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ことば──Wikipediaの下手な文の例──王選手の項目から

Wikipediaには日々たすけてもらっていて、とても感謝しているけれど、あまりにひどい文章が多いのではないか、とは何度か書いてきた。

わかりにくい例──二所ノ関部屋の歴史から」に書いたのは、「一度にいろんなことを言おうとして意味不明になっている」ということ。



今回、王選手のことを調べていて、以下のような文にぶつかった。なんともひどい。上記の二所ノ関部屋に関する文章と同じで、知っていること、言いたいことを一気に全部言おうとするものだから、なにがなんだかわからない文章になっている。こんがらがったので放棄した。Wikipediaにスポーツ関係のことを書いているひとにはこの傾向があるようだ。時間や場所に加えて人間関係のことまで一気に書こうとするので日本語が破綻している。
王監督時代に、江川が監督に不信感をもった、ということを書きたいらしいのだが……。

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王選手のWikipediaから引用

《江川は5月10日ホテルニューオータニ作新バッテリー組んだ小倉偉民自身の実姉の一時期婚姻関係に在った男性の実父の実弟亀岡高夫と前年養子縁組記念の政治資金パーティー開催でゲスト参加、本来は丸一ヶ月前の4月10日予定されていた星野仙一新監督率いて新加入の4番サード落合擁する中日ドラゴンズと開幕戦有ったため一ヶ月延期してもらった開幕投手は西本が務め王監督に不信感抱いた。》

主語述語でいうと、「江川は──王監督に不信感抱いた」なのだろう。そのあいだに挟まれた豊富な情報、複雑な人間関係(笑)。事細かにあれこれ入っているわりには、あるべき助詞が抜けていたりする。よくもまあこんな文を書けるものだ。



ところでON世代の私がなぜ今ごろ王さんのことを調べようと思ったかというと、週刊誌のコラムで「王、金田、広岡=おう、金だ、拾おうか」というあのころの懐かしいダジャレを見かけたから。私が野球好きだったのはONの現役時代までなので王監督の実績は覚えていない。でも不仲の中畑が「わん公」と失礼なことを言ったのは覚えている。
そのころの事情をなつかしみつつ読み、いろいろと記録を確認できたりして、いつもどおりWikipediaの便利さには感謝するのだが、いくらなんでもこの文章はひどすぎる。なかなかこれだけのものにはお目にかかれない。どんなひとが書いたのやら。
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  1. 2016/03/06(日) 08:24:23|
  2. ことば

続・イニシャルの話──日本人のイニシャルは姓名の順──My nama isからI amの時代へ

 今や外国語教育は小学校でも必修となった。家庭でも授業を終えた子供が、覚えたばかりの英語で話しかけてくるかも知れない。しかし、不用意に自分の常識で対応するとあいさつの段階で恥をかく。

Hello, my name is Ken Tanaka.〉は教科書に載っていた一番はじめに教わる英語のあいさつだ。

 このようにMy name isのあとに「名―姓」の順で習ったはずだ。しかしMy name is~のあいさつは「古い言い回し」として今の教科書では使われなくなった。
 
 現在中学一年生の教科書ではI am Tanaka Ken.と、 I amと「姓―名」の順で名乗るのが標準なのだ。

 姓名の順は2000年に国語審議会が「国際社会に対応する日本語の在り方」で、日本人の姓名についてローマ字表記を「姓―名」の順にすることが望ましいと答申したことが大きく反映されている。
SAPIO2014年12月号

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 時代は正しいほうに動いている。西洋人コンプレックスで、日本人が姓名を逆さに言う時代は終った。

kanren7 日本人のイニシャルは姓名の順が正しい──2013/08/07
  1. 2014/12/02(火) 00:01:58|
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ことば──「残滓─ざんし」の読みかた──室谷克実さんの講演から

「呆韓論」「悪韓論」とヒットを連発している室谷克実さんの講演をネットで見た。「ざんさい」と口にされていた。前後の話から推測するに「残滓」でまちがいないと思われる。「残滓─ざんし」の百姓読みだ。旁(つくり)が「宰相」の「宰」なので、ここからの推測で「ざんさい」という読みが発声する。

 室谷さんは慶應の法学部を卒業後、数年前の定年まで時事通信で記者をしていたかたである。編集長も勤めている。「残滓」を百姓読みで「ざんさい」と読むひとがいるとは知っていたが、今まで出会ったことがなかった。まさか室谷さんのようなかたが口にするとは思わなかった。あの麻生首相の誤読以来のショックである。いやそれよりもおおきいかも知れない。あの場合は単に麻生さん個人が漢字が苦手だったにすぎない。その個人が日本国の総理だったので大きな話題となったわけだが、室谷さんの場合は、いわばことばの専門家である。これは「時事通信社では残滓を〝ざんさい〟と読むことがふつうになっている」ということだ。つまり室谷さんの周囲にいるひとたち、同僚、部下も、みな現場で「ざんさい」と言っているのである。報道の現場で「ざんさい」と使われているのだ。「そういう読みをするひとがいる」とは知っていても、私の周囲にはひとりもいないし、かつて耳にしたこともなかったから、私にはとんでもなく大きな事件だった。
 普及している百姓読みには、「些細─ささい」を「しさい」、「洗滌─せんでき」を「せんじょう」なんてのがある。これもみな旁の読みからの発声だ。それらは日常的に耳にするが、私はいまだかって「残滓」を「ざんさい」と読むのを耳にしたことがなかった。私の知らないところでどんどん時代は変っているらしい。
 

 
 それはとてもショックではあったが、私の持論からするとさほどのものでもない。なにしろ私は「脆弱─ぜいじゃく」を「きじゃく」と読んだひとが笑い者になるたび、「そんなこと、どうでもいいじゃないか」と反感を抱き、「もう読みは〝きじゃく〟で統一してしまえ」と思うほうだったからだ。
 偏(へん)と旁(つくり)から成る漢字を旁で音読みするのは日本人の習性だ。よって「脆」の旁の「危」から「きじゃく」という読みが生まれる。それは間違いとされる。まあ国語の試験的にはまちがいであるけれど。

 「ぜいじゃく」が正しく「きじゃく」は間違いという根拠は、「脆」の字を「ぜい」と発音することが、シナの原音にちかい(漢音でゼイ、呉音でセイ)という理由にすぎない。これはそれほど重要だろうか。日本人の漢字使用とは、そもそもが「和語に漢字を当てはめた」という「当てはめゲーム」にすぎない。なら「RADIO」から「ラジオ」という日本語を作ったように、「脆弱」を「きじゃく」と読む日本語があってもいいのである。「脆弱をきじゃくと読んだ。正しくはぜいじゃくだ」という批難は、「RADIOをラジオと言った。正しくはレイディオだ」と言うのに等しい。たいしたことじゃない。
 

 
 このブログでぜひ読んで欲しいテーマに「三年遅れの麻生首相漢字誤読論」がある。ここでの私の意見も同じく「漢字の読みなんかどうでもいいじゃないか。つまらんことで大騒ぎするな。政治家にはもっと大切なことがある」になる。だがそれを理解できない麻生信者から、「おれたちの麻生先生を否定するヤツが現れた」とばかりに、「むかしは順風満帆をジュンプウマンポと読んでいたのだ。ジュンプウマンポで正しいのだ」とか、「留学の長かった麻生先生は、ことばをまず英語で頭に入れ、それを日本語に訳して口に出すので時間が掛かるのだ」などと寝惚けた反論がとどいた。こちらの言っている要旨が理解できていない。自民党後援会員にはバカが多い。私の言いたいのは、「漢字の読みなんてどうでもいいじゃないか」に尽きる。麻生さんの味方なのだ。

 数日前に書いた、「弁える─わきまえる─ベンの字について」も、肝要なのは「弁えるという表記が醜い」である。「わきまえるは〝わきまえる〟と表するのがいいが、どうしても漢字を当てたいなら、以前使われていた〝辨える〟であろう。これには意味的に通じる部分がある。しかしなんの意味もない〝弁える〟は不様だ」という漢字大好き者を嗤った意見だ。
 

 
 私のこの脳内理論はだいぶ前からなのだが、まだまだ「きじゃく」と聞いたらピクンと反応するし、もう時事通信社では常識らしい「ざんさい」にも脊髄反射してこんなことを書いているのだから、なかなか現実の感覚とは一致しないようだ。誤解しないでいただきたいが、私は「読みなんてのは時代とともに変って行くだろうし、めくじら立てなくてもいいじゃないか」とは思っているが、かといって自分が率先してそれをしているわけではない。私はこれからも「ざんし」であり「ぜいじゃく」である。今風の「憮然」や「閑話休題」の使いかたにも逆らって行く。

 願うのは、自分の好きなひとにはそれをしてほしくないということだけだ。過日「チャリンコ嫌い──朝鮮語から来たコトバ」を書いた。親しいひとに「チャリンコ」「ママチャリ」「ゲンチャリ」等と使うひとがいないことには救われる。大阪の朝鮮人部落から始まったことばだから、ダウンタウン一派の大阪芸人はみなこのことばを連発する。気分が悪くなる。対してビートたけしを始めとする関東芸人に使うひとはすくない。まことに「ささい」なことであるが癒しになっている。
  1. 2014/11/29(土) 12:30:34|
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ことば──役不足の誤用──2ちゃんねるの「及川眠子氏が百田氏批判」から──「殉愛」に思うこと

 2ちゃんねるの芸スポ板「作詩家及川眠子氏が百田氏を批判」スレは、及川氏のツイッター文にあった「役不足」をめぐって、いつしか「役不足論争」になっていた。以下、「役不足」で抽出したスレの一部。最後に私の意見も書きました。

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1+8 :Egg  :2014/11/17(月) 19:46:20.13 ID:???0 [PC]

作詞家の及川眠子氏(54)がツイッターを更新し、歌手やしきたかじんさん(享年64)の闘病生活をベストセラー作家・百田尚樹氏(58)が著した「殉愛」(幻冬舎)に対し私見をつづった。

「殉愛」はアマゾンの全レビュー中6割以上が最低評価となる一方で、約3割は最高評価と賛否両論となっているが、百田氏はこれを受けツイッターで「実態も真実も何も知らない第三者が、何の根拠もなく、匿名で人を傷つける。本当に人間のクズみたいな人間だと思う!」で不満をあらわに。

たかじんさん最大のヒット作「東京」など、たかじんさんへ数十曲詞を送った及川氏は「ちゃんと金を払って本を購入した読者の批判に対し、人間のクズ呼ばわりをする。世間に出したものがあれこれ言われるのは当然。私たち物書きはそれでゴハンを食べさせてもらっているのだ。世の中すべてが味方ではない。その覚悟なしに物書きなんてやれねえよ」と百田氏の発言を批判した。

さらに「殉愛」ではたかじんさんの元マネジャーK氏を犯罪者扱いする部分があるが、百田氏がこの人物に取材していないことに触れ「なぜウラも取らずに、1人の人間を犯罪者だと決めつける? ノンフィクション作家を名乗るのであれば、きちんと本人に取材すべき」と指摘。

「ヨメとマネージャー双方に会った、たぶん数少ない人間の一人」である及川氏は「百田さんに犯罪者扱いされても、きっと彼は訴えることをしないだろう。なぜなら彼が公の場に出ることで、今以上にたかじんの名を汚してしまうことを知っているから。必死で看護するのが愛なら、ただ黙して耐え続けることも愛なのだ。
それを理解できない人もいるけどね」とK氏を擁護した。

また、百田氏の「実態も真実も何も知らない第三者が、何の根拠もなく、匿名で人を傷つける」というツイートに対し「実態と真実をちょぴっとだけ知ってる人間が、ちゃんと実名を出して問うている。でも答えてもらえない。私じゃ役不足ですかぁ?」と皮肉も。

その上で「百田さんのことを貶めるつもりもない。百田作品が面白いのは事実。ただ、あの物語が『小説』だったらよかったのにと思うだけだ」と思いを述べた。


11月17日(月)18時0分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141117-00000118-spnannex-ent

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 まずは最初に疑問を呈したひと。


7+2 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 19:51:11.00 ID:c7A2WBe30 [PC]
役不足?
本当にプロの作詞家なの?


 誤用であろうという指摘。

9 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 19:52:33.00 ID:iSjKHg3B0 [PC]
>私じゃ役不足ですかぁ

力不足の間違い?誤用では?

その役割が軽い意味になってしまうと思う。


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 これでいいんじゃないかという意見。

14+5 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 19:55:27.37 ID:lbFG2/WL0 [PC]
>>7
あってるじゃん
百田が反論するにもあたらないくらい、私は役不足ですか?ってとでしょ

54+2 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 20:28:01.75 ID:yoT4woNS0 (1/2) [PC]
「昨日納車した」って言えば、「おまえディーラーかよ」って突っ込むのがお約束だけど、
「昨日納車だった」なら、「昨日納車した」でも「昨日納車された」でも意味は通じるだろ。
こういう省略形の文は、文脈で判断するんだよ。

「私じゃ役不足ですかぁ?」も「私を相手にするのは、あなたにとって役不足ですか?」って読めるじゃん。
ほんと読解力のない馬鹿ばっかだな。


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それへの反論。さらなる反論の応酬。

62+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 20:32:52.74 ID:TaXFZS/D0 (2/31) [PC]
>>54
ばーか。それなら「私じゃ不足ですかあ?」と書けばいいんだよ
それならよっぽどすっきりするわ
「役不足」などと書いたのは言葉の意味を知らないから



65+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 20:34:00.17 ID:nD8jz7lo0 [PC]
>>58
「あなたにとって私は相手にする価値もない人間ですか?」
という意味で使ってるからこの「役不足」の使い方は正しいよ


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 そんな論争はよそでやれという意見(笑)。

79 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 20:40:08.89 ID:vHl5bAmF0 [PC]
役不足とかどうでもいい。
よそでやれや、アホども

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 しかしまだまだ熱く続く。

81 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [↓] :2014/11/17(月) 20:41:03.41 ID:RGB3Tjqp0 [PC]
役不足は役<役者ってことだよな。
この人が言いたいのは、今回の件で
私が出てくると百田さんは困るでしょう?ってことじゃね?
この人は干されても構わないと言ってるし。
流石に作詞家は単語の意味には敏感にならないと仕事にならないんだから、
誤用はないだろ。この人はカルメンとかの訳詞の仕事もしてるし。



91+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 20:45:06.02 ID:R80fPGpJ0 (1/21) [PC]
>>75
「私は役不足ですか」、だったら誤用って言うのもも分かるけど
「私じゃ役不足ですか」や「私では役不足ですか」ってのは誤用じゃないよ
その場合は「私が相手ではあなたにとって役不足ですか」って意味だから

あなたがてにをはの使い方を理解してないだけw


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「役不足」じゃなくて「不足」が正しいという意見。これは「誤用派」。


94+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 20:45:43.34 ID:TaXFZS/D0 (7/31) [PC]
「私じゃ不足ですか?」と書けばよかったんだよ

バカだから「役不足ですか」と書いて、作詞家のくせに日本語知らないのを晒した

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「主語が省略されている派」が登場。これは肯定張。

121+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 20:56:04.05 ID:R80fPGpJ0 (3/21) [PC]
>>103
厳密には逆に意味になるわけじゃないよ
「私じゃ役不足ですか」ってのは主語を省略している
主語を入れれば「あなたは私じゃ役不足ですか」って文になる
つまり役不足なのは、及川じゃなくて百田。

普通、主語を省略した文で使うことが多いから勘違いしてるだけ


130+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 20:58:11.70 ID:R80fPGpJ0 (4/21) [PC]
>>112
だから、「役不足」の主語は、及川じゃなくて百田なの
日本語では主語を省略するってこと知ってるでしょ
「私じゃ何々ですか?」って言う文の主語は、私じゃないからw


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 定番の「辞書引用派」も登場。

132 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 20:59:21.24 ID:KVPGzhQT0 (1/2) [PC]
デジタル大辞泉の解説
やく‐ぶそく 【役不足】
[名・形動]
1 俳優などが割り当てられた役に不満を抱くこと。
2 力量に比べて、役目が不相応に軽いこと。また、そのさま。「そのポストでは―な(の)感がある」
◆文化庁が発表した平成24年度「国語に関する世論調査」では、「彼には役不足の仕事だ」を、
本来の意味である「本人の力量に対して役目が軽すぎること」で使う人が41.6パーセント、
間違った意味「本人の力量に対して役目が重すぎること」で使う人が51.0パーセントと、
逆転した結果が出ている。→力不足


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145 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 21:03:41.78 ID:6UA2L9M40 [PC]
この役不足の使い方に違和感持つのはアスペ
もしくは正しい俺!に賢い俺!に酔ってる馬鹿だろ
正しい意味として文は成立する



146 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 21:03:43.80 ID:TaXFZS/D0 (20/31) [PC]
この文章で「役不足」は明らかな誤用。

皆さん気をつけてくださいね
馬鹿と言われないためにね


160 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 21:10:27.06 ID:TaXFZS/D0 (23/31) [PC]
「役不足」とは~~彼の高い能力に比して役職が見当たったものではない、というのが本義。

「私じゃ役不足ですかあ?」では意味を成さない。完全な誤用。
この場合「私じゃ『不足』ですか?」で十分意味が通るものであった
「役不足」という意味を知らなかったのであろう
 
日本語を知らない愚かな作詞家が愚かな作家に噛み付いているだけの、益体もない話ではある。

 
190+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 21:23:27.36 ID:R80fPGpJ0 (8/21) [PC]
>>181
だからあんたは「役不足」の主語を勘違いしてるだけ
及川の文の主語は百田なんだよ。百田にとって及川じゃ役不足ですかって問いかけてるので
使い方として全然違和感ないし間違ってもいない

誤用や変な文だと、一読してなんかおかしいぞって感じるものなんだよ
あなたはそういう感覚が備わってないんだと思う



198+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 21:28:05.01 ID:TaXFZS/D0 (29/31) [PC]
>>190
主語の勘違いなんて話じゃねえよバーカ
ただただ「役不足」という語を知らない誤用なのは明白



212 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 21:32:19.99 ID:R80fPGpJ0 (9/21) [PC]
>>198
例えば、失恋した女の子が「私じゃ駄目なんです」って言ったら
駄目の主語は女の子じゃなくて失恋相手の彼ってことになる
「彼は私じゃ駄目なんです」の主語を省略しているだけ

