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大相撲理事選挙──九重(千代の富士)落選!──にアクセス殺到(笑)

北の湖、貴親方ら11人届け出 理事候補選

 公益財団法人に移行する日本相撲協会は30日、新法人の役員候補を決める選挙の立候補を受け付けて、定数10人の理事候補に11人が届け出た。移行前の方式を含めて3期連続で投票が行われることが決まった。

 理事候補選に立候補したのは届け出順に、出来山親方(元関脇出羽の花)、尾車親方(元大関琴風)、千賀ノ浦親方(元関脇舛田山)、松ケ根親方(元大関若嶋津)、九重親方(元横綱千代の富士)、貴乃花親方(元横綱)、伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)、現理事長の北の湖親方(元横綱)、八角親方(元横綱北勝海)、友綱親方(元関脇魁輝)、鏡山親方(元関脇多賀竜)。

 定員3人の副理事候補選には、現職の玉ノ井親方(元大関栃東)のほか、初出馬の井筒親方(元関脇逆鉾)、芝田山親方(元横綱大乃国)の3人が立ち、無投票で決定した。

 投開票は31日に行われ、当選者は新法人で役員の選任権を持つ評議員会の決議を経て、正式に就任する。

 [2014年1月30日12時39分]

※ 

九重親方が新理事候補選で落選
 
日刊スポーツ 1月31日(金)15時15分配信

 九重親方が新理事候補選で落選


 日本相撲協会は31日、東京・両国国技館で新理事候補選挙を行い、10人の新理事候補を選出した。

 定数10人のところ、11人が立候補し、九重親方(元横綱千代の富士)が落選。現職の北の湖理事長(元横綱)らが当選した。

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 右の人気記事ランキングで突如1位になっているように、昨日はこのテーマにアクセスが殺到した──あくまでもわたしレベルですが(笑)──らしい。一日に合計1000アクセスぐらいのブログなのに、そのことだけで2700もあったのだから、それなりに話題になったのだろう。相撲好きとしては、このことにまだそれぐらいの価値があるのかと、うれしい気分になった。 でもまあ千代の富士落選におどろき検索してここに来るひとは、かなりの好角家だろう。一般的にはどうでもいいニュースだ。

 私が左の文を書いたのは2012年1月30日のようだ。ちょうど2年前。 
 私は八百長横綱千代の富士が好きではなく、彼の現役時代からかなり手厳しく批判してきたのだが、そこで何度も書いているように、彼は弱いわけではない。強い。圧倒的に強い。ただ、そのことを利用して政治力を使いすぎた点に好感が持てないのである。

 しかしまた千代の富士がそうして長期安定政権を築いた時代は、大相撲は賑わい、協会のふところはうるおった良き時代でもあった。経済的には彼は最高の横綱だった。
 つまり、ただの相撲ファンである私は好き放題に千代の富士を批判するけれど、その実績と流れから、結果として、やはり千代の富士が次の理事長になる、なってしまうのだろうなあと思っていた。なのにこの様である。

 他の親方の顔触れを見るがいい。大横綱は北の湖と貴乃花だけだ。なのにその他の連中に、あの千代の富士が負けて落選したのだ。しかも──ここが重要だ──他の親方が弟子育生に実績がないのに対し、千代の富士は大横綱として唯一大関を育て──チヨスだけど(笑)──今もぞくぞくと有望新人力士を送りこんでいるのである。横綱としての実績も、いまの親方としての実績も文句なし。他の10人を引き離している。なのに落選。いかに人望がないことか。

 みんな八百長横綱千代の富士のお蔭でいい思いをした。あの時代、理想的な形で金が循環した。栄誉栄華を手にする千代の富士も、八百長をとりしきる板井のような中盆も、本気でやっても勝てる可能性などほとんどない千代の富士に金を貰って負け役になった下位力士も、みんながいい思いをしたのだ。なのにその過去の思い出を断ち切ってまで落としたのだから、ほんとにほんとにこのひとは人望がないのだろう。ドケチでどうしようもない、侠気がないとは伝え聞いている。それは品格のない顔にも出ているが……。

 そして今回のメンツ、注目すべきは弟分の北勝海が理事になっていることだ。こちらは千代と比べると地味だが人望があった。でも兄弟子に遠慮して表にはでてこなかった。そこももう割り切ったようだ。この流れは止められない。

 親方衆はみな、「あれはいい時代だった」と思いつつも、今の厳しい現実を省みて、「でもあんなことをしていたら、大相撲が潰れてしまう」と判断したのだろう。時代を感じる象徴的な出来事だった。

●私のブログの大相撲文章一覧 

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  1. 2014/02/01(土) 05:30:18|
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相撲話──大鵬の思い出⑧-2──大鵬の32回、千代の富士の31回④──石原慎太郎がケチをつけた柏鵬の全勝対決

 大鵬の「八百長相撲」として名高いものに、昭和38年秋場所の柏戸に優勝を譲った一番がある。

 柏戸は、向かうところ敵無しで史上最年少横綱(当時)となる稀代の超大物新人大鵬に立ちはだかった唯一の(齢の近い)先輩力士だった。
 新入幕で11連勝というとんでもない成績の大鵬に、協会は小結の柏戸戦を組んだ。いまでは幕尻の力士でも全勝だったら横綱大関戦が組まれるが当時はそれはしない。が初黒星を点ける。盛りあがった。この場所、大鵬は12勝3敗。小結柏戸は9勝6敗。地位が違うので成績は数字だけでは語れない。横綱大関と当たる小結はいちばん難しい地位だ。それにしても新入幕、二十歳で12勝3敗は凄い。

 横綱昇進前まで柏戸は大鵬に勝ち越している(柏戸の7勝3敗)。それがいかにすごいことだったか。先に大関になり、横綱には同時昇進する。横綱となってからも大鵬とは五分の星を残した。晩年負けが込み、通算成績では負け越してしまったが、「大鵬に強い柏戸」は看板だった。

 剛の柏戸に柔の大鵬という組合せは、ファンも二分し、まさに大相撲界理想の東西の横綱パターンとなる。
 大鵬の出世があまりに早いため忘れられがちだが、柏戸の横綱昇進も22歳であり最年少記録だった。同時昇進なので、柏戸が従来の最年少横綱記録を更新し、一瞬にして、さらにそれを大鵬が更新した、という形になる。

 ただし柏戸の横綱昇進直前三場所の記録は、優勝もなく、ひどいものだった。横綱同時昇進の場所も、大鵬が前場所に続く連続優勝であり文句なしなのに対し、柏戸はその場所こそ相星で優勝決定戦に進出し(巴戦。もうひとりの相星は〝人間起重機〟明武谷!)準優勝だが、その前場所、前々場所にも優勝はない。現在なら絶対に昇進できない内容である。この辺、柔と剛を同時昇進させて看板にしようという協会の意図が見える。それは図に当たり大きなブームとなる。

 柏鵬時代と称されたが、今も名高い?この八百長相撲のときはもうだいぶ差がついていた。共に横綱に昇進したが、ここまで11場所の内、大鵬が8回の優勝(通算優勝11回)であるのに対して柏戸は優勝なし。優勝は大関時代の1回だけである。元々が剛力の一直線相撲だったので怪我も多く、ここまで横綱として4場所連続休場、早くも引退の危機だった。完全な「大鵬時代」であり、柏鵬時代とは名ばかりとなっていた。



 負けようがないほど完璧な相撲の大鵬が初日から14連勝は当然だったが、片や4場所連続休場明けの落日の柏戸も、14戦全勝で千秋楽まで来た。東西の横綱が全勝で千秋楽決戦という最高の舞台である。大相撲史上でも数えるほどしかない形になる。日本人は判官贔屓だ。誰もが「今回は柏戸に勝たせたい」と思った。その基本には「強すぎる大鵬は何時だって優勝出来るんだから」がある。なんとテレビ解説の玉の海(だったと思う。調べないと)まで「柏戸に勝たせたい」と口にしていた。(確認した、玉の海だ。下に〝横綱玉の海〟が出てくるが、もちろんこちらは先代。下の〝横綱玉の海〟は大関玉乃島が横綱昇進で改名したもの。先代は横綱になっていない。)

 勝ったのは柏戸。涙の優勝である。まさかまさかの奇蹟の復活だった。当人も涙なら、テレビの前の柏戸ファンも大泣きである。れいによって「負けるよ負けるよ、勝てるはずがないよ」と負けたときに傷つかないように予防線を張って応援していた柏戸ファンの母や姉も大感激だった。



 日本中が感激した「あの最強大鵬を破っての柏戸涙の全勝優勝! 柏鵬時代復興!」に正面からケチをつけた男がいた。石原慎太郎である。一橋大学在学中に芥川賞を受賞し、映画監督も経験し、弟を大スターにのしあげた、当時31歳の若手作家は、事もあろうにこの感動の一番を「八百長だ」と批判する文を新聞に投稿した。相撲協会は告訴の用意をしたが、石原が折れる形で和解する。まことに不粋な事件であった。

 石原は、「あの磐石の大鵬が落ち目の柏戸ごときに負けるはずがない。負けてやったのは誰の目にも明白だ。八百長である。許せない。こんな一番に感激するのは愚かである」と言った。
 正論である。だがそれは日本人的情の世界を理解しない幼稚な意見だった。ヒロインが悲劇の死を遂げ観客誰もが落涙する感動の映画のラストシーンに、「あれは死んでないよ。死んだふりをしているだけだ。だってこの前テレビに出てたもん」というこどもと同じレベル。「王様は裸だ」と言ったのと同じ。水商売の女の「また来てね。待ってるわ」に、「ウソだ、待ってなんかいないくせに!」と気色ばんで反論した酔客と同じ。まことにまことに不粋。幼稚。

 この事件は、石原慎太郎というひとの魅力と缺陥をよく表わしている。彼は日本中が感動し浮かれている大一番に真っ向からケチをつけた。白けさせた。反骨なんてかっこいいものではない。ただのこどもである。だが彼には、明らかに不自然な八百長相撲に、日本中が浮かれていることが我慢できなかった。所詮ボクシングファンでしかない彼には、大相撲の世界は懐が深すぎてわからない世界だったのだ。これは後の「Noと言える日本」にも繋がっている。彼の本質である。
 ここで大事なことは、彼は「みんなが誉めているからおれはケチをつける」というひねくれ者の目立ち根性で言っているのではないことだ。ボクシングという真剣勝負の好きな彼は、力道山とか大相撲とかいう彼にとっては八百長であるものが、もてはやされるのが許せないのである。このよく言えば純粋、わるく言えば偏狭な性格は、総理になれなかった彼を論ずるとき重要な意味を持つ。

 石原の指摘は正しい。あれは八百長相撲だった。だがそれを大上段から指摘することは大人気ない。心が狭い。強気のケンカ好きの彼がすんなり自説を引っこめ、自分から謝罪し和解したのは、おそらく先輩作家の誰かに説教されたのだろうが、その「誰か」が彼に言ったのもそういうことだったろう。大相撲は格闘技である以前に藝能なのだ。その味わいがわからないひとに小説は書けない。



 八百長相撲と無気力相撲はちがう。
 琴櫻や三重の海による「無気力相撲」と呼ばれたどうしようもない相撲が横行したことがあった。長年大相撲を観戦してきたが、あれだけは理解しがたい。今も不可解だ。後に勝敗に疑問のある一戦に対し、相撲協会もまさか「八百長」ということばは使えないから、「無気力相撲」という造語で対応した。八百長ではない。「八百長相撲」には、手に汗を握り、勝敗が決した際には拍手喝采となる名勝負も多いのである。

 打ち合わせがうまく行き、手のあったレスラーによるものほど名勝負になるプロレスと同じく、迫力の大熱戦ほど「じつは」が多い。挌闘技全てに言えることだが、真剣勝負になればなるほど面白味は失せる。あっけない、白けた結果になる。大相撲でも、片方が土俵際まで追い詰めるがぎりぎりで残し、転じて今度はこちらが攻めこむがまたも土俵際で残され、再び土俵中央でがっぷり四つ、両者熱戦に湧きあがる拍手、なんて一戦は談合済みなのである。

 この「無気力相撲」と言われたいくつかの取組は、それらとはまったく違っていた。その名の通り、まさに両力士に、やる気がなく、「いやだなあ、やりたくないなあ」という感じのふたりがだらしなく取り組み、「おまえ勝てよ」「いや、おまえが勝てよ」のような気力のない譲りあいのあと、「じゃあ、おれ負けるわ」と力の入らないまま寄り切られるというような、なんともひどいものであった。あれほどひどい相撲は見たことがない。

「無気力相撲」をやった琴櫻や三重の海だって、この世界で長年飯を食ってきた苦労人である。いやいやそれどころか30過ぎて横綱になるインチキ短命横綱であったのだから、それこそ「真剣勝負っぽい八百長相撲」は充分に会得していたろう。その道のプロである。なのにあの誰もが不自然に思う無気力相撲を取った。これはいまもって私にとって大相撲最大の謎になる。推測するなら「アンチテーゼ」であろうか。当時の執行部に対するストライキである。いわゆる「ふてくされ」だ。それぐらいしか考えられない。とにかくひどいものだった。



 後に「八百長相撲」に関して問われた大鵬は、「関係者の誰もが見抜けないようなのをするのが一流」と応えている。打ち合わせをした当人ふたりしかそれがそうであることを知らず、周囲の関係者さえも手に汗を握らせるのが本物の八百長相撲の藝だと言っているのである。
 この談話は活字としてしか知らないが、このときの大鵬は自信に満ちてニヤっと笑ったろう。彼は星を譲ってやった相撲(正しい意味での八百長相撲)に関しても自分は一流であったと自負しているのだ。さながら柏戸に負けてやったこの一番などはその代表例であったろう。そこにいたる両者の力がちがいすぎ、いかな熱戦であろうとそういう噂はつきまとった。正義感の強い石原慎太郎(笑)はともかく、田舎のこどもであった私にも不可解と思われているのだから、果たしてそれが名人藝であったかどうかは疑わしいが。



 【追記】──あれこれ調べてみたら、大鵬はこの一番に関し、「自分のほうに疑惑を持たれるような点があった。相撲に驕りがあった。反省する。しかし断じて八百長ではない」というような発言を残しているようだ。小学生時代のことなのでリアルタイムで見ているものの、さすがに中身まではよく覚えていないのだが、こどもの私ですら疑惑を感じたのだから、これは決して「八百長の名勝負」ではなかったようだ。つまりはこれは大鵬にとって「関係者の誰も見抜けない見事な八百長相撲」ではなく、石原にすら見抜かれてケチをつけられてしまった「出来の良くない八百長相撲」なのであろう。真の「自信の八百長相撲」は、先輩の柏戸や栃ノ海、後輩の佐田の山に優勝を譲ってやったその他の一番にいくらでもあるのだ。
 また上記の「関係者の誰にも見破られないのが本物の八百長相撲」という発言も、石原にケチをつけられた無念を含んでの発言と取れば、益々興味深い。



 私は、大鵬が柏戸に負けてやった一番を不自然に感じた。感激とは言い難い。大感激している柏戸ファンの母や姉を見て白けていた。どう考えても大鵬は柏戸に負けてやったのだった。それを見抜けず、感激している母や姉をアホだと思った。私は小学生でも、ルー・テーズが力道山に負けてやるのがわかっていた。力がちがいすぎる。それを見抜けず、おれたち日本人の代表の(朝鮮人だけど)力道山がアメリカのチャンピオンに勝った、日本は強い、アメリカに勝ったと大喜びしている周囲のおとなを冷たい目で見ていた。それと同じ感覚だった。ここでの感覚は慎太郎さんと同じである。しかし田舎の小学生であるから慎太郎さんのその投稿は知らない。私はもう当時父が取っていた毎日新聞を隅から隅まで読むようになっていて、昭和39年のシンザンが三冠を達成した報道等もよく覚えているが、この昭和38年の投書事件は後々まで知らなかった。

 だがその8年後、玉の海が大鵬に負けてやり、大鵬が最後の優勝を決めた一番を観た私は、玉の海を寄り切り、ほっとしたような顔の大鵬を見て、感激する。それはよく出来た八百長相撲だった。全盛期を迎えた朝鮮人の玉の海が、歯が立たなかった最強の大鵬にガチンコでも勝てるようになった充実期。負けてやれと言いふくめられて、風呂場で号泣したという一戦。だがそれはうつくしい八百長相撲だった。玉の海を寄り切ってほっとしたような顔の大鵬の顔をいまも思い出す。出来の悪い八百長相撲に白けたあの柏鵬戦との差。そこにある時間。その間にこどもの私の心は成長していたのである。真に大相撲の魅力を理解できるほどに。



