の議員が質問する場合、なれあいなので緊張感がまったくない。


まことに当然の話であるが、与党民主党と連立しているので現在社民党は与党である。よって社民党議員の質問が生温くてつまらない。民主党を誉めたたえ「私達もがんばります」には白ける。


その点「確かな野党」の共産党はいつだってどこだって筋が通っていて正しい。共産党員になろうかな。清濁併せ呑むというが、共産党なら清だけ主張していればいい。楽に生きられそうだ。


前々回の選挙の時の共産党のコピー「確かな野党」には笑った。競馬で言うなら「2着を狙います」宣言みたいなもので、「勝つ気はないのかい!」と突っこみを入れたくなる。共産党はこのコピーがかなり気に入っていたらしく、「私達共産党は確かな野党として」と多用していたが、ワイドショーなどでは「与党になる気はないんですか?」とつっこまれていた。猪木的に言うなら「闘う前から負けることを考えてるバカがいるかよ!」になる。頬を張られたのは佐々木アナ。夕刊キャッチアップ。





下手の横好きで義太夫語りが好きな旦那に奉公人たちが苦しむ落語「寝床」で、蔵の中に逃げこんだのに窓から義太夫を吹きこまれて七転八倒の苦しみを味わう番頭のその後を、志ん生は「ドイツに行っちゃった」とした。なんとも洒脱な人である。時代を考えるとこのサゲがいかにぶっとんでいることか。


志ん生を尊敬する談志は懸命に自分なりのオチを考えて「カムチャッカでシャケ獲ってる」にした。秀才が必死に努力したが天才には及ばない好例である。そもそもこのパターンを志ん生が考えだした時点で、行き先をどこにしようと志ん生には適わない。それが談志の限界だ。


息子の志ん朝は「共産党に入っちゃった」にした。こちらのほうが番頭の心の悩みを表していて「カムチャッカでシャケ」より秀逸である。さすがに共産党から抗議でも来たのかその後「書き置きをおいて出ていっちゃった」になり、これは使われなくなった。私はこの「共産党に入っちゃった」のオチが大好きだ。と今も思い出し笑い。


落語界の共産党支持者と言えば先代の正藏が有名。林家彦六。彼は寄席への定期券を持っていたが、寄席に行くのでないときは、その定期内の区間でもべつに切符を買ったという。いかにも共産党支持者らしい律義さだ。


ところですっかり与党気どりで左団扇の社民党だが、そんなにのんびりしていていいのだろうか。野党に落ちた自民党が政権欲しさに社会党と連立するという気違いじみたことをやったことがある。なりふりかまわない自民党もそうだが連立する社会党により笑える。結果、村山談話のような害が今も残ってしまったがあの連立の最大の効果は社会党解体だったろう。与党という毒りんごは強烈だった。


来年の参議院選挙で勝ち過半数を制した民主党は社民党、国民新党に冷たくなる。小沢は手懐けておいた方が得策とすぐに切るようなことはしないと思うが社民党に上がり目はない。まあ自社連立のときに社会党が「わーい、与党だ」と浮かれていたようにこれはこれでいいのか。


国会を見ていて毎度思うのは総理の答弁の多さだ。小泉首相時代、質問する方はテレビに映るパフォーマンスの場と考えているから、より注目度の高い人気総理との質疑応答にしたい。どうでもいいような内容でも名指しで質問する。大臣や官僚が応えようとすると総理に聞いているのだと譲らなかった。


それは今回も同じでやたら鳩山総理ばかりが答弁していた。その隣で寝ているのが菅だ(笑)。副総理とか国家戦略大臣とかいい地位に就いたようでいて「顔が見えない」と揶揄されている。国会でも出番はなく、座ったかと思うとすぐにまた答弁で文字通り「席の温まる暇がない」鳩山と比して、ずっと寝ているのが目についた。


カメラは意地悪く議場で寝ている議員を映し出す。あれは意図的だろう。よいことだ。これからも続けてもらいたい。しかし寝るかね。私ならテレビ中継のある日だけでも、太腿にボールペン突きさしても寝ているところを映されないよう気を遣うが。聞くところによると、ほんとに気持ち良く眠たくなる流れらしい。


菅の場合は副総理として鳩山の隣だから狙わなくても寝顔が映ってしまう。政治家の印象として大きなマイナスだ。どんな立派な発言をしようと国会中に居眠りしている議員に重みはない。鳩山の人気はあがり菅は下がる。あのキツい従妹の女房はもっと叱ってやってくれ。なんとも対象的なふたりだった。



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 有名でした







野党時代の居眠り菅。まだ五十代の若さ。もう終っている羽田とは年が違う。嫌いな政治家なので興味なかったが、ネット検索したら、いくらでも出て来た。菅てのはむかしから居眠りで有名なんだね。知りませんでした。
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  1. 2009/10/31(土) 13:51:38|
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ネット信奉の時代

 先日ある掲示板で競馬に関して誤ったことを書いている人がいた。指摘すべきかどうか迷った。しないほうがいい。してもこちらには何の益もないし、あちらも誤りを指摘されて不快になるだけかも知れない。そもそも波風立てず生きたいのなら掲示板になど関わってはならない。そう思いつつも私はついつい書きこんでしまった。

それは業界人にとってはごく常識的なことなのだが意外に一般には知られていない智識だった。もしかしたら私の心にそういうことを教えてやろうという驕りがあったのかもと思うと赤面する。ともあれ私は珍しくそんなことをしてしまった。



もしかしたら素直に受けいれてくれるかも、というのはやはり甘かった。激しく反撥された。いったいあんたは何ものだ、なにを根拠にそんなとんでもないことを自分に押しつけてくるのだ、と噛みつかれた。そこで私が姓名や経歴を名乗ればまたちがった展開があったかもしれない。でもネットとはそういう世界ではない。ほうほうの体で退散し自分のでしゃばり根性を恥じた。

そのとき印象的だったのは彼の言い分だった。「ネットで調べた。どこにもあんたの言っているようなことは載っていない。それがあんたの言うことがまちがいである証拠だ。文句があるならソースを出せ」と。



調べてみたらたしかに私の言っていることはインターネットに載っていなかった。といって彼の言っていることも載っていない。誤っている彼の意見はネット上で肯定されていなかったが、かといって私の意見が正しいと載っているわけでもなかった。旧い話だし個人情報だからなくて当然だ。よくあることである。だが彼は納得しない。

もしも自分の意見が誤りなら、誤りだとネットに載っているはず、あんたの意見が正しいなら、正しいとネットに載っているはず、という論理で押してくる。



彼はこんな言いかたもしていた。「インターネットが万能とは思っていない。だがあんたの言うことが事実なら、どうしても誰かの口から流れてしまうのがインターネットという世界だ。これだけ広い世界だ。どういう形であれ必ず載ってしまう。なのにない。それは不自然だ。それはあんたの言っていることが間違いだからだ」と。

一歩引いてはいるけれどインターネット世界を万能と思っていることに変りはない。どっちが正しいにせよ必ずインターネットにはその情報が載っているはずという思い込みだ。盲信である。



よほど私の指摘が不愉快だったらしく、彼は私が退散したあとも「まったくあのような不愉快なヤツは許せん。文句があるならソースを出せというのだ。インターネットにまったく情報がないということなどあり得ない。それだけでも彼の意見が嘘であることは確かではないか」と息巻いていた。

それを読んでいたら私も、なんだか「そうだよなあ」と思えてきた。彼の意見が正しく、私はただとんでもないことを書きこんでイチャモンをつけただけなのではないのか。だってインターネットに載っていないのだから。



規準とし指針とするものがあると人生は楽になる。絶対視して縋るものがあると迷いが消える。こんなふうにしてひとは宗教に目覚める。私もインターネット教に入信するか。
  1. 2009/10/31(土) 09:59:56|
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「司馬史観」と「浅田史観」

 司馬遼太郎は「坂の上の雲」で、乃木希典を兵隊を無駄死にさせた愚将として描いた。発表当時(1970年)は、それまで軍神と讃えられてきた乃木将軍を批判する内容に反撥も相当あったらしい。そのとき司馬はこう語っている。

「坂の上の雲」を書くにあたり、フィクションを禁じて書くことにした。描いたことはすべて事実であり、それが事実であると確認できないことは描かなかった。(朝日文庫「司馬遼太郎全講演5」)

だったらそれはもう小説じゃなくてノンフィクションだ(笑)。現実にそんなことは不可能である。だって自分が生きていない時代の話なのだから。極力自分の創作を抑え資料から史実のみを拾って構成したとしても小説は小説である。実際この作品ものちのち史実と違う部分、司馬の創作部分が指摘されている。あたりまえだ。しかしまあよくもこんなことを平然と言える。自信家なんだな。

「坂の上の雲」は、司馬遼太郎という一作家が昭和40年に百年前の明治時代を想像して描いた小説である。フィクションだ。彼はそこでそれまで評価の高かった乃木将軍に、以前とは異なる自分なりの解釈を試みた。やがてそれは国民小説と讃えられ、司馬の一意見は史実のようになって行く。世を動かしたのだ。これぞ小説家冥利であろう。



司馬遼太郎が司馬史観なら浅田次郎のそれは「浅田史観」になるのか。彼は「蒼穹の昴」「中原の虹」で自分流の歴史観を表現している。彼が挑んだのは、妾の地位から清の支配者にのし上がり、悪鬼のような所業で伝えられる西太后を、すぐれた為政者、あいすべき人柄、国民からも慕われた存在、として描くことだった。今まで伝えられてきた評判を180度変えようとした。その後、張作霖や袁世凱等の群像にもかつてない人物像を施している。

私はこの「浅田史観」がどうにも受けいれられない。だから小説としても楽しめない。どんなにおもしろい小説でも最初に自分なりの「史観」が先だてば楽しめないのだと知った。



名著と言われる息の長いベストセラーである「坂の上の雲」も、司馬遼太郎独自の「司馬史観」に反撥し、「バカらしくて読めない」というひとも当時は多々いたのだろう。この齢になって「浅田史観」に接したことから、やっとそのことが理解できた。

私が1970年に「坂の上の雲」を読んだなら、史観なんてものはカケラも持ってないアホだから、きれいに染まった。司馬の描くとおり乃木将軍を愚将と思い込んだ。彼を名将と讃えるひとがいたら「坂の上の雲」を読んでみろと喧嘩腰だったろう。

それは西太后にも張作霖にも日中の歴史にも何の前智識もないひとなら、この「浅田史観」に酔えるということに通じる。

私は「浅田史観」が絶讃されることが理解できない。小説としてはおもしろいのかもしれないが、それはもうとんでもない極論の歴史解釈だ。

小説家のそういう史観は作家の数だけある。たとえば賄賂政治で悪名高い田沼意次の時代を富むものだけがより富んだ悪夢の時代のように描く人もいれば、経済発展したおもしろい時代であり田沼を傑物のように解釈する人もいる。そういうもののどちらにも抵抗のない私だが、どうにもこの「浅田史観」にだけはついてゆけない。

だが「高校生のときに読んだ『蒼穹の昴』は今まで読んだ本の中でいちばん感動した一冊でした。今回その続篇の『中原の虹』を読み……」という心酔したかのごとき若者のレビュウを読めば、なにもない真っ白な心の中に浅田史観が染み込んでいった様子がわかる。そういうものなのだろう。

そういえば浅田さんは世間的人気がなく評判の悪かった山縣有朋を魅力的な人物に描くことも試みている。「天切り松」だったか。これなど西太后と同じ試みであり、司馬の乃木将軍に通じる。歴史上の人物を自分の筆で違う色に染めるのは小説家の醍醐味だ。山縣の時は世間的に悪く言われている人をこんなふうに持ちあげるのもありだなと好意的に受けとめられたのだが……。



少数派でいいから私と同じように「蒼穹の昴」「中原の虹」の偏った浅田史観にはとてもついて行けないというひとがいないかとネット検索したが見つからなかった。絶讃は山のようにあったが否定はない。それどころか中には「彼の作品はあざとさが鼻についてあまり好きではないのだが、この作品だけは別。最高傑作。夢中になって読んだ」なんてのが多い。彼の作品の中でも最もあざといと思うのだが……。ないことは異常である。あって正当なのだ。

インターネット検索をするたびに思う。「ネットにはすべてある。でもなにもない」と。

敵を作りたくないのでもうこれぐらいにする。私はもう浅田作品が読めない。
  1. 2009/10/30(金) 02:45:55|
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国会中継感想──責任なすりあい

 28日午後のNHK国会中継はおもしろかった。くだらなかった。笑えた。むなしく。
野党自民党の谷垣が突っこむ。「あんたらのやってることはめちゃくちゃじゃないか。言うことばっかり立派で、ぜんぜん違うじゃないか」
与党民主党の鳩山が応える。「めちゃくちゃにしたのはあんたらじゃないか。あんたにだけは言われたくない」
何時間も多項目に及んだ質疑応答だが要約するとこれに尽きる。それだけだった。



日本をどうしようもなくしてしまった自民党が野党になり、平然とその責任を民主党に問うている。民主党はてめーらでおかしくしておいて他人事風に何を言うんだと居直る。

私は民主党よりは自民党を支持するものだけれど、この件に関しては民主党が正しいと思う。よくもまあ自民党は昨日までの自分を棚に上げてキレイゴトを言えるものだ。

あんたの座っている椅子はクソだらけだと批判されたら、そりゃあ新しい坐り主は、昨日までこの椅子に長年座っていたのはあんただろう、クソだらけにしたのはアンタだろうと反論するよね(笑)。

かといってクソだらけの椅子を誰がクソだらけにしたかという責任論ばかりやられていても困るのだけれど。



どっちの肩を持つ気もないけれど、まるでこのあいだまでの社民党みたいになっている自民党がなさけない。

与党の大臣席に亀井静香と福島瑞穂がいるので思わず笑ってしまった。
  1. 2009/10/29(木) 14:03:51|
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図書館からのアクセス規制???

