飲食話──なすのわさび漬けの素──異国で涙したわさびの味──庶民派屋台好き『島耕作』のウソ--ネットレシピは誤字だらけ

wasabi motoスーパーで写真の「なすのわさび漬けの素」を見かけた。なつかしくて思わず3袋も買ってしまった。値段は税抜きで93円だった。以前買ったときは130円ぐらいしたと思うのだが勘違いか。
 異国に長逗留するとき、ふと思いたってこの種のものを手当たり次第に買って持参することはおおい。こだわりのモノを持参することは以前からやっていた。
 たとえばタイに燃えていたころ(笑)、塩味歯磨きを持っていった。あのころのタイの歯磨きはハッカ系のものばかりで、サバイサバイを至上とする民族なので、スースー度合もすごかった。しかし日本人の私にはあわない。私は日本にいるときからスースー系はきらいだった。同じくスースー大好きの彼らにも塩味歯磨きは無意味なモノだったのだろう。タイ製はもちろんないし、大きなスーパーに行っても日本からの輸入品もなかった。どこを探しても見つからず持参することになった。いまはもちろんある。思うに、こういうのって「スースーがかっこいい」から「ふつうがいい」にもどるようなもので、成長なのではないか。自分に当てはめるなら、こどもの私はスースー度合が強いものほどいいハミガキだと思っていたかも知れない。塩味のハミガキなんて認めなかったろう。
 「森永ハイソフト」というキャラメルが必需品の時期もあった。日本にいるとき口にすることはほとんどないのだが、異国でさびしくなったとき、あの味が私には疲れを取る最良の甘さだった。どこに行くにもバッグにひとつ入れていった。しかしキャラメル一個をあの銀紙で包む感覚は外国にはないらしく、アイルランドの空港では手荷物検査で引っ掛かり、実際しゃぶって見せて飴だと確認するまで爆弾犯かと怪しまれた。とまあいろいろあるのだが、さすがに漬け物の素を買ってもっていったことはなかった。



 だいぶまえの話だが。
 世界を巡ることがたのしくてしょうがない時期の三十代の競馬ライターが、一緒に旅行することの多い先輩の五十代のライターを否定していた。そのひとと異国に行くと、まず最初に日本料理店はないかと言うのだとか。せっかく異国に行ったのに日本食ばかり食べている。異国に来たならその地の料理を食うのが基本であり、「あのひとは若いときから多くの国を旅したひとなのに、なんであんな……」というのが彼の不満だった。
 しかしそれは「若いときから多くの国を旅したひとだからこそ」なのである。その先輩ライターは、それこそあのシベリア鉄道でヨーロッパに渡った世代だ。当時は日本食など食いたくてもなかったろう。それはそのあとに巡った数十ヵ国でも同じだった。その地その地の飯を食うしかなかった。不満はあったにせよ、この三十代のライターと同じく、それがたのしい時期もあったろう。
 そうして五十代も後半に入ると、素朴な本音が出て来る。日本人なのだ、日本食が好きなのだ。もうそういう苦労からは卒業して日本食の好きな日本人として素直に生きたい。今は主だった国の都市には日本食レストランがある。そこで日本食を食いたい。そういうものである。それがまだ異国巡りと異国の味が新鮮でたのしくてたまらない三十代の彼にはわからない。私にも三十代の彼と同じ時期、同じ意見の時があり、そしていま見事にその先輩ライターと同じ感覚になった。
 あの三十代のライターもいまはもう五十代だ。ここのところ音信不通だが、いまはどんな食生活で異国を巡っているのだろう。



『島耕作』の初期の頃、異国に赴任した彼が、その国の庶民の食べる屋台で食事し、現地人の社員に「こんなひとはいなかった」と一目おかれるシーンがよくあった。その後もその路線は続いた。気どっている日本人はみなクーラーの利いている日本食や洋食のレストランに行くのに、島耕作は、現地人と一緒に庶民的な屋台で汗を掻きつつ食事する。現地人スタッフから、あなたは変人だ、でもいいひとだ、と思われる設定である。現地人の美人秘書に、それが理由で好かれたりする。わたしたちと同じ目線のひとと。
 それが弘兼さんの姿勢であり、「その国の庶民のものを喰わなければその国はわからない」という主張なのだろう。フィリピンでもタイでもベトナムでもやっていた。定番であり、悪く言えばワンパターンとなる。中国でも同じだ。それは現地採用の連中に好感を持って受けいれられている。

 しかしこれはウソだ。こういうところに「取材して描くマンガ」の嘘っぽさが出る。弘兼さんの異国取材は長くても一週間だ。そりゃ初めて行った国で、庶民が食事する屋台取材は基本であり、「うん、こりゃうまい、気に入った」が出来るだろう。一、二回は。一週間だけだし。
 だがサラリーマンは数年間も勤務する。フィリピン、ベトナム、中国の、現地の連中があわただしく食事する下々の者の屋台で、毎日『島耕作』のようにスーツにネクタイ姿の日本人サラリーマンが食事など出来るはずがない。一週間で厭きて、つらくなり、日本食が食いたい、クーラーのあるところで飯が食いたい、となるだろう。あくまでもあれは「弘兼さんの一週間取材」であるからこそ出来るエエカッコシーである。現地赴任のサラリーマンからは、そういう『島耕作』のキレイゴトには批判もあったと思う。

 タイ篇のバンコクではトゥクトゥクに乗り、「わーお、こりゃベンツよりいい」なんてやるシーンがあった。もちろんそこでもタイ人の運転手ソムチャイに、「旦那はかわったひとだ」と好意的な評価を受けている。弘兼演出の「島耕作はいいひと」である。初めて乗って、一回限りだからそんなことが言える。あの地獄渋滞都市バンコクで、毎日トゥクトゥクに乗っていれば、暑さにバテ、排気ガスに煤けて、クーラーの利いた乗用車が恋しくなる。私がそうだった。「庶民なのだから庶民用のトゥクトゥクに乗るべし」なんて、100回ぐらいまではトゥクトゥクだったが、やがてエアコン附きのタクシーにばかり乗るようになった。地獄の渋滞もジャスミンの生花のいい匂いがする涼しい車内なら耐えられる。タイのタクシトードライバーはバックミラーのところに白いジャスミンの生花をぶらさげている。それが室内香料だ。これは信号待ちの時、少女が売りに来る。匂いの記憶は強烈だ。ジャスミンのことを思っただけであのタクシーの中の冷気まで感じることが出来る。

 私はサラリーマンじゃないから、気楽な恰好で、『島耕作』と同じ考えで庶民屋台で食事をする旅をしてきたが、美味しいタイやベトナム料理だって、毎日そればかりだと厭きてくる。たまにはちがうものを喰いたくなる。カンボジアはまずかったし、中国はもうあのうるさくて礼儀がなく食いちらかすシナ人と一緒に飯を食うだけで憂鬱になる。食はたのしみなのに、食が憂鬱になるのだ。庶民が朝飯、昼飯を慌ただしく食う店では、どんぶりにポリ袋をかけ、その中に飯や麺を挿れて出す。これなら食いのこしは袋ごと捨てればどんぶりを洗う手間が省ける。しかしこれはかなり不快で、日本人の感覚としては受けいれがたい。味以前の問題だ。シナはそんなところである。相変わらず島耕作がそんな場所に行き、「うん、これからは朝飯はここにしよう」なんて言ってシナ人秘書に「そう言うと思ってました」なんて気に入られるところにはうんざりした。私はそういうシナ人の食堂に行きたくなくて、部屋でコーラとビスケットで過ごしたことすらあった。そのほうがまだヤツらの食堂に行くより精神的にましだった。なにが「食は中国にあり」だ。食以前に人間の問題のほうが大きい。
 『島耕作』はフィリピンやベトナムや中国の屋台に何度行ったのか。「よし、これからは朝食はここにしよう」なんて言ってるが、ほんとにそれからも毎日そこに通ったのか。訊いてみたいものだ。

 全巻所有している大好きな『島耕作』だが、あちこちに矛盾点を含んでいる。でもそれはそれでおたのしみと割り切ることにしているから、私のいちばん嫌いな『島耕作』は、この「異国でやたら庶民派をアピール」かもしれない。



wasabi moto 日本食に餓えたときのために「きゅうり 浅漬けの素」とか、同様のものを何種類か持っていった。その中で私がいちばん感激したのがこの「なすのわさび漬けの素」だった。期待していなかった。ほったらかしておいた。なすの漬け物なんて日本でも作ったことがない。漬け物は、大根、蕪、白菜、高菜、野沢菜、なす、きゅうり、みな好きで、日本酒を飲むときには、メインの肴は刺身だが、漬け物も缺かせない。といって異国で餓えるほどでもなかった。