 大鵬はもっともっと優勝回数を増やせたのに、相撲界の情に従い、先輩の柏戸や栃ノ海、後輩の佐田の山、玉の海、北の富士に優勝を譲り、32回〝しか〟優勝しなかった。そんな人徳のある大鵬が、後輩玉の海に優勝を譲ってもらい、最後の優勝を成し遂げるのは当然だった。
 千代の富士は所詮小者なのに、他者の優勝を権力で奪いとり、31回〝も〟優勝した。そんな彼が大鵬を越える優勝回数を「相撲界の良心」に拒まれ越えられなかったのもまた当然だった。

 もしも大鵬が34回優勝していたら千代の富士の優勝回数は33回だったろう。35回だったら34回だったろう。この「しか」と「も」のあいだに存在する「1回の差」は果てしなく大きい。藝能であることが前提の挌闘技の、挌闘技としての良心が作動した絶対的な力なのだから。
  1. 2013/03/16(土) 06:07:05|
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相撲話──大鵬の思い出⑨──大鵬夫人スキャンダル考

 大鵬は敗戦後、樺太から北海道へ引きあげるとき、九死に一生を得ている。本来降船予定ではない港で降りた。そのあと船はソ連の潜水艦の魚雷で沈没させられている。多数の犠牲者が出た。途中降船しなかったら死んでいた。ここでの強運。

 そして史上最年少での横綱。双葉山の連勝記録以外あらゆる記録を塗りかえた華々しい横綱時代。努力も天分もあったろうが、ここでもまた運が味方したのも事実だろう。

 後援会からの紹介で美人娘と結婚し子宝にも恵まれた。
 引退後も、主流の出羽一門ではなかったのに、早くも35歳で役員になっている。その手腕も認められた。



 すべてにおいて順風満帆だった人生がいきなり暗転する。37歳での脳梗塞である。あの大鵬が半身麻痺となり、車イスのひとになってしまった。表に出ることなく、リハビリの日々が続く。

 ひとの運の総量は、ひとによってちがう。
 神様にあいされた大鵬の運の総量は、ふつうのひとの何倍もあったろう。
 だがそれを、幼いときの命を救うことと、力士時代の華やかな活躍にぜんぶ使ってしまったから、37歳の時にそれが尽きてしまったのではないか。

 私にはそんなふうに思える。



 部屋を継がせた娘婿の大嶽親方(貴闘力)が野球賭博で角界追放になったり、スキャンダルはいくつかあったが、最もせつなくなったのが「奥さんの弟子喰い」だった。

 大鵬が脳梗塞で倒れ不能になったとき、7歳年下の奥さんはまだ29歳。それから長年空閨を保つのは苦しかったのだろう。それから20年後、「弟子喰い」が週刊誌記事になった。これはそれを探って記事にしたというより、あまりに有名な噂として相撲界に長年流れていたのを取りあげた記事だった。極秘のことをすっぱぬいた感覚ではない。

 奥さんが弟子をラブホテルに呼びだすラブレターまがいの手紙まで流出した。弟子はそれを苦痛と思っていた。セクハラである。実際に関係を持っていた弟子から流出したし、筆蹟からなにから逃げようがない。奥さんもそれが自分の書いたものであることまでは認めた。そのあとは「冗談で書いたのであり、その後の行為はない」と否定したが、それで通じるはずもない。ひとりやふたりではなかったし……。



 半身不随で動けない大鵬は、奥さんにテニスボールを転がしてもらい、それを拾うリハビリをした。それはかつてのあの大鵬を知っているひとには信じがたい光景だったろう。奥さんはそんな大鵬のリハビリにしんぼう強くつき合った。

 体調不良で入院し、ほんの数日で大鵬は急逝してしまう。死の二日前には白鵬が見舞いに訪れ、会話したというから、ほんとに急逝だったのだろう。

 奥さんがこの数日の入院のことを語っていた。毎晩何度も電話を掛けてきて、「だいすきだよ」と言うのだとか。
それはきっとほんとだ。大鵬が奥さんをあいしていたことも、奥さんが大鵬をあいしていたことも、本当だ。そしてまた奥さんが弟子喰いをしたのも……。なんともそこのところがせつなくてたまらない。

 すでに離婚し、亭主は鬼籍に入っている、かつては〝理想の一家〟の象徴だった藤田憲子がピース綾部と何をしようとどうでもいいが……。

 前記したように、全盛時の独身大鵬の宿舎には順番を待つ女の列が出来た。やり放題だった。その時点で大鵬は同い年の男より、遥かに多くの女を知り、多くの回数をこなしていたろう。
 だが37歳で不能になったことを考えれば、〝通算〟では、たいした数字ではない。こんなことにも神の配分を思う。20代の大鵬が好き放題にやりまくれたのは、37歳で不能になることが前提だったような……。



 最後に、毎度触れる「立ち合い」のこと。
 むかしの相撲を見るとうんざりする。この時期の立ち合いは、みな手を突かない。ひどいものである。

 特にひどいのが北の湖時代だ。みな中腰で立っている。あれでは稽古場のぶつかり稽古の延長である。これでは下位力士の変化が通じない。
 はたき込みや八艘跳びのような変化技は使いようがない。あれは仕切り線に両手をついて立つから出来ることであって、中腰で立つ相手に通じるはずもない。

 大鵬の時代も、北の湖時代よりはいくからましだが、いまの正しい立ち合いと比べたら、とんでもなくひどい。
 その意味でも、「むかしはよかった」ではなく、やはり今がいちばん正しいと思う。

 連勝に関しては、大鵬よりも千代の富士よりも、「いまの立ち合い」である白鵬のほうが価値がある。



 そういう「むかし礼讃=あのころはよかった」感覚が一切ない私だけど、だからこそ、「あなたが見た力士で、いちばん強いと思うのは誰ですか」と問われたら、迷うことなく大鵬の名を挙げる。

 こどものころからずっと私は、強い力士が登場すると、常に大鵬を基準に考えていた。「大鵬と比べてどうか」と。栃若時代から知っているが、柏鵬時代の味わいはまたちがっていた。あれはたしかな「あたらしい時代」だった。
 大鵬ほど強い力士はいない。時を時代を超えている。

 やすらかにお眠りください。合掌。(「大鵬の思い出」完)
  1. 2013/02/10(日) 05:00:16|
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相撲話──大鵬の思い出⑧──大鵬の32回、千代の富士の31回③──千代の富士に32回目の優勝をさせなかった角界の誠意

●大鵬の思い出⑧──千代の富士の32回を許さなかった力

onokuni その世界に君臨し、すべてを談合で仕切り、金の流通する経済効果から支持され、怖いもののない千代の富士は、次々と記録を作って行く。大鵬の45連勝を凌ぐ53連勝を記録する。これを止めたのはガチンコ横綱大乃国だった。53連勝の内、ガチンコは20ぐらいと言われている。

 しかしここでまた、ガチンコでの勝利数が20なら、あとは33敗なのかとはならないことは前記したとおりである。ぜんぶガチンコでも、千代の富士は50勝3敗ぐらいだったかもしれない。強いのである。

 だがそれでは連勝記録にはならない。千代の富士は「連勝記録を作る」と決めた。そのためにはひとつも負けるわけには行かない。ガチンコで来る奴も何人かいるから、全力でそいつを負かすために、買える星はあらかじめぜんぶ買っておく。それが千代の富士の生きかたである。

 もしもガチンコ横綱大乃国がいなかったら、千代の富士は双葉山の69連勝を凌ぐつもりだった。凌げたろう。ガチンコ力士がいてくれて、本当によかった。
 いたとしても、弱くて勝てないのでは意味がない。談合連勝をストップした大乃国の存在は貴重である。千代の富士は強い。しかし談合横綱でもあった。
 そういう千代の富士がなぜ支持されたかは、高度経済成長によって支持されていた自民党を思いうかべるとわかりやすい。 景気さえ良ければ、ひとは時の政府を支持する。相撲界もまた同じく。


 双葉山の69連勝を越える目的は大乃国によって止められてしまった。でも前人未到の1000勝の記録を作った。優勝は31回になった。
 
  じゃ次は大鵬の32回を越える優勝回数である。やったるでえ、というところで、やっと──ほんとにやっと、である──談合横綱の遣りたい放題に対する憤懣が噴出した。それは大鵬を信奉する親方連中から出た。

 未来の理事長は確実だった大鵬は三十代で脳梗塞に倒れ、麻痺の残る躰で不自由な生活を送っていた。華々しいしい現役時代と比べ、引退後の不運は目を覆うばかりだった。
 二所一門連合稽古の先頭に立ち、ちぎっては投げちぎっては投げという鬼神のごとき強さであった大鵬の強さを躰で感じてきた連中は、千代の富士の好き放題の権力を苦々しく思っていた。しかしそれによって金が流通し、相撲景気がいいのだから文句は言えない。

 しかしやっとここに来て、真に強かったあの大鵬の32回をも談合横綱の千代の富士が越えるのは許せんと立ち上がった連中がいた。ずいぶんと遅いが、千代の富士首相の経済政策で相撲国の景気が良かったのは確かだったから、誰も文句は言えなかった。

※ 

kaiketsu その先頭となったのは、ガチンコ横綱大乃国の師匠であり、自身もガチンコ大関だった放駒親方(元大関魁傑)だった。大鵬がいかに強かったかは、二所一門の連合稽古で、赤子のように扱われ、問題にされなかった自分の躰が知っている。真に強い大鵬の記録を、連勝までは目を瞑ってきたが、優勝回数まで談合横綱に抜かれることには我慢がならなかった。
 
 目指す記録はそれだけになっていた談合横綱は、それだけは許さんという周囲の圧力から、さすがにそれは断念する。目的がなくなり急速に気力が減衰する。まもなく引退した。
 逆にこれで男を上げた放駒は後に理事長になるほど出世する。


 大鵬の最後の優勝、32回目は仕組まれたものだったと知ったとき、私はそれに落胆するのではなく、むしろ感激をあらたにした。それでこそ相撲界だと思った。
 同じように、私は、魁傑が先頭に立って千代の富士のインチキ優勝32回、33回を阻止したとき、相撲界の正義を感じて安堵した。聖域は必要だ。

 世の中には「やってはならないこと」がある。私にとってそれは、大鵬が八百長で32回目の優勝をすることではなく、談合横綱の千代の富士が、その記録を超えることだった。

 本来「八百長」とは、囲碁の強い八百屋の長さんが、摂待として自分より弱い相手に負けてやることである。だから「八百長」ということばを使うなら、日の出の勢いの玉の海が落日の大鵬に負けてやったのが八百長であり、かなりの確率で勝てるのだが、万が一を思って金を渡し、負けるように言いふくめておく手法の千代の富士のやったことは、「八百長」ということばとはちがってくることになる。ことばを当てるなら、やはり「談合」だろう。


taihoushi 大鵬が亡くなった翌日、スポーツ紙は一斉に一面で特集した。多くの有名人、好角家がコメントを寄せていたが、感動的だったのは、素人のそれではなく、北の富士や放駒ら元力士の大鵬絶讃だった。

 誰もが「あんなすごいひとはいない」とベタボメだった。力士は自分に自信を持っているから他者を絶讃はしない。褒めるにしてもそこには儀礼が見える。まして北の富士は、それなりに時代を築いた横綱であり、さらには横綱ふたりを育てた名伯楽でもある。だが大鵬絶讃のことばに、そんなてらいはなかった。誰がもいかに強いひとであったかと、驚異の強さを讃えていた。別格なのである。

※ 

 唯一、テレビラジオ等で、「すべてを更新した親方でも、優勝回数だけは1回届きませんでしたね」と話し掛けられるたび、「32回と31回の差、これが大きいんですよ」と一見謙虚な言いかたをしつつも、言外に「そんなこと簡単に出来たのに、みんなでじゃましやがって」と口惜しさを滲ませて語る千代の富士だけが異質だった。

 このひと、理事長になるような器ではない。ただ人望はないが、順序的にしかたないか、という流れはある。弟横綱の北勝海のほうが遥かに人望はあるが、彼は兄弟子を堕とすようなことはしないだろう。
 北の湖の次は貴乃花に飛ばした方がいい。そのほうが相撲界のためだ。天国の大鵬もそう思っていることだろう。(続く)
  1. 2013/02/09(土) 05:00:34|
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相撲話──大鵬の思い出⑦──大鵬の32回、千代の富士の31回②──談合横綱千代の富士の実態

●大鵬の思い出⑦

 大鵬の最後の優勝、32回目は仕組まれたものだった。後にそれを知ったとき、私はそれに落胆するのではなく、むしろ感激をあらたにした。
 千代の富士に関しても同じような思いをしたことがある。中身は微妙に違うが。

 
 千代の富士は、談合横綱として、遣りたい放題のことをしてきた。連勝から優勝回数まで、好き放題に数字を重ねてきた。

 この〝談合〟を誤解するひともいるので、毎度のリクツをあらかじめ言っておくと。
 千代の富士は強いのである。確実に強いのだ。しかし相撲には何があるかわからない。変化を始めとして飛び道具はいくらでもある。稽古場で100回やって100回勝つ相手でも、本場所では奇襲攻撃をしてきて敗れるかも知れない。稽古で変化技はやらない。何があるか判らない。その恐怖を強者は常にもっている。

 そういう曲者に、前もってそういうことはしないと勝負前に一筆取る。いや一筆は取らないが、そういう約束をさせる。その代わり何十万かの金を渡す。安心料である。白星を確定させる。そのことにより、すべてガチンコだと10勝5敗かも知れない本割を15戦全勝にする。大乃国のように星を売らないのも何人かいるが、それに負けても13勝ぐらいは確保出来るから優勝は堅い。これが談合横綱千代の富士の実態である。


 
 そのことにより多額の懸賞金等、横綱のところに集まった金が下位の力士にもまわり、下位の力士から周囲の付き人にもわたる。また板井が有名だが、中盆という星の売り買いをする仲介屋も懐を潤すことになる。公共事業のようなものである。

 談合相撲は「真剣勝負」の見地からは言語道断だが、狭い世界の経済として見た場合、これは「富の一極集中」を防ぐことでもあり、バランスの取れた方法となる。それで相撲界は保っているし、誰もがその世界で生きてきたから、決してなくなることのない習慣である。相撲という世界の経済を活性化させるベストの方法なのだ。
 もともと相撲界とはそういう芸能世界である。千代の富士のやったことは、今で言うならアベノミクスならぬチヨノミクスであり、経済効果は抜群だった。だからそれだけの支持を得、あれだけの数字を築けたのである。

※ 

 そしてまたこれも大事なことだが、横綱を負かそうと下位の非力な力士が跳んだりはねたりすると、たまには横綱に勝つことはあろうが、そのことで土俵は決して盛りあがらないのである。
 基本として土俵上は勧善懲悪?であり、非力な下位力士が真正面からぶつかってゆき、強い横綱に投げとばされて拍手喝采の世界なのだ。それが好角家の快感である。

 非力な下位力士としても、強い横綱に正面からぶつかっていって投げとばされて、裏で何十万ももらえるのだから、こんなありがたいことはない。何十回に一回成功するかも知れない変化技で挑んで負けるより、正面から行って負けたことが誉められるは金はもらえるわで、遥かに効率がいい。
 千代の富士時代とは、そういう談合横綱という安定の時代だった。(続く)
  1. 2013/02/08(金) 06:30:14|
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相撲話──大鵬の思い出⑥──大鵬の32回、千代の富士の31回①──大鵬最後の優勝の秘話


 大鵬に関する思い出はたくさんあるが、文章として読んだものとして、以下のエピソードがいちばん記憶に残っている。大鵬最後の優勝32回目のときの裏話である。1971年、昭和46年の初場所。


 13勝1敗だった大鵬は、千秋楽の本割で、14連勝の後輩横綱玉の海を破り、14勝1敗で並んだ。優勝決定戦になる。
 このとき玉の海のところに使者が飛んだ。
 
 双葉山の連勝以外、相撲界のあらゆる記録を塗りかえた大鵬にも落日の影が差していた。通算の対戦成績は圧倒的であれ、ここのところ後輩の玉の海、北の富士に負けることが増えていた。ここまで四場所優勝から遠ざかっている。番付もずっと西横綱である。
 
 一方、27歳の玉の海はこのときが絶頂期。横綱になって三場所目。ここ二場所連続優勝している。本割では負けたが決定戦では確実に勝てる自信があった。大鵬のスタミナは切れている。
 使者の申しこみは、これが大鵬の最後の優勝のチャンスだから、今回は譲ってやってくれ、というものだった。

