青梅市──あおうめ市、こくりつ市、まいかた市、ふくせい市、のこと

●あおうめ市のこと──4kディスプレイ話の補足

「4kディスプレイ話」の冒頭で、思い出したくもない大嫌いな国立市について説明している。敢えて書いたのには理由がある。



 今年三月にインターネットプロバイダをniftyからBIGLOBEに替えた。しかし以下のオペレーターの話はniftyでもBIGLOBEでもない。niftyをやめると決めてからBIGLOBEに落ちつくまで、ネットで調べたいくつかの会社とのやり取りがあった。そこでのひと幕である。GMOとかSo-netとかそのあたりだったか。

ome 

 その女オペレーターは、こう言ったのだ。
「それではお客さまのお住まいの地域が、WiMAX2に対応しているかどうかお調べします。ご住所は東京都あおうめ市
「あ、おーめです」
「は? 東京都あおうめ市」
「いえ、あおうめとと書いておーめと読みます」
「はい、東京都あおうめ市」

(続き) ●「あおうめ市」のこと
  1. 2017/07/26(水) 05:35:00|
  2. 生活

生活記──私はシャイだった──目玉話──斜位


 2016年の暮れ、「眼鏡市場」にパソコン用の眼鏡を作りに出かけた。
 春先から目の調子がわるい。いまの私には深刻な悩みだ。とはいえ、十時間ぶっつづけでPCに向かっても平気だった目玉が、一時間半ほどで疲れてしまい、細かな文字が二重にぶれてきて、休まねばならない、という程度の状況であり、すこし休めばまた再開できるのだから、これぐらいで泣き言を言ってはならないのだろう。しかし人間は健康なときの状態を常とする。かつての自分を思えば今のそれが不満でならない。

 私なりになんとかこの不調から脱出したいと、調子がよかったときのことを思い出しては解決法を模索している。
 八年前に作り、三年前にレンズが傷だらけになって廃棄した視力0.3に設定したパソコン用眼鏡があった。あれが快適だったことを思いだし、また作ってみようかと思った。この辺、溺れるもの藁をも掴むの心境である。目の問題でありメガネを新調しても解決にはなるまい。わかっていても、「あのメガネを使っていたときは快調だったな」の思いがあるから、すがりたくなる。「メガネのパリミキ」というところで作ったのだった。
 今回は、二年前に作り先日まで使っていたメガネを購入した「眼鏡市場」に行くことにした。「パリミキ」で作って快適だったのだからそこに行くべきなのだが、なぜちがうところに行くのかと言えば、値段の問題である。パリミキは高い。眼鏡市場は安い。この辺、手段としてまちがっているのかもしれないが懐事情もある。できたものが気に入らず、「やっぱりパリミキにすればよかった」と悔いないといいのだが……。

続き──私はシャイだった──目玉話
  1. 2017/01/13(金) 07:29:00|
  2. 生活

訃報──プミポン国王逝去

タイのプミポン国王死去 88歳、国民から敬愛

 【マニラ=吉村英輝】ロイター通信によると、タイのプミポン・アドゥンヤデート国王が13日、首都バンコクの病院で死去した。88歳だった。
 1946年に国家元首として即位して以来、国民から深い敬愛を集めてきた。また、タイの経済発展に貢献し、政治混乱の局面では調停役として采配をふるうこともあった。
 在位期間は70年以上に及び、存命する世界の君主の中で最長だった。

 国王は2014年10月に胆のうの摘出手術を受けて以降、大半を病院で過ごしていた。
 この間、肺炎や高熱などさまざまな症状が出て、今年6月には心臓の手術も受けていた。

 王室は12日、国王は血圧が低下して心拍数が上昇し、肝機能に異常があり、「依然不安定な状態」と発表。
 ワチラロンコン皇太子やシリントン王女ら王族が病院に駆け付け、多くの国民が病院敷地に集まって回復を祈っていた。(産經新聞より)

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 国民すべてから敬愛された偉大な国王だった。
 タイでは、朝夕に国歌が流れる。みな直立不動で聴きいる。
 映画館でも上映の前に国歌が流れる。全員起立して聞く。異国人が戸惑う。最初、戸惑ったひとりだ。

 国王と国民のありかたが美しかった。
 国歌斉唱の際に、起立しない、歌わない、教師にそう教えられた、そういうことでゴタゴタしている日本から見ると、うらやましい関係だった。

 だがタイ王国にも問題はある。後継者は国民からの支持を得ていない。

 心からプミポン国王のご冥福を祈ると共に、あれほど敬愛された国王の逝去時にタイにいられなかったことを残念に思う。これほどのタイ人のかなしみに触れることは今までもこれからもないだろうから。
  1. 2016/10/14(金) 05:53:00|
  2. 生活

ギター楽譜にメモ──ドウカンヤシマの思い出

ギター楽譜の奥付に購入日と店のメモがあった。なぜか「ドウカンヤシマ出走取消の日」ともあった。
なんにでもメモを残していた父を思い出した。

●ギター楽譜のメモ
  1. 2015/12/08(火) 06:21:28|
  2. 生活

友達話──ふたりのHさん

 日が長くなった。夕方は18時半になってもまだ明るいし、今朝はまだ6時前なのにさんさんと陽光がふりそそいでいる。
 いまBGMは「Jazzで聞くクラシック」。ドビュッシーの「夢」、グルックの「精霊の踊り」が流れている。

jazz classic



 昨日、バイト仲間のHさんというかたと知りあった。私より5歳年長。グループサウンズ(笑)の話がきっかけとなり、音楽話に花が咲いた。年輩者なのに休憩時間にはずっとイヤフォンを耳にしているので、なにを聞いているのですかと問うたのが始まりだった。いま小型mp3プレイヤをシャツのポケットに入れ、あれこれ聞きまくっているという。いわゆるオールデイズをYouTubeからDownloadしてためこんでいるらしい。パソコンは初心者だが娘に教わってそれぐらいは出来るようになったとか。

 仕事のあと、喫茶店に誘われて話しこんだ。喫茶店文化と縁が切れて長い。若いときはハシゴまでしたものだが……。
 Hさんは喫煙者なので、タバコを喫える店を探すのに苦労していた。場所は吉祥寺駅前。いまは禁煙の店が多いようだ。ある店──有名なチェーン店なのだろうが興味がないので名前を忘れた──に3フロアあり、その三階が喫煙席だった。そこに入る。



 私はひとに意見するタイプではないが、Hさんのノートパソコンは、OSのあるCディスクだけのようなので、パーティションを切ってデータ用のDディスクを作ったほうがいいですよと伝えた。いまのままだとOSがクラッシュしたときに、せっかく集めた音楽データも消えてしまう。Dディスクを作っておけばOSクラッシュとは無縁である。思えばWindows95のころから、このことだけは熱心にやってきた。Hさんは、HDDにパーティションを切るというあたりはまだチンプンカンプンのようで、すこし難しすぎたようだ。三ヵ月に一度帰ってくる娘に教えてもらうと言っていた。娘さんからもらって覚えたノートパソコンのようだ。

 じつはこのあとおもしろい展開になった。それはまた後日書くとして先を急ぐ。
 Hさんとの話がたのしかったたので、昨日の晩酌は奮発して、うなぎの蒲焼きで菊水ふなぐちを開けた。私のようなのが喰える蒲焼きはスーパーで売っている程度のものだ。しかしそれでも高い。安いのもある。でもそれは中国製。パソコン部品、衣類、文房具等、中国製品と完全に縁を切ることはもう不可能だが、それでも食い物だけは口にしないようにしている。アブナイからだ。日本製は中国製の倍の値段だから、たかがスーパーの蒲焼きでも、私にとっては贅沢になる。気持ちよく酔って就寝。

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 いつも21時就寝、3時起きなのだが、昨日はHさんとの喫茶店があったので時間がずれ、23時就寝、今朝は5時起きになってしまった。
 PCを起動すると、このブログに掲載しているアドレスにメールが届いていた。これまた偶然に同じ苗字のHさんから。

 Hさんは私が「亀造競馬劇場」という競馬小説本を出したときに手紙をくれたかただ。何度か手紙のやりとりをした。手紙のやりとりがもどかしかったのか、Hさんに「パソコン通信をやってみませんか」と誘われたことを思い出す。Hさんはすでにやっていた。私もパソコン好きだからそれは知っている。しかしこのブログにも何度か書いているが、私は見知らぬひとと知りあうことに興味がない。ましてそういう場でのディベートなんて大嫌いだ。当時から競馬関係のそれは充実していて(それだけリクツ好きが多いジャンルなのだろう)、理想の血統等をああでもないこうでもないとやっているのを知っていた。係わりあいたくない。私はパソコンと電話線を繋ぐことを嫌った。私のパソコンはスタンドアローンでいい。いまじゃもうインターネットと繋がっていないとactivationが出来ず、購入したソフトを使うことすら出来ない時代だ。「パソコン通信」というコトバから、いつの時代の話かがわかる。

 そのHさんが、私のこのブログを偶然見つけ(どのようにして見つけたのかはまだ聞いてない)メールをくれたのだ。20年ぶりか? いまバンコク在住だという。たしか静岡のかたと記憶しているが。

 気持ちのいい昨日の夕に続いて、気持ちのいい今日の朝になった。



【追記】──バンコク在住となったHさんが、最近はすっかり競馬とは疎遠になっていると書いていたので、JRAのサイトにある私の文章「競馬クロニクル」「競馬を愛した人々」「名馬の肖像」のURLを紹介した。その日、早速読んでくれたらしく、ひさしぶりに読んだ私の競馬文章がなつかしく、とてもよかったと感想をくれた。ありがたいことである。

 さて、バンコクのHさんにこれからメールを書き、日本のHさんから聞いたおもしろい話をネタとしてブログに書こう。
  1. 2015/05/14(木) 06:52:41|
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さつき冷えの朝──天皇誕生日に開催されていた天皇賞のころ

先日、早くも「今年最初の真夏日」が記録された。もう初夏のように暑く、でもさわやかな日だった。

今朝、いつものよう3時に起床し、窓を開けたら風が涼しいのでおどろいた。寒いほど。すっかり夏の恰好になっていたので震えあがり、すでに洗濯して畳み、しまう予定だった厚地のジャージを履いた。この時期、まだまだ気温変化が激しい。
窓辺の温度計は14度を指している。十分寒いと言える温度だ。

梅雨冷えのころ、老父母がこたつに火を入れていたのを思い出す。



連休に「五月晴れ」の文字が躍る。五月晴れは「梅雨の合間の珍しい晴れ」のことだが、いつしかすっかりこの時期の快晴をさすことばになってしまった。
芭蕉翁の「五月雨をあつめてはやし(すずし)最上川」の五月雨も梅雨のことだ。
旧暦のことばを新暦で解釈するから生じる齟齬だが、ことばは時代と寄りそってゆくものだから、これはこれでいいのか。



昨日は春の天皇賞。
思えば、以前は昭和天皇の誕生日である4月29日祝日に開催されていた。1989年が最後か。もう25年経つ。一応競馬歴25年以上でないと体験していないことになる。そのとき二十歳だとしても45歳以上か。それに参加できたことを、今は懐かしく誇りに思う。水曜日であれ金曜日であれ、あのころは4月29日の祝日に春天は開催されていたのだ。
と書くと嬉々として参加していたようだが、当時の私にはむしろ「競馬は土日」の感覚が強く、半端な曜日に開催される春天のそれを奇妙に感じていた。だって土日に競馬があり、また火曜日に天皇賞があったりしたのだから。
今のほうが競馬社会にとってもずっと機能的であり、調教スケジュール等でもすんなり進行している。あの合理的でない部分が旧き昭和の味なのだろう。
「天皇陛下はいいな、天皇賞の日に生まれていいな」という寺山修司の競馬ファンの心を擽る洒脱な言いまわしも遠いものになった。

大好きな田辺のホッコーブレーヴを穴馬としてピックアップしておきながら、エビナ嫌いなのでフェノーメノを頭におけずハズしてしまった。たったそれだけで21万馬券を逃しているのだから競馬に好き嫌いがあってはならないとあらためて思う。3連単のみで3連複は買わなかった。簡単に取れた3連複380倍だった。悔いる。皐月賞も同じく。エビナ嫌いには辛苦の日々が続く。

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上を投稿したのが5月5日のam4時半。

5時18分に地震。
関東の人間は地震慣れしている。ふつうの地震にはおどろかない。地震慣れしていない関西人は、初めて関東人のそれを見たとき「無理をしている」「不自然だ」と感じるらしい。学生時代、大阪出身の友人がしきりにそれを口にしていた。しかしこどものころから慣れているから無理はしていない。地震のほとんどない国から来た人にとっては、地が揺れるというのは、文字通り驚天動地の衝撃だろう。

比較的地震につよい関東人の私だが、今朝のそれはひさしぶりにびびるものだった。PCに向かっていた。揺れ始めて「これは大きいぞ」と思ったが、その後治まるどころかさらに激しくなってきたときは思わず立ちあがり、いよいよ最後の日が来たのかと覚悟した。この「あまりの揺れに思わず立ち上がる」は、ここ二年ほど記憶にない。

大震災以後、ここまで恐怖を感じた大揺れは二度しかない。いかに大きな揺れだったことか。千代田区が震度5でいちばん大きいそうだが、この辺の西東京はもっと揺れたのではないか。とても不気味な揺れだった。 
死ぬのかと思ったら妻子のことを思った。死を意識したときあいたいと思う存在があるのはしあわせなことなのだろう。 


  1. 2014/05/05(月) 04:31:02|
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生活雑記──雪の日──何年ぶりかのガスファンヒーター

 昨日、「明け方から降雪、大雪のおそれ」と予報が出ていた。いい天気だった。青空だった。空気は肌を切るように冷たく、雪を予感させたけど、とてもとても交通機関が止まるような大雪になる天気には思えなかった。
 それでももう「大雪になる」「競馬も中止」と決め打ちをして、土日の二日間分の食糧品を買いこんだ。部屋から出ずに過ごせるように。
 雪見酒の用意をした。東京で年に一、二度の大雪だ。せねばもったいない。なによりありがたいのは週末にかかったことだ。週末に仕事があるひとにはもうしわけないが、「土日でよかった」は正直なところだ。



 いつものよう午後9時就寝。ふと目覚めて午前1時に外を見る。窓を開ける。しんしんと冷えこむ感じはするがまだ降っていない。でも空気がキリキリ冷えこんでいるのがわかる。

 午前6時、起き出すと見事な雪化粧となっていた。近年の天気予報の的中率はすごい。

 今年二度目の降雪。このあとも降りつづき大雪になるらしい。粉雪が舞っている。
 昨日、「もしも明日が大雪の土曜日になったら」と期していたことがあった。
「ガスファンヒーターを点けるぞ」と。
 ひと冬一度の贅沢だ。



 全体暖房なしで何年もやって来た。
 といって無理はしていない。ここの前に住んでいたマンションは〝コンクリートの棺桶〟みたいなひどい部屋だった。夏はクーラーを、冬は丸一日ガスファンヒーターを点けていた。ないと過ごせなかった。知人の紹介で入ったが地獄だった。思い出したくもないイヤな記憶だ。

 自力で見つけた温室みたいな今の部屋に越してきてからはその必要がなくなった。今どき珍しいクーラーのない部屋だったので、夏は午前中から水風呂に入らねばならないぐらい暑かったが(そういう越夏も楽しかった)冬は暖房いらずだった。さすがに真冬、午前3時起床の時はそこそこ涼しい(笑)が、それでも11度はある。足温器で足を温めると熱すぎるぐらいになる。手を摺り合わせつつデスクトップ機に向かう。そんなほどよい寒さが好きだった。何年も続けている。もちろん厚着などしていない。不細工に厚着するぐらいならすなおに全体暖房をする。その必要がないのだ。



 今朝も起きたときは12度あり、いつもの温度だった。寒くはない。それでも予定通り〝贅沢〟をすることにした。
 窓の外の雪を確認して、押し入れからリンナイのガスファンヒーターを引っ張りだす。買ってからほとんど使っていないので段ボール箱に入ったままだ。ひさしぶりのご対面。新品同様。
 20度に設定してスイッチオン。

 いま室温は16度。「おお、16度とはこんなに暖かかったのか!」と感激(笑)。
 BGMはインターネットラジオのJazz Groove com。タイミングよくJoe Sampleの「Stormy Weather」が流れている。べつに嵐じゃないけど。
 窓からかろやかな粉雪の舞いが見える。



 文化生活?の贅沢さは、夏に涼しい部屋で暖かいものを食べたり、真冬に暖かい部屋で冷たいものを飲んだりすることにある。品川時代の冬、ガスストーブで室内を暑いほどにして、冷たいビールを飲むのが好きだった。ガスストーブのオレンジ色の炎とサッポロ黒生を今も覚えている。都落ちして、ここのところそんな贅沢は完封してきた。
 こたつの火を入れることさえないほど暖かい部屋にいるが、さすがに寒い夜にはお湯割り焼酎のように温かいものを飲む日が多くなっていた。
 今日は舞い散る粉雪を見つつ冷や酒でも飲もう。暖かい部屋で。



 雪の日だからと「snow」の附く曲を調べてみた。Media Monkeyで検索をかける。35000曲入っている私のHDD内にタイトルやアルバムにsnowとある曲は46曲ほどのようだ。
 FusionではFourplay、Al Di Meola、Rippingtons、Larry Coryell、ゴンチチもここか。VocalでEnya、Natalie Cole、Michiel Buble、Easy ListeningでPaul Mauriat、CountryでChet Atkins、ClassicだとDebussyの「The Snow is Dancing」になる。というか私はClassicでsnowに関係ある曲はこれしかもってないのだろうか。あ、Mussorgskyの「Snowdrop」があった。「展覧会の絵」の中の一曲か。「展覧会の絵」というとELPを思い出すひとが多いのだろうが今私はあれはもっていない。レコードでもっていて処分してしまった。挑戦は果敢であり評価するがどうせ聞くなら本物のほうがいい。あれは「Rockでこんなことも出来る」というマイルストーンだった。というのが私の解釈。ところでRockのジャンルには一曲もないがどういうことなのだろう。Rockで「雪」の附く名曲。なにがあるのだろう。何千曲ももっているのに一曲もないのか。



 今日は雪見酒をしつつ、音楽は「snow」づくしをしよう。
 明日、都知事選の投票に行く頃はどんな天気なのか。
  1. 2014/02/08(土) 07:34:31|
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10月12日雑感──真夏のような暑さ──身辺雑記

休まず毎日書いてくれとメールを戴くが、テーマを決めて、ある程度まとまった文章を書くのが自分のスタイルだと思っているので休みがちになる。でも急かされたので身辺雑記を。これでいいのならいくらでも書けるのだけど。

将棋について書いてくれとリクエストも戴くのだが、今その気になれない。書く気はないが「なぜ書かないか」は書かねばならないと思っている。



暑い。今日など「秋晴れの好天」を通りこして、「真夏が戻ってきたよう」。肌が焦げる陽光だ。異常である。10月半ばの天気じゃない。
今年はとんでもない猛暑だったらしい。居なかったので知らない。昨年まで5年間クーラーのない生活をした。真夏の猛暑対策は朝から水風呂だったりして、それはそれでおもしろかった、と今は思う。昨年またクーラーを設置した。それでも節電や東北のこともあり使ったのは数回だけだった。節電の愉しさをしると癖になる。
今年の夏は、思いきって本来のクーラー大好きにもどってみるかと思っていた。周囲のひとたちが今年がいかに暑かったかと会話しているのを聞くと、自分だけ蚊帳の外で、それはそれでさびしい。思い出とは共通項だ。 



usb32gb
通販で購入した数多くの店からお知らせメールが来る。ある店の目玉はこれ。USBメモリ64GBが3799円。
90年に「USB64MB 12000円」に驚喜した身にはめまいがする。当時の記録メディアの中心はフロッピーディスク。1.4MB。文章の保存容量はキロバイト単位。ちいさいので物書きにはそれで不満はなかったが円盤は読みこみにジーッジーッという音がして時間が掛かる。ケースに入れて持ち運ぶのでけっこう嵩張りもする。なのにUSBメモリは、このちいささで64メガ、フロッピー45枚分。無音。速い。自分が最先端デジタル世界にいるようで、持っているだけでいい気分だった。
時が流れていまこの容量でこの値段。64MBが64GBだから容量は千倍。値段は4分の1。

使う予定はないのだが買うことにする。東芝。寅さんいうところの「一流メーカー製品」。もしかしたらメモリ不足の世となり10万円ぐらいに値上がりするかも知れない。財産になるかも知れない。そんな勘違いからいまだに抜けられない。



大阪のYさんとメール交換。楽しい。すばらしい博学のかただ。
明確な意思をもって生きてきたかたは迫力があるなと感心する。まったくそれのない人生を送ってしまったが、ここまでくると、その「なにもない」を、あるひとに対するアドバンテージ?にするしかないと居なおり中。



そこいら中スマートフォンだらけだ。先進国の話ではない。中共の山奥のおじさんおばさんまで、電気もろくに通っていないところですらみんな画面を指で撫でていた。
あまりに出遅れてしまうと今更近づきがたく、とはいえつい先日も都心に出た際、PCから印刷してきた地図を手にしているのにそれでも迷ったほどの方向音痴なので、ナビ機能には大いに興味がある。さてどうするかとなったとき、折中案で液晶端末を思いつく。といってこれまた今更iPadはイヤだ。だってコンピュータのコの字も知らない知人がみな使っている。以前書いたが、あれは、あの能力を最高級に使いこなす最先端若者(空港で出会う外人に多い。便利なものだなと感嘆する)とは対照的な、「コンピュータは使えないけど、これなら出来る」というおじさんに対して価値があるように思う。田舎のおじいさんおばあさんとか。

asus007
スマートフォンもイヤ、iPadもイヤ、から選択肢はGoogl Nexusに向き、AsusのMemoPadに行きつく。大好きな台湾のAsusだ。前々からマザーボードはAsusだったが、ここのところもうあの「God Bless Japan」の感動もあり、ビテオカード、サウンドカードやらなんなら自作機パーツもAsus一色になっている。それにすることにした。



当面はこの生活雑記で御茶を濁すしかない。毎日がしっちゃかめっちゃかだ。気をつけるのは腰痛。まだまだおっかなびっくり。
  1. 2013/10/12(土) 14:39:25|
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小物話──電動足湯機──焦って買わなくて正解

footbath 足首、足裏が疲れる。このごろは頻繁に攣る。問題だ。エアによるマッサージャーもいいが、電熱の足湯機を欲しいと思っていた。自己流の足湯は何年か前からやっている。適当な容器にお湯を張り机の下に置いていると、冬場はすぐに冷めてしまう。風呂に20センチほど熱めの湯を入れてやると快適だが、バスタブのへりにすわっての読書では座が定まらない。イスにすわり、デスクトップ機に向かいつつ足もとで使用するには専用機が必要だ。