あんまり使わない用例だけど、失恋した女の子が「私じゃ役不足なんです」って言っても同じこと
その場合も役不足の主語は「私」では無くて省略された「彼」
「彼は私じゃ役不足なんです」の主語省略形になる
恋愛に役不足って言葉は普通使わないけどね。文法的には同じ使い方


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「時代によってことばは変る派」が登場。

251+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 21:46:16.95 ID:28tyrNqm0 (1/3) [PC]
役不足の誤用に突っ込む奴多いけど、日本語は刻々変化してるんだよ
誤用も時代が変われば正解なんてことはよくある話
今はどっちの意味で使っても正解なんだよ
前後を読めば言いたいことはわかる

419 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/18(火) 00:14:02.04 ID:7v6OUxnW0 (1/5) [PC]
もう、役不足は、どっちの意味でもつかわれているというのが定説。
国語学に詳しければ、当たり前のことだろ。

言葉の意味なんてのは時代とともに変わっていく。これ理w
今や、役不足はどっちの意味で使っても間違いではない。

もう終了

489+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [↓] :2014/11/18(火) 01:40:30.87 ID:QlA1OcSP0 [PC]
>>484
まあこのレス見る限り間違いなく
役者不足の意味だよねw
私じゃ小物過ぎるが言い換えでしょ。
でも現代語としては役不足でいいと思うね。
言葉は生き物だから。


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257+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 21:48:37.89 ID:R80fPGpJ0 (12/21) [PC]
>>251
いや、そもそも誤用じゃない
「百田さんは、私(が相手)じゃ役不足ですか?」の主語が省略されているだけ
普通に使う言い回しなので、誤用って騒ぐ奴が日本語を知らないだけ


260 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 21:51:16.71 ID:R80fPGpJ0 (13/21) [PC]
>>253
「百田さんは及川が相手では不足ですか?」
「百田さんは及川が相手では役不足ですか?」

どっちも同じ意味だし使い方も間違っていないけど
個人的には役不足の方がしっくりくる


279 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 22:01:25.16 ID:R80fPGpJ0 (14/21) [PC]
>>264
「私には脇役じゃ役不足」、「百田さんには及川じゃ役不足」
こういう風に使うんだよ。
「及川じゃ役不足ですか?」って聞いたら、主語は省略されている百田になる

「私じゃ力不足ですか」っていうのは文法的には間違ってないけど
その場合の主語は「私は(百田の相手役に)不足ですか」って意味で
目的語が省略された文になっているんだな


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「機械翻訳派」が登場。

306 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 22:24:57.10 ID:R80fPGpJ0 (15/21) [PC]
英語が苦手だから機械翻訳にかけてみた
「私は役不足ですか?」→「Am I insufficient? 」
「私じゃ役不足ですか?」→「Is it insufficient in me? 」

機械翻訳すげーって思ったw

329 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 22:39:51.79 ID:R80fPGpJ0 (16/21) [PC]
申し訳ないが、たかじんや百田の話より「役不足」の方が面白くなってしまったw

「私じゃ役不足ですか?」→「Is it insufficient in me? 」
この文の主語は誰でしょうという、そういう問題だな

いや、文法を真面目に考えるなんて何十年ぶりだろうw


---------------

「役不足論争」は、百田の本質をぼやけさせる工作活動だというひとも登場(笑)。


341 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [↓] :2014/11/17(月) 22:46:24.77 ID:cgYGZixO0 [PC]
>>274
役不足論争に持ち込んで、百田の言動の本質的な
部分をぼやけさせる為にやってるんだよ
まあ分かり安い工作活動だね


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378+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 23:21:06.97 ID:R80fPGpJ0 (17/21) [PC]
>>373
「私じゃ役不足ですか?」の場合、主語は省略された百田なので
百田に対して及川では力不足ですかって意味

私では百田さんの相手にはなれないんですかって意味だね
勘違いを続けてるバカがいるけど、及川の使い方は正しい使い方だよ



387+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 23:31:16.33 ID:1tR4lWTc0 (3/4) [PC]
>>378
それなら私は役不足ではなくて百田さんは役不足ですか?
としなければ本来の意味にはなりません。

いいですか役不足は自分を下に見る言葉で無いのです。

あれほど説明してもまだ分りませんか?


390+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/17(月) 23:36:36.96 ID:R80fPGpJ0 (18/21) [PC]
>>387
そうだよ。
だけど及川の文は「私は役不足ですか」じゃなくて「私じゃ役不足ですか」だから
「私は」の場合主語は私になるけど、「私じゃ」の場合主語は私にはならない
君はその使い分けが理解できていないんだよ

及川の文は「百田さんは私じゃ役不足ですか」の主語を省略した文
日本語では普通に使われる言い回しだよ

最初に書いたけど「私は役不足ですか」なら誤用と言うこともできるけど
「私じゃ役不足ですか」はどこもおかしくない。まだ分かりませんか?


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「役不足論争」を知ってか知らずか(ツイッターが炎上したようだから知ってるんでしょうね)ご本人がわかりやすい内容で再ツィート。

484+1 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止 [] :2014/11/18(火) 01:37:44.28 ID:3beS9jYw0 (3/5) [PC]
@oikawaneko: まるで一人で相撲をとっている気分だ。百田さん、そろそろ声を上げませんか? 
私への罵倒でも非難でも構わない。あなたの相手には小者過ぎるかもしれないが。皆がそれを望んでいる。物書きの意地とプライドを見せてください。さすが百田さんだと思わせてください。

役不足論争ご本人から説明してくれててワロタw


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 私の意見は「ほぼ肯定派」。イベントや結婚式の司会等で「わたしでは役不足でありますが」とやるのは明らかな誤用だが、この場合は、多くのひとが指摘しているように、「百田さんの論客として、私では百田さんには役不足でしょうか?」の意味あいだから、これでいいのではないかと思う。ただ「適切」とは思わない。役不足は本人が口にするものではないからだ。こういう表現は必ず問題を起こすので私は使わない。この場合も別表現にしたほうがよかったろう。一読して「あ、もめるな」と思ったら、想像以上に盛りあがっていた(笑)。

 「ことばは時代とともに変るからどっちでもいいのだ」という意見には反対。時代とともに変ってしまうものだけれど、抵抗はすべきだろう。もう「憮然」を本来の意味の「しょんぼり」に使うひとはほとんどいない。高名な小説家もみな「むっとする」の意味あいで使っている。「閑話休題」も誤用がアサヒシンブンやNHKで大手を振って歩いている時代だ。「時代とともに変ってしまう」のはしかたないが、挟間に生きている世代は、精一杯本来の正しい使用を主張するのがあるべき姿だろう。そして「役不足」は「誤用が定着したことば」だとは、まだ思わない。

「あらたしい」が、ふざけて使った「あたらしい」に押され、いつしか定着してしまった。「あらためる」「あらたに」と同じく「あらたしい」が正しいのだ。よって「あたらしい」だけ独特の存在になって浮いている。こんなのもこれからみんなで「あらたしい」を流行らせれば、正しい意味の、仲間もいっぱいいる「あらたしい」になる。そういう流れを作りたいものだ。

 ご本人がツイート。

oikawa-yakubusoku




 これを知ってからYouTubeで「金スマ」の特集を見てみた。あの番組内容には納得出来ない。百田さんの政治信条を支持するものとして心配になった。今回のこれは勇み足ではないのか、というのが現在の私の気持ち。イタリア男との結婚式写真も見た。時期が重なっていて不自然と、だれもが感じるだろう。打越の怒りのラジオ放送も聞いた。私はたかじん夫人&百田さんよりも、打越を信じる。だが打越の言うように、百田さんを「金と名声だけを求める最低な人間」とは思わない。毒婦にだまされたポカだと思うのだ。

 ただし、あれがひどい悪女だったとしても、たかじんが彼女を最愛の女として死んでいったのは事実だろうから、それは他人が口出しすることではない。遺産がどうのこうのなんてのも大きなお世話だ。男と女の話である。天国のたかじんが口を利いたら、百田さんが言っているように「おれが好きになった女や、おまえらよけいな口出すな、おれの金や」だと私も思う。

 朝鮮民族の話でもある。たかじんは、天童よしみの紅白出場を応援し、思想的には対立するはずの遥洋子をかわいがった。あれを見るたび、民族の血の結びつきを思った。そして最後にたどり着いた女も、この姜善子(通名・森田さくら)と、同じ民族だった。それが民族の血なんだ。私も最後は「やはり日本の女がいい」となるのだろうか。しみじみと〝民族〟について考えた。

 私の心配は百田さんにある。「殉愛」は、百田さんの凡ミスではないのか。いや凡ミスどころか地雷を踏んでしまったのではないか。そのことが百田さんの政治的活動、思想信条にもマイナス作用するのではないか。Amazonのブックレビューを熟読した。異様だ。たかじんの死にかこつけ、思想的な「百田嫌い」が、ここぞとばかりに跋扈しているのはまちがいない。なんともそこが心配である。

kanren7『殉愛』騒動──及川眠子さんの百田さんへの挑発ツイート

  1. 2014/11/18(火) 07:09:07|
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ことばにきびしいをジャマイカで丸投げ(笑)──フレンチキスとコンドームと従軍慰安婦

marunage

 そうだよねえ、フレンチキッスの意味を勘違いしているひとっていっぱいいる。ことばを勘違いして覚えているひとのことを「言語イメージ先行のB層」というのか。そういうひとが自民党のターゲットになりやすいのか。勉強になるなあ。


marunage2

 でもこれを読むと、<きっこさん>も「丸投げ」ということばを完全に勘違いしているようだから、「言語イメージ先行のB層」なのかな。だとしたら自民党のターゲットになりやすいから気をつけてね(笑)。まあこれに限らず、<きっこさん>て日本語をよく間違えている。とても廃人俳人とは思えないんだけど。

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jamaica

《ジャマイカまでレイプされに行く日本のバカ女は「従軍慰安婦」みたいな扱いだった》ってどういう意味だろう。「従軍慰安婦」ってのは存在していないものをアサヒシンブンやフクシマミズホが捏造したものだから、「ジャマイカまでレイプされに行く日本のバカ女は存在しないモノだった」ということか。

 20年前、<きっこさん>みたいにジャマイカまでレイプされに行く「日本のバカ女」ってどれぐらいいたんだろう。20万人ぐらい? 30万人? Sex Slaveって言うの? じゃあジャマイカに日本のバカ女従軍慰安婦像を建てないとね。

jamaica2

 「3人のうち1人くらいしか」という言いかたから推測するに、最低でも30人ぐらいのジャマイカ男と寝たんだろうな。
 <きっこさん>はかつてレイプされたことがあり、心に深い傷を受け、そのことをプロのミュージシャンに歌詞として提供し、CDにもしたレスボス島在住のかたと思っていたので、ジャマイカで黒人青年にフェラでコンドームをつけつつ、やりまくっていたと知り、たいへんおどろいています。
 親孝行な娘さんだと思って親しくなった競馬の師匠・石川喬司先生も、この乱行の過去をかなしんでいることでしょう。



 しかしこういうのって、本物の41歳の女が二十歳のころを思い出して、「ジャマイカでコンドーム逆さにくわえて、フェラしつつかぶせて現地の男とやりまくった」と実話を書いたとしても醜態なのに、実際は65歳のオカマが行ったこともないジャマイカ、弾けもしないギターを想像して、妄想で書いているのだから、滑稽を通りこしてもう無惨である。

 東京にいるのに西日本に疎開したことにして三年。前日までにせねばならない不在者投票を当日の朝にしたり、西日本では売っていない雑誌を立ち読みしたり、さんざん笑わせてくれたが、さてこのあと「これこれこういう理由で東京にもどりました」という〝設定〟はどこからひねりだすのだろう。おそらく<母さん>か自分の病気だろうね。「困ったときの病気とケガ」は<きっこさん>の十八番だ。ここまで設定ぐだぐだだと突っこむ気にもなれん。このひと、最後はどうなるのだろう。それはそれで楽しみだ。

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 こんなこと気楽に書いていたら、白夜書房にいる<きっこさん>専属弁護士に訴えられて「三桁」取られるかも知れない。でも最大で999円だから私にも払えるな。 これからまた女のふりをするために、「深夜の5分間だけ顔写真披露」が頻繁になるのかな。そんなもんロバの照美ですら信じていないのに。
  1. 2014/09/25(木) 00:25:56|
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「ノロウイルス」の名前変更?──朝鮮の創氏改名、ハンセン氏病、バルトリン腺、カウパー腺、丸山ワクチン

「ノロ」ウイルスに「野呂」さん苦しむ 国や学会に「名称変えて」

 食中毒の「ノロウイルス」。この冬も各地で集団発症が相次いだが、「その名前は使わないで」と全国の野呂さんが改称を訴えている。野呂姓の子どもが学校などでからかいやいじめの対象になったり、その心配があるためだ。一般化してしまったウイルス名を改める妙案はあるのか。

 「野呂という姓は、ただでさえ、のろまとかノロノロとからかわれやすい。さらにノロウイルスとは…。これ以上、野呂姓の人間に重圧を加えないでというのが正直な気持ち」。「ノロウイルス」改称を訴える会の会長を務める杉井(旧姓・野呂)ゆうきさん(40)=横浜市=はこう訴える。

オハイオ州ノーウォーク
 ノロウイルスの由来は何か。厚生労働省の資料などによれば、1968年、米国中西部のオハイオ州ノーウォーク市の小学校で集団発生した嘔吐(おうと)や下痢の症状が出る急性胃腸炎の病原体として検出。72年、小型球形ウイルスが特定され、地名から「ノーウォーク(Norwalk)ウイルス」「ノーウォーク様(よう)ウイルス」と呼ばれるようになり、国際ウイルス学会は2002年、ウイルスの属名としてノロウイルスを正式に採用した。

 「ノロ」とは「ノーウォーク」の一部に発音しやすく「O(オー)」を補ったもの。この結果、全国で約2万人とされる「野呂さん」は嫌な思いをするハメになった。

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1777277.html

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 よくわかる感覚である。前々からこの種の話を聞くと同感し、そしてまたエゴイズムであるが、自分に関係あるものがそういう名称に採用されないようにと願ってきた。全国の野呂さんには気の毒だが、しかし現実問題として世界的な名称になってしまっているので改名はむずかしいように思う。



 この種のことで真っ先に思いつくのが「ハンセン病」だ。癩病から、「あの家は〝らい〟だから」のような差別的な「らい」という言葉が生まれ、それを廃するために癩菌を発見したノルウェーの「アルマウェル・ハンセン博士」の名を取って「ハンセン氏病」となった。

 この辺の基本は、「混血」「あいのこ」が差別的だから「ハーフ」にするという横文字に置きかえればいいという日本的軽薄さとたがわない。そしてまた「ハーフでは半分だ、差別だ。ふたつの民族の血が入っているのだからダブルだ」なんてリクツで、今は「ダブル」というらしい。なんともなあ。混血は混血でいいだろう。「他人のことだからそう言える?」、いやいや私の一人息子は混血だ。自分に関することだから発言してもいいだろう。私はダブルなんて気持ち悪い呼び方をする気はない。
 片輪や不具をシンショーシャに置きかえ、さらにはHandycappedにするのも同じ。「身障者」の「障」の字に問題ありと「身しょう者」にするとか。島国根性のくだらなさである。 

 私はこの時点で「ハンセン博士が発見したからハンセン氏病」と理解していたが、ここからまた日本的なくだらなさが始まる。「ハンセン氏病」の「氏病」が「死病」に通じて縁起が悪いと「氏」を取ってしまったのだ。「ハンセン病」である。これは世界中の「ハンセン氏」に失礼だろう。「氏」がついていれば、「医者のハンセン氏が発見した病気」と思える。しかしそれがなくなると「最初に感染したのがハンセンというひと」「ハンセンのようになってしまう病気」となってくる。らい病の悲惨な部分がぜんぶ「ハンセン」に繋がってくる。ぜんぜんイメージがちがう。そしてその「氏」を省く理由が「死病に通じる」という日本的ゴロ合わせ、オヤジダジャレの感覚なのである。「らい」という日本語を廃することには熱心でも、異国人の姓名である「ハンセン」に対する気遣いはない。いかにも日本人らしい。



 朝鮮併合時代の「創氏改名」を、「民族の誇りである名前まで奪った!」と極悪非道の政策のように主張するアサヒシンブン的な連中もいるが、私はそれを否定する。強要はなかったし、朝鮮名のままのひとも多くいた。そもそもあちらに望まれ「併合」という形になったが力関係は明白だ。なら下のものが上の名を名乗れることは悦ばしいことである。それは敗戦後、アメリカ的な名前を名乗る芸能人が数多くいた事からも判る。今でもいるが(笑)。下は上に憧れる。朝鮮人は日本的な名前を名乗ることに熱心だった。金が金田、金村になったり、李が木村、木下になったりした。

 オランダが植民地支配したインドネシアでは、現地人がオランダ的な姓名を名乗ることを許さなかった。オランダ人はインドネシア人が結婚等によりオランダ的な姓名になることを禁止したのである。これが支配者のまともな感覚だ。格下の土人に自分達と同じ名前を名乗られたのではたまらない。名乗らせない。朝鮮名を持つ朝鮮人に日本的な名前に改名させるということが、いかに異様な政策であったことか。させなければ区別がつきやすいのに。ここからも西洋の「殖民地支配」と「日韓併合」が根本的に異なるものであることがわかる。



 と、私は「創氏改名」を無理矢理強要のあった極悪非道の政策「民族の誇りであった姓名まで奪った」という主張を全面否定するのだが、これが島国根性から生まれた「愚策」であることはまちがないなく、しみじみ愚かであるとは思っている。上記のようにオランダの方針が正しいのだ。そうしていればよけいなイチャモンをつけられることもなかった。しみじみ愚策だったと思う。

 朝鮮における創氏改名に、島国根性日本人の「自分達のわかりやすいものにする」という御都合主義があったことは否めない。それは昭和末期、平成の世になっても現出している。群馬だったか、ブラジルから出稼ぎに来た青年達の名が呼びにくいと、兄を「タロー」、次男を「ジロー」と呼び、それにブラジル人青年が反撥した問題があった。

 ロシア人ボクサーに「海老原」という日本名を名乗らせたなんてのもあった。彼は素朴に「なぜ誇りある自分の名を捨て、そんな名前を名乗らねばならないのか」と主張して後に本名を名乗った。これを強要したのは「金」から「金平」に改名した朝鮮人だった。自分が改名しているから他人の改名にも鈍感だったのだろう。