 先日「Gさんからのメール」と題して、友人のGさんが数年ぶりにインターネットをやろうとしたら、むかしのダイヤルアップなので、私のホームページのTopPageを読みこむだけで1時間も掛かってしまい断念したという話を書いた。OSが98Meであること、それでもブロードバンド接続は出来るのだろうかと調べたら出来ると解ったこと等。

その後Gさんに、図書館のPCを利用すれば無料でブロードバンドが利用できることを伝えた。(この辺のやりとりはこちらからはPCメール、あちらは携帯メールである。)

今日Gさんから図書館のPCでホームページが読めたと連絡があった。ところが「ブログ【木屑鈔】に『Gさんからのメール』というのがあるので読んでください」と書いておいたこのブログは、アクセス規制がかかっていて読めなかったという。Gさんはそれを、私のブログに図書館のPCから閲覧するのには不適切な内容があるからであろうと推測している。そんなことがあるのだろうか。信じられない。まあ区役所寄りのことは書いていないが、かといって規制されるほど偏向したことを書いた覚えもない。もしもそんなものが本当にあるとしたら、品川区役所のヒダリ偏向を嘲笑しているホームページの方だろう。

 「清めの塩」問題

 五体満足

でもありえないよねえ、そんなこと。図書館のPCがブログとか2ちゃんねるには繋がらないようにしているとか、そんなことってあるのだろうか。というか、そういうことって出来るのか? どなたか知っていたら教えてください。


図書館でPC作業をするときは自分のノートを持ちこむ。図書館のPCはまだ一度も利用したことがない。今度図書館に行ったらこのブログに繋がるかどうか確かめてみよう。
  1. 2009/10/29(木) 13:44:00|
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空港考・餘談──いばらぎ県、その2

 北海道のFさんがメールをくれた。

茨城は「いばらき」と読むんですね。 今までずっと「いばらき」とは大阪の茨木、茨城は「いばらぎ」と読むものだと思っていました 。ためしに友人の何人かに聞いたら、全員が「いばらぎ」と答えました。


そうですか、そういうものなのでしょう。きっと日本全国でアンケートを採ったらGIの方が多いのかもしれません。

私達県民(笑)はみなKIです。それはこどものころから歌わされる「県民の歌」で「いばら、いばら、われらのいばら」と歌わされるからと思われます。だっぺ言葉で澄むべきところも濁っているのに、ここのところだけは澄んでいるのです(笑)。

ところで結論の繰り返しになりますが、私は目の前の日本全国の友人百人が全員GIだったとしてもぜんぜん気になりません。ほんとにもうどうでもいいことです。でもフジテレビの中堅アナがそう言ったことにはおどろきました。
  1. 2009/10/29(木) 00:21:18|
  2. 世相
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またヒトラー──【附記】禁煙話

 もう何度も書いてきているテーマなので、しばらく前にも同じようなことがあったなあと調べたら、2年前の禁煙ネタにこんなことを書いていた。2007年5月5日の私のホームページの文章である。禁煙の強制はヒットラーだという意見。笑える。バカは右も左もヤニ中毒もみな同じ発想をするらしい。


 気に入らないものはヒットラー


ヒトラー以上に殺戮している毛沢東やスターリンもたとえとして出すべきと思うのだが、それだと現存している中共やロシアに気を遣う。その点、どこからも文句の来ないヒトラーは安心だ。という発想もなさけない。腰抜けだ。


「自分の考えと違うヤツは殺す」という点で、毛沢東やスターリンはヒトラーの何倍もひとを殺している。あ、もちろん戦争でじゃないよ。粛清という名の同胞殺しの話。



薬物中毒であることを居直るのだからヒトラーの名など関係あるまい。好きな物は好きでいい。私は、こちらに迷惑さえ掛けなければタバコ、ヘロイン、コカイン、かってにやってくれ、と思っている。好きだから喫う。それでいいのだ。てめーのヤニ中毒をヒトラーの名を騙って正当化しようとするこの種の発想は醜い。
  1. 2009/10/29(木) 00:00:49|
  2. タバコ
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『SAPIO』──司馬史観特集2

 (承前)この特集において、冨岡幸一郎さんは、明治を礼讃し昭和を否定する司馬史観に司馬遼太郎の実人生を見ている。現実の時代を否定したら持ちあげるところがないとやっていられない。それが司馬遼太郎にとっては明治だった。


井沢元彦さんは、乃木将軍を愚将とした「司馬史観」を、各国の将軍の戦法と比較しつつ、たしかに旅順では多くの戦死者を出してしまったが攻略には成功しており、乃木の戦略はまともだった、愚将ではないと反論している。

誰かを英雄にすれば誰かが悪役になる。小説でも映画でもそうだ。切り口の違いでしかない。歴史を舞台にした司馬作品は小説としてすぐれていたものだから説得力がありすぎた。そもそもひとりの小説家に過ぎないのに「司馬史観」なんてことばがあること自体異様だ。

井沢さんは、そういう司馬史観の弊害も指摘しつつ、敗戦のコンプレックスから日本人の目がみな海外に向いてしまうとき、「日本の歴史だってこんなにおもしろいんだ」と注目させてくれた司馬さんは──いくつかのマイナス要素を割り引いても──やはり「恩人」なのだと結んでいる。


司馬作品はすぐれた小説群だ。だがそれが信奉され歴史的事実と混同され異論が否定されるのはまともな時代ではない。あくまでもそれは司馬遼太郎というひとりの作家の解釈でしかない。それが理解され一小説作品としてふつうに話しあえるようになる流れは歓迎したい。しかし現実問題として、司馬史観に心酔しているひとと歴史話をするのはまだ無理だろう。それでもこういう特集が世に出るのはよいことだ。


 今夏、「靖国史観」(ちくま新書-小島毅)を読んで考えることがあったので、ひじょうに意義のある特集だった。「靖国史観」は今では日本人の誰もが肯定的になっている明治維新に疑問を投じるものだ。切り口だけを見たら奇書にされてしまうかもしれない。しかし呈示するテーマは価値がある。ぜひ御一読をお勧めする。

戦後のリクツがすべて戦勝国の思うままであるように、明治維新とそれ以降の流れが、それこそ「勝てば官軍」であることがよくわかる。

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第二特集の司馬史観に即座に反応したのに、第一特集の、表紙にも大きく載っている「ジャーナリズムは変らなくていいのか──これでは政権交代の意味がない」に関心がないことに気づいた。本来なら熱く語るべきことなのに。なんの期待も興味もないと自然にスルーしてしまうらしい。
  1. 2009/10/28(水) 18:05:42|
  2. マスコミ
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『SAPIO』──司馬史観特集


最新の『SAPIO』の特集のひとつに司馬遼太郎の歴史観、いわゆる「司馬史観」があった。ちょうど興味を持っていたテーマだったのでありがたかった。
「司馬史観」こそ「戦後日本」の象徴だ 日本人はどうして『坂の上の雲』が好きなのか
[国民文学]「明治を礼賛し「昭和」を暗黒と描いた司馬史観/富岡幸一郎
[概要]『坂の上の雲』が描いた「近代国家・日本」の夜明け/本誌編集部
[司馬史観]『坂の上の雲』と東京裁判史観との奇妙な符合/福井雄三
[開国]青春小説としての『坂の上の雲』の魅力/山内昌之
[逆説の司馬史観]なぜ司馬遼太郎は乃木希典を「愚将」だと誤解したのか?/井沢元彦
[登場人物]司馬遼太郎が描かなかった日露戦争「もう一人のインテリジェンス・オフィサー」/手嶋龍一
[精神性]日露戦争とは「武士道」再興の戦いだったのではないか/菅野覚明

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 司馬遼太郎の信奉者とは会話が出来ない。理由はごく単純。「司馬遼太郎という小説家が作った架空世界を、真実の世界、現実の歴史と思い込んでしまっているから」だ。新興宗教に洗脳されたひとと同じで会話が成立しない。こちらがあちらに併せてやれば形的には成立するが、「司馬史観」を絶対的に信奉していて異論を許さない狂信者だから、話していてもちっとも楽しくない。聞き役にまわり、適当に相槌を打って切りあげるだけだ。思えばずいぶんとそういうひとに遭ってきた。
一例を挙げるなら「竜馬が行く」は司馬遼太郎の小説でありフィクションなのだが、信奉者はまるで坂本龍馬自身が書いた自伝であり細部まで真実事実と信じている。滑稽を通りすぎて気味が悪い。ひとりの小説家の作った世界が真実の歴史と勘違いされるなんてことが今までにあったろうか。薄ら寒くすらなる。
  1. 2009/10/28(水) 10:14:28|
  2. マスコミ
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またヒトラー──いつまで続くバカのひとつ覚え

 自民党の谷垣禎一総裁は26日、鳩山首相の所信表明演説の際、衆院本会議場の民主党新人議員らが演説の節目節目で、一斉に拍手とともに「そうだ!」などと歓声をあげたことについて、「ヒトラー・ユーゲント(ナチス党の青少年組織)がヒトラーの演説に賛成しているような印象を受けた」と皮肉った。国会内で記者団に語った。


 大島理森幹事長も同日の記者会見で、「平成17年の郵政選挙後、小泉純一郎首相(当時)に若い自民党議員が拍手していたが、それ以上だった」と語った。


 自民党は昨年8月、麻生太郎幹事長(当時)が勢力を増す民主党をナチス台頭になぞらえ、その後、釈明した経緯がある。



http://sankei.jp.msn.com/


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 こういうバカのひとつ覚えはいつまで続くのだろう。相手を否定し同意を勝ちとろうとしたらなんでもかんでもヒトラーだ。しみじみうんざりする。救いは谷垣なんぞという何も期待していなかったひとの発言であることだ。これが新生自民党のリーダーと期待していた政治家の発言だったらもっと落ちこんだ。もっともそんなひとはいないが。それがいちばんかなしいか。



「バカの壁」の養老孟司が喫煙者である自分を擁護するために「ヒトラーとムッソリーニは禁煙主義。ルーズベルトとチャーチルは愛煙家」と得意気に語ったことがある。これまた自分のヤニ中毒をヒトラーとムッソリーニへの嫌悪感(=勝利国英米への好感)でごまかそうとしたものだ。みっともない。「バカの壁」なんてえリッパなことを書くひとが自分のバカの壁を見せている。そういう事実(ヒトラーはタバコ嫌いであり菜食好きだったと言われている)を知っていても、それを言っちゃあ自分の「バカの壁」になると我慢するのがおとこだ。



ヒトラーのナチスにはドイツ国民に対する数数の善政もあった。あたりまえだ。だからこそ国民に熱狂的に支持された。それがまたあの時代、他国にとっての悪政、侵略になるのも自明だ。政治が八方美人になれるはずがない。それら全体を無視して「どうしようもない悪=ヒトラー」をバカのひとつ覚えで連発する政治家はなんとかならんのか。ユダヤの金が世界を支配している時代だから、そういう視点からの阿りならまだわかるのだが、これらはそれですらなく、ごく単純にバカのひとつ覚え、条件反射、それ以外にことばを知らない、だろう。


ヒトラーを擁護しているのではない。政治家の言語センスとしてあまりに貧相だと言っているのだ。自民党独裁時代、さんざん野党に言われてきた。だからこそ下野しようとも、あのバカのひとつ覚えだけは言わない、という意地はないのだろうか。


ないのだろうね、それどころか民主党の熱狂をヒトラーに喩え「よおし、ワンポイントゲット!」と得意気なようだ。それが自民党総裁。なさけない。

逆に言うと、「見事な弱小野党根性」と言える。



ホームページを始めたころ、私の意見に反撥した見知らぬ左翼教師が「まるで大政翼賛会だ」と書きこんできたことがあった。これまたバカのひとつ覚えである。「大政翼賛会=言論統制の暗黒時代」と言いたかったのだろう。さすが日教組だ。友人知人ほんの30人ほどでひっそりやっている個人ホームページにかってにやって来てそういうことを書きこんでくることも異常だが、それ以前にそれは「旅先での飯の食いかた」に関するどうでもいい話だった。私の書いた旅先での飯の食いかたに関する意見が気に入らないとイチャモンをつけてきて、それに読者の誰もが賛同しないのでヒステリーを起こし、まるでここは大政翼賛会だ、おれはもうここには来ないと、かってに来てかってに去っていった(笑)。他者を否定し、味方を得るのに、そういう言辞が効果的だと思っている。バカとしか言いようがない。なんとも貧しい言語感覚だ。大政翼賛会がどのようなものであるか日教組のように詳しくはないが、もしもそれが彼の言うような力による言論弾圧であるとするなら、見知らぬ他人の旅先での飯の食いかたに関する意見が気に入らないと潰しに来る彼こそ、まさにそれだろう。バカは自分のその矛盾にすら気づかない。



サヨクは敗戦までの昭和をすべて暗黒の時代だと否定する。そんなことがあるはずもない。すべてが善で明の時代などないように、すべてが悪で真っ暗な時代もないのである。


いや「真っ暗な時代」はあるかもしれない。たとえばウガンダのアミン大統領の時代。あのときに光はあったのか。カンボジアのポルポトの時代、中共の毛沢東の文化大革命、あの虐殺の時代に光はあったのか。


私はあったと思う。たとえばアミンは左派政権に対する西側からの刺客でありまともな政治家ではなかった。ただの権力亡者であり虐殺者だ。だが彼ですら軍事クーデターに成功したときは、一部のひとにとって、これで赤い国にならずにすむという一条の光だったろう。ほんの一瞬だったにせよ。政治とはそういうものだ。毛沢東の文化大革命など、勉強すればするほど積みかさねられた貴重な文化の破壊であり文人への虐待であると、怒りと共に憎しみすら沸いてくるが、あれにでも光の部分はあったのだ。人類の歴史とはそういうものであり、そういうものでしかない。



日本の戦前はそれらとは比較にならない。敗戦までの昭和には文化があった。昭和19年まではネオンも灯っていた。サヨクはなぜその20年を無理矢理真っ暗にしてしまうのだろう。体力的に勝てるはずのない戦争に猪突してしまったのはあまりに愚かだが、あちらがそうせざるを得ないように仕向けてきていたのも事実だ。敗戦という結果だけからそこに到る昭和を全否定することは、これまた彼らの言葉を使えば、歴史認識に対する「大政翼賛会」であり「ヒトラー」である。



と、すこし話が拡がりすぎてしまったが、ともあれ与党野党を問わず「他者を否定するのにヒトラーを連発する政治家は信用できない」と言える。信用できないとかではなく、もっと明確に「言語センスのないアホ」と規定しておこう。
  1. 2009/10/27(火) 12:54:27|
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記憶力考──都合のいい忘却

 ひさしぶりに旧友と駒込で会った。楽しい時間だった。


さて「旧友」の定義だが、これはどれぐらいから言うのだろう。幼馴染み、学生時代からの友人、これらは当然として、私の場合、競馬業界で知りあった友人も二十年を越しているからもうそう呼んでもいいだろう。


彼の場合はチェンマイという旅先で親しくなって十五年になる。知りあった経緯や互いの年齢からも「旧友」は表現として微妙なところだ。


十五年という年月は私にとってはさして旧くないが、二十歳の人からしたら十五年は大きい。人生の大部分だ。十五年前からの友人がいたら、物心ついた当時からの幼馴染みであり旧友になる。三十歳にとっては人生の半分。高校生時代に知りあった親友との交際期間になる。彼らにとっては充分に旧い。


私の場合は半端だ。二十年を越せば私も迷わない。十五年は微妙。それでもこれからも間違いなく親しくつき合って行くひとだからそう表現した。





あれやこれやの世間話。加藤和彦さんが自殺した。京都の龍谷大学出身。友人は京都産業大学卒なのでその辺の話。鶴瓶が同窓同級。


私は彼と麻雀をした記憶がない。彼は一度あると言う。駒込の雀荘だとか。そのとき私が、タイの交通事故で知人がひとを撥ね殺してしまい刑務所に収監された話をし、その説明に何度か「刑務所」と口にしたらしい。すると隣の卓で麻雀をしていた見るからにその筋のひとが「てめーらさっきから刑務所刑務所ってうるせーんだよ!」と激怒してしまい大騒ぎになったのだとか。あれは刑務所から出て来たばかりのヤクザで、「刑務所」は耳にしたくないコトバだったのだろうと友人は笑う。


友人の笑顔を見つつ奇妙な気分。私にはその記憶がない。彼と麻雀をした記憶すらないのだからこのエピソードを覚えているはずもない。こんな刺激的かつ強烈な話を記憶していないなんてことがあるだろうか。不自然だ。





その理由を探ってみると。知人を無罪にするため私はたいへんな苦労をした。自分が誘って初めてタイ旅行をした知人を犯罪者にするわけには行かない。領事館に事情を説明して協力を仰ぎ、借金して警察関係の有力者に金をばらまき、在タイ日本人のみなさんに協力をお願いして廻った。


