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有山パパのいないチェンマイ

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 有山パパのいないチェンマイ


携帯電話のディスプレイにIさんの名前と電話番号が表示される。Iさんのケイタイからである。話すと、チェンマイに着き、いま『サクラ』にいるという。

私もすでに七年前に、チェンマイで買った海外とも通信できるタイプで日本の編輯者とやりとりしている。チェンマイの町中をバイクで走っているとポケットの中のケイタイが振動し、それが日本から、というのはなかなかの感激ものだった。
それでもディスプレイにいつものようにIさんの名前が出て、チェンマイからだとわかったときは新鮮だった。日本で使っている機器が海外に行き、そこからかかってくるという経験は初めてだった。
そういえばいまどこかのケータイが、世界の著名な都市からいつものようにやりとりする男女のCMを流している。もう海外でも通じるのは特別な機器ではなくなったのだろう。私も今のはワンセグを重視して購入したが次はそれにしよう。といってもう云南以外に出かける予定はないのだが。


すこし気になったのは七年前に日本から受けたときよりも声が遠く、何度もIさんと言葉の確認をせねばならなかったことである。単なる電波事情だろうか。


---------------


シーちゃんと話した。すっかりご無沙汰した。九月以来になる。
「ユキさん、お土産ありがと」と日本語。

『サクラ』は開店以来初めてパパのいない正月を迎える。
元旦に『サクラ』の雑煮を何度食べたろう。
今年も振る舞われるのだろうか。

日本人ももうあまり来なくなってしまった。それは日本食食堂の付加価値は現地に詳しいおやじさんがいて面倒を見てくれることなのだから自然な流れである。今の『サクラ』を支えているのは日本食好きのタイ人だ。


元旦午前中の雑煮は日頃の感謝をこめた無料奉仕である。それだけを目当てのセコい日本人がこの日だけ来たりする。それもまた正月風景だった。

いま、それをする必要もないが、シーちゃんはきっと意地でも雑煮を振る舞うだろう。
Iさんの報告を待ちたい。

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  1. 2007/12/31(月) 09:49:45|
  2. 旅行
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その名はシリウス──出て来ない馬の名前──シリウスシンボリ

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 その名はシリウス


 午前一時、作家の木村幸治さんから電話。賑やかな声が聞こえてくる。お店のようだ。いま木村さんは川越で「花明かり」という飲み屋をやっている。
 


「ルドルフの翌年もシンボリがダービー勝ったよね、あの馬なんだっけ?」
 シリウスシンボリと答える。ルドルフが昭和59年、シリウスが60年。
「ああそうだ、シリウスだ。ぼくはあの馬を追っかけてキングジョージまで行ってるのに出てこなくて、いまみんなで悩んでいたんだ」
 


 喉元まで出かかった言葉が出てこないとスッキリしない。木村さんも酔客も誰もシリウスの名を思い出せず、「そういえばぼくの友人に詳しいのがいるから電話してみる」という流れだったのだろう。とりあえず即答できて面目は保った。


 このあたりのことは得意だ。私が忘れるのは近年の馬である。競馬欄に書いた「FさんのQuoカード」で、AFというイニシャルのダービー馬を思い出せず苦労した。
 


---------------
 


 電話を切ったあと、シリウスの強さ、あの移転騒動のことを思う。稽古でそのシリウスをルドルフは子供扱いしていたとインタビューした岡部から聞いたときの興奮、あれこれと思い出した。当時に思いを馳せているうちに、シンボリとシャダイのマスコミ対策について書きたくなった。これは長文になりそうなのでホームページに書こう。

  1. 2007/12/30(日) 06:44:59|
  2. 競馬
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中国のプロレス

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 中国のプロレス


 妻は日本にいるとき私の影響でプロレスが好きになった。
  力道山時代のファンのように、ノータッチでフォールをじゃまするレスラーに、「こいつはわるいやつだ」と真面目に怒るのが、なんともほほえましかった。


 その妻から電話が来て、25日にプロレスが放送されたという。日本人が主役だと。河南省で開催と言っていた。
 妻はプロレス好きの私が知らないことを不思議がっていたが、これってそんなにおおきなニュースか。すくなくとも『NOAH』や新日ではない。


 ネット検索したら、ドラゴンゲートがやったようだ。ああいう雑伎団のようなプロレスは中国では受けるだろう。


 


 

  1. 2007/12/29(土) 18:38:18|
  2. プロレス
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M1バブル──サンドウィッチマン露出全開

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 M1バブル──サンドウィッチマン露出全開


 


予想されたとおりM1で優勝したサンドウィッチマンがテレビに出まくっている。
今回の敗者復活戦からの無名藝人優勝というのは、M1の今後にとっても、とてもよいことだったと思う。


意外なのはM1中継局のテレ朝より日テレのほうが多いこと。でも彼らが全国放送で出演したのは「エンタの神様」が初めてだったから当然か。プロデューサは自分の先見の明に酔っていることだろう。とにかく日テレがずいぶんと押している。


彼らが長年一緒に住んでいる練馬区のアパートは何度も紹介されたが、今日は最寄り駅の大山駅前での凱旋パレードなんてお遊びをやっていた。
商店街の人たちから握手を求められる。
「エンタの神様に15回出ているんですけど、こんなの初めてです」とM1優勝のおおきさを語っていた。


M1でのふたつのネタはすでに「エンタの神様」で全国放送されていたものだった。それでも新鮮味があって優勝できたのは、ふだんはコント仕立てのものを漫才でやったからだったろう。あの「客と勘違い店員のズレ」は十八番で、私はガソリンスタンドネタが好きである。

審査員が「このネタを聞くのは三度目なんですが、それでもおもしろく」と言うことがある。関西の藝人に対してだ。私が優勝者のネタをふたつともすでに知っていたというのは今回が初めてだった。
ブラックマヨネーズやチュートリアルの優勝ネタもすでに知っていたらあんなに笑えなかったろう。ブラックマヨネーズが「このネタで優勝戦を争おう」と、あのネタを半年間封印したという話はとてもよくわかる。いい話だ。「身を守る格闘技として相撲を習ったら」の場面など、いま思い出してもおかしい。「熊を飼え」も。


M1優勝で露出度が増えてうれしかったのは、こちらでは見ることのなかったますだおかだやブラックマヨネーズだった。
その点サンドウィッチマンは、もちろん売れてない藝人だから私生活は謎だったけれど、顔自体はブラマヨ等と比べたらずっと馴染んでいた。


宮城県出身の友人K君は、吉本所属でない、仙台商業高校卒の彼らの優勝が我が事のようにうれしく(彼もまたいま練馬に住んでいるので)大山駅前に出かけたそうだ。


(この文章はお仕事で朝昼のワイドショーを見られないM1ファンのさとう先生のために書きました。)

  1. 2007/12/29(土) 05:57:48|
  2. 芸能
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携帯電話話──哀れまれた日

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 携帯電話音痴──哀れまれた日


 


QRコードを携帯電話で読みとる方法を知らなかった。今も知らない。そもそもQRコードと携帯電話の関係がわからない。

二年ほど前、最近やたらと携帯電話とQRコードなるものを見かけるが、あれはどうやるのだと若い友人に問うた。彼は私の質問にちょっと戸惑ったような顔をし、それから丁寧に教えてくれた。
私にQRコードの接写方法を教えてくれたあと、彼はおずおずと言った。「あの……パソコンは持ってるんでしたっけ?」と。

