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毎日王冠的中記──同一厩舎2頭だし考

●毎日王冠的中記──同一厩舎2頭だし考
        
  毎日王冠。大好きな馬ルージュバックとアンビシャスの1、2着固定で3連単を組む。ともに人気馬なので配当は低い。相手は5頭に絞った。10点買い。これだけ好きな馬で心中できるレースもそうはない。金缺なので有り金全部、とは行けないが、勝ち負けに関係なく気持ちよく買えるレースだ。

   ずっと追い掛けてきたルージュバックは敗戦続きだったがエプソムカップ完勝でだいぶ回収できた。
 宝塚記念本命のアンビシャスは大敗。今回も仕上がり途上との情報。あるいは「大敗の後遺症がまだある」とも。『日刊ゲンダイ』の「止まり木ブルース」は、その情報からルージュバック本命のアンビシャス消し。私は「たとえ途上でも強い」と思っているので断然支持。

続きは
●毎日王冠的中記──同一厩舎2頭だし考
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  1. 2016/10/10(月) 09:39:00|
  2. 競馬

スプリンターズ的中記──喜びも中ぐらいなり……。

スプリンターズステークスの3連複を的中した。
420倍を当てたのだから万々歳のはずなのだが、なんか不満足。
会心の馬券を逃してしまった、その顚末。

続きは
●スプリンターズステークス的中記──喜びも中ぐらいなり……。

【追記】──凱旋門賞完敗記
  1. 2016/10/02(日) 20:58:00|
  2. 競馬

競馬──ヴィクトリアマイルさわやか?敗戦記

オークスの枠順が確定している金曜日に今更ヴィクトリアマイルでもないのだが、なんとかオークス発走前に書けた。
とにかくもう目の調子がわるくて文章を書く気になれない。遅ればせではあるが御容赦を。

●ヴィクトリアマイルさわやか?敗戦記
  1. 2016/05/20(金) 22:20:54|
  2. 競馬

競馬話──2016年、桜花賞、天皇賞、マイルカップ敗戦記

2016年、G1馬券、いまだ目が開かず。暗闇進軍。
でも同じ負けでも桜花賞のように納得行かないのとちがって、今日のNHKマイルカップはいい競馬だった。

馬券がハズれたのに「いい競馬だった」なんて言ってるからいつまで経っても負け組なのだが、そういう性格でなきゃ馬券を何十年も続けられるはずがない。まともなひとは見切りをつけて卒業して行く。何十年も負け続けながらいまだにやっているというだけでもう十分にくるっている。そう自覚しつつ、卒業してしまったひとはかわいそうだと、留年続きの自分に誇りすら感じているのだから病膏肓である。

●2016年、桜花賞、天皇賞、マイルカップ敗戦記
  1. 2016/05/09(月) 00:27:00|
  2. 競馬

2015年の有馬記念が当たるまで──いろいろとあって

なんだかいろいろあって、結果的に当たったのだが、競馬は連続ドラマなんだなあと感じいっている。
ジャパンカップの敗戦、前週の買い間違い、HDDクラッシュでの落ちこみ、有馬はケンでホープフルステークスで勝負予定からの変更、みんな繋がっていた。
ともあれ、枠連を取れたことがいちばんうれしい。

●2015年の有馬記念が当たるまで
  1. 2015/12/29(火) 22:29:48|
  2. 競馬

競馬ファンの愉しみ──思い出馬券

 昨年競馬ファンのTさんと知りあった。長年馬券をちびちび愉しんでいるかたである。すでに定年退職し、充分の年金とたまのシルバー人材のアルバイトで悠々自適の生活だ。「あれも当たった、これも当たった」とレース名を出して的中を自慢する。財布の中から的中の100円馬券コピーを次から次へと出してくる。「うわあ、ほんとに馬券上手ですね」と持ちあげ、「あれはどうでしたか」とよけいなことを訊いたら、「いや、あれは……」と黙ってしまった。外れたレースのことは語りたくないらしい(笑)。でもG1では勝負馬券とは別に応援する馬の単勝を100円買い、それらをコレクションしているらしいからロマン派なのだろう。先日は額縁に入れたディープインパクトのG1単勝馬券コレクションを「ぼくの宝物なんだ」とわざわざ持参して見せてくれた。

 素人なので智識は浅く、時折教えてあげたくなることもあるが、でしゃばらないようにしてつき合っている。「素人なので」というもの言いには反感を抱くかたもいるだろうから弁明しておくと、素人でも私なんかより血統に詳しいマニアはいくらでもいる。特に今時の若者にはすごいひとがいる。と同時に三十年も四十年も馬券を愉しんでいるけど、「そんなもんなんもしらん」というひとも大勢いる。Tさんはそんなタイプだった。そしてまた、たとえば将棋は「なんもしらん」では弱いまま負け続けて厭になりやめてしまうだろうが、ギャンブルは「なんもしらん」でもたまに「なんもしらん」からこそ大穴が当たったりするから趣味として長続きするのである。

 Tさんは毎週日曜のメインレースだけを愉しむ。電車の中でカンチューハイの小をちびりちびりやりながら午前中に家を出て、立川ウインズに昼に着くように出かける。お酒に弱いので、それだけでほんのり赤くなるらしい。馬券を購入したらすぐに帰宅し、レースは午後三時からのテレビで愉しむという。こういうひとのためにもあのテレビ番組はなんとかしてほしい。見ていると腹立つ。
 ウインズの雰囲気が好きだという競馬ファンは多い。あの人ごみの中でやることが楽しいのだと言う。Tさんはそうでもないようだ。すぐに帰宅する。馬券を買いに行くだけの往復はたいへんだ。スマートフォンを使っているのだからIPATをやればいいのにと言ったら、「うん、それは知ってる。やりかたも覚えたんだけど、おれはね、この馬券、この紙の馬券を手にしないと競馬をやっている気がしないんだ」と言って笑った。たしかにそういう面ではIPATには虚しいところもある。実感がない。私にも「宝物」として昭和の時代の馬券があれこれある。当たった馬券は払い戻したし、当時はコピーサーヴィスなんてないから、あるのはみな外れ馬券なのだが、このままIPAT馬券師をやっていたら「思い出馬券」はなくなってしまう。思い出は心の中にあればいいのだが、そう言いつつも、「
紙の的中馬券」が欲しい気もする。


 と、この話はTさんとの交友録を書こうと思って始めたのだが、ここで脱線して「思い出馬券」の話にする。思い出は心の中のものであり、私にTさんのようなコレクションはないが、たまたま手元に残った馬券を名刺入れに収めたものがある。それに関する「思い出」はふたつ。

 ひとつは「入れておいたはずのジョンヘンリーの単勝馬券がなくなってしまった」こと。1982年、昭和57年の第2回ジャパンカップにアメリカの英雄ジョンヘンリーが来日した。血統も見た目も悪く50万円という安値で買われた馬が、気性の烈しさから虚勢され、苦難の末に、アメリカンドリームともいうべき大活躍を始める。当時はまだ元気だった寺山修司もさかんにジョンヘンリー讃歌を書いていた。来日時にG1を11勝、もう7歳だったから峠は越えていたろうが、日本の競馬ファンは断然の1番人気に支持した。13着に大敗し、さすがのジョンヘンリーももう終ったのだろうと思われたが、帰国後、8歳、9歳になっても走り、GⅠ5勝を含む8勝をあげている。最後は4連勝で引退した。

