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訃報──やしきたかじん さん──一覧をリンクしました

「たかじん」と愛称で呼びすてにしたいけど、亡くなってしまったのだから、「さん」をつけねばならないのか。なんとも悔しい。

私のブログのたかじんさん関連文章一覧です。もっともっと「ありがとう」「今週も最高だった」と書きたかった。 

●【木屑鈔】のたかじん一覧

●【芸スポ萬金譚】のたかじん一覧 
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  1. 2014/01/09(木) 06:17:55|
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訃報──英国サッチャー首相──誇り高い政治家のいるしあわせ

Thatcher イギリス初の女性首相として11年余りにわたり政権を率い、強気の政治姿勢から「鉄の女」とも称されたイギリスのサッチャー元首相が8日、死去しました。87歳でした。

 サッチャー元首相のスポークマンによりますと、サッチャー元首相は、8日朝、脳卒中を起こし死去したということです。(4月8日21時22分)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130408/k10013770101000.html

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 私はサッチャー首相の政治を全面肯定するものではない。フォークランド紛争など、どう考えてもアルゼンチンに理があると思っている。

 ただ、日本国の一国民として、中韓に気弱な、やたら謝罪するばかりの政治家に俯いた人生を強いられてきたから、もしもサッチャーのような強い首相を戴けたなら、どんなに自国に血筋に誇りを持って生きられるだろうと憧れてきた。国民に、国に誇りを持たせるのは政治家の基本であろう。サッチャーは、それをした。

 彼女に批判的なイギリス国民には、こんなことを言っている日本人の嘆きは理解できないだろう。敗戦国がどんなに惨めであることか。過去の善行ですら悪行に変えられ、存在しない悪まで捏造され、それを世界に流布され、金をゆすりとられ、しかもそのゆすりとった金のことは国民には知らせない。ひたすら謝罪を強要される日々だ。サッチャーのような強い政治家なら、断固としてそんなものは拒むだろう。

 ご冥福をお祈りします。
  1. 2013/04/08(月) 21:50:36|
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訃報──大鵬、死す──納谷幸喜さんの死──1/31から書きます

元横綱大鵬さん死去、72歳=最多の優勝32回、「柏鵬時代」
 
時事通信 1月19日(土)15時51分配信
 
 史上最多の幕内優勝32回を記録し、柏戸とともに「柏鵬時代」を築いた昭和の大横綱、元大鵬の納谷幸喜(なや・こうき)さんが19日午後3時15分、病気のため東京都の病院で死去した。72歳だった。
 2005年に日本相撲協会を定年退職した後、相撲博物館長を務め、08年に退任していた。
 樺太(現サハリン)生まれ。5歳で北海道へ引き揚げ、16歳で二所ノ関部屋へ入門。1956年秋場所、初土俵を踏んだ。18歳で十両、19歳で幕内へ昇進し、61年秋場所後に21歳3カ月で48人目の横綱に昇進した。色白、端正な顔立ちで人気を集め、子どもが好きなものは「巨人、大鵬、卵焼き」といわれた。
 右四つ中心の、柔軟で負けにくい相撲が持ち味で、6場所連続優勝2回。全勝8回、45連勝も記録するなど抜群の強さを誇り、横綱に同時昇進した柏戸とともに「柏鵬時代」を築いた。優勝回数32回は歴代最多。
 71年夏場所中に引退し、功績に対して一代年寄「大鵬」を贈られ大鵬部屋(現大嶽部屋)を興した。通算872勝182敗136休、幕内746勝144敗136休。敢闘賞2回、技能賞1回。
 77年に脳梗塞で倒れたが、再起して79年には大鵬部屋から初の幕内力士、巨砲を生んだ。80年から96年1月まで日本相撲協会理事。09年、相撲界で初めて文化功労者に選ばれた。
 柏戸は96年に58歳で死去しており、一時代を築いた両雄が、ともに世を去った。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130119-00000079-jij-spo 

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 ひさしぶりに「えっ!」とおどろく訃報に接した。
 具合がわるいことをまったく知らなかった。

 大鵬は若くして脳梗塞を患い不自由な体になってしまった。すべてを手にしたあれだけの大天才が、引退後にこんな残酷な運命が待っているのかと、その時点で私はもう大鵬の若年の死を覚悟した。

 ところがそこからがんばった。リハビリをし、親方としてもがんばり、ライバルだった柏戸があっさり亡くなってしまってから、スポーツ紙での評論等、活躍の場を広げた。問題児の朝青竜に檄を送ったりした。

 臥せっていると知っていたら覚悟もしたが、そんな情報もなかったし、突然の訃報だった。
「巨人、大鵬、卵焼き」というコトバの実質は、「王、長島、大鵬」だった。三偉人のひとりが逝ってしまった。
 なんとも無念。あとであれこれ書き足そう。いまは大鵬を偲びつつ大相撲中継を見る。

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【追記】──1月31日から書きます──1/27

 大鵬のことが書いてあると思い、ここに来てくださったかたへ。 
 期待外れですみません。この時点では衝撃を受けただけで、とても思い出を書くような餘裕がありませんでした。
 その後、書きためていま溜っています。長文なので、1月31日から何度かに分けてアップするつもりです。 今朝方、完成させました。原稿用紙45枚になったので、5.6回に分けてアップしたいと思っています。
 大相撲ファンのかたに読んでもらえたらさいわいです。

 今日は午後からNHKで「大鵬追悼番組」がありました。見ながら、しっかり録画もしました。永久保存版です。
 この番組を見て、感動したことは、「大鵬は落ちない」ということです。あれは凄かった。ちかごろの簡単に引き技に屈する相撲を見ていると、大鵬の足腰の強さにあらためて感動しました。 対戦相手からすると、いったいどうやって攻略したらいいのか、ほとほと困ったことでしょう。
 すごい力士でした。大相撲史上最強です。 
  1. 2013/01/19(土) 16:39:00|
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山田五十鈴の死、パンダの赤ちゃんの死、かなしい時間──国民の生活が第一だよん!