※ 

tamanoumi 玉の海は最初それを拒んだ。大鵬は二所ノ関一門の兄弟子であり、新人時代から稽古をつけてもらった。大鵬に稽古をつけてもらって強くなった。横綱に昇進したときは土俵入りの型もつけてもらっている。最高の恩人である。なんど挑んでも適わない大きな壁だった。それがやっと勝てるようになり、自分がいま東の正横綱として君臨している。
 
 負けてくれという申しこみは受け入れがたかった。決定戦で勝ち、三場所連続優勝を成し遂げたかった。それは確実に出来るはずだった。
 だが「おまえはこれから何度でも優勝できる。大鵬関はこれが最後なのだ」と説得されれば、受けいれざるを得ない。それが相撲界である。
 決定戦は大鵬が勝ち、32回目の優勝を成し遂げる。敗れた玉の海は勝負のあとの風呂場で号泣した。泣き声は風呂の外まで聞こえてきたという。

 その二場所後、大鵬は体力の限界を理由に引退した。やはりあれが最後の優勝となった。
 引導を渡したのは新鋭の小結貴ノ花だった。その貴ノ花が引退を覚悟したのが新鋭千代の富士との一番であり、大横綱千代の富士に引導を渡したのが息子の貴乃花だった。横綱の引退にはそんな次代のヒーローとの引継ぎがある。
 引退相撲の土俵入りでは、玉の海と北の富士という両横綱が太刀持ちと露払いを務めた。
 翌場所、玉の海は当然のごとく優勝し、北の富士との北玉時代到来と謳われたが、半年後に急逝してしまう。



 なお、この玉の海は朝鮮人である。先日引退した理事長を務めた武蔵川親方こと元横綱三重ノ海も朝鮮人である。その前の理事長佐田の山も朝鮮人である。半分ロシア人の大鵬と純粋朝鮮人の玉の海の優勝決定戦だから、べつに小錦だのモンゴル人だのと今更騒がなくても、もうずっと前から相撲界は国際的だったことになる。 


 私は、大鵬のあの最後の優勝の瞬間、玉の海を寄り切ったときの「ほっとしたような顔」を今も覚えている。憎らしいほど強かったあの人が、あんな顔をするとは思わなかった。大鵬はあのとき、これが自分の最後の優勝になるとわかっていたのだろう。だからこの話を読んだときは、みょうにそのことに納得したものだった。
 
 さてこの話、ソースはどこだったろう。たぶん『週刊ポスト』がしつこく「大相撲八百長問題告発」というのをやっていた時代に読んだのだと思う。舞台になったのは1971年。私が読んだのは1990年ぐらいか。でもこの場合、ソースにはこだわらない。書きたいのは私の気持ちである。

 こどものときからの相撲ファンであった私は、この「かつて感動したあの大一番」が、じつは仕組まれたものだと知ってどう思ったか。夢を汚されたと怒ったか。大相撲に失望したか。それとも「こんなのウソに決まってる!」と怒ったか。
 
 私は「いい話だなあ」と感激をあらたにしたのである。「相撲を好きでよかった」「さすがはおれの好きな大相撲だ」とすら思った。
 
 所詮週刊誌記事である。信憑性はどうなのだろう。一笑に付すひともいるかも知れない。私は素直にすべて真実だと思った。いまもそう思っている。
 これは、大鵬自身が星を譲れと使者を使わした両者納得のものなのか、あるいは大鵬は知らず周囲がおぜん立てした、玉の海だけが知っている、いわゆる片八百長なのか、そのへんのこともある。

 でもそんなことはどうでもいい。自分がリアルタイムで見た、優勝した瞬間の、大鵬のあのほっとした顔に、見知らぬ「風呂場での玉の海の号泣」が重なり、私の思い出はより鮮明になり厚味を増したのだった。(続く)
  1. 2013/02/07(木) 16:00:17|
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相撲話──大鵬の思い出⑤──大鵬の故郷・弟子屈に行ったころ──琴櫻の思い出話

●大鵬の思い出⑤──弟子屈に行ったころ──

taihou-teshikaga 大鵬の故郷である弟子屈町に初めて行ったのは23歳の時だった。札幌に住んでいた先輩に誘われて、道東のほうを歌い歩いたころだ。
 慶應高校出身の先輩によると、そのころの慶應高校の修学旅行は北海道と決っていて、先輩は高校時代に弟子屈に来ていたらしい。
 
 ここが大鵬の故郷なのかと感激した。町の温泉に入った。なんの変哲もない北海道の田舎町なのだが、大鵬の故郷というだけで興奮したものだ。

 写真は弟子屈町の大鵬像。 


 大鵬に関する話で覚えていることに故・琴櫻の談話がある。元横綱琴櫻。先代の佐渡ケ嶽親方だ。大鵬と同い年であり、同じ横綱だが、出世の速さがちがいすぎる。同い年なのに、遅咲きの琴櫻が横綱になったのは、大記録を作った大鵬が引退した後だった。

 大鵬はあれだけ美男で強くて人気があったから、手にした女の数はとんでもなかったらしい。元々力士フェチの女というのは根強くいて、力士はもてる。女に不自由しない。相撲部屋の稽古には、どの部屋でも力士フェチの女が見学に押し掛けている。

 それが美男で最強の大鵬であるから、それはもうたいへんだったそうだ。授業先のホテルなどドアの外にずらりと列が出来ていたという。順番にやるのである。一発済むと「次のかた、どうぞ」の世界。ビートルズ並だ。

 琴櫻の談話とは、醜男であり大鵬のようにもてない琴櫻は、そのおこぼれにあずかっておいしい思いをしたというもの。そりゃまあ順番待ちしているうちに待ちくたびれて、手ごろな近くの力士でもいいか、と思うのも出て来るだろう。
 のどかな時代だった。いま力士はソープに行くのすら気を遣う時代になった。


 のどかと言えば、拳銃の話がある。大鵬、柏戸、北の富士がアメリカからの拳銃密輸で書類送検されたのだ。看板力士である。今だったらどんな大事件になったろう。まあ「密輸」というような大事件ではない。軽い気持ちでお土産で買ってきたのだ。公人としての自覚が足りない。しかもその後は、「川に捨てた」というしょうもない弁明。でもそれで一件落着してしまう。いい時代だった。(続く)
  1. 2013/02/05(火) 05:30:40|
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相撲話──大鵬の思い出④──かたくなな天才否定の事情──ウクライナの血脈

●大鵬の思い出④──頑なな天才否定──ウクライナの血脈

taihou2「大鵬にはロシア人の血が入っている」という噂は、当時からうっすらと流れていた。色白の躰もそうだが、なによりも顔である。
 当時美人女優として売れっ子だった鰐淵晴子(父は日本人、母がオーストリア人)のような日本人離れした彫りの深い顔はどうしてもハーフに見える。

 異国人との結婚によって生まれた子は、最初は「合いの子」と言った。それが差別用語として「混血」という堅苦しい言いかたになる。やがてそれも差別用語とされ、英語の半分の意味である「ハーフ」に言い替えられる。事の本質を意味不明にしてごまかす日本語の差別語転移の代表例である。(さらには今は、「ハーフだと半分という意味で失礼」とかで、ダブルと言うのだとか。アホクサ。)
 
 どんな顔であれ北海道の父親が「わしの息子ですじゃ」と言えば問題ないのだが父はいない。貧しい母子家庭育ち。樺太からの引揚げ者である。父親のことは写真一枚出まわらない。生死さえ公表されない。その噂が流れて当然だった。

 戦争終結後に突如攻めこんできて北方領土を奪い、満洲では残虐な殺戮と強姦を繰返したロシア人は日本の敵だった。国民的英雄である横綱にロシアの血が入っているとは誰も考えたくなかった。よってそれは長いあいだタブーだった。
 
 なにしろ力道山が朝鮮人だということすら伏せられていて、死後になってやっと流れでたような時代だ。それでも信じない人は多かった。かくいうこどもだった私も、それはプロレス嫌いがプロレスを貶めるために流しているウソだと思っていた。力道山の死後、それまではプロレス好きだった連中が一気にアンチになった。力道山時代はプロレスの結果を報道していた毎日新聞なんぞは、一転してプロレス八百長説の先頭を直走った。戦前戦中は戦争讃歌だったアカヒシンブンが戦後は一転して護憲サヨクになったように、マスコミなんて今も昔もそんなものである。

※ 
 
 私が大鵬にロシアの血が流れているというのを容認できるようになったのは、大学生になってからである。そのころになるともうそれは否定できない話になっていた。それでも「クオーター」と言われていた。四分の一ロシアの血が入っていると。この「クオーター説」の時代は長い。
 
 大鵬の父がウクライナ系のロシア人であり、大鵬はハーフだと公になったのはごく近年である。(調べたら、2001年だから、〝近年〟ではないか。でも大鵬の現役時代から長年秘せられてきた時間と比すれば、充分に近年とも言えよう。)


 大鵬は天才だった。しかし彼ほどそう言われるのを嫌ったひとはいない。不世出の大横綱に誰もがその切口で迫ろうとする。彼は拒む。むきになって拒む。自分は天才ではない。努力型なのだと。誰にも負けないほどの稽古をして、そうしてあの結果を残したのだと。いったい今までにどれほどの回数、雑誌の対談やらテレビやらで、大鵬のこの「天才否定」に接したことだろう。

 一面においてそれは真実であろう。当時の激しい二所一門の連合稽古で、大鵬がいかに稽古熱心だったかは誰もが認めている。そして稽古場でも、いかに強かったかも。
 でも大鵬がどんなに否定しようと、私は彼は大天才だったと思っている。稽古であれだけの成績が残せるなら、それこそ伝説的な猛稽古で有名だった富士桜はもっと出世していなければならない。なにしろ、各部屋の親方が、将来を嘱望する力士は、必ず連れていって見せたと言われる「富士桜の猛稽古」である。ふつうは「ふらふらになったら稽古終了」だが、富士桜の稽古は、「ふらふらになってから、始まる」と言われた。すさまじいスタミナだった。
 稽古好きはいくらでもいた。努力型もいくらでもいた。大鵬があれだけの大横綱になったのは、天分があったからである。神に与えられた天分に恵まれていたのだから、紛う事なき天才であろう。 


 ではなぜ大鵬は、そこまでして天才と呼ばれることを拒んだのだろうか。
 私はそれを「血の否定」と考える。
 大鵬の父は、樺太に住むウクライナ系ロシア人だった。
 ウクライナ系ロシア人と聞けば、挌闘技ファンなら誰でも〝皇帝〟エミリヤエンコ・ヒョードルを思いうかべるだろう。前田日明がリングスに連れてきて日本デビュー、その後『PRIDE』に移籍し(ひき抜かれ)、後に世界最強と呼ばれた男である。アレクサンダー・カレリンの名を出すまでもなく、ロシア人の頑健さは誰もが知っている。まこと、我らが先祖は小男でありながら奴らと白兵戦をやって勝ってきたのだ。偉大である。

 大鵬の強さに「ロシア人の血」があったことは否めない。もしも大鵬の言うように「猛稽古」で強くなったのだとしても、それに耐える頑健な躰は、父からもらったものだったろう。
 大鵬はもちろん母から聞いて、自分の父がロシア人であることを知っていた。時代を考えれば、それは大鵬にとって、口に出せない、心にのし掛る重い枷だったろう。日本人はロシア人が嫌いである。中でも北海道ではロスケと言って嫌っていた。それでなくても北海道の百姓とはちがう顔をしているのだから、自分の父がロスケである事実は、大鵬にとって重かったはずである。

 頑ななまでの天才否定は、それによるものだったのではないか。
「天才」を容認することは、「ロシア人からもらった頑健な躰」を認めることになってしまう。彼は自身の内なるロシアを否定し、「努力して強くなった日本人」でいるために、執拗にそれを訴えたのではないか。私はそう解釈している。

 もっとも彼に限らず、天才は天才と言われることを嫌う。自分は精一杯努力したのだ、簡単に天才などと言わないでくれ、と言う。「おれは天才だ」という天才はたいしたことはない。 しかしまた天才は、心の中で<おれは神に選ばれた天才だ>と自負している。

※ 

 大鵬部屋の力士に露鵬というのがいた。大鵬が鵬の字を与えている。これはもうひどい悪相だった(笑)。犯罪者面である。後に大麻で角界追放となる。その弟に北の湖部屋の白露山なんてハゲたのもいた。こちらはキユーピーみたいだった。彼らを見ても大鵬とロシアを結びつける感覚は芽ばえなかった。

wakanohou 露鵬で出来たロシアとの縁から、大鵬が間垣部屋に紹介して入門させた若ノ鵬というのがいた。これも後に大麻で角界追放となる。

 彼を見たときはびっくりした。若い頃の大鵬とそっくりだったからだ。純粋なロシア人である。左の写真。

「ああ、大鵬の二枚目ぶりってのは、ロシア的ハンサムだったんだな」としみじみ思ったものだ。私はそのころすでにロシアに行ったことがあったが、べつに大鵬的な美男子を見た憶えがなかった。やはり髷を結ってないとイメージが繋がらない。そういう意味で若ノ鵬は忘れられない力士である。これまたロシア人特有の恵まれた体力で抜群に早い出世をした大器だったが、精神面がついてゆかず挫折した。

 そう考えると、私の母と姉の大鵬嫌いも、外人嫌いに通じて、それなり筋は通っていたのかと思う。田舎女として、大鵬の容姿に、本能的に異質のものを感じていたのだろう。(続く)

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【追記】──大鵬と王貞治

 同い年の同時期のスーパースターであり、気が合ったのか、夜明けまで痛飲した仲だったという。訃報を特集するスポーツ紙でも王さんのコメントは筆頭扱いだった。

 王さんは、父台湾、母日本の混血である。父ロシア、母日本の大鵬と同じ組み合わせだ。ちがうのは、王さんの場合、その姓から、出自が明確にされていたのに対し、大鵬は伏せられていたことだ。
 大鵬はきっと、王さんには自分の血脈を語っていたのではないか。そんな気がする。
  1. 2013/02/04(月) 06:00:18|
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相撲話──大鵬の思い出③──すっぱい葡萄の家系──女嫌いのルーツ

●大鵬の思い出③

 私は母と姉の「弱気を装っての自己防衛」に接している内、次第にそれに反感を抱くようになっていた。好きなものは、勝って欲しいものは、「勝て!」と言って応援するのが正しいのではないか。そして勝ったら喜ぶ。負けたら悔しがる。それでいいのではないか。
 ほんとは勝って欲しいのに、負けたとき傷つくからと、「勝てないよ、負けるよ負けるよ」と言い、負けたら悔しがることもなく(内心では悔しがっているのだろうが)、「負けるのはわかってたんだ」なんて自分を慰める言いかたはへんだ。ひねくれている。いつしかそう思うようになっていった。


 と、このまま書いてゆくと私の一代記になってしまうので(笑)この辺にするが、でもほんと、ここに書いたことは、私にとってとても大きな出来事だった。
 私は母と姉を反面教師にして小学生の時にそこから脱出したが、高校生の時、この「弱気を装う自己防衛」を言うクラスメイトに出会った。なんともくだらんヤツだった。こういうのは、私と同じような女環境で育ち、それに染まり、そこから脱出することなく、女々しい感覚で出来上ってしまったのだろうと憐れんだ。もっとも、この自己防衛方法を採るヤツは男にもいよう。そいつはそういう父親になったにちがいない。こどもがかわいそうだ。

 もしも私が、自分の勝って欲しい力士が負けたとき傷つくのを怖れ、「負けるよ、きっと負けるよ」と最初から「負ける負ける」と言って応援しているようなこどもであり、母が、そういう私の横っ面を張り、「男なら、そんなめめしいことはするな。勝って欲しいものには、正面から勝てと言って応援しろ!」と怒るようなひとだったら、私の人生はちがったものになっていた。私はきっと自分の母を尊敬し、そのことから女を尊敬する男になれたろう。
 
 だが現実は、何事に関してもそういう方法を採る母と姉を軽蔑することによって、そういう発想法から私は自力で脱出せねばならなかった。私の女嫌いの根本にはこれがある。環境とは大きいものだ。いまだに引きずっている。女嫌いでいまだに童貞なのはそれが原因である。こういうのもトラウマと言うのだろうか。私は宮沢賢治と同じく生涯童貞でいようと思っている。ウソ。