 支那の老人のあいだでこれがいま大流行している。こどもたちがじいちゃんばあちゃんにプレゼントする品として多くの機種が出ている。値段は日本円で2000円前後。まあ「中国製」だから安かろう悪かろうではあろうが。



 ビックカメラで写真のものを見つけた。値段は7900円。すぐにでも買って、帰宅して、使いたくなった。
 その隣に、同じ会社の製品で下級機種の5300円というのがあった。見た目が安っぽい。機能もそうだが、デザインからも、こちらが欲しい。箱を抱えてそのままレジに直行しようと思った。
 しかしグッと我慢する。価格comで調べてからでもいい。もしかして6000円ぐらいのところがあるかも知れない。
 例によって「中国製」だ。支那の日本円にして2000円ぐらいの品をそのまま輸入して売っているのだろう。いや日本のメーカーのブランドがあるから、それとは一線を画しているのか。

 買いたい、すぐに持って帰って、お湯を入れ、ジェット噴流の中に足を浸したい。想像してうっとりする。2000円ぐらい安く買えるとしてもそれが何だというのだ。それよりも今すぐ使えることを優先したい。迷った。後ろ髪を引かれる思いで帰宅し、すぐに調べた。



 最安値で4970円というのがあった。3000円ちがう。あの下級機種よりも安い。この時点では「焦って買わなくてよかった」と思っただけだったが……。

 Amazonのレビュウを読んでおどろいた。読んでよかった。私はかつてここまで悪評の製品を見たことがない。最低の製品とこきおろしているひとたちのレビュウに共通するのは、「振動で水が溢れる、周囲がびしょびしょになる」「溢れない程度の水量では足が浸らない」「音が大きく、マンションで使うのは不可能」というとんでもない批判だった。
 一方、高評価を与えているひとたちのものは、「母親のプレゼント用に買った。まだ使っていない。きっといい製品だろう」という希望的観測である。「まだ使っていない」ひとがレビュウ書いちゃいけないよなあ。それ、レビュウじゃないし。

「音と震動が大きく、階下のひとから苦情が来る」という意見を読んで、しみじみ買わなくてよかったと思った。買っていたら延々とここに私もまた非難のことばを並べるところだった。



 べつにこの種のレビュウを重用しているわけではない。
 誹謗中傷にちかい悪意の意見もあるだろうし、ヤラセの褒め言葉もあるだろう。判断はこちらに任される。

 つい最近のレビュウに「最高の商品を買いました。ほんとに買ってよかった。次回も××社の製品を買いたいと思います」という満点評価があった。
 対して、前記の「水は溢れるわ、音がうるさくて使えないわ、いやはやひどいのなんのって」という評はずっと前のものである。
 とするとやはりこれは、まともな消費者が腹立って批判したのが正当、最近のいかにもわざとらしい誉め言葉は社員?によるヤラセと取るべきだろう。複数のひとが「音と震動がうるさくて使えない。マンションでは階下のひとに文句を言われる」と書く事態は異常だ。



 安いものだしすぐにでも欲しかったが、「通販ならもっと安いかも」と思ったケチな根性で、ハズレを買わなくて済んだ。私はけっこう買い物上手で、ほとんどのものが「アタリ」なのだが、まずこれはまちがいなくハズレだったように思う。長年の勘がそう囁いている。
 ともあれよかった。即座に購入し、いそいそと帰宅し、わくわくしながらお湯を張ってひどい目に遭ったら、商品に対する不愉快さももちろんだが、軽率な買い物をした自分への嫌悪感を引きずる。
 でもそのうち同様の商品は買う。情報を吟味して、なんとしてもアタリを引かねば。
  1. 2013/09/15(日) 12:59:06|
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携帯電話話──携帯電話機種交換──ガラケーからガラケーへ

 数日前、携帯電話の機種を交換した。ガラケーからガラケー。じつに7年ぶりの機種交換になる。(商売柄、きしゅと打つと騎手が真っ先に出てきて変換に手間取る。)
 1990年代から2000年代初頭までは、新型機種が出るとすぐに替えていた。毎年のように。つまりその時期は私にとって携帯電話は最新のモバイルギアとして価値を持っていた。まだそんなに普及していなかったし、90年代は周囲の友人知人でも持っているひとはほとんどいなかった。

 やがて一気に普及し、電車の中でアンチャンネーチャンが携帯電話で声高にしゃべり社会問題になるようになる。あれはイヤだった。あのころから携帯電話を使わないようになって行く。アンチャンネーチャンと書いたら「おっさんおばさんも多かったぞ」と抗議が来るか。非礼なひとに世代は関係ない。
 電車の中での通話が消えたのは、マナーを護る日本人のえらさ、というよりメールの普及だった。一気にメールの時代になり通話は減った。ほっとした。電車の中の光景は、一気にメール打ちになった。これみよがしにしゃべりまくるのを耳にするよりは遥かに気楽だった。



 以降私は気分としてアンチ携帯電話になり、所持は続けたが、凝らないようになった。
 先日、西東京で中央線に乗ったら、1車両の中で、全員が携帯電話を見詰めていたので気持ち悪くなり、降りてしまった。若者ばかりではない。老若男女そろってそれだったのだ。仕込でやっている撮影現場のような異様さだった。その後、都心の山手線に乗ったら、そんなひとばかりではないので安心した。文庫本を読んでいるひともいれば居眠りしているひともいた。やはり洗練されている地域はそれ一色にはならないようだ。

 そういうことを危ういと思う気持ちがあるなら、冷静に、客観的に周囲を見るといい。電車の中で誰もが手元の携帯電話を見ている光景は気味悪いものだ。そういう感覚を持てば、電車に乗った瞬間にスマートフォンを開くことはやめるだろうし、仕事中にくだらんツイートをすることもなくなるだろう。

 昨日、自転車で走っていたら、スマートフォンを見ながら歩いているおばさん(たぶん40代)とぶつかりそうになった。もちろんむこうがわるい。そんなときに声を出すことなどほとんどないのだが、思わず「前を見て歩けよ」と口にしてしまった。おばさんに鬼のような顔で睨みつけられた。



 携帯電話機を捨てるというのはなんだか申し訳ない気がして、歴代の機種をずっと持っている。歴代のそれを見るとデザインの変化がよくわかる。
 捨てられないのには、電話番号が漏れるのではないかという心配もある。そんなこともないのだろうが、すこし気になる。なら破壊すればいいのだが、それが出来ない。まあパソコン用小物収納引きだしでさほど場所を取るわけでもない。もうすこし溜めてみよう。蒐集癖がないから偶然のこういうものがそれなりにたのしい。



 2006年末に今のにして、それからはもう完全に「電話をする道具」と割り切ったので機種交換もやめた。する必要がなかった。
 携帯電話もろくに使いこなせないオヤジと思われるとすこし悔しいので書いておくと、私はすでに90年代にモバイルパソコンに携帯電話を接続して自分のホームページ(当時はそう言っていた。ブログはまだない)にアップしたりしている。 ただし正確に言うと、茨城から石川まで走り、その途中経過をアップしようとしたのだが、長野を始め山岳地帯では当時の携帯電話は電波が通じず、実際は当時出はじめた下部にコネクションのあるグレー電話からのアップだった。

 しかしまた一面において、私が「携帯電話もろくに使いこなせないオヤジ」になってしまったのも事実で、その後出てきたQRコードあたりから私は時代に遅れて行く。2008年ぐらいだったか、インターネットをやっていても、やたら「QRコードを読みこんでウンヌン」というのが増えてきた。それは「インターネットから申しこむか、携帯電話なら、このQRコードを読みこんで」という二者択一だから、私がそれをする必要に迫られることはなかったが、知っていた方が良かろうと、ある日の飲み会で旧知の若者(といっても30になっていたか)にそのやりかたを問うた。そのときの彼のこちらをコバカにしたような表情はいまも覚えている。附属カメラを接写モードにしてという簡単なことなのだが、必要がなかったから私はそれを知らなかった。あのときの彼の表情を見て、自分は他者にあのような表情はしないようにしようと誓った。

 その後もそういう失礼な若者には何人か遭っている。こちらが携帯電話を「電話するだけの道具」と言うと、それだけでもうその種の機械を使いこなせない化石オヤジと見下してしまうらしい。あんたの産まれる前からパソコンいじってるんだけどね、と腹の中でつぶやく。
 今回の機種変更の応対をしたやたら付け睫毛の長いオネーサンもそうで、ケータイを電話機としてしか使えない化石オヤジに一所懸命説明していた。でも機種の説明や料金をiPadを利用しながらするので、すこしばかりiPadについて質問したら、しどろもどろだった。仕事用に最低限のことを教えられているだけで、実際はなにも知らないらしい。奧からもっと詳しい男が駆けつけてきて交代した。けっこうわらった。

 若者に見下されても、私には反撥できるだけのものがあるからいいけど、実際に化石オヤジのひとは、小僧っ子にそんな態度を取られて悔しいだろうなあ。そんな日は居酒屋で飲んで愚痴るのか。「コンピューターがなんだあ、なあにがスマートフォンだ、電話機は電話するためにあるんだあ」とかなんとか。



 私が人前では口に出来ない恥ずかしいことに、ソフトバンク使用がある。私が契約したのはJ-Phoneなのだが、それがフランスのVodafoneになり、またまた今度は朝鮮のソフトバンクになってしまった。あの日本人の男を犬にしたCMを流している孫正義率いる反日クソ会社である。 

 今回、他社にしようと思って出かけたのだが、乗りかえに金が掛かることを知った。それも半端ではない。会社を替えるだけで1万円弱の金が発生するという。それをソフトバンクに払う。その他の手続もあり総額15000円ぐらいはかかるらしい。阿漕なことをしやがる。(いま「あこぎ」を変換したら、音楽用に辞書登録してある「A・ギター」が最初に出てきた。)
 しかし「特別期間」とかがあるらしく、私の場合は「2014年11月1日から30日まで」に手続をすると、その1万円弱が無料になり、番号ポータビリティとかで今の番号を引き継ぐ経費とか、5千円程度で出来るという。これを逃がすと、いきなり2年後の「2016年11月」まで出来なくなるのだとか。なんなんだこの2年に1ヵ月訪れる無料月間は。ともあれ忘れずにそのときに会社を替えよう。来年の11月だな。



 店を出て、手にしたあたらしい電話機を開いたら、待受け画面が、あのイヌコロになっていた。屈辱で顔が熱くなった。まだ買ったばかりで使いかたもよく解らん。急いで店に戻り、待受け画面を替えてくれと先程応対したネーチャンに頼む。「おとうさん、嫌いなんですかぁ」と間延びした口調で言われたので張り倒してやろうかと思った。あのイヌコロを「おとうさん」と呼ぶのが通例らしい。

 帰宅して、すこしいじっていたら、絵文字や、flash動画? そんなのもイヌコロだらけ。あちらはあちらで「ソフトバンクの携帯にすると、あの犬のおとうさんがついてきます」を売りにしているらしい。削除しまくる。疲れた。とにかく全部消した。私の電話機の中にあのイヌコロはいない。
 2014年11月まで待っていられない。金を作って早く会社を替えよう。金を作る。馬券。
 いつもこうして、馬券さえ買わなければ……という人生を送ってきた。おとなしく2014年11月まで待つか。いや待てん。なんとかせねば。

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【追記】──ワンセグが愉しい

 以前のは最高機種だったので、あれこれ附いていた。ワンセグの画面も縦型横型回転で切り替えられた。今度のは安い普及型なのでおそろしくシンプル。クラウンデラックスからカローラスタンダードになった気分。(←たぶんこの比喩もかなりズレている。)音量を変えるボタンもない。earphoneを挿れる穴もない。ん? 「防水機能」、ああそれじゃなにもないはずだ。

 それでもワンセグの映りが前よりもずっといい。前の機種はアンテナが附いていて、それの方向を変えたりして映りを調整した。今度のはアンテナはないがきれいに映る。
 それでここのところ以前の習慣だった6時前後にみのもんたを観る、というのをやっている。テレビを点けるほどではないし、デスクトップ機で作業中、ちょうどいい。3時から作業していると、ちょうどこのあたりで一息入れたくなる。

 あまりに世情に興味がないので、それでもまずいかと観てみるのだが、結果はくだらんなあと10分も見ずに消すことになる。世の中、ますますくだらんことになっているようだ。それでもこれでなんとなく世間の話題を知った気分になり、安心したりする。
  1. 2013/08/24(土) 08:19:12|
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携帯電話料金10万円──もうすぐ止まる話(続き)

携帯電話料金10万円──もうすぐ止まる話の続きです。
  1. 2013/08/03(土) 05:00:59|
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携帯電話料金10万円──もうすぐ携帯電話が止まる話①──J-Phoneのころ

 あと数日で携帯電話が止まる。しばらく経験していないので定かではないが、たぶんそれぐらいだろう。
 その経緯を自省を込めて書いておきたい。


●携帯電話料金の思い出
 
 私が携帯電話を使いはじめたのはJ-Phone創業の年からである。何年になるのだろう。理由は明解だ。私は選択肢のない国営企業のみという状況が嫌いだから、携帯電話には興味津々だったがNTTしかない時代には手を出さなかった。待望の民間企業(まあNTTも建前は民間企業だが)の携帯電話が発売になったので関わった。

 もしも電気会社を選べる時代が来たら絶対に東京電力は使わない。さんざん止められていじめられたから(それはまあ料金を滞納するこちらがわるいのだけど)NTTや東電に対する怨みは深い。
 携帯電話は、たぶん1995年ぐらいから使い始めたのだろう。それから2005年ぐらいまで毎月の携帯電話料金は2万円から3万円ぐらいだった。愛用していたから、ほどよい使用料金だった。ただし90年代はまだ地方に行ったらほとんど使いものにならなかった。


keitai3 アジアにおいて、2000年ぐらいから一気に携帯電話は便利になった。いわゆるローミングサービスを利用するより、あちらで買った方が安くて手早い。私はあちらで携帯電話を買い、向こうのものはローミングなんて関係なくそのまま国際電話として使えたから、その番号を日本の編集者に伝えて、それに掛けてもらって通話した。使い捨て感覚である。

 写真は当時のタイで買った携帯電話機。これを15000円ぐらいで買い、プリペイドの1万円分ぐらいのチップを挿れておくと、1ヵ月ぐらい気持ちよく使えた。

※ 

 
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 しかしまだまだ歪んでいた時代でもある。
 写真のような、支那の山奥の見わたす限り山ばかりの泥道で、民族衣装を着た少数民族の老婆が懐から携帯電話を取りだして通話を始めるような珍現象が起きた。

 広大な支那では電話線を引くのがたいへんで、電話の普及が遅れていた。そこにこのテクノロジーである。無線通信が異常な速さで普及した。 その老婆のように、普通の家族用電話(有線電話)を一度も使ったことがないのに、いきなり個人の携帯電話を保持するような珍妙な事象が連続したのである。

 ただしこれは悪徳企業?が安い電話機(その分、電話賃が高い)を無理矢理押しつけ、無智な人々がなにもわからないまま購入してしまったような一面があり、その後料金が払えないという揉め事が続出した。
 
DSCF0205 悪徳企業と言ったら気の毒か。彼らもあたらしい商売なので読めなかったのだ。とにかくもう山奥の田舎町にも携帯電話屋があふれていた。機器を安く誰でもいいから売りまくり、電話料金で儲けるシステムだったが、貧しい山岳民族に高額の電話料金が払えるはずもなく、徴収できず倒産したところも多いはずだ。そういう民族の中には、ただみたいな値段で電話機が購入できるので勧められるまま買ったが、考えてみたら電話を掛ける相手がいないという笑い話みたいなことも起きていた。



 一方で、こういう地でファクスを使うひとなどめったにいないので、中級以上のホテルには一応機械はあったが、おそろしく古く遅い機械で、日本へのファクス一枚送信に5千円も取られたりした。原稿料がファクス代金で消えてしまう。
 ボっているのではない。旧型機械なので原稿読込みがとんでもなく遅く、それだけ電話賃(通話時間)がかかってしまうのである。


 ADSLからブロードバンドの普及により、在宅仕事である私の携帯電話への依存度は急撃に減った。2005年には普通電話を撤廃した。
 2008年ぐらいからは毎月5千円もかからない。まず使わない。今もガラケーであり、ここのところ3千円から5千円で安定している。普段は3千円だ。たまに都心に出たとき、あちこちに掛けたりして、その月は5千円になる。
 私がスマホを使わないのは必要ないからであるが、もしもガラケーと同じ料金だったら、あたらしいモノ好きであるから、きっと手を出した。さすがに、使わないと分かっている物によけいな金を使う元気はなくなってきた。私はもうまったく使わなくなっているのに、『一太郎』等の「使い慣れたソフト」をニューバージョンが出るたびに惰性というのか習慣病と呼ぶのか、買い続けてきた。そういう無駄からやっと卒業しつつある。

「いまの私の携帯電話料金は3千円から5千円以下で安定している」が「もうすぐ携帯電話が止まる話」の前提の一になる。(続く)
  1. 2013/07/30(火) 11:00:37|
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生活雑記──旧友からの突然のメール──23年ぶりの再会予定

 数日前、携帯電話にメールが届いていた。いきなり親しい呼び掛けで「××ちゃん、ご無沙汰してまーす。5月中旬にひさしぶりに東京に行くので会いましょう。楽しみにしてます」とある。なれなれしい。誰なのか。わからない。携帯メールのアドレスはない。090から始まる携帯番号があるだけだ。



 私は一応携帯メールアドレスを持っているけど、使わない。理由は打つのが面倒だから。あれはたいへんだと思う。しかし電車の中などでとんでもない早打ち若者(というか中学生ぐらいのこどもが多い)を見かけるし、私より年上なのに、ガラケーで、そこそこ長文のブログを毎日アップしているひともいるから(もちろん理由はPCが使えないからだ)、あれは慣れなのだろう。私は指先は器用だから、その気になればそれなりの速さに達する自信はある。用途がないのでやらないけれど。そもそも楽器演奏だって、出来ない人から見たら神業だけど、長年やっていれば目を瞑っても弾けるものだ。携帯電話の早打ちもそれに類したものだろう。それはともかく。



 こういう意味不明のメールは無視するのだが、どうにも気になる。「××ちゃん」という呼び掛けをするひとは、かなり限られている。学生時代にまで溯る古い知りあいの可能性が高い。しかし学生時代から今に至るまでつきあっているひとなら、限られているからすぐに思いつくし、「ご無沙汰」のはずもない。
 もうひとつのポイントは「ひさしぶりに東京に行きます」だ。地方在住なのだろう。地方に住んでいて、今度ひさびさに東京にやって来るひとで、私を「××ちゃん」と呼ぶ古い古い知りあい。いないよ、そんなひと。誰だ!?

 それでいて携帯の番号を知っている。
 私はJ-Phoneを契約してから20年近く携帯電話の番号は替えていない。仕事用だからそれが肝要だ。一般にはそれは充分長い時間であろうが、私にとっては「近年」でしかない。
 「××ちゃん」という学生時代の古い呼び方をするひと(これは「近年」ではない)と、「近年」使うようになった携帯番号を知っているひととなると、ごくごく限られてくる。しかし確実にそのひとたちではない。その中に「ひさしぶりに東京に来る」なんてひとはいない。



 ここ数日、そればかり考えていた。
 電話番号は明示されているのだから掛けてみればいいのだ。
 しかし、相手に「あなたは誰ですか」と問うのも憚られる。
 そもそもこのひとは、なぜ私に電話を掛けてこないのだ。いきなり名前も名乗らず携帯メールってのはなぜなのだろう。

 もうひとつ、「敵」の可能性がある。何かで私の「××ちゃん」という呼び方と携帯電話の番号を入手したヤツの悪戯だ。CNXと名乗る気狂いに長年絡まれているから、そういうことも想定しなければならない。こんなヤツに気楽に返事したらたいへんなことになる。だってほんとに旧友なら名前を名乗るはずだ。どう考えても不審である。
 考えれば考えるほどわからなくなった。



 昨日、突如思いついた。
 きっかけはM先輩だった。大学時代の音楽サークルの先輩である。いつもここに名を出すFM東京で竹脇無我さんとの仕事やJ-Waveで白鳥英美子さんとの仕事をした長年お世話になっているM先輩ではない。もう交流が途絶えて長い別のひとである。ふたりのM先輩は同級生だった。

 私を「××ちゃん」と呼ぶ古いひとは、ごくごく限られる。必死に考える。そのひとりとしてこのM先輩の名が浮かんだ。しかしM先輩は横須賀に住んでいる(今は知らないけど)はずだし、東京っ子であることを自慢するひとだから、「ひさしぶりに東京に行く」は当たらない。なにより私の携帯番号を知らない。だからM先輩ではないのだが……と考えているとき、そこからの連想でオノケンの名が浮かんだ。



 23歳のとき、当事札幌に住んでテレビ局の仕事をしつつ北海道を歌い回っていたM先輩が「歌いに来い」と誘ってくれた。ギターを担いで出かけた。私の北海道初上陸である。
 M先輩は、渋谷宮益坂の伝説のフォーク喫茶「青い森」で、RCサクセッションや泉谷しげる、古井戸なんかと一緒に歌っていたひとだ。卒業して北海道に渡っていた。
 先輩と一緒に道東を回った。楽しい旅だった。大鵬の生まれ故郷の弟子屈に行ったのもこのときだった。布施明の「霧の摩周湖」でしか知らない摩周湖に行ったり、根室から国後半島を臨んだりしたのもこのときが初めてだった。

 そのとき知り合い、一緒にコンサートをやった(私たちは彼らの主催するコンサートに出させてもらったわけだが)現地の歌い手に野付郡別海町の酪農家・小野謙治さん(通称オノケン)がいた。オノケンは当事、NHK教育テレビの「みんなの歌」じゃないや、なんだ「今日の歌」みたいな毎日流れる5分間番組みたいなのに出演していた。自分たちで作詞作曲した歌を三人組グループで歌っていたから、現地じゃ有名人である。この番組、北海道ローカルだったかも知れない。いや、そうだな。でも毎日朝夕に2回、NHKから歌と映像が流れるのだから有名人である。

 番組の作りは、彼ら三人がギターを手に口パクで歌う映像から始まり、歌のバックに牧場での仕事風景が流れたり、今時のPVみたいだった。

 ♪ 朝日が大地に顔を出せば、ミルク搾りの唄が聞こえる
   でっかい太陽、両手に抱いて、そうさ、仲間さ、おれたち、ひとりじゃ、ひとりじゃないのさ
   (作詩作曲・小野謙治)

 よく覚えるてな、おれ(笑)。いまでも歌える。



 オノケンと親しくなった私は、翌年ひとりで訪ね、酪農をしているオノケン宅に住まわせてもらい、仕事を手伝いつつしばらく滞在した。前年、M先輩と一緒に数泊させてもらっていたが、東京っ子のM先輩は、牛にも近寄らなかったし、毎日の作業である糞尿処理なんてとんでもないというひとだった。私はそれが平気だったのでオノケンに気に入ってもらえた。
 その翌年には、私が明大前の「キッドアイラックホール」で開いたコンサートに、はるばる別海からゲストとして駆けつけてくれたりした。

