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《『お言葉ですが…』論考》──風呂読書のたのしみ──『将棋世界』

何年か前から「風呂の中で本を読む」たのしみを覚えてしまった。
結果、いろんな本がふやけてしまった。
しかし「積ん読」よりはいいのだろう。
どんな形であれ「読んでこそ本」だ。

『将棋世界』も、二十年分を毎日一冊みたいな感じで読み返していたら、ぜんぶふやけてしまった。
水分を吸って波うっている。かっこわるい。
もうしわけない気もするが、「これでいいのだ!」とも思う。

スマホ中毒のひとは、「風呂の中でもスマホ」なのだろうか。

●《『お言葉ですが…』論考》──風呂の中で読む
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  1. 2015/08/21(金) 03:24:27|
  2. 読書

藤圭子&沢木耕太郎「流星ひとつ」考.25──私のロカ岬と「深夜特急」、テレビ版「深夜特急」

shinyatokkyu

 ポルトガルの西の外れにロカ岬がある。ユーラシア大陸最西端の岬だ。「ここに地終り、海始まる」の碑が建っている。私が初めてここを訪れたのは1991年の秋だった。島国育ちの日本人らしく、あちこち異国の端っこに行くのは好きだが(笑)、べつに大航海時代を偲んでやってきたわけでもない。沢木耕太郎の「深夜特急」に感激し、悩んだ末に彼がゴールと決めたロカ岬に、自分も行きたいと思ったのだ。「深夜特急」を読んでいなければ来るはずのない地だった。

 それでも見渡す限りの海を見れば、「地球は丸い」が定説ではなかった時代、ここから航海に旅立つのは度胸が要ったろうと感激する。丸いと知っているから丸く見えるが、あのころは海の果ては轟々と瀧になって落ちていると思われていたのだ。

 新大陸なんていいかたは、侵掠者のキリスト教信者白人から見た解釈であり、元々の住人はそこにいるのだから「新」であるはずもない。白人の征服主義、キリスト教の侵掠が世界をおかしくしたと考える私だから、「深夜特急」のゴールの地に行きたいと思わなければ、その出発点であるこの地は縁のない場所だった。


 
 沢木が藤とパリの空港で会ったのは、このユーラシア大陸横断の旅が終り、そろそろ日本に帰ろうとしていたときだったのである。なんとまあいろんな運をもっているひとであろう。しっかりそれが後に繋がっている。この旅を十年後に沢木は「深夜特急」として世に出し、高い評価を受けるのだが、それより五年前、旅の終った五年後に、しっかりとそのときの出会いであるこれをこの(未発刊ではあったが)『流星ひとつ』で役立てていたのだ。

 私が背筋をゾクッとさせたエピソードとは、この『流星ひとつ』が、あの「深夜特急」と兄弟だったことにある。「あの、ユーラシア大陸横断旅行から帰国するときに、パリで藤圭子にあっていたのか……」
 ほんとに、沢木さんてひとは「もっている」のだ。

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shinyaDVD

 脱線するが、「深夜特急」と言えば、名古屋テレビが制作しテレ朝系で放送された大沢たかお主演のものを思い出すひとも多かろう。中には原作は読んでなく、「深夜特急」とはイコールこれだというひともいるかもしれない。

 私はこの作品に興味がない。一応我慢して最後まで見たが、なんともはやつまらなかった。理由は明白、これは制作された1996年から1998年の映像だからである。それはもう私の充分に知っている〝世界〟だ。

 私にとって沢木の「深夜特急」が魅力的だったのは、彼がそれを実行した1974年ごろの世界にあり、それは自分の知らない時代の他国だった。だから興奮した。つまりテレビ版「深夜特急」の映像は、すでに世界を巡った私の知っている時代なのである。だから興味が湧かない。さらには「90年代になってからはもうアジアもつまらなくなった」と言われるようになっていた。事実その通りなのだ。その90年代も末期なのだから興味が湧くはずもない。スタッフは当時の雰囲気を出そうと、よく努力していたようだが、現実を知っているこちらからすると、なにをどうしようともそれは私の知っている90年代末期のアジアであり、沢木の旅した時代とはちがいすぎていた。
 
 しかしまた何も知らなければあれはとても良質な番組で、愉しんだひとも多かったろう。だから決して否定ではない。そこは誤解しないで欲しい。あれはああいう世界に憧れる、まだああいう世界を知らない若者には、充分刺戟的なすぐれた映像であったろう。あれをきっかけに世界に飛びだした若者も多いにちがいない。でもあれではもう興奮できない私、もまた個人的真実なのだ。 (続く)
  1. 2014/08/17(日) 13:41:14|
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藤圭子&沢木耕太郎「流星ひとつ」考.24──もっている沢木耕太郎

ryusei

 パリの空港で初めて会った5年後のホテルのバー。1979年。『流星ひとつ』のインタビュー。今回が初めてではなく、前回のパーティも初めてではなく、じつはあのパリの空港のキャンセル待ちのとき世話を焼いた日本人が自分なのだと沢木は名乗り出る。
「あなたは、オレンジ色のコートを着ていました」

 次第に藤の中にも、5年前のパリの空港、おそらくお忍びのプライベート旅行だったのだろう、言葉が通じず困っていたとき、助けてくれたあの長身の日本人青年の面影が浮かんでくる。「ああ、ああ、あのとき、たしかに……」と。
 それがいま自分にロングインタビューをしている新進気鋭のノンフィクションライター沢木耕太郎なのだと知ったときの藤の昂揚感。私もまた「まったく沢木耕太郎ってひとはすごいなあ」と背筋をぞくぞくさせながら読み進んでいた。こんなことを知ったら誰でも運命を感じてしまうだろう。ふたりが恋に落ちる伏線は5 年前に張られていたのだ。


 
 しかしこのことだけを取りあげるなら、それはさほどのことではないように思う。いや充分に「さほどのこと」ではある。だって藤圭子なら、後の奇行で有名になるが、このときだってファーストクラスは可能だったろう。それがなぜあのロシアの、評判最悪のアエロフロートなのだ(笑)。極貧旅行の沢木はともかくも。そういう意味では、ふたりを出会わせるように神様がセッティングしていた、とも言える。だからまあこれだけで充分に劇的な出会いではあるのだが、私が「まったく沢木さんてのはもってるひとだよなあ」と感激したのにはもうひとつの理由がある。



 横浜国大を卒業してノンフィクションライターを志した沢木は、26歳ですでに「若き実力者たち」「敗れざる者たち」と高評価の二冊のノンフィクションを出していた。私は「若き」には将棋の中原さんが、「敗れざる」には競馬のイシノヒカルが登場するのでともに読んでいた。順風満帆な沢木はあまりに順風過ぎる故に、敢えて一度休憩を取る。ここが沢木耕太郎の沢木耕太郎たるゆえんだ。なんともかっこいい。賢い。そしてユーラシア大陸横断の旅に出る。26歳から27歳にかけての一年間だ。その旅もまた大きな自分の功績とする。(続く)
  1. 2014/08/16(土) 13:38:21|
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藤圭子&沢木耕太郎「流星ひとつ」考.21──いま発刊する理由、元夫と実娘の想い、もうひとつのif

ryusei

 34年間伏せてきた作品を、なぜ今ごろ、藤圭子の自殺のあとに緊急出版することにしたのか。「葬式商売」「ひとの不幸で儲ける」との批難は避けられまい。それは完全主義でありデビュー以来爽やか路線を貫いている沢木耕太郎には似合わない。そう言われることを承知でなぜ出版に踏みきったのか。
 沢木はその理由に「後記」の中で触れている。とてもよくわかる理由だったが、同時にある種の確執も生むのではないかと気になった。結果、その通りになる。



 沢木は封印していたインタビュー構成の本──1979年にしたインタビューを2013年に発刊だから34年ぶり──をいま発刊する理由として、藤の自殺後の元夫・宇多田と実娘ヒカルの発言をあげていた。元亭主と娘は藤圭子の死を「長年精神を病んだ末に死んだ」としていた。今までの苦労もいくつか披露していた。それは事実だろう。一緒に暮らしていたふたりの話である。夫と娘の話なのだ。藤のいくつもの奇行からも彼女が精神を病んでいたことは推し量れる。その病の果ての自死だった。
 
 それに対して沢木は、「元夫と娘により、そう片づけられてしまっては気の毒だ。そうではない時代の藤圭子を伝えたいと発刊の決意をした」と言う。これはこれで意義がある。だが他人からそう言われたら、元夫と実娘が愉快のはずはない。なにしろ「6回の結婚離婚を繰り返した仲」なのだ。



 なぜこの時期に『流星ひとつ』を出したかの理由について、沢木は
インターネット上の動画では、藤圭子のかつての美しい容姿や歌声を見たり聴いたりすることができるかもしれない
 とした上で、「だが」と続ける。

彼女のあの水晶のように硬質で透明な精神を定着したものは、もしかしたら『流星ひとつ』しか残されていないのかもしれない。『流星ひとつ』は、藤圭子という女性の精神の、最も美しい瞬間の、1枚のスナップ写真になっているように思える
 とし、娘宇多田ヒカルが、この本を読むことによって初めての藤圭子に出逢えるのではないかと結んでいる。(太字は沢木のことば、そのまま。)
 
 私もそう思う。宇多田ヒカルは、精神を病む前の母親の、権力に媚びない、実にかっこいい精神を見て、我が母に惚れなおすことだろう。ここにある藤の姿はヒカルが生まれる前の、知らない時代の輝きだ。
 
 だがこれは元夫・宇多田に元恋人・沢木がケンカを売ったことにもなる。「アンタは藤圭子は精神を病んで自死したと言っているが、おれはアンタが出会う前の、最高に輝いていた藤圭子を知っている」と言っているのだ。それを本にしているのだ。しかも「元恋人」が。

 藤は、デビューした頃が40キロ、その後は沢木とのインタビューのころの28歳時でもずっと36キロというか細い躯である。私は、藤の肉体にデビューのころから興味はなく、よからぬ妄想を抱いたことすらないが、すくなくともそれを沢木は宇多田よりも前に知っている。その男の、いまになってのこの発言は、元亭主にとって気分のいいものであるはずがない。
 沢木はこの本を宇多田に贈ったらしい。宇多田がそのことにツイッターで触れ、批難しているのも当然の流れだった。



 藤圭子の自殺、親族だけによる葬儀、そして毎度あの一家では定番なのだが、波風を立てる藤の実兄の発言、それに反撥する宇多田父娘の発言、藤の死後、あいかわらずのニュースが続いたようだ。(私はそれらに興味を持って追ったわけではないが、海外から帰国後ネットで調べてそれなりに知った。)
 精神が不安定で、奇行が続き、結果的に年下の男性と同棲していた新宿のマンションから飛降り自殺、という藤圭子の結末は、なんともかなしいけれど、彼女の最後らしいとも思っていた。
 
 しかしそれだけで片づけられ、忘れ去られて行くとしたら、あまりに気の毒だ、自分の知っている藤圭子の透明な精神を伝えたい、という沢木の気持ちもわかる。私はこの本を読んで良かった、よくぞ出してくれた、と思っている。あの衝撃のデビューのころを思い出し懐かしんだ。いい本だと思う。しかしまた家族の「おまえなんぞになにがわかるんだ!」「今更でしゃばるな!」の気持ちも解る。



 そしてまたifとして、あのとき約束通り沢木がアメリカに行き、ふたりが一緒になったなら、藤にはまったく別の人生が展開した、精神を病むことにもならなかったかもしれない。いや、関根と河村が破綻したように、藤と沢木も長続きしなかったかも知れない。どんな道をたどっても、けっきょくは藤は宇多田と出会いヒカルを産んだのかも知れない。

 元夫が藤と沢木のことをどこまで知っているか(=藤がどこまでしゃべったか)知らないが、心の奥底には「おまえだけには言われたくない」のような気持ちもあったのではないか。(続く)
  1. 2014/08/11(月) 13:11:57|
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藤圭子&沢木耕太郎『流星ひとつ』考える⑫──石坂まさを以外の曲「京都から博多まで」「別れの旅」「面影平野」

kyoutokara

 いきなりデビュー曲から師匠・石坂とのコンビで大ヒット曲を連発し社会的現象とまでなった藤は、その後しばらくは従容状態となる。それは演歌歌手としてふつうだったし、そもそも演歌歌手なんてのは代表曲がひとつあれば喰って行ける世界だ。藤はもう一生食いっぱぐれのない宝を手にしていたと言える。しかしデビューからがあまりに凄まじかったからか、陣営はさらなる大ヒットを狙ったようだ。ここで一時石坂から離れて、阿久悠の詞で作品を作る。曲は猪俣公章。それがひさびさの中ヒットとなる「京都から博多まで」。それなりにヒットしたのだろう、テレビの歌謡番組からよく流れていた。私個人は、サビのメロディを覚えている程度。もう藤圭子に興味をなくしていた。


 元々ネオン演歌なんて分野には興味がなかった。今もない。今までもこれからも無縁の世界だ。そんな私に興味を持たせた藤圭子が特別な存在だった。

 ただしJazzを聞くようになって30年以上経った今は、当時コバカにしていたその種のネオン演歌でも本物はすごいとわかるようになった。たとえば青江三奈だ。
 あのイントロの「あはん、あはん」で有名な「伊勢崎町ブルース」が流行ったころ、しみじみくだらん歌だと思った。なんの興味もなかった。大嫌いだった。そしてまた紅白歌合戦というくだらん番組では、あの「あはん」は教育上よくないと、あの部分は青江の周囲に集った応援団(笑)が、笛やホイッスルを吹いてごまかすという演出をしていた。まことにくだらん。いかにもNHK。そういう時代だった。そのくだらん番組を私はもう見なくなっていたが、藤の出ていたころはまだ彼女を見るために見た。見なくなってもう40年経つ。

※ 

 紅白ついでで言うと、藤圭子が紅白で強要される網タイツ姿を拒んだ話が『流星ひとつ』に載っている。これまたよく覚えている。なんだか知らんが番組の真ん中あたりで、女性歌手が全員網タイツになってラインダンスを踊るようなコーナーがあった。NHKなりの精一杯の視聴者サーヴィスだったのだろう。藤は、これを強硬に拒んだ。大NHK様も「全員でやってもらわなきゃ困る」と譲らない。しかし藤は我を通し、島倉千代子らと一緒に網タイツ姿にならない応援団に廻った。と書いて、そうだったそうだったと当時を思い出す。藤は網タイツにならず応援団のほうにいた。正しい姿勢である。しかし新人として(デビュー時ではないがまだまだ新人の時期だ)この我の強さは特殊である。周囲は冷や冷やしたことだろう。『流星ひとつ』では、「躯にも自身がなかったし」「くだらないと思ったし」と、その理由を語っている。NHKから切られる理由は充分にこのころから持っていたことになる。


 当時の私が色気づいたニキビ面の学生として、女性歌手の網タイツラインダンスを楽しんだかというとそういうこともなく、逆に前々から嫌いだったNHKに、完全に愛想を尽かす一要因になった。なんつうか、やることなすことダサいのである。当時はまだダサいということばは流行ってなかったが。
 
 思い出すと、小学生の頃からもうNHKは嫌いだった。「お国自慢西東」だったか、宮田輝というアナが全国を回り、その地の方言で挨拶したりするのが受けていた。父母は大好きだった。楽しみに見ていた。私は反吐が出るぐらい嫌いだった。NHK嫌いの基本は、そういうわざとらしさ、にある。しかし田舎者には受けるらしい。いやそのころの私も誰にも負けないぐらいの田舎者だったが、どうにもこの種のものは受けつけなかった。後に宮田は記録的大量得票で国会議員になる。この種のアナが国会議員になるのの走りである。いま神奈川県知事がアナ出身だ。クロイワ(笑)。そのまたあと「宮本輝」という作家を知ったとき、なんちゅうセンスのない筆名だと思った。これじゃ誰だって宮田輝を思い出す。今じゃもうこっちのほうが有名だけど。


 椎名誠さんの初期のエッセイに「中央線終電の中でウォークマンで演歌を聴く。妙に合う」というのがあった。一種の「風景と音楽論」だ。後に私がタイの田舎をドライヴするときにどんな音楽が似合うかと、日本からカセットテープを大量に持ち込み、実験したのと同じような遊びをすでに椎名さんがやっていた。これが入っているのは「国分寺書店のオババ」か。
 