国際電話で日本のレンタカー会社の重役に相談し、そちらからも手を回してもらった。結果的にこれがいちばん効果があった。日本の重役から電話をもらったタイのレンタカー会社の重役が動いてくれ、政治的献金をしたお蔭で知人の罪は軽くなった。ぜんぶで300万円ぐらいは使ったか。他人に土下座をしたのも初めての経験だった。


ともあれそれで、傷害致死というのか、他人様を殺してしまった彼をなんとか無罪にして帰国させることが出来た。





見知らぬひとに頭を下げて廻り、屈辱的なことを言われてもひたすら耐えるだけの血を吐く苦労だった。血を吐くと言えば心労からなのか鼻血が止まらなくなって難儀した。彼を助ける前に自分が鼻血を流しすぎて死んでしまうのではないかと思うぐらい出た。


ふだんは親しいふりをしていても、こういう問題が起きると手の平を返すひとがいるのを知った。逆にまた無縁のひとの無償の協力もあり感涙した。結果よしではあったが、それらの苦労はいわゆる「忘れたい過去」になる。思い出したくもない。帰国してからの借金返済にも苦労した。


苦い思い出ではあるが、当時の警察関係の書類や自分で記録した事故関係の写真もみな保存している。「記憶力の良い私」だから、それらを引っくるめてすべて記憶しているつもりでいた。なのにこの件のようにすっかり忘れていることがあると知る。心の平穏を保つよう脳か心かしらないが、その件に関することはすべて無意識の意識で忘れるように作用しているのだろう。とでも解釈しないと理解できない。





学生時代の友人と話すと、みんなが忘れていることでも細部まで覚えていて感心されることが多い。自分を記憶力のいい方だと思っていた。いや正直、かなり優れていると自負していた。


だけどそれは楽しい記憶に関してだった。いやな記憶はこんなふうに都合よく忘れている。こういうふうにしてひとという生き物は自分を守っているのだと知った。
  1. 2009/10/20(火) 02:44:18|
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空港考・餘談──いばらぎ県

kotoba.gif 爆笑問題の田中が番組内で「いばら県」と発音していて気になったことがある。鼻濁音だ。

先日驚いたのはフジテレビの朝のワイドショーでアナがイバラギと連発していたことだった。彼は来年開港する茨城空港のレポートに向かった。タレント出身のレポーターではない。フジテレビの中堅アナウンサーである。車内からの映像が農村地帯を映し出す。「どこにもイバラギ空港の案内板がないです。いったいこんなところに本当に空港が出来るのでしょうか」「あ、ありましたあそこにイバラギ空港という看板があります」。

「茨城空港」という漢字の案内板なのでまだこう発音している。
空港周辺の造成地に向かい「ああまだ工事中ですね。いま大きな看板を作っています。アルファベットでIBARAKまで出来ています。最後のIがないのでまだイバラックですね、イバラキ(ここでやっと濁りが取れた)になっていません」



東京っ子の田中がいばらぎと言うぐらいだから、日本全国にイバラギと発音するひとは大勢いるのだろう。それはいいとして、きちんと訓練を受けたアナウンサーがそれを連発しているのは不思議だった。「作物はサクモツ」と読み、上に農が附くと「農作物はノウサクブツ」になる。こんな教育をさんざん受けてきたはずの中堅アナが、ごく常識的な県名を誤って連発しているのだ。空港看板にIBARAKIとあるようにいばらである。

思うに爆笑問題の田中のように、このアナは、こどものころから日常いばらぎと発音しているので、アナウンサ教育よりもそれが先に出てしまったのだろう。一度もいばらと発音したことのない身には不可解な出来事だった。

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ところで、茨城出身の田舎者が自分の故郷を誤読されて怒ってら、とは思わないでいただきたい。

私は墓石から確認されているだけでも(臨済宗妙心寺派なのだが、坊主が火事を出して過去帳を焼いてしまった)八代は茨城内の婚姻ばかりが続いてきた純粋な常陸っ子(カッチカチの茨城イモ)だが、親や親戚とちがってそのことにこだわりも誇りもない。嫌いだ。くだらないと思っている。対極の国際結婚に走ったというのはきっと心の奥底にある。そのことで嫌味も言われている。


後継ぎの兄は同じ町内の娘と結婚した。茨城内婚姻九代は確定したわけである。兄の長男の相手は他県の娘だからここでやっと途切れたことになる。本家筋はもっと。十数代続いている。これからも意識して固持するだろう。

「茨城の田舎のひとがそんなことにこだわるの?」と思われるかも知れないが、そういう家は多い。どこにでもそんな形の誇りは存在する。異国の未開の部族にもあるように。

近所の跡継ぎが和歌山県の娘と一緒になったときはフランス人とでも結婚したかのように話題になった(笑)。この狭い日本なのに。ただしその嫁さんは風習の違い等にけっこう苦しんだようだから、近場同士の結婚にはそれなりに意味があるのだろうとも思うようになった。狭い日本だが風俗、慣習、味の違い、様々だ。



私は十代の頃から故郷が好きではなかった。漠然としていたそれは、全国や外国を歩いて見聞を広めると明確な形を持ち、はっきり嫌いと言えるようになった。その理由はホームページのあちこちに書いている。ひと言で言えば「民度が低い」になる。

寒冷地に住む東北のひとたちが「春のありがたさ、花の咲くうれしさ」を大事にし、共同の花壇の花を慈しむとするなら、茨城には花なんてほっといても自然に咲くものと考え、その花壇を踏み潰すようながさつなのが多い。衣食足りて礼節を知ると言う。気候風土に恵まれた茨城だから大地の恵みを受けて心優しいおっとりしたひとが多いと思いたいのだが、残念ながら現実は、餌探しに苦労しなかったことにより、躾の出来ていない犬みたいなのが多い。

嫌いな地だから県名の発音が濁ろうが濁るまいがどうでもいい。誇りもこだわりもない。もう死ぬまで二度と行かないだろう縁切りをした地でもある。ここで取りあげたのはごく単純に「教育を受けたはずのアナウンサーがいばらぎと言っていた。不思議だ」である。
  1. 2009/10/19(月) 08:15:27|
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ウインズ話・1──IPATとグリーンチャンネルの普及

ウインズ塩釜断念 JRA、採算を不安視 構想13年

日本中央競馬会(JRA)は、宮城県塩釜市新浜町に計画していた場外馬券売り場「ウインズ」の開設を断念することを決め15日、塩釜市の関係者らに伝えた。JRAは断念理由として「売り上げが低迷している上、ウインズよりもインターネットなどで馬券を買う電話投票の割合が多くなり、開設しても赤字になる」と採算上の問題を挙げている。

 JRAの担当者らが同日、塩釜市水産物仲卸市場を訪れ、組合員約150人に開設断念の理由を説明し、謝罪した。

 ウインズは、仲卸市場が市場北側の駐車場など約5000平方メートルの敷地に、集客の目玉として計画、1999年8月にJRAに誘致申請書を提出した。JRAは仙台市にも近く有望な立地場所と判断して、直営での開設を計画。地元6町内会から同意書を集め、県警と交通対策についての協議を進めていた。

 一方で、市民団体から交通渋滞悪化や青少年への悪影響を理由に開設反対の声もあった。(後略)


http://www.kahoku.co.jp/news/2009/10/20091016t13035.htm


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競馬会が宮城県に作ろうとしていた場外馬券売場(以下ウインズ)の建設を断念したという話だから【競馬抄録玉】に書くべき根多(落語家は漢字でこう書く)なのだが、こちらに書くのは、これは競馬的というよりメディア的な話と解釈したからだ。



競馬会の売上が落ちているのは事実である。しかしそれはバブルのころ4兆円企業になったりしたのが異常なのだ。いまも年間売上2兆円台後半を保っている世界一の競馬組織であり、競馬を開催している国すべてが羨む超健全競馬運営組織である。賞金体系とか疑問はいっぱいあるがそれは後の話として。

売上が落ちてきたから塩釜に新ウインズを作らないのではない。作る必要がなくなったからだ。その理由は「IPATというインターネット投票が馬券売上に大きな割合を占めるようになったこと」と「CSデジタル放送のグリーンチャンネルで全レースが家庭で観戦できること」である。

ウインズの価値は競馬場に行かなくても馬券が買えることと、モニターでレースが観戦できることだ。そのふたつがIPATとグリーンチャンネルでまかなわれる。あえて人件費や運営費やあれこれかかる巨大施設を作る必要がなくなったのである。売上が落ちてなかったとしても作らなかったろう。これからの時代、IPATとグリーンチャンネルで競馬をするファンは増える一方であるのに対し、それが出来ずウインズに出かけて競馬をやるファンは減り続ける。競馬場派と家庭派の両極端に分かれ、ウインズ派という半端なひとたちは衰退の一途となる。先を見たら、どう考えてもウインズを作る意義がない。

逆にまた現在のように売上が右肩下がりであっても、IPATが存在しなかったらウインズ建設は続行されたろう。





競馬会の敵はヤクザの運営するノミ屋だった。なにしろここは「ハズレても一割還元」と良心的だ。後払いでもある。しかしそれは大都市部の話だ。ヤクザと庶民はそれほど身近ではない。競馬ファンはそんなものにはあまり近寄らず、ごくふつうに電話投票に縋っている。持っている友人に頼んで買ってもらうのだ。そこにインターネットの普及で一気にIPATが充実した。もうノミ屋に関しては心配なし、と競馬会は判断した。あるいはIPATの普及でノミ屋の売上が激減しているというような調査報告もあったのだろう。

IPATとグリーンチャンネルの普及、それによるノミ屋に流れていた金の激減。競馬会がウインズ建設を断念した理由はそれである。
  1. 2009/10/18(日) 11:43:16|
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空港考4──茨城より横田



 茨城空港を全国に多々ある地方空港と同一に語っては、そもそもの視点がずれていると言われそうだ。どうやらここは羽田、成田に続く「首都圏第三の空港」を目ざしているらしい。目標は超メジャーであるから、離島便的な中標津や大都市間の隙間を狙う静岡などと比べられては困る、となろう。
元々「新国際空港」は成田ではなく利根川ちかくの茨城に出来る案があった。それが実現していたらこんな問題も起きていない。茨城の政治家には国際空港を千葉に取られたという怨みがあるのかも知れない。





「茨城空港」のサイトより



来年3月開港なのにいま就航が決まっているのはアシアナ航空による茨城-仁川週7便、茨城-釜山週3便だけなのだそう。前途多難。韓国からの旅行者も田んぼと畑の真ん中にある茨城空港何ぞに着いたら何事かと驚くだろう。

成田、羽田、大阪、その他九州各地等、韓国との便は山とある。茨城韓国便に何の意味があるのだ。



 利用したことがないので知らなかったのだが、韓国の仁川空港はすぐれたハブ空港らしい。羽田をハブ空港にしようという流れも仁川空港への対抗から出て来ているという。とするならそこへ毎日飛ぶ茨城空港は「ハブ空港の仁川空港を利用するのに便利」ということになる。探していた意味がやっとひとつ見つかった。

しかし欧州に行くにせよ、そこから先のアフリカに行くにせよ、もっと便利なルートがすでにある。たとえどんなに仁川空港がハブとして充実したとしても、まずこの茨城空港まで来るのが面倒だ。先々はともかく開港してもこの茨城仁川便が人気になるとは思えない。



空港からの交通は、最寄りのJR石岡駅までタクシーで30分、そこから急行で上野まで1時間である。韓国からこの空港に来た旅行者の白けた溜め息が聞こえるようだ。というか日本全国に数多くある韓国との便の中からここを選ぶひとがいるのだろうか。開港の来年3月ってすぐ目の前である。なのにこれだけしか決まっていないって……。他人事ながら心配になる。

ともあれ「茨城空港」は成田や羽田が手一杯になる10年後、20年後を見すえているのだという。たしかにその可能性はあろうが、それまでこの田んぼと畑の中の空港をどうやって維持するのだろう。



この近辺を助手席に父を乗せて走り、「ほんとにここに民間飛行場が出来るのかなあ」と話したことをつい昨日のことのように思い出す。父が死んで5年、来年開港にはそれなりの思いがある。



「東京との米軍基地対策」より

http://www.chijihon.metro.tokyo.jp/kiti/minkan/minkan.htm


未来ではなく現実としてぜひとも実現して欲しい空港の充実もある。「横田基地」だ。ここがうまくアメリカ軍と共存し「国際空港」になったら便利になる。いま成田に出かけている都民の半分はこちらに来るだろう。立川から「横田空港」直行の電車を敷くことも容易だ。それより先にすぐにモノレールが出来るか。新宿から1時間だ。
山梨を含めての八王子から立川、埼玉、神奈川、地域振興、需用、経済効果、あらゆる面で満点である。神奈川からだと川崎からの南武線がそのまま「横田空港」に直接乗りいれるような形にもなるだろう。いまは普通列車だけの南武線だが、そうなったら「空港行き特急」が出来るにちがいない。

東京の真ん中に羽田、東西に成田と横田(古い地名から来ている名前だから当然変るだろう)が理想的な展開のように思える。

私には茨城空港が「首都圏第三の空港」になる絵図が見えない。それよりもいま日本の空港で必要なのは、横田基地に代表されるように、既存のものの再利用、再開発だろう。
  1. 2009/10/17(土) 08:53:03|
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空港考3──茨城空港の意義





 茨城に空港が出来る。そのことに意味はあるのか。計画が発表されたとき、先祖代々茨城であり茨城のことしか考えていないような私の親すらなんの感慨ももらさなかった。それは具体化し動き始めても同じだった。母親なんてU字工事の漫才そのままの極端な茨城贔屓であり世界の中心だと思っているひとだから我が事のように自慢してもおかしくないのだがまったく口にしなかった。県に大きな利益が生まれるとか全国的にも自慢できることであったら興味を持ったはずだ。しかし航空自衛隊百里基地の施設を利用することで格安に設営出来るという(実際は新たに一本滑走路を造り費用がかかったようだが)この空港が羽田のようになるとは誰も思えなかったということだろう。田んぼと畑のなかにあり東京までは遠い。ここに大阪、札幌、沖縄あたりから飛んできてもなんの意味もない。

外国人にとってはよけいにそうだ。成田でさえ東京まで遠くてうんざりしているのに、こんな田舎に来る意味がない。茨城贔屓の私の両親の無関心は周辺住民を代表している。土地に恵まれた比較的裕福な農民の地だ。土着の彼らが頻繁に国内外を飛びまわっているはずもない。茨城空港の建設には地元住民にもハテナマークがいっぱいついたはずだ。



地図上の青い飛行機マークが茨城空港の位置。私の田舎は鉾田なのですぐ近く。



国内のちいさな空港で私が存在価値があると思っているのに中標津空港がある。北海道道東だ。土地鑑があるので前々から印象にあった。札幌とを数便、日に一便羽田を結んでいる。作家の佐々木譲さんはこの近くに隠っているらしいから東京の出版社に行くときは便利だろう。というかだからここを隠れ家に選んだのか。

道東のひとたちが急いで札幌に出るとき役立っているはずである。北海道は広い。飛行機による時間短縮が数字に表れている。札幌の大病院に入院している親の死に目に、この飛行機があったから会えたなんてひとも多いだろう。赤字か黒字か知らないが、離島便のように存在価値が見出せる空港である。