 餘談だが、私はいま朝鮮漬けを喰わない。日本のおいしい漬け物があるのに、なにゆえに朝鮮漬けを喰わねばならないのか。むかしは「朝鮮漬け」と言った。いつしか「朝鮮」というコトバが禁句となり、いまは「キムチ」と言うらしい。日本の最高にうまい漬け物に「糠漬け」がある。それを食わず朝鮮漬けを好むようなのは、味覚が壊れている。食品は風土にあって育つ。朝鮮漬けは日本よりも寒い朝鮮半島で喰ってこそうまいものだろう。閑話休題、言帰正伝。

 旅行バッグの中からこれを見つけた。やってみるかと手にする。なすはあった。日本と同じ感じのものが。それを庖丁ならぬカッターで切り、ビニール袋にいれて、この素と揉み、冷蔵庫に保管した。たいした期待はしていなかった。1時間で喰えるようになるらしいが、一昼夜ほっておいた。これは正解だった。一昼夜漬けは1時間よりもあきらかにうまかった。これは後日確認した。
 翌日「あ、忘れていた」と取りだし、口にしたとき、茄子の漬物のわさびの味から日本を想い、泣きそうになった。そしてまた、猛烈に日本酒が飲みたくなって困った。とても日本酒が手に入るような環境ではない。諦めざるを得なかったが、あれで日本酒を飲んだら確実に泣いていた。



 こういう「素」に関して素朴な疑問がある。旬となってきゅうりが安くなり、3本が98円なのに「きゅうり 浅漬けの素」が128円だったりする。私の感覚だと、きゅうり本体が3本98円なら、浅漬けの素は30円ぐらいが適切だ。「素」のほうが高いことに納得が行かない。本末転倒だろう。
 その点この「なすのわさび漬けの素」は、まだ茄子がシーズン前なので高く、今回私の買ったのは博多茄子で3本268円、この3本を漬ける「素」が93円だから、私流のリクツにあっている。


「素」の中身にも「なぜそんな値段なのかわからない」と感じる。簡単な調味料の組合せにすぎない。どう考えても30円で充分だ。つまりこれは「浅漬けすら作れないヤツのためのもの──高くて当然」ということなのだろう。それすら出来ないヤツのための便利グッズだから、そういう値段なのである。ターゲットとする「ヤツ」は料理の出来ない主婦か。

 一般にはどうなのかと検索してみた。「素」を使わずにおいしい漬け物を作っているひとがいるはずだ。ネットには「なすのわさび漬け」のレシピがいっぱいあった。チューブわさびを使って、すこしその他の調味料を足せば作れるようだ。「チューブわさび」は私には必需品で異国に行くとき必ず持参する。うまい刺身が手に入ったとき、これがないと困るからだ。わさび抜きの刺身を喰う気はない。チューブわさびはまずい。しかしあるとないとでは段違いだ。ちかごろスーパーの寿司に「さび抜き」というのがあり、たまにまちがって買ってしまうことがある。そのときしみじみわさびの利いてない寿司など意味がないと感じる。というぐらいわさび好きで、外国に行くときは、その味に満足はしないが緊急用として常にチューブわさびをも持参するのだが、残念ながら今まで役だったことはない。ポルトガルでタコを喰う機会があったら役立つのだが、ここのところ私の異国行きはシナの山の中ばかりなので、わさびを使うような肴には出逢えなかった。いつも使わずに持ち帰っていた。帰国してそのままごみ箱行きである。だからこそ「なすのわさび漬け」のわさび風味に感激したのだ。そうか、チューブわさびを工夫すればいいのか。勉強になった。役立ちそうだ。まずは日本で作って試してみよう。



 ネットの料理レシピを見るなんてめったにない。便利なものだと感激した。しかし、ちょっとこれはと思うこともあった。あまりに誤字が多いのだ。それもほんの1、2行の短文の中に。

wasabi1

 

「茄子を5cm長さ切り」──「煮切り」という料理用語があるのかと思った。茄子を煮るのか!? 煮た茄子を漬けるのか? ただの「に」を漢字変換したミスだった。また「5cm長さに」は「5cmの長さに」と「の」を入れるべきだろう。

 しかしこんなミスが出るのはなぜなのだろう。20年前のIMEならともかく。すくなくともATOKはこんなミスはしない。









wasabi2













夏向きひと品──これも最初「名ひと品」というものがあるのかと思い、それからやっと「夏向きな」の「な」を不要な漢字変換しているのだと気づいた。おそらくMS-IMEだと思うが、しかしこれぐらい気づかないのだろうか。IMEもお粗末だが、これに気づかないひとの感覚が信じられない。



 他人様の揚げ足をとってもつまらないからもうやめるけど、これは数多くの中のほんの一例。多い。料理レシピにはほんとにこんなのが多い。あきれた。ネットにレシピをあげるひとってこんなにがさつなのか。ほんの1、2行の文章の中にこんな誤字を挿れるひとの料理がうまいのだろうか。信じがたい。読む気が失せた。
  1. 2015/05/01(金) 06:15:25|
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酒話──ワインには熟睡効果?──日本酒の敵はワイン

 睡眠には体力がいる。若者がよく言う「15時間ぶっつづけで眠った」なんてのは、若くて体力があるから出来ること。そのころはそうなのだとは知らなかった。
 齢を取ると睡眠が浅く短くなる。長く深く眠る体力がなくなってくるのだ。とは智識では知っていたが他人事だった。ふと気づけば見事にそうなっていた。



 海外旅行のために親に猫を預かってもらい、田舎で同居していた頃、70代の父が深夜と明け方に二度トイレに起き出すのを、二階で徹夜仕事をしつつ、その気配を感じて気の毒に思っていた。せっかくいい気分で寝ているのに尿意で一晩に二度も起き出すのはつらいだろう。冬場なんて暖かい布団から抜けださねばならない。
 なのにまさか父より十年以上も早くそうなるとは思わなかった。もっとも寝る前にあれだけ大量にビールやホッピーを飲めばトイレにも行くだろうけど。いやいや若い頃はそれをしても起きることはなかったのだ。

 そしてまた思うのは、そういう不自由は慣れてしまえばたいしたことはない、ということだ。三十年ほど前、捻挫して初めて一ヶ月ほどびっこを経験したとき、初めて味わう我が身の不自由さと障碍者にやさしくない街の作りに腹立った──交叉点を渡りきらない内に信号が点滅を始めるのはひどいと思った──のだが、生まれてからずっとそういうひとは、意外に達観していて腹立たないのかも知れない、とも思うようになった。病気や障碍とうまくつきあっているのだ。

 私が風邪を引くのは五年、七年に一度ぐらいだから、そのときはそれはそれはもう大騒ぎだ。死ぬかも知れないと思う。でも世の中には年に十回ぐらい風邪を引く、というかほぼ年がら年中風邪気味のひとがいる。たとえば知りあいのKさんだ。あのひとのブログで「風邪を引いて咽が痛い。熱が出た。咳が出る。痰が出る。今日はもう早めに寝る」とか「風邪もなんとか峠を越して、今朝は咽の痛みは治まっている。しかしまた熱が」とかは毎月定番のようなものだ。そういうことのない私からすると「このひとは生きていて楽しいのだろうか」とすら思う。競馬好きのKさんはJRA全国の競馬場のすべての救護室の世話になっていて、どの競馬場の救護室がどこにあるかすべて頭に入っているとか。ああいうひとにとって病気はともだちみたいなものなのだろう。そしてまた腺病質のひとのほうがけっこう長生きしたりして、病気知らずがポックリ逝ったりするのがひとの世の常だ。

 毎晩小用で睡眠を邪魔されるのは愉快なことではない。今までそういう故障を知らない。尊敬している高島俊男先生の生活でどうにも実感出来ないのに「診察券の数なら負けまへんで」というのがある。先生、目から耳からお腹、痔まで、そこいら中を病んでいてトランプが出来るぐらい診察券をもっているらしい。私は歯医者以外の医者を知らない。だからたかがそんなことでも大騒ぎなのだが、それでも、これが老いということなのだろうとすなおに受けいれられるようになった。しかし「毎晩小用で起き出さねばならない」を受けいれることと「睡眠が浅くて不愉快」は別問題である。



 夜中に起き出す父を案じた田舎生活の頃は深夜型。毎晩徹夜で夜が明けてから寝ていた。そういやあのころはインターネットがまだ遅くて、それでいて値段は高くて苦労した時期だ。深夜型だったのは「23時から朝の5時まで定額でインターネット使い放題」だったことも関係あろう。それ以外は遅いくせに分単位の課金だったのだ。毎度一例として引くが15MBのiTunesをDownloadするのに一晩かかった。