 記念馬券なんてものを買うタイプではないのだが、なんともこのジョンヘンリーのサクセス物語には心を動かされ、買ってしまった。単勝1000円。勝っていたら払い戻した可能性が高い。的中したのに払い戻さないというほどのロマン派ではない。惨敗だったので保存することにした。といっても引きだしの中に入れておいただけだ。数年前までは確実にあった。いまは行方不明。この昭和57年のジャパンカップのことを書きたいのだが、この思い出馬券がないので書かずにいる。だって説得力がちがう。そのうち出てきたら書きたいと思う。失くしたとは思っていない。その辺に紛れこんでいるだけだ。とはいえ今のように馬名が入ったりはしていない。数字しかないのだが、それでもいとしい。

 例えば写真の1992年のエリザベス女王杯だ。(続く)
  1. 2014/10/21(火) 21:55:04|
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競馬日記──1998

○月×日 Mさんと会う

 ベトナムで知り合ったMさんから「出所しました」と電話。渋谷で会う。
  Mさんは昔、名古屋競馬で厩務員をしていたという。最初はホーチミンの安宿で知り合い、たまに将棋を指したりする、その他大勢の知り合いだった。それがひょんなことから競馬に話が飛び、私が競馬関係の仕事もしていると知ると、自分の過去を話してくれ、それ以後急速に親しくなったのだった。

  私は旅のプロ(?)ではないから、彼らの流儀が解らなかったのだが、どうやら旅をすることを生き甲斐にしている人たちというか、ほとんど旅をするためだけに生きているような人たちにとって、旅人以前の経歴というのは基本的なタブーであるらしい。たとえば「ヤマさん」と呼ばれている人がいて、でもそれは名字とは全然関係ない通称だったりする。誰もがヤマさんは知っているが、その本名も日本で何をやっていたのかは知らないのだ。宿帳やパスポートに触れることもあるのだから、誰も知らないというのは嘘だと思うのだが、そこを詮索しないのが彼らの礼儀であるらしい。
  年に何回か世界のどこかで必ずと言っていいほど出会い、一緒に飯を食ったり酒を飲んだり情報交換をしたりする長年の付き合いでありながら、本当に本名も知らずにつきあっているという不思議な関係の人たちがいるのだ。そういう人たちに何人も出会っている。

  では過去を抹消した彼らがなにを話しているのかというと、これが旅の話なのである。あの国のあの町はどうの、あの町のあの店がどうのと、旅の通過点で出会った同類と、今までの旅を飽きることなく話し合い、自慢しあい、そしてこれからの旅の情報を交換しあっている。そんなときの彼らは一様に自信に満ち、満足げな笑みを浮かべている。自分の既に行った場所にこれから向かおうとする旅人に情報を与える時には先輩となり、これから行こうとしている未知の国の情報を得るときには新米となる。それを感じることが、日本という国からはみ出してしまった彼らの至福の時間なのだ。そういう場において、日本の自分、実物大の自分を思い出させてしまう経歴の話はタブーになるのだろう。

  ところが旅慣れしていない私は、興味のある人物と出会うと、平然と「どこの生まれなんですか」「いままで仕事はなにをしてたんですか」と訊いてしまう。その辺、無神経と言えば無神経なのだが、すこしでも相手が顔をしかめればすぐに話題を移すぐらいの気配りは出来るから、それほど他人様にイヤな思いはさせていないはずではある。それに、「経歴を訊くのは旅のタブー」というのは、どうやらそれほどのものではないなというのが、私の今の感想になる。

  つまり、誰にだって話したくない過去があるように、これまた誰にだって、話したくてたまらない過去もある。一応私はインタビューのプロである。いや、プロと言うのはおこがましいが、とにかく職業的にインタビュー記事をこなしたことは相当数あるのだから、最低限のノウハウぐらいはもっている。そういう人間に、テーマを絞って、筋道立てて自分の経歴を訊かれるということは、まるで一代記を語るタレントにでもなったようで、それほど悪い気分のものではないらしいのだ。

 「おれ、自分のことこんなにしゃべったの、あんたが初めてだよ」と、かなりの人に言われた。皆、自分のことを洗いざらいしゃべったことに対して、多少の戸惑いを浮かべながらも、随分とすっきりとした顔をしていたものだった。そりゃあ、素人がプロからロング・インタビューを受けるなんてことは滅多にない。悪い気分ではないだろう。

  そしてその後、彼らは皆、一様に口をそろえて言うのだ。ある人は照れながら、ある人は怒ったような顔をして、しかしまたみんな、それなりに自信を浮かべた表情で、「おれのこと、小説にするんでしょ。やめてくださいよ」と。
  冗談のつもりらしく、こうもよく言われる。「モデル料、もらおうかな」とも。

  残念ながら小説になるような価値のある話なんてひとつもない。彼らの話はただ「私はこうして日本という国から落ちこぼれました」というだけの話で、そこからまた成り上がって行くと話は違ってくるのだが、落ちこぼれたまま、意味もなくただ放浪しているだけの話をどうして小説に出来るだろう。それぞれが個性的なつもりでいて、実は皆同じような没個性の人なのだ。

  彼らと話してしみじみ思うのは、「人間って皆、自信家なんだなあ」ということである。
 「おれなんか、ゴミみたいなもんだよ」という人に限って、「だけどね」というのを持っていて、その「だけどね」を聞くと、「あんた、全然自分のことゴミだなんて思ってないじゃない。自身過剰だよ」と言いたくなるようなことばかりなのである。

  Mさんは、私が競馬好きだからと胸襟を開いてくれたのではない。本格的な競馬の話になったとき、一目置かざるを得ない知識を私が持っているのを知って、初めて自分の過去を話したのである。むしろ、ただの競馬ファンだったなら決して自分のことを話さなかっただろう。Mさんは、自分が外側の競馬ファンではなく、内側世界の人間だったという経歴に特別の自負を持っていた。私も内側世界に通じた人間だと知って、初めて心を開いてくれたのだ。

  Mさんから聞いた厩舎筋の内輪話は、なかなかにおもしろかった。内側世界の人は、内側の人にしか解らないおもしろいネタをたくさんもっている。

  かなりの腕利きだったというMさんが厩務員を辞めてしまったのは、いわゆる「東南アジア病」にかかってしまったからだ。この病気に罹ると、何度東南アジアに行っても帰ってくるとすぐにまた行きたくてたまらなくなり、まともな仕事はもう出来なくなってしまう。特効薬のない難儀な不治の病である。そしてまた生き物の世話をする厩務員というのは、給料には恵まれているが休日がなく、とても長期の旅行などは出来ない職業である。

  不治の病、東南アジア病に罹ると、まず自由の利かない会社を辞めてしまう。最初はアルバイトで食いつなぎ、短期間行っては帰国するということを繰り返しているが、次第にそれでは物足りなくなり、それなりの期間居座りたくなる。どうするかというと、季節工という職業につくのだ。半年間、衣食住付きの職場で懸命に働き、節約に節約を重ねてお金を貯め、後の半年を東南アジアを回遊して暮らすという、半年天国半年地獄の生き方である。いつの間にか、私が「回遊魚」と名付けた、そういう知り合いが何十人にもなっていた。Mさんもそのひとりである。

  いよいよ来週、Mさんは天国へ出かける。彼らは半年の労働が終ったとき、「出所しました」と電話してくる。一ヶ月四十万円ぐらいになる厳しい肉体労働を半年間懸命にこなし、二百万円ぐらい貯めるのだから、その間の生活は想像がつく。だいたい皆、ひと月に五万円ぐらいしか使わないと口をそろえる。私のように馬券を何十万も買っては当たった外れたと騒いでいるような奴は、彼らからみたら異邦人なのだ。三十万あれば東南アジアで三ヶ月は十分に暮らせるらしい。常夏の国で、のんびりと昼寝を楽しみ、酒を飲み、かわいい女をはべらせて過ごせるのだ。それをたったひとつのレースにぶっこんで外れるような私は、彼らから仲間とは認めてもらえない。(言うまでもないが、私の経済状況も彼らと同じようなものである。バクチ狂の私は彼らと金の使いかたが違うだけだ。)