山田五十鈴が死んだ。
いくつになっても同い年の死は悲しい。
ご冥福を祈る。30年もすればあたしもそっちに行く。125までは生きる。



パンダの赤ちゃんが死んだ。95歳。偉大な芸能人だった。
いくつになっても同い年の死は悲しい。

動物園の園長が泣いていた。大笑い。
ライオンやトラに喰わせるために多くの動物が殺されている。
そっちのためにも泣いてやれ。
なんでパンダの赤ん坊が死んだら泣くんだ。最低だね。

原発推進者が生きていてパンダの赤ちゃんが死なねばならないのか!?
あまりにこの世は理不尽だ。なんてことはぜんぜん思わない(笑)。
とりあえず形だけ5年前に死んだ母さんと抱きあって号泣した。涙がとまらない。 
ごめんね日本中のこどもたち、なにもしてあげられなくて。
なにかしてやる気がそもそもないんだけど。



いまからレバ刺しを食いつつ、死んだパンダの赤ちゃんの映像を見ながら号泣しよう。
パンダの赤ちゃんの姿煮ってうまいのかな(ゴクっ)。
誰が喰うんだろう、当然園長にその権利が……。

あ、大好きな小沢さんの会見が始まった。
新党の名前は何になるのかな?

隠し子と愛人の名前も言うの? どきどき。
放射能から逃げたことも言うの? わくわく。

と思ったら「国民の生活が第一」だって(笑)(笑)(笑)。



バカも窮まれり(笑)。 

がんがれよー、2年保つかな。楽しみ楽しみ。

次の選挙が第一!!!

でもみんな落ちるけど(笑)。

小沢を落とせないなら、それは岩手が呪われているってことだ!

岩手県民、気を引き締めろ。真剣に考えろ。
まともな日本人になれるか、小沢の奴隷のままか、重要な岐路だぞ!!!
地元利益誘導が政治家の意義なら、所詮あんたらはそこまでのニンゲンてことだ!

これは大震災以上に、あんたらの日本人としての覚悟が問われているんだ!
  1. 2012/07/11(水) 18:09:28|
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立川談志の死──立川談志カール・ゴッチ論──北朝鮮拉致被害者に対する暴言の記録

立川談志が亡くなったらしい。大相撲を見ているとき、中断の5時のニュースで知った。これからしばらくマスコミは追悼と絶賛が続くだろう。明日のワイドショーなどは一色か。
私の談志(と亡くなった日だからこそ呼び捨てが優れた芸人に対する敬意ですよね)に関する想いは、ホームページに今までたっぷりと書いてきたので、ここでは省く。興味のあるかたはここに書いてあるので読んでください。

ひとことで言うと、私は立川談志という落語家を礼讃はしていない。志ん生はもちろん志ん朝とも比ぶべくもない。でも「落語評論家」としては日本一だと思っている。談志ほど落語を真剣に考え理論化したひとはいない。彼の落語CDはぜんぶもっているが「五大落語家論」がいちばん好きだ。

落語よりも百倍詳しいプロレスで例えると、私の感覚では、立川談志はカール・ゴッチになる。この比喩に新日ファンの落語好きは大喜びするのか。プロレスの神様カール・ゴッチの〝神様〟だと。まああれはゴッチぐらいしか招聘できない猪木が無理矢理作った大嘘だが。

ミスター・プロレスはルー・テーズである。最高に強くてかっこよく、適度に弱い奴にもブックなら負けてやり、逆らってくる生意気な奴はバックドロップで泡を吹かせる。何でもできる真の最強レスラーでありチャンピオンだ。すなわち志ん生である。談志は志ん生のようなチャンピオンになれず、不器用な「ほんとなら俺が一番強い」とふて腐れているゴッチである。

志ん生に対する憧れ、志ん朝に対するコンプレックスにも、それがよく現れている。王様と王子さまに対する平民の悔しさだ。

高座で寝てしまい、客が「そのままにしといてやろうよ」と寝てるのを見守ってもらえた志ん生。
自分の落語の時に寝た客を寄席からつまみだし、裁判ざたになった談志。

談志というひとの落語、生きざま、主張、すべてカール・ゴッチのように思える。上記、「自分の落語の時に寝た客と裁判沙汰」なんてのは、WWWFのチャンプだった“ネイチュアボーイ”バディ・ロジャースを控え室で殴ったゴッチに通じる。ゴッチを神様にしている日本人は「実力のない人気だけの奴に焼きを入れた」という「ちょっといい話」にしているが、こんなのは売れない芸人が人気者に嫉妬しただけの暴力事件だ。当時ニューヨークで活躍していた馬場は、ロジャースがいかに華やかでスターとしてのオーラをもっていたかを証言している。ゴッチを慕う弟子も前田日明とか、そのへんの流れも談志とよく似ている。談志も前田も「生涯欲求不満」ということで共通する。

談志が死んで、その感覚を最もよく引き継いでいる芸人は太田光か。ふたりは仲がよかった。顔も所作もよく似ている。太田は談志を尊敬し、談志は大田をかわいがっていた。談志は「爆笑問題の片方は俺の隠し子」という冗談を好んだ。私はふたりとも大嫌いだ(笑)。大田の憲法9条に関する発言を読んだりすると吐き気がする。



落語家・立川談志が生前、「北朝鮮拉致被害者」に対してどのような意見を吐いていたか。以下にまとめて書いた。2002年11月のものだ。

これからしばらくはマスコミでは「立川談志さん哀悼と絶讃」が続く。
それとは別に、こういう発言をしていた、この程度の人間であることも、よく確認して欲しい。

北朝鮮被害者に関する立川談志のとんでも発言──2002年11月

これが載ったのは談志のサイトだった。今はもう削除されてしまい目にすることは出来ないが、これが立川談志というひとの基本である。落語以外ではこの程度の男である。
これも抗議されたから削除しただけで、もちろん謝罪なんてしていない。あまりにお粗末だ。どんなに落語が巧かろうとまともな人間とは思えない。こども時代から50年ぐらい見ているが、むかしから粋がって発言するたび、こんな的外れなのばかりだった。しみじみたいしたもんじゃないと思う。談志を崇拝している人間でまともなのにあったことがない。ついでにカール・ゴッチ崇拝者のプロレスファンもろくなもんじゃない。