 近年は相変わらず午後9時就寝午前3時起床の生活である。ほろ酔い機嫌ですんなり午後9時に眠くなるところまではいいが、決まって午前1時頃に目覚める。つまり今の私の体力では一気の熟睡時間は4時間が限度らしい。ここでまた1時から3時までの2時間をもう一度ぐっすり眠れるならなんも不満はない。それが出来ない。かといってここで起き出し、睡眠時間4時間でがんばる体力もない。それをすると午後に疲れが出る。やはり6時間は欲しい。この1時に目覚めてしまったときがじつに半端なのだ。まだ寝たりないし、かといって眠くてたまらない、というのでもない。いきおいベッドの中で、横になっているだけの寝ているんだか起きているんだかわからない2時間を過ごすことになる。これが不本意だ。すぐに3時の目覚ましが鳴る。不承不承起き出すが、どうにも気分すっきりやる気満々の朝とはいいがたい。 



 先日、午後9時就寝なのに、午前3時の目覚ましが鳴るときまで気づかず、しかも目覚ましが鳴って起き出しはしたが眠くてたまらず、5時に掛け直して二度寝したことがあった。5時にやっと起き出した。3時から5時までもぐっすり眠った。8時間熟睡である。この日は満ちたりた気分で絶好調だった。一日中充実していた。前夜を振り返ると、しごくひさしぶりに赤ワインを飲んだ日だった。ふつうのひとから見たら凄い量を飲んでいるが(笑)、私にしてはたいしたことはないし、宿酔いの気配など毛ほどもなかった。それでもひさしぶりに味わった熟睡の理由を、「ホッピーよりも強い赤ワインをたっぷり飲んだからだろう」とした。ともあれこのとき、「ワインを飲むと熟睡できるのか!?」とは思った。



 私にとってワインは肉を食うときに飲む酒である。いま基本的に肉は食わないので機会が激減した。それでもこの「熟睡」を試してみたく、昨夜はウインナソーセージとフライドポテトをつまみに飲んでみた。いつもはビール用のつまみだが今夜はワイン用だ。私の肉嫌いは、いかにも肉という見た目にあるので、餃子とかウインナだとしらんふり?して喰うことが出来る。

 すると今朝はなんと6時まで熟睡した。午後9時からだから9時間。寝過ぎである。それでも文字通り〝夢中〟だったから躰が要求した睡眠ではあった。ここのところ慢性の睡眠不足だった。これまた飲み過ぎではない。その辺は計算している。どうやら私には「熟睡したいときにはワイン」という特効薬が出来たようだ。ありがたい。



 ワインで助かるのは、輸入品の安物でもそれなりにうまいことだ。ビンボな私のお気に入りはチリやアルゼンチンの南米モノだ。充分にうまい。葡萄の木はフランスから渡ったものだしね。フランスで全滅してあちらから戻した経緯もある。これが日本酒だとそうは行かない。安いものは値段通りにまずい。よって日本酒は高くつく。日本好きの日本人として「日本人なら日本酒だ、日本酒以外飲まない!」ぐらい言いたいのだが、なにしろ懐が……。

 日本酒業界は長年ウイスキーやビールをライバルとしてがんばってきたが、今の時代、真の敵は同じ醸造酒のワインだろう。なにしろあちらは生産地が「世界的」だ。そのうえ飲みやすい。これはもう客観的に見て、オンナコドモにとって、日本酒よりワインは飲みやすい。それは言いきれる。それを意識してか「ワイングラスで飲むうまい日本酒コンテスト」なんてのまであるらしい。くだらんなと思いつつ入賞した日本酒をけっこう飲んだりした。それは四合瓶で千円前後なのだが、どう考えても同じ値段のワインのほうがうまい。

 不思議と「日本酒で熟睡」はない。似たような酒だから、となると「慣れ」も考慮しなければならない。毎日のようにワインを飲むようになったらこの「熟睡効果」も薄れるのか。

 ともあれ今夜もワインのお蔭で熟睡できそうだ。なんともありがたい。こんなことにありがたさを感じる時代が来るとは夢にも思わなかった。 
  1. 2014/04/29(火) 10:32:05|
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菜食主義考──米も小麦も食べない人は、何を食べて生きているのだろう!?

 尊敬する血統評論家・笠雄二郎さんのメルマガから。「スワンステークス」の予想なのでタイトルは「すわん」。タバコはすわんはその掛けことば。



  私はタバコはすわん。タバコも酒もコーヒーも炭酸も砂糖もかなり前から飲まない。

 私もタバコは喫わないけど、酒もコーヒーも炭酸も砂糖も口にする。タバコも酒もやらないけどコーヒー狂は多い。水が苦手で炭酸の入っている飲物しか飲まないなんて若者もいる。それは異常だ。
 タバコと酒をやらないまではわかる。私も肝臓を病んだ父の恢復を願って、三十代のとき酒を2年半やめたことがある。すでにタバコはやめていたから、成人してからの私にも「酒、タバコを一切やらない時代」があったことになる。
 でもそれにプラスして、コーヒー、炭酸、砂糖を禁じるとなるとたいへんだと思う。
 それでもなんとかここまではわかる。このあとが凄い。



 コメ、小麦、魚、肉、乳製品も食べなくなった。乳製品と魚と卵は食餌性アレルギーになったこともある。抗生物質もほとんどのものがジンマシンが出てしまう。そういうベジタリアンだ。人類はそのうち食糧の量的には余っていても、食べるものがなくなるかもしれない。

 人類のその後を考えるよりもまず、笠さんはいま何を食べて生きているのだろう。そこに興味が向く。
「魚も肉も乳製品も食べない」はヴェジタリアンの基本である。しかしそういうひとも穀物は否定しない。なのに笠さんは「コメも小麦も食べない」としている。となると、コメを食べないのだから、ご飯も餅もおせんべいも食べないし、小麦を食わないのだから、パンもうどんもラーメンもスパゲティもダメとなる。
 私には無理だ。私はまず「魚」と「酒」がないと生きていられないというか、そのふたつのない世界で生きていても楽しくない。ご飯も餅もおせんべいも大好きだし、麺喰いなので、うどんやラーメン、スパゲティがないと生きられない。笠さんはいったい何を喰って生きているのだ!?



 ちょっと脱線。
 いまの中共は「麺」の字を使わない。顔面の面も麺類の麺も、すべて「面」で統一している。漢字の本家でありながらまことになさけない。たとえば「刀削麺」という、小麦粉の生地の固まりから庖丁でシュッシュッと削って作る美味い麺がある。でもこういうものの表記もみな「刀削面」と「面」で表記されている。食堂のガラスに大きく書かれていたりするのだが、どうにもうまそうな麺の感じがしない。日本人だと、「刀で削ったお面」を想像してしまう。

 上記「麺喰い」は、美男美女にこだわる「面食い」に、麺を好むことを掛けた漢字遊びだが、中共ではこれは出来ないことになる。



 笠さんは何を食べて生きているのだろう。想像もつかない。野菜と果物だけなのか。それで腹は一杯になるのか。主食は何なのだろう。
 
 コーヒーは飲まないが緑茶は飲むのだろうか。その場合、お茶うけは何にするのだろう。せんべいも饅頭も羊羹も食べないのだから想像がつかない。柿とか、そんな類か。



 けっきょく私が笠さんと共通するのは、タバコを喫わないことと肉を食わないことだけだった。とはいえ私の「肉を食わない」は、動物の殺戮現場の忌避から「見た目の肉」を喰わないだけで、肉でダシを取っているであろうラーメン類等は喰っている。いいかげんだ。ただもう焼肉とかステーキとか、露骨に四つ脚動物の肉とわかるものは喰わなくなってしまった。もちろん、それしかない、喰わないと躰がもたないというような状況なら迷わず喰う。そのレベル。 

 半端菜食主義(そもそも魚を食っているのだからヴェジタリアンではない)体験で感じたことは、今の都会において菜食主義は金がかかるということだ。つまり「貧乏人は菜食主義を貫けない」である。むかしは「貧乏人の食い物は穀類だけ。肉は高級品。年に何度かの御馳走」だった。今は外国から来た肉のほうが国産野菜より安かったりする。私は金のないとき、「肉が食えたらなあ」としばしば思う。国産の野菜類、魚類の鍋より、焼肉でもやったほうがはるかに安くあがるのだ。
 外食の場合も、なんにでも肉が入っているから菜食主義を貫くには専門のレストランに行ったりせねばならず、やはり貧乏人には無理がある。笠さんのようなひとは外食はどうしているのだろう。私には、うどんがある。金がないときはパンと牛乳だ。でもそれらはみな笠さんの食べないものである。

 笠さん、何を食べて生きているのだろう。競馬の予想よりもそっちのほうが気になる。 
  1. 2013/10/26(土) 10:18:29|
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飲食話──中国産食品の危険度──使用野菜を答えない牛丼屋

牛丼大手5社を徹底検証! 中国産食品の危険な実態 使用度が高い食材は…


gyudon 残留農薬、日本では認められていない防腐剤の使用など中国産食品の危険な実態が注目されている。

 1杯の牛丼に「メード・イン・チャイナ」はどれだけあるか。

 調査対象として選んだのは、業界トップ3の「吉野家」「松屋」「すき家」と、新規参入以降、3年で135店(2013年5月16日現在)まで急拡大した「東京チカラめし」。それに首都圏を中心に展開する「神戸らんぷ亭」を加えた5社。