「あ、もちろん持ってるけど」と答えて、私は彼の視線の意味に気づいた。それは時代遅れの人に対する哀れみの視線だった。
どうやら私は彼に典型的なデジタル音痴のおじさんと思われてしまったようだった。VTRの予約録画も出来ないような。
彼が生まれる前からパソコンを使っており、彼が幼稚園児のころから携帯電話を利用している身としては、その視線は屈辱的だった。いや単に古いだけでは意味がない、そうじゃなく、私はパソコンを組み立てるし、いじくりまわす。すくなくともメーカ製のパソコンをそのまま使用し、改造なんて考えたこともない彼よりは電子機器に関して詳しいのだ。たまたま(?)携帯電話に関してのみ疎いのである。
その視線に傷ついて(笑)、私はますます携帯電話と疎遠になった。電話機は電話にだけ使えばいい。QRコードなんて論外である。(続篇はホームページ)


 

  1. 2007/12/29(土) 04:44:39|
  2. 生活
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携帯電話不慣れ

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 携帯電話不慣れ


 


ジャパンネット銀行のパスワードを失効した。
もういちど取得するためには、なぜかパソコンはだめで、携帯電話からログインしなければならないという。したことがない。
携帯電話の「メニュー」から「バンキング」、そして「ジャパンネット銀行」と簡単らしいのだが、まずその「メニュー」に「バンキング」を見つけられない。
代替え案としてパソコンのQRコードを携帯電話で読み込み、というのがあるのだが、これもやったことがない。
いやはや苦労した。


パスワードを忘れてよくぞ今まで使えていたと言われそうだが、あくまでもそれはインターネットでのログインパスワードである。暗証番号とは違う。それこそ口座を開いてからJRAに毎週吸い取られ、せっせと振り込んでいたから暗証番号は覚えている。使ったことのないログインパスワードだから忘れていた。

毎日ログインする箇所がいくつもある。そのたびにパスワードを入れている。すべて同じではまずいだろうとすこしずつ変えている。煩雑だが毎日のように使うからこんがらがることもなかった。ジャパンネット銀行はATMでは毎週利用していたがネットでログインするのは初期設定のとき以来だった。三度まちがえたら失効になってしまった。そういうシステムとは知っていたが、今まで一度も失敗したことがなかったからちょっとショックだった。


半年前に口座を作ったのはJRAをやるため。今回は南関東のためである。半年ぶりのログイン、パスワード失効、再発行のドタバタだった。


パソコンではだめでケイタイならOKなのは個人情報保護の問題だろう。電話のほうが安全性が高い。
携帯電話万能の時代だが、あまり近寄りたくないと思っていた。電話機は電話だけで充分と。しかしこういう形でパソコンよりも重視されている場面もあるのならそうも言っていられない。勉強になった。

  1. 2007/12/28(金) 17:28:56|
  2. インターネット
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旅心疼く

00-tabi 旅心疼く



テレビで「ヘルメット着用が法制化されたヴェトナム」の様子を流していた。警察に捕まるからみなしかたなく順っている。
当初タイもなかなか普及しなかった。罰金制度になってもそれでもみなノーヘルで乗り、一斉検問でよく捕まっていた。私もチェンマイで何度か捕まり200バーツの罰金も払っている。警察の小遣い稼ぎなので、やる時期が連休前とか読みやすく、割合簡単に対策が立てられたが(笑)。
そうして普及してゆく。南国のヘルメットは暑苦しくて不快だが、慣れてしまえば、確実に頭部を守ってくれるありがたいものだ。


そこで流れていたサイゴンの街並みが私の知っているときよりもずっときれいなので愕いた。発展途上国はぐんぐん動いている。


バンコクで建設会社を経営しているOさんから、カンボジアとの共同開発であらたな会社を立ち上げたとメールをいただいた。いま頻繁にバンコクとカンボジアを往復しているとか。


カンボジアももう七年ほど行ってない。変ったろうなあ。
私が行っているころは政情不安定で、街角に小銃をもった警官が立っていた。タイと同じ感覚でバイクで走ったが、まったく違う場所であることを認識させられた。悪徳警官に因縁をつけられ金を巻き上げられるのは同じでも、タイで銃を突きつけられたことはない。ひどい国だった。
いまはどれぐらい安定したのだろう。



ひさしぶりにヴェトナムやカンボジアに出かけたくなった。

  1. 2007/12/28(金) 07:55:42|
  2. 旅行
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ヨコミネ暴走

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 ヨコミネ暴走



25日の日テレ、民主党のヨコミネ参議院議員はひどかった。
{Youtube}等にしっかり映像も出回っているようだ。もうあんなことをしたら一過性のものとして猫っかぶりは出来ない時代になった。


元々嫌いな人だし興味はなかったが、いくらなんでもあれはひどすぎる。書きたくないが書いた。詳しくはホームページで。


http://monetimes.web.fc2.com/ez-seiji07.htm#yokomine

  1. 2007/12/27(木) 07:29:25|
  2. テレビ
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「耳障りがいい」は目障りだ

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「耳障りがいい」は目障りだ


耳障りは字からも解るように始めからよくないものである。
「耳障りだ」で、すでに不快なノイズであることを表している。
「耳障りが悪い」と言う必要はない。


ところがいつしか「耳障りがよい」という表現が使われるようになった。
しかしこれは私の知っている限りでももう三十年前に結論が出ている。
私の見たのは週刊誌の投稿欄だった。読者が投書したのだ。記事の中にある「耳ざわりがよい」はおかしい、と。
編輯部は、この場合の「耳ざわり」は「耳触り」と書き、すでに辞書にも載っている表現であると反論した。「肌触り」等からの転用感覚であろう。


かなりこじつけっぽく美しいとは思えないので私は使わない。
それでもいくつかの辞書にはもう「耳触り」と載っているらしい。さいわい私の持っているものには載っていない。


「耳触りがいい」はすでに通用している表現なのだろう。それにケチはつけないことにする。だが昨日のテレ朝では「耳障りがいい」というスーパーが出ていた。これはやはり問題だろう。日本語の「障りがある」に反している。


「障害者」を「障がい者」と表記するご時世だ。
「耳ざわりがいい」をまともな表現とは思わないけれど、表記するのなら「耳ざわり」か「耳触り」にしてもらいたい。「耳障りがいい」はヘンである。

  1. 2007/12/26(水) 06:17:00|
  2. ことば
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大晦日のハッスルにミルコ来日

ハッスル オフィシャル ウェブサイト


大晦日のハッスルにミルコが来日するという。
それはよいことだが、公開メールの中の「尊敬するミスター・タカダ」は違うだろうと条件反射。
アリ戦の猪木のように寝転がった高田を最低だとボロクソに言っていたはずだ。


ということで2ちゃんねるを探すと、



>>尊敬してやまないMr.Takada


確か前に、ヤツはチキンだって言ってたよな…


いつから高田を尊敬しだしたんだろう?


と、誰もが思うことは一緒。そしてまた思うのは、


相手はもちろんブルージャスティス永田さんなんだろうな


これまた一致。


ヒョードルと闘って、恐怖から頭を抱えた永田の罪は大きい。
それは準備不足なのに無理矢理闘わせた猪木の罪でもある。
受けた永田が男なのかアホなのかいまだにわからない。


 


 


 

  1. 2007/12/25(火) 03:26:54|
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M1──サンドウィッチマンが優勝!

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 M1──サンドウィッチマンが優勝!