 そのとき椎名さんが聞いたのが青江三奈だった。「池袋の夜」だったか。もっとマシな音楽を聴けよ、と思った。そのときの私は二十代後半。ロックとブルース漬けの日々を送っていたが、まだ本物がわからなかったのだろう。いまはわかる。たしかに「中央線の終電」に「青江三奈」は似合うだろう。
 
 やがてJazzとClassicの世界に埋没するようになって、埋もれているそこからひょいと頭を出したら、ある日突然Jazzがわかったように、いきなり青江三奈の凄みがわかるようになっていた。すごい歌手だ。
 このひとも朝鮮人である。まこと、朝鮮人の音楽能力には敬服する。


 話、藤圭子にもどって。
 デビューからの4曲、私にとっての藤圭子のすべてである4曲の時、私は田舎の高校生だった。

abbeyroad

「新宿の女」が発売されたのが1969年9月25日。ビートルズのアルバム「Abbey Road」がイギリスで発売になったのが翌日の26日。日本での発売は1ヵ月遅れ、10月下旬だった。
 藤のシングル第二弾「女のブルース」が発売になる1970年2月、私は毎日毎日「Abbey Road」を聴いていた時期である。あのジャケット、ポールだけ裸足なので「ポールは死んでいる」と噂が流れたやつだ。ビートルズ最高のアルバムというと「サージェント」だ「ホワイト」だと意見が分かれるが、私はむかしから断然「Abbey Road」支持者である。理由は、トータルコンセプト、になる。あのB面のメドレーの完成度を見よ。ものの本によると、このB面をポールは誇り、ジョンは否定的だとか。私は断然のポール好きなのでここも納得できる。



 しばらく低迷した藤が「京都から博多まで」をヒットさせるまでに1年半の時間がかかった。その間に田舎の高校生だった私は東京で長髪の大学生になっていた。歌を作る音楽サークルに属し、自己流の作詞作曲に没頭する日々。手本としてボブ・ディランやジェームス・テイラー等のシンガーソングライターの作品を聞きまくる。

neil young-harvest

 藤の「京都から」がヒットしたのは1972年の春。そのころ私が惚れていたのは同時期に発売されたニール・ヤングのアルバム「Hervest」。全曲すばらしく、細部までよく磨かれた歴史的傑作である。「ダメージ・ダン」のコピーに勤しみ、「ハート・オブ・ゴールド」を真似てブルースハープを吹く私に、彼女の歌う阿久悠の歌詞「京都から博多まで あなたを追って 西に流れてゆく女」は響いてこなかった。もう私にとって藤圭子は、かつて一時期時代を共にしたというだけの遠い存在だった。 


 『流星ひとつ』を読んで、音楽話として、とても興味深かった話を二題。

wakarenotabi

 ひとつはこの「別れの旅」。これは「京都から博多まで」のヒットで気をよくした陣営が、阿久悠作詞、猪俣公章作曲という同じコンビでヒットを狙ったものである。
 前記したように私にとって藤のヒット曲はデビューしてからの4曲がすべてであり、その後の歌は知らないのだが、私はこの曲の詞もメロディもよく覚えている。いまも歌えるほどだ。ラジオから流れてきたのを聞いて、即座に気に入った。私好みのメロディなのである。デビューからの4曲以外で好きな藤の曲といったらこれになる。

 しかしこの曲はヒットしていない。わたし的には「京都から」より遙かによい楽曲なのになぜヒットしないのだろうと不思議だった。今回その謎を藤が『流星ひとつ』で明かしている。
 その前に阿久悠の歌詞を見てもらわないとならない。こちらです。




 藤は、この曲を大好きだったと言っている。「京都から」よりもずっと。だが歌詞がつらくて唄えなかった。「二年ありがとう しあわせでした」のあたりである。
 当時の藤は前川清との2年間の結婚生活を終えたばかり。「つらくて唄えない」は、「思い出が多すぎて」のような意味ではない。「私生活を売りにする姿勢」についてである。結婚離婚の現実と歌詞の内容が合っている。潔癖な藤は、そんな私生活を売りにするようなことはできない。
 
 阿久悠の詞が、そういうことを意図して作られたものであるのはまちがいない。読めばわかる。こういうことを売りにするのが芸能界である。だが侠気あふれる正義感の強い、潔癖症の藤には、自分の離婚を売り物にするような歌詞を歌うことは出来なかった。感情を込めて歌い、最後にそっと涙を拭ったりするのが、そういう世界の常道なのに……。

 藤はこの曲を営業でも歌わなかった。レコード即売会のような催し物でも歌わずB面の曲を歌ったという。ここでも我を通した。ヒットしなかったのは自分のせいであり、大好きな曲だけに申し訳ない、という気持ちはある。「だけど歌えないよ」と藤は沢木に語っている。このひとの一本気はうつくしい。でも芸能人としては、やはり問題ありなのだろう。私は断然藤圭子の感覚を支持するが。


omokageheiya

 もうひとつ興味深かったのは「面影平野」について。これは1977年の曲。阿木燿子作詞・宇崎竜童作曲という夫婦に依頼した作品だ。藤ももう26になる。私も社会人か。
 沢木はこの曲が好きらしく、藤にこの詞を掲示して迫る。「すばらしい歌詞であり、曲も良い。自分は大好きだった。なのにヒットしなかった。それはあなたの責任ではないのか!?」のように。
 「面影平野」の歌詞はこちら。



 藤は歌詞を見つつ、「すばらしいと思う。特にここなんか阿木さんでないと書けない」と沢木の意見に合わせる。
 だがそのあと、「じゃあなぜヒットさせられなかったんだ」と沢木に迫られた藤はハッキリと、自分は「面影平野」には燃えなかったのだと応じる。良い作品だとは思う。だが石坂の「女のブルース」に身震いしたような感動を、この作品から受けなかったのだと。

 同意である。えらい、よくぞ言った! と思う。

「面影平野」の歌詞はよく出来ている。別れた男とのいろいろな思い出が詰まった「六畳一間の面影平野」である。しかしこの詞、あくまでも技巧だろう。べつに体験至上主義者じゃないが、石坂の初期の作品にあるような生々しいものがまったく伝わってこない。阿木燿子というオシャレな?作詩家が、都心の高級マンションで、「演歌の藤圭子に似合うのはこんな世界だろう」と創りあげた技巧的作品である。一瞬でわかる。

 藤圭子はブルースシンガーなのだ。その歌が真のブルースなのか、もどきなのかは一瞬にして見抜く。藤の目には、これは「技巧派の作った巧みなブルースもどき」と映ったのだ。


 
 これを良い歌詞だ、なぜこれをヒットさせられなかったのかと迫る沢木には疑問だ。字面としてすぐれた歌詞かも知れないが、これには心がない。このひとも阿木燿子側の感覚なのだろう。それは後に井上陽水との関わりの文でも思う。私は沢木耕太郎を音楽のわかるひとだとは思っていない。いや音楽に限らず、沢木は、私の知っている分野で言うなら、将棋も競馬も、なにもわからないひとだ。それは取材当時は知らなくて当然だ。そういう意味ではなく、このひとは何ものにも「溶けあわない」と言ったほうがいいか。山野井泰史の「凍」でもそう感じた。

 このひとは対象物と併走する視点で独自の世界を築いてきた。対象物と溶けあわないから、両者のあいだにある厳然とした一線が、逆に読者にはクールな視点として魅力的に映る。だからこそこのひとはノンフィクションライターとして傑出している。沢木耕太郎の魅力とは、沢木耕太郎という筆名の作家の生きかたそのものなのだ。作品が沢木耕太郎なのである。

※ 

 後にYouTubeのそれを見た宇多田ヒカルが、「『面影平野』のかあちゃん、かっこいい」のようなことを、ブログに書いたのかツイートしたのか、そんな話を耳にした。正確じゃないがニュアンスは合っている。もちろんまだ藤が存命の時期である。
 私も今回それらを見てみたが、感じるものはなかった。「夜のヒットスタジオ」の「面影平野」だった。藤が燃えていないのが伝わってくる。宇多田ヒカルが「うちのかあちゃん、ほんとにすごい」と感嘆するものは他にある。

※ 

utadafirst

 そういや私は宇多田ヒカルのファーストアルバムを買っている。今もCD売りあげレコードであるあれだ。その理由は、話題の「藤圭子の娘」のアルバムを買ったのであり、彼女の歌にソウルを感じたからではない。当時もう奇行で目立つだけの過去の人である藤圭子が、ここまでまた逆転満塁ホームランを放ったのだから記念に買っておくべきと思った。世間一般はいま藤を「宇多田ヒカルの母」とするだろうが、私にとってはあくまでも宇多田が「藤圭子の娘」である。

 なんかしらんがあれをR&Bとするのはいかがなものか。私には、ただの今時の娘が作ったポップスでしかなかった。日本の流行歌史としては、あの時期R&Bが流行り、宇多田がその流れを作ったというのだが、それって本物のR&Bに失礼じゃないのか。もっともその歌謡史では和田アキ子あたりもR&Bに分類されるらしいから私とは解釈がちがうのだろう。今は宇多田のCDがどこにあるかも定かではない。ハードディスクに5万曲ちかく挿れているが、その中にもない。捨ててはいないから押入のどこかにあるはずだが。

 それでも日本人のCDを買ったのは、というかもうJazzとClassicしか買わなくなって長いから、それ以外のCDを買ったのはあれが最後になる。それが「藤圭子の娘」であることは私的にうれしい。(あ、そのあとアコーディオンのcobaを買っているか。でも日本人の歌モノでは宇多田が最後だ。)

※ 

 宇多田ヒカル再婚のニュースが伝わってきた。藤の母も姉も藤自身も、19で結婚して離婚した。するとなんと娘まで19で結婚して離婚したのだった。しあわせになって欲しいと願うが、年下のイタリア人であるらしい。いま無職だとか。とはいえろくでもない男に貢ぐのもまた母親譲りだ。『流星ひとつ』に、その辺の話もたっぷりあり、嗤うよりも先にせつなくなった。
 宇多田の結婚相手は最初が朝鮮人、次がイタリア人。この歌姫には、なかなか日本人の男は撰んでもらえないようだ。(続く)
  1. 2014/08/03(日) 20:48:11|
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藤圭子&沢木耕太郎「流星ひとつ」考⑩──石坂まさをの輝き「女のブルース」

 私の思う巨大な流星・藤圭子と並ぶ〝もうひとつの流星〟である石坂まさをのことを書こうとしていたら、藤圭子の最初の夫である前川清との結婚話にズレてしまった。ともあれ、今も藤圭子が、いや今はもういないから、「離婚後も後々まで」とするか、元亭主の前川の人間性のすばらしさ、歌手としての秀でた能力を絶讃していたことは気持ちのいい話である。

『流星ひとつ』では、28歳で引退を決めた藤がそれを前川に伝えに行き、前川がよろこぶ様子が語られている。前川は藤が芸能界にあわない体質であることを前々から指摘しており、結婚の時も引退を勧めたのだとか。
 ふたりの結婚生活は、藤の年齢だと19歳から21歳までの2年間。離婚して7年経っている元亭主に引退を伝えに行く元女房。離婚後もずっと良好な関係だ。ほんとにふたりは男と女ではなく「ともだち夫婦」だったのだろう。
 
onnnanoblues



 藤圭子のヒット曲「新宿の女」「女のブルース」「圭子の夢は夜開く」「命預けます」は、作詞家・石坂まさをの最高傑作である。「新宿の女」と「命預けます」は曲も石坂が作っている。ソングライターである。
「女のブルース」の曲は猪俣公章。(ATOKが〝いのまたこうしょう〟を出せないのでGoogle日本語入力に切り替える。一発で出た。さすがである。何度も何度も書いているが、ATOKさんよ、モーニング娘やAKBのメンバー名を出せると自慢する前に反省すべき事があるだろう)。
「女のブルース」は菪俣作品の中でも傑作の誉れが高い。もちろん石坂作品としても最高だ。



 私は演歌の、BLuesでもないのにブルースと名乗る一連の曲が好きではない。でもこの「女のブルース」はすごいと思う。これはこれでBlues形式になっているからだ。

 本家の12小節Bluesの詞は三行が基本である。簡単な例だと、
・「ああ、こんなところはイヤだ」
・「ああこんなところはイヤだ」と、4小節を2回繰り返し、そのあとの4小節で
・「おれは明日、ここを出て行くんだ」と落とす。

 次いで2番は、
・「だけどどこへ行こう」
・「だけどどこへ行こう」と繰り返し、
・「どこにも行くところなんかない」のように落とし、さらにまた続いて行く。基本、内容は暗い。黒人の〝怨歌〟だから。

 石坂のこの「女のブルース」の歌詞は、4行詞である。本家Bluesと同じく落ちがある。
 2回繰り返し、3行目で変化があり、4行目で落とす。Bluesの展開よりも起承転結と言ったほうがあっているか。

 たとえば3番の歌詞。

・ここは東京 ネオン町
・ここは東京 なみだ町

ここまでは繰り返し。ここからメロディはサビとなり、

・ここは東京 なにもかも

上昇し、昂揚し、〝ぶるーす〟として、

・ここは東京 嘘の町

と、かなしい、見事な落ちがつく。

 字面ではなにも伝わらないが、これと猪俣の絶妙の曲が融合して、あの藤の凄みのある歌唱が加わると絶品となる。猪俣の3行目で盛りあげ、4行目で落とす曲もまたすごい。これを越える日本語の「なんとかブルース」は今後も出ることはないだろう。

石坂まさを作品──「女のブルース」の歌詞



「夢は夜開く」の作曲は曽根幸明(お、Google日本語入力も〝そねこうめい〟を出せない。そんな過去の人になったのか)。作曲というよりも、「練馬鑑別所で採譜した曲」という逸話が有名。多くの歌手が共作で歌ったが園まりのがダントツでヒットした。

「流星ひとつ」で知ったが、若い石坂は、これらのヒットしなかった共作のひとつに不本意な形で関わっており、「いつの日か満足できるオレの『夢は夜開く』を作ってやる」と意識していたとか。

「女のブルース」が大ヒットし、藤もこの詞も曲も最高と乗っていたから、間をおかず新曲のこの「圭子の夢は夜開く」を出すことは不本意だったらしい。 (続く)
  1. 2014/07/26(土) 12:42:14|
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藤圭子&沢木耕太郎「流星ひとつ」考⑨──前川清との結婚

 周囲の芸能人と肌が合わず、浮いてしまっていた前川と藤は、いつしか親しくなり、心を寄せあうようになる。ふたりのデートは、大ヒット曲が出てもまだ石坂のボロ家に住んでいた藤が、階下の石坂にバレないよう、二階からロープを伝って道路におり、前川の家に通う形だったという。では若い二人が寸暇を惜しんで燃えあがったかとなると、そうでもないらしい。前川はじっと鯉を見ているのが好きなひとだったとか(笑)。熱愛というより、互いに心を許せる存在を見つけたふたりは、ただ一緒にいるだけでよかったのだろう。

 前川との突然すぎる、早すぎる結婚発表は、ふたりの関係に気づいた石坂がネタとしてマスコミに売ったので、藤が意地になってのものだったらしい。この辺にも石坂と藤が決して「麗しい師弟愛」ではないことが見てとれる。


 
 藤は前川の人間性を今も絶讃している。しかし異性としては兄弟的な感覚が強かったと語っている。ときめくひとではなかったと。当時熱狂的な藤圭子ファンだった私の周囲の何人もが、自分のアイドルを奪われてしまう嫉妬より、「前川ならいい」と我が事のように祝福したのは、そこに男と女のどろどろした関係より、苦労続きの藤が、やさしく包んで守ってくれる兄ちゃんを得たかのように感じたからだったろう。もっとも「流星ひとつ」によれば、藤のほうは熱烈な前川ファンから脅されたりしてたいへんだったようだ。
 