 まず牛丼(並)を4月中旬から280円に値下げした「吉野家」。運営する吉野家ホールディングス(東京都北区)は、牛丼に添えられる玉ねぎを「季節によって使用」。牛丼以外のメニュー「焼鳥つくね丼」の鶏肉で「中国産を使用」と回答した。

 「松屋」の松屋フーズ(東京都武蔵野市)は使用食材について、「時期や販売地域によって異なる」としつつ、ホームページ(HP)に食材の産地情報を記載。そのHPによると、主力商品の「牛めし」で、国産と中国産の玉ねぎを併用し、「豚バラ焼肉定食」で、青ねぎの一部を中国産でまかなっている。

 新規参入組の「東京チカラめし」を展開する三光マーケティングフーズ(東京都豊島区)は、米について「中国産米と国産米、中国産米と米国産米と国産米などのブレンドを使用している」と説明した。

 一方、牛丼業界最大手「すき家」のゼンショーホールディングス(東京都港区)は「当社の取り組みを部分的に抜粋して報じられると消費者に誤解を招く可能性がある。そうした趣旨から回答を差し控える」とコメントした。同社のHPでは「お米、牛肉、レタス、キャベツ」に限って産地を公開。いずれにも「中国産」の表示はない。牛丼に欠かせない玉ねぎについては「現時点で公開していない」(同社広報)としている。

 社名と同じ店舗名で首都圏に展開する「神戸らんぷ亭」(東京都台東区)は「担当者が不在で回答できない」(5月15日現在)。同社の場合は、HP上でも食材の産地公開をしていない。が、「お客さまから問い合わせがあれば個別に対応している」(同社)と答えた。
 「牛丼チェーンで使われることが多い中国産食品は玉ねぎ。現地では日本のマーケットに出すことを想定して集中的に大量生産している。牛丼に限らず、外食チェーンのほとんどで使われているはずだ」

 厚生労働省の輸入食品監視統計(11年度)をみると、玉ねぎやにんにくなどが含まれる「ゆり科野菜」の中国からの輸入量は36万1551トンで、2位の米国(5万2220トン)を大きく引き離している。

 危ない中国産食品。われわれはそれとは知らず、すでに食べているのかもしれない。

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20130517/dms1305171810024-n1.htm

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 すき屋の「回答できない」と、神戸らんぷ亭の「担当者が不在でコメントできない」はお粗末だ。回答すべき責任がある。

 彼らが警戒するように、よくわからんマスコミを名乗るモノ(この記事は産経のzakzakだから身許はしっかりしているけれど)に問われるまま一々応対していたら、意図的な批判記事を書かれる可能性が高い。有名なのが「週刊金曜日」というサヨク雑誌がやった「買ってはいけない」だった。薬用クレオソートを電柱の腐食防止に塗るコールタールと混同し、「あんなものを飲んだらたいへんなことになる」と煽り、信者達が大騒ぎした。「企業テロ」と言われたものだった。

 企業防衛としてこういうふうに突き放す応答をする気持ちも判る。だがまたこういう時代なのだから、いつでも明確に応答できる準備をしておくのが企業としての姿勢である。しかしこの場合事情は明確だ。中国産野菜をたっぷり使っているからそうせざるを得ないのだ。正直には言えない。

 毎度のことだが、この文章の結び「危ない中国産食品。われわれはそれとは知らず、すでに食べているのかもしれない」ってのも、定番ではなあるが苦笑する。「かもしれない」じゃない、食べてるよ、誰もが。



 牛丼は私は一切食べないから関係ないのだけど、事はそんなものではない。身近に「危険な中国産食品」は溢れている。昨日はひさしぶりに新橋の居酒屋をハシゴしたが、そこで食べたものの多くも中国産であったことだろう。たとえば「ぎんなん焼き」なんて喰ったが、ぜったい中国製だ。御徒町の「多慶屋」で、ぎんなんを買ったりしたが、みなそうだったし。でもまあぎんなんはさほど毒の心配をしなくていいだろうけど。「しいたけ焼き」もそうかも知れない。こちらはかなり怖い。
 コンビニの弁当の材料もそうだろうし、スーパーの食品もいかに中国産が多いことか。日本産だけを選んで買うことのほうがたいへんだ。



 中国産の食品は食べないほうがいい。私は現実に中国の農業に接してきた。農民自身がその怖さを知っており、野菜など異様に慎重に洗う。自分達でやっていることだから、いかに汚染しているかを知っているのだ。私はふつうの感覚で野菜をさっと洗い、生で喰おうとしたら激しく叱られた。死ぬ気なのかと。 
 米を作る田んぼにもたっぷりと劇薬の農薬を撒く。今回入ってみた。一見澄んだ水でのどかだが、そこは「死の世界」だった。生命体がいない。寒気がした。



 しかしそれは中国だけの話ではない。無智でがさつなあの国の連中の今が度を超しているだけで、日本の農民にそれを嗤う資格はない。

 こどものころ、農薬だらけになる前の農村を知っている。田んぼには、田螺、鰌、小鮒、タナゴ、メダカ、アメンボ、カエルとなんでも揃っていた。夏にはホタルが舞った。
 それらが農薬で全滅した。農薬の使用で農民の仕事は信じがたいほど楽になった。夏場の、毎朝暗い内から手作業でせねばならなかった草取りなど、いっさいしなくて済むようになった。農薬さえ撒いておけば草は生えてこない。朝は寝ていてもいい。農薬様々である。雑草を一切生やさない劇薬が米にだけ無関係のはずもない。
 私は茨城の農村地帯の育ちだからかなり実状を知っている。この辺のことを詳しく書くと現場の農民から抗議が来るだろうから筆を押えるが、日本の農民だって「今の中国農民を嗤えない」のである。時が流れ、洗練され、中国ほどではなくなった、というだけで。

 あのころ、「農薬自殺」というのがよくあった。それだけの劇薬なのである。いま飲んで死ぬほどの農薬はすくなくなったし、簡単には買えないようになった。「今の中国」とは「むかしの日本」なのである。それだけにすぎない。あの悲惨な「イタイイタイ病」のような時代なのだ。



 作っている農民が自分達で食べるものがいちばん安全である。作る農民は、安全なものしか口にしない。農民はハッキリとそれを分ける。金を稼ぐための「出荷用商品」と、「自分達の食べる安全食品」を。それは日本でも同じだった。今の程度は知らない。かつてほどではないかも知れない。だが私の知っている10年ほど前までは、農家は農薬たっぷりの商品を出荷し、自分達は農薬など使わない自分達用の食品を作って食っていた。その内実は、また書くこともあるだろう。

 それが中国になるともっと極端だ。まずは初めて便利な農薬を知ったむかしの日本人同様、農作業を劇的に楽にしてくれる農薬を大量に使う。無智だから、適量を入れて、すこし草が生えてきたら、いっぱい入れれば生えてこない、もっと楽になる、と考える。たっぷりと入れる。しかし毒であろう事は本能で知っているから、自分達の喰うものには入れない。あくまでも出荷品だけだ。
 さらには、こどものときから鬼畜生だと教わって育った日本人への出荷品である。愛情も責任もない。憎しみはある。だからああいう「毒入りなんとか」なんてのが出て来る。



 私は、「たとえ寿命が十年縮まっても、自分の好きなものを好きなだけ喰って死ぬ方が、あれやこれや規制ばかりの中で生きるよりはいいのではないか」ぐらいに考えている。タバコなんかもそうで、私は煙が流れてきただけで不快になる方だが、それとはべつに、好きなひとは、他者に迷惑を掛けないことを前提に、好きなだけ吸ったらいいだろう。健康のためにあれもこれも我慢するのは精神的に不健康だ。もともと人間なんてのは不健康な存在なのだから。

 ただ、そういう考えの私も、中国産食品を食うほどの〝度胸〟はない。現場を見ているから猶更だ。
 たまに、ロールキャベツを喰いたくなることがある。スーパーに冷凍食品がある。みな中国産だ。中国製のロールキャベツが出来るまでの過程を考えたら、とてもとても購入する気にはなれない。
  1. 2013/05/18(土) 11:30:50|
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菜食主義考──肉を肉と意識せず喰う感覚──考えるほどに何も喰えなくなる

「ロイド・カウフマンの菜食主義のススメ」

わかるなあ。

動物が肉になるまで」というストレートなものより、むしろ痛みが伝わってくる。

これが人間の本質であり業だからどうしようもない。正面から受けとめねば。



極力四つ脚動物の肉を喰わない生活をしているが、そのことに何の意味があるだろう。
魚を喰うことだって同じだし、菜食主義だって、徹底すれば、ヴィーガン(乳製品、蜂蜜等も食さない)を通りこして、フルータリアン(命を断つ根菜等を食べない。実をもぎって食べるだけ)まで行かねばならない。
生きるということは他の命を奪うことだから、こんなことで悩むことは生きることの否定になる。