 M1でサンドウィッチマンが優勝した。私にとってこの番組はブラックマヨネーズのように、関西では有名だが関東では無名の実力者を知るものだったから、自分の知っている関東の無名芸人が一気に優勝する珍しいパターンになった。
 本文はホームページで。


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●連絡事項
 有馬記念敗戦記は書く予定はありません。気力がわきません。
 東京大賞典が当たったら書くかも(泣)。

  1. 2007/12/24(月) 06:40:48|
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快適な古い辞書

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 快適な古い辞書


私は昭和四十年代に作られた辞書を愛用している。
必要にして充分な語彙があり、「従軍慰安婦」などという意味不明の造語が載ってなくて快適だ。このことからもそれが「ドタキャン」等と同じ近年の造語と解る。アサヒるの一例だ。
日本の品格が堕ちるように辞書も新版になるほどに無茶苦茶になってゆく。
Wikipediaはみんなで作るあやうい辞書だが、誤りを正すことに関しては他のどんな辞書よりも敏速で生真面目と言える。



古い『広辞苑』と最新の『広辞苑』を比べると笑える。
古い『広辞苑』が年齢相応にきちんとした服装をしているとするなら、最新版はいい齢のじいさんが茶髪にして耳ピアスをし、ズボンをずりさげて履いて粋がっている。みっともない。

  1. 2007/12/22(土) 06:53:47|
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Wikipedia繋がり

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●Wikipedia繋がり


深夜のテレビで「フォルテ」を見た。ウォーレン・ビーティ、ダイアン・キートン、ゴルディ・ホーンという馴染みの面子。ナスターシャ・キンスキーも出ていた。チャールトン・ヘストンも。見知った顔なのに名前が思い出せなくて苦しんだのはアンディ・マクダウェル。
おとなのラブコメ。80年代90年代のこの種の映画はみな見ている。それから見なくなった。これは2001年作品。初めてだった。
そこそこの作品だったけれど、とにかくもうドンパチが嫌いなので、人殺しがないだけでもいい。


ダイアンとゴルディはどっちが年上だっけ、と思う。検索する。Wikipediaにあった。ゴルディがひとつ年上だった。この作品でははるかにゴルディのほうが若々しい。お尻の魅力か。
ゴルディの娘が女優と知る。ケイト・ハドソン。クリックして。


ケイト・ハドソン。「あの頃、ペニー・レインと」。この映画、見ている。でも中身は忘れている。クリック。
ああ、ロックバンドの追っ掛け青春の話だったと思い出す。あのときケイトをゴルディの娘と知っていたのか。レンタルビデオのパッケージで確認したような気もする。いいかげん。


監督キャメロン・クロウ。「あの頃、ペニー・レインと」は、たしか若い頃音楽誌の記者をしていたこの人の実話だった。クリック。
やはりそうだった。体験話である。
出世の糸口は「22歳の時に書いた小説『初体験/リッジモント・ハイ』がベストセラーになり」とある。
「リッジモント・ハイ」は見ている。見ていることは覚えている。中身は忘れた。クリック。


アメリカの青春映画と知り、そうだったかと思う。ぼんやりと。どうでもいいや。しかしそのあとの「当時人気絶頂のフィービー・ケイツが水着を外してトップレスになるシーンが話題になった」で目が覚める。思い出した。あの映画のことか。あれはきれいなシーンだった。鮮烈だった。ぜんぶ忘れているがあのシーンだけは覚えている。そんなものよ。フィービー・ケイツをクリック。


年齢逆算で当時十九歳か。外国女優は出し惜しみしないからいい。日本で人気絶頂時にそれをやったのは宮沢りえだけだ。フィービーは現在主婦業専念でしあわせのようだ。
で、終了。


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映画だからここで済んだ。よかった。時たま「李氏朝鮮」とか「韓国併合」、あるいは「満洲」なんかから始まると際限なくクリックの連続になる。


昨日たまたま読んでいた「時代劇仇討ち集」という寄せ集め本に吉良家のことが出てきた。私は「赤穂浪士」の話が嫌いなのでこの件に関して疎い。意見は「浅野という癇癪持ちが切れたため、吉良も、仇討ちをすることになった家来もいい迷惑」で一貫している。どうしてもあの話を楽しむ気にはなれない。楽しむ人を嫌っている。
いい機会だと吉良家のことを調べた。これまた延々とクリックが続いた。


そういうことが机上で出来るのだからインターネットの便利さには感謝である。
ただし大学教授が、学生のレポートがWikipediaからの引用ばかりで、裏を取らないから、「Wikipediaがまちがっていると全員のレポートがまちがっている」と嘆いている現実は心にとめるべきだろう。

私にも自分の詳しい分野ではWikipediaの誤記がわかる箇所がいくつかある。全体では多くの間違いがあるのだろう。知らない分野では間違った智識を植え付けられても気づかない。怖い話だ。
とはいえ密室での授業ではなく世界に開かれた「みんなで作る辞典」だから、間違いは次々と修正される。そこのところは希望的である。

  1. 2007/12/22(土) 06:37:49|
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風呂の適温

sei.gif 風呂の適温


 お湯は45度で入れることが多い。寒い日は46度、47度にすることもある。浴槽に入ったお湯はすこし冷めて43度ぐらいだろうか。これって熱い方か温い方か。
 以前の住まいは温度設定して入れるシステムではなかったので何度に入っていたのかわからない。
 60度のお湯を入れてしばらくおき、足湯を楽しむこともある。これは足首が真っ赤になるからかなり熱いだろう。何度ぐらいか。

 私はむかしから温い湯が好きだった。学生時代、銭湯に熱い湯船と温い湯船があった。熱い湯の方は入れなかった。いかにも江戸っ子というじいさんが、熱い湯でなきゃ風呂じゃねえとばかりに、やせ我慢して入っていた(笑)。
 温泉でもかなり熱いのがある。入れなかったこともあった。
 家庭では、父が熱い湯が好きで、父のあとにはいるときはかなり水を入れて温めねばならなかった。父は何度の湯に入っていたのだろう。

 近年の健康法として言われる「温い湯に長くはいるのがよい」は自分好みなのでありがたい。


 適温を検索してみる。すると38度ぐらいが健康に良く一般的とある。もっと低くして36度ぐらいに長湯するのが健康にいいらしい。「私は43度にはいる。熱い風呂が大好き!」というブログもあった。やはり私の入っているのは40度以下だ。デジタル液晶の設定を45度にして入れているが、いいかげんなのだろう。私がそんなに熱いお湯に入れるはずがない。


 湯船に温度計を入れて計ってみる。温い湯が好きだから40度はいかないと思っていた。すると見る見る上昇し、44度になった。入ってみる。入れる。いつもの温度だ。ちょうどいい。もうすこし熱くてもいいぐらい。デジタル設定は正確だった。私はいつも44度の風呂に入っていたことが確定した。

 数字的には私は熱い湯が好き、になってしまう。もしもこんな私が熱い湯が好きになるなら、私の入れなかった銭湯の熱い湯船とか、父の入っていた湯はいったい何度だったのだろう。
 それとも私の体質がかわったのか?