 離婚後も藤は前川清の歌が大好きで、彼が紅白を落選したときは、「あんな日本一の歌手をなぜ落選させるのだ」と大泣きしたことを告白している。藤が前川の公演を見に行ったり、大絶賛するのを、沢木があまりおもしろくないような雰囲気が活字からも伝わってくる。後のふたりの関係を思うと興味深い。(続く)
  1. 2014/07/25(金) 12:41:15|
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藤圭子&沢木耕太郎「流星ひとつ」考④──抜群の美少女ではあったが

inochi

 高校の同級生に藤圭子ファンが何人もいた。『明星』や『平凡』に附いてくる藤圭子のポスターを部屋に貼っているヤツもいた。私にはわからない感覚だった。

 まず演歌というジャンルに興味がなかった。ビートルズとストーンズを聞いていた時代である。いや演歌というのかなんかジャンルの区切りがわからないが、たとえば三橋美智也の作品なら、わかるものもある。「達者でナ」は仔馬から育てた馬との別れを歌ったものだ。「古城」は、古い城のたたずまいを歌ったものだ(笑)。この発想は凄いな。「古城よ ひとり 何偲ぶ」と城を擬人化し、その胸中を忖度している。それが歌謡曲として存在し、ヒットするすばらしさ。今時のJpopなどより遙かに幅が広い。後にヒカワキヨシというゲイの創価学会員がその路線を真似ている。その他村田英雄でも北島三郎でも興味を持てる切り口はある。

 しかし彼女の歌はもろに夜のネオン街を唄うものである。いわゆる「ネオン演歌」だ。「新宿の女」の「わたしが男になれたなら わたしは女を捨てないわ」に田舎の高校生が共感できるはずがない。わかったらおかしい。もっとも唄っていた藤もまた処女であり、それでいてあの情感だから、五木寛之を始め多くの有名人が刮目することになる。


 
 そして容姿だ。「美少女」と話題になった。細身の美少女が淡々と凄味のある声で夜の世界を唄うからこそ話題になった。たしかに美人だったが、それは「江戸時代の美少女剣士」みたいな美しさであり、高校生が恋人にしたいと夢見るかわいらしさではなかった。とてもとてもひと目見たときから同い年とは思えなかった。私はいまも彼女の容姿に夢中だった周囲の連中の感覚がわからない。むしろこわくて近寄りがたかった。藤もこどものころからおとなびていた、「老けていた」と言われたことを『流星ひとつ』で述べている。

 だが彼女の歌声は、ネオンの世界のことなどなにもわからないビートルズを聴いている田舎少年にもたしかに響いてきたのである。 しみじみそれは凄いと思う。(続く)
  1. 2014/07/17(木) 12:33:33|
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ひさしぶりに見たカルメン・マキの写真──寺山修司の思い出

カルメン・マキが東電に電気代を払わず戦っている?という記事があった。そこに彼女の近影があったので驚き、以下の書き込みをした。

carmen1


彼女の近影と17歳当時の写真は【芸スポ萬金譚】のほうに載せた。こちら

カルメン・マキだとデビュウ曲「時には母のない子のように」であり、作詞した寺山修司へと思いは飛ぶ。
よってまた以下の書き込み。

carmen2


ツイート内容の繰り返しになるが、朝日新聞の投書欄に「本当に母のいない子にとって、なんと残酷な歌か。このようなものを流してはならない」と載っていたことをよく覚えている。私もそう思った。しかしまた「時には母のない子のように」とは、なんと斬新で衝撃的な発想だろうと、これをやってのけた寺山修司というひとに興味を持った。とぼしい小遣いから寺山の本を買うようになった。「血は立ったまま眠っている」なんてかっこいいんだと思う。高校生時代。私は「書を捨てよ、街に出よう」を手に上京した。

その切り口に感激した「時には母のない子のように」が、じつはアメリカのゴスペルソング「Sometimes I Feel like A Motherless Child」の直訳でしかないと知ったときは心底落胆した。その後も自分なりに勉強して智識が増えるに従い寺山にはがっかりすることばかりだった。

carmen3


彼の歌集ももっていた。だが後に盗作を指摘され、本歌との対比一覧表まで発表された。それを見れば盗作は明らかだった。そしてまた私が感激した彼の作品はみな盗作なのだった。それは本歌が優れていて、だからこそ寺山も盗んだのだし、多くの作品から私もそれを選んだのだから、私にもよいものを選ぶ目はあったということになるのだが……。

心に残っている彼の発言に以下のようなものがある。

carmen5


この寺山のことばは私にしみこんできた。私も寺山と同じく、有名人のそういう写真を見ると、「とばされたひとり」の無名人に思いを馳せるような面があったからだ。寺山の発想法にちかづいたようでうれしかった。
元々あった資質に憧れていた寺山と同じという感覚が加わり、それからの私は有名人など一切見ず「とばされたひとり」ばかり見るようになった(笑)。

その視点から見えてくる世界がある。私はこどもの時に見た《東芝日曜劇場「ひとごろし」──山本周五郎原作・植木等主演》に影響を受けた。これも「仇討ち=剣術の秀でた勇敢な若者の物語。ハッピーエンド」を「もしも剣術下手で臆病な若者が仇討ちをせねばならなくなったら」という「とばされたひとり」からの発想である。寺山のことばで、その辺の自分の好みがスッキリ整理されたのだった。

carmen4


これは寺山の大好きだった牝馬が中央で勝てなくなり地方競馬に移籍したことを書いた文だった。派手派手だったダンサーが落ちぶれて、雨漏りのする田舎のストリッパー小屋で踊っているという落魄。
船橋の森騎手から抗議の手紙が届く。寺山と森は新宿で会って飲む。意気投合する。調教師となった森から手紙が来る。自分のところで馬主になってくれと。それが寺山の初めての持ち馬ユリシーズである。

ここにあるように当時競馬ファンにあいされた「斬新な寺山の競馬文章」とは、極端な光と影で語る演劇的手法だった。これはつかこうへいのあの異様なコンプレックスで語る手法にも通じる。
その「光と影」の設定を間違えて抗議されたのが上記の例。落魄を表現するために「雨漏りのする厩舎」とやってしまい抗議を受けている。その辺、いかにも「机上で語る競馬」なのが解る。だからこそ今で言う「書斎派」の先駆けになった。

ここのところこの「競馬書斎派」は勘違いされている。競馬場に行かずほんとに書斎にこもって競馬を語る連中がいる。寺山も、同じく書斎派と呼ばれた巨泉も一応は競馬場に通っている。今時の引きこもり書斎派とはちがう。



と、五つもツイートしてから、こんな誰も読まないツイートをするならブログに書こう。Twitterじゃ誰も読まないけどブログなら固定読者が読んでくれるのだからとブログに戻ってきた。最初からここに書けばよかった。二度手間。毎度の間抜けな一席。
  1. 2011/11/20(日) 05:39:18|
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訃報・北杜夫さん──三島由紀夫「暁の寺」-ワット・アルン-ニール・ヤング「ハーベスト」

「どくとるマンボウ」北杜夫さんが死去

「楡家の人びと」などの純文学のほか、ユーモアあふれる「どくとるマンボウ」シリーズでも人気を集めた作家で日本芸術院会員の北杜夫(きた・もりお、本名斎藤宗吉=さいとう・そうきち)さんが24日午前6時2分、腸閉塞のため東京都内の病院で死去した。84歳。東京都出身。葬儀・告別式は親族のみで行う。喪主は妻斎藤喜美子(きみこ)さん。(後略)http://www.sanspo.com/shakai/news/111026/sha1110260853013-n1.htm


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nire


「楡家の人びと」や「白きたおやかな峰」は箱入り本で買った。あのころ、日吉の帰りに東横線白楽駅前の「楡」って喫茶店に通っていた。一階が同じ名前のバー。二階が喫茶店。音楽サークルの友人が喫茶店でバイトしていた。住んでいたのは武蔵小山で逆方向だったから白楽で酔っ払って終電に間に合わず帰れなくなったりした。

マンボウシリーズも読んだ。でも正直に言うが、私は北さんの「ユーモア」シリーズで笑ったことはない。それはきっと私が下品だから上品なユーモアには反応しないのだろう。

korian


上記引用文は《「どくとるマンボウ」シリーズは「昆虫記」「青春記」などが続き、作家遠藤周作さんの「狐狸庵」とともに「マンボウ」の愛称は多くの読者に親しまれた。》と続く。遠藤周作の狐狸庵シリーズも熱心に読んだ。「狐狸庵閑話」とか。言わずもがなですが「こりゃあかんわ」という遊びですね。でも遠藤さんのユーモアにも笑った覚えはない。私の神は筒井康隆だった。星新一とか小松左京とか広瀬正とかSFも読んだなあ。



pipe


作曲家・團伊玖磨のエッセイ「パイプのけむり」シリーズもこのころだ。「続・パイプのけむり」、「続々・パイプのけむり」のように続くので、このあとはどうなるんだろうと心配したら、「また・パイプのけむり」、「またまた・パイプのけむり」と続いて笑ったものだった。最後の作品は「さよならパイプのけむり」だった。
上掲の写真が他の本の写真と比べてワイドだが、これはこういう横幅のある豪華装丁だった。

ところでATOKは「だんいくま」を変換できない。「段位熊」だと。呆れた。ひどすぎる。「もーにんぐむすめ」と打つと「モーニング娘。」と最後の句点まで出るのを自慢している有料IMEだけど、なんか方向性がちがっている。それでももう二十年以上使っているし離れられないのだけど、なんかこういう例にぶつかるたびにカチンと来る。名のある落語家とか力士も変換できない。その代わりぽっと出のアイドルの名には熱心だ。

IMEをGoogle日本語入力に切り替えると一発で「團伊玖磨」が出た。ありがたい。こちらはダウンロードして使える無料IMEだ。辞書をGoogle検索で使われる用語から自動で作っているから、この変換ができるということはまだインターネット上で團伊玖磨さんのことを書いたり調べたりするひとがいるってことだ。
無料のこれに対して8000円の価値をATOKは保ち続けられるのだろうか。



団さんの名前で思うのは、加山雄三の作曲家の筆名「弾厚作」が尊敬している團伊玖磨と山田耕筰から取られたことだ。もっとも今じゃ加山雄三の作曲家名・弾厚作を知らないひとも多いだろうけど。私は中学生の時に憧れた馴染みのある名前になる。由来もそのころに知った。でも田舎の中学生だったそのときは團伊玖磨を童謡の「ぞうさん」「やぎさんゆうびん」の作曲家としか知らず、山田耕筰も「赤トンボ」「待ちぼうけ」で覚えていたから、加山雄三は童謡の作曲をしたいのかと思った。一応器楽クラブでホルンを吹いていたのだけど、その辺は無智だった。

shimakosaku


弘兼憲史のマンガ「課長島耕作」の「島耕作」は加山ファンであった弘兼が「弾厚作」からとったものだ。加山と対談した時の弘兼さんは一ファンにもどっていてうれしそうだった。時代とはそんなものである。



学生の頃によく読んだ北杜夫、遠藤周作、團伊玖磨のことを書きながら、さて音楽はなにを流そうかと考える。あのころ、これらの本を読みつつ、ラジカセからいつも音楽を流していた。ここはぜひ時代を映す音楽が欲しい。

デュアルディスプレイの片方にはいま将棋竜王戦のネット中継が流れている。二日目の午後、いよいよ終盤の盛り上がりだ。ここは熟考が続くからすぐには動かない。指し手があると駒音で教えてくれるから見逃すこともない。

あのころ、私はなにを聞いていたのだろう。日本だと吉田拓郎とか、岡林信康(はっぴぃえんどがバックについていたころ)か。加藤和彦がサディスティック・ミカ・バンドをやったのはすこし後か。バンド名からしてプラスティック・オノ・バンドを真似ていて、曲も盗作ばかりで好きではなかったが。でもあそこにはまだ若い高中正義がいたんだな。

日本語の歌は文章を書くのにはじゃまだからBGMには適さない。だから洋楽だ。できれば歌のないものがいいがJazzがわかるようになるのはもっとずっと後。
サイモンとガーファンクルを最も熱心に聴いていたのは高校生時代だし、このころとはちがう。なんだろう、ボブ・ディランに凝るのはもうすこし後になる。グランド・ファンク・レイルロードが来日して雨中の後楽園コンサート。渋谷道玄坂のロック喫茶「ブラックホーク」でCSNを聴いていた。クラシック喫茶の「ライオン」にも通ったけど。宮益坂のフォーク喫茶「青い森」でRCサクセションや古井戸、泉谷が歌っていた頃。遊ぶ街はいつも渋谷だった。

悩んだ末、ニール・ヤングにした。「ハーベスト」が大ヒットした頃だ。



shiroki


以下の「白きたおやかな峰」のタイトルに関する三島の意見と、三島の「あぷおぷ屋」の話はホームページに書いていることなので繰り返しになるが、北さんの訃報を聞いた日なので記念にもういちど書くことにする。

三島由紀夫と北杜夫は親しかったらしい。三島が1925年(大正14年)生まれ、北が1927年(昭和2年)生まれだから2歳ちがいか。團伊玖磨が1924年(大正13年)生まれ、遠藤周作が1923年(大正12年)生まれだからみな近い。遠藤さんは三島より年上だったのか。忘れていた。みな鬼籍に入ってしまった。
北さんが84歳で亡くなったのだから三島は生きていたらまだ86歳なんだな。父が92歳まで惚けることもなく聡明なままの長寿だったので私には「まだ」になる。

三島は友人の北杜夫の新作「白きたおやかな峰」をいい作品だと誉めた後、でも題はおかしいと言った。文語の「白き」と口語の「たおやかな」が混じっている。文語で「白きたおやかなる峰」にするか、口語で「白いたおやかな峰」にすべしと。
じつに、お恥ずかしい話、私はこれらの作品の中身をすっかり忘れていて、最も心に残っているのは三島のこの意見なのである。このことはかなり引きずっていて、口語の文章なのにいきなり「熱き心で」なんて出てくると引っかかってしまう。ゴルフマンガ「風の大地」を読んでいても、やたら出てくる文語に辟易する。文語が嫌いという意味ではなく、ごちゃまぜで文語を使うかっこつけに反感を覚えるのだ。その割りには長年愛読している(笑)。あれ、21年も続いているけど中身はまだ2年半ぐらいなんだよね。時の流れの遅いこと。



harvest


いま「Alabama」が流れてきた。ニール・ヤングのアルバムはぜんぶ持っているのでiTunesからシャッフルで適当に流していた。あまり馴染みのない曲もある。それまでなんてことなかったのにこの歌で反応するというのは、それだけ思い込みがあるということか。彼の作品でいちばんよく聴いたのは「ハート・オブ・ゴールド」や「オールドマン」の入っている「ハーベスト」ってことなのだろう。



akatsuki


三島が「豊饒の海」第三部として、バンコクを舞台にして書いた「暁の寺(タイ語ではワット・アルン)」が出たのが1970年(昭和45年)。当然この前に三島はバンコクにロケハンに行っている。1968年ぐらいか。これは先日映画の感想を書いた「ノルウェイの森」の舞台の年だ。
そのロケハンのことを書いた文章に「あぷおぷ屋」が出てくる。お供の連中と一緒に遊びに行ったらしい。初めて読んだ時はおどろいた。

いま手元に本がないので三島の正確な言いかたはわからない。あーぷおぷ屋だったか。
三島と伴をした編集者が行った「あぷおぷ屋」とはソープランドのことである。日本のトルコ風呂を真似したと言われている。タイ語は動詞を並べて名詞にする。あぷおぷ屋とは正しくは「アっプ・オっプ・ヌアッ(ド)」。動詞の意味は順に「浴びる」「蒸す」「揉む」になる。「マッサージ附きの蒸し風呂屋」という意味。日本のトルコ風呂も、表面上はそういうことになっていて、室内には形式的にだが簡易蒸し風呂器が置いてあったとか。残念ながらその体験はない。写真で見たことはあるが。

タイ語を知らない三島と編集者は、なんだか変な名前のその遊興施設をとりあえず「あぷおぷ屋」と自分流で呼ぶことにしたのだろう。三島は結婚してこどももいるけれど、このころは男色と言われている。こんなところに行ったのだろうか。

いいなあ、1968年のバンコクか。行きたいなあ。読んだときのおどろきとは「うらやましい」だ。タイは行けば行くほど「むかし」を知りたくなる不思議な国だ。

この「あぷおぷ屋」の話は、検索しても私しか出てこない。とても興味深いことだと思うのだけど、三島の古い話とタイ語の絡みだから、世間的にはそんなに興味はないのか。

宮本輝のデビュウ前の習作はバンコクを舞台にしたものだったそうだ。かなり初期のエッセイでそう書いていた。後にそれを仕上げて「愉楽の園」として出版する。あれに三島の「暁の寺」の影響はあったのだろうか。まあ宮本さんは熱心な創価学会信者だから、そっちからの仏教アプローチだったのか。つまらない作品だった。バンコクが舞台ということから期待していただけに失望もおおきかった。本の画像をいれようかと思ったけど貶している作品をいれてもかえって失礼だから自重。



watalen


私が、バンコクのワット・アルンで三島の「暁の寺」を読むという、ベタだけど三島ファンのタイ好きなら誰もが一度は考えるようなことを実行したのは1991年だった。つい昨日のことのようだけど、このとき生まれた赤ん坊は今年成人なのか。階段が怖いほど急なところだった。それはWikipediaのこの写真でよくわかる。なおタイ語の語順は名詞があとになるので「ワット・アルン」は「寺・暁」だ。

お笑い芸人がみなバンコクに遊びに行く。ロンブーの淳や雨上がり宮迫を案内するのはタイ語の話せるペナルティのワッキーだとか。彼らが何をしにどこに行くか、なぜワッキーはタイ語を話せるようになったのか、手に取るようにわかってくすぐったい。

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北さんの訃報を聞いて、当時のことをあれこれ思い出した。
斎藤茂吉の息子ということで注目されるのを嫌い、斎藤姓を名乗らなかったのはかっこいい。私淑している高島俊男先生なんて歴代の日本の文学者から誰か選べと言われたら迷わず斎藤茂吉をあげるぐらい大絶賛している偉大な文学者だ。高名な父の存在は息子には相当重かったのだろう。本名・斎藤宗吉だから、誰だって茂吉の息子だとわかる。

私は北さんの熱心な読者ではなかったけれど、北さんの全盛期の一読者ではあった。先日亡くなった小松左京さんのときにも思ったが、彼らが第一線にいるころが自分の青春時代だった。ほんとによく読んだ。だけど何も覚えていないってのは……。

「青春」に関していちばん心に残っているのは、五木寛之さんの言った「青春ということばを平然と使えるようになったときにはそのひとの青春は終っている」というもので、たしかにあのころ、恥ずかしてく青春なんて言ったことがない。言うとしたらギャグとしてだった。
ご冥福をお祈りします。

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というところでインターネット生中継の竜王戦第二局決着。渡辺二連勝。強い!