今年6月、静岡空港が開港した。静岡は東京と大阪の真ん中で半端な位置だ。海外で静岡のひとと話すと、東京在住であり茨城に家があることも含めて、自分がいかに恵まれているかがよくわかった。成田からバンコクに行く時でも、私が東京の住まいから電車で向かったり、茨城の家からクルマで1時間の便でも、彼らは前日から泊まり掛けで東京に来なければならなかった。航空券の安くて便利な便は東京と大阪発であり、どっちにゆくにしてもたいへんなのだった。だから静岡に空港が出来るのはまだわかる。だがそれにすら問題があり討論が続いているのに茨城空港ってなんなのだろう。肯定する要素を探すのだがどうしても見つからない。
  1. 2009/10/17(土) 08:38:25|
  2. 世相
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ブログメモ──連係は無理

 『ホームページビルダー』にブログ投稿機能があると知り、以来画像を挿れたホームページと同じ感覚の投稿が可能となった。助かっている。だが『ホームページビルダー』で作ったブログ記事をそのままサイトに読みこむことは出来ないと知る。


私は『ホームページビルダー』で作ったブログ用記事は、そのままホームページビルダーのファイルとして利用できると考えていた。そうすれば自分のサイトにブログ記事を取りこみつつ同時進行するから、ブログから引退し、ブログを削除しても、ブログに書いた記事はすべてサイト(自分のハードディスク)に残るわけである。理想的な進行だ。残念ながらそうではなかった。


文章はコピー&ペースト出来るが、たとえばこのブログ記事用に拝借した「茨城空港の写真」「佐賀空港の写真」は、そのままホームページビルダーファイルに貼るとミスになってしまう。ブログと同じ内容をサイトにも作ろうとしたらもういちど写真を拝借に出かけコピーと保存をしなければならない。けっきょくは二度手間になる。


いまはみなブログ中心だからこんなことを考えているのは私ぐらいかも知れないが、相手様にファイルを預けるブログより自分のハードディスクの中に保存するサイトの方を信頼してしまう身としてはこういう考えかたから離れられない。


とはいえ『ホームページビルダー』とライブドアブログには何の関係もないのだから当然だ。『ホームページビルダー』がライブドアの出しているソフトならともかく。むしろここまでブログ作成機能を取りいれたことに感謝すべきなのだろう。


そう言いつつもここのところ見事にブログにばかり書いている。サイトにファイルを作っていない。やはり便利で楽な方に流れてしまう。楽だものねえ、ブログ投稿の方が。みんながブログに走ったのがよくわかる。困った。
  1. 2009/10/16(金) 05:15:50|
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空港考2──一県一空港?




 九州は「一県一空港」を目ざしたらしい。叶ったようだ。セスナのような短距離便を別にすると「私が利用した最もメジャーなマイナー空港」は佐賀空港になる。チケットの用意された仕事だったからで、それがなかったら私はいまだに存在すら知らなかった。たぶん一生利用することはなかった。

日本中を跳びまわることと田舎暮らしを両立している島田洋七は自宅から近い佐賀空港の恩恵を受けているだろう。原口総務大臣もか。東国原知事も宮崎空港がなかったら中央マスコミに頻繁に登場することは不可能だった。野球チームの宮崎キャンプなんてのも空港あってのものだろう。だけど一般の九州人にとって「一県一空港」はそれだけの価値を持っているのだろうか。



私の佐賀空港利用の仕事は福岡空港からでも問題はなかったので「佐賀県にも空港があるんだ」が正直な感想だった。Wikipediaの佐賀空港の項目には「空港における年間利用客数は、国内296,581人、国際1,320人(2008年度)。利用者数から無駄な公共事業として取り上げられることもある」と書かれているのですべて順調でもないのだろう。

ただし私が佐賀県人だったら、九州他県にはみなあるのに自分のところだけないのは悔しく、出来たときはうれしかったはずである。その気持ちは地方出身者としてわかる。



じゃあ私の地元の茨城に空港が出来ると知ったときうれしかったかというとそんなこともなかった。場所は私の生まれ育った家からクルマで30分もかからない近場だ。茨城にもいろいろある。栃木寄り、福島寄りの茨城など私は外国よりも知らない。ほんとにすぐ近くなのだ。だったら田舎者として自分の故郷がメジャーになると喜ぶはずなのだが……。


この話が持ちあがったのは、私が可能な限り老いた両親との同居を心懸けていたころだった。なるべく田舎の家にいるようにして、買い物から病院まで専属運転手として精一杯親孝行していた。一年の内、田舎に半分、残りが東京と海外旅行という生活だった。二親もいた。愛猫も元気だったし、思えば幸福な時期だった。


東関道を使うと家から成田国際空港まで1時間で行ける。千葉寄りの茨城なのでこの利は大きかった。家から空港までクルマで行き、駐車場に預けておく。帰りも自分のクルマで家に直行だ。たった1時間。なんとも快適だった。


海外旅行を始めた頃このことに気づかず、わざわざ前日に茨城から品川のアパートまで戻り、翌日の早朝に東急線、山手線、京成線を利用して成田まで行っていた。時には間に合わなくなり上野からタクシーを飛ばしたこともある。あのころのことはいまもって悔やまれる。それはともかく茨城空港の話。
  1. 2009/10/16(金) 03:04:06|
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早大探険部物語──『SAPIO』短期集中連載

 『SAPIO』最新号特集は「巨大バブルがやってくる」。

ざっと流し読みしていたら後半に「『早大探検部物語』第1話 草創期-海外渡航の夢から“探検”へ」という新連載があった。ライターは惠谷治さん。軍事問題のコメントでよく登場するかただ。ご本人も早大探険部出身。

私の知っている早大探険部出身有名人は、この惠谷治さんと作家の西木正明、船戸与一、高野秀行の4人。この連載によってもっと多くのひとを知ることになるだろう。早大探険部は総理大臣を輩出した早稲田雄弁会と並んで早稲田を代表するサークルだ。とはちと言いすぎか。



残念ながら今回は期待したほどにはおもしろくなかった。タイトルにあるように初回の今回は「早大探険部」が出来るまでと、外国に行くことが困難だった当時の状況の説明に費やしている。実際の冒険譚に触れておもしろくなるのはこれからだろう。

50年の歴史というのはなかなかのものだ。私のいた慶應の音楽サークルなんて10年も続かず潰れている。OBにとって出身サークルが今も生きているのはうれしい。たぶん会員がほとんどいなくなり潰れかかったこともあるはずで、そんなとき西木、船戸という有名作家がここの出身だというのは継続と勧誘の力となったことだろう。



せっかくの機会なので早大探険部のサイトに行ってみた。『ホームページビルダー・8』で作られたそれは、ネット初期によくあった古臭いセンスのものだった。ブログ全盛時代、今どきこういうのもすくない。でもそれはそれで、そんなこじゃれたものになど興味がないという探険部のごつい雰囲気が伝わってきて好ましかった。都会に背を向け、未開の奥地に探検に行き、粗食に耐え、風土病の恐怖と戦い、ヒルや蚊、蝿に悩まされつつ探険をする若者のサークルである。みょうにオシャレなブログだったりしたらかえって白けていた。(とはいえ今の時代、多彩なメンバーの中にはそういうのが得意なのがひとりぐらいいそうなのだが。)

もうずっと前に「早稲田大学探険部30年史 若き探険家に与う──岩崎雅典著」という本が出ていることも知る。ナイル川の源流を探る冒険を筆頭に、報道されるような成果も多々上げているのだから出ていて当然だ。

ところで、なんでこれが『SAPIO』で連載なのだろう。私は政治的な記事と一緒に読めて楽しいが、読者の中心層がこういうのに興味があるとも思えない。惠谷さんの持ち込み企画だろうか。

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 古いサイトでした

そのサイトの最終更新が2007年なのに気づいた。いくらなんでも古すぎる。もういちど検索し、引っ越した新サイトを見つけた。こちらはしっかり2009年10月で動いている。そこは古いものよりもずっと垢抜けていた。今風のデザインに写真が添附された「活動報告ブログ」もあった。そうだよねえ、そうでなきゃ不自然だ。早大探険部の若者もやはり今の若者だった。前記の失礼なサイト評価をお詫びして訂正する。わたし的には今どき珍しい昭和の若者を期待したのですこしがっかり。あちらにすればそんな期待はおおきな迷惑か。
  1. 2009/10/15(木) 02:49:15|
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Gさんからのメール4──前向き解決策

古いパソコンやOSを否定しているように誤解されそうなので補稿。
Gさんの古いパソコン(たしか東芝Dynabook)も古いOSの98Meも使えないわけではない。問題は急速に発展した「通信」なのだ。

 Vistaの発売が遅れたのはMSの想像以上に通信世界の発達が早く、XPをそれに対応させるのに必死だったからと言われている。XPとVista発売のあいだに時間差がありすぎ、たっぷり間を置いて発売された新登場のVistaは今度は多機能すぎてPCに要求するスペックが高すぎ不評を買った。Macですら歯が立たなかったMS帝国を通信世界の雄Googleが追い詰めているようにPC世界を語るキイワードは「通信」である。



今回のGさんの不幸はパソコンにもOSにも責任はない。メインを通信に絞った安価なパソコンがブームのように、Gさんのパソコンでも私のホームページがさくさく読める程度のことはまだ出来そうだ。(その5万円の安パソコンが5年前の30万円より遥かに高機能なのだからたまらない。)


通信に関してはダイヤルアップもブロードバンドもたいして料金はちがわない。ダイヤルアップでいるメリットはなにもないからここは契約変更するとして。ハードの方は、古いパソコンはダイヤルアップネットワーク用の接続口しかない。これはPCカード接続のLanカードを買えばいいだろう。


OSは、やはり買わねば無理なのだろうか。ここがわからない。Windows98でブロードバンド接続は出来るのか!? 調べてみた。出来るようだ。ブロバイダ大手はそれぞれ「98からの接続方法」という親切な解説記事を掲載していた。これって98でブロードバンド接続をしているひとたちがそれなりにいるってことだ。う~む、発売前のWindows7を使っている身としては考えさせられる現実である。


とすると必要経費はPCカード接続のLanカードだけだ。ルーターもケーブルも契約すればついてくる。ほんの数千円の出費で簡単に移行できるではないか。





 niftyにあった98でするブロードバンド接続の説明の画。98のコントロールパネルである。10年ぶりに見た。なんとも懐かしい。レトロなんてことばを使ってみたくなる。98は大嫌いだし思い出したくもないが、こんなのを見せられると懐かしさが過ぎる。下はWindows7のもの。外見はVistaと同じだがだいぶ使い易くなっている。どっちがいいとかの話ではないが、デザインのちがいに時の流れを感じる。







 が、待てよ、その解説を読むのにどうするんだ? ダイヤル回線をブロードバンドに変更する。PCカードを買ってきてLan接続が出来るようにする。用意は調った。ルーター等が届き98からネット接続を試みる。出来ない。方法をネットで調べようとする。だがそのネットに接続できない。


とすると、まずダイヤル回線からブロードバンドに変更する前に、ダイヤル回線で「98からブロードバンド接続をする方法」をDownloadして理解しておけばいい。それも時間が掛かる。私がDownloadした解説ファイルを印刷して郵送してあげればいいか。

 Gさんが興味深いことを書いていた。浦島太郎としてのギブアップ宣言の後、「7~8年前ビル ゲイツが今後市場は大衆の情報源がPCか次世代テレビかのどちらかに変わると予告しPC需要に対して危惧していたことを思い出しました」というのである。続けて自分はテレビ派だとして、最近の充実ぶりを語っていた。ビル・ゲイツの意見は単にPCが売れなくなり自分が儲からなくなることを心配しているだけだろうが予知としては見事だ。


なるほど、私のようなPC好きはPCのテレビ化ばかり注目しているが、「テレビのPC化」もまた急なのである。新型テレビやHDDレコーダの番組テーマ検索、タレントの出演番組検索、それらを検出しての自動録画機能はもうPCそのものだ。


GさんはPCから離れた分、そちらに走っていた。前々からそっちのほうが好きだったのかも知れない。私が80GBHDDの古いタイプのHDDレコーダで満足しているころ、最新型の500GBHDDの多機能型を買ったとか、録画をブルーレイディスクに統一したとかすでに言っていた。


一方の私は未だにNHK-BSすら見られない。テレビはそんなに好きではないからいいのだが、将棋の名人戦や竜王戦の中継があるときだけ見たくなる。ケーブルテレビは契約したことがない。未だスカパー童貞。競馬の仕事をしているのにグリーンチャンネルを見たことがない。
まさにビル・ゲイツの予言通りGさんと私の方向は見事に分かれた。

 以前の住まいの時、前住人が置いていったBSアンテナがあるのだが見方がわからないという私のために、Gさんははるばる私のところまでバイクでやって来て、アンテナの角度がどうのこうのと設定してくれた。そのあと引っ越すまで、短期間だったが私はBS放送を楽しむことが出来た。そのとき味を知ったので「将棋が見たい」と思ったりするのである。Gさんはその後も私が興味を持ちそうなBSやCSの番組をDVD録画して送ってくれたりした。親切な人なのだ。


今度は私が恩返しをしたい。さてどうしよう。とりあえずここに書いたようなことをメールしてみよう。98でもブロードバンド接続は出来ますよと。
  1. 2009/10/14(水) 04:28:09|
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Gさんからのメール3──PC無惨

ダイヤル回線は遅かった。高速道路に牛車が乗りこんだようなものである。下の写真、私の旧ニフティのホームページ(容量100MBが一杯になったので引っ越した)のTopPageが出て来るまでに1時間かかったという。わかるなあ、あのころ、重いページを開くと、すこしずつすこしずつ現れてきた。Gさんはいまどきそれをやったことになる。




遅いくせに値段だけは高かったあの頃、午後11時から午前5時までは繋ぎ放題というプランがあった。それと契約していた私は午後11時になるのを待って接続した。10メガのOSのアップデートがあると一晩中それに専念せねばならなかった。15メガのiTunesは一晩では無理で友人に頼んでCDで送ってもらった。いまもホームページに残されている当時の文書を読むと、「TopPageが重いと指摘されたので無駄な画像を削り257kbを160kbにまで減らした。これでだいぶ軽くなるはずだ」なんて書いてある。5MB、10MBを一瞬でDownload出来る今から見ると嘘のような話だ。そんな時代の接続が今の時代に試されたことになる。まさに高速道路に牛車が乗りこんだのだ。しかしこの牛車、4年前までは現役だった。いや、このたとえをするなら「4年前には高速道路はなかった」であり「牛車が最速だった」が正しい。


旧ホームページにはファイルは置いてないが、TopPageの画像やロールオーバー効果等、Javaスクリプトはそのままになっている。ダイヤルアップではそれを開くことだけでも重い。
1時間かかってやっと開いた。なのにそこで知ったのは「引っ越しました」という情報だけだった。虚しさに脱力したと書いている。


気を取りなおし、引っ越し先をクリックする。いま使用しているホームページのTopPageが開くまでまた20分かかったという。1時間から20分の一気の時間短縮はほとんどの画像が重複しているからだ。逆に言うと画像読込に40分、その他に20分かかることになる。


そこからやっと知りたい記事のある《云南でじかめ日記》を開こうとしたが98Meという牛車はもう疲れたとここでギブアップ。断念したという。90年代からパソコン通信をやっていたGさんが浦島太郎になったことを自覚し白旗を揚げた瞬間だ。





笑える昔話のようだが他人事ではない。それはついこのあいだの自分なのだ。私がADSLに替えたのが2005年、光通信が2007年。ほんの4年前でしかない。4年前まで私はダイヤル回線接続だった。


