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日本未発売のノラのライヴ──flacファイル

7eeec4d7.jpg 日本未発売のノラのライヴ


2002年10月2日、ドイツのハンブルグでのライヴである。世界ツアーの一環。一ヶ月前のこの9月に日本公演をやっている。とするとメンバーは同じか。
 ただどう考えても、6月にやったあの「Live in NewOrleans」とはギターが違う。どうなのだろう。好みとしては、こっちの方がブルージーで、ボトルネックギターなどデビュアルバムの音に近くて好みである。メンバーチェンジをチェックするような細かいことは苦手なんだけど、調べてみるか、そのうち。


 Amazonにある日本で発売されているノラの38枚のアルバムにこれの名はない。なぜだろう。すばらしい音質の傑作なのに。

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 これはflacファイルだった。初めて接するものなので戸惑う。先日はoggファイルで苦労したし、ほんと、いろいろありすぎる。
 まず最初、Download前にこのファイルは300MBあると知る。音楽にしては大きすぎ映像としては小さすぎる。いかにも半端な容量だ。それで「今までの音楽アルバムがmp3でぜんぶ入ったものか」と推測した。よくあることだ。
 開いてみると10曲だけだった。1曲が30MB前後。mp3の10倍もあるがwaveの半分である。見慣れぬflacの文字。曲名も入っていない。なんだろう、これ。聞けるのかと不安になった。

 愛用の再生プレイヤKb MediaPlayerでクリックする。多くのファイル形式に対応しているのですんなり再生できた。一聴してぶっとんだ。すごいいい音なのである。ノラの歌はもう毎日毎日聞き飽きるぐらい聞いているので、聞き飽きてはいないけれど、流れていて当然というぐらい生活になじんでいる。なのに初めて「Don't Know Why」を聞いたときのように、しばし聞き惚れてしまった。

 どういうことなのだろうと、まずは疑問の最初、flacファイルなるものから調べる。するとこれが圧縮ファイルなのだが、CDの音質をまったく劣化させず、それでいて容量は半分になる劃期的なものだと知る。なるほどたしかに300MBはCDの半分だ。いやはやいい音である。感激した。

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 しかしここで素朴な疑問として、私はそんなことを識別できるほどの音楽的状況にあるかとなる。凝り性だから自作パソコンの最初のころはサウンドカードにもスピーカーにも凝った。だがすぐにパソコンで音楽を聴くわけではなし、単にBGMとして低い音で流しているだけだからと割り切り、いいかげんになった。サウンド機能はマザーボード附属に依頼し、スピーカーもローランドのたいしたものではないのを使っている。もちろん話題の5+1chなんてやっていない。
 それに今よりもよい音楽再生環境のとき、タイで買ってきたmp3音楽ファイルと、まだ圧縮することを知らずふつうに入れていたCDを混在させて再生している。つまりmpとふつうのCD(wavefile)が混じり合って掛かっていた。そのとき「さすがはCDだな」と思ったことも、また逆に「やっぱりmpって音が悪いな」とも思ったことはない。なのに今回だけ思ったのはなぜだろう。

 私なりに推測すると、やはりCDの音はmpよりもよく、私にもそれを聞き分けるぐらいの耳はあったのだと思う。そしてまた貧弱な再生装置でもわかるほど、あきらかに両者の音に違いはあると思われる。
 なのに今までそれを経験していなかったのは、HDDに生のまま入れていた50枚ほどのCDがすべて50年代のマイルス等の古いレコードだったからではないか。中にはモノラルもあった。名演奏ではあるが音は悪い。なにしろ時代が時代だ。
 その後も図書館で借りてきて挿れたものは昭和30年代の落語のように古い物ばかりだが(笑)、中には今風の良い音質のものもあったろう。cobaとか宮本文昭など。だがCDとして聴かず一気にmp3に変換してパソコンに入れてしまっている。CDとしてはクルマの助手席においたラジカセで聴いたがこれは騒音の中の安物ラジカセだ。ラジオ以下である。

 だから両者の音質の差に気づかなかったのだ、と思うが、それとはべつにこのノラのライヴが優れた音であるのは事実だろう。だってこんな貧弱な音楽環境で感激するぐらいなのだから。
 しかし結果的に、私はCDとmpとしてもっていたいので、「CDと同じ音質で容量は半分」というこのflacファイルの価値はあまり意味ないことになる。600MBの音を300MBに圧縮し音質が落ちないというのは劃期的なのであろうが、むかしとちがい容量に苦労しなくなった時代では、それほどの意味を持たないのではと思う。1枚のCDに2枚入れられると考えるとそれなりに魅力的ではあるが。

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  1. 2005/10/31(月) 05:02:42|
  2. 音楽
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たばこは千円!

 たばこの値段は一箱千円!
 一箱二百七十円のたばこのうち、約百七十円が税金(消費税を含む)。年間の国の税収は一兆円強で、たばこ一本につき税金を一円上げると国の税収は約三千億円増える。ただ、国の歳入に占める割合は小さく、政府内ではここ数年内での税率アップには否定的な声が多かった。(東京新聞より)

 20本入り270円のたばこの値段を1本1円あげて290円にすると3千億円の税収アップだそうな。てことは1本につき10円あげ、値段は200円アップで470円。これで3兆円の税収アップ。香港なんかこれぐらいの値段。3兆円は大きい。これぐらいにしてもいい。今の時代、たばこは一箱500円が相場だろう。
 1本につき40円あげると1070円。これで12兆円の税収アップだ。ニューヨークだとこれぐらいの値段。
 たばこをニューヨーク並みに一箱千円にすると12兆円も税収が増える。これを期に辞める人も多いだろうから単純にそうはならないだろうが、減れば減ったで本人の健康にも周囲の健康にも好影響が出て、医療費も減るからいいことづくめだ。国はだいぶ潤うし、たばこ呑みも「おれは国に尽くしてるんだ」と自信をもてていいんじゃないか。たばこは一箱千円がいい。
(なお、この数字計算は正しくないが細かいことはどうでもいいのでつっこまないように。)

 日本の税率アップはあちこちに気を配り、「発泡酒及び雑酒の税率を上げる、その代わりビールの税率を抑えるから」のような均等に吸い上げようとする小狡いやりかたをする。たばこも「愛煙家のかただけにそんなことはできない」と極端な値上げなどあるはずもないが、たばこを一部の人の嗜好品と限定し「一箱千円」にするのは適切だ。段階的にあげてゆくからまだまだならないだろうけど。
 1千万のベンツが2千万になっても買う人は買うように、たばこも千円にしてちょうどいい。喫う人は喫う。中学生、高校生が違法であるそういうものに惹かれるのもむかしからだ。だからこそ手軽に買える値段にしておく必要はない。たばこを一箱買って喫うにはマクドナルドを2回がまんしないと、ぐらいの価格差があって釣り合う。

 昨日の国会議員新人研修会で「研修会議を禁煙にしては」と提案されたと報じられていた。議場でたばこを喫う中川とか何人かの喫煙姿が映っていた。いまだになっていないってことがいかに民間と比して遅れていることか。

 街を歩いていると、くわえたばこの女に出会う。このあいだは自転車に乗りながらふかしている二十歳ぐらいのネーチャンを見かけた。たばこをふかしながら自転車に乗っているなんて、悪質な新聞勧誘員の体である。
 世も末だと思う。ただ、パリでは若くてきれいなネーチャンがよく歩きたばこをしているから、「東京もパリのようになってきた」と讃えるなら、そう言えるかもしれない。とは皮肉だからね(笑)。
  1. 2005/10/30(日) 07:14:24|
  2. 世相
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ガムをかむ男

yakyuガムをかむ野球選手
 テレビをつけるとロッテ優勝の瞬間だった。それこそ何十年ぶりかで野球中継を、ほんの10分ほどだが観た。守備をしている選手、ベンチで見守っている選手、ともにガムをかんでいる連中が多くて気分が悪くなった。仕事中の男が口元を動かしているのは醜悪だ。むかし外人選手のそれを観ても不愉快になったのに今じゃ日本人のいろんな業界の連中がするようになった。