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【附記】10/27──三島だけ呼び捨て

今日、誤字がないかネット上のファイルを読みなおした。修正できるブログ内の文章として読んでいて気づかない誤字も、他者としてネット上のものを読むとあらたに発見することがある。それで、おもしろいことに気づいた。

最初は北杜夫、遠藤周作と呼び捨てで書くが、そのあとは「北さんは」「遠藤さんは」と「さんづけ」になっている。でもなぜか「三島」だけは三島由紀夫で登場したあとも「三島」と呼び捨てなのだ。ひとりだけ。

「誰からも呼び捨てされるようになって偉人」という言いかたがある。
猪木や馬場が、いつしか「猪木さん」「馬場さん」と呼ばれるようになったとき、私はかなしかった。
王、長島も同じく。

私はいまも偉大なひとたちに呼び捨て主義を貫いている。
まあ個人的に会った時の話では「馬場さん」としたが。

三島を「三島さん」としたことはただのいちどもない。不思議だ。
  1. 2011/10/26(水) 18:45:33|
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文學界9月号──つかこうへいの遺作「鯖街道」220枚

bungakukai


『文學界』9月号の売り物は、つかこうへいの遺作「鯖街道」。220枚一挙掲載。
といって期待するとがっかりする。これは叩き台だ。完成されていない。表現もバラバラで仕上がり途上。同じ事を繰り返して書いていたりして、かなり雑。果たしてこれを発表することがよかったのかどうか心配になるほど。「遺作」というよりは「遺稿」として、ファンがつかを偲ぶものであり、小説好きが完成された作品として接するものではない。

つかは生前信頼する女性に自分の活字物のすべての著作権管理を任せて逝ったらしい。「遺稿」と呼べるものが5つほどあり、その中からふたつを今回その女性が発表したのだとか。5つといっても独立したものではなく、みなこの「鯖街道」に関する叩き台としてのもの。その原稿が5つあり、みな同じような中身らしい。つかもこんな半端なものを公開されることは望んでいないだろうし、この管理人も迷ったろうが、これはこれでまあファンにはうれしいものか。
河野孝というひとが解説を書いているが、これはわかりやすくて親切。というか、そういう解説が必要なほど難儀な状況ということだ。

ひとつ新鮮だったのは、つかは自分の活動に関する文章的記録がないことを残念がり、それの出版にこだわっていたということだった。上記の女性への信頼はそこから芽生えたらしい。
口伝による彼の演出は様々に変化するから同じタイトルの演劇でも中身はちがってくる。それに対する活字のフォローはない。つかのこだわる気持ちがわかる。つか信者がそれをやるべきだったように思う。ちいさな出版社にはそういうひとが多いようだから、これからまとまって出て来る可能性もある。



さて、遺作の作品名ともなった「鯖街道」というコトバ。
これが最初に出てくるのは「銀ちゃんが、ゆく」だったか。つかは気に入った設定を何十回何百回も使いまわし、いじくりまわして完成度を上げてゆくので「最初」ではないかもしれない。私が記憶しているのはこれが最初。ちがうのかな。熱心なつかファンのかた、知っていたら教えて下さい。「銀ちゃんが、ゆく」以前にもう、つかは「鯖街道」をどこかで使っていますか?

「蒲田行進曲」のスター銀ちゃんと大部屋俳優ヤスの格差は、出版当時天皇制と絡めて語られ(口火を切ったのは五木寛之)大きな話題となった。私はその頃そういう視点を持つほどの智識も教養もなかったが、つかというひとの、大仰なSM的切り口に呆れたことを覚えている。やりたい放題のサディスティックな銀ちゃんも不可解だがマゾヒスティックに尽くすヤスはもっと理解できなかった。なぜあれほどの極端な切り口が出来るのだろうと不思議だった。それは演劇的デフォルメとはまたちがって、どこか深い屈折を感じた。当時私はまだつかが在日朝鮮人であることを知らない。その名は日吉キャンパス時代にもう有名であったけれど。
そのことがすべてとは思わないが、それなくしてあれが出てこなかったのも真実だろう。

そしてまた、絶対的存在である銀ちゃんが天皇であり、ヤスはそれにしたがう日本人庶民だという解釈に意味があるとは当時から思えなかったし、あのころよりは分別がつくようになった今も、あらためてそんな解釈は無意味と思う。



「蒲田行進曲」は映画を見てから小説を読んだ。小説「蒲田行進曲」の発刊が1981年。その6年後に「蒲田行進曲完結編」として出版された続篇が「銀ちゃんが、ゆく」である。ここで銀ちゃんは自分の出自を語る。そのときに銀ちゃんの父系は明治まで続いた「鯖街道」の鯖担ぎの一族だと語られる。そこからまた落ちこぼれて「河原乞食」になったのだと。銀ちゃんの父親はどさまわり劇団の座長で銀ちゃんはその息子だ。

遺作として公開された「鯖街道」の舞台は、犬養毅が暗殺される5.15事件の年。昭和7年。今は財閥の長として君臨している男だが、元は鯖街道で鯖を担ぐことから財をなした卑しい出自という設定。銀ちゃんの場合は古い話として「先祖は鯖街道の鯖担ぎだったらしい」と推測だが、こちらはリアルタイムだ。

遺作にまで使ったのだから、よほどつかはこの「鯖街道でのし上がり」が好きだったのだろう。福井の連中は一年中この鯖街道を通って京都まで鯖を売りに行くのだが、その中でも特に厳冬の時期は、小浜から京都まで鯖を徹夜で担いでゆけば高価で売れ、財をなすことが出来た。だが峻険な山道の上、極寒だから、街道には体力自慢で挑んだが、力尽き、鯖を担いだままの死者も見られたという。つかが好むのもよくわかる。
ここでの設定は、その鯖街道からのし上がった財閥の長が「自分の妾を息子の嫁にして、それからも毎晩嫁を抱きに行く話」。これまた捩れている。

私は「銀ちゃんが、ゆく」で「鯖街道」を知り、行ってみたいとあこがれた。いま調べたら、「鯖街道マウンテンマラソン」なんて耐久レースがあるらしい。しっかり売り物にしている(笑)。福井県の小浜から京都までの国道367号線だ。今も鯖寿司の店が多いという。行ってみたい。食ってみたい。行くならクルマだな。



「銀ちゃんが、ゆく」で「蒲田行進曲」は完結したはずだったが、さらにそれから8年後の1994年、つかは演劇「銀ちゃんが、逝く」を発表する。ひらかなの「ゆく」は「逝く」になり、タイトルからして銀ちゃんの死が明示される。「ゆく」では、銀ちゃんは妹の恋人であったケンという役者になりたがっているチンピラ(いわば、どうでもいい存在)に刺されて死ぬのだが、なんとこの「逝く」では、ヤスが刺す。ヤスが殺す。つかとしては、こうしないと完結しなかったのだろう。

「逝く」では銀ちゃんの出自も変る。先祖は鯖街道の担ぎ手だったが、こちらでは五つ川村という香典泥棒(コーデンドロボー通称デンドロ)で生計を立てている被差別部落の出身となった。小柄な少年時代、棺桶のなかにうまくもぐりこみ、屍体と一緒に過ごし、ひとけの絶えた夜更け、そこから出て香奠を盗んでとんずらするのが仕事だ。周囲からデンドロと呼ばれて差別される中、唯一そう呼ばない親友だと思っていた奴が大怪我をしたとき、親友として輸血してやろうとしたら、ベッドの中からそいつに「おまえの汚い血をおれの躰にいれるな」と拒まれる話が挿入される。まあこれは部落に関しては「よく言われるエピソード」ではある。
よくもわるくも「逝く」は「ゆく」より遥かにパワーアップしている。つかの「これでもか」というぐらいのマゾ感覚がより強くなっている。



1994年初演の「逝く」は1998年の「つかこうへい戯曲集」に収められた。私はこの演劇を見ていず、この戯曲集で知ったので、「ゆく」と「逝く」の相違には驚いた。これはもう別作品だろう。だが「ゆく」では飽きたらず、あらたに「逝く」を創作したつかの気持ちはよくわかる。そのころにはもうつかは自分の出自を公にし、母は日本語の読み書きができないことを語り、さらには1990年には「娘に語る祖国」を出版して、在日朝鮮人文化人として表立った活動を始めていた。その辺のふっきりが、つかにとってもいとしい作品であるこれをこんな形に変化させたのだろう。

銀ちゃんが天皇であるなら、天皇を殺し、その存在をあとかたもなく消滅させるのは、ヤスという天皇の無理強いにも従い、栄光も得たが失意も味わった、類型的な日本人でなければならなかった。私は銀ちゃんとヤスの関係を天皇制と関連づける気は毛頭ないし、五木を始めとするその種の解釈をナンセンスと思っているが、つかがその解釈を受け入れたなら、銀ちゃんを殺すのはヤスでなければならなかったのだろう。それが在日朝鮮人としてのつかのメンタリティになる。

熱心なつかファンは、これからも彼の〝遺児〟たちが演じるつか演劇を観て行くのだろう。活字でつかワールドに接することの多かった私には、それは無縁の世界になる。ひさしぶりにつかの活字に触れられて、なんとなく懐かしくしんみりした日になった。私は映画や小説でしかつかワールドを知らないし、彼のチケットを入手するために苦労したこともない。そういう熱烈なつかファンではないが、彼が世に出る前の日吉キャンパス特設舞台のころから知っている古いファンではある。



ところで、冒頭の「文學界」のコピー写真だが、本来のものはもうすこし横に広い。今月号の売り物は4つあるらしく、つかの横にもうふたつの売り物記事が並んでいる。そのひとつがあの上野千鶴子なのでそこは切った。名前を見るだけで気分が悪くなる。文藝春秋の「文學界」があんなものを載せるのが理解出来ない。
  1. 2011/08/18(木) 09:56:07|
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車谷長吉さんの苗字──筆名「くるまたに」、本名「しゃたに」と知る

車谷長吉さんの「長吉(ちょうきつ)」が筆名であり本名が「嘉彦」であることは知っていたが苗字の車谷(くるまたに)の読みが本当は「しゃたに」であり、ある意味これも筆名であることを知ったのはほんの数年前だった。
車谷さんのことを検索して調べていたら高校の同級生が「車谷君のこと」という随筆のようなことを書いていて、そこで「しゃたにくん」と言っていたのだ。



車谷さんは故郷姫路の一流県立高校を落ちて三流県立高校に回されたこと(当時はこんなシステムがあったらしい)を人生の大きな傷としていて、その卒業した高校を罵ることはあってもほとんど触れない。それどころか三島賞を取ったら馴れ馴れしく同級生面して「今度ぜひ飲みましょう」のようなことを言ってきた相手を、ともだちでもなんでもないあんたとなんで呑まねばならないのかと突き放している。変人の面目躍如である。

このサイトも高校時代の同級生である「しゃたにくん」が有名になったということに触れているだけで別に交友があるわけではない。それでもそういうひとだからこそ「しゃたにくん」のことに触れた同級生のこのサイトは珍しいものだったし、そのことからそれを知ったことは、私にはおおいなる発見だった。なぜかご本人も本名は「嘉彦」だとはしばしば書いているのだが、「車谷」の読みが本来は「しゃたに」であり「くるまたに」は筆名だとは一度も書いていない。私は一応全作品を読んでいるはずだが記憶にない。このサイトを偶然読まなければ私はずっと知ることはなかった。



と書いてまた思うのだが、身近に「車谷(しゃたに)」という苗字の多い地域の人は、小学生でも中学生でもすんなり車谷はしゃたにであろうし、そんなことに大袈裟におどろいている私の方が奇妙だろう。ま、地域性とはそんなものである。

相変わらず私は人名と地名に弱いが、こどものころに親が言っていた「人名と地名は読めなくてもしょうがない」を頼りにするしかない。世の中には独自の訛をしたものや、言葉遊びのような苗字もあり、それらを知るたびに読めなくてもしょうがないと確認する。

私にとっていちばんたちのわるいのは「渡部」と書いて「わたなべ」か「わたべ」か、のようなものだ。こういうのは活字で読んで覚えても、発音されるまでどちらかわからない。不親切な雑誌はそれに触れていなかったりする。いちばん困るパターンになる。

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【附記】──今はWikipediaにあるようだ

念のためにWikipediaを調べたら、本名「しゃたによしひこ」とあった。どれぐらい前から表示されるようになったのか知らないが、すくなくとも私が車谷さんの作品を貪り読んでいたころには掲載されてない情報だった。

【附記.2】──思想はまた別

このひと、夫婦であのピースボート(辻元清美の主催しているヤツ)で世界一周をしたりしている。アサヒシンブンも大好きなようだし、そのへんはまったく認めがたい。
  1. 2011/07/18(月) 18:25:56|
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池井戸潤直木賞受賞──「鉄の骨」を「徹の骨」と書く無神経

 直木賞を池井戸潤さんが受賞した。おめでとうございます。
 ちょうど去年、池井土さんの作品をまとめ読みした。図書館にある作品、ぜんぶを読んだ。感想もたっぷり書いた。同じまとめ読みでも、たとえば白石一文さんは、受賞してから全作品を読んだので後追いである。池井戸さんもその時点で二度直木賞の候補になっていたひとなので有名作家ではあったが、私としては後追いにならなかったのはうれしい。
 とにかく勉強になったのは銀行内部のことだった。慶應と法政を出て三菱銀行に勤めたエリート行員・池井戸流の企業小説である。

 ただそのとき感想文として疑問も書いている。そういう企業内部の現状を覗くような企業小説としては抜群におもしろかったが、波瀾万丈な小説の奔放さには缺けるような気がしたのだ。
 直木賞落選の選評で浅田次郎がそれに触れていた。それこそが小説の醍醐味とする浅田からすると物足りなかったのだろう。浅田の選評には毎度首を傾げていたがこのことについては同感だった。その他の委員もみな池井戸作品には辛口だった。直木賞作家になるためには場外ホームランも必要なのに池井戸さんは長打でも三塁打まで、というロングヒッターの雰囲気がなかった。

 ではなぜ今回受賞出来たかというと、私はNHKのドラマ化等の影響が大きかったように思う。ゴールデンタイムに連続ドラマとして放送された「鉄の骨」だ。(私はもちろん原作は読んでいるがテレビドラマ嫌いNHK嫌いなのでこれは見ていない。)
 つまり銓衡委員達が「まだまだだね。もうすこし様子を見ましょう」なんてふんぞりかえって言ってるうちに(昔からこのパターンは多いよ。選評を読むたびに不愉快になる)、それらの影響で池井土さんが彼らが思っている以上に知名度のあるビッグな存在になってしまったのだ。となると元々経済と営業のための賞だから急いであげねば、となる。福田和也の「作家の値うち」で船戸与一が受賞したように。
 とにかくとっちまえばこっちのものだ。よかったよかった。