Gさんの不幸を読んで、私は当時を思い出し胃が痛くなった。その当時のテレビも炊飯器も自動車も、みな問題なく動いている。衣服だって現役だ。なのにパソコン世界だけはこんなことが起きる。何十万円も出して買った物がゴミ同然だ。ここまで極端な世界は他にない。
  1. 2009/10/14(水) 03:05:26|
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Gさんからのメール2──OSは98Me

 何年ももうインターネットをやっていないGさんのパソコンは古かった。





OSは98Meであるという。CPUはなんなのだろう。私はユーザーリソースが640kbしかなく、ソフトを複数起動するとすぐに固まった98が大嫌いだった。思い出したくもないOSだ。2005年に田舎を引き払うとき、美麗なパッケージに入った新品同様の95、98、MeをCD、解説書みな焼却処分した。一片の悔いもない。ほんとにほんとに嫌いである。


一日に何度も固まったことを思い出すと今でも不愉快になる。快調に文章を書いていると突如固まる。動かない。再起動しか方法はなく、するとそれまで書いていた文章は消えている。それが長文だったりすると何とも言えない虚脱感に襲われたりしたものだが、たとえ400字程度だったとしても同じ事をもういちどせねばならないのだから気落ちする。それがも一日に何度もあったらたまらない。どれほど苦労したことか。最後の頃の私は1行書く毎に保存していた。98の出来の悪さにノイローゼになりそうだった。2kという新OSに出逢って救われた。2kは神様だった。





とはいえテキストエディターで文章を書く程度ならまだ98Meでも不自由はしない。日記をつけたりするPCとして使うのなら充分だろう。私がしばしば固まったのは、一度に複数のソフトを起動して動かそうという当時の98にはキツかったマルチタスクをしていたからで、問題は低能力OSに無理強いをした私にあったとも言える。そういう古いPCやOSをすべて否定するつもりはない。


今回要求されるのは通信能力だけである。





インターネットはやらなくなったが、Gさんはむかしのままの契約を継続していたらしい。つまり通信は生きていた。今も出来るのである。それは古典的な「ダイヤルアップ回線」だった。Gさんは何年ぶりかでインターネットに繋いでみた。無事繋がった。かつて知ったる私のホームページのアドレスを入力する。動きはじめた。しかし!
  1. 2009/10/14(水) 02:44:47|
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ブログいじり──メモ

本文の色が#666666という薄鼠色だったので(春は曙風で悪くはなかったが)ごくふつうに#000000の黒にした。クッキリして見やすくなった。
本文の大きさが90%という指定になっていて読み辛い。110%にした。だいぶ読みやすくなった。一般にこの種のデザインは文字が小さくて見にくい。おしゃれとは言えるがいかがなものか。私はそれぐらいはいじれるがそのことに困っているひともいよう。タイトルも113%という半端な拡大だったので150%にした。
もっとカスタマイズしたいがスタイルシートをいじりすぎるのも問題なので今日はこれぐらいにしよう。透過率をもうすこし上げたいがそれはどこをいじるのだろう。
  1. 2009/10/13(火) 18:32:28|
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Gさんからのメール1──ひさびさにインターネット

 Gさんがメールをくれた。ひさしぶりにインターネット接続をして私のホームページを読んでみるつもりだと。

Gさんとメールをやりとりしていると、世間一般のことはふつうに話せるのだが、私の個人的なことになると情報がとんでもなく古く、会話が成立しなかった。私のホームページを読んでいないのは明らかだった。私のことに触れなければやりとりに齟齬はないのだが、妻が初来日したときにはきちんと紹介し、Gさんの奥さんともども四人で食事もした90年代からの友人だから、その続きの感覚で話したくもなるのだろう。

知りあって二、三年のかたがホームページを適確に解釈し「いいメール」をくれるのに、Gさんの的外れはちょっとひどかった。しかしこれはそういうものなのかもしれない。知りあって日の浅いかたはだからこそ努力してくれるのだ。Gさんには知りあって長いからなにもしていなくても通じているという勘違いがあったように思う。



問うてくる内容が毎回あまりに古く的外れなので、何度かのやりとりのあと、失礼とは思ったが「その辺のことはここに、それに関してはここに詳しく書いてあるので読んでください」とホームページ内の該当記事のことを書いて復信した。

前記の「四人で食事」が2003年。そのあたりからGさんはインターネットを引退した。関わるのが早いひとほどこんな動きをしたりする。心無いネットの悪意でボロボロにされたひとでもあった。

インターネット引退後に私が雲南に長期滞在して書いた2005年と2008年の文章をぜんぜん読んでいないらしい。そこを一読すれば氷解することをひとつひとつ応えるのはこちらも煩雑である。

さすがにGさんも自分の情報が遅れているらしいと気づき、遅ればせながら読まねばと思ったようだ。精読して感想文を書きますから、と結びにあった。そして今回のメールが届いた。
  1. 2009/10/13(火) 18:08:42|
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空港考1──それは必要なのか!?



 ごくごく素朴に、狭い日本になんであんなに空港を作るのか疑問だった。

私は未だに東京大阪間を飛んだことがない。以前の住まいで言うと、東急線に乗り山手線に乗り替える。東京駅で新幹線に乗る(いまはすぐ隣の品川でも可能だ)。時間など決めてなくてもいくらでも出ている。適当なものに乗り、本を読んでもPC作業をしても居眠りをしていても、すぐに着く。

飛行機だと、浜松町からモノレールに乗りかえねばならない。切符も別だ。飛行機の便も時間も事前に決めておき、それを守らねばならない。窮屈だ。大阪に着いてからの移動も新幹線で乗りつけてそのまま動く方が連絡がよい。飛行機で短縮できる時間はどれぐらいなのだろう。そのことの価値が見出せない。

ただしそれは私がフリーランスの人間だからで、世の中にはきっと飛行機で短縮されるわずかな時間が貴重な方々もいるとは理解している。自宅から羽田にクルマで乗りつける立派な会社の重役とか政治家とか、分刻みで動くかたには東京大阪間の飛行機にはきっと新幹線とは違った価値があるのだろう。よって、この話はともかく。



航空会社の赤字路線撤廃に離島のひとたちが異議を唱えていた。たとえば北海道の奥尻島には札幌まで通院しているひともいて、路線廃止及び縮小は困るのだとか。飛行機で通院、におどろいた。そんな時代なのか。この種のことを語るとき「離島問題は別にして」は常識だ。よってここもパスとして。



大都市間、離島、東京から北海道、九州沖縄、四国のような便は必要として、あとは狭い日本、なにが必要なのだろう。

アメリカのような広い国には飛行機が必要だ。その時間短縮の価値は計り知れない。道のない広大なアラスカにおいて飛行機がクルマ変りなのもよくわかる。だけど道路が整備され、電車が充実しているこの狭い日本でそんなに飛行機は必要なのだろうか。いまある空港は98、来年開港する茨城空港が99番目になる。
  1. 2009/10/13(火) 16:28:57|
  2. 世相
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無智の分野-日本人宇宙飛行士

 好きなことに関して智識を深めるのはもちろん興味のない分野でも恥ずかしくない程度には知っていたい。そう心懸けていてもいつしか智識の缺落した苦手分野が出来てしまう。クイズ番組で誰もがふつうに答えていることを知らないと己の無智を再確認して落ちこむ。だいたいにおいてそれは「こんなことは知らなくてもいいのだ」と決めつけ敢えて距離を置いた分野だから気にする必要はないのだが。



私は「日本人宇宙飛行士」について知らない。「最初の」と言われてもわからないのだから「ついこのあいだの」と言われてもわかるわけがないし、「女性初の」など知るはずがない。時折クイズ番組で「フルネームで」なんてのまである。苗字も知らないのに出て来るはずがない。


興味がないことなのだから知らなくて当然と割り切るのだが、他の問題がぜんぶ出来ていて、常識すら知らないタレントがこの件に関しては私より詳しいのを見たりするとみょうに悔しくなったりする。常識知らずは自分なのかと。


大のSF好きだったからそういうことに興味がないわけではない。地球上で餓死しているひとたちがいるのに宇宙開発でもあるまい、という正論を吐くつもりもない。宇宙飛行士には興味があるが日本人はどうでもいい、ではもちろんない。私は日本人であることに誇りを持ち人一倍こだわっている。



ごく素朴に、あの行ったり来たりのスペースシャトルに興味をもてず、いつしか無智の分野となっていった。
  1. 2009/10/13(火) 07:22:24|
  2. 世相
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『ホームページビルダー』の活用・7──背景写真の変更

 ブログから提供されるデザインは一社で何百もある。ユーザーを獲得するための売りであるから力が入っている。各社のそれらを合わせたらたいへんな数になるだろう。

とはいえユーザーの数はさらにまた桁違いだから、けっきょくは多くのひとが同じデザインを使うことになる。人気のある個性的なデザインを使うことは個性的で目立つからこそ、同じデザインのサイトを見つけたときには「街を歩いていたら向こうから同じ服を着ているひとがやってきたときの気まずさ」を味わうことになる。

いいデザインだなあと思っても、そのしたにある「現在の使用者数2560」なんてのを見ると引いてしまう。よってどうするかというと最も単純な単色のデザインを選んだりする。これだと同じデザインを使用しているひとは何万人もいるだろうが、いわば白いティーシャツのようなものだから街で擦れちがっても恥ずかしくはならない。ずっとこの手でやって来た。


先日読んだ林真理子のエッセイに、PCをいじれず原稿も手書きの彼女がブログを作ることに決め、デザインもプロに頼んだので100万円以上使ったとか、毎月入力係に給料を支払っていると書いてあった。



PCをいじれず、手書きに誇りを持っているのだからなにもブログなどやらなくてもいいと思うのだが、そこがあのひとである。貪欲なのだ。同時にまたそれだけの金が掛かったの入力係の女の子に給料を払っているだのと書かねばいいのにと思うのだが、そこもあのひとである。直木賞受賞作の銓衡評で山口瞳の指摘した「いやしさ」だ。

今回の再開に当たり単色シンプルデザインにも倦きていたので最新のデザインに手を出してみた。新鮮だ。気分一新である。あたらしいデザインはいい。

同じデザインのブログが何千も何万もあると思うことは、見知らぬひととの連帯感もあってわるいことばかりではないのだが、「いつか擦れちがう日」を思うと不安でもある。

実態は現実世界同様ネット世界においても私は引き篭もっているから、ふらふら歩きまわり自分と同じデザインのブログにぶつかるなんてことはまず絶対にあり得ないのだが。


写真背景のデザインは背景が変更できる。スタイルシートを書きかえて、アップした写真にリンクすればいい。それぐらいは私にも出来る。『ホームページビルダー』の勉強でhtmlソースをいじくっていたのが役に立つ。

背景に使いたい写真は決まっていた。茨城の田舎の風景だ。といって観光地のような景色ではなく、我が家にあった草花類である。父の作っていた菊花、母の育てていた草花、庭の果樹。いとしいそれらを使いたかった。
父母ももういず、私が田舎に帰ることももう二度とないからこそ、自分の手で撮り溜めてきたこれらの写真に対する思いもひとしおである。



困ったのは気に入っている写真(たとえばいまの季節だと、葉を落とした柿の木の写真。あるいは父が丹精こめて作った菊花等)がみな640*480ピクセルだったことだった。これでもハイモードである。ごく初期のデジカメなのだ。2000年以前はこんなものだった。保存用の2メガのスマートカードが8千円していた時代だ。これだと横幅が足りない。部分写真になってしまう。それは背景ではない。


2002年になると一気に充実する。あのころのデジカメは日進月歩だった。しかたないのでそれ以降の写真を使うことにした。まだ諦めていない。合成したりしてなんとか古い写真を使えないかと画策している。



ここでまた『ホームページビルダー』とブログの相性で問題が起きた。変更を加えたデザインを『ホームページビルダー』が読みこめないのだ。

読みこめなくてもブログに画像は反映されているし問題はないようだが、それだと『ホームページビルダー』で編集できないのである。私のこの再開ブログは『ホームページビルダー』のブログ投稿機能に支えられている。なかよくやってもらわないと困る。これも写真サイズを変更してなんとか解決した。

というわけで私だけの背景写真を使ったブログデザインが出来た。スタイルシートはそのままなのでオリジナルは背景写真だけだから自慢は出来ないが、一応この世でただ一つ、ではある。ただし残念ながら甚だしく季節感を損なうものとなってしまった。



背景写真は2002年3月10日に撮った「庭の桃の花」である。全体が見えないので一部写真を再掲した。桃の花はきれいだ。しかし桜とちがってそのあとにあの芳香を放つおいしい実がなる。



最愛の猫が死んだのが2000年1月、妻の初来日が2003年4月、父が亡くなるのが2004年12月。あれこれあった挟間の思い出深い一枚になる。いまの季節でないことだけはどうしようもない。でももうすぐ寒い冬になる。すると春が恋しい。この桃の花は春の象徴として光るはずだ。春になったらもちろん満点。問題はむしろ真夏か。真夏にこの春の花は似合わない気がする。そのときは何にしよう。真っ赤なハイビスカスの花にするか。

あるんだけどなあ、秋の青空をバックに、葉が落ちて、残り少ない葉が紅葉している柿の木とか、いまの季節にあう最高のものが。でも背景には使えない。

ということで、挿入写真にしてみた。いまの季節、ほんとうはこれを背景にしたいのだが。
  1. 2009/10/12(月) 13:45:50|
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道を訊かれる1-自慢?