「駆けつけてくれた」には、すこしウソがある。当時オノケンは、酪農実習に来た横浜の娘さんを嫁にしようと燃えていた。しかし奥さんの実家は大反対だ。北海道の果てに娘は嫁にやれない。オノケンが北海道からギターをしょって上京し、私のコンサートに出てくれたのは、歌うこと以上に、この横浜の家を訪ね、嫁にもらう許可を得ようというのが主目的だった。
 それからもまた夏になると出かけては世話になった。



bekkai このへん、書き出したら切りがないので先を急ぐ。
 オノケンならM先輩が当時私を読んでいたように「××ちゃん」という呼び方をするだろうし、「ひさしぶりに東京」も納得できる。

 唯一携帯電話の問題がある。一年前、ひとりさびしい正月を送っていた私は、オノケンに電話している。それは覚えている。その電話ですら10年ぶりぐらいだったから、オノケンはとんでもなく驚いていた。田舎のひとの固定電話は何十年も変らない。古い手帳を整理していたらオノケンの固定電話番号が出てきたので(北海道野付郡別海町なので0146だ)ほろよい機嫌で掛けてみたのだった。地図のA地点が別海町。

 しかし私は、そのあときちんと近況を報告する手紙を書こうと思いつつ書いていない。無精が恥ずかしい。だからオノケンは私の住所も携帯電話の番号も知らないはずだ。可能性としてあるのは、その普通電話のディスプレイに表示された(もしも電話機がそんなタイプであったなら)であろう私の携帯電話の番号を彼がメモしたかどうかだ。可能性としてはうすいが……。



 考えるほどにオノケンしか思いつかないので、思い切って携帯メールを書いた。「あなたは誰ですか? オノケン?」と。これだけ書くのでも面倒だったから、私はほんとに携帯メールは苦手だ。

 今朝、「そうです、オノケンでーす。名前を書かなくてごめんね」と返信があった。ひさしぶりに横浜の嫁さんの実家に一緒に来るらしい。「会えるのを楽しみにしています」と返事を書いた。



IMG 前回会ったのは、いつだろう。写真の軽自動車ダイハツMIRAで、茨城から仙台まで走り、そこからフェリーで苫小牧に渡り、いつもは千歳空港からレンタカーで行っていたお世話になっている日高の牧場や名馬の故郷をあちこち訪ね、それからオノケンの別海までゆき、旧交を温め、知床半島をぐるりと走り回ってきたのだった。3週間ぐらいの旅だったか。90年の夏か。すると23年前になる。

 私の北海道体験は、20代の趣味の道東から始まり30代の仕事の道南の日高にいたるのだが、このふたつは繋がっていなかった。道東のころ、競馬ファンなのに日高に名馬を訪ねる感覚はなかった。競馬好きの大学生なんてのは、だいたい経験しているものだが、私は北海道をたびたび訪ねていながら日高には行かなかった。日高を取材で毎月のように訪れるようになっても、今度は懐かしい道東に行ってみようという考えはなかった。まあ広い北海道で離れているのだが。 
 このときにやっとふたつが繋がった。



 オノケンはその後、奥さんの実家から許可をもらって結婚し、ふたりの息子に恵まれた。牧場も次男が継いだという。
 さて、どこでどんな再会になるのだろう。なんとも楽しみなことだ。
 牧場の豪快な男の割には、酒は弱かった。まあビールで乾杯ぐらいはできるだろう。4日間、横浜にいるらしいから、積もる話もあるし私のところに一泊してもらおうと思っている。

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【追記】──別海で見たサクラショウリのダービー

 日本ダービーに関する原稿の直しゲラが届いた。
 レース展開で書き直しを指摘されたものに昭和53年のダービーがあった。サクラショウリの勝ったレースである。1978年5月28日。

 私はこのレースを、オノケンと一緒に別海でテレビ観戦した。馬券は友人に頼んで東京で買ってもらっていた。
 当時は枠連のみ。渋谷等の場外は千円単位のみの発売になる。だから長年私にとって馬券とは千円単位で買うものだった。100円から始めた人とは感覚がちがう。当時と物価を比較すると4倍にはなっている。今の金銭感覚で言うと「1枚4千円」が最低単位だったことになる。ひどい時代である。もっとも昭和初期の「1枚20円時代」は、大卒初任給が75円の時代の20円だから、1枚4万円になる。馬券はもともとそんなものだった。



 1番人気のバンブトンコートから枠連3点買い。勝ったのは2番人気のサクラショウリ。2着に12番人気のアグネスホープ。今だったら馬単馬連万馬券だ。しかし枠連しかなく、アグネスホープは4着に敗れた1番人気バンブトンコートと同枠だった。「代役」というやつである。だから結果は単勝1、2番人気で決まったのと同じく枠連620円の低配当だった。3千円投資した私は6200円になり3200円の儲け。今だったら嗤ってしまうようなちいさなプラスだが、あのころはまだ価値のある3200円だった。



 別海のテレビで見たサクラショウリのダービーのレース展開を、当時の記憶のままで書いたら、すこし有力馬の位置取りがちがっていたようで、修正となった。そのときに見ただけで、後にビデオを見ていないし、さすがに記憶だけで書いたらそうなるか(笑)。
 民間雑誌だったらそのまま載ってしまい赤っ恥だが、私の競馬仕事はJRA専門なので最強のチェック機関がついている。それはそれはすごいものだ。二重三重どころか五重六重のチェックが入るから、細かなことまで完璧になる。そりゃまあ御本家だから当然だろう。「3コーナー、後方3番手から仕掛けて上がって行く」なんて書くと、「3コーナーでは後方4番手の位置、仕掛けるのは4コーナー手前です」なんて指摘が入る。ここの仕事に慣れるとチェックの甘い民間の仕事はもう怖くて出来なくなる。そのことにすこし甘えている部分は反省せねばならない。



 だから高名なブロガーでありアフィリエイト商人の<きっこさん>のようなかたが、「AJC杯で、とうさんはあたしの奨めたホワイトフォンテンの単勝を千円買い、それが7万円になった」なんて、ちょっといい話も、「ホワイトフォンテンの単勝19倍。7万円にはなりません」とすぐに直される。<きっこさん>のJRAデビューは遠いようだ。



 知らないレースなら調べまくって書くのだが、どうしてもこういう知っているレース、しかも別海で見たという思い出深いレースだと、筆に任せて書いてしまう。そして勘違い発露。赤面となる。

 大阪の枚方の街頭テレビで見たテスコガビーの桜花賞と、別海で見たこのサクラショウリのダービーは、「その土地の思い出」で印象深い。



 サクラショウリは後に皐月賞、菊花賞二冠馬サクラスターオーの父となる。「父子で三冠」だ。
 そのころ日高で初めて種牡馬サクラショウリに会う。かなり気性の荒い馬らしく、馬房に「危険注意」の赤いプラスチック板が貼ってあった。
  1. 2013/04/28(日) 11:27:14|
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生活雑記──1月27日、今日は寒い!──暖房要らずの越冬──ヒートテック讃歌



 世間はどうなのか知らないが、私にとって今年は暖冬である。暖房を使っていない。全体暖房はもちろんだが、こたつに火を入れたのですら、3.4回だ。だって寒くないんだもん(笑)。
 京都の友人からのメールが、凍えるような寒さだと嘆き、風邪など引かないようにと気を遣ってくれるが、ぜんぜん寒くないので実感がない。風邪は引かないと決めているので引かない。
 まあ京都ってのは夏は暑く冬は寒いひどい地だからね。シナの都を真似て風水で撰んだ地に作った都だ。江戸を撰んだ家康ってすごいな。





ashimoto 今冬は寒くなるのが早かった。昨秋、11月初旬に早くもふるえあがるような木枯しが吹き、「こたつの準備をしないと」と書いたのを覚えている。古い日記と照らしあわせると、だいたいそれをするのは、というか、そういうことを日記に書くのは、例年11月下旬だった。いつも行く酒屋のオヤジと、「今年は冬が早いですね」なんて会話もしている。

 毎朝3時起きでデスクトップ機に向うので、写真のような下半身を被い脚もとに電気行火のある暖房器具を通販で買い、準備万端整い、いつでも来いと思っていたのだが、寒くない。いまだ使っていない。

 ただしこれはすばらしい。お奨めだ。今まで使った数数の「足もと暖房」で断然の1位。
 到着したとき、もちろんうれしいから(笑)、すぐに試してみた。脚から腰の冷えをカバーしてくれ、足もとの足温器は〝弱〟で充分。「これがあれば怖くない。厳冬よ、やって来い」と身がまえたのだが、これを使うほど寒い日がないのだ。

 こたつの上にも、デスクトップ機の上にもデジタル温度計を置いている。だいたい深夜から明け方にかけて15度である。寒くないので暖房の必要がない。15度ってのは晩秋の温度だろう。
 昼から午後は差しこむ陽光で温室のようになり、20度を超すこともある。天然の暖房だ。



 テレビで「なるべく20度にしてください」と言っていた。エアコンの温度を23度や24度にするひとが多く、政府は節電のため、20度で我慢してくれと奨めているらしい。
 しかし私は15度である。寒くないのだから問題はない。

kotatsu 昨年11月には、写真の「ひとりこたつ」というのも買って、寒さに身がまえていたのだが、なんとも期待外れ。いやこんな言いかたはよくないな。寒くなくて助かっているのだから。
 わたし的には、この「ひとりこたつ」は、期待が大きかった分、たいしたことはなかった。なんといっても上の「下半身袋型足温器」である。

●「生活雑記──ひとりこたつ到着」



 私と同じ西東京に住んでいる年のちかいKさんという自称〝博打屋〟のブログを読むと、「寒くて夜中に何度も目が覚める。寒くて眠れない」「まるで冷蔵庫の中にいるよう」「屋外の寒気が忍びこんでくる。カーテンでは防げない。窓に毛布を貼りつけた」と、すごいことが書いてある。彼が「冷蔵庫の中にいるよう」「寒くて眠れない」なんて言ってる時間に、私は暖房なしでパソコンに向っているのである。

 私は集合住宅だが、彼の住んでいるのは、なんて言うの? 平屋の一軒家の賃貸住宅だ。田舎の市外によくある建物形式。庭も少しある。ああいうのは冷えこむんだろうな。夏は夏でまた、今度はとんでもない暑さらしい。引越したらいいのに。



 あまりに寒くないので、これは私の躰の温度計が壊れてしまったのかと、そこまで考えた。
 着るもののほうにはひとつ変化があった。上下ともヒートテックの下着を着るようにしたのだ。それのお蔭なのだろう、3枚しか着てないがまったく寒くない。3枚で真冬を乗りきっている。それどころか、ほんのすこし歩いて買い物に行っただけで汗をかく始末だ。

 ヒートテックを着たのは初めてではない。3年ほど前に一度着て、ひどい目に遭って遠ざけていた。暖かすぎるのである。街中を歩くときにはちょうどよかったが、友人と待ち合せ、暖房の効いた居酒屋に入ったら暑くていられない。ちょっと我慢できない暑さだった。上着はすでに脱いでいる。トレーナーを脱いだ。まだ暑い。このカラーシャツを脱いだらヒートテックの下着になってしまう。こりゃもう無理だとトイレに行き、下着のヒートテックを脱いだ。するとふつうにシャツを着て、トレーナーを着て適温であり、やがて上着を着ないと寒くなってきた。ヒートテック、おそるべし、である。
 居酒屋ばかりではなく電車の中もむずかしい。ヒートテックは温度差のあるところを出入りするひとには不向きだ。

 ということで3年間遠ざけていたのだが、ここのところ暖房の効いている場所に出かけることもないし、暖房を使わずに冬を過すためには効果的なのではないかと今冬、ひさしぶりに着用してみた。すると暖房要らずになってしまった。すさまじい効果である。便利なので何枚も追加購入した。

 もともとヒートテックなしでも全体暖房なしで過していたぐらいだから、同じようなものなのだが、いつもより一枚すくなくて居られるから、これは快適だ。
 昨年まで、明け方のいちばん冷えこむ時間、私は薄地のダウンジャケットを着ていた。あのコンパクトに畳める薄地のものだ。強張らないし、それでいいのだが、やはり「室内で外出着を着ている」という引け目はあった。節電のためとはいえ。
 ヒートテックがあるとダウンは必要ない。トレーナーで充分だ。なんともすごい。



 毎冬、躰は寒くなかった。悩みは足もとと指先の冷えだった。基本的にこたつだけで全体暖房はしなかったのだが、年に何度かガスファンヒーターで暖めざるを得ない冷えこむ日があった。それは指が悴んでキイボードが打てないときだった。去年、このブログに「指なし手袋」を買ってきた話を書いている。あまり役に立たなかった。それだけが悩みだった。
 今年はそれもない。だからどう考えても私には暖冬だ。しかし世間はそうじゃないようだから、もしかして躰の温度計が壊れたのかと心配になったのだった。

 ただここに越してきてからの5年間、クーラーなし、全体暖房なしを心懸けていたので、躰が暑さ寒さに強くなったのはたしかなようである。昨夏、5年ぶりにクーラーを取り附けたのだが、ほとんど点けることがなかった。躰がクーラーなしの夏に慣れたのである。

 前の住いなど、この時期は、ほとんど一日中ガスファンヒーターを点けていた。たぶん常に20度以上にしていたろう。毎月ガス代だけで2万円を越していた。暖かい部屋で冷たいピールを飲むのが楽しみだった。さすがにいま、この部屋で冷たいビールを飲む気にはならない。よってここのところ、生レモンを搾って入れたお湯割り焼酎がメインになっている。

 そういや前の住いは寒かった。いまの部屋が日当りが良く、日中など温室の中にいるようで、あまりに快適だからイヤな記憶は忘れていたが、前の住いはこの時期、Kさんの言うように「冷蔵庫の中にいるよう」だった。13階建てのマンションだったが、建物が古いので、おそろしく寒いのである。一日中ガスファンヒーターをつけていた。眠るときも点けたまま、タイマーで切れるようにした。しかし夜中、寒くて目覚め、またも点けることになるのだった。コンクリートの棺桶の中にいるようだった。ひどいところだった。引越してよかった。なんであんなところに住んだのだろう。悔まれる。忘れたい記憶になる。思い出したくない。なにひとつ良いことがなかった。



 今朝は冷えこんだ。その冷えこみがはっきり確認でき、今年初めて指が悴んだので、自分の躰の温度計は壊れていないと知り安心した。
 デジタル温度計は13度を指していた。15度と13度でこんなにちがうのかとおどろく。とてもとてもたった2度の差とは思えない。13度になると、5分もキイボードを打つと、指先が冷えこんできて、手を摺り合せたくなる。

 それでももうこのへんが底値であろうから、今年は「ほぼ暖房なしで冬を乗りきった」と言えそうだ。だってこたつに火を入れたのですら数回なのだから。
 私って珍しいですか? 特別ですか? 無理している感覚はいっさいないのですが……。

 かつての私と同じように、いまのKさんと同じように、「冷蔵庫の中にいるよう」と震えている人がいたら、衷心から申しあげる。引っ越しなさい。世の中にはいまあなたの住んでいる賃貸住宅より安くてよりよいところが山とある。まずはそこから旅立つことです。
  1. 2013/01/27(日) 10:32:18|
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生活雑記──フィリップスエアフロス体験記

airflossちょっと話題になっている新製品フィリップスソニックケア「エアフロス」というのを買ってみた。いわゆる「糸ようじ」の電動版である。

と、いま「糸ようじ」と書いたらATOKに「商品名」と注意された。そうなのか。知らなかった。
しかし英語のDental Flossを直訳したら糸ようじになるんじゃないのか。まあ商標登録は早い者勝ちだ。



歯はよいほうだと思う。抜歯した永久歯は今も2本だけだ。親からもらったそれにあぐらを搔いていたら意外なところから突きおとされた。歯茎である。「齢を取ると、歯は問題なくても歯茎が衰頽する」という知識がなかった。木は元気でも土壌が崩れたら倒れてしまう。倒れたら枯れる。そんな状態になった。「歯茎の健康」か。盲点だった。気づいたときは遅かった。無智は哀しい。

いま右上奥歯の2本がぐらぐらしている。2本とも歯はわるくない。なのに土壌が崩れ抜歯せねばならないかも知れない。くやしい。姉の亭主なんて60代半ばなのに虫歯が一本もない。そんなひともいる。私はこれが抜けたら4本もないことになってしまう。妻も虫歯が一本もない。これは30代前半で若いからともいえるが歯って十代二十代の時に失うものでもある。私はそうだった。十代で失ってからきちんとケアするようになった。親がしつこいぐらい注意してくれるタイプだったらいまも全部自分の歯だったろう。姉の亭主は母が看護婦で厳しかったようだ。ほったらかしだった親が恨めしい。それをふまえて私は息子に歯を磨けとカトちゃんと同じぐらいしつこく言っている。

でもなあ、ターザン山本さんなんか40代の時から総入れ歯だ。糖尿病の影響らしいけど。それからすると今も缺損は2本だけなのだからいいほうだよなあ、とか思って慰める。



歯医者は「とにかくこまめに歯間ブラシを」と言う。それが歯茎の健康保持のために最善であり予防なのだ。

肉体的衰頽として捉えれば、脳味噌はもうスカスカだろうし、骨の密度も落ちているだろう。なにしろ脳の老化は二十歳過ぎから始まるのだ。
それは見えない。老化はやはり目に見えるものが辛い。歯茎の衰えもそれになる。年寄りがしなびてちいさくなるように、鏡で確認すると、たしかに歯茎は老化していた。なるほど、こういうのも「痩せる」というのか。痩せてしまった歯茎を太らせる方法はないという。



歯間ブラシを日々使うという習慣は、面倒だし、かっこわるいし、出血を見たら落ちこむし、いろいろと問題が多い。好きな女がこれをしているところを見たら百年の恋も冷めるだろう。それぐらいかっこわるいものだ。誰だってあまりやりたいものではない。みんな病んでから始める。でもそのときはもう遅かったりする。



doltz 歯ブラシはブラウンのあの廻転型の電動歯ブラシを愛用してきた。これは長いなあ、1991年に海外に持参した記憶がある。バンコクの安宿に忘れてきて取りに戻ったら、年老いたシナ人の受付に、「これは何に使うものなのだ」と真剣に問われたっけ。
旅は軽装が基本である。歯ブラシなんてのは現地で買えばいい。でもこれに慣れてしまうと必需品なのだった。いつも使うのは充電型だったが海外用に電池型を買った。

左のPanasonicのドルツも使い初めて長い。10年以上。いま確認したら「Powerdent」となっている。まだ松下電器時代のドルツブランドが出来る前の製品だった。高校洗滌機である。うん、ろくでもない高校は洗滌したほうがいい。口腔洗滌機。

「10年以上も前の製品がいまも現役なのか!」と驚かれるかも知れないが、新しいもの好きで買っただけで、使っていないのである。今もピカピカの新品同様。これを毎日使い、「もう5台目ですよ」と言うぐらいきちんとしていたら、わるくもない歯を抜くことにもならなかった。これまた気づいたときは遅かった。



ところで「洗滌」は正しくは「せんでき」である。「せんじょう」は所謂「百姓読み」。

この場合の「百姓」は農民は無学だと軽んじた言いかたではない。「いっぱんのみんな」の意味。百姓ってのはもともとそういう意味だ。シナにはいまも「百姓酒場」の看板が多い。日本の「大衆酒場」になる。百姓をわるいことばにしてしまった日本は愚かである。

同じような百姓読みのまちがいに「消耗」がある。正しくは「しょうこう」。でも一般では「しょうもう」。
ともにツクリの音読みから来た誤読だ。

しかし 「せんでき」で「洗滌」は変換できても、「せんできき」では「洗滌機」は出て来ない。「せんじょうき」でないと。これなんかもう「せんじょうは本当はせんできと読むんだよね」という知ったかぶりの世界になっているのか。まあ「せんできき」よりも「せんじょうき」のほうが言いやすいけど。



airfloss私はこの「フィリップスエアフロス」という新製品のどこが新しいのか知らなかった。最初、見た目からも上の「口腔洗滌機の携帯版」だと思っていた。そういう商品はすでに流通している。それだとここに書くこともなかった。調べるとぜんぜん違っていた。もちろん「そうじゃない」とわかったから購入した。口腔洗滌機なら据え置き型をもっているわけだし、携帯用を買っても使う当てもない。(会社勤めをしているひとなら会社にひとつ置いてもいいだろうけど。)

真ん中にあるタンクに水やマウスウオッシュを挿れる。少量だ。それで尖端を歯間に当てる。下にあるのが電源ボタン。電源を入れ、上の丸い緑の部分のスイッチを押すと、「プシュッ」という音と「カクン」というショックがあり、圧縮空気と水が飛びだす。一瞬だ。口腔洗滌機とは基本から異なっていた。その名の通り「糸ようじを電動でやってくれる機械」だった。
本来は水でやるものだが、壮快感ということからメーカーはマウスウオッシュを入れることを推しているようだ。

まだ使いはじめて数日なのでレビュウを書くほど詳しくもない。でも使用者の最大の不満はわかる。これ、全体を水洗い出来ないのだ。それによる故障と不満をメーカーもいちばん心配しているのだろう、胴体部分に「注意! 全体の水洗いはできません」と大きなシールが貼ってある。ショートしてすぐに壊れるのだろう。わかっていても、ついしそうになるので、私はまだそのシールを剥がさないままにしている。おそらくこれがこの製品のネックになる。

それってそんなに難しい技術なのだろうか。そうも思えないのだけど。たぶん改良型ではそうなる気がする。Panasonicなら洗える製品を出すだろう。

価格comの最安値で9300円。 糸ようじと比べたら高いが、あれをやってるときのかっこわるさ、出血したそれを見て物悲しくなるような気分とは別れられた。手作業の糸ようじより効能があるのかどうか、それはまだわからない。これから同じような製品が連続するだろう。果たして先物買いはどうだったか。なんか、もっといいのがPanasonicから出そうな気がする。



itoyoji調べたら「糸ようじ」は小林製薬の商標で、写真のもの。1987年に登録とか。そういやたしかに最初に使ったのはこの形だった。その後は歯間ブラシになったが。

ここでこのフィリップスエアフロスの通販メーカーなんかをリンクして、「歯周病のかたにはお勧めです。Amazonでならいま特価の××円で購入できます」なんてやるとアフィリエイトってやつになり、売れゆき次第でいくらかキックバックがあるようになるのか、なるほど。
しかしアフィリエイトってのをべたべたと貼ってあるブログってのは醜い。いいことが書いてあっても、それだけでいやになる。

そういうことをするのは人間のくずだとかさんざん書いていたのに、いまそれを生活の糧にしているキッコなんてオカマもいたな(笑)。あ、失礼、アフィリエイトの売りあげは犬猫関係のなんとかと沖縄基地のなんとかに寄附しているって設定でした(笑)。
  1. 2012/11/29(木) 05:14:13|
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「柿落葉」のうつくしさ──日本の晩秋



 友人のブログを読んでいたら、「落ち葉の季節だが、いまいちばん美しいのは柿落葉ではないか」との文言があった。
 柿落葉のうつくしさには感動して、写真を撮ったことがあったな、と思い出す。探してみた。あった。

Clip-It 家の庭。ファイル情報を見ると2001年とある。11年前か。このときのデジカメは富士フイルムのClip itか。私が初めてデジカメを買ったのは1997年の、このClip it DS20だった。いや、2001年にはもうオリンパスのCamediaに買い替えている。しかし写真の質はClip itのものだ。すると、スマートカードの容量を惜しんで低画質で撮っていたのか? そんなはずもないのだが。

 ともあれ大きさは640×480。保存には8MBのスマートカードを使っていた。いっぱい撮れたものだ。一枚が70kbとか、そんなものだった。

 いま使っているFine Pixは1枚が4MB以上になる。ポケットタイプのちいさなものだが1600万画素とか。保存には16GBのSDカードを使っている。
 16GBは16000MBか。8MBの2000倍。それが8MBスマートカードの10分の1以下の値段。いやはやなんとも。

 写真の価値は「その時間」だ。1600万画素の美麗なものより、その時を記録したClip itの画像がいとしい。だいじにしないと。



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 秋の青空と柿落葉の赤の対比が絶妙。

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PB080005

























 落ち葉も見事だが、柿は青葉もうつくしい。生命力に満ちている。
 思えば、庭中に果樹のある環境で育ててもらったんだなと親に感謝する。
 12月は父母の命日だ。一緒に暮らしたころを思い出して偲ぼう。

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  1. 2012/11/14(水) 08:59:25|
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秋晴れの一日──Terrible Good Day!