 この辺の感覚が日本人の「悪い意味での島国根性」であることは認めねばならない。ほぼ単一民族なので懐が狭いのである。国境を数多く抱える欧州人であったなら、「呼びにくいから呼びやすい自分達の名前に変える」なんて失礼なことはしまい。されるほうも受けつけまい。なんとも狭量な島国根性である。なお、あえて「悪い意味」としたのは、私は「島国根性」をとてもよい意味でも使うからだ。日本人の几帳面さ、礼儀正しさ、自動車から携帯電話まで痒いところに手の届くように改良してしまうあの感覚が「良い意味での島国根性」になる。対して支那の「大陸的」はどうしようもない。



 関係ないことを語っているようだが主旨は一貫している。ブラジル人青年の名を呼びにくいとタロー、ジローにしてしまう感覚、ロシア人ボクサーの名を海老原にしてしまう感覚、この流れに、「らい病」を「ハンセン氏病」と呼ぶようにし、さらに「氏病は死病に通ずる」と「氏」を取ってしまい、「ハンセン病」と呼ぶ感覚がある。



 女性器からの愛液「バルトリン腺分泌液」、男の先走り液「カウパー腺分泌液」。このバルトリンもカウパーも発見した博士の名前だ。私がこれらを覚えた頃はまだ「バルトリン氏腺」と「氏」がついていた。
 これって誇り高いことなのだろうか。医学の世界では自分の名が冠せられることは後々まで自慢になるのか。私の名字がバルトリンだったら、なんだかいつも女性器の愛液にまみれているようで、あまりいい気はしない。というか、例えばバーバラ・バルトリンという美しい女性と知りあったとしたら、私は反射的に「彼女は濡れやすいのだろうか」と不謹慎なことを想像する。男のジョージ・カウパーさんと知りあっても同じく。

 ハンセンさんはスタン・ハンセンしか知らないが、ハンセン氏一族は、らい病が世界的に「ハンセン氏病」と呼ばれることをどう受けとめているのだろう。一族の博士が発見し、世界中でそう呼ばれることを誇っているのだろうか。英語の「癩病」である「leprosy」は禁止用語ではないから今も使われている。「Hansen's disease」はむしろ補助的だ。やはり「癩病」というコトバを「ハンセン病」にして封じてしまう日本の異常さが際立つ。



 とするなら「野呂一族」も、ノロウイルスに関して、気にするな、となるのだが。
 しかしこの場合、「日本の野呂博士が初めてそのウイルスの存在を発見し」ではない。問題は「ウイルス」にある。たとえば「丸山ワクチン」なら、ワクチンであるから丸山さんが辛い目に遭うことはない。誇れる。将棋でもゴキゲン中飛車対策に丸山九段が使いはじめた戦法を「丸山ワクチン」と呼んだ。

 この場合はウイルスなのだ。野呂さんが遅刻したら、いろんなヤツが遅刻するようになった。そういう場合「ノロウイルス」と使われたりするだろう。野呂さんが営業成績を上げたら、みんながそれに習って成績を上げた。だがこの場合「ノロウイルス」と使われることはない。「ノロワクチン」なら使われる。切実な問題である。
 といって改名はやはりむずかしいだろうなあ……。
  1. 2013/10/13(日) 03:12:25|
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ことば考──「おあいそ」について──客は使うべきではない

ことば考──「おあいそ」の誤用について──店側が言うことばである。

oaiso3
「深夜食堂」より。


oaiso
「将太の寿司」より。

  1. 2013/09/15(日) 12:09:22|
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ことば考──「劣化」について──たしかにそれは失礼な表現ではあるが

 Twitterで「女性の容姿に〝劣化〟と使うのは失礼だ。誰だって齢を取れば老化する」というフツーのおばさんのツイートがあり、その意見に賛同したのか、フツーのおばさんたちがRTしていた。



 容姿に対して劣化などと言うのはまことに失礼であり、慎むべきだろう。
 だが数回使ったことのある者として、こちら側の意見も言いたい。

 私が今までにこの言葉を使ったのは、【芸スポ萬金譚】に書いた 山口美江と、ナスターシャ・キンスキーの2回だ。ともに大好きなきれいなひとだった。それがこれでは、いくらなんでもあまりに、というような意味あいで使った。 

 そちらの記事、というか画像を見て頂きたい。私は若者言葉や流行り言葉が嫌いだから、まずめったに使わない。しかしこれらを見たとき、真っ先にそれが浮かんだのだからしょうがない。

 同じようなテーマで、松嶋菜々子の目尻の皺のことを書いたことがあるが、ここではそんな言いかたはしていない。39歳にしては目尻の皺が目立つけれど、充分にきれいであり、それは劣化とはちがうからだ。



 言いたいのは、女性の容姿に関して〝劣化〟と使うのは、それなりのモノを認められたひとに限って使われる、いや「使われるべきモノではないか」ということである。
 それは2ちゃんねる等で連発されている場合にも共通している。十代のときの輝くばかりのアイドルが四十代になり、かつての面影がなく、ひどいことになっているような場合に使われている。その〝落差〟に対して。ただし、いうまでもないが、その〝落差〟は難病とかではない。そんなことには誰も言わない。生きかたから来る容貌の衰えだ。
 三十代でも四十代でも、いやもっともっと齢を取ろうとも、年相応の魅力で輝いている人に、そんな言いかたはしない。



 と書いて私はいま、八千草薫さんを思い出した。有名人は呼びすてが基本だが、思わず〝さん〟をつけてしまった。こども心に「きれいなひとだなあ」と憧れた今年御年82歳の大女優だから見逃してくれ。むかしもいまも魅力的な八千草さんに、老化も劣化もないのは当然として。
 私は八千草さんの私生活を知らなかった。いまWikipediaで調べたら、宝塚をやめた後、26歳の時に19歳年上の45歳の監督と結婚して、50年添いとげたんだな。76歳の時に95歳の旦那を送っているわけだが、3度目の結婚だったというこの旦那も、八千草さんにはぞっこんだったようだから、しあわせな結婚生活だったのだろう。なんだか自分に照らしあわせて胸が熱くなった。

 では八千草さんと同じく「ウィークエンダー」の頃から、というか、もっと前のギター漫談(ウクレレ漫談の牧伸二の弟子)の頃から見ている泉ピン子に関して、劣化とか老化とか言うかというと、そういうこともない。なにひとつ興味がない。すると、それすら出て来ない。泉ピン子が実年令より若く見えても老けて見えても、なんの興味もない。ということは、老化であれ劣化であれ、口にするのは、それなりに興味があるからだ、ともなる。



 つまり、フツーのおねーさんが、フツーのおばさんになっても、誰もそれを〝劣化〟とは言わない。ただ年とったなと思うだけである。「娘十八、番茶も出花」という酷い言いかたがあるが、並の容姿でもそれぐらいの年齢の時は輝いて見える。それが四十になっておばさんになったからといって、「劣化したなあ」とは言わない。もし言うひとがいたら、それはこのコトバの使いかたを間違っている。

 私はTwitterでそれをつぶやいたひとを「自意識過剰」だと思う。「そうだそうだ」と賛同してRTしたおばさんも同じく。
 誰もあんたら並の女が年とったって、「年とったなあ。老けたなあ」と言うだけで、「劣化した」とは言わない。それは、よくもわるくも、ある種の選ばれた女に使われる言葉なのだから。



 と書いて、私は間違っているかも、と気づく。
 ツイートしたひともRTしたひとも、「フツーのおばさん」としたが、私は会っていない。彼女等の容姿を知らない。単なる推測だ。
 彼女等は、劣化というコトバに反応しているのだから、そう言われたことがあるのだろう。ということは、若い頃は山口美江やナスターシャ・キンスキーに勝るとも劣らない絶世の美女だったのかも知れない。
 当時の美貌の信奉者に「劣化した」と言われて傷ついたのだろうか。それに同意してRTしたひとも、それだけの美女だったのだろう。
 とするなら私は自分の不明を詫びる。恥じる。すまん。私は、あなたたちが美女であることを知らない。

 しかし、〝劣化〟と使うほどの美女が、それほど世の中にあふれているとも思えない。

 田嶋陽子が、「夫婦茶碗は女のほうがちいさい。男女差別だ」と喚いていた。あきれた。それと同じテイストをこのツイートしたひとにも感じる。まずまちがいない(笑)。本能でそう感じる。この感覚が見当違いだったら私に生きている意味はない。

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【追記】──男の場合、自分の場合──6/24

 つい女性の場合に限って書いてしまったが、もちろん男も同じである。〝劣化〟と使うなら、水も滴る美男子が、ひどいことになった場合だろう。ただしこの場合、ハゲなんてのは関係ない。年相応に禿げるのは、むしろ年月を感じさせて男の魅力を増している。
 劣化は、髪の毛の量なんかには使わない。内面である。目許涼しい美青年だったのに、ろくでもない人生を送ったのか、目つきの悪い悪相のおやじになったりしたときに使う。



 髪の毛といえば、私がオヅラのようなカツラ使用者を嫌う理由もその辺にある。〝いい男〟の条件に髪の毛の量は関係ない。いい男であるためには髪の毛が必須、とカツラ擬装しているヤツが、本物のいい男になれるはずがない。むしろオヅラのような立場のひとは、薄毛を晒して、それでもカッコいいことで存在価値をアピールすべきなのだ。なのにカツラ。それも、白髪を交えた、いかにも年齢相応に工夫したカツラであることが、ますますものがなしい。
 ビートルズ世代のオヅラはギターコレクターでもあり、一度それをテレビで見たが、かなりのものだった。自身でもそれなりの演奏をする。でもそういうプラス面もカツラであることで、みなマイナスに作用する。政治の汚職、業界の擬装、何を語ってもそこに通じる。自分の存在価値を、カツラで壊していることに気づかないひとは、それだけでもうダメだ。ハゲは自分の生きてきた道筋であり、その人生の過程を隠しているひとが、いくらジャーナリスト然として、しかつめらしい発言をしても重みはない。



 と以上は世間話。次は自分のこと。
 先日、引きだしの奧にあった期限切れパスポートを手にした。何冊だったか、7冊かな。
 私はモノに執着しないのでいらないものはみな捨ててしまう。特に電子系のものは、パソコン類のハードもソフトも楽器のシンセサイザーやエフェクター等も捨てまくってきた。ぜんぶ持っていたらさぞ壮観だったろう。
 さすがに本を捨てるときは最初は戸惑ったが、一度割りきれると、高名な作家の高額の(これは後に知った)初版本から文庫本まで、捨てに捨てまくり、いまや「蔵書」と呼べるものは皆無の状態だ。筒井康隆、藤沢周平、高島俊男があるぐらい。厖大なマンガ蔵書もほとんど〝自炊〟して電子化した。いまHDDに150GBある。それでも初期のいがらしみきお(「ぼのぼの」より前ね)なんかは捨てられないのだから、まだすこしこだわりはあるらしい。それだけ〝天才〟いがらしに衝撃を受けたのだろう。
 パスポートは捨てられなかった。そこにあるスタンプだけで当時を思い出す手懸かりになるからだ。いわば良質の日記でありアルバムだ。捨てられなかったけど手にすることもなかった。引き出しの奥に眠っていたものを、たまにする整理で、たまたま手にした。



 外国で作ったのも2冊ある。日本製との完成度のちがいが目立つ。先端技術の日本製パスポートは精緻だ。最新のは顔写真等を収めたICチップが入っている。偽造は不可能だ。これ、当然ながら発展途上国で再発行してもらったら入ってないだろう。
 以前有効期間がすくなくなり、そういう国で作ったそれは、当時もう日本製は偽造されないように、顔写真がパスポートに溶けこむようになっていたのだが、外国で作ったそれは、ごくふつうにペタンと糊で写真が貼りつけられていて、いかにも偽造されたインチキのようである。これはこれでいとしい。
 そういやあやしい国で、よくパスポートを売ってくれと言われたものだ。日本人のパスポートは世界一の価値がある。



 貼られてある歴代のパスポート写真を見ていたら、かなしくなった。そこには何十年もの時の流れ、たしかな老化があった。問題はその老化の質だ。

 いまの自分を鏡で見て生きているから、私にとって顔はいつでも今の顔である。過去の写真を見て懐かしむ趣味もない。十代二十代の時のギターを抱えたコンサートの写真なんてのは他人を見るようで現実感とはまた別。
 歳月による老化は必然だが、趣向によってごまかされるものもある。たとえば今の私でも、大好きな猫に頬擦りした写真なんかだと、猫好きのいい表情をしているような気がする。しかしパスポートにあるのは「正面からのただの顔写真」である。これはごまかせない。そこにはむごい現実があった。

 私は、内面的輝きをもった男になりたいと願い、それなりの努力もして生きてきた。当時から今まで、それは結実するものと信じていた。疑いを持ったことはない。だが歴代のパスポート写真を見ると、そこにあったのは、成熟も充実もない、ほぼ5年毎の、「並の男の並の老化の記録」だった。若さが失われる分、それに代わるものが滲み出てくるのが成熟だが、それがない。むしろ智性が加齢と共に顔から消えている。どういうことだろう。精一杯努力してきたのだが……。ここにあるのはただの「老化」だ。いや、そこそこあった智性が消えているのだから、これは並の男の並の老化だが、紛うことなく劣化である。

 三十代のころの写真はなかなかだ。それなりの智性とやる気が顔に出ている。眼にも光がある。この男がこのまま年を重ね教養を身に着けて行けば渋くて智性的ないい男になるのではないかと期待できる顔をしている。
 ところが現実に齢を取った今、パスポート写真は「万引で捕まったおっさん」のような貧相な顔になっている。智性のかけらもない。交番の前に貼ってあってもおかしくない。泣きたくなった。
 そういや最新のパスポートは急いで作らねばならなくなり、深酒をした翌日、浮腫んだ顔で出かけたのだった。シャツもよれよれだ。ひどすぎる。いやこれが現実なのだ。認めねばならない。

 亡父の三十代と五十代の写真を比べると、劣化はない。七十代の父は枯れたいい顔をしている。
 私はなぜ劣化したのだろう。髪が薄くなったり、顎の線が弛んだり、目蓋が垂れてきたり、老化はしかたないが、脳と心磨きにはそれなりの努力をしてきたつもりなのに、なぜ顔から智性と品が消えているのだ。

 廃棄処分としてパンチで穴を開けられた古いパスポートと近年のパスポートとの差がひどすぎる。それを確認したときのかなしい気持ちは今も覚えている。美しく年を取るのは、男も女もむずかしい。

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【追記.2】──消えた智性の理由発見!──6/27

 三十代のパスポート写真からはそこそこ感じられる私の目の輝きと智性は、どこに消えてしまったのだろう、消えた原因は何だろうと考えていたら、この自分の文を読み返して、その原因に気づいた。

 上に「あやしい国でパスポートを売ってくれと言われた」とある。日本人のパスポートは世界中どこにでも行けるから世界一価値がある。偽造パスポート、闇の世界ではダントツの人気であり、高額で流通している。言わずもがなだが、アメリカのパスポートは人気がない。経済的にも軍事力でも世界一だが、同時に世界一敵の多い国でもあるから、通行証としてはあまり価値がないのだ。いかに日本というのが特殊な国であることか。

 日本大使館があり、再発行が可能な国でなら、闇業者に自分のパスポートを売り、紛失したとして再発行してもらえば、その差額が儲けになるわけである。いくらだったかもう忘れてしまったけど(当時の旅日記を探せばわかるが)、再発行費用が2万円だとして、闇業者の言ってきた値段が5万円なら、3万円の儲けになるわけだ。闇業者はそれを何十万かで売るだろう。

 闇業者は、小金欲しさにパスポートを売る心の弱い旅行者を探している。蛇の道は蛇で、顔を見ればすぐにわかるのだろう、しつこく言い寄られているのがいた。私も、貧乏旅行者が巣くっているホテルに滞在したから、そのたびに声を掛けられた。だがすぐに「あ、こいつはちがう」と寄ってこなくなった。私は貧乏旅行者ではないのに、そういうところも見ておくべきだろうと取材感覚で泊まっていたから、彼らの嗅覚で見抜かれたのだろう。

 当時の私は、假りにそれをすれば百万円儲かるとしても一顧だにしなかったし、そういうことをしようとする日本人旅行者がいたら激しく怒っていたろう。日本人としての誇りを持てと。



 時は流れて、いま「5万円ぐらい儲かるのだろうか」と薄ぼんやりと考えているクソバカがいる。こいつは5万円欲しさにそんなことをやりそうだ。なるほど「万引で捕まったおっさんのような顔」にもなるはずである。私の顔から智性と品が消えたのは、紛れもなく私の責任だった。人間、貧すれば鈍するのである。かなしい確認をしたかなしい朝。怖くて鏡が見られない。
  1. 2013/06/24(月) 05:00:53|
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数字の表記──の3~40人に【追記】

yaguchi数字の表記について──<きっこさん>の3~40人──に【追記】

 巨人と小人の結婚で話題になった芸能人が小人の浮気で別居だそうです。
 それはどうでもいいのですが、そこに「2~3,000人」という<きっこさん>のような表記を見つけたので追記しました。


 
  1. 2013/05/22(水) 21:54:45|
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パソコン話──かってに入ってくるDelta Search(Babylon)のしつこさ──イスラエルと中共の象徴──ATOKの差別語規制

 Firefoxの検索エンジンがDelta Searchになっていた。いつ浸入したのだろう(笑)。まったく、油断も隙もあったもんじゃない。インストールしたフリーソフトに附いてきたのだろうが、私は確実に「挿れません」とチェックを外し、拒んでいるから、どうやらもうこの種のものと契約したフリーソフトは、「挿れたら附いてくる、かってに入ってしまう」と覚悟せねばならないようだ。チェックを外しても入ってしまう。これは経験から確認している。外せば拒めるという、もうそんな柔な時代ではないようだ。
 一応企業イメージを考慮して、「チェックを外してインストール不要を選ぶことも出来ます。強要はしません」としているが、その実、「いらない」と言っても、しっかり入ってくる。悪質だ。



 こうなると、その種のフリーソフトの便利さを取るか、あとからBrowserの設定や拡張機能を操作したり、ファイルを開いて不要項目を削除する面倒さを嫌い、それを拒むかの問題になる。

 私はいまのところ、「フリーソフトの便利さ」を取っているが、それはまだこれらを削除できるからで、さらにしつこく巧妙になってきたら、もうフリーソフトを捨てるしかない。レジストリをいじれば駆除できるが、そこまでして使い続ける気はない。