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 ところで、私がこのニュースを知ったのは以下のネットのニュースだった。ホームページにしているiGoogleにリンクされていた。

http://career.oricon.co.jp/news/89476/full/

 ここにこう書かれている。
直木賞は2度の投票が行われ、池井戸氏と島本理生氏の一騎打ちに。島本氏は芥川賞に過去3度ノミネートされ、今回は初の直木賞候補に選出。池井戸氏は『空飛ぶタイヤ』(第136回)、『徹の骨』(第142回)で2度、直木賞候補にノミネートされていた。3度目の正直で直木賞をつかんだ池井戸氏に対し、選考員の林真理子氏は「直木賞の優等生」と表現した。

tetsuひどいね「の骨」だって。誰が書いたか知らないが「鉄の骨」を読んでいれば、こんなミスはぜったいにしない。池井戸作品なんか読んだことのないヤツが書き流しているんだろうな。これじゃ「徹という名前の男の骨」になってしまう(笑)。マスコミの質の低さがよく出ている。

 林真理子ほど不愉快な銓衡委員はいないが、それはまた別の話として。

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【追記】──2013/9/19

 【芸スポ萬金譚】に「半沢直樹はオレバブだったのか」を書き、そこにここをリンクしたついでに、上記の「徹の骨」を見に行ったら、まちがったままだった。反省のない世界である。
  1. 2011/07/15(金) 01:00:27|
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白川道「祈る時はいつもひとり」──またしてもタバコタバコ、ピースが煙い(笑)



鮮やかに甦る激動期の香港。自由と友情と愛を賭けて、男は黒い勢力にひとりで戦いを挑んだ。祈りを込めて―。

バブル崩壊前、今や伝説となった仕手株「風」を動かしていた三人の男たちがいた。ひとりは謎の事故死を遂げ、ひとりは巨額の金とともに姿を消した。残されたひとり―茂木彬は愛する女のために、失踪した親友の捜索に乗り出す。
幻冬舎 上下巻 各1785円。




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 デュアルディスプレイの一台が壊れてシングルディスプレイになった。パソコンがつまらないので本を読んだ。小雨のぱらつく梅雨時の天気だったし。
 図書館で借りたものの、すこしだけ読んで、つまらないので投げだしていた一冊。上下巻だから二冊か。返却日が迫っていた。
 昨年10月発売。1995年に小説雑誌に連載した作品を15年後に加筆修正して出版したもの。香港返還が1997年だった。変換前の香港もすこし出て来る。
 白川さんの作品と言えば1ページに一度は出て来る喫煙シーン。最近の作品でも喫いまくるが、それでも近年は禁煙の場所が多くなったのでいくらかは減っている。作品の中で「禁煙なので吸えなかった」なんて出て来る(笑)。よほど立腹しているようだ。
 その点これは15年前の作品だから、それはもう喫いまくる。今回のこだわり銘柄はピース。やたらめったらありとあらゆる場所でとにかくピースを喫わないとこのひとの話は進まない。重度のニコチン中毒だ、本人も作品も。なんともそれが……。



 ネットの感想文をいくつか読んだ。ブログにアップするぐらいだから当然白川ファンなのだろう。美点のみ取りあげて絶讃している。ファンは痘痕も靨でなんでも受けいれてしまうらしい。すぐに目につく缺点に対する指摘もなかった。白川道さんの小説はずいぶんと雑だ。愉しければそれでいいやといういいかげんな読者の私ですら目についてたまらないのだから辛口の書評家ならもっと辛辣になるだろう。作家が雑だとファンも雑だ。



 そんな中、「いったい何本ピースを吸っているのか数えたくなった(笑)」という感想を見かけ、すこしだけ溜飲を下げた。わかるひとはわかっている。それほどしつこくページ毎と言えるほど「ピースに火を点けた」が出て来る。

 二十代の時、自分もニコチン中毒だったからわかる。薬物中毒だから、ひっきりなしに吸う。吸わずにいられない。まずは朝起きて一服し、さて出かけるかと部屋の中で喫い、道路に出たら歩きながら吸い、電車を待つ駅で吸い、電車が着いたらまたその駅で吸い、と行動の区切りにいつもタバコがあった。

 白川さんはご自身が今もそうであり、嫌煙の流れを嫌い、死んでもタバコはやめない主義らしい。それはそれでいいが、小説の登場人物がぜんぶそのパターンなのは作家として失格だろう。タバコを喫うシーンがないと場面転換も推理も会話も恋愛も何もかも出来なくなっている。作品自体がニコチン中毒だ。

 ピースの香りや、あの群青色の小箱や、鳩の描かれたデザインのことが、何度も何度も出て来る。ハードボイルドタッチの作品の暴力シーンと「平和の象徴の鳩」を絡ませるのがお気に入りのようだが、これでもかというぐらい同じ比喩が出て来るのがなんとも陳腐に思えてしょうがない。まあこういうのも肯定派からみると「たまらない魅力」「しゃれた演出」になるのだろうが。

 それに学生時代に空手をやっていたとはいえ、その後なんの習練もせず、酒と煙草ばかりの自堕落な四十男が、いきなり昔取った杵柄でいまも空手の達人なのには哂ってしまう。体を鍛えるシーンなどまったくない。鍛えていない。失踪した親友を本気で捜しはじめ、襲い来る日本ヤクザ支那ヤクザと闘うのだから、せめて酒と煙草を断って躰を鍛えなおすシーンぐらい入れて欲しい。あまりに雑。ご都合主義。疑問を持たずこんな小説を読める人は問題だ。

 そういえば二日間だけ酒とタバコを断つときがあって、それで主人公は顔つきからして変るのだが、んなアホな、である(笑)。



 それでも自分の関わっていた株の世界を舞台にしているから、なんとも雑な設定で読むに耐えなかった「最も遠い銀河」あたりよりは破綻がすくない作品と言えるか。

 白川道「最も遠い銀河」感想

 とまあ毎度文句を言いつつ読んでいるのだから、私は私なりに白川ファンなのだろう。

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【附記】──一例としての〝雑〟


 せっかくの大作を雰囲気だけで貶しては失礼なので一例を。
 主人公は巻末近くでいよいよ「悪の日本人ボス」と対峙する。70歳代の老人だ。そのとき思うこと。その表現。

《××(日本人ボスの名。伏せておきます)が重い瞼の下から、射るような目で私を見た。
 その目の光は、先日会ったときに見せたものとはまったく別の色を帯びていた。その目の光は、呉や、「日亜時事通信社」のビルの窓で一瞬だけ見た、あの鴻池の目の光を私におもい起こさせた。》


 なかなかいいですね。ついに意外な日本人ボスにたどりつき対峙します。その日本人ボスの鋭い目の光は、主人公がかつてリンチされたことのある香港の支那人ボスの呉というヤツや、一度だけ見たことのある戦後闇社会を牛耳ってきた日本人大物鴻池(モデルは小佐野賢治かな)を思い出させた、というものです。いいシーンです。なおこの「おもい起こさせた」は、正確にそのまま再現しています。「おもい」がカナ、「起こさせた」が漢字交じりです。こだわりなのか単なるミスなのか。その他にカナの「おもう」はないのですが。

 ラスボスとの対決を前にわくわくするシーンです。ご本人ものって書いているのでしょう。
 でもまともな読者ならここで「一瞬だけ見た鴻池の目の光」という表現に疑問を感じます。

 友人の謎の失踪を追う主人公は、いよいよ敵一味と本格的な闘いが始まる前、戦後闇社会の大物であるこの謎の老人を一目見ておこうと「日亜時事通信社」のあるビルを張ります。道路の看板の蔭からビルを見あげていると、じつに偶然に四階の窓が開き、そこから老人が顔を出します。それを見て主人公は、「あの禿頭の老人が鴻池か」と思うわけです。それが主人公が鴻池という大物を見た唯一の瞬間です。

 いま70歳代の日本人ボスと対峙し、自分を射るように見詰める目の前の男に、一瞬だけ見た80歳代闇社会ボスと同じ目の光を見たと書いているわけですが、主人公がその闇社会大物老人を見たのは、雑踏の路地裏から見あげた四階の窓、そこで一瞬だけ見た禿頭なのです。「鴻池の目の光をおもい起こさせた」って、四階の窓から顔を出した老人の顔を一瞬見ただけなのに、なんで「目の光」までわかるんだ、いったいどんな凄い視力なんだって話になります。視力10.0ぐらいないと無理です。

 でもそれ以前にこの禿頭は息抜きに窓を開け、のんびり空を見あげたのですね。背後から部下に声をかけられ、すぐに引っ込んでしまいます。ほんとに一瞬見かけただけです。
 どんな「目の光」も、それは対象によって変るものでしょう。この日本人ボス70歳と、戦後の闇社会で生きてきた80歳が、ともに地獄を見てきた老獪な鋭角的な目をしている、という解釈はわかりますが、それは主人公のような敵を目前にしたときのものでしょう。
「ついにオレのところまでたどりついたか。さすがだ」なんて感じで睨みつけてくる目の前の日本人ボスと、「ふああ、今日もいい天気じゃわい」なんて感じで四階の窓から顔を出したのを一瞬だけ見た老人の「目の光」を結びつけるのは、やっぱり無理があります。どうしてもふたりに共通した「目の光」を使いたいのなら、ホテルのロビーでニアミスするとか近距離での出会いにすべきであり、「路地から見あげた四階の窓」は、いくらなんでも不自然です。

 とまあ白川道さんの小説はこんなふうに〝雑〟なんです。上半身ダンディなのにズボンを履きわすれているような。それが魅力とも言えます。
 毎度思うことですが担当編輯者はなにを考えているのでしょう。こういうことを作家に意見して、よりよいものを作るのが彼らの仕事でしょうに。あきれます。私の「作家と編輯者は二人三脚」というのは古き良き時代への幻想なのでしょうか。

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【附記・2】──「冬の童話」のモデル

 ネットの感想文を読んでいたら、一応白川さんの全作品を読んでいるつもりでしたが、知らない作品タイトルに出逢いました。出たばかりの作品で「冬の童話」というタイトルのようです。筋書は「辣腕編集者が大手出版社を辞めて自分だけのちいさな出版社を作る。すぐに大成功する。そんな遣り手の中年男が若い娘と知りあっての恋愛小説」だとか。
 これを読めば誰でもこの主人公は、白川さんの本を出している幻冬舎の見城徹さんをモデルにしたのだと気づきます。見城さんは角川書店から独立して幻冬舎をつくり、ヒットを連発して一流会社に育て上げました。世話になっている身近な友人をモデルにしたイージーな設定ですが、だからこそ楽屋落ちもあって愉しいかも知れません。乗り掛かった船なので読んでみることにします。全作品読んでいるのにひとつだけ読んでないのもしゃくですから。

 ここのところ白川さんの本をあまり図書館で見かけません。この「祈る時はいつもひとり」も「冬の童話」もWikipediaの白川さんの経歴に書いてありませんでした。Wikipediaの早い項目は、たとえば芸能人が事件を起こしたりすると、その日の内に更新されます。いまだに「最も遠い銀河」から更新されていないのは、Wikipediaの白川さん担当も厭きてきたということでしょうか。

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【附記・3】──香港の描写&年齢差

 憎まれ口ついでにもうひとつ。香港の描写が安易です。いかにも小説のために事実婚の女房(中瀬ゆかり)を連れてロケハンにゆき、そこで見聞した景色や食事を書いているのがみえみえ。映画「慕情」の香港島のこととか観光案内のようです。

 それと、主人公は舞台である1995年に40歳の設定。45年生まれの白川さんはこのとき50歳ですから主人公と10歳年齢差があります。10歳上の白川さんが主人公に自分をかぶせるものだから、この主人公、ちょっと感覚や知識が古いです(笑)。
 上記の映画「慕情」でも、あの有名なテーマ曲「Love Is A Many-Splendored Thing」に思い込みのあるのは白川さんの世代で、主人公の世代にはないでしょう。まして学生時代は空手バカの設定なのだから。この10歳の落差は大きいですね。

 でもまあこれは楽しい笑いでケチをつけているのではありません。私も一応全作品を読んでいるのですから、この文を読んで立腹した白川ファンがいたなら、こいつはこいつなりに白川ファンなのだろうと思って許してやってください。
  1. 2011/06/15(水) 04:30:38|
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大震災情報──ひさしぶりに図書館へ

大震災後、図書館はずっと閉じていた。しばらくしてやっと開くようになったが、それでも週に二日ぐらい。しかも計画停電があるので開館時間はほんのすこし。数時間だけだ。いちばん利用者の多い週末の土日も閉館。何度か行って引き返してきた。ネットで調べる開館予定や蔵書検索のサイトもすべて止まっていた。

図書館まで行き、ドアに貼られた予定表を見て開館日を確認する。水曜の午前中3時間だけとか、木曜の午後2時間だけ開館する図書館に行けるひともそうはいない。ずっとご無沙汰だった。
読まねばならない本は手元にいっぱいあったから、そのことには餓えなかったが。

今日は珍しく10時から17時まで開いていた。食品買い出しのついでに覗いて知る。ひさしぶりに寄った。それでもいつもの20時までではない。節電のため暗くなる前に閉めるようだ。



あかりはいつもの半分。うす暗い。
それでも異様に込んでいた。待ちかねていたひとも多かったのだろう。
ワンフロアに3台ある蔵書検索機は節電のため2台が休止。トイレのウォシュレットも電源コードが抜いてあった。



何日ぶりだろう。帰宅後、日記で調べてみた。最後が3月8日の火曜日。それまでは週に二三回は行っていた。大震災が11日の金曜日。それから行ってない。行っても開いてなかった。

大震災後の新聞がみな薄いのが印象的だった。特に娯楽紙であるスポーツ紙はうすっぺらだった。テーマの娯楽がみな中止なのだから当然だけれど。

雑誌類は週刊誌、隔週誌はもちろん、月刊誌も最新号はほとんどが大震災に触れていた。それを見て、もう20日経ったんだなと思う。
世界各国からの応援メッセージや、掠奪や暴行に走らない日本人讃歌、天皇陛下のビデオメッセージを起こした文を読んだりしていたら涙を抑えるのが大変だった。陛下のおことばの「雄々しく」に秘められた想いは深い。

そのビデオメッセージを適当に縮小して放送したTVの罪は重い。{Youtube}等ですべてを見られるが被災地のかたがたにそれは無理だ。陛下のおことばが被災地のお年寄りにどれほど勇気を与えることか。6分弱のそれを縮めて流したテレビ局に、そうまでして流す必要のあるその他の映像があったのか。呆れた世界である。



数多くの意見を読んだが、計画停電に対する疑問には賛成できるものが多かった。「電力節約2%にしかならない電車を止める必要はなかった」は正論だろう。こんなときだからこそ首都は経済活動に励まねばならない。なのに労働者の足を奪ってしまった。ガソリン買いパニックや主婦の買い占めも、すべてはあの「電気」から始まっている。

もっとも私は、あれは次の一撃による電車転覆を案じたのではないかと解釈している。地震慣れしている日本人なら必ずもう一発があると身がまえる。その意味では正解だった。さいわいにして次の一撃はいまのところまだないが、もしあの時期にあり、ラッシュアワーの電車が次々に転覆したらさらなる大惨事になっていた。

ここのところ計画停電が中止になっている。国民ひとりひとりに節電の感覚が行きとどき、電気が足りて、その必要がないかららしい。曾野綾子さんが掠奪や暴行がないのと同じく「こういう国民は世界を探しても日本だけだ」と書かれていた。誇らしい。



ところで、こういう場合、図書館は閉館しているのが正しいのだろうか。公的機関として率先して節電に協力しているということなのだろうが。
今後の予定を見ても、週に二三日だけ、計画停電に合わせて午前中だけ、あるいは午後だけのほんの数時間の開館のようだ。
私は、こんなときだからこそ図書館には開いていて欲しいと思う。
自分の都合ではない。私はさいわいパソコンがあるし情報はなんとでもなる。図書館がなくても平気だ。