 相撲からは相撲そのものとはべつに、それに関わる形で、こんな多くのことを学んだ。
 それは相撲が現実に「国技」と呼べるほどのステータスを持っていた時代だからである。テレビで見るのはもちろん、毎日学校でみんなで相撲を取っていた。新聞も大きく報じていた。だってここに書いたように、母や高校生の姉も相撲好きの時代だったのである。
 今はもうごく一部の太ったひとが携る伝統芸能になってしまった。むかしと今の相撲を同列には語れない。(続く)
  1. 2013/02/03(日) 07:00:54|
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相撲話──大鵬の思い出②──柏戸贔屓の母と姉の影響──佐田の山と豊山

 長じるに従い、男である私は、自然に母や姉の感覚とは離れて行く。「長じる」と言っても小学生の時の話だ。物心ついたときに母親と姉の感化を受け、小学生低学年の時代に、そこからは卒業した。

 決定的だったのはふたりの「弱気を装う自己防衛論」だった。「すっぱい葡萄」路線である。
 ふたりは柏鵬の対決の時、「柏戸は負ける」と言うのである。「負けるよ、適わないよ、しかたないよ、しょうがないよ」と言う。仕切のあいだそれを繰り返す。しつこいほどに。

 これをやっておけば負けたとき傷つかない。「ほうら負けた。わかってたんだよ、やっぱりね」となる。そうして自分を護るのだ。「わたしたちは負けることを知っていた。予想通りの結果だ。だから落胆していない。傷ついていない」と。
 そうしておけば負けても傷つかず、勝ったときは喜びが倍になる。それは柏鵬に限らず贔屓力士に対して常用する彼女たちなりの応援姿勢だった。そういう母親であり、姉は母のクローンだった。そこで育っているから、私もそうなるはずだった。
 
 しかしまあ時が過ぎた今、同情して言うなら、アンチ大鵬はそんな方法でも執らないと正常ではいられないほど、そのころの大鵬は強かった。自分を護る方法として、そんなことを考えだしたのもむべなるかなとも思う。
 そんな家庭で育ったから、私は「巨人、大鵬、卵焼」の感覚を知らない。熱狂しなかったから。でもそれは振返ってみれば、今に続く相撲ファンの姿勢として、とてもいいことだった。単純に熱狂するよりもずっと。だって「強さ」を感情的ではなく冷静に判断できるから。


yutakayama 母や姉のインチキ判官贔屓と比して、父は本物の判官贔屓だった。といって、もちろん強い力士が好きなのだけど。
 
 この時代、東京農業大学を出た学生横綱である豊山が「初の学士力士」として幕下付出しでデビューした。十両で全勝優勝を遂げる。話題沸騰だった。
 ちなみに十両で全勝優勝した力士は、今に至るも栃光、豊山、北の富士、把瑠都の4人しかいない。

 豊山は色白の美男子だった。母と姉は大ファンになった。ハンサムで大学卒というのが理由らしい(笑)。
 母も姉も基本的に女でありミーハーなのだから、本来美男で強い大鵬が好きでなければおかしいのである。しかし大鵬は、すごすぎて、気弱な私の母と姉は、ファンになりそこねてしまった、というのが真相であろう。美男だったけど、それはハーフのような彫りの深い日本人離れした美男であり、近寄りがたかった。この時点で大鵬の血筋は判っていない。
 その点豊山は、すんなりファンになれる日本人的美男の力士だった。


 父は学士力士を嫌った。大学なんぞを出てるのより中卒の叩上げを好んだ。父は師範学校を出ていたから、当時の高卒の代用教員が多い田舎ではエリートであり、三十代で小学校長になっている。でも叩上げが好きだった。これは生涯変らなかった。学士力士を嫌った。

 父の好んだのは佐田の山だった。まあこちらも後々横綱になる出羽の海部屋の秀才力士ではあるのだけど、豊山と比べれば中卒の叩上げになる。
 佐田の山は話題の豊山について聞かれると、「大学を出てきたような相撲とりに負けたくない」とハッキリ言った。ふたりは同時期のライバルだった。柏鵬のすこし後になる。後に理事長と理事として協力し合ったりする。

 自分達の応援している大卒で美男の豊山のことを、中卒で不細工な佐田の山がそう言ったものだから、母と姉は佐田の山が大嫌いになる。佐田の山の名前は「晋松」である。その名前も品がなく貧乏くさく百姓っぽい名前だと貶した(笑)。父はいい名前だと言った。

 よって我家には母と姉の応援する豊山派と父の応援する佐田の山派の対立が勃発したのである。佐田の山派は父一人だろうって? いえいえ、そのころにはもう母と姉の「弱気を装っての自己防衛論」に愛想を尽かしていた私は、迷うことなく父の感覚を支持するようになっていた。大卒よりも中学を出てすぐ相撲界に飛びこむ少年のほうがかっこいい。「晋松」も男くさくていい名前だ。のっぺりした豊山的美男子より、佐田の山の根性のあるふてぶてしい顔のほうがかっこよく思えた。
 
 まだ小学生だったが、この時点で私は、母と姉という女世界から飛びだし、父との男世界に参入したのである。母と姉からすると自分達の連合軍から裏切者が出た感じだったろう(笑)。その後も私は母と姉とは悉く感覚が対立するようになってゆく。反面教師だった。(続く)
  1. 2013/02/01(金) 05:00:51|
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相撲話──大鵬の思い出①──私は大鵬嫌いの家で育った

●大鵬の思い出①
 
「訃報──大鵬、死す」という、大鵬が亡くなったと知っておどろいたという、ただそれだけの中身のない文に多くのアクセスをもらってしまった。何か読物があると思って来たかたは落胆したろう。申し訳ない。すこし遅れたが、私なりの「大鵬の思い出」を書いておきたい。

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taihou 大鵬は私が見てきた多くの力士の中で、文句なしに最強のひとである。相撲を見れば見るほどそう思うようになった。
 
 さいわいなことに私は大鵬のファンではなかった。だからこそ冷静に見られ、後々振返って、彼が最強であると確信できた。断言できる。
 だからこれは、当時大鵬ファンだったこどもが自分の時代を懐かしみ、讃歌する文章ではない。



 ちょうど今サイト用に「あのころは最高だったか!?」という文を書いている。趣味に関して、そういう言いかたがある。野球のようなスポーツや将棋のような室内ゲームまで、「あのころが最高だった。いまはつまらん」という言いかたである。

 同世代の連中がそれを口にするたびに、私は「そうかなあ」と疑問を持ってきた。だってむかしより今のほうが断然面白い。それをまとめあげる前に大鵬に逝かれてしまった。

 私には自分がこどもだった時代、趣味を始めたばかりの初心者だった当時を、「最高だった、あのころはよかった」と讃える感覚はない。だから競馬や将棋等で「あのころはよかった」と言うひととは考えが合わない。
 そういう私が、自分の好き嫌いとは関係なく、客観的に見て、史上最高の力士は大鵬だと思う。文句なしに。



 やわらかく、懐が深く、足腰が強く、そして速い。万能だ。
 当時の、それまでの力士が型で語られてきたことによるイチャモン「大鵬には型がない」に二所ノ関親方が反撥して言った名言。「型のないのが大鵬の型」。オールマイティなのだ。

 このあたりからもそれまでの相撲の常識を覆していたことが判る。力士は、得意技とか、右上手を引いたら、とか、「この形になったら負けない」という〝型〟で語られてきた。大鵬はそれを超越していた。なんでも出来た。唯一出来なかったのは、背中を反らすのが苦手だったから、うっちゃりぐらいか。
 
 それにしても二所ノ関親方はすばらしい名前をつけてくれた。大鵬という四股名は、旧型のなんとか山やなんとか川ではない。この抜群の名前でより光り輝く。


 こどものころは周囲の女の影響を受ける。受けてしまう。小学生だった私はその影響を受けた。
 母と姉が柏戸好きの大鵬嫌いだった。たぶんあれは女のひねくれ根性だったのだろう。美男で文句なしに強い、というか強すぎるものへの反感である。下がり眉の、ハンサムとは言い難い柏戸贔屓は、判官贔屓のようなものであるが、それとはまたすこしちがうようにも思う。母と姉の大鵬嫌いは、一種の嫉妬にもちかいだろう。自分達とは無縁の存在に対する。
 ブスが最高級のハンサムにはどうせ無理と近づかず、自分でも落せそうなのにちかよるのと同じ感覚だ。わたしゃちょうどそれぐらいだったので、ブスに言い寄られてこまったもんだった(笑)。

 もうひとつ言える。前記の「型」だ。一直線の柏戸には型があり、わかりやすかった。万能の大鵬はなんでもありで、わかりづらい。母や姉にとって型のない大鵬は理解しづらい力士だったのだろう。
 柏戸は直線であり剛、大鵬は曲線で柔だった。 


 いまでもよく覚えていることに、千秋楽の柏鵬全勝同士の優勝決定戦がある。すごい賞金の数だった。母と姉によると、呼びだしが持って土俵を回るあいだ、塩を手にした大鵬が懸賞の数を数えていたのだという。口許ででもわかったのだろうか。それを卑しい行為であるとふたりは批難していた(笑)。
 
 その影響を受けて私もそう思ったのかというと丸まる影響を受けたわけでもない。ただこどもであるから理論的な反論は出来ない。懸賞金の本数を数えるのは下品なのかなあと漠然と思っただけである。重要なのは、大鵬が負けると拍手して喜ぶという環境で私は育ったことだ。いま「大鵬が史上最強!」と断言する私は、アンチ大鵬だった。(続く)
  1. 2013/01/31(木) 05:00:08|
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大相撲ファンのみなさんへ──サイトの相撲の項目を開けましたので読んでください──「うるせー、このキムチ野郎!」のこと

(【芸スポ萬金譚】より転載)

大相撲ファンのみなさんへ。
私のサイトの相撲のページです。この10年分のあれやこれやを書いています。

たった10年間でしかないのですが、引退した力士も多く、時の流れを感じます。
お時間があったら読んでください。

Mone's World 大相撲

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【追記】──朝青龍擁護の自分に感激(笑)──1/29

某事情により自分のサイトの記事を制限していた。
そのことを問うメールももらったし、事情もすこしばかり違ってきたので、また開けることにした。

どうせ開けるなら、ここのところ増えているここに来てくれる相撲ファンに、今まで書きためてきた相撲文を読んでもらおうと思った。だって「平成×年××場所」という項目なんて、場所中毎日大相撲を見て感想を書いているのである。写真まで入れて。そこまで熱心なのだから相撲ファンにアピールする資格?があると決心?した。
私はひとに知られないようにひっそり生きているので、こんなことをするのは珍しい。



ひさしぶりに読み返して、「朝青龍擁護の自分に感激」した(笑)。
スポーツ紙からテレビまで、マスコミがこぞって、ここぞとばかりに朝青龍を叩いている。
彼のことを取りあげると、新聞は売れ、テレビは視聴率が稼げる。彼は「銭になる男」なのだ。

彼の言行にも問題はあったが、たとえば「朝青龍、死ねコノヤロー!問題──2008年3月3日記」にあるように、どう考えてもマスコミの〝私怨〟としか思えないものも多い。

朝青龍のことを何度も悪意的に書くニッカンスポーツの在日朝鮮人記者(通名ではなく朝鮮名を使っている)のしつこい質問に、腹立った朝青龍が「うるせー、このキムチ野郎!」と言ったのは事実である。横綱にあるまじき暴言だ。しかしその後の一連の記事は、どう考えても「スポーツ紙の客観的大相撲報道」ではなく、「キムチ野郎と言われた怨み」でしかない。
その辺のことを、当時の私は熱く語っている。朝青龍擁護の視点から。



すべてが過去になって行く。
朝青龍という個性的な横綱がいたことすらもう遠い彼方になって行く。

朝青龍バッシング一色のころ、「朝青龍擁護」という蟷螂の斧を振りまわしていた自分を誇りに思う。
  1. 2013/01/29(火) 07:58:28|
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大相撲理事選挙──貴乃花、再選! 八百長千代の富士の落日

北の湖理事長復帰、不祥事再発防止の徹底表明も課題山積

 kitanoumi

2012.1.30 18:26


 任期(2年)満了に伴う日本相撲協会の理事選挙が30日、東京・両国国技館で投開票され、元理事長の北の湖親方(58)=元横綱、本名小畑敏満=らが当選し、改選理事による理事会では同親方を満場一致で第12代理事長に互選した。

 北の湖親方は弟子の大麻問題で引責辞任した平成20年9月以来、4年ぶりの理事長就任で、相撲協会トップの復帰は史上初めて。同親方は昨年4月、弟子が八百長に関与したとして理事も辞任していた。(MSN産経)


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 改革を叫び二所一門から追いだされた貴乃花は再選が危ないと言われていた。すくない数だから票読みは容易だ。落選はひとりである。
 談合の世界だから無風選挙を好む。最初から定数立候補による無投票にするのだ。それが定番だった。

 そもそも前回貴乃花が二所一門を破門されたのも、周囲の反対を押しきってその無風選挙に打ってでたからだった。平成の大横綱である貴乃花は、順番を待っていれば確実に理事になれる。北の湖や千代の富士に次いで、やがては理事長の座も手に入ったろう。だが貴乃花は、腐りきった体制を改革するのに50過ぎまで待っていることは出来なかった。どんなに説得されても首を縦には振らず三十代で立候補した。落選を予想されたがぎりぎりで当選する。そのときも「謎の支援者」が話題になった。一門を裏切ってまで貴乃花を支持した親方がいたのだ。



 今回の票読みはこうなっていた。

出羽 3議席(10票、10票、10票)
二所 2議席(13票、12票) 
時津風-高砂連合 3議席(10票、10票、9票)
立浪 2議席 (9票、8票)

----落選-----

貴乃花1議席 7票


 貴乃花の票は、自身の他には音羽山、常盤山、間垣、大嶽、二子山、阿武松の6票。合計7票。いちばんすくない。このままでは落選確実だ。

 錣山、湊、時津風の三人は貴乃花と親しく、貴乃花の角界改革案に心情的には賛成している。しかし時津風一門である。義理人情としがらみから一門を裏切ることは出来ない。そう言われていた。

 だが、貴乃花は11票で当選した。これは尾車の13票、楯山の12票に次ぐ票数だった。大番狂わせである。時津風の三人に、さらに立浪も加わっての7+4の11票である。予想外の大勝となった。
 一門からの叱責や不仲を覚悟の上で貴乃花に投票した、錣山(寺尾)、湊(湊富士)、時津風(時津海)、立浪(旭豊)の胸中を思うと胸が熱くなる。一門とのいかなる決別があろうとも貴乃花の角界浄化の姿勢に賛同したのだ。あの古い社会で、これは革命的な出来事である。一門という絶対的な箍が大きく軋んだ。
 前回、貴乃花はギリギリの票で当選した。それでも読みよりも1票多かった。誰だろうと噂された。立浪、というのが濃厚な線だった。本人は黙して語らなかったが、今回明らかになったことになる。もう隠さないだろう。革命に立ち上がった11人の志士だ。



 最低票数の7票でなんとか最下位当選したのは九重(千代の富士)。人格も品格も人望もない心貧しい八百長横綱に対する心ある親方衆の姿勢が結果に現れている。八百長千代の富士の落日とガチンコ貴乃花の擡頭はまさに時代の象徴だ。この流れが変ることはもうあるまい。

 6票で落選したのは友綱。もともと魁皇を育てたという実績だけでのしあがった人だった。唯一の売りだった魁皇が引退したのだから表舞台から消えるのは当然だろう。力士として実績のないこのひとが陽の目を浴びているのを見るたび、名力士をひとり育てればあんなにでかい顔が出来るのかと感嘆したものだった。



 相撲の話である。本来なら【芸スポ萬金譚】の分野だ。でもこの話題は私には〝政治〟であり〝時代〟になる。うれしい夜になった。11人の親方衆に今から乾杯しよう。
  1. 2012/01/30(月) 21:48:21|
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魁皇引退で本格的ファン離れ!?