明日からスポーツ紙、芸能記事、テレビのワイドショー、みな「立川談志師匠追悼一色」になるだろう。私は「立川談志的ひねくれ者」として、彼のこの「とんでも発言」を強く主張してゆきたい。

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附記 11/24──ワイドショーふたつ──みのもんたとミヤネ屋

私の生活は午後9時就寝、午前3時起床。3時からPCに向かっていて、時計を見たらちょうど5時半だった。みのもんたの番組が始まるなと点けてみた。11月6日にテレビのある生活に復帰してから初めてだ。ちょうど5時半に時計に目がいったのもなにかの縁だろう。以前はよくこんな形で5時半から30分ぐらいこの番組を見ていた。ひといきつきたくなる時間なのだ。3時間のロングワイドショーだが、1時間を3回繰り返すだけなので、すこし見れば全体が見える。「8時またぎ」と銘打って7時40分ぐらいから8時20分ぐらいまでやる大ネタ(これはうまい手法だ。8時から始まる他局のモーニングショーへチャンネルを替えさせない作戦)は、ゲストに興味があったらその時間にまた点ければいい。

案の定オープニングはみのの談志との想い出話だった。昼間から酒を勧められ、「イヤ、時間が」と言ったら、「あんたは時間で酒を飲む飲まないを決めるの? 時間と酒は関係ないだろ」と絡まれた話。私も24時間飲みたいときに飲むので談志の意見はよくわかる。ひとさまが起きだして朝飯食って出勤するような時間に風呂に入って酒を飲むのは楽しい。もちろん生番組が控えていて飲めなかったみのの気持ちもわかるけど。

みのの想い出話自体はおもしろいのでまだ見たい気もあったが、この種の番組ではよくあるように、談志のだの字も知らないような(いや、ようなじゃなくてほんとに知らないな)若い女子アナが、いかにも悲しくてならないという感じの殊勝な顔で打つ「ほんとに」「ええ」「すごいかたでしたよね」なんて相槌が煩わしくて消した。なにが「すごいかたでした」だ。演目ひとつ聞いたことがないくせに。
見たのは5分ぐらいだったか。私は談志崇拝者ではないけれど、長年見てきた落語家として彼の死を悼んでいる。そんな私にはこういう女子アナは不愉快で見ていられなかった。こういう浅い演技が視聴者を不快にすることに気づかないのだろうか。というか、視聴者のほとんども同じようなものか。



午後、こたつをセットした。そろそろやらないとと懸案だった。まだ火はいれないけど、とりあえずの冬支度。いい天気で、秋の陽光が差し込む私の部屋は温室のよう。ホットカーペットを敷くのに掃除機を掛けたりしたら汗ビッショリになった。ティーシャツ一枚になる。ほんとにこの部屋は暖かい。夏は地獄だが。

そのとき、ちょうどまた偶然に午後2時ぴったりだったのでミヤネ屋をつけると、木久蔵が談志を語っていた。ミヤネ屋を見るのも7月24日以降初めて。
これは1分ぐらい見て、すぐに消した。談志や木久蔵の好き嫌いとは関係なく、この種の訃報に関するワンパターンはつまらない。「××にいるときに、△△さんから電話があって、それで知りました。おどろいて、ウンヌン」。

きついことを書いたので、ここに来て気分を害した談志ファンもいるだろうが、私は彼のCD全集もぜんぶもっているし、著書も、弟子たちの書いたものも含めて99%読んでいる。談志が企画立案し、自身で司会をしていた『笑点』も初回から見ている。後に不仲になり縁を切るので談志は『笑点』をボロクソに言うようになる。スタンダップコメディアンとして語っていた談志も見ている。距離をおいた50年だが、ここ何年かで談志のファンになり、弟子でもないのに談志を「家元」なんて呼んでいる半端な談志ファンよりはよほど談志を見てきた自信はある。

ただし肝腎の寄席は、彼が「立川流で独立してから」は見ていないので、そこのところは弱い。立川流で独立してからは、生の高座には接していない。寄席で見ていたのはその前になる。
彼の弟子筋もCDでは聞いているし著書も呼んでいるが高座は見ていない。そもそも私はプラチナペーパーとか呼ばれるものには一切近寄らないから当然だ。落語なんて予約までして見にゆくものではない。気が向いた時ふらっと寄るのが寄席だ。上野鈴本や新宿末廣にもそんな気分ででかける。

今日はこれから晩酌の時、私なりに談志の噺を聞いて追悼しよう。DVDも6枚ほどもっているから、それを見るのが筋なのだろうが、私は彼のしゃがれ声の音曲は好きではないし、「演芸評論家としては日本一」と書いたことからも、CDの「立川談志のゆめの寄席」を聞こうと思う。

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これはいわゆる「わたしの選んだおもしろい落語 立川談志編」で、談志が自分の好きな先輩落語家の噺を紹介するものだ。談志は解説と進行を兼ねてしゃべっている。登場はほんのすこしだが、落語への愛情が感じられてすばらしい。本来なら談志の「芝浜」「文七元結」「らくだ」のような大ネタで偲ぶべきなのだろうが、わたしなりにこれにした。
それと一番好きな「五大落語家論」はやはり聞こう。志ん生や文楽への愛情があふれていて、何度聞いても楽しい。