  そういう知り合いの中で、Mさんだけが、昔そういう世界にいたから、私の金の使いかたに理解を示してくれた。そのことで親しくなったとも言える。といって私にはバクチ仲間はいくらでもいるからMさんが恋しいわけではない。Mさんが昔の世界を恋しがって、出所すると私に連絡を寄越すのである。


  渋谷の『蘭タイ』というタイ料理屋に行く。Mさんのような東南アジア放浪のプロは、決して日本でエスニック料理など食べない。値段が現地の十倍もして、しかも不味いのだから当然だ。タイでも貧乏人しか飲まない一本四百円の安ウイスキーが、日本のタイ料理レストランでは六千円もする。六千円なら今、上質のスコッチが飲める。まあここは私からの出所祝いということで誘う。ただならどこへでも行くのもこういう人たちの特長だ。

  正月に、タイの日本領事館が主催する新年会に出たことがある。立食形式のパーティだった。そこにこの旅のプロ達が集ったのだが、その貧乏くさいエネルギーは圧巻だった。領事の挨拶など誰も聞いてない。普段は行けない高級日本料理店のメニュー、寿司やてんぷらなどを食いまくる。中にはナップザックを持参して、お土産だと詰め込んでいる人までいた。彼らは正規に招待されてはいない。招待されるのは、いわゆる在留届を出して、日本人会に属している人だけだ。とはいえ日本人がやってきたのを追い返すわけにもいかないのだろう。勝手に押し掛け、勝手に食いまくるのだから、すごいとしかいいようがない。まあ私も、招待されていないのに見物がてら出掛けた一人ではあるのだが。
 (註・このときの話はめちゃくちゃおもしろいので、その内「チェンマイ雑記帳」にでもあらためて書こうと思います。)

  Mさんの来週出発を聞いても、べつに私は羨ましくもなかった。それよりも、仕事に対する焦りがある。頑張って仕事をせねばと思う。自己満足できるだけの仕事というものを残したら、私も季節工になってもいい。

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○月×日 Yさんと会う

 タイの北部の外れ、ビルマとの国境、メーサイという町で知り合ったYさんから電話。新宿で会う。神奈川県の自動車工場からの〃出所〃らしい。
  彼ら〃渡り鳥〃は、暖かい時期の日本で働き、寒い季節に東南アジアに渡るという習性があるから、出所の時期が相次ぐ。しばらくは彼らとの飲み会に忙殺されることだろう。
  Yさんは某国立大学、私たちの時代感覚でいうと〃一期校〃を卒業しているインテリである。しかも工学部だ。はみ出し者には色々な人がいる。

  競馬というものを一度見てみたいというので、知り合いの馬主に席を頼み、Yさんを招待したことがある。東京競馬場だった。4Fの特別席である。1レースからやってきたYさんは、「おもしろい」「昂奮する」「楽しい」を連発し、最終レースまで熱心に観ていたが、ただの一度も馬券を買わなかった。

  Yさんは株をやっている。既に三千万円ほど貯金があるらしい。バブルの頃、百万買っては、十万儲かる形になるとすぐに売るという細かなことを何度も何度も繰り返して作り上げた財産なのだそうだ。一度も失敗しなかったという。

  私にも株をやれと勧めるのだが、十数年前、株で三億の借金を作り親戚中をパニックに陥れた従兄弟がいる私には、株というのは恐怖以外のなにものでもない。その従兄弟の借金は親戚中が金を持ち寄って返却した。先祖伝来の田地田畑を皆売り払ったのだ。私の家でも可能な限りの金額を供出したらしい。田舎の一族というのは結束が堅いものだとあらためて感心した。かなり手広く穀物商をやっていたその従兄弟は、全てを失い、今はトラックの運転手をしている。彼も最初は順調だったのだ。親戚中の出世頭だった。悪いほうに転がり始めたとき、押さえが利かなかったのだろう。

  同じ血が私にも流れている。土日に銀行で金を下ろせるようになったのは何年前だったろうか。十万円の中から五万円だけ使おうと競馬場に行き、歯止めが利かなくなって十万全て負けてしまう。それぐらいならまだいいのだが、熱くなり、競馬場から駅前の銀行まで行き、全額を引き出し、家賃やらなにやら必要な生活費もすべてを使い果たしてしまったということが何度もある。熱くなると私は何も見えなくなる。こんな私が株などやったら従兄弟の二の舞だろう。株にだけは手を出さないことが、今の私のせめてもの理性なのだ。

  というようなことを話しても、Yさんは不思議そうに首を傾げるだけである。株というものでただの一度も損をしたことがない人なのだから当然かも知れない。もしもYさんが競馬をやったなら、110円ぐらいの確実な複勝をじっと待ち続け、そこでドンと買うのだろう。だって私なら三千万円の貯金があったなら手取り二十数万の工場で季節工などしない。この辺の堅実さは雲泥の差というやつである。

  Yさんは現在45歳だが、なんとか50歳までに貯金を五千万円にして、タイに永住する計画なのだそうだ。かつての日本のような高度経済成長期にあるタイでは年利が10パーセントつく。数年前までは12パーセントだったそうだ。その金利で暮らして行くのがYさんの夢なのだという。そういうYさんだから、競馬などという不確実なものに駆けるお金など、びた一文ないということなのだろう。Yさんの経済感覚だと、特観席にただで入れただけで、もう儲かっているということなのだ。

  紀ノ国屋前で待ち合わせ、歌舞伎町の居酒屋へ行く。
  最近話題になっているアジア関係の本のことで盛り上がる。若いカメラマンが写真と文章で綴ったものだ。アジア各国に住み着いている日本人をドキュメントしたその本の中に、Yさんも私も知っている人物が登場していた。

  そこで彼は、日本という俗世界から脱出し、バンコクの安宿で、わずかな身の回りの品だけで慎ましく暮らしている孤高の老人(=極めて魅力的な人物)のように紹介されていた。私たちの知る彼とは随分と違っていた。私の知っているのは、とてもいやみな年寄り、我が強く他人に自分の意見を押しつける人物、説教酒、唯我独尊タイプ、それでいて本格的な知識教養はない、組合活動家出身のサヨクということである。彼がその本の中に登場するような魅力的な人物でないことに関してだけは、皆口をそろえるだろう。

  これが東南アジア放浪歴二十年というYさんの手に掛かると、もっと手厳しい。このじいさんは、タイ北部のチェンライという町では、知らない人のいないロリコンじじいなのだという。孫のような少女売春婦を両脇に抱えては、変態的行為に浸るので蛇蝎のごとく嫌われている有名人なのだそうだ。

  考え込んでしまった。この老人のことではない。文章のことだ。ここにはドキュメントの難しさがある。この本を書いたのは、彼と初対面の、旅慣れていない若者である。本来はカメラマンだ。彼から見てその老人が魅力的だったのだから、それはそれでいい。かなり良くできた本ということで、それなりの評価も受けているのだ。だが実態を知っている人から見たら、間違いだらけの何も描けていない本になる。

  初めてタイに行ってから急速に魅せられた私は、4回ほど通った後、在タイの日本人達を主人公にしたドキュメント小説(こんな言葉あるんだろうか)というか、実話をベースにした半分フィクションの物語を一気に書き上げた。本にするつもりだった。出版社も決まっていた。だがさらに5回、6回と通っている内に、間違いや勘違いの箇所に気づき、出版しなくて良かった、出していたら大恥をかいたところだったと冷や汗をかく。そしてさらにまた通っている内に、今度はタイという国に対する考え、タイ人に対する感覚までが変ってきてしまったのだ。最初に書いた文章など、甘っちょろくて読めたものではないとなってきた。一言で言えば、見知らぬ国に対し好意的に浮かれていたのが、実状を知るに従い視点がシビアになってきたのである。