いい天気だなあ。秋の澄んだ空。涼しい風。陽射しは暑いほど。年に何度か、思わず感嘆してしまう日が数日あるが、今日はそんな秋の日だ。
先程洗濯をしていたら、あまりの好天に溜め息が出た。こんな気持ちのいい日に洗濯をしていると、高島俊男先生が大好きなものとして「洗濯」をあげていたことがよくわかる。なんか、しみじみと充実感がある(笑)。


oistrakhダビッド・オイストラフのヴァイオリンを聞きつつ気持ちよく仕事をしている。Prokofievはいいなあ。ここのところ仕事がたのしくてしょうがない。すいすい捗る。それもやはり気候による充実感なのだろう。夜は読書がたのしい。
しかしここまで天気がいいとさすがの引き篭もりも外に出たくなる。



東京オリンピック開幕が10月10日であり、後の体育の日になった。いまは毎年日がかわるので実感がない。
むかしの運動会は今ごろが中心だった。今日みたいないい天気に接すると、やはり運動会はこの時期がいちばん、と思う。
むかしの稲刈りも今ごろだった。運動会も稲刈りもいまはずいぶんと早くなった。



Scotlandの田舎で、こんな秋晴れに出会ったことがある。
魔法使いみたいな顔をしたしわくちゃばあさんに、いい天気ですねと挨拶したら、顔をくしゃくしゃにして「Oh Terrible Good Day!」と言った。テリブルは「ジェイソン・ザ・テリブル」しか知らなかったので、こんな使いかたもあるのかと学んだ。日本語で言うと「気味悪いほど美しい」とか、「吐き気がするほど気持ちいい」とか、そんな感じか。あの暗く重い天気の国じゃ、ほんとにもう最高の天気だったろう。



2004年10月26日、茨城の家の庭で、車イスに父を座らせ、病院に向かう日も、こんないい天気だった。
その頃、父は何度か入退院を繰り返していた。腰の痛みから自力歩行がつらくなり、トイレに行けなくなっていた。夜は私が徹夜で面倒を見ていた。父は前立腺から来る頻尿の気があり、一晩に5.6回、用を足した。枕元に私の作ったチャイムのボタンを置いておく。もよおしたらそれを鳴らす。すると私が二階から降りて行き、尿瓶をあてがって処理した。

父はそれを恥じていて、不自由な体で自分でしようとした。しかし精神安定剤という名の睡眠薬を飲んでいるから、意識は半分朦朧としている。手指は思うように動かない。失敗して布団を濡らし、それから私を呼ぶことも多かった。惚けたり、寝た切りになっているならともかく、意識はきわめい明瞭で頭脳も明晰だったから、いくら息子とはいえ、イチモツを指でつままれての尿処理は恥ずかしかったのだろう。いつでも遠慮せず呼んでくれ、おやじと息子の仲じゃないかと何度も言い、やがてすなおに聞くようになった。



父はそのまま家での療養を望んだ。なんの問題もなかった。だが昼の面倒を見ていた母が、躰がもたないと言いだした。母も老齢だったし、小柄だったから、父を支えてトイレに行ったりするのはつらかったろうとは思う。母が「あたしはもういやだ」と言い、また入院することになった。父は不満げだったけれど、私にも24時間は見られない。私も昼夜逆転の生活でふらふらになっていた。

兄夫婦は千葉にいた。兄は東京の会社に通っていた。兄嫁は趣味に生きていた。長男なのに一度も親と同居したことはなかった。こどもふたりはもう独立していた。夫婦だけだ。兄嫁が父母と同居して昼の面倒を見てくれたらすべて解決するのだが、自分の快適さしか考えていない兄嫁が義父の下の世話をするはずがない。兄にそれを命じる甲斐性があるはずもない。

そしてまた父母も、そんな屈辱的な頼み事の出切るひとたちではなかった。ここがへんなところで、田舎のことであるから父母も昔かたぎの長男偏愛主義である。田地田畑ぜんぶただの一度も同居することなく自分達の面倒を見なくても長男に譲り与えた。だったら自分達の面倒を見ろと言えばいいのだが、これまた誇り高くてそんなことは言えない。
いま思えば、昼間、有料の介護士を頼んで世話をしてもらい、私が夜の世話をして、家で死なせてやればよかた。悔いが残る。

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2004年の6月、肝硬変が進行していて、「もっても、あと半年」と医者に宣言された。デッドラインは12月。
10月26日の入院が最後になるのは間違いなかった。父がもう生きてこの家にもどってくることはない。私はその覚悟をしていた。肝硬変から来る腰痛を、ただの腰痛と思っている父は、意気軒昂だった。死をまったく意識していなかった。

奇蹟的な、美しい秋の日だった。ちょうど今ごろの時間だ。父が、「いやあ、すばらしいいい日だなあ」と言った。
私はそれに肯きつつ、泣きそうになるのを気づかれないようにした。父がもうこの家に戻ってくることはない。

やはりそれが最後の入院となり、父は医者の診立て通り、12月10日に逝った。
私は父の遺体を自分のクルマに載せて運んできた。



美しい秋の日にはいくつも思い出があったはずなのに、いま思い出すのは、Scotlandで魔法使いみたいな顔のおばばが言った「Terrible Good Day!」と、車イスの父の背中に手を置いたとき、父の言った「いやあ、すばらしいいい日だなあ」のふたつだけだ。
  1. 2012/10/09(火) 14:08:02|
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輪切り唐芥子話──Iさんに感謝をこめて

wagiri5 輪切り唐芥子が好きだ。ちかくにいいものがないので、埼玉のIさんにお願いして郵送してもらった。
 通販で買えばよかったのだと、迷惑を掛けてから気づいた。鈍い自分が恨めしい。

 「輪切り唐芥子話──Iさんに感謝をこめて

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【追記】──Iさん、ありがとう──たっぷりの輪切りとうがらし

 夕方、「日本一」の「ひなニンニク」を買ってきて、まともなひとなら「えっ! いくらなんでも!」というぐらいたっぷり輪切り唐芥子を掛けて、黒ビールで平らげた。
 嬉しかったのは、そのヤキトリを平らげたとき、あまった、というか、かけ過ぎた「輪切りとうがらし」が、皿の上にかなり残ったのだが、まだまだ大袋に「たっぷりある」ので、それらをゴミとして平然と(笑)処理したことだ。小袋のときだと「ああ、もったいない」になる。というか、小袋だとそんなに思いっ切り掛けられない。今日いちばんの贅沢。
  1. 2012/08/29(水) 06:36:45|
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6年ぶりにクーラーのスイッチをいれる日──節電生活

PCに日記をつけている。いつしか15年分がたまった。これがあるとむかしを振り返るときに楽だ。といってそんなことはめったにしない。忘れたいことのほうが多い恥多き人生。
が、ここのところ頻繁にやっている。当時の天候、温度を確認しているのだ。

今夏、2007年から無縁だったクーラーを6年ぶりに使う。とはいえ節電生活をしているから極力使用を抑えたい。以前は外出するときも「帰ってきたとき部屋が冷えていたほうがいい」と点けたままだったりした。チェンマイでは24時間つけていたら電気代が部屋代より高くなったこともあった。



節電というのはできるものなんだねえ。やってみて感心した。
私の電気代は月9千円ほどだが、同じような間取りで4千円台のひとがいると知った。もっと広い間取りで4千円台のひともいたが、それはもうせつなくなるほどの努力をしている。それは無理としても、私もすこしだけ減らす努力をしてみようと思った。
結果、月9千円が6千円にまで落ちた。パーセンテージでいったらとても大きい。3千円分減らすため意図的な努力をしたかというと、たいしたことはしていない。

やったのは、通年で使っていた電気ポットをやめたこと。熱いものを飲むときだけ小型の電気ケトルを使うことにした。四六時中電源を入れっぱなしで使う電気ポットは、最新の節電型が「電気代は年間8千円」と安いことをアピールしているぐらいだから、旧型の私のはまちがいなく年間12000円以上していたろう。月千円はこれでカットできた。

あとはテレビを見なくなったこと。ブラウン管の大型テレビだからかなり喰っていたはずだ。今はたまにゲームをするときに使う程度。
それと、電子レンジやIHクッキングヒーターをコンセントに繋ぎっぱなしだったのを抜くようにした。これはインターネットで、「IHクッキングヒーターは繋いでおくだけで30wの蛍光灯を点けっぱなしにしているのと同じ電気を食う」と知り、やってみることにした。

たったこのみっつのことを実行しただけで月3千円も節電できた。逆に言うと、今までいかに無駄が多かったかだ。



現在私の生活でいちばん電気を食っているのは、フルタワーのデスクトップ機だろう。ディスプレイも2台使っている。これを封印してノートにすればより節電できるはずだ。でもこれは無趣味な朴念仁の唯一の趣味みたいなものだからやめがたい。この文章もそれで書いている。チューンナップされた自作機の大型画面でないと何もやる気になれない。平机でノートを開きメールチェックをしたあと、返事を書くのにわざわざパソコンデスクに行き、椅子にすわり、どでかいデスクトップ機を起動するぐらい偏愛している。これでないとパソコン作業をする気になれない。11.5インチのFWXGA(1366*768)ですら狭くてイヤなのだから私にiPadやスマートフォンは無理。

それでも以前はそのメールチェックをするためだけにデスクトップ機を起動していた(というか24時間起動していた)ぐらいだから、当時と比すればまともになってきている。ノートでメールチェックして、緊急に返事を書くメールはないと確認したらデスクトップ機は起動しない。これだけでもデスクトップ機を通年起動していたときよりは遥かに節電している。

書いて気づいた。いまインターネットはメールチェックだけで日に1時間も使わないのに24時間ルーターの電源を入れている。これも切った方がいいのか。
とまあ節電を意識するとこんなことを思うようになる。ルーターは12VのACアダプターだ。こまめに切れば月10円ぐらいの節約にはなるか。面倒だからしないけど。(いや、1時間使うためだけに23時間を無駄にしているのはかつての電気ポットと同じだ。やるべきなのか。)



せっかく根づきつつある節電生活だから、クーラー入れまくりで元のだらしない生活には戻りたくない。
デジタルの温湿度計を購入して日々タイミングを計っている。安物のアナログ温湿度計とはちがって細かく数字を出してくれるので説得力がある。

真冬も暖房いらず(炬燵だけで充分だがそれすら要らない日も多い)というぐらい暖かい私の部屋は、夏場は自慢できるほど暑くなる。34度はザラ。いちど扇風機が効かなくなった(=扇風機の風が熱風で痛い)ぐらいだから、あのときは体温を超していたことになる。36度以上か。

そんな日は水風呂の中で読書をして過ごす。
それは7月の何日だったか日附を確認するために、ここのところこまめに記録的猛暑と言われた一昨年や昨年の日記を読みかえしている。と、ここでやっと冒頭の一行に繋がった。



一昨日、本格的真夏日になった。室温は31度、湿度69%。
かなり暑かったが、これぐらいは扇風機1台を弱で廻すだけで楽々パス。猛暑をクーラーなしで乗りきってきたからだいぶ暑さに強くなっている。
34度のときは腰巻バスタオルで上半身裸、躰の両側から2台の扇風機を強で廻しそれでも青息吐息だったから、この3度の差がいかに大きいかを知る。
これで耐えられなくなったら最終兵器の水風呂だ。

今朝は涼しかった。5時起床。室温23度、しかし湿度79%!
いま8時半。室温27度、湿度70%。扇風機も要らない。



6年ぶりの初クーラーはいつになるだろう。
昨年の今日の日記を読むと、もう日に3回も水風呂に入っている。一昨年のを読むと、7月5日にはもう水風呂だ。3年前の今日は「熱帯夜で暑くて眠れなかった」とある。
今年が例年より涼しいのはまちがいないようだ。

極力使用を抑え節電生活を続けたいが、楽に慣れるとくずれるのは早い。どうなることやら。

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【追記】──昼に水風呂という贅沢

今どきクーラーなしの貧乏人がそれを手にしたなら、生活は向上➚である。一般的には。 
しかし私の場合はちがう。クーラーを導入し、人並みの生活時間にせねばならない事態に追いこまれたのだ。わたし的には凋落➘になる。

真夏の平日の昼間、クーラーがなくて暑い暑いと嘆きつつ、水風呂に漬かって読書する。
暑くて眠れなかったら好きなことをしつつ、眠くなるまで起きている。眠くなったときに寝る。そんな生活。
それはクーラーの効いたオフィスで仕事することよりも贅沢だったのだと今になって気づいた。



【追記.2】──28度設定?

今日は7月10日。いま室温29度、湿度60%。扇風機もいらない。きわめてすごしやすい温度。
先日の31度で扇風機がいる程度だった。
となると私の部屋では、室温34度、35度になる猛暑日に、クーラーで30度にするぐらいが適切か。

クーラーが効きすぎて、女子社員が真夏にひざ掛けを使うなんて狂った時季もあった。まことにくだらん。社内と社外、あるいは駅の暑さ、電車の涼しさ、躰が体温調節に苦労する。そしてまた真夏でもスーツにネクタイという愚。その後、クールビズだの28度設定だので、いくらかはましになったようだ。 

いまのところ私には28度でも涼しすぎるぐらいだから30度設定にでもするか。クーラーの30度設定ってのもけっこう笑える気がする。 でもそれは室温35度を知らないから。それはそれはキツい。
おそらく私は室温35度になる焼けつくような猛暑日に、クーラーで30度に下げて天国を味わうのだろう。それで充分だ。
  1. 2012/07/07(土) 09:10:57|
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いぐさマットとバスタオル──夏の衣更え──Oscarの「A night in Vienna」



 夏と言えば藺草である。
igusa


 あの香りを嗅ぎつつごろ寝する時間は愉しい。
 ベストは福岡産か。



 近所で適当に買い、よれよれになったら捨てていたが、今年は通販で撰んでみようと思った。
 調べたら高い。

 そりゃまあいい品は高いでしょう。

 通販ニッセンで二度目のお買い物になるか。


 

igusa2

 ハードディスクケース等を買うとき、「ハードディスクは附属しません」と書いてあったりする。こういう場合も同じく、「商品はゴザのみです。女性は附属しません」と書くべきなのではないか。いぐさゴザを買うとこの女も附いてくるのかと、よからぬ想像をしてしまった。かといって5枚買って5人も附いてきたら困る。おじさん、からだがもたんよ。じょせふぃーぬ、もうちーずはたくさん。






 パソコン机のキイボード下に敷物は缺かせない。

 冬場はハーフサイズのブランケット。夏場はビッグサイズのバスタオル。衣更えでバスタオルの出番。



 愛用のバスタオルがへたってきた。覿面にビンボくさくなる。
 ふわふわ感が命なのに、へなっている。柔軟剤入れて洗っても戻らない。
 ぽっちゃり娘と結婚したのに、所帯やつれして骨ばっているよう。
 苦労掛けて、すまんな。
 ふうん、やつれって「窶れ」って書くのか。使わん。

 一日の大半を過ごす場だから、ここは奮発しないと。

 バスタオルもいいものは高い。


 さて、それじゃ英国王室ご用達の店へロールスロイスで出かけるか。









 しまむらへ自転車で。

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【追記】──15:39

 向かい風の中を何キロも走って出かけたのに棚卸で休み。ついてない。
 でも汗を掻いたので朝のバーボンが抜けた。いい運動になった。

  いまからウオトカ。BGVはDVDのOscar Peterson[A night in Vienna]。オスカー、79歳のときのライブ。ジャズ・ミュージシャンはドラッグをやるのでみな短命だが彼は長生きだった。ホールの客があったかい。Living Regend だものね。
 いつも音だけなので、たまにはこんな映像も愉しい。

oscar

  1. 2012/06/05(火) 13:25:42|
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ハイビスカスが咲いた!──よれよれでもうれしい



 窓ぎわに置いておいたハイビスカスが咲いた。写真はひとつめの花で、もう萎れそうで元気がない。葉も、全体的に、なんとなくしょぼくれている。それでもたくさんの蕾が希望的だ。



 今朝、ベランダに出してやった。室内に入れたのは去年の10月だったか。半年ぶりの直接の陽光と風だ。気分がいいだろうね。



 しょぼくれた花でもうれしいのには理由がある。



 じつは20年来の友人になるこのハイビスカスが、昨年まったく花をつけなかったのだ。初めてのことなので焦った。急いで土替えをした。鉢植えのハイビスカスの土替えは毎年やるのが基本だが私はいいかげんだ。田舎にいるころなど3年も4年もほったらかしにしていたこともある。



 いまの地に来てからは毎年やっている。一昨年も土替えはやっていた。しかし昨年咲かなかった。花をつけない。あらためてやってみた。ひとまわり大きな鉢にして、肥料もたっぷりいれて最善を尽くした。でも咲かない。元気に生きてはいるが、花の咲く気配はまったくなかった。ショックだった。









 写真は2002年ころの真夏、茨城の家でのもの。



 土替えは3.4年に一度しかやらなかった手抜きの時期。それでもこんな感じで咲きほこっていた。もう、こんなに咲いていいんかいというほど咲きまくっていた。



 この茨城の家の2階も、窓辺は冬でも温室のようだったから、ほとんど通年咲いているぐらい元気だった。



 それがいきなりたったひとつの蕾すらつけなくなった。木そのものは元気なのだが、蕾をつける気配がない。心配した。



 しかしこれ以上私に出来ることはなかった。とりあえず元気だし、こうして過去の花の写真もあるし、それはそれで諦めるしかないのかと思った。







 これを買ったのは、茨城県の「美野里町園芸センター」というところだった。私の生まれ育った家からはクルマで40分ぐらいの所。草花の好きな老父母を乗せて、よく出かけた。



 美野里町という、「美しい野の里」なる、いかにもな町名は昭和31年の町村合併で考案された造語だ。今はない。平成の大合併で、川町、野里町、里村が合併し、今度はその町名を1文字ずつ取った「小美玉市」というバカみたいな名前になっている(笑)。美野里町なんてうつくしすぎる名前もこそばゆいが、「小美玉市」なんてパカっぽいのにも苦笑する。







 咲かなくなってしまって心配したのには理由がある。「年なのか」と思ったのだ。



 20年前、美野里町園芸センターで、980円で買ったときは、20センチぐらいの鉢に入った、丈も20センチ程度のちいさなものだった。それを1メートル50センチぐらいの大きさまで育てた。そうして何年目からは写真のように咲きほこっていた。



 東京に戻るとき、70センチぐらいに剪定して持ってきたのだが、その後も国立のマンションでも咲きほこっていた。とにかくまあ元気で、真っ赤な花をつけては、悩み多い私を慰めてくれた。その間、10年以上一緒だったゴムの木とか、そんなのも枯れてしまい、いつしか「生き物」ではいちばん長い友人となっていた。生き物でなければ30年40年以上つきあっているギターが何台もあるが。







 花木の盛衰はわからない。ただあれだけ咲いたものが、ベストを尽くしたのに、一年経ってもまったく花をつけないのだから、それは女の閉経のように、終ったのだろうと思うしかない。買ってきたときがこどもであり、あの咲きまくっていた時期を青春とするなら、いまは晩年なのだろう。それしか解釈が出来ない。



 咲かなくなってもいとしさに変りはない。一緒に生きてきた時間がある。白髪のじいさんばあさんみたいに、咲かなくなったハイビスカスを、観葉植物と思うことにして、一緒に生きて行こうと思った。それでいい。垂直に2メートルも跳んだ猫が、年老いて歩けなくなるところまで見てきたから、花にもそんな年齢による衰えがあるのだろうと思うことにした。



 と思っていたとき、3月に蕾をひとつ発見した。背筋がぞくぞくするほどうれしかった。丸二年以上蕾を見ていなかった。しかしまだ本調子じゃないのか、いやまだ季節的に冬だったのだから当然だろうけど、蕾はもっても、花にならなかった。咲けずに、ずっと縮こまっていた。



 それが、よれよれながらも、とにかくひとつ咲いたのである。

 こんなにうれしいことはない。

 今日の陽光を浴びて、より元気になることだろう。



---------------



 2年前、2010年の4月は寒かった。桜が咲いて、散ってから冷えこみ、4月18日に雪が降っている。

 あのときの異常さを覚えているので、まだ春になったと信じられない。

 冷えこんだら、すぐハイビスカスを室内にいれる用意をしておこう。今日も大事を取って夕方には室内にいれよう。



 私には、この旧友のハイビスカスが元のように元気になったとは思えない部分がある。失意の私を励ますために無理して咲いてくれたのではないか。それこそまだ10年ある寿命を1年に縮めて。

 そんな気がしてならない。

 取り越し苦労だといいのだけど。
  1. 2012/04/12(木) 12:06:46|
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明け方ひとり鍋──柚子の思い出──父母の育てていた草花

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柚子が好きだ。季節外れの時期にも乾燥ものを買って愛用しているぐらいだから、旬のこの時期はたまらない。
そしていつも思うのは、庭に柚子がなっていた時代への郷愁だ。
外門のあたりにかなり大きな柚の木があった。それをもいで父が柚子湯にした。春の菖蒲湯と冬の柚子湯は忘れない。大根との漬物も好きだった。当時の私はまだ酒を飲まないから柚子の本当の魅力はわかっていなかった。それでも柚子と言えば真っ先にこの木を思い出す。これを兄があやまって切ってしまう。写真は、晩年に父母が購入した鉢植えのもの。柚子は観賞しても風情がある。