でも必要としているひともいるのではないか。図書館が使用する電気代などパチンコ屋のそれと比べたら微々たるものだ。今の時期、家に籠もっていたら鬱々となる。そういうひとのためにも図書館は開けるべきと思うのだが。
  1. 2011/03/31(木) 22:41:05|
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「藤堂白川論争」──「ユリイカ」白川静特集





「ユリイカ」の「白川静特集」に、私淑している高島俊男さんが寄稿している。テーマは1970年に話題となった「藤堂明保と白川静の論争」。丸ごと一冊白川礼讃の中、藤堂寄りの高島さんの文は異色となっている。

 藤堂が白川のデビュー作、岩波新書「漢字」を全面否定し、白川がそれに反論した。その反論はこの「文字逍遥」に収められている。学者のケンカとはすごいものだと知った。
「ユリイカ」を読んで感想を書き始めたのだが、無学なものだから参考資料を読んだりしていたら一ヵ月もかかってしまった。やっと仕上がった。その割りに中身のない駄文だが。それでもなんとか仕上げてほっと一息。


 「藤堂白川論争」に対する高島見解

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 ホームページに書いた文のことをブログで紹介するのは二重手間になる。ふだんはしないそれをするのは、この文章が検索に引っ掛かって欲しいから。
 ブログ記事ってものすごく早く検索に対応する。調べ物をしたら一番上に自分のブログの記事があってびっくりしたことがある。しかも書いてまだ三日ぐらいだった。Google検索でライブドアブログはかなり重用されていると思われる。
 一方、私のホームページのように、項目別に分け、年度別に分類している旧型タイプのホームページ文章は、キイワードが潜ってしまうからか何年経っても検索に引っ掛からない。1万件ヒットしたうちの9000番目ぐらいにはあるのだろうが、もっと前じゃないと誰も読んでくれない。
 CNXと名乗る気違いに絡まれたりして、難を避けるため数すくない友人と隠れるようにやっているホームページだから、それはそれでいいのだが、たまにこの「藤堂白川論争」のように、自分と同じ『お言葉ですが…』ファンに読んでもらいたいと思う文もある。
 このブログ文章は「藤堂白川論争」で検索したら確実に引っ掛かるようになる。キイワードに「ユリイカ」と「高島」を足したら、かなり上位に来るだろう。全国の同好の士に見つけてもらうためにこれを書いた。
 一年にひとりかふたり、ホームページを読んでくれたかたから「わたしも『お言葉ですが…』のファンです」というメールをもらう。感性の合うひとだからすぐに親しくなれる。ひそかな楽しみだ。この拙文もまたそんなメール友だちを作ってくれる気がする。
  1. 2010/02/15(月) 07:19:34|
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再読「怪しい来客簿」-色川武大讃歌(というか阿佐田哲也の麻雀の話)──大橋巨泉批判

「怪しい来客簿」を読みかえしている。ひとつずつ、じっくり。色川さんのようなすごいひとと時代を共に出来たしあわせを感じる。私の見知っているのはほとんどの部分「麻雀新撰組」の阿佐田哲也だけれど。



 ここ十年の何度かの引っ越しで本とCDをほとんど捨てた。八割りぐらい捨てた。いま持っている本は段ボール箱で10箱もない。しかもみな押し入れの中。引っ越してきてから整理もしていない。私の部屋を見ても誰も私が読書好きとは思わないだろう。CDも200枚ほどあるだけだ。これまた音楽好きとは思えない。3000枚ぐらい捨てた。でもそれはみなmp3に変換してHDDに入っている。念のためコピーを取りふたつに入れてある。
 その数年前にLPレコードを500枚ほど捨てた。聴きもしないものをもっていてもしょうがないと判断した。捨ててから金になるのだと知った。学生時代から一枚一枚爪に火を点すようにして買い集めてきたレコード群である。聴きもしないのにとっておいたのはそういう経緯だからだ。大事にしていたので美麗。名盤珍品揃い。ヤフオクとか名前を知っている程度。関わったことがない。そもそも自分の物を誰かに売るという発想がなかった。しかし後々安く見積もっても30万円ぐらいにはなったと知り、もったいないことをしたと悔いた。引っ越しの際、燃えるごみとして路上のゴミ置き場に山積みしたけど誰かが持っていったのかも知れない。



 残ったものは、本もCDも私にとっての本物になる。この昭和52年の初版本もその一冊だ。薄汚れたシミすらいとしい。何度も読みかえした愛読書、というわけでもない。ただ保っていただけだ。とはいえ大量に本を捨てまくった引っ越しの際も、この本を捨てようと思ったことはない。色川さんとはそんなひとだ。いてくれるだけでいい。

 上の元本は「話の特集」刊。いまは下の文春文庫であるらしい。知らなかった。いつもなら表紙写真はAmazonでもらってくるからこの画像になる。ここはひさしぶりにスキャンした。文庫本しか知らないひとはここから元本をコピーしてゆくといい。私も貴重な初版本の表紙を、見知らぬかたのブログからコピーさせてもらうことがある。たまには恩返ししないと。

 ところでAmazonから借りてきた下の写真。よくみると「著作権保護コンテンツ」と上下二ヵ所に入っているのが読める。著作権保護のため、いまはこういう本の表紙にもこんな文字が入っているらしい。





 これまた読むたびに納得し心新たにする阿佐田さんの名著。これ以上の麻雀戦術書を知らない。



 これもスキャンした画像。1989年発刊だからちょうど色川さんが亡くなった年にこの文庫本は出ている。双葉文庫。元本も保っている。押し入れの段ボール箱の中。学生時代からの愛読書。

 麻雀の戦術書だが、阿佐田さんの言うことは勝負事における心のありかたである。人生指南の書とすら言える。

 阿佐田哲也の語る競馬を読みたくてずいぶんと読み漁った。色川さんは競輪ファンであり、競馬はほとんどやらなかったので、残念ながら競馬に触れた文章はすくない。あの当時、完璧なライン読みをして、「110円の配当に百万円賭けて10万円儲ける」のが競輪だった。そんな勝負をしていた阿佐田さんにとって不確定要素が多すぎる競馬は博奕ではなかったのだろう。私はその頃からその解釈に納得していた。私は競馬と馬券が大好きだけれど、それは博奕としていいかげんだからだ。




「11PM」に阿佐田さん、小島さん、古川さんが出ていた時代を思い出す。なつかしい。

 意見が異なり、キョセンが顔を真っ赤にして絡むほどに一流と三流のちがいがわかっておもしろかった。といってキョセンを否定していたのではない。彼の言うのは正論だった。対して阿佐田さん達の言うのは実戦論だった。キョセンの言うのが常識的な正論だからこそ阿佐田さん達の凄味が光った。

 今も覚えている「11PM」の麻雀教室の一シーン。

 いらないがある。順も早く常識的にペンチャンメンツを嫌うところだ。から切るべきとキョセンは言う。三人も同じはずと思っている。だが小島さんはを切るという。キョセンが気色ばむ。こんな早い順目でペンチャンメンツを確定するのは無意味だと。をもってきてにくっつけば両面待ちになりタンヤオもつく。万が一を切った後をもってきてしまってもカンで待てる。どう考えても切りが正しく切りは邪道だと。

 しかし小島さんは、ここはを切るべきと譲らない。三色や一通のような役につながる可能性はない。あくまでもリーチドラ1程度の役だ。ならここはタンヤオを捨てても切りだと。

 寡黙な阿佐田さんと古川さんは黙っている。

 興奮したキョセンが問う。「を切った後を持ってきたらどうするのか」と。小島さんが応える。「ツモ切りする」と。キョセンはますます激昂する。をもってきたら、それを残してを切りカンに受ける。すなおに「を残しておくべきだったか」と反省しつつ。

 小島さんが言う。「を切っておけば、リーチをかけたときペンが出やすい」と。

 キョセンがあなたはどう思うかと古川さんに問う。モソモソっとした古川さんが、「わたしもを切ります」と言う。「あんたらプロは単なるひねくれ者だよ。確率を無視してるじゃないか」。納得できないと声を荒げたキョセンは、あんたはどう思うと阿佐田さんに問う。新選組隊長は自分と同じと信じている。半分寝ていた阿佐田さんが、あのギョロッとした目をむいて、「まあ、なんというか、その、こういう手牌だったらを切りますね」と言い、キョセン絶句。はい、コマーシャル。



 キョセンの言っているのは確率論だ。たしかに両面になれば待ち牌は倍になる。つもる確率も増える。でもひとりでつもるより三人に出させた方が確率は高い。三人に振りこませるためには、と切っての待ちより、と切ってのペン待ちの方が「確率」は高いのだ。それがキョセンには理解できない。さすが麻雀名人を自称しつつ公開対局には絶対に出て来なかった人である(笑)。

 でもいまはキョセンに感謝している。キョセンが自分の番組に呼んでくれなければ、阿佐田さん、小島さん、古川さんを見られなかった。なんのかんのいってもそれはキョセンの功績なのである。

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「怪しい来客簿」の話なのに中身にはまったく触れず「11PM」の思い出になってしまった。まあこんな凄い本、私なんかに書評は出来ない。Amazonのレビューを覗いたが、ここまで誉められている本もめずらしい。色川ファンは多い。

 色川さんは演芸通だった。談志が兄貴と慕い、あの口の悪い男がおとなしい弟分に撤していた。談志本を読んでいて色川さんが出て来るとうれしくなる。みな兄貴に一目置くような話ばかり。男としての度量が違う。

 文壇もそう。作品などほとんど発表していないのにみんなに注目され、作品を待たれ、すこし書いたら早速これが泉鏡花賞、次の「離婚」で直木賞。審査員クラスがあげたくてあげたくてしょうがないという感じの受賞だった。人徳である。馬で言うなら、春にサンケイ大阪杯、秋に天皇賞と2戦2勝だけの7歳馬が、クラシック二冠の3歳馬や天皇賞(春)、JCを勝っている4歳馬がいるのに圧倒的多数で年度代表馬になったようなもの。そんな感じだった。享年60歳。もう21年になる。

 「近代麻雀」は、昭和52年に「阿佐田哲也特集号」を、阿佐田さんが亡くなった平成元年に「追悼号」を出した。紙質のわるい増刊号だが、それまで掲載された様々な対局の「雀譜」が掲載されている。ほれぼれする。茶色でぼろぼろになっているが今も保っている。宝物だ。

 昭和を偲んだ夜だった。

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【追記】──2013/9/17

 なぜか2010年2月に書いたこの文がいま「人気記事20」に入ってきました。理由はわかりませんがうれしいです。(理由を知って残念になることがありませんように!)

 そのことをこちらに書きました。

 上記の「阿佐田哲也特集号」の画像を貼っておきます。昭和52年2月発刊の「近代麻雀増刊号」です。

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【追記.2】──2013/9/18

 JRAのサイトに、昨年レープロに書いた「競馬を愛した人々──阿佐田哲也」がアップされていますので、よろしかったら読んでみてください。
  1. 2010/02/13(土) 06:48:45|
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「司馬史観」と「浅田史観」

 司馬遼太郎は「坂の上の雲」で、乃木希典を兵隊を無駄死にさせた愚将として描いた。発表当時(1970年)は、それまで軍神と讃えられてきた乃木将軍を批判する内容に反撥も相当あったらしい。そのとき司馬はこう語っている。

「坂の上の雲」を書くにあたり、フィクションを禁じて書くことにした。描いたことはすべて事実であり、それが事実であると確認できないことは描かなかった。(朝日文庫「司馬遼太郎全講演5」)

だったらそれはもう小説じゃなくてノンフィクションだ(笑)。現実にそんなことは不可能である。だって自分が生きていない時代の話なのだから。極力自分の創作を抑え資料から史実のみを拾って構成したとしても小説は小説である。実際この作品ものちのち史実と違う部分、司馬の創作部分が指摘されている。あたりまえだ。しかしまあよくもこんなことを平然と言える。自信家なんだな。

「坂の上の雲」は、司馬遼太郎という一作家が昭和40年に百年前の明治時代を想像して描いた小説である。フィクションだ。彼はそこでそれまで評価の高かった乃木将軍に、以前とは異なる自分なりの解釈を試みた。やがてそれは国民小説と讃えられ、司馬の一意見は史実のようになって行く。世を動かしたのだ。これぞ小説家冥利であろう。



司馬遼太郎が司馬史観なら浅田次郎のそれは「浅田史観」になるのか。彼は「蒼穹の昴」「中原の虹」で自分流の歴史観を表現している。彼が挑んだのは、妾の地位から清の支配者にのし上がり、悪鬼のような所業で伝えられる西太后を、すぐれた為政者、あいすべき人柄、国民からも慕われた存在、として描くことだった。今まで伝えられてきた評判を180度変えようとした。その後、張作霖や袁世凱等の群像にもかつてない人物像を施している。

私はこの「浅田史観」がどうにも受けいれられない。だから小説としても楽しめない。どんなにおもしろい小説でも最初に自分なりの「史観」が先だてば楽しめないのだと知った。



名著と言われる息の長いベストセラーである「坂の上の雲」も、司馬遼太郎独自の「司馬史観」に反撥し、「バカらしくて読めない」というひとも当時は多々いたのだろう。この齢になって「浅田史観」に接したことから、やっとそのことが理解できた。

私が1970年に「坂の上の雲」を読んだなら、史観なんてものはカケラも持ってないアホだから、きれいに染まった。司馬の描くとおり乃木将軍を愚将と思い込んだ。彼を名将と讃えるひとがいたら「坂の上の雲」を読んでみろと喧嘩腰だったろう。

それは西太后にも張作霖にも日中の歴史にも何の前智識もないひとなら、この「浅田史観」に酔えるということに通じる。

私は「浅田史観」が絶讃されることが理解できない。小説としてはおもしろいのかもしれないが、それはもうとんでもない極論の歴史解釈だ。

小説家のそういう史観は作家の数だけある。たとえば賄賂政治で悪名高い田沼意次の時代を富むものだけがより富んだ悪夢の時代のように描く人もいれば、経済発展したおもしろい時代であり田沼を傑物のように解釈する人もいる。そういうもののどちらにも抵抗のない私だが、どうにもこの「浅田史観」にだけはついてゆけない。

だが「高校生のときに読んだ『蒼穹の昴』は今まで読んだ本の中でいちばん感動した一冊でした。今回その続篇の『中原の虹』を読み……」という心酔したかのごとき若者のレビュウを読めば、なにもない真っ白な心の中に浅田史観が染み込んでいった様子がわかる。そういうものなのだろう。

そういえば浅田さんは世間的人気がなく評判の悪かった山縣有朋を魅力的な人物に描くことも試みている。「天切り松」だったか。これなど西太后と同じ試みであり、司馬の乃木将軍に通じる。歴史上の人物を自分の筆で違う色に染めるのは小説家の醍醐味だ。山縣の時は世間的に悪く言われている人をこんなふうに持ちあげるのもありだなと好意的に受けとめられたのだが……。



少数派でいいから私と同じように「蒼穹の昴」「中原の虹」の偏った浅田史観にはとてもついて行けないというひとがいないかとネット検索したが見つからなかった。絶讃は山のようにあったが否定はない。それどころか中には「彼の作品はあざとさが鼻についてあまり好きではないのだが、この作品だけは別。最高傑作。夢中になって読んだ」なんてのが多い。彼の作品の中でも最もあざといと思うのだが……。ないことは異常である。あって正当なのだ。

インターネット検索をするたびに思う。「ネットにはすべてある。でもなにもない」と。

敵を作りたくないのでもうこれぐらいにする。私はもう浅田作品が読めない。
  1. 2009/10/30(金) 02:45:55|
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池波正太郎短篇全集「梅雨の湯豆腐」──彦さんが死んじゃった!

book  池波正太郎短篇全集「梅雨の湯豆腐」──彦さんが死んじゃった!


http://monetimes.web.fc2.com/ez-hon08.htm#hikojiro

  1. 2008/04/29(火) 13:44:36|
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嶽本野ばら「タイマ」を読む──これはこれで新境地開拓

タイマ嶽本野ばら「タイマ」を読む。
 最初、逮捕された芸能人によくある「ノンフィクション反省記」かと思った。前書きを読んだら誰もがそう思う。ところが、そうではなく、きちんとした作品になっていた。おもしろい。これはこれで新境地開拓だろう。