むかし映画に、生きている豚の首を日本刀で切り落とすシーンがあった。スロー再生なので、血が噴きだし、首がゆっくりと舞うところまで見せる。
映画館の中にヒッという悲鳴が満ちた。
その悲鳴と、その映画の帰り、スーパーの豚肉の切り身を見て、うまそうと思って購入する感覚は別個に存在している。そういう矛盾とは縁を切りたい。高名なブロガーの言う「自分の殺せるものだけを喰う」と同じ感覚である。同世代だけに意見が合う。



今回、鶏をつぶす作業をした。手を出したから資格はあったのだが、喰う気になれなかった。
目の前で豚を殺す作業があったが、それには手を出さなかった。出せなかった。その代わり、それは口にしなかった。咽を切られ、血が噴きだすときに豚のあげるキィーっという断末魔の悲鳴はきつい。耳を塞ぎたくなる。でもそれはしたらしている連中に無礼だ。顔をしかめていたので、軟弱であると嗤いの対象になった。



仔牛のソテーはうまい。成長した牛とはちがううまさがある。
しかしそれはあのかわいい仔牛を殺した肉であること、正視できない残虐なそれをやってくれたひとがいて、いま目の前の皿に載っているのだということを忘れてはなるまい。いや逆か。今の時代、そんなことを意識してはならない、なのか。いやいや、そんなことを忘れるとか意識するとか、こんなことを書いているバカはいない。



いまからイカの塩からでいっぱいやる。どなたかが作ってくれた品だが、イカは自分で殺せるし、先日も調理したばかりだから罪の意識はない。イカにとっちゃいい迷惑だ。

死んでもまた生まれ変わらねばならないのだとしたら、一瞬で叩き潰されるハエでもカでもいいけど、ひとに喰われる豚や牛にだけはなりたくない。
牛タンだとか豚足だとかモツだとかを喰っているひとを見ると吐きそうになる。私はビョーキか。刺身を食う私を魚を食わないひとが見たら気味悪いだろうに。生きていることが罪だから、生きている限り聖人にはなれない。
  1. 2013/04/03(水) 05:28:02|
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飲食話──気仙沼小野万の「塩辛職人」と澤乃井の「朝懸けの酒」+志ん生

onomanimage934 スーパーで小野万の塩辛を見かけた。気仙沼のメーカーだ。
 あの大震災で全壊し倒産したが、その7カ月後、2011年10月に再興したメーカーである。それ以降の製品には「おかげさまで 小野万復活」と入っている。この製品にもそれが見える。

 見かけるたびに買うようにしていたのだが、身近なこのスーパーで見たのは初めてになる。あらたな流通ルートを開拓したのだろうか。

 あの悪夢のような、というか、正直に言うと、映画のCGみたいで、津浪と呑みこまれて行く建物やクルマの様子が、すごすぎて実感すら湧かなかった日を思い出した。あそこから立ち直った会社だ。迷わず購入した。 

 思えば私の住むこの西東京でも、ガソリンを入れるために、何キロもクルマが並び、ミネラルウォーターが買い溜めにより入手不可になったりしたのだった。あれから二年……。 



 新発売のうまそうな漬物が試食で提供されていた。楊枝で抓んでみる。もろに味の素の味。これは食えない。そういやタイのジャンキーの隠語で、覚醒剤を「あじのもと~」と言うのだった。似ているからね。

 胡瓜だけ買ってきて自分で浅漬けを作ることにした。考えてみれば胡瓜は夏のもの。季節感をなくしていることに気づく。

 特売でトロ鮪を売っていた。すこしだけ買う。私はさほど鮪の脂には興味がない。赤身で充分だ。むかしは赤身が高級品。脂身は捨てていた。うまいといいが。



asagake 今年も奥多摩小澤酒蔵の「澤乃井-朝懸けの酒」が発売になった。毎年この時期にのみ限定発売される貴重品だ。全国の酒好きは予約注文して買わねばならない。すぐに予約が締めきられる。

 塩辛を買ったので日本酒が欲しくなる。いつもの酒屋に行く。ここは澤乃井酒蔵と契約し大量入荷しているので、3月20日発売のこれが30日の今日もまだ買えた。
 生酒なので買い溜めは出来ない。それが可能なら1ケース買っておきたいところだが。

 シャンパンみたいな酒だから、ガスがたまっていて、栓を開けるときポンと音がする。
 酒精度は19から20とふつうの日本酒よりすこし強い。香りのいい美味い酒だ。
 まあこれは季節限定がいいのだろう。毎年この時期を待つのが本筋だ。



 今日は小雨模様。
 小野万の塩辛とトロ鮪で「朝懸けの酒」を飲もう。
 BGMは何がいいだろう。
 JazzかClassicか、ひさしぶりにタイのルークトゥン(演歌)なんて手もある。

 いやこんな日は落語でも聞きつつ飲んでみるか。日本酒だし。
 落語は何にする。
 やっぱ志ん生だな。 
  1. 2013/03/30(土) 13:06:00|
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飲食話──タイで石川県のラーメン店「8番ラーメン」100店舗へ!

 ラーメン店「8番らーめん」のハチバン(石川県金沢市)は23日、タイの店舗数が100店に達したと発表した。

「8番ラーメン」のタイの店舗はハチバンとエリアフランチャイズ契約を結んだタイ企業タイハチバンが手がけ、1992年に1号店をバンコクに出店。現在はバンコクなど中部73店、100号店であるチェンライ店など北部7店、ウドンタニなど東北部5店、パタヤなど東部9店、プーケットなど南部で6店を展開している。

 メニューは8ちゃん麺(販売価格58バーツ)、味噌らーめん(73バーツ)、トムヤムクンらーめん(95バーツ)、ざるらーめん(78バーツ)、餃子(58バーツ)、鶏の唐揚げ(70バーツ)、炒飯(70バーツ)など。日本国内のメニューが基本だが、一部、現地の嗜好に合わせた商品を販売している。

 原材料は現地で調達し、セントラルキッチン方式(店舗で使用する主要食材を一括して製造加工、供給する方式)で各店舗に食材を供給している。
店舗数の拡大をにらみ、第2セントラルキッチンの建設を計画中だ。
http://www.newsclip.be/news/2013124_037005.html

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8ban2 すごいなあ、タイの出店100店突破か。
 金沢の友人のところに行ったとき、友人に連れていってもらい、初めて「8番ラーメン」に入った。私は太麺系のタンメン系(野菜系)ラーメンが大好きだから、もろに好みの味だった。たしか2000年だったと思う。

 そのあとチェンマイで出会った。なぜチェンマイに8番ラーメンがあるのか理解できなかった。でもなんとなく本物っぽいのである。うまかった。



 帰国してから、「あれはほんとうに御社のラーメンなのですか」と8番ラーメン広報部にメールを書いた。こんなことをしたのは初めてである。

 うまかったし、ロゴからもそうだろうとは思ったが、安心はできない。あのまったく無関係の○i○iの例もある。
 金沢で喰ったことのある石川県のラーメンチェーン店が、タイに進出するということも不思議だ。物価がちがう。採算は取れるのかと案じた。やはり無関係か。

 すぐに広報の人が、「はい、まちがいなく当社の出店です」と返事をくれた。バンコクの1号店から始まり、今年チェンマイ店を出したのだと説明してくれた。そのときはまだタイ全土で数軒しかなかった。
 あれからもうどれぐらい立つのだろう、十数年か。まだホームページをパスワード制でやっていたころだ。数少ないチェンマイ好きの読者からも、「へえ、本物だったのか」と愕きの同意を得たものだった。


 
 記念の100号店はチェンライか。はああ、いいなあ。行きてえなあ。ウドンタニ(イサーン)にも出店してるのか。
 タイで8番ラーメンを喰いたくなった。 チェンライもいいけどイサーンもいいなあ。

 この思い出の場合、本店のある金沢で先に喰っていることが大きい。単に「タイでうまいラーメン店を見つけた。日本企業がやっている8番ラーメンという店だ」ではイマイチになる。私は金沢で、自分好みの美味いラーメンだと感心した後、チェンマイで出会ったのである。

 そのことから逆算すると、私はもっと早くバンコクの8番ラーメンを食っていたように思う。その名称に思い込みがないから記憶にないだけだ。1992年のバンコク店が第1号店だという。おそらく私は1993年、1994年には、バンコク店で喰っている。あちこち出かけては喰っていた時期だ。だけど「8番ラーメン」というヘンな名前に思い込みがない。覚える気もない。印象にも残らない。だから始まりは、「金沢で喰ったうまいラーメン→8番ラーメン」であり、タイでのそれは、その後から始まった思い出になる。たぶんそうだ。



 私は長崎ちゃんぽんが好きなのだが、ちかくに専門店がない。しかたないので喰いたくなったら冷凍のを買ってくる。そこそこうまい。このごろの冷凍食品の充実ぶりはすごい。でもさすがにたまには本物を喰いたくなる。