 しかしそこそこの知識があり削除出来るからいいようなものの、出来ないひとにとっては不快だろうなあ。気違いに勝手に部屋の中に居すわられるようなものだ。



 それにしてもこのイスラエルのBabylonという会社のしつこさは異常だ。世界中で話題になっている。悪評ふんぷんだ。でもいっこうに改めない。
 もうひとつのしつこさで話題なのがBaidu(百度)で、こちらは中共製。イスラエルと中共という問題のある国を象徴しているかのようだ。

 そんなに嫌われてもまで進出しても、けっして好印象は与えないと思うのだが。
 もっとも削除することが出来ないひとは侵掠されたまま、これを使って行くことになるのか。
 竹島も尖閣諸島も対馬も沖縄も取られてしまうように。
 そう考えると泣き寝入りは出来ない。



 Firefoxに浸入して「標準検索エンジン」として居すわったBabylonは、検索窓にある▼をクリックして「検索エンジンの管理」を開き、いつのまにか入っていたBabylonを削除しても、起動のたびにまた復活してくる。臭い匂いは元から断たなきゃダメだ。

 Firefoxのフォルダを開くと、「searchplugins」の中にしっかり鎮座している(笑)。ほんとになあ、よくやるよ。
これを削除すれば消える。次回起動時からも出なくなる。



 あれこれ入ってくるToolbar削除にToolbar Cleanerを挿れておくと便利だ。これが悪質だったらミイラ取りがミイラになるが、ここ4カ月使っていて、それを感じたことはない。いまのところ「とても便利」が結論になる。
 なんだかBabylonとBaiduのせいでフリーソフト恐怖症になりそうだ。

toolbar












 Jane StyleやJanetterのYahooとの連繋もいやだ。でもそれは使わなければすむ。2ちゃんねる閲覧ソフトやツイッターソフトはたくさんある。私はV2Cにして、だいぶまえにJaneとは縁を切った。
 初代Open Janeのころからの長いつきあいだったけど、検索エンジンをYahooに限定されるのがたまらない。もちろんそれを切り替える情報はネットに溢れている。さほど難しくはない。しかしそれをしてまでJaneを使う気になれなかった。Jane開発者が孫正義にひざまづくのは自由だが、それとは関わりたくない。つまり、Yahooと結託したことがイヤなのだ。裏テクで検索エンジンをYahooでないようにすれば解決するという問題ではない。

 この意見は前にも書いたけど、もういちど書いておこう。

「JaneやJanetterはフリーソフトだからYahooからもらう金は貴重だろうし、使用者にそれを強要してくるのはしかたないと思う。こちらも無料で使わせてもらっているのだから割り切るしかない。でも、有料ソフト、それも決して安くないJust System製品が、Yahooと結託してYahoo Toolbarをインストールしてくる姿勢は容認しがたい」

 Just Systemってのは、ATOKの差別語規制も異常だし、トップの考えがよく見えない。ヒダリなの?
 フリーのGoogle日本語入力がますます充実してきて不自由しない。縁切り時なのだろうか。でも長年ATOKを使ってきたからなあ。慣れ親しんでいる。

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ichitarou【追記】──ますますジャストシステムがわからん──5/16

 『一太郎』について書こうと思い、調べていて、ジャストシステム創業者は2009年にもう退社していることを知った。『一太郎』やATOKの開発者である。2009年以降の製品には「創業者の精神」は関係ないことになる。いまのジャストシステムは経営権からなにからなにまで当初のジャストシステムではないのだ。IBMのホームページ・ビルダーを販売するようになったのもこのころか。

 創業者は身を引いたけど、ATOKの異様な差別語規制に反感を持ったのはそのずっと前だから、私の反感は「創業者の制作姿勢」と関連している。
 そもそもATOKなんて最初は辞書などほとんどないちいさなソフトだった。当時、私の最愛FEP(もちろん有料)はWXGだった。

 ATOKはますます充実し、大きな容量のソフトとなってゆく。やがて『一太郎』から離れ、単体で販売されるようになる。そんなある日、「差別語(と言われるもの)が一切打てない」と気づいた。だからそれはまちがいなく開発者・創業者の社長の方針のはずである。



 今回Wikipediaを読んで、ATOKのシンボルカラーである「赤地に白」は「日の丸をイメージ」と知る。20年以上使ってきて、そんなことも知らなかった。言われてみればたしかにそうだ。だから好きだったのか。
 とすると上記の「サヨクなの?」は当たらない。サヨクは日の丸大嫌いだからぜったいに使わない。この件から推測すると愛国者となる。
 しかしまた、そのプログラマーである社長が開発したATOKであるから、異様な差別用語規制等には社長の姿勢が反映されている。創業社長の方針と考えるのが自然だろう。創業者でありソフト開発者でありワンマンなのだから無関係のはずがない。



 と書くと、「差別語を規制したらサヨクなのか!?」と問われそうだ。
 いちがいにそう言えるものではないが、かなりの部分、それが現実の一面でもある。
 たとえばサヨク区長の品川区では、「五体満足という言いかたは差別用語です。使うのはやめましょう」のようなことを区のページでやっている。こういうことをやっている連中を追い掛けて行くと、見事にサヨクと護憲にたどりつくのも事実だ。
 そのことは私のサイトのここにまとめたので、興味のあるかたは読んでください。2006年の文章です。



 今の時代、こういうこともネット検索を駆使すれば、そこそこわかるのだろうか。検索下手なので知りようもない。
 ともあれ、この件に関しては、長年ATOKに不満をいだいている。
「差別用語」と呼ばれるものを、ひとつひとつ辞書登録するのも惨めだ。べつにそんなことばを好んで使いたいわけではない。だけど「盲」「気違い」ぐらいはふつうに使う。それが何十万語だかしらんけど、巨大な辞書をもっているはずなのに、そこから打てないのだ。出て来ない。日本語ではないと削除されてしまっている。そのようなことばを使うか否かはユーザーに委されるべきであってソフトが規制することではない。こどもに対しては、エロや残虐シーンは規制してやらねばならない。しかしATOKユーザーはこどもじゃない。ATOK辞書にある差別語を使って問題を起こしたのがいたとしても、誰もそんなことばを辞書に含んでいるATOKの責任とは言うまい。

 今はジャストシステムを去ったという創業者御夫妻は、この件に関してどう考えているのだろう。知りたいものだ。

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kanren6 Baiduとは何なのか!?
  1. 2013/05/10(金) 08:45:27|
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ブログ話──モザイク今昔、隠されると覗きたくなる心理──エロじゃないよ(笑)

表から「ブログパーツ人気記事」は削除したが、記事を書くときに私は見ることが出来る。
すると「モザイク今昔──むかしNHK、いま民放──隠されると覗きたくなるこちらの心理」という2012年3月に書いたものに根強い人気がある。不思議だ。 

内容は、「むかしのテレビでは、ナショナルの電池ハイトップ等の商品名をNHKがフェルトペンで塗りつぶし見えないようにしていた。時代が変り、最近ではNHKは消さず、民放がモザイクをかけてスポンサーではない商品名を隠すようになった。時代は変ったな」という話。

私は時代の差を書くこの手の話が大好きだが、しかしこれ、どう考えても人気記事になるようなものではない。まして1年以上前のものだ。
どんなものが人気記事になっても、その理由はわかる。一見意外なものがなったようでも、わたし的には「これをわかってくれるひとがいるのか。世の中、捨てたもんじゃないな」と当然だったりする。

しかしこれはわからない。
懸命に考える。行きづまり、初めて「リンク元」というのも調べてみた。そういうツールがライブドアブログには用意されているのだが使ったことはなかった。もしかしてそこに理由があるような気がした。



それでわかった。「モザイク」という言葉、「隠されると覗きたくなる」というタイトルから勘違いされたらしく、エロ系のまとめサイトにリンクされていたのである(笑)。そこから多くのひとがやってきて、そのことによるランクインだった。
そこに行ってみると、「おっぱい丸だし」とか、「スカート内盗撮特集」とかいうのと並んで、私のこの「モザイク今昔──隠されると覗きたくなる」がリンクされていた。

そこで知ったひとは、けっこうわくわくしてここに来たんだろうなあ。AVのモザイクの処理について書いてあると思って。エロ画像まで期待しただろうか。
でもモザイクはモザイクでも、書いてあるのは昨今の民放ではビールのラベルが見えないようにモザイク処理しているとか、ごくまじめなもので、エロのエの字もない。

この場合私は「どうもすみませんでした」と謝るべきなのだろうか。期待を裏切ったのはたしかだ。
でもなあ、意図したわけじゃないし。
いろんなことがあるもんだ。 

しかしこれ、くせになりそうだ。しばらく「まぎらわしいタイトルシリーズ」でもやってみるか(笑)。 
  1. 2013/04/27(土) 22:51:58|
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ことば考──「笑う」と「咲く」のこと

【芸スポ萬金譚】のほうに「笑う」と「咲く」について二題書いたのでリンクしておきます。

タカトシの時間ですよSP──誤って伝わった漢字「笑う」と「咲く」について

再び「笑う」と「咲く」について──武井咲を「えみ」と命名したひとのセンスのよさ
  1. 2013/04/10(水) 04:00:34|
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数字の表記について──の3~40人

○数字の表記について──<きっこさん>の3~40人──

 ひさしぶりに2ちゃんねるの「きっこスレ」を覗いたら、興味深いものを見つけた。以下のようなものである。オレンジ色の文字が<きっこ>さんのTwitterの引用。水色文字があるかたの意見である。

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579 :朝まで名無しさん [↓] :2013/01/10(木) 17:41:57.89 ID:pR6S5gGK
@kikko_no_blog
高校のバスケ部の生徒が自殺した事件で、顧問の教諭は「気合いを入れるために
叩いた」と言い訳してるけど、それなら普通は1~2回だろう。3~40回も叩
くのは「憎しみによる暴力」だよ。根底に憎しみがなければ相手の顔を3~40
回も叩くことはできない。
2013.01.10 14:19


この記事を引用するのは気が引けるが、きっこって「30~40回」を「3~40回」
と書く癖があるんだよね。
>>564も然り。
声に出して伝えるときは「さんよんじゅっかい」でいいんだが、こういうところからも
数字を文字にして伝えることが苦手だと分かるんだよなぁ。
原発の話題でも、何度単位を間違えたことか。


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 これは私にはとても興味深いテーマだ。根底にあるのは漢数字とアラビア数字の表記の問題になる。
「30回から40回」という意味の「さんしじゅっかい」の表記についてだ。細かいことで恐縮だが「さんよんじゅっかい」ではなく「さんしじゅっかい」が正規である。とはいえ私も支障なく伝えるために「さんよんじゅっかい」と言ったりするから威張れたものではない。でも「三十させごろ、四十しごろ」なんて聞いたことあるでしょ。基本として「四十」は正しい日本語では「しじゅう」である。

 この「さんしじゅっかい」の漢数字表記は「三四十回」である。しかし毎日新聞が率先して数字表記をアラビア数字に統一したように、いまはそちらの表現のほうが主体だ。これをそのままアラビア数字にすると「340回」になる。これでは「30回から40回」ではなく、文字通り「さんびゃくよんじゅっかい」になってしまう。よってここにコンマを入れ、「3,40回」という表記が成立した。

 これを流用したのが<きっこさん>の「3~40回」という表記になる。
 投稿したかたは、「これでは30回から40回ではなく、3回から40回の意味になってしまう」と言いたいのだろう。
 たしかにその前に「1~2回」という表記があり、そのあとに「3~40回」とあるから、最初のが「1回から2回」という意味なら、その次の「3~40回」は「3回から40回」と解釈するのが自然になる。しかし教え子を殴打したこの事件の数字は「30回から40回」であり、「3回から40回」ではない。とすると、<きっこさん>の表現はおかしいとなる。

 推測するに、<きっこさん>は「さんしじゅっかい」を「三四十回」と書くことは知っていて、それをアラビア数字で表記すると「340回」になってしまうから、「3~40回」という独自の方法を考えだしたのだろう。



 同じく、「1回から2回という意味のいちにかい」も、漢数字では「一二回」と書くのが正しい。しかしこれもアラビア数字にすると「12回」で「じゅうにかい」になってしまう。よって「1,2回」と「12回」ではないことを示すコンマを使用しての「いちにかい」となる。コンマではなくピリオドだと「いってんにかい」になる。

 漢数字で「じゅうにかい」はどう書くかと言えば、もちろん「十二回」である。この漢数字とアラビア数字でいつも問題になるのは、この「十」の表記の問題に著しい。
 私がいちばん嫌いなのは漢数字表現に「○」を入れる表記だ。「四○回」のようなやりかた。こういう表記のものは一切読まないようにしている。あんなくだらんことを始めたのは誰なのだろう。和洋折衷のようで和も洋もぶちこわしている。

 縦書き小説ではアラビア数字は、あまり用いられない。それでもこの「一二回(いちにかい)」をアラビア数字で「1,2回」と書くことからの逆影響(「じゅうにかい」とまちがわれない対策)は顕著で、たとえば船戸与一さん(昭和19年生)なんかも、縦書き小説の中で、「いちにかい」を、「一、二回」と読点を入れて書いている。これは若い読者に「一二回(いちにかい)をじゅうにかいと読まれないための対策」なのだろう。



 さて、現実に私がどうしているかだが。
 私が私の意見を縦書きで表明するような場なら、私は「30回から40回」を「三四十回」と書く。それに迷いはない。
 しかし現実に私のようなのの仕事は、「事実を伝える横書き文章」が多かったりする。そこではなるべく読者に迷いを与えたくない。アラビア数字を使った横書きの文章で、「30回から40回」ということを伝える「さんしじゅっかい」の表記は、私は「3,40回」と書きたい。でもそれで読者に「3回から40回の意味か?」という誤解が生じる可能性があるなら、もう原点にもどって「30回から40回」とそのまま書く。自分の表記に対するこだわりよりも、「誤解がなく正確に伝わること」を優先する。

 中共ではいま、すべての文が横書き、数字はアラビア数字、暦はキリスト歴に統一されている。共産党一党独裁の国はシンプルだ。その意味ではあちらには悩みがない。
 日本には縦書き、横書きがあり、漢数字、アラビア数字があり、西暦と年号が両立している。中共のシンプルな姿勢を見ると、我が国の複雑さに誇りを持つ。複雑だから愉しい。

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yaguchi【追記】──<きっこさん>は正しいの!?──2013/5/22

 女芸能人の浮気相手に関する「メンズサイゾー」とかいうところの記事。


不倫相手の梅田はTwitterを2月22日から更新しておらず、現在はアカウントを削除しているほか、契約事務所も今回の件で話をしたいと思っているものの、連絡が取れない状態が続いているという。梅田については騒動の最中に雲隠れした格好となっているが、一部ネットメディアでは「打った数は2~3,000人という伝説もある」「すごいのは“腰”で、腰だけが独自のビートを刻むような動きをする」「カマキリっぽくて笑える」など、その性豪ぶりが明かされているようだ。
http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20130522/Menscyzo_201305_post_5901.html

 <きっこさん>と同じ表現である。つまり、2ちゃんねるのスレでどなたかが指摘したように、<きっこさん>の感覚がおかしいのではなく、ネットのこの種の文ではふつうに使われている表現らしい。
 「2~3,000人」とは、浮気相手の男の体験女数だが、「ふたりから3000人」ではあるまい。「2000人から3000人」の意味だろう。それを「打った数」と表する感覚もすごいな。でも「打った数=発射数」と考えるなら、べつに童貞でも何千発も「打った数」は可能だが(笑)。

 しかしこれ嗤える。「2~3,000人」である。「2」のあとの「~」も嗤えるが、そのあとの3000に「3,000」とコンマが入っているのだ。三桁の区切りにはコンマを入れずにいられなかったらしい。一度に言いたいことをぜんぶ言おうとする下手くそな文章なのに、ここのところだけ几帳面だ。商業高校出身のライターか(笑)。元銀行員とか。サラ金勤務からライターに転身とか(←意外にけっこういる)。
 メンズサイゾーには、<きっこさん>レベルのライターが揃っているらしい。
  1. 2013/03/29(金) 05:46:00|
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ことば──唐沢俊一の「ねんぼう」──「タカトシの時間ですよ」1/23

明け方、ネットで昨日放送されたらしい「タカトシの時間ですよ」を見ていたら、盗作で有名な唐沢俊一が、「世界のアスリートの収入ベスト5」で、やたら「nenbou」と言う。「年俸nenpou」のつもりらしい。耳障りだ。不快なので消した。

こんなやつの知ったかぶり雑学になんの価値があろう。トンデモしったかを語る前に常識を学習しろ。

こういうやつこそATOKを使った方がいい。「ねんぼう」と入力すれば変換前に「年俸《「ねんぽう」の誤読》」と教えてくれる。

kanren7
ブラマヨ吉田のネンボウ
  1. 2013/01/24(木) 08:58:39|
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有名人の呼びすてについて──日本語は呼びすてが基本

【芸スポ萬金譚】に「有名人の呼びすてについて」というのを書いたので読んでください。
「総理大臣からスポーツマン、芸能人は、呼びすてが基本。呼びすてされてこそ本物」が日本語なのですが、いつしか好きなひとには敬称をつけるようになりました。 呼びすては嫌いなヤツに対してすることになりました。
私自身、「小泉さん」「カンナオト」と明らかにその傾向があります。まあ小泉さんは現役を引退しているのでつけるのは自然ですが。

ここでも本来は「安倍」「麻生」と呼びすてで書くべきなのですが、なんかそれがし辛く(笑)、「安倍総理」「麻生大臣」と役職を附けてごまかしています。

世の中全般がそうなので、私にもそういう傾向が芽ばえつつあります。それでもなんとか痩せ我慢して、呼びすて路線を貫こうと思います。
これからはここでも「安倍はこう言ったが」「麻生の発言によれば」のように書くことを心懸けます。
  1. 2013/01/11(金) 04:34:29|
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「イタい名前が世に出て来る時代」に「たとえば琢の字を使うこと」を追記しました

「イタい名前が世に出て来る時代」に、

【餘談】──たとえば「琢」の字を使うこと
を追記しました。
  1. 2012/12/28(金) 18:03:46|
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「私淑」の誤用──「居眠り磐音」篇

kotoba.gif 「私淑」ということばが誤用されていることに関してはサイトの「私淑と実家」にまとめてある。2006年の文だ。
 浅田次郎さんがすごい使いかたをしたので、それも附記した。

 先日、「居眠り磐音」( 佐伯康光)を読んでいたら、またすごいのが出てきた。
 武士が上司に隣にいる友人(それが浪人中の主人公磐音なのだが)を紹介するのに、彼がまちがいのない人物だと思ってもらえるよう言うのだ。「私は彼に私淑しております」と。