00sumo.gifマスコミをマスミと書いて嫌う風潮があるが、こういう「魁皇引退で本格的ファン離れか」なんて記事を読むと、たしかにゴミだと思う。こんな幼稚な条件反射でしか文を書けないのだろうか。
と憤懣をツイートした。

kaio2

ワイドショーの司会者とかコメンテーターなんてのも、「これで大関横綱に日本人がいなくなってしまったわけで、ほんとに淋しいです」なんて、しかつめらしい顔で言っている。相撲を好きじゃなく、いつも見ていないから、「魁皇引退」というニュースで何か言わねばならないとなったとき、それしか思いつくことがない。

私は魁皇が大好きだったけれど、魁皇が引退したからといって相撲から離れるつもりはない。そしてまたそれは魁皇もいちばん望んでいることだろう。まったく、こういうくだらん記事を読むと腹がたつ。
  1. 2011/07/21(木) 13:48:59|
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魁皇引退──ありがとう、お疲れ様でした←相撲ファンの誇り

00sumo.gif
7月19日、19時40分、魁皇引退。ネットの速報で知ってツイートした。

kaio


これじゃ半端なのでフォロー。
琴欧洲との、いま思えば、「現役最後の一番」はリアルタイムで見た。あまりに相撲にならないひどい状態なので、アナも北の富士も心配していた。その時点で「親方と相談します」との魁皇リポートも入った。休場だと思った。今から二ヶ月休めば腰の痛みが軽くなる可能性はある。まして先場所は白鵬を負かしている。まだまだ得意の形になれば怪力魁皇なのだ。必殺の小手投げもある。いまは「まわしを締めていると下半身が痺れてくる」ような状態らしいが、腰痛さえ治まれば来場所も出来る。なんとか11月までがんばって故郷九州場所まで出場してくれ。勝ち星のたびに花火を打ち上げて祝ってくれる地元のファンに最後の勇姿を見せて欲しいと願っていた。
突然の引退表名におどろく。NHKのニュース速報で流れたらしいが私が知ったのはネットだった。1045勝をクリアし、もういいかと思ったのだろうか。唐突だった。



千代の富士の記録をなんとか魁皇に抜いて欲しいと願っていた。千代の富士を八百長横綱と言うなら魁皇もまた紛れもない大関互助組合で助けあってきた八百長大関である。たいしてちがわない。もともと伝統芸能である大相撲において情の星のやりとりは常識であり大騒ぎすることの方がおかしい。私は大相撲の八百長うんぬんはどうでもいい。ただし「おもしろい相撲、おもしろくない相撲」はある。琴櫻や三重の海の「無気力相撲」はひどかった。じつはよく出来た八百長相撲ほど激しい攻防があり力が入っておもしろかったりする。それはプロレスを考えればわかる。投げる方と投げられる方に打ち合わせがあれば見事なものになる。大鵬も「客を感動させるそれが出来なきゃ一人前じゃない」と言っていたとか。

チヨと魁皇のちがいは、話せば長くなるが、ひとつだけ言えば、あれだけの実績を残しながら千代の富士には一切人望がない。そのことで彼の品格がわかる。今回の理事長人事で八百長横綱だった武蔵川(三重の海)は假病を装ってさっさと逃げた。北の湖からワンポイントで武蔵川になったなら、次は九重である。だが八百長問題が紛糾している時、その権化のような九重に出来るはずがない。もしも九重が理事長になったなら、千代の富士の八百長を差配する中盆をやっていた板井などもまた注目されて収拾がつかなくなったろう。

放駒(魁傑)の理事長就任は、一見思わぬダークホースの擡頭のようだが、本人も弟子の大乃國もクリーンな放駒しかいなかった。魁傑でなければこの危機は乗り越えられなかった。放駒を除いたら「八百長はよくない。やめろ」と言える資格のある親方は、芝田山(大乃國)と貴乃花しかいない。順序からいって魁傑がなって当然だった。

人格者の魁皇にあのインチキ記録を抜いて欲しいと願ってきた。八百長という言葉で括るなら八百長横綱と八百長大関にちがいはない。だが私の中では両者の品格は天と地だった。
チヨの下劣な人格は弟子のチヨスに見事に受けつがれている。この辺のことは自分のサイトにたっぷり書いているので略して先を急ぐ。一言で言えば千代の富士の談合相撲(言いふくめ相撲)は容認しがたい。嫌いだ。あいつのやったのは情で勝負を譲るのではなく、力の横暴である。ワンマンの暴力だ。だから誰もついてゆかない。千代の富士を大横綱と称えるひとはセンスの悪い相撲ファンだ。



魁皇がこんなに長く土俵人生を送るとは思わなかった。同期の若貴、曙と比べてみる。
曙は1992年の7月場所から大関、1993年の3月場所から横綱、2001年初場所で引退。
貴乃花は1993年3月場所で大関、1995年初場所から横綱。引退が2003年初場所。
若乃花1994年9月場所で大関、1998年7月場所で横綱、2000年3月場所で引退。

みな1990年代の力士だ。二十世紀とも言える。魁皇の活躍は二十一世紀だ。
一応貴乃花は2003年春場所で引退だが、その前は一年以上にも及ぶ休場であり、実質的には大怪我を押して相撲を取り、優勝決定戦で勝った、あの小泉首相が「痛みに耐えてよくがんばった。感動した!」と言った2001年5月場所で終っている。さらにいうなら貴乃花の無敵時代は1994年から1997年だ。その後はケガで休むことが多い。2001年のあれですら最後の特殊な輝きだった。みな1990年代の力士である。魁皇はちがう。
同期の一番出世である曙が大関になった1992年の7月場所、このとき魁皇はまだ十両の8枚目だった。

魁皇が大関で取ったのは2000年9月場所から。(相撲的には7月場所終了後に昇進、となる。)
その年の春に同期の若乃花はすでに横綱として引退していた。遅咲きではあるが新大関誕生と話題になった。私は同期の若乃花が横綱という頂点を極め燃えつきて引退した後、今から大関ということに、ずいぶんと早咲き遅咲きの差があるものだと感じたことを覚えている。地味な印象だった。いま考えれば若貴曙がすごすぎるのであり、今場所27歳の琴奨菊の大関取りが話題になっているように、さほど遅くはないのだが、天才連がいる時代だったから、遅咲きの地味な力士に思えた。
魁皇とともに多くの物議を醸した問題大関千代大海は、1999年3月場所から大関になっている。これも「昇進」で言うなら初場所後になる。このとき22歳。これは横綱の期待がかかる大物の早い出世だった。

私はむかしもいまも日の出の勢いの新星が好きだ。27歳でやっと大関になった魁皇より二十歳ぐらいの未来の大物を捜す方が好きだった。そのころ十両に、いかにも気の強そうな顔で激しい相撲を取るのがいた。朝青龍である。力士としてはむしろそっちのほうに興味を持っていた。だがそれとは関係なく魁皇は大好きな力士だった。その理由は後述する。

成績を追ってみればわかることだが、魁皇は大関になるまえに優勝はもろちん、優勝同点も優勝次点もある。ということから、魁皇の肉体的ピークは同期の若貴曙と同時期にあり、彼らよりも力士としての力量が劣っていたから出世が遅れたとの解釈も出来る。彼らがいなくなって上が開けたのだ。名大関に失礼な言いかただがこれは天分の解釈としては妥当だろう。まあもともと「名大関」というのは誉め言葉ではない。横綱になれなかった脇役への賛辞だ。



これは競馬にも言える。むかしの天皇賞は勝ち抜け制で勝った馬は次回は出られなかった。すると見事なほど同期の一流馬が抜けた後に同い年の二流馬が勝つ。これは世代の強さが比較できて面白かった。競走馬がいちばん強くなるのは5歳秋(今の4歳秋。以下旧表記)と言われる。当時天皇賞に出られるのは古馬となった5歳からだった。今は秋天は4歳から出られる。5歳の一流馬が勝つ。春秋の天皇賞を5歳で勝った同期馬が卒業して行く。同期の二流馬はそのあとの6歳、7歳時にチャンスがあるわけだが、それはまた後輩の「最強の季節5歳秋」と闘うことでもある。肉体的には不利だ。だが強い世代というのは、しっかり6歳7歳になっても勝つのだった。この辺、実例としていくらでも馬名を揚げられるが魁皇の話なので略。つまり強い世代の二流馬(無冠)は、弱い世代の一流馬(ダービー馬等)よりも強いわけで、こういう勝ち抜け制時の世代間の強さ比べはおもしろかった。

当時の古馬は天皇賞と有馬記念を勝つともうやることがなくなってしまい引退するしかなかった。一流古馬が活躍するレースがなかった。そういうレース体系だった。今は何度でも天皇賞に出られるからなかなか引退しない。馬主経済の事情もある。
魁皇で思うのはカンパニーだ。カンパニーは魁皇と同じような年齢で天皇賞とマイルチャンピオンシップに勝ったから(連続優勝だ!)、勝ち越しがやっとのよれよれの魁皇と比較したらこっちに失礼か。
同期の一流馬、若貴曙が天皇賞馬(横綱)になって去ったから、次は同期の二流馬魁皇の番だった。だがそこに充実の5歳秋を迎えた後輩の武蔵丸、朝青龍、さらには白鵬までやってきて、魁皇は8歳になっても走ったがとうとう天皇賞馬(横綱)にはなれなかった。という競馬的譬え。

魁皇のゆっくりした歩みは、同じ九州出身をモデルにしたちばてつやのマンガ「のたり松太郎」そのものである。怪力という特徴も同じだった。「松太郎」の方が早い。実在の人物をモデルにしたマンガはよくあるが、マンガにちかい実在の人物が出るなんてめったにない。その点でも魁皇は偉大だ。もっとも松太郎は粗暴な悪ガキだから人格者の魁皇とは違う。とにかくまあいろんな意味で魁皇は魅力的だった。



私が魁皇に一日でも長く土俵にいて相撲を取って欲しいと願っていたのは彼の結婚に関係がある。魁皇夫妻にはこどもがいない。
結婚したのは1999年の6月。もう12年前になる。26歳の小結の時だ。5月場所は14勝1敗の初優勝。貴乃花が全休、若乃花が途中休場という中、横綱曙の13勝2敗を凌いでの初優勝だった。若貴には遅れをとったものの(だいたい彼らが天才過ぎたのだ)、未来の大関横綱との声がかかる中での結婚だった。

相手は長年交際していた元女子プロレスラーの西脇充子。5歳年上の31歳。じつのところ私が魁皇好きになったのはこのことが大きい。プロレスファンの私は女子プロレスの会場にもよく出かけて観戦していたから西脇のことは知っていた。美人レスラーということになっている(笑)。プロレスファンの間では魁皇と西脇の交際は有名だった。

魁皇は小結で優勝という最高の時期にそれまで何年もつき合っていた西脇との結婚を発表した。すでに西脇は女子プロレスを引退し内助の功を発揮していた。しかし西脇はその時点でもう子宮筋腫を患いこどもが埋めない体であることがわかっていた。前途洋洋の力士である。力士はもてる。ふつうだと若いころ世話になったこういう年上の女は捨て、よくある「後援者の娘の女子大生」なんてのと一緒になる。そういう話も多かった。というかこれは相撲界の常識とすら言える。引退後に親方として部屋運営をするためにも(部屋の新築とか金がかかる)、嫁は金持ちの娘がいいのである。

一例として二代目若乃花がいる。彼は若手の時から年上の銀座のママと恋人関係だった。面倒を見てもらっていた。が、親方(初代若乃花)から娘を嫁にして部屋を継げと言われたら、欲に目が眩んだのかそっちに走った。世話になった長年の恋人を捨てたのだ。親方の娘と結婚するということは、一銭もかからず建物から弟子からすべて丸抱えできるということだ。力士はみなそんなことをしている。若手の時には、旺盛な性慾を解消してくれ、肉体的にも精神的にも、金銭的にも支えてくれる年上の花柳界の恋人がいる。でもいざとなったら結婚は周囲の勧める、親方の娘とか後援者の娘とかの無難なのとする。また花柳界女性もそれを割り切って送り出した。むかしの女はいい女だった。いつごろからだろう、そのことをマスコミに売って小銭を稼ぐようなのが出て来たのは。

その後二代目若乃花は親方の娘とうまくゆかず離婚。後にその銀座ママと再婚している。初代若乃花の娘は週刊誌等にも載ったが、山本陽子に似た美人だった。念願の若乃花と結婚できた銀座ママも数年前に早世してしまった。二代目若乃花も脳梗塞で倒れて車椅子生活だ。時の流れを感じる。

私は二代目若乃花を責めているのではない。相撲界とはそんなものなのだ。
親方は娘を欲しがる。娘が生まれると喜ぶ。息子が生まれて力士になって自分の跡を継いでくれるのを望みそうだが、違う。息子が幕内力士になって跡を継ぐなんてケースはまずない。アスリートの息子が優れたアスリートになる確率は低い。大関の息子ふたりが横綱になった若貴は、私はちかごろあまりに★1安易に使われているので「奇蹟」という言葉はめったに使わないが、これはもう文句なしに「奇蹟」なのである。あんなことはもう今後もありえないだろう。若貴どころか寺尾と逆鉾が幕内力士になった井筒親方(鶴ヶ峰)の場合ですら奇蹟と言っていいほどだ。若貴はすごすぎる。

相撲部屋の親方にとって、息子が自分と同じ幕内力士になるのは難しいが、幕内力士を育て、それと娘を結婚させることはさほどでもない。よって親方は娘を作り、それと優れた弟子を結婚させ跡継ぎにするのを願う。魁皇の親方の魁輝も娘婿として友綱部屋を継いだひとだ。
魁皇はすでに親方株を持っているし、抜群の人気から引退したら自分の部屋を創設するのだろうと思っていた。私は魁皇の西脇との長い付き合いを知っていたが、魁皇が西脇と結婚するとは思っていなかった。けっきょくはよくあるパターンの有力者の娘と結婚するのだろうと読んでいた。大関になって一段落し、過去の恋人との噂も消えた28歳ぐらいの時に、富裕な後援者関係の21歳ぐらいの娘と一緒になると。だってそれが相撲界の常識だったから。

力士の方が番付をあげ、相思相愛の女を捨て、親方の娘と結婚して部屋を継ぐという大望?があるとするなら、「親方の娘」のふてくされだって同じである。どうせ親の勧める「関取」と結婚して部屋を継ぐのが定めなのだ。親の金でバカ大学の女子大生なんてのになり、アメリカやらイギリスやらに留学(笑)して、乱行を重ねる。自分の人生はもう決められているのだから、すくないこの時間、せめて好きなだけ好きなことをやろうとする。そういう形の男と女、人気の力士の結婚。それは相撲界の常道だった。

だが魁皇は西脇を選んだ。将来こどもをもてないことを覚悟で、こどもの産めない体である年上の西脇を生涯の妻として選んだ。親方、両親、親戚、後援者、多くの反対があったはずだ。恋している今はいいかも知れないが、将来こどもがいない淋しさには耐えられない、冷静に考えろという説得もあったろう。だが断固として魁皇は西脇を選んだ。★2男である。魁皇は真の男である。魁皇が二代目若乃花のような男だったら私もここまで惚れることもなかった。いや、二代目若乃花も、それはそれで後に好きな女と一緒になっているからましなほうだと思うが、揺るがなかった魁皇の方がうつくしいに決まっている。

プロポーズされたとき、西脇はうれしかったろうなあ。きっと泣きながら「わたしでいいの?」なんて言ったんだ。それを力強く抱きしめて、魁皇は「おまえじゃなきゃだめなんだ」って言ったんだろうな。推測だけど。そのとき得意の右上手をとっていたかどうかは定かでないが。
西脇みっちゃん、これから親方夫人として第二の人生が始まる。弟子みんながこどものようなものだ。おかみさんだ。がんばれよ。結婚に反対したみんなを見かえしてやれ。あんたにはヒロくん(古賀博之)がついている。

琴ノ若は親方(琴櫻)の娘と結婚し、部屋を継ぎ、子宝にも恵まれた。息子は力士になって父を目指すという。もうすぐ入門するだろう。四股名「琴ノ若」を譲ることをもう約束している。魁皇にその楽しみはない。それを捨ててまで選んだ恋女房だ。これからの人生もしあわせになってくれ。



一般に魁皇の全盛期は全場所二桁勝利し、優勝もあり、横綱昇進のチャンスがあった32歳の時と言われる。2004年だ。翌2005年からはもうケガによる休場と角番、なんとか終盤で勝ち越してそれをクリアの繰り返しになる。それから6年である。よくぞがんばったものだ。積み上げた1047勝。
私個人は、全盛期は小結から大関にかけての3回の優勝のある2000年から2001年だと思っている。年齢で言うと27歳から28歳。それから10年。よくぞここまでがんばってくれた。ありがとう、魁皇。

晩年はボロボロの躰で角番とやっとの勝ち越しを繰り返し、ある意味千代大海と一緒に大関の名をよごしたのに、それでも相撲ファンはみな魁皇を応援した。それは大相撲という日本独自の伝統芸能の、強さだけではない、より深い魅力の発露だ。それを含めての大相撲である。それのわからないつまらない日本人もどきが増えた。