  詳しくなればなるほどそうなるのは当然だが、こうなるとメビウスの輪というか、クラインの壺というか、出口のない堂々巡りが始まってしまう。未熟なまま突っ走ってしまうことも必要なのだと考える。お蔵入りにしてしまったその小説は、今の私から見たら間違いだらけ、人物の掘り下げ方が甘ちゃんであり、「みんないい人」に描かれているどうしようもないものである。だが、タイという国を知らない人が読んだら、誰もが一度は行きたいと思うぐらい、あたたかくてやさしい面ももっている。真実って何だろう。真実って全てに関して尊いのだろうか。Yさんと飲みながら、考え込んでしまった。
  1. 2014/10/17(金) 06:17:44|
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競馬話──タップダンスシチーをどう描くか!?──引きずるあの問題

タップダンスシチーをどう描くか。
決まってはいる。
5歳の暮れに、初めてのG1有馬記念に出走し、14頭中13番人気で2着した。
ただの一発屋と思われたが、そこから活躍を始め、JCを勝ち、宝塚記念を勝ち、凱旋門賞に挑戦までする。
典型的な遅咲きの名馬だ。
そしてまた鞍上の佐藤哲三が「ひとも馬も地味ですが、これからも応援してください」と語ったように、キャラとしても確定している。さらにはその佐藤が、あの大怪我からの闘病もかなわず、引退となった。語るべきことも、切り口も、いっぱいある。ありすぎて困るほどだ。なにをどう書くか。愉しみだ。わくわくする。だが……。

肝腎のタップダンスシチーのその後が闇に包まれている。 
競馬は人間の傲慢が生みだした残酷な遊びだ。
そのことは忘れて、割り切って、自身の職業に撤しようと思うのだが、屠殺の現場を見すぎて、肉と距離を置いたように、見聞きしてきた現実が絡んでくる。

ワインと肉はあう。
うまいワインを飲みつつ肉の旨さを堪能したい。それでいいのだ。それがヒトという生き物だ。生きるとは、そういうことだ。それの否定はヒトの否定になる。くだらんこだわりは捨てたほうがいい。まして競馬だ。たかが競馬だ。割り切らねばならない。わかってはいるのだが……。

● タップダンスシチー行方不明

●タップダンスシチーは生きていた

●タップダンスシチーの老後は安心できるのか──ハイセイコー、タケホープ、イチフジイサミ 
  1. 2014/10/10(金) 06:04:01|
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調教助手女子校生買春で「サンスポ記者買春記事」が再人気に(笑)

いま「このブログの人気記事」というパーツを消しているので見えませんが、裏から見ると、2011年3月9日に書いた「サンスポ記者の買春容疑──ブログ時代の不幸」というのがリバイバルヒットしています。もうあれから三年以上経つのですね。

その理由は明解。関西の調教助手が女子校生買春て逮捕されたらしく、それをまとめたサイトにリンクされたからのようです。それはまあこんなも形で人気復活(笑)すれば、なにがあったんだろうとアクセス解析を見るわけで、するとひとつのリンクからの殺到だとわかります。そういうまとめサイトに、「そういえばこんな事件もあったな」とあり、それを詳しく伝えている記事として私の文がリンクされていました。 



下衆な興味ですが、あのK記者の家庭はどうなったんだろう。前途洋々の39歳のKさんは、そのごどうなったんだろう。あれから三年だからもう42歳か。 もしも離婚しなかったとしても、家庭内の冷え冷えとした雰囲気は想像がつくし、どうせならわかれたほうがスッキリするだろうと思うけど、意外に仲直りしてたりして。どうなんでしょう。



関西の調教助手は50歳だそうです。50歳が17歳を買春したと問題になっていて、これも17歳が補導されて、そこから顧客として捕まったようです。K記者もそうだっけ? そのまんま東はそうでした。

私の感想はいつもの通り、「気の毒に」「ついてないね」とアッサリ風味。自分にはぜったいにそういうことがないので、まったくの他人事です。 同情もしないけど、わるいことをした許せないヤツだとも思わない。かといって「明日は我が身」とドキリとするなんてこともない。ま、ほんとにどうでもいい話。自分のブログへのリンクがなかったら、そんな事件があったことも知らないままだった。

楽天のお偉いさんの不倫による転落、調教助手の女子校生買春話、くだらんことを連発してしまった。あすからまたまじめになろう。 
  1. 2014/04/25(金) 18:41:30|
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9月17日雑感──颱風一過、一気に秋?──オルフェーヴル、キズナの勝利

颱風が来る時期だからやめたほうがいいのにと言われていた月曜祝日を利用したJRAの三日開催三日目は、颱風来襲で予測通り中止になった。週伸ばしにしている餘裕はないから今日代替開催するらしい。さてセントライト記念、参戦すべきなのか。



15日、フランスではオルフェーヴルとキズナの両馬が勝った。オルフェーヴルは力通りで、鞍上もスミヨンだったので安心して観ていたが(正直な気持ちを書いているだけだが取りようによっては皮肉になってしまうか)、キズナが英ダービー(ダービーは英国のものなので本当はこの〝英〟はつけてはならないことになっている)をハナ差負かしたのは見事だった。映像では差されたように見えたが。

なにしろむかしは英国ダービー馬を種牡馬に迎えるなんてのは夢のまた夢で、「英国ダービー出走馬」という惨敗した馬を購入するだけでも自慢だった。それが本場ダービー馬を種牡馬として購入できるようになり、ジャパンカップに英ダービー馬が出走するようになり、とうとうこちらから日本ダービー馬が遠征して行き、同い年のダービー馬を負かす時代になった。感激一入である。(一入=ひとしお)。



異様な残暑で(というか今年の猛暑を知らないのだが)連日扇風機とクーラーをかけっぱなしだった。寝るときも扇風機は廻したままだった。それでも暑くて目覚めたりした。
ところが今朝は肌寒いほど涼しい。扇風機を止めた。いまもティーシャツでは寒い。長袖が欲しいほどだ。室温25度、湿度47パーセント。颱風一過で一気に涼しい秋になるのか。 
とかいって今日も厳しい残暑になったらこんなことを書いてわらいものだけど、いつものよう午前3時起床で窓を開けると、風に秋を感じた。今日から秋になってゆくような気がする。
  1. 2013/09/17(火) 06:08:00|
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酒話&競馬話──「越後桜 大吟醸」を飲んでみた──「コダマはカミソリの切れ味、シンザンは鉈の切れ味」──「ならメイヂヒカリは日本刀の切れ味だ!」

echigosakura 私はあまり「大吟醸」は呑まない。日本酒にフルーティな香りは求めない。むしろ苦手なぐらいだ。フルーティな大吟醸が好きだという女も多いが、好きじゃないという日本酒好きの男もまた意外に多い。

 昨日、宮城県産の旨そうなかつを切り身を見かけた。
 かつを刺身なら日本酒だ。日本酒は生魚に合う世界一の酒だ。こういうのに白ワインのひともいるが、私は生魚や生貝類をワインで楽しむ味覚とは意見があわない。



「コダマはカミソリの切れ味、シンザンは鉈の切れ味」という武田文吾調教師の言葉は有名だ。これは昭和39年にシンザンが無敗で皐月賞を制したときに、昭和35年に同じく無敗で皐月賞を勝ったコダマとのちがい(共に武田調教師が管理)を問われ、武田師が言った比喩である。