 数日前、翌日の録画予約をしようとテレビをいじっていたら、テレ東の村上龍の番組に偶然チャンネルがあった。小池栄子がアシスタントをしている企業モノだ。今までに何度か見たことがある。
 そこに長崎ちゃんぽんのチェーン店リンガーハットの社長が出ていた。本場長崎でも大人気なのだとか。長崎の店の様子を流していた。

 それで猛烈に喰いたくなり、近所にないのかとネット検索した。ダメモトである。すると、なんとちかくに開店したばかりのリンガーハットがあった。翌日、早速出かけた。うまかった。うれしかった。外食の楽しみがひとつ増えた。
 でもそこは家族向けの店で酒はおいてなかった。ちゃんぽんを喰うならビールが飲みたいよねえ。



 東京のこのへんに8番ラーメンはないのか。ないだろうなあ、誰もが考える東京進出じゃなくて、逆転の発想でタイに向かって成功したのだから。調べてみる。やはりなかった。そもそも東京にない。

 近年、東京西部では、埼玉県から始まったらしい「満洲」というラーメン屋チェーンが気に入っている。名前もいいが、なんといってもすばらしいのは「満州」ではなく「満洲」と「しゅう」の字にサンズイがついているところ。これが正しい。これの有無でそのひとの見識が見える。売りは餃子らしい。ここでの「タンメン、餃子、ビール」が定番になっている。



 これは8番ラーメンサイトにあった「店舗一覧」の地図。この地図にある都道府県と外国に出店しているのである。う~む、なんともユニークな進出先だ(笑)。

 日本と比したらまだまだ物価の低いタイで成功したってのはほんとにりっぱだ。拍手。石川県もなかなかやるな。そのうち支那の大連や香港でも喰ってみたい。

8ban
 






 
  1. 2013/01/28(月) 03:03:07|
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「無農薬野菜は今風のおいしいものではないよ」という話──味は幻想で語ってはならない

munouyaku






友人のmakichabinのつぶやきから引用。ちいさなことだが、とてもおおきな事実。これは貴重なツイートである。



もうずっと前、昭和の話だが。
小学校長を定年退職した父が野菜を作り始めた。無農薬野菜である。没落地主なので家の周囲は自分ちの田んぼと畑ばかり。地所に苦労はない。目の前なので、時たま帰郷するが二階にこもってパソコン三昧のバカ息子(=わたし)も、それぐらいならぶらっと見に行ける。

感激したのは「虫」だった。農薬を使っている隣の畑も同じもの(キャベツを例とする)を作っている。それには近寄らない。なのに父の作っている無農薬野菜には群がるのである。ほんとに写真を撮っておきたかった。ウソみたいである。父の作っているキャベツにだけモンシロチョウが集合しているのだ。隣の畑の農薬漬け野菜には一匹もいない。彼らにとってはそれほど違うのだろう。
父の作るキャベツだけ穴だらけになる。青虫を捕るだけでたいへんである。それほど蝶々が群がっているのだから卵を山と産みつける。父は網を買ってきてキャベツを囲んだ。蝶々はそれでもやってきた。隣の畑に形のいい青々としたキャベツがずらりと並んでいる。そこには蝶々は一匹もいない。なのに網で囲み、近寄れないようになっているのに、父の作った武骨な形のキャベツには、網越しに蝶々が群がっていた。網があってキャベツを齧れないのに、それでも蝶々は何十匹も群がっていた。(ってことは、齧っての味覚ではなく、嗅覚ってことか。蝶々って鼻が利くんだ。)



餘談ながら、大正生まれの父はキャベツを「玉菜(たまな)」と言った。むかしはそうだった。キャベツが渡来したとき、真ん丸で玉のようになるから「玉のような野菜=たまな」としたのだろう。
まあこういうのは見た目からの和名だから、デモクラシーを民主としたり、プログレスを進歩と訳したりするよりは苦労はなかったろうが。

都会の若者には知らないひともいるだろうけど、キャベツってのは、べろーんと拡がっているんだ。それが実るにしたがい、拡がっていた葉がきゅっきゅっと起き上がって、ああいう玉になる。ぶよぶよした引き篭もりニートが、何かに目覚め、目元涼しい凛々しい青年になるみたいに。

さらに餘談ながら、むかしはみな「朝鮮漬け」と言った。今のキムチである。これは「韓国」による「朝鮮」というコトバの忌避イメージからこうなったのだろう。「韓国漬け」とは言わないもんな。今時のテレビ局は韓国漬けだけど。

NHK教育テレビの「韓国語講座」は、総聯(在日本朝鮮人総聯合会)に「朝鮮語講座にしろ」と講義され、変えようとした。たしかに「朝鮮語」であり「朝鮮民族」であり「朝鮮半島」なのだ。「朝鮮」が正しい。しかし今度は「在日本大韓民国民団(民団)が、「日本と国交があるのは大韓民国だ。北朝鮮とは国交がない。なのになぜ朝鮮にするのか」と講義してきた。これもこれでも一理ある。北朝鮮になにか言われる筋合いはないのだ。おろおろした結果、「ハングル講座」という意味不明のものになった。言うまでもなくハングルは文字の名であり語学の講座名には不適切である。

私も今、キャベツ、キムチと言っているが、これから頑固ジジイになるために、玉菜、朝鮮漬けと言うようにしようか(笑)。



さて本題。
無農薬野菜はキツいよ。特に軟弱な都会者にはね。

私は基本田舎者だけど、都会で20年暮らしてから、そういう父の作った野菜に接したので、味覚はすっかりスーパーのへなへな野菜になっていた。ひさしぶりにそれを喰ったとき異様におどろいた。味が濃いのだ。やがて懐かしさを感じる。「ああ、これが野菜なんだよな」と。

冒頭でmakichabinは「歯応え」と書いている。いい日本語だ。食に貧しいエゲレスに「歯応え」なんてしゃれたことばはあるのかな。調べる。あるわけない。「やわらかい」とか「かたい」とか直接的な表現だけだ。

無農薬野菜は、まず「固い」。キャベツや白菜は喰われてなるものかと割るのに苦労するほどだ。そして野菜の「香りが強い」。それを知っている基本田舎者の私なんかは「懐かしい」で済むけど、都会者は「臭い」とすら感じるかも知れない。固くて臭いが、その分、長時間煮こんだりしてもへたらない。旨味が増す。その辺が「生野菜サラダ」に向いているへなちょこ野菜とのちがいになる。本物の日本の田舎野菜は強すぎて「サラダ」には向いてない。ドレッシングかけてバリバリ喰えるのは、それ用のへなちょこ野菜だからなのだ。



印象的なエピソードがある。
母がそれを旧友に送っていた。女学校時代の、いまは東京に住む友人である。老齢の父の手作り野菜であるから数はない。だからキャベツ一個を宅配便で送ったりする。かなりヘンだ。受けとった方も戸惑ったろう。でも母には勝算があった。

すると着いたその日に電話が来る。「感激したわぁ。これよこれよ、これが本物の野菜よ。娘時代を思い出したわ」と。それはそれはもうキャベツ一個ではすまない感謝だった。とはいえ作ったのは父で母は手を貸していないのだが。
あまりひとには感謝しないが感謝されることが大好きな母はそれに味を占め、毎年キャベツ宅配便を連発していた。友人は社長夫人だったりするからキャベツ何百個分の三越や高島屋包装紙の返礼が届く。それを期待していたわけではあるまいが。そういや、私が大学に入るときに保証人になってもらったりした中小企業のそれら金持ちも、この不景気でみな潰れてしまった。いまどうしているのだろう。

印象的なエピソードとはそれではない。これからの話。
親しくなった編集者がいた。私と同い年だった。都会生まれ都会育ちである。彼がよく無農薬野菜やむかしの野菜の美味さを語っていた。まあそういう方面の論客とでも言うのか。いやちがうな、そういうスタンスをかっこいいと思っていたのだろう。ちょっとアサヒ系のひとだった。

母のそれを見た私は、私も母のように感激と感謝をもらおうと、田舎に戻ったとき、父からキャベツをもらい、その編集者に宅配便で送ったのである。
彼が食べた頃を見はからい編集部を訪れた。「どうだった?」と聞く。母が旧友からもらったような感謝感激懐古のコトバが連発されると期待した。だって彼は無農薬のむかしの野菜を絶讃していたのだから。

しかし彼は口篭もり、「うん、まあ」とかなんとかごまかしている。気まずそうだった。一瞬で理解した。笑いそうになったがこらえた。うまくなかったのだ。というより、「思っていたモノとちがっていた」のである。