 しかしいちどこういうこがあるともう、「さんま御殿」等でのおねえキャラは無理なのか。それが残念だ。

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  1. 2008/04/16(水) 15:01:30|
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「剣客商売」全巻読破──別巻「黒白」のこと

book
 池波正太郎の「剣客商売」をやっと通読終了。八巻を読み終えて感想を書いていたところで別巻「黒白」があることを知る。延び延びになっていた。


この別巻の存在には救われた。


http://monetimes.web.fc2.com/ez-hon08.htm#kenkaku

  1. 2008/04/09(水) 11:42:56|
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池波正太郎の絶筆──「梅安」の品川目黒

book
「藤枝梅安 冬時雨」を読む。今まで読まないよう避けてきた一冊である。
 というのは、これが池波正太郎最後の作品であり、物語が中途のまま、巻末に「絶筆」とあるのを知っていたからだ。そんなかなしいものには触れたくない。
 今回、もう全作品読んでいるのだから、いつまでもこだわっていてもしょうがないと、思い切って読んだ。それでもやはり巻末にある「絶筆」はこたえた。体調のことがあって、すこし筆が乱れているように感じた。雑だと。単なる思い過ごしだろうか。
 
「梅安」には「鬼平」とも「剣客」ともまたちがった思い入れがある。地である。私は東京に三十年以上住んでいるがそれは品川と目黒のごく一部だけだ。というかそれしか知らない。それが私の「東京」のすべてになる。一昨年、江東区に半年ほど関わったが、まったくの別世界だった。異国とすら感じた。

 目黒品川といってもまた広くなるのだが、私の住んでいたのは池波師の描くそれにもろに当たる。
 師のお住まいがあったのが戸越銀座である。私は武蔵小山と旗の台に住んでいたから戸越銀座もまた手のうちだ。武蔵小山商店街を抜けると戸越銀座に繋がる。そこを抜けると旗の台だ。
 住まいから戸越側ではなく目黒側に行くと、すぐに碑文谷、目黒不動尊だった。
 
  池波師は、昭和四十三年から始めた「鬼平」の連載で一気に名を挙げ、昭和四十六年から「剣客」「梅安」シリーズも始めた。
「鬼平」は実在の人物であるから役宅の場所等は決まっている。これは江戸下町の本家である江東区や台東区、墨田区の住人のほうが親しめる。

 純粋なフィクションである後二作は舞台設定を自由に出来る。「梅安」の住居が「品川台町」になったのは、師が戸越銀座に住んでいたことと無関係ではあるまい。品川と目黒不動尊、碑文谷神社、それらが頻繁に登場するだけで、土地勘のある私はうれしくなる。五反田から大崎のあたりもよく舞台になる。雉の宮もよく登場する。なにしろ私は東京の他を知らない。知っているのはそこだけだ。それが舞台なのだからうれしくてたまらない。「梅安」が他のどんな時代小説よりも特別なのはそのことによる。


 江戸っ子である池波師は、変貌してゆく東京に絶望し、自分の中に江戸を創ったと言われている。自分の中に理想的な江戸を創造し、そこの住人となった。そのことで満足を得た。それによって現実の東京への失望を断ち切ったと。
 それはすばらしいことであるが、同時に脳内世界のむなしさでもある。どんなに充実していてもそれは現実世界ではない。

  現実ではどうしたか。
  師はパリを愛した。
  わかる。パリは変らない。変らない美徳にパリっ子がこだわっている。あのフランスの頑固さはかっこいい。江戸は東京となり、東京は軽薄に尻軽に醜く変貌していったが、パリは百年前、二百年前と変らないまま存在している。
  時代小説家の池波師は、しばしばパリに出かけ、JAZZを聴いた。そして帰国して、一見それらとは正反対のような、実は同質である「鬼平」を「剣客」を「梅安」を書いた。
 
  先生のお宅に歩いて十分ほどのところに私は長年住んでいた。もしかして商店街では何度かすれ違ったかもしれない。だが当時の私は時代小説に興味がなかった。読んでいない。もし先生とすれちがっても気づかなかった。
 パリを知るのも、JAZZに魅せられるのも、ずっとあとである。
  しかたのないことだ。池波師が東京に絶望してパリに惹かれていったように、私にも時代小説やJAZZに興味を持ってゆく順を追った流れがある。
 
  いまこうして、氏の作品を楽しめる自分に満足すべきなのだろう。
「梅安」の彦さんが大好きな湯豆腐を作り、「剣客」を楽しみつつ……。
 

  1. 2008/03/04(火) 05:52:21|
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図書館の西原人気

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 図書館での西原理恵子人気はすごい。いつ行ってもみな貸し出し中だ。そんな中、唯一あるのが伊集院静とのコンビ本。これはもうどこにいっても必ずある。西原関係の本はみな貸し出し中なのに、唯一残っている。だから借りる。でもこれ伊集院の本だ(笑)。せっかく借りてきたのだからと読む。つまらない。後悔する。返す。その繰り返し。そう、せっかく借りに行ったのだからと、なんどか同じ事をやっている。ばか。
 
  そんなに好きなら買えば? と言われそう。買っている。けっこうもっている。あのアマゾンに出かけたのなんて、引っ越しの際の何度もの大量焚書をくぐり抜けて残っている。「恨ミシュラン」はあったか? 前回の焚書で焼いたような。あれはコータリの本だし、なにより出版がアサヒだった。カモちゃんの本はまだ何冊かもっているが次の焚書で焼かれそうだ。


  最近の母親シリーズに、買うほどの興味はない。かといって読みたくはある。なので図書館、という流れ。しかしいつ行ってもどこでもみな貸し出し中なのである。
  私は「予約」というものをやったことがないし、する気もない。そこまでして借りるなら買えよ、と思う。なのに買わないから堂々巡り。いつまで経っても近年のサイバラを読めずにいる。
 
  立ち読み、という手がある。だが私の住んでいる地域でサイバラの本をそろえている店はない。いったいどんなところに住んでいるのかと笑われそうだが現実である。
 
  今朝は、カフェラテを作って飲んでいたらサイバラが読みたくなった。がまんするとすぐに忘れる。しばらく後、また思うことになる。同じ事を書かないようにメモ。

  1. 2008/03/03(月) 12:43:49|
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草思社、倒産!

草思社が民事再生法適用申請

「間違いだらけのクルマ選び」シリーズや「声に出して読みたい日本語」など、ベストセラーの刊行で知られる出版社の草思社(東京、木谷東男社長)が9日、東京地裁に民事再生法の適用を申請した。負債総額は約22億5000万円。営業は継続するという。


 同社によると、出版不況で書籍の売れ行きがふるわずベストセラーが出にくくなり、負債が経営を圧迫、資金繰りも悪化した。複数の出版社が支援に名乗りを上げており、2月末にもスポンサーを確定したいという。


 草思社は1968年に設立。新しい視点のノンフィクション作品を軸に、「大国の興亡」や流行語にもなった「清貧の思想」などの話題書を続々と刊行。人間関係の指南書としてミリオンセラーとなった翻訳書「他人をほめる人、けなす人」をはじめ、ユニークなタイトルの付け方で、新しい読者層を開拓した。


 また「声に出して読みたい日本語」は累計で約160万部となり、日本語ブームを生み出すきっかけの一つともなった。


 昨年末には北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの母親早紀江さんの集会や記者会見での発言をまとめた「めぐみへ 横田早紀江、母の言葉」を出版、話題になった。


(2008年1月9日18時59分  スポーツ報知)


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 知らなかった。「Web草思」も『新・お言葉ですが……』が休載になってからめったに出かけていなかった。たまに行って、07年6月から再開されてないと確認するだけだった。急いで行ってみるとしっかり閉鎖されていた。ショックである。

 しばらくのあいだ「書庫」に置いておくというので、『新・お言葉ですが……』をコピーし、保存させてもらった。
 しかし私は草思社の多くの本に心惹かれながらも、購入して応援するという基本的なことをしてこなかったからえらそうなことは言えない。

  1. 2008/01/31(木) 14:23:35|
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白川道のタバコ──『天国への階段』感想文──そこいら中、タバコだらけ


 白川道のタバコ

 白川道(しらかわとおる)の全作品を読了した。ついこのあいだまで知らなかった人なのに読み始めてからは一気だった。今年の夏は我ながらよく本を読んだ。猛暑の夏ですらあれぐらい読んだのだから秋の夜長になったらどうなることか。(もっともその分、映画はまったく見ていない。)

 やがて忘れるだろうからきっかけを書いておこう。元々そのために書いている文だ。
 昨年、H子さんとの縁から半年ほどデータ入力のバイトをした。生まれて初めての長距離電車通勤をした。その道すがらだいぶ前にもう卒業していた夕刊紙を読む癖が復活した。この「夕刊」というのがポイントだ。朝刊は電車が混んでいて読めない。
 5円のときから愛読していた『東スポ』はお笑い新聞に堕ちていたし、なにより私がプロレスに興味をなくしていた。サヨクオヤジが酒場でくだまいているような『日刊ゲンダイ』は読みたくなかったから、必然的に『夕刊フジ』になった。ナイガイは問題外。毎日『夕刊フジ』を読むなんて何十年ぶりの習慣だろう。猪木とアリが闘っていたころ以来だ。「オレンジ色に燃える憎いヤツ」というテレビCMが流れていた。

 そこに白川道が随筆を書いていた。週一である。漫然と読んでいた。さして興味のあるものではなかった。無頼派作家として、麻雀や競輪を主にした人生論がメインだった。それでも名前は覚えた。
 今夏、何年かぶりに冒険小説を乱読し、馴染みの作家に読むモノもなくなったので、さてなにかないかというとき、突如彼の名を思い出し、図書館の本棚で手にした。
 全作品読了といっても、デビュウが遅く、寡作なので全部で十冊ほどか。でもみなおもしろかった。そのことはまた書くとして、タバコの話。

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 『夕刊フジ』の随筆の写真も、タバコをふかしている横顔を載せるぐらいだから、よほどのニコチン中毒なのだろう。いやはや全作品煙い煙い。
 やたら煙草呑みが登場する大沢在昌作品にうんざりしていた。その不自然さのない真保裕一作品と出会い、ほっとした。しかしここでまたタバコばかりの白川作品に関わる。煙くていやになる。

ハードボイルドとタバコ

 「天国への階段」感想

 といって煙モクモクの全作品を否定するのではない。たとえば自伝である「病葉流れてシリーズ」は、麻雀競輪小説であるから、煙いのもよくわかる。また舞台が昭和四十年代だ。男はタバコを吸うのがふつうの時代だった。あのころのタバコ嫌いは辛かったことだろう。作品中、いたるところタバコばかりで、男も女もみんな喫うのだが、まったく気にならない。
 同様に、舞台が現代でも「終着駅」はヤクザが主人公だ。これまたキャラとタバコがあっているので気にならない。(盲目の少女との純愛小説だから問題か?)

 しかし彼の作品でいちばんヒットし、売れ、テレビドラマにもなったという、この「天国への階段」になると首をかしげる。
 主人公も、主人公の運転手をしているがじつは主人公の実子である二十五の青年(青年はそれを知っている。主人公は知らない)も、主人公の過去の犯罪を追う刑事も、みんなニコチン中毒である。やたらタバコばかり喫っている。煙くて臭くてたまらない。



 しかも白川は、よせばいいのに、喫ったタバコのその先まで書く。駅前で人を待ちつつ喫っている。待ち人が来たらアスファルトに吸い殻を捨てて靴で踏みにじる。公園での会話の場合もそう。喫いながら話し、最後には投げ捨てて踏みにじる。道路や公園に捨てられ靴先でねじられた吸い殻とフィルターの汚い画が浮かび気分が悪くなる。橋の上での会話では、吸っていたタバコを川に投げ捨てる。
 こういうシーンを平然といくつも書くのだから、現実の白川もかなり煙草呑みとしてマナーが悪いのだろう。というか、マナーが悪いとすら気づいていない人なのだろう。現実の彼のマナーなどどうでもいいが、クールな主人公や、作中の重要脇役である人情刑事が頻繁にこれをやると、そのキャラクターさえ疑わしく思えてくる。事件で関わった男に、職を賭してまで意見を言う硬骨漢のこんな人情刑事の日常所作には興醒めだ。小説中の人情刑事のキャラなら、公園を汚している醜い吸い殻をそっと拾ってゴミ箱に入れるぐらいが似合っている。なのにこの刑事もそこいら中にポイ捨てすてなのだからキャラが毀れる。それは、周囲の人間が迷惑していても気づかず、ニコチンタールを摂取する自分の快感にのみ忠実なタバコ中毒者の無神経さである。

 この作品の主人公は、四十五歳。係累はなく、十八で上京し、犯罪で得た金を膨らませ、二十五歳で会社を興した。すべて独力である。いまでは貸しビル業、ゲームソフト開発会社、人材派遣会社を経営する大金持ちだ。クールな性格、怜悧な営業方針、精悍な顔立ち。二十五歳の若さで起業した、それこそ成り上がりの若造として、常に自分より年上の企業人と接してきた彼が、どこでも誰の前でもまずタバコを取り出して一服する煙草呑みであることに納得できない。彼の経歴からしたら、他人様に失礼のないよう極力そういうことに気を遣って生きてきたはずだ。
 これは二十歳の学生時代から、四十五十の男達と高額の麻雀を打ち、いわゆる「年配者に気を遣う」なんてこととは無縁の人生を歩んできた無頼な白川の作り出したキャラ故の矛盾である。
 主人公は二十代の会社社長として歩む。故郷を追われ、高卒で上京し、働きながら学資を貯めて早稲田の夜間に通った。そこで知り合った天才プログラマーとゲームソフト開発会社を作り、そこから成り上がって行く。その資金の7千万は犯罪で作った金を膨らませたものだ。こういう過去を持つ人がいつでもどこでも誰の前でもまずはタバコを取り出す無神経のはずがない。臆病で用心深いはずだ。

 北海道浦河の絵笛出身。父とサラブレッドの生産牧場をやっていた。それを乗っ取られる。そこから始まる復讐譚。喪失した故郷の自然の美しさを讃え、動物を育てるために必要な愛を語ったりする。なのに二十七年ぶりに訪ねたその故郷の牧場でも、タクシーで乗り付け、その地に降り立つやいなや、早速タバコに火を点ける。さすがにここには書いてないが、ここでもタバコはポイ捨てであり、靴先でねじったろう。まさかこのときだけ携帯灰皿をもっていたとは思えない(笑)。
 牧場を愛し、自然賛歌を謳いつつ、やっていることがそれと剥離している。牧場を愛する人にこんな無礼な人はいない。牧場は寝藁や干し草が多く、構造上火事になりやすいので喫煙には気をつける。牧場育ちで物心つくころから牧夫生活をしていたという設定の彼の性格設定が理解できない。なぜせめてそういう場だけでも禁煙できないのか。主人公がそこでタバコを吸う必然性などまったくないのだ。
 なぜ喫うか? 答は簡単だ。主人公を操っている作家が、喫わないといられない中毒者だからである。そのことによってこれが空気の澄んだ日高の牧場や、禁煙のゲームソフト開発会社のオフィスとは無縁の、煙モクモクのヤニ臭い白川の書斎で書かれた絵空事であることが見えてしまう。自分が10分に1本喫わないといられない中毒者だから架空の創作人物もみな同じように中毒している。
 タクシーを降りて牧場に立つやいなやタバコに火を点けた主人公とは、この小説のロケハンのために浦河の牧場に行った白川のとった行動そのものなのだろう。牧場にいると、そういう馬主ってよくやってくる。下品な成金馬主だ。


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 吉田善哉さんの逸話を思い出す。書いたのは吉川良さん。
 真夏、牧場にクルマで乗りつける馬主。興味のある馬を買おうとやってきた。牧夫に馬を連れてこさせる。解説するのが牧場主の善哉さん。馬主はクルマを降りてもエンジンはかけたままだ。乗ったとき涼しいようにクーラーを効かせている。そこに連れてこられる馬。善哉さんはつかつかとクルマに寄り、エンジンを切ってしまう。けげんな顔の馬主。
 馬は音に敏感だ。エンジン音で不安になる。馬を安心させることが第一。お客様である馬主より馬の気持ちを大事にする。これぞ本物の馬優先主義。そのことに不愉快だと怒って帰った馬主もいる。何千万円になったかもしれない商談の破談。善哉さんは気にしない。あんなのに買われたら馬がかわいそうだと言い切る。真のホースマンである。

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 この小説の主人公が、他の白川の作品に登場するような、株や投資で儲けた成金ならわかる。だけど設定が、牧場育ちで本当に馬が好きなことになっている。やっていることがおかしい。基本設定が破綻している。それだけ競馬の世界、生産者を知らずに書いているのだろう。