 これは前にも書いた。こういうことにすぐに影響を受けるタカダノブヒコがガムをかみながら入場してきたときは呆れた。でもバックボーンがなくいつもふわふわしていて流される彼らしいとも言える。
 もしもガムをかみながら運動をすることにどんなにリラックス効果があるとしても、日本人の美意識としてあれは美しいものではない。男は歯を見せて笑うな、の国である。
 その効果が絶大だと知っても決してヒクソンはそれをしないだろう。ヒクソンの目指すサムライは決してガムをくちゃくちゃとはかんでいないからだ。そのこだわりの有無がタカダとの差になる。ブラジル人のヒクソンはタカダより日本人だ。

 大リーグに行ったマツイカズオとかいうのがいつもかんでいるのが不快で彼が映るとチャンネルを替えるようになった。騎手まで騎乗しながらかんでいるのがいたのでうんざりした。これはクマザワだった。あれ以来彼の馬券は買わなくなった。

 ガムの会社は効能のアピールとしてそれに力を入れている。雑誌に載る宣伝は、学者や医者が登場してのそればかりである。ストレスをとり脳の働きをよくすると。

 両チームとも監督はかんでいなかった。だからよけいにその周囲で口元をくちゃくちゃと動かしている選手が不謹慎に見えた。しかしもうそれは許容されていて、こんなことにいらだっている私が時代遅れなのだろう。

 私の救いは、大好きな人、たとえば武豊騎手は決してそれをしていないということだ。いやほんと、武豊がガムをかみながら騎乗し、インタヴュウにもガムをかみながら応えるようになったら、彼を嫌いになるとかではなく、私は競馬をやめる。
 親しい友人にもいないことはさいわいだ。私はこちらと対面したとき、くちゃくちゃとガムをかんでいる人とつきあう気はない。男の美意識の問題だ。

  1. 2005/10/27(木) 02:29:19|
  2. スポーツ
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好き嫌いによる好き嫌い──志ん生とヤマモトシンヤ

mas 好き嫌いによる好き嫌い──志ん生とヤマモトシンヤ
 NHKに志ん生の魅力を探った番組があることは知っていた。どこで知ったのだったか。案内人はロマンポルノ監督のヤマモトシンヤである。志ん生に関することだからぜひとも見たいと思いつつ、そこが引っかかっていた。ヤマモトは民主党左派というよりもうほとんど社民党的な発言をしているテレ朝専属の心情サヨクである。しかしなんでああもろくでもない映画監督というのは似たり寄ったりなのか。サイとかイヅツとか。サイはまあ在日朝鮮人だからいいとしてイヅツなんてのはバックの資金源である朝鮮総連との絡みだというのだが正気なのかと信じがたいほどのバカ発言を連発している。あれがいやでアサ芸もすっかり読まなくなった。ヴァラエティ番組もこの種の連中の顔が見えたら即座に消す。



 チェンマイにみんなの嫌われ者の「イタ公」というのがいる。イタリアに何年かいたとかで誰彼かまわずイタリアの自慢ばかりするので、いつしかイタリアンと呼ばれるようになり、傍若無人な態度がみんなに嫌われて、いつしかイタ公になっていた。こいつの話題はすべて自分の自慢である。父方は天皇家の、母方は徳川家の血を引いていると力説する(笑)。誰も信じないものだからとうとう手書きの自分史を作って配り始めた。
 『サクラ』の丸テーブルでわいわいやるとき、誰もが「いまいちばん人徳がなくて嫌われ者といったら、やっぱり圧倒的にイタ公だな」なんて話になる。するとあっちのほうからやってくるのが見えるので急いで口をつぐむ。そんな光景がよくあった。
 私は彼の自分の自慢しかない話しぶりがおもしろくて、けっこう彼の相手をした。仲のいい方であろう。さすがに一通り聞いてしまうともうあとは繰り返しなので、彼の姿が見えるといかにも用事を思い出したように席を立つことが多くなったが。

 イタ公はひどいウヨクである。もうもったいないので右翼と漢字で書きたくないぐらいのお粗末な人である。こいつが私やらいぶさんがはるばるチェンマイまで持っていって『サクラ』に置いた『SAPIO』に、逆上的なことを書き込むものだから、いつしか『SAPIO』はイタ公不人気と連動して気味の悪い雑誌とされ『サクラ』から所払いをされてしまった。中国がいかに日本に対して失礼な外交をしているかというような記事があると、その横に赤ボールペンで、「そうだそうだ、あいつらみんな皆殺しにしろ!」なんて書き込むのだからたちがわるい。
 イタ公のことはまた「チェンマイ雑記帳」にでも書くとして、このイタ公の日芸──日大芸術学部ですね──時代の後輩がヤマモトで、当時は応援団に所属していた硬派なのだそうである。嘘か誠か知らない。ただなんとも情けないのは、イタ公が真に民族主義的感覚を持っているなら、今のヤマモトの姿勢を厳しく批判せねばならないのに、イタ公はおれはヤマモトシンヤと知り合いなのだと誰にでもそれを自慢するのだった(笑)。それだけでどの程度のオツムかわかる。



 数日前の明け方、5時ぐらいにNHKNHK教育TVをつけると、いきなり志ん生の写真が出てきた。志ん生はほとんど映像が残っていないので、そのモノクロ写真を紙芝居のように連続して噺と連動させている。おもしろいな、なんだろう、これと思っていると、しばらくしてヤマモトが出てきて得々として語り始めたので、これがそのかつて聞いた番組の再放送(厳密には再々再々ぐらいなのだろう)だと気づく。
 志ん生にもっと触れていたかったが、「志ん生落語を知らない人に、大の志ん生ファンであるヤマモトシンヤ監督が解説する」という構成が不愉快で途中で止めた。たぶん私の見始めたのが5時5分ぐらいで、5時半までの番組だったのではないかと思う。もしかして、もうすこし長いか? 45分番組とか。

 志ん生を見るよろこびよりヤマモトのいる不快の方が自分にとっては強力なのだと確認した時間だった。
 そうして、自分にはその傾向が強いなあ、これは不幸なことだなあ、と痛感したのである。たとえば国会中継を見る楽しみよりも、ツジモトの顔を見る不快の方が強い。小泉首相の答弁を聞きたくてもツジモトが関わるとなると消す。フジテレビの競馬中継を見る楽しみより、アオシマという自己陶酔絶叫型バカアナの中継を聞かねばならない不快の方が強い。音を消したりラジオで聞いたりする。アオシマは毎週ではないので、好きな馬のレースのときこいつだと、ああなんてついてないんだと思う。世の中のスポーツ中継アナがみな絶叫型に走るように、すべての私の好きなものが時代的に劣勢であることは否めない。
 これじゃますます世界を狭くする。でもそれが自分の本質なのだからしょうがない。そもそも「嫌いなものがある」ということは「好きなものがある」の裏返しであるから不幸ばかりではない。苦みがあってこその甘さだ。それは9対1でも釣り合いはとれている。
 このテーマ、拡がりそうなので思いついたらまた書いてゆこう。もう二年前からカトリシンゴのことを書こうとしてまだ書いていない。
  1. 2005/10/26(水) 16:06:51|
  2. マスコミ
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わかっていながら──映画「スクールオブロック」

741a8fdc.jpg
 わかっていながら、はまってしまった

 火曜はレンタルDVD屋、週一の半額の日である。出かける。それで知った。人出が平日とは倍も違う(笑)。誰だって半額の日に行くんだね。そうだよね、同じものが半額なんだもの。
 映画とはすっかり疎くなってしまった私だが、いくつか気にとめていたものがあり、ここのところ遅ればせながらそれを借りて観ている。
 邦画だと「赤目四十八瀧心中未遂」「ヴァイブレーター」。共に寺島しのぶ主演だ。たいしたことはなかった。「隠し剣 鬼の爪」。あとは、いつもレンタル中でまだ観ていない「スイングガール」。そんなところ。
 洋画だと「コールドマウンテン」。レニーの出演作品は全作見ておきたい。こちとら「エンパイアレコード」からのレニーファンだ。
 ぜんぜん借りていなかったわけではなく、水戸の<TSUTAYA>で「スパイダーマン」なんぞを借りてしみじみ落胆している。私には、感動よりもまず落胆したくない、という気持ちが強い。これはよくないよね。百回落胆して一回感動に出会えるかだ。でも十回の落胆にびびっている自分がいる。先日も「デイ・アフター・トゥモロー」なんてバカらしくなって途中で止めた。
 