談志が選挙に出た時、選挙カーで文楽の家の前を通りかかり、「黒門町の師匠、談志です。よろしくお願いします」と選挙カーからやったら、二階の窓を開けて文楽が顔を出し、「ようがす」と言ったって話はいつ聞いてもいい(笑)。

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【附記.2】 11/25──東スポの「談志に隠し子騒動」

金曜土曜だけ東スポを買う。競馬の馬柱を見るために。
11月25日の夕方。金曜版の一面に「談志に隠し子騒動!」。
あれだけのひとだからいて当然だ。
と興味津々で読んだら、なんと上に書いた爆笑問題の太田光のこと。
あいかわらずの東スポだ。他にネタはなかったのか。
  1. 2011/11/23(水) 20:03:27|
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竹脇無我さんの訃報に附記──竹脇さんからもらった服

【附記】10/10──竹脇さんからもらった服

私は竹脇さんから服を二着もらっている。外国で買ったという防寒着とバーバリのコートだ。もう20年もまえのものだけどいまも大切にしている。新品ではない。竹脇さんのおさがり。ともに高級品である。

防寒着はボタンが取れてしまったのと、私がすこし太ったのできつい。竹脇さんが私にくれたのも、竹脇さんが太ってきつくなったからだろう。
でもボタン以前にこれは外が皮、内がボアのすごいやつで、寒冷地で着るものだ。日本でこれを着て電車に乗ったりしたら大汗をかいてしまう。それでいまは上掛けにしている。冬場、こたつでTVを見ていて、ちょっと寒いようなときに上半身に掛けたりする。そのまま眠ってしまっても問題ないほど温かい。

バーバリのコートも高級品。私はめったにスーツを着ないので(もう何年も着ていない)、それに合わせるコートも着る機会がすくなく、いまも新品同様だ。これからも大切にしよう。私にとっては竹脇さんの遺品になる。

あ、思い出した。外国からのお土産でFilaのポロシャツをもらったこともあった。でもこれは私はポロシャツを着ないし、水色のあまり好きなものではなかったし(すみません)、竹脇さんが着たものでもないから大事にせず、いつしか処分してしまった。免税店で多くの関係者へのおみやげとしてどんとまとめて買ったのだろうけど、それでもよくまあ私なんかもメンツにいれてくれたものだ。ぶっきらぼうだけどやさしいひとだった。当時を思い出すと涙が出た。元気になられてから会いにゆき、もらった服をいまでも大切にしていると伝えたかった。
  1. 2011/10/28(金) 07:05:15|
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生きていた江沢民!──上海派の権勢は続く

 江沢民が生きていた。おどろいた。知ったのは10月9日。それで以下のようなツイートをした。

kotakumin


 どんなに大嫌いな奴でも生きているのを死んだと書いたのでは訂正せねばならない。
 私がそれを書いたのは、調べてみると7月7日だった。その文章はこれ
江沢民死去のことを書いている内に、江沢民派であり次の主席が確実な習近平の来日時に天皇陛下への閲見を無理矢理実現させた小沢一郎への怒りの方へと脱線し、果ては朝鮮人醜男顔がどうのこうのと書いている。

 江沢民死去の報を知ったのは愛読している宮崎正弘さんのメルマガでだった。ブログにも宮崎さんの文章を引用させてもらった。最初に報じたのは香港のメディアらしい。宮崎さんのメルマガもそこから引いている。速かった。
 すぐにMSN産経の速報が出た。これで確定と思う。
 が、すぐに新華社通信が否定し、それを読売が伝える。

 しかしこういう場合、通例からしてまず100%死んでいる。整理のための時間稼ぎだ。間を置いて正式発表される。
 ところがその後も正式発表はなく、それどころか3ヵ月後に自分の足で歩き、あの顔が記念式典に登場したのだからおどろいた。

kotakumin2

 7月に危篤が伝えられた中国の江沢民前国家主席(85)が9日、元気そうな姿を現した。北京の人民大会堂の中国の辛亥革命100年を記念する式典に、手を振りながら自ら歩いて壇上に登場。付き添いの助けを借りながらも、胡錦濤(フー・チンタオ)国家主席の隣に座り、健在を示した。

 江氏は7月1日の中国共産党創立90周年の式典を欠席した際は死亡説も飛び交った。中国国営新華社通信は「全くの流言にすぎない」と否定したが、複数の中国筋や外交筋は危篤に陥ったとしていた。(asahi.comより)


 アサヒシンブンは大嫌いなのでこの種の引用でも一切利用しないのだが江沢民のことだからどうでもいい。検索したら最初に出て来たので引いた。時間は「10月10日0時9分」となっている。9日にまだ生きていたと私は何で知ったのだろう。知ってすぐにツイートしたのだが。



 アサヒシンブンと言えば、もう7.8年前の話だが。
 中共の田舎町にインターネットゲーム屋があった。若者がネットゲームを夢中でやっている。もしかして普通のネット閲覧も出来るのかと問うてみたら、1時間10元のゲーム料金で可能という。ネットに餓えていたときだったので喜びいさんで申しこんだ。
 でもキイボードが支那語のピンイン用なので使えない。なにも出来ない。どうしようもない。苦しまぎれにasahiと打ちこんだら、なんと一発でアサヒシンブンのサイトに繋がった。むさぼるようにここ1ヵ月のニュースを読んだ。日本語が読めることだけでうれしかった。
 支那に隷属しているアサヒシンブンだけに支那の検索エンジンも「ういやつよ」とトップにしているらしい。



 前回も引用させてもらったので今回も宮崎さんのメルマガ文章を引かせて頂く。江沢民がまだ健在ということから上海派が蠢くという濃い内容なので半端引用はかえって失礼と思い全文引用させて頂く。宮崎さん、ご容赦を。

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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
     平成23(2011)年10月10日(月曜日)弐
         通巻第3446号
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 江沢民は生きていた! 驚き桃の木、影武者の可能性も薄い
  孫文辛亥革命百周年の記念式典によたよたと登場し、胡錦涛の隣席