  1. 2007/12/21(金) 15:52:07|
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漢字を書く

sei.gif 漢字を書く


 キイボードを打つことを書くというのなら毎日大量の文章を書いている。
 しかしどうやらそのことと紙にペンで書くことの脳への刺激はまったく別物らしい。
 とは誰もが解っているけど避けていること。DSでペンタッチして脳トレするより目の前の紙に書くことだ。


 原稿用紙を持ち出して字を書いてみる。
 漢字が書けない。かつて書けた字が書けないことはくやしい。
 ディスプレイの電子辞書を引きつつ書いていたが、これじゃだめだろうと原点に戻ることにする。国語辞書と漢和辞書を手元においた。押し入れからひっぱりだして。辞書すら片づけてしまっている。


 パソコンを使うようになってからもPC-98時代はこうだったと思い出す。
 文章を書きつつ辞書を引けるマルチタスクではなかった。なにしろOSがフロッピー1枚だ。でも3万もしたけど。MS-Dos。
 IME(当時はFEP)がバカだから変換して正しい文字を確認することも出来ない。辞書は必須だった。いつもかたわらに何冊も積み上げていた。


 あやふやな漢字を辞書を引きつつ原稿用紙2枚ほど書いたらぐったりした。
 この疲労感が脳への刺激なのだろう。
 しばらくは続けるつもりでいる。

  1. 2007/12/21(金) 01:04:05|
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「SP」の音楽──菅野祐悟の魅力

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「SP」の音楽──菅野祐悟の魅力


 


 土曜フジテレビの「SP」がおもしろい。毎週缺かさず見ている、と書きたいがもう2回も見逃してしまった。決まった時間にテレビドラマを見るという習慣がないので部屋にいても忘れてしまうのである。それと、土曜の午後11時台で前の番組によって放送時間がずれたりする。録画予約というわけにもいかない。DVDになったらまた見よう。


 キャストもシナリオもカメラもすべていいが、音楽がまたすばらしい。日本のテレビドラマでこんなに重厚でかっこいい音楽を聴いたことがない。それで菅野祐悟という名を知った。東京音大でクラシックを学んだ人のようだ。どんなに音楽が良くても他がわるかったら光らない。すべてが良くできているからであるが、この音楽は凄い。街中で聴いて一瞬でドラマを思い出すテーマ音楽なんていつ以来だろう。


「まるでアメリカのテレビドラマのようだ」という褒め言葉は、芳醇な日本酒を「まるでワインのようだ」と評するのと同じくよくないことなのだろう。だが見るほどにアメリカ製作のドラマを思う。スタッフも「日本のドラマ離れ」を意識したのはまちがいあるまい。


 始まりは岡田と金城の友情らしい。岡田はこの役のためにかなりマッチョになったとか。最初から岡田をイメージして書き下ろしのだからはまっているのは当然だ。


 堤真一がいい。この人、ふつうより腕が長いのだろうか。両手をだらんとさせて歩く背広姿は、武道の達人のようでかっこいい。まあ壊れたロボットのようでもあるが。
 本人もどこかで「(この作品では)大きく見せるようにしている」と語っていたから意識した演技なのだろう。JAC出身だというからアクションは得意なのか。


 私にとってさいわいだったのは、テレビドラマをまったく見ないから、役者に固定観念がなかったことだ。ほとんどみな真っ白である。堤は大活躍している役者らしいから多くの当たり役があるのだろう。へたにそれを知っていたらこんなに楽しめなかった。たとえばコミカルな彼を知っていたら、上層部と現場のはざまで悩む彼にここまで惚れられなかった。


 もっともそれはまたそれで「××の△△役より、今度の方がはまってるよね」「あいつにこんな演技が出来るとは思わなかった」のような評価を通は通で楽しむのだろう。
 私は今回のドラマをリアルっぽく楽しみたかったから、それがないことがありがたい。SPのひとりが「電車男」に出ていたのは知っているが。


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 浅田次郎原作に西田敏行がこれでもかというぐらい主演することに反対である。反対を通り越してもうくだらないから見ない。よくもわるくもイメージの固定している西田に、多種多様な珠玉の短編の主人公を片っ端から演じさせることに意味があるとは思えない。「角筈にて」なんて、どう考えても西田ではあるまい。「天国までの百マイル」も。これで西田が役作りのために30キロ減量しましたなんていうならまだ支持できるが、どの役をやるときもあのでっぶりした体である。


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「SP」が敵役に無名の役者を使っているのもいい。
 コロンボの真似をした「古畑」みたいな有名人起用のあそびもあろうが、ここは酷薄そうな無名の犯人像が望ましい。
 警察上部の連中も見慣れない顔なのがいい。これは一貫した姿勢なのだろう。どうしてもひとりぐらい大物役者をおきたくなるものだ。


 今後、岡田の両親を殺された経緯と現総理との絡みをどう料理してくるのか、金城のお手並み拝見である。


 

  1. 2007/12/18(火) 23:59:13|
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落語の朝──正蔵と小米朝

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落語の朝──正蔵と小米朝



 16日はTBS落語研究会があった。午前4時25分から5時15分まで。こんな時間に誰が見るのだろう。「落語特選会」のころは見ていたが今はまったく見ていない。あれは深夜一時半ぐらいからだったからまだ充分に夜だった。これはもう夜とは言い難い。見なくなった。今回も偶然である。
 通例として朝は五時からで、この時間は日曜の朝ではなく土曜の28時25分と表記するらしい。視聴者は早起きしてみる年寄りの方が多いだろう。


 
 正蔵が「ぞろぞろ」、小米朝が「七段目」。興味深かったのは正蔵が長年やってきた、というかそれだけでもってきたような「海老名家ネタ──三平から兄弟姉妹まで」を一切やらず、前振りなしで本題に入ったこと。そして逆に小米朝が、「米朝ネタ」をマクラとしてたっぷりやったこと。
 国立劇場とはいえ客には「ウチの人間国宝がこのあいだ骨折しまして」「なにしろわたしは国宝の息子ですから」とアクション混じりでくだけた話をする小米朝のほうが受けていた。


 正蔵を襲名したこぶ平が、毎度の三平を引き合いに出してのマクラ(天国のお父さん、ぼくどうしよう、落語が出来ないんだ──せがれよ安心しろ、おれも出来なかった、のような)を一切封印しているだろうことは予測できた。
 だがまだそこには「もう正蔵なのだから。国立劇場だから。テレビ録画だから」の意気込み、かたさが見えていた。おどおどしているように見えた。まだまだである。
 対して小米朝はなんら迷うことなく米朝ネタを開陳してすなおに笑いを取っていた。
 正蔵が自分の藝に自信を持ったなら、やがてまたむかしのように堂々と三平ネタをやるようになるだろう。最近なら絶好の小朝泰葉離婚ネタがあった。それでこそ本物である。今の封印もまたわかる。先は長い。
 なんとも意味深なふたりの組み合わせだった。


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 次いで5時15分から45分までNHK「日本の話芸」。ざこばの「子は鎹(かすがい)」。関東では「子分かれ」の演目。私は「芝浜」とか「子分かれ」は嫌いだ。それはともかく。
 ざこばはかんでばかりいるし滑舌もわるく、ひどい出来である。といって今回がそうというのではなくいつもそう(笑)。この人の持ち味。
 かすがいを知らない人もいるだろうからと実物を見せて説明する。うしろの人は見えにくいだろうといきなりより大きなものを取り出して笑いを取る。この辺は関西藝人のサーヴィス精神。「わたしこれ、自前で買ってきました。落語のためならお金は惜しまないんです」って、たかがかすがいで(笑)。


 不思議なもので好みは変る。最近の私は立て板に水の流暢なものよりこんなのを好む。CDでも志ん朝や文珍の流麗なものはまったく聴かず、志ん生の登場人物の名前も忘れたような投げやりなもの(笑)ばかり聴いている。それと昭和三十年代のラジオを思い出す、思い出すというかもろに当時のものだが、金馬の落語。それらがあたたかくてほっとするのだからしょうがない。落語の好みもこちらの精神状態によって変る。