モンゴル巡業では、朝青龍や白鵬よりも人気を集めた。「モンゴル的強い男、美男」の要素をすべて魁皇がもっていたからだ。魁皇に熱狂するモンゴル人男女の姿は不思議な感動だった。モンゴルの娘が「魁皇、大好き!」と目を輝かせていた。朝青龍はヘソを曲げ、魁皇は照れ笑いをしていた。これは特筆されるべきことだろう。魁皇はモンゴルで朝青龍、白鵬以上の人気を集めたのだ。

今年の1月場所で土佐の海が引退してからは最古参力士になっていた。土佐の海は「西の山本、東の尾曽」と言われた山本であり尾曽は武双山だから、これまたよくぞがんばった。土佐の海の引退はさびしかった。
今場所は魁皇の引退があり、高見盛は十両陥落だ。まだ取るのだろうか。取って欲しい。でもほんとに衰えが見える。どうなるのか。これで最古参力士は栃乃洋になった。

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過日、あるひとのブログを読んだら大相撲をボロクソに書いていた。政治のことを書くブログだ。そのひとが相撲ファンでないことなどわかっている。今まで相撲のことを書いたこともない。なのに相撲はもう終ったとか、時代が違うとか、オンボロ魁皇がとか、言いたい放題していた。なんともかなしくなった。
そのひとが相撲嫌いならまだいい。そうじゃない。相撲に興味のないひとだ。ただひたすら毎日政治的毒を吐いている内に、その対象として魁皇の1045勝越えが話題になっていると知り、目を向けたに過ぎない。いわば、あちこち政治的に叩いている内になんでもかんでも叩かねばいられなくなったビョーキである。そこに水に落ちた犬の大相撲があった。それで条件反射的に叩いた。それだけだ。相撲など好きでないから言っていることは激しく見当違いだ。なんとも見苦しくかなしい出来事だった。

それへの反発があり、私は相撲のことはホームページに書くようにしていて、このブログで書くことはめったにないのだが、いかにいま大相撲がおもしろいかを書こうと思っていた。
今場所最大の発見は谷川親方(北勝力)の解説上手、独自の視点だ。これは稲川親方(普天王)が期待はずれだっただけに穴馬だった。あのひとはこれからNHKの常連になるだろう。なんともすばらしかった。そのユニークな切り口にアナははしゃぎ、おいてけぼりの舞の海はしらけていた(笑)。そのことをテーマに、いかに大相撲がおもしろいかを書き、知りもしないひとは、わかる能力のないひとは、よけいなことはいいなさんなと書きたかった。がその前に「魁皇引退」という大事件が起きてしまった。よってこれを最優先した。

一応上記のひとにケチをつける形になったので書いておくが、私はそういうことを言えるだけの好角家であり、この10年、自分のサイトにもそれだけ大相撲のことを書いてきたと自負している。それは主張しておく。
知りもしない魁皇を悪口だけで取りあげたひとと比し、私は今回ここに魁皇への感謝の文を書けた相撲好きの自分を誇りに思う。

00kanren.gif──大相撲

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★1なでしこジャパンのシュートが決まるたびに青島アナが「奇蹟」を連発していたが、サッカーのあの得点は「奇蹟」を連呼するようなことではないだろう。選手にも失礼だ。言葉が軽すぎる。

★2こういう「男である」を、「漢である」と粋がって書くバカがいる。「漢」というのはサンズイからもわかるように本来の意味は「水のない川」であり肥沃な土地を表すが、総じて漢王朝のことであり、漢民族の男を表す。「好漢」「悪漢」「破廉恥漢」等からもわかるように、「漢」は漢人の男性を示すだけで「秀でた男」の意味はない。

「漢である」を「男である」の上級形のようなつもりで書くのは愚かなことだ。漢民族=支那人=チャイニーズであるから、「漢である」とは「支那人である」と言うのと同じことになる。心ある人はこんなみっともない表現は使ってはならない。「漢民族だ」と見当違いに粋がるより、「田んぼに力で男」で十分ではないか。



補記・「田んぼに力で男」と、一般的解釈のそれを書いたが、この下の部分は「力」ではなく、田を耕す農具(鋤のようなもの)を表しているという説も有力だ。このへん、白川派とかアンチ白川派とかいろんな説がある。こんなことを言いだすときりがないし、とりあえずここのところは「田んぼに力で男」で見逃してください。

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【附記】──九重の感想←すなおに認められない7/20・昼

魁皇引退を知った九重(千代の富士)は、「長く続けてきた中で、かど番ではない場所で踏ん切りをつけた。引退の美学をここで示したよ(サンケイスポーツ)」と語ったとか。

弟子の千代大海は、角番で負け越して関脇に陥落が決定したが、引退せず、翌場所10勝以上あげれば大関復帰できるという関脇の特典に縋った。関脇で黒星が先行し、大関復帰は無理とわかった時点でやっと引退を表明した。魁皇の今回の潔さと比べるとかなり地位にしがみついたことになる。
しかしそれはいい。親方よりも力士でいるほうが愉しいに決まっている。自分の力士の可能性に懸けたなら、千代大海のみっともないしがみつきは、むしろかっこいいとさえ言える。私は魁皇にも、そういう形で粘って九州場所までがんばって欲しかった。

だが、この千代大海のみっともないほどの大関への固執は、彼自身の意思ではなく九重の指示だったという噂がある。千代大海はもう引退したかったのだが、理事戦で大関の1票(大関は投票権がある。苦戦と言われた貴乃花理事誕生に大関琴光喜の1票が役だったことは有名)が欲しい九重は、不人気で票のすくない自分のために、弟子に現役大関でいることを強要したというのだ。これは「千代大海が引退できない裏事情」として複数の週刊誌でも取りあげられたし、私は周囲の状況からも事実だと思っている。

そういう視点から見ると、上記の九重のコメントはなんとも空々しい。

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【附記.2】──強いときの魁皇を見る

7/20,16.40。NHKの大相撲中継で、7年前の朝青龍を破って優勝した一番を見る。すごい力相撲。朝青龍も強い。それを力でねじ伏せる。この強さを見たら、今のよぼよぼ象みたいな魁皇が引退するのは当然かも知れないと思った。あれだけ強かったひとに今の状態で相撲を取れというのは酷だ。あらためて、お疲れ様でした。
  1. 2011/07/20(水) 04:39:11|
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大相撲技量審査場所──gooで見る大相撲中継

gooの大相撲中継が、今場所NHKの中継がないことから、がらっと変った。おもしろい。そのことの感想を書きました。
http://blog.livedoor.jp/moneslife3/
  1. 2011/05/09(月) 17:23:43|
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朝青龍引退のまとめ

 朝青龍はハワイで休養中。さてこれからの人生、宿願であるモンゴル大統領に立候補するにはまだ16年あるし(立候補は45歳から)、当面はどうするのだろう。私は挌闘家にはなってほしくない。休養して体調が戻ったら、相撲が取りたくて取りたくてたまらなくなるだろう。なんともせつない。

 引退報道の号外等、ホームページにまとめた。



 朝青龍引退報道まとめ



 どんなに惜しんでももう彼が土俵に戻ってくることはない。これ以上論じるのはいわゆる「死んだ子の齢を数える」になる。本日結びの一番にて、これにて打ち留め。
  1. 2010/02/07(日) 05:11:05|
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朝青龍──キムチの呪い

 今まで相撲のスの字も触れたことのないヤツが、ここぞとばかりに涌いてくる涌いてくる。蛆虫ども。それもこれもキムチの呪いか。



>みーんな逃げてばっかり。こんな大人ばっかり。



 三十にもなるのに寝惚けたこと言ってんなよボケ!

 1980年生まれ? ドルジと同い年か。なにが「こんな大人ばっかり」だよ。



http://isayama.at.webry.info/201002/article_6.html



【附記】

 下の馬みたいな間延びした写真、ゆってぃかと思った(笑)。ワカチコワカチコ。
  1. 2010/02/05(金) 19:02:15|
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一見熱心、その実あまりに空虚

 2ちゃんねるの朝青龍関係のスレを拾って読んでいたら、こんなのがあった。


 谷村有美という女がブログに朝青龍批判を書いたらしい。行って読んでみた。もっともらしいことを延々と並べ立て、朝青龍批判をしている。一見正当なようだが、ほんとに空疎。なあんにもない。よくぞここまでカラッポの文章が書けるものだ。


 つまりこの女、相撲のことなんかなにも知らない。いやそれ以前のもっともっと大切なこと、相撲をわくわくしながら見たことなど一度もない。なのに知っている限りの朝青龍に関する報道から、「らしきこと」を語っている。いわゆる便乗。典型的バカ女である。本人は文化人気どりか。

 この女がなにをやっているのか知らない。歌手か役者か。たとえなんであれ、自分が本気で取り組んでいる世界があるなら、こういう表面的智識を掻き集めただけの薄っぺらな内容の文が、真剣に生きているひとにとって最も不快なものであることに気づくはずだ。まだいるんだな、こういうバカが。


>髷を結い、和装が正装である関取ですので、忘れがちですが、彼の故郷は遠くモンゴル。


 忘れるのは相撲なんかぜんぜん好きじゃないのに、こんなときだけ出しゃばってくるおまえぐらいだよ(笑)。ドルジのポニーテールの写真集も朝潮の「ツルッツルですよ」発言もなあんにも知らずに書いている。こんなときだけの知ったかぶり参加。画に描いたような軽薄。

 2ちゃんねるでもボロクソだった。

http://playlog.jp/yumi-tanimura/blog/2010-02-04
  1. 2010/02/05(金) 01:31:07|
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横綱前の朝青龍

 ということで早速自分の過去の相撲文章のチェックを始めた。すると、「朝青龍はきっと横綱になるだろう」という一文を見つけた。



 1999年からホームページらしきものをやっていた。2004年までは思いつくことを日々日記形式で書いていた。音楽も相撲も政治も芸能もごちゃまぜである。整理がつかなくなったので、そこから項目別に分離独立させたのが2005年ぐらい。相撲項目の最初は2002年になっている。



 私が朝青龍に注目したのは入幕してからだった。白鵬や把瑠都のおっかけと比べるとずいぶんと遅い。もっともこれも朝青龍の魅力に気づくのが遅れた反省から、白鵬、琴欧洲、把瑠都等は幕下から目をつけることが出来たとも言える。

 当時、まだ元気だった亡父と一緒に「大相撲トトカルチョ」に参加していた。一場所3千円の参加費でハワイ旅行や電気製品等を競う遊びである。小結から横綱に駆けあがるまで、私の一位指名はいつも朝青龍だった。もちろん横綱になってからも。父が2004年12月に死んだので、最後の参加は9月になった。



 ホームページに残っている文章が2002年からなので、印象的なものはないと思っていた。でも前記の文を見つけた。つまりまだ横綱になる前から書いていたのだ。よかった。

 文章のほとんどはマスコミの朝青龍批判に対して、朝青龍を庇う内容だ。無敵横綱になってからではそれもつまらない。横綱以前の文がいくらかあると知って安心した。ここのところの私の朝青龍ネタは張り差し批判ばかりだが、全体的に見ればほんのすこし。自分がいかに朝青龍好きでマスコミの朝青龍批判に反撥してきたかが解る。もうあの相撲が見られないのかと思うとかなしみは消えない。



 貴乃花が引退したとき、ちっともかなしくなかった。膝がもうどうしようもなかった。さらには精神的にも千代大海相手に変化までしていた。さっさと引退してくれと思った。横綱の引退とはそんなものだ。だが朝青龍は把瑠都を空気投げ(のような技)でほうり投げ、琴欧洲を合気道(のような技)で空中回転させた。こんな形で引退する横綱は前代未聞だ。あまりにもったいない。
  1. 2010/02/05(金) 00:55:56|
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追憶の朝青龍

 思えばこの八年、ホームページにずいぶんと朝青龍のことを書いてきた。どれほど書いてきたか、相撲好き、朝青龍好きのかたは、ぜひ下をクリックして確認してください。これぐらい書いてきたヤツならすこしぐらいでかいことを言っても許されるのではないでしょうか。目次下部の場所毎のものもほとんど朝青龍ばかりです(笑)。



 相撲



 古い文章にはきっと勘違いや誤字も多いことだろう。今夜はこの八年分を読みかえし、それらの修正をしつつ引退してしまった朝青龍を偲ぼう。
  1. 2010/02/05(金) 00:07:16|
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NHKの朝青龍密着

 そんなわけで、今夜の朝青龍のニュースはもういいやと思っていた。各局とも主は引退記者会見の様子だ。短いものだったしもう暗記するほど見た。そのあとの相撲映像も民放は相撲協会から借りた似たようなものばかりだ。見るほどのものでもない。明日の朝のワイドショーはバラエティ番組に出演したときの様子など各局工夫を凝らすだろう。そっちでいい。貴重な勝負映像はなんといってもNHKだ。それは特集の時に録画しよう。そう思っていた。



 ところが何の気なしに見たNHK午後九時のニュースにぶっとんだ。記者会見が終わり民放のカメラが追う中を、窓からファンに手を振りつつ朝青龍の乗った黒塗りのクルマが去って行く。なんとその国技館を去って行くクルマの中にNHKのカメラとインタビュアがいたのだ。いやはやよくぞ許したものだ。よくぞNHKも乗りこんだものだ。九時のニュースではその車内での映像が流れた。これを見ておかなかったら一生悔いたところだった。いやああぶないあぶない。



 その車内では、いま引退記者会見を終えてきたばかりの朝青龍にインタビュアがかなりキツいことを問う。「土俵に未練はないですか?」「挑戦したかったですね」「何にですか?」「記録にです」のように。そんな中、まるで泣けとでもいうように、「もう二度と土俵にあがれないんですよ、それでいいんですか?」。それでいいんですかもなにももう引退を宣言したのだからどうしようもない。しばし目を閉じていた朝青龍の方が冷静に「まだもういちどありますから(引退相撲)」と交していた。
 把瑠都はとうとう一度も勝てないままになってしまった。これからどんなに出世しようと、朝青龍に一度も勝てなかったという記録が消えることはない。



 今日の午前中に取材したというNHKレポーターは「その時点では引退の意思はなかった」と明言していた。どうやらあのチンピラと示談も成立したし、いつもの厳重注意や出場停止で済むものと思っていたようだ。午前中のテレビでは、チンピラの書いた示談書の文面が紹介されていた。そこでは「自分のことで引退なんて事になったら一生重荷を背負うことになるから、どうかそれだけは避けて欲しい」のような、そいつからも朝青龍に恩情ある判決を願っていた。朝青龍もこれにて一件落着の気分だったろう。



 ところが理事会だか横審だか知らないけど、そこから強硬意見が連発したらしい。最後は千代の富士に説得されたようだ。解雇になると退職金(推定1億4千万)も出ない。引退相撲興行も出来ない。3億は違うだろう。ことここにきて朝青龍も覚悟を決め、引退としたらしい。



 しかしなあ、部屋で親方と話しあい、決めて来たのならともかく、これからも相撲を取るつもり満々で国技館まで来て、追い詰められてのその場での決断はつらかったろう。白鵬の涙がすべてを語っているように思える。雰囲気だけで相撲を語るニワカ相撲ファンはともかく、毎場所毎日相撲を見てきたほんとの好角家は、彼がいなくなることを嘆いている。もう朝青龍の相撲は見られない。なんでこんなことになったのだろう。悔しくてならない。私はよく言われる「自業自得」とは思わない。気の強い我の強い異国から来た青年を誰もが真っ当に導けなかった。なんとも残念な結果になった。

 
  1. 2010/02/04(木) 22:56:46|
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朝青龍、引退報道

 午後5時からのニュースは一斉に朝青龍引退特集。TBSは4時からの『水戸黄門』の最中に5分間ほど引退会見の様子を流した。

 衰えての引退ならともかく、今の時期の引退は残念でならない。貴乃花なんて引退場所は千代大海相手に変化までしていた。しかも負けていた。朝青龍も、先場所が私の大嫌いな張り差しばかりで10勝5敗ぐらいなら未練もないのだが、13勝2敗での優勝。しかも豪栄道は土俵際での油断負け。勝った豪栄道は反省ばかり。負けた朝青龍に敗戦のショックはなかった。実質負けたのは白鵬戦だけだ。さらには勝ち星の中に、あの把瑠都戦、琴欧洲戦がある。あんなモンゴル相撲の奥義を見せられたあといきなりいなくなるのではたまらない。淋しくて涙が出そうだ。



 朝青龍は周囲の人間に恵まれなかった。親方はもちろん、後援者筋に細木数子、アドマイヤの近藤利一、包茎手術のあの医者、親しいのが亀田一家、シンパに野村沙知代、増長させるのはいても諌められるのはひとりもいない。よくもまあそんなのばかりが集まったものだ。それが彼の磁力なのだろう。

 引退の原因となった「知人」なんてのもそのひとりだ。芸能界麻薬汚染の際必ず名前の出る悪名高いチンピラである。出自も怪しい。あんなのとつき合い、あんなのの店に飲みに行ったことが今回に繋がった。負のパワーの結実である。



 引退を聞いて会見に臨んだ白鵬が泣いていた。

 いま午後7時のニュースが終ったところ。このあと夜のニュースがあるが、編集時間を考えると、明日の朝のワイドショーの方が(貴重な映像等を)期待できそうだ。

 朝青龍引退をボロクソに言っているひとがいるが、基本的にそれは相撲に興味がないからだ。どの程度相撲を見ているのだろう。朝青龍は千両役者だった。千両役者だからこそ私はその魅力を半減している張り差しを嫌ってきた。もう朝青龍の相撲は見られない。Kなんていうカスとさえ知りあわなければ深夜の泥酔大騒ぎだけで済んだのに。もったいない。なんとももったいない。
  1. 2010/02/04(木) 19:39:35|
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朝青龍、引退表明!