冒頭のmakichabinのツイートにあるように、世の風潮に流され、彼は「無農薬野菜はおいしい。一口食べたらわかる。農薬におかされた野菜とはぜんぜん違う。無農薬野菜を食べたら、農薬漬けの野菜なんて食べられない」と、リクツで語っていただけなのだ。当然「昔の野菜はおいしかった」も、そこから創りだした幻想になる。こどものころに食べたむかしの野菜は確かにおいしかったのだが、彼が現実においしいと思っているのは、それから何十年も食べつづけている「いまの農薬漬けの野菜の味」だったのである。

母の旧友は田舎者である。子供の頃から食べてきた、さて昭和のどれぐらいまでそれがあったのかわからないが、無農薬野菜の味を躰が覚えていた。だから食べたらすぐに甦ってきた。味は郷愁を呼ぶ。一気に半世紀前の女学校時代に飛んだろう。
しかし都会育ちの三十代であり、水に浸けられて旨味の流れでたあのトンカツに添えられる千切りキャベツあたりを野菜と思っていた彼には、私の送ったキャベツは、固くて臭くて異様なものにすぎなかった。



毎度の喩えになるが、果汁0、果汁10%の飲物で育ったひとが、「これが本物のジュース」と果汁100%を飲まされて、誰もが「全然違う、おいしい、これが本物か!」と感激するとは限らないのである。「ファンタがいい」と言うひとは必ずいよう。それと同じだ。「無農薬」にかってな幻想を抱いてはならない。今の時代、無農薬野菜は決して「慣れ親しんだ味」ではないのだから。

強調しておきたいのは、上記「父の作ったキャベツ」は、昭和の話ということである。すでに昭和の時代に私と同い年だった東京育ちの編集者は、本物キャベツになじめないでいる。平成の今、温室育ちの骨抜き野菜しか知らない若者が、あのゴツゴツした無農薬野菜の味に馴染めるはずがない。

玄米はうまくない。精米した白米のほうがうまい。でも玄米食のひとは、まずくても健康のためにそれを選ぶ。栄養のある部分をみな削ぎおとしてしまったのが白米だから、それは理に適っている。(ここでまた「玄米はうまいよ。あんた、それを知らないだけだよ」と言いだす玄米主義者もいそうだが、それの相手はしない。)

無農薬野菜はうまい。太陽と大地の養分で育っている。でもヘナヘナ生野菜サラダに慣れた若者には、とっつきにくい味だ。それは確認しておきたい。

田舎を訪ねたタレントが、野菜をもぎとって食べさせてもらい、「甘いですね。これだけで食べられます。いつものスーパーのとはぜんぜん違いますよ!」なんてやっている。ああいうウソっぽい讃歌はやめたほうがいい。その点、makichabinのツイートにあったタレント?の発言は正直ですばらしいと思う。

本題はここで終り。以下、脱線しての与太話。


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次いで、酒の話。ラベルについて。

学生時代、私なんかの飲めるのはサントリーレッドとかブラックニッカとかウヰスキー以前の粗悪なシロモノだった。せいぜい白(サントリーホワイト)だった。しかしまずかった。私は大嫌いだった。本能でまずいと判断していた。それでもウイスキーはオシャレという時代感覚があったので無理して飲み、悪酔いしてますます嫌いになった。サイトの酒歴に書いているが、それ以降、私は三十代後半にロイヤルサルート(シーバスの21年モノ)を飲んで、「ウイスキーってのはこんなにうまかったのか!」と驚愕するまでずっとウイスキー嫌いだった。

貧乏学生のくせにウイスキーのうんちくを語るイヤミなヤツがいた。現実に飲めるのは私と同じレッドとかブラック程度だったが、言うのはオールドパーやジョニ黒のことばかりだった。そいつが毎日それを飲んでいるのならそれでいいが、一、二度飲んだだけのそれを礼讃し、ふだんはそれじゃ意味がない。

若いひとには信じがたいことであろうが、当時はジョニ黒やオールドパーはサイドボードに恭しく鎮座していて、盆と正月に一杯だけ飲む、というような特別な存在だった。飾り物である(笑)。誰でも簡単に安い値段で飲めるいまでは信じられないことだが。



サントリーオールドを無理して買った。つまらんウイスキーだが当時は銀座でもメインを張っていた人気ブランドだった。サントリーの酒列は、トリス、レッド、ホワイト、角瓶、オールド、ロイヤルだから、格としてはずいぶん上になる。

ウヰスキー嫌いの私は「もしかしたら」と思った。安ウヰスキーだから不味いのであって、日本中のウヰスキー党に支持されているオールドならうまいのではないかと。
やはりまずかった。そこで「ウイスキーはまずい。もしもうまいとしても、おれには合わない」と結論した。当時のサントリーのウイスキーがまずかっただけなのだが……。それからロイヤルサルートに出会うまでの長い年月。

もったいないからとりあえず空けた。オールドは学生には背伸びして買う酒だった。サントリーレッドやブラックニッカが500円、ホワイトが千円、角瓶が1500円、オールドが2200円ぐらいの時代。
まずくて飲めないままになっているレッドをオールドの瓶に移し、レッドの瓶を捨てた。一度やってみたいイタズラがあった。

上記、うんちくイヤミがやってきた。棚にあるオールドが飲みたそうだ。本物のオールドならこんなヤツに飲ませないが、中身はレッドだからふるまった。
一口飲んでヤツが言った。「うまいね、ぜんぜんちがうね。やっぱオールドはちがうよ。これ飲んだらもうレッドなんか飲めないな」



野菜でも米でも酒でも、言いたいことはいっぱいある。それが正鵠を射ている自信もある。でもなんかね、一歩まちがうと同じ穴の貉になるからやめとこう。

テレビを見ないのでmakichabinのツイートに出て来る井の頭線だか井手らっきゃだかはまったく知らないが、彼のそういう形の「本音」は大事だ。断じて幻想で持ちあげてはならない。

福島を誹謗中傷するヤツラに、福島の野菜と西日本の野菜のラベルを逆にして喰わしてみたい。何を言うかは想像できる。福島ラベルのついた西日本の野菜を食いつつ、「ああ、ダメだ福島は。すぐわかる。放射能で味がピリピリする」なんて言うだろう(笑)。あいつらのレベルなんてそんなものだ。
今夜はいわき市の地酒でも飲むか。がんばれ福島!
  1. 2012/11/21(水) 10:05:33|
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55ホッピーに【追記】

前項、55ホッピー話に「レパードステークス的中」を【追記】。

いやまあほんと、おせっかいなヤツが、「<きっこさん>はイジゲン大本命ですよ」とメールをくれなかったら、3着イジゲンと心中しているところだった。ありがとう、U。たまにはオマエのよけいな情報も役立つな(笑)。
  1. 2012/08/05(日) 17:15:40|
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私は肉を食えるだろうか!?──焼肉店の新年会

友人夫妻が新年会をやろうと誘ってくれた。五六人での食事会だ。寒い時期でもあり、引きこもっている穴蔵から都心まで出てゆくのは面倒なのだが、実態は新年会に名を借りた落ち込んでいる私を励ましてやろうというありがたい催しである。私は会費免除の招待客。実質私が主役なのだから断るわけにはゆかない。心の中で手を合わせ喜んで出席させてもらう。

どこでやるのだろうと思っていたらなんと焼肉店なのだという。さて困った。
ここのところ私はもう何年も四足動物の肉を食っていない。といってもこの期間に餃子を食ったことはあるし(なるべく野菜餃子のようにして避けてはいるが)、ラーメンのだしにも入っているだろうから徹底しているわけではない。魚を食うからヴェジタリアンでもないし、じつに緩いいいかげんな肉嫌いだ。
でも形状からして四足動物の「肉」とわかるものはもうずっと食っていない。テレビで肉をジューっと焼いて「わあ、おいしそう!」なんてシーンを見ると気持ち悪くなって急いで消す。スーパーのそういう売場もそれを目にするのがイヤで避けて通っている。つまり、「これは四足動物を殺して切り刻んだ肉ですよ」という形状を受けつけなくなっている。テレビを見なくなったのも、牛肉を見て「わあ、おいしそう」と、仔牛を見て「わあ、かわいい」という矛盾するふたつが同時に成立している世界だったことが大きい(「じつはそれは理論的に矛盾してはいないのだ」なんて反論はなしね)。ともあれこれからも私が自分から四足動物の肉をうまそうに頬張ることはないだろう。身辺からも革ジャンを捨てたり、出来る限り節制している。でも靴だけはなあ……。
と思っていたらいきなりの焼肉である。だいじょうぶだろうか。



脱線して。
生まれてからこのかたずっと中肉中背でダイエットなんてものとは無縁だったのだが、運動不足の不摂生でお腹がつまめるようになってしまった。客観的に見てまだぜんぜん太ってはいない。数字的にも並以下だ。むしろ見た目は細身か。それでもお腹の肉がつまめるという屈辱的な出来事が初体験なので気になってしかたがない。初めてダイエットもどきを始めた。方法はいろいろあるらしいが何も知らない。とりあえずカロリーを落とせばいいのだろうと、ここのところずっと野菜と豆腐と蒟蒻の鍋ばかりやっている。うどんに入れていた大好きな野菜コロッケとか掻き揚げ天とかの油ものも断った。その代わりがノーカロリーの蒟蒻だ。これは効果があり目に見えてお腹周りがスッキリした。その気になれば痩せるなんて簡単なことだ。痩せられないと嘆くひとって食うもんなあ。あれだけ食ってりゃ痩せないよ。さすがに毎日同じ味には飽きてきたが。