------------------------------


 というわけで、偶然落語を連続して聞いて(見て)しまった夜(朝?)だった。いつ以来だろう。二年ぶりぐらい。


◎「早指し将棋選手権」の思い出
 見終わって思ったのは、毎週この時間は夜更かしであれ早起きであれ、テレ東の「早指し将棋選手権」を見ていたなあ、ということ。終ってもう何年になるのだろう、放映時間は微妙に変わったが、日曜明け方の思い出として体にしみこんでいる。
 不人気だったらしく、日曜の朝の九時からだったのに六時からになり、五時からになった。六時はまだ朝だったが五時になるともうついゆけない。(ゆけたが)。このままじゃ四時台になり三時台になるのじゃないかと心配していたら五時代で打ちきりになってしまった。競艇の笹川さんのようなスポンサーがいなくなったらもう打ち切りしかなかったのだろう。

 長年ヴィデオに取りため、数年前DVDに移植したものが何十枚もある。どれぐらいだろう、50枚以上100枚未満。当時はビデオテープもけっこう高かったから、つまらない勝負だと録画したあと上書きして消したりしている。HDDレコーダの便利さを痛感する。とはいえそういうふうにセコく上書きしたビデオテープの消しのこりCMなんてのが味になる。
 いつしか見ることがあるだろう。四段になったばかりの中学生の羽生が、若い森内が、佐藤がいる。王者の中原、谷川がいる。咳払いをし、体を揺する加藤がいる。貴重な二上会長の二歩による反則負けの一戦もある。大山の映像は宝物だ。


 と、ひさしぶりにテレビで落語を見たのだけれど、想いとしてはそのあとぼんやり思った「早指し将棋選手権」への郷愁の方が強かった。衛星放送を契約すれば将棋番組なんて一日中見られるし、見たければそういうものと契約しろという時代だ。まだする気はない。

  1. 2007/12/17(月) 17:32:04|
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ニコニコ動画の「演奏してみた」

00-nico
の「演奏してみた」


ニコニコ動画に「演奏してみた」というカテゴリーがある。自分の演奏シーンの動画をUPするらしい。駄作も多いが傑作もまた多い。


スーパーマリオのテーマと洞窟内での効果音等をギター一本で再現している少年には感嘆した。


圧巻は「ドラクエⅢ」のエレクトーンでの演奏。いまのエレクトーンはここまで出来るのか。コメントにも絶賛が続出していたが、当時を思いだし背筋がぞくぞくした。世に名人はいるものである。
こういうあそびが出来るのだから、インターネット時代はすばらしい。


たまに行く程度だし、ネットの動画はあまり見ないので、まったく詳しくないのだが、どこかでまた掘り出し物に出会えそうだ。


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もうひとつすごいなと思うのは、これらの映像が携帯電話で録り、ケイタイからUPされたものであるということ。これぐらいの動画が撮れるのはもう普通なのか。携帯電話はそこまで万能になっている。

私も一応最高機能のケイタイをもっていて、さらには意味もなく1GBのメモリチップを増設してあるから、その気になればかなり録れるのだろう。ケイタイで動画など撮ったことがない。動画どころか写真すら撮らない。

かといってメカ音痴でもない。デジタル機器は大好きだ。PC歴はもうすぐ30年である。写真を撮るときはデジカメ、映像を録るときはビデオカメラなのである。音楽はiPodだ。ケイタイはあくまでも電話。たまにメールをする程度。が私のメールは99%パソコンからだ。

これからの時代、ますますケイタイは高機能化して万能のツールになる。こんな使い分けはもう時代遅れなのか。


まあ時代遅れならそれはそれでいいけれど、競馬場でいいシーンを見て写真を撮りたくなり、デジカメを忘れたと悔やみ、帰宅してから「ああ、ケイタイがあったんだな」と気づくことからはもう卒業したい。

  1. 2007/12/16(日) 01:04:15|
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カレンダー到着

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 カレンダー到着


 


 毎年『日刊競馬』の本紙担当飯田さんがカレンダーをおくってくださいます。今年もそれが今日到着しました。


 2008年用カレンダーの表紙は64年ぶりに牝馬でダービーを制したウオッカです。ウオッカは表紙と5月の二回登場しています。


 二十年前から毎年飯田さんは送ってくださるのですが、じつはそのうち半分ぐらいは受け取っていません。私がチェンマイに出かけてしまい留守になるからです。猫を預かってもらうために茨城に帰ってからは親が受け取ってくれるようになったのですが、ひとり住まいの品川時代は受取人不在でほとんど発送元の本社に戻っていたようです。のちに飯田さんから聞きました。私は気楽に届かない年は送ってくれなかったのだろうと思っていました。汗顔の至りです。


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 トウカイテイオーが惨敗した年に有馬に見切りをつけ、翌年から有馬を見ずにチェンマイに行くようになりました。十二月も半ばを過ぎると急激に航空券が高くなるのでその直前に出発します。カレンダーが完成し送られてくるのはそのころなのでちょうどすれ違いになってしまいます。



 下記の「朝日杯の思い出」も、そういう理由から朝日杯やスプリンターズステークスが年末最後の競馬になることが多かったからでした。
 一時期年末に施行されていた「暮れの風物詩」スプリンターズステークスも遠い思い出になってきました。タイキシャトルから大勝負したら、よりによってラストランで生涯唯一の連をハズされ腰が抜けました。暮れの中山じゃよく腰を抜かし死ぬしかないと思ったものです。いまだに生きていることが不思議です。


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 今年のカレンダーのメンバーは多士済々です。コイウタやサンライズバッカスも登場しています。そのことからもディープというスーパースターがいなくなったことを感じます。


 今年ももうすぐ終り、といくらテレビで言っていても何も感じませんでしたが、このカレンダーを手にしたら、急速にそれがしみこんで来ました。


 

  1. 2007/12/14(金) 12:20:12|
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産經の橋下弁護士出馬報道

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 産經の橋下弁護士出馬報道


 


 そんなわけでテレビでは思ったほど橋下弁護士の出馬会見を詳しく見られなかった。ところが意外にもネットの「MSNサンケイ」にかなり詳しく載っていた。「会見の模様」が1から6まで掲載されていたのである。これはこれで異様だ(笑)。


 それは産經が橋下弁護士の出馬(=思想)を好ましく思っているからだろう。私はこういう堂々の偏向が大好きである。最もたちの悪いのはアサヒのように公明正大な振りをしている偏向だ。まあまともな思考力があれば誰でも気づくが。
 さてアサヒの報道はどうだったのだろう。

  1. 2007/12/13(木) 21:00:27|
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「幕開け」と「極めつけ」に幕引き

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 「幕開けと極めつけ」と「幕開きと極めつき」論争にに幕引き
 


 


 偶然見かけたNHKの「言葉に関する番組」が、「極めつけか極め付きか」「幕開けか幕開き」か、とやっていた。
 正解は「極め付き」と「幕開き」。アンケートによると60%以上の人が「極めつけ」「幕開け」と誤用しているそうである。


 私もやったような気がする。急いでグレップソフトでハードディスク内を検索した。すると二件ほど該当文章が出てきた。すぐに直そうと思う。ところが直せない。それは活字になったものだった。コピーで「新たな時代の幕開け」とやっていた。恥じる。
 ホームページ内の文章なら直せるが過去に活字になったものはいじれない。なんとも悔やまれる結果になった。

  1. 2007/12/13(木) 12:03:06|
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橋下弁護士、出馬会見

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橋下弁護士、出馬会見


12日朝10時に記者会見ということで、午後と夕方のワイドショーを楽しみに見た。意外だったのはどこも大きく取り上げたがそれがみな短かったこと。5分もない。出馬表明と出ないと言っていたことの釈明、シンスケ、たかじんとのこと、そのあとすぐに会見場をあとにする姿になった。どの局も同じである。その5分のあいだには北村弁護士、丸山弁護士らのコメントが入っているから彼自身の露出はすくない。だから私は橋下弁護士が、まだマニフェストも出来上がっていず、とりあえず出馬表明だけして手短に会見を切り上げたのだと思った。
 ところが13日の記事を読むと会見は2時間、午後からもやり、質疑応答を含めると4時間のワンマンショーとなっている。