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親が果樹好きで、物心ついたときから、庭に数多くのものがあった。そのことを今になって感謝する。でもそのころはその価値に気づいていない。柿、蜜柑、金柑、柚子、枇杷、無花果、石榴、梅、桃、グミ、一時は父が葡萄や梨も作っていた。父は勤勉な教員だったが、よくぞそのあいまに果樹つくりもやったものだ。あとはなにがあったろう。

百日紅(さるすべり)の花も思い出深い。つるつるの木肌で、猿すべりとはよくぞ名づけたものだと子供心に思った。



桜も吉野から八重からいろいろあった。果樹じゃないけど。これは黄色の八重桜。

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これは鉢植えの蜜柑。
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柿の木の若葉は美しい。
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が、晩秋の枯葉もまた絶妙の味わいがある。
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父が林檎の木を植えたが実がならなかった。気候がよすぎて出来ない果物もあると初めて知った。
ああ、キウイもあった。あれがマタタビ系というのは愛猫が幹にしがみついてゴロニャンするのでよくわかった。そこいら中の猫が寄ってきて幹を引っかいてしまうので、キウイの木の下部には金網を捲いて防いでいた。

キウイというのはニュージーランドの果樹だ。タイのチェンマイに豪邸を建てて住んでいる友人が、キウイ大好きで庭に植えたのだが、チェンマイでは実らないと嘆いていた。温暖ならいいというものでもないらしい。我が家で林檎が実らなかったのもそれになる。同じく温暖すぎるタイでは林檎がならないので高級品だった。ならないのだからタイにはリンゴという単語はない。アップルをタイ風に発音したエップンがそれになる。タイのオネーチャンと親しくなるとエップンを買ってくれとよくせがまれたものだ。日本からの輸入物だった。いまは支那からの輸入が増えてだいぶ安くなった。20年以上前の話。

ニュージーランドは日本に似た四季があると言われている。それがあっているのか、我が家のキウイはいつも食べきれないほどなった。キウイの写真がなかった。残念。下の写真の斜め右上のあたりに直径10センチほどのオスメスが二本ある。オスとメスがないと結実しない。

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私の育った家は、本来二軒分の屋敷だったのだが、一軒を東京から来た祖父の後妻がもっていってしまったので、やたら庭が広かった。そこに父母が好きな果樹を植えたものだから、柿の木なんて屋敷内に8本もあるほどだった。田舎の没落地主によくあるように、家の周囲の田んぼと畑はみな我が家のものだった。それらはみなひとに貸していたがやがて休耕田になる。果樹のいくつかはそこにあった。桃や柿の木の何本かはそっちだった。
写真は桃の花。桃はあんなに甘くておいしいのに花まできれいだ。もぎたての桃の甘さも忘れがたい。

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そういう環境で育ったことを今になって感謝する。



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これは、ナナカマドだっけ? 7回かまどにくべても燃えないほど堅いのでナナカマド。



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しかしひねくれ者の私は、いつもないものねだりだったので、庭にある豊富な果樹よりもアメリカからやってきたコカコーラや怪しい着色のお菓子を好んだ。
誰も食べないままくちてゆき、蜂がたかっている無花果が、東京で高価なのを知ったときは愕いた。キウイも食べなかったなあ。好きだったのは枇杷と桃ぐらいか。

木になって熟した味を覚えるとスーパーのものは食えなくなる。いちばんそれで思うのはトマトだ。木で自然に熟したトマトはほんとうにおいしい。青いのをもいで流通の時間で赤くしたのとは別物だ。
父は退職後、家の前の畑に西瓜を作ったりもした。あれはうまかった。なにしろ一年に3コの貴重品だ。

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母が異様な草花好きだったのでいつも家中、庭中に花が咲いていた。ホームページに書いたことだが、一年に一晩だけ咲く月下美人というサボテンがある。夜に咲いて朝には散ってしまう。一年に一夜だけだ。あれなど小学生のときから経験していた。母がうれしそうに「今夜咲くぞ」と楽しみにして、咲いたら私にも感動を強要したが、私は「ふ~ん」てなもんだった。東京に来てから、感動の一夜として語られている随筆を読んだりして、自分がいかに貴重な体験をしていたかを知る。

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父は草花は菊だけ。懸崖とか、かなり凝っていた。秋は毎年、父を乗せて、水戸や笠間の菊人形展を見に行った。「菊人形」というのは知らない人には想像もつかないだろう。

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べつに当時を恋しいとは思わない。最高の果樹よりもコーラを好んだ自分を愚かとも思わない。ひとは、そんなものだ。だから「青い鳥」みたいな物語も生まれる。

でも1個200円から、やっと値下がりしてきた柚子を手にしていると、庭からもげた時代のしあわせをぼんやりと思う。せっかくの庭になっている豊富な果樹も、私には宝の持ち腐れだったけど、それに接して育った感謝の気持ちはもっている。

「桃栗三年柿八年、柚子の大馬鹿十八年」と言う。柚子が実るまでには時間がかかる。

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Clip-It


私は写真があまり好きではなかった。銀塩カメラは高校時代からもっていたがほとんど使っていない。現像に出すという面倒さ。そこから仕上がってくるまでどう撮れているのかわからないまだるっこさ。デジカメはこれをすべて解決した。1997年にデジカメを買ってからは、物珍しさでかなり撮るようになった。写真は富士写真フイルムのClip-itという初期の製品。Fine-Pixの前の機種だ。今の製品から見るとおもちゃのようなものだが、外国旅行や、この花や果樹の写真、父母の写真、猫の写真、どれほど私の人生に役だってくれたろう。これらの写真が消えたら生きて行けないほど落ちこむから、CDやDVDに焼いて複数複製を所有している。

父母はもういない。田舎の家は兄のものになったが兄夫婦は都内のマンションに住んでいて、月に一度程度空気を通しに帰るぐらいだ。庭は荒れ放題。花はみな枯れはてた。あるのは柿の木と桃、梅、桜、そういう手入れのいらない樹木だけ。庭師が入っていないので枯山水のあたりもひどいことだろう。その意味でこの写真は貴重なものになる。
私には姉と兄がいるがふたりとも草花にはまったく興味を示さなかった。私は少年の頃、母に教えてもらってかなり花を作った。父母からはおまえがいちばん草花好きだと言われていた。もちろん彼らはこんな写真は一枚ももっていない。私がプリントしてあげると言っても興味がないからいらないと断るだろう。
父母の作品である草花や果樹の写真を何百枚と持っている。その一部をブログに載せた。すこしは供養になったろうか。

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IHクッキングヒーターは便利だ。写真のものは20センチ四方。ガスのカセットコンロと比べたら、いかにちいさくて便利なことか。なにより安全だ。もちろん電気がないところでは使えないが。それと、ちょっとうるさい。

明け方に、これでやるひとり鍋が好きだ。わざと窓を開け放し、寒風に顫えながら、お湯割焼酎に柚子を入れてすすっていると、わびしさがしみこんでくる。でもそれは決して不快なわびしさではない。ほっとするひとときだ。お湯割焼酎の温かさがありがたくて、ありがとうと両手の中のカップに礼を言ったりする。

12月は父母の命日がある月だ。まとまってくれたので親不孝な私もさすがに忘れない。今日はふたりの命日の真ん中ぐらい。父母の命日は書けない。なぜなら銀行カードの暗証番号からウェブサイトのパスワードまでぜんぶそれだからだ。ハッキングされたら私の巨額な銀行預金──たしかいま4350円ぐらい──が危機にさらされる。

さて、鍋が煮えたようだ。いま午前4:41。大原庄助さん状態に突入。
  1. 2011/12/18(日) 04:47:23|
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パソコン冬支度──背景はたき火──たき火への想い

デュアルディスプレイの背景を写真の「たき火」にした。冬支度である。

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これを23インチ2面で赤々と燃やしていると、寒い朝は手を翳したくなる。
だいたい午後9時就寝午前3時起床の生活なので、真冬の朝はかなり冷えこむ。私は全体暖房をしない。こたつの部分暖房だけだ。ホットカーペットも贅沢と自粛。でもデスクトップ機のある机の下に小型の電気ヒーターは置いている。さすがに真冬の明け方は、これがないと寒い。厚着をすれば上半身はなんとかなるが足もとの冷えはいかんともしがたい。
足もとを温めてもキイボードを打つ手は悴む。そんなとき、手を擦りつつ、ディスプレイのこの絵に手を翳す。



夏場の背景は逆にこんなのを使う。クーラーのない猛暑の日々なので、この寒々とした雪景色で、せめてもの涼を願う。

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そんなものに何か効果があるのかと問われたら、それはまあないと言うしかない。たき火背景のディスプレイに手を翳しても暖かくはない。わたしとしては、こんなことが好きなんです、と、ついでに、こんなことが好きな自分が好きなんです、と「恥ずかしながら(by 横井庄一)」応えるだけだ。

真冬の朝、悴む指を、フルタワーの自作機のほんのりと暖かいハードディスクに乗せて暖を取ったりするのが好きだ。なんか、たのしい。夏場は不快なハードディスクの発熱も、冬場はいとしくなる。

1月から2月、あまりに寒い朝、しんぼうたまらんとガスファンヒーターを点ける。あっというまに春のようになる。すると、「いかんいかん、こんなことをしてはいかん」という感覚が芽ばえ、急いで消す。私のようなカスが、そんな贅沢な環境にいてはならないという戒めの意識は強い。

これから真冬を迎えるにあたり、室内で厚着をして、暖房はこたつだけ、といういつもの生活予定に不満はない。むかし、品川時代、ガスストーブで春のような室温にし、冷えたビールやアイスクリームを愉しんだ真冬もあった。それは私にそういう資格があったからだ。今の私にそれはない。今年もホットカーペットとガスファンヒーターは厳禁としよう。



18まで田舎で育ち、そこから東京に出た。40過ぎに老齢の父母の面倒を見るために田舎にもどった。東京のアパートは借りたままの二重生活であり、年の半分は外国だったから威張れたものではないのだが、私なりに父母の世話をした自負はある。
50を過ぎて、二親を見送り、また東京に戻った。

こどものころから、とにかくもう大嫌いな田舎であり、親のいなくなったいま、思い出すことすら忌わしいが、いまも唯一いとしいものがある。たき火だ。田舎の没落地主によくあるように私の家の周囲の土地は我が家のものだった。時節がらみな休耕田である。その広々とした田んぼの真ん中でたき火をした。冬の夕暮れ、倦きることなく、一時間も二時間も火を見つめていた。夏場もやった。真夏、汗だくになりながら炎を見つめていた。炎は何故にあれほどひとを惹きつけるのだろう。

いまもそれに対する熱烈な憧憬がある。
たき火をしたい。

たとえば「本」の焼却。何十冊もの本を紐で縛って収集のゴミに出すのと、一冊ずつ焼くのでは感覚が異なる。
それなりの理由があって廃棄すると決めた本を、一冊ずつ燃やし、灰になって行くのを見つめるのは趣がある。

私にもういちど「たき火」の愉悦は訪れるのだろうか。
ディスプレイで、赤々と燃える火を見つめながら、そんなことを考えた。

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【附記】──たき火のかたち

こういうことを書いたあと、敢えてひとに嫌われる附記を書くのは愚かなことですが、ただきっと発生する誤解だと想うので念のために書いておくと、都会のちいさな建売住宅の庭での「たき火」と、私の願っている「たき火」は違います。それは主張させてもらいます。この文を読んで、「あ、このひと、たき火が出来ないんだ。ウチはできるもんね」と思う人がいるかもしれませんがそれは勘違いです。私の好きなのは、そういうのよりはもうすこし豪快なものになります。
  1. 2011/12/09(金) 05:05:16|
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赤トンボは黄泉の国から──愛猫を偲ぶ

愛猫をうしなってから部屋に紛れこんでくる生き物がみな彼が変身して会いにきたものに見えてしまう。

この「変身」でいちばん有名なのは赤トンボだ。赤トンボは黄泉の国から来るものだから、採ってはいけないよと、こどものころ年寄りに言われた。あのころを思うと、ほんとに「こどもはみんなのもの」だった。わるいことをしたら見知らぬおとなに叱られたし、こういうことも近所のおじいさんおばあさんが何でも教えてくれた。私は祖父母を知らないがお蔭で年寄りのいい想い出はたくさんある。
もうそんな時代じゃないかと思いつつ検索してみると、いまの若い人も「むかし祖母に言われたけど、赤トンボって……」という書きこみを多数みかけた。
あれはどこから来た伝承なのだろう。盂蘭盆の頃に飛ぶことから来たのか。いとしい存在が姿を変えてあらわれる生き物では赤トンボがダントツだ。



天皇賞馬ニッポーテイオーやエリザベス女王杯馬タレンティドガール、最近だとオークス馬スマイルトゥモローのオーナーブリーダーであり、今年は持ち馬であったトレンドハンターが故障してしまったけど、ホエールキャプチャの生産者として名高い千代田牧場の飯田家では、上智大学に通っていた美しい娘さんが急逝している。〝才媛〟タレンティドガールはお母さんの飯田政子さんが娘さんを偲んでつけた馬名。
政子さんが牧場で馬を見ているとき、肩に赤トンボが止まった。あの娘が帰ってきたのだと政子さんはそのときの馬に「アカトンボ」という競走馬名をつけた。政子さんからこの種の話を何度聞いたことだろう。



以前、パソコンデスクのディスプレイにカマキリが止まっていた。
いったいどこから来たのだろう。なんでカマキリが部屋の中にいる。
住まいは一応市街地であり、私の部屋は三階だ。
名を呼んで話しかけると返事をするかのように足を動かす。
うれしくて、なつかしくて、かなしくて、泣きながらずっと語り掛けていた。

カマキリは三日間いて、ある朝、消えていた。
あれは落ちこんでいた私を励まそうと帰ってきてくれたのだと、いまも信じている。



そのことがあってから迷いこんでくる何もかもが彼に見えてしまう。ゴキブリや蚊でさえも。
もちろんこれは「はぐれ一匹」であることが大事だ。

去年の記録的猛暑時、ゴキブリが異常発生した。私の部屋ではゴキブリなんて近所から紛れこんできたのを数ヵ月に一匹ぐらい見かけるだけだ。だからこそそれまで何度かゴキブリですらも「彼」だと思ったりしたのだが、去年の夏はいやはや気が狂うほど発生した。私はゴキブリなんてまったく平気だが、いるはずのないやつらが台所を我が物顔に集団で走りまわっていて、なんとかせねばと十年ぶりぐらいで購入して仕掛けたゴキブリホイホイに隙間なく何十匹と入っているのを見たときはさすがに気味が悪くなった。知識のあるひとのサイトで「異常気象の年には昆虫が異常繁殖する」とあり、それで納得したが。今年の夏など去年の異常猛暑と比べたら夏ですらなかった。
で、ゴキブリにだけは感傷的にならなくなった。彼にもゴキブリでだけは来ないでくれと伝えた。



昨日から蝿が一匹飛んでいる。
いくらなんでも蝿はあるまいと思うし、彼にも蝿やゴキブリは避けるように言ってある。
でも私の部屋で蝿を見たことがない。まさかとは思うが。

BGM-David Lanz 「A Whiter Shade of Pale」

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【附記】──いまも現役馬でアカトンボというのがいるようですが、それとはちがいます。古い話です。
  1. 2011/10/12(水) 10:36:55|
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テレビのない生活──見ない・見られない・見たい

テレビのない生活──見ない・見られない・見たい

やらなきゃならないことがたくさんあるのに、テレビばかりで日曜を過ごしてしまった。まずい。反省。
フジテレビのボロボロの國旗とか、韓流批判のデモとか、かといってビートたけし批判は筋違いだろうとか、書きたいことはいっぱいあるのに、テレビを見てちゃいかんよなあ。
  1. 2011/09/26(月) 05:07:24|
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IHクッキングヒーター発火

水餃子と焼き餃子とかどうでもいいことをちんたら書いてしまった。書きたかったのはIHクッキングヒーターが発火したこと。そのきっかけが水餃子だったことだ。書きだしたらそっち方面のことを延々と書くので独立させた。つまらんまわり道。
焼き餃子の日々を送っている内に、そういえば支那では水餃子だったと思い出し、たまにはそれもいいかと茹でてみた。できあがり、ビールで一杯というその瞬間、停電した。そのまえになんかプラスチックが焦げるようないやな臭いはしていた。でもよその部屋だと思っていた。真っ暗な部屋の中、台所の方に火の手が見えた。そのときにはもうプラスチックやビニールが燃えるときのあの独特の臭気が充満していた。

台所に行くとIHクッキングヒーターから火が出ていた。蛇口をひねると水道が出た。よかった。大震災以降、風呂の水は溜めるよう心懸けてている。手おけに水を汲んで発火しているIHクッキングヒーターにかける。周囲の油撥ねを防ぐためのアルミホイールも燃えていた。火はすぐに消えた。たいしたことはなかったが煙がすごいことになっていた。息も出来ないほど。

懐中電灯は手探りでもわかる位置に置いてある。これも大震災以降に根づいた習慣だ。それを手に、ドアを開け放ち、廊下に出た。さいわい静かだった。両隣は留守だ。煙に気づいて隣室のひとが飛びだしてくるような事態になっていなかったのは救いだった。廊下の電気もついている。停電は私の部屋のブレーカーが落ちただけのようだ。懐中電灯を手にベランダから階下を覗くとみな電気はついている。よかった。私の部屋だけの問題だ。
消化したことを確認し、IHクッキングヒーターのコードを抜き、落ちているブレーカーを上げる。部屋中に真っ黒な煤が待っていた。曇って見えないほど。
IHクッキングヒーターの後ろの部分が溶けてなくなっていた。10センチ四方ぐらい。
扇風機、換気扇を総動員して排気する。

台所の食器類は煤を被って真っ黒になっていた。冷蔵庫や電子レンジも。簡単に落ちると思ったが、プラスチックビニールの燃えた煤というのは、さっと拭くと溶けてこびり付いてしまい、それを落とすには強烈な洗剤が必要だった。食器類はぜんぶ本格的に洗いなおさねばならなかったし、冷蔵庫や電子レンジ、網戸にまとわりついたものを落とすのは面倒だった。いまもまだ終っていない。たとえば白いカレンダーにくっつているような煤は、拭いたりしたらつぶれて染み着いてしまう。上手に振りはらわねばならない。わずらわしいことが続く。



さて肝腎要の発火の原因だが。
水餃子を茹でて、食器に盛り、熱いうちに食わねばと坐卓に運んだ。そのときIHクッキングヒーターのスイッチを切らず、そこにまた空の鉄鍋を載せてしまったらしい。事故後からはそう推測される。そこから加熱しての発火だった。こういう場合、自動的に電源が切れる=発火しない、というのがIHクッキングヒーターの売りでもあるのだが、私のは安物だったし、もう4年も使っているから、これはこれでしょうがない事故だったと思う。その安全性にすこし慣れていたから、いい戒めになった。
最近の安物のIHクッキングヒーターには「一日30分の使用で2年間使える」と書いてあるとか。私のにもそんなことは書いてあったのか。記憶にない。そういう点では寿命だった。

IHクッキングヒーターはタイマーが効く。とにかく便利だ。だから私はちかくのコンビニに新聞を買いに行くあいだに湯を沸かしておいてもらおうと思ったりしたことがあった。タイマーを5分に設定しておけば、その間にわかしておいてくれるし、万が一私の帰宅が遅れる事態になったとしてもそこで電源は切れるから事故になることはない。これはガスでは絶対に思わないことだ。ガスだったら燃え続けて火事になる。現実にそんなことはしなかったけど、そんなことを思うほどIHクッキングヒーターというのはガス台とはちがう感覚のものだった。しかし今回のことを思えば、決してそんなことをしてはならないとあらためて思う。過大な信頼は事故に繋がるし、なにより火事というのは、自分だけの痛みではない。

スパゲティを大鍋で茹でるときは、適当にタイマーを合わせておき、時間切れの警告音で呼んでもらう。それで沸騰度合を確認に行く。その間はパソコンに向かっている。私は一度パソコンに向かったら熱中してしまうから、これなどもガスだったら危なくて出来ないことだ。そういう便利さに慣れ慢心していた。いい警告になった。

そのうちまた購入するつもりだが、しばらくはガス台を使う。IHクッキングヒーターのようなタイマーはない。警告音もない。心して対処しないと。
ちいさな火ではあったが、火事のおそろしさを再確認した出来事だった。
  1. 2011/08/18(木) 07:15:33|
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テレビのない生活──上原美優、岡田有希子──映画「ディパーテッド」

テレビのない生活──ロンハーの上原美優──岡田有希子の思い出

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【外装工事始まる】

クーラーのない生活をしている身としては、過ごしやすい夏に感謝していたが、今日から住んでいる集合住宅の外装工事が始まってしまった。一ヶ月ほど続くらしい。今日はまだ足場組みだが、もう8時半からうるさくていられない。ノートパソコンを持って図書館に避難するしかない。それでも毎朝、開館の10時までは苦しむことになる。この図書館は毎年7.8月は受験生たちの勉強を考慮したのか開館を9時半に早めていたのだが、今年は節電ということで10時からのままにしている。そういう節電にどれほどの意味があるのだろう。まあ公共機関として手本を見せるということなのだろうが。

去年、記録的猛暑が一息つき、やっと涼しくなってきた9月半ば、隣の大型マンションの外装工事が始まった。図書館通いの始まりである。それがなんとクリスマスまで続いた。丸々三ヶ月、ほんと、ノイローゼになりそうだった。

工事のない日曜は、静かであることはこんなにも快適なのかと一日中部屋でごろごろしていた。逆に工事があり図書館が休みの月曜が困った。電車に乗って本を読むという苦肉の策を思いついたが、いくら軽い鉄ちゃんの気があるとはいえ、目的のない電車に一日中乗っているというのもつらかった。日曜夜には、「明日は月曜か」と勤め人的な憂鬱を感じた。小説や将棋雑誌、音楽系の本をバッグに詰めこみ、iPodの音楽とポットに飲物を用意し、思いついた駅で降りての構内での食事や、奥多摩の無人駅のベンチに寝転んで文庫本を読んだりして、愉しいと思った時もあったが、所詮騒音を避けての避難なのである。これが好きでやっているのならもっと楽しかったろう。
隣のマンションのそれにも我慢したのだから自分のところは耐えねばならない。
問題はやはり月曜日だ。どうしよう。

さあて、いま9:35分。そろそろ出かけよう。

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3時に寝て6時起きだったので睡眠不足。図書館でももう一歩集中できない。午後になると眠くなってきた。帰って部屋で横になりたい。でもうるさくて無理。
ということで15時ぐらいからはもう「17時には工事が終るはず。帰りたい。早く17時になれ」とばかり願っていた。
17時すこし前に出ようと思ったら、そこで雨降り。急速に空が暗くなってその気配はあった。待ちかねて、帰ろうと思ったその瞬間から降り始めるとはついてない。いま使用しているパソコンバッグが革製なので雨の中は動けない。もういちど図書館に戻り雑誌を読む。30分ばかり雨宿りして、それから帰宅。
蒸し暑くて汗を掻いた。急いでひと風呂浴びて、19時から倒れこむように眠る。22時起床。スッキリ。
これからこんな生活が一ヶ月続くのか。
  1. 2011/08/03(水) 09:36:02|
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安線香の香り──墓場線香←田舎を想う