 この言葉の意味は誤解されていて、私は機会があるたびに書くようにしているのだけれど。
 コダマはダービーも勝って無敗の二冠馬となる。レコードタイムで駆けぬける駿馬だった。母はシラオキであり名血だ。菊花賞は5着に敗れて三冠はならなかった。
 対してシンザンは地味な馬だった。血統でも注目すべき点はない。
 皐月賞の時点で、2頭の無敗の皐月賞馬のトレーナーとなった武田師は、両馬の評を問われて、そう応えた。武田師の中でコダマとシンザンの評価は雲泥の差があった。それが「カミソリと鉈」なのである。
 人間の評価に例えるなら、コダマを「1を聞いて10を知る天才やね」と絶讃し、シンザンを「1を聞いても1しかわからんけど、一歩一歩着実に歩んで10を知る努力家や」と言ったようなものである。

 ところがシンザンは多くの二冠馬(クモノハナ、トキノミノル、クリノハナ、ボストニアン、コダマ、メイズイ)の叶えられなかった夢を叶え、セントライトに続いて日本競馬史上二頭目の、戦後初の三冠馬となる。さらには天皇賞、有馬記念も勝って〝五冠馬〟なんて新語まで生みだすスーパースターとなった。当時は八大競走外だったが宝塚記念も勝っている。天皇賞が今のように勝ち馬も出られる制度だったらまちがいなく2勝しているだろう。するとGⅠ7勝の先駆である。JCもあったらGⅠ8勝の記録を作っていたか。

 誤解とは、その圧倒的戦歴(19戦15勝2着4回)から「鉈」が過大評価されてしまったのだ。「カミソリは切れ味鋭いが脆い。その点、鉈はどんな籔でも切りひらいて行く。歯が缺けることはない。すごいぞ、シンザンは鉈なんだ!」のように、シンザンを知らない世代から崇め高められ、名言が見当違いのひとり歩きを始めてしまったのである。
 そうじゃない。武田師は、あきらかにカミソリよりも切れ味の鈍い、格下の存在として「鉈」を使ったのである。
 後に、「シンザンは〝カミソリの切れ味をもった鉈〟だった。シンザンに失礼なことを言った」と述べている。
 私は、機会ある毎にこのことを書いて誤解を消すようにしているのだが、ひとり歩きが早すぎて追いつけない。
 最近は、それはそれで名言の味だから、これでいいのかと諦めている。



 てなことを書いたのは、これに隠れたもうひとつの名言を書きたかったから。
 メイヂヒカリの蛯名武五郎である。
 メイヂヒカリの成績はこちら。菊花賞、天皇賞、有馬記念を勝っている。

「メイジ」じゃなくて「メイ」なのが美しい。「明治」の「治」は「チ」なのだから、どう考えても「ヂ」が正しい。このころのかなづかいはまともだった。当時のものを読むと、「親父」もしっかり「オヤ」になっていて感激する。なんで「チチ」なのに、「オヤジ」になるのだ。いまこのかなづかいをするとATOKに「誤りです」と指摘される。

 成績表はいつものように「優駿の蹄跡」からお借りした。私は長年「馬事文化賞」を「優駿の蹄跡」に授けよと主張しているのだが未だに叶わない。あの審査員じゃ無理か。きっこと親しい石川喬司(笑)。

meijihikari













 メイヂヒカリはスプリングSで故障発症して春のクラシックは出られなかった。
 朝日のころはセントライト以来の三冠馬かと期待された大物だ。なおこのころはただの「朝日」であり、「朝日3歳ステークス(現朝日杯FS)」ではない。この成績表の表示は誤りである。でももちろんここはこれでいいんだけどね。こんなことでケチをつけたら罰が当たる。
 ただ私はこれなんかを自分が競馬をやっていたときの「朝日杯3歳ステークス」と書いてしまい、あちら様から「朝日盃」と直されるような仕事環境にいるので、すこし気になる(笑)。
 最後の「中山グランプリ」は有馬記念のこと。これが第1回目。これを創設した競馬会理事長の有馬さんが急逝したので、翌年の第2回から「有馬記念」と名前を変える。その意味では貴重な唯1頭の「中山グランプリ馬(有馬記念馬ではなく)」である。



 メイヂヒカリに騎乗し、史上最強と信ずる関東の蛯名武五郎騎手は、関西の武田師の「コダマはカミソリの切れ味、シンザンは鉈の切れ味」を伝え聞くと、「ならメイヂヒカリは日本刀の切れ味だ」と言った。
 これ、比喩として最強だろう。日本刀ほど美しく凄まじい切れ味のものはない。

 その地の酒は、その地の刀に似ている。サーベル、青龍刀、シャムシール。

 日本刀と日本酒は世界最強である。毛唐かぶれにはわからない。



 日本酒はうまいのだ、洋酒なんかに負けていないのだ、ということを言おうとしたらコダマやシンザン、メイヂヒカリに脱線してしまった。
 むかし「私、プロレスの味方です」がヒットして、アントニオ猪木と初めて対談をした村松友視さんは、猪木の話しかたを「ブーメラン話法」と言った。プロレスの話をしているのに、どんどん脱線してゆき、南米大陸をぶっこぬく新幹線を作るなんて話になり、いったいどうなるのかと心配するのだが、最後にはきちんと本題に繋がり、うまくまとまるのだという。それを「ブーメラン」としたのだ。
 私のも、日本酒の話からいきなり「武田文吾調教師は」になってしまったので、何事かと思ったかたもいただろうが、一応ブーメランではある(笑)。

 やっと本題の「大吟醸 越後桜」の話。



 かつを切り身を買い、酒屋を覗く。四合瓶を買おうと思っていた。ちょっと高めの旨そうなヤツ。
その時点ではいつもの「純米酒」にしようと思っていた。それが、「ワイングラスでおいしい日本酒アワード部門金賞2年連続受賞」と札の掛けてあるものがあったので手にしてみる。それが「大吟醸 越後桜」だった。

3nen いま思えば「ワイングラスでおいしい日本酒ってなんなんだ」なのだが、そのときは深く考えず、モンドセレクションのようなものかと思ってしまった。モンドセレクションといえば「日清のバターココナッツ」である。そんな審査を崇拝しているわけではないが、ここのところ気に入っている「博多の華 三年貯蔵」のように、これをきっかけに手にしてハズレを引いた記憶はない。



 宮城沖のかつをは旨かったし、大吟醸越後桜もすいっと入り、酔い心地もよく、文句はなかった。ただ、すこし薄く感じた。しかしそれはしかたない。なぜなら私が大吟醸なんて普段はあまり飲まないものを呑んだのは値段だったからだ。四合瓶で980円だったのである。この値段で大吟醸はちょっと無理だろう。安くても四合瓶で1500円はする。馬券敗戦が続き苦しい台所事情なので、つい手を出してしまった。

 文句はなかったが、なんか残った。すこしだけ、疑問が。たぶんそれは値段による品質なのだと思う。山田錦50%精米であり、香りもいいのだが、ほんのすこしだけ、なんかちがうなと頭の片隅に引っ掛かっている。
 しかしそれは値段を知っているからかも知れない。もしもこれが四合瓶で2500円の品だったら文句は言わないのかと自分に問い掛けてみる。いややはりそれでも同じ事を感じたと思う。90%文句はないのだが、なんかどこかに違和感を覚えるのだ。



 翌日、越後桜の酔いも醒めてから、検索してみた。するとこんなサイトがあった。 

酔い人「空太郎」の日本酒探険──「越後桜 大吟醸」

 なるほどなあ、安くするために醸造用アルコールを足しているから、こんな感じになるのか。
 でも安いのだからしかたない気もする。
 このかたは、すばらしい日本酒博士である。これからも参考にさせてもらおう。博学に感謝。



echigosakura 私は「大吟醸 越後桜」を貶しているのではない。そこは誤解しないでいただきたい。フルーティな日本酒を好むひとには値段も手ごろで、とてもいいのではないかと思う。ふだん大吟醸を飲まない私がたまに愉しむならこれで充分だ。でも本格的な大吟醸好きのひとには不満が残るだろう。しかたない。安いのだから。