 たぶんそれはマスコミの不偏不党の原則に則った偏らない取材姿勢ということなのだろう。実際すでに立候補を表明している共産党の弁護士の模様は今まで何も伝えられていなかったが、今回橋下のついでにひなは頻繁に名が出るようになった。共産党候補のことを紹介せず橋下ばかりやったら偏向報道になるということなのだろう。共産党候補は橋下のお蔭で大幅に露出度アップである。

 それでも朝青龍問題を現役時に朝潮が出したレコードの歌詞にまで触れて(笑)、これでもかというぐらい詳しくしつこくやっているのに見慣れていたから、あまりにあっさりしていることに愕いた。政治絡みだとこうなるのだろう。実際やればやるほど橋下の宣伝になるから控える気持ちはわかる。


 記者会見を見て、それが率直な感想になる。

  1. 2007/12/13(木) 07:15:48|
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橋下弁護士、大阪府知事選に出馬!

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橋下弁護士、大阪府知事選に出馬!

橋下弁護士が大阪府知事選に出馬するとか。表明は明日のようだ。
私は彼と政治思想が共通しているので断然支持する。


「またタレント候補か」と嘆く街の声があったが、噂された西川きよしなどとはあきらかに違う。


「行列」だけではそれはわからなかった。
「たかじん」があったのが大きい。
ネットされていないそれを見ることが出来たネット時代の恩恵だ。


辛坊が出てもいいけどね。


でも三十八歳の府知事は若いな。
民主党が誰を立ててくるのか楽しみだ。

  1. 2007/12/11(火) 18:19:21|
  2. 政治
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エヘン虫の季節

sei.gif エヘン虫の季節


図書館で本を読んでいたら、隣にすわったおばさんが甲高い声で咳払いをする。気になる。
一度気になると、終ったあと、次にくるタイミングを計るようになる(笑)。そろそろか、と。


こういうもののよくないのはあくびと同じで伝染することだ。なんとなく私も喉がイガイガして咳払いをしたくなってきた。


席を外し、館外で思い切り咳払いをする。
密林の怪鳥のような咳払いをするおばさんの隣に戻る気はなかった。読書はいいところだったのだが。


これからこんなことが連続する季節だ。

  1. 2007/12/11(火) 17:15:53|
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柔道とギター

 柔道とギター


柔道を見るたびに思う。
柔道は「掴むスポーツ」である。指への負担がおおきい。
選手はみな男子も女子も指先を痛めバンデージを巻いている。
ひどい人は地獄突きをするブッチャーのようにほとんどぜんぶの指に巻いている。それだけ指を痛めることが多いのだろう。


引っ越しや事務所の整理等で、大量の本やCDを段ボール箱に詰めたりすることがある。普段はあまりしない「掴む動作」を頻繁にする。
指先を痛める。爪を割ったりする。翌日、指が痛い。筋肉痛だ。


柔道選手とギターを弾く趣味は両立しないなと思う。
ピックならまだしも指を使うクラシックギターは無理だ。


柔道選手にクラシックギター(指弾きならフォークでもなんでもいいけど)の名手はいるだろうか。知りたい。

  1. 2007/12/11(火) 05:07:56|
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冬はオルガン

 冬はオルガン


冬はオルガン。寒い日にはあたたかい音色がよく似合う。
Jimmy Smith,Jack McDuff、毎度の定番。


これも毎年書いてるなあ。人生は繰り返し。


一年ぶりのサウンドが懐かしい。

  1. 2007/12/08(土) 20:41:27|
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クリスマスソング嫌いの繰り返し

× クリスマスソング嫌いの繰り返し


「いつも聴いているインターネットラジオのSmoothJazzが、この季節になるとクリマスマスソングばかりになる。クリマスマスソングは嫌いなのでラジオを切り、iTunesで自分の手持ちの音楽を聴くことにした」


と、一年前に書いたのとまったく同じ事を感じ、書こうと思ったけど、去年も書いたなと思いだして、やめる。


「キリスト教徒にとっては年に一度の教祖様の誕生日という最大のお祭りなんだから当然だ」


という容認も、


「だけどなんでキリスト教信者でもない日本人がこんなに浮かれるのだろう」


という疑問も、


「でもその節操のなさが日本人らしさなのだから」


という解釈も、


「だったらイスラム教のラマダン等も取り入れろ」


という反発も、


毎年書いていることなのでやめる。


毎年毎年感じること。


これはこれで私の毎年年度末風物詩か。

  1. 2007/12/07(金) 16:07:15|
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右脳と左脳──続き

? 右脳と左脳 続き ?


テレビ画面を見つつ、PS2の将棋を指す。
相手の待ち時間に本を読む。この脳みその切り替えがむずかしい。
脳に汗を掻く感じがする。
別の部屋を行ったり来たりの感覚。


同じように、テレビの前とPCデスクを往復することがある。ゲームと、今こうして書いているような雑文の同時進行である。
これはまったく切り替えが苦にならない。というか切り替える必要がない。
脳みその同じ部分での作業と思われる。将棋も文章も私のものだから。


ということから考えるに、「将棋を考える」と「自分の文章を書く」は脳みその同じ箇所を使うのだろう。それに対して他人様の書いた文章を理解し、その小説世界に遊ぶということは、別の部位を使うのだ。だから切り替えに苦労する。


どっちが右か左かは知らないが、体感上、そのことはまちがいないようだ。

  1. 2007/12/07(金) 13:31:50|
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右脳左脳──将棋と読書の同時進行実験

 右脳左脳──将棋と読書の同時進行のむずかしさ


PS2での『激指』レーティングが2150点になり四段まで来た。実力相応なのだが長らく実践から離れていたから待ったなしのこのレーティング戦でここまで来るのには苦労した。それはコアな将棋話になってしまうので省く。
 


低レベルの設定だと瞬時に指すコンピュータも、四段戦にもなると真剣に考える。毎回一手一分ほど。
それは相手の手を読むのに程よい時間なのだが、慣れてくるとその間になにかをしたくなる。相手が指してから考えるのはいいのだが、相手の考慮中にこちらも手を読んで待つのがじれったいのである。これが齢をとって短気になるということなのだろう。



一手一分ということは、平均的な一局の指し手数である120手で考えると、相手の指すのが60手、イコール一時間ということである。こちらも同じだけ考えるとすると、一局の将棋に二時間かかることになり、これはもうなかなか本格的なものになる。チェスクロックを使った一時間切れ負けと同じぐらい時間を食う。「切れ負け」はないけれど。



将棋を指しつつ本を読むことにした。短編のミステリィ集。相手の待ち時間に読む。一石二鳥である。
ところがこれがむずかしい。将棋の指し手を考えることと、本を読む(=筋書きを理解する)脳みそは、どうやら使う部位が違うらしい。

以前、米長がモデルになって、棋士が真剣に集中して考えると脳が如何に活溌に動くかを機械で測定したことがあった。運動すると筋肉があたたまるように、脳の血の巡りがみるみる活溌になる様は見事だった。