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 最初は香港情報だった。7月6日の香港メディアは江沢民が死去したという「信頼すべき情報源」。二日後、そのメディアは訂正し謝罪した。産経新聞はのせられて号外まで出した。生命維持装置をつけて入院していたが、奇跡の回復ぶり。上海で緊急入院後、北京301医院で療養していた。

 10月9日、北京人民大会堂で開催された孫文辛亥革命百周年の記念式典によたよたと登場し、胡錦涛の隣席にどかっと座った。
会場からは「おおっ」と驚きの声があがった。
何の肩書きかははっきりしないが、存在を見せつけるという中国伝来の「官場政治」の典型である。つまり京劇で言うクライマックス。
 式典には政治局常務委員九名全員が出席した。

 これで権力闘争はまたまたややこしくなる。
 「様々な憶測を呼ぶ」とヘラルドトリビューンも一面トップで報じた(10日付け)。とくに同紙は次のように言う。
 「重慶モデル」を成功させたとして騒がれる薄き来(重慶市書記)の次期常務委員に入りがあるか、どうか。彼は意図的に毛沢東復活を主唱し、社会主義市場を叫ぶので、多くから嫌われている。
胡錦涛は、広東省書記の王洋を取り立てたく、最近も広東を訪問した。胡錦涛がテコ入れをしてきたのである。

 王岐山、張徳江、愈正声らの「政治局常務委員」入りも、江沢民の登壇、上海派の派手派手しい復活により、微妙となった。

 二月の鉄道部長の更迭は江沢民が不在だったから、団派が上海派を追い詰め、次期総書記といわれる習近平の政治力を牽制するためにやってのけた節がある。
 七月の新幹線事故では上海派を集中的に排除できた。

しかし江沢民の影響力がまだ強い軍の強硬路線は収まらず、胡錦涛をあざけるかのように日本海域と領空侵犯を繰り返した。胡錦涛の軍権は、曖昧だった。江沢民派が後ろで操っていた観測もなりたつ。

 政局はまた荒れるだろう。
 しかし、いったい日本のインテリジェンス! ハッカー攻撃に無力であると同様に、情報収集さえ、我が国にはなきに等しい実態が改めて浮き彫りとなった。

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 産經新聞が号外まで出していたのは知らなかった。多くの人が「トップから引退した江沢民の死は号外をだすほどのものか!?」と思うだろう。だが支那の権力を巡る「上海派」という見地からはそれだけの政治的重みがあった。結果的に誤報だったわけだが。

 宮崎さんのメルマガを冒頭だけの引用のつもりだったのに全文引いたのは下線部分を読んで欲しかったからだ。日本に対する軍事強硬路線を推進しているのは江沢民率いる上海派であり、次の支那のトップはその上海派の習近平だということ。そしてその習近平と最も近しい日本人?政治家は小沢一郎なのである。
  1. 2011/10/12(水) 09:14:06|
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竹脇無我さんの訃報に後日記

「竹脇無我さんの訃報」に後日記を足しました。最後尾です。
週刊誌に近年の竹脇さんの「講演の様子」が載っていました。その内容に感じたものがあったので記しました。
鬱病を患うまでの竹脇さんと、それを克服しての竹脇さんでは、見えていた人生がまったくちがったのだと感じました。
竹脇さんの人生は、「15歳でお父さんを失うまで」「それを引きずりつつ、48歳で鬱病を発症するまで」「闘病期間を経て、それを克服した50代後半から亡くなるまで」のみっつに分かれると思います。
栄誉栄華は20代半ばから48歳までの役者生活にあるわけですが、週刊誌に収録された講演を読んで、晩年に、もうひとつの満ち足りた時間があったのだと感じました。それは15歳までの愉しい子供時代に匹敵するものだったでしょう。人生の悲喜を経験しているだけに、子供時代よりもっと充実したしあわせな時間だったろうとも思います。精神的な充実感は、美男俳優として売れっ子だった時代よりもむしろ晩年のこののんびりした時間の方が大きかったのではないでしょうか。なにしろ心に一点の曇りもなかったのですから。

親の自殺は子に影を落とします。子のために、親は自殺してはならないと、あらためて思いました。
  1. 2011/08/30(火) 06:43:04|
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竹脇さんの訃報に附記

「竹脇無我さんの訃報」に「過去の竹脇さんに関する文章」を追記しました。根強いアクセスがあるのは知っていましたが、自分でもどこに書いたかわからなくなっていたので整理できてよかったです。あらためて、竹脇さんのご冥福を心からお祈りします。
  1. 2011/08/23(火) 08:47:50|
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竹脇無我さんの訃報──あのころの思い出

15時半、読売新聞の速報で竹脇さんが亡くなったのを知る。
今朝、倒れて運び込まれたと知った時から不安になり、何度もニュースを確かめていた。

《21日午後2時5分、小脳出血のため死去した》とあるから、私が倒れたのを知り、なんとか持ちなおして欲しいと願っていたときにはもう亡くなっていたことになる。もう昨日、亡くなっていたのだ。

FM東京で7年半ほどお仕事をご一緒した。
私が竹脇さんの名前と顔を覚えたのはTBSの朝の番組「ヤング720」だった。関口宏の名前と顔もこのときに覚えた。私は田舎の高校生だった。
関口宏は俳優佐野周二の息子と知っていたが竹脇さんは、さすがに名アナウンサー竹脇昌作は知らないので、なじみがなかった。

中学高校の頃、田舎で「だいこんの花」を見ていたので、初めてスタジオでお会いしたとき、目の前に本物の竹脇さんがいるのが不思議だった。ほんとに美男子だった。声もよかった。でも親しくなってあれこれお話すると、お父さんのことを引きずっていて、どこか淋しげなひとだった。それがまた魅力になっていた。