 昨秋、水戸の<TSUTAYA>で、前々から内容に興味を持ち、借りたいと思いながら貸し出し中で借りられなかったのが「コールドマウンテン」。当時は新作だった。
 そのとき、まったく知らなかったがパッケージの解説を読んで観たいなと思ったのがこの「スクール・オブ・ロック」だった。「コールドマウンテン」はアカデミー賞うんぬんの話題の映画だし、大好きなレニーが助演を勤めていて主演も好きなニコールなのだから文句なしとして、こちらはパッケージの文章を読んで興味を持ったもの。「コールド」は新作で全品貸し出し中だった。「スクール」もそのときは新作であきらめたのだったか。いや予告だけでレンタル以前だったかも知れない。ともあれ今回7泊8日で借りられた。

 私は子供モノが嫌いである。死んだりするのは論外として、よくある父親が死ぬお涙ちょうだいも嫌いだ。「天国のチャンプ」とかあの種の作品。とにかく「動物と子供で泣かせる映画は邪道」と思っている。役者がいう「動物と子供にはかなわない」も筋が通っている。ついでながら、そうして名を成した子役がみな不幸になるのもわかる気がする。5歳10歳で何百万何千万も稼いだら周囲が狂って行く。「ET」の子役だったドリュー・バルモアは男狂いに麻薬までやって、よくあそこまで復活したなあ。たいしたもんだ。奇蹟的である。日本だと典型は「ケンちゃん」か。

 このごろ90分程度の映画を一気に観ることはまずない。ほとんど30分3回勝負である。飽きてしまって観られないのだ。みっともないが事実だからしょうがない。
 ひさしぶりに一気に観られた。あいかわらず子供は嫌いだし、かといって私はハードロッカーでもないのだが、主人公の好き勝手に逃げるだけ逃げて行くだけ行ったらバタっという××(好き勝手な逃げ馬の名を入れてくれ)みたいないいかげんさは、観ていて気持ちいい。それに、これを認めたらヤツらの術中に陥るってことなんだけど、子供たちが段々目覚めて行くってのは、ワタシも教員一族の家系ゆえ、けっこう惹かれてしまう。恥ずかしながら。大反対していた堅い親たちが展開と共にのりのりになるってのはお約束(笑)。
 そうしてもちろん盛り上がりは、最高の演奏ステージがあるわけだ。よく選別したんだろう、ガキンチョがうまいわ、みんな。演技。

 形は違うのだろうが、観劇後の感想は、むかし映画館で観た「ブルース・ブラザース」に極めて近かった。
 chikurinさんと金沢のKに是非観てもらい、感想を聞きたいと思った。
  1. 2005/10/25(火) 17:54:02|
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ことば──一所懸命

 一所懸命
 いまテレビを見ていたら、子供に相撲を教えている人が、負けたこどもに「いっしょけんめいに練習をやろう」と言い、「一所懸命にやろう」と字幕が出たので驚いた。
 ぼくが学校で習った「一生懸命」を「一所懸命」に替えたのは二十数年前である。椎名誠がこのことばをエッセイで取り上げ、「いやあそういう意味だったのか。知らなかった。これからは一所懸命と書くようにしよう」と言っているのを見て、自分もそうしようと思ったのだった。

 ここを読んでいるみなさんが一所懸命か一生懸命なのかぼくは知らない。世間ではどうなのだろう。
 強く覚えているのは、ほんの十年前、「亀造競馬劇場」というのを書いているとき、毎回ゲラがあがってくると「一所懸命」が「一生懸命」に直されていたことである。それをまたぼくが一所懸命に直して送り返した。毎回そうなので編集者に強く言ったが効き目がない。三四回続いたとき、さすがにうんざりしたので、出版社のエラい人を通じてやめてくれと申し込んだ。それでやっとなくなった。
 これは校正する人が「一所懸命は一生懸命のまちがい」とバカのひとつ覚えをしていて頑固に直していたのだろう。「校正のアルバイト」というのがあるそうで、作家予備軍の人たちがよくやるそうだ。ぼくも何人かむかしやっていたという現作家を知っている。そういう人はマニュアル通りになんでも直してゆくらしい。物書きの世界ですらそうだった。たった十年前である。

 昨年だったかchikurinさんが高島俊男さんの『お言葉ですが…』を読み、そこで「一生懸命となっていたがあれは高島がチェックを見逃したのだろう」と書いていた。ぼくもそう思う。高島さんは一所懸命と書く人だ。高島さんの原稿ですらそう直してしまう人がいる。それも昨年である。世間はまだまだ「一生懸命」なのだ。

 だからこそおどろいた。テレビである。しかも子供をとりあげた番組だ。中には一生懸命の間違いと思った視聴者もいたのではないか。賢い子供ほど学校で教えられたものと違うと反応する。
 こういうことに対してテレビは最も保守的だ。保守的? ちがうか、なんていうんだ。要するに波風を立てない事なかれ主義だ。たとえば退廃を頽廃と書いたりはしない。地面を「ぢめん」と表したりはしない。文部省的決め事にすなおに従う。それはルール遵守ではなく事なかれ主義だ。珍しいものを見た気分だった。
 この番組だけが特殊だったのだろうか。しばらくはテレビ字幕の「一所懸命」が気になりそうだ。
  1. 2005/10/22(土) 08:16:00|
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風呂の習慣──西洋式に慣れる

 外国旅行を頻繁にしているうちに湯船の中で体を洗う癖がついてしまった。西洋風の横長のバスタブである。慣れてしまうと快適だ。ホテル住まいであるからどんなに汚しても風呂を洗う必要がない。年の半分をこれで過ごしていたのだから根付くのは早かった。

 田舎では家族が一杯の湯に入る昔風である。それを実現するためにいつも終い湯に入っていた。これだとお湯を汚しても私で終わりだから関係ない。運良く田舎の風呂桶も、むかしは檜だったり杉だったりの和風だったが西洋風の横長のホーロー風呂桶になっていた。明け方に鶯の鳴き声を聞きつつ入ったりして楽しんでいた。

 ちょうどこのころ兄は関西方面に単身赴任をしていたらしい。するとのちに兄嫁に聞いたのだが、しっかり風呂桶に、しかも日本風の縦深の風呂桶に肩までつからないと入った気にならない人だったのに、ひとり住まいで風呂を洗う煩雑さからかすっかりシャワー党になったそうである。また家族と住むようになってももう風呂には入らなくなっていたとか。生活からの習慣はいろいろだ。

 そして今、ひとり住まいの日本風縦深の風呂で、西洋風に風呂桶の中で体を洗っている私がいる。体を伸ばせないし不自然なのだが、風呂の湯はきれいにしたまま、外で洗うという日本的な習慣を失くしてしまった。自分で金を出せばこのマンションをいじっても文句はないそうだから、餘裕が出来たら西洋風バスタブを入れたいというのがささやかな希望になる。

 しかしそれ以前に風呂の掃除がすっかりイヤになってしまった。気持ちよく風呂桶の中で体を洗い、泡だらけになってお湯を流したあとには、オレの体はこんなに汚いのかとうんざりするぐらい湯あかがこびりついている。こ、こんなに抜けてしまった! と思うぐらい抜け毛がある(笑)。
 これも入ったあと、すぐに洗ってしまえば、まだ湯あかもこびりついていず掃除も楽なのだが、風呂上がりのいい気分のときにそんなことはしたくないと翌日に延ばしたりするからよけいに惨めなことになる。

 果たして煩雑を伴うが快適を求める心と、快適を捨て煩雑を嫌う心のどっちが勝つやら。
  1. 2005/10/19(水) 08:43:11|
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楽天のTBS問題──小泉首相靖國参拝

 楽天のTBS問題
 朝のワイドショー・フジテレビで楽天三木谷社長生出演を観た。
 ジャーナリストがテレビは娯楽だけではなく報道という使命があり、それをどう思うかと三木谷さん(以下敬称略)を問いつめる。まるで今のテレビ報道が正しい公共性に支えられていて、楽天がTBSに関わったらそれが失われるという論調だ。ちゃんちゃらおかしい。今のテレビ報道なんて自分たちに都合のいいように解釈した好き勝手じゃないか。中でもTBSとテレ朝のゆがみ具合がダントツだ。テレ朝がたけしの尽力等によって傾向の違ったものもいくらか根付いてきたのに対し、TBSはチクシやセキグチヒロシを先頭に最も歪んだ報道をしている。
 そしてマスコミは決して詫びない。三木谷は「たとえば日本テレビは先日私のTBS株保有を20%以上と誤って伝えたが、その後訂正も詫びもしていない」と口にするにとどめたが。