右脳と左脳に関する智識などもとよりないが、将棋を考える脳と本を読む脳が別部品であることは体で感じる。確実に切り替えねばならないことを体感している。

よってこの両立はかなり難しい。私としてはすいすいと同時進行出来るものと思っていたのだが、実際は、将棋の一手を真剣に考えて指し、本に行くと、その内容に集中するまで一分かかる。せっかく集中できたのだから三分ぐらいは小説世界を楽しむ。その間に一分間考えたコンピュータは手を指し、こちらを待っている。将棋に戻る。今度は将棋の状況を頭の中に入れ、次の一手を考える。この切り替えにもやはり一分ほどかかってしまう。とにかくふたつの世界がまったく違うことを知った。本を読みつつ、同時にゲームの将棋も気楽に楽しむ、どころではない。



これが右脳と左脳をこまめに切り替えて使う脳の鍛錬に効果的なことならいいのだが、もしかしてどっちつかずが右脳と左脳の両方に悪いことだったりしたら目も当てられない。

  1. 2007/12/06(木) 06:26:15|
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激しい××の持ち主

 激しい××の持ち主


平成教育委員会(今は学院か?)で、「彼女は激しい××の持ち主だ」「××衛星ひまわり」に同音異義語を入れろと出題されていた。すぐに「きしょう」だとわかる。気性と気象。


シンキングタイムのあいだに「紀章」を思いついた。
彼女は激しい「紀章」の持ち主である。この場合、「彼女」は若尾文子に限定される。

  1. 2007/12/03(月) 06:07:46|
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朝青龍問題と『産經抄』

 『産經抄』の的はずれ視点

(前略──故事「出藍の誉れ」の説明)

 ▼現横綱の朝青龍の場合はどうだろう。師匠である元朝潮の高砂親方も大関止まりだったから、地位だけなら師匠を超えている。だが、そのことで公然と師匠を見下すようになったという。数々の暴走に親方が歯止めをかけられなくなったのも、そのせいのようだ。


 ▼一昨日再来日した後、横綱は「謝罪」に駆け回った。再起を誓い「優等生謝罪」という新聞の見出しもあった。しかしあまり信じる気になれなかったのは、肝心の師匠への「謝罪」の念がほとんど感じられなかったからだ。隣に座っていたのにかかわらずである。


 ▼親方の指導にも問題はあったのだろう。「師弟のきずな」など、とうに死語になっているのかもしれない。だが師匠に頭を下げられない横綱がその名に値するのだろうか。育ててもらった師に対する感謝があって初めて「出藍の誉れ」なのだ。『産經抄』12/2

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 朝青龍から「師匠への謝罪の念」は感じられなかった。相変わらずしれっとしていた。
 しかし「肝心の師匠への謝罪の念」というが、なにが「肝心の」なのだろう。そもそも朝潮に師匠としての指導能力がなかったからこんなことになったのだ。それは入門時ウンヌンまで遡らなくてもほんの三ヶ月前ですら、とんでもないことをやっている。報道陣の前で「連絡は一切ない」と自分たちの冷えた関係を披露し、パイロットシャツを着てため息をつき、「みなさん、わかってくださいよ、わたしもみなさんと同じ被害者なんですよ」との態度でいたのはその師匠ではないか。モンゴルまで行ったがほとんど滞在せずすぐに帰国して、しゃべったのが「お肌ツルツル」だけというのもあった。『産經抄』はそれを知らないのか。忘れたのか。いや、そもそもなにも知らないからこんなことが書けるのだろう。おそろしく勘違いした視点である。

 ろくでもない親がいた。親としての務めを果たさなかった。それでも子は育つ。出世した子が罪を犯した。子供は世間に対して、親同伴で謝罪した。その謝罪会見を見て、「世間はともかく、肝心の親に対しての謝罪の念が見えないので信じる気になれない。育ててくれたのは親だろう」と言っている。
 子供はあんな親だからおれは犯罪者になったと思っている。そう思われても仕方のない親だった。それでここまでこじれてきた。なのにいきなりの記者会見で「親に対する謝罪の念」などあるはずがない。恨み辛みならまだしも(笑)。
 もしも口にしたなら不自然だし、言うような仲ならそもそもこんな問題は起きていない。『産經抄』は何を言っているのだろう。たしかに親がいなければ子は生まれてこない。こられない。だからといってどんなろくでもない親でも「生んでもらったのだから感謝しろ」と言われても、感謝できないこどもは大勢いる。それでも時が過ぎればまた違ってくる。しかしいまはすくなくともそんな段階ではないのだ。

 この師弟の一連の流れなど知らず、世間的な話題だからとズレた感覚で手を出したお粗末である。それとも、ああなっても父を庇った亀田問題ととりちがえているのか(笑)。
 まさに「朝青龍問題の本質などなにも知らないコラムニスト」が、「タイミングとして朝青龍問題をテーマに書く」ということにこだわり、そこに「出藍の誉れ」の故事を絡めて仕上げた、「コラムのためのコラム」である。しかも的はずれの。

 どうしようもない親だった。だがことここにいたって、自分の責任をやっと感じたのか、子供に対して飛んでくる言葉の礫を初めて我が身で受けて庇おうとした。私はそれを評価した。問題は今やっと、まだこの時点なのである。朝青龍問題を上っ面で捉えている『産經抄』にはそれが見えていない。わかっていない。
 こういうことが子供のころから続いていれば子は親に感謝する。それが親子だ。今までそれがなかった。それがやっと始まったに過ぎない。子の親に対する感謝の念が生まれるとしたらこれからだ。それすらまだ生まれていないのに、この場で「肝心の師匠に対する謝罪の念」などあるはずがない。



 典型的な的はずれコラムである。朝青龍と朝潮の関係を的確に把握している相撲ファンは、一見もっともらしい、それでいてはなはだしく的はずれなこの視点にしらけたことだろう。


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・このコラムは今日12月2日のもの。ネットに公開されたのが午前3時、家庭に配達されて購読している人が読むのは朝の7時ぐらいか。この文章のUPは6時だから、これは世界一早い今日の『産經抄』批判かもしれない。

  1. 2007/12/02(日) 06:37:48|
  2. 大相撲
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今日の朝潮はかっこよかったゾ!


 今日の朝潮はかっこよかったゾ!

 今日は朝青龍と亀田次男の二大会見(笑)の日である。朝のワイドショーからその予告が入っていた。
 私は徹夜だった。午前十時に寝て午後二時に起きる。朝青龍の会見は午後五時からだが、午後のワイドショーは「飛行機が早く着いたので、成田に二時半に着いた」ともう騒いでいた。基本として私は、どんな形であれ話題になるのは相撲の認知に繋がるからよいことだと思っている。(認知ってのはこのごろヘンな意味になってしまった。)
 朝青龍問題、時津風騒動、ワイドショーでそれらに触れることによっていつの間にか相撲に詳しくなった人は多いだろう。といってそれが大相撲の視聴率に繋がり人気回復とまでは行かないのがむずかしいところ。でもほんのすこしでも、これがきっかけになって今までまったく見なかった相撲中継を見るようになり、見ているうちに力士の名前や決まり手も覚えてきて、相撲が好きになった、という人もいると信じる。

 午後四時過ぎ、図書館に本を返しに行き、あらたに借りてくる。五時からの会見があるので急ぎ足になる。夜のニュースでも見られるがテレビ局の意図で編輯されるから自分の目で生で見ておかねばならない。それは夜に限らず、すでに午後六時からのニュースでももうそうなのだと確認した。午後五時の会見の中から、会見はまだ続いているのに、中継ではなくもう自分たちの好み?のシーンを抜き出して放送している。どの局を見るかは重要な問題だ。好きなように加工して出してくる。どんな味付けにでも出来る。
 今回目立ったのは、朝潮が声を荒げた場面があったので、そこが押されていることだった。たしかにスキャンダラスな視点からは画にしやすい。その安易さを怖いと思う。でもその朝潮は、私には珍しく「よくやった」と褒めてやりたい激昂だった。