  関西で整骨院をしている友人のブログを覗いたら、自己紹介の欄に「よくひとに道を訊かれる」と書いてあった。日本人はもちろん外国人にも尋ねられるのだという。

その様子を軽妙な文章で綴り、最後に「占い師に訊くまでもなく前世はお巡りさん」として、「あなたの健康の道案内人をします」とうまくまとめていた。


じつは私もそうなのである。意外にいそうでいない。近しい友人にはいなかった。こんな形で同じタイプと出逢うとは思っていなかったのでうれしい。友人のブログは以前から読んでいたが自己紹介の欄は見すごしていた。

ブログの自己紹介欄にまともな文はすくない。かくいう私も男であることと東京在住としか書いてない。

友人の場合は整骨院経営という立場から、通院するひとに対する自己紹介の必要があったのだろう。正体を隠しての言いたい放題ブログとは性格が違う。


写真に添えた短文で上手に自分を紹介し、くすりと笑わせ、そして安心させる技術はさすがだと思った。センスがいい。

世話になる患者にとっても、先生が通行人によく道を訊かれるひとであることは、よい方向に作用するだろう。



この話題はなんとなく自慢ぽくなり話しづらい。不思議な現象として客観的に話しているつもりでも、とりあえず「ひとが寄ってくる話」だから、そうとられてしまうようだ。それを意識して話さなくなる。私も今回友人の虎の威を借りて書きだしたがブログでは初めてである。

もう居直って、これは自慢してもいいんじゃないか。そう思い始めた。ひとを安心させ引きよせる能力だ。


友人のように顔出ししての自己紹介文だとなかなかそこまで言えないが、ここはそうじゃないから言ってしまおう。

多くのひとに道を訊かれるのは自慢していいことなのだ、と。


  1. 2009/10/12(月) 07:01:40|
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『ホームページビルダー』の活用・6

 私のブログはホームページの「出店」だった。新店を出したばかりの頃は気合いが入っていたから出店にあって本店にない商品もあった。アクシデントでそれが消えてしまわないうちに本店にそのコピーを作っておかねばと思っていた。


自分の書いた文はいとしい。文章が下手で中身が的外れだったりすればよけいにいとしい。
ならそれをコピーして整理する作業は楽しいようだが、そうでもない。発酵の時間が必要だ。そうなっていないものは恥であり触れたくない。かといって発酵を待っているあいだに事故があって消えたら困る。出来の悪い息子は見たくないのだがいとしさに変りはない。コピーはぜひともやらねばならないことだった。

デジタルの怖さはどんな大量のものも一瞬で消えることだ。何度かの引っ越しで本というアナログを大量に処分した。業者に処分してもらったもの、燃えるゴミとして出したもの、思い入れがあり別れの儀式として泣き泣き焼却したもの、みなそれなりの時間と労力が要った。
デジタルは一瞬だ。何年もかかって重ね挙げてきた大量の文章も一瞬にして消える。消えたら二度と戻らない。便利さとともに常に怖さと虚しさを感じる。

コピーしておかねばならない。やらねばやらねばと思いつつしないままでいた。
今回長年使い慣れている『ホームページビルダー』の新機能を知った。以前から知ってはいたのだが食わず嫌いだった。知って、その便利さに驚嘆した。

「ブログからホームページへの取込み機能」があると知る。これまた便利だ。
1年以上ブログを休んでいたのが吉と出た。2年、3年前の文章はほどよく発酵していて、おまけに惚けてきて何を書いたか忘れているから、知らないひとの文章を読んでいるように新鮮だった(だいじょぶか、オレ)。早くこれらを取りこみたい。
なによりPC大好き、ソフトウェア大好きとしては、「新機能を初めて使っていること」に満足感がある。

世に名高い便利フリーソフトのほとんどぜんぶを知っている。そういうものを使うのがPC生活の大きな楽しみだ。なのにまさかこんなちかくに青い鳥がいるとは。いや気づかないからこそ青い鳥って言うんだろうけど。
今まで知らなかったことが心底悔やまれる。調子に乗って本店支店が逆にならないように気をつけよう。

【附記】
どうやらブログからの一括読込数には限度があり何年も前の古い記事の読みこみは出来ないようだ。結局手作業か。うまくいかんものだ。残念。
  1. 2009/10/10(土) 21:09:31|
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追悼──中川昭一5──人材涸渇



私は欧米風の夫婦外交が大嫌いである。日本で最初にそれをやったのは佐藤栄作だった。

外国訪問時、女房と手を繋いで飛行機のタラップを降りてくる安倍晋三、鳩山由起夫、あの姿はたまらない。女房は一歩引いて夫のあとをついてくるのが日本的美ではないか。まあそれ以前に、なんで外交の場に女房を連れて行かねばならないのかが不可解だ。いやな時代である。



中川昭一は総理大臣になっても女房と手を繋がないと思っていた。そういう男だと思い込んでいた。それがあの「がんばれえニッポンイチ!」である。どれほど落胆したことか。

死を悼む拉致被害者家族のかたが、「涙を流す政治家を初めて見ました」と語っていた。父の位牌の前で涙を流しつつ拉致問題解決を誓ってくれたのだという。いい話だ。だが弱い。



演説しつつ涙を流したら、日本では情に篤い政治家として支持される。だが白人国家では、こういうやつに政治は任せられないと否定的に解釈される。オバマ大統領が核爆弾のボタンを押したら地球はなくなる。人類は消滅する。あのひとはそれだけの力を持っているのだ。そういう権力者にやたら涙を流すようなのになられたらたまったものではないという発想は正しい。私は日本人だからけっこう好きだけど。


中川昭一は心の弱い人だった。それは父譲りだった。それが死を早めた。そう思って諦めるしかない。

言いたい放題書いたが大好きで期待していた人がいなくなった悔しさゆえである。なんとも残念だ。



思えば、「がんばれえニッポンイチ!」で妻に叱咤されるなさけない面を見たのは、諦める意味ではよかったかもしれない。未練が断ちきれた。そうとでも思わないとやっていられない。

自民党の人材不足は深刻である。(完)
  1. 2009/10/09(金) 07:31:10|
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追悼──中川昭一4──繊細と小心

"北海のヒグマ"と呼ばれた中川一郎が実は繊細(あるいは小心)な人物であり、悩んだ末の自殺(未だ他殺を噂されている)という結末は、私にとって不思議ではなかった。私は中川一郎のようなごつい顔で、豪放磊落のように言われているが、じつは臆病な目の小心な人物をけっこう知っている。彼もまた臆病そうなちっこい目の持ち主であり豪傑とは感じなかった。



もしも中川が細面のなよなよとした容貌だったなら、同じ発言行動をしても決してそうは呼ばれなかったろう。あれは外見と出身地から来ただけの安易なレッテル貼りである。

中川昭一は父とちがいハンサムだった。"北海のヒグマ"の息子であり、ヒグマの猛々しさをもっていて(願望)、より知的、美男、期待は高まって当然だ。父の盟友・石原慎太郎のような擁護者もいた。父の秘書をしていた平沼赳夫のような兄貴分もいた。人脈的にも万全だった。



天敵の父の元秘書・鈴木宗男は竹下派に属し、政治家としては中川より出世が早かった。だが躓く。離党となる。風は中川の方に吹いてきた。

小泉政権で重用され安倍晋三とともに自民党のニューリーダーとして注目される。

北朝鮮による拉致被害の解決にも熱心だった。

小泉ののち、安倍政権、麻生政権でも中枢を担う。

そのころから「酒がアキレス腱」とは言われていた……。



父は容姿から"北海のヒグマ"と呼ばれたが、じつは繊細な人だった。中川もその血を引いていたのだろう。父は苦労人だった。中川はおぼっちゃんだった。父よりももっと弱かったのか。落選後の落ちこみはたいへんなものだったという。酒に逃げたか。


そして今回の、なんとも残念な結末となった。たまらない気分である。


あの「がんばれえニッポンイチ!」は、妻に叱咤激励される、妻の尻に敷かれている、典型的弱い亭主の姿だった。(続く)
  1. 2009/10/09(金) 07:25:23|
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『ホームページビルダー』の活用・5

『ホームページビルダー』の「ブログ投稿機能」を利用して書いた文をアップし、ブラウザから見てみたら、おそろしく隙間のある文章になっていた。こんな隙間だらけの文章を書いたのは初めてである。
ブログの文章とはそういうものだと『ホームページビルダー』が判断してやっているのだろう。こんな形で隙間だらけの短文を書くのがブログなのか。ブログに関わって3年になるが初めてブロガーになった気分(笑)。

過日あるエッセイ賞の銓衡評で、「一行空けはやめろ」と複数の銓衡委員が書いているのを見かけた。ワープロ使用応募文にブログによくある一行空けで書かれたものが多かったらしい。いかにも今風の話だ。原稿用紙10枚もの文章を一行空けで書くものだろうか。ブログではともかく一般文章では誤りである。年輩の銓衡委員たちは常識を知らないのが多すぎると怒ってしまったとか。
しかし結果的にその作品が大賞を受賞した。中身の面白さがマナー違反を超えたのだ。

ここのところ何度かここで触れている友人のブログも、彼は文学部出身の還暦を迎えた昭和の男なのだが、一行空けで書かれている。

あれってどうなんだろう、携帯電話で長文を書くと自然に一行空けになるのか。それとも意図してやるものなのか。
ともあれ見慣れると、あの隙間だらけの文がブログなのだという気はする。

彼は気づいていないかも知れないが、明らかに以前と比べてセンテンスが短くなっている。悪く言うならブツ切り文章だ。携帯小説ではそれが必須だという。あのちいさなディスプレイで書くのだ。いや読むのだ。改行のない長いセンテンスは読み手にとってきついのだろう。短くせねばならない。自然に誰でもそうなるらしい。回転が速くテンポのいい文章、と言えないこともない。

彼ですら今風になってしまったから、私は下の方にある「千字びっしり文字」のように、当面ブログ風でないブログ文章にこだわってみたい。
  1. 2009/10/09(金) 07:00:14|
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『ホームページビルダー』の活用・4

私がどうしても従前のものと比してブログに熱を入れられないのは「保存」の問題があるからだった。いまホームページは有料のniftyと無料のfc2でやっている。niftyはともかくfc2には、あちらの都合でいきなり消される恐怖を常に感じている。ただで使わしてもらっている引け目だ。そうなっても文句は言えない。今のような時代にそんなことはありえないのかもしれないがどうにもこの疑念から逃れられない。倒産したらそれで終りだ。

それは同じく無料で使わせてもらっているこのライブドアブログにも感じている。ある日突然「あんたのブログは削除しました。さようなら」と言われても文句は言えないと思って接している。

従前のサイト作りは自分のハードディスクの中で作ったものをインターネットにアップする形だった。
いわば日記帳に手書きで書いた日記をあらためてインターネットに公開する感覚だ。
ブログは、いきなりインターネット世界にデジタルで日記を書く感覚になる。
なんらかの事故でブログが消えたら、今まで書いてきた日記も跡形もなく消えてしまう恐怖がある。

自分への記録が目的でサイトを作っている私は、異なるハードディスクの中に重複して保存するのはもちろん定期的にDVDにも焼いている。滑稽かも知れないがそれが目的のサイト作りなのだからしょうがない。

現在のインターネット世界で、いきなりこちらにことわりもなく長年書きためてきたブログが一方的理由でなくなってしまうなんてことはないだろうし、キャッシュも残るし、いろんな保存のしかたもある。私の考えは杞憂なのだろう。

でも、たとえば、「携帯電話で毎日長文の写真入りブログ日記をアップしている友人」がいるけれど、彼は保存のための工夫をなにもしていない。なんらかの事故でブログが消えた場合、元文章と写真は携帯電話の中に別々ではあるが残るにせよ、ブログという彼のやってきたものの「形」は消えてしまう。元通りに復元することはたいへんだ。私はそんな懸念をブログに常に感じている。

もっとも彼はそんなことは気にしていないようだ。今を精一杯生きているだけなのだろう。なくなったらなくなったで、それまでのことと割り切るように思う。私のようにやたら保存にこだわる方が邪道なのかも知れない。(でも意外に彼のようなタイプが、「こんなことになるならやり方を教わって保存しておきたかった」と嘆くかも知れない。)



ブログは、あくまでも「他者への発信」が基本なのだ。私のように「自分の記録が主──ほんのすこし親しい友人にも読んでもらえればいい」がズれている。私のブログへの姿勢そのものがまちがいなのだろう。



私はブログに写真を連発する気はない。それはホームページでやる。
それでも前記のように政治関係の記事になんてのを挿れたい気持ちはあった。私の場合、この程度でいい。今回これが解決されたのは大きい。



違法らしいけど、中川昭一とマンガ「加治隆介の議」の関係を書いたら、を載せたいと思う。

この違法と罰則はどうなっているのだろう。いまだにわからない。こういう個人ブログでもぜったいにやってはならないことなのだろうか。いつも思うのは、それは作者弘兼憲史さんにとっても本が売れるきっかけになるからわるいことではないと思うのだが……。

でもあれか、私の言っているのは「好意的使用だからいいだろう」という身勝手なリクツであり、これを主張すると「好意的と悪意的はどこで判別するんだ?」という問題になる。やはり「一貫して使用禁止」が基本か。

あきれるほど好き勝手にやっているサイトを見ると、ほんのすこしぐらいならかまわないかと思ったりする。しかしそれは大泥棒がいるから万引ぐらいいいだろうの論理になる。違法なら自粛せねばならない。

先日あるサイトで、作者がナガブチツヨシの歌詞を2行ぐらい引用したら、そのサイトのアンチのひとが著作権違法だと騒ぎたてていた。今の時代、歌詞ってのは、「誰それさんの何々って歌の歌詞です」と断り書きを挿れても引用は出来ないのか? よくわからん。



ところで、この実験で載せた何枚かのgifと写真は私のハードディスクの中に独自の名前をつけられ保存されている私のものだから問題ないとして。

この「加治隆介の議」の画はAmazonからもってきたままである。私のハードディスクに名前をつけて保存することなくこのまま載せる。するとどうなるのだろう。自動でAmazonへのリンクが張られ、Amazonの写真であることが自然に解るのか。これも実験だ。



『ホームページビルダー』の「ブログ投稿機能」を使うと簡単に楽にブログ投稿が出来るのはわかった。しかしまだ謎は多い。肝腎要の「保存状況」がまだよくわからない。調子に乗らないようにしないと。ある日大量に失って臍をかんでも遅い。便利な時代だからこそ転ばぬ先の杖が要る。

いま確かめてみた。
ブログへの投稿文を『ホームページビルダー』で作っているあいだは「未投稿ブログ文章」として保存は可能だが、一度投稿してしまうと『ホームページビルダー』は「わしゃもう関係ないもんね」となるようだ。つまり『ホームページビルダー』で作ったサイトの文章のように、いつもの場所に保管して管理してはくれないらしい。

それはそうだ、『ホームページビルダー』という店があるとしたら、大事なのは自分の店である。ブログを書くのはあくまでも他店の手伝いに過ぎない。「他店の手伝いも出来ますよ」という機能を売り物にはしたが、自分の店とは愛着がちがう。もうすこし慎重に考えねばならないようだ。
  1. 2009/10/08(木) 20:40:25|
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『ホームページビルダー』の活用・3

簡単に出来た。今までブログを敬遠していたのが嘘のようだ。



いま使っているVersionは最新の13だが(12月に14が出る)、たしか11の時からこの能力はあった。一度だけ使ってみたことがある。短文を書いたが、なんとなく使いづらいような気がして投稿することもなく仕舞いこんでしまった。こんなに楽だったのか。これなら従前のサイト作りと同じ形で私専用のgif画像を挿れたり、本のことを書くときにはAmazonの画を貼ったり出来そうだ。今まで宝の持ち腐れをしていたことにやっと気づいた。




もうひとつ実験。




  同じくルーアンの町並。季節はいまごろだ。いい時期だ。行きたいなあ、フランスも。しば らく行っていない。このルーアンは「ジャンヌ・ダルク最後の地」である。



  私は写真に対して「回りこみ」をして横に文章を附ける。携帯電話から投稿した形の写  真の縦並びが好きではない。それも出来るのだろうか。ブログでそんなことにまでこだわ ってもしょうがないが試してみよう。


  ブログ投稿機能の『ホームページビルダー』上で完全に出来ているから、まちがいなく  ブログでも反映されると信じる。すごいなあ。こんな機能を今まで使っていなかったのか。 もったいない。


 先程の投稿で写真のサイズ変更等は今まで通りに出来るのがわかった。


 回りこみも簡単に出来るのか。とするなら、今までのホームページ作りとまったく同じ感覚でブログが出来ることになる。ちょっとこれは私にとって新展開である。

  1. 2009/10/08(木) 20:02:37|
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『ホームページビルダー』の活用・2

おおお、なんと簡単に出来るではないか。今までのホームページ作りとまったく同じ。簡単簡単。もういちど実験。



 これはことばに関してのテーマの時。



 生活関係の小物のことを話すときはこれ。このテーマで【木屑鈔】に書くことはないがアップの実験。



どうやらこれらは出来るようだ。



ではハードディスクの中にある風景写真はどうなのだろう。



 これはパリから一時間ほどのルーアンという町の風景。こういうのも簡単に出来るのか。実験。


  1. 2009/10/08(木) 19:23:50|
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『ホームページビルダー』の活用