「ワイングラスで飲む日本酒アワード」というのも調べてみた。知って白けた。文字通り「ワイングラスで飲むとうまい日本酒大会」である。小規模だし、近年出来たばかり。この企劃に大賛成してくれていると民主党議員が紹介されていて、ますます白けた。

 でもワイン好き日本酒嫌いの女に対して、こんなアプローチも必要なのだろう。とは思う。でも女の酒飲みでも、まともなのは日本酒がわかるから、こういう「ほら、日本酒でもワインみたいでしょ、飲みやすいでしょ」という迫りかたは、なんか卑屈でイヤだ。「日本酒の価値はバカ女にはわからない」でいいんじゃないのか。わしはそう思う。いや商売だから、そんなバカ女に「ね、ワインみたいでしょ」と言って買わせねばならないのか。底辺を拡げねば始まらないのか。それこそが大前提か。いやいや、所詮バカ女はバカ女だから、そこまで腰を低くして奨めても、すぐにまた「やっぱワインよねえ、ぜんぜんちがう」とか言っていなくなると思うぞ。だからやはり「バカ女にはわからない日本酒の価値」でいいんじゃないのか。



 デフレスパイラルで庶民はみな質素な生活をしている。
 アベノミクスでどれだけ経済が活性化するだろう。期待して待ちたい。
 着道楽のひとはがんばって稼いで着るものの質を落とさないように努力している。私は、衣類は暑さ寒さを凌げればいいと割り切っているので、日々質素な安物中共衣料品で暮らしている。惨めではあるがそこは割り切らねばならない。

 ただ食品の質は落としたくない。特に野菜と酒にはこだわりたい。中共からの輸入食品は食わないほうがいい。これはまた別項で詳述する。
 酒も、毎日を週に三日、いや一日に落としても、いいものだけを呑みたいと心懸けてはいる。
 景気が良くなり、収入が増え、酒飲みが、すこし高いが良質の本物の酒を飲むことが望ましい。酒造メーカーは本物だけを作っていればいい。本物っぽい安物の贋物に凝る必要はない。それが時代の理想なのだが……。
  1. 2013/05/07(火) 23:42:58|
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将棋話──渡辺竜王、阪神競馬場に登場!──競馬話

今日の阪神競馬のメインは、三冠馬オルフェーヴルの登場する産經大阪杯。
昼休みのゲストに渡辺竜王登場。

竜王の予想は、オルフェ→ショウナン→ダーク、トウカイという3連単の2点。当たるかな?
オッズはダークで13倍、トウカイで50倍。

最優秀棋士の発表は4月1日。初の受賞なるか!?

photo

































結果。オルフェ・ショウナン・エイシンで16倍でした。竜王、残念。1着──2着──4着、5着でハズレ。私はもっと残念な結果だけど(笑)。それは【競馬抄録玉】で。
  1. 2013/03/31(日) 13:05:08|
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競馬話──今年はおとなしかった──AJC杯配当のウソ──#鼻カルボ

「4歳のときに父さんと行った東京競馬場」
「そこで見た真っ白な馬」
「あの馬がいいと父さんに言った」
「父さんは人気のないその馬の単勝を千円買った」
「その馬の名はホワイトフォンテン」
「逃げきる真っ白なホワイトフォンテンは、まるで翼の生えたペガサスのようだった」
「単勝は70倍もつき、父さんの千円は7万円になった」
「帰りにレストランで御馳走を食べた。あの日の思い出」

「やがて父さんと母さんは離婚した」
「月に一度だけ会える父さんによろこんでもらおうと、中学生のあたしは毎月いろいろな必勝法を考えた」
「父さんとあたしを結びつけてくれた競馬。あたしは競馬が大好き」
「あの日のレースの名前はAJC杯」
「あの日の勝ち馬ホワイトフォンテンの思い出から、あたしは芦毛が大好き」
「あたしは4歳のときからの競馬好き」

★これも大事だから書いておかないと

「石川喬司先生からメールをいただきました。感激です」
「あたしが4歳のあの日、石川先生も寺山修司さんも同じ競馬場にいたのですね」
「もしかしたら、すれちがっていたかも!」
「結びつきの運命を感じます」



という鼻カルボのべたな大ウソ、へたくそな作り話を、2011年11月5日に、きちんと数字的に証明したので、毎年この時期になるとAJC杯のことで大騒ぎするネカマですが、さすがにその後はおとなしくなりました。今年もひとつだけおとなしくツイートしただけのようです(笑)。

私が書いたのは「単勝配当のウソ」ということではありません。
鼻カルボは父親と一緒に競馬場になど行っていないし、もちろんホワイトフォンテンに関する話もぜんぶウソです。「設定」自体がすべてウソなのです。書いたのはそのことです。
だいたいホワイトフォンテンは、白馬じゃなかったしね。汚いマダラでした。ゴールドシップのようにあの若さで白くなるのは特別です。そのことに関し「より(芦毛の)マックイーンの血を引いている」なんて鼻カルボは言ってますが、マックイーンもその父のティターンも、現役時は白くなかったって(笑)。曾爺さんのメジメアサマは比較的早かったけど。



そのことを書いた長文です。
この時期になってまたアクセスが増えているのでリンクしておきます。
アンチ鼻カルボに教えてあげてください。鼻カルボの競馬的ウソをきちんと指摘しているのではいちばんと自負しています。(クソをクソであると指摘しても自慢にはならんか。)

kanren1
競馬大好き<きっこさん>──AJC杯ホワイトフォンテン単勝配当のウソ
  1. 2013/01/24(木) 05:29:55|
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競馬大好き──2006年7月29日の日記──AJC杯ホワイトフォンテン単勝配当の不思議???──修正文

競馬大好き<きっこさん>──2006年7月29日の日記──AJC杯ホワイトフォンテン単勝配当の不思議???を全面的に書き直しました。一度読んでくださったかたも是非もう一度目を通してください。

これまでもたびたび

・初めての競馬場は4歳の時<父さん>と行った1976年のAJC杯。
・4歳のあたしがホワイトフォンテンを推奨し<父さん>は単勝を千円買った。
・ホワイトフォンテンは勝って<父さん>の千円が7万円になった。


と、ホワイトフォンテンとAJC杯のことを何度も何度も書いてきた<きっこさん>ですが、1976年のAJC杯ホワイトフォンテン単勝配当は1820円であり、千円買っても18200円にしかならないことを確認しました。詳しくは本文で。
  1. 2011/11/07(月) 04:32:36|
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ひさしぶり、府中へ

 昼、IPATでセコ馬券をやるつもりでいたらIさんから「出て来い」と電話。こんな競馬日和に家にいるとはけしからん、と。

 もう出来上がっている。夜勤明けに朝から仲間と飲んだようだ。先輩の命令なので出かけることにする。
 朝からどうやって飲むのかと思ったらファミレスだという。なるほど、その手があったか。ファミレスなら24時間飲める。酒好きの勤め人はいろんなことを考える。