00sei.gif私は「におい」にうるさい。目が悪い分、鼻は利く。鼻がでかくもある。顔はマスターキートンを想像してくれ。嗅覚に関しては一流だと自負している。味覚は二流、聴覚は三流か。長年音楽をやってきた人後に落ちない音楽好きとしてこれほど悔しいことはないが、でも耳は悪いな。それと比べると、ほんと鼻は一流だ。といっても私は「猫派」だ。嗅覚の「犬派」とは考えを異にする。



ここで犬の嗅覚の話。犬が人糞を大好きなように(そもそも「夫婦喧嘩は犬も食わない」は、人糞を食う悪食の犬に呆れた人間が、その犬ですら夫婦喧嘩は食わない、から来た犬の悪食を強調した格言だ)、ひとの何万倍とも言われる嗅覚の犬と人間の「いいにおい」の感覚はちがう。絶世の美男子がドブスを好きだったりするように、犬の嗅覚の凄さを人間的に解釈することは無意味だ。



私は臭いことを嫌う。かといって「消臭材」の甘ったるい香りはきらいだ。あの種の商品を買うときは「無臭」にする。そういう私でも時にはほのかな香りを欲するときがある。その役目は線香でまかなっている。消臭材の「無臭」というヤツで生活臭を消してもらえばいいが、それとはまたちがった「臭い消し感覚」も必要になる。私は自分の生活空間に「ミントの爽やかな香り」も、「カリフォルニアのグレープフルーツの」も要らないが、私なりに「いいにおい」が欲しいときもある。私にとってのそれは線香だ。

「伽羅」とか「天壇」とか、値段は高いが、雰囲気のあるいい線香がある。私の部屋の「におい」はそれだった。私個人のオーデコロンはここ5年ほどネット通販で買うBVLGARIだが生活自体は線香臭い。



先日、その線香が切れた。買いに行った。私はケチった。馬券に負けてボロボロの時でもあった。盆がちかいからか、ちょうど「青雲」が安売りをしていた。それを買ってきた。値段的に言うと普段買っている線香代2000円を450円で抑えた、というような感じだ。馬券の負けがあり一日一食というような追いこまれた状況だったから、そのときは「いい買い物をした」と思った。



で、結論なのだが、その線香は「墓場線香」だった。煙ばかり出る粗悪品である。しかし、ここが大事、じゃあその粗悪品に腹立ったかと言えば、私はそれに感動したのだ、という話。

私は茨城の由緒正しい田舎者(ここのところ強調ね、田舎者だけど由緒正しいの!)で、さらには成人してからは大の御先祖好きとなり、老父母と同居して最後を看取った1990年から2000年半ばのころは墓参りばかりしていた。私がいないころは、墓参り大好きなのにクルマの免許のない父と同居だったから、足がなく、時にはタクシーで、時には親戚の息子に謝礼をして、年に一度ぐらいしか墓参り出来なかった母は、私が同居して毎月のように行けるようになって狂喜した。墓と言ってもそれは本家筋の墓になる。私の家の墓は歩いて行ける距離にあったが、生後50日で亡くなったという私の兄がいるだけで、父母用に作った新しい墓だった。それはあまり意味がない。母が行きたいのは自分の祖父母や親が眠っている墓だった。

そこに頻繁に行けるようになって喜んだ母だったが、そのうちあまりに私が墓参り好きなので、「またかよ!(さまぁ~ず三村風に)」と、いやがるようになったほどだった(笑)。これは私の基本であり、靖國神社にも通じるが、先人がいて私達がいるのである。私にとって墓参りほど愉しいことはない。先人に感謝しないヤツは人間じゃない。さいわい外国で危ない目に遭ったりしつつも大怪我もなく生きてこられたのは墓参りのお蔭だと解釈している。御先祖さまが護ってくれたのだ。
私自身は靖國神社には毎年参拝しているが父を連れて行けなかったのは残念だ。晩年は足腰が弱ったので東京はきびしい。大相撲観戦も出来なくなっていたし。その代わり水戸の護国神社にたびたび行ったのでよろこんでくれたが。



田舎の墓参りとは。
屋敷内や周囲の自分の地所の畑などから適当に花を摘む。これはいいことだ。自分の生活している空間にお墓に供えるだけの花があるのはすばらしい。購入とはちがう。私の母も(私からすると戦前の蝶よ花よという地主の我が儘娘時代を忘れられない問題のあるひとだったが)とにかく花好きはずばぬけていた。いつでも庭中花だらけだった。それらの花を摘んで墓参りに出かける。

その辺にある適当な四合瓶等に水を入れる。いまだったらペットボトルになるのだろうが、我が家の場合、老父母と私の暮らしだったから、水を詰めるのは私の飲んだ久保田萬寿の空瓶四合瓶だったりした。老父母はもちろん私も利用しなかったから周囲にペットボトルはなかった。久保田萬寿か。しばらく縁のない生活をしている。



やっと本題。私の母は、草花の育生や、お茶のような嗜好品に金を掛けるひとだったが、線香に興味はなかったらしい。あれはなぜだろう。いま思うと不思議だ。農地改革法で土地を取りあげられ、平凡な教員の妻になってからも戦前の大金持ち地主感覚を引きずっていて、あれこれ破綻のあるひとだった。基本的に贅沢だった。でもなぜか線香には金を掛けなかった。私もその辺は影響を受けたのだろうか。でも母よりは線香代をかけている。
田舎の墓参りは、前記の適当に見つくろった花束、瓶につめた水に、火つけ用の新聞紙を持って行き、それで線香二束に火を点ける。ひと束は自分ちの墓、もうひと束は御近所の墓に添えたりする。簡素で豪快。というかまあ、かなり雑な供えかたをする。



私はいま、先日買ってきた安い線香を、朝方や夕方に、ヴェランダのハイビスカスや葵の鉢に差したりしている。すると、そこから流れてくる安線香の香りで、田舎の墓参りを思い出す。いい線香の時は1本を室内でともす。そこからふんわりいいにおいがしてくる。今回は安線香だから、田舎の墓参りのように、20本ぐらいに火を点けて、鉢替えをして一回り大きくしたハイビスカスの鉢には餘裕があるから、まとめてそこに差す。流れてくるのはあまり上等の煙ではないが、でもだからこそ、なんだか田舎の墓参りに行ったような気分になる。

敬愛する高島俊男先生が、『お言葉ですが…』の読者とのやりとりから、昔懐かしい入浴剤「六一○ハップ」を入手し、それを風呂にいれ硫黄の臭いを嗅いだ途端、幼い頃父と一緒に入った風呂を思い出し、思わず落涙してしまったというのと同じように、私はやたら煙だらけの安線香で、母と一緒に行った田舎の御先祖さまの墓参りを思い出してしまった。これはこれで功徳になっていいのではないか。それは免許のない姉にも、日本全国営業マンとして飛びまわっていて盆暮れにしか帰郷しなかった兄にも出来なかった、私と母だけの思い出になる。

ほろ酔いで書いたのですこし焦点がぼけたが、まあ、旧盆に近い時期に、いい田舎話を書けたと自己満足(笑)。
  1. 2011/07/25(月) 01:05:20|
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旬の食卓──茗荷の季節

日本に生きていると四季に操られていることをしみじみ感じる。
四季を楽しんでいると言いたいが、どうにもあちらが王様で、振り回されている感覚だ。
私は俗な人間なので、生涯四季には振り回され、「四季を楽しむ」にはなれない気がする。
それでじゅうぶんだけど。



冬場は湯豆腐だ。春になり、夏日になった四月には、いよいよ夏到来と冷奴にしたりする。
でも梅雨冷えにはまた湯豆腐にもどって、まだ湯豆腐を楽しめることを喜んでいる。

今朝は肌寒いので、晩酌ならぬ寝る前の朝酌を、お湯割り焼酎レモンハイにしたが、そのあとこれまた夏の定番のアイスコーヒーを作って飲んだ。そういうバラバラもこの季節の特徴。
もうすぐ冷房のない私は水風呂の季節に突入する。
さすがに湯豆腐はこれから半年以上出来ないだろうから、半袖では寒いいま、もう一回やっておこうか。



大好きな茗荷が旬を迎え安くなっているのがありがたい。
夏が旬の茗荷に湯豆腐というのもこの時季ならでは。乙なものだ。
生姜を擦り、香りに柚子は缺かせない。これは冬のものなので乾燥柚子だけれど。
料理とすら呼べない単純な食物の、奥の深さに感嘆する。
温かい豆腐と、生姜と茗荷とかつを節の香りを満喫する。



茗荷はなぜか昔から「あまり食べるとバカになる」と言われてきた。なぜだろう。
特にこどもには、田舎では厳禁だった。
神童だった私がただのバカオヤジになったのは茗荷好きだったせいか。

茨城で老父母の面倒を見ていたころ、旦那さんに早く死なれ、こどもたちも寄り付かなくなってしまった近所のひとりぐらしのおばあさんが、母と茶飲み話をするために、庭で栽培していた茗荷をおみやげに持ってきてくれた。スーパーで茗荷を見るたび、買うたび、そのことを思い出す。父母もそのおばあさんも鬼籍のひととなった。

反日売国奴雁屋哲(マンガ「美味しんぼ」の原作者)は大嫌いだが、彼が「美味しんぼ」の一篇で書いた、「日本を何十年も離れていた日本人が帰国して、味覚として残っている幼い頃の郷愁の味を探す→それが主人公山岡にもわからない→あれこれやって、やっとわかった→それは茗荷の香りだった」という話には同感する。私も茗荷のない国で暮らし、十年ぶり二十年ぶりに茗荷の香りに接したら泣いてしまうだろう。それは決して大好きなパクチーでは感じないものだ(笑)。パクチーを好きになったのは成人してからだから。



大の漬物好きなので、スーパーの漬物に満足できず、とうとう自家製のぬか漬けを始めた。といっても冷蔵庫の中で出来る「簡易ぬか漬け」だが。それでも既製品とはちがう。うまさがちがう。こんなにもちがうのかとおどろいた。それはまあ工場で大量生産して──ここまではしかたないとしても──ビニールに詰めて日が経ったものとは、自分で漬かり具合をチェックして好みの時期に食べられるのだからちがって当然だ。
この胡瓜や蕪、茄子のぬか漬けに、すりおろしの生姜、刻んだ茗荷、水で戻した乾燥柚子をふりかけて食うと、なんというか、しみじみと日本人を感じる。酒はもちろん日本酒だ。で、池波正太郎の食のエッセイを読む。

この楽しみは牛豚の屍肉を食うのとは別次元にある。
  1. 2011/06/19(日) 08:19:43|
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静寂という贅沢

若い頃は静寂という贅沢に気づかなかった。
都会の雑踏も楽しかったし、眠るときも音楽を流していた。

齢を重ねて静寂こそが贅沢なのだと知った。
といって、軽井沢の山荘のような静謐は望んでいない。
いまの住まいは、クルマの走行音も聞こえるし、夜は、遠く電車の走行音も響いてくる。
それでいい。十分満足。遠く聞こえる電車の走行音なんてむしろ好ましい。

問題は工事音だ。

昨年、九月初旬から隣の八階建てマンションの全面外装工事が始まった。
日曜以外は連日朝の九時から夕方五時まで。あのガガガ、ゴリゴリゴリというドリル音。
うるさくてたまらない。ノイローゼになりそうだった。
毎日ノートパソコンをもって図書館に避難していた。
「なんの関係もないオレが、なんで」と不満が募った。
それでも一ヵ月程度の我慢かと思って耐えていた。
十月になっても終らない。
どういうことなのだと工事の看板を見に行ったら十二月末までとなっていた。眩暈がした。
いま思い出しても滅入ってくる。ひどい三ヵ月だった。

今朝、また近所で工事が始まった。あのドリルの音がしている。たまらない。
音消しに音楽を流す。
いまピアニストBadura SkodaのMozartを流している。Sonata。K281。
しかしなあ、工事の騒音を消すための音楽は惨めだし、こんな聴きかたはアマデウスにもうしわけない。

遮音の完璧な家に住んでいればこんなことにも悩まない。
まこと静寂を手にするには金が掛かる。贅沢である由だ。

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【補記】

①ノイローゼ
はいま使わないらしい。じゃあなんて言うの? 神経症、自律神経失調症、統合失調症? どれもピンと来ない。ふつうに普及していたノイローゼを死語にするのも人権からか。この國はサヨクの活動家により、まともなひとの権利よりも気違いの人権を重視する。ひとを殺しても気違いなら無罪になる。気違いは根絶やしにすべし。

②糖質
先日2ちゃんねるで「あいつは糖質だろ」なるものを見かけた。貶し言葉だ。しばし考える。「糖質=とうしつ=統合失調症の略=当て字=2ちゃんねる用語」と何とか理解できたが、くだらない言いかたである。「どや顔」を使わないように、こういうものには関わりあいたくない。

③Kナンバー
はMozartのKochelナンバーだが、加山雄三も自分の作った曲を加山の名から取って「kのいくつ」と記録しているらしい。EXILEと共演した番組でそれをしゃべっていた。最大のヒット曲「君といつまでも」が十八番に通じるk18なのだとか。それを自慢たらしくしゃべっているのに、誰も「おっモーツァルトですね」「kって、ケッヘルナンバーと同じじゃないですか」と突っこまない。無智は困ったものだ。突っこみがあるものと思っていた加山も痛し痒しだろう。

④10年前、親の世話で茨城にいたころ、今の季節、朝の5時ごろ風呂に入っていると、鴬の鳴き声が聞こえてきた。徹夜で仕事をして、朝風呂に入っているときに聴く鴬の鳴き声はなんとも風情があった。鴬というとすぐに「梅に鴬」と冬の終りから初春の鳥となるが、初夏の六月でも啼いているのだと知った。これは田舎暮らしで知った智識になる。いや十八まで田舎で育ったのだが、そんなことに興味のない時期、そのことに気づかなかった。
  1. 2011/06/01(水) 10:33:42|
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ひさびさに風邪.3──入浴誘惑

 承前。指がかじかんでしまって深夜の勉強ができない。ペンを持って文字を書くどころか、それよりもずっと楽なキイボードを打つPC作業すらつらい。珈琲を注いだマグカップを両手で握りしめて暖を取るうち、こりゃもうだめだと諦めた。机を離れ、ガスファンヒーターを点けて、吹き出し口に、焚き火にあたるように手を当てる。






現在のBGMはGreg Osby



 そういや焚き火って大好きだった。田舎にいるとき──高校生までの話ではなく、親の面倒をみるために帰郷同居していた三十代後半から四十代半ばのころ──家の隣の畑でよく焚き火をした。あれは楽しかったなあ。火を見つめていると不思議な気分になる。火を神聖視する感覚がわかった。田舎暮らしで思い出す郷愁のひとつだ。土地を持っているものだけができる贅沢である。日本じゃもう私には無理だけど云南にゆけばまだその自由はある。



 かじかんだ手が温まると、いかんいかんこんなことをしていてはいかんと気づき、ガスファンヒーターを切る。今年は使わないと決めたのだった。そのことにさしたる意味はないが、せっかくここまで守ってきたのだ。ここで変節はしたくない。もうすこしで春だ。そう思って炬燵にもぐり込む。弱で十分だったのに降雪以後は強が必要になった。全体暖房をしていないからこそ気温の変化を肌で感じとれる。寒いと思った日は確実にニュースがそう伝える。

 炬燵にもぐり、ここのところ読み返している沢木耕太郎の初期作品を手にしたり、PS2で詰将棋を解いたり、ラップトップで落語を聞いたりしているうちに躰が温まり、いい気持ちになってくる。眠るならベッドにゆかねばと思いつつ、そのままうとうとしてしまった。途中、汗を掻いて目覚め、スイッチを弱にする。このときに起きて、汗を拭いてベッドに行けばまだ難を逃れていた。だけどあまりに長いあいだ風邪と無縁だったので増長していた。ヤバいと思いつつ、そのまままた寝てしまった。そうして明け方「クション!」である。ゾクゾクっとした。しまったと思ったがもう遅い。何年ぶりか分からないほどひさしぶりの風邪とそうして邂逅した。



 くしゃみが連発する。鼻水が出る。昨日は一日中鼻をかみ、ヒリヒリして痛くなる状況を何年ぶりかで味わった。鼻は腫れていまも痛い。ティッシュでは切りがないのでタオルにかむことにした。

 それでもこんなのは昨年の身動きできなかった腰痛から比べたら病気のうちに入らない。これぐらいたまにの遭遇なら風邪も悪くはないな、とすら思う。餘裕だ。咳が連発するが、咽が痒い感じの軽い咳。本当に病んだときの痰が絡み、さらに悪化して血まで混じるような激痛の咳とは程遠い。

 加湿器をセットした。今年はまだ使っていなかった。湿度35%。だいぶ乾いている。しばらく稼動していたら45%になった。鼻が楽になるのがわかる。



 つらいのは風呂に入れないことだ。買い置きしてある六一○ハップを入れた硫黄風呂をたて、前記沢木耕太郎の初期作品や高島先生の「水滸伝の世界」等を読みつつの長風呂が、ここのところ唯一の楽しみだった。



 六一○ハップ、製造中止──硫化水素自殺の餘波

(民主党の女議員が仕掛けたこの六一○ハップ製造中止事件はほんとうに不快な出来事でした。もし未読でしたらぜひ読んでください。2008年11月の出来事です。)



 なんども「ええい、入っちまおうか」と思った。風呂の中の読書、湯上がりの快適さを想像してうっとりする。しかしこんなことを書いていられるのはまだふつうに動けるほど症状が軽いからだ。風邪がひどくなるとどうなるかは知っている。風邪の怖さはそこにある。ピンキリなのだ。咳だって痰が絡むようになったらもう……。そういえば声が出なくなったことがあった。それを思いうかべるとさすがに入れない。昨年の寝た切りの恐怖が甦る。

 きょう鏡を見て落ちこんだ。私はなぜか髪はまだ黒いのにひげが先に白くなってしまった。たまには伸ばしたいと思うのだが出来ない。数日風呂に入れずひげも剃っていなかったので、そこには鼻の下やあごに白い無精髭を生やした窶れたジジーがいた。すこし頬が痩(こ)けているのは食が細っているからか。ほんとになあ、この無精髭があるとないとでは見た目十歳ぐらいちがう。ああ、風呂に入りたい。熱めの風呂に入り、身体中をごしごし洗い、髪を洗い、無精髭を剃ってサッパリしたら、どんなに気持ちいいことだろう。

 このあとこのブログが途絶えたら、我慢できず風呂に入り風邪が悪化して寝こんだと思ってください。と書いたら、立て続けにくしゃみが出た。鼻水が垂れてきた。絶対にそんなことをしてはダメだと躰が言っている。いくらなんでも、これじゃ入れない。
  1. 2010/02/09(火) 02:20:09|
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Windows7 クリーンインストール

 昨日、一度は思いとどまったクリーンインストールを実行した。固まっても再起動させればすむことだと割り切るつもりだったが、「しばしば固まる自作機を使ってる自分」に我慢がならず実行した。前回、「クリーンインストールしようとしたが思い留まった。またひとつ老いた気がした」と書いたのは──調べたら──1月28日だから、何度かのフリーズを体験しつつ10日間迷っていたことになる。

 98時代はOSが未熟だから固まった。マルチタスクを強要する私に無理があった。いまはそうではない。7が固まるのはどこか不具合が生じているのだ。それもまた未熟なOSの脆弱性と言えばそのとおりなのだが、昨年暮れまでそうはならなかった。快調だった。クリーンインストールすれば元に戻る。私の問題なのだ。それをしない怠惰な自分に腹がたってきた。

 確実になにかのソフトかドライバーが問題なので犯人探しをしたい。でももう諦めた。やることにした。



 私はHGSTの500MBとSamusunの1teraにWindows7-Ultimateを入れている。メインはHGST。SamusunはHDDが遅く?あまり好きではない。あくまでも補助だ。気に入ってない。でも今回は助けてもらった。DVDから起動してInstallせねばならないと思い、それが気重だったのだが、SamusunのWindows7を起動したまま、そこから入れられたのである。これは複数のOSを入れているものの特典だろう。以前もやっているから新発見ではないのだが、ふつうこれは主から従にはできても、従から主をいじることは拒まれるのだ。私のPCはHGSTが主なので、これは不可能と思っていた。

 思ったほど時間もかからず、面倒だ気が重いと遠ざけていたクリーンインストールはあんがいあっさりと完成した。



 細かなミスがいくつかあった。ひとつはiTunes。なんだかしらんけどジャンル分けがぜんぶ壊れてしまい、Mils DavisもDiana KrallもみんなCountryになっていた。そこまでは笑っていたのだが、BeethovenもHaydnもみんなCountryなので、これはちょっとと直し始めた。もう32000曲あるうち、ミュージシャンの9割がたがカントリー。しばらく修正作業を続けていたが、ばからしくなって投げた。クリーンインストール前にiTunesファイルを保存しておけばよかったと悔いる。クリーンインストールすると、自動でWindows-oldとして残るのだが、それを削除してから気づいた。失敗。ああいうものは急いで消さない方がいいと学んだ。今さらながらであるが。

 同じく、私はJane Styleもフォントから色まで細かくカスタマイズしている。これも消えてしまった。最初からやりなおすのはかなり面倒だ。それにしてもDefaultは無骨。自分のカスタマイズがいかにオシャレかよくわかった。

 それもこれもWindows7が安定していたからである。頻繁にクリーンインストールする必要があったなら、それを意識してこまめに保存していた。

 最新のWindows7でもちょいとした不具合でこんなことが起きる。風邪を引かないと決めていても急激に冷え込むとこんなことになる。いい勉強になった。

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【附記】

 その後、SamusunのWindows7からiTunesファイルをコピーして来て移植。こちらはあまり磨いていなかった(細かい誤りを訂正していない)ので完璧とは言い難いけど、八割方は復活。それでもこれからの間違い訂正がたいへんだ。大失敗である。

【附記.2】
 だいぶ前の感覚で「2万曲」と書いてしまったが、その後手直しを始めたら32000まで増えていることに気づいた。iTunesはぜんぶを聴くのには連続で108日掛かると表示している。初めてiTunesを入れたとき、8000曲ぐらいだった。1万曲突破はけっこう目標であり意識していた。ずいぶんと増えている。ただし万が一のことを思いふたつのハードディスクに入れているので重複も多い。それとオリジナルアルバムとベストアルバムの両方を入れるとまた重複する。意外に2万曲は正解か。
  1. 2010/02/08(月) 07:28:18|
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ひさびさに風邪.2──再勉強ブーム?(&変人考)