いくつか前のVersionから『ホームページビルダー』はブログ投稿機能を備えている。それは知っていた。

使ったことがなかったので試してみる。

私がブログを苦手としているのは従前のサイト作りと比較してあれこれ面倒だからだ。これを利用すればなんとかなるのだろうか。



不満としているのは画像アップのわずらわしさだ。

たとえば「追悼──中川昭一」にはテーマを表すを文章の先頭に入れたい。

だが今まで作ってきたサイトと比すと手続きが面倒だ。

面倒でイヤだったのだけど、やらねばならないと以前はやっていた。これぐらいは挿れないと様にならない。でも面倒は面倒だ。

その無理がたたってブログと疎遠になっていた。

これなら簡単なのか。今から試してみる。
  1. 2009/10/08(木) 19:16:23|
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追悼──中川昭一3──「加治隆介の議」のモデル

中川昭一の父中川一郎は北海道出身の初の総理大臣の期待を寄せられていた。タカ派のその主張と豪快な行動発言は"北海のヒグマ"と呼ばれた。
息子中川昭一は東大を出て銀行に勤めるエリートだった。ごつい容姿の父に似ずハンサムだった。不可解な死を遂げた父の地盤を秘書の鈴木宗男が継ぐという。後援会はふたつに割れた。鈴木を嫌う一派に担がれて立候補する。その流れからしてドラマチックだった。日本中の注目を浴びた選挙戦だった。

政治漫画の傑作として名高い「加治隆介の議」の設定に、作者弘兼憲史は中川父子を選んだ。
《与党要職にあった大物政治家の不可解な死。跡を継ごうとする人品骨柄卑しい秘書。ふたつに割れる後援会。一方から後継者として担ぎだされる、それまで政治にはまったく無関心だった東大卒エリート銀行員の息子。悩んだ末の出馬。死んだ政治家の息子と秘書の争いとなる選挙戦。》
まさに中川父子そのものである。さすがに舞台は北海道から鹿児島に移してある。加治隆介には父の跡を継ぐ予定の兄がいて父の秘書をしていた。その兄も父と一緒に殺されてしまう。そうして立ち上がった次男だった。
中川の場合は長男だし父の後継は意識して育ったろう。とはいえ首相を狙う地位の父が57歳で急逝し急遽出馬することになるのは想定外だったはずだ。

「島耕作」でサラリーマン漫画に金字塔を打ちたてた弘兼憲史が、それをしばらく休み、次のジャンルとして選んだのが政治だった。綿密な検討の上に選ばれたモデル。中川昭一の政治家人生は弘兼憲史の描きたい世界と一致していた。当面の敵役となる秘書出身の俗物議員のキャラも申し分ない。主人公を支えるブレーンキャラのためにも東大卒が望ましい。すべてにおいて満点である。もっとも加治隆介の妻はヤクザと浮気する悪妻だったから「がんばれニッポンイチ!」と声援してくれた中川の方が恵まれていたか。(続く)
  1. 2009/10/08(木) 18:54:42|
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追悼──中川昭一2──がんばれニッポンイチ!

 次の総理として期待していた中川昭一が世界が注目する場で致命的な醜態を晒した。取り返しのつかない事態を目撃しつつも、それをクスリによる事故と判断した私は彼に対する期待を捨ててはいなかった。



未だ陰謀説もある。それほどの奇態だった。陰謀とまでは行かなくても、周囲のスタッフが「そうなることは解っていたがしらんふりをした無意識の悪意」のようなものは充分考えられる。なら、それも、そういうブレーンしか持ちえなかった彼の責任になる。いずれにせよあのような場に向かう国務大臣として中川の姿勢が甘かったことは否定できない。だが私はまだ政治家中川昭一の能力を買っていた。



しかしそのあと私にとって、あの記者会見よりも衝撃的な事態が出現する。「がんばれ日本一!」だ。



泥酔記者会見の映像が繰りかえし流され、政治のことに興味のない人間までが笑い話にする中、中川は帰国した。針の筵であったろう。

朝のワイドショー。自宅前に群がる報道陣。玄関のドアが開き、国会へ向かおうとする彼が出て来る。クルマに乗りこむまでの僅かな距離。矢継ぎ早に質問が飛ぶ。



その背後から聞こえてきた女の声。「がんばれえ、がんばれえニッポンイチ、だいじょうぶだよお、がんばれえ!」

何事が起きたのか!? 早朝から駆けつけた熱烈な中川支持者のおばさんなのかと思った。テレビも戸惑っている。

やがてリポーターが「奥さんのようです」と伝える。女房らしい。垣根のあたりにチラリと姿も見える。記者に囲まれている夫が心配でならないらしく、垣根を左右に移動しつつ励ましの声を送っている。それは何度も繰り返された。中川が乗車しクルマが発車すると、やっと安心したように家の中に入った。

ワイドショーのカメラはそこまで捉えていた。当然だ。政治的なことなどどうでもいい単におもしろおかしくあの「ヘロヘロ中川」を追い掛けていたワイドショーだ。口を利かない亭主よりこっちのほうがよほど絵になる。



まるで学校に行きたがらない小学生を励ます過保護母親だった。これが世界2位のGDPを誇る国の55歳の財務大臣と49歳の妻が自宅前で繰り広げる光景か。「あなた、しっかり!」ぐらいでも世間の耳目を集めるだろうに、「だいじょうだよお」と「ニッポンイチ!」には参った。



これも全国中継されている。それをやる女房、やらせる(やってもらっている)亭主。醜態どころの騒ぎではない。泥酔事件の時にもしっかり握り締めていた匙を私は思いきり抛り投げた。だめだこりゃ。(続く)
  1. 2009/10/07(水) 19:46:22|
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追悼──中川昭一1──国壊マスゴミ

 今夏の総選挙で自民党が敗れたのは当然だった。流れることなく溜まりすぎて腐った水だ。医学会や農民など長年の熱心な支持者が投げたことが象徴している。河野太郎が言ったように「もっと負けてもよかった」とすら思う。比例で復活した派閥の領袖はみな消えて欲しかった。80人ぐらいまで落ちこめばよかった。もっとも河野に関しては「おまえが言うな」だが。



かといって自民党には復活してもらわないと困る。民主党の独裁は怖い。自民党独裁よりよほど怖い。輿石東なんてのが要職にいるのだ。千葉景子なんてのが法務大臣なのだ。寒気がする。なんとも奇矯な寄り合い所帯である。ただし小沢一郎が悲願達成のために手段として選んだのは解る。これからの自浄能力に期待するしかない。あのひとが旧社会党と仲よくやれるはずがない。



能力ある若手が育ち新生自民党が誕生するまでは時間が掛かる。中川昭一は期待できる有能な政治家だった。あの事件により彼の総理の目は消えたとしても、引率者として活躍して欲しいひとだった。なのに父とほぼ同じ齢でこのような最後になると誰が予測したろう。家族のいる自宅で亡くなっただけ今も他殺説が根強い父よりはまだ救われるとしても。



あの「泥酔事件」が起きたとき、ひとりの有力な総理大臣候補が消えた。それでもまだ私は希望を持っていた。一過性の傷として消えるのではないかと。だがこういう時代だ。私があの映像を見せられた回数だけでも数え切れない。ひどいときは一日に10回以上見せられた。いったい何度流されたのだろう。

抗えない。映像の時代にあれだけ繰りかえし流されたら死命を制される。心の襞に擦りこまれる。もしも彼の能力が勝ち政治家として復活しても、したらしただけあの映像を流される。



性的極秘映像が流出したらアイドルのタレント生命は終わる。その場合裏で流通するだけだがこの映像は昼日中から堂々と流せる。流す方に国務大臣の醜態批判という大義がある。その大義のなんと醜かったことか。水に落ちた犬を狂ったように叩くがごとく、これでもかこれでもかと繰りかえし流す。お笑い映像として。

もしもそこに「自国の恥」という愛国心のかけらでもあったらあのようなことは出来なかったろう。辻元清美が「わたしは国会議員ではなく国壊議員です」と言ったように「国壊マスゴミ」だから出来たことだ。



日本人は死者にやさしい。それは「国壊マスゴミ」でも同じようだ。中川昭一は死ぬことによってやっとあの映像を封じることが出来た。(続く)
  1. 2009/10/06(火) 20:05:43|
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早くもブログギブアップ宣言!?──中川昭一氏の訃報

 再開してたった三日で早くもギブアップ宣言である。ブログだ。どうにもダメである。私には合わない。



▼午後4時に中川昭一氏の死を知った。おどろいた。私なりに中川氏に関して書きたいことが山とある。れいの泥酔事件の時から氏に関してまとめようと思いつつ先延ばしにしてきたことを悔いた。もう間に合わない。どんなことをしても間に合わない。



▼第一報は何時だったのだろうと調べる。ネットはわからない。テレビは午前11時のフジテレビが最速のようだ。検索下手の私なのであまり当てにならないが死亡時間からしてまちがいなかろう。いつものよう早朝起きをして午前10時までテレビを点けていた。そのあとネットに繋がずPC作業をした。ちょうどその合間の出来事だった。



▼早速ブログに書きこもうとした。うまく行かない。丸一年休んでいるあいだにもともと巧くなかったのにさらに下手になったのだろう、忘れたか、あるいはブログの方が変ったのか、新聞からの引用を青字にしようとしても出来ない、見出しを太字にするのはなんとかなったが。



▼この千字文章はテキストエディターで書いている。テキストエディターでそれらは出来ない。『ホームページビルダー』を使えば出来るが、ならホームページに直接書けばいい。二重手間だ。なによりブログの書き込み欄の文字がちいさくて見辛い。いらついて、ここに書くことを放棄した。



▼ブログの価値というのは、日に何百万ものアクセスがあるというタレントの人気ブログのように、携帯電話からこまめに写真をアップし、数行のコメントをつけるような形のものがベストなのだろう。私のやろうとしていることはブログ向きとは言えない。しっかりした長文の意見を書き、美麗な写真や資料もアップしているすばらしいブログがあることも知っているが、私には今まで通り『ホームページビルダー』で作る旧態のサイト形式の方が向いているようだ。前々からわかっていたが今日あらためて確認した。



▼中川さんに関しては、あの泥酔事件のこととともに、父親の不可解な死、鈴木宗男との関係、弘兼憲史の漫画「加治隆介の議」のモデルになったことも書きたい。そこには(違法らしいが)「加治隆介の議」の画も添えたい。その作業をブログでやるのは私にはたいへんだ。ホームページなら簡単に出来る。慣れた作業だ。やはり私には今じゃ時代遅れらしいが昔風のホームページが合っている。早速そっちで作業しよう。
  1. 2009/10/04(日) 18:53:17|
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オリンピック開催地落選の後

落ちたとなると今度は落選責任論だ。都民の税金無駄づかいと大騒ぎになるだろう。と思ってこの種の事では御約束定番「きっこの日記」を覗いたら待ってましたとばかりにアンケートまで募集しておおはしゃぎしていた。「きっこの日記」というのは平均すると年に2回ぐらい見るがけっこう嗤える。平均するととは、今年はもう10回ぐらい見たがそれ以前は三年ぐらい見ていないからだ。なぜ今年はもう10回も見たかはそのうちネタで書こう。▼毎度何事も競馬に結びつけるのはバカのなんとかだが懲りることなく今回のことも競馬で譬えると、オリンピック開催地立候補とは「馬券で100万円儲けたいようなもの」である。2008年に立候補した大阪は「資金もないしどうせ当たらへん」とばかりに予算1万円で3連単100万馬券を買いちらかすようなことをした。案の定第1回投票で6票しか入らず泡沫候補として真っ先に落選したが1万円しか損していない。対して東京は本気だった。なんとしても勝ちたいと本命サイド4倍の単勝を30万円買う勝負に出た。負けた痛手は大きい。慎太郎さんを大嫌いな連中は時は来たれりと鼻息荒くしていることだろう。▼私は二度目の東京オリンピック開催にあまり興味はないが日本での開催には興味がある。大阪、福岡、名古屋、どこでもいい。ぜひ見たい。もちろん夏季だ。冬季はオリンピックと思っていない。しかしそれは日本を過大評価した勘違いなのだと今回思い知った。東京という切り札でもあの扱いだった。その他の地域なんて夢の夢か。今後もし開催されるとしても東京しか可能性はないのだろうか。▼早くも2020年の開催地にローマが名乗りを挙げたとか。ローマは東京の前だった。1960年。裸足のアベベがマラソンで優勝し、東京でも連覇した。イタリアからはベネチアも検討されているとか。いいなあ、ベネチアオリンピック。2度目のローマよりも見てみたい。▼そこそこの国が持ちまわりでするのがオリンピックなら、まだ先輩のローマですら2回目をしていないのだから極東の島国としては出しゃばり過ぎだったか。「極東」というのはあちらの地図から見た私には屈辱的な侮蔑語なのだが、この場合はオリンピックそのものがあちらのものなのだからしょうがない。個人的には鳩山首相の参加に救われた。アメリカは大統領が夫婦で参加している。あれで首相が行かなかったらどっちらけだった。自民党支持者にも好意的に受けとられたことだろう。
  1. 2009/10/04(日) 05:55:17|
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2016年オリンピックはリオ・デ・ジャネイロ

2016年オリンピック開催地決定のニュースを見ようと午前0時にテレビを点けたらどこもかしこもそれ一色なので気圧されてしまった。深夜のニュース枠とシンクロした偶然だろうが開催地決定までの報道っていつもこんなに仰々しくやるのだったか。▼2008年の開催地に大阪が立候補したときはどうだったのだろう。記憶にない。ただ大阪の場合は、競馬に譬えるならG3馬がG1に挑むようなものだった。最初からちょっと無理と言われていた。東京の場合は劣勢を伝えられようともすでにG1馬だから期待は大きい。それがこの騒ぎになったのか。この時間がニュース枠でないテレ朝はいつものよう「タモリ倶楽部」をやっていた。オリンピックに背を向けてこれを観た人も多かったことだろう。▼私がオリンピックに関して最も白けるのは、商業的に利益があがるようになり(そのこと自体はよい。赤字を出してまで主催するものでもない)大きな利権が生まれ、委員達が権威をもったことだ。開催したい国から贈られる彼らへのあれやこれやはたいへんなものである。王様になった気分だろう。日本の公共事業における政治家と業者の癒着を思い浮かべる。▼投票数最下位の国が落ちて行く方式。私は順位をブラジル・リオ、アメリカ・シカゴ、日本・東京、スペイン・マドリッドと読んでいた。最初にオバマ大統領が夫婦で応援に駆けつけたシカゴが落ちたのは意外だった。マドリッドだと思っていた。ロンドンに続く欧州近場の連続開催はないと決めつけていた。次が東京。理由は北京大会と近すぎるから。ここは当たり。マドリッドとリオの決戦になりリオに決まった。馬券で言うと、リオという単勝は仕留めたが、連勝はリオとシカゴだったから大外れになる。▼4ヵ国ともコペンハーゲンからの生中継があり盛りあがっていたと知る。シカゴが落選と同時に生中継からいつもの番組に戻ったとの報道には笑った。アメリカらしい。東京が落胆し、マドリッドが沈黙し、リオに歓声と紙吹雪が舞った。▼ペレの涙を観たときは胸が熱くなった。リオは三度目の正直だ。やはり今回は「南米初」でいいような気がする。今からもうブラジル特有の熱狂的な開幕式の様子が浮かんでくる。盛りあがるだろう。2016年まで生きていてリオ・デ・ジャイネイロのオリンピックを観たいと思った。さしてオリンピック好きではない。シカゴでもマドリッドでも思わなかった。そう思わせてくれる存在は貴重だ。
  1. 2009/10/03(土) 03:34:30|
  2. 世相
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友人のブログ話2──携帯電話だからこそのブログ