 このジャーナリストは岩上安身という人で嫌いではないのだが、今回に限っては、正義のジャーナリストがジャーナリズムのなんたるかをまったくわかっていないぽっと出のインターネット企業社長をバッサリ斬る、とでもいうように、みょうに力みすぎていて不愉快だった。
 私は楽天なんて利用したこともないし三木谷のファンなわけでもない。岩上の「報道とは至高のものだ。私たちジャーナリストは日々苛酷な状況の中で戦っている。あんたはそれがわかっているか!」という論に疑問を感じただけである。真の報道は至高だとしてもテレビのそれがそうだとは思えないし、ジャーナリストがみなそれほど高潔な努力をしているとも思わない。最後の三木谷につきつけたその質問も、べつに三木谷がそれをわかっている必要はないだろうと思った。岩上は何度も三木谷に対し、「あなたは報道をどう思っているのか。ジャーナリズムがわかっているのか」と繰り返した。

 岩上は三木谷が記者会見で述べたTBSの魅力が、実例としてあげた『水戸黄門』のような娯楽番組のみで、もうひとつのテレビの使命である報道に触れていなかったことが不満のようである。ジャーナリズムをわかっていない成金の若造に神聖なる報道機関が侵される危機、とでも言うべき論調だった。
 三木谷はそれに対し「私はパキスタン地震ももっと報道すべきだと思ったし、アメリカの台風被害でも、日本というのは自分たちに関係ないことは報道しない国だと思った」と述べ、報道に興味をもっていることを主張した。岩上が名譽毀損うんぬんを例にとってジャーナリズムの責任を話したときは、「私はそういう人たちといくつも裁判をやっている身ですから」と言って笑わせた。
 私には、報道の自由だとかジャーナリズムだとかを盾に、愚にもつかない情報を好き放題に垂れ流しているマスコミの方がよほど悪質に思える。

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 『週刊文春』がタナカマキコの娘が結婚してすぐに離婚したと大仰に報じたとき、タナカ側が訴え裁判所から発売禁止の処分が出た。現実的にはすでに何十万部も販売され、3万部を差し押さえたにとどまったが。前代未聞の出来事であり大きな話題となった。
 そのことに対し多くの言論人が報道の自由が奪われると大騒ぎした。例によって「戦前の暗黒時代」とか「大政翼賛会うんぬん」の文字も躍った。私の信じるジャーナリストもみな「タナカカクエイの孫、タナカマキコの娘というだけで一般人ではないのだから報道されても仕方ない」と口を揃えた。
 しかし私には、タナカマキコのことならともかく、その娘が離婚したと大々的に記事にする週刊誌の方が腐っていると思えた。週刊誌の売り上げは30万部程度でも大新聞にも広告が載り、そこにおおきな見出しで報じられるのだから、そのことを知る国民は何千万人にもなるだろう。タナカマキコの娘というだけでそのような個人的なことを日本中に知らされなければならないのかと疑問に思う。タナカマキコは大嫌いだけれど、そのこととはまったく関係なく、強くそう思ったものだった。『週刊文春』はそれまでもタナキマキコ批判をして犬猿の仲である。この記事はその延長線上にある私的なものだろう。どう考えても「報道の自由」とか「公的な話題か私的な話題か」と論じるレヴェルのことではない。

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 三木谷は「たしかにあなたの言うように私には知らないことがいっぱいある。報道の専門家でもない。だから持ち株会社のしたに楽天とTBSが所属するようになっても、自分はTBSの社長にはならなくてもいい」と言った。たしか「ならないと言っている」と発言したように思う。
 岩上のリクツだとテレビ局の社長は報道とはなんたるかを理解した人がなるべきものだとなる。現状肯定の三木谷批判なのだから、今のテレビ局の社長は、そういう立派なジャーナリストがなっていることになる。だったら今のテレビ報道のいいかげんさはなんなのだ。
 三木谷は今後の展開でTBSが楽天のものになっても自分はTBSの社長にならないと言ったが、三木谷が社長になったためにTBSの報道が今より質が落ちることはあるまい。だって落ちるところまで落ちているから(笑)。むしろ三木谷が社長になり自分の意見を通したなら今よりも良い方向に向かう。すくなくとも三木谷は北朝鮮シンパではないだろうから。

 岩上がなぜそんなにむきになっているのかまったく理解できない番組だった。だいたいジャーナリストなるものが「私たちジャーナリストは」と大上段に振りかぶった発言でまともなものを聞いたことがない。

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 小泉首相靖国参拝
 チャンネルを替えたら日テレが「今日小泉首相が靖国神社参拝をします」と伝えた。驚く。なぜ? と思ったが今日は秋の例大祭であり良い日であると知る。
 よかったなあ、リアルタイムで知ることが出来て。こういうのは自分の目で見ねばならない。あとからテレビ局の思惑が被さったニュースで観ると目が曇る。
 これが8時40分ぐらいか。参拝は10時過ぎだというのでパソコンに向かいつつ、点けっぱなしのテレビを時々覗く。部屋が違うので10分に一度ぐらい行く。またも「テレパソだったら」と思った。
 相変わらず居室・寝室の上はもううるさい。そうそう、フジのワイドショーを観ていたが天井がうるさいから仕事部屋に行こうと思っていたときにちょうどこのニュースが流れてきたのだった。あぶなかった。

 最近吉本興業に所属してコメンテイタとして活躍している勝谷誠彦が日テレでこのことの解説をした。彼は「先週からもう今日のテーマはファンドに決まっていたのに、急に変わったものですから」と弁明しつつ解説を始めた。村上ファンドの話題からファンドについて説明する予定のようだった。とはいえ勝谷のこれまでの靖國参拝をした首相の期日をフリップにし、例大祭を説明した解説はわかりやすく深く、たいしたものだと感心した。同じくゲストコメンテイタで出ていた橋本首相の元秘書だった衆院議員がバカだったのでよけいにそう感じた。

 勝谷といえば西原理恵子の著書に登場する「ホモのかっちゃん」である。そういうキャラづけ(=ヤラセ)はよくやることだ。でも勝谷の撮った写真を現像したら、みんな少年のお尻や脚ばかりだったというあたりは作り話とも思えないからそうなのであろうか。ゲイというのは一瞬でわかるものだ。あの「おじいさんの時計」なんてのを歌っているきれいな声の歌手も早くカミングアウトすべきだろう。誰もが知っていることなのだから。でも勝谷からゲイ光線はあまり感じないのだがどうなのか。

(後日註・勝谷のさるさる日記を見ると、
《4時起床。篠突く雨の中小泉さんは靖国神社参拝を行うのだろうか。私がちょうど『ザ・情報ツウ』のスタジオにいる時間の参拝が最も有力視される中で現場は臨戦態勢である。選挙では参拝問題を全く争点にしなかったというのはルール違反だがそれには目を瞑ってでももちろん私は参拝を支持する。なぜならそれはこの日本国に殉じて亡くなっていった方々への不可逆な約束だからだ。これからのことを論議するのはかまわない。しかしもはやその論議に加わることもできない人々との約束を反故にしろなどと言える連中のことを没義道という。》
 
とある。首相が今日靖國参拝をするかもしれないともう知っている。この情報はいつ流れたのだろう。私は今朝の8時半まで知らなかった。)

 10時を過ぎると各局が靖國にカメラを構えた。全局を回して観たが、NHK教育とテレ東がしらんふりだった。3チャンネルは総合が流しているのだから当然として、ここのところ他局と足並みを揃えているテレ東のしらんふりは意外だった。テレ東は一時、「一番外地」と揶揄されることに反発してか、タナカマキコだのスズキムネオだののとき、他局と同じように特番で放送を始めた。それは視聴率0.1%とかひどいものだった。ここに来て「もういいもん」と居直ったようだ。それでいいだろう。なにも全局が同じ事をする必要はない。