 先日、テレビのニュースで、いま日本史、世界史の本が中年層高年層に売れているのだとレポートしていた。取材先は(番組では明らかにしなかったけど)東京駅の八重洲ブックセンターだった。通いなれているからそれぐらいは私にもわかる。しゃれた本が売れているのではない。あの無骨な山川出版の教科書なのだ。それが店頭に平積みされている。まるでベストセラー「1Q84」みたいに。なんとも新鮮な光景だった。


「あの山川出版」という言いかたにピンと来るひと、こないひと、いろいろだろう。私は高校生のときの教科書がそうだったので、「歴史教科書=山川出版」という思い込みがあり、画面に映っている山川の歴史教科書に即座に反応した。そうじゃないひとには「あの」という言いかたは通じないかも知れない。名門であり歴史教科書の大手である。

「歴史教科書でもういちど勉強している中高年層」とは、すなわち私そのものだった。あらゆる面でふつうのひととちがった生きかたをしているので、たまにこんなのに出逢うとうれしくなってしまう。一般世間にも自分と同じ感覚のひとがいるのだと。



 それはつまり「ひととちがった生きかた」を私は意図的にしているのではないからである。「変人」に関する名言で最も心に響いたのは、「本物の変人は自分を変人だと思っていない」だった。私は自分を変人だと思ったことがなかった。一方、「世の中には変人ぶる平凡なひとが多いなあ」とはしばしば思ってきた。これはもういろんな業界で痛感したことである。
 つまらん例で言うとNHKの番組だ。変人を自称するのに、紅白歌合戦から大河ドラマ、朝の連ドラ、みょうに詳しい。しっかり見ている。自分は変人であり世の中の大多数が支持するそんなものには興味がないのだと言いつつ、毎年紅白歌合戦やレコード大賞を見て、その内容や視聴率を論じている。ごくごくふつうだ。なのになんでこのひとは変人だとアピールするのだろう。素朴に不思議だった。

 私は逆に世の中の大部分と同じように平凡に生きたいと願いつつ、いつしかこんなことになっていた。興味のないものには近づかない。ふと気づくと前記NHKのそれらをなにひとつ知らない自分がいた。紅白歌合戦は家族につきあっていた中学生以降いちども見ていない。
 スポーツ紙や週刊誌は読むので情報は得ている。ここのところはごくふつうだ。朝の連ドラに競馬を扱ったものがあり、武豊が武豊役でゲスト出演したことがあるとか、いま大河ドラマは福山雅治が坂本龍馬を演じているとか、紅白歌合戦の小林幸子の異様な衣装とか、昨年は矢沢が出たとか、一応知っているのである。でもただの一度も見たことはない。ほんの1分すら見ていない。もう40年以上。
 一応知っているつもりでも、さすがに見ていないから知らない。私はクイズ番組にそこそこ強い。歴史的問題、科学的問題、音楽問題、なんでも知っている。ところがこの種の問題が出るとなにも出来なくなる。たとえば「NHKの朝の連ドラに主演した女優の名を上げよ」「昨年の紅白歌合戦に出場した男性歌手、五人挙げよ」、こんなのはさすがに出来ない。
 見ないことが意識しての突っ張りだとふつうのひとになる。若いときはそうだった。誰もが見るから、おれは見ない、のような若者特有の突っ張りだ。そんなのはとうに過ぎている。40年だ(笑)。なまはんかな月日ではない。そういうことを鑑みて、ある日私は思ったのである。「もしかしておれって変人?」

 だからいま世の中に、私と同じように高校時代の教科書でもういちど勉強しようとしている同世代のひとが多いと知ったのはうれしかった。私だって見たくもない紅白歌合戦を見て、楽しげにそれを語ればふつうのひとになれる。でもそれは無理して擦り寄る虚構。そうじゃなく自分が楽しいと思ってやっていることを同じく楽しんでいる同世代がいた。それは、もしかしたら極めつけの変人かも知れない私にも、すこしはふつうのひとと共通点があるという、とてもうれしい出来事だった。



 誰に示唆されたわけでもないが、もうずいぶんと前から中学高校の勉強をしている。あえてサジェストを探せばビートたけしのあの謹慎中の出来事か。ガダルカナルタカの実家にこもっていたたけしは中学の教科書を全科目学び直し、そこから「平成教育委員会」のアイディアを思いつく。でもこれもたけしの真似をしたというより自分の中にたけしと同じ発想があったのだと思っている。この話を知ったときも、おれもやろう、ではなく、おれと同じだと思ってうれしかったことを覚えている。

 このたけしの感覚、私の発想、いまブームの世間一般、これはよくいえば向学心だが、受験勉強というものを通りぬけてきた者の「郷愁」ともとれる。わるい言いかたをすれば「現実逃避」とも言える。その体験をしていないひとからはこの発想は生まれまい。現実に私自身、「チャート式数ⅡB」で順列、数列に挑み、難問を解いているとき、解けたときに感じたカタルシスは、あきらかにタイムトリップ感覚だった。



 とまあそんなわけで、深夜に暖房のない部屋で、かじかむ指をさすりつつ写真のような教科書本で歴史や数学の勉強をするのは、往時を思い出しそれはそれで楽しい。いまは暖かくできるのにしないのだが、当時はしたくてもできなかった。田舎の家に全体暖房はなく、私の暖は足下のちいさな電気アンカだけだった。いま、深夜に震えながら勉強しているときの充実感は夏にはない。冬場独特のものだ。寒いことがプラス要素なのである。

 しかしここ数日の寒さは、そんなキレイゴトを言っていられるものではなかった。
  1. 2010/02/07(日) 18:57:19|
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ひさびさに風邪.1

 風邪を引いたらしい。咳が出て、くしゃみが出て、ゾクゾクして、鼻水まで垂れてきたから、やはりこれは俗に言う風邪というものだろう。引かないことに決めているのでもう何年も無縁だった。

 春夏秋冬いつも風邪を引いているひとがいる。いつ会っても、軽く咳をしたり、マスクを掛けていたり、熱があるんだと嘆いたり、一年三百六十五日、引いてない日の方がすくないのではないかと思える。私からするとわずらわしいひとになる。
 でもそれはそれで生きかたなのだろう。そんな形の病気とのつきあいを否定するつもりはない。いわば風邪がともだちだ。彼もまたそれを恥じてはいない。風邪を引いているのが自慢気だ。そういう一見腺病質のひとほど長生きしたりする。常に病気を意識するのはよいことなのかもしれない。風邪ひとつ引かない奴ほどポックリ逝ったりする。
 私は風邪と親しくしたいとは思わない。嫌う。何年も引いていないのは私なりの努力の結果でもある。すこしでも気配を感じたら徹底して遠ざける。ゾクっと来たら素早く巣穴に潜る。すべての予定をキャンセルして丸まり悪魔の通りすぎるのを待つ。それでなんとか無縁でいられた。

 朔日に初雪。当然のごとくその日は冷え込んだ。深夜に凍結した道を歩いた。さすがに寒かった。あの散歩が風邪の遠因だと思う。その後の冷え込みは尋常ではなかった。
 今年はエアコンもガスファンヒーターも点けないと決めていた。全体暖房なしで冬を乗り切るのである。さすがになにもないとつらいので炬燵だけは許すことにした。私の部屋は日当たりがよく暖かいのでさほどの問題ではない。好天の日など温室のようだ。冬でもハイビスカスが咲く。
 降雪まで順調だった。らくらくと乗りきれると思っていた。だがそれからがきつくなった。私は自作のデスクトップ機が大好きなのでPC作業は必ずそれでやる。ラップトップはビデオを見たり{Youtube}等で遊ぶ時ぐらいしか使わない。
 しかしここ数日、深夜のデスクトップ作業はつらかった。指がかじかむのだ。むかしの受験勉強時代を思い出した。
  1. 2010/02/07(日) 16:55:41|
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腰痛考.2──途絶える連絡

 同時にあらためてともだちのありがたさを知ったときでもあった。身動きできない病床からのSOSにすぐに応えてくれたひと、直接窮状を訴えていないのに又聞きで励ましのメールをくれたひと、面識がないのにホームページやブログの更新が滞っているようだがなにかあったのかと心配してくれたひともいた。いろいろだった。そういう友人のためにもがんばらねばとリハビリに励んだ。



 あれこれ好き勝手なテーマでメールを寄こし、頻繁にやりとりしていたひとに、「腰痛で動けません。助けてください」とメールをしたら、それっきりピタっと音信が途絶えたのには苦笑した。「こいつとこれ以上かかわるとヤバい。迷惑を掛けられる」と判断したのだろう。ずっと寝たままのトイレに行くのさえ必死だった時期なので、「助けてください」は本音なのだが、かといって彼に住まいまで助けに来てもらおうと願ったわけではない。半分冗談の大仰な言いかたで現状を伝えたつもりだった。


 私が彼に伝えたかったのは、腰痛で机に向かうことが出来ず、メールを書くのが苦痛な現状だった。というのは彼は、好きなときにメールを寄こし、即答を要求するからだった。ちょっと返事が遅れると催促が来る。それでいてこちらへの返事は思いつきであり一週間、二週間と不通になったりする。それはそれでおもしろかったから、私は「あんたのほうは思いつき返事だが、おれは必ず即答してやる」とばかりに、すこしばかり意地になって、どんな内容のメールにも即日応答していた。さすがにその時期はつらかった。滞ることも増えた。それでたび重なる彼の催促に、上記のような返事を書いた。



 しかし彼は「助けてください」という直截的なもの言いにびびったようだ(笑)。いきなり連絡が途絶えた。それはどう好意的に解釈してもこちらの体調を慮ってくれたから、とは思えなかった。煩わしいものから逃げたのだ。知りあって長いが、さほど心の交流のあるひとではなかったから、こんなものかと諦めたが、いきなりメールが途絶えたのは侘びしくなった。それまでの多岐にわたる長文のやりとりはなんだったのかと。



 年が明けてブログを再開すると、そういうひとたちからもポツリポツリとまたメールが届くようになった。おっかなびっくりの文面でこちらの様子をうかがっているのが見える。さすがに返事を書く気になれない。鷹揚に構えたいと思うのだ未だそういうひとたちには一通も返事を書いていない。腹立っているわけでもないし蟠りもないのだが、かといって以前のように明るく楽しくメール交換をする気にもなれない。
  1. 2010/01/27(水) 13:10:34|
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腰痛考.1──書けない苦痛

 昨年下半期は腰痛に苦しんだ最悪の半年だった。なにも出来ずただひたすら横になって恢復を待つだけだった。いままですべての危機をそういう動物的感覚と方法で乗りきってきた。私にはそれしかない。しかし昨年のそれは今までにない長丁場の闘いとなった。

 退屈はなかった。今まで感じたことがない。好き勝手な駄文を書きつらねてさえいれば、たとえどこかに幽閉されようとも平気だ。家から出られず寝た切りの生活に悲観的ではなかった。

 ところがデスクトップに向かうこと(=椅子にすわる)がいちばんの苦痛なのである。肝腎要の唯一の救いであるそれが出来ない。ベッドに横になったまま、過去の名作を読みかえす読書と、HDDに取りこんでおいた名画をラップトップで観賞し時間をつぶしたけれどちっとも楽しくなかった。私の基本姿勢は「一流のものを観賞するより五流のものでも創りたい」になる。受けるだけの時間はつらいものだった。

 創作の出来る環境にあれば、たとえそれが世間的にどんなにひどいものであろうと私に不満はない。なのに腰痛で机に向かえない。これがいちばんの苦痛だった。
  1. 2010/01/27(水) 02:48:56|
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入試の季節、満員の図書館

 きょうは自分のラップトップを持ちこんで一日中図書館。開館と同時に椅子席はほぼ満員。なんとか運よくPC専用席を確保できた。ここだとインターネットに接続でき自室と同じ感覚で作業できる。

 なんでもそろっている自室がいちばん快適なのに重い大型ラップトップをかついではるばるここにやって来るのはやる気の問題。懸命に勉強する高校生に囲まれているとこちらも気合が乗ってくる。

 入試はこれからなのか。もう始まっているのか。私の時はいつだったろう。二月初めに試験で下旬に発表だったか。



 なんだか知らないけど狂ったようにキイを打ちまくるオヤジが向こう隣にいてうるさい。なにをやっているのだろう。文章を書いているのではない。いくつかの限られたキイを叩きまくっているのだ。まるでシューティングゲームでもやっているかのよう。株とか、なにか一刻を争う取り引きでもしているのだろうか。閑かな環境にそいつの叩きまくりの音がうるさい。

 階下に降りて気分転換。もどるとそいつがいなくなっていた。よかった。こんなことでも気になるんだもの会社務めは出来ない。とはいえそいつは周囲の人も眉を顰めるほど充分に異常だったけれど。



 異常と言えば階下の新聞閲覧のコーナーにいつもの気違いがいた。そいつは他人の立てる音にいちいち「うるさい!」と大声で叫ぶのだ。それは立ち上がるときの椅子の軋みや新聞をめくる音だから言われた方はおどろく。最初はみな刮目したがやがて気違いと気づき無視するようになった。常連だ。いつもいる。この世で気違いほどこわいものはない。

 ホームレスのおじさんは陽当たりのいい場所で束の間の安眠。

 さて閉館までもうすこしがんばろう。
  1. 2010/01/26(火) 19:10:20|
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登り坂下り坂

 

 早起きして文章を書いていた。参考資料として読まねばならない本がある。それの中身を確認しないと文章が仕上がらない。調べると、まだ行ったことのない図書館にある。近くの図書館だとそこからの取り寄せになる。今日頼んでも届くのは明日の午後だろう。午前9時開館。いま8時半。自転車で出かければ着くころにちょうど開館になる。


 出かけた。すこし寒い。もう一枚着てくればよかった。耳あてをもってきたのは正解。帽子を忘れたが頭は冷えるぐらいでいい。


 長い下り坂があった。以前一度だけこの道を下り、帰りの登りで息が切れたことを思い出した。あれはキツかった。なんとかこの道を登らずに帰る道はないものかと考える。



 2キロほど北に進み、左に折れて長い坂道を下ってまた左折。そこが目的地の図書館。



 9時3分。開いたばかり。目的の本もすぐに見つかった。新聞を読んで一息つき、自転車にまたがる。


 帰りは来た道をたどらず、南に進み、そこから左に折れる。四角形を描く進路である。


 もしかしたらこの進路を選ぶことで登り坂を避けられるのではないかと思った。





 図の下の平坦部分を走っているときしめたと思った。「坂がない。よかった。来た道をもどったなら長い坂を登らねばならなかった。この進路で正解。よくやった。おれは賢い」と。


 智慧を使うことによって必然の苦労を回避した気分だった。鼻歌が出そうだ。


 しかしそうはうまくゆかない。途中まで平坦であった分、とんでもない急坂が待っていた。これを自転車で登るのは難儀だ。息も絶え絶えになりつつ、楽をしようとした自分への罰として死に物狂いで登った。自転車を押して登っているおばさんたちが目を丸くしていた。筋肉痛になるだろう。三日ぐらい後に。


 思えば、高いところから低いところへ降りたのだから、元の位置に戻るにはぜったいに登り坂は避けられないのだった。どんなに遠回りをしたところでそれは避けられない。人生の真実を学んだ気がした。

------------------------------

【附記】

 家と目的地が対面なのに四角に廻っているのは、真ん中に縦に川が流れているからです。ですから上辺と底辺の真ん中は橋になります。この初歩的な画を描くのに苦労しました。30年もPCをいじっているのに。
  1. 2010/01/22(金) 11:36:17|
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自殺考.2──竹脇無我さんのこと(続き)

 私が一緒に仕事をしているころの竹脇さんは欝病とは無縁だった。「大岡越前」の収録に出かけたり、中国で評価の高い「姿三四郎」の役者として中国に招かれたり、公私共に充実していた。明治座で共演した十朱幸代と週刊誌ネタになったのもこのころである。まだ離婚していないけれど夫婦仲は冷えていた。御自宅におじゃましたこともあるので冷え具合がよくわかった。

自殺したお父さんのことは高名な名ナレーターとして誇りであると同時に、やはり自分達を残して逝ってしまったことを傷として持っていた。高校生のとき授業中に先生から伝えられたという。自宅の物置で首吊り自殺したことを。そのことを語ってくれることはなかったし、こちらから問えることでもなかったが、ある日ぽつねんとそのことに触れ、「あの気持ちは誰にもわからないよ」と呟いたときのさびしげな表情は鮮明に覚えている。



その後、FM-Tokyoで8年続いた番組も終りすっかり疎遠になった。私はその間に競馬のことを書くようになっていた。J-WAVEの開局が1988年。御世話になっているM先輩の関係からラジオ番組の構成はJ-WAVEになった。竹脇さんと疎遠になったのはその前、87年ころだったろうか。91年から私は海外放浪を始め、それ以前とは生活も交友関係もすべて変ってしまった。

ある日、竹脇さんが欝病を病んでいると人づてに聞いた。Wikipediaによると「49歳のころから欝病、その後糖尿病を」とある。49歳というと1993年ごろ。「8年間の闘病生活の末に復帰」とあるから、復帰したのは2001年ぐらいか。「笑っていいとも」で、すっかり性格の変わった竹脇さんを見て驚いたのはこのころになる。この出演は2001年3月のようだ。ハンサムだけどさびしげで暗い感じのひとだったのに、なにかふっきれたように明るくなっていた。実際明るくなったのだろう、今では欝病からの脱出がテーマの講演会では、お父さんの自殺に関することも積極的に語っているという。





写真の本が発売になったのは2003年の7月。内容紹介は、

《父の自殺、次兄の夭折、長兄の失明、自身の離婚…。頭の中が「死にたい衝動」で埋め尽くされる。うつ病地獄に落ちた著者が「また芝居がしたい」と再生するまでを綴った闘病手記。うつ病を正しく知る参考にもなる書。》となっている。

竹脇さんのさびしげな表情も父の自殺から来たものだ。御自身が自殺の衝動に駆られたのもそこからの流れになる。親が離婚している子の離婚率が異様に高いように、親が自殺している子の自殺率も高い。止め金が外れているのだから当然だ。

私は自殺肯定派なのだけれど、残された子のあの表情を見ると、それは罪深いことなのかと思ったりする。多感な時期のこどもを残しての親の自殺は卑怯だ。



ただし、日本という国を貶めることを生きがいとしている連中の「日本の自殺者は年3万人。ひとつの町が消えてしまうほどの数。イタリア等と比べたらいかに多いことか。それは日本という国が病んでいるひどい国であることの証左だ」という意見には反対する。単純に数字だけで論じられることではない。特に自分の起こした問題に対しての自死という責任はあって然るべきと思う。むしろ先日逮捕された「イギリス人女性殺し犯人」などはとうの昔に責任を取って自殺していると思っていたから、整形してまで生きのびていたことに驚いた。それだけ日本人の感覚も変っている。連合赤軍の時代には、犯人の親が責任を取って自殺していた。それを是ともしないのだが、今回のように逃亡していた犯人の親が夫婦でカメラの前に立ち、他人事風に冷静に事件を語っているのを見ると、それはまたそれで考えることになる。

と枝葉を拡げ出すと切りがないので無理矢理まとめるが、多感な時期に父に自殺された息子が引きずるさびしげな表情は、私のような自殺肯定派にも強烈に訴えてくるものがある、という話。
  1. 2009/11/19(木) 16:32:12|
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自殺考.2──竹脇無我さんのこと

 二十代終りから三十代半ばまで竹脇無我さんと一緒に仕事をしていた。

竹脇さんも父を自殺で亡くしている。前原さんと同じく「さびしげな表情」のひとだった。美男だったから、それはそれで芸能人としては売りになったかも知れない。前原さんと同じく、なんの前智識もないのに、初めてテレビで見たとき、「なんてさびしげな表情のひとだろう」と思ったことを覚えている。

竹脇さんの父親はNHKのアナウンサーを始まりに、今で言うナレーターの売れっ子だっただった。NHKアナの後輩が森繁久弥さん。父を亡くし芸能界入りした新人の竹脇さんを「先輩の息子」として重用してくれた恩人になる。



私が竹脇さんの名を覚えたのはテレ朝の「だいこんの花」だった。NET(日本教育テレビ)がテレ朝になったのはいつなのか。調べてみる。1977年。視聴率のよかった「だいこんの花」にはいくつものシリーズがあったが、1970年から1977年までだから、「NETテレビの作品」と言えそうだ。

この脚本を書いていたのが三十代のシナリオライターだった向田邦子さん。小説家デビュウし、「いきなり出て来ていきなり名人」と讃えられるまでにはまだ時間がある。

シリーズ中身は毎度同じ。定年退職している森繁久弥が父、これが剽軽というか飄逸なひとで毎回面倒を起こす。女房は死んでいない。男やもめ。息子がエリートサラリーマンの竹脇さん。父親が起こしたごたごたをしっかりものの息子が解決したり、純情な息子の恋愛の悩みを父親が解決したり、という男親と息子の情愛がテーマ。

男ふたりで一軒家に住んでいる。そこに女中が来る。ヒロイン。この女中と息子がいつしか恋仲になり、結婚するというハッピーエンドで幕。これは毎シリーズ同じ。

ヒロインは、武原英子(後ににしきのあきらと結婚。故人)、川口晶、関根景子、いしだあゆみ。5シリーズまであったのにヒロインが4人しかいない。Wikipediaでもそうなっている。私の記憶に間違いがなければ、評判の良かった川口晶が二度やっているからだ。ただ私は、父川口松太郎、母三益愛子の娘というサラブレッドらしいが、川口をかわいいとは思わなかったので、最も印象に薄いヒロインになる。



竹脇さんとの仕事は私が構成し原稿を書くラジオ番組だった。毎週土曜の番組を月に二回、一度に二本収録した。そのあとは毎回飲みに連れていってもらった。そのころ向田さんは『週刊文春』にエッセイを連載している尊敬する人だったから、森繁さんや向田さんに関する「だいこんの花」の裏話を教えてもらうのが楽しみだった。
  1. 2009/11/18(水) 03:49:36|
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自殺考──「前原さんの表情」補稿

 2005年、前原さんは43歳の若さで民主党代表になる。破った相手は菅直人。鳩山、菅、小沢のトロイカ体制が終り新時代の到来かと思われた。画期的な若返りだった。アサヒシンブンは「日本のブレア」と持ちあげ、党首討論において自民党の小泉首相も、まるで自分の弟分であるかのようにエールを送っていた。民主党の中ではタカ派に属し、自民党からも好意的に迎えられた代表だった。私は小泉・前原による「大連立」もあるかと思った。

その後、「永田偽メール事件」が起きる。前原さんは責任を取って辞任した。永田氏は議員辞職し、2009年1月、精神を病んで飛び降り自殺する。永田氏は前原さんを党代表から降りる原因を作った張本人であり、いわば怨みの対象になる(とはいえその偽メールを本物と判断しゴーサインを出したのは代表である前原さんの責任だが)。その永田氏の墓前に前原さんは人知れず何度も訪れているという。そこにも「自殺」という死の手段に対する前原さんの想いがあるように思える。