竹脇さんがナレーターで、私が原稿を書いた。二週間分を一度に録るので月に二回の録音だった。
そのあとはいつも飲みに連れていってもらった。六本木が多かった。おおきなベンツに載せてもらえるのが嬉しかった。
サウナにもよく行った。
カラオケのおはこは「思い出のグリーングラス」だった。声がいいし、うまかった。
当時はカラオケでなく生ピアノの伴奏だったが。



中国で「姿三四郎」が放映されて、大人気だとかで、竹脇さん一行が中国から招待されて出かけたことがあった。私は当時まだ中国に行ったことがなかった。帰国してからの竹脇さんと付き人との中国思い出話がうらやましかった。あのころの私は中国四千年の歴史に憧れていた。何十回も行ったいまはもう大嫌いで、可能な限り行きたくない国だが、当時はそう思っていた。

テレビドラマの「姿三四郎」と言えば、私には小学生の時に見た倉丘伸太郎のものが竹脇さんのよりも印象深い。だいたいこういうものは最初の時が印象に残る。そもそも「姿三四郎」なんてのは必殺技が炸裂する荒唐無稽なこども向けのドラマだ。
いま調べると倉丘版は1964年、竹脇さんのは1970年になる。竹脇さんの姿三四郎の時、私はもう高三から大学だから、いまさら荒唐無稽な柔道ドラマでもなかったのだろう。あまり印象にない。

そのこと(「ぼくは姿三四郎というと倉丘伸太郎ですね」)を言ったとき、竹脇さんにイヤな顔をされた(笑)。そんなことはそれまでもそれ以後もなかったので印象深い。つまり竹脇さんにも「姿三四郎はおれだ」という無我ならぬ強烈な自我があったことになる。



ご自宅におじゃましたこともある。奥様にもお会いした。まだ離婚前だった。
明治座にもゆかせてもらった。楽屋へ入れてもらった。
このとき共演した十朱幸代と不倫して家庭がぎくしゃくする。
京都の太秦撮影所にもおじゃました。それまでにも競馬の取材で京都はたびたび訪れていたが太秦は初めてだった。あれこれ物珍しく楽しい体験だった。京都ホテルに泊まって夜は飲みに出かけた。

でもいちばんの思い出は何度も行ったプロレス観戦か。
竹脇さんは全日派だった。これは人柄とも合っている。大口をたたく猪木ではなく慎重派の馬場ファンだった。
全日の百田義浩さん(力道山の長男)と一緒にアイスホッケーチームをやっていた。録音の後、品川スケートセンターでの練習があり、それを見に行ったことも何度かあった。

(追記・いまターザン山本のブログを読んだら、「竹脇さんだが私の友人によると、全日本プロレスの東京都体育館の控室で今はもう亡くなった力道山の長男、百田義浩さんと親しくしゃべっているシーンを見たというのだ。ええ、竹脇さんもプロレスファンだったのかあ」とあった。あいかわらず雑でいいかげんな書きかただ。私はこういう伝聞ではなく実体験のみ書いている。)

プロレスの思い出で強烈だったのは「デビュウ戦を控えた輪島の控室におじゃましたこと」だ。報道陣もシャットアウトの控室に竹脇さんの顔で入れた。
タイガー・ジェット・シンとのデビュウ戦を控えた輪島を、酒も煙草も女も断って練習に励んでいると東スポは伝えていたが、目の前の輪島は指が焼け焦げるのではないかと思うぐらい短くなった煙草をスッパスッパ喫っていた。緊張していた。横綱にまで登りつめたひとでも、プロレスのデビュウ戦はあんなに緊張するのかと知った。国技館で見る輪島はいつも遙か離れた土俵の上だったから、あれが最も輪島を身近に見た体験になる。同じく控室に入っていた金田正一がなんやら声高にしゃべっていた。

竹脇さんが私の事を馬場さんに紹介してくれて、「このひとはねぇ、ほんとにもうプロレスが大好きなんですよ」と言ったら、ニコっと笑った馬場さんの顔が思い出深い。あれはほんとうにプロレスが好きなファンに向けられたものだ。



竹脇さんが鬱病を患うのはお父さんが自殺したのと同じ49歳のときだったらしい。私がお仕事をご一緒したのは竹脇さんが三十代末から四十代半ばにかけてだから病気の時期は知らない。
お父さんの自殺はいつも引きずっていた。お父さんの自殺を知らされたのは青山学院の高校生のとき。授業中、先生から呼び出されて告げられたとか。
そのときのことをポツンと話してくれたことがある。経験したものにしかわからないと、さびしげな、厳しい横顔だった。

鬱病で苦しみ、それを克服した後は、鬱病のことやお父さんのことも含めて、全国で講演していたとか。六十歳近くになってからか。ふっきれたあとは、欝病に苦しむひとの力になりたいと思ったのだろう。
今回どこかで読んだ記事(スポーツ紙)に「本当は毒舌家なのに二枚目を演じねばならないことからストレスがたまり、欝病を患った」とあったが、それはちがう。穿ちすぎだ。ふだんでも二枚目だった。

欝病の原因はそのまますなおに「自殺した父の年齢にちかづいてゆく恐怖」だろう。肉親を自殺で亡くしたひとはみなこの思いに囚われる。年々「後三年で、後二年で」と意識し、「いよいよ来年はおやじが自殺した年だ。おれはだいじょうぶだろうか。自殺しないだろうか」と強迫観念に囚われる。竹脇さんもいつもそのことを引きずっていた。親が自殺することがいかに後々までこどもの心を傷つけるかと、その残酷さをしみじみ思ったものだ。私の知っている三十代後半の時からそれを意識していたのだから、いよいよ迫ってきたときの苦しみはたいへんなものだったろう。