 その他にも穴が目立ち、ツッコミどころ満載の問題小説だ。
 競馬、競走馬に関してもそう。その辺に関しても言いたいことはいっぱいある。でもそれはどうでもいいことだ。それは専門家の重箱の隅つっつきになる。そんなことはどうでもいい。問題は専門的なことではなく日常的なことである。キャラクターの設定だ。基本中の基本だ。その代表として、登場人物がいつでもどこでも誰の前でも無神経に喫いまくるタバコは絶対におかしい。

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 白川道という作家の魅力は、自伝的要素の強い波瀾万丈の物語にある。それでデビュウし、一定の評価を得た。しかしそれだけでは不本意だったのだろう。だからこんなものも書けるんだぞと、麻雀も競輪も株も投資も出てこない、いままでとは傾向の違った、競走馬の牧場と幼なじみとの恋愛を基礎にした復讐譚のフィクションを発表した。それがこれになる。

 タイトルの「天国への階段」とはツェッペリンのあれである。文中一度もレッドツェッペリンの名は出てこないが、思い出のレコードという小物として登場する。この辺も演歌派が無理矢理作ったロック風プロットの嘘が見えてすこし苦しい。白川さんが洋楽を知らず、生粋のド演歌派であることは随筆でも書いている。
 自伝の「病葉流れて」に詳しいが、彼は時の流行り歌と一緒に生きてきた人である。作品中に登場する当時のヒット曲が味わいになっていてとても良い。「黒い花びら」とか。おそらく「病葉流れて」というタイトルも、当時流行した仲宗根美樹の「川は流れる」から来ているのだろう。歌詞は、《病葉を 水に浮かべて 街の谷 川は流れる……》である。

 この小説を読んでもジミー・ペイジのあのギターソロは流れてこない。まったく結びつかない。結びつかないからこそ聞いてみた。ひさしぶりに。「Stairway to Heaven」を。でもやっぱり、それで絵笛から浦河高校に通う高校生恋人の姿は浮かんでこなかった。白川がどれほどツェッペリンが好きなのか、ぜひとも聞いてみたい。この種の嗜好は隠しても見えてしまう。逆にいくら見せびらかしても嘘はなにも訴えない。

 作中の人物たちは辛い過去もあり、作品中でやたら泣く。特に後半は泣きっぱなしだ。なのに涙腺の弱い私がそうなる場面はまったくなかった。それがこの作品の限界だろう。登場人物が自ら泣く必要はない。登場人物は淡々と語り、読者を大泣きさせるのが小説だ。

 この作品が半端なのは、白川が従来の白川臭さを消して築いた新生面のはずなのに、その従来の臭さが消えていないことにある。象徴がタバコだ。いままでの煙モクモクのやくざの事務所や雀荘とは違う、社内全面禁煙のオフィスビルの作品を書いた。そのはずなのに、どの部屋に行ってもたばこ臭く、ついさっきまで喫っていたのがすぐにわかってしまう。そんな矛盾を内包した小説だ。現実の白川がどんなにニコチン中毒でもかまわないが、小説の登場人物ぐらい禁煙させろ。それがブロだろう。
 日に何箱も喫うニコチンタール中毒者が、タバコを吸わない主人公の小説を書くのは不可能なのだろうか。そんなことまで考えた。

 東京新聞に連載された作品だという。1200枚を追加したと後書きがある。それで2000枚強だから連載時には800枚だったことになる。補稿の枚数のほうが多いのだから書きなおしに近い。その連載時の原稿を読んでみたいと思った。たぶん刑事たちの会議、捜査の進展、あのあたりが全面的に補強されたのだろう。まず間違いない。何度も繰り返されすこしくどいほど出てくる。連載時のこのへんは、かなり荒っぽかったように思う。

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 日高本線の絵笛のあたりは土地勘があるので懐かしかった。作中で絶賛されるほど美しくはない(笑)。でもテレビドラマのときはきれいな映像だったことだろう。映像マジックだ。私も三十年近く前、初めて海沿いを走る日高本線に乗ったときは、うっとりした。

 読了したあと、テレビドラマについて検索し、キャスティングなども知った。
 小説を読むと自分なりのキャラクターが動き始める。それは独自の容貌だ。どんな現実の美男美女が演じてくれてもギャップがある。この作品だとヒロイン母娘は誰が演じても私は満足しないだろう。
 だから私にとって、大沢在昌の「砂の狩人」を読んでいて、脇役の原という捨てゴロの達人であるヤクザに、「映画にするなら山本キッドに演じて欲しい」と思ったことはとんでもない例外になる。私ですらそう思うことがあるのだから、世の中にはきっとそういうことばかり考えながら小説を読む人もいるにちがいない。

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 私は白川道作品のファンである。初めて手にしてからあっという間に全作品を読了してしまった。ご本人が構想はあれこれあるのだが、もう三年以上なにも書いてない、と随筆で述べているから、しばらく新作はないようだ。待ち遠しい。

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 浅田作品を見直す

 浅田次郎さんはチェーンスモーカーである。酒が飲めないし、しかたないかもと思う。でも煙草呑み特有の、「喫煙権」を主張したエッセイにはうんざりする。猛烈な喫煙肯定派である。
 登場人物が煙草呑みばかりの大沢作品、白川作品を読んでいて、ふと思った。エッセイの主張とは違って、浅田作品の登場人物は煙草呑みばかりではない。
 短編の設定で、「この主人公はタバコを喫わない方が自然」と判断した場合、喫わせないのだろう。ご本人が重度のニコチン中毒であるわりに、浅田作品の登場人物はそれほど煙くない。
 さして気にしていなかったが、他者と比べて気づいた。登場人物が大沢作品、白川作品のようにニコチン中毒ばかりだったら、浅田作品があそこまであいされることもなかったろう。

 しかしそれは浅田作品がすぐれているというより、ニコチン中毒の他の作家が、やたら喫わせすぎでおかしいのだ。
 二日前から読む物がなくなったのでひさしぶりに北方謙三に手を出している。この人もやたら煙い。こまったもんだ。

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 人それぞれ……

 あるかたの[感想]を読んだら、この作品を読んでいるあいだ、ずっとツェッペリンのあの曲がリフレインしていたとあった。大感動、大絶賛である。う~む、感想は人それぞれだ。私にはまったく流れてこなかった。
 これを読んで日高の牧場に行きたくなったと書いてある。まあこれはわかる。牧場でタバコのポイ捨てはやらないで欲しい。

  1. 2007/11/01(木) 06:02:45|
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船戸与一とドビュッシィ

 ドビュッシイの夜想曲
 船戸の『山猫の夏』を読み返していたら、顔にハエがたかる暑い暑いブラジルの安酒場で、ジュークボックスからドビュッシイの夜想曲が流れてくる場面があった。
 印象的なシーンだったのでそれと同じドビュッシィをCDからハードディスクに入れ、何度か聞いているのだが、どうもしっくりこない。



 こういう「ん?」、あるいは「おっ!」と思うシーンは、実際に取材の過程でそんな組み合わせと出会い、「うん、これは使える!」という場合と、それこそ机上で「こんなシーンがあったらおもしろい」と作り出す絵空事の場合がある。この場合、どうにも現実とは思えない。すぐにそれは本来のジュークボックスに入っているようなボッサノヴァになるのだが、あるのか? ブラジルの田舎、人口二千人の町の酒場のジュークボックスにドビュッシイのピアノノクターンが?
 行ったことないからなあ。今もドビュッシイ聞きながら、いくらなんでもそれは、と思うのだが……。

【附記】
 その後『夜のオデッセイア』を読んでいたら、これはアメリカ南部の放浪物だが、ここでも「ドビュッシイの夜想曲」が登場していた。「夜想曲」だからカタカナで書くと「ノクターン」になる。この頻繁さから船戸がこれを大好きであることは間違いない(笑)。しかしニューオーリンズやブラジルの田舎で現実に耳にすることがあるのかどうか。これは我が身で確認するまでわからない。ドビュッシイねえ……。

  1. 2007/01/18(木) 14:15:25|
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通向けの佳作──「師匠」立川談四楼

 通向けの佳作
 私は「落語も出来る小説家」と名乗る落語家、立川談四楼に対して好感を持っていなかった。
 というのは、今までに読んだ何冊かの「トンデモ本」等に書いている彼の文章がつまらなかったからだ。「こんなつまらんことを書く暇があったらもっと落語に精進しろよ」と思ったものだった。ああいうのは編集部がネタを押しつける場合もあろうが、それぞれが自力で見つけたネタを持ち寄る場合も多いだろう。「トンデモ本」の場合は後者のように思う。もともと<と学会>はそうして出来たものだ。しかしここまで「トンデモ本」もメジャになってくると、そうそう人を唸らせるものも残っていない。彼が見つけてきて解説しているものはたいしたものではなかった。
 もうひとつ、「才人揃いの談志門下の中で、物書き部門担当」のような感覚が気に入らなかった。これはまあ生理的な反感か。

 そんなに気に入らないのになぜ借りてきたのかと言えば、そりゃタイトルに尽きる。「師匠!」とあったら誰でも談志との内輪話を思い浮かべる。この本を手にする人のほとんどはそうだろう。
 談志本が好きな私はもう全部読んでしまったので、今度は側面から攻めてみるかと(?)こんなのを借りてきたのである。先日「新釈落語噺」を買ってきた。いい本は借りて読んだあとにまた買うことになる。なんであれを買ったかというと2冊の全編に志ん生への愛と畏敬が溢れていて、ホームページに引用したい箇所が山とあるからだった。談志は文楽も圓生も超える自信があったが志ん生だけは……と思っていたのではないか。とこれはまた別の話。

 そんな思いで借りてきたから8月2日に借りてきたのになかなか手を出さなかった。いや出したのだがつまらなくて投げたりしていた。それが腰を落ち着けて読み始めるとおもしろく一気に読破してしまった。通好みの佳作である。ただし談志の内輪話は書いてないからそっち方面の期待は裏切られるし、なによりかなり落語好きでないと楽しめない。だからこそおもしろい一冊。
  1. 2005/08/14(日) 23:45:21|
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鉄玉子図書館利用法


 花村萬月の鉄卵──図書館の利用法
 新宿図書館で借りてきた数ヶ月前の小説雑誌に花村萬月が「鉄卵」のことを書いていた。鉄分摂取に南部鉄瓶は高いので近くのスーパーで見かけた鉄卵を800円で買ってきたとか。卵の形をした鉄の固まりである。湯を沸かすときこれを入れると鉄分が溶け出す。立ちくらみなどがする鉄分不足の人に効果があるとむかしから言われているらしい。花村さんもそうして沸かした湯で冷たい番茶を飲みまくっていたら貧血が治り、いまや一日たりとも手放せなくなってしまったとか。
 彼はタバコをやめたそうで、やめた人の常として、いかに体調が良くなったかを強調し、あれはやはりいいところがないものなので皆さんもやめたほうがよかろうと意見を述べていた。鉄卵を入れたお湯で淹れた番茶ばかりを飲んでいるので最近まったく水を飲んだことがないという。私の寿司粉茶と同じだ。

 ということですこし調べたら、緑茶は鉄分の吸収を下げるらしい。だから貧血気味の人が鉄分の多い料理、レバー等を食したあと緑茶を飲むのはよくないのだとか。珈琲も紅茶もだめだがなぜか番茶はいいそうでみなそうしているらしい。
 花村さんは「鉄卵」と書き、そのあとに「鉄玉子?」としていたが、商品としては「鉄玉子」が正しいようだ。800円である。利用者は多いらしく検索したらすぐに多くのヒットがあった。

 このことを知ったあと、なぜか「南部鉄瓶を手作りしている岩手の人からの商品紹介」がメイルで届いた。初めてであり削除したあとは二度と来ない。その偶然をなんとも奇妙に感じた。これで私がそういう商品のサイトに行ったなら、どういう方法か知らないが訪問者にメイルを出すことはあり得よう。あるいはここに書いたようなことを公開したなら、あちらがそれを送ってくることはあり得る。だが私は花村さんの文を読んだだけで「南部鉄瓶か。機会があったら買いたいものだ。どれぐらいするんだろう」と心の中で思っただけなのである。なんとも不思議なタイミングだった。

 この鉄玉子、私も欲しいのだが、電気ポットはだめらしい。入れて沸かすとポットが壊れてしまうようだ。普通のヤカンでお湯を沸かすとき使うとすると二重手間になる。ガスで沸かした湯を電気で保温する形だ。どうしよう。貧血で悩んではいないが妙に興味を持ってしまった。

 そうそう肝腎なこと、いちばん書きたいのは鉄玉子のことではなかった。
 数ヶ月遅れの小説雑誌を何冊か借りてきたのである。その中にこういう随筆があったりして楽しませてもらった。それで、もしかしたらこれって図書館利用の王道(?)かもと思ったのである。
 私の場合、欲しい本は買う。「読んでみたいが、買うほどのものでも……」を借りて読むのが図書館の利用法だった。今回読破してあらためて「藤沢周平全集は買おう」と思った。ほとんどは単行本でもっている。それでもやはり全集を揃えたいと思った。こういう見直しと確認もまた図書館の価値であろう。
 そしてもうひとつ、上記のように興味のある記事があると買っては、ごく一部だけをを読み、すぐに捨てていた月刊小説誌のようなものを借りることが、最も価値のある利用法なのではないかと思い至ったのである。今までは本屋で立ち読みし興味がある号だけ買っていた。興味のある号、ない号とハッキリしているときはいい。困ったのはつまらない号で買いたくはないのだがほんのひとつふたつ興味ある記事があるときだ。かつてはそれでも買っていたのだがその辺の無駄に目覚めた今は買いたくない。そうか、こんなモノにこそ図書館だった。
 図書館では最新号は借りられない。最新でも月遅れの号になる。さすがに最も興味のあるパソコン誌は月遅れの号では興ざめだが小説誌なら数ヶ月遅れたところでなんの問題もない。それどころか単行本と比べたらずっと早い「新刊」である。
「図書館で雑誌を借りる」は私のあたらしい利用法になりそうだ。

【附記】 パソコンソフト解説書
 毎日出入りしていると「パソコンソフト解説書」を借りている人をよく見かける。「よくわかるエクセル」とか、そんなタイトルの本である。これも有効な方法なんだなと他人事風に思った。
 かつて私は使いもしない『一太郎』等に常にそんな解説書を買っていた。使う予定はないがもしかして使うとき役に立つだろうと備えたのだ。よって「一太郎8のすべて」なんてのがまったく使わないのにソフトのVersionと並んで9.10.11と揃えられてゆく。結局今回の引っ越しでみな捨ててしまった。ただの一度も開かれることのない美麗な本であった。まったくもったいないことをしていたものである。今も『ホームページビルダー』や『DreamWeaver』の解説本がズラリと揃っている。これは役だってくれているけれど。
 これも有効な方法のように思う。貸出期間は2週間だから、やる気のある人なら覚えられるだろう。そうしてまた借りてやるだけやって、やはり手元に一冊置きたいと思ったら、それから買ってもいい。みんな上手に利用してるんだなと感心した。さいわいいまのところ借りたいソフト解説書はない。
  1. 2005/07/27(水) 13:52:41|
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似たような貸出票


 似たような貸出票

 新宿中央図書館から借りてきた車谷長吉の「銭金について」を読んでいたらハラリと貸出票が落ちた。一瞬見て自分のものだと思った。台東区の入谷図書館から借りてきたのと同じ本の名が書かれている。藤沢周平全集を借りていたころのものか。が、よく見ると新宿の中央図書館だし、日附も四月だ。私の前にこの「銭金」を借りた人がここに挟んだままだったのだ。いやはや池波正太郎といい「日本の名随筆」といい、好みがよく似ている。

 同じ本を読む人はこんなにも好みが似ているのかと、最初照れくさいような気分で苦笑し、それからすこし共通しすぎていることに気味が悪くなり、やがてこんなに感覚の似ている人がいるのは決してわるいことではあるまいと思えた。
 同じように立川図書館の本からこれと同じ紙が落ちたことがあった。その人も私と同じく落語CDを借りて時代小説を読んでいる人だったので苦笑したことがある。いつの日か酒場で隣り合ったら、趣味嗜好が似ていて話の弾む人がいるってことだからまんざら悪い話ではない。そう思うことにした。
  1. 2005/07/25(月) 04:30:11|
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2001年に始めたサイトMone's World--http://monetimes.
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メールは、moneslife2000
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