 サイトの「浅田次郎さんの私淑」に書いたが、浅田さんが「私淑」を同い年の仲間に使ったのでおどろいたわけだが、佐伯さんのもすごい、「私淑」を目の前にいるひとに対して使っている。まして時代は江戸だ。江戸時代にこんな「私淑」の使い方をするひとはいなかったと思うが……。



 ことばは世に連れて変ってゆくものであり、 元来の意味にこだわってもしょうがない。
「憮然はしょんぼりすることだ」と主張しても、くだらん強弁と思われるのが落ちだ。それこそ相手に(今どきの意味の)「憮然とされる」だろう。「なしくずしは少しずつ片づけて行くことだ。いいかげんの意味はない」「姑息は一時凌ぎのこと。卑怯という意味はない」なんてのも同じ。

 私淑している高島俊男先生も「ま、しかたないんじゃないの」と諦めているのだから、私もそれに従おうと思っているのだが、それでも三人の武士の会話で「私は彼に私淑しております」と出てきたときにはおどろいた。
 今時の「私淑」は本来の意味を離れ、浅田さんが使ったように「口には出さないが心の中では一目置いている」のような意味なのだろう。それは「私」の字から、「こっそり、ひっそり」という解釈と思われる。佐伯さんのは隣にいるひとに対して口にしているのだから、この解釈すらも越えている。

 こういうことにこだわるのは精神衛生上よくないので、なるべく考えないようにしよう。それしかない。



「『居眠り磐音』は『渡る世間は鬼ばかり』だ」という論文?を書こうと思っているのだが未だに書いてない。まあ書いても磐音ファンと渡鬼ファンに憎まれるだけで何の益もないが(笑)
 佐伯さんは時代劇作家として大成功したのだが、あれでいいのだろうか。なんだかかつての赤川次郎を見ているような気がする。
  1. 2012/11/08(木) 08:07:45|
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Twitter話──自分を「JAP」と名乗る自称愛国者に呆れる──チョンやチャンコロを使わない基本姿勢

Twitterでのハンドルを「JAPJAPJAP」と名乗る人からの「フォロー通知」が届いた。
みなさんがどうしているのかは知らないが、私の場合、Gmailが「××さんがあなたをフォローしました」と知らせてくれる。最初にそういう設定をしたのだったか。2年前なのでもう忘れてしまった。
ほとんどTwitterはやっていないが、そういう連絡が来ると、フォローしてくれたひとのツイートを確認に行く。いくつかのツイートを読み、せっかくフォローしてくれたのだから、相手の意見に納得が行けばフォローを返す。



愛国者を名乗っているひとだった。政治的な意見は私にちかいのかも知れない。だがその前に、私にはどうにもその「JAPJAPJAP」というハンドル名が容認しがたかった。
日本人は比較的こういうことに鈍い。もうずっと前だが、フランスで「JAP」というファッションブランドを立ちあげようとした日本人デザイナーがいた。在仏日本人の猛烈な反対にあって諦めた。本人は、なぜそんなに反対されるのか、最後まで不本意なようだった。発想そのものが狂っている。朝鮮人が日本で「チョン」というブランドを、シナ人が日本で「チャンコロ」というブランドを立ちあげようとはしないだろう。それと同じだ。

この「JAPJAPJAP」というハンドル名は、それこそ在日朝鮮人が自分のことを「チョンチョンチョン」と名乗るのに等しい。そんなバカなことをする朝鮮人はいない。

同じく、こんな名を名乗る日本人の愛国者がいるはずもない。このひとのツイッターの中身は読んでいない。確認以前の問題だった。



1970年代後半、つのだひろは「Japs Gaps」というというバンドを組みアメリカ進出を企てていた。来日した、当時クロスオーバーのギタリストとして人気絶頂のラリー・カールトンに相談した。どのような戦略でアメリカ進出をすべきかと。

ラリーが開口一番言ったのは「バンド名を替えろ」だった。「Japs Gaps」なんてバンド名は絶対にアメリカでは受けいれられないと。Japs Gapsをかっこいいバンド名と思っていたつのだの無智が見える。

「Japs Gaps」を、いま日本で人気があるらしいKpopの日本語バンド名とするなら、「チョンの缺陥」である。そんな名前の朝鮮人バンドが日本で人気を博することはあるまい。そもそも朝鮮人がそんな屈辱的なバンド名を名乗るはずがない。しかしつのだのやったことはそういうことである。いかにつのだの感覚がズレていることか。ラリーの指摘は至極もっともだった。

アメリカ人は、自分達のことを「Japs Gaps」と名乗る日本人のバンドを、まずその名前からして受けいれないだろう。それがラリーの意見だった。在米日本人からも一斉に反撥されたろう。つのだが井の中の蛙であることをよく表しているエピソードだ。
しかしまたそれが日本人の島国根性でもある。そんな諧謔が異国人に通じると勘違いしている。冗談になっていないのに洒落ていると思い込んでいる。つのだは「Jap」と「Gap」と韻を踏んだそのバンド名が気に入っていたのだろう。

念のために書くが、今のつのださんは国士であり立派な考えの持ち主だ。ユーモアもあり親切で、とてもすばらしい人である。でもそのつのださんでも当時は「Jap」に関しては、こんなに認識が甘かった。



かくいう私も欧米に行き、やつらに時に眉を顰め、時に薄ら笑いを浮かべて「Jap!」と呼ばれるまで、このコトバの屈辱度合には鈍かった。日本にいるときは単にJapneseの省略形ぐらいにしか感じていなかった。
「JAPJAPJAP」なんてハンドル名にして悦に入っている人も一度経験するといい。ヤツラにそう言われたとき、言いようのない屈辱と、殺したいほどの憎しみを感じる。それほど差別語というのは強烈だ。



私は、シナ人をチャンコロと呼んだり、朝鮮人をチョンと呼んだりはしない。書いたりもしない。
Twitterと距離を置いたのにはいくつかの理由があるが、あまりにこの種のコトバが溢れていたことも一因になる。

シナにも朝鮮にもきっちりと意見を言わねばならない。まあ言っても通じる相手ではないが、それでも諦めたら負けだから、言い続ける必要がある。そのとき安易に蔑称を用いてはならない。そういう場だからこそ冷静に、マナーを護る。私はTwitterに溢れる安易なチョンとチャンコロに辟易して距離を置いた。そこには人間性が出る。

ネトウヨというコトバの定義はわからないが、Twitterに、基本的な智識ももたず、ただひたすらチョンだチャンコロだと汚いコトバを喚いて自己満足に浸っている連中が多いのは事実だ。

私は彼らの「竹島は日本の領土だ」という意見よりも、その前にある「チョンなど叩き殺せ」にうんざりしてTwitterをやらなくなった。



シナ人に「小日本人」と言われたくない。朝鮮人に「 チョッパリ(豚の足)」と言われたくない。ならばこちらも礼儀としてそれは護る。チョンやチャンコロとは口にしない。あちらにも護らない人が多いが(笑)、情けは人のためならずと同じく、「マナーは人のためならず」だ。彼らに対する礼儀としてそんな汚いコトバは使わないが、同時にそれはそんなコトバを使わない自分の確認でもある。

國旗を燃やさないのも同じ。やられたらやりかえすではなく、モラルのちがいとして、彼らはやっても私達はやらない。それこそがプライドだ。シナ人、朝鮮人は、日本国旗を燃やす自分達の醜さに気づかないのだろうか。かわいそうなひとたちである。

そもそも「倭人」は「チビ」という蔑称だし、「卑弥呼」なんて当て字も不愉快だ。日本人はこの種のことに関して鈍すぎる。

それはシナのことをボロクソに言うネトウヨとかが、「中国」と言っているのにも顕れている。「てめー、ふざけんじゃねーよ! このあなた様が!」と言っているようなものだ。嫌いで否定する相手を、あちらがそう呼べと言っている尊称で呼んでいる愚かさ。



それにしても「愛国者」を名乗る人が、Twitterアカウント「JAPJAPJAP」は酷すぎる。日本を貶める売国奴が名乗るならともかく。

礼儀としてフォローを返すどころか、私はこんなハンドル名は二度と見たくないと「ブロック」というものをやった。今までに3.4回しかしたことはない。へんな商品の宣伝をしてくるヤツとか。



無智は恥ではない。一歩ずつ学んで前進して行けばいい。誰だってみなバカだった。私なんか日教組に毒された「シナ様、朝鮮様、ご迷惑をかけてもうしわけありません。日本は最低の国です。すみませんすみません」と考える若者だった。

しかし無智と無神経はまた別だ。センスの問題になる。直しようがない。そういうひとは何度も同じ失敗を繰り返す。愛国者と名乗りつつ「JAPJAPJAP」とハンドル名にするひとは、どこか壊れている。



いつものよう21時就寝、3時起床で活動を始めた。午前4時から10時ぐらいまでがいちばん楽しい。乗っている。一気呵成、一心不乱の充実した時間。なのに今回はGmailの「{JAPJAPJAP}さんがあなたをフォローしました」によって予定が狂ってしまった。いちばん仕事が捗る時間に、こんなことを書いているのも惨めだ。しかし看過できなかった。

またTwitterが嫌いになった。
Gmailの「フォロー通知」を切ろう。どうやるんだったか。こんなくだらないことで不愉快になりたくない。一日がぶち壊しだ。
  1. 2012/09/26(水) 05:48:44|
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ことば──「もう1回反すう」という表記──野田首相の談話から

00mas.gif

野田首相と小沢一郎議員の会談があった。増税に関して意見が合わず物別れだったとか。


http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE84T04V20120530?sp=true






00kotoba.gif

 会談のあとの首相インタビュウ。
 以下の文は、野田首相のことばに対するURLの「文章表記」に関するものであり、首相批判ではありません。





「きょうはかなり率直な天下国家の議論ができた。そのことをもう1回反すうしながらどうするか考えたい」と述べるにとどめた。



 この「もう1回反すうしながら」という数字とカナ交じり文は醜い。ネット時代になってもあいかわらず新聞系はこんなことをやっている。数字関係はアラビア数字に撤している。


 「反芻」を「反すう」では意味がわからない。







 これでもう条件反射で思い出すのが「ら致」だ。
 高島俊男先生も初期の『お言葉ですが…』で取りあげていた。

「学生ら致される」という新聞の見出し。

「学生ら、致される」とは何だろうという話。「学生、拉致される」。


 同じく北方領土近辺の漁船事件では「だ捕」が乱発された。「拿捕」。



 高島先生の意見のように、そんなにまでして使わなければいい。「ら致」「だ捕」と意味不明のことばを使うなら、別の日本語に置きかえるべし。

 新聞記者の感覚ってへんだ。率先して漢字制限に協力しながら、というかもうそれすら通りこして、自分達の感覚であらたな漢字制限までしつつ、一方ではこんなカナ交じり語を平気で使う。
 このへんにも新聞記者という特権階級の歪んだ感覚が垣間見える。






 牛のあれで有名な「反芻」の、こういう場合の意味あいは、「あらためて、もういちど、解釈を試みる」という意味であり、こういうときの「もういっかい」は、決して回数の「もう1回」ではあるまい。



 私だったら「もういっかい反芻しながら」と書く。

「反芻」を「反すう」と書くぐらいなら別のことばに置きかえた方がいいが、首相のことばをそのまま伝えるとしても、だったらそのまま漢字で表現し、読めない人のためにカナを振ったり、欄外で説明すべきだ。まずなによりも「反すう」をかっこわるいと感じないひとには記事を書く資格がない。この記事は、全体的にもへたな文だった。

 ネットで読む新聞記事には、へたなもの、お粗末なまちがいが多い。30歳で知りあい60歳の今も親しいふたりの親しさを強調するのに、「まさに竹馬の友である」と書いているのには惘れた。ふたりがいまどんなに親友でも、それは「竹馬の友」ではあるまい。

 一方、素人の書くWikipediaでは、これでもかと難読漢字が使われている(笑)。
「弁える」「購う」「窘める」「綰ねる」「嘯く」とか、やりすぎだ。あれはあれでビョーキと感じる。「おまえはテレ朝の安直なクイズ番組か」と突っこみを入れたくなる。くだらん漢検にでも凝っているのか(笑)。
 
 むずかしい漢字を連発すれば上質な文章になるというものでもない。すぐれた文章の基本は、わかりやすいことである。Wikipediaなんてものに書くのに、なんであんなに肩に力が入るのか不思議でならない。あそこはそういう素人の晴れ舞台なのか。
  1. 2012/05/31(木) 07:32:33|
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Amazonや楽天メールのしつこさ──追いかけシステムを切る──「悩ましい」初体験

Amazonや楽天のお知らせメールが頻繁に届く。

「以前あなたがお買いになったこういう製品に、こんな新製品が出ました。どうでしょう?」

「以前あなたがお買いになった商品の関連商品でこんなものがありますが、どうですか?」 

「以前あなたがお買いになった商品が、今回特別に3割引です。いかがですか?」

 こちらの情報をプールしているから痒いところに手の届く親切さだ。 
 その親切がわずらわしい。
 まあ親切も何も自動で機械的処理なのだろうけど。
 3番目はひどい。2万円で買った品が14000円で買えると知らされても、もうひとつ必要なはずもなく。
 



 金のないときだと、「うるせえ、買いたくても買えないんだよ!」とすぐに削除して問題ないのだが、すこしだけ金のあるときはけっこう問題だ。つい見てしまう。
 もともと興味のある製品群なのだから気になるに決まっている。
 
 ほとんどはPC関係だが、先日電気ポットを買ったものだから、ここのところそんなのも頻繁に来ている。そんなにポットはいらない。 炊飯器もいいって。たこ焼き器なんて興味ないよ! ほんとしつこい。

 私はPCパーツを多くのショップで買い、そこのメルマガを申しこんでいる。そういうところから届くものも多い。でもそれはふつうに「お知らせメール」として常識的なものだ。

 そういう中、Amazonと楽天は、格別に図々しい。なんともいやらしい。いきなりフルネームで呼び掛けてくる。「××××様、今回だけです。あなた様にだけです。特別情報です」のように。

 私は「情報メール」が迷惑だと言っているのではない。むしろ楽しみにしているのもある。アキバオーのメルマガなんて、店と同じように雑然としていて、秋葉原の店に行ったような気になれて楽しい。

 Amazonと楽天のやりかたが不快なのだ。でもAmazonと楽天は二大王者だから、そのやりかたは正しい、となるのか?
 多くのひとは、上記のようなフルネームで呼び掛けられることを快適と思っているのだろうか。



 私は以前楽天で「あぐら座椅子」というものを買った。ノートパソコンは平机で使っている。正座がきつくなってきたので、これは重宝した。棋士は5時間でも10時間でも正座が出来る。すごいなと思う。

agura
 するともう楽天が、私がどのサイトを覗きに行っても、しつこく「あぐら座椅子関連商品」を勧めてくる。
 今だからこそ笑えるが、そのころ私はあまりのそのしつこさにノイローゼになりそうになった。だって、買い物サイトで、何を調べようとも、常にあぐら座椅子が顔を見せているのである。これは気味悪い。

 あぐら座椅子はいい買い物だった。感謝して使用していた。かといって、これからもみっつもよっつもあらたにあぐら座椅子を買う予定はないし、関連商品にも興味はない。心底うんざりした。

 そのときの私は楽天のその追い掛けてくるシステムが切れるとは知らなかった。あまりに不快なので、なんとかならんのかと調べ、その解決法を知った。やっと解決できた。
 楽天は、あの「追っ掛けシステムを切る方法」をもっと表に出すべきだ。それを知らず不快な思いをしているひとは多いだろう。なかなかわからないようになっている。心底腹立ったものが懸命に探してやっとわかるようになっている。ひどい。切ったら一気に快適になった。

 親切を通りこして気味の悪いシステムである。まるで監視されているようだ。ストーカー被害に苦しむ人の気持ちがわかる。



roland




 RolandのUA1010。6万円弱。いいんだろうなあ、これ。
 Midiキイボードを繋いでの打ちこみ関連の品だ。私は打ちこみキイボードはYAMAHAを使っている。それには満足なのだが、安物のTascamのインターフェースが物足りない。そろそろ買い替えたい。
 
 でも私にこれを買う資格はあるのか。ない。
 Cubaseもろくに使いこなせていない。所詮SSW程度のヤツがなにを偉そうに。
 初音ミクを上手に使いこなしている若者は、どの程度の機材を使っているのだろう。まあ機材よりセンスなんだけど。ストリングス系のいい音源も欲しいなあ。

 録画しておいた「銭形金太郎」を見たら、貧しい青年が天然ボケで、その貧乏度合とボケぐあいに、スタジオも爆笑だったのだが、うまいボサノバギターを披露したら、一転して歓声と拍手に変った。音楽の力。
 と思いついたので私もボサノバギターを弾いてみる。歓声が聞こえる(笑)。YAMAHAサイレントギターのClassic用も欲しいなあ。

 買えるけど今は買ってはならない状態。 なのに物慾は消えない。悩ましい。

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どうでもいい【附記】──悩ましい

「悩ましい」の意味は、 広辞苑第6版によると、

なやまし・い【悩ましい】
〓形〓〓なやま・し(シク)
〓なやみを感ずる。難儀である。くるしい。顕宗紀「吾が父の先王は、是れ天皇の子たりと雖も、〓〓なやましきに遭遇あひて、天位に登りたまはず」。「―・い問題を突きつけられる」
〓病気などのために気分がわるい。源氏物語帚木「いと―・しきにとて大殿ごもれり」
〓官能が刺激されて心が乱れる。「―・い視線」
 
となる。

大辞泉だと、

なやまし・い【悩ましい】[形]
_なやま・し[シク]《動詞「なや(悩)む」の形容詞化》_悩むことがあって苦しい。難儀である。「焦りと苛立ちの―・い日々を送る」
_官能が刺激されて、心が平静でいられない。「―・い姿態」「―・い調ベに誘われる」
_病気などで気分が悪い。「―・しく侍りて、内へも参らず」〈宇津保・忠こそ〉[派生]なやましがる[動五]なやましげ[形動]なやましさ[名]

いずれも「悩む、苦しむ」を最初にあげている。
ブログ等を読むと、誰しも今ではそういう意味で使っているようだ。

しかし私にとっては、というか昭和において常識的に、「悩ましい」とは、広辞苑の3番目、大辞泉だと2番目にある「官能が刺激されて心が乱れる。「―・い視線」 ──だった。チャーの「気絶するほど悩ましい」である。私もそういう形でしか使用したことがない。