 小泉首相は例年と違い平服だった。神道の基本である「二礼二拍手一礼」もしなかった。ズボンの右ポケットから賽銭を出して投げ入れた。コインだったから500円か。30秒ほど頭を垂れて、それでおしまい。
 解説人は平服だったことや略式作法だったことを中韓に気を遣ったと説明していたが、私は違うと思う。紋付き袴で行くと、「選挙大勝で奢っている」とアサヒシンブン的マスコミが騒ぐことを敬遠したのだろう。

 しかしこんなことはどうでもいいことなのだ。それこそ新聞の「首相の一日」欄にちいさく載ればいいことであって、全テレビ局が生中継することの方が異常だ。靖國参拝問題なんてのは、売国奴アサヒが火を点けて外交上手の中国が金をむしり取る手口に利用しているだけのことである。まったく有人宇宙船をとばすほどの先進国に総額3兆円もの開発援助をしているのだから呆れる。大国に対して失礼であろう。即刻やめるべきだ。中国はそのことを公表しない。よって国民は一切知らない。それでいて自分のところのシンパ国に日本からむしった金をバラまきいい顔をしている。日本ほど外交下手の国はない。なんで戦没者慰霊をすることが外交ネタにされるのか。

 ともあれ行ってくれてほっとした。
  1. 2005/10/18(火) 07:17:13|
  2. 総理大臣
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自民党女議員の英語力

外国人記者も絶賛…


自民新人マドンナ、英語講演小泉シスターズ勢ぞろい!! 衆院選で初当選した自民党の片山さつき(46)、佐藤ゆかり(44)、猪口邦子(53)の3氏が13日、東京・有楽町の日本外国特派員協会でそろって講演。しかも英語オンリーで通訳ナシ。「マドンナ・オブ・リフォーム」(改革のマドンナ)はさすが国際派だ!サンスポより

 リアルタイムで見た。昨日は国会中継もあり忙しい(?)一日だった。夕方には楽天のミキタニ社長のTBS株取得の記者会見も始まるし、たいへんである(笑)。

 三人ともよどみなく英語を話し、専門用語の飛び交う立派なものだった。そういう自信があったからこそ出席したのだろうが。
 そんな中、私には、片山の英語はいかにも頭のいい日本人が身につけた日本人的なクセのある日本人英語に聞こえた。一方、佐藤の英語はコロンビア大学、ニューヨーク大学で学んだ在米経験の長いさすがのものに思えた。

 猪口、片山が原稿を手にしながら小難しいことを棒読み的にしゃべったのに対し、佐藤はお二人のようにわたしは原稿を用意していないのでふつうのしゃべりことばになってしまうだろうが、その非礼をお許しいただきたいと言ってフリートークで話し始めた。いうまでもなくそれは英語に自信があったからだろう。カメラは意地悪く佐藤がそう言っているときの猪口と片山の顔を映していた。ふたりともハッキリと顔に「ケッ、クソ生意気に」と出ていた(笑)。

 スピーチの途中、猪口がなんだかむずかしい専門英単語を「あれ、なんていうんだっけ」と片山に尋き、片山がそれを教える場面があった。猪口の方が外国慣れしているが片山の方が単語力はあるってことだ。ま、ど忘れだろうけど。
 片山は、自分は東大を出て大蔵省に入った、これは日本では典型的な官僚コースになると自己紹介したり(笑いをとるために言ったそうだが)、自分は大蔵省でバリバリやっていたのだと経歴を主張した。最近やたら自分は素人ではないのだと前面に出す。そりゃ同じ新人だからと他の有象無象と比べられるのは不愉快だろうが、あまりそれを主張するのもイヤミである。

 というのが私の三人の英語力に対する感想だったのだが、英語力のない私の意見だからあまりあてにはならない。いちばん流暢だと思った佐藤の英語がじつはネイティブから見たら日本人的発音なんて可能性もある。
 今朝ワイドショーを見ていたら、同時通訳等を三十年やっているという専門職の外人に三人の英語を聞かせ、判断してもらうという企劃をやっていた。こういうのも今日だからであって、昨日だとどこでもその映像は流れていたが、まだ「みなさんお上手ですね」という当たり障りのない評価だけである。それを言えるほどの英語力のある日本人もめったにいない。

 その外人は、佐藤をネイティブのような発音であり、原稿なしにあのようにしゃべることがいかに難しいかと手放しで絶賛していた。猪口もうまいけどいくつか言い間違いがあったと指摘し、片山を日本人英語で発音が悪く、日本人が最も不得手とするRとLの区別が出来ていないと切り捨てていた。
 これはなんらかの経由で片山の耳にはいるだろう。三人の中でも最もプライドが高いと思われる片山が逆上するのが目に見えるようである(笑)。でも私なんかでも「日本人英語だなあ」と思ったのだからネイティブから聴いたらかなりのものだったように思う。ああいうのってのはどんなに頭のいい人が努力しても直るもんではないんですな。

「マドンナ旋風」なんて言いかたはアホらしいが、最初にそれをやった社会党はバカ女の数を揃えただけでなんにもならなかった。小渕内閣も三十代の野田聖子を郵政相にしたりして話題作りを狙ったが効果はなかった。もっともこれでノナカの寵愛を受けたノダセイコが自分を女総理候補とかんちがいする悲劇、いや喜劇は生まれたが。
 なんのかんのいって、女がこれだけ前面に出て能力をアピールした政治的場面はなかった。私は女嫌いでなのですこしも好ましくないけれど、小泉首相の方法論がまたひとつ実を結んだことは事実だろう。女政治家というとドイタカコやツジモトみたいなイメージしかなかったからその意味では好ましい。

 私は、じつは小泉首相も女嫌いなのではないかと思っている。というのは、タナカマキコ、カワグチヨリコを外相、南野を法相と重要な閣僚に女を起用し、ことごとく失敗しているのは、どう考えても女の無能ぶりを世間にアピールするための作戦ではないかと思えるのだ。無能な女ふたりのあとだったから町村外務大臣がいかに頼もしく有能に見えたことか。
 女きょうだいの中の末っ子長男であり今も姉を秘書にしている小泉首相だからそんなことはないだろうが私にはそう思えてならない。女には重要閣僚の外相は無理だと世間にしらしめた効果は大きい。それと比すと今回のはプラス効果だ。今回の女起用は後々あらたな局面を切り開いたと評価されるだろう。
 かといって猪口なんてのはかなりサヨク的な発言をしてきたアブナイ人だ。まちがっても重用する人事はしないで欲しい。それがいまいちばんの心配事になる。

 

  1. 2005/10/15(土) 04:49:13|
  2. 政治
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世界の人口 上位10カ国

世界の人口

































1中国
2インド
3アメリカ
4インドネシア
5ブラジル
6
7ロシア?
8
9
10日本

 日本の人口が減り、昨年の9位から10位になったという。スポーツ紙にあった記事はこれだけ。
 順番を推測してみた。私の知識で確実にわかるのはこれだけである。間もなく1位はインドになる。日本は中国よりインドと仲良くすべきだ。ここにある勘違いは見た目の親近感だろう。中国人は日本人とはすべてにおいて感覚が違う。

 あとロシアがどこかに入る。とりあえず7位に入れてみた。しかしそれでも7カ国。あと三つが浮かばん。どこだろう。いわゆる先進国はずっと下だから発展途上国のはず。どこだろうなあ。
 もしかしたらあのバングラディシュなんて日本より多いのか。狙うとしたらあの辺しかない。あとは……南米はブラジルを出したからもうない。メキシコは日本よりすこし下のはずだ。東南アジアでもいちばん多いヴェトナムで8千万ぐらいのはずだ。

 そういやあこのあいだテレビで見た北朝鮮の観光ガイドの「我が国の人口は7千万人。この北側にはそのうち2千万人が住んでいます」ってのは奇妙で笑った。朝鮮半島に国はひとつであり、自分たちが7千万人の朝鮮人を支配している感覚なのだ。

 あとはパキスタンとかあのあたりか。中東でもイランは7千万ぐらいのはずだし。知っている国が1億ないなら詳しくない国を候補に入れるしかない。
 バングラディシュとパキスタンを無理矢理候補にしても(外れだとしても)もう一カ国が思いつかない。どこだろう。だめだ、ギブアップ。