 冬晴れ。東京競馬場はいい。広々としたターフ。世界一でかいターフビジョン。
 メインの根岸ステークスと最終レースに参加。メインは、パドックでよく見えた藤田ケイアイテンジン、川田スーニを軸に流す。ともに敗れて完敗。逃げたケイアイテンジンが惨敗したあの展開で2着確保のサマーウインドは強い。
 最終はもういちど藤田のキャッツインブーツ本命。相手にカツハルのケイアイプラウド。メインで2番人気のケイアイが負けた。今度は来るだろう。パドックで梶山さんに挨拶。会うのはひさしぶり。
 馬単、馬連、ワイドの三種類を一点勝負。藤田、大きく出遅れる。2番人気だったので場内がどよめいた。ケイアイプラウドが逃げきり、最後の直線、ダートとは思えないキャッツインブーツの凄い追いこみ。届かず3着。ワイドのみ的中。480円。均等買いだったのでこのレースはとりあえず浮いたが……。あの出遅れがなかったらみっつとも当たっていた。勝っていたレースだった。2着に来た人気薄はクラストゥス騎乗。マークしていたので、その気になれば?馬単290倍は取れた。○▲だ。でもなぜかこのレース、一点勝負をしたかった。三種類買っているから一点勝負とは言わないか。



 私はIさんとすこしだけ飲んで帰るつもりだったのだが、Iさんがみんなと飲みたがる。 『日刊競馬』の飯田さん他のいつものメンバーと合流。居酒屋で飲み会。二次会はカラオケスナックで盛りあがる。サンスポの佐藤さんに挨拶。今日と同じくIさんに呼びだされた昨年の府中最後の日、JCの夜は、ここで塩崎さんや清水さんとも会い、異様に盛りあがったのだった。
 飯田さんたちは麻雀へ。Iさんとふたりで三次会をやる。そのあと「新宿、行くか!?」とIさんが誘ってくれる。疲れているのが見えたので自重。私はまだ元気だったがゴールデン街に出たら徹夜になる。朝から飲んでいるIさんはまいってしまうだろう。

 駅で別れる間際、べろんべろんのIさんに「おまえ、出て来てよかったろ! おれのお蔭だぞ! 元気出たか?」と何度も言われる。心遣いに恐縮する。

 東京競馬場の壮大さは心に残った。あれは毎週通っていた時期には感じなかったものだ。大レースではないほどほどの人出もよかった。



 それはまた競馬と遠くなっている今の自分を感じることでもあった。IPAT100円馬券師の今、自分が府中で百万勝負をしていたとは信じられない。金回りが良くなってももうそんな愚かなことはしないだろう。
 それはJRAが4兆円企業にもどることはないということでもある。少額で大穴の狙える3連単馬券等の導入は自分で自分の首を絞めたとも言えるが、健全であり、必然の流れだった。そもそもバクチの胴元が4兆円企業なんてのがまちがいなのだ。売りあげが落ちつづけている今を嘆き、「落ち目の企業」と自虐的に言う関係者もいる。そうではない。脂肪太りの醜い体が正常に戻りつつあるだけだ。それを自覚できず過ぎた夢を追って足掻くのはみっともない。私から見るとまだ肥っている。
  1. 2010/02/01(月) 06:34:27|
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ウインズ話・1──IPATとグリーンチャンネルの普及

ウインズ塩釜断念 JRA、採算を不安視 構想13年

日本中央競馬会(JRA)は、宮城県塩釜市新浜町に計画していた場外馬券売り場「ウインズ」の開設を断念することを決め15日、塩釜市の関係者らに伝えた。JRAは断念理由として「売り上げが低迷している上、ウインズよりもインターネットなどで馬券を買う電話投票の割合が多くなり、開設しても赤字になる」と採算上の問題を挙げている。

 JRAの担当者らが同日、塩釜市水産物仲卸市場を訪れ、組合員約150人に開設断念の理由を説明し、謝罪した。

 ウインズは、仲卸市場が市場北側の駐車場など約5000平方メートルの敷地に、集客の目玉として計画、1999年8月にJRAに誘致申請書を提出した。JRAは仙台市にも近く有望な立地場所と判断して、直営での開設を計画。地元6町内会から同意書を集め、県警と交通対策についての協議を進めていた。

 一方で、市民団体から交通渋滞悪化や青少年への悪影響を理由に開設反対の声もあった。(後略)


http://www.kahoku.co.jp/news/2009/10/20091016t13035.htm


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競馬会が宮城県に作ろうとしていた場外馬券売場(以下ウインズ)の建設を断念したという話だから【競馬抄録玉】に書くべき根多(落語家は漢字でこう書く)なのだが、こちらに書くのは、これは競馬的というよりメディア的な話と解釈したからだ。



競馬会の売上が落ちているのは事実である。しかしそれはバブルのころ4兆円企業になったりしたのが異常なのだ。いまも年間売上2兆円台後半を保っている世界一の競馬組織であり、競馬を開催している国すべてが羨む超健全競馬運営組織である。賞金体系とか疑問はいっぱいあるがそれは後の話として。

売上が落ちてきたから塩釜に新ウインズを作らないのではない。作る必要がなくなったからだ。その理由は「IPATというインターネット投票が馬券売上に大きな割合を占めるようになったこと」と「CSデジタル放送のグリーンチャンネルで全レースが家庭で観戦できること」である。

ウインズの価値は競馬場に行かなくても馬券が買えることと、モニターでレースが観戦できることだ。そのふたつがIPATとグリーンチャンネルでまかなわれる。あえて人件費や運営費やあれこれかかる巨大施設を作る必要がなくなったのである。売上が落ちてなかったとしても作らなかったろう。これからの時代、IPATとグリーンチャンネルで競馬をするファンは増える一方であるのに対し、それが出来ずウインズに出かけて競馬をやるファンは減り続ける。競馬場派と家庭派の両極端に分かれ、ウインズ派という半端なひとたちは衰退の一途となる。先を見たら、どう考えてもウインズを作る意義がない。

逆にまた現在のように売上が右肩下がりであっても、IPATが存在しなかったらウインズ建設は続行されたろう。





競馬会の敵はヤクザの運営するノミ屋だった。なにしろここは「ハズレても一割還元」と良心的だ。後払いでもある。しかしそれは大都市部の話だ。ヤクザと庶民はそれほど身近ではない。競馬ファンはそんなものにはあまり近寄らず、ごくふつうに電話投票に縋っている。持っている友人に頼んで買ってもらうのだ。そこにインターネットの普及で一気にIPATが充実した。もうノミ屋に関しては心配なし、と競馬会は判断した。あるいはIPATの普及でノミ屋の売上が激減しているというような調査報告もあったのだろう。

IPATとグリーンチャンネルの普及、それによるノミ屋に流れていた金の激減。競馬会がウインズ建設を断念した理由はそれである。
  1. 2009/10/18(日) 11:43:16|
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その名はシリウス──出て来ない馬の名前──シリウスシンボリ

keiba
 その名はシリウス


 午前一時、作家の木村幸治さんから電話。賑やかな声が聞こえてくる。お店のようだ。いま木村さんは川越で「花明かり」という飲み屋をやっている。
 


「ルドルフの翌年もシンボリがダービー勝ったよね、あの馬なんだっけ?」
 シリウスシンボリと答える。ルドルフが昭和59年、シリウスが60年。
「ああそうだ、シリウスだ。ぼくはあの馬を追っかけてキングジョージまで行ってるのに出てこなくて、いまみんなで悩んでいたんだ」
 


 喉元まで出かかった言葉が出てこないとスッキリしない。木村さんも酔客も誰もシリウスの名を思い出せず、「そういえばぼくの友人に詳しいのがいるから電話してみる」という流れだったのだろう。とりあえず即答できて面目は保った。


 このあたりのことは得意だ。私が忘れるのは近年の馬である。競馬欄に書いた「FさんのQuoカード」で、AFというイニシャルのダービー馬を思い出せず苦労した。
 


---------------
 


 電話を切ったあと、シリウスの強さ、あの移転騒動のことを思う。稽古でそのシリウスをルドルフは子供扱いしていたとインタビューした岡部から聞いたときの興奮、あれこれと思い出した。当時に思いを馳せているうちに、シンボリとシャダイのマスコミ対策について書きたくなった。これは長文になりそうなのでホームページに書こう。