だから今回、私が「悩み、苦しむ」の意味で「悩ましい」を使うのは初体験になる。ちょっとドキドキした(笑)。
  1. 2012/03/31(土) 20:28:54|
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松田聖子「あなたに逢いたくて」の中の「思い出たち」──複数形の「たち」──FE「蒼炎の軌跡」

kotoba.gif
以前ホームページに「〝たち〟が多すぎる──英語劣等感の歪み!?」というのを書いた。「鳥たち」「虫たち」という、そんなものにも「たち」をつける近年の傾向にうんざりしていたら、ちかくのスーパーで「野菜たち」と流していて行く気がしなくなった、という話。
それと、ファイアーエムブレム「蒼炎の軌跡」のなかの「たち」について。



毎度のIME話。こういう固有名詞のゲームタイトルはATOKは苦手。出せない。出そうとしたらたいへんな手間暇。そもそも「蒼炎」がない。結局は辞書登録になる。そしてGoogle日本語入力は抜群に強い。もう「そうえん」の時点で予想変換で「蒼炎の軌跡」を出している。
迷った末、私は最新版ATOK2012を購入したが、それは心情的な応援感覚で、このへんの差はもうどうしようもない。しかしまた固有名詞以外ではGoogle日本語入力がオバカサンなのも確かで……。
両方を切り替えて使っているのでなんとかなっているが、無料のGoogle日本語入力にATOKのようになれとは言えない。だから、がんばってくれATOK。もっと固有名詞に強くなってくれ。



今日、松田聖子の「あなたに逢いたくて」の「思い出たち」を知ったので、以下のような文をそのファイルに附記した。1996年のヒット曲だというから16年前。もうその頃からこんな言いかたはあったのか。

「日本語は単数と複数があやふやだ。その点英語は」という誤った考えにもう歯止めは利かないのだろう。
1pon,2hon,3bon,4honと、こんな変化に富んだおもしろいことばはないのにな。


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【附記.2】 松田聖子の「あなたに逢いたくて」の中の「思い出たち」 2012/3/14

mazudaseiko
 私は松田聖子の「あなたに逢いたくて」をサビの部分のメロディしか知らない。何年のヒット曲かも知らない。たぶんその時期、私は日本にいなかった。
 YouTubeをうろついていたら何故かそれに出会った。なんで松田聖子になったのか今以て判らないのだが、これはこれで縁だと思って聞いてみた。すると「思い出たち」という歌詞が出てきた。おどろいた。新鮮だった。でも不快でもあった。こんな日本語は認めない。



 それから調べて、この歌詞を書いたのが松田聖子であり、これが彼女の最大のヒット曲(CD売りあげ)なのだと初めて知った。アイドル絶頂期の曲のほうが売りあげが大きいと思っていたので意外だった。

 YouTubeにあったのはPVなのか、もろにマドンナへの憧れとアメリカコンプレックスが出ている醜い映像だった。1996年だから彼女は34歳。離婚したのはいつだ? 調べる。翌年の97年。外人男とのセックスに狂って話題になっていた時期か。アメリカ進出を企ててがんばっていたころ。まあ藝名も自動車のmazudaと時計のSEIKOから来ているのだからアメリカでは受けると自信満々だったのだろう。しかしまあ飽くなき上昇志向である。このひとの異常なまでのエナジーはどこから来ているのだろう。

 私は彼女のデビュー曲を一聴したときから、この娘は大スターになるとあちこちで吹聴したほどの支持者だった。思った通り大スターになったけれど、それとはまたべつに、なんだかとんでもないひとになってしまった。マドンナって(笑)。



 1996年は1年の半分が外国巡りだった頃だから知らなくて当然だ。いや、そういう私がサビの部分だけでも知っているということから、いかに大ヒット曲だったかがわかる。自慢じゃないが私は「えっ!? ほんとにこの曲知らないんですか!」と驚かれるぐらい日本のヒット曲を知らない。同じくテレビドラマも。
 何度か書いているけど、だから「あのNHK朝ドラのヒロインが脱いだ!」なんて話題も、「脱いだ!」には興味があるのだが、NHK朝ドラを知らないから、せっかく拝見(笑)しても、ただの見知らぬネーチャンの裸でしかない。

 松田聖子はアメリカコンプレックスが強いから、このへんの作詩も、自分のヒット曲「Sweet Memories」から、Memories→思い出たち、なんて思いついたのか。当時、多くのファンが「思い出たちのたちってとこがいいよね」と話しあったことだろう。くだらん。

 ともあれ100万枚を超す大ヒット曲であり、映画「めぐり逢う時間たち」より6年も早いのだから、いまの日本語の異常な「たち」について語るなら、これは無視できない例題になると思って附記した。
  1. 2012/03/16(金) 04:30:41|
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裏覚え、うる覚え──うろ覚えが幅を利かす時代

kotoba.gifあるひとのブログに「覚え」とあった。
うろ覚え」とはべつに「裏覚え」なんて日本語があるのかと首を傾げる。あるいは「うろ覚え」の当て字なのか。何度も読んでみる。意味としては、「うろ覚え」の意として使っているようだ。そうとしか思えない。

しかし「うろ」と「裏」は音が似ているだけで意味に通じるものはない。「裏覚え」と書いて「うろおぼえ」と読ませることには無理がある。なら明らかなまちがいである。

それとも若者言葉として「裏覚え」というものがあるのか。裏でこっそり記憶したもの、の意味で。
とまで考えるのは、私はその「あるひと」を、「若いけどしっかりしている」と評価していたからだ。そのひとがこんな凡ミスをするとは信じられなかった。



検索してみたら、じつにもう多くのひとが、「うろ覚え」を「裏覚え(うらおぼえ)」と間違って──それこそうろ覚えのまま──誤用しているのだった。
これは「うろ」という日本語を知らないから、知っている「裏」だと思って使ってしまうのだろう。
「表覚え」の反対の「裏覚え」らしい。「表覚え」なんてコトバもないが。
「裏情報」とか、その種のコトバからの連想なのか。

コトバはいつでも多数決だ。「うろ」が日常ではほとんど使われない日本語であるのに対し「裏」は一般的だ。「裏情報」から「表情報」があると考え、「表覚え」というコトバがあり、その対として「裏覚え」もあると考えたのか!?

やがて「うろ覚え」は「裏覚え」となり、辞書にも「裏覚え(うらおぼえ)──本来は「うろ覚え」であり、裏とは無関係だったが、音が転訛して「うらおぼえ」となった、とでも記されるようになるのか。

「あらためる」「あらたにする」と同じく「あらたしい」が正しかったのに、ふざけて使った「あたらしい」が定着してしまうのがコトバというものである。「うろ覚え」が消え「裏覚え」になる可能性は大いにある。本来深いなコトバの「耳障り」が、漢字を置きかえて「耳触り」として辞書に載るようになったように。

このサイトで、さらには「うる覚え」というまちがいがあると知る。これは「うろ」の「ろ」と「る」が似ているから? いやはやなんとも。

日本を代表するクォリティペーパー(笑)の朝日新聞や、国営放送(笑)のNHKが、「閑話休題」を「ちょっと一休み」の意味で使う時代だから、そんなことはどうでもいいのか。
  1. 2012/03/10(土) 03:53:37|
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把瑠都、初優勝!──誤用「号泣」が多すぎる──号泣とは大声をあげて泣くことである!

把瑠都、全勝V逃すも母、新妻に感謝の号泣

barutonamida


 13日目で悲願の初優勝を決めた大関把瑠都が、土俵上での優勝インタビュー中に号泣した。(デイリースポーツ)

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 いくらなんでも誤用の「号泣」が多すぎる。あっちもこっちも号泣ばかり。

ごう‐きゅう【号泣】ガウキフ
大声をあげて泣くこと。「悲報に―する」(『広辞苑』第4版)


 「号泣」で検索すると出てくるタレントのそれには私も見聞したものがある。
 過去の苦労話をしていて、感極まり、ことばに詰まり、そっと目尻を拭ったりする。「あ、涙が出たのかな」と思う程度。なのにそれが「たかじん、号泣!」なんてタイトルになっている。おかしいよ、日本語が。

 号泣とはその文字からもわかるように「大声をあげて泣くこと」だ。「おーいおいおい」と、あの朝鮮の葬式の泣き女のように、声をあげ、身を震わせて泣くことだ。
 目尻の涙をそっとぬぐったり、まぶたを押さえたりするのは号泣ではない。声をあげまいと唇をかみしめ、滂沱と涙が頬を伝うのも、どんなに水量が多くても号泣ではない。
 号泣の必須条件は「声」だ。声をあげることだ。

 上記把瑠都も、最初はそっと目尻を拭うだけだった。そこに国技館に来ていたお母さんと奥さんへの拍手と歓声でさらに盛り上がったものだから頬を涙が伝っていた。しかし声は出していない。

 假に把瑠都が「ウッウッ」と声を出したとしても、それは「嗚咽を漏らした」だ。「号泣」ではない。
 素人ブログならともかくマスコミ人として、記者として、あまりにコトバに雑すぎる。報道の基本は事実を伝えることだ。事実を針小棒大に膨らまして煽ることではない。
  1. 2012/01/23(月) 20:03:03|
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ことば二題──「閑話休題」の誤用──新党「きずな」「きづな」

00kotoba.gif


ことば・NHK「大逆転将棋」──「閑話休題」の誤用

ことば・新党「きずな」から「きづな」へ
  1. 2012/01/11(水) 18:01:03|
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障害者・障がい者・障碍者──正字を復活させよ!──未だ敗戦国のままの精神

障害者の「害」が「害悪」や「害毒」の悪い意味の漢字であり、障害者に失礼だから「障がい者」という表記にしようという流れがある。サヨク系の区長、市長の地域ではもう実行しているようだ。

このこと自体には納得する。「害」は悪い字だ。自分への呼称に、社会に害をなすの「害」を入れられたら誰だって不快になる。でもかといって「障がい者」というカナ交じりもイヤな感じである。



元々は「障者」だった。漢字制限で「碍」の字を使えなくし、音の同じ「害」を当てはめた醜態がこんな問題を生んでいる。
戦勝国は、あなたがたには二度と逆らいませんという自分達に都合のいい憲法もどきを敗戦国に押しつけた。

あまりに強靭故に怖れた日本人の精神力には漢字が関係があるとの解釈から漢字使用も制限する。GHQのもと、昭和21年に当用漢字が告示される。公文書や新聞等で使用する漢字は1850字に制限された。

これによって多くの無意味な当て字が生まれた。「廃」が「退廃」、「交点」が「交点」等が代表になる。音は同じだが熟語として意味をなしていない。すたれて行く「頽廃」に「退く」意味はないし、交わるところである「交叉点」に「差」はない。表意文字が無意味な表音文字になっている。「障害」もそのひとつだ。いやこれは、さしさわりがあり害をなすというあたらしいコトバになっているか。なんとも「障害者」とはひどいコトバだ。



これらのことは今までさんざん書いてきたことであり今更の話題になる。「障がい者」という気味の悪い表記が横行していることを区役所務めの友人に教えてもらい初めてホームページに書いたのは2003年だった。

00kanren.gif
「障がい者」2003年5月5日

私は「障碍」が「障害」になったのも戦後直だと思っていた。それ以降はメディアに登場する漢字は「障害」なのだろうと。私は学校で「障害」しか習っていない。

ところが今日、仕事の下調べで昭和39年の『優駿』(日本中央競馬会機関誌)を読んでいたら、「障害レース」も、みな「障碍レース」と表記されているのを知った。レースに限らず、「数数の障碍を排除して施行した」のようなその他の文中でもみな「障碍」だ。
いま現在は一昨日行われた「中山大障害」に代表されるレース名もすべて「障害」で統一されている。昭和39年は1964年、東京オリンピックの年である。戦後初の三冠馬シンザンが誕生した年だ。この時期にまだ「障碍」が使われているとは知らなかった。



餘談ながら「中山大障害」は「おおしょうがい」が正しい呼称であり、放送前に資料で正しく学んだ競馬アナ等はきちんとそう発音していた。しかし世の流れからか競馬ファンの多くが「だいしょうがい」と呼ぶようになったので、数年前、競馬会が正式に「だいしょうがい」と呼称を改めている。私自身は競馬を始めた学生時代は「だいしょうがい」と言っており、仕事として関わるようになってから学んで「おおしょうがい」と言っていた。「消耗(しょうこう)」をツクリの「毛」から「しょうもう」と読むようないわゆる「百姓読み」が正規に勝った例になる。

なお言うまでもないがこの場合の「百姓」とは「世間の人びと」という意味であり「農民から工芸師、漁師まで民衆全体」を指している。本来百姓とはその字からもわかるようにそういう意味であったのに言葉狩りの流れで「農民を差別するコトバ」にされてしまった。シナでは今も「大衆酒場」の意味で「百姓酒場」という看板がそこいら中にある。「百姓」というコトバも言葉狩りで消されたひとつになる。



意味も正しい正字の「障碍」は、いつから害をなす「障害」にされてしまったのだろう。
『優駿』の場合は一般的な雑誌ではないし、世間は「障害」だが、頑固に「障碍」を使用していたという可能性もある。そのうち時間があるとき、図書館で昭和39年当時の他の雑誌を調べてみよう。ん? 新聞は可能だが地元の図書館じゃ当時の雑誌は無理か。国会図書館か大宅文庫に行かないとだめか。とりあえず新聞だけでも見てみよう。

ともあれ「障がい者」という意味不明のカナ交じりにするよりは、正字の「障碍者」を復活させた方がいい。それだけの話だ。とんでもなく画数の多い漢字だと煩わしいが「碍」の字は画数もすくなく石偏であることから意味も判りやすい。ツクリも得の字と同じだから誰でも書ける。

が、それが出来ない。そんなことですら出来ない。
戦後は終っていない。それはあの「憲法もどき」を未だに改正出来ないことからも明白だ。いつまでこの頚木の中で藻掻かねばならないのか。岸信介がやろうとした憲法改正が孫の安倍晋三の代になってもまだ出来ない。何なのだ、この国の政治は。あの憲法もどきをいまだに変られずにいることに最も驚いているのは押しつけたアメリカなのに。



しかしこの問題は「碍」の字の使用以前に「障碍者」というコトバ自体がひどいと思う。「害」ばかりが問題になるが「障」も差し障りがあるということだ。ここにも敗戦がある。コトバが英語的な説明になっている。

「びっこ」というコトバは、それを知らないと意味の推測が出来ない。「足の不自由な人」とは辞書に於ける「びっこ」の説明のコトバだ。「どもり」「おし」も同じ。「吃音症」「聾唖者」は漢字による説明言葉だ。

「かたわ」もカナで書くと意味が想像できない。あらためて「不具者」。こうなると字面から想像できるようになる。さらにあらためて「障碍者」になるともう「Handicapped」の直訳である。日本語の英語化だ。電車の優先席の説明英語を見るたびにそれを思う。まともな自主憲法すら未だにもてない国がそうなるのは当然だ。戦争に負け、アメリカに占領され、昭和27年に一応独立したことになっているが、いまだ精神は占領された敗戦国のままである。その種の消されたコトバを復活させろと言っているのではない。しかし「障がい者」の表記問題には、漢字制限があり、それが敗戦の尾を引いたものであるのは事実だ。
  1. 2011/12/26(月) 01:50:05|
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漢字解釈の滑稽──「吐」という字は、口へんにプラス、マイナスと書きます

ちなみに「吐」という字は、口へんにプラス、マイナスと書きます。ここからマイナスを取り除けば「叶」という字になります。「夢は見るものではなく、叶えるもの」という信条を掲げる澤は、プラスのことだけを口にし続けて、「吐く」のではなく「叶える」を実現してきたといえるでしょう。http://news.livedoor.com/article/detail/6129184/

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私はこういうセンスが大嫌い(笑)。いわゆる「武田鉄矢的ガッツ石松的」な解釈になる。読んでいるだけで赤面する。こういうのが得意な田舎の中学教師もいるだろう。結婚式のスピーチで十八番にしているおやじもいそうだ。
「金八」なんぞを見て育った世代の教師が、「いいかあ、吐くという字は口偏にプラスとマイナスと書く。ここからマイナスを取ると、叶うになるんだ。いいか、みんな、マイナスを取って夢を叶えるんだ」なんて金八気どりでやってそうだ。

本人は気に入ってるんだろうなあ。「ちなみに」と始まるからには、この解釈を披露して、すこしばかり得意気なのか。澤の実行力を自分の漢字解釈と結びつけた文に、「う~む、決まったな」と満足しているのだろう。

この記事は、女子サッカーの澤穂希の著書を紹介したものであり、澤は無関係。澤の言ったことを否定するとファンに怨まれそうだが、これは澤ではなくこの文を書いたライターが言ったこと。誤解なきよう。
  1. 2011/12/19(月) 10:21:25|
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「永遠に不滅です」「友達の友達がアルカイーダ」──思い違い勘違い

仕事の関係で寺山修司の古い本を読んでいた。長島の引退に触れた項があって「巨人軍は永遠に不滅です」とあった。私もリアルタイムであれを見ていたのに長年勘違いしていたのだが、正しくは「永久に」だ。

ああいう勘違いはどうして起きるのだろう。私も長島引退から十数年「永遠に」だと思っていた。疑ったことがなかった。その種のよくある番組で映像を流し、長島が現実に「永久に」と言っているのに、それでも「ウソ!」と思ったものだった。寺山が勘違いしたまま書いているのを見て、あらためて不思議な気がした。音の感覚として「エイキュー」ではなく「エイエン」だったのだろう。



昨日、れいの鳩山弟のトンデモ発言「ともだちのともだちはアルカイーダ」を、たいして意味もなく引用するとき、「あれは本当に〝ともだち〟だったのか?」と疑問を持ち調べた。そのときの記者会見の様子がYoutubeにあった。外国人プレスとの会見。通訳を通している。「ゆうじん」だった。「友人の友人がアルカイーダ」と鳩山弟は言っている。これもまあどうでもいいことだが覚えておこう。<きっこさん>も「友達の友達」と書いているようだから教えてあげたい(笑)。
これも「ゆうじん」よりも、音として「ともだち」なのだろう。「笑っていいとも」の「ともだちのともだちはみなともだちだ」なんてのの影響もあろう。「ゆうじんのゆうじん」とはあまり使わない。でもそっちが正解。