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 ネットで調べてみる。正解は6位がパキスタン。なんと1億6千万もいる。知らなかった。行ったことないからね。
 ロシアが7位。これは偶然の的中。
 8位はバングラディシュ。1億4千万。ジョージ・ハリスンの歌を昨日のことのように思い出すが、この人たちの人口増加はすごいな。
 そしてとうとう思いつかなかったもう一国はナイジェリア。1億3千7百万で日本より1千万人多い。これは思いつかなかった。いまもナイジェリアが日本より人口の多い国だとは実感がない。
 それと東南アジアでいちばん多いのはヴェトナムではなくフィリピンだった。わずかな差だが。訂正。

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 子供は国の宝であり少子化問題は深刻である。そういうこともあって最近芸能界のきれいどころがやたら出来ちゃった結婚をするが、私はそれに対して好意的である。きれいな娘がいちばん健康的な子を産める年齢の時に生むのはよいことだ。林真理子のような必死の高齢出産や野田聖子のような奮闘は痛々しい。
 これは近年の発想ではなく、以前から「子供を産まなかった(産めなかった)吉永小百合より5人の子を産んだ堀ちえみの方がしあわせ」としばしば口にしていた。そういえば「出来ちゃった結婚」はなにか言い換えるようになったんだった。なんだっけ。


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【附記】
 上掲の表には人口の多い国の順位が入っている。上から中国、インド、アメリカ、インドネシア、ブラジル。7位にロシアをハテナマーク附きで入れて、10位が日本。あとの三つの国を推測するというのが内容である。
 投稿欄には表示されるのだが投稿すると見えない。空の表になっている。ブログってのは表の投稿は出来ないのか。ブログは便利だと言われるけど画像のUPも面倒だしふつうのホームページの方が私にはずっと使いやすい。
 もっともこれ、無料なんだな。それを考えたらすばらしいことであって文句は言えない。

  1. 2005/10/13(木) 08:58:33|
  2. 世相
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小橋のアメリカ遠征

小橋がアメリカ遠征をした。38歳で初めての海外試合である。『週プロ』には「Living Legend」として熱狂的なアメリカのプロレスファンに迎えられたとあった。

 テリー・ファンクがLiving Legendだと聞いたとき、私の好きだったのはNWA世界チャンプのドリーの用心棒としてがんばる二十代半ばの荒々しいテリーだったから、しみじみと時の流れを感じたものだったが、小橋がそうだとなると戸惑いを隠せない。テリーの場合は自分が高校生の時でありそれだけの時が流れているから、誰でもいちばん甘酸っぱい思いを抱いているのは少年期だとでも言い含められるのだが、小橋に関してはハンセン、ブロディのあたりのセコンド(というか身の回りの世話)をしていた短パンの前座時代がついこのあいだのように思えるからだ。二十歳でデビュして三十八だから二十年近く前のことにはなるのだが。

 しかしそのあと『週プロ』の「超満員の観衆」「熱狂的な歓迎」に続く「観客千人」を観て、なんとも複雑な気分になった。写真を見ればわかる。こりゃ田舎の町の体育館である。そういうことかとわびしくなった。

 スターになる日本人プロレスラーは海外武者修行からの凱旋帰国というのが力道山ブロレスから馬場、猪木時代、今にいたるまで一貫した流れであった。東プロから復帰する猪木なんぞもUSヘビー級なんてインチキベルトを急造してチャンプになって箔をつけたりした。佐山、前田から三沢、川田にいたるまで同じ。そんな中、唯一海外武者修行をせずにスターレスラーになったのが小橋だった。馬場がもうアメリカンプロレスに学ぶものはない、行く必要がないと判断したからであり、それは正しい意見だったが、それに納得しつつも小橋の中にアメリカに対するひとつの憧憬が生まれたのも確かだろう。
 馬場自身はWWWFでニューヨークのマジソンスクエアガーデン、NWAのキールオーデトリアム、WWAのロスのオリンピックオーデトリアムと当時の三大団体でメインを張る希有な体験をしている。馬場だけの勲章である。その意味でも馬場と猪木では格が違う。むしろそれに次ぐのはキラー・カーンか。

 このあといくらでも書けるし書かねばならない。本来は長文になるのだが急いで結びとする。
 私の中にも小橋に海外で試合をさせたいという思いがあった。それは外国を知らないかわいい甥っ子に海外旅行をさせてやりたい叔父のような気持ちだった。
 日曜の深夜、そのテレビ中継があったので録画し、のちに楽しみに観たのだが、アメリカの田舎町の体育館で試合をする小橋を観ていたら、ものさびしくなって、なんどもテレビを消したくなった。消してはならないと言い聞かせ一応最後まで観たが気分は複雑である。

 小橋がアメリカのコアなファンのあいだで「Living Legend」であるのは確かである。いつしかプロレスの本場はアメリカから日本に移り、WWEの大味なショープロレスに飽き足らないアメリカの真のプロレスファンは日本のプロレスに憧れるようになった。彼らが年間ベストレスラー、ベスト試合として選ぶのは毎年三沢や小橋だった。ごくごくちいさな世界ではあるが真実である。

 だからノアが箔付けのために名前を借りているハーリー・レイスの地元で行われたこの「町の体育館のプロレス」でも、小橋を観られてうれしくてたまらないというコアなファンもいたと信じたい。だけどかわいい甥っ子に思い切りアメリカを満喫して来いよと送り出した気分のおじさんとしては、なんとなく、すまんなあ、こんなつもりでは……の気分を払拭しがたい試合だった。

 勇んでタイトルだけ書きヴィデオを観た。これらのことを連綿と書きつづるつもりだった。だが観たらもう文章を書きたくなくなった。がんばってこれだけ書いた。いま書いておかねば書く機会がなくなる。救いは、小橋はこの遠征をすなおに喜び、得るものがたくさんあったと目を輝かせているだろうってことだ。

  1. 2005/10/11(火) 14:09:45|
  2. プロレス
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三平の思い出

 三平の思い出
 明け方、『竹林亭白房』を読む。三平の話が懐かしかった。
「昭和54年は亡くなる一年前」ということは三平は55年に亡くなったのか。今年は昭和80年だからもう25年前になる。月日のたつのは早いものだ。西暦で1925年生まれの80年死亡。享年55歳だから早い死だ。
 いっ平に「昭和のスターはおれと美空ひばりとおまえの父さんの三人だよ」と言って感激させた石原裕次郎は1934年生まれの87年死亡で53歳。美空ひばりは1937年生まれで1988年死亡だから51歳か。昭和の三大スターはみな早死にだ。
 長島は1936年生まれか。三大スターよりぼくには長島の方が偉大だ。

 三平が苛酷なリハビリを根性で制して復帰したのを見たのは「徹子の部屋」だった。chikurinさんが見たというヴィデオで、昭和54年に元気に高座を勤めているのなら、ぼくの観たまだ麻痺の残っている痛々しい状態で出た「徹子の部屋」は何年なのだろう。

「徹子の部屋」の放送開始は1976年(昭和51年)2月2日と知る。来年で30年か。たいしたものだ。ぼくが見たのを昭和52年か53年と仮定すると、ぼくは荏原町にいたときになる。なにしろ学生時代に武蔵小山に6年、卒業して荏原町に3年、そのご旗の台に20数年、とそれがぼくの東京住まいのすべてにる。三カ所とも歩いて20分以内。東京に三十数年住んだといっても品川のごく一部しか知らない。
 時間的には荏原町になる。でも見たという想いがない。どうしても旗の台になる。とするなら、昭和54年に旗の台に引っ越しているから、三平の出演はchikurinさんが見たVTの高座と近くて、快気祝いの宣伝も兼ねた昭和54年のように思える。ぼくの感覚ではそうだ。まあこういうのもネットで調べればわかることか。

 と、ここでぼくの見たその「徹子の部屋」の三平がヴィデオで発売になっていると知る。36分で3800円とか。いろいろやっているんだねえ。その他、故人シリーズが続々発売になっているようだ。死人で商売か。そのうち黒柳自身が故人になるだろう。でも好きな人には貴重な映像になる。だったら月日もわかるはず。と下手な検索だがすこしがんばってみる。
「徹子の部屋 応援サイト」というのに五十音順で過去の出演者があるので「は」を調べたら、出てきたのは林家いっ平。めちゃくちゃ新しいものしかない。これじゃ役に立たない。
 その2003年のいっ平出演の時に黒柳が「つい昨日のように思うけどもう22年前」と言っているから三平は1981年の出演か。1981年は昭和56年。もう死んでるな。なんだかわからん。chikurinさんにヴィデオを購入してもらって教えてもらおう。ディスプレイに表示されたヴィデオパッケージを拡大して日附を見ようとしたがボケてしまって確認できなかった。