竹脇さんに講演の依頼が来た。女子大からだ。その初めての講演の原稿は私が書いた。竹脇さんが四十代になってすぐだった。
初めての講演だったので、私の書いたものを手に、いわば読み上げるようなもので、講演にはなっていなかった。女子大は学生に講演の感想レポートを提出させた。竹脇さんがそれのコピーをくれた。元原稿と女子大生達の感想文は今も保管している。
何度かそれをやってから、原稿などなくても出来ると素手で登壇したら、なにもしゃべれず絶句してしまったことがあった。
これは京都のホテルでの講演だった。私も京都まで出かけていた。会場でヒヤヒヤしながら見ていた。それでもう懲り懲りと竹脇さんは講演の依頼は受けなくなった。

そんな人前でしゃべることなど苦手なひとだったのに、鬱病を克服してからは、明るいキャラとなって、父の自殺や、そのことを引きずって鬱になり、死のうと思ったことも冗談交じりにして、たくさんの講演をこなしていたらしい。自分と同じ悩みをもつひとを救いたいという使命感だったのだろう。
「笑っていいとも」のテレフォショッキングに出たのを見たのが最後になった。あれはもう何年前だろう。明るいキャラになっていておどろいた。



実際にお会いした最後は、竹脇さんの付き人の結婚パーティだった。これは竹脇さんと同じく森繁ファミリーだった松山英太郎さんがサプライズで仕掛けたもので、新郎がそれに感動し大泣きしてたいへんだった。松山さんはこのあと急逝する。
森繁さんは、奥さんや息子さん、そして松山さんのようにかわいがっていた後輩にも先立たれている。竹脇さんが森繁さんを見送ったのは救いだ。

森繁さんをじつの父のように慕っていた。でも欝病で苦しんでいたときは、その森繁さんさえ忘れていたと記している。テレビで見て「あれ、このひと、誰だっけ、たしか知っているひとだけど」と思ったのだとか。病の深さが感じとれる。
自殺でないことが救いになる。

今夜は竹脇さんに献杯しよう。

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【附記】 16.23──もう葬儀は済んでいた

いまニッカンスポーツの記事を読み、亡くなったのが昨日21日の午後2時とは知っていたが、すでに今日22日に、密葬の形で葬儀も済んでいたと知る。

【附記.2】16.47──向田さんと同じ命日

今日は向田邦子さんの命日だ。あの台湾の旅客機での死。「だいこんの花」のころはまだ放送作家だった。後に作家に転身してすぐに直木賞を取る。
私は向田さんのファンだったので、竹脇さんによくその話をねだった。
「森繁のおやじのことだから、一回ぐらい手を出したかもしれないな」なんて言って笑ってた。
同じ日に亡くなるなんて……。



【附記.3】──過去の竹脇さんに関する文章──8/23/am:8.30

昨日、午後3時に竹脇さんの死を知り、急いで書いてブログをUPしたのが午後4時だった。
今朝、昨日のアクセス数が私にしては記録的であることを知る。それはアップしたのが早かったからだろうと解釈した。読売新聞の速報で報じられたのが午後3時前だから個人ブログの文章としてはかなり早かった。Googleのライブドアブログへの反応は即座だ。アップしてすぐに検索にあらわれる。だからこの文章「訃報」にアクセスがあったのだと思った。

でも今調べるとそうじゃなく、以前書いたものへのアクセスだった。そして今までにもその文章に長く確実にアクセスがあったことを知る。多くの竹脇さんのファンがお名前から検索して私のブログに来てくれていたのだろう。竹脇さんの根強い人気がうかがえる。「自殺考」のような楽しいテーマでなかったことを申し訳なく思うけれど。
でも上にも書いたけれど、「本当は毒舌家なのに、それとは反する二枚目を演じることがストレスとなり」という解釈は嘘だともういちど強調したい。ふつうに二枚目だった。竹脇さんを苦しめたのはお父さんの影だ。

せっかく多くのかたがアクセスしてくれるのに、竹脇さんのことを書いた文章がどこにあるのか自分でもわからなくなっていた。日附も。
それで「木屑鈔 竹脇」でGoogle検索し、以下にまとめた。やっていることが逆になっている。でもそれが出来るのだから便利な時代だ。
2年前、「自殺考」の最初で取りあげた前原さんがいま、総理大臣になろうとしている。

自殺考・前原さんの表情──2009/11/2

自殺考2・竹脇無我さんのこと──2009/11/19

竹脇さんとプロレス──2011/6/17


これらの文章を読み返してみたら、私が竹脇さんと番組をご一緒した期間が、7年、7年半、8年とバラバラなのに気づいた。なにしろ昭和末期から平成始めのころだからもう古い。たぶん7年と10カ月ぐらいが正解だと思う。8年目を前にして突然の打ちきりとなり、竹脇さんも私も憤然としたのを覚えている。もっともっと長寿番組にする気でいたから。

私はいまテレビがない。見られないし見る気もないのだが、今日は特別と先程携帯電話のワンセグでテレ朝のワイドショーを見た。同居していた女性が声だけで登場し、もうお酒も飲まず、定期検診も受けていて、とても健康体だったと語っていた。脳梗塞による突然死だったようだ。せっかく長年の欝病との闘いから復活したのに、67歳は早すぎた。でも苦しまなかったのはよかった。脳梗塞で眠るようにスッと行くのはわるい逝きかたではない。むしろ不随になってリハビリで苦しむ方がたいへんだ。

若いときの映像を見ると惚れ惚れするような美男子だ。今時のジャニーズ系とかがいかに貧相であるかがよくわかる。
昨夜は独酌で献盃をしたので今日は頭が重い。ご冥福をお祈りします。森繁先生とおいしいお酒を飲んでください。

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【後日記】──同居していた女性は恋人なのだろうと解釈し、最初に書いたとき、「同居している女性」のあとに(恋人)と入れた。が、テレビで「親戚の女性」と報じていたので、勘違いを恥じて急いで削除した。しかし後に近所のひとに「女房です」と紹介していたこと、「(自分には)娘がいるので入籍はしないけど」と言っていたことを知る。四十代のひとらしい。テレ朝の伝えた「親戚の女性」って誤報は何だったのだろう。「娘のことを思って」は、竹脇さんの長女は40になるから、娘と年の近いひととは再婚しないということなのだろう。