「エイエンとエイキュー」「トモダチとユウジン」。こういう勘違いはおもしろい。どうでもいいことではあるが、今は便利なネットというものがあるのだから、書く以上はできるだけ正確に書いて行きたい。
  1. 2011/12/14(水) 05:18:48|
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ことば──アナの誤読──きじゃく・とほう

あまりテレビを見ないし、見たとしてもいいかげんなながら視聴なのでアナのまちがいに気づいたりしない。

下のサイトでそれを見た。
女アナが脆弱(ぜいじゃく)をキジャク、訃報(ふほう)をトホウと読んでいた。ひどいもんだ。

作りの危とトからきている典型的な百姓読みによる誤読だ。
脆弱は大震災に関して、訃報はもちろん死者に関する話題だったからともにまじめな表情。よけいにみっともなく感じた。

原稿チェックの段階で、ぜんぜん読めない難しい漢字なら上司に訊いたり辞書で調べたりする。しかしこれらに関しては「きじゃく」「とほう」という読みに自信を持っていたのだろう。

とはいえことばは多数派が本流になって行くから、みんなが誤読して行けば、先々「きじゃく」「とほう」が正当になっている可能性もある。脆弱をぜいじゃくと知らないひとは精一杯の智慧を発揮して「きじゃく」と読んで行くだろう。みんなが「きじゃく」と読むようになれば、やがて辞書も認めて行く。百姓読みでそうなってしまったことばもたくさんある。
例えば「消耗(しょうこう)」だ。作りの毛からみんなが「しょうもう」と誤読したことからいつしかそれが正しくなってしまった。いま「しょうこう」で消耗を引くと「消耗--しょうこう→しょうもう」と、まるで「しょうもう」の誤読のように扱われている。

みみざわりなんてのも「耳障り」であり、それだけで悪い意味だったのに、「みみざわりがいい」と使われることにより、今では「耳触り」なんて当て字をして認めている辞書まである。さすがに「目障り」はそうならないようだ。

http://birthofblues.livedoor.biz/archives/51232508.html



ここは大人気サイトのようだ。これだけおもしろい話題がびっしりと詰めこまれてあれば人気も肯ける。私は初めて訪れた。これから毎日読ませてもらおう。
ブログタイトルの下のコピー、《「ボクはものすごく原子力に詳しいんだ」と自画自賛する総理に日本の未来を託すブログ》が皮肉が効いていて秀逸だ。たぶんこれは時節に併せて適度に更新するのだろう。

4月3日のテーマ《殿下とホモかっちゃんが「福島第一原発の冷却装置を誤って操作したまま、さっさと逃げて郡山で祝盃を上げた」と糾弾していた東電社員2名 4号機地下より遺体で発見される》という記事も勉強になった。勝谷がこんなとんでもない誤報を流していたことを知らなかった。

http://birthofblues.livedoor.biz/archives/51228446.html



先日知人のクルマに同乗しているとき、ラジオから大震災に関する話が流れてきた。被災者に対するまじめな意見が紹介される。MCが沈痛な声で投稿された文章を読んだあと、自分の感想を手短に述べ、投稿者のペンネームを読んだ。それは「カツオ風味のふんどし」というものだった。「カツオ風味の本だし」をもじった気に入っているペンネームなのだろうが時と場合による。
  1. 2011/04/16(土) 13:15:45|
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ことば──計画停電の発音

表記と発音はちがう。
「携帯電話」にカナをふる問題では「ケタイデンワ」とせねば×になる。それが正解。でも発音は「けたいでんわ」「けーたいでんわ」が正しい。誰もが自然にそうしている。それでいいのである。







これに関しては高島俊男先生が『お言葉ですが…⑥ イチレツランパン破裂して』の中で詳しく解説している。

高島先生がこれを書くきっかけは産經新聞の投書欄だった。そこに端午の節句の歌「背くらべ」を「セクラベと歌うのが多く不快だ。正しくセクラベと歌え」という投書があり、元NHKアナの小川宏さんが「せえくらべが正しいのです」と応えたことから始まる。


元兇は「新カナ使い」にあるらしい。旧かなの時代は「表記と発音はちがう」が常識だった。新カナになってから表記と発音の一体化が始まった。

経済はけざい、産經新聞はさんけしんぶん等、いくつもの正しい例が挙げられている。また童謡「ぞうさん」も表記は「ぞさん」でも「ぞさん」と歌うのが正しく、自然にだれもがそうしていると指摘されている。

詳しくはそちらを読んでもらうとして。



防災タワーから計画停電に関する放送が流れてくる。
反響を意識してことさらゆっくり一語ずつ発音される。
「本日のケカクテデンのヨテは」

「けーかくてーでんのよてー」でいいのである。ふだんだれもがそう発音している。
だが世の中にはへんなところで突っこんでくるクレームバカがいる。
産經新聞に投書したのと同じく「ケイカクテイデンをけーかくてーでんと放送されて不快だ」と市役所に抗議してくるのがいるかもしれない。
それを意識してなのか、放送担当者が単に読みと音は一緒だと思っているのか異様な発音になっている。

放送している三十代か四十代の女も、ふだんは「けーかくてーでん」と言っているはずだ。なのにマイクの前では「ケイカクテイデン」になる。たぶん「ふだんの発音はまちがい。放送のときは正しく発音しないと」と思っているのだろう。



この件に関して高島先生の結論は手厳しい。「ことばの世界ではたいがい無智のほうが勝つ」とおっしゃっている。
そのうちこどもが「けーかくてーでん」と言っていたら、「正しくケイカクテイデンと言いなさい」と叱られる世の中になるのだろう。くだらんなあ。でもそれがことばでもある。


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「あらたに」「あらためる」と同じ系列で「あらたしい」が正当だった。誰かが始めたふざけことば「あたらしい」が流行り、いつしか「あたらしい」が主になってしまった。江戸期と言われている。

憧憬(しょうけい)のどうけい、些細(ささい)のしさいは、百姓読みが勝った例。

いまどき「憮然」を正しい意味の「しょんぼりする」で使っても意味が通じない。読むほうの大半が「むっとする」と解釈するのだから筋が通らない。

まこと、ことばは「無智が勝つ」世界である。
  1. 2011/04/15(金) 10:08:01|
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大震災情報──気象庁のいばらぎけん

kotoba.gifこんなたいへんなときにくだらんことを書く非礼を最初にお詫びしておきます。

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 テレビを点けたままパソコンに向かっていたら「いばらけん」という発音が聞こえてくる。大阪の方のひとはみなそう発音するので、誰か関西系の地震学者が意見を述べているのかと思った。テレビの前に往く。

 ところがそれは気象庁のえらいひと(えらいひとかどうか知らないけど、代表して発表するのだから地位のあるひとなのだろう)が、マグニチュード8.8を9.0に「上方修正」する記者会見だった。

 上方修正ということばもGDPや営業利益ならいいがマグニチュードじゃつらくなる。

 大好きなたかじんなんかもみな「いばら」だし、それはそれでもうどうでもいいやと思っている。たぶんいばらは茨木市であり茨城県はいばらなのだろう。でも気象庁のえらいひとはまずいのではないか。だって地名を正確に言うのは仕事のひとつだろうから。

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【追記】──「鑑定団」が終ったあとに出てきて地震のプレートについて説明しているテレ東のひとは、きれいに「いばらきけん」と発音している。やはり先ほどの気象庁のひとは異常だった。関西出身なのだろうか。
  1. 2011/03/13(日) 14:00:40|
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民主党、前田日明を公認せず──小沢「前田なにがし」発言

 民主党は3日の常任幹事会で、夏の参院選の第1次公認候補87人(選挙区47人、比例代表40人)、推薦候補2人を決定し、小沢一郎幹事長(67)が記者会見で発表した。「公認内定候補者」として公表されていた元格闘家・前田日明氏(51)が名簿から漏れ、公認が見送られるまさかの展開。体操競技のソウル、バルセロナ五輪メダリストの池谷幸雄氏(39)は無事に公認が発表され、注目候補の2人は明暗を分けた。小沢氏は前田氏について「本人の認識のことやらなにやらあった」と語った。

 衝撃は、16分間の記者会見の、最後に待っていた。質問者が「前田日明さんの名前がないが?」と小沢氏に尋ねたときだ。名前がビッシリ並ぶ名簿に見入っていた報道陣の間に、初めて「言われてみれば、そうだ…」という空気が広がった。

 小沢氏は「誰? 何が? え?」と、全く無関心な様子。党職員に何か耳打ちされ「あっ、抜けてるちゅうこと? あっそうか~」とそっけない反応を示すと、続けて「その、前田なにがしにつきましては、いろいろ本人の認識のことやら何やらありましたので、今回は見送り」。“格闘王”の異名でならしたカリスマを「なにがし」呼ばわりで言い放った。
(後略)。スポーツ報知より。以下、続きはこちら


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公認候補に前田の名前がないことは伝えられていた。私も知っていた。だがそのときは次の発表のときにする(=まだ隠し球として取っておく)ぐらいのニュアンスだった。それがこのニュースで意見の衝突から消されたのだと知った。意外だった。



 前田は「民主党が政権を取らなければ日本は良くならない」と発言し、衆院選のときも熱心に民主党候補の応援に走りまわっていた。8人応援演説をした内の6人が当選したとか(数字はいいかげん。どうでもいいことなので。でもたしかこれぐらいの数)自慢気に語っていた。とにかく民主党べったりだった。

 その後、つい先日の小沢金銭スキャンダルのときも「あんなことで捕まるのなら、政治家はみんなつかまってしまう(=誰もがやっていること。無実)」と強烈に擁護発言をしていた。その小沢からこんな扱いを受けたのだから誇り高い前田はいま怒髪天だろう。果たしてどんな揉め事があったのか。



 前田の政治姿勢を知っているつもりの私は、前田のこの民主党贔屓が理解できなかった。前田が親炙していた"大空のサムライ"撃墜王の坂井三郎さんがお元気だったら(2000年逝去)、前田の民主党贔屓をどう思うだろうと考えたりした。

 前田が民主党から立候補するのはとても残念だったけれど、在日朝鮮人である前田(帰化済み)が国政に出るには民主党しかないのか、とも思ったりした。(自民党にも新井将敬とかの前例はあるが。)



 ともあれひと悶着あったことは私としてはうれしい。前田は池谷とはちがうからだ。自由党時代、野村沙知代を担ぎだして非難を浴びた小沢の体質はなにも変わっていない。人並み以下のバカで女好きなだけの池谷を国会議員にしてどうするというのだ。いや、どうもしない。数合わせのためにいればいいだけだ。海部のときに言った「担ぐ神輿は、バカで、軽い方がいい」は小沢の本音だ。タレント候補など小沢にとって人間ではない。どうでもいい員数合わせにすぎない。自分にすこしでも逆らうヤツはつぶす。

 ならここは、イエスマンでいれば確実に国会議員になれたのに、あの小沢に逆らった前田を評価すべきだろう。



 本来の前田の短気な性格なら民主党とはこれで終るはずである。小沢にこれだけ屈辱的な扱いをされたのだ。

 かといってあれだけ激しく自民党を批判した以上、安易なくら替えも出来まい。さてどうなるのか。民主党に頭を下げて公認をもらうようなことだけはしてほしくない。
  1. 2010/03/04(木) 13:10:40|
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ひさびさのネット遊覧から──呉智英、佐々木譲論争

net.gif  六月前半がパソコンと無縁だった分、後半はパソコン三昧である。デスクトップのHDDを換えたこと、ラップトップを仕切り直したことがあり、家にいるときは朝から晩までパソコンをいじっている。

 パーティションを切ったり、再インストールしたOSを磨いたり、手持ちのソフトウェアを入れたり、フリーのユーティリティソフトやフォントを揃えたり、デスクトップにある100GB以上のmp3音楽を、ノートのHDD容量を考慮して、30GBに限定して移植したり、一日中やっていてもまったく倦きることがない。しみじみそういうことが好きなんだなと実感する。
 



 


 といっても相変わらずネットとは縁遠い毎日。パソコン好きがネット好きとは限らない。毎度言うが私はパソコン歴四半世紀以上だが、パソ通が嫌いで決して近寄らなかった。パソコンを通じて見知らぬ他者と関わりたいとは思っていない。ホームページを宣伝することもなくひっそりとやっているのもその理由による。
(あ、でもメールをくださって知り合えた皆さんには、ネットのおかげと素直に感謝しています。今後ともよろしく御願いします。)

 インターネットのあちこちに出かけることを観光地へのドライブだとするなら、私は工場の中でエンジンをチューンナップしているのが楽しいのであって、走るとしてもテストコースでタイムをとったりする程度。実際に風光明媚な場所を走ることには興味がないようだ。

 それが自分の気質なのだから納得するとして、あまりにインターネットと距離をおいていると話題に遅れる。
 今回、ネットサーフィンをまったくしないでいたら、興味ある事件に半年も乗り遅れてしまっていた。それに気づいた昨夜は、すこし、焦った。

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 佐々木譲さんが北海道の田舎に住むようになったことは漠然と知っていた。それが土地鑑のある中標津であることもなんとなく記憶していたように思う。いやこれは「土地鑑のある中標津だから記憶していた」と書くべきか。二十代のころになんどか訪れたことのある北海道東部の酪農の町だ。
 北海道生まれの佐々木さんは、そこに居を構え、以来作品も本格的に北海道が舞台のものが多くなった。

 今回それを確認した。産經新聞「断」における呉智英さんと佐々木さんの論争から、佐々木さんのホームページとブログに行ったからだ。

 佐々木さんは「佐々木譲資料館」というホームページを長年やっていて、いまはそこから独立させたブログ日記を主としているようだ。今回それを読ませてもらった。

http://blogs.dion.ne.jp/sasakijo/

 
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  じつは私が「呉智英・佐々木譲論争」を見つけることにより、深夜に眼がしょぼしょぼするほどひさしぶりにネットサーフィンをした理由として、本来のその「ことば論争」は半分でしかない。当然ながら今の私は本来のそのことより脱線してそれをした残り半分の話を書きたい。しかしその前に本質的な部分の結論に触れておかねばならない。よって急いでおふたりの論争に関する流れをまとめることにする。
 


 

 おふたりのやりとりは前記の産経紙上の文章を読んでいただくとして、佐々木さん側に強烈な味方が現れた。呉さんの仕掛けた始まりが1月、下記のものが書かれたのは4月になるが。

「デタラメな商売はもう終りにしませんか」


http://blog.livedoor.jp/kangaeru2001/archives/51598150.html
 

 たいへん博識で調査好きな方である。
 激することなくクールに例証し、それでいてタイトルはキツい。この資料的な追い込みは強烈だ。

 さらにまた呉さんが書いた「大阪の食い倒れ」に関する意見には、こんな強烈な反論があった。

「大阪の食い倒れ」に関する呉さんの文は、
 

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080413/acd0804130409002-n1.htm

 

 上記のかたの反論はこれ。

http://d.hatena.ne.jp/kuzan/20080413/1208104529




 呉さん、分が悪い。
 インターネット世界だからだ。
 以前は呉さんのような"インテリ"が知識を開陳すると、無学なフォロワーはすなおにありがたがり、鵜呑みで信じた。自分のことだけど。

 ところが今はあらゆる専門家がネットで繋がっているから、以前なら看過されたようなミスも許されない。

 いや今までも雑誌や新聞に掲載された今回のような文章には専門家から多数の反論があったのだろう。だがそのやりとりは文書であるから「遅い」。それと「こちら(一般人)に伝わりにくい」。新聞社に抗議が届いても、握りつぶされたら終りだ。
 

 やりとりの反応が早いこと、それに関して誰もが発信できること(=検索して誰でも受信できること)、メディアの力で握りつぶされないこと、いずれもインターネット世界の特質になる。

 基本的には「人殺しをした少年の顔写真が公開されてしまうこと」と同じだ。
 それにしても「野に偉人あり」である。博識な人が多い。

 アナログ人間の呉さんがデジタル社会に袋だたきにされている図か。でも呉さんはへこたれないだろうけど(笑)。それがあのひとの強さだ。

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  1. 2008/06/26(木) 17:19:25|
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林家正蔵の「お弟子さん」

kotoba.gif
NHKの演芸番組。正蔵(こぶ平)と中川翔子の司会。正蔵「ふだんは何してますか」中川「ひとりでいることが多いです」正蔵「うらやましいなあ」のくだり。


正蔵「ぼくなんか家族もいるし、お弟子さんも一緒に住んでますから、なかなかひとりになれないんですよ」


「魚屋さん」「ラーメン屋さん」のような職業を始め、なんでもかんでも「さん」をつけて角の立たないようにする時代だ。しかしこの「お弟子さん」は適切か? 「弟子」だろう。
中川が「お弟子さん」と言うならともかく。


他の落語家を想像してみた。小朝……「弟子が一緒ですから」と言うと思う。言うよなあ、ふつう。『笑点』メンバー。これはまちがいなく「弟子」である。古い人たちに「お弟子さん」と身内までもちあげる勘違い丁寧の感覚はない。

正蔵の波風立てないタレントとしての賢さはともかく、「落語家としてのつまらなさ」が、よく出ている一例といえる。(投稿予約原稿)

  1. 2008/03/10(月) 15:00:19|
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擬態語のしんしん

kotoba.gif
「しんしんと、降る雪の音がする」と書いたので補足。


 擬音語と擬態語の違いは音がするかどうか。「わんわん」は擬音語、「しんしん」は擬態語になる。このごろなぜかそれらをまとめて言うオノマトペなんてフランス語のほうが一般的になっている。擬態語と言ったら、その辺のバカネーチャンに、「ギタイゴ? ああ、オノマトペね」なんて言われそうだ。ん? バカネーチャンはオノマトペなんて知らない? それはバカネーチャンの基準をどこにおくかですね。人それぞれです。


 擬態語は世界中のことばにある。その中でも日本語は異常に多いことで有名だ。日本語を学ぶ外国人の上級者はここでかなり苦労するという。擬態語が正しい。なんでカタカナを使うのか。(物の本によると朝鮮語も擬態語は多いそうだ。詳しくないのでパス。)


 もしも時代劇映画に「おお、雪か」「しんしんと降り積もっておりますな」なんてセリフがあったら、あちらに進出してもその部分は「Shin Shin」になる。訳しようがない。


 音がしない擬態語の「しんしん」を、していると書いたのでは日本語の文章として失格だ。それは書いたときからわかっていた。でも無音で降っている雪だけど、夜更けに見た雪景色が、なんか「しんしんと音がしている」ような気がしたからそう書いた。これは日本人にはわかってもらえる感覚だろう。
 ここ数日、「きしきしする寒さ」を感じている。