 談志の語る三平の話が好きだ。談志がむちゃくちゃしても決して三平は怒らない。あれはすごい。怒らないから怒らせてみようとめちゃくちゃする談志の気持ちもよくわかる。
 若い頃、村松友視さんが寄席のトイレで三平と出会ったら(出演者も客も同じトイレだったんですね)、一客に過ぎない村松さんに、三平は額に指をかざし、「どうも、三船敏郎です」と言ったそうな。これは色川武大さんの文で知った。サーヴィス精神旺盛(笑)。
 幼いころのいっ平は三平が誰にあっても「どうも、加山雄三です」と言うものだからずっと父の名を加山雄三だと思っていたとか。ある日テレビ局で誰かに三平さんと声を掛けられ「どうも、加山雄三です」と言って振り返ったら本物の加山雄三だったとか。「どうもすいません」とこれは本気で謝ったそうな。時代に合わせて三船敏郎から加山雄三に代わっている。

 chikurinさんが三平の中に歌奴、圓歌とたびたび登場すると書いていた。当時のふたりは必ずそれをやっていた。歌奴の得意なのは「三平が戦争に行ったから日本は負けた」だった。
 圓歌はどうにも好きになれないが、協会長である彼の権限によるこぶ平やいっ平の出世のしかたを見ると、三平とは本当に親友同士だったのだろうと、この点だけほのぼのとする。圓歌の思い出話に、当時三人会をやっていたが(もうひとりは誰だっけ?)、三平は新作なんか作ってこずいつもあの調子だったというのがある。それでいて懸命に新作を創って披露する自分よりも受けていたからむなしくなったそうな。

 こぶ平やいっ平の強引な出世とはいえ落語界なんてのはもともとそういうところだ。温厚と言われる文楽あたりもずいぶんと強引なことをしている。ふと悩み、そのことを師匠に相談したら、「なにいってんだ、おまえを27で文楽にするときだってたいへんだったんだぞ。悩むな」と言われたとか。そういう世界である。

 文楽は三平が好きでおもしろいおもしろいと笑っていた。圓生は三平が大嫌いで否定していた。あの圓生独立騒動のとき、さすがに穏和な三平も真っ先に独立騒動から身を引いている。談志や志ん朝、円楽、円鏡を引き連れて、本家が留守になるような大異変だったが、最初のつまづきが三平の脱落だった。圓生をトップとした世界に行く気だけはなかったのだろう。芸は達人だが、あのキツい性格の圓生にいじめられた三平が気の毒になる。もっともそれは寄席という狭い世界だけの話であり、一般的には遙かに三平の方がメジャで大金を稼いでいたのだから同情には値しないか。

 三平というと、なぜかやたら老けていた馬生を思い出す。協会副会長になった馬生が三平を見ながら、「これからは三平さんたち若い人の時代で」と言ったので、すかさず三平が「師匠、ぼくのほうが年上です」と言ったという実話は思い出すたびに笑える。

 かといって子供のころからゲップが出るほど見てきた三平を大好きだったかといえばそうでもない。ワンパターンでつまらない人だと思っていた。ただ子供心にも、ここまで恥も外聞もなく笑いをとるためにはなんでもすると徹する姿勢はすさまじいなと感じていた。

 chikurinさんが行くという12月のこぶ平の高座(正蔵襲名)が好感に満ちたものになることを願っている。でも祖父の正蔵も父の三平もああいう芸風だったんだから、なにもこぶ平が無理して古典落語の名人を目指す必要はないんだけどね。こぶ平が天国の父に語りかける「父さん、どうしよう、おれ、古典落語が出来ない」に、父が「安心しろ、おれも出来ない」と応えたりするくすぐりが好きである。あれでいいんじゃないかと思うけど、きっとこぶ平は古典の大ネタに挑戦するのだろう。口上とか、大阪公演での周囲を誰が固めるのかも興味深い。

 三平の思い出とこぶ平がんばれと書いたことは本意だが、「徹子の部屋」の調べものでつまらん時間を消費してしまった。もったいない。
  1. 2005/10/08(土) 04:30:50|
  2. 落語
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ことば──ブログはなんの略?

 ブログはなんの略?

 今やネットの必須語である。なんの興味もないが相変わらずパソコン雑誌だけはオタク的に読んでいるのでそこそこ理解している。つもりだ。

 先日、映画「Last Samurai」を見たときだったか、スタッフの名前を知ろうと検索をしたらいくつもの映画サイト、いやサイトではなくブログにぶつかった。それで知ったのは、「きょうラストサムライを見た。おもしろかった。みんなはどう思うか」と主催者が問うだけで、ああだこうだと数多くの投稿が寄せられるという現実だった。

 そういうところには必ず礼賛者ばかりではなくこの映画をボロクソに言い、反感を招くお騒がせ屋が登場する。それはまた場を盛り上げるスター(?)でもある。彼のボロクソに言う姿勢に多くのトム・クルーズファンが反発する。彼もまた映画オタクとしての豊富な知識があるものだから、そもそも時代劇映画とは何か、と古い日本映画を例に出して礼賛者をやりこめたりする。

 とはいえ『T-thai(定退)』騒動の『ゴルゴ13』の項で書いたが、こういうファンはトム・クルーズさえ出ていれば何でもいいのだから、リクツで論じる問題ではない。なにを言われてもへこまない。よってああだこうだのやりあいはあっと言う間に百を超える応答となり、加熱して盛り上がって行く。
 ブログの主催者はうれしい悲鳴をあげる。人と接触したいという寂しがり屋にとって、簡単なテーマを掲げるだけで一日に百人もの人と接する(?)ことが出来るのだから最高のおもちゃだろう。こういうメジャな映画をテーマにしたブログは、かっこうの道具になるのだなと感じたものだった。

 というようなことは本題ではない。この言葉に関して言いたかったのは以下のたったひとこと。
「ブログとはウェブログの略」
 つい最近これを知ってアチャーという感じだった。それこそ長たらしい英語のいくつかの文字をとってのブログだと思っていたのだ。ナサ(NASA)のように。ところが単にウェブログの下三文字であるらしい。なんだかなあ。渡辺謙をナベケンと呼ぶ程度の省略だった。どっちらけ。


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kamezo註・新たに書いている時間がないので丸一年前の未UP原稿でお茶を濁す。私がブログということばを知ったのはちょうど一年前らしい。ほんの一年前の文章なのに色あせた文章だ。こういう一種の流行りコトバを語ったものは滑稽である。もう一回りすると、懐かしい文になるのか。

  1. 2005/10/06(木) 20:11:37|
  2. ことば
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イージーリスニング調のLittle Wing

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 インターネットラジオを聴いていたらイージーリスニング調にアレンジした「Little Wing」が流れてきた。なるほど、こんな料理法もあるのかと感心する。SRVのやったジミヘンを凌ぐジミヘンとはまた違った味付けだ。
 調べると「Ottmar Liebert + Luna Negra」という演奏者らしい。ネットで情報を集めようと思ったが日本ではあまり人気のないフラメンコ系のギタリストらしく欲しいものが集まらなかった。
 サイトに繋いで検索したがどこにも見あたらず。該当作品なし。う~む、不人気なのか。AmazonにあるCDも輸入物ばかり。参考になりそうなレビュウもひとつもなし。前途多難。

 ジミヘンが死んだのは1970年の9月。ちょうど35年か。奇態ばかりが目立つ人だったが天才プレイヤであったことが時とともに輝きを増すのだからすばらしい。SRVのような天才ギタリスト(彼は寝るときもギターを手放さず努力の人との評もあるが)が彼を慕うのは当然としても、いい曲でないとこんな形での復活はありえない。Ottmarは間奏の部分もジミヘンをなぞっていた。もっともLittle Wingは全部込みでLittle Wingなのだが。