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 私が今日の会見で願っていたのは、私のような彼のことを案じている日本中のファンには心配を掛けたとすなおに言って欲しいということ、それとウチダテオババやエビサワのの横審に謝罪する必要はないということだった。帰国が決まってから、見たくもないのにオババの「私の中ではもう引退した人ですから」が何度も流れてていた。
 朝のワイドショーでは相撲評論家(今は相撲倶楽部の"会友"と言わねばならないようだ)の中澤潔さんの、「元々は明るくてすなおな青年だからファンにはきちんと謝罪するのではないか。横審には謝罪の必要なし」というコメントが出ていた。同意である。

 最初の代表質問はまともだった。その代表質問の最後、ファンのみなさまにひとこと、と言われると、冒頭の立ったままの謝罪のときには亀田父のような態度だった朝青龍が、きちんとカメラ目線で、ファンに心配を掛けたと謝罪した。わたし的にはこれで満足である。

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 そのあとの各社の自由質問になったらつるし上げ状態。朝青龍の眉がピクつく。顔面が引きつる。相撲など好きでもなくテレビ中継を見ることすらしないような記者連中が、ここぞとばかりに罪人をつるし上げている。質問の声が小さく聞き取りにくい上、日本人の私ですらどういう趣旨の質問なのかわからないようなのが連続する。それは要するに朝青龍に涙ながらの懺悔をさせたいのだが、そうも直接的に言えないものだから、回りくどい言いかたになり、結果として何が聞きたいのかわかりにくい日本語になっているのである。いくつかの質問に朝青龍がもう一回言ってくれ、どういう意味ですかと聞き返した。当然だ。私にも何を訊きたいのか解らない。それが反抗的にとられたのか記者の質問はますます意地悪になり、さらに意味不明になって行く。

 私は「朝青龍、切れるなよ」と祈る。今にでも朝青龍が机をひっくり返して大魔神に変身しそうだ。それを願っているウチダテオババのようなのもいる。我慢しろ我慢しろと願う。だが度重なる意図不明瞭の質問に先に朝潮が切れた。朝青龍への質問を横取りするような形で口を挟む。「それはまだわかりませんよ!」と。

 どういう形でサッカーに関わったのか、サッカーをしたときなにを考えていたのか、という過去の問題の時は良かった。朝青龍も懸命に応えていた。応えざるを得ない。だが先の質問には答えようがない。
「先の質問」とは、これから毎日どんな稽古をどこでどんなふうにし、そして「初場所で結果が出なかったらどうするか!?」というものだ。底意地の悪い記者は、「初場所で優勝できなかったら(13勝以下だったら)引退します」のようなスキャンダラスな言質が欲しいのだ。「朝青龍、初場所優勝できなかったら引退!」と見出しにしたくてしょうがない。しかし自分なりにトレーニングはしてきたが相手がいなかったし、マットの上と砂の上では感触が違うのでまず土俵で稽古をしたい、と述べている朝青龍から、そんな都合のいいことばを引き出せるはずがない。言わせようとするもの、言おうとしないもののせめぎ合い。かといって朝青龍はどんなに不愉快になっても切れるわけには行かない。ひたすら耐えるだけだ。
 
 そこで朝潮が切れた。声を荒げ、「これからひとつずつやって行くということです」と応じる。「これからの青写真がないじゃないですか」と記者も気色ばむ。朝潮が「ですから、まずは部屋で稽古を始め、それから出稽古に行って、と、それが青写真です!」と声を荒げ、そのあと、鼻息荒く「ご理解ください」と結んだ。実際にはこの何倍も朝潮はしゃべっている。理不尽な物言いをする記者連に我慢がならないという感じで、記者から見ても、いつものんべんだらりんとしていた朝潮のこの迫力ある発言は新鮮だったろう。
 
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 私は今日初めて身をもって弟子を庇う朝潮を見た。不仲の師弟だが、朝青龍も今日親方が自分を庇って闘ってくれた、自分のためにマスコミとやりあってくれた、という認識はもったろう。

 その前、引きこもっていたときに何を考えていたのかという質問にも(もちろん引きこもっていたときとは言わない。カイリセイハクリショウガイだかなんだか、そのときに、である)、朝潮は「ですから、なにを考えていたとか、そんな状態じゃなかったんです」と横から口を出し、記者が「横綱の部屋に行った親方が、記者会見をしろと言ったのを拒否したそうですが」にも、即座に「拒否はしていません。そんな状態じゃなかったということです」と発言していた。もしもイヤミな記者がいたなら、「親方じゃなくて横綱の口から聞きたいのですが」と言われても仕方ないほど、朝青龍に対して飛んでくる礫を朝潮が自分の体で受けていた。
 朝潮のそういう態度を我が身かわいさのようにとる皮肉屋もいるかもしれない。そうではない。私は今日、朝青龍を護らねば、という朝潮の気持ちをすなおに感じた。

 前述したように会見は五時からの予定がすこし遅れ五時過ぎから始まり六時直前まで続いた。だがすでにまだ会見が続いている五時四十分ぐらいにはもう各局が生中継をしつつも、ダイジェスト版の発言要旨シーンを放送していた。何が要旨かは局の自由だ。朝青龍の謝罪シーンと同じぐらい民放では声を荒げる朝潮が流れていた。
 その要約シーンで最も公平だと感じたのは六時からのNHKニュースだった。NHKは民放と違い会見を生放送はしていない。まあNHKは中継のこともあり相撲側に贔屓していると解釈されているから褒めるのは控えるが、それにしても視聴者の耳目を集めるためとはいえ、朝潮が声を荒げるシーンを中心に流していた民放の感覚はいただけない。

 もちろん朝青龍に限らず、テレビとはいつもこんなものである。そう思うと、小泉さんはこの手の連中をうまくあしらい、上手に活用する天才だったんだなと、あらためて感心する。

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 夜のニュースでは、横審でのシーンと、そのあとのインタヴュウを流していた。。横審で「なにを話したか」には、朝青龍は謝罪しましたとだけで口を濁し、そのあと妖怪が出てきて「横審委員の誰とも目を合わせなかった。彼にはあれで精一杯なのでしょう」と勝ち誇ったようなことを言っていた。思わず「おまえと目を合わせられる豪傑はこの世にはおらん」と口に出していた。テレビに向かって毒づくようになったらアブナイ(笑)。まずそんなことはないのだが、今日はほんとに知らず知らずのうちにバケモノに向かってひとりごちていた。
 もっとも相撲ファンの中にも「朝青龍は嫌いだが、ウチダテはもっと嫌いだ」との意見が多いから、ヒールの味を緩和する意味で、オババには存在価値があるのかもしれない。

 とりあえずミソギは済んだ。これ以後も巡業地や部屋で、「何十日ぶりかで土俵にたった朝青龍」のような形でニュースは続くだろう。それは普段は見られないものをワイドショーで見られるということだから相撲ファンとしてわるくはない。

 ともあれ、ほんのすこし朝潮を見直した会見だった。

  1. 2007/12/01(土) 05:01:01|
  2. 大相撲
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プロフィール

fc2moneslife

Author:fc2moneslife
2001年に始めたサイトMone's World--http://monetimes.web.fc2.com/の出張版ブログ【木屑鈔】Boku-setsu-shouです。
2005年からやっているライブドアブログから引っ越してきました。FC2のサイトは2007年から利用させてもらっていました。これでやっとサイトもブログもFC2で統一です。
メールは、moneslife2000@kpe.biglobe.ne.jpまで。

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