竹脇さんが倒れたのは、この女性と同居していた大田区の家だった。私がおじゃましたことがあるのは世田谷の豪邸だ。そこは離婚した奥さんに渡し、大田区にちいさな一軒家を購入して、そこでしずかに暮らしていたとか。
すっかり健康体になった竹脇さんが脳梗塞で倒れて、ふつうなら復帰できる程度のものなのに、そのままあっけなく逝ってしまったのは、糖尿病による血管の脆さが原因らしい。糖尿病は怖い病気だ。全身をおかす。これからますます怖い病気として注目されるだろう。



【後日記.2】──週刊誌に竹脇さんの講演の録再が載っていた。父の自殺や自分の欝病体験とともに、離婚にいたる女関係も赤裸々に語って笑いを取っていた。テーマはただひとつ「死んではいけない、生きていればなんとでもなる」である。

そこに「一時は女房以外の女と三人もつきあっていた。周囲にはもっと多くの女とつきあって、うまくやっているひともいる。だから自分もやれると思っていた。でもそうじゃなかった。それが苦痛になっていった。自分は女房ひとりでよかったんだ」というようなことを語っている部分がある。

その通りだと思う。でもこれは以前なら絶対に出てこないことばだった。欝病を乗りこえてからの竹脇さんは、あたらしい人生を掴んでいたんだなと感じた。
金も力もある色男だから女はいくらでも寄ってくる。簡単にそうなることが出来る。しかも相手はひとも羨む美女揃いだ。それは男の本懐である。

だが竹脇さんの本質はそうではなかったように思う。女好きでもないひとが漁色家ぶるように、酒に弱いひとが酒豪ぶるように、そういう「破滅」を願って無理をしていたのだと私は解釈している。女の話をしたことはない。そういう店にも行かなかった。男同士でわいわいやることが好きなひとだった。私もそうだったから楽しかった。ただ十朱幸代とだけは明治座の楽屋に行った時、デキてるのがすぐにわかったけど。

週刊誌では根本りつ子とのことを語っていた(正しくは、語っている講演が収録されていた)が、浮気相手はみなドラマや舞台で共演した連中だ。手ごろに見繕っていただけだ。竹脇さんはちっともスケベじゃなかった。ただ、役者として、そういうことをせねばならない、そういうことをするのが役者だと、自分に無理強いしていた感じがする。
じゃあなぜそんな無理をしたのかと言えば、それもまたお父さんの自殺からだろう。自分は落ち着いた家庭の子煩悩な父親であってはならない、あるはずがない、そんなことをしていても、いつか必ずそんなものは壊れる、壊れのだから護らない、という堂々巡り。どうせ俺もその内、おやじと同じく……。という恐怖がいつもまとわりついていたのだ。

講演で、「複数の女と不倫していたけど、自分はそんなタイプではなかった。女房ひとりで十分だった」と語っていたと知り、あらためてそう思った。
それは父の自殺したのと同じ49歳から鬱病になって苦しみ、それを吹っ切ったあとに初めて見えた青空である。15歳の時からずっとまとわりついていた黒雲が、やっとすっきり消えたのだ。美男俳優として売れっ子になり、高収入を得て、美女と浮名を流しても、いつもその黒雲がつきまとっていた。平穏な日々はなかった。一年一年、父の自殺した49歳に近づいてゆく恐怖。そこから病み、それを吹っ切ったあとの時間は、それまでとは景色が違っていたろう。

晩年は事務所の後輩連中から「無我爺(ムガジー)」と呼ばれて慕われていたと聞いた。
娘さんが最後を看取り喪主を務めているから、離婚したけど父娘関係は良好だったのだろう。
住まいの近所の人とも気さくに話して評判も良かったと報じられている。

せっかく見えた青空との時間がすくなかったのが惜しまれるが、最後の何年間は心から一切の黒雲の消えたいい時間だったろう。
講演を収録してくれた週刊誌に感謝したい。そこには私の知っている影を背負った竹脇さんとはちがう明るい竹脇さんがいた。(8/30)

---------------

【附記】10/10──竹脇さんからもらった服

私は竹脇さんから服を二着もらっている。外国で買ったという防寒着とバーバリのコートだ。もう20年もまえのものだけどいまも大切にしている。新品ではない。竹脇さんのおさがり。だから大事にしている。ともに高級品だ。

防寒着はボタンが取れてしまったのと、私がすこし太ったのできつい。竹脇さんが私にくれたのも、竹脇さんが太ってきつくなったからだろう。
でもボタン以前にこれは外が皮、内がボアのすごいやつで、寒冷地で着るものだ。日本でこれを着て電車に乗ったりしたら大汗をかいてしまう。それでいまは上掛けにしている。冬場、TVを見ていて、ちょっと寒いようなときにお腹に乗せたりする。そのまま眠ってしまっても寒くないほどだ。

バーバリのコートも高級品。私はめったにスーツを着ないので(もう何年も着ていない)、それに合わせるコートも着る機会がすくなく、いまも新品同様だ。これからも大切にしよう。私にとっては竹脇さんの遺品になる。

あ、思い出した。外国からのお土産でFilaのポロシャツをもらったこともあった。でもこれは私はポロシャツを着ないし、水色のあまり好きなものではなかったし(すみません)、竹脇さんが着たものでもないから大事にせず、いつしか処分してしまった。免税店で関係者用のお土産にどんとまとめて買ったのだろうけど、それでもよくまあ私なんかもそのメンバーにいれてくれたものだ。ぶっきらぼうだけどやさしいひとだった。当時を思い出すと涙が出た。鬱病を克服してからの竹脇さんに会いにゆき、もらった服をいまでも大切にしていると伝えたかった。
  1. 2011/08/22(月) 16:06:29|
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