  1. 2007/12/30(日) 06:44:59|
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カレンダー到着

keiba
 カレンダー到着


 


 毎年『日刊競馬』の本紙担当飯田さんがカレンダーをおくってくださいます。今年もそれが今日到着しました。


 2008年用カレンダーの表紙は64年ぶりに牝馬でダービーを制したウオッカです。ウオッカは表紙と5月の二回登場しています。


 二十年前から毎年飯田さんは送ってくださるのですが、じつはそのうち半分ぐらいは受け取っていません。私がチェンマイに出かけてしまい留守になるからです。猫を預かってもらうために茨城に帰ってからは親が受け取ってくれるようになったのですが、ひとり住まいの品川時代は受取人不在でほとんど発送元の本社に戻っていたようです。のちに飯田さんから聞きました。私は気楽に届かない年は送ってくれなかったのだろうと思っていました。汗顔の至りです。


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 トウカイテイオーが惨敗した年に有馬に見切りをつけ、翌年から有馬を見ずにチェンマイに行くようになりました。十二月も半ばを過ぎると急激に航空券が高くなるのでその直前に出発します。カレンダーが完成し送られてくるのはそのころなのでちょうどすれ違いになってしまいます。



 下記の「朝日杯の思い出」も、そういう理由から朝日杯やスプリンターズステークスが年末最後の競馬になることが多かったからでした。
 一時期年末に施行されていた「暮れの風物詩」スプリンターズステークスも遠い思い出になってきました。タイキシャトルから大勝負したら、よりによってラストランで生涯唯一の連をハズされ腰が抜けました。暮れの中山じゃよく腰を抜かし死ぬしかないと思ったものです。いまだに生きていることが不思議です。


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 今年のカレンダーのメンバーは多士済々です。コイウタやサンライズバッカスも登場しています。そのことからもディープというスーパースターがいなくなったことを感じます。


 今年ももうすぐ終り、といくらテレビで言っていても何も感じませんでしたが、このカレンダーを手にしたら、急速にそれがしみこんで来ました。


 

  1. 2007/12/14(金) 12:20:12|
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冬の競馬場

◎冬の競馬場



暖かい毎日である。もう春爛漫といっていいのだろう。なにしろ部屋の中でちょっと片づけものをするだけで汗を掻き、ティーシャツ一枚になったりするほどだ。どう考えても二月末、三月上旬の陽気ではない。


東京の桜開花予想は3月19日。ずいぶんと早い。
凍えるほどの冬をさして経験しないまま春になってしまうと冬の厳しさを恋しく想ったりする。
そう想えば真冬の競馬場に通い、身も懐も(笑)凍えたことはいい経験だった。


今年の中央競馬初日は1月6日。激しい雨である。ひどい日だった。せっせと片道二時間かけて出かけた。寒くて震え上がった。館内にいれば暖かい。だが馬は間近で見たい。そうすると雨と風に触れて寒い。震え上がる。だけど馬も騎手もそこにいる。その寒さの中にいる。私は暑さ寒さを馬や騎手と一緒に感じることが競馬の基本だと思っているからここで逃げるわけには行かない。


だから寒いのは当然でありそれでいい。冬なのだから。困ったのは内外の温度差だった。
北京で買ったダウンパーカーを着ている。値段の点から本物かどうか疑わしいがとりあえず日本の寒さはしのげる。そりゃ北京のあれと比べたら東京なんて生ぬるい。


4階席から吹きつける雨の中、パドックを見る。そこまではいい。館内にはいると今度はこれでもかというぐらい暖房が効いている。寒い日だから最強にしているのだろう。暑くていられない。何もしなくてもダウンパーカーの前を開けているだけでは額に汗が滲み出てくる。ダウンパーカーを脱ぎ、それでも暑くていられないのでセーターも脱いだ。薄着である。返し馬を見て、オッズペーパーを印刷し、と慌ただしく時間が流れて行く。なにより脱いだ服が荷物になって煩わしい。


レースが終り、すぐにまたパドックに馬が出てくる。身に行く。今度は寒い。セーターをバッグに入れたままダウンパーカーを羽織って出たがそれでも寒い。しかしこれで館内に戻りセーターを着ていたりしたらそれに時間を取られ、ろくにパドックが見られないので我慢する。なんとも半端でつらい時間だった。


パドックで馬を見ることで最も大事なことは、一定の場所から一定の角度で見ることである。雨風に晒されようといつもの場所に行き、いつもの角度で見ねばならない。暖かい館内からガラス越しに見たりモニターで見たりしたのでは意味がない。なんのために競馬場まで来たのかわからない。
室内外の温度が同じ季節が恋しかった。室外で寒さに震えるから室内の暖かさはありがたかったけれど、あまりの温度差が恨めしくもあった。


というようなことを1月6日の金杯の日にやっていた。しかしこの日は雨の日だった。そこそこ風もあり厳しい状況だったがまだよかった。金杯の3連単12万を当てたことも関係あったろう。


真に厳しかったのは次の日だった。1月7日。この日は厳しかった。雨は上がったがとんでもない強風の日だった。この寒さは半端ではなく4階の外にしばらくいると体の芯まで冷えた。寒さとは風なのだとあらためて知った。北海道などで感じる深々と冷え込む寒さも風がないとそれほどでもないのである。問題は風なのだ。騎手の栄光と苦労を思った。たいへんな仕事である。


これはその後の東京開催でも思い知る。今度は新スタンドの5階である。いつもいつも強風で耳などちぎれそうになった。どれほどの強風だったかは自動ドアのスイッチを切っていたことでも解る。出入りは手動ドアだけだった。それが解らず自動ドアの前で押したり引いたりしている人がいるのが笑えた。私も最初やってしまったが。メインレースで間近に馬を見ようと一階の報道人席まで降りて行くとそうでもないから、やはり高いところは風が強いのだろう。一階まで降りて行くのが面倒で手抜きをした罰とも言える。競馬場に行くと本当に歩き回る。万歩計でどれぐらいか測りたいぐらいだ。健康のためにはいいだろう。


住居ではまったく寒さを感じない冬だった。ガスファンヒーターを点けたのは数回程度である。それも私の場合、一日中で最も冷え込む明け方に起きて仕事をしているのだ。それで17度ぐらいだった。晩秋ぐらいである。すごしやすい。その時間でめったにヒーターがいらなかったということは、もしもまともな時間に寝起きする生活をしていたなら今冬は一度も使用せずに済んだかもしれない。


競馬場に通って高い場所で寒風に震え上がったこと、今の部屋に越してきてからも、深夜に自転車で買い物に行き、手がかじかんだことなどは、異常な暖冬だったからこそいい体験だったと思う。
日当たりのいい今の部屋で室内作業ばかりしていたら、暖冬だ暖冬だと言うだけで一度も寒いと感じないまま冬を越してしまったろう。悪天候の日に競馬場に通ったことは、私なりに季節感を掴むためによかったと思っている。


 

  1. 2007/03/07(水) 02:57:01|
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プロフィール

fc2moneslife

Author:fc2moneslife
2001年に始めたサイトMone's World--http://monetimes.web.fc2.com/の出張版ブログ【木屑鈔】Boku-setsu-shouです。
2005年からやっているライブドアブログから引っ越してきました。FC2のサイトは2007年から利用させてもらっていました。これでやっとサイトもブログもFC2で統一です。
メールは、moneslife2000@kpe.biglobe.ne.jpまで。

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