なお、日本では死者に対しては礼儀を尽くすのが常道なので「永田氏」としたが、私はこのひとはヤジが汚く、大嫌いな政治家だった。れいの松浪健四郎の「コップの水ぶっかけ事件」も「(保守党)党首(扇千景)と何発やったんだ!」という聞くに堪えない、また意味のない下品なヤジが原因だった。耳を塞ぎたくなるような汚いヤジも正鵠を射ているならそれなりの意味はある。しかしこのひとの汚いヤジにはなんの価値もなかった。品性下劣だった。亀井静香、河野太郎等も汚いヤジで有名だ。私からすると嫌いな政治家という点で見事に繋がっている。



民主党がこのまま行けば前原さんが総理大臣になる日は確実に来る。改憲主義者であることから自民党支持者にも受けがいいし、アサヒシンブンのようなサヨクメディアともうまくつきあっている。自民党の復活はいつになるかわからないから、この4年のうちにも鳩山さんの次としてあるかもしれない。相容れない部分もいくつかあるが、私にとってすくなくとも岡田よりは遥かに魅力的な政治家だ。母子家庭で育ち、奨学金で学んだ彼が日本のトップに立ったとき、あのさびしげな表情は消えるのだろうか。興味はその事になる。

消えないんだろうなあ。誰もが羨む超美人の奥さんと結婚し、子宝に恵まれ、順風満帆の人生を歩んでいるのにあんなにさびしげだ。自由諸国世界二位の国の頂点に立っても、あの表情は消えないのだろう。親の自殺が子にもたらす影響をしみじみ考える。私も息子のために自殺しちゃいけないのだろう。
  1. 2009/11/16(月) 03:38:31|
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自殺考──前原さんの表情

 民主党代議士、現国土交通省大臣の前原誠司氏を初めて見たとき、日の出の勢いの若手精鋭代議士であり、京都大学出身、長身でハンサム、能弁なのに、どうにもさみしげな表情が気になってならなかった。
後に、中二の時に父が鉄道自殺をしており、奨学金で高校大学を卒業した苦労人と知る。父のことを、裁判所勤務の庶務係長だったのに裁判官だったと言っていた嘘も週刊誌が暴いた。
自分達を捨てて自分だけ楽になった父を憾みつつも、裁判官ともちあげてしまう子のかなしい嘘がせつない。


何度も死のうと思っている。死ぬことを「こちら」から「あちら」に行くとしか考えていないのでつらさはない。いわば「ディズニーランドに倦きたからディズニーシーに行こう」ぐらいでしかない。
なのにまだ生きているのは前原さんの表情だ。大臣になってしばしば目にするようになり、そのたびに死の誘惑にストップを掛けられている。
まだ幼いひとり息子が、三十四十になっても、あの前原さんと同じようなさびしい顔をするのかと思うと死ねなくなる。

前原さんがまとっているあのさびしさ気な表情は、多感な時期に自分達を残して自分だけかってに逝った父の影響だろう。
私が気楽に「こちらに倦きたからあちらへ」をやったあと、息子がどんな人生を送るのか知らない。どんな人生を送ろうとも、いくつになろうとも、息子は自殺した父の影響で、あの「さびしげな表情」をまとう。

そう思うと、乞食になってでも生きていねばならないのでは、と思えてくる。生きていることで恥を掻き、迷惑を掛け、後々息子に「なんでてめーは生きてきたんだ。さっさと死ねばよかったのに」と蔑まれ憎まれることになろうとも、生きていれば、自殺しなければ、息子にあのさびしげな表情はまとわりつかない。私が息子にしてやれる唯一のことは、あの表情と無縁にしてやることではないのか。
前原さんのあのさびしげな表情は、死を考える私にはそれほど重い。痛切に心に染み込んでくる。
もしもこのことで生きのびたなら前原さんは命の恩人になる。私は長らえたいとは思っていないから私のことはどうでもいいが、息子にとってはあのような表情を身に着けずにすんだ恩人になる。
------------------------------
 命の恩人

と書いてUPし、しばらくしてから気づいた。つまりこれは「息子がいなければ私は自殺していた」ということである。前原さんのさみしげな表情ばかり気にしていたが、「息子にあれをさせたくない」と思って思い留まったのだから、私に命の恩人がいるとすればそれは息子の存在なのだと気づいた。
  1. 2009/11/02(月) 16:26:40|
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記憶力考──都合のいい忘却

 ひさしぶりに旧友と駒込で会った。楽しい時間だった。


さて「旧友」の定義だが、これはどれぐらいから言うのだろう。幼馴染み、学生時代からの友人、これらは当然として、私の場合、競馬業界で知りあった友人も二十年を越しているからもうそう呼んでもいいだろう。


彼の場合はチェンマイという旅先で親しくなって十五年になる。知りあった経緯や互いの年齢からも「旧友」は表現として微妙なところだ。


十五年という年月は私にとってはさして旧くないが、二十歳の人からしたら十五年は大きい。人生の大部分だ。十五年前からの友人がいたら、物心ついた当時からの幼馴染みであり旧友になる。三十歳にとっては人生の半分。高校生時代に知りあった親友との交際期間になる。彼らにとっては充分に旧い。


私の場合は半端だ。二十年を越せば私も迷わない。十五年は微妙。それでもこれからも間違いなく親しくつき合って行くひとだからそう表現した。





あれやこれやの世間話。加藤和彦さんが自殺した。京都の龍谷大学出身。友人は京都産業大学卒なのでその辺の話。鶴瓶が同窓同級。


私は彼と麻雀をした記憶がない。彼は一度あると言う。駒込の雀荘だとか。そのとき私が、タイの交通事故で知人がひとを撥ね殺してしまい刑務所に収監された話をし、その説明に何度か「刑務所」と口にしたらしい。すると隣の卓で麻雀をしていた見るからにその筋のひとが「てめーらさっきから刑務所刑務所ってうるせーんだよ!」と激怒してしまい大騒ぎになったのだとか。あれは刑務所から出て来たばかりのヤクザで、「刑務所」は耳にしたくないコトバだったのだろうと友人は笑う。


友人の笑顔を見つつ奇妙な気分。私にはその記憶がない。彼と麻雀をした記憶すらないのだからこのエピソードを覚えているはずもない。こんな刺激的かつ強烈な話を記憶していないなんてことがあるだろうか。不自然だ。





その理由を探ってみると。知人を無罪にするため私はたいへんな苦労をした。自分が誘って初めてタイ旅行をした知人を犯罪者にするわけには行かない。領事館に事情を説明して協力を仰ぎ、借金して警察関係の有力者に金をばらまき、在タイ日本人のみなさんに協力をお願いして廻った。


国際電話で日本のレンタカー会社の重役に相談し、そちらからも手を回してもらった。結果的にこれがいちばん効果があった。日本の重役から電話をもらったタイのレンタカー会社の重役が動いてくれ、政治的献金をしたお蔭で知人の罪は軽くなった。ぜんぶで300万円ぐらいは使ったか。他人に土下座をしたのも初めての経験だった。


ともあれそれで、傷害致死というのか、他人様を殺してしまった彼をなんとか無罪にして帰国させることが出来た。





見知らぬひとに頭を下げて廻り、屈辱的なことを言われてもひたすら耐えるだけの血を吐く苦労だった。血を吐くと言えば心労からなのか鼻血が止まらなくなって難儀した。彼を助ける前に自分が鼻血を流しすぎて死んでしまうのではないかと思うぐらい出た。


ふだんは親しいふりをしていても、こういう問題が起きると手の平を返すひとがいるのを知った。逆にまた無縁のひとの無償の協力もあり感涙した。結果よしではあったが、それらの苦労はいわゆる「忘れたい過去」になる。思い出したくもない。帰国してからの借金返済にも苦労した。


苦い思い出ではあるが、当時の警察関係の書類や自分で記録した事故関係の写真もみな保存している。「記憶力の良い私」だから、それらを引っくるめてすべて記憶しているつもりでいた。なのにこの件のようにすっかり忘れていることがあると知る。心の平穏を保つよう脳か心かしらないが、その件に関することはすべて無意識の意識で忘れるように作用しているのだろう。とでも解釈しないと理解できない。





学生時代の友人と話すと、みんなが忘れていることでも細部まで覚えていて感心されることが多い。自分を記憶力のいい方だと思っていた。いや正直、かなり優れていると自負していた。


だけどそれは楽しい記憶に関してだった。いやな記憶はこんなふうに都合よく忘れている。こういうふうにしてひとという生き物は自分を守っているのだと知った。
  1. 2009/10/20(火) 02:44:18|
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道を訊かれる1-自慢?

  関西で整骨院をしている友人のブログを覗いたら、自己紹介の欄に「よくひとに道を訊かれる」と書いてあった。日本人はもちろん外国人にも尋ねられるのだという。

その様子を軽妙な文章で綴り、最後に「占い師に訊くまでもなく前世はお巡りさん」として、「あなたの健康の道案内人をします」とうまくまとめていた。


じつは私もそうなのである。意外にいそうでいない。近しい友人にはいなかった。こんな形で同じタイプと出逢うとは思っていなかったのでうれしい。友人のブログは以前から読んでいたが自己紹介の欄は見すごしていた。

ブログの自己紹介欄にまともな文はすくない。かくいう私も男であることと東京在住としか書いてない。

友人の場合は整骨院経営という立場から、通院するひとに対する自己紹介の必要があったのだろう。正体を隠しての言いたい放題ブログとは性格が違う。


写真に添えた短文で上手に自分を紹介し、くすりと笑わせ、そして安心させる技術はさすがだと思った。センスがいい。

世話になる患者にとっても、先生が通行人によく道を訊かれるひとであることは、よい方向に作用するだろう。



この話題はなんとなく自慢ぽくなり話しづらい。不思議な現象として客観的に話しているつもりでも、とりあえず「ひとが寄ってくる話」だから、そうとられてしまうようだ。それを意識して話さなくなる。私も今回友人の虎の威を借りて書きだしたがブログでは初めてである。

もう居直って、これは自慢してもいいんじゃないか。そう思い始めた。ひとを安心させ引きよせる能力だ。


友人のように顔出ししての自己紹介文だとなかなかそこまで言えないが、ここはそうじゃないから言ってしまおう。

多くのひとに道を訊かれるのは自慢していいことなのだ、と。


  1. 2009/10/12(月) 07:01:40|
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梅雨の合間の晴れの日──ほんとはこれが五月晴れ

00-seikatsu  午後七時帰宅。疲れた。だいたい午前三時起きの生活なので、いまぐらいにいちばん疲れが出る。
 きょうは朝七時に家を出て、いくつもの用事をこなすのに都内を10キロぐらい歩いた。戸籍抄本取りに品川まで行ったり、病気見舞いに駒込まで行ったり。
 あいまに渋谷で映画を見た。

 このごろ5キロ以上歩くと右足の土踏まずが攣る。右足の土踏まずには、明らかに左足とは違った堅い筋が浮いている。張っている。これどんな病気なのだろう。



 いまから風呂入って寝ます。飯は新宿で立ち食いうどん食ったからいいや(貧相な)。食べに出る気も作る気力もない。まずは風呂、とにかく眠りたい。酒もいらない。

 午前三時に起きるので、「呉智英・佐々木譲論争」の続きは、そのあとで書きます。(というかもう皆さん、調べて結果をご存じのようですね。いっぱいメールもらいました。すみません、進行が遅くて。)

 起きたら近くのすき家に牛丼食べに行こうかな(やっぱり貧相)。無性に食べたい。いや私はほとんどヴェジタリアンで肉を食わないので、こんなふうに食べたくなるのは珍しいことなんです。体が欲しがっているのなら与えないと。こんなとき24時間営業の店があると助かる。
 それではお休みなさい。

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  1. 2008/06/27(金) 19:33:40|
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雨の日のポール・モーリア──曲名が解らない


 ここのところ音楽再生ソフトはFittleを利用している。シンプルで使いやすく、便利だ。フォルダからのアルバム再生にはこれがいちばんいい。

 iTunesはいろいろ缺点が目だち、ちょっと批判的な視線でいる。Appleの独善性は、重度のMacerでないかぎり、やはり鼻につく。使いたくない。

 断然音が良いのはWinamp。dllでそんなに違うものなのか。
 でもWinampは使いにくい。同名の曲の検索などははるかにiTunesの方が簡単。Winampがもっと使いやすくなれば理想的なのだが。


 その他、Songbirdなどあれやこれやもっているが、いまのところ日常的に使うのはこの三つ。下記「白人の頭蓋骨好き」に書いたが、Monkey's Audioやapeファイルなどはもう関わらないようにしている。



 なぜポール・モーリアをもっているかを思い出した。これはフランスで買った2枚組CDだった。何年だろう、リスボンでF1を見た年である。目の前で片山右京のクルマがクラッシュし、空中を舞った。即死だと思った。あれで無事なのだからすごい。いまも片山をテレビで見るたびに不思議な気分になる。

 ホームページの「チェンマイ日記」に書いてあるはずだから調べてみよう。ヨーロッパのF1を追いかけ、そのあいまに、パリの郊外、ジャンヌ・ダルクが処刑された町ルーアンに住む『サクラ』のシーちゃんのお姉さん、チャーさんの家に世話になった旅だった。


 パリに行くのに、タイ経由のタイ航空で行ったのだから、ほんとチェンマイが大好きなころだ。


 飛行機の中で新婚のタイ人夫婦と仲良く話しつつ行ったものだから、ずっとタイを引きずっていて、パリの空港で英国人に道を聞かれたとき、思わず「アライ・ナ?(タイ語のWhat)」と言ってしまい、ひとりで赤面した。


 この英国人(おばさんだった)が、パリで、東洋人の私に道を聞いてくるということが、イギリスとフランスの関係をよくあらわしている。おばさんは、フランス人に英語で話しかけても返事してくれないと読んでいたのだ。


---------------


 



 上はルーアンの町中のカフェ。
 いい雰囲気だった。また行きたくなる。
 下は、チャーさんの家の近所。


 パリから電車で1時間ほどだが、きれいな田園風景の町で、フランスが農業国であることがよくわかった。


 これらの写真を撮ったのは冨士フィルムのデジカメ「Clip It」。現在の主力機「Fine Pix」が出る前のシリーズである。今から見るとケイタイよりも劣るおもちゃのような能力だが、当時は最新型だった。



---------------


 調べて1997年とわかる。「チェンマイ日記」には「凱旋門は遠かった」と題して書いてあった。


http://monetimes.web.fc2.com/cn97-gaisen1.htm


 97年の凱旋門賞はラムタラか? いやあれを観に行ったのは95年のはず。となるとパントレセレブルか。ペリエが前年のエリシオに続いて連覇した年だ。ラムタラはデットーリ。


 私はこの旅に、シャープのノートパソコンMebiusを携帯している。ずいぶんと役立った。だが肝腎の旅日記はおざなりだ。なぜだろう。


---------------


 



 


 早いなあ、もう11年も経つのか。ということはチャーさんのこのふたりの子ももうお年頃か。娘さん、きれいになったろうな、会うのが楽しみだ。


---------------


 本題。
 フランスで買ったCDなので当然曲名はみな英語とフランス語。
 買ったけれど聴いたことはない。そもそも買ったのが、ミッシェル・ポルナレフやポール・モーリアという、こちらにとっては過去のひとが、フランスではまだ人気があることが新鮮だったから。これはあの国のいいところだろう。いいものが長持ちする。日本はモノからヒトまで、あまりに使い捨てが多すぎる。寿命がみじかい。
 という理由から、珍品のつもりで購入した。聴くのは今回が初めてになる。

 連続して流していると覚えのある曲が流れてくる。だが邦題が思い出せない。むろん英語やフランス語はそれとはまったく関係なし。たとえば「オリーブの首飾り」の原題は「EL BIMBO」。これぐらいは知っているからなんとかなるが、こんなのはめったにない。しかしまあよくこんなタイトルをつけるものだ(笑)。


「ああ、これ知ってる、なんとかいう題でそこそこヒットしたんだ。なんだっけ?」と思うことがしばしば。かといってフランス語の原題から日本語のタイトルを推測するのは不可能。「Summer Place」と「夏の日の恋」のように、なにか関連するものがあると推測できるのだが、それは珍しいパターン。喉元まで出かかって出てこないのはまさに隔靴掻痒。


 気楽に聞くはずのイージーリスニングを聞いていて、ストレスがたまってしまった。凝った邦題も罪作りである。

  1. 2008/06/23(月) 17:13:55|
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雨の日のポール・モーリア

00-seikatsu  小雨模様。
 5時に起きて気持ちよくPC作業をしていた。
 今朝のBGMはポール・モーリア(笑)。たまにはこんなのもいいと知る。もっているけど聞いたことがない。いつ買ったのだったか。

「Summer Place」の邦題はなんだっけ、「夏の日の恋」か? なんかむかしが忍び寄ってきて胸が波立つ。真夏日にクーラーの効いている喫茶店に飛び込んでアイスコーヒーを飲んでいる雰囲気。あのころに戻った気分。音楽は時代を呑んでいる。



 いま名古屋でレストランを経営しているKが、お店で流す音楽を撰んでいる。私のコレクションから撰んでお店のBGMにしてもらうのだ。愉しい作業。
 ポール・モーリアなんてあまりにベタだけど、定番として押さえておくべきか。決して食事のじゃまをしない音楽だ。


 神戸で整骨院をやっているSに院内でのBGMとしてあれこれ送っている。先日送ったBuena Vista Social ClubをSが気に入ったときは彼を見なおした。いいセンスをしている。
 彼らも2000年を過ぎるとほとんど死んじゃったけど、ライ・クーダーとの縁で世界中で絶賛されたから、いい晩年だったと思う。まったくライ・クーダーは偉大だ。


 聴く音楽にタブーはないが、本気で仕事をするとき、歌はだめだ。ことばが思考をじゃまする。よって仕事のときの音楽はJazzとClassicばかり。JazzといってもSmooth Jazz。本格的なのは仕事のときは無理。



 このままお昼まで気持ちよく行けると思っていたのに、8時半から50メートルほど先の家の解体工事が始まってしまった。なんていうんだ、あれは、文化住宅? 古い平屋造り。


 これがうるさい。ちょっと仕事にならない。
 どうしよう。ラップトップをもって図書館に避難しようか。
 でも雨降りだしなあ。
 あ、月曜だから図書館休みだ。困った。

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  1. 2008/06/23(月) 09:58:07|
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6月の日記──パソコンのない生活

00-seikatsu  今年の6月前半はパソコンと無縁の生活だった。正しくはさわりたくてもさわれない生活、か。体調を崩し、友人の家で世話になっていた。
 友人が勤めに出た後は、結核みたいな咳をしつつ(ほんとに結核かもしれない)部屋でずっと本を読んでいた。
 その本が、古い(笑)。友人の趣味だ。三島由紀夫を読み返したなんて何年ぶりだろう。いや何十年ぶり、か。同時にまた、気になっていたが読んでいなかった「ゾウの時間ネズミの時間──本川達夫」のような本も何冊か読めた。動物は大きさによって感じる時間の長さがちがうという論である。読書傾向のちがうひとの本棚は勉強になる。 続きを読む
  1. 2008/06/19(木) 00:59:13|
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お詫びと報告

00-seikatsu  17日間も間が空いてしまいました。すみません。
 あれこれあわただしく、繁雑なことが連続して、ブログを更新している時間がありませんでした。 せっつかれた競馬ブログの方だけはなんとか書きました。これもGⅠが終り一段落。すこし休みます。



 御心配のメールを多数いただきました。ありがとうございます。
 しばらくはまだ難問山積みで、このブログもホームページも更新が滞ると思いますが、よろしく御理解ください。


------------------------------


【附記】 買い物ミス

 デスクトップ2GBのメモリを4GBにしようと通販で注文しました。今朝届きました。ノート用でした。疲れていてあわただしいと、こんなミスさえします。
 ノートはすでに2GBにしてあり、スロットがいっぱいです。使いようのないこのメモリ、どうしよう。返品はきくのでしょうか? 



 友人に荷物を預かってもらうため、レンタカーで運ぼうかなと思っています。およそ三年ぶりの運転です。こんなミスをするようでは、運転が怖くなってきました。考え事をしていて、ブレーキを踏むのが遅れ、前のクルマに……。わるい想像ばかり浮かんできます。


 すこし休んだ方がよさそうです。


------------------------------


【附記・2】 わかってはいても


 あたらしく装着したHGSTの500GBHDDの容量は、接続して数字が出ると465GBしかなかった。
 目減りするとわかっていても、この35GBは大きい。それだけでかつてのメインHDD30GB一個分以上だ。
 いま使っている320GBも295しかない。そういうものだとわかってはいるのだけど……。


 でも割合で考えると、30GBも28GBだったりした。500GBが465GBなのは、パーセンテージとしてはつりあっているのか?


 

  1. 2008/06/14(土) 10:47:17|
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ひさしぶりの小田急線──奮闘ゴミ屋敷

00-seikatsu  それは豪華3LDKマンションのゴミ屋敷だった。
 足の踏み場もないほど物が溢れている。
 溜め息が出た。不可能だ。どこから手をつければいいのか。軽い気持ちで来た自分を反省した。そんな生易しい情況ではない。


 引越は9日。時間はもうあと2日しかない。なのによくぞここまで投げ遣りでいたものだ。
 気合いを入れてゴミの中に突撃する。



 私は奮闘した。クーラーを18度フルパワーで運転したが、サウナにいるように汗が噴き出た。本を詰め、雑貨を詰めた段ボール箱をいくつ作ったろう。ゴミをビニール袋に何袋詰めこんだろう。


 夜、生ビールを御馳走になる。めったにないうまい生ビールだった。思えば、得意の肉体労働だが長年ごぶさたしている。体を動かして汗が拭きだしたのはいつ以来になるのか。近ごろは箸より重いものを持ったことがない。



 昨夜帰宅したのは午前零時を過ぎていた。しかしそれでもまだ半分も終っていない。想像を絶する状態だった。今日も行くことにした。乗り掛かった舟だ。本来なら今日が締切の原稿があり動けないのだが、連休をまじめに働いて早めに仕上げていたので時間はある。
 今日中に終らせないと引っ越しできない。未だものすごい状態なのだ。


 テレビで、お笑い芸人がゴミ屋敷を片付けたりするのがある。今の私はあの心境。達成感を夢みて走るのみ。

 やるしかない。出発。

  1. 2008/05/08(木) 07:54:24|
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プロフィール

fc2moneslife

Author:fc2moneslife
2001年に始めたサイトMone's World--http://monetimes.
web.fc2.com/の出張版ブログ【木屑鈔】Boku-setsu-shouです。
2005年からやっていたライブドアブログから引っ越してきました。
FC2のサイトは2007年から利用させてもらっていました。これでやっとサイトもブログもFC2で統一です。
メールは、moneslife2000
@kpe.biglobe.ne.jpまで。

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