 午後3時10分、NHKの国会中継を見ていたら「朝青龍、引退表明」のニュース速報が流れた。すぐに書いている。いま3時13分。忘れられない瞬間になる。
 そうなるまえに「私の朝青龍」をまとめておきたかったが間に合わなかった。引退なら引退で、今度は彼を讃え惜しむ声が溢れるだろう。把瑠都を宙に舞わせ、琴欧洲を一回転させた彼にしかできない相撲はもう見られないのか!? 優勝しての引退は曙以来か。Kなんてクソと関わるからこんなことになる。「ミヤネ屋」、早く速報しろ!
  1. 2010/02/04(木) 15:13:29|
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相撲協会理事選──貴乃花が当選!

 今日のワイドショーは朝から相撲一色。朝青龍暴行問題と貴乃花の理事選。ちょうど土日に皇司と潮丸の引退相撲が連続してあったものだからネタも映像もたっぷり溜まっている。東関部屋を継ぐ潮丸は二所ノ関一門だから朝青龍も土俵入りを奉じている。

 日テレ「ミヤネ屋」で「貴乃花親方、当選!」と報じられたのは午後2時半前。NHKではニュース速報としてテロップが流れたとか。



 ニッカンスポーツも2時半に速報している。

 日本相撲協会は1日、東京・両国国技館で任期満了にともなう理事選挙を行い、一門を出て立候補した貴乃花親方(元横綱)が予想を覆して初当選した。他の一門からの投票があった。他に陸奥親方(元大関霧島)鏡山親方(元関脇多賀竜)も当選し、新任は3人。大島親方(元大関旭国)が落選した。 [2010年2月1日14時30分]



 ミヤネ屋では下の写真のように(画像は2ちゃんねるの相撲板から拝借)「当初の予想」「実際の結果」なんて欄まで作って大騒ぎ。ちとはしゃぎすぎ。相撲ファンとしては楽しいが。







 これぞまさに「番狂わせ」だった。貴乃花の確保していたのは自身の票を入れて7票。あと3票ないと当選できない。一門は結束を固めて裏切り者が出ないようにする。一門に属していない犬猿の仲の高田川(安芸乃島)と千田川(前の山)はあちら側と決まっている。どう考えても切りくずしは不可能と思えた。

 一般の選挙なら風向きによって変ることがある。だがこの場合のように「111票」と数がすくなく完全に読める場合はありえない。心情的に応援しつつも敗戦は確定と思っていた。



 ▼定数10、有効投票総数111

当 武蔵川 (元横綱三重ノ海、出羽海、現) 11

当 二所ノ関(元関脇金剛、二所ノ関、現)  11

当 放 駒 (元大関魁傑、二所ノ関、現)  11

当 北の湖 (元横綱北の湖、出羽海、現)  10

当 出羽海 (元関脇鷲羽山、出羽海、現)  10

当 友 綱 (元関脇魁輝、立浪、現)    10

当 九 重 (元横綱千代の富士、高砂、現) 10

当 陸 奥 (元大関霧島、時津風、新)   10

当 鏡 山 (元関脇多賀竜、時津風、新)  10

当 貴乃花 (元横綱貴乃花、無所属、新)  10

  大 島 (元大関旭国、立浪、現)     8


カッコ内は現役名、所属一門

現は現職、新は新顔



 落選した大島は赤っ恥。今ごろ怒髪天で犯人探しをしていることだろう。彼らの立浪部屋から2票流れたのだ。出羽の海一門は29票に高田川らが合流しての31票は完璧。同じく貴乃花ら7人を破門にした二所ノ関一門は22票とこれもピッタシ。まあ昨日もホテルに集合して裏切り者のでないように絞めていたから当然か。

 ミヤネ屋のボード一番上の見出しは「造反者は出たのか!?」。三人出たことになる。次は犯人捜しだ。簡単に見つかるだろう。隠しようがない。私も今立浪一門20人の親方をながめつつ、誰なのだろうと思案中。貴乃花に票が流れるとは思っていなかった(=落選確実)ので考えたこともなかった。



 今はまだ結果が出たばかり。これから記者会見があり、夜のニュース、明日のワイドショーのころには、造反者の名も明らかになる。むろん「造反者」ではなく、信念を持っての1票と讃えたい。

 貴乃花がなにが出来るのか、貴乃花の改革理念はどこまでのものなのか、まだ不明だ。だが彼は近年稀なガチンコを貫いた偉大な力士だった。今までの相撲協会の体質が地位を利用した利権体質であることは明白だ。九重のような談合横綱が理事長になるような流れは止めねばならない。さすがにあれだけの実績だから、なる可能性は高いが、すぐに貴乃花が追い落とすだろう。期待はそこにある。貴乃花がいれば談合千代の富士理事長の腐った長期政権になることはない。



 ミヤネ屋の報道は、貴乃花の隣にいるのが放駒(魁傑)なのに大島(旭国)と言ったり、理事会から引きあげてくる親方へのぶらさがりインタビュウでも、松ケ根(若嶋津)と花籠(太寿山)のテロップを間違えるなど相撲ファンからするとひどいものだった。

 しかしまたそれは、そういう相撲に詳しくないマスコミも一所懸命に報道してくれている、とも取れるわけで、好角家からすれば魁傑と旭国、若嶋津と太寿山をまちがえるはずがないのだが、一般的にはそんなものだろう。まあマスコミであるからして、担当者は顔と名前を確認しておけよ、ぐらいは言いたくなるが。



 あとは「朝青龍問題」だが、私は大勢を占めている「解雇」「引退勧告」に反対である。理由は明解。朝青龍が暴行したとされる「一般人」はちっとも一般人ではないからだ。すると朝青龍が責められるのは「本場所中に明け方まで大酒」に絞られる。まあこれも次第に真相が明らかになるだろう。

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【附記】 二所ノ関一門!?

 立浪からの2票と、もう1票は二所ノ関一門かららしい。23票もっていて22票しかない。これは重要だ。あの一門にもうひとり賛同者がいたことになる。誰だろう。
  1. 2010/02/01(月) 17:00:01|
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平成二十年夏場所覚え書き

00-sumo  「冷やし中華 はじめました」みたいな感じで、


 厭きずにまた「相撲日記 はじめました」


http://monetimes.web.fc2.com/ez-sumo-0805.htm

  1. 2008/05/11(日) 18:41:54|
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朝青龍に関する小島太調教師のコメント

00-sumo
こんな記事が

 出場停止処分が明けて3場所ぶりに復帰となった横綱朝青龍。27日の横綱白鵬との千秋楽の直接対決では、賜杯に届かなかったが、チケットや関連商品の売れ行きは、“朝青龍人気”で好調だったという。時津風部屋のリンチ事件発覚を機に“国技崩壊”と指摘される相撲界を支えているのは、皮肉にも「ヒール(憎まれ役)」だった。

 初場所千秋楽の両国国技館。初日同様、チケットは午前9時10分で完売した。白鵬との相星決戦。制限時間いっぱい。引きつけ合いの後、白鵬の上手投げが決まると、座布団が乱れ飛んだ。

 昨年、夏巡業の休場を決めながらモンゴルでサッカーをするなどの行動が問題視された朝青龍。
 国技館には朝青龍の負けるところが見たかった人も多くいたようだ。

 会社員の神作貴之さん(45)は「負けてすっとした。朝青龍は、日本人的なハート、礼儀、義理人情が足りなかった。相撲にヒールはいらない」。フリーターの水野尾祥子さん(35)も「朝青龍はよく相撲を取っていられるなと思う。今場所の快進撃で、モンゴルに戻ったのは仮病だと思った」。

 一方で、取り組みを評価し、両横綱に惜しみない拍手を送った人も。会社員の数寄真人さん(48)は「力と力のぶつかり合い。いい相撲だった。朝青龍は、スキャンダルを乗り越えた」と興奮しきり。

 自宅でテレビ観戦した元騎手で大相撲ファンの小島太さんは「すごい相撲だった。だが、(今回の盛り上がりは)スキャンダル的な興味もあるだろう。これでお客さんが本当に戻り、相撲人気が復活すれば」と話した。

 朝青龍の“参戦”は、国技館の“経済効果”にも現れた。売店を運営する「国技館サービス」によると、売れ行きは昨年の初場所に比べ1割アップ、昨年の9月場所に比べると1・5倍に。同社の伊藤善隆さん(39)は「『朝青龍弁当』は癖のある羊肉が敬遠されていたが、今回は5割増し」とホクホク顔だ。

 スポーツライターの永谷脩さんは「みんなが負けて大喜びする中でここまで耐えたのは、朝青龍の強さだ」と、朝青龍の今場所の取り組みをたたえた。(MSN産經より)

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00-kanso 2ちゃんねるの「ニュース速報+」で、一読してすぐにこれは「サンスポだな」とわかる。理由は下線の部分。小島太騎手(現調教師)は大相撲中継のゲストにも登場する相撲好きだ。デーモン閣下や野口五郎とならんでの相撲好き。
 その小島調教師にコメントをもらおうという発想、人間関係はサンスポしかあるまい、と思う。わくわくしながら最下段にあるニュースソースの項を見たらやっぱりそうだった(笑)。

 騎手になりたくて、身長が伸びるのがいやで押入の中に閉じこもっていたという逸話のある小島師が大男のぶつかり合いである相撲を好きなのは、北海道という土地柄なのだろう。だがその相撲王国の北海道はいま大不振である。幕内力士がいない。青森ががんばっているのにどういうことなのだろう。アマ相撲の事情は知らないけれど。
  1. 2008/01/28(月) 04:15:26|
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伊勢ケ浜力士、12名が改名へ!

00-sumo
・伊勢ケ浜部屋、12力士が改名へ――安馬ら関取はそのまま (NIKKEI NET)

 伊勢ケ浜部屋の力士12人が、今場所後に改名することが26日、分かった。
日本相撲協会広報部によると、同一部屋で一度にこれほどの人数が改名するのは「極めて珍しい」という。
安美錦と安馬の両関脇、十両の安壮富士の関取はそのまま。

 伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)によると、同親方が昨年11月30日付で年寄「安治川」から名跡を変更し、横綱照国や大関清国らを輩出した伝統ある部屋が復活したことを機に、これまで入っていた「安」の字を使わないしこ名に変えるという。

 伊勢ケ浜親方は「関取衆も今後、昇進などきっかけがあれば改名を考えていく」と話した。〔共同〕


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う~む、そういうことをするかね。過日例に挙げた「安虎(あこ)」なんかも当然改名だ。安馬も大関になったら改名か。まあそれはそれでいいとして。べつに安馬という名がすばらしいとも思っていないので。
 いいことのようなわるいことのような。どうもすっきりしない。

  1. 2008/01/27(日) 02:48:53|
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朝青龍問題と『産經抄』

 『産經抄』の的はずれ視点

(前略──故事「出藍の誉れ」の説明)

 ▼現横綱の朝青龍の場合はどうだろう。師匠である元朝潮の高砂親方も大関止まりだったから、地位だけなら師匠を超えている。だが、そのことで公然と師匠を見下すようになったという。数々の暴走に親方が歯止めをかけられなくなったのも、そのせいのようだ。


 ▼一昨日再来日した後、横綱は「謝罪」に駆け回った。再起を誓い「優等生謝罪」という新聞の見出しもあった。しかしあまり信じる気になれなかったのは、肝心の師匠への「謝罪」の念がほとんど感じられなかったからだ。隣に座っていたのにかかわらずである。


 ▼親方の指導にも問題はあったのだろう。「師弟のきずな」など、とうに死語になっているのかもしれない。だが師匠に頭を下げられない横綱がその名に値するのだろうか。育ててもらった師に対する感謝があって初めて「出藍の誉れ」なのだ。『産經抄』12/2

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 朝青龍から「師匠への謝罪の念」は感じられなかった。相変わらずしれっとしていた。
 しかし「肝心の師匠への謝罪の念」というが、なにが「肝心の」なのだろう。そもそも朝潮に師匠としての指導能力がなかったからこんなことになったのだ。それは入門時ウンヌンまで遡らなくてもほんの三ヶ月前ですら、とんでもないことをやっている。報道陣の前で「連絡は一切ない」と自分たちの冷えた関係を披露し、パイロットシャツを着てため息をつき、「みなさん、わかってくださいよ、わたしもみなさんと同じ被害者なんですよ」との態度でいたのはその師匠ではないか。モンゴルまで行ったがほとんど滞在せずすぐに帰国して、しゃべったのが「お肌ツルツル」だけというのもあった。『産經抄』はそれを知らないのか。忘れたのか。いや、そもそもなにも知らないからこんなことが書けるのだろう。おそろしく勘違いした視点である。

 ろくでもない親がいた。親としての務めを果たさなかった。それでも子は育つ。出世した子が罪を犯した。子供は世間に対して、親同伴で謝罪した。その謝罪会見を見て、「世間はともかく、肝心の親に対しての謝罪の念が見えないので信じる気になれない。育ててくれたのは親だろう」と言っている。
 子供はあんな親だからおれは犯罪者になったと思っている。そう思われても仕方のない親だった。それでここまでこじれてきた。なのにいきなりの記者会見で「親に対する謝罪の念」などあるはずがない。恨み辛みならまだしも(笑)。
 もしも口にしたなら不自然だし、言うような仲ならそもそもこんな問題は起きていない。『産經抄』は何を言っているのだろう。たしかに親がいなければ子は生まれてこない。こられない。だからといってどんなろくでもない親でも「生んでもらったのだから感謝しろ」と言われても、感謝できないこどもは大勢いる。それでも時が過ぎればまた違ってくる。しかしいまはすくなくともそんな段階ではないのだ。

 この師弟の一連の流れなど知らず、世間的な話題だからとズレた感覚で手を出したお粗末である。それとも、ああなっても父を庇った亀田問題ととりちがえているのか(笑)。
 まさに「朝青龍問題の本質などなにも知らないコラムニスト」が、「タイミングとして朝青龍問題をテーマに書く」ということにこだわり、そこに「出藍の誉れ」の故事を絡めて仕上げた、「コラムのためのコラム」である。しかも的はずれの。

 どうしようもない親だった。だがことここにいたって、自分の責任をやっと感じたのか、子供に対して飛んでくる言葉の礫を初めて我が身で受けて庇おうとした。私はそれを評価した。問題は今やっと、まだこの時点なのである。朝青龍問題を上っ面で捉えている『産經抄』にはそれが見えていない。わかっていない。
 こういうことが子供のころから続いていれば子は親に感謝する。それが親子だ。今までそれがなかった。それがやっと始まったに過ぎない。子の親に対する感謝の念が生まれるとしたらこれからだ。それすらまだ生まれていないのに、この場で「肝心の師匠に対する謝罪の念」などあるはずがない。



 典型的な的はずれコラムである。朝青龍と朝潮の関係を的確に把握している相撲ファンは、一見もっともらしい、それでいてはなはだしく的はずれなこの視点にしらけたことだろう。


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・このコラムは今日12月2日のもの。ネットに公開されたのが午前3時、家庭に配達されて購読している人が読むのは朝の7時ぐらいか。この文章のUPは6時だから、これは世界一早い今日の『産經抄』批判かもしれない。

  1. 2007/12/02(日) 06:37:48|
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今日の朝潮はかっこよかったゾ!


 今日の朝潮はかっこよかったゾ!