(投稿予約原稿)

  1. 2008/02/08(金) 07:00:12|
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「耳障りがいい」は目障りだ

kotoba.gif
「耳障りがいい」は目障りだ


耳障りは字からも解るように始めからよくないものである。
「耳障りだ」で、すでに不快なノイズであることを表している。
「耳障りが悪い」と言う必要はない。


ところがいつしか「耳障りがよい」という表現が使われるようになった。
しかしこれは私の知っている限りでももう三十年前に結論が出ている。
私の見たのは週刊誌の投稿欄だった。読者が投書したのだ。記事の中にある「耳ざわりがよい」はおかしい、と。
編輯部は、この場合の「耳ざわり」は「耳触り」と書き、すでに辞書にも載っている表現であると反論した。「肌触り」等からの転用感覚であろう。


かなりこじつけっぽく美しいとは思えないので私は使わない。
それでもいくつかの辞書にはもう「耳触り」と載っているらしい。さいわい私の持っているものには載っていない。


「耳触りがいい」はすでに通用している表現なのだろう。それにケチはつけないことにする。だが昨日のテレ朝では「耳障りがいい」というスーパーが出ていた。これはやはり問題だろう。日本語の「障りがある」に反している。


「障害者」を「障がい者」と表記するご時世だ。
「耳ざわりがいい」をまともな表現とは思わないけれど、表記するのなら「耳ざわり」か「耳触り」にしてもらいたい。「耳障りがいい」はヘンである。

  1. 2007/12/26(水) 06:17:00|
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「幕開け」と「極めつけ」に幕引き

kotoba.gif
 「幕開けと極めつけ」と「幕開きと極めつき」論争にに幕引き
 


 


 偶然見かけたNHKの「言葉に関する番組」が、「極めつけか極め付きか」「幕開けか幕開き」か、とやっていた。
 正解は「極め付き」と「幕開き」。アンケートによると60%以上の人が「極めつけ」「幕開け」と誤用しているそうである。


 私もやったような気がする。急いでグレップソフトでハードディスク内を検索した。すると二件ほど該当文章が出てきた。すぐに直そうと思う。ところが直せない。それは活字になったものだった。コピーで「新たな時代の幕開け」とやっていた。恥じる。
 ホームページ内の文章なら直せるが過去に活字になったものはいじれない。なんとも悔やまれる結果になった。

  1. 2007/12/13(木) 12:03:06|
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ラビィ・シャンカールの「ビィ」について──ヴィではビでもなくビィ

「ビィ」のこと
 ラヴィ・シャンカールの綴りはRavi Shankarである。カタカナで表すならRaviラヴィであろう。
 もしもヴは使わないとの決め事ならビである。「ラビ・シャンカール」で充分だ。あるいは「ラビー」か。
 なのにこのCDではじつに半端な「ビィ」が使われていた。
 下記、4/14投稿文の見出し「ラビィ・シャンカールを聞く」は、解説書やCDタイトルでそうなっていたから倣った。私が耄碌したのではない。Amazonからジャケット写真をもらってくるときにもこのCDは「ラビィ」でなければ探せなかった。

 それが通例なら従わざるを得ない。他所に書いたが、「ダイアナ・クラルで探したら該当がない。英語のDiana Krallでなんとか見つけ、なぜヒットしないのかと調べたら「ダイアナ・クラール」なのだった。クラールでありクラルは存在しないのだ。音引きがない表現は認められないらしいということらしい。
 くだらんと思いつつも、彼の名が「ラビィ・シャンカール」で表記されるなら、検索しやすいようにそう覚えねばならないのである。

 しかし今日あらたに手に入れたCDでは、「ラヴィ・シャンカール」と納得できる綴りがなされていた。それで溜飲を下げたのだが、ここでまたこんがらがった。
 というのは、どう考えても今日入手した「アジアの出会い」というCDの方が発売が古いと思われるのである。音源が1978年なのだ。いや発売日は2002年だな……じゃあこっちのほうが新しいのか……ん?「ガンジーに捧ぐ」は2004年!

 ということで大発見。
 現在発売されている7,8枚のシャンカールのCDは、みな「ノラの出現によって再発売されたもの!」なのである。

 いやあこれにはおどろいた。私は上記のノラの名がクレジットされたものを見て、多数発売されているシャンカールのCDの中に、単なるキワモノとして、1枚ほどノラの名を利用しようとするものが出てきた、と解釈したわけである。どうやらそうではないようだ。
 シャンカールのシタール音楽はほとんど売れず、みな廃盤のようになっていたところに、娘が世界的スターになったものだから、それを利用すればすこしは売れるかもと何枚かが再発売になった、が真相のようである。



 これは人見きよしのギャグ「きいてみなきゃわからんもんだねえ」をいうところだ。え~とこれは、大ヒットした「ほんとお、ちいっともしらんかったわあ」のあとのヒットしなかったギャグだから、昭和30年代半ばか。誰も知らんな(笑)。

  1. 2006/04/20(木) 04:03:53|
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ことば──一所懸命

 一所懸命
 いまテレビを見ていたら、子供に相撲を教えている人が、負けたこどもに「いっしょけんめいに練習をやろう」と言い、「一所懸命にやろう」と字幕が出たので驚いた。
 ぼくが学校で習った「一生懸命」を「一所懸命」に替えたのは二十数年前である。椎名誠がこのことばをエッセイで取り上げ、「いやあそういう意味だったのか。知らなかった。これからは一所懸命と書くようにしよう」と言っているのを見て、自分もそうしようと思ったのだった。

 ここを読んでいるみなさんが一所懸命か一生懸命なのかぼくは知らない。世間ではどうなのだろう。
 強く覚えているのは、ほんの十年前、「亀造競馬劇場」というのを書いているとき、毎回ゲラがあがってくると「一所懸命」が「一生懸命」に直されていたことである。それをまたぼくが一所懸命に直して送り返した。毎回そうなので編集者に強く言ったが効き目がない。三四回続いたとき、さすがにうんざりしたので、出版社のエラい人を通じてやめてくれと申し込んだ。それでやっとなくなった。
 これは校正する人が「一所懸命は一生懸命のまちがい」とバカのひとつ覚えをしていて頑固に直していたのだろう。「校正のアルバイト」というのがあるそうで、作家予備軍の人たちがよくやるそうだ。ぼくも何人かむかしやっていたという現作家を知っている。そういう人はマニュアル通りになんでも直してゆくらしい。物書きの世界ですらそうだった。たった十年前である。

 昨年だったかchikurinさんが高島俊男さんの『お言葉ですが…』を読み、そこで「一生懸命となっていたがあれは高島がチェックを見逃したのだろう」と書いていた。ぼくもそう思う。高島さんは一所懸命と書く人だ。高島さんの原稿ですらそう直してしまう人がいる。それも昨年である。世間はまだまだ「一生懸命」なのだ。

 だからこそおどろいた。テレビである。しかも子供をとりあげた番組だ。中には一生懸命の間違いと思った視聴者もいたのではないか。賢い子供ほど学校で教えられたものと違うと反応する。
 こういうことに対してテレビは最も保守的だ。保守的? ちがうか、なんていうんだ。要するに波風を立てない事なかれ主義だ。たとえば退廃を頽廃と書いたりはしない。地面を「ぢめん」と表したりはしない。文部省的決め事にすなおに従う。それはルール遵守ではなく事なかれ主義だ。珍しいものを見た気分だった。
 この番組だけが特殊だったのだろうか。しばらくはテレビ字幕の「一所懸命」が気になりそうだ。
  1. 2005/10/22(土) 08:16:00|
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ことば──ブログはなんの略?

 ブログはなんの略?

 今やネットの必須語である。なんの興味もないが相変わらずパソコン雑誌だけはオタク的に読んでいるのでそこそこ理解している。つもりだ。

 先日、映画「Last Samurai」を見たときだったか、スタッフの名前を知ろうと検索をしたらいくつもの映画サイト、いやサイトではなくブログにぶつかった。それで知ったのは、「きょうラストサムライを見た。おもしろかった。みんなはどう思うか」と主催者が問うだけで、ああだこうだと数多くの投稿が寄せられるという現実だった。

 そういうところには必ず礼賛者ばかりではなくこの映画をボロクソに言い、反感を招くお騒がせ屋が登場する。それはまた場を盛り上げるスター(?)でもある。彼のボロクソに言う姿勢に多くのトム・クルーズファンが反発する。彼もまた映画オタクとしての豊富な知識があるものだから、そもそも時代劇映画とは何か、と古い日本映画を例に出して礼賛者をやりこめたりする。

 とはいえ『T-thai(定退)』騒動の『ゴルゴ13』の項で書いたが、こういうファンはトム・クルーズさえ出ていれば何でもいいのだから、リクツで論じる問題ではない。なにを言われてもへこまない。よってああだこうだのやりあいはあっと言う間に百を超える応答となり、加熱して盛り上がって行く。
 ブログの主催者はうれしい悲鳴をあげる。人と接触したいという寂しがり屋にとって、簡単なテーマを掲げるだけで一日に百人もの人と接する(?)ことが出来るのだから最高のおもちゃだろう。こういうメジャな映画をテーマにしたブログは、かっこうの道具になるのだなと感じたものだった。

 というようなことは本題ではない。この言葉に関して言いたかったのは以下のたったひとこと。
「ブログとはウェブログの略」
 つい最近これを知ってアチャーという感じだった。それこそ長たらしい英語のいくつかの文字をとってのブログだと思っていたのだ。ナサ(NASA)のように。ところが単にウェブログの下三文字であるらしい。なんだかなあ。渡辺謙をナベケンと呼ぶ程度の省略だった。どっちらけ。


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kamezo註・新たに書いている時間がないので丸一年前の未UP原稿でお茶を濁す。私がブログということばを知ったのはちょうど一年前らしい。ほんの一年前の文章なのに色あせた文章だ。こういう一種の流行りコトバを語ったものは滑稽である。もう一回りすると、懐かしい文になるのか。

  1. 2005/10/06(木) 20:11:37|
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イッカツキ

 イッカツキ
「新党 大地」から出馬するスズキムネオがテレビインタヴュウで、一ヶ月のことを「イッカツキ」と発音していた。「おっ」と思う。ぼくが出会った人でこの言いかたをする人は二人目になる。

 ひとりめはチェンマイで知り合ったホリさんだ。建設工事の重機技術者であるホリさんはドイツやエジプトへ長期出張した際の武勇伝を話すとき、常に一ヶ月をイッカツキ、二ヶ月をニカツキと発音した。奇妙な気がした。でもホリさんはいつもそう発音したし、いつしか馴染んでいった。意味が通じないわけではない。人それぞれの言いかただ。『サクラ』で初めて会ったときだから1991年の11月になる。
 それから今日に至るまで、ぼくはホリさん以外に一ヶ月をイッカツキと発音する人を知らなかった。それがテレビの中の有名人から流れてきたのである。「おっ」と思うはずだ。

 まず考えたのはふたりが北海道出身という共通点である。それですぐにchikurinさんにメイルを書いた。chikurinさんは北海道で20年、大阪で20年以上暮らしている。生まれは北海道だ。北海道ではこれはよく使うのかと。
 そのときのぼくの気持ちは「イッカツキですか、なつかしいなあ。北海道弁ですね。オヤジ世代がよく使ってました」なんて返事だった。あるいは古典の先生からの「それは××に登場する古い表現ですね」のようなお教えである。
 ところがchikurinさんの返事は「そんなものは一度も聞いたことがない。もちろん古典の中にもない」だったのである。

 辞書にも載っていない。ネットで検索してもヒットしない。
 ということからぼくの推測。
 これはイッカゲツのゲツと言う濁音を嫌った験担ぎの表現なのではないか。
 髭を「剃る(=スル)」ではなく「当たる」、スルメをアタリメと言ったりする言いかた。マイネルダビデという馬名を濁音がみっつも続くのは縁起が悪いと馬主がダビテと最後だけ濁点を取った感覚、それに通じるものなのではないのか。

 これは初めてホリさんから聞いたときから考えていた。
 ホリさんは海外の建築現場で重機を扱う仕事である。人の何倍も稼ぎ派手に遊ぶが、常に危険にさらされたあぶない仕事だ。前述の「武勇伝」とはその辺に関する話になる。重機の落ちる事故で何人もがペシャンコになったりした話だ。耳をふさぎたくなるような痛ましい話で、ホリさんを嫌いな人はあんなのはおおぼらふきだと否定するが、話半分としても痛ましいし、ホリさんがそんな現場を歩いてきたのは事実なのである。いつも命すれすれの仕事をしているから縁起の悪い濁音表現を嫌うのではないか。
 ムネオさんは議員である。これまた落選、黒星に繋がる濁音を嫌い、験担ぎでそう表現するのではないか。習慣として。
 根拠として弱いのは、ホリさんのような人とは他に会ったことがないから当然としても、国会中継は録画するほどよく見ているのだから、ムネオさん以外の国会議員から今までに耳にしていたはずなのである。それがない。
 それでぼくは前々から思っていた自分のそういう推理(験担ぎ)より「北海道弁」という推理を優先してchikurinさんに問い合わせたのだった。

 さて真実はどうなのだろう。ご意見を求む。
「縁起を担ぐ」という解釈は当たっているように思う。あるいは「香具師コトバ」かも知れない。
 スズキムネオほどの人が発言した興味深いことばなのにネットにはないのだから、インターネットもたいしたことはないと思った。それでもこれからは私のここがヒットするようになるだろう。もっとも、こんなことに興味をもつ人はいないか(笑)。
  1. 2005/08/27(土) 07:42:13|
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チャリンコ嫌い──ことばの普及度合

 チャリンコ
 先日この日記で「ぼくの乗っている自転車はいわゆるママチャリと呼ばれるヤツである」と書き、そのあと「このママチャリなんてことばも絶対に使いたくない日本語になる」と附け足した。「ヒャッキン」や「なにげ」について書いていたときである。
 そうしてしばらくその文を見つめていて、「絶対使いたくないことばなら使うなよな」と「ママチャリ」というコトバが登場するその文全体を消した。自分の書く文章に「ママチャリ」なんてのがあることが許せなかった。



 チャリンコというコトバに関してよく言われることは「東京弁における子供のスリの隠語」ということである。これは東京育ちの年配者に共通していて、誰もが自転車をチャリンコと呼ぶことを毛嫌いする。今までにかなりの回数、耳にしてきた。むかし私のつき合っていた娘は何気なくこのことばを自転車の意で使い、それはスリのことだとひどく父親に叱られたと言っていた。当時私も二十代だったが急速に普及してきたこのことばをイヤだなと感じていた。以来いまに至るまで一度も使ったことがない。一般化し始めたのは1970年代からと言われる。茨城の田舎者である私に「チャリンコ」なる隠語は存在しない。あくまでも語感の問題になる。あるいはまた「使う人のタイプ」も関係あろう。このことばを日常的に使用する人に私の好きな人はいなかった。

 なにより自転車という普及したコトバがあるのだから苦労はない。たとえばこれに「足踏み式回転車」という言い方しかないのならチャリンコなる愛称の普及も理解できる。言いやすい。しかしジテンシャとチャリンコは字数的にも差はない。となると使用するか否かは個々人の感覚の問題になる。

 ここでまた不思議に思うのはこれをJIDENSHAと濁る人がいることだ。あれは関東関西のどのあたりからなのだろう。意外に関西の人に多い。もちろん私はJITENSHAである。ATOKで「じんしゃ」と打つと「自転車(じてんしゃ)の誤り」と表示される。



 一年ぐらい前の某バラエティ番組で、「東京ではエスカレイタの左に立ち、追い抜く人は右を上ってゆく。大阪では右に立ち、左を追い抜いてゆく。この違いはどのあたりから始まるか」を検証していた。JRの駅をすこしずつ下っていって確認するのである。結果は名古屋の手前あたりからだった。関東と関西の違いはおもしろい。大阪のエスカレイタで左側に立って奇妙な思いをしたことが何度かある。日本は広い。(大阪人の主張によると左側が世界標準なのだそう。)
 そしてまた思うのは、私は漫才コンビダウンタウンの言葉遣いがむかしから大嫌いなのだが、ヒャッキンもチャリンコもドンキも、極めて彼ら臭いコトバだということである。まったく世の中よくできているものだ。
 
 しかしことばは通じることが要である。あれこれの不満は後付だ。私が絶対使いたくないと思っている「ママチャリ」でも、これを使えばすぐに通じるのに、他のコトバで代用するとしたらめんどくさいこともあろう。なによりそれを使わずに一所懸命に説明をしていたら、「なあんだ、ママチャリのことですか」と言われたら目も当てられない。ことばとはそんなものである。その意味で、ママチャリと言えばすぐに通じることがわかりながら決して使わない人は愚かな頑固者となる。そんな人が好きだけれど(笑)。



 この文章をUPする前にネットで「チャリンコ」を検索してみた。すると「東京弁では子供のスリを指す隠語なので使わない人が多い。なぎらけんいちはこの理由で決して使わないそうだ」との書き込みを見つけた。なぎらは私と同い年である。あちらは銀座生まれの葛飾育ちで茨城の田舎者の私とは違うけれど、彼もまたこのことばを毛嫌いして決して使わないということに意を強くした。

 私の人生訓の基本は「かっこいいか、かっこわるいか」である。もしも「チャリンコ」なることばが今時の若者が使う軽薄なコトバであり識者から毛嫌いされていたとしても私の感性がそれをかっこいいと感じたなら私はためらいなく使う。五十のオヤジがなんとまあ、と非難されようとそういうことはまったく意に介さない。だからこそまたどんなに普及しようとかっこわるいと思うモノには関わりたくない。チャリンコはそれに当たる。
 こういう形のことばの好き嫌いには我を通し続けたい。

 そうしてまた思うのは、この種の普及度合いだ。私の親しい人に自転車をチャリンコと言う人はいない。もしも家族間ではそう言っている主婦でも私の前では必ず自転車と言うだろう。と、そんなことにホっとしたりする。
  1. 2005/07/22(金) 01:16:39|
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プロフィール

fc2moneslife

Author:fc2moneslife
2001年に始めたサイトMone's World--http://monetimes.
web.fc2.com/の出張版ブログ【木屑鈔】Boku-setsu-shouです。
2005年からやっていたライブドアブログから引っ越してきました。
FC2のサイトは2007年から利用させてもらっていました。これでやっとサイトもブログもFC2で統一です。
メールは、moneslife2000
@kpe.biglobe.ne.jpまで。

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