ひさしぶりに生ビールをたらふく飲めそうなので、それにはもう今から喉が鳴る。願うのは、その焼肉屋のビールサーバーのメンテナンスが良好なことだ。それによって味はまったくちがったものになる。もともと利きビールが出来るほどビールの味にはうるさいほうだったが、二十代の時、飲食店にそれを指導して回るバイトをしてから、ますます気になるようになってしまった。生ビールの味はサーバーのメンテナンスで天と地ほどもちがう。だから私はその状況が判断できない初めての店ではビンビールしか飲まない。

いくら半端菜食主義とはいえ、みんなにご馳走してもらう焼肉店で、「ビールとキムチと野菜焼きだけ」はまずいだろう。企画してくれた人に恥をかかせることになってしまう。どうなることやら。
  1. 2012/01/14(土) 02:46:08|
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支那料理と日本食──水餃子・焼き餃子・烏竜茶・緑茶

支那には焼き餃子がない。水餃子だ。不思議だ。あれほど料理に熱心な民族なのになぜだろう。
あちらの食い物は日本人には合わない。あまりに脂っこい。味つけが濃い。脂を分解する烏竜茶を彼らが愛飲するのがよくわかる。脂っこい支那料理を食った後の烏竜茶はうまい。口内の脂を拭ってくれるようだ。

それはまた日本人の烏竜茶好きに対する疑問でもある。日本の食事に合うのは緑茶だ。サントリーの仕掛けに乗って烏竜茶を愛飲するひとが理解できない。
まああれはあれで上手な商売だった。酒が飲めないのに飲む場につきあわねばならないひとたちが、愛用したのはよくわかる。水割りだと色でばれるが烏竜茶割りならノーアルコールでもばれない。



そのあとに「ペットボトル入り緑茶」に代表される緑茶ブームが来る。あれは烏竜茶に対する反動だったのだろう。冷たい緑茶を飲む習慣などなかったが、ふと気づけば習慣になっている。以前は冷めた緑茶は捨てていたのに、今では熱いお茶をわざわざ冷やしてポットに詰めたりしているのだから変れば変るものだ。私にとってサントリーの仕掛けた烏竜茶ブームは緑茶ブームを引きおこしてくれたことで印象深い。

以前ホームページに書いたことだが、支那でもそのあとに緑茶ブームが来た。仕掛けたのは日本企業だったらしい。日本と同じようなパッケージを見かけたので愉しみに購入してみた。すると、なんと、砂糖入り、ジャスミンの香りもつけられている。甘ったるくて飲めたものではない。緑茶風ジュースだった。しかたない。だってそれが売れ筋なのだから。これほどに味覚が違う。
たしかホームページにその写真があったはずだ。見つかったら載せよう。
y-ryokucha




地元密着した支那料理を食べていると、日本の「中華料理」というのが、「中華料理という名の日本料理」であることがよくわかる。トイレにドアを附けず並んで排便しつつ(大ですよ)おおらかに世間話をする「大陸的」な彼らと、個別にドアを附けて密室にするのはもちろん、水を流して排泄音を消そうとする「島国根性」の日本人の味覚が同じはずがない。西洋のトイレはドアはあるが上下が開いている。日本トイレが密室度合がいちばん高い。

と書くと「洗練された支那料理は日本人の味覚にも合う」と〝食通〟から反論が来そうだが、私の言っているのは支那の庶民階級の料理である。町の食堂の話だ。西洋人や日本人の味覚をも考慮した高級飯店(支那語の飯店はレストランじゃなくてホテルの意味)の料理と、支那庶民が食べる町の食堂のどちらに本質があるかは言うまでもあるまい。支那料理はすぐれたものだが、基本的に日本人の味覚に合うものではない。食は地域と風土で味が決まる。あたりまえすぎる原理だ。



支那への旅行は私より亡父のほうが早かった。父は水墨画仲間と一緒に支那を旅行した。40年ほど前か。それから何度か行っている。私の支那体験はまだ20年でしかない。
そのたびに窶れて帰国した父は、料理が合わないことを嘆いた。そのときの私は「日本の中華料理」が大好きだったこともあり、父の嘆きが理解できなかった。

父は典型的な「白米、味噌汁、納豆」のひとだった。酒は日本酒。ビールは、よくいる「うまいのは最初のコップ一杯だけ」である。老酒(そういうツアーだからホテルでの食事ではおそらく紹興酒が出たはずだ)も合わなかったろう。私は老酒も大好きだったし、ビールは底無しだし、日本の中華料理が好きだったから、父の味覚の狭さが支那を理解できなかったのだろうと生意気なことを考えていた。未熟だった自分を申し訳ないと思う。

そうじゃなかった。自分が行って解った。根源的に味覚がちがうのだ。上記「高級飯店」のことを書いたが、そこに行けばなんとかなる。客のために味を妥協しているからだ。食うものがなく、どうにもやって行けなくなったときは、私もそういうところに行って飢えを凌いだ。しかしそればかりやっているわけにもゆかない。そもそも私の行くのはそんなもののないところだ。

食の充実している(いや、世界一と言われる)支那で食うものがなく、下品なジャンクフードであるアメリカのマクドナルドに助けてもらったのは今も苦笑する出来事になる。当時ぞくぞくと出店していた。日本でならまず食うことのないマックのハンバーガーが食に餓えた北京でいかにうまかったことか。

マクドナルドは支那語では麦当劳になる。写真のマックは北京の街外れのもの。2003年撮影。
あ、マックと言ったので関東人であることがばれてしまいました(笑)。マクドって言う関西弁を知ったときは新鮮だった。大阪は支那とも宇宙人とも対抗できる日本の最終兵器だ。世界中どこに行っても大声で大阪弁をしゃべる大阪人と出会った。千原兄弟のせいじのようなタイプ。

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支那料理は世界一ということになっているが、私は支那に行くとき、好きな食い物がないことにまずうんざりする。私からすると、香港の観光客向けの店や横浜中華街あたりのものを食って、支那料理は最高だと言っているひとは何もわかっていないひとである。



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ついでに。支那の庶民の酒は白酒(パイチュー)である。安くて酒精度数が高く酔えるからだ。老酒(ラオチュー)ではない。老酒は酒精度数が低い(日本酒と同じ程度)からなかなか酔えないし、高価だ。老酒の地域限定名の高級酒である紹興酒なんて一度も飲んだことのないひとの方が多い。ビールは彼ら的には高いし酔えないから田舎ではほとんど飲むひとはいない。
私はとんでもなく酒精度数が高く(50度はざら)臭くてまずい白酒が大嫌いだったが、支那人との接触でストレスが溜まると、手っとり早く酔えるこれを手にするようになった。55度なんて火を噴くようなのを飲むとすぐに体が熱くなり写真のような小瓶でも酔える。貧乏庶民が好むはずだ。



支那に行き、食べるもののない私にとって餃子は救いになった。食べやすい。どこにでもある。さいわいビールが安いので(ロシアのビールはまずくて飲めたものではないが支那のビールはそこそこ飲める)水餃子や皮蛋(ピータン)を肴にしてのビールが庶民的食堂での私の主食になる。

みな丼飯で白米を食っているが、支那の庶民レベルの白米はまずく、おいしい日本米を食べなれた日本人にはきつい。それは支那の大金持ちが日本米を輸入して食べていることからもわかる。日本米のうまさは世界一だ。日本の農業技術援助でどれほど支那の米の収穫量が増えたことか。米がうまくなったことか。あの国も恨みつらみばかりで感謝の心がない。

そういや世の中にはパクチー(はタイ語か。支那語では香菜、英語ではコリアンダー)を食べられないひとがいるらしい。タイ料理が大好きなのにパクチーは入れないでくれと注文しているひとを見た。何十年もタイに通っているのにパクチーだけはダメだというひとを知っている。もったいない。ピータンにはたっぷりのパクチーが必要だ。パクチーなしのピータンなんて食う気がしない。



そんなわけで支那生活時の餃子は救いの神なのだが、水餃子ばかり食べていると猛烈に焼き餃子が食べたくなる。それはもう渇望にちかい。北京や上海の日本料理屋には焼き餃子があるのだろう。客からのリクエストが多いはずだから。私の動く範囲に日本料理屋なんてものはない。よっていつも水餃子ばかりだ。
帰国するとしばらく焼き餃子ばかり食っている。もともとタンメンに餃子にビールというのは私の定番なのだが、支那帰りのしばらくはこればかりになる。
  1. 2011/08/17(水) 10:27:38|
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