 今日は朝青龍と亀田次男の二大会見(笑)の日である。朝のワイドショーからその予告が入っていた。
 私は徹夜だった。午前十時に寝て午後二時に起きる。朝青龍の会見は午後五時からだが、午後のワイドショーは「飛行機が早く着いたので、成田に二時半に着いた」ともう騒いでいた。基本として私は、どんな形であれ話題になるのは相撲の認知に繋がるからよいことだと思っている。(認知ってのはこのごろヘンな意味になってしまった。)
 朝青龍問題、時津風騒動、ワイドショーでそれらに触れることによっていつの間にか相撲に詳しくなった人は多いだろう。といってそれが大相撲の視聴率に繋がり人気回復とまでは行かないのがむずかしいところ。でもほんのすこしでも、これがきっかけになって今までまったく見なかった相撲中継を見るようになり、見ているうちに力士の名前や決まり手も覚えてきて、相撲が好きになった、という人もいると信じる。

 午後四時過ぎ、図書館に本を返しに行き、あらたに借りてくる。五時からの会見があるので急ぎ足になる。夜のニュースでも見られるがテレビ局の意図で編輯されるから自分の目で生で見ておかねばならない。それは夜に限らず、すでに午後六時からのニュースでももうそうなのだと確認した。午後五時の会見の中から、会見はまだ続いているのに、中継ではなくもう自分たちの好み?のシーンを抜き出して放送している。どの局を見るかは重要な問題だ。好きなように加工して出してくる。どんな味付けにでも出来る。
 今回目立ったのは、朝潮が声を荒げた場面があったので、そこが押されていることだった。たしかにスキャンダラスな視点からは画にしやすい。その安易さを怖いと思う。でもその朝潮は、私には珍しく「よくやった」と褒めてやりたい激昂だった。

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 私が今日の会見で願っていたのは、私のような彼のことを案じている日本中のファンには心配を掛けたとすなおに言って欲しいということ、それとウチダテオババやエビサワのの横審に謝罪する必要はないということだった。帰国が決まってから、見たくもないのにオババの「私の中ではもう引退した人ですから」が何度も流れてていた。
 朝のワイドショーでは相撲評論家(今は相撲倶楽部の"会友"と言わねばならないようだ)の中澤潔さんの、「元々は明るくてすなおな青年だからファンにはきちんと謝罪するのではないか。横審には謝罪の必要なし」というコメントが出ていた。同意である。

 最初の代表質問はまともだった。その代表質問の最後、ファンのみなさまにひとこと、と言われると、冒頭の立ったままの謝罪のときには亀田父のような態度だった朝青龍が、きちんとカメラ目線で、ファンに心配を掛けたと謝罪した。わたし的にはこれで満足である。

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 そのあとの各社の自由質問になったらつるし上げ状態。朝青龍の眉がピクつく。顔面が引きつる。相撲など好きでもなくテレビ中継を見ることすらしないような記者連中が、ここぞとばかりに罪人をつるし上げている。質問の声が小さく聞き取りにくい上、日本人の私ですらどういう趣旨の質問なのかわからないようなのが連続する。それは要するに朝青龍に涙ながらの懺悔をさせたいのだが、そうも直接的に言えないものだから、回りくどい言いかたになり、結果として何が聞きたいのかわかりにくい日本語になっているのである。いくつかの質問に朝青龍がもう一回言ってくれ、どういう意味ですかと聞き返した。当然だ。私にも何を訊きたいのか解らない。それが反抗的にとられたのか記者の質問はますます意地悪になり、さらに意味不明になって行く。

 私は「朝青龍、切れるなよ」と祈る。今にでも朝青龍が机をひっくり返して大魔神に変身しそうだ。それを願っているウチダテオババのようなのもいる。我慢しろ我慢しろと願う。だが度重なる意図不明瞭の質問に先に朝潮が切れた。朝青龍への質問を横取りするような形で口を挟む。「それはまだわかりませんよ!」と。

 どういう形でサッカーに関わったのか、サッカーをしたときなにを考えていたのか、という過去の問題の時は良かった。朝青龍も懸命に応えていた。応えざるを得ない。だが先の質問には答えようがない。
「先の質問」とは、これから毎日どんな稽古をどこでどんなふうにし、そして「初場所で結果が出なかったらどうするか!?」というものだ。底意地の悪い記者は、「初場所で優勝できなかったら(13勝以下だったら)引退します」のようなスキャンダラスな言質が欲しいのだ。「朝青龍、初場所優勝できなかったら引退!」と見出しにしたくてしょうがない。しかし自分なりにトレーニングはしてきたが相手がいなかったし、マットの上と砂の上では感触が違うのでまず土俵で稽古をしたい、と述べている朝青龍から、そんな都合のいいことばを引き出せるはずがない。言わせようとするもの、言おうとしないもののせめぎ合い。かといって朝青龍はどんなに不愉快になっても切れるわけには行かない。ひたすら耐えるだけだ。
 
 そこで朝潮が切れた。声を荒げ、「これからひとつずつやって行くということです」と応じる。「これからの青写真がないじゃないですか」と記者も気色ばむ。朝潮が「ですから、まずは部屋で稽古を始め、それから出稽古に行って、と、それが青写真です!」と声を荒げ、そのあと、鼻息荒く「ご理解ください」と結んだ。実際にはこの何倍も朝潮はしゃべっている。理不尽な物言いをする記者連に我慢がならないという感じで、記者から見ても、いつものんべんだらりんとしていた朝潮のこの迫力ある発言は新鮮だったろう。
 
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 私は今日初めて身をもって弟子を庇う朝潮を見た。不仲の師弟だが、朝青龍も今日親方が自分を庇って闘ってくれた、自分のためにマスコミとやりあってくれた、という認識はもったろう。

 その前、引きこもっていたときに何を考えていたのかという質問にも(もちろん引きこもっていたときとは言わない。カイリセイハクリショウガイだかなんだか、そのときに、である)、朝潮は「ですから、なにを考えていたとか、そんな状態じゃなかったんです」と横から口を出し、記者が「横綱の部屋に行った親方が、記者会見をしろと言ったのを拒否したそうですが」にも、即座に「拒否はしていません。そんな状態じゃなかったということです」と発言していた。もしもイヤミな記者がいたなら、「親方じゃなくて横綱の口から聞きたいのですが」と言われても仕方ないほど、朝青龍に対して飛んでくる礫を朝潮が自分の体で受けていた。
 朝潮のそういう態度を我が身かわいさのようにとる皮肉屋もいるかもしれない。そうではない。私は今日、朝青龍を護らねば、という朝潮の気持ちをすなおに感じた。

 前述したように会見は五時からの予定がすこし遅れ五時過ぎから始まり六時直前まで続いた。だがすでにまだ会見が続いている五時四十分ぐらいにはもう各局が生中継をしつつも、ダイジェスト版の発言要旨シーンを放送していた。何が要旨かは局の自由だ。朝青龍の謝罪シーンと同じぐらい民放では声を荒げる朝潮が流れていた。
 その要約シーンで最も公平だと感じたのは六時からのNHKニュースだった。NHKは民放と違い会見を生放送はしていない。まあNHKは中継のこともあり相撲側に贔屓していると解釈されているから褒めるのは控えるが、それにしても視聴者の耳目を集めるためとはいえ、朝潮が声を荒げるシーンを中心に流していた民放の感覚はいただけない。

 もちろん朝青龍に限らず、テレビとはいつもこんなものである。そう思うと、小泉さんはこの手の連中をうまくあしらい、上手に活用する天才だったんだなと、あらためて感心する。

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 夜のニュースでは、横審でのシーンと、そのあとのインタヴュウを流していた。。横審で「なにを話したか」には、朝青龍は謝罪しましたとだけで口を濁し、そのあと妖怪が出てきて「横審委員の誰とも目を合わせなかった。彼にはあれで精一杯なのでしょう」と勝ち誇ったようなことを言っていた。思わず「おまえと目を合わせられる豪傑はこの世にはおらん」と口に出していた。テレビに向かって毒づくようになったらアブナイ(笑)。まずそんなことはないのだが、今日はほんとに知らず知らずのうちにバケモノに向かってひとりごちていた。
 もっとも相撲ファンの中にも「朝青龍は嫌いだが、ウチダテはもっと嫌いだ」との意見が多いから、ヒールの味を緩和する意味で、オババには存在価値があるのかもしれない。

 とりあえずミソギは済んだ。これ以後も巡業地や部屋で、「何十日ぶりかで土俵にたった朝青龍」のような形でニュースは続くだろう。それは普段は見られないものをワイドショーで見られるということだから相撲ファンとしてわるくはない。

 ともあれ、ほんのすこし朝潮を見直した会見だった。

  1. 2007/12/01(土) 05:01:01|
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平成十九年九州場所覚え書き──砂かぶりのケイタイ男

 砂かぶりのケイタイ男

 二日目だったか、砂かぶりに金髪に染めたスーツ姿のアンチャンがいて、取り組みの最中に何度もケイタイで電話をしていた。正面にいるから見たくなくても見えてしまう。見たくない光景である。こういうマナーはなんとかならんものか。

 砂かぶり(たまり席)は一般人は入手できない。私は生前の父に一度でいいからたまり席をプレゼントしたかったがつてがなく叶わなかった。一般に買える枡席どまりだった。そういう個人的な恨み辛みもあって(笑)、相撲に興味のない金髪だか茶髪だかのアンチャンがあの特等席にいて、しかもケイタイでへらへらと話しているのを見ると不快になる。

 ケイタイで話しているのは花道にたむろする主婦にもいる。よくないことだがまだ許せる。なぜならそれは子供の手を引いた主婦が、「今ね、今ね、魁皇が目の前を通ったの」と亭主にでも伝えていることがわかるからだ。表情もうれしそうだ。これは興業でありお祭りでありショースポーツだから、安い券で入った一般客の、そういうマナーの悪さはまだ見逃せる。

 砂かぶりは特別な場なのだ。他の席と違って飲食が出来ない。相撲を間近で見られる特別な場であると同時に150キロの力士が飛んでくる危険な場でもある。客はみな傷害保険に入らねばならない。砂かぶりの客が途中で退席すると目立つので結びの一番までいるように義務づけられてもいる。そんなこと、あの特別な席に行く人は誰でも知っていよう。その特別な場での茶髪ケイタイ男だったから腹が立つ。

 砂かぶりのケイタイ男も相撲に興奮していたのなら許せたかもしれない。いややっぱり土俵の向こうに勝負の最中もへらへらとケイタイで話している髪を染めた男がいるというのは画として許せないが、それでもまだそいつが「高見盛なんだよ、いま目の前で高見盛が気合い入れてるんだよ!」とでもしゃべっていたなら話は違ってくる。だがそいつは土俵など見ていなかった。退屈していた。「券もらったから来たけどさあ、全然つまんなくって、もう帰りたいよ」と、そんな感じなのだ。

 今後はぜひとも「砂かぶりでの携帯電話の禁止」を規則化してもらいたい。中入り後の相撲を砂かぶりで見るだけの時間に、ケイタイで連絡を取り合わねばならない緊急の用事などそうもあるまいし、あるほど忙しい人なら相撲見物になど来なければいい。
  1. 2007/11/26(月) 12:04:13|
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旭天鵬の帰化──日本人、太田勝さん誕生

 旭天鵬の帰化

kyokutenhou-kekkon

 旭天鵬がモンゴル人力士として初めて日本に帰化した。大相撲中継で知った。スポーツ紙のバックナンバで調べてみる。
 すると、昨年1月に帰化申請を出して、今年6月23日に法務省から許可が出たと知る。帰化には該当する期間日本で暮らしたことに加え、日本語をよどみなく話すこと、文字の読み書き能力が必要だ。旭天鵬の日本語は十両時代に初めて聞いたときから驚異的にうまかった。なぜモンゴル人の日本語はあんなにうまいのだろう。感動的ですらある。在日二十年の白人よりも三年のモンゴル人の方がはるかに自然な日本語を話す。前相撲時代の相撲学校では読み書きと歴史をしっかり教えるからこっちも問題はないだろう。どちらも小錦なんぞよりは格上である。
 問題は引受人だ。小錦は女房の姓にした。そのご離婚したから帰化のための結婚ととられてもしかたない。その他、高見山を始め力士の帰化は「結婚して女房の姓を名乗る」が基本だった。旭天鵬は独身である。どうするのだろう。



 スポーツ紙で「太田勝」となったことを知る。7月10日から始まった名古屋場所では初日から3連敗。4日目に初白星。「日本人として初の1勝」と笑顔で語っていた。会場では「太田、がんばれ!」とのかけ声もとぶという。照れくさいがうれしいとのこと。

 はて「太田」とはなんだろう。そこでひらめく。師匠の大島親方、元大関旭国は、普段は、というか通例として業務上は「大島武雄」を名乗っているが、たしか本名は太田ではなかったか。調べる。やはりそうだった。とすると旭天鵬は親方の姓をもらったことになる。なかなかいい話だ。

 スポーツ紙によると「帰化は相撲界に残り後進の指導をするため」となっている。一部では「部屋を継承するため」とも言われている。それは大島親方の株を引き継いで親方になるってことか。そうなると旭国のこどもが気になる。こういう場合、旭天鵬と娘を結婚させて跡を継がせるのが相撲界の常道である。息子が生まれても親方株を引き継ぐ名力士になれるとは限らない。自分の娘と部屋の最強力士と結婚させるのが最良の継承方法である。だから親方クラスは娘が出来ると喜ぶ。
 どうやら旭天鵬が大島部屋を継ぐのは事実らしいのだが、どうもこの辺がわからない。

 それはまあそのうち追々判るからいいとして、旭天鵬の「日本人に帰化したことでモンゴル人から『金で国籍を売った』と責められた」は興味深かった。在日モンゴル人のサイトで旭天鵬の日本人帰化が否定的に論じられたのは事実らしい。横綱朝青龍はモンゴル人の妻をもらい、帰化しないことを明言している。もっともこれも最近では「日本に残って力士を育てるのもいいな」と発言したりしているらしいから先は判らない。

 ともあれ旭天鵬は人柄もいいしみなに好かれている好人物だ。だからこそ旭国も後継者に選んだのだろう。私も好きな力士であるし彼の帰化を心から喜びたい。今後もモンゴル人力士は一大勢力として相撲界で活躍するだろうから通訳も出来る旭天鵬は貴重な存在になる。

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kanren7
 旭天鵬初優勝、おめでとう太田勝さん──旗持ちは白鵬──2012/5/20

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【追記】──旭天鵬帰化が【木屑鈔】初めてのテーマ──2014年9月26日

 40歳幕内勝ち越しをなしとげた旭天鵬人気で、私のこの「旭天鵬の帰化──日本人、太田勝さん誕生!」が人気記事として復活していた。調べてみると、書いたのは2005年7月18日。自分でも忘れていたが、なんとこれはこのブログの最初の記事だった。
 サイト(当時はホームページと言った)は2000年のすこし前からやっていた。それで十分だったのだが、なぜか流行り物として、それを凌駕する勢いでブログなるものが話題になっていた。とりあえず自分もやってみようかと手を出してみたのがこの【木屑鈔】になる。早いものだ、もう9年になるのか。すぐに飽きて旧態のサイトにもどると思っていたが、ブログの便利さに慣れてしまい、いまではすっかりサイトのほうがご無沙汰となってしまった。そうかそうか、この【木屑鈔】最初の文はこの「旭天鵬の帰化」だったんだ。当時もいまも旭天鵬大好きだから、なんかうれしい。

 上の文を読むと、朝青龍が現役なのは当然として、「日本に残って」なんて発言もしていたんだ。すっかり忘れている。だってもう9年も前の記事だから。

 上にリンクしたのは【芸スポ萬金譚】の「旭天鵬初優勝」の時の文。これもぜひ読んでください。なんかこの【木屑鈔】の「帰化」は人気になっているのに、【芸スポ萬金譚】のそれはあまり人気がないようだ。なぜだろう。いい文章なんだけど(笑)。

 旭天鵬の40歳現役、しかも幕内で勝ち越しは、長年のファンとして大事なことなので、あらためて文にします。そのときはここにリンクしますのでまた読んでください。
  1. 2005/07/18(月) 20:56:14|
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2001年に始めたサイトMone's World--http://monetimes.web.fc2.com/の出張版ブログ【木屑鈔】Boku-setsu-shouです。
2005年からやっているライブドアブログから引っ越してきました。FC2のサイトは2007年から利用させてもらっていました。これでやっとサイトもブログもFC2で統一です。
メールは、moneslife2000@kpe.biglobe.ne.jpまで。

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