▼一年間の契約が終った。自由になった。そのころには彼は携帯電話で作るブログの魅力に嵌っていた。全国津々浦々からあのちいさな携帯電話で毎日長文のブログを書き続けたのだ。いとしいものになっていたろう。あるいはもう缺かせない日々の習慣になっていたか。私的ブログを始めた。もちろん無報酬。そこにはコメントを管理してくれる企業人はいない。すぐにアラシがやってきた。私はかってに対策係を買ってでた。▼アラシもやってくるが管理がなくなったのでコメントも増えた。それへの返信が本文に掲載され良い形でのブロガーと読者のコミューンが出来上がった。彼自身も「削除」を覚えた。不粋な投稿はばんばん削除されるようになった。当初はそのまま残っていたのである。いかに彼がこの種のことに疎かったか。▼彼は旅人だ。よくもまあと感心するぐらい毎日のように全国を旅している。まるで動いていないと死んでしまう鮫のようだ。全国各地から美しい風景写真と共にアップされる哀愁漂う日記は絶妙である。先日、新潟県粟島からのアップがあった。日本海の小島から携帯電話でのブログアップ。隔世の感がした。▼8年前、それをやろうとした。当時の携帯電話では直接的には出来なかった。ノートパソコンに通信カードを指し込み携帯電話を繋ぐ。そこからPCで書いた文章を送信する形式だ。石川県だったが電波が通じず断念した。今はあの手の平サイズの携帯電話ひとつで全国どこからでもできてしまう。外国からでも可能だ。いやはやなんともすごい時代だ。▼日々全国を歩いている彼だが、頑健なわけではない。よく倒れている。彼との思い出で印象的なことがある。阪神競馬場で血を吐いて倒れたと聞き驚いて駆けつけた。救護室で横になっていた。話すと彼は全競馬場の救護室に詳しかった。こんなところでも顔がひろい。頑健を自慢するひとはぽっくり行く。彼のようなひとが長生きするのだろう。▼彼のブログ最大の要素はどこからでも書きこめる携帯電話の魅力に拠る。ノートPCを使いこなしていたら家から発信されるだけのものになっていた。するとここまでの魅力は出ていない。携帯電話の能力を見直した一件だった。私は未だに携帯電話からのブログアップの方法を知らない。知ったとしてもこの程度の文章でも私にはケイタイでは書けない。あの画面であのボタンを押して書くのかと考えただけでギブアップだ。やはりこの友人のブログは凄い、と思う。
  1. 2009/10/02(金) 18:16:47|
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友人のブログ話1──携帯電話で書くブログ

▼ブログ復活のきっかけを作ってくれた友人のブログの話。業界内有名人である彼のブログは当初企業から依頼されて始まった。テーマも決められている。1年間限定だった。報酬がありコメント等も企業により管理されていた。彼にはPCが貸与(贈呈?)された。SONYの高級VAIOだった。数数の最高級ノートPCを使ってきたが現在手元不如意につきDellの安物ノートを使っている身には羨ましい話だった。もっと切ないのはその安物の方が遥かに性能が高く数年前の高級品がゴミ同然というPCの現実だ。とはいえ私の主流はデスクトップだ。こちらは最高級のパーツで自作している。OSはもちろん64bit。と私はいつも脱線してしまう。ホームページだとここで延々とPC話になる。ここではしない。言帰正伝。▼ところが彼はそのVAIOを使いこなせなかった。つい最近私の「携帯電話でここまでのブログを作っているのは名人藝だ」という絶讃コメントへの返信として、「むかしMacを使っていた。いまはPCは嫌いなので使わない」と読者宛に書いていた。それは見栄。あまりに多機能になった道具を使いこなせなかったが現実。私的ブログならここで挫折していた。報酬のある契約だから毎日書かねばならない。非常手段として彼は携帯電話を手にした。それで書き始めた。数行のメールしか書いたことはない。窮余の一策だった。▼旅先で電車の中で毎日休まず彼はブログを書き続けた。次第に文章量が長くなり表現が洗練されて行く。その成長は目に見えるようだった。成長とはむろん携帯電話が、である。彼は元々文学部出身の物書きだ。還暦間近のおとなである。彼の表現能力に携帯電話という道具が追いついてきたのである。彼の打鍵も早くなったことだろう。歳時記から引用した難しい表現も多用されるようになった。最初の単漢字変換はたいへんだったと思う。私は携帯電話という電話以外に使ったことのない小道具の充実ぶりに感心した。あのちっこいのがここまでやるのかと。▼まだ携帯電話にメール機能がなく、電車の中での通話が社会問題になっている頃、もしかしたらそういうところから小説が生まれるかも、と想像した。半分冗談だった。「まさか」の話である。なのにすぐベストセラーが生まれる時代になった。勉強のために「携帯小説」なるものを読んで見た。当然のごとくそれは独自のルールで書かれた独特の文だった。別分野である。彼のはそうではない。携帯電話でふつうの長文を書いている
  1. 2009/10/02(金) 17:56:16|
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千字原稿──ブログ復活

▼友人のブログへの「500字2回投稿」にはもうひとつの難しさがあった。文章の分割点である。500字2回投稿合計千字だからといって千字でひとつの文章を書いたら分けられた部分が不自然になる。500字ずつの前半後半の文章にせねばならない。誰も気にしていないだろうが書きこむこっちにこだわりがある。私にはその文章をブログのちいさな投稿欄でまとめるのは困難だった。愛用のテキストエディターを起動し500字の前半後半の文章を書くようにした。こうなるとブログへのコメントも仕事と同じく真剣勝負になる。それで思った。こんなことよりも自分のブログを復活せねばと。さいわい自称アラシ対策係の効果はあり、友人のブログは落ちつきを取りもどしていた。私がいなくなってもたいした問題はあるまい。なにかあったらまた書きこめばいい。瓢箪から駒が出た。▼丸一年以上ブログを休んでいた。ホームページは続けていたがブログのようなリアル感はない。ブログを休むことで世の中がみなブログ一色になった理由がよくわかった。「連帯」ということばが適切かどうかわからないが、ブログをやっていると「誰かと繋がっている感覚」がある。それはホームページとはちがうものだ。ブログ独自の魅力になる。▼私の目的は自分のための記録を遺しておくことであり他者への発信感覚は不要だ。むしろそこから生じる軋轢を避ける感覚の方が強い。それでもまたやってみようと思ったのは、ひさしぶりにブログの発信欄を開いたら丸一年も休んでいるのに今でも毎日チェックしてくれるひとがいると知ったからだった。たぶんそれはソフトウェアによる自動チェックであり、それほど大仰なことではないと思うが、私は感激した。ありがたいと思った。▼どうせ再開するならすこし毛色のちがうことをやろうと思い、友人のそれとの絡みからこの「千字原稿」を思いたった。極力「ぎりぎり千字」にするため改行を止めた。新聞のコラム等にある形である。私は改行の美を計算した文頭一文字空けの日本語が好きだ。こういう形は好みではない。そのうち倦きると思う。しばらくはこの形で頑張りたい。テキストエディターに「千文字フォーム」を作った。と、ここで早くも字数オーヴァーだ。どこか20字削らないと。いやそれ以前に復活1回目から「千字原稿2回」になっている。ワンテーマ千字で収まっていない。最初から破綻しているのか。しょうもない。ともあれがんばろう。
  1. 2009/10/02(金) 05:05:26|
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千字原稿──500字原稿2回

▼ブログを丸一年以上休んでいた。その間、友人のブログのコメント欄に何度か投稿している。ひとと関わらない私には珍しい。友人の不慣れにつけこみ悪意の嘲笑書きこみのようなのが目立ったからだった。まことに人の本質は悪であると思う。どうにも性善説は信じられない。顔が見えず正体がばれないとなるとひとは悪意を剥きだしにする。彼がなにかひとを不快にするような極論を発信しているのならともかく、それはごくふつうの、とてもよく出来た身辺雑記の歳時記だった。私は義憤に駆られその種の書きこみに対応しコメントしていた。▼といって激しくやりあったのではない。彼が近所の猫の写真をアップすると「誰が猫の写真なんか見るんだ。そんなものは見たくない。もっと書くことがあるだろう」と書きこまれたりする。それに対し自分の猫の思い出を語り、いつも猫の写真を楽しみにしていますという短文を書きこんだりした。歳時記である彼のブログにとって日向ぼっこする猫の写真等はたいせつな要素だった。ごくふつうの対応だが、私は単細胞の瞬間湯わかし器だから自分のブログにこんなことを書かれたらすぐに沸騰し、直截的な反論を書いていた。友人のブログだから波風は立てられない。私にしては上出来のやんわり対応だった。それなりの効果はありその種の書きこみは見る見る減っていった。友人の感謝が嬉しかった。▼そのブログのコメント投稿は1回500字までと決められていた。どこでも字数制限はあるのだろう。私が以前関わったものではTeaCupの掲示板があった。あそこはたしか2000字制限だった。500字というのは今までで最小の字数制限体験になる。▼一応字数制限の原稿には慣れている。原稿用紙8枚とかだ。すぐに12枚ぐらいになってしまい、それを8枚まで削るのは、それはそれで仕事として楽しい。嫌いではない。その反動からか字数制限のないホームページの文章が好き放題に寄り道して冗長になっていることにも気づいていた。▼最短でも8枚程度の体験しかない身に500字は短い。意見を書くとすぐに一杯になってしまう。いつしか500字を2回書いて投稿することが多くなっていた。そのたびに友人は「長文の書きこみをいただいてウンヌン」と応えてくれる。こちらとしては短かすぎて書ききれず困っているのだから長文と書かれるとなんとも面映ゆいのだが、他の投稿はみな一、二行だからその場においてはたしかにとんでもない長文ではある。
  1. 2009/10/02(金) 04:50:34|
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2016年オリンピック──46年ぶりの皆既日蝕

▼今夏皆既日蝕があった。2009年7月22日。46年ぶりだと盛りあがっていた。日本全国で見られるものではなく、はるばる南西諸島まで高い参加費を払って出かけた人たちが、あいにくの雨で見られずに落ちこんでいる姿は気の毒だった。▼それにしても「日食」はひどい。あれは「日を食う」のではなく「日が蝕まれる」である。私は漢字信奉者ではないからこういうことは言いたくないのだが、「蝕」がとんでもなく画数の多い見たことのないような漢字ならともかく「食に虫」である。簡単な字だ。意味もわかりやすい。覚えやすい。虫食いのことだからこどもにも説明しやすい。なぜそれを「日食」にしてしまうのだろう。▼テレビのワイドショーはみな「日食」だった。新聞はさすがに「日蝕」だろうと思い、いま当時の記事を調べようと「皆既日蝕」と検索語を挿れたら、「もしかして皆既日食?」と早速誤字のように指摘され探す気が失せた。Wikipediaも「日食」で統一している。それでも新聞は「日蝕」だったと信じたい。▼今じゃもう笑い話のようだが以前は大新聞の見出しに「日本人ら致」と載っていた。「拉」の字が常用漢字に入っていないという理由だ。いかにも御役所仕事的発想であり、役所は役所だからしかたないとしても、ジャーナリズムが先頭切ってそれを護っているのだからお粗末である。いまはどこでも、それこそテレビでも「拉致」と表記され、これまた「手偏に立つ」という簡単な字だから「かつて『ら致』と表記されていた」は、ついこのあいだのことなのにもう昔話のようになっている。日食が日蝕に戻ることはないのだろうか。▼私は小学生の時にこの前回の皆既日蝕を見ている。女の先生の指導の下、幅20センチ、縦5センチぐらいの長方形のガラス板がみんなに配られ、ロウソクの炎を当て、煤で黒くして太陽を見た。手製サングラスである。ほぼ完全な皆既日蝕が見られた。▼体験しているので今回の日蝕に興味がなかった。新聞の表記が日食か日蝕かを知らないのは記事を読んでいないからである。何十万円も払って南の島まで見に行ったひとの中には「46年ぶりにまた見たい」というひとも多かったようだ。私にその感覚はない。だから東京オリンピックも私は「また見たい」とは思わないのだが、まだ見たことのない日本人の若者に自国で開催されるオリンピックを「見せてやりたい」「見て欲しい」とは思う。そのことから生まれる確実なものがあるからだ。
  1. 2009/10/01(木) 19:38:08|
  2. 世相
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2016年オリンピック──開催地決定までもうすこし

▼2016年オリンピック開催地決定までもう少し。智のあるひとは東京開催に反対するのが粋らしいが智のない私は賛成である。消極的賛成。オリンピックは確実に国と街を活気づける。弊害もあるだろうが「今はそんなことをやっている時ではない」には反対する。「そんなとき」だからこそこんなことが必要なのだ。とはいえ積極的に「ぜひ見たい」とも思わない。すでに見ているから。見ていない若い人はどう思っているのだろう。▼オリンピックとは欧米のもの。さらにはアメリカ中心のものだから何度に一度かはアメリカで開くことが必須になっている。その点ではお隣の北京で開かれたばかりだからアジアの東京は絶対的不利。この時点で負けている。立候補は無謀とすら言える。スペインのマドリッドもバルセロナのイメージが新しいし不利。なによりロンドンの次だ。マドリッドとバルセロナは民族的に別物だがスペインという国で括ればひとつになる。いきおい候補は定期開催が約束されている王様アメリカのシカゴか「南米初」の冠が点くブラジルのリオ・デ・ジャネイロに絞られる。アメリカはアトランタ以来になるがそれにしたって2016年は20年ぶりでしかない。オリンピックなんてそんなものだ。▼どっちかと言われればそりゃあ「南米初」を応援したい。アメリカ人の割合でヒスパニックは黒人を超えたそうだ。色々な意味で「南米初」には価値がある。盛りあがるのが目に見えるようだ。というか今ごろ「南米初」なのだからいかにオリンピックが欧米のものかってことだ。ブラジルに決まるとBRICsでまだなのはインドだけになる。次はインドだな。▼報道を鵜呑みに「南米初」と何度も書いていて「でも以前あっちのほうでやったような」と考えメキシコを思い出した。東京の次の1968年だった。メキシコは北米なのか。中米だと思っていた。南米では正真正銘初になる。あの真ん中が縊れて繋がっているアメリカ大陸の下の部分では初めてなのだ。▼このメキシコオリンピックのレスリングで銀メダルを取ったのが横綱白鵬の父親だった。モンゴル初のその後も唯一のオリンピックメダルであり国民的英雄だ。昨年北京オリンピックの柔道でモンゴルに金メダリストが誕生してやっとその記録が抜かれた。種目が柔道というのが日本との縁を感じさせる。▼候補地撰びで落選したら都知事が責められるのだろう。無駄づかいをしたと。今は野党だし。そのことを案じている。でもリオだろうな。
  1. 2009/10/01(木) 18:30:33|
  2. 世相
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プロフィール

fc2moneslife

Author:fc2moneslife
2001年に始めたサイトMone's World--http://monetimes.
web.fc2.com/の出張版ブログ【木屑鈔】Boku-setsu-shouです。
2005年からやっていたライブドアブログから引っ越してきました。
FC2のサイトは2007年から利用させてもらっていました。これでやっとサイトもブログもFC2で統一です。
メールは、moneslife2000
@kpe.biglobe.ne.jpまで。

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