 そんなにジミヘンを認めるなら毎日のように愛聴しているかとなるとまた話は別。タイで買ったLP詰め合わせセットCDを持っているのでたっぷりとジミヘンは入っているのだが、仕事中iTunesから彼の荒っぽいテイクが流れてきたりするとジャマなのでとめてしまうことの方が多い。志ん生じゃないが駄テイクも多い人だ。それと、ジミヘンもやはり麻薬で死ぬように決まっていたように思う。生きていてくれたら……とは思わない。生きていてもまだ63歳なのだけれど。

 Amazonで試聴をやっているようだからそれで確認し、3曲以上気に入ったら買おう。1曲がいいからと安易にアルバムに手を出すと苦い思いをする。まあフラメンコ系のギタリストがフュージョンのようなことをしたのだから、まさか大嫌いなRapがあるはずもないし、だいじょうぶだろう。こういうのはレンタルヴィデオ屋にはない。売れ線を置くのだから当然だけどひどい品揃えだと思う。でも中高生がメインならああなるか。M先輩に見本盤をもらえる当てもない。先輩は不要の見本盤をくれるのだがこれは先輩のところにも来ないだろう。図書館にも来るはずはない。とはいえ「もしかしたら」はここがいちばん可能性があるかもしれない。時に妙なモノがあったりするから。
 となると自分で買うしかない。

  1. 2005/10/05(水) 04:07:17|
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初めて見たマーク・ノップラーの指先

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 初めて見たノップラーの指先


 クラプトンのライヴDVDを観る。不勉強なのでクラプトンとマーク・ノップラーの競演がヴィデオになっているなんてまったく知らなかった。ということで調べてみたらクラプトンの映像ってDVDで百種類も出ていると知る。ぼくは10枚ももっていない。映像蒐集には興味がないし、その傾向はこれからも変わらないだろう。
 


 マーク・ノップラーのライヴ映像を観たことがなかった。今ほんのすこし観ただけだが、うれしい気分で書いている。ぼくもエレキを指引きするので彼の奏法を目にすることは興味津々だった。


「悲しきサルタン」の発売は1978年。オーストラリアのラジオのパワープレイで火がつき、本家のイギリスでヒットし、全米シングルチャート4位になったのが1979年だから、ぼくがシングルレコードを買ったのはたぶんこのころだろう。あのノップラーのストラト指引き早弾きは新鮮だった。

 Dylanの「Slow Train Coming」は最高だったし、彼を起用したディランの眼力にも感服した。
 彼はその後ソングライターとしても活躍する。だが元々ディランに傾倒していただけあって難しい路線に行ってしまったようだ。強く記憶に残る人だったがその後のアルバムは追いかけていない。



 近年チェット・アトキンスとの競演盤を入手して愛聴していた。一見意外なようだが流れとして十分にありうることだった。ノップラーのあの奏法の基本はトラビス奏法の流れをくむカントリー系のテクニックだ。


 クラプトンがサイドギターを弾きつつ「Cross Road」を唄い、ノップラーがスリーフィンガーでリードを弾くのを観るとはまさに至福の時間である。


 まだほんの始まりの部分を聴いたばかり。このあとどんな展開が待っているのか。
 


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 このDVDは1988年にサンフランシスコで開催された「Plays Shreline」のライヴ。Amazonの78枚の作品リストに載っていなかったのだ。この写真も外国のサイトから探してきた。
 この年の12月にこれとほぼ同じメンバ(つまりクラプトンとノップラー)で日本公演をしていることも初めて知った。と書いて、友人が大騒ぎしつつこれに行ったことを思い出した。忘れていた。
 もう17年も前である。ノップラーは49年生まれだからこのとき39歳。だいぶ薄くなっている(笑)。今はどうなのだろう。

 先日Jazz Lifeで見たラリー・カールトンのハゲ頭には心底おどろいたものだった。金髪長髪のかっこいい時代しか知らない。でもベースを息子が担当しているのだから時が流れているのは当然だ。髪の毛を失うのとは男の自然。要はその代わりに何を得るかだ。

  1. 2005/10/04(火) 03:30:23|
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テレパソへの興味──国会中継

  テレパソへの興味
 下衆なテレビと神聖な仕事道具であるパソコンは私の中では最も縁遠いものである。昨今テレビとパソコンはますます連携度合いを強めており、今やメイカ製パソコンの主流はテレビとパソコンの合体したテレパソなるものである。それは私にとって興味対象外であった。
 パソコンで受信するテレビが話題になると、早速PCI接続のテレビ電波受信カードを挿したりしてやってみたりしたが、それは純粋にパソコン自作の範疇であり、現に成功したがすぐに外してしまっている。私には、大切なパソコンでテレビなんぞを受信したらパソコンが汚れる、という感覚がある。

 しかし今日のように朝から国会中継があり、テレビとパソコンを往復する生活をしていると、パソコンにテレビがあったら便利だろうなと思う。
 今日は朝の9時から夕方5時まで中継があった。こういうものを好きなだけ見られるのが自宅勤務者の数少ない特権になる。テレビ番組のように質問者と内容、放映時間がわかっていると助かるのだがそれはない。お昼の1時間を抜いただけの連続8時間の生中継番組である。どんな特番でもせいぜい3時間だ。なのに8時間。しかもCMなし(笑)。主演は小泉純一郎。『PRIDE』よりもタフである。好きな人間にとっちゃたまらない時間になる。一方でまた興味のない人にとっては丸一日NHK総合に好きな番組のない退屈な日となろう。神足裕司の名言「年をとるのも悪いもんじゃない。株式欄を見ながら晩酌が出来るようになる」を思い出す。まさか国会中継をわくわくしながら待つようになるとは思わなかった。

 ヤノという知人が若い頃、「いかなる状況でもオナニーは可能か」の実験に国会中継を選び、国会中継の画面を見つつ挑んだそうである。結果、発射まで至ったのかどうかは聞き忘れたが、難関であったろうことは想像がつく。今日映っていたオンナは南野法相と社民党のアベトモコだけだった。3Pでも想像するのか?

 いくら国会中継が好きでも丸一日テレビを見ているわけにはいかない。よってつけっぱなしにしておいて興味ある質問者やテーマと思われるときにだけテレビのある部屋に戻るようにしていた。仕事場からテレビは見えない。大きめにしても音声もかなり遠い。こうなるとほとんど勘頼りである。興味あるテーマを見逃してはならないと思うと気もそぞろで仕事にも身が入らない。
 こんなときテレパソならディプレイの端にテレビ画面をちいさく出しておける。音を消しておいても質問者で内容は判断できるから、そのときだけ見ればいい。テレパソは便利だなと初めて思った。

 しかしまた冷静に考えると、こんなことが必要になることはめったにない。めったにどころか国会中継以外にいま利用法を思いつかない。野球が好きな人なら小窓で流しっぱなしにしているのも楽しいだろうし、歌番組が好きな人ならお目当ての歌手を待つのに有効だろう。私の場合、テレパソの有効な利用法が思いつかない。お笑い番組が好きだけど、これは録画しておいて好きな芸人の所だけ見るようにしている。
 と、ここで「国会中継の録画」を思いついたが、これもなあ、どうもぴんと来ない。大相撲を録画して観てもつまらないように、国会中継もライヴだろう。国会中継のライヴにこだわる気持ちも興味のない人に理解不可能だろうが。
 でもこれだけは言える。ニュースショーは危険である。自分たちに都合のいい部分だけを切り取って放送する。人心操作である。そのことだけは常に意識しておいた方がいい。ニュースショーのやるニュースは事実とはまた違うものだ。障碍者の施設を訪れた際の石原慎太郎発言が、意図的にゆがめたアサヒシンブンと事実をそのまま報道した東京新聞ではまったくちがっていたように。

 もしもテレパソを導入するとしたら、これはもう圧倒的にメイカ製パソコンを買ってしまうのが手っ取り早い。あちらもいちばんそれに力を入れているし、附属ソフトも豊富だから結果的に値段もリーズナブルだ。自作でカードを差し込みビデオ編集のソフトを揃えるのはわずらわしい。本来自作なんてのは走るのに特化したモンスターマシンを作って喜ぶようなものであり、あれこれなんでも揃った便利なものを望むならカローラを買うのが手っ取り早く安あがりなのである。カローラを自作したらいくらかかることか。

 とまあ珍しいことを感じたので書いてみた。おそらく明日からまたテレパソへの興味は消えてしまうだろう。次に顔を出すのはいつの日やら。

  1. 2005/10/01(土) 06:50:43|